Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
投稿日付順12
変更日付順12
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  蜘蛛巣城
おそらく映像美としては黒澤最高作だろうが、これ音もいいんだよ。旗さしもののパタパタいうのから、矢の突き立たる音まで、なんというか、中世の渋い音が満ちている。一番はマクベス夫人の衣擦れの音ね。主人殺しの槍を持ってくるとことか、ほんとに音だけで怖い。浪花千栄子の魔女の声もある。『羅生門』の巫女でも男声を使ってたが、ああいう効果がある。演出としては、モノノケの家がワンカットの間に取り除けられる、なんてのをやってた。マクベス夫人の視線の演出も凄い。話し相手には向けられない。いつもどこか虚の一点を見詰めている。旦那の目を見てものを言うのは「酒を見張りの者たちにつかわそう」と、言外の意を含んでいるとき。真意を眼で告げているわけで、「企む女」の演出がここにキマる。謀反の瞬間は、夫人の所作のみで見せていた。ほとんど舞いである。黒澤の能好きが一番生かされたフィルムで、異なる芸術分野がひとつの作品に理想的に結晶した稀有な例であろう。
[映画館(邦画)] 9点(2012-11-06 09:59:00)(良:1票)
2.  草迷宮
おそらく寺山が一番自由にイメージを氾濫させた作品。一応構造みたいなものを取り出してみると、母の記憶の代表として“失われた手毬唄”があり、青年になって自由を得た代わりにそれを失った、ってなことか。でもこの映画の魅力はあくまでイメージの輝き。たとえば「毬」の球体が繰り返されていく。ときに囚人の重しとなり、ときにガラスの浮き(?)となり、子さずけ石、スイカのバケモノ、さらにはらんだ母の腹へとつながっていく。球体という「何かを包み込む・囲い込むもの」が反復される。最後の魔の跳梁は、スラプスティックぎりぎりで、若松武が刀を振り回したりするが、シラけないのはユーモアでフェイントを掛けてるから。女相撲の土俵入なんか絶品でしたなあ。あそこに母の首があるので、魔の勝どきのような凄味も加わり、その首が「いつまでもお母さんの子よ」とか言うんだよね。逃げても逃げてもお前をはらみ続けてやる、って感じか。鏡花のモチーフに寺山のテーマが被さっていく。「母・故郷・記憶」との闘争史であり「母・故郷・記憶」からの逃走詩。主人公を誘う少女の手毬の身振りが凄くエロチックで、右手で毬を突いてて(くっついてる)左手は後ろに跳ね上げるような仕種。ああいう細かな動きの正確さは、演劇人としての鍛錬のたまものだなあと思う。二人がかりでものを運ぶ、ってのも繰り返されてた。祭のような苦役のような。
[映画館(邦画)] 9点(2012-11-01 12:39:24)
3.  くちづけ(1957) 《ネタバレ》 
なんで川口浩と野添ひとみのカップルに感動してしまうのだろう。今観てもみずみずしい。オートバイすっ飛ばして江の島へ走るとことか、ローラースケートとか、水着の撮影会のスケッチとか、当時みずみずしかったってより、そういったものをちょっとおかしがって捉えてるってこと自体がみずみずしいんじゃないか。カッコよく爽やかなはずの青春が、選挙違反とか公金横領とかつまんない犯罪者を家族の中に持ってることで屈折を持つのが本作のユニークなとこで、ユーモアにもなっている。メソメソしかけてもそれをユーモアに捩じ伏せてしまう。「また小菅で会おうぜ」がいいやね。哀れみを受けるのだけはヤだ、という女の子の強さがこれからの監督の一貫したモチーフになっていく。ヒロインの惨めな気分を描くときはとても優しい。ナプキンの住所を電話帳に挟んだままにしといて観客をヤキモキさせるあたり憎い。住所探しがどんどん真剣になっていくところが見せ場。工事現場が美しい。簡単なトロッコ用の斜面が奥へ続いていて、ザラザラしたコンクリートの感触。こういうみずみずしさの発見も新鮮だったのだ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-05-06 11:58:07)
4.  黒い画集 あるサラリーマンの証言 《ネタバレ》 
