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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  パシフィック・リム
上映前に買った飲み物をカバンに入れたまますっかり忘れてしまっていて、上映後興奮してカラカラに渇いた喉に一気に流し込んだ。 映画は常に没頭して観ているつもりだけれど、それでもこれほど“無我夢中”になった映画はあまりない。 そして、これほど監督をはじめとする製作スタッフに「感謝」を捧げたくなる映画も珍しい。  冒頭、いきなり異次元から“怪獣”が問答無用に襲撃し、人類側の最後の砦である“巨大ロボット”が、文字通りの肉弾戦を繰り広げる。 実際、ひたすらにそれの繰り返しの映画である。ストーリーなんて明らかに後付けで、突っ込みどころ満載。 しかし、その“ほつれ具合”こそ日本人が生み出し、愛した「怪獣映画」「ロボットアニメ」の真髄であろう。  もはや巨大な鋼鉄の“建造物”であるロボットが大勢の技術者によって“起動”し、パイロットによって“駆動”する様の一つ一つに対して、高揚感が治まらず、思わず座席から身を乗り出して終始ニヤニヤしてしまっていた。 怪獣の襲撃シーンで用いられている音楽は明らかに“伊福部昭オマージュ”に溢れており、怪獣の重量感による地響きと共に響く旋律に涙が溢れそうになった。  そして繰り広げられる大攻防戦。「これぞ大スペクタクルだ!」と古風な言い方を敢えてしたくなる。 日本の本多猪四郎、米国のレイ・ハリーハウゼン、映画史に名を残す“怪獣映画の父”たちにこの映画を捧げたギレルモ・デル・トロ監督の意志は紛れもなく崇高で、日本人映画ファンとして感謝の念が尽きない。   普段は絶対に字幕版しか観ない主義だが、「これは米日合作映画だ!」と一方的に現実逃避を決めて、今回は敢えてIMAX3Dの日本語吹替え版で鑑賞した。 製作スタッフの、日本のアニメ文化への崇高な尊敬の念に対して呼応するように揃えた豪華声優陣が功を奏して、素晴らしい吹替え版に仕上がっていると思う。 何よりも、この映画に限っては、怪獣映画、ロボットアニメに純粋に興奮した「あの頃」に完全に立ち返って鑑賞すべきであり、字幕を追うなんて無粋なことを避けることもまた一興だろう。  兎にも角にも超最高!ありがとう!ギレルモ・デル・トロ! 続編、スピンオフ、ロン・パールマン並みのしぶとさで期待しております。
[映画館(吹替)] 10点(2013-08-20 16:58:40)(良:7票)
22.  クラウド アトラス
無数のクローン少女たちが、何も知らぬまま「死」への歩みを進める。 その不穏さに溢れたシーンが、手塚治虫の「火の鳥」における人間の精神を受け継いだ万能ロボット“ロビタ”の“死の行進”と重なった人は多かろう。  この奇妙で荘厳な映画を観終えてやはり何よりも先ず思ったことは、「火の鳥にそっくりだ」ということだ。 そして、手塚治虫のライフワークであった「火の鳥」の“崇拝者”である僕にとって、この映画に対してのその感想は、最大級の「賛辞」であることは言うまでもない。  時空を超えた6つのストーリーにおける複数の“同一の魂”を描いた映画世界は、非常に複雑で、混沌としているように見える。 しかし、まさに散らばったパズルのピースが組み合わされていくように、次第に複数の支流が絡み合い、結びつき、大きな一つの流れに集約される。 そうして紡ぎ紡がれた一つの結末に辿り着いた時、すべての疑問や謎は、そんなもの最初から無かったかのように綺麗に解消され、主人公が見上げる星空の如く美しく澄み渡る。  誰もが「映像化不可能」と考えた原作は未読だが、前述の通り、手塚治虫の「火の鳥」の映画化と考えれば、それを成立させた「構成力」だけを取っても映画としての価値は揺るがないと思う。 しかも、複数の独立したエピソードを章分けするでなく、すべてを同時進行で描き連ね、最終的に一つの物語に“繋げた”ことは、もはや奇跡的ですらある。 ウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァ、この3人の監督が導き出した映画世界は、原作の持つテーマと世界観を完璧に再現し、更にそこに誰も見たことが無い映画のマジックを加味してみせたと思う。  勿論、時代も人種も性別までも超越した複数の人物像を演じた俳優たちも素晴らしい。 彼らがそれぞれのキャラクターすべてにおいて見事に息づいているからこそ、6つの物語は本質的な部分で結びつき、一人のキャラクターではなく、一つの魂を持ったキャラクターに感情移入出来たのだと思う。  兎にも角にも、この映画の凄さは、いくら言葉を並べても表現出来るものではない。 ハリウッドの大作映画としては珍しい程にとても実験的な作品であることは間違いなく、評価は大きく二分されることも頷ける。 ただし、結局のところそれは実際に観てみないと分からないだろうし、結果がどうであれ「観た」ということの価値が大きい映画であることは間違いない。
