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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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661.  ノア 約束の舟
「レスラー」「ブラック・スワン」で人間の心の普遍的な脆さと闇を立て続けに描きつけたダーレン・アロノフスキーの最新作が、“ノアの箱船”だと聞いた時は、とても怪訝に思ったことは否めない。ある意味、スペクタクル映画とは最も縁遠い人材だと思えたからだ。 そんな思いもあり、この鬼才監督の最新作であるにも関わらず、あまりに手堅く揃えられたキャスティングと、大仰な予告編を観ても、なかなか食指が動かなかった。  そういった危惧は、“半分”当たっていた。やはり、この映画監督とスペクタクル映画の相性は決して良くなかった。 これほどスペクタクルシーンに魅力が無い大スペクタクル映画も珍しい。それっぽく仰々しい映像は映し出されており、迫力もあるはずなのだが、まったくと言っていい程ビジュアル的なインパクトを感じることが出来なかった。 それは、この監督のスペクタクルシーンに対しての思い入れの無さが如実に表れた結果ではないかと思う。  では何故ダーレン・アロノフスキーは、この題材の映画化を引き受けたのか。 「人間」という種そのものが抱える闇と業。前述の前二作と同様に、結局のところ唯一それのみが、彼が“ノアの箱船”を描く理由であり、意味だったのだと思う。  この題材が聖書の一節である以上、そこに“神”というものの存在を欠くわけにはいかない。当然、今作においても“神”の存在は、常に主人公の言動に直結している。  しかし、この映画の“解釈”は、必ずしも“神”を絶対的なものとして捉えていない。 人間の言動を最終的に司るものは何か。人間と神の関係性とは何なのか。 アロノフスキー監督が描こうとしたことはそういうことで、この映画が大洪水の果てに辿り着こうとした場所だったように思う。  ラッセル・クロウの狂気的な苦悩、それに対峙するジェニファー・コネリー、エマ・ワトソンの悲愴感、人間が人間という種として「生きる」ということの「業」こそが、この映画が目指した“見応え”なのだろう。  このままでも充分にダーレン・アロノフスキーの意図は伝わってくる。 が、スペクタクルの欠如、ところどころ唐突に見える人間描写の薄さなど、幾つかの映画的アンバランスが無ければ、もっととんでもない映画になっていたようにも思える。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-10-13 15:35:32)
662.  崖っぷちの男
「え?え?何するの?何するのーッ!?」てな感じの主人公のクライマックスでの“アクション”で、この映画のリアリティーラインは確定される。 そのライン設定は想定外ではあったが、それならそれで楽しい映画だったと言えよう。  同時期に公開された「ザ・レッジ -12時の死刑台-」という映画があり、その映画も一人の男がビルの縁に立つということから端を発するサスペンスだった。 着想は極めて類似しているが、描き出されたテイストは大いに異なっており、比較してみると結構ユニークだ。  「ザ・レッジ」は、色香に溢れた人妻役のリブ・タイラーを巡る色情濃サスペンスで、これはこれで想定外な映画世界に見応えがあった。 そして今作はというと、これまた想定外の“ケイパーもの”。繰広げられる強奪計画はフレッシュで充分な娯楽性を備えていたと思う。  勿論、手放しには褒められない粗はある。 ルパン三世ばりの綿密な強奪計画を、一介の刑事だった男が考えたというのはちょっと無理がある。  ただそこで冒頭に記したリアリティーラインが効いてくる。 こういうリアリティの映画であれば、少々無理目な強奪計画もまかり通るというもの。 強奪計画の実行犯を請け負う主人公の弟とその彼女のキャラクターも良く、それぞれが受け持つコメディ要素とセクシー要素は、この映画の娯楽性において意外な程に重要なものになり得ている。  底の浅い悪役にキャスティングされているエド・ハリスは勿体なかったが、全体的にはバランスの良いお手軽なエンターテイメントだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-09-21 23:57:50)(良:1票)
663.  イントゥ・ザ・ストーム
乱立する巨大竜巻に襲われる町、あらゆるものが吹き飛ばされていく中で、さりげなく“牛”の看板が飛ばされていく。 これは明らかに「ツイスター」オマージュであり、今作はそのオマージュを捧げるに相応しい“竜巻映画”に仕上がっている。  3ヶ月前に竜巻映画の金字塔である「ツイスター」を鑑賞し直したばかりだったので、類似点や相違点を比較することも楽しかった。 「ツイスター」が、竜巻ハンターの男女を主人公に配していることに対して、今作は竜巻ハンターも含まれていはいるが、あくまでも竜巻被害を受ける市井の人々を主軸にしており、「ディザスター映画(災害映画)」としての立ち位置としては、今作の方が正統だと思う。  全く予測可能な“モンスター”として描き出される今作は、竜巻という災害の恐怖感をより一層増幅させてみせていると思う。 ファウンド・フッテージを主軸にした撮影手法も、臨場感を効果的に高めている。 若者たちがiPhoneやハンディカムで延々と“恐怖”を映しとっていく様は、あながち非現実的ではなく、あまりにも巨大過ぎる事象を目の当たりにして衝動的にカメラを手にし続けてしまうことは、人間の心理として理解出来ることだろう。  映画のジャンルとしては、災害もののB級映画という範疇を超えていないかもしれない。 けれど、安直に過小評価することははばかられる程、意外にも完成度の高い映画だったと思う。  三連休中日にも関わらず鑑賞した上映回は、幸か不幸か“お一人様”状態だった。 映画館内でたった一人、まさに悪魔的な強風に襲われる登場人物たちを目の前にして、思わず座席の手すりを強く握ってしまった。 ディザスター映画好きであれば、そりゃマストな作品であることは間違いない。
