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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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461.  ヤング≒アダルト
僕自身、より広い世界で何かを成してみたいという望みはあった。そういう望みをがすべて消えてしまったわけではないけれど、いつの間にか生まれ育った土地で結婚をし子供が生まれ、日を追うごとに人生の方向性が確定し始めている。「幸福だ」ということに疑いはないつもりだけれど、完全に割り切れてもいない。 そんな三十一歳になったばかりの男にとっても、この映画が伝えるものは、色々な意味でイタく突き刺さる。  シャーリーズ・セロン演じるこの主人公のことを「馬鹿女」と一蹴してしまうことは簡単だし、とても楽だ。 実際彼女が馬鹿でイタい女であることは見紛うことなく確かなことだ。 彼女がああなってしまった原因の大部分は、彼女自身の人間性によるものであり、自業自得でもある。 しかし、その主人公の馬鹿でイタい言動の始終を追って呆れる反面、誰にも彼女を蔑む権利などないとも思える。 誰だってかつては彼女のように立ち振る舞いたかったはずだし、彼女自身、周囲がそうあることを望んだからこそ、無意識の強迫観念の中で自らの人間性を構築していったのだろうと思う。  ただそのまま歳を重ねるだけ重ね、一般的な価値観における「大人」になれなかっただけのことだ。 もちろん、社会の中で生きていく上で“ただそれだけのこと”では済まなくなる部分は多い。しかし、それを批判出来ることが出来るのは、何も知らない他人などではなく、彼女自身に他ならないと思った。 言い換えれば、辛かろうが、苦しかろうが、彼女自身が「それで良い」と心の底から割り切れれば、それが「正解」なのだと思う。  脚本も演出も素晴らしいが、敢えて特筆したくなるのはやはりシャーリーズ・セロン。 37歳のバツイチ女の荒み切った生活感を惜しげもなく表現したかと思えば、ある種狂信的なドレスアップ後には完璧な美しさを見せる。一人の女の中のこの激しいギャップが、殊更に主人公の悲哀を強め、キャラクターのオリジナリティーを高めている。“はまり役”といえばまさにそうだが、衝撃の“ヌーブラ姿”も含めて見事だったと思う。   この映画は、馬鹿でイタいオトナの女が、「痛み」を経て成長する物語……などではない。 己の馬鹿さもイタさもすべて抱えて、今一度「自分一人が大切だ」ということを噛み締め、髪を掻きむしりながらボロボロの体と心でそれでも前へ走り出す、そういう映画だ。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-11-30 16:14:05)
462.  キリング・ショット
ブルース・ウィリスの意味深な台詞回によるファーストカット、郊外のドライブインでの軽妙っぽいガールズトークから突如始まる銃撃戦、静止画によるキャラクター名表示に、時間軸を行ったり来たりする場面転換……etc。 冒頭から立て続けて映し出されるそれらの要素に対して、「あーハイハイ、“彼”のような映画にしたいのね」と苦笑いが出るのに時間はかからなかった。 “彼”とはもちろん、“クエンティン・タランティーノ”である。  不思議なもので、明らかに“タランティーノっぽい”映画づくりになっているのに、そう思わせるシーンが登場する度に何だか「ダサい」と感じずにはいられなかった。 真似はどこまでいっても真似だし、クエンティン・タランティーノ以上の映画オタクでない限り、いくら真似たところであの世界観は導き出せないということだろう。 元も子もないことを言ってしまえば、タランティーノ映画はタランティーノにしか作れないという至極当たり前な結論を痛感してしまった。 クエンティン・タランティーノの映画を全く見たことがない人ならば、それなりに楽しめるのかもしれないが、“オリジナル”を経てきている以上、この映画は決して褒められたものではない。  何やらミステリアスな真相を秘めたようにストーリーは展開していくが、蓋を開けてみれば中身は空っぽに近く、雰囲気だけで切羽詰まった感を強引に出しているに過ぎなかった。 キャラクター描写も今ひとつ中途半端で、マリン・アッカーマン演じる主人公は映画内の設定程美人に見えないし、アカデミー賞俳優フォレスト・ウィッテカーが演じる殺し屋は「狂気」が空回りしていてただの馬鹿みたいに見えた。  パッケージに大写しになっているブルース・ウィリスに関しては、ある程度予想はしていたが、“キーパーソン”という肩書きの完全な脇役。 この人は相変わらず小金稼ぎが上手い大物俳優だと思う。こういうしょうもない映画にも出るし、脇役も端役も厭わない一方で、話題の大作映画にも主演し続ける。さらには日本のCMにも顔を出すのだから、本当に俳優としての商魂が逞しい。
[ブルーレイ(字幕)] 4点(2012-11-29 17:55:15)(良:1票)
463.  ペントハウス