[ブルーレイ(字幕)] 10点(2013-07-15 23:13:10)(良:3票)
23.  ジャンゴ 繋がれざる者
燃え盛る巨大な炎をバックに黒い肌のヒーローがニカッと笑う。 そこには、ありとあらゆる葛藤を超えた映画的カタルシスが満ち溢れ、「ああ僕は“映画”を観たのだ」という真っ当な満足感に包み込まれた。  正直、何をまずピックアップすべきかどうか非常に迷う。 歴史に虐げられた黒人たちのすべての怨念が凝縮し爆発したようなヒーローの存在感か、確固たる歴史的事実として存在するアメリカ奴隷制度の目を覆いたくなる残虐性か、稀代の映画作家が生み出した個性的なキャラクター達を文句の付けようも無く演じ切っている俳優たちの素晴らしさか。 どの側面から捉えても、この映画の価値は高く、揺るがない。  ただやはり、これがクエンティン・タランティーノの映画である以上、特筆すべきは「会話劇」の妙だと思う。 今なお鎮まるはずもない歴史的な“怒り”を礎にした荒ぶるバイオレンスアクションでありながら、この映画の構造の中心に存在するものは、最初から最後まで登場人物たちの「言葉」のやり取りだ。 あらゆる思惑の人間たちの対峙から生まれる会話によって、娯楽性に溢れた緊張と緩和が繰り広げられる。 それはもちろん、デビュー作以来貫き通しているタランティーノのスタイルであり、彼が映画史に残る“脚本家”でもあることの証明に他ならない。  「憎しみは何も生まない」だとか「憎しみの連鎖に終わりはない」ということを描いた映画は今とても多いし、僕自身本当にそう思わなければならないと思う。 しかし、結局そんなのは、自分自身が本当の憎しみを抱いていない者が言える綺麗事に過ぎないんじゃないかとも思う。 本当に深い憎しみや怒りは、ただ一人の人間の中で断ち切れるようなものではない。 この映画が生んだカタルシスのすべては、詰まるところそういう人間の純粋な感情に端を発している。  裁かれない悪に対して正義の鉄槌を下す。 あまりにありふれたそのプロットは、世界中の人々が映画をはじめとする愛すべき“作り物の世界”に求め、そして唯一許された「復讐」の手段なのかもしれない。  “映画”という娯楽の何が面白いのか、人々が観たい“映画”は何なのか、そういうことを誰よりも良く知っていて、誰よりも追求し続けているクエンティン・タランティーノという人間の真骨頂。 今、この時代に生きていながら、その彼の最新作を映画館で観ないのは、あまりに勿体ない。
[映画館(字幕)] 10点(2013-04-13 16:31:48)(良:1票)
24.  ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 - スペシャル・エクステンデッド・エディション -
長い長い旅の果て、極限まで憔悴した主人公たちの意識が乗り移ったかのように、観ているこちら側も確実に疲弊していることに気付く。 もちろん映画が長過ぎて疲れたということではない。これほどまでに深遠な物語を、これほどまでに完璧に映し出した映画世界を体感して、“疲れ”を感じないわけがない。 そう断言出来るくらい、この映画の完成度は物凄く、あらゆる否定を寄せ付けない絶対的な存在感を誇っている。  劇場公開以来2度目の鑑賞。劇場公開版でも充分にこの作品の凄さは感じていたけれど、今回初めて“スペシャル・エクステンデッド・エディション”を観て、映像構成から人間描写までこの映画世界のあらゆる緻密に裏打ちされた奥行きの広大さに驚嘆した。 主人公はもとより、彼を支える仲間たちの一人一人、そこに集う人物の一人一人、そして対峙する“悪”の存在の一人一人に至るまできめ細かい描写がきちんとされ、その一つ一つのドラマ性がこの深遠な物語を象っている。 そういうことを映画という表現の中で、余すことなく創造しきったピーター・ジャクソン監督をはじめとする製作陣には、ただただ敬服するしかない。  一つの指輪をめぐる冒険の果ての、世界の平穏と、主人公の喪失感。 ファンタジーに関わらず、世界中の数多のストーリーが、この"行きて帰りし物語”をベースにしているのだろうが、この映画の絶対的な存在感は、この先時を経ても決して揺るぐことはないだろう。  ただし、個人的にはこの物語に唯一対抗し得る作品があると思う。 「風の谷のナウシカ」の原作漫画である。 もちろんこれも、宮崎駿がJ・R・R・トールキンの「指輪物語」に影響を受けていることは明らかだ。今回、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを見直してみて、「風の谷のナウシカ」が類似する要素が数多いことに気付いた。 「風の谷のナウシカ」の原作漫画の大ファンにとっては、その実写映画化は禁断の夢だ。 ただもし、その禁断が破られるのならば、それを託せるのはピーター・ジャクソンをおいて他にいない。