[映画館(字幕)] 7点(2014-09-14 09:20:52)
664.  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
主人公が古臭いウォークマンを取り出し70年代のヒット曲を目一杯流しつつ、荒廃した惑星を探検する。このオープニングシーンが先ずアガる。 ただ一方で、自分自身がもっと70年代のヒットチャートに造詣が深い趣向や世代であれば、もっと幸福な「体感」としてこの映画は記憶されるだろうなと、少し残念にも思えた。 娯楽映画として全く申し分はないのだけれど、生じた高揚感がスペシャルなものにならなかったのは、そういう世代差的な要因は大いにあるように思える。  「アベンジャーズ」と世界観を共有するマーベルコミックの新シリーズだが、主要キャラクターにおいて、スター俳優の「出演」はほぼ無い。 ただ登場するキャラクターは総じて魅力的で、決して番外編的なストーリーラインではないと感じた。 キレッキレのブラッドリー・クーパーのアライグマぶりに燃え、セリフが”2パターン”しかないヴィン・ディーゼルの大木野郎ぶりに泣けた。  “腰フリ作戦”で宇宙を救うという「愛嬌」は、この新ヒーローたちに相応しい愛すべき英雄像であり、ふざけてはいるけれど素直に胸熱だった。  ただし、善玉も悪玉もキャラクターが総じて魅力的な分、彼らのバックグランドや互いの関係性の描写が少々物足りなかったことは否めない。 実際、意識的に描き残しているキャラクター描写もあったと思うので、今回の物足りなさについては次作に期待したい。  そして、彼らが今後「アベンジャーズ」にどう絡んでくるのかも、期待大だ。
[映画館(字幕)] 7点(2014-09-14 09:14:17)(良:1票)
665.  アナと雪の女王
ついに“本性”を他者に知られてしまった女王が、失意の中走り出す。 港湾の海面を一歩ずつ凍らせて、雪の中にに消えていく。 とても悲しく、でもあまりに美しいこの序盤のシーンを観て、この映画は“アメージング!”その一言に尽きると思った。  物凄い興行成績を叩き出している大ヒットぶり自体は、明らかに大衆の過剰反応だと思えたので、必然的に超ロングラン公開を横目に結局劇場鑑賞は敬遠してしまった。 ただその流行ぶりはやはり物凄く、どれくらい凄いかというと、当然映画なんて観てもいない3歳の愛娘が、「ありの~ままで~♪」と歌い出すほど。 そんなわけで、愛娘に見せてあげたい気持ちも先行し、レンタルショップに走った次第。  大ヒットの要因は誰が観ても明らかで、一にも二にも音楽とビジュアルのクオリティーの高さだろう。 主題歌「Let it Go」は、その音楽性も、綴られるメッセージ性も含めて、名曲が溢れるディズニー映画史上においても屈指の名曲だと思える。 音楽とビジュアルでこれほどの満足感を世界中に与えられた時点で、その映画的な価値は揺るがないだろう。  一方で、描き出されるストーリー性も、クラシックストーリーの中に常に「時代」を映し出してきたディズニー映画らしく、新たな価値観が導き出されている。  個々人の「特性」をオープンにすることの難しさと、正しさ。 ディズニーの新たなマスターピースが描き出したストーリーのテーマは、恋物語でも姉妹愛でもなく、“固定観念からの脱却”そのものだったと思う。  お姫様が幸せになるために“王子のキス”なんて必要ではない。 この時代において必要なことは、自分と異なる他者を寛容することと、自分の運命は自分で決めるという意志だということを高らかに宣言しているように思えた。  個人的には、もっと女王が悪役に陥る淵まで描いても良かったとは思うし、ラストの顛末などはあまりに御都合主義だと思う。 「少しも寒くないわ」と氷の中に閉じこもろうとする女王の様は冷ややかではあるが、とても魅力的だった。 彼女が彼女らしく盲進する様をもうしばらく描いて、そこから彼女自身が妹を含めた他者を寛容する様を描き出してくれたなら、この映画はもっと感動的になったと思えなくもない。   ただし、そんなことは、ようやく作品自体も観た上で「ありの~ままで~♪」と得意気に歌う愛娘にはどうでもいいことだ。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-08-24 01:04:50)(良:1票)
666.  終戦のエンペラー
69回目の終戦記念日に、この映画を観たことには、意味があったと思える。 つくづく思うことは、やはりこの国の人々は、自国での「戦争」のことを知らな過ぎるんではないかということだ。 知らないというよりも、目を背け続けていると言う方が正しいかもしれない。 戦争体験者も、未経験者も、まるで持って生まれた「体質」が無意識にそうさせているように、言及し、追求することを避け続けているように思える。 それは、時間の経過と共に、より一層に“語り継ぐ”ということの重要性が叫ばれている今となってもだ。 体験としての悲劇が語られる場合はまだ多い。しかし、なぜあの戦争が起こったのか、なぜあの戦争が終わったのか。その核心的な部分については、まだまだひた隠しにされている「事実」が多過ぎるように思わざるを得ない。  それが、この映画の主題としても描かれる、日本人の性質に直結するものかどうかということも興味深いし、一つの可能性として描かれる「史実」もとても興味深かった。  昭和天皇とマッカーサー元帥並ぶあまりに有名な一枚の写真。 あの不穏さと互いの所在なさを感じる歴史的な写真の裏に隠された事実は何だったのだろうか。 日本という国にとって、マッカーサーとはどういう人間だったのか。 日本人という民にとって、天皇“裕仁”とはどういう人間だったのか。  この映画で描かれている物語が総て真実だとは思わない。 しかし、この国が守り続けた美徳も、それに伴う愚かさも、その描かれ方は、決して過剰なわけではなく、確かな一側面を描いていると思える。  そういう意味で、この映画の演出、俳優たち演技は、それぞれ真っ当だったと思う。 ストーリーテリングや編集に稚拙さを感じることは禁じ得ない。 でも、多くの人が“タブー”として目を背けがちである事実を、アメリカと日本の人々が供託して追求したことの価値は高いと思う。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2014-08-16 00:23:38)(良:1票)
667.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
神々しくそびえ立つ巨躯。体の髄にまで響き渡る咆哮。 満を持してスクリーンに甦ったそれは、まさに「怪獣の王」と呼ぶに相応しく、その存在感は圧倒的だった。 この極めて完成度の高い映画が、映画史上最高クラスの「怪獣映画」であることは、間違いないと思う。 日本が誇る「怪獣」と「特撮」を、ハリウッドの最前線の精鋭である映画人たちが、多大な“リスペクト”をもって甦らせてくれたことに、先ず感謝したい。  「怪獣映画」として、絶賛は惜しまない。 しかし、絶賛の上で、ただ言いたい。  これは……、「ゴジラ映画」ではない。   最大の違和感は、ゴジラが「何もの」であるかということに対する認識のズレだろう。 今作では、絶対的な存在感を誇るゴジラが、その存在感のまま神格化され、文字通りの地球の「守護神」として描き出されている。 この映画単体においてみれば、ストーリー的な違和感はない。 しかし、これが「ゴジラ映画」というのならば、その描かれ方は致命的な欠陥と言わざるを得ない。  ゴジラという怪獣は、“核の化身”でなければならない。 他の怪獣がどうであろうとも、ゴジラだけは決して“古代生物”などであってはならない。 人類自身が生み出してしまった災厄である「核」。その「権化」でなければならないと思う。  ゴジラはいくらその姿が強烈な畏怖の対象であり神々しくあろうとも、決して神格的なものなどではないし、あってはならない。 なぜならば、ゴジラは人類の「業」そのものであり、愚かな人類にとっての合わせ鏡の如き存在でなけらばならないからだ。  だからこそ、人類は圧倒的な力の差を見せつけられようとも、強大なゴジラに立ち向かい続けなければならない。 だからこそ、時に己の身を賭してでも、ゴジラ(=人類)の暴走を止めなければならない。  「ゴジラ映画」におけるスペクタクルとは、圧倒的で悲劇的な「破壊」と、その破壊を生み出してしまった人類が自戒を礎にし、己に打ち勝とうとする様にこそ生まれるべきだと思うのだ。 それこそが、“戦争”と“核”、そして自らの“驕り”によって一度叩き潰された国が、再び進み出すために生み出した“エンターテイメント”だったと思う。  だから、そういう「精神」が根本的に欠けていたこの映画は、少なくとも僕にとっては、「ゴジラ映画」とは言い難い。
[映画館(字幕)] 7点(2014-07-29 23:32:19)
668.  LIFE!(2013)
数ヶ月前にこの映画のインフォメーションを観た段階から、「好きな映画」だということは直感的に分かっていた。 人生の機微とそれに伴う悲喜劇を、こういう映画ならではの表現方法で展開させる作品には滅法弱い。 ストーリー自体にはそれほど目新しい趣向があるわけではないけれど、街並の中で表されたオープニングクレジットからエンドクレジットに至るまで終始楽しい映画だった。  平凡な中年男の主人公は、何も起こらない自分自身の人生を半ば諦め、日々空想にふける。 しかし、ふいに訪れた「転機」により一つの「行動」を起こした彼は、自分の人生に何も起こらないのは、自分が動いていないからだということにようやく気付く。 人生の転機は、ふいの気まぐれと共に偶然に訪れ、結果的にそれは必然となる。  この映画が良いのは、必ずしも「行動」によって大冒険を体験したことを賞賛するわけではなく、その結果として、主人公がこれまで歩んできた「人生」そのものに自信を持つことが出来たというところだと思う。 長年携わってきた自らの仕事に対して誇りを示し切らずにいた主人公が、自分の仕事を馬鹿にし続けたバカ上司に対して初めて啖呵を切った様こそが、この映画の最も熱い部分だ。  世界中の殆どすべての人は、「冒険」なんてすることはないだろう。何も無いような平凡な道を懸命に歩いて歩いて人生を終える。 でも、その何も無いような人生を卑下する必要など全くない。大切なことは、他の誰よりも自分自身が自分の「人生」を認めるということだと思える。 ユニークなオープニングクレジットが表している通り、人生の指針となる言葉はそこかしこに存在していて、それを一つでも気付けるかどうかが大切なのだろう。  壮大なようであり、とてもキュートで良い映画だ。溢れ出る映画的センスの高さは、ベン・スティラーという映画人の紛れもない質の高さを証明している。  観賞後に知ったが、今作は1947年の「虹を掴む男」という映画のリメイクらしい。70年近く前のオリジナルも機会があれば観てみたいものだ。
[映画館(字幕)] 7点(2014-03-28 14:15:27)(良:1票)
669.  キック・アス ジャスティス・フォーエバー
衝撃の問題作でありながら、その類い稀なエンターテイメント性を世界中が“スルー不可避”だった前作「キック・アス」。 その待ちに待った続編に対しては、当然誰しもが、4年前の衝撃の再熱を期待しただろう。  前作で一躍若手女優のトップスターとなったクロエ嬢をはじめ、主要キャストをきちんと再結集させ、ジム・キャリー、ジョン・レグイザモら魅力的な新キャストを揃え、体制は万全だったと言える。 おそらく、前作の“二番煎じ”をすれば、大多数の観客は分かりやすく再び熱狂しただろう。  が、前作監督のマシュー・ボーンの後を引き継いだジェフ・ワドロウなる無名監督は、果敢にもその「既定路線」をハズしにかかった。 もしかすると、この続編に対して、前作ファンの多くは「愚かな」と否定するのかもしれない。自分自身、呆気にとられた感は否めない。  けれど、結果として大多数に受け入れられるか否かは別にして、この無名監督の挑戦(暴挙)は正しかったと思う。 別の言い方をすると、この「キック・アス」という映画素材において、「既定路線」と辿ることこそが愚かなことであり、どんな形であれ観客の思惑をハズしてなんぼということなのだと思えてならない。  前作の奇跡的な娯楽性に対してこの続編が遠く及ばないことは否定しない。 ただし、前作があってこそ描き出された今作であり、この映画世界が抱える本質的な魂みたいなものは決してハズレていない。ならば「続編」としてこれほど相応しい作品もないのではないかと思える。  詰めれば詰めるほど粗だらけの映画であることは間違いないし、そもそもこの映画の製作陣は“真っ当”に作ろうとなんて端からしていない。完全に独りよがりだったとしても、ただただ自分たちが作りたい(見たい)モノの構築に没頭している。  ならば観客は、前作の余韻を引きずりながら、前作にも増して歪な映画世界の中で再度クロエ・グレース・モレッツの「支配力」にただひたすらにうつつを抜かす。 それがこの映画の正しい鑑賞のしかただ。   ただし!ジム・キャリーの使い方はあまりに勿体なかった……。
[映画館(字幕)] 7点(2014-03-10 00:00:16)
670.  モンスターズ・ユニバーシティ
長い正月休みの暴飲暴食の狭間で唯一観た2014年の第一号は、愛娘のクリスマスプレゼントに購入した今作。 初めて愛娘と一緒に観る映画として買ったのだけれど、彼女との鑑賞時が初見とはしたくないというのは、映画ファンの我儘か。  前作「モンスターズ・インク」は、それまで若干穿った捉え方をしていたピクサーのCGアニメーションのクオリティーの高さに打ちのめされ、一気にピクサーファンに至らしめた個人的にエポックメイキングな映画だった。 それ故に、12年ぶりの続編である今作に対しては、高揚もした反面、「下手をうたなければいいけれど」と不安もあった。 特に、前作に対しての“前日譚”を描くという方向性には、「モンスターズ・インク」のストーリーテリングを踏まえると無謀とすら思えた。  ま、結果的にはそういう諸々の不安は一蹴されたと言っていい。  前作のキャラクターをそのまま復活させる代わりに、彼らの年齢設定を“学生時代”にまでぐっと下げることによって、ある種普遍的な人格の「成長」を描くことに成功していると思う。 大学生活におけるヒエラルキー、持って生まれた「才能」というものの明確な有無、が想像以上に辛辣に描きつけられるため、前作のファニー感と一転して明らかなビター感も印象的だ。  モンスターたちの世界という、アニメならではの世界観なのだから、いくらでも「夢物語」や「御都合主義」を描くことは許された筈だが、それらには決して逃げない崇高さ。 それが、世界一のアニメーションスタジオのプライドだと思えた。  ようやく2歳半の愛娘には、そんなこの映画の辛辣さなど到底理解できないだろう。 でも、それでいいのだと思う。 彼女がこれから歩んでいく人生の中で、幾度も幾度もこの映画を観て、自らの成長と共にいつか映画が描く本当の意味に気がつくのだろう。 それこそが幸福な「映画体験」だ。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-01-07 22:32:36)(良:1票)
671.  ザ・マスター
ホアキン・フェニックスの「風貌」が全部すごい。 眉間の深い皺、深く窪んだ目、背中の曲がり具合、腰に手を当てる独特の姿勢、主演俳優の完璧な“役作り”そのものが、この映画のハイライトであることは間違いない。 映画とは「人間」を描くものであり、時には、そこに息づく人間の姿そのものが、ストーリーを凌駕して脳裏に焼き付く。この映画は、そういうタイプの作品だったと思う。  「映画」として面白かったかというと、必ずしもそうとは言い難い。想像以上に分かりにくく、腑に落ちない要素が多い作品だったと言える。 主として描かれるのは、トラウマを抱えた帰還兵である主人公と、彼が師事した新興宗教の教祖、この二人の人間模様である。 この二人をはじめとして登場人物は限られており、極めて限定的な人間関係を描いているにも関わらず、主人公らの言動の真意が非常に汲みづらかった。  ふいに出会った二人が明確な理由なく惹かれ合っていく最初の船室での対峙シーンには、見応えと説得力があった。 ホアキン・フェニックスとフィリップ・シーモア・ホフマンという、ハリウッドでも指折りの巧い俳優同士の抜群の演技力を堪能できるシーンだったと思う。  ただし、そこから繰り広げられるこの二人の男の衝突と絆の様には、意思が読み取れない部分が多々あり、一転して説得力に欠けて見えた。 己の理解力の無さも勿論あるのだろうけれど、やはり脚本が脆弱性も多分にあると思わざるを得ない。  俳優らの演技は終始素晴らしいし、卓越したカメラワークによって映し出されたシーンはどれも心に染み入ってくる。 ポール・トーマス・アンダーソンの映画を観るのはこれでまだ3作目だが、1970年生まれのこの監督が、「巨匠」と呼ばれ始めるのにもはやそう時間はかからないことは明らかだろう。  だからこそ、今作についても、脚本にもうほんの少しの訴求力があったなら、きっと「傑作」になったに違いないと思える。惜しい。  ただ、この映画のホアキン・フェニックスはきっぱり凄い。それだけは何度でも言いたくなる。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-12-03 01:00:19)
672.  ラストスタンド
おかえりなさい。シュワルツェネッガー。 と、エンドロールを待たずして言いたくなった。  脱走した麻薬王が、最速のコルベットに乗り込み、メキシコ国境突破を図る。 その極悪人を、国境最後の小さな町で保安官をしている主人公が、迎え撃つ。 あれほど用意周到な脱走計画を駆使したのに、なぜわざわざ車に乗り込み強行突破をするのか。 普通、この映画を誰しもが考える突っ込みどころだ。 しかし、この映画にそのような突っ込みは、ナンセンス以外のなにものでもない。  なぜなら、これは、アーノルド・シュワルツェネッガーの映画なのだから。  80年代から90年代にかけて、映画を観始めて、常にエンターテイメント映画の中心に「彼」が居続けた世代の映画ファンにとっては、もうその一言で、この映画を否定する余地は全く無くなるだろう。  確かに「老い」は隠せず、完全に初老の風貌の稀代アクションスターに対して、若干の寂しさは覚える。 シルベスター・スタローンやブルース・ウィリスらしのぎを削った同時代の他のスターたちに比べても、長年俳優業にブランクがあった分、アクションシーンに関わらず演技そのものにキレがないことも否定できない。  しかし、腐っても鯛とは言わないが、それでもアーノルド・シュワルツェネッガーはアーノルド・シュワルツェネッガーだった。 重火器を振り回し、体術なんて完全無視でひたすらに拳を打ち付け、悪党に立ちはだかる。 アクションシーンに説得力や格好良さなどないけれど、その姿そのものが確固たるエンターテイメントなのだ。 この復帰作を観て、そのことを久しぶりに思い出し、懐かしく、嬉しかった。  ハリウッドデビューとなった韓国人監督キム・ジウンの力量も確かなものだ。 新しい環境で決して思い通りの映画づくりが出来たわけではなかろうが、この映画が目指すべき娯楽性の方向性をしっかりと見据え、大物俳優を主演に迎えてもぶれることなく仕上げたことは、自国の映画界で培った実績の賜物であろうし、称賛に値すると思う。  アーノルド・シュワルツェネッガーの時代なんてとっくに終わった。と、多くの人が思っているだろうし、僕自身もそう思っていた。 しかし、まだまだ「彼」を観たい。そう改めさせるこの人のスター性は、やはり特別なものだと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-11-28 17:12:24)(良:1票)
673.  エルム街の悪夢(1984)
もし、ある程度大きなバジェッドで、再度リメイク化が決定したとして、もし、ティム・バートンなんかが監督に決まった日にゃ、絶ッッッ対にジョニー・デップが“フレディ・クルーガー”を演じるに決まっている!と、勝手な妄想が途中突っ走った。  そんなジョニー・デップの映画デビュー作としてもよく知られている、この超有名なホラー映画を初めて観た。 昔、実家に今作のタイトルがラベリングされていたVHSがラックに並んでいたような記憶もあるが、今なおホラー映画が苦手な僕が観れる筈もなく、現在に至るまでスルーし続けてきた。 三十路を越えて、いい加減誰でもタイトルを知っているような有名なホラー映画は観ておかなければなるまいと思い、先日の「キャリー」に続き、本作を鑑賞。  さすがに描かれるホラー描写は、“お決まり”のもので、ストーリー展開もベタ中のベタなので、恐怖心が煽られてたまらないなんてことは当然なかったが、それでも充分びくついてしまうのは、この映画がその後のあらゆるホラー映画のベースとなった「定番」を生み出しているからに他ならないと思う。  決してストーリーが面白いということはなく、所々において支離滅裂ですらあるこの映画を人気作たらしめたのは、何を置いても、夢とうつつの狭間を行き交うモンスター“フレディ・クルーガー”という稀代のホラー映画スターの誕生に尽きるだろう。  この第一作を観ただけでは、結局のところ何故このモンスターが出現し、若者たちを次々に襲うのかよく分からないが、その存在性と目的の曖昧さが、殊更にこのキャラクターの不気味さと禍々しさを増幅させているようにも思える。 焼けただれたグロテスクな面構えに対して、赤と緑の横縞セーターのダサさが、絶妙なビジュアルセンスを醸し出している。(この造形を考え出した人も、結構キレていると思ってしまう……)  ともかく、ようやく映画史を代表するホラー映画スターの初登場作を観られて良かった。 さて次は「エクソシスト」か「13日の金曜日」か……いずれにしても気が重い。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-11-16 14:34:40)
674.  アウトロー(2012)
ライフルの乾いた銃声。カマロの唸るようなエンジン音。観ている者の骨にも響く殴打音。 BGMを極力廃し、数々の無骨な音が、“アウトロー”が行き着いた映画世界に響き渡る。  派手なアクションシーンがひたすらに羅列されがちな昨今のアクション映画に対して、この映画の骨格は、とてもオーソドックスで一見地味なシーンが連なる。 それに対して古臭さと退屈を感じる人もいるだろうけれど、じっくりと見れば見る程、深い味わいが染み渡ってくる現代においては少々異質なアクション映画に仕上がっている。  このところのトム・クルーズの最新作を観て、毎度感じていることだが、このハリウッドスターの日々の「鍛錬」と俳優として、映画人としての飽くなき「意欲」は尊敬に値する。 50歳を越えて、また自ら新しいヒーロー像に挑戦し、シリーズ化を目論むなんてことは、並の神経では出来ない。 長年彼の映画を観てきた映画ファンとしては、当然「老けたな」という印象は拭えないけれど、それはそれとして主人公としてしっかりと“様”になっているのだから、文句は無い。  ヒロインがやけに熟女だなと思ったけれど、冷静に考えれば50歳のトム・クルーズの相手役としては相応しいバランスだよな……と思いきや、ヒロイン役のロザムンド・パイクはなんと34歳……。 彼女も含め、過去にトム・クルーズと共演してきた女優たちは時間の流れの“不平等さ”を恨んでいることだろうと関係ないことを思ったり。  一方で、脚本家出身の監督の作品のわりには、ストーリーそのものの面白味は薄かった。 話自体は、思ったよりもミステリー仕立てだったので、もっと二転三転のストーリーテリングがあっても良かったと思う。 が、“ニューヒーロー”のシリーズ第一作目だとするならば、新たなキャラクター性を際立たせることを優先したことも納得はできる。  ともかく、衰え知らずのハリウッドスターが新たに生み出した“ジャック・リーチャー”というヒーロー像は、充分に魅力的で、今後のシリーズ化も彼の目論見通りに期待したくなる。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-11-03 01:26:33)(良:1票)
675.  グランド・イリュージョン 《ネタバレ》 
ジェシー・アイゼンバーグが、冒頭から「ソーシャル・ネットワーク」よろしく早台詞をまくしたてる。 その時点で自分自身を含め健全な観客は、この映画の“ミスリード”に引っ掛かっていたのかもしれない。  “マジック”を描いた映画になかなか良作はない。 マジックというエンターテイメントは、鑑賞者の目の前で見せるからこそ驚きがあるわけで、映画というそもそもが“つくりもの”の世界の中でいくらびっくり仰天の奇術を見せたとて、驚ける筈がないからだ。  今作においても、主眼を“マジック”に置いている以上、その障壁は免れない。 実際、繰り広げられる数々のイリュージョンに対しても、「まあこれが実際に目の前で行われた凄いだろうね」と一歩引いた立ち位置で観ざるを得なかったことは確かだ。  ただ単に、映画世界の中で壮大なイリュージョンを繰り広げて「スゴイでしょ?」という作品であったならば、極めて駄作と言わざるを得なかったろうけれど、この映画の場合は、全編に渡るテンポの良さと、キャスティングの巧さで、そういったマイナス要素をカバーし、映画としての質を高められていると思う。  この映画の中では当然ながら数々のマジックシーンが描かれるが、マジックショーそのものの魅力は、冒頭の4人の路上マジシャンたちの登場シーンに集約されている。 彼らの鮮やかなマジックの手腕をいきなり見せつけられて、観客は「ああ、これからこいつらがとんでもないイリュージョンを見せるのだな」と強く認識させられる。 先に記した主演俳優の早い台詞回しも含めて、この“見せ方”が映画全体に効いている。  もちろん端からマジックの「タネ」もとい、映画の「オチ」を先取りしようと“ステージ”に対して斜めから映画を観たならば、わりとすぐにネタバレしてしまうかもしれない。 ただそういう観方は、マジックを観るにしても、映画を観るにしても、「無粋」というものだ。 勘ぐること自体は結構だと思うけど、娯楽として真っ当に楽しみたいのであれば、きちんと真っ正面から観て、気持ちよく騙されることも大切だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-02 00:09:34)(良:2票)
676.  L.A. ギャング ストーリー
