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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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281.  エクスペンダブルズ 《ネタバレ》 
ジェット・リーとドルフ・ラングレンの格闘まで、編集で「ワンショット(一打)・ワンショット」まで切り刻む愚に悲しくなる。  打撃間の「間」を削ることが、キレの良さとでも勘違いしていると思われる。 おまけに顔面アップの連続で、まともに体技も間合いも見せてくれず、徒手格闘戦の面白味がまるで無い。CGを大幅に封印したとしてもせっかくの格闘系俳優自身によるアクションが活きていない。 二度のカーチェイスも単に派手で大味。格闘シーン同様に運動の持続性も緩急も無く、空間と位置関係の提示には全く無頓着で、興を削ぐ。  「売り」らしいスリーショットは、まともなスリーショットならず。バランスの配慮か、役者の絡み演技未熟のためか、スケジュールの都合か。各々の短い単独ショット、あるいは無言のツーショットの組み合わせを単調に繋いだのみで、三人の正面姿を1ショットに収めた持続的画面はほとんど無い。背中だけの代役が一人いれば、三人揃わなくても撮れてしまう貧弱で胡散臭いシーンだ。  クライマックスに至ってもひたすらな「作戦無き」乱打戦の連続に、途中から安泰感すら感じさせてしまうのも良いのか悪いのか。  一方でフルオートショットガンの重低音や、中盤の橋桁での空爆ロングショットといった派手な見せ場、音響は良い。  『デモリションマン』風のベレー帽、『コブラ』風のレーザーサイト、サングラスといったセルフオマージュ的アイテムの数々は懐かしく、橋桁での泥臭い「全力疾走」ショットはシルヴェスター・スタローン映画必須の刻印ともなっている。   
[映画館(字幕)] 4点(2011-07-18 20:05:24)
282.  SUPER8/スーパーエイト(2011)
ゾンビ映画とともに『東京公園』とのもうひとつの細部的な類似は、相手を正面から真っ直ぐに見据えることによる、相互把握と理解というモチーフだろう。  メディアを介さず、素の眼差しで互いを見詰め合うことで、差異を超えて互いの個を把握する異星人と主人公の少年。  その視覚的コミュニケーションの主題は、単なる映画史的ノスタルジー以上に、9.11報道を経て「異質な者」への偏見と連鎖的憎悪が煽られていく現代の課題として、共産圏への憎悪の時代を背景に発展的に変奏され、問いかけてくる。  映画の中で強く印象に残る場面は数多いが、 ナイトシーンの随所で不規則的に画面を輝かせるブルーの光の帯。タメの場面で静かにざわめく木々の不穏な音。駅でリハーサルを行うエル・ファニングの驚異的な変貌ぶりなどをとくに挙げておきたい。   
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-10 21:42:40)
283.  緋色の街/スカーレット・ストリート
ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。  トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。  見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。  エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。  豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:26:24)
284.  わたしを離さないで 《ネタバレ》 
寄宿学校以外の世界を知らず、また精神の存在自体を問われる設定の主人公として、児童期から青年期を繋ぐキャスティングは重要なポイントとなるが、その点とくにキャシーを演じるイソベル・メイクル=スモール(少女期)とキャリー・マリガンの相似とキャスティング・リレーはほぼ完璧といって良いのではないか。  両者共に、意思的でありながら柔らかな佇まいにおいても通じ合い、一見淡白な身振りの中に秘めた思いを滲ませている。  二人の女優が、それぞれベッド上で想いを押し留めるように胸に手を当てながらプレゼントのカセットテープを聴くシーンの切ない情感がいい。  劇中、ヒロインを唯一照らし出す陽光は黄昏の残照のみ。 鉄線に絡みついたビニル片が風に揺れる、夕暮れの丘。 廃船が一隻打ち上げられている鈍色がかった海岸線。  共に、世界に抗うことの出来ない小さな存在を象徴するアイテムとして原作にもあるが、その忠実な視覚化という意味でロケーションの貢献も大きい。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-20 12:33:30)