[DVD(字幕)] 10点(2013-02-14 16:56:55)
25.  ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 - スペシャル・エクステンデッド・エディション -
“5日目の朝日”と共に白い魔法使いが軍勢を引き連れて戻ってくる。大軍勢が一挙に斜面を下り、待ち受ける敵方の大軍勢とぶつかり合う。 起死回生のこのシーンの迫力は物凄く、劇場公開時に初めて目の当たりにした時の興奮は忘れられない。 個人的には、この「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズが、ファンタジー映画の範疇に留まらずエンターテイメント映画として唯一無二のものとなっているのは、この第二作の圧倒的なクオリティーによるところが大きい。  シリーズの前日譚「ホビット」の公開、鑑賞を受け、この“スペシャル・エクステンデッド・エディション”を初めて鑑賞。 本当はもっと早く観ておきたかったけれど、何せ上映時間が223分もあってはなかなか機会を見出せず、結局今回のタイミングに至った。  エンターテイメント映画としてのクオリティーの高さは、先述の通り言うまでもなく物凄い。 長ーーいエンドロールが、この映画に携わった人間とそれに伴う情報量の膨大さを顕著に物語っている。  今作はメインキャラクターはもちろん脇役も含めた登場人物たちの群像劇としての趣が強く、映画世界に息づくキャラクター達の緻密な人物像とそれに付随するドラマ性も見所だと思う。 その分、逆に主人公フロド周辺の描写は少なく、彼においてはそれほど大きな進展もないのだが、周辺キャラクターの魅力が深まる今作があるからこそ、この三部作は強固な娯楽性を持ち得ていると思う。  さあて、この勢いのまま「王の帰還」の“スペシャル・エクステンデッド・エディション”に挑むかな。
[DVD(字幕)] 10点(2013-02-13 16:53:56)(良:1票)
26.  ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 《ネタバレ》 
美しい動物たちを背景にして、オープニングクレジットのフォントが軽やかに、踊る。 その秀麗で愛らしいオープニングを目の当たりにした時点で、「ああ、これは良い映画だな」と確信めいたものを感じるとともに、この映画は長い年月に渡って多くの世代に愛されるべき映画となるだろうとまで思えた。  やはりまず特筆しなければならないのは、圧倒的に美しい映像世界。 今回初めて「IMAX 3D」で映画を観たが、この環境で初めて鑑賞した映画が今作で本当に幸福だったと思う。  映画として素晴らしいのは、その“美し過ぎる”映像世界そのものに、ある明確な意図が存在するということ。 嘘みたいにリアルに息づくトラの造形、嘘みたいに美しく壮大な自然の姿、そして嘘みたいに奇跡的な冒険譚……。そのすべてに、この物語が語るべき本当の意味が含まれているのだと思う。  鏡面化する水面では空と海との境界が無くなり、映画世界に放り込まれた自分自身が一体何処にいるのか分からなくなる。 海面に映る自分を見つめる主人公は、次第に実像と虚像の境界を見失い、溶け込み、あらゆる生命と入り交じり、共に漂流するトラと一体化する。  旅の中で突如嵐に遭い、家族を失い、一頭のトラと共に果てしない漂流生活に突入した主人公。 その壮絶なサバイバルというエンターテイメントの果てに描かれていたことは、「信仰」というものの本質だった。 それは、宗教的な概念に留まるものではなく、数多の神々の存在を等しく信仰して成長した少年が、己の生命をかけて辿り着いた真理だったのだと思う。  「生きることは、失うこと」と、自分の人生を顧みた主人公は言う。 そこには特別な悲観も楽観もなく、達観した彼の瞳には何の迷いも戸惑いもないように見えた。 この映画は、「何を信じればいいのか?」という人間が持つ根本的な“惑い”に対して、「あなたが信じたいものは何なのか?」ということを真っ向から問いかけてくる。  きっとそれに対する答えは人それぞれで、きっと何度観てもべつの答えが導き出されるだろう。 重要なのは、何が正しいのかということではなく、“何を信じるのか”ということなのだろうと思う。  冒頭にも記した通り、この映画は老若男女問わず様々な年代の人間が様々な価値観において楽しめる作品だと思う。 我が娘はまだ1歳半だが、彼女にもいつか観てほしいと思った。
[映画館(字幕)] 10点(2013-02-09 21:02:52)(良:4票)
27.  ダーティハリー
サンフランシスコの深い青空を背景にして、ライフルの漆黒の銃身が伸びる。遠く照準の先には、真っ青なプールに映える黄色い水着を着た美女。冷淡な凶弾は音もなく美女を襲いあっさりとその命を奪う。 オープニングクレジットと共にサングラスをかけた“スター俳優”が颯爽と事件現場に現れ、映画が始まる。  冒頭数分間のこのシークエンスで、一気に映画の世界に引き込まれた。 「凄い映画だ」ということは、その時点で確信できた。そして、今この瞬間までこの映画を"未経験”だったことを後悔した。  あまりに有名なハードボイルド映画の「傑作」であることはもちろん知っていたけれど、今この時代に初めて観て、これほどまでに心底「格好良い」とあらゆる意味で思える映画だとは思わなかった。 全編に渡るカメラワークの格好良さ、音楽の格好良さ、台詞回しの格好良さ、そして何と言っても“クリント・イーストウッドの格好良さ”もうそれに尽きる。 世代的にクリント・イーストウッドという映画人に対して、“ベテラン名俳優”そして“名匠映画監督”としての認識が大部分を占めるので、“スター俳優”としての馴染みが実際無かった。 時を越えてようやく、クリント・イーストウッドという稀代のスター俳優に邂逅できた気分だ。  映画史に残る「傑作」故に、この映画の価値と見所は多岐に渡ると思う。 時代に楔を打つバイオレンス性、正義と法の矛盾に対しての憤り、娯楽映画における警察像の変遷、この映画を観たのは初めてだが、おそらく観る程に新しい発見があり面白味が深まるだろうと思える。  でも、個人的に何よりも重要視したいことは、やはり主人公の魅力に尽きると思う。 演じた主演俳優の時代を越える格好良さ、そして彼が演じたキャラクターの映画史上に残るアイコン性。 登場した瞬間に、当然の如く「ああ、ダーティハリーだ!」と初めて見る者にすら思わせるその強烈な個性。  この映画の主人公に、クリント・イーストウッドという俳優が起用されたのは、決して既定路線ではなく、様々な巡り合わせが重なった上でのことらしい。 だからこそ、その「誕生」は映画史にとって奇跡的なことだったと思う。
[CS・衛星(吹替)] 10点(2012-11-11 01:12:40)(良:1票)
28.  J・エドガー
思い切り殴られた口元を押さえつつ、部屋を出て行く部下の背をやや虚ろな目で追う主人公のジョン・エドガー・フーバー。 彼は痛みを感じているのではない。殴られた直後に奪われた唇の感触に恍惚としているのだ。 映画中盤に用意されたこのクライマックスとも言える衝撃的なシーンの余韻が、この風変わりな伝記映画を唯一無二のものにしている。  この映画を悪名高いFBI元長官フーバーの人生を描き出すことで、当時のアメリカという国の「正義」に対する真実を導き出した社会派ドラマだと高を括って観たならば、きっと大いに面食らってしまうことだろう。 なぜならこの映画は、見まがうことなき“ラブストーリー”なのだから。  米国の政府内外のほぼすべての人間からから忌み嫌われ続けた男が、なぜ約50年に渡りFBIの最高権力者の地位に君臨し続けることが出来たのか。 ジョン・エドガー・フーバーという人間の行為、発言、思想、人格、人間関係、彼の人生を象ったそれぞれの要素を努めて冷静にフラットに描き連ねることで、この人物の悪行と功績、闇と光が一対となって見えてくる。  悪しき伝説に溢れたこの元FBI長官の人生をベースにすることで、社会の裏側をえぐり出していきある意味サスペンスフルな娯楽性に溢れた映画を導き出すことは容易だった筈だ。 しかし、イーストウッド監督はそれをせず、非常に挑戦的で危ういまったく別の試みに挑み、映画を完璧に仕上げてみせている。  人々に忌み嫌われ、謎にまみれ、闇にまみれ、それでもこの男が貫き通したかったものは何だったのか。そして、彼が本当に“隠したかったこと”は何だったのか。 映画はあくまでもこの人物のパーソナルの深淵へと突き進むように進行していき、人間としての“闇”のさらにその奥まで踏み込んでいく。  むしろ醜ささえ感じる地味な描写で映画は終焉する。 しかし、そこには言葉には表しづらい複雑な人間そのものの余韻を感じる。  「正義」という“闇”の中を突き進んだ男が、最期に辿り着いたものなんだったのか。何処まで行っても変わらない闇だったのか、一寸の光だったのか、それとも虚無だったのか。 捉え方は人それぞれだろうけれど、少なくとも個人的には“救い”が見えた気がする。 そして、その“救い”こそが、まさに愛だったのではないか。 それは、すべての人間に与えられた免罪符のようにも思え、感極まった。
[ブルーレイ(字幕)] 10点(2012-07-16 15:47:45)(良:1票)
29.  未知への飛行
連休最終日の深夜1時過ぎ、翌朝はいつものように早起きしなければならないというのに、どうやらなかなか眠れそうにない。 床に就く前に、物凄い映画を観てしまったからだ。  何気ない日常の中の次の瞬間、「核戦争」によって世界は滅亡するかもしれないという“危機”と“恐怖”を、これほどまでに如実に、シンプルに描いた映画を他に知らない。  1964年、「冷戦」まっただ中で製作されたこの映画には、あらゆる「制約」が溢れている。 軍事力縮小の提言、冷戦構造の批判を真っ正面から描いた今作に対し、政府及び軍からの協力は全く得られなかった。 核弾頭を積んだ爆撃機の行方を追う映画でありながら、機体の撮影許可は得られず、盗み撮りした離陸シーンを使い回している。 そして、世界滅亡の危機を追うすべての緊迫のシーンは、指令本部、国防総省、爆撃機内、ホワイトハウスの地下司令室の4つの密室劇のみで描かれる。  幾重もの制約の中で、それでも描き切った映画表現の巧さ、そしてそんな時代だからこそ製作を押し切った映画表現に対する勇気に脱帽する。   「最悪」の中の「最悪」を回避するため、大統領が下したあまりに恐ろしい最終決断。  「北東からの爆発音が聞こえます 空が明るい 光ってる」  途切れる通信。高く響く機械音……。絶望。決意。   その展開がそのままリアルであるとは言えない。 ただ、たった一つの“エラー”で、世界は終わってしまうかもしれないという「事実」と「恐怖」は、紛れもない「現実」であり、圧倒的な緊張感から導き出された顛末に、大袈裟でなく背筋が凍る思いだった。  言い得て妙だが、この陰影際立つモノクロームの映画世界は、決して色褪せることは無いだろう。 それは、人類とこの世界が、今日この日においても1964年当時と同じ「恐怖」を抱えているからに他ならない。  突然途切れるような真っ白い画面、それが次の瞬間起こらないなんてことを誰も断言できない。  「大傑作」と断言できる映画に対する「尊敬」と、愚かしさを否定できない人類に対する「侮蔑」を同時に感じずにはいられなかった。
[DVD(字幕)] 10点(2010-10-12 01:23:37)(良:2票)
30.  情婦
「情婦」という言葉の意味を、辞書で調べてみた。 辞書によると、“男の情人である女”、“色女”とあり、あまり良い意味合いではない。  アガサ・クリスティの原作の原題が「Witness for the Prosecution(検察側の証人)」であることに対して、この邦題が作品にふさわしいかどうかには、いささか疑問が残る。  ただ、この映画で描かれる“女”の愚かしさ、そして儚さを何とか表現しようとした時、「情婦」という言葉は、決して意味合いが一致するとは言えないが、ある視点から捉えればあながち外れてはいないのかもしれないと思った。  ビリー・ワイルダー監督が、エンドクレジットでわざわざ結末の「他言無用」を掲げていることが、この上なく理解出来るほど、ラストの顛末が総てだと言える映画だった。  古い映画らしく、全編通してカメラワークの動きが少ない淡々とした法廷サスペンスが展開される。 この淡々とした法廷サスペンスに、どれほどの“驚き”が含まれるものだろうか。 疑心暗鬼な思いが大いに膨らんできた頃、ビリー・ワイルダーが他言を禁じた「結末」が訪れた。  いや参った。素晴らしい。“驚き”に対して充分に構えた上で、それでも驚かされた。  素晴らしいのは、その衝撃の展開においても、映画のテンションが劇的に転じるというわけではなく、一貫して淡々としたままであるということだ。 場面も変えず、登場人物の台詞のみでこの作品の核心である衝撃を表現し切っている。 「結末」を得ると、それまでの淡々とした展開も、敢えて観客に感情の焦点を絞らせない深い計算によるものだったのだと思い知る。  アガサ・クリスティの原作の高尚さもさることながら、ビリー・ワイルダーの卓越した映画術が如実に表われた結果だと思う。  「真実」の表と裏、男と女の愚かさと切なさ、そして、それらを総て含めた人間の感情の妙に溢れた結末に身震いした。 中盤、深夜の鑑賞には堪え難い眠気に包み込まれそうになったが、用意されていた顛末によってそれは一気に消し飛んだ。 更には、観終わった直後に再びクライマックスを観直してしまった。  ようやく涼しくなってきた秋の夜長、襲ってきた睡魔を見事に返り討ち、「映画鑑賞」の本質的な充足感と幸福感を与えてくれたこの映画は、「名作」の名に相応しい。
[DVD(字幕)] 10点(2010-09-12 10:25:22)
31.  アパートの鍵貸します
主人公は大手保険会社のしがないサラリーマン。上役の不倫の場所として自らのアパートを提供し、出世の口利きをしてもらっているという設定は、少々強引だし、かと言ってそこにインパクトがあるかというと、そうでもない。 ストーリーのプロット自体は、「安いラブコメ」と言ったところだ……。  ただし、圧倒的に素晴らしい映画だった。「名作」の名にふさわしい。  主人公も含め、登場するキャラクターの人間性が魅力的だというわけでもない。 むしろ、揃いも揃って、狡くて、愚かで、滑稽だ。  でも、そういう部分こそ、すべての人間が共通して持つ“人間らしさ”だと思う。 その決して格好良くない人間の有りのままの姿を、きっちりと描写していることが、この作品の最も素晴らしい部分で、多くの人たちに愛される映画である所以なのだろう。  気まぐれで意地悪な人間関係の中で、右往左往する主人公にふいに舞い降りるハッピーエンド。 それはあまりに唐突のようにも見えるけれど、人生の転機なんてものはそんなもので、喜びも哀しみもいつだってふいに訪れる。  人間の営みの儚さと、だからこそ生まれる素晴らしさを巧みに描いた傑作だと思う。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-08-22 23:49:25)