高揚感を煽る音楽の中、ベン・スティラー演じる主人公が、絶妙な笑みを浮かべながら“あるところ”を歩いていく。そのラストカットを見ながら、思わずにんまりと親指を立てたくなった。 イントロダクション通りのストーリーで、辿り着く顛末も大体想像通り。それでも、これだけの満足感を観客に与えるのは、アメリカのコメディ映画界が大衆を喜ばせるための「基本」を常に全うしているからだと思う。  もはやアメリカコメディ映画の世界では二大俳優といっていいベン・スティラーとエディ・マーフィの競演については、当然のことながら安心して見られる。  特にベン・スティラーというコメディ映画俳優の存在感は凄い。 主演作の殆どにおいて、彼の演じるキャラクターはあまり笑わない。主人公が真剣になればなるほど、彼を取り巻く環境は大揺れを起こし、可笑しさが生まれる。 それは、すべての人間が真剣に生きているこの現実の世界こそに、本当の可笑しさが潜んでいるということの証明であり。だからこそ、ベン・スティラーの主演映画は面白いのだろう。  が、その一方でこの二大俳優が組んで、しかも一応“幼なじみ”という設定の割には、ふたりの掛け合いが少なく、連携もイマイチだったようにも思えた。 ストーリー構成的には、ベン・スティラーの単独主演で、エディ・マーフィは脇役という印象が強く、勿体ないと感じた。  また、よくよく突き詰めれば、整合性がない部分もチラホラ目につくし、説明不足な展開もある。 そういう部分が、最終的な満足感のわりに作品としてのグレードを幾分か下げてしまっていることは否めない。  しかしながら、この手の映画に“こなれている”俳優たちのアンサンブルは極めて安定していて、気を削がれるようなことは決してない。  “人種のるつぼ”であるアメリカ社会が抱える格差や経済の問題意識もベースに敷きつつ、バランスの良いエンターテイメントに仕上げる“地力”が流石だと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-28 23:54:57)(良:1票)
464.  裏切りのサーカス 《ネタバレ》 
ゲイリー・オールドマンの秘めた感情が読めない瞳が、眼鏡の奥で硝子玉のように鈍く光る。 彼が演じるスマイリーという男が、この物語の中で貫き通したものは一体なんだったのだろう。 それは正義だったのか、野心だったのか、それとも暗恨か、嫉妬か。 ラストカットで主人公が携えた微笑には、彼が抑え込んできた様々な感情が一瞬垣間見えたように思えた。  インフォメーションから伝わっていたようなストーリー的な難解さは実はない。 人と思惑が入り交じり、いかにも入り組んでいるように見えるが、最終的に解きほぐされた顛末は、呆気ない程に単純で驚きはなかった。このキャスティングで、“彼”が裏切り者では工夫がなさ過ぎると思った。 正直なところ、その呆気なさに対して満足度が高まり切らなかったことも事実。人物関係の説明描写が明らかに不足したまま固有名詞を並び立てる語り口は、ストーリーをただ無意味に難解じみさせているようで、サスペンスとしてアンフェアに感じた。 そのことが映画として必要な娯楽性の不足に直結していることは否めない。  ただし、“研ぎすまされた”という表現がまさに相応しい俳優の演技と、映像構築も含めた演出は、文句なしに際立っている。 さめざめしくも美しい陰影の濃い映像世界はこの物語に相応しく、そこに息づく俳優たちはそれぞれ最高のパフォーマンスを見せていたと思う。 特筆すべきは、やはり主演したゲイリー・オールドマンの素晴らしい存在感だろう。 一貫して感情を高ぶらせることのないこの映画の主人公は、彼のフィルモグラフィーの中でも最も「静的」なキャラクターだったのではないかと思う。 終始、淡々とした佇まいの中でも、決して平坦ではない、深い人物像を構築してみせたと思う。  ゲイリー・オールドマンは、今作でアカデミー主演男優賞も有力候補だったので是非穫ってほしかった。 そして、ナタリー・ポートマンもとい“マチルダ”から“スタンフィールド”へのオスカー授与シーンが見たかった!
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-24 10:36:58)(良:1票)
465.  007/ゴールデンアイ
5代目ジェームズ・ボンドとなったピアース・ブロスナン版「007」シリーズの第一作目。自分自身の世代的には(1981年生)、最も馴染み深い「007」映画であってもいいはずだろうが、ようやく初鑑賞に至った。 今作の後の「トゥモロー・ネバー・ダイ」と「ワールド・イズ・ノット・イナフ」は公開時に観ていて、正直なところそれぞれ満足度が低かったことが、ブロスナン版の「007」に対する評価を確定付け、ひいては同シリーズ全体に対しての魅力減に繋がっていたように思う。  今作は、当時低迷していた同シリーズの人気を回復させ、批評的にも興行的にも成功したという評価だったので、今さらながら期待して観た。 結論としては、決して悪くはないけれど、特筆して「面白い!」ということも決してないというところか。  映画を構成する様々な要素があまりに“見慣れている”ということに尽きる。 事件の発端も、悪者の企みも、主人公のピンチとそれの回避方法も、あらゆる場面で「まあそうなるんだろうな」と容易に予測がついてしまう。 当然ながら目新しいワクワクハラハラなんてあるわけがなかった。  またこのシリーズの特徴からすれば、“ボンド・ガール”に色気がないことも致命的だったかもしれない。イザベラ・スコルプコ演じるキャラクターは、コンピュータ技師という設定もあってか、終始露出が少なく、「007」ならではの娯楽的要素を欠いてしまっていたと思う。 敵方の“裏・ボンドガール”を演じたファムケ・ヤンセンは、分かりやすいほどにエロい言動を繰り広げ色気はあるのだが、“超ハードS”なキャラクターなのでちょっと引いてしまった。  ショーン・コネリー版やロジャー・ムーア版の過去のシリーズ作品のように、もう少し時が経てば、オールディーな風合いが加味されるのかもしれない。 しかし、今の時点では中途半端な古臭さばかりが目につき、マイナス要素の方が大きいことは否めない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-11-23 02:21:02)
