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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  時をかける少女(2006) 《ネタバレ》 
[2012.10.27改訂] アニメヒロインっぽい元気な女の子の青春物語。終盤には“時かけ”の通例どおり切ない別れが待っている。 別れの場面では、千昭が「未来で待ってる」と告げ、真琴が「走って行く」と応えていたが、実際は千昭のいる未来と現在との間には絶望的な懸隔があり(原作の27世紀という設定を採用)、これが永遠の別れになるのだろう。しかしどれほど遠くても、現在とはいわば地続きの未来であり、時の向こうに間違いなく千昭はいる。真琴はもう自分自身で時間を超えていくことはできないが、はるか未来で待つ千昭のために、あの絵を残すことならできるはずである。そのためにいま何をすべきなのか、終盤で夏雲を見上げた真琴は心に決めていたに違いない。 この映画での「時をかける」とは、原作や他の時かけ映画のような、単なるタイムトラベルの言い換えではない。何の特殊能力もない女の子が、ただ時間に流されるのでなく、自分の意志と力で能動的に未来へ向かって行動しようとする姿を示している。そう思えばこそ、終幕であらためて表示されるタイトルに深い感動を覚えるのである。 なお劇中で真琴が魔女おばさんに持って行った手土産のケーキは、都内の実在の洋菓子店(エンドロールに出る)で調達したものだったが、その店名の”à tes souhaits!”という言葉を真琴に贈りたい(同店公式サイトに意味が書いてある)。  ところでこの映画では、時間というものの性質についてかなり柔軟な見方をしているらしい。他の時間モノでは、定められた時間の流れを寸分たりとも変えてはならないなどという厳しい制約がかけられている場合もあるが、この映画では同じ時間を何度も経験すれば全く違う展開が生じており、そのことで一人の人間がもつ無限の可能性が示されていた。また途中で“シュレディンガーの猫”が登場していたが(静止画)、別の場面でも一時点で複数の可能性が並存していて、フタを開けてみなければ確定しないという状況が描かれていた(功介の態度)。 “未来は変えられる”とか“やってみなければわからない”というのは、言葉にすれば当たり前のことだが、年を取るとどうしても未来の自由度が狭まるので、そもそも自分はこういう運命だったと考えて納得してしまうことが多くなる。自分にはもう無理であっても、せめて若い世代には、その当たり前のことをもっともっと言っていきたい気がしている。
[DVD(邦画)] 10点(2012-01-21 21:22:05)(良:2票)
2.  東京物語 《ネタバレ》 
見る人によって受取り方が違って来る映画らしいが、個人的感覚でいえば、劇中の長男・長女の対応はごく自然に見える。また次男の元妻は、いわば嫁の立場として極めて誠実に対応していたようでご苦労様だった。 この長男をはじめとした子どもらもいずれは両親と同じ立場になり、最後には老夫婦だけが家に取り残されることになるのかも知れない。現代だけでなく、この映画の時代や前近代においても跡継ぎ以外は全員家を出るのが当然だったわけで(劇中の三男もそういう感じ)、昔と今が違うとすれば跡継ぎさえも残らないことだが、それは人情の問題というより家という観念の希薄化である。老いた親を見守るためなら誰か一人が地元に残るだけでも十分であり、劇中の末娘なら適任だったかも知れない。 老夫婦としても、この境遇をまあ幸せだと納得しようとしていたようだが、ほとんどの人間にとってもこのあたりが納得のしどころではないか。次男は別として、生きている子は既にそれぞれの社会的地位や家庭を築いており、自分らの生きた証はちゃんとこの世に残っていく。決して慰めなどではなく、本当に幸せだったではないですか、と自分としてはこの老夫婦に言ってやりたい気がする。 なお次男の元妻に関しては、いくら昔の人とはいえ作り笑いが過ぎるのではと思いながら見ていたが、最後になって本音を言ってもらえたのはよかった。  ところで末娘は可愛らしく見えるので女学生かと思ったら教員とのことで、道で会った児童は頭を下げて挨拶し、教室での様子を見てもきりっとした立派な先生である。しかし社会的にはそういう立場でありながら、兄から見れば子ども扱いなのか大事な家族会議にも入れてもらえず、また姉からは小間使いのように使われていた。古い家族観が崩壊すればこういう理不尽な扱いもなくなるのかも知れない。
[DVD(邦画)] 8点(2015-08-03 23:58:11)
3.  飛べ!ダコタ 《ネタバレ》 
まず終盤の村長の言葉は、印象的ではあるが微妙である。軍部の起こした戦争だった(国民は無責任)というのは現在も国民的常識であるから、ここであえて国民側の責任を指摘してみせた度胸は買う。しかし続いての“次の戦争を止める”との発言を聞けば、結局“誰か(要は国)が戦争を起こそうとしているので国民は止めなければ”といった昔ながらの脅威論のようで鼻白む。 当時はともかく、現実に有権者の投票行動が国の方向性を左右している(実際にした)現代においてこそ、民主主義の制度を通じた国民の主体性と責任感の発揮が求められており、その中で、今後の戦争の抑止に向けた現実的な努力も期待されることになる。そういった意図なら賞賛するが、そうでなければせっかくの感動作に古風な政治的メッセージなど込めるのは歓迎できない。むしろ劇中の経過を素直に受けた形で、広い民間交流が世界平和の礎を築くのだ、という素朴な文脈で語ってもらいたかったというのが率直な感想である。   ところで、劇中で変な親爺が日露戦争時の歌(「広瀬中佐」)を歌った後で「昔の同盟国」と言っていたのは、近視眼的な敵味方の区別をあざやかに無化してみせていて説得力があった。これはどちらかというと建前論の部類だろうが、その後の母子の情愛や歌の場面を見ていると、いわゆる諸国民の融和というような内容が、庶民(イギリス側を含む)の自然な感情に根差した形で表現されていて心に染みるものがある。 また登場人物では、その辺のオカアサンのように出ていた2人がユーモラスで、結構ブラックな軽口をたたいておいて結局笑いに巻き込んでしまうのが可笑しく、これはある種庶民のたくましさの表現だろうかという気がした。方言のため何を言っているかわからない場面とか、背中の叩き方など見てもこれは本当に地元の人かと思ってしまうが、こうした住民の姿が役者の力で映像化されているのは嬉しくなる。 そのほか、冬の日本海の風景は寒々としているが美しい。全国的観点からは“裏日本”などただ陰鬱なばかりと思われているかも知れないが、そこにはちゃんと四季もあり、ちゃんと人間が住んでいて喜怒哀楽も人の情もある。自分は佐渡と直接の関係はないが、同じく日本海沿岸の四季と人を知る者として、佐渡の皆さんの幅広い協賛と参加で作り上げたこの映画を(前記の苦情を除き)ほぼ全面的に支持したい。これは見てよかった。
[DVD(邦画)] 8点(2015-01-24 17:47:36)(良:1票)
4.  となりのトトロ 《ネタバレ》 
20年以上前にTVで見た時は、まずはオープニングの画面に蠢く気色悪い生物が印象に残った。通常の美化された自然描写では出ないこういうものをあえて引っ張り出し、この映画はありのままの自然に向き合っておおらかに受け入れているように感じられる。ただしメイが脇目もふらずに歩いていく前後で気色悪いのが時々表に出て来ることもあり、たまたま遭遇を免れたため気づかないでいた危険の存在を示しているようにも見えている。 また最初に見た頃は、親子向けアニメなど自分の見るものではないと決めつけていたところもあったわけだが、歳とってから改めて見るとこれが結構切ないものがある。お母さんが心配で泣き出すサツキがかわいそうでならない、などと若い頃なら絶対思わなかったろうが、これに追い討ちをかけるように劇中ではメイまでが失踪してしまい、子どもらが日常のすぐ裏にある不安や危険に常に晒されていることも示されている。そうした重層性は、実はトトロやネコバスのいる並行空間にも言えることだが、幸いおばけの世界は子どもの味方だったようである。  一方エンディングでは、秋になってお母さんが無事退院した後の様子が描かれており、幼かったメイが年下の子と遊んでやるようになったりして、少しずつ変化しながら季節がめぐって行くのが表現されている。キャッチコピーの「このへんな…」というのも、成人後のサツキが昔を振り返って語った言葉だろうから、この家族には未来につながるしあわせが約束されていることは疑いない。いくら裏のあるアニメでも、このストーリー自体をバッドエンドとして裏解釈することなどは無理だと思われる。 ただし、例の都市伝説に出る陰惨な事件がこの映画(S33の所沢市と仮定)とほぼ同年代の同地方で起きたこともまた事実である。劇中の時点では事件の被害者もすぐ近くに住んでいて、かつサツキとほとんど同年輩だったはずだが、しかしそういう暗い背景があればこそ、かえってこの映画の明るく楽しい子どもの情景がさらに奇跡のように輝いて見える気もした。子どもにそんなことを教える必要は当然ないが、この世界に現実にある不安や危険を知る大人であればこそ、この映画で描かれた家族のしあわせがどれほど貴重なものか認識できるのも間違いない。これに気づくことで、単なる子ども用アニメを超えた価値を改めてこの映画に感じることができたというのが、今回見直した後の実感だった。
[DVD(邦画)] 8点(2012-10-01 22:02:13)(良:1票)
5.  翔んで埼玉 《ネタバレ》 
原作は読んでいない。地域限定映画かと思っていたらそうでもなかった。全国的視野からすればどうでもいいような狭い地域の優越感とか劣等感とか対抗意識はどこの地方にもあるだろうが、首都圏というだけで全国に注目される状態を逆に茶化したようでもある。 劇中の伝説では赤城