児玉清が学生役、当時は小玉と表記していたのか。日本映画がお得意とした小市民ものの陰画のような作品で、小市民がそのささやかな地位を保身するためには、他者に対して最も残酷になれる、ってな話だ。あの男は真犯人が見つかれば助かるけど、こちらは浮気がバレれば破滅だ、と主人公小林桂樹が破滅の場面を妄想していくあたりの心理は、だれでもぐっとリアリティを持って迫ってくるのではないか。小市民映画は、そうそう、と自分たちの暮らしを微笑ましく振り返るものが多かったが、これは、あるある、とぞっとしながら振り返る小市民映画。小林がアリバイづくりのために映画を見たことにする訓練、インディアンが駅馬車を狙っておりました、と内容を頭に叩き込んでおくと、客の入りを訊かれてドキッとさせられたりする。そうまでしても、けっきょく彼はささやかな一家団欒の多摩動物園へは行けないのであった。東宝の名脇役、織田政雄が、その“影の薄い実直さ”を充分に発揮した代表作でもある。
[映画館(邦画)] 8点(2009-01-06 12:23:14)(良:1票)
5.  黒い十人の女
ファーストシーン、光と影のサスペンスであると同時に、女がぞろぞろと歩いているどうしようもないおかしさ、見てるほうとしては、まだどういう設定か分からないんだけど、市川さんの映画だなあ、とシミジミ思わされる。働く女性ってのがかなり定着してきた時代(翌年に鈴木英夫の『その場所に女ありて』)。それまでの養い・養われる、という男女の定型が崩れ出してきた。これ見ると、男のほうは仕事の手順忘れていたりして、女のほうがギラギラ働いている。なのに男にはまだメンツがあって、そこらへんに悲喜劇が生まれる。あるいは、女は男によく優しさを求めるけれど、優しい男とはこういう残酷もある、って言っているのか(「誰にも優しいってことは、誰にも優しくないってことでしょ」)。でそれを上回る残酷を、女が優しさとして発揮した、というストーリーなのか。とにかく和田夏十のそのシニカルさを徹底した視線が感じられる。宮城まり子の存在が、ちょうど『鍵』の北林谷栄を思わせ、ゴタゴタやってるのを外から見る者としての役割りを担っていたよう。最後に二人が自閉的に籠もってしまうってのは、なんとも不気味。二人で向かい合って喋るシーンが多かったなあ。
[映画館(邦画)] 7点(2012-09-24 10:21:01)
6.  雲ながるる果てに(1953)
特攻出撃前の躁状態にリアリティを感じた。無理にでも気持ちをそう持っていかねばならない。木村功が鶴田浩二に「本当に悠久の大義のためなら死ねるのか」と言っていたのに対する否定的な見解が、この躁だ。学徒兵に対して「役立たず」と罵っておいてから、軍神に祭り上げていこうとする軍上層部のたくらみ。何か役に立ちたい、自分の存在(死)に意義を見つけたい、という若者の気持ちをうまくつかむわけだ。特攻というアイデアを生んだ者の眼には、観覧車から地上を見下ろすO・ウェルズのように、兵士たちが見えたのだろう。ましてみんなが同じ軍服を着ていれば、それは数でしかなくなるし、軍服を着せられた兵士の側からも、役に立ちたいという衝動が湧き上がってくる。「また美談が一つ増えましたな」とか「今日は二割ぐらい当たるかな」といったいささか露悪的な発言も、こういう異常な戦法の異常さを際立たせてくれていた。あの傷ましい躁を経てまで散らされていった彼らを、後世の私たちは美談にしてしまう無礼だけはしてはならない、と思う。
[映画館(邦画)] 7点(2012-08-30 10:03:22)
7.  くもとちゅうりっぷ
極小のデリケートな世界に閉じ籠もり、その繊細さに心を合わせ続けることによって、心地よい緊張感が持続できるアニメ。雨やしずくや波紋など、水の描写が素晴らしい。戦争の暴威が荒れているなかで、必死にデリケートな狭い世界に閉じ籠もっている。この蜘蛛や嵐にいろんな象徴を当てはめてみることも可能だろうが(そしておそらく当局への製作理由には、それらしい意義が述べられたのだろうが)、これはおそらく現実逃避の作品だろう。戦意高揚がないのは当局への抵抗ではなく、作家の資質がこういう作品しか作れなかったのではないか。そういう状況が作家の世界をより純粋に煮詰めたということはあるかも知れない。アニメ一般としてみたとき、力作ではあるが、この繊細さは脆弱さにもつながり、もうちょっと生命力のようなものが欲しい気がする。少なくとも当時の子どもは、この狭いデリケートな世界より『桃太郎の海鷲』のほうを面白がっただろうな。