466.  エクスペンダブルズ2
クライマックス、シルベスター・スタローンの太い腕がナイフを地面に突き立てる。 その“腕の太さ”は、単純な筋肉の誇示ではなく、この映画俳優が長年に渡り培ってきた成功と苦労の象徴のように見えた。  満を持してこの映画を観た翌日の日曜日、実家にて庭作業をする父親を手伝った。自分自身が育った分、当然ながら父親は確実に歳をとっている。その父親の腕と、前日に見た老アクションスターの腕が、見た目的にも、意味合い的にも、何だか重なって見えた。 もちろん良いところばかりではないが、自分がこの“腕”によって育てられてきたことは紛れもない事実であり、感謝をしなければならない。 そして、「映画鑑賞」という人生経験においても、この映画に勢揃ったアクションスターたちの“太い腕”によって育てられたということは、たぶん間違いないことだと思う。  つまるところ、この映画が世界中のアクション映画ファンにとっての「夢」そのものであることは明らかだ。 そんな「夢」の実現、そして彼らがそれぞれに苦心して経てきた映画人生そのものに、まず感謝せずにはいられない。  もちろん「完璧」などという形容が相応しい映画ではない。ただ、敢えて言うならば、「完璧」ではないことが「完璧!」と断言できる。 スタローンとシュワルツェネッガーとウィリスが、見紛うことなくそろい踏み、惜しげもなく銃器をぶっ放す。 ヴァン・ダムが、代名詞のハイキックを見事に繰り出し、極悪非道を演じる。 ステイサムは、洗練された格闘とナイフアクションで、“現トップスター”の意地を見せる。 そして御歳“72歳!”のチャック・ノリスが、“伝説的”な立ち位置でオイシいところをかっさらう。 ストーリーにおける粗なんて本当にどうでもいい。これだけの要素が盛り込まれていて、他に何が要るのかという話だ。 「良い!」と思う全てのシーンにもれなく付随する“ほつれ”も含めて、この映画の不完全な完全さだと思う。  「大人の事情」を感じてしまうジェット・リーの序盤での“里帰り”や、“マギー・チャン”役には何とかマギー・チャンを出してほしかったなどなど細かな物足りなさはあるにはある。 そして、セガールにスナイプスにヴィン・ディーゼル、見たいヤツらはまだまだいる。 「5」あたりで超グダグダになることまで、アクション映画シリーズの“お約束”と想定に入れて、まだまだ“祭り”が観たい!
[映画館(字幕)] 8点(2012-11-18 23:55:26)(良:3票)
467.  フレンチ・コネクション
こういう映画を観ると、自分は映画という娯楽に根本的な部分では「精巧な虚構」を求めているのだなと思う。 ザラつく画面に映し出されるリアルな息づかい、決してトントン拍子には運ばない物事の顛末、そして正義を司る者が常に「完勝」するなんてことはあり得ないという現実感。 その唐突な映画の終焉に対して「え、終わり?」と不満を禁じ得なかった自分は、この作品の持つ価値を感じつつも、どうしても最終的に「面白かった」とは思えなかった。  非常にどっちつかずな言い方になるが、それはイコールこの映画が「面白くなかった」ということではない。 ブルックリンの刑事たちの生々しい姿が延々と描き出される映画世界に対して、終始惹き付けられたことは間違いない。 怒濤のカーチェイスシーンから、映画史に残る有名な“背後からの射殺”シーンと、見所と見応えは枚挙に暇がない映画であった。  では何が自分自身の好みに沿わなかったのか。それは即ち、この映画の最大の売りである“リアリズム”に他ならないように思える。 この映画のモデルは実在の刑事であり、その元刑事の生き様を描き出したノンフィクションが原作である。 そして監督は、リアリティを徹底しドキュメンタリー的手法でこの映画を構築していったという。 その徹底したリアリズムが、個人的にキツかったのかもしれない。  それは、あまりに生々しい描写の連続で観るに耐えないというような分かりやすいキツさではない。 ありとあらゆる情報網が張り巡らされ、別に知りたくもない現実が次々に明るみになる現代社会に生きる者として、映画の世界にまで"現実感”を求めることに疲れたという表現が正しいように思う。 このハードボイルドな刑事映画に描かれていることとその方法は、圧倒的に正しいのだろう。 ただ、楽しくはない。とどのつまりそういうことだ。  奇しくもこの映画の公開と同じ年、もう一つのハードボイルド映画の中でもう一人の刑事が登場した。 今作のポパイ刑事と同様に、正義の名の下に問答無用に悪を葬るその刑事の通称は“ダーティ・ハリー”。 この二人のアウトロー刑事のスタンスは極めて似通ってはいる。 しかし、同じ丸腰の悪党に対してでも、背後から撃ち殺すポパイよりも、正面から堂々と撃ち殺すハリーの方が、やっぱり格好良い。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-11-11 20:32:16)(良:1票)
468.  ダーティハリー