285.  ツーリスト
燃えカスとなった紙片のコンピュータ解析や、列車~本部間での顔写真照合を駆使するハイテクチームに対し、メトロの人波を計算して悠然かつ優雅に尾行グループをまいていくヒロインの貫禄が痛快で楽しい。 常に男の上手を行く対話劇も面白い。  一方の『間違えられた(?)男』ジョニー・デップは、ヒッチコック作品のケイリー・グラント的な鈍臭いアクションや非技巧的な演技設計に逆に技巧が透けてしまうのが難点か。  観光名所でのロケーションに、列車内での男女の出会い(『バルカン超特急』他)に、絞殺(『ロープ』)、屋根上のチェイス(『泥棒成金』、『めまい』)、パーティ(『汚名』)そして窓を通した監視(『裏窓』)と楽しい要素は数多く、またふんだんな空撮も豪勢感があって良い。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-07 23:16:35)
286.  アジャストメント
追手と妨害をかわして、ドアの合間からエミリー・ブラントのダンスを「見て」しまうマット・デイモン。 マット・デイモンの語る真相に混乱を来しながらも、ただ彼と「見合う」ことで彼を信頼するエミリー・ブラント。 親密な眼差しこそが男女の運命を決していく。  古典的な切り返しによって結び付けられる二人の視線。そのシンプルな二元論的編集が二人の運命的な愛の成就を予告する。  「人を見ること」=「人を愛すること」という古典的スタイルの直截なあり方がいい。 同じく、ブラフとしての台詞(理屈)をことごとく裏切っていく画面の、シンプルな活劇性がいい。  ソフト帽をかぶり、ドアからドアへとマット・デイモンは無我夢中でひた走る。 (選挙対策のような)知略も作戦も捨て、ただひたすら疾走することによって愛を獲得する。その無謀の運動性こそ映画らしい。  夜の路地で競争する二人の楽しそうな笑顔も良かった。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-03 23:21:37)
287.  トゥルー・グリット
秋口の景観が印象的なヘンリー・ハサウェイ版(69)とは大きくトーンを異にし、こちらは原作に忠実な冬枯れのロケーション。 粉雪が風に舞う山岳地帯の寒々しさがいい。 黒の濃い「夜用の夜」によるナイトシーンも増え、映画のルックは現実的で渋く冷たい。  シネスコ画面を活かした(『許されざる者』的)長大な地平線のライン、スコープ内の像と空砲の音響の時間差、そうした劇空間の広大さや距離感の演出も徹底している。  その中で、ジェフ・ブリッジスが傷ついたヘイリー・スタインフェルドを搬送する夜の画面が美しく味わい深い。  夕景から夜景へと移り変わる地平線を馬が駆けていく夢幻的なイメージの連鎖と、娘が星空を背景にした「父親」を仰ぎ見るショットの古典的画像処理は一際輝いている。  一方で、より「叙事詩」的となり人間ドラマに傾注した感のあるコーエン版は、ハサウェイ版でジョン・ウェインが酒瓶を指に引っ掛けてグイ飲みする粋な仕草や、馬上でライフルを回転させる手捌き、キム・ダービーが急坂を転げ落ちる動作といった(内面性を伴わない)西部劇的アクションの大らかな魅力を必然的に欠いてしまってもいる。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-21 21:02:58)
288.  ブラック・スワン
明らかにそれと判るデジタルエフェクトほど無粋なものはない。 観客が気付かないぐらいが効果的なのであって、過度に充血した眼やら、鳥肌やら、自傷やら、大仰な効果音付で繰り返されればさすがに興も冷める。  二次加工も半端に使われてしまうと、実写画面への信頼性すら揺らぎかねない。 『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオらが踊ったアイリッシュダンスのように、モーフィングによってダンサーの下半身と俳優の上半身を繋ぐ事などもはや造作もないのだから。  ダンスシーンの、演者に肉薄していくような手持ちキャメラワークを始め、役者の身体性と演技に拘るのなら尚のこと、過剰な特殊効果は控え、出来る限り役者の生身だけで勝負してくれなければ価値を減じてしまう。  つきつめていけば、「演技賞」とはどこまでを言うのかという事にもなる。  地下鉄の車窓、ドレッシングルームや稽古場の大鏡の錯覚的な重層性と迷宮感。CGの援用はこれらに限定するだけで十分かと思う。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-05-15 22:16:40)
289.  エンジェル ウォーズ 《ネタバレ》 
妄想なのだから、架空のカメラワークでも、物理法則無視でも、誇張アクションでも良いのだが、その肝心のアクションにいわゆる「ツメ」「タメ」といったアニメーション的ケレンもハッタリのセンスも衝迫力も感じない。 手垢塗れのスロー・クイックモードを濫用して奇を衒おうとするのだが、動作の中で施すべき箇所を取り違えているように見える部分が多々ある。だから、殺陣アクションがメリハリも快感も伴わない。 というより、そもそもシチュエーションに危機感もなければ痛覚の演出もないから、どうでも良くなってくる。 当然ながら、ヒロインがコックの喉元にナイフ一本を突きつける厨房シーンのほうがまだアクションとしてのスリルがある。 意匠とイメージ先行で、デジタルエフェクトの陥穽に嵌っているというべきだろう。  図面を必要とする程の複雑構造の病棟なら、その建築物の空間的ディティールをアクションや芝居場に活かすべきだろうに。 火炎も脱走経路も印象が極めて薄い。 
[映画館(吹替)] 4点(2011-05-07 18:06:00)
290.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
ラプンツェルが危機一髪で崖からジャンプする瞬間と、刑場に引かれていくユージーンのショット。映画の中で二箇所限定で用いられたスローモーションの沸き立つような高揚感。 あるいは的確なクロースアップ、POV、移動ショット、ジャンプカットと、洗練された映画的ショットと編集の宝庫ともいえる。落下運動の向地性と無限上昇運動としての浮遊を対比的に活かしたアクションの緩急と、光の見事さ。 ティアラの輝きと透明感の表現力は、ディズニーの伝統を着実に受け継いでいる。 画面の充実は、エンドクレジットに記されたレイアウトやライティング担当スタッフの豊かさにも明らかだ。  語りを含めた完成度の高さを十分認めた上であえて欲をいうなら、離れ離れとなった二人が塔の上で再会するクライマックスにかけてはそれに相応しいもう一段の困難と試練が欲しい。  落下と振り子運動をダイナミックに駆使した、中盤までの縦横無尽のアクションシーンがあまりに素晴らしいだけに、二人が互いを求め合うクライマックスでは塔の高低と構造を活かしたよりドラマティックなアクションが間違いなく出来たはず。 『カリオストロの城』の時計塔や、『長靴をはいた猫』の魔王城のような。 
[映画館(吹替)] 8点(2011-05-03 17:48:35)
291.  戦場にかける橋
映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。  強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。  
[DVD(字幕)] 5点(2011-05-01 12:14:29)
292.  RED/レッド(2010)
質素な居住空間の中、6時起床、7時朝食、12時昼食の定時行動を示すショットを反復した上で、翌日早朝の異変を旋回のショットと時計のショットとで仄めかす。 ここで示されるブルース・ウィリスの鋭敏な時間感覚の設定は、カール・アーバンとの電話の逆探知シーンやCIA本部の脱出シーンでの伏線ともなる。  フライパンで炒られ暴発寸前の銃弾や、蜂の巣となる家屋から悠然と歩み出てくる主人公の図が、波乱の幕開けの演出として効果的だ。  ハイテク対ローテク、理論対経験則、理性対直感といった頭脳戦の要素は薄く、CIA本部の包囲網脱出のアイデアなどを始め、『レオン』や『ミッション・インポッシブル』の二番煎じで意外性がなく物足りないが、強引な力技も悪くはない。  特に3人のREDがそれぞれ見得を切る射撃シーンの貫禄がいい。 旋回する車を降り立ち、躊躇無くカール・アーバンの車に弾丸を撃ち込んでいくブルース・ウィリス。 炎上する貨物を背景に仁王立ちで暗殺者と対峙するジョン・マルコビッチ。 そして、白いドレスを纏い瞬きひとつせずにマシンガンを撃ち込むヘレン・ミレン。 銃撃の反動にも姿勢を崩すことない、その立ち姿が凛々しい。  廃車にカモフラージュした隠れ家といったアイデアなども奇抜で楽しい。  
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-30 16:43:47)
293.  バーレスク