[映画館(邦画)] 7点(2012-05-09 09:34:22)
8.  紅の豚 《ネタバレ》 
主人公の変身が、ストーリーの芯にはなってないですよね。人間界に愛想を尽かしたことは分かるけど、なぜ豚なのか。かっこよくなってしまうことへの照れなんでしょうな。でもこのダンディズムより少女フィオが出てきてからのほうが宮崎さんらしく感じられる。無骨な男どもが家来になっていくパターン。女たちだけの工場で木製の飛行機が作られていく、ってのは、考えてみれば宮崎さんのモチーフだらけなわけだ。見せ場としては町の水路から飛び立っていくところもいいが、やはりゆっくりと昇天していく友人たちの飛行機のシーン。亡霊飛行機たちが銀河のような流れを作って。「昇天」ってのも、『ラピュタ』のラストとか宮崎さんの重要なモチーフだった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-02-24 10:13:39)
9.  くちづけ(1955) 《ネタバレ》 
第1話。いいなあ昭和30年の青春。肯定の精神。この手の朗らかさは今やるとシラけちゃうだろうが、やっぱり映画ってのはその時代固有の条件の中で生まれてくるものなんだなあ。だから時代の記録にもなるんだ。第2話。女湯でたてた波が小泉君のほうへ伝わっていくとこなんかよかった。第3話。オムニバスのリズムとしては、2と3入れ替えたほうがいいかもと思ったが(このコント的な味は中間部にふさわしい)、でもやっぱ監督の序列があるんだろう。『浮雲』の年で、肩の力を抜いた成瀬が楽しんで撮ってるような感じが好ましい。前の道をホッケの太鼓やチンドン屋がちゃんと通る。これで一番記憶に残ってるのはラストの八千草薫で、美貌の女優さんなら誰でもいいようなもんだけど、あの人のどこか非現実的な笑顔がピタリ合ってる。あの女優さんは、けっこう気のふれた人とか、ちょっと現実とずれた人やることが多いでしょ。「男はつらいよ」シリーズで一番最初にパターンを崩したのも八千草さんだったし(あれはシリーズ中でもかなり好きな一本)、ああいう役を観客に納得させて演じられる貴重な人。本作の一瞬の登場も、そういう彼女のキャラクターがあって、オチとして実にフンワリと心地よく決まる。
[映画館(邦画)] 7点(2010-09-22 09:56:37)(良:1票)
10.  クイック&デッド 《ネタバレ》 
早撃ち大会トーナメントという趣向。つまり決闘シーンが繰り返されるわけだが、そこにいろいろ趣向を凝らすのが見どころ。最初は「立っていられなくなったら負け」だったのが「死ぬまで」にエスカレートしていく。タマが一発しかなくて相手が生き返っちゃったりとか、親子かも知れぬ、とか、その次々の趣向でけっこう見せちゃう。時計台のある広場で、死を刻み続けていた時計台がラストで爆発するのも正しい。そうそう、馬車につないでおいた悪漢が、車を引きずって生きているのもおかしい。ジーン・ハックマンが自分の影を見ると胸のところに光が丸く開いている、といった昔話やホラ話を語っているような調子の演出で、なかでシャロン・ストーンひとりが大マジメに演じていた。
[映画館(字幕)] 7点(2009-12-14 09:07:14)
11.  雲の上団五郎一座
戦後喜劇史の本によく出てくる三木のり平の「切られ与三」は、現在この映画でしか見られないらしい。その記録としてだけでも重要な映画となった。で、もちろん三木のり平はいいのだが、のり平の笑いを引き出す八波むと志(こうもり安)のキレの良さにうなった。脇でじれったがって悶える八波のツッコミが素晴らしい。初期の渥美清にもあった凶暴さを秘めた魅力。のり平と八波の芸質の違いが見事に噛み合って、掛け合いの笑いとはこうでなければならない、という見本のような出来だった。あと佐山俊二も懐かしかった。田舎から出てきて都会で戸惑ってるおとっつぁんというような、オドオドした笑い、この種の笑いを受け継いでいる人はいないのではないか。