サンフランシスコの深い青空を背景にして、ライフルの漆黒の銃身が伸びる。遠く照準の先には、真っ青なプールに映える黄色い水着を着た美女。冷淡な凶弾は音もなく美女を襲いあっさりとその命を奪う。 オープニングクレジットと共にサングラスをかけた“スター俳優”が颯爽と事件現場に現れ、映画が始まる。  冒頭数分間のこのシークエンスで、一気に映画の世界に引き込まれた。 「凄い映画だ」ということは、その時点で確信できた。そして、今この瞬間までこの映画を"未経験”だったことを後悔した。  あまりに有名なハードボイルド映画の「傑作」であることはもちろん知っていたけれど、今この時代に初めて観て、これほどまでに心底「格好良い」とあらゆる意味で思える映画だとは思わなかった。 全編に渡るカメラワークの格好良さ、音楽の格好良さ、台詞回しの格好良さ、そして何と言っても“クリント・イーストウッドの格好良さ”もうそれに尽きる。 世代的にクリント・イーストウッドという映画人に対して、“ベテラン名俳優”そして“名匠映画監督”としての認識が大部分を占めるので、“スター俳優”としての馴染みが実際無かった。 時を越えてようやく、クリント・イーストウッドという稀代のスター俳優に邂逅できた気分だ。  映画史に残る「傑作」故に、この映画の価値と見所は多岐に渡ると思う。 時代に楔を打つバイオレンス性、正義と法の矛盾に対しての憤り、娯楽映画における警察像の変遷、この映画を観たのは初めてだが、おそらく観る程に新しい発見があり面白味が深まるだろうと思える。  でも、個人的に何よりも重要視したいことは、やはり主人公の魅力に尽きると思う。 演じた主演俳優の時代を越える格好良さ、そして彼が演じたキャラクターの映画史上に残るアイコン性。 登場した瞬間に、当然の如く「ああ、ダーティハリーだ!」と初めて見る者にすら思わせるその強烈な個性。  この映画の主人公に、クリント・イーストウッドという俳優が起用されたのは、決して既定路線ではなく、様々な巡り合わせが重なった上でのことらしい。 だからこそ、その「誕生」は映画史にとって奇跡的なことだったと思う。
[CS・衛星(吹替)] 10点(2012-11-11 01:12:40)(良:1票)
469.  アポロ18
17号を最後に計画終了となった筈のアポロ計画には、隠された「18号」の存在があったという導入から始まるフェイクドキュメンタリー。 そのイントロダクションは非常に興味深く、どのような映像世界が繰り広げられるのか、好奇心を駆り立てられた。  映像の精度はとても素晴らしかったと思う。 終始一貫、残された記録映像を繋ぎ合わせた風のフェイクドキュメンタリーの映像の完成度は高く、何故ここまで克明な記録映像が残されたのかという“理由付け”も含めて充分な説得力を備えていたと思う。  念願のアポロ計画に選抜され意気揚々と月面に向かう3人の宇宙飛行士が、目の当たりにする「真実」とは何なのか? その核心に向けて映画は適度な緊張感と不穏さを伴って、比較的テンポよく展開される。  と、いい塩梅のサスペンスフルな展開を楽しめてはいた。 が、結果的には得られた顛末に対して「満足」とはまでは遠く及ばなかったと言える。 端的に言ってしまえば、物語の核心におけるアイデアが少々ありきたり過ぎた。 アイデア自体がありきたりなので、そこから導き出される映像的な表現も、どこかで観たという印象の範囲を出ず、驚きが無かった。  フェイクドキュメンタリーという手法に固執するあまり、現実感と非現実感の狭間で縮こまってしまっているような印象を覚えた。 この手の展開であれば、どう転んでも最終的に「これが真実かもしれない」と思う人はいないだろうから、もっと思い切った展開に踏み込んでも良かったろうにと思う。  結果的に、特筆する程の娯楽性は得られず、追求したはずのリアリティ感も薄れてしまったことは残念。 ただしかし、試み自体はとても面白かったと思うし、低予算であろう製作費の中で映像的なクオリティーは極めて高かった。 終盤までの緊迫感はなかなかのものだったと感じるだけに、ただただ惜しかったという印象。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-11-05 17:37:48)
470.  ボーン・レガシー
アクション映画として“見所”は確実にある映画だとは思う。しかし、あまりに"巧くない”映画であるということも確実に言え、故に著しく面白味に欠ける映画に仕上がってしまっている。  “ボーンシリーズ”は好きだったし、主人公に抜擢されたジェレミー・レナーは昨今の再注目株だし、レイチェル・ワイズは大ファンだし、エドワード・ノートンの絡みにも期待していた。 が、終わってみると、すべてが「中途半端」という言葉に尽き、“本筋”には遠く及ばない「番外編」という印象に終始した。  敗因は色々あろうが、序盤から最も気になったのは、テンポの悪さだ。 “ボーンシリーズ”は、決してド派手なだけの描写に頼らないスピーディーでリアルなアクションシーンが魅力だったが、アクションシーンの質そのものは一定の水準を保ってはいるものの、全体的なテンポがあまりに鈍重で間延びしてしまっている。  更には、組織に追われる主人公がヒロインと共に逃避行を繰り返すという、お決まりであまりに工夫の無いストーリーテリングが、退屈さに拍車をかける。 アクションシーン自体も、他の映画で何度も観たことがあるようなシーンが繰り返されるばかりで、目新しさがまるで無かった。  そしてストーリーそのものは単純なのだろうが、作戦名等の専門用語が無駄に羅列されたり、所属がよく分からない存在感の薄い登場人物が続々と登場したり、ふいに過去の描写が挿入されたり、“ボーンシリーズ”とのリンクが無意味に強調されたりと、ストーリー構成をいたずらに難解にしているように思えた。  脚本家出身の監督なのだから、アクションシーンの多少の劣化はまだしも、ストーリーそのものがあまりに稚拙なことには、言い訳の余地はないと思うし、“ボーンシリーズ”を描き出した人だけに残念な限りだ。 もしこのまま再シリーズ化しようというのならば、再び脚本家に専念することをお勧めする。