冒頭に表示される「実際の出来事に着想を得た」という但し書きは、逆に「大部分において脚色をしている」ということだと思う。 これは「映画」なのだから、勿論それで問題ないし、想像したよりもずっと「娯楽」に振り切った作りになっているこの映画の方向性は圧倒的に正しいと思えた。  実在したギャングと彼を撲滅した警察官たちの戦いを描いたというイントロダクションが先行していたので、数多のギャング映画と同様にハードボイルドで骨太な映画なのだろうと期待していた。 ところが、実在の人物たちを描いているという割には、警察官側もギャング側も揃いも揃ってキャラクター描写に漫画的で、実在感がないことに序盤違和感を覚えた。  ジョシュ・ブローリン演じる主人公は、正義感が強いというよりも、殆ど危機感が欠如したイカレ野郎だし、対峙するギャングのボスを演じるショーン・ペンも、過剰な演技プランが際立ち殆どアメコミ映画の悪役と化していた。 「なんだこのリアリティの無さは……」と呆れかけるが、次第にこの映画は「そういう映画」なのだと納得し始めることができる。  曖昧だったリアリティラインを適切なポイントで確定させた最大の要因は、何を置いても主人公の愛妻のキャラクター造形だったと思う。 実在した人物というイメージが先行してしまい、まるで説得力を感じなかった破天荒な主人公のキャラクター性を更に超越した破天荒さで包み込んでしまった彼の妻のキャラクターがあったからこそ、この映画の娯楽性は良い意味で振り切れたと思う。 危険を顧みない任務に就く夫に対して激昂した翌朝、途端に彼のブレーンとして立ち回る様や、夫の留守中にギャングによる銃撃を唯一人で受けた最中に、考えられない生命力の強さを発揮する姿には、主人公以上のヒーロー性を感じてしまった。  「アンタッチャブル」、「スカーフェイス」など名だたる傑作ギャング映画の名シーンを彷彿とさせる場面は多々あり、オリジナリティーが高いとはとても言えないけれど、“パクリ”ではなく“オマージュ”と好意的に捉えることが出来れば、映画ファンが観たいシーンが連続しているとも言える。  主人公チームはもちろん、悪役や脇役に至るまで、下手な深みなんて削ぎ落とした漫画的なキャラクターたちに次第に愛着を持ってしまう。 思っていたのとは違うタイプの映画だったが、だからこそ面白い映画だったと思える。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-10-26 17:10:17)
677.  ウルヴァリン:X-MEN ZERO
マーベルをはじめとしたアメコミ映画は大好きで、大概満足するのだけれど、「X-MEN」シリーズだけは今ひとつ乗り切れず、好きになれなかった。 その最大の要因は明らかで、主人公であるウルヴァリンにどうしてもヒーローとしての魅力を感じることが出来なかったからだ。 一方で、彼が主人公ではない2011年の「ファースト・ジェネレーション」には相当満足したので、やはりウルヴァリンというキャラクター性が性に合わないということだろうと、自身で結論づけていた。  しかし、その結論は必ずしも正しくはなかったようだ。 “戦犯”のレッテルを貼付けていたウルヴァリンの「過去」を描いた今作は、想定を大きく外れて、きっぱり面白かった。 そもそも、アメコミ映画は大好きだけれど、その原作であるアメコミ自体には全く造詣が深くないので、「X-MEN」という作品自体の性質と、その一キャラクターとしてのウルヴァリンの存在性を理解出来ていなかったのかもしれない。  「X-MEN」というアメコミ作品の主役は、あくまでミュータント集団である「X-MEN」という群像そのものであり、ヒュー・ジャックマンが主人公然として演じるウルヴァリンというキャラクターをメインに見据えるべきではなかったのだろう。  ウルヴァリンの個人的な前日譚である今作を観て初めて腑に落ちたのだが、過去の記憶をいっさいがっさい失くして、盲目的に己の「異端性」を呪うしか術の無いキャラクターが、その辺のアメコミの主人公と同様にヒーロー然と振る舞えるわけがなく、どこか屈折し“陰”に傾いてしまうことは必然だ。  このキャラクターにこういった“経緯”があるということを全く知らなかったので、おおよそアメコミ映画の主人公らしくない彼に拒否感を感じてしまっていたのだと思う。  前日譚ではあるが、当然演じるヒュー・ジャックマンにとっては、3作品経た上での(当時の)最新作であるので、そのフィット感は彼自身のスター俳優としての進化も相まって、当然最高潮であり、ウルヴァリンという苦悩に溢れたキャラクターの出自から記憶を失ってしまうまでの様を描いた今作は、物語としても魅力的で、ちょっと感動的ですらあった。  順番は後先になったが、「ファースト・ジェネレーション」の高揚感に続いて、今作の意外な満足感。一気にこのシリーズそのものが好きになりそうだ。 ガン無視だった最新作「SAMURAI」も俄然観たくなってきた。
[地上波(吹替)] 7点(2013-10-03 23:06:45)(良:2票)
678.  シュガー・ラッシュ
ゲームセンターに通ったという経験はなく、そもそもテレビゲームを子どもに与えることにそれほど積極的ではない家庭だったので、テレビゲームに対しての傾倒はそれほど深くはない。 とはいっても、ファミコンからプレーステーションまで基本的なゲーム機は浅く経てきているので、ゲーム世界の裏側を描いた世界は充分に楽しめた。  世界観の構図は、すばり「トイ・ストーリー」+「アベンジャーズ」のテレビゲームキャラクター版。 メタ的要素がこれでもかと散りばめられており、少しでもゲームで遊んだことがある者ならば、楽しくないわけがない映画世界が構築されている。80年代から90年代のゲームをやり込んでいるゲーマーなら、その娯楽性は倍増することだろう。  ただのゲームキャラクター大集合映画で終わっているわけではなく、そこは流石のディズニーブランド、ストーリーは極めて大衆的でありながら、誰もが感動できるドラマ性を内包している。  社会における個人の存在と役割、その中で生じる差別やヒエラルキー。 世界中の人々がそれぞれに苦悩している普遍的な社会の病理性が、時に辛辣に描かれている。 