というより喜劇人という人種が表舞台から消えてしまっているんだな。由利徹はあまり出番がなく勿体なかったが、西部劇のならず者タイガーがまあまあ。これらベテランに対してフランキー堺も頑張ってはいたけど(弁慶でデタラメ言う、旅の衣はスズカケの~、がスズカケの小径になったり)、やはり長年舞台で鍛えた喜劇人の粘度と比べると、サラサラして感じられる。切られ与三とドドンパ・カルメンでは落差ありありだった。舞台上で十分に練り上げられた時間の蓄積の違いもあろう。劇中の一座の芝居のあまりのひどさに、小屋主のアチャコがヨイヨイになってしまう。「笑わせようとしてないのに客を笑わせてしまう笑い」を、芸達者な人々が見せるから芸のある笑いになるのであって、現在はこれがそのまま通っちゃってるからなあ。とにかく喜劇人俳優名鑑のような映画で、エノケンからフランキーまでの豪華な顔が一堂に揃って見られるだけでも、お得な作品です。 
[映画館(邦画)] 7点(2009-05-31 12:11:13)
12.  沓掛時次郎 遊侠一匹 《ネタバレ》 
股旅ものの根本思想には、組織は悪くて個人はつらい、ってのがある。渥美清はバカを通して殺され、心が通じあう個人と個人は対決せねばならない。一旗あげたい農村青年が「やくざは虫けらだが、百姓はもっと虫けらだ、どうせ死ぬなら羽根を広げて死にてえ」という言葉が重い。さらに家庭という組織もからんできてるわけだ。股旅ものならではの寂寥感が随所に見られるいい映画だとは思うんだけど、錦ちゃんの長谷川伸三大名作の中では、作品のうねりに不整脈みたいなギクシャクしたものが感じられて、私はちょっと不満が残るの。これよりは『瞼の母』のほうが、さらに『瞼の母』よりは『関の弥太っぺ』のほうが純度が高いように思え、私は好きです。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-20 12:15:59)
13.  グッドナイト&グッドラック
再現ドラマ的で、ニュースフィルムを使った部分の興奮を超えるところはなかったけど、時代の気分は味わえた。それはつまり赤狩り時代の気分であり、後世にとってはこの21世紀初頭の記録になっている(つまり赤狩り時代を検証したくなる社会情勢だったということ)。アメリカ映画はよくテレビ界をテーマにしており、単に映画界のライバルとしてのやっかみを超えて、大衆批判としての意義を持っている。あれは偉い。本作でも、ついにマッカーシーに勝った番組を持ち上げるものの、それもクイズ番組には勝てずゴールデンアワーを追われていくの。
[DVD(字幕)] 6点(2013-10-18 10:02:28)
14.  国東物語
この監督さんは、人が宗教感情を持つ瞬間てのに興味を持ってる人で、日本では貴重。菊池武治が修行をするあたりからが本題。びょうびょうとした感じがいい。シャリーンシャリーンという音が響く。人が土と一緒に生きてる仏教はひたすら歩く。それに対して大友宗麟のキリスト教は「父と子のように愛し合える国」を念じ始める。この対立をこそ描くべきだったろうが、うまくぶつからなかったような。後者の排他性が前者を潰していってしまう。もっともその後のキリスト教弾圧を私たちは知ってしまっているので、受け止めは複雑になる。この国には今さら「愛」という概念はいらないんじゃないか、ってのはもっと突っ込んで面白くなれそうなところだった。前半の父と子が疑い合っている状況が、キリスト教の教義「父と子と精霊と」と皮肉に照らし合わされる仕掛け。中央に人がこちら向きに座っている構図が好きで安定感がある。夜討ちを掛けるときのお面の効果などよいが、音楽が甘すぎた。合戦シーンには低予算映画の哀しみがしみじみと満ちている。
[映画館(邦画)] 6点(2013-09-03 09:30:23)
15.  沓掛時次郎(1961) 《ネタバレ》 
