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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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101.  捜索者 《ネタバレ》 
ジョン・フォード監督の西部劇を見るのは初めてだったが、とにかくあらゆる意味で圧倒された。 50年前の映画ではあるが、映画の「質」に関しては、製作年度などは関係ないということがよく分かる。 美しい風景、荒々しい演技、壮大なストーリー、容赦のない描写、清涼的なユーモア、すべてが素晴らしい仕上がりとなっている。 インディアンに対する激しい憎悪が感じられるが、妥協を許さない姿勢の表れではないだろうか。 ただし、この妥協を許さない姿勢を貫くとすれば、意表を突いているがラストのひねりのないハッピーエンドは少々いかがなものかと思う。 この描き方では、中盤のイーサンとマーティンの対立に深い意義が生まれてこない。 お互いに銃を向け合い、「I hope you die」とマーティンがイーサンに対して罵るに至るまでを描くのならば、もっと悲惨なラストを迎えさせてもよかったのではないか。 そうでなければ、イーサンの心境の変化が表れるようなエピソードをいくつか加味すべきだったのではないか。 やはり、姪を助け出そうとするものの、姪が完全にインディアンに染まってしまい、逆にイーサン側に攻撃しかけようとする展開となり、やむを得ず姪を射殺してしまうとすると、悲劇性がより高まると思う。 ラストをハッピーエンドに描きたいのならば、二人の対立をソフトに描くべきではないか。 中盤でイーサンが姪に対して銃を向け、イーサンとマーティンが対立するようなことはむしろ描かず、単純に姪を救出しようとするところ、インディアンに阻止されて矢傷を負って失敗するという流れだけでもよかったような気がする。 それにしても、演出もなかなか工夫に満ちている。 手紙を利用したユーモア溢れる技巧的な展開も好印象だ。 単調になりがちな展開に味が出ただけでなく、あの家族と郵便配達人の存在が増す流れとなった。 また、冒頭に扉を開けて、イーサンを出迎えるシーンに始まり、ラストで同じようなカットでイーサンがひとり荒野へ戻っていくシーンで終わるというのも、ジョン・フォードのセンスの良さが感じられる演出だ。
[DVD(字幕)] 8点(2008-03-31 23:12:27)
102.  ブラッド・シンプル ザ・スリラー 《ネタバレ》 
「ブラッドシンプル」は、バーテンの黒人を除けば、主要メンバーは4人のみというシンプルな映画となっている。 構造としても、単なる不倫を巡るトラブルというシンプルなものとなっている。 しかし、シンプルなはずなのに、何もかもが複雑化しているという面白い映画だ。 主要メンバーの4人とも何が起こっているのかを全く理解していない点が面白い。 探偵は、ただ金が欲しかったという動機だろう。 そして、無くしたライターを不倫男に奪われたと思って、取り返そうとしているだけだ。 不倫された店主は、殺しを依頼したはずなのに逆に殺されようとしている。 しかも、目の前には銃を発射した探偵ではなく、憎い不倫男がいる。 ひょっとしたら探偵と不倫男がグルだったと思って、彼は死んでいったのかもしれない。 不倫男は、女が夫を殺したものと思い込み、全てを丸く治めようと奔走して疲弊し切っている。 すべて女のためにしたはずなのに、女はトボけて真相を話そうとしない。 やはり夫が語っていたように、利用されただけなのかと疑心暗鬼になっている。 女は、何が起きているのかさっぱり分からない。 不倫相手が夫を殺そうとしたと思っているが、逆に最後には夫が自分達を殺しに来たものだと思っている。 見事なまでの複雑さだ。 脚本の上手さを感じられる。 果てには3人が死んでしまい、この事件の真相を知るものは誰一人として残っていないのも面白い。 そして、注目すべきはやはりコーエン兄弟の演出としての手腕だ。 3発の銃弾によって緊張感が見事に高められている。 また、見事な撮影方法にも魅了される。 例の銃弾の跡のシーンだけではなく、光と影の使い方が実に上手い。 実体が見えない“影”に、見ている者も怯えるものとなっている。 さらに、足元からじっくりと映し出す独特の撮影方法もより緊張感を高める効果を発揮されている。 畑から走り出す車の美しさ、ラストに死にゆく探偵が見たもの、何もかもセンスの良さが感じられる作品となっている。
[DVD(字幕)] 8点(2008-03-16 02:29:33)
103.  君のためなら千回でも 《ネタバレ》 
子どもというのは、弱くて、勇気がなくて、ずる賢くて、残酷なものだ。アミールの姿をみて、自分の昔の姿を思い出した。トラブルからは逃げ出し、嫌なことは見ないフリをして、自己の責任を何かのせいにして回避するような子どもだった気がする。 アミール同様に、自分も普通のつまらない大人になってしまった。今でも自分には何か大切なものが欠けていると感じるときはある。本作を見ることで何か少しは変われるような気になれる。 どんなに遅いと感じても、確かに「やり直せる道はある」のかもしれない。 「友情の大切さ」「勇気を持つことの素晴らしさ」「自己に誇りを持つこと」「恥を知ること」という大切なことを考えるきっかけになるのではないか。 映画を見たくらいで、簡単に影響を受けるほど自分は単純ではないが、そんな自分でも何かを感じさせる「じんわりとした暖かさ」を持った映画だ。 また、人間としての“弱さ”は、逆に言えば“強く”なれる可能性があるとも感じられた。アミールもアミールの父も自分の“弱さ”を認めることができたから、あれほど強くなれたのではないか。親友の妻を寝取ったアミールの父親もアミール同様に“弱い”人間であるのは間違いない。パキスタンに向かうバスの中で彼があれほど強くなれたのは、自分の過ちを知って、自分の恥や弱さを痛感しているからなのではないか。 後編のカブール侵入は大変な決意や苦悩が必要だと思うので、もう少し葛藤を描きこめたらよかった。 人間は強くなれる生き物かもしれないが、それほど“強い”生き物ではない。死ぬ危険性を冒すのだから、彼の“弱さ”を今一度感じさせてもよかった。“弱さ”を描くことによって、彼の“強さ”がさらに際立つはずだ。 残酷なシーンは少々あるが(リアルさがないように配慮していると思う)、子どもにも見てもらえるように非常に分かりやすい映画になっているのが好感触だ。 時代背景やタリバン、アフガニスタンの知識を問われるようにはなっていない。 もちろん子どもだけではなく、大人にも見てもらいたい良作だ。 「友情」の象徴でもある凧揚げが見事に印象深く描かれている美しい映画である。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-24 02:56:47)(良:4票)