32.  シャッター アイランド
心労による偏頭痛がじっとりとまとわりつく土曜日のレイトショー。 仕事終わり、わざわざ隣街の遠い映画館まで車を走らせて、この映画を観に行った。 なぜそんな苦労をしなければならなかったか。理由は、近場の3つの映画館では揃って「超吹替版」という得体の知れないバージョンでしか上映をしていなかったからだ。  吹替版を一方的に非難するつもりはないのだが、個人的には、言語が分からないのであれば外国映画はやはり字幕で観るべきだと思う。 字幕として翻訳することで誤訳や微妙なニュアンスの相違が生じていることは知っている。スクリーン上に表現されている様々な要素を見逃さないためには、字幕を追うことはマイナス要因だとは思う。 ただし、だからと言って「吹替版を観た方が良い」ということにはならない。  俳優本人が発する台詞のトーンや息づかい、そういうものを無視することは、映画という表現に対する一種の冒涜だとさえ思ってしまう。  結論として感じたことは、吹替版しか上映していなかった3つの映画館に対する多大な嫌悪感だった。この映画を吹替なんかで観ていたらと思うと、ゾッとする。  非常にまわりくどくなってしまったが、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオが四度タッグを組んだこの作品は、絶対的に凄い映画である。  この映画の絶対的な価値は、「謎」そのものに対する安直な衝撃ではなく、本当に優れた映画監督と映画俳優が緻密に創り上げた、ミステリアスに溢れた上質な映画世界そのものであると思う。  いかにもおどろおどろしい孤島の犯罪者専門の精神病院で、主人公がミステリーの渦に呑み込まれていく。それはむしろ予定調和とも言えるほど王道的な展開である。 その必然性に真っ向から臨み、単なる驚きを超えた緊迫感を生み出す。 それは、本当に「映画」を知り尽くした者たちのみが成せる業だと思う。  スコセッシが描き出す陽炎のような映画世界。そこに圧倒的な存在感で息づくディカプリオ。光の屈折、音の響き、漂ってくる匂い、その「空気」の動きこそ、この映画で感じるべきことだと思った。  それは、「吹替版」ではやはり味わえない。
[映画館(字幕)] 10点(2010-04-11 01:10:57)(良:2票)
33.  ロッキー
映画鑑賞が趣味だと言って、何千本の映画を観ていたとしても、当然ながらその全てを観られるはずも無く、絶対的な名作にも関わらず、未鑑賞の作品が多々ある。 「ロッキー」もまさにそういう作品群の中の1本だった。(ちなみに「ロッキー4」は観ている……)  「圧巻」だった。 有名すぎる映画なので、未鑑賞であってもラストの顛末に至るまで大体のストーリーは知っていた。 驚くべきは、それにも関わらず、まったく予想外のドラマを見せつけられたことだ。  もっと分かりやすい主人公のアメリカンドリームを描いた映画だと思い込んでいた。 が、実際に描きつけられていたのは、不遇な環境と自分自身に対するコンプレックスからの脱却に対する飾り気の無い「願望」だった。 そこには、大義名分もなければ綺麗ごともない。ただ幸運に恵まれたチャンスを生かし、現状から抜け出したい。 もっとあざとくいえば、降ってわいたラッキーをものにして、名声を得て、幸福を掴みたい。  ひたすらにその思いしかない。だから凄い。 ストーリーをもっと盛り上げようと思えば、いくらでも感動的な要素を加えられたはずである。だが、敢えてそういう安直な“創作”を加えず、無骨に鍛え上げられた肉体のように、物語が研ぎすまされている。  これはまさに、シルヴェスター・スタローンという映画人のドキュメントなのだと思う。 オーディションに落ち続け、日銭をかせぐ毎日だったスタローンが脚本・主演を務め、一躍スターダムにのし上がった様は、まさしくロッキー・バルボアそのものである。  「自分の夢で名声を得たい」というロッキーとスタローンの思い。 そこにあるものは、決して綺麗ごとだけでは済まされてない野心に溢れた強かさだ。 だからこそ、この映画は長年色褪せることのないリアルなエネルギーに満ち溢れている。  だから知っていたラストシーンを初めて観て、涙が溢れた。
[ブルーレイ(字幕)] 10点(2009-12-28 15:58:24)(良:5票)
34.  アバター(2009)