[映画館(字幕)] 4点(2012-10-06 17:03:19)(良:2票)
471.  タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密
“ちゃんと面白い映画”だった。 この映画の感想としては、それ以上もそれ以下もなく、その表現に尽きる思う。  フルCGアニメーションでのキャラクター造型に対して尻込みしてしまい、劇場鑑賞は二の足を踏んでしまったが、この怒濤の映像世界はやはり大スクリーンで観るべきだったと思った。 スピルバーグ流の「娯楽」が、上映時間いっぱいに並べ立てられた映画であり、そういう映画が面白くないわけが無いということは、そもそも明らかだったと思う。  フルCGアニメの映画ではあるが、そのまま「アニメ映画」という区別が正しいかどうかは疑問だ。 常に新しい“映画世界”に挑戦し続ける大巨匠が、“フルCG”“3D”という新しい手法を用いてまた新たな世界観を追求した、ある意味での「実験映画」としての印象が強い。 彼の頭に渦巻く、現時点で実写では困難なイマジネーションを、アニメという表現を使って実現したということだと思う。  綴られるストーリーは極めて単純だ。シンプルというよりも面白味に欠けるストーリーに対して不満が出ることは理解出来る。 「インディ・ジョーンズ」的な冒険活劇が大好きな人ならば、文句なしに楽しめる映画だろうが、そうでない人にとっては“乗り切れない”ということは否めない。  ただし、今作においてスピルバーグ監督は、敢えてそういうストーリーの緻密さは「無視」したのではないかと思う。 ストーリーは原作漫画に即したシンプルに徹し、映像世界の緻密さのみで勝負しようとしたのだと思う。 例えば、台詞の音声なしで鑑賞したとしても、この映画の面白さは変わらないようにすら思う。 それくらい、この映画における映像世界の試みは圧倒的で凄い。  圧倒的な映像世界に対してストーリーの面白味が伴わないことで、映画自体の面白さが激減してしまっていることは確かだ。 しかし、それでも良いと開き直って、新たな試みに挑んだ大巨匠の“エゴイズム”こそ、この作品における最大の見所かもしれない。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2012-10-03 23:50:15)(良:1票)
472.  未知との遭遇/特別編 《ネタバレ》 
想像以上に“いびつ”で、“混沌”とした映画であったことに驚いた。 もっと大衆向けの感動映画なのかと思っていて、それがこれまで今ひとつ食指が伸びなかった理由でもあったけれど、想定外の映画の世界観に心が掴まれたことは間違いない。 この映画は、スティーブン・スピルバーグのイマジネーションと深層心理が混ざり合った、ある意味極めてパーソナルな作品なのではないかと思う。  映画の序盤からラストに至るまで、「不可解」という言葉が常に寄り添う映画だった。 解消されるものも、解消されないままのものもあり、壮大なエンドロールを経て、「一体、何だったのだろう?」という思いがポツンと残った。 きっとそのことが、望んだ娯楽性に合致せず、この映画を嫌う要因になっている人も多いだろう。  ただ僕は、その「不可解」さこそが、スピルバーグがこのSF映画に込めたかったものだと思えてならない。 “科学的に説明のつかないもの”を不可解と認め、追求し続けることこそが、「科学」なのだと思う。 したがって、最後まであらゆる状況や言動に対して明確な「理由」を示さなかったことこそが、この映画が「科学」に対して極めて真摯であることの証明だと思えた。  “いびつ”で“混沌”としたストーリーに「粗」は多い。個人的に主人公の言動には終始共感出来なかった。 けれど、泣ける。 分かりやすい涙は流れなかったけれど、主人公が選んだ道、いや選ばざるを得なかった道に対して、心がさめざめと泣いていた。  壮大で感動的な映像と音楽に彩られているが、この映画のラストは、決して“ハッピーエンド”ではない。 人生に拭いされない違和感を感じ続け、結局自分のことも家族のことも幸福に出来なかった寂しい男が、唯一の“よりどころ”を盲目的に追い求め、そこにすがらざるを得なかったという話だ。 「希望」はもちろん描かれているが、代償となる「喪失」も確実に存在している。 この物語から滲み出ているものは、描き出したスピルバーグ監督自身が抱える葛藤なのだと思う。  自分自身も含め、"ある種”の人間の本質を生々しく切り取った映画であるからこそ、多くの人の心に吸いついて離れない作品に成ったのだろうと思う。 正体不明の物体が靄の中に見え隠れする映像が象徴するように、観た者の心にも靄を残す映画だ。 故に傑作であることも間違いない。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2012-09-29 16:03:44)
473.  モンスターVSエイリアン