104.  ラスト、コーション 《ネタバレ》 
「ブロークバック」と骨格は似ているのかもしれない。「禁断の愛」「許されざる愛」「叶わぬ愛」を今回も描いている。日本人にとってはゲイの二人より、女スパイと狙われる男のシチュエーションの方がより共感できるような気がする。 男(イー)と女(ワン)の見事な「愛・欲情」が描かれている。二人が「欲情」に嵌まり込んで、溺れていく様が実に見事である。 男の視線から語らせてもらうが、ラストでは、イーの「純粋な愛」にワンが屈服してしまったのではないかと思う。宝石は、肉体的な愛ではない「純粋な愛」の象徴だろう。 何もかも信じられないと呟いたイーが、唯一信じることができた女性へ贈った「愛の象徴」に、ワンが最後に負けてしまったのではないか。 唯一信じることができた女が、スパイだったというのは皮肉的であり、悲劇だ。 ワンがイーの「純粋な愛」の魅力に徐々に惹かれていく様も上手く描かれている。「純粋な愛」の象徴である宝石を目にしたときに、「スパイ」としての自分よりも、「女」としての自分でいたかったのかもしれない。好きだったスパイ仲間の男性にキスをされた後に「もう遅い・・・」と呟くワンの姿が印象的だ。 自分自身すでにイーの愛情・欲情に溺れていることを自覚していることがよく分かるシーンだ。スパイの仲間の男が、もしワンに「愛」を与えていれば、間違いなく滞りなく任務を遂行しただろう。仲間を失い、自分自身が死ぬとしても、「純粋な愛」を優先させた女の生き様が見事だ。彼女は愛に生き、愛に死んだのかもしれない。 ワンが自殺をためらった理由としては、イーにけじめをつけさせるためだったのかもしれない。ワンは最後の最後の瞬間までスパイとして活動していた。やはり、イーを裏切っていたことには変わりはない。ワンが自分の信念に従って、仕事をしていたのだから、イーにも自分の信念に従い、自分の仕事を全うさせようとしたのではないか。「裏切り」に対する代償をワンの手によって、払わせたかったのかもしれない。他のスパイとは異なり、拷問をせず、綺麗な形で終わらせたのが、ワンなりの「愛」の証だったようだ。 アン・リー監督はさすがに凄いと感じさせた。この微妙な空気感を演出することができる監督はなかなかいない。激しいベッドシーンも見事である。上手く表現はできないが、男と女の聞こえない会話が聞こえてくるようだ。二人の感情がぶつかり合っている。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-11 01:53:08)
105.  アメリカン・ギャングスター 《ネタバレ》 
157分という上映時間にも関わらず、まったく飽きることがなかった。1970年前後という時代には生まれていないが、その時代を実にリアルに感じることができる完成度の高さには驚かされる。そればかりではなく、アタマが混乱するような分かりにくさがまったくなかった。この手の映画は、登場人物が多く、人間関係など初見では混乱するようなものが多いが、実に丁寧に練りに練られている。スコット監督とザイリアンの脚本の上手さには脱帽だ。 ストーリー的には派手さはない。実話がベースのため、驚くような展開はないのは当然だ。フランクとリッチーの二大スターによる壮絶なバトルがあるわけではない。追いつ、追われつの駆け引きがあるわけでもない。二人が直接対面するのは終盤の終盤だ(このシーンも実に印象的に撮られている)。 しかし、二人の直接対面に至るまでのそれぞれの紆余曲折が、最後に大きな波を作ったのがよく分かる仕組みとなっている。 真の「ギャングスター」とは、汚職警官のことを指すのかもしれない。 子ども時代のフランクが経験したように、警官が自分の家をメチャクチャにし、家族を平気で殺すようなところで育っては、ろくな大人にはなりようもない。 警官よりも、ギャングのバンピーの方が何よりも信頼できる街だったのだろう。 フランクの母親も語っていたが、本来ならばフランクは道を示すべきだったのかもしれないが、その道が腐っていてはどうしようもない。 犯罪がはびこる街を変えるためには、その街を仕切る人々がまず変わらなくてはいけない。警官が変われば、ギャングも変わり、犯罪やドラッグもなくなるのかもしれない。 フランクに対する感じ方は非常に難しい。 残虐性やドラッグ密輸に対して嫌悪感を持つことも出来るが、紳士的な振る舞い・家族を愛する姿勢に共感を持つことも出来る。 善や悪、白や黒に割り切れない微妙なグレイさをフランクに感じることができる。 上手く彼の感情を理解することは出来にくいが、ハリウッド映画にありがちな単純な内面とは異なる内面を感じることができるのも本作の面白さの一つだ。 野球選手に憧れていた甥が、フランクを憧れると言い出したのも面白いエピソードだ。 チンピラとは異なる、カリスマ性のあるカッコ良さを醸し出していた。 しかし、彼は犯罪者であることには間違いない。 出所した際のラストのシーンが何よりも多くのことを語っている。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-03 00:08:50)
106.  ジェシー・ジェームズの暗殺 《ネタバレ》 