カウンター席に並ぶC・アギレラとシェール。そこへ一旦はクラブを辞めたクリスティン・ベルが戻ってくる。すかさず、スタンドチェアを回転させて彼女に背を向けて場を外すアギレラ。そのあくまでドライで毅然とした所作がいい。  続く控え室の鏡台の場面。両者は鏡を介して互いを意識しあうが、その二人に対しカメラは交互にピントを送り、二人同時に焦点を合わせることをしない。従って二人は画面上では視線を交えることもなく、対話を交わすこともない。互いに尊重しつつも、馴れ合いを潔しとしないライバル同士の高貴なプライド。それらをシンプルな描写の中に垣間見せる、その視線のドラマがいい。  シェールからアギレラへ、睫と唇への触れ合いを通して擬似母娘の関係を築く化粧シーンもまた、簡潔にして情感豊かだ。柔和な画面が美しく、これも鏡台を巧く使っている。  歌曲では、唯一同時録音的な効果のある「Tough Lover」が白眉。 アギレラの声量が遺憾なく発揮されると共に、客席のざわめき、嬌声、雑音の満ち干きが採り入れられて、舞台・客席相互感応のライブ感がよく出ている。  その分、逆に他の曲の別録が気になってしまうのが皮肉なところ。重低音の音楽は気持ちよいが、リズム重視のカッティングの連続で少々飽きる。 せめてシェールの「You Haven't Seen The Last Of Me」くらいは同録でお願いしたい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-04-26 22:34:04)
294.  ザ・ファイター
マーク・ウォルバーグがみせる、ブランク時とリングシーンの体格調整アプローチは『レイジング・ブル』のデ・ニーロを意識したか。  クリスチャン・ベールの演技も、擬斗シーンの打撃の効果音も過剰気味で今ひとつ面白くないが、母親(メリッサ・レオ)が父親(ジャック・マクギー)に投げつけるフライパンや、左拳を折る警棒のほうは痛々しくていい。  役者に対して主舞台となるホームタウンの印象も薄いが、それぞれ二階建ての家の造りなどは独特で面白い。この映画では玄関先がドラマの場だ。  マーク・ウォルバーグが再起を決意し歩き出す朝の玄関先、クリスチャン・ベールがエイミー・アダムスらを背に歩み去る玄関先の道。その無言のシーンが、饒舌な映画の中では活きている。  ミット打ちのリズミカルなコンビネーション、パンチングバッグの連打音、そして玄関先での呼び鈴の応酬なども、挿入曲と併せて音楽的でいいけれど。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-25 12:10:35)
295.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-11 20:21:38)
296.  台北の朝、僕は恋をする 《ネタバレ》 
夜の車道を縦移動で捉えるドライヴ感や、鮮やかな色彩感覚、椅子に拉致された男女のシチュエーションなどは、師の『カップルズ』へのオマージュといったところか。  ネオンを反射する濡れた街路の艶。夜市の賑わいや、地下鉄駅構内での追っかけのゲリラ撮影的な臨場感覚がいい。  カイ(ジャック・ヤオ)のトラブルに巻き込まれながら、次第に彼をリードしていくスージー(アンバー・クォ)。互いに淡い恋情を意識し始めながら、それを決して表出させないナイーヴな男女像を演じる二者が共に瑞々しい。  追われる側から、スクーターを駆って追う側へと転じるショット繋ぎの鮮やかさ。男を後部座席に乗せて運転する彼女がみせる凛々しい表情は本作の忘れ難いショットの一つだ。 彼を見送った後、一人朝方の部屋に戻り、逆光の窓辺でコップの水を飲む彼女の寂しげなシルエット。その引き気味の1ショットの情感もどことなくエドワード・ヤンの趣を淡く漂わす。  そしてエピローグの横移動がいい。自分を呼ぶ声に、流れる書架の合間から覗くアンバー・クォの固い横顔に次第に微笑が差していく。爽やかな再会のエンディングも『カップルズ』的だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-03 19:04:16)
297.  ウォール・ストリート
バイクを運転しながら、ヘアカットしながら、トレーディング・フロアを速歩しながら。携帯電話を駆使しての、せわしない「ながら対話」の生み出すリズム感と運動感。  点描されるマンハッタン遠望は、株価チャートになぞらえた右肩下がりの凹凸運動に転化され、父娘と恋人の和解は階段の段差の中にバランスが見出されていく。  冒頭でビル街を一気に上昇していく圧巻のカメラは、ドラマの市況状況に連動して上昇と急落を繰り返し、ラストで新たなバブルの緩やかな浮上を仄めかす。  デスクに置かれたコンピュータのディスプレイ群、キャラクターの人間性を示唆する衣装デザインも、業界の虚栄を華麗に視覚化している。  監督本人、チャーリー・シーン、イーライ・ウォラックのふとした出演シーンの愛嬌が映画を大いに和ませてくれて楽しい。(携帯電話の着信音楽が憎い。) 
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-06 21:39:36)
298.  牧童と貴婦人 《ネタバレ》 
夜の霧が漂う船室のシーンは、トーランドの真骨頂。ソフトな画調に、マール・オベロンの瞳の潤いが美しい。船長室での結婚式のショットも、丸い船窓をバックにしたゲイリー・クーパーとのキスシーンも絵になっている。 一方で、尻餅をついたりプールに投げ込まれたりと、少々ぎこちないながらも可愛い仕草でコメディエンヌぶりも発揮していて魅力的だ。 ゲイリー・クーパーも朴訥で実直な役柄を好演。長身の風貌とキャラクターがよく合致している。 彼とウォルター・ブレナンらが建築中の家屋で繰り広げるパントマイムがとても楽しい。  そして結部で展開する緩急のリズムがまた素晴らしい。人物が賑やかにドアを行き来する中、いつしかマール・オベロンも交じって駆け回っている。 呆気にとられながらもドア向こうに駆けていくクーパー。母親がドアを開けると、隣室の台所では二人が熱烈にキスし合っているという畳み込み的ハッピーエンディング。  タイトでシンプルな締め方が実に粋だ。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-02-17 21:25:41)
299.  ザ・タウン
まず賞賛すべきは路地カーチェイス、ガンアクションの見事さ。 適度にカットを割りながらも、右左折は丁寧に編集で繋がれ、空撮やロングの適切な挿入にもよって、経路と位置状況が明瞭に提示出来ている。稀有といって良い。 銃撃戦において、壁面への弾着と人物を出来る限り同一ショット内に捉える迫真性の演出も徹底されている。 いずれも、舞台となる「街」をアクションの中に描きこもうとする意思からくる。  アクションシーンに限らず、菜園・墓地・尖塔・スケートリンク・銀行前の路地・コインランドリーと、生活感のあるロケーションがドラマパートにも効果的に活かされている。その中で、水辺を歩くレベッカ・ホールの後姿のショットが幻想性を帯び印象深い。  あるいはオープンカフェのシーン等のサスペンス演出。席を外したR・ホールが戻ってくる際の、三者の表情を捉えるさりげないショット繋ぎの妙が緊迫感を煽る。  ベン・アフレックと、ピート・ポスルスウェイトの至近距離の銃撃戦。その突発性もいい。  
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-13 22:34:07)
300.  ベスト・キッド(2010)
北米の意識はもはや日本ではなく中国にあり、という感じでパワーバランスの時代推移を厳然と反映している点、リメイクだけに興味深い。  寄り気味のカメラは、多用されるフォロー移動とともに、観客が見るべき対象をひたすら限定して先導してくれる。ここだけ見なさい、というサービス過剰な介護式。加えて、饒舌なBGMがここぞという場面を盛大に誘導・援護してくれる。だからとにかくわかりやすい。 そして、アクションシーンの編集は少々リズム偏重気味で「ワンショット性」に欠け、剛柔の表現としては不満を残すのだが、序盤中盤で何度も反復された円や弧のモチーフは武術の基本として止めの回転技として活きてくる点は見事。  また、光を意識した印象的な画面も豊富でいい。ガールフレンドと戯れる公園の噴水に反射する光、影絵劇場の幻燈、J・チェンがJ・スミスを諭す中庭の場面での眩しい入射光、そしてヘッドライトの光の中に浮かび上がる二人の教育と伝授のシルエットが感動的だ。(それを影から見守るT・ヘンソンの姿も)  そして、キャラクター達も主演二人を始めとしていずれも魅力がある。いずれの登場人物も何らかの弱さを持ち、それを克服させ成長させるという作劇の丁寧さゆえでもある。 特に、作り手の少年少女に対する目線の温かさは心地よい。  トーナメントの前、贈られた道着に対してJ・スミスが漏らす『ブルース・リー』の一言に初めて顔をほころばせるJ・チェン。その笑顔が泣かせる。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-02-10 23:05:03)
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