往年の東宝特撮映画、もしくは往年のアメリカモンスター映画を沢山観てきた人たちにとっては、楽しい映画であることは間違いないだろう。 主人公自体のキャラクターや、味方となるモンスターたち、悪役エイリアン、そして司令基地のデザインに至るまで、過去の特撮映画のありとあらゆる要素が詰め込まれている。 特に、日本の怪獣映画ファンにとっては、クライマックスのあるシーンはいやがおうにも“アガる↑”ことだろう。  特撮映画マニアのスタッフが、子供と一部の特撮映画マニアの大人たちのために作った映画であり、その部分が楽しければ問題ない映画だとは思う。 ただし、正直“それだけ”の映画であることも間違いない。 過去作に対してのリスペクトを込めたオマージュ作品であることは明らかだが、悪く言えば既存のアイデアを組み合わせただけで、目新しい“工夫”の無い映画だとも言える。  個人的には特撮映画ファンではあるけれど、オマージュ的要素を生かした上でのストーリー的な“新しさ”が無かったことは、最後の最後まで今ひとつ乗り切れなかった要因となってしまった。  主人公も含め、あらゆる“モンスター”たちが、徒党を組んで地球防衛に献身するという構図は楽しいものだったけれど、それぞれのキャラクターの中身が乏しく、行動の理由があまりに軽薄だったと思う。 “アメリカ人”に一方的に捕らえられ、半永久的に閉じ込められているにも関わらず、何の疑問も示さず彼らの言いなりになっている姿は、とても安直に見えた。 主人公においては、結婚を目前にした普通の人間の女性である。そんな女性が、隕石がぶつかって突如巨大化したからといって、その瞬間に捕縛され、強制的に“生物兵器”扱いされるのは、あまりに非人道的だし、三週間やそこらでその現実を全て受け止めて「これからも地球を守ろう!」なんてことになるわけがない。  そういう基本的な人間描写においては、あまりにも“乙女心”が分かっていない製作スタッフの“オタク魂”が過剰に出過ぎてしまった結果だと思った。  まあ、そういったあからさまな“ほつれ具合”も開き直って「味」として認めれば、全然問題はないのかもしれないけれど。
[DVD(字幕)] 6点(2012-09-28 15:29:41)(良:1票)
474.  フェア・ゲーム(2010)
エンドロールで流れる役名の一部が塗りつぶされていた。 この映画の主人公である実在の元CIAエージェントが綴った原作も、CIAの検閲の上で大部分が黒く塗りつぶされたまま出版されているそうだ。 それは、この物語が紛れもない事実であるということを如実に表しているもので、その“塗りつぶし”こそがこの作品の価値を揺るぎないものに高めている。  ブッシュ政権下におけるイラク戦争の勃発。その裏側に確実に存在した数人の権力者の「嘘」と「思惑」が、実に生々しく描かれる。 「ボーン・アイデンティティー」において、リアルなスパイアクションを撮ったダグ・リーマン監督が描くからこそ、“現実”のスパイの実像を描いた今作は、対比的に際立っていたと思う。  「大量破壊兵器は無い」ということを諜報活動によって導き出したCIAの報告が、時の政府によってねじ曲げられるという様には、「恐怖」という言葉では足りないおぞましさが満ちていた。 その絶対的とも言える巨大権力に対して真っ向から立ち向かい、自らの存在を貫き通した主人公夫婦は、勇気ある行動という表現ではおさまらず、やはり「無謀」に見えた。  この映画は、自分たちの“在り方”を守り通すために、敢えて「無謀」に走った夫婦の物語だと思えた。 ナオミ・ワッツとショーン・ペン演じる夫婦の関係性に焦点が絞られてくる後半においては、マクロ的な事の顛末よりも、彼らが夫婦としてどういう道程を選んでいくのかという事の方が気になってしまった。  往々にして、優秀過ぎる妻を持つ夫は、時に愚かな程身勝手に暴走してしまうものだ……。 クライマックス、妻に許しをこうショーン・ペンの情けない表情が、個人的に身に染みた。  そういった具合で、大局的な社会派ドラマの中に、パーソナルな人間ドラマを盛り込んだ構成は、映画的にも非常に巧みだったと思う。  多大な紆余曲折を経てきたとはいえ、実際にこれが映画として公開されている以上、この映画の中で描かれていることのすべてが「事実」であるという認識は間違いかもしれない。 本当に隠さなければならないことは、本当に隠されたままなのだとは思う。  しかし、たとえ真実のほんの一片であれ、当事者らが人生をかけてそれを明るみに出した行為と、映画というエンターテイメントの力で世界中に知らしめた事実は、賞賛に値する。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-09-27 14:29:18)(良:1票)
475.  ランゴ(2011)
アニメーションと実写の“境界線”はいよいよあやふやになってきている。 砂漠に生息するありとあらゆる生物をデフォルメしたキャラクターたちが、縦横無尽に動き回る明らかにアニメーションでしか表現が出来ない映画世界を観ながら、「ほんとにアニメ?」と圧倒的な映像に唖然とした。 “渇き”と“潤い”、この相反する二つの要素が、この作品における核心で、その表現のクオリティーの高さが圧巻だったと思う。  ストーリーとしては、ある意味真っ当な「西部劇」であり、映像世界の革新さに反して目新しさがあるわけではなかった。 序盤の世界観の説明的なくだりは、やや冗長な感じもあり、全体的にもう少しタイトにまとめてくれた方が観やすかったとは思う。  主人公のカメレオンは、“カメレオン俳優”気質というキャラクター性も含め、声を担当したジョニー・デップそのものだった。 昨今のアニメーションの技術は凄まじいので、声を演じる俳優の“演技”が、そのままアニメのキャラクターに反映されるということを改めて感じた。 監督が、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズの監督ということもあり、主人公のキャラクターが“ジャック・スパロウ”と似通い過ぎているとも感じたが、徐々に今作ならではのキャラクターとして成熟していき、魅力的になっていったことは良かった。  充分に面白い娯楽映画に仕上がっていることは認める反面、あと一歩乗り切れない感じが残った。 それは、「西部劇」という映画のジャンルそのものが、アメリカ人の精神に深く根付いているものであり、よほどそのジャンルに精通していなければ異人には完全に理解し難い要素が多分になるのではないかと思えた。  最後にもっとも残念だったのは、“西部の精霊”について。 あれほど“モロ”なキャラクター描写をするならば、何とか「ご本人」の出演を実現させてほしかった。 大きなリスペクトを伴ったパロディなのだから、出演交渉はそれほど難しいことではなかったと思うのだが……。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-25 16:32:47)
