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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  ドライブ・マイ・カー
僕は、コミュニケーションが上手くない。 決して「嫌い」なのではなく、上手くない。 日々の生活の中で、伝えたいことはあまりにも多いのに、それがあまりにも伝わらない。 そういうことが、ストレスや、怒りになってしまって、結果、コミュニケーションを避ける傾向にある。  幾つもの異なる言語が飛び交い、表現方法が入り混じり、過剰なまでの間接表現を散りばめてこの映画は紡ぎ出されている。 村上春樹の原作は、未読だが、作者の独特の文体とそれが織りなす物語の世界観も、この映画の或る種異様な空気感に直結していると思う。  この映画の中で繰り返し繰り返し表現されている通り、そもそも自分以外の人間のことを完璧に理解することなど不可能。 コミュニケーションの肝とされる「会話」にしたって、果たしてどれだけ相手のことを本当に理解できているか分からない。 劇中の演劇練習でも語られていた通り、世の中のすべての会話も、ただ自分の意思を一方的に伝えるための“きっかけ”に過ぎないのかもしれない。  多重言語による奇妙な作劇、セックス後の断片的な物語創造によってかろうじて関係を繋ぎ止めてきた或る夫婦、鏡越しに発覚する裏切り、車の中での直接目線を合わせない会話……。 映画を彩るすべての要素は、この世界における残酷なまでの行き違いと、コミュニケーションそのものの困難さ、そしてそれでも相手のことを知ろうとすることの重要さを物語っていた。  「本当に他人を知りたいなら、自分自身を見つめるしかない」  結局、本当のことを知り正しく理解できるのは、自分自身のことでしかない。 それは時に、億劫で、怖くて、困難なことだけれど、それをしなければ、伝えたいことが相手に正しく伝わることはないのだろう。 僕は、コミュニケーションが上手くない。けれど、自分自身のことを見つめるというプロセスは、人生においてとても大切だと思っている。今一度、自分が何を伝えたいのか、そのために何ができて、何をすべきなのか、少し落ち着いて考えていこうと思った。   幾重にも重なる多重表現、間接的表現は、必然的に映画の尺を長くし、テンポを鈍重にしている。 映画的な表現として、上手い映画だとは言えないと思うし、すべての人が正しく理解できる映画だとも思わない。 ただ、その長い長い鈍重さと、そこから生まれる分かりにくさや、もどかしさ、そして不意に訪れる人間の再生。それらをすべて含めて、3時間身を委ねてみる。これはそういう映画だと思う。
[映画館(邦画)] 7点(2022-12-15 22:23:34)
2.  透明人間(1954)
欧米では過去数十年に渡って幾度も映画化されている「透明人間」という題材。 その殆どが、SF作家のH・G・ウェルズ原作の映画化のようだが、日本でも「透明人間」という映画が存在していたとは知らなかった。  しかも1954年という公開年が益々興味深い。 1954年といえば何を置いても、「ゴジラ」第一作の公開年である。日本の特撮映画史におけるエポックメイキングと言える年に、特撮映画の一つとしてこの「透明人間」が製作されていたことは中々意義深いと思える。  第二次大戦中に秘密裏に存在していた透明人間部隊の生き残りの男を描いた悲哀は、時代的な背景も手伝って深いドラマ性を孕んでいる。 そして、その透明人間の主人公が、“ピエロ”の姿で“正体”を隠し、サンドウィッチマンとして生計を立てているという設定も、非常に映画的な情感に満ち溢れていたと思う。 (そのキャラクター的な特徴と立ち位置には、映画「JORKER ジョーカー」の逆説的な類似性も感じられ益々興味深い)  戦争における人間の功罪を、文字通り一身に背負う主人公の孤独と絶望は計り知れない。それでも彼が生き続け、守り続けた希望は、この時代にこの国で製作された映画だからこそ殊更に意義深いテーマだった。 “透明人間”という怪奇を映像的に表現した円谷英二による特撮も白眉だったと思う。 また、70年近く前の東京の風俗描写をつぶさに見られることも、時代を超えた映画的価値を高めていると言える。  この時代の特撮映画として不満はほぼない。 が、一つ不満があるとすれば、その後日本では「透明人間」という映画が殆ど存在しないことだ。  アメリカでは、1933年の「透明人間」以降、H・G・ウェルズの原作をベースにした作品だけでも4~5作品以上は繰り返し映画化が行われている。 それは、「透明人間」に関わらず、“ドラキュラ”や“フランケンシュタイン”しかり、古典的な怪奇映画の中では、時代を超えて普遍的かつ本質的な人間ドラマを見出せることを、映画産業としてよく理解しているからだと思う。  日本においても特撮映画隆盛期の1950年代から1960年代においては、今作以外にも、「ガス人間第一号」や「電送人間」「美女と液体人間」など、タイトルを聞くだけで印象的な数多くの怪奇SF映画が製作されている。 そういった往年の特撮映画を「古典」として、移り変わる時代の中で継承することができていないことが、この国の映画産業の弱体化の一因ではなかろうか。  今一度、今この時代の日本だからこそ描ける「透明人間」に挑んでもいいのではないかと強く思う。
[インターネット(邦画)] 7点(2020-11-09 22:55:34)
3.  ドラえもん のび太の魔界大冒険
“STAY HOME”なGWも最終日。我が家では、家族そろってドラえもん映画を観て午後を過ごした。  2007年公開のリメイク版「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~」は、適切な“改変”を含めて、1981年生まれのオールドファンも納得せざるを得ない良作だった。  改変ポイントは多岐に渡っていたが、それらの殆どが、オリジナルのストーリー性をきちんと踏まえた上で、F先生(藤子・F・不二雄)の原作漫画ですら描き切れていなかったウィークポイントを精力的に補っており、思わず感心してしまった。  特に、見事だったのは、パラレルワールドとして生み出された「魔法世界」の危機と並行して、現実世界においても地球規模の危機を描き、二つの世界が相互に影響しあっているというSF的な整合性を、極めて簡潔に表現していたことだ。 それにより、あの“フェイクエンディング”におけるのび太の決断の価値が殊更に高まっていた。  ただし、その一方で、オールドファンにとっては拭い去れない“物足りなさ”も存在していた。 それはずばり「魔界大冒険」ならではの「恐ろしさ」や「不気味さ」の欠落であり、言い換えるならば、「魔法」や「悪魔」に纏わる歴史文化に対するF先生の「趣向」そのものが薄れていたことに他ならなかった。  この1984年公開のオリジナル映画や、原作漫画(大長編ドラえもん)には、それらの文化に造詣が深いF先生ならではの魅力的な設定や造形で満ち溢れていた。 “実はゲストヒロインの○○だった”なんて裏設定など皆無で只々不気味で恐ろしい“メジューサ”をはじめ、肉食角クジラの恐怖や、帰らずの原の絶望感、魔界のハイエナ、人魚、大魔王の心臓等の印象的なビジュアルの数々には、F先生の“魔法(悪魔)愛”と、それに伴う独創性が詰め込まれていた。  そして、今回久しぶりにこのオリジナル映画を再鑑賞してみると、当時の録音技術ならではのくぐもったような音声と、それによる一つ一つの台詞までもが、自分の脳裏に張り付くように残っていたことに気づいた。 それは本作が、幼少時、VHSが擦り切れるくらいに何回も観たアニメ映画の一つであることの証明であり、そういった“感覚”の一つ一つを含めて、この映画の価値が揺らぐことはないのだろうと改めて思った。  それはもはや、オリジナルとリメイクのどちらが良い悪いという話ではないのだろう。 20数年の時を経て制作された二つの「のび太の魔界大冒険」は、両作とも原作をリスペクトし、精力的に生み出された優れたアニメ映画である。  30年来のファンとしては、自らの子どもたちと共に、それぞれの作品を楽しめるという「幸福」を、素直に噛みしめるべきだろう。    ああ、あとそれと、やっぱり最後の“銀のダーツ”はジャイアン(名投手)に投げさせなきゃね!
[ビデオ(字幕)] 9点(2020-05-07 22:40:16)
4.  ドラえもん のび太の宇宙小戦争
F先生(藤子・F・不二雄)の「スター・ウォーズ」好きは、「ドラえもん」に限らず彼の作品でモチーフにされていることからも明らかだ。  代表的なところで言うと、ドラえもんのエピソード「天井うらの宇宙戦争」は、登場するキャラクターたちの造形も完全に「スター・ウォーズ」のパロディであり、キャラクターたちが“小人”である設定は、本作「のび太の小宇宙戦争」に直結するものだった。 その他にも、“SF・異色短編集”に収録されている「裏町裏通り名画館」で登場する「ヌター・ウォーズ」は、オリジナルで言うところのストームトルーパーに“徴兵”される若者たちの悲しき青春を、第二次世界大戦の特攻隊になぞらえて皮肉たっぷりに描いた問題作だった。 同じく、傑作短編「ある日……」に登場する「スター・ウォーク」は、スターデストロイヤー的な超巨大宇宙船に“勤務”するストームトルーパー風の兵士たちが、長距離を徒歩で移動しなければならない不便さに不満爆発させるというコメディだった。  他にも随所に「スター・ウォーズ」のパロディやオマージュ的な描写はF先生作品の随所で見受けられる。 そして、その“SW愛”の極みとも言えるのが、大長編ドラえもん「のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」だろう。  のび太たち少年少女たちが「宇宙戦争」に参戦するなんて無茶苦茶な話だ。 けれど、登場する惑星の異星人たちそのものを“小人”にすることで、惑星を丸ごと独裁する軍事国家との対決を可能にした設定がF先生らしく、流石である。  とはいえ、のび太たちも“小人”になってしまうわけで、「決死」の危険極まりないアドベンチャーであることは間違いないのだけれど、ギリギリの局面を「超強化プラスチック」や「スモールライトのききめ」という各種設定を上手く利用して回避するあたりも、無論漫画的ではあるが同時にSFとして論理的であった。 特に、スモールライトの“ききめが切れて”大逆転を巻き起こすという展開は、ドラえもん達がピリカ星に潜入する中で使用する“かたづけラッカー”や“チーターローション”のききめが切れてピンチに陥るというくだりが伏線としてよく効いており、ストーリーテラーとしての上手さも光る。  ここのところ、自分の子どもたちと共に、新旧のドラえもん映画をよく観ているが、F先生原作の大長編ドラえもんの映画化作品と、先生死後のオリジナルストーリーによる映画化作品との違いは、そういうストーリー展開の妙によるところが大きい。 新世代のアニメクリエーターたちによる昨今のドラえもん映画も、精力的にクリエイトされているとは思うが、F先生信者のオールドファンとしてはストーリーテリングに対して物足りなさを感じることが多い。  偉大な漫画家、そしてこの国を代表するSF作家としての藤子・F・不二雄の凄さを改めて感じる。
[ビデオ(邦画)] 8点(2020-04-18 11:04:45)
5.  ドラえもん のび太の恐竜
WOWOWで、「37作一挙放送!史上最大の映画ドラえもんまつり」という「流石!」な企画があり、ここぞとばかりに全作を録り溜めている。 早速、この記念すべき第一作を子どもたちと共に鑑賞。 タイムトラベル、恐竜世界(異世界)、未来人の横暴……F先生によるドラえもん映画ならではのスペクタクルの要素は、この一作目から既に確立している。 鑑賞後にすかさず、本棚から原作漫画の「大長編ドラえもん」を引っ張り出してきて読んだが、たった一冊の普通サイズの単行本にこれ程の大冒険を詰め込み、成立させるF先生のまさに“神業”に改めて驚く。  そして、鑑賞後3歳の息子が拙くも「面白かった」と言った。 僕にとっては、それがすべてだ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2018-04-18 08:36:37)
6.  ドラゴンボールZ 復活の「F」
マッスルパワーの亀仙人が強すぎるぞッ!  が、往年のファンとしてそれは嬉しすぎるサービスカットだ。悟空たちがあれだけ際限なく強くなっているのだから、不老不死(自称)の亀仙人が密かに修行して強くなっていてもなんら不思議ではない! ただし、あのように亀仙人はじめ各キャラクターの活躍シーンを用意してくれるのであれば、ちゃんとヤムチャとチャオズも連れて来てあげて欲しかった。 ヤムチャの繰気弾とチャオズのどどん波のシーンがあればもっと盛り上がったろうにと思う。 というか天さんよ、いつからあんたはチャオズに加えてヤムチャの保護者的立場になったのだ?  というわけで、映画としてのストーリーの稚拙さや工夫の無さなどはもはやどうでもいい。 孫悟空はじめキャラクターが勢揃いし、再び地球の危機を救う。 そして、対峙する悪は、満を持して復活した原作最恐の悪役フリーザ。 悟空対フリーザ。その構図が再び見られただけで、往年のドラゴンボールファンとしては、懐かしさとともに嬉しさが先行してしまうことは否めない。  ストーリーテリングがあまりに雑過ぎるので、映画単体としての低評価は免れないけれど、“彼ら”が闘うシーンを再び見られるだけで、一定の満足感は得られる。 「ドラゴンボール」とは、もはやそういう伝説的な娯楽なのだと思う。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2015-11-14 08:53:17)
7.  ドラゴンボールZ 神と神
「オラ、ワクワクしてきたぞ!」 このアニメの主人公が過去に何度も何度も発してきたセリフである。 孫悟空という主人公が終始一貫追い求めてきたものは、「最強」という称号などではない。 自分よりも“強い者”と出会い、それに打ち勝つことだ。  前作から実に17年ぶりの劇場版作品。原作者鳥山明が初めて直接ストーリーに関与した今作には、原点回帰ともいえる要素が色濃く表されていた。 アニメーション映画としてのクオリティーは別として、この漫画・アニメシリーズによる“高揚感”がDNAに刷り込まれている世代の者にとって、久方ぶりに描き出された世界観は、ただただ楽しく、嬉しいものだったと言える。  勿論、難点はいくつもある。 “破壊神ビルス”というこれまた次元を超えた難敵が登場したわりには、舞台となる場所はブルマ邸の庭先に過ぎず、描かれるストーリーの大部分は“ブルマの誕生日会”なので、あまりに派手さがない。 また、ビルスの怒りを抑えようと孤軍奮闘するベジータの“キャラ崩壊ぶり”もいささかやり過ぎなように思える。  ただ、そういった難点すらも、長年のファンにとってはもはや微笑ましく見える。 誕生日会であれなんであれ、レギュラーキャラクターたちが勢揃いした様は、その描写を見ただけで嬉しい。 “キャラ崩壊”のベジータも、彼が長らく地球に住み着いて辿り着いた人格だと思えるし、恥もプライドもかなぐり捨てて、家族と仲間たちを守ろうとする滑稽な姿は、もはや感動的ですらあった。  何よりもこの映画作品には、“3・11”の大震災を受けた偉大な漫画家の熱い意思が表れている。 それは、多少ふざけすぎていたとしても、久しぶりに一堂に会した仲間たちとの時間を“楽しいものにしたい!”という思いであり、それを見た子どもたち、そしてこの作品に熱狂し大人になったかつての子どもたちを再び笑顔にしたいという熱い思いだろう。  この映画はおそらく初めて、孫悟空が相手に勝てないまま終幕する。 それも、上には上がいて、この世界は、この宇宙はもっと“可能性”に溢れているという漫画家からのメッセージに違いない。 “可能性”、それは即ち“未来”。 孫悟空という主人公はこれから先も、いくつも可能性に出会い、打ち勝ち、新しい未来に立ち続けることだろう。  成る程、「ドラゴンボール」という作品がいつまでだっても風化せず、愛されるわけだ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-06-18 23:08:49)
8.  TOKYO TRIBE
好きか嫌いかで言えば、好き。 キャラクターづくり自体は、原作に忠実なキャラも、映画独自のオリジナリティを出したキャラも、総じて良い。 ただ、ストーリーがあまりに雑すぎた。  “こういう映画”なので、雑多なのは大いに結構だが、ストーリー展開として盛り上がりに欠けたことは否めない。娯楽映画としてのストーリー的な巧さは、もっといくらでも出せたと思う。 そうすれば、もう一味も二味も”サイコー”な映画になったろう、と大変勿体無く思う。  井上三太の原作「TOKYO TRIBE 2」は、ファッション誌「boon」での連載中から単行本を買って愛読していた。 田舎のダサい高校生だった僕が、どうやってこの漫画を知り、単行本を集めるに至ったか全く思い出せない。けれど、自分の住む世界とあまりにかけ離れたこの漫画の「欲望」と「狂気」の世界観を、まるで“いけないものを見るような”感覚で密かに楽しんでいたことを思い出す。  その欲望と狂気の世界観を園子温が撮る!という報は、かつての“いけない”感覚を呼び起こし、“ワクワク”というよりも“ドキドキ”に近い期待感を生んでいた。  結果として、この映画の監督が園子温であったことは、「成功」だったと思う。 この作品とキャラクターたちが表す、熱さも、愚かさも、可笑しさも、恐ろしさも、下らなさも、その要素は総て園子温という表現者が持つ資質に合致していた。  だからこそ、前述の“勿体無い感”が際立つ。 ストーリーは、“馬鹿”がつくほど単純でいい。「ケンカを売った」「ケンカを買った」「どちらかが勝った」それでいいのだ。 ただ、せっかく揃えた濃いキャラクターを巧く使って盛り上げて欲しかった。  プロの役者も、プロのラッパーも、出演陣が総じて良かっただけに、それぞれに印象的な見せ場や、壮絶な死に様を用意してあげて欲しかったと思う。そういう部分が軽薄だったため、映画としての盛り上がりにかけてしまっていた。   “ラップミュージカル”とイントロするだけあって、“プロ”を揃えたラップによるミュージカルシーンは、どの場面も非常にエモーショナルだった。 映画を観終わり、「サウンドトラックが欲しい!」と思えたのは久々だ。それだけでも、この映画の価値は大きいと思える。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2015-03-09 23:02:57)
9.  トラック野郎 御意見無用
物凄くとっ散らかっていて雑で下品な映画である。 しかし、主演俳優のほとばしる「熱量」のみで、無双の娯楽映画に仕上がっている。 諸々の表現やストーリー展開も含めて、決して褒められた映画でないことは明らかだろう。 でも、この映画に当時の多くの観衆が魅了されエネルギーを貰っただろうことも明らかだ。  何をおいても語るべきは、「菅原文太」だろう。 “一番星”という役名の通り、菅原文太という俳優の“映画スター”としてのパワーが凝縮された映画だった。 どんな障壁も、どんな失意も、トラック一つで突っ切って豪快に笑い飛ばす。 その姿はまさに反逆のカリスマであり、役柄を超えて菅原文太という人間そのものの生き様に繋がっているように思えた。  2014年11月、そんな大巨星が墜ちた。世代を超えたすべての映画ファンにとってあまりに悲しい出来事だった。 ただ、僕のような若輩者は、今作もしかりまだまだ観られていない菅原文太映画は数多い。それは映画ファンとして幸福なことだと思うし、死してなお銀幕の世界で生き続けられることこそが、映画スターの価値だとも思う。  この稀代の映画スターは、この先もずっと「一番星」として輝き続けることだろう。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2014-12-21 00:35:17)
10.  時をかける少女(1983)
スゴイな。映画鑑賞暦20年。初めて“アイドル映画”というものを観た。 9割方“とんでもない”映画であり、変てこな映画である。しかし、これが原田知世というアイドルのアイドル映画である以上、これで“完璧”であるんだと思う。 実際、ハチャメチャなストーリーも、棒読みな台詞回しも、際どい映像センスも、原田知世に対する「カワイイ~」ですべてが好転する。奇想天外なストーリー、初々しい演技、革新的な映像世界、というふうに。 正直なところ、ラストシーンまで“???”疑問符が付きまとったが、スバラシイエンディングに迷いは消し飛んだ!
[ビデオ(字幕)] 8点(2013-10-11 17:47:09)(良:1票)
11.  DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る
すべてを観終えて、「少女たちは傷つきながら、夢を見る」というタイトルが痛烈に突き刺さった。 “彼女たち”は、自らの夢を追い、それを達成するために必要な「喪失」に対する「覚悟」が半端ないと思えた。 文字通り「身を削りながら」彼女たちは、ステージに立ち続け、笑顔を見せ続けているということを、このドキュメンタリー映画は想定を超える濃密さで、ファンであるかどうかなど全く関係ない次元で、観ている者にぶつけてくる。  今をときめくアイドル達の等身大の姿、なんて言い回しが非常に生温く思える。 そこに映し出されていたのは、"アイドル”という人生を生きる少女たちの「生身」の姿だった。 ドキュメント映像の大部分において彼女たちは笑っていない。慟哭し、怒り、憔悴している様が延々と羅列される。  前田敦子は払拭できない孤独感の中で倒れ、大島優子は凛とした立ち振る舞いのすぐ裏側で打ちひしがれ、髙橋みなみは次々に倒れていく仲間たちすべてを引っぱり満身創痍で突っ走る。 華やかな大ステージの舞台裏は、「戦場」という比喩が決して大げさではないほど悲愴感と混沌が渦巻いていた。  “アイドル”という「綺麗事」を大衆に売る彼女たちが、もっともその生き方が「綺麗事」ではないことを知っている。 汗にまみれ、涙にまみれ、世間のおびただしい視線にまみれ、どのようなスタンスで、どのようなプロセスを経たとしても、“センター”に立つ者が「正義」であるということを、全員が本質的に理解している。  汗も涙も悲しみも怒りも、時にはスキャンダルまでもが自分自身の「売り」になるということも、 震災で荒れた被災地を巡ることも“大人たち”の戦略の一部だということも、 自分たちの存在のすべてが“つくられたもの”だということも、 そしていつかはそれに終わりがくることも、 すべて、彼女たちは知っている。  そんな「リアル」さえ、彼女たちは踏み越えて堂々とステージに立ち続けているのだ。 大人たちの思惑や、世間の蔑みや批判なんてどうでもいい。 訪れた被災地の子供たちが、一瞬であれ悲しみを忘れ、心から喜び熱狂している。 彼女たちにとって、その“事実”以上に価値あるものなどきっとない。
[DVD(邦画)] 9点(2012-12-31 00:54:23)
12.  時をかける少女(2006)
原田知世が主演したノスタルジックかつ破天荒な“アイドル映画”から二十年余り、新たに生まれたこのアニメ映画はその“リメイク”というよりも、「時代」を越え、それを踏まえた“続編”である。  「タイムリーブ」を会得した主人公の少女は、当惑や困惑をする間を持たず、ひたすらに走り続ける。その姿と言動が実に現代的で、瑞々しい。 まさにタイトル通りに、時間の波間を“駆け”続ける少女の姿は、「時間を退行する」という行為にも関わらず常に“前向き”である。 そのどこまでも“前を見続ける”少女のスタイルこそ、この映画が物語る「確実に過ぎ去っていく時間を大切に生きる」ということだと思う。  クライマックス、明確な「意志」を持って最後のタイムリーブに踏み切っていく少女の“一歩一歩”には、言葉にならない感情の揺れを覚えた。  ただしかし、少しストーリーに説得力というか完璧に引き付ける“力”が足りないようにも思う。 各所のタイムパラドックス的な描写にもう一つ工夫がなかったり、終盤の核心部分がどこか曖昧だったりということを感じてしまった。 ストーリーの根底的な部分に、あと少しオリジナリティーを持った“軽妙さ”があればもっと良かったと思う。  もちろん悪い映画ではなく、良い映画である。完成度も高いと言える。 が、映画としてのインパクトだけをとれば、23年前のアイドル映画の方が力強い。
[映画館(邦画)] 7点(2012-10-09 23:00:21)(良:2票)
13.  となりのトトロ
残業帰り、遅い夕飯を食べ終わりテレビを付けると「トトロ」が放送されていた。 もうすでにクライマックスの前あたりまで差し掛かっていたので、見るともなく何気なく見始めた。 まず、こういう風に見始めることが出来る映画は少ない。 たとえ一度観たことがある映画であっても、再度観るのであれば最初から観たいし、CMが挟み込まれる民放放映の映画は基本的に観ない。それが良い映画ならば尚更だ。  ただし、「となりのトトロ」なんかになるともはやその範疇ではない。 もちろん最初からじっくり観るにこしたことは無いが、何時にどのシーンから見始めたとしても、何度も同じように感動し、また新しい面白味を発見する。 それくらいこの作品を含め、幾つかのジブリ映画の存在感は自分という人間の中に刷り込まれている。  サツキがついに感情を抑えきれなくなり泣き出してしまう時の表情のくずれ具合に涙が溢れ、 トトロの森に向かって駆け出す瞬間の周囲の声が無音になる表現に感心し、 糸井重里の「案外そうかもしれないよ。ほら」というラストの台詞のヘタウマ感に絶妙さを感じた。  一見は、老若男女楽しめるファンタジー映画という感じだけれど、この映画の持つ味わいは、もっと深いものを描き出しているように思う。 それが、古きよき日本の情景なのか、少女たちの明るさの奥に秘める力強さなのか。 きっとそれは、観る人のその時の在り方で様変わりするのだろうと思う。  ただ、その何か普遍的で価値のあるものを「トトロ」というキャラクターで包んで描き出した宮崎駿は、やはり偉大だなと思う。
[ビデオ(邦画)] 10点(2012-07-13 23:03:45)(良:1票)
14.  トゥモロー・ワールド
或る深夜。寝室から愛娘の泣き声が聞こえる。夜毎の夜泣きは楽ではないが、それは彼女が“生きている”ということの一つの「証明」のようにも思えて、とても安心する。 自分に子供が生まれ、明確な「恐怖」として感じるようになったことがある。 それは、幼い命が育たないということに対する恐怖だ。 日々のニュースの中では、毎日のように、何らかの理由であまりに短い“生”の時間を終えなければならなかった幼い命に関する事故や事件が伝えられる。 その度に、悲しみや憤りとともに、恐怖を感じる。  幼い生命が育たないということは、人類にとって、いや生物全体にとって、最大の恐怖なのだと思う。 このSF映画は、そういう人類という生物が直面するかもしれない絶対的な恐怖を壮絶に映し出している。  18年間、新生児が誕生していない近未来。 映画は、クライヴ・オーウェン演じる主人公が立ち寄ったコーヒーショップから出た直後に突如爆破されるシーンから始まる。 このファーストカットが驚くべきロングテイク(長回し)で映し出され、一気にこの映画の世界観の中に放り込まれた。  この映画ではとにかくロングテイクが多用されており、壮絶な襲撃や市街戦を描いたアクションシーンまでもが目を見まがう程の完璧なロングテイクで徹底的に描き出されている。 それにより観ている側は、この悲劇的な未来世界の中で問答無用に息づかせられ、荒涼とした世界の空気感と荒んだ人間たちの感情までもがひしひしと伝わってくる。  ストーリーの設定や展開は、よくある近未来世界を描いたその他の映画と変わりはない。 しかし、突き詰められた映像構造と、生命とそれが育つことの価値に対する真摯なスタンスにより、他にはないリアリティを生み出している。  一つの小さな生命を救うために数多くの生命が犠牲になっていくこと。それが何故正しいのか? この映画では何事においても明確な理由や答えは最後まで示されはしないが、現在の人類が今一度立ち返るべき根本的な価値観と在り方、それを考えるべき機会が示されていると思う。  幼い生命が育つという本来当たり前であるべき事象。それが成立するための条件が、「平和」ということだというのならば、やはりそれを願わずにはいられない。 「シャンティ シャンティ シャンティ」
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-30 11:19:00)(良:2票)
15.  トイレット
わりと多くの人が思い当たることかもしれないが、中学生くらいの頃、僕は結構トイレに“依存”していた。 特にお腹が痛いわけでもないのに、毎朝トイレに30分くらいこもっていた。その年頃特有の精神的なものだったろうと思う。 もちろん今はそんなことは殆どないのだが、以来、僕にとって「トイレ」という場所は、何となく精神を落ち着かせる場所になった。  この映画の中で、もたいまさこ演じる“ばーちゃん”は、トイレから出る度に深いため息をつく。 そのため息には、不安と安堵が入り交じったような何とも言えない心情が滲み出ている。 トイレで行う「排泄」という行為は、どうしても軽視されがちだけれど、僕たちが「生きている」ということの「証」を残すための行為とも言えると思う。 長く生きれば生きる程、その日常の行為から、今生きている自分自身の姿を鑑みることが出来るようになるのかもしれない。 だからこそ、“ばーちゃん”は、その度に深いため息をついているのではないかと思った。  母親を亡くしたアメリカ人の孫たちと、日本人のばーちゃんのささやかに奇妙な共同生活からは、人が人を思うほんの少しの温かささえあれば、人間はどのようにも生きていられるということをしっかりと感じることができる。  「自分らしく生きる」という簡単に言えて、決して簡単ではない生き方を、「かもめ食堂」、「めがね」の荻上監督らしい独特の世界観で見事に表現していると思う。  そして、この監督の映画に毎回登場するもたいまさこは、本当に素晴らしい。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-08 13:12:21)
16.  突入せよ!「あさま山荘」事件
日本の事件史に残る「あさま荘事件」を、敢えて警察組織側からの目線のみで描いた今作。 事件解決に挑む警察官それぞれの奮闘を描き連ねるものの、そこには爽快なヒーロー像は存在せず、むしろ時代の過渡期の中での警察組織の“未成熟さ”を如実に表していることが、とても興味深かった。  事件解決に挑んだ警察官たちの働きを美談的に描いたドキュメンタリーも多々あるであろう中、最もエンターテイメントに徹していいはずのこの映画が、現場に居合わせた人物たちの良い部分も悪い部分も含めた“人間らしさ”をありのままに描いていることに、作り手の潔さとそれに伴う説得力を感じた。  組織としてあまりに未完成な醜態をさらす映画の中の警察には、正直観ていて辟易してきた。 ただし、まだまだ経験値の乏しい“途上中”の国の中で起こった事件に対して、その対応に追われた警察の実態はまさにこのようなものだったのだろうと思えた。 そして、実際問題右も左も分からぬままで、文字通り命をかけて解決に臨んだ熱さには、作り物ではない感動を覚えた。  社会と組織がもっと成熟していれば、幾人かの命が消えることも無かったかもしれない。 でもいつの世であっても、“今”を生きる者は、そういう“命”の犠牲の上に立っているものだろうと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2011-11-09 09:04:10)
17.  DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?
「アートであれば、裸になってもいい」と、大島優子がきっぱりと言った。 一昔前であればアイドルの言動としてはあり得ないその様を見て、これが今の時代の“アイドル”の姿なのだなと妙に納得した。  自分の価値観の中では、もうすでに“アイドル”にうつつを抜かす歳ではないという認識なので、残念ながら今この瞬間の「時代」を騒がす「AKB48」のファンというわけではない。 ただどんな形であれ、これほどまで世間の話題の中に出現し、確実に浸透度を高めていく様を見ていると、やはり興味深い存在にはなってきている。  にわかの知識で論じるのはとてもおこがましいと思うが、「AKB48」というアイドルの最大の特徴は、「アイドル」という“システム”自体を表立たせ、その“表裏”両面を“売り”としたことだと思う。 彼女たちがどのように集まり、どのように成長し、どのようにせめぎ合い、どのように生き残っているのか。 そういうことを一つ一つ“表現”することを「魅力」としたことが、成功の要因だろうと思う。  ただし、それは必ずしも包み隠さず“有りのまま”を表現しているということではない。 このドキュメンタリー映画も含め、あらゆるメディアの中に登場する彼女たちの言動が、それぞれの人間そのものの姿だとは決して思わない。 とても強く思ったことは、彼女たちはプロフェッショナルだということだ。良い悪いではなく、本当の意味で「アイドル」のプロなのだと思った。  可愛らしさや笑顔はもちろん、涙や怒りや嫉妬や滑稽さまでもが、自分たちが売るべき「商品」であることを彼女たちは認識している。 自分たちがどんな表情を見せれば、どういう効果を得られるということをきちんと計算し、勝算を持っている。 似つかわしくない言い方をすれば、「飯を食っていくため」にアイドルという仕事をしていることを、一人一人が本質的に理解しているように思えた。  そういう冷静な“割り切り”を根底に敷いた上で、自分たちに与えられた“限られた時間”を精一杯に突っ走る。 その様こそが、「AKB48」が時代に受け入れられた最たる要因なのかもしれない。   ドキュメンタリー映画としては主要メンバーのインタビューを羅列しただけのもので程度が高いとは言い難い。 ただし、それでも映し出された彼女たちの姿を見て、今更ながらうつつを抜かしてしまいそうにはなってきた。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2011-11-05 22:22:15)
18.  時をかける少女(2010)
1983年の「時をかける少女」は、大林宣彦監督がノスタルジーたっぷりに描き出した映画世界に、原田知世というアイドルを荒削りな原石のまま息づかせ、映画全体から滲み出てくる素晴らしい初々しさをもって仕上げた伝説のアイドル映画である。 以降、幾度もリメイクがされてきた作品だが、2010年に生まれた今作は、リメイクというよりも、正真正銘の「続編」と言った方が正しい。  かつてタイムリープを経験した母親からある伝言を託された娘が、過去に遡り自らの両親、その友人らと接することで生まれる切ない物語。 そこには、大林版「時をかける少女」への尊敬と、映画という表現自体に対する愛情が溢れていて、映画自体の完成度以上の感動が生まれていると思う。  その感動の中心にあるのは、他の何でもない仲里依紗という女優の輝きだ。 この若い女優が、映画全体を走り回り、画面いっぱいに笑い、泣く。キャラクターに合致したその天真爛漫な輝きこそが、この映画の感動そのものだと思う。  1983年の「時をかける少女」が、原田知世が居たからこそ成立したことと同じように、2010年の「時をかける少女」も、仲里依紗がいたからこそ成立し、「映画」という表現自体の素晴らしさが溢れているのだと思う。  ラスト“2シーン”の仲里依紗の「涙」と「笑顔」、それを観るための映画だと言って過言ではない。 そして、そう言い切れることが、この映画の揺るがない価値だ。
[映画館(邦画)] 7点(2010-08-13 13:08:14)(良:2票)
19.  TOKYO!
「TOKYO」という都市は、世界から見ても(世界から見ると特に)奇異な場所なんだと思う。 僕自身、あの街に数年間住んでみて、そういうことは常々感じた。 もちろん、日本の首都だし、何でもあるし、決して住みにくいところではない。 ただ、曲がりなりにも世界を代表する「国際都市」というにしては、あまりに完成されていないというか、一つの“スタイル”に定まることがない。  このオムニバス作品で、3人の世界の映画監督が描き出したものは、まさにそういった変化し続けるTOKYOという“モノ”の姿だったと思う。  オムニバス映画というものが、割と好きな方だ。なので、こういう企画を聞く度に、期待は膨らむ。ただ、それに相反して、結果的に一つの「映画」として面白い作品は少ない。  しかし、この「映画」はとてもよく出来ていたと思う。 TOKYOという奇異な都市を、世界が誇る3人の奇異な映画監督に撮らせるという企画自体が、そもそも奇異で面白い。 それぞれが物凄く個性的な世界観を描き出すので、フツーなら各作品を繋ぎ止めることは難しく、オムニバス映画としてまとめることは不可能に近いことだったと思う。  それを繋ぎ止めた要因こそが、TOKYOという都市であった。  ミシェル・ゴンドリーの哲学性に溢れたファンタジーも、レオス・カラックスの文字通り爆発的な変態映画も、ポン・ジュノの情感と根本的な力強さに満ちた精神世界も、すべてを「許容」する。 それこそが、TOKYO。
[DVD(邦画)] 7点(2010-08-11 00:29:52)
20.  ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ
なぜブロリーはここまで映画シリーズで重宝されたのだろう。さすがにしつこいでしょう。まあドラゴンボールだからな、しょうがないか。
[ビデオ(邦画)] 2点(2009-06-25 16:15:51)
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