流行りの3D映画を初めて観た。 その「初体験」がジェームズ・キャメロンの12年ぶりの新作で、本当に良かったと思う。  革新的な映像を見せる映画に対して、“未経験の映像体験”なんてキャッチコピーはよく使われるが、今まで観たどの映画よりも、この映画こそその常套句にふさわしい。 まさに、「観た」というよりは、「体験した」という表現の方がぴったりとくる。   正直、危惧の方が大きかった。 「タイタニック」以降、音沙汰なかった巨匠が、12年ぶりに挑んだ最新作は流行りの3D映画。 個人的に、3D映画に対しては、最新技術に頼った安直さが伺えて興味がなかった。映画の「本質」をぼかしているように思えたからだ。 大々的に広告はしているけれど、ただただ資金と時間を浪費した“超駄作”に仕上がっているのではなかろうか。と、不安を抱えたまま劇場へ入った。 初めての3Dグラスは、非常にかけ心地が悪く(眼鏡をかけているので尚更…)、上映前に益々萎えてきた。  しかし、本編が始まるにつれ、危惧とか不安とかそういうものは一蹴された。 それ以上に、今ここにある自分の日常的な存在自体が、どこか遠くに吹き飛ばされる感覚を、終始覚えた。 冒頭から間もなくして、すっかり映画世界に引き込まれた。  “引き込まれた”という表現を映画の感想で多々使ってきたけれど、今作ほどその表現にふさわしい映画はないと思う。 まさに「体感」。出演者の息づかいをスクリーン越しに感じるのではなく、自分自身が彼らと共に息づいているような感覚。それは紛れもない未体験ゾーンだった。   素晴らしい映画によくありがちなことだが、この映画は、うまく形容する言葉が見つからない。  『未開の惑星を侵略する地球人、スパイとして先住民族の中に送り込まれた主人公、やがて主人公は愚行から目覚め先住民と共に地球人の侵略に立ち向かう。』  と、プロットをただ言葉にするとあまりにありふれている。 が、そこに加えられた“光”と“音”によって、圧倒的な価値が生まれる。 それこそが「映画」そのもののマジックであると思う。  3Dという新たな映画表現によって見せ付けられたのは、そういう根本的な映画娯楽の魅力と、 12年ぶりに復活したエンターテイメント映画の大巨星の、絶対的な“瞬き”であった。  “ゼロ”からの圧倒的な「創造」。そのすべてが、凄い。物凄い。
[映画館(字幕)] 10点(2009-12-26 02:06:09)(良:1票)
35.  クローバーフィールド/HAKAISHA
いやスゴイ。紛れもない凄い映画だと思う。実際その一言に尽きる。というか語り出したら、とても語り尽くせない気がする。  「突如,謎の大怪物に襲われる」 という有り得ない事象を、これほどまでに忠実に描いた映画を僕は他に知らない。 というよりも、そもそもこれまでそんな試みをした映画は無かったと思う。 その恐怖と絶望を描く際、これまでのモンスター映画のほとんどすべては、その怪物がどれだけ恐ろしいか、残虐か、という怪物そのものの“正体”に注力してきた。 しかし、よくよく考えてみれば、突然見たことも聞いたこともない巨大モンスターに襲われている当事者たちが、その正体を知り得ることなど不可能に違いない。 突然のパニックと絶望に対し、ただ闇雲に逃げ惑うことしか出来ず、その「目線」に立つことこそ、最も効果的な「恐怖」である。ということに気付き、圧倒的にシンプルで、尚かつ大胆な手法で描き出したこの「映像」の製作者たちは、スバラシイと思う。  決して大袈裟ではなく、この作品は、「ゴジラ」や「キングコング」、「エイリアン」、「ジョーズ」など多くの名作が存在する“モンスター映画”というジャンルにおいてその歴史を塗り替えるものであり、傑作と言って間違いはない。  この作品が、敢然たる傑作と言うにふさわしい理由は他にもある。 アイデア勝負と言えるような大胆な手法の中にあって、非常に繊細で切ない演出が含まれていることだ。 人間の何気ない生活の中の幸福や成功や諸々の感情が、途端に恐怖とパニックに浸食されていくという“有り得ない現実”。 そして、ある二人の幸福な一日の描写が、問答無用の「絶望」によって文字通り”塗りつぶされていく”という様を、一本のビデオテープの中で表現したこと。 それが、この衝撃的な「映像」を、絶対的に素晴らしい「映画」へと昇華させている最大の要因だろう。  「幸福な一日だった」 残された一言が、ただ染み入る。 
[映画館(字幕)] 10点(2008-04-18 23:35:11)(良:4票)
36.  バタフライ・エフェクト/劇場公開版
サスペンス映画で、これほど切なく、涙がじわりと溢れたことは初めてだと思う。 ストーリーの完成度が物凄く高い。主人公の能力についてのアイデア自体も斬新だが、それもよりも、物語としての整合性と全編通してのバランスが素晴らしい。「何が起きているか分からない」緊迫的な“恐怖感”溢れる導入部から紡ぎ出し、テンポのよい“緊張感”と“謎”を展開しながら、“切なさ”溢れるラストへと結びつける。作品のテンションにふさわしい、秀逸に練られたストーリーテリングだった。 日本公開され、DVDがレンタルされるようになってから少し経つが、今の今まで観ていなかったこと自体が悔やまれる“傑作”だと思う。 