476.  メカニック(1972) 《ネタバレ》 
リメイク作品であるジェイソン・ステイサム版を今年観たばかりだった。 オリジナル版を鑑賞し、何より強く思ったことは、想像以上に先立って観たリメイク版が洗練されているということだった。 ストーリーや諸々の細かい描写において、オリジナルである今作を踏まえつつ、より理にかなった改修がされていたということを知った。 詰まる所、殺し屋アクション映画の隠れた名作として名高い今作よりも、リメイク版の方が圧倒的に面白かったと言える。 数多いオリジナル作品とリメイク作品の関係性においては、それは非常に珍しいことだ。  このオリジナル版がリメイク版よりも劣っていた点は大きく二つ。  一つは、物語の発端となる暗殺依頼、主人公の恩人であり友人のハリーを組織の指示通りに殺すくだりの軽薄さ。 依頼の忠実な遂行のためとはいえ、長年の友人である人物を殆ど疑念も抱かぬまま、淡々と殺してしまうのは如何なものか。 このハリーの息子が、この後のストーリーの主軸に絡んでくるわけだから、ハリーというキャラクターとその暗殺シーンの軽薄さは、ただただ主人公の人間的魅力を削ぐだけだったと思う。  二つ目は、ラストの顛末。 大筋の流れはオリジナルもリメイクも変わらないが、プロフェッショナルとして主人公が、結局最後まで生き残る様を描いたリメイク版に対して、オリジナル版ではそういう描写が無いので、「え、それで終わり?」と非常にフラストレーションが溜まる結末になってしまっている。  どちらも、主人公の魅力そのものに大いに関わる要素だけに、映画自体の優劣に非常に関わっていつと思う。  ただそれでも、今作の映画としての面白味は充分ではないがきちんと備わっている。 その大きな要因は、何を置いても主演のチャールズ・ブロンソンの魅力そのものだと思う。 実はチャールズ・ブロンソンの主演映画を鑑賞するのは初めてだったが、無骨な佇まいの中に時折垣間見せるチャーミングさが、多くの映画ファンから愛された理由であることは、この一作品を観ただけ明らかだった。 是非、他の主演映画も観てみたいと思う。  そして、この往年の名優の魅力は、アクション俳優というジャンルの現在唯一の“生き残り”と言っていいジェイソン・ステイサムの魅力と極めて似通っている。 そういう部分も、リメイク作品が優れたアクション娯楽に仕上がった要因の大きな一つだと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-09-23 22:05:11)
477.  ステルス 《ネタバレ》 
多かれ少なかれ確実に反米感情を持っている各国(実名)に対して、阿呆なくらいに一方的に“戦争の口実”を与えまくり、主人公達が暢気に愛を語り合うラストシーンの同日には、きっと第三次世界大戦が勃発しているだろうと想像するしか無い馬鹿過ぎる映画だった。 ただただドンパチが売りの娯楽映画なので、その馬鹿さ加減も一笑に伏して楽しむべき映画だということは分かっているが、それにしたって酷い。  人工知能を備えたスーパー戦闘機が暴走し人間に攻撃を始めるというプロットは、安直ではあるが、SF的要素も含んでいそうで魅力的には思えた。 「地球爆破作戦」のようなコンピューターの反乱が、人類への警鐘も含めて描かれるのかと思ったが、実際は想像以上に馬鹿な人工知能が何でもかんでも“表面的”に学習して、ただただ暴走するだけだった。  それならそれで、主人公らトップガンたちとスーパー戦闘機の攻防がシンプルに描けばいいものを、実は馬鹿な人工知能以上に大馬鹿な上官が諸悪の対象と移り変わり、結局は主人公とスーパー戦闘機との間に友情めいたものが芽生えるという始末。  そもそも期待も何もないので、残念に思うことも全くないのだけれど、これほどまで全編通して爽快感がなく、むしろ居心地の悪さを感じる娯楽映画も珍しい。
[地上波(吹替)] 2点(2012-09-23 01:30:24)
478.  北海ハイジャック 《ネタバレ》 
ロジャー・ムーアの「007」映画を観ようと物色していたら、今作のパッケージが目にとまり、イントロダクションを読む限り面白そうだったので鑑賞に至った。  女嫌い+猫好きという主人公のキャラクター性の妙だったり、作戦実行に至るまでの心理戦を映画の大半に渡って展開させる等、特徴的な面白味はあったと思うが、残念ながらそれらが娯楽性に直結していない印象を受けた。 全体的に説明不足だったり、結局は場当たり的な展開が、興を冷ましてしまったことは否めない。 クライマックスに至るまでずっと百戦錬磨の知将ぶりを誇示する主人公だが、結局お前の作戦“穴”だらけじゃん!と突っ込みを入れたくなってしまった。 自分の部下に敵と間違えられて襲われ、その部下を海にたたき落とすシーンには笑ってしまった。  その他にも、そもそも主人公の私設部隊が、黙々と訓練を繰り返してきた理由は何だったのか?など、根本的な設定に対しても説明がなく、腑に落ちない部分が大きい。 ラスト、実は主人公は犯人一味だったとか、逆転的な展開を用意してほしかったと思う。  主人公の窮地を助ける“少年”役の女優が可愛かった。彼女のキャラクターは、この手のアクション映画において、現場に居合わせた女性キャラが主人公を手助けする活躍を見せるという定番要素の走りだろうか。 また悪役を演じるアンソニー・パーキンスの存在感があり、良かったと思う。 見るべき部分がある映画であることは確かだが、総合的には褒められた映画ではなかった。  さてこのままでは、ロジャー・ムーアに対する印象が悪いので、当初の意向通り「007」を借りに行こう。