誰かがいつ撃たれてもおかしくない、そんな凄まじいまでの緊張感が保たれている。この緊張感を保ち続けた技量には感服する。視覚的な構図など、非常にセンスを感じさせるので、そういった視点からも相当楽しめた。工夫されて撮影されており、撮影者はただものではない。 本作に描かれているジェシー・ジェームズ自体は意外と大した男ではないのかもしれない。常に疑心暗鬼に襲われ、仲間を疑い、仲間を背後から撃ち殺す。そんなどうしようもない男だ。決して「伝説」になるような立派な男ではない。 「現実」とは異なり、「伝説」は一人歩きして大きく膨らんでいくものだ。ボブは、その「伝説」に魅了されていた一人の男だ。しかし、アイドルはしょせん偶像である。 憧れていた男が実は全然大したことがないと分かったら、どうするだろうかという点が劇的ではないが、きちんと描かれていたと思う。 尊敬に値しなければ、自らがその「伝説」に終止符を打ち、自らが「伝説」を継承しようと考えたのではないか。または、愛情が深い余りに、「伝説」が虚構だとバレる前に「伝説」のままで幕を閉じさせたかったのかもしれない。 影が光を憧れるという構図としては、少々「リプリー」にも通じるところがある。 しかし、「現実」というものは冷たいものだ。 自らもその虚構の「伝説」に憧れたように、人々もその「伝説」に憧れている。 ボブは賞賛されるべき立派な“英雄”ではなく、「伝説の英雄」を殺した“裏切り者”“卑怯者”扱いされるのが、実にアイロニカルで面白いと感じさせた。 ジェシー・ジェームズも仲間を背後から撃ち殺していたが、彼は英雄であり、同じようなことをしたボブは裏切り者と蔑まされるのである。 面白いと感じたのは、ジェシー・ジェームズの最後の行動だ。 疑心暗鬼の塊だった彼が最後にソファーに銃を置いたのは、最後に仲間を信じてみたくなったからではないか。裏切られると思う自分の心が嫌になり、仲間を信じる気持ちに賭けてみたくなったように感じられた。 ジェシー・ジェームズがこのように「裏切り」に絶えず怯えていたとするのならば、ボブもまた「裏切り者」というレッテルを貼られるのを恐れていたのではないか。 だからこそ、観客のヤジに過敏に反応したのだろう。 「伝説」と「現実」、「理想」と「現実」、このギャップの溝にジェシー・ジェームズもボブも嵌まりこんだような気がする。
[映画館(字幕)] 8点(2008-01-15 00:34:45)
107.  ロッキー 《ネタバレ》 
ストーリー自体はそれほど大したことないと思うけど、テーマソング、セリフ、有名なシーンによって、映画の中身以上に付加価値がついた伝説的な映画。負け犬同然だった主人公が、成功とか勝利といった華やかなものではないけれども、プライド、希望、夢をつかむというアメリカンドリームを見事に体現し、人々に多くの共感や希望、やる気を与えている。 この映画で負け犬だったのは、ロッキーだけではない。 エイドリアンの兄のポーリーやトレーナーのミッキーも同様に負け犬の仲間である。この映画の舞台になったフィラデルフィアの街全体も「負け犬」感が漂っている。 皆それぞれ負け犬かもしれないが、誰しも「負け犬」なんかになりたくない、チャンスさえあれば俺もきっと…という思いが皆から伝わってくる。 ちっぽけなジムで過去の栄光にすがって生きているミッキーも再びチャンスをつかみたく、引退を勧告したロッキーに対して頭を下げにいく。 ポーリーも金儲けがメインなわけではない、俺にもきっと何かできるはず、惨めな負け犬なんかじゃないと思い、色々と自分ができることを探したのだろう。ロッキーも彼らの根底にある想いは十分に分かるため、彼らに理解を示していく。現実に妥協している酒場の主人も含めて、街の人々もロッキーに自分を重ねて、自分の想いをロッキーに託しているようにも感じられた。勝利にこだわっているわけではなく、自分が「負け犬」ではないことを証明したいという純粋で、堅固な想いに惹かれる。ただ、リングに上がるだけで済む問題ではない。無敗の王者に対して逃げ出したくなる恐怖を抱えているのも現実的な描き方だ。その恐怖もエイドリアンへの一途な愛と、エイドリアンからの愛に支えられることによって、逃げ出さずに済んだのではないか。最後の絶叫を聞いても、彼の肉体・精神が彼女への愛によって、切れずに維持できたと感じられる。意外といいシーンは、子どもの頃の昔の写真と現在のボロボロになっている自分を見比べているところ。子どもの頃に描いた自分の将来と今の自分とのギャップに対して、憤りやあきらめにも似た表情がうかがい知る事ができる。こういう一瞬の演技で多くのバックグラウンドを語る演出はよい。
[DVD(字幕)] 8点(2006-12-31 00:25:42)
108.  卒業(1967) 《ネタバレ》 
初めて観る人にはトンデモないストーリーで、ストーリーだけを単純に追えば疑問だらけで大した映画ではないのかもしれないが、映画の根底にある子どもでもない、大人でもない、大人になり切れない微妙な時期の若者の不安定感を見事に表現している映画である。 本作を鑑賞するにあたり、この映画のタイトルである「卒業」とは、何からの「卒業」なのかを考えながら観ていた。色々な意味(下ネタもありかも)が掛かっているとは思うが、「無責任な子ども時代からの卒業」「大人への依存からの卒業」ではないかと思う。大人によって敷かれたレールの上を、優等生としてただ平凡に歩くだけの人生に疑問をもったベンであるが、不安だけがつきまとい、自分の確たる信念も決断もなく、ただ無気力に日々を送るだけしかできない。彼の行動を冷静にみれば、ただ単に大人の誘惑に惑わされ、親に与えられた車を乗り回し、親が所有しているプールで暇を持て余しているだけである。 エレーンに再会し、ようやく人生において初めて大きな決断であるバークレー行きを決心するものの、そこでも何をしてよいか分からない。ただ単にストーカーまがいの行動しかできないというもどかしいほどの若さである。このあたりも大人になりきれない不安定感、何かをしたくても何もできない若さゆえの無力感が十分に描きこまれていると思う。そして、エレーンが強引に結婚されることを契機にして、ベンは考えるよりもまず行動を開始する。何かに悩んで深く考えすぎて行動を躊躇するよりも、まず直感的に行動することも必要ではないかと言っているようにみえる。 また、親から貰った赤いスポーツカーではなく、自分の足で結婚式場に向かい、バスを使っての逃亡がよい。親から与えられた車を使って逃亡するのでは、真の意味において「卒業」ではない。しかし、親から「卒業」したとしても、必ずしも明るい未来が待ち受けているとは限らない。「親や大人たちからの依存」から卒業することは今以上に苦しく、険しい道のりが待ち構えているということを、バスの中での二人の表情に込めているのではないか。それが「子ども」を卒業して、「大人」になることなのかもしれない。
[DVD(字幕)] 8点(2006-12-31 00:03:35)(良:1票)
109.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
「父親たちの星条旗」同様に極力エモーショナルに描くことは避け、「真実」を炙り出そうとしている。本作を観て、硫黄島で「何があったのか」を知って、観たそれぞれに何かを感じ取ってもらいたいという強い意図が感じられる。何かを押し付けるということはほとんどしていない。 「家族からの手紙又は家族への手紙」を有効に利用することや、大げさに演技させることによってエモーショナルに描くことは簡単である。本作の題材ならば、ストレートに観客を感動させることなど容易いだろう。だが、あえてそうしないのがイーストウッドの味であり、「わび」と「さび」ではないか。もちろん「戦争」をエンターテイメントに利用する気など微塵もない。栗林の知略をこと細やかに説明することも、壮絶な穴掘りの苦痛を描くこともしない。「戦争」を美化するつもりはないからだ。 イーストウッドの映画は昨今のハリウッド映画とは異なり、ただ映像を垂れ流すだけの「一方向」の映画ではない。映画を通しての「問いかけ」があり、観客は映画から何かを感じて考えるという「双方向」の映画なのだと思う。誰でも撮れる普通の映画ではなく、イーストウッドでしか撮れないから評価されるのだろう。 自分が一つ強く感じたのは、中将という司令官であっても、ただの一兵卒であっても、そして敵の兵士であっても、皆愛すべき家族がおり、愛される家族の一員でいたということだ。この点に関しては、身分も国籍も関係ない。それぞれの想いは、日常的な生活を綴った手紙や千人針に静かに託されているのが印象的だ。アメリカ側から本作を観た場合、「敵」であっても、バロン西のような人間的な痛みを知るものと戦っていたことを知らしめるだろう(伝説となっているバロン西投降勧告(真偽は不明)も当然描かない)。 また、「星条旗」同様に「戦争」には正義も悪も、英雄もいないということを強く描いている。「戦場」にあるのは醜さだけだ。 アメリカ側としては、日本人捕虜を抹殺する姿や、戦利品を強奪する姿や、「星条旗」では誤射によるアメリカ兵の死ですら描いていた。 日本側としても、アメリカ兵をリンチする姿、敵側に投降しようとする者を撃ち殺したり、戦場から後退しようとする者の首を刎ねようとしている姿が描かれている。 「万歳」といって自決する姿にも、玉砕しようとする姿(伊藤中尉)にも、「美しさ」はない。あるのは、「虚しさ」だけだ。
[映画館(字幕)] 8点(2006-12-11 21:20:21)(良:1票)
110.  007/消されたライセンス 《ネタバレ》 
本作は興行的に失敗した部類に入る作品であり、また、あまり目立たなかったダルトンの最後の作品ということもあり評価は高くない気がするが、ストーリーもアクションもかなり質の高い作品となっていると思う。 ボンド、サンチェス(これほど魅力的で出番の多い悪役はいない)、彼の部下たち、二人のボンドガール、M(父親のような存在)、Q(普段は仲が悪そうにみえるが親友のような存在)、マニーペニー(母親のような存在)のいずれも役割がしっかりとしており、見事に噛み合っている展開が見事だ。 私情で動くボンドにはかつてないほどの人間味が感じられる(シャーキーを殺された際には自らの危険を顧みず、復讐に打って出ている)。後ろ盾を無くしてしまったが、その分ボンドの状況把握の上手さ、機転の利かせ方が非常に上手く描かれている。 また、今回の件によってボンドは諜報部員として多くのことを学んだのではないか。単独で動きたいと主張しながらも、何度となくパムやQに助けられ、何度となく彼らに助けを求めている。逆にいえば、いままでも一人でミッションを成功させてきたわけではなく、様々な人々の協力があったために成功できたということを言い表しているのではないか。 また、彼の暴走のために、香港麻薬局の計画やCIAによるヘラー寝返り計画を台無しにしたことを知り、かなり落胆した様子も窺えた。諜報員である彼にとってこれが意味することは大きく、自分の行動の重みを理解するよい機会だったのではないかと思われる。 ラストにおいても、サンチェスに対してフェリックス(第一作のドクターノウ以来の友人)のライターを使っているのもよい。どのボンドアイテムよりもこれには敵わないだろう。ボンドのボロボロとなった姿も、この復讐劇の壮絶さを物語っている。ムーアのボンドだったら、こんな姿は見られない。 また、通常であればボンドガールと意味のないラブシーンで締めくくられることが多い本シリーズにおいて、ガールの選択が与えられるのも面白い趣向だった。美人で魅力的なルペを振り、自分のために何度も身を挺して助けてくれたパムのためにプールに飛び込む姿は、いままでの中でもかなりかっこいいボンドの姿だといわざるを得ない。 コメディ的な要素は少ないが、ジョー教授にその役割を与えたり、サンチェスのアジトに爆弾を仕掛ける際に、彫刻の胸を掴んだりといったさりげない工夫はされている。
[DVD(字幕)] 8点(2006-11-28 22:45:10)(良:1票)
111.  ソウ3 《ネタバレ》 
本作の鑑賞の前に是非ⅠとⅡの予習をしてから観て欲しい。自分は予習をしたので、とても楽しく充実して本作を鑑賞することができた。 Ⅱで感じた自分の疑問点などに対してきちんと回答が用意されているのが嬉しい。Ⅱの成功を受けて、Ⅲの製作が決まったということから、Ⅲを前提にしてⅡは創られていないのである。穴というか矛盾が多かったⅡを逆に利用するところが製作者の頭がキレルところだ。演出力も前作よりも格段とパワーアップしている。 本作のゲームの構造は、①ジェフが息子の死に責任がある者を赦せるかというゲーム、②リンがジグソウをゲーム終了まで生かせるかというゲーム、③ジグソウとアマンダのジグソウとしての資格を問うゲーム、④ジグソウとジョン(ジグソウ)のゲームという4つのゲームで成り立っている。 ③のゲームはⅡの疑問点を受けている。生き残るための道は残されるべきというゲームのルールを守れるのかをアマンダに説いた。ジグソウのゲームと単なる快楽殺人とは全く違うということを明確に示している。本作の冒頭の二件のゲームも前作同様に答えも逃げ道も用意されていないのが特徴になっている。 特に、④のゲームが興味深い。ジグソウは「ゲームを通して人を変えることができるのか」、「ゲームによって人の生き方を改めることができるのか」というゲームを自分に課したのである。自分が行ってきた数々のゲームは「生」の喜びを享受しない人々に対して果たして意味があったのか、ということを自分に問うたのである。アマンダは確かに生まれ変わったようにもみえたが、本当に彼女の生き方を変えることができたのか、逆に間違った方向に導いてしまったのではないかということをジグソウは自問したのではなかったか。 この問いに対する答えは明確なものだった。「人は変わらない」ということだ。一時の感情に支配され、愚かしいまでに過ちを繰り返すことが「人間の本質」ということをしっかりと描かれている。本作を鑑賞し終わった後は、我々はジグソウに向かって心の中でつぶやくだろう。「ゲームオーバー」と。 彼もこの答えは知っていたに違いない。「保険のために用意していた」というテープが流れるが、テープを用意するということは、このゲームに自分が勝てないと知っていたからではないか。 このシリーズはこれでもう完結させた方がこのシリーズのためにも良いような気がしたが、どうだろうか。
[映画館(字幕)] 8点(2006-11-20 20:43:20)(良:4票)
112.  カポーティ 《ネタバレ》 
小説「冷血」は未読。せめて映画「冷血」は観たかったが、常にレンタル中のため、待ちきれず本作を鑑賞することにした。読んでおくにこしたことはないが「冷血」を知らなくても、なんとか本作は十分鑑賞できるのではないか。 本作の主眼は、事件の真相というよりも「人間の内部に潜む冷酷な二面性」だろう。カポーティは、ペリーに近づき、親身になって友人として振る舞うことによって、小説のネタにするための事件の真相を探ろうとしたに過ぎない。徐々に、彼の心の闇を垣間見てしまうとふいに気付いてしまう、彼は自分自身と同じであると。「表出口から出て行ったのが自分で、裏口から出て行ったのがペリーだ」と気付く。一方は、賞賛される人気作家であり、他方は、死刑が待ち受ける犯罪者であるが、その根っこは同じである。人々から、奇異と受け止められ、周囲から疎まれ、誰からも自分のことなど理解してもらえない。ゲイの恋人はいるものの、真の意味で通じ合っているわけではない。カポーティは自分自身しか愛せなかったからだ。そんなカポーティに、真の意味で通じ合えたのが、家族から愛されず、理解もされないペリーだ。彼は、どんな日常生活よりもペリーと過ごす時間の方がくつろげたはずだ。自分自身しか愛せなかったカポーティが自分と同視できる存在と向き合えるのだから。 そんな心の安らぎであるペリーに対して、誰よりも死を待ち望んでいるのは、紛れもなくカポーティである。4年もの歳月を費やした小説を完成させるためには、彼らの死がなければ始まらない。本作のポスターのうたい文句にもなっていたが、まさに「彼の死を恐れるとともに、彼の死を望む」という状態である。カポーティこそ「冷血」であることは間違いない。クリスクーパーの「事件を起こした犯人が冷血なのか、それともそれを描く作家が冷血なのか」という問いかけは見事としか言いようがない。 そして「助けることができなかった」と嘆くカポーティに「助けたくなかったんでしょう」と言い放つネル。ネルでさえもカポーティの二面性に傷つく心を理解できず、彼は一層立ち直れないほどに孤独になっていく。 この矛盾するような感情を抱え、精神が徐々に蝕まれていく様子を、見事にホフマンが演じきっている。彼のアカデミー主演男優賞には全く異論がない。ただ単にカポーティの仕草を似せたのではなく、内面までも深く演じきっているから素晴らしいのである。
[映画館(字幕)] 8点(2006-10-16 22:12:38)(良:1票)
113.  アンタッチャブル 《ネタバレ》 
論理的な理屈で映画を構成して知性や感情に訴えるというよりも、派手で記憶に残りやすいシーンを多数用いることで、視覚に訴える作品となっている。 比較的重いテーマであるにも関わらず、2時間以内に収めて、万人向けの軽めの映画に仕上げている。本作のような映画は、スコセッシやコッポラには創れない映画だろう。 キャスティングも実に絶妙だ。コネリー、デニーロ、スミス、ガルシア、殺し屋など、見た目だけで既に、どんな人物かということを言い表しているだろう。 また、バットで仲間を殴り殺すという衝撃的な映像をワンシーン描くことで、カポネの残虐性や性格を瞬時に観客に伝え切っている。 コネリーも流石だ。正義感の強い情熱的な警官を熱演している。ネスに対する指導者っぽい接し方には厳しさとともに、彼の歴史・誇りの高さを感じさせる。警官としての誇りをワンアイテムに託したのも分かりやすくなっている。 ラストを観るにあたり、エリオットは、この戦争において、何を得たのだろうかと思わざるを得ない。「アンタッチャブル」メンバーを二人失い、当初「法の遵守」を標榜していた彼も、最後には法を犯して、殺し屋を突き落とすという行為に走り、カポネを有罪にするためには「はったり」をかますという、なり振り構わぬ姿が描き出されている。そこには財務省特別捜査官という姿はなく、感情を剥き出しにして戦う戦士のような姿である。家族を危険に晒して、自らの信念も曲げて、行き着いた先はカポネの有罪であるが、彼らはいったい何を得たのか。 カポネの有罪と、禁酒法の撤回により、10歳の少女が巻き込まれるような争いはなくなり、シカゴの街に秩序の回復が図られたと考えてよいのだろうか。やや、ラストの締めの工夫に物足りなさを感じる。 さらに、ちょっと気になったのは、デパルマらしくないなということである。何が足りないのだろうと思ったら、本作にはデパルマ作品に必須な「女性」が足りないのではないか。 しかし、よくよく思い起こしてみると、ウォルシュ殺害の前にエレベーターから美しい女性を降ろしたり、ネス夫妻の夜の会話において、自宅で仕事に取り掛かろうとするエリオットに対して、「ブラッシングして欲しいの」と妻がエリオットに頼み、しばらくすると第二児が誕生しているのをみると、やっぱりデパルマらしさは随所に出しているのだな、とも感じさせる。
[DVD(字幕)] 8点(2006-10-04 21:55:15)(良:1票)
114.  市民ケーン 《ネタバレ》 
本作が長い映画史において燦然と首位に輝く最高の傑作とは思えないけど、高い水準にある映画であることは間違いない。 まず、映画の構成がとても独創的であると感じた。スーザンがザナドゥでジグソーパズルをやっていたと思うが、本作こそはまさに「ジグソーパズル」ではないか。観客は、示されたいくつかのピース(ケーンの人生の断面)を与えられ、ケーンの人生像を探ろうとするものの、ジグソーパズルの全体像(ケーンの人生像)は最後まであまり見えてこない。しかし、最後のワンピースである「ローズバド」が観客に示されると、とたんにこのジグソーパズルは完成するという仕掛けになっている。観客は鑑賞中に、ケーンというジグソーパズルを完成させるという脳内での作業を強いられるわけであり、頭脳を使わなくてもよい、ただのハリウッド映画とは性格を異にする映画である。そういう意味においても、万人が好評価できる万人向けの映画とは思えない。 ストーリーに目を向けると、「ローズバド」によって明らかになったケーンの人生は、悲惨なものだった。金によって欲しいものは何も買うことはできず、金によって必要なものは失われていき、金によってますます孤独になっていく(ザナドゥの城のように)。人を愛そうとしても愛することができず、人や市民から愛されたいと願っても愛されることはなく、すべて自分本位でしかいられなくなった。大金を有したことによって人生が狂わされていく。 もっとも悲惨なのはスーザンに対するケーンの対応ではないか。 スーザンに対してケーンは金の力を利用して、彼女の望まない人生を歩ませる。これはまさにケーンが後見人のサッチャーなどからされたことにすぎない。ケーンは自分の力で歩むことができなかった人生に対して怒りを感じていたにもかかわらず、愛そうとした者に対して、同様のことをさせることしかできなかった…そういう愛情の方法しかできなかった、知らなかったのである。この矛盾こそ、ケーンの人生を一番明らかにしているだろう。スーザンに歌を止めさせようとしなかったことも、知事選に負け、ジャーナリストとして道を外してしまった自分の(勝利を確約されていたはずの)人生の負けを認めたくなかったからなのだろう。大金を掴んでしまった故に、悲惨な人生を歩むざる得なかった、とても哀しい、寂しい男の一生がきちんと描きこまれていた点において本作は評価せざるを得ない。
[DVD(字幕)] 8点(2006-10-01 15:40:00)(良:2票)
115.  カリートの道 《ネタバレ》 
「スカーフェイス」とは関係ない映画だが、「スカーフェイス」のトニーモンタナを、逮捕前のカリートとダブらせるとより楽しめるようになっている。モンタナは常にイライラした感じで、「ファック」を連発していたが、カリートは、感情を抑えて、控え目で、かなり落ち着いた印象である。自己を冷静にみつめ達観した様子も伺えるが、「筋」だけはきちんと通す「古いタイプの男」がそこにいる。 「殺し」についてはカリートは美学を持っているようで、「殺そう」と思って殺すのではなく、「殺さないとこちらが殺される」から殺すというもの。冒頭の甥っ子の仲間とラストのマフィアでは躊躇なく殺しているのがカリートの生きる道である。 それにしても、アルパチーノが、この世界から引退して、バハマでのレンタカー屋を夢見る中年オヤジを好演している。「スカーフェイス」とは全く違う演技だ。やはりこの演技力には唸らされる。 「カジュアリティーズ」でもデパルマと組んだショーンペンもテンパッた弁護士を好演している。彼の存在によって、本作はさらに輝きを増したといえる。 そして、監督デパルマの職人芸が相変わらず冴えに冴えまくっている。カリートとマフィア4人組との「追いかけっこ」はまさに必見というしかない。階上にいたカリートを映していたカメラマンが自らエレベーターを降りて、マフィアたちを映すシーンの、計算し尽されたスムーズさには、感嘆し、驚愕せざるを得ない。 本作で議論になる点としては、冒頭にカリートが死ぬとネタバレしているところだろう。 カリートが死ぬと分かりながら、本作を観る「効果」としては、「カリートの夢に向かう努力は報われず、すべてまさに夢に終わると知っているから、彼の行為はどこか儚くみえるのだろう」と監督は考えたのだろうか。 しかし、その効果はあまり高くはないと思う。冒頭であのような結末を描くのではなく、「彼の夢があと一歩で叶う」と観客に思わせておいて、寸でのところで断ち切られるという虚しさや、そんなに簡単にこの道からは抜け出せないという、この世界の深さを感じさせた方がよかっただろう。 クライマックスを冒頭で示して、フラッシュバックして過去に戻るという手法が多くの映画で取られているが、流行の手法だからという理由だけでやっている場合があると思う。本作のストーリーを踏まえると、この手法は明らかにマイナスといえるだろう。
[DVD(字幕)] 8点(2006-10-01 15:26:32)(良:2票)
116.  スカーフェイス 《ネタバレ》 
2時間50分という長尺だけれども、その長さをまったく感じさせなかった。トニーモンタナの人生をきっちりと3部に分けて、飽きさせることなく描き切られている。 第一部は「チンピラから成り上がりまで」、第二部は「ボスとして伸し上がり、盛隆を極めた日々」、第三部は「落日」という感じだろうか。きっちりとストーリーが時系列に、かつドラマテッィクに流れていくから、飽きないのだろう。 これらを通じて感じたことは、「チンピラは、金を得て、権力を得て、女を得たとしても、やはりチンピラでしかない。」ということだ。チンピラという言葉は、トニーモンタナには失礼かもしれないいかもしれない。彼はトラみたいな猛獣のような存在かもしれない。決して群れることができず、周囲を信用することもできず、周囲を傷つけることしかできない。そんな孤独で哀しい男の「生き様」がしっかりと描き切られており、アルパチーノが見事に演じきった。まさにトニーモンタナという人間に完全になりきったような演技であった。アルパチーノのベストといってもよいのではないか。 そして、トニーモンタナの変化が痛々しくも描かれている。「びびったら心臓に悪い」と言いつつも、セキュリティを完備した「城」に立て篭もり、「信頼とガッツが自分の取り柄」のようなことも言っていたが、徐々に人々から「信頼」が失われていく。「世界をこの手におさめる」という「夢」を追い求めるものの、自分の「ファミリー」すら手中におさめることはできず、結局「金」に溺れ、「権力」に溺れ、「ヤク」に溺れていき、破滅への道を歩んでいくしかなかった。 トニーは前々から、エルヴィラに対して「子供は好きか?」とか、「自分の子供を生んで欲しい」と言っていたから、幸せな家族に憧れていたのだろう。父親はおらず、自分の母親から罵倒され、非難される。そんなバラバラな家庭生活を送っていたから、「子供」や「妹」、「家族」に対して、固執したのではないか。エルヴィラとの間に子供さえできていれば…彼の生活も少しは変わったのではないだろうか。 映画の評価としては、7点くらいかなあと思うけれども、アルパチーノの演技のおかげで、深みのある素晴らしい映画に仕上がったので、もう1点追加して、8点としたい。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-26 00:01:39)(良:2票)
117.  カジュアリティーズ 《ネタバレ》 
原題は「Casualties of War」である。直訳すると「戦争の犠牲者達」という意味だろうか。 一人目の犠牲者は、紛れもなく「ベトナム人の少女」だろう。 戦争である以上、兵士同士が殺しあうことはこの際問題にはしない。また、民間人であっても爆撃によって巻き込まれることもあろうが、今回のケースはそれとは全く次元を異にするものだ。無実・無害の農村の少女が、拉致られた挙句に無惨に殺害されるというものである。まさに「戦争による狂気が生んだ犠牲者」である。 二人目の犠牲者は「エリクソン」だ。 「善悪」という倫理の境界線が崩壊した中で、一人「善」を主張し、正しいことをしようとしても、仲間からは疎まれ、告発したとしても誰からも相手にされず、一人絶望的に孤立する。「悪」に対して立ち向かおうとしても、「戦争」の前に阻まれ、助けることはもちろん、何もかもできない無力感を思い知らされる。たとえ、告発に成功したにせよ、彼女の命は戻らない、無力感も消えることもなく、復讐に怯えることになるだけである。エリクソンもまた一人の犠牲者だろう。 三人目の犠牲者は「ミザーブ他」だと思う。自分には、彼らこそ本当の意味での「戦争の犠牲者」ということを感じずにいられない。ミザーブは冒頭では、エリクソンを助けたりもする立派な兵士である。プラトーンでいうところのエリアスのような存在だ。しかし、戦友の死を契機にして、虚無感によって倫理観が崩壊し、命の重さを感じられなくなり、魂がどんどんと腐っていったのだろう。プラトーンでいうところのバーンズのようになっていった。ミザーブに同情はできないが、明るいリーダーシップを発揮するような普通の青年だったはずが、あのような行動を平気でできるほど堕落してしまったのは、「戦争による異常な空気」のためなのだろう。 エリクソンの周りをウロチョロしていた若い兵士が死んだとき、この映画を観ている人はどう感じただろうか。自分は「間抜けなアホが死んだな。」と死んで当然のように思っていた。しかし、よくよく考えてみると、一人の人間が死んでいるという重要なことが感じられなくなっていた。自分も「戦争」という「空気」によって、命の重みを感じられなくなっていたのだ。映画ですらそうなのだから、実際の戦場では人の命はアリの命のようなものだったのだろう。あのシーンの意味・重みが後から伝わってきた。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-23 23:51:58)(良:2票)
118.  ミッドナイトクロス 《ネタバレ》 
ブライアンデパルマの作品群の中で良作の一本だと思う。 まず、設定がかなりユニークなのが良かった。「音響技師」が主役というのは珍しいと思う。「音」がキー(鍵)になる映画というのも、あまり見かけたことがなかったので、とても新鮮味があった。たまたま録音された「音」が徐々に事件の全貌を明らかにしていく様は見事である。 その描き方もなかなかリアルであり、凝った感じに仕上げられており、普段感じることがない音響や効果について学ぶこともできる。 ラストにナンシーアレンの悲鳴を作成中のB級映画に用いたのは賛否があろうが、個人的にはかなり良かったと思う。あの時のトラボルタの心境としては、自分に対する一種の「戒め」の意味が強いのではないかと感じた。 以前にオトリ捜査で失敗して、刑事を死なせているという過去を持ち、今回も再び失敗して人を死なせてしまった。しかも今回はただ人を死なせただけではなく、自分の愛する女性であり、自分に対して悲痛なまでも「救い」を求めた女性である。 あのときの「悲鳴」は決して彼は二度と忘れることはできないだろう。二度と耳から離れることはないと思うが、それ以上に己に対する「責め」を課したように感じる。どんなに忘れたくても忘れられない方法で、なおかつ絶対に消したくても消せない方法で、あの「悲鳴」を自己の作品に留めることによって、彼女を救えなかったという「罪」を一身に背負おうとしたのだろう。あのB級映画を二度と観なくても、映画界に席を置いている限り、その「罪」から逃れることはできない。たとえ映画界から離れたとしても、彼が生きている限り、やはり逃れることはできないと思う。救えなかった「罪」を一生背負い続け、生き続けるという決心を彼はしたのだと思う。 そして、本事件の真相は必ずしも明らかにならなかったことも逆に良かったのではないか。知事の死は単なる事故として処理され、知事の殺人犯は返り討ちにあった連続殺人鬼の死として幕を閉じる。 様々な事件はすべて闇へと葬られていくが、これら事件はひとつの「悲鳴」という形に結晶化され、事件の一端を物語ることになるという儚さが、美しい花火と対比的に描かれている。さらに、トラボルタの悲痛な表情やセリフ、流れる音楽が「後味の悪さ」に輪を掛ける。なんとも表現のしようのない独特の感情は他の映画では味わえないものだろう。こういった映画は高評価したい。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-21 00:01:30)(良:2票)
119.  スネーク・アイズ(1998) 《ネタバレ》 
表面上のストーリーだけを評価すれば5、6点程度の映画なのかもしれないが、デパルマ監督の卓越した手腕を見せつけられたことにより、個人的な評価が随分上がった。8点はちょっと高すぎかもしれないが、デビットコープの大した事のない脚本を高レベルの映画にきちんと仕上げた点を評価したい(コープ脚本の「パニックルーム」を高レベルの映画に仕立てたフィンチャーと同様)。 ポイントはなんといっても、冒頭ちょっと過ぎからの「長回し」だろう。100分未満の映画にも関わらず10分以上をワンショットで撮ってしまう技量には驚愕する。その他にも分割画面により同時並行にストーリーを進め、緊迫感を高めたり、同じ場面を色々な角度から描いて、全貌を徐々に明らかにしたり、仕切られたホテルの部屋の上からカメラを動かしたりと、デパルマ監督の演出が冴えわたった見事な作品に仕上がっている。 ニコラスケイジも役になりきった演技が好印象だ。決してヒーローでもない安っぽい小悪党役が彼にハマッタ感じがする。金への誘惑などに対する「心」の揺れをタバコの手の揺れで表現しているのもベタであるが、分かりやすくてよかった。決して100万ドルの男ではなくて、血塗られた100ドル程度の男(汚れた安っぽい男)なんだよ、あのニコラスケイジの役は。 シニーズも好演している。彼は部下を見捨てて溺死させた過去によって「命」の重みに対して不感症になってしまったのだろう。数万の命のために数名の命を犠牲にしても厭わない「軍人」と、一人の命のために働くことが本分の「警官」の構図が面白い。また、親友同士の駆け引きも見所の一つになっている。 ラストではシニーズは自害し、ニコラスが親の一人勝ち(スネークアイズ)をしたかのように見えたが、実はそうではなかった。一躍「英雄」に祭り上げられるものの、汚職が次々と明らかになり(高級車に乗り回す)、「別荘(刑務所)」に行く破目になる(刑期を終えて真人間になったらジュリアはまた逢いましょうと言ってキスをする)。結局、親の一人勝ち(スネークアイズ)をしたのは、事件の全貌が闇に葬られ、予定通り建設を進めるパウエルであったと、ラストの宝石(赤毛の女が嵌めていたもの)が告げている。そういうオチにするんだったら、もうちょいパウエルにもスポットを当てても良かったかなとは思うが、真の悪人は捕まらないという一種のメタファーなのかもしれない。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-14 21:13:41)(良:1票)
120.  ターミネーター 《ネタバレ》 
冒頭のSFシーンをみて「さすがに20年前の作品で低予算だから、ちゃちぃなぁ。これでは高得点は付けられないだろうな。」と思いながら鑑賞をし続けていたら、あっという間に世界観に引きずり込まれた。 見方によってはムチャクチャなストーリーかもしれないけれども、ストーリーも意外ときちんとした論理的な武装(パラレルワールド以外)がなされていると思う。 自分の長年の疑問だった「なぜターミネーターが一体しか送られてこないのか?」という問いにもちゃんと答えが用意されていることが新たな発見だった。 「なぜ有機体しかトランスポートできないのか?」「有機体しかトランスポートできないのにロボットがなぜトランスポートできるのか?」という問いに対して、「細かいことは俺にも知らん」と答えてしまうところにはキャメロンの大胆さも窺われる。 本シリーズの魅力としては大きく三点ほどが挙げられる。 ①『大胆な世界観』SFでありながら現代社会で争いが繰り広げられる構図がユニークだ。まだ見ぬ未来の息子のために、トラブルに巻き込まれていく悲劇には、体験したことがない不思議な共感を覚えるだろう。 ②『悲劇のヒロインから戦士への変化』最初は、リースや警察に保護されるだけのヒロインであったが、徐々に「逃げちゃだめだ。戦わないと自分の運命と!」と自己の運命を受け入れて、カイル以上に勇ましい戦士へと変化していく様には、まさに「サナギから蝶へ」と変化していくような不思議な感覚を覚えるだろう。ただのブサイクな姉ちゃんと思っていた存在から、惹かれる魅力的な女性へと変化していく過程は面白い。 また、リースと抱き合った後に一瞬二人がふざけ合うカットが挿入されているのも見逃せない。二人の関係は成り行きまかせのものではなくて、ちゃんと愛し合う二人の結果ということが分かる重要なカットだと思う。 ③『観客を飽きさせないしつこさ』ストーリーを知っている者でさえもこのしつこさには興奮させられ、刺激的に感じるだろう。それとともに、ロボットのしつこさ、怖さ、おそろしさが非常に上手く表されている部分である。与えられた使命のためには、手段を選ばず、完全に破壊されるまで任務を遂げようとする姿には、未来の機械への恐怖を感じさせる。
[DVD(字幕)] 8点(2006-08-30 23:26:28)
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