[DVD(字幕)] 10点(2005-12-27 22:18:03)
37.  Mr.&Mrs. スミス
やっぱり最高だなこの映画。 激しい銃撃戦とスタイリッシュなアクションシーンに彩られているけれど、今作は見紛うことなき「夫婦映画」だ。 言うなれば、ジャンル的には、「夫婦善哉」だとか、「ブルー・バレンタイン」だとか、「ビフォア・ミッドナイト」などと並ぶ夫婦映画の傑作だ。  初見時から大ファンの僕は、たとえ年老いたとしても、ブラピとアンジーが夫婦である限り“続編”を期待していたのだけれど………。
[映画館(字幕)] 10点(2005-12-26 18:48:26)
38.  シン・シティ
どこまでも果てしなく“遠慮”がない映画というものは、それだけで素晴らしく、偉大である。 徹底的に造り込まれ、限りなくキワどく、限りなくクールな映画世界に圧巻という言葉すら出ない。ひたすらに血生臭く、非道なこの街の空気感を彩る豪華な俳優陣それぞれのパフォーマンスと、悪趣味とスタイリッシュさとの絶妙な塩梅をこれでもかと見せつける映像感覚が凄まじい。 圧倒的なテンションの連続を見たかと思うと、描かれるストーリーは極めて繊細で切ない。まさに「こんな映画みたことない!」と断言するにふさわしい映画が誕生したと思う。スゴイ。 これは、ロドリゲス流超ハード“パルプフィクション”だ!!
[映画館(字幕)] 10点(2005-10-01 19:01:43)(良:1票)
39.  スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 《ネタバレ》 
歴史的なスペースオペラの頂なる映画が今完結した。  個人的には、SW自体の面白さに気が付くのが遅く、最近になってまとめてシリーズを見直し感嘆しこの最終作を迎えたのだけれど、それでもこの長き年月に渡って世界中を風靡してきた大作の壮大さと崇高さを感じて余りあった。  公開に際して多くの人々が「泣ける」ということを口にするので、さすがにそれはないんじゃないかと疑問を感じていた。 しかし、すでに分かりきったことであるはずなのに、アナキンがベイダーへと転じジェダイの騎士たちを葬りさっていくシーンでは胸が詰まった。 暗黒面のままに“成すべきことを成し”ひとり涙を流す様には、これまでのシリーズ作すべてを制する感慨深さが滲んでいた。  この映画を観たすべての人が「ほんとうに馬鹿な男だねえ……」という、まるで古い日本映画のよう普遍的な感想を持つはずだ。 普遍的ではあるが、観客が受ける心の揺れは計り知れない。 そうジョージ・ルーカスがその映画人生のすべてをかけて生み出したこの果てしない映画世界は、アナキン・スカイウォーカーという男の人生における愛情と苦悩が幾重にも折り重なった哀しく愛しい“不器用さ”を描くためにあったのだ。  結局、最愛の妻までも亡くしてしまった黒ずくめの彼の最後の叫びは、その後20年余り暗く乾いた闇の中で、静かに静かに響き続ける。  “新たな希望”に出会うその時まで。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-25 16:10:51)
40.  エターナル・サンシャイン
離れたくない映画に対する余韻。“映画を観る”という幸福は、まさにこの余韻のためにあると思う。 もはやハリウッドにおいて“天才”“気鋭”の名を欲しいままにしているカウフマン×ゴンドリーの、この類まれなるラブストーリーの余韻をぼくはしばらく忘れることができないだろう。さりげなく、大胆に、そして淡々と奇抜に描かれるその絶妙な映画世界の奇蹟に心が震える。恋愛にまつわる切ない“代償”と美しい“価値”を、まさに永遠なる輝きの中に表現してみせたまったく新しい視界に、自分の脳裏まで一掃されたような感覚だった。 しかし、奇妙で革新的な映像世界ではあるが、描かれる物語は実に普遍的な感情だ。“何気ないこと”から深まる愛情と亀裂。そして、記憶の消去という衝動的な行為から見えてくる何気ない日々(しかしそれこそが“幸福”なのだ)の輝き。それを消されてたまるかと逃げ回る主人公の純粋な感情。さらに秀逸なのは、すべてを経て、すべてを知ってしまっても、互いを愛さずにはいられないという、ある種滑稽でだからこそ素晴らしい愛の本質である。 そうこう書いているうちに、またじわりじわりとこの映画に“脳ミソ”が侵食されていく……ああたまらない。 
10点(2005-03-27 01:44:25)(良:2票)
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