映画は原作から自由でいいとは思っているが、外せないポイントってのはあるはずで、本作では時次郎が三蔵を斬るのは外せないんじゃないか。この映画では一太刀浴びせただけで義理は済ませたと後は刀を納め、三蔵は悪い一家の連中に斬られる。主人公を殺人犯人にしてはいけないと配慮したのか。原作では母子が見ている前で斬っている。映画の作り手は“夫を殺したのは時次郎とおきぬが思い込んでいるようにしといたから、さして不都合はなかろう”と思っているようだが、主人公の「疚しさ」が任侠ものの世界では重要なわけで、カタギになろうとするのも、これがないと説得力が弱い。ただの「正義の味方」になってしまっている。悪玉の須賀不二男がおきぬを狙ってもいるという設定にして、悪辣ぶりを倍加し、主人公が渡世の義理に悩まないですむようになっている(この須賀さん、悪役の常連でありながら小津映画ではとぼけた味を出す常連で、不思議な役者)。雷蔵のいいのは粋なところで、おきぬと門付け唄をして回るあたりの世話に砕けた部分に味わい(カメラが極端な俯瞰の宮川一夫)。最期の呼びかけが「おきぬさん」から「おきぬ」になるのが、ラストの太郎吉の「おじちゃん」が「お父ちゃん」になるのに対応する。忘れたかったのだが、一応書いとくと、橋幸夫の歌が二つもはいります。親子旅の合い間に「沓掛時次郎」の1番2番、傷心で棚田の奥の白い一本道を行く美しいシーンのあたりでおそらく「浮名の渡り鳥」って別の歌がはいり、ラストで3番を歌い上げると、そこに女声コーラスがトキジロートキジローとエコーのようにこだまし、やけにモダンなフォントの「終」が出るのだった。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-08-04 08:57:51)(良:1票)
16.  クライング・ゲーム 《ネタバレ》 
「男が女を愛するとき」に乗って寂れた遊園地に入っていく導入よし。でまあ、だんだん犯人と兵士の間に友情が生まれてくるのが前半の見どころ。男と男の信頼いうか、自分を乗せた蛙を刺すサソリのたとえも意味深。秋の森のなかの疾走、友人同士のたわむれのようでもある。で後半、前半が男と男の心が打ち解けていくのを見せたのと対になるように、男と「女」の心の打ち解けあいを見せていく。兵士の影。しかし次第に性の混乱がドラマを濁らせてきて、彼女を男装させ、というか、彼を男装させ兵士の服を着せ、これはあの兵士への贖罪ってニュアンスがあるのかな。なんか私にとってはつかみ所をつかみ損なってしまった映画で、あの一点にポイントが掛かった作品に見えたが、脚本賞を獲ったというんだから、なんかもっと深いんだろう。しかしもう一度観賞というほどの魅力は感じられなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-07 10:26:14)(良:1票)
17.  クヒオ大佐 《ネタバレ》 
政治的なアメリカコンプレックス風刺の大枠を設定したため、観てるほうが方向づけされてしまって、せっかく俳優たちは好演しているのに膨らんでくれない。堺雅人のキャラクターを生かし、前半はひたすらうさんくさく、後半はそれに卑小さも交えて、クヒオを見てるぶんには楽しい映画。とりわけ見抜かれているにも関わらずたどたどしい喋りを崩さない後半のおかしさ。キョトンとした目がいい。あるいは見抜かれて自分の過去を話し出しても、また嘘が入り込んでくる映像と言葉との乖離のスリル(ここでレストランでの暴発の理由がわかる仕掛け)、と部分的にはより膨らんで受け取れる部分もあるのに、逮捕時の幻想で内野聖陽が出てきて、また政治レベルに縮小されてしまう。もちろん、大きなアメリカコンプレックスの一部分として政治を描いているのだろうけど(強請られてわざわざドルで払う)、最初と最後の両端にブックエンドのように重々しく政治を立てられると、それを越えづらくなってしまうのだ。それにしても、たどたどしい日本語って、なんであんなにうさんくさく聞こえるのだろう。これを詰めるほうが面白いテーマじゃないか。
[DVD(邦画)] 6点(2010-09-04 09:49:41)
18.  空気人形 《ネタバレ》 