[DVD(字幕)] 4点(2012-09-20 15:16:33)
479.  スーパー・チューズデー ~正義を売った日~
ジョージ・クルーニーという映画人は、相変わらずプライベートはフラフラしているくせに、それに反するかのように、地に足着いた骨太な映画を生み出しやがるな。と、思った。  アメリカの大統領選の「裏側」で確実に巻き起こっているだろう“現実”を、真正面から切り取った佳作だった。  自らの政治に対しての「理想」が、甘く幼稚な「幻想」に過ぎないということを目の当たりにして、打ちひしがれる主人公。 絶望的な現実に対して、彼がついに“売った”正義とは何だったのか。 安直なヒロイズムに走らず、物語の結論そのものが、政治における現実に対しての痛烈な皮肉である着地点が面白い。  すべてを悟った主人公が、黒い瞳でテレビカメラに向かう印象的なラストカットは、彼の心情における闇と、この先も歩み続けるだろう過酷な運命を如実に表しているようで、意味深長だ。  舞台劇を礎にしているだけに、焦点が絞られた登場人物のそれぞれのキャスティングが素晴らしかった。 若き選挙参謀を演じるライアン・ゴズリングは、自身が売り出し中の俳優としてノリに乗っているということもあり、心揺れ動く理想主義で野心的な主人公を見事に演じ切っていた。 主人公の上司役でベテランのキャンペーン・マネージャーを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンも、本音と建前を巧みに使い分ける役柄を抜群の説得力をもって表現していた。 そして、カリスマ性を備えた大統領候補の政治家を演じたジョージ・クルーニーは、決してオイシくはない役柄において、絶対的な存在感をもって体現し、まさに実在しそうな政治家像を自らの演出によって巧みに導き出していた。  過剰な派手さがないことが、現実社会におけるリアルな不穏さに直結している。 いまアメリカでは、今年11月の大統領選を目の前にして、まったく同じようなことが水面下で繰り広げられていることだろう。 この作品はもちろん娯楽だが、それがそのまま現実に起きているということを想像すると、禍々しいおぞましさに包まれる。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-09-16 00:48:17)
480.  デジャヴ(2006) 《ネタバレ》 
高揚感を覚えながら、この映画を観終えて、二つの「悔恨」を感じずにはいられなかった。 一つは、これほど映画的なエンターテイメント性に溢れた秀作を今の今まで鑑賞できていなかったこと。 そしてもう一つは、今作を描き出したトニー・スコットという映画監督の新作をもう観ることが出来ないということだ。  タイトルが指し示すもの以上に、ストーリーそのものは荒唐無稽であり得ない。下手をすれば相当に陳腐な映画に成り下がっていてもおかしくはないだろう。 でもこの映画は、与えられたすべての要素を最大限まで高め、上質で忘れ難い娯楽映画に仕上がっている。 これぞ長年に渡りハリウッドのエンターテイメントを牽引してきたトニー・スコットの真骨頂だと思えた。  悲劇的な爆破事件において、主人公は一人の女性の亡骸と“出逢う”。 その瞬間、妙な既視感と共に確実に生まれた恋心。この映画のすべては、この時の主人公の感情に端を発する。 即ちこれは紛れもない“ラブ・ストーリー”であり、まだ見ぬ自分が愛した人を、道理も常識もぶっ飛ばして「死」という事実から救い出そうとする破天荒なエンターテイメントだ。 無理もあるし、矛盾もあろう。けれど、そんなことはどうでも良いと心から思わせる映画としての「面白味」に溢れている。  「死体」としての姿がファーストカットとなるヒロインが、主人公に恋心を抱かせたシーンに、観客が「納得」した時点でこの映画の成功は約束されたとも言える。 そういう意味では、殆ど無名のポーラ・パットンという女優を抜擢し、彼女の魅力を引き出したことも、監督のファインプレーだったと思う。  そして、全編通して心理も言動もフル回転を余儀なくされる主人公をデンゼル・ワシントンがドスンと安定感たっぷりに演じている。これも中途半端な俳優が演じていたら、ただただ落ち着きの無いキャラクターになっていたことだろう。  レンタルショップにて、それこそデジャヴを感じる程に何度も何度もこの映画のパッケージを手に取っては、結局棚に戻し続けていた記憶が思い起こされる。 その時の自分に「さっさと観ろ!」とメモでも送ってやりたい。  最後に、愛すべき娯楽映画を生み出し続けたトニー・スコット監督の冥福を祈る。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-09-07 14:26:25)(良:1票)
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