最終的なハッピーエンドは結果オーライ的な印象も受けるけれど、この作品があくまでも“子ども向け映画”であることのスタンスを貫いている以上、この展開は極めて真っ当だったと思う。  登場するキャラクターの中では、主人公(悪役キャラ)のホームであるゲーム世界のヒーローキャラクターの存在が光っていた。 この手の展開だと、実際のゲーム世界の設定と一転して性格の悪いキャラクターとして描かれがちだけれど、正真正銘の“良いヤツ”として描かれており、主人公並みの活躍をみせ、ロマンスまで成就させてしまう様が愉快だった。   最後に一つだけ苦言。ザンギエフは悪役じゃないよね? ただの勘違いだとは思うが、米国映画が「ソ連」の国旗を背負う彼を悪役に位置づけちゃうと、色々と時代錯誤的な面倒臭さが頭を出してしまう……。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2013-07-25 15:08:04)(良:1票)
679.  ブロブ/宇宙からの不明物体 《ネタバレ》 
宇宙から飛来したアメーバの怪物が小さな田舎町の住人を片っ端から襲っていく。 この一文の説明で全く不足ない映画だが、“B級モンスター映画”として充分過ぎる存在感を放つ作品だと思う。 モンスター映画は大好きなので、1988年に製作されたこの映画の存在価値が極めて高いものだということは明らか。今の今まで存在すらよく知らなかったことを恥じなければならない。  オープニングクレジットで知らない名前ばかりが並ぶ中、“フランク・ダラボン”が脚本にクレジットされているのを発見し、一躍興味は掻き立てられた。 「ショーシャンクの空に」で一躍名匠の一人に名を連ねるに至ったフランク・ダラボンだが、元々感動映画傾倒の映画人ではなく、実はモンスター映画への嗜好が極めて強い人であることはもはや周知の事実。 そんな彼がキャリアの初期に携わった作品だけあって、実に堂々としたモンスター映画ぶりを繰り広げている。  幾つか特徴的なところを挙げるならば、まずは襲われ方のパターンが多岐に渡っていること。 基本的には、知能はほぼ無いと思われる謎の生物が、本能的に人間を呑み込んでいくということの連続なのだが、状況や場所のバリエーションを変えていくことで“殺され方”を多彩に描いている。 小さな排水溝に強引に引きずり込んだかと思えば、クライマックスでは大怪獣よろしく町の人々をまとめて呑み込んでいく。 モンスター映画のにおいて、人が襲われるシーンというのは“華”と言って過言でないので、それが多彩なこの映画はそれだけでも素晴らしい。  あと、“生き残るだろう登場人物”の予測が序盤において尽く外されていくということも、この映画の特徴だろう。 ヒーロー的な活躍をしていくのだろうと思われたキャラクターが老若男女関係なしに、割とあっさりとヤラレていくので、最終的に誰が生き延びるのかという緊迫感を最後まで持続させてくれる。  そしてラストは、実際に製作されるかされないかなど問題にしていない「続編」への布石。これがあるだけで、モンスター映画ファンとしてはかなり満足度が高くなる。 意外に細やかな伏線の回収ぶりも、目を引くところ。  というわけで、クオリティーが高いなんて映画では勿論ないが、B級モンスター映画ファンとしては外すべきではない映画であることは間違いない。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-06-03 22:03:51)
680.  ナショナル・トレジャー
「インディ・ジョーンズ」と「ダヴィンチ・コード」をごちゃごちゃと混ぜ合わせて、“ニコラス・ケイジ印”でベタンと押し潰したような感じの映画だった。 と言うと卑下しているようにも聞こえるが、個人的には充分楽しめた。 二番煎じ、三番煎じだろうと、「お宝探し」という題材は、いつの時代も娯楽の本流であり、いくつになっても男心はくすぐられるものなのだと思った。  ビジュアル的にも、キャラクター的にも今ひとつ頼りになるのかならないのかよく分からないニコラス・ケイジ扮する主人公だが、なんだかんだとピンチを迎えいつもの“困り顔”を終始携えつつも、次第にキャラが立ってくる。 常に綱渡り状態でありながらも、極めてスムーズに、そして「独立宣言書を盗み出す!」など意外な程にアグレッシブに「謎」を解いていく様が、馬鹿馬鹿しくて良かったと思う。  ニコラス・ケイジが主演で、ジェリー・ブラッカイマーが製作の映画なのだから、そこに「ダヴィンチ・コード」のような下手な神妙さなどは不要であり、大仰に馬鹿馬鹿しく突っ走ったことは正解だ。  必要以上に穿った見方をしなければ、謎が謎を呼びアメリカ建国の歴史をも巻き込んだ巨大な陰謀に繋がっていくメインストーリーも充分に楽しいものだったと思う。 主人公にインディアナ・ジョーンズのようなスター性はないけれど、ある意味現代的なキャラクターだったと思うし、彼の脇に付くキャラクターらによるチーム感が、スター性の不足を補い小気味良かった。  ジョン・ヴォイト、クリストファー・プラマー、ハーヴェイ・カイテルと意外に豪華なベテラン俳優の顔ぶれも娯楽性を助長している  「観る価値なし」と完全にスルーしていたけれど、観てしまえば、すぐに続編が観たくなったのだから侮れない。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-05-07 15:29:21)
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