最初は「人形の家」を人形で描く現代版か、と思っていたが、もっと広がって現代人一般の空虚がテーマらしい。心のうつろさ・常に誰かの代理であるむなしさ、みたいなもの。それは何となく分かるんだけど、広がりすぎて焦点を結べなかった印象も残る。周辺の「いろどりの人々」が、ちょっと作者の「ひとり呑み込み」的で、とっ散らかった感じになった。個々をもう少し明晰に描いてくれてもよかったんじゃないか、こっちの集中力が弱かったのかも知れないけど。他人に息を吹き込むことと、ろうそくの火を消すこと(生まれたことを祝うこと)という二つの息吹が重なるラスト。心の空虚を互いに満たし合おう、といったメッセージを読み取れる。青年が何の迷いもなく空気人形を受け入れるとこは感動した(破れの修理)。しかし、ビデオ店の店長(人形であることにも気がつかない)や、もとの持ち主(心を持ったことに戸惑う)との対応の違いに、ファンタジー内のルールがあることはあるらしいが、そこらへんがもひとつクッキリしてくれない、どうもルールを十分呑み込んでないスポーツを観戦しているようなヨソヨソしさが、最後まで残った。空気を注入されてあえぐ、ってのでは『田園に死す』の春川ますみの空気女のほうが先輩、あれもよかったなあ。
[DVD(邦画)] 6点(2010-08-10 09:56:59)
19.  鞍馬天狗 鞍馬の火祭 《ネタバレ》 
前作のラストで江戸へ走っていった鞍馬天狗が、舞台を変えてどんな活躍をするのか、と思って観たら、長州から帰ってきたところだ、って言って京都にいるの。そうか、そういう世界なのか。毎回完結で前作を引きずって観てはいけないのだった。ひばりは冒頭で天狗のおじちゃんを探しに長州へ歌いながら旅立ち、ラスト近くなって歌いながら戻ってくる、と出番は少ない。いろいろ仕事が忙しかったのだろう。それでもタイトルではアラカンの次に並んでいるのだから、当時の人気の凄さが分かるというものだ。ひばりファンは出番の少なさに、金返せ、と怒ったであろうな。そのかわり別の子役が歌を歌って人気を取ろうとしていたが、全然華のない子だった。でも活劇としては、前作のような山田五十鈴との恋模様がない分、良かったのではないか。行列を崖上から見下ろして登場するあたり、西部劇のノリで、馬が走るとそれだけでワクワクする。能楽堂での対決もリアリズムを離れてファンタジックな面白さ(順々に襖が閉まっていく)、庭での乱戦に移って、最後は川の流れから子どもを救うと盛りだくさん。恩師の牢獄からの救出、親王派公家の処刑寸前の救出と続き、悪玉から岸恵子を救い出す火祭のラストへと雪崩れ込む(火祭は10月22日の今日)。そりゃ、斬り捨てようとしていたひばりを次のシーンでは丁寧に縛ってて、行方を天狗に教えられちゃう、といった悪漢の側のトンマぶりには脱力させられるものの、まあこの悪玉、屈折したキャラクターだったから、それもいいではないか。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-22 12:11:40)
20.  クライマーズ・ハイ(2008) 《ネタバレ》 
ブン屋もの、ってのは、ちょっと前までは社会派映画の定番で、輪転機が回って大見出しが斜めに飛び出してくるシーンをよく目にしたものだったが、なんか久しぶりに輪転機を見た気がする。事故だ! さあ大変だ! と沸き立つ感じはやっぱり浮き浮きし、あの場に音楽を入れなかったのも正しく、こっちにまで興奮が伝わってくる。他人の不幸で堂々とイキイキできる職場だ。なのにその後、脇筋がチョコチョコと入り、これがせっかくの興奮を薄めてしまう。脇筋が絡むと主人公も暇そうに見えてしまう。いちおうそれらの脇筋も地方紙の職場をよりよく見せてはくれるんだけど、煩雑になり、そういうのは時間がたっぷりある小説にまかせておけばいい。職場内だけに話を絞る勇気が欲しかった。他社より早くスクープを押さえる、というブン屋のルールがはっきりとあるのだから、そのルール上で映画を勝負してほしかった。記者がノイローゼになるまではルール内の出来事だが、それを車に轢かせるとなると、やはり脇筋への脱線だ。現代編の山登りも、当然話の腰を折る。俳優ではでんでんが好演で、地方紙の職場はこんな人物が支えていそうだ、というリアリティがあった。彼は去年は『母べえ』の町内会長でも良く、ここんとこ大当たり。
[DVD(邦画)] 6点(2009-06-13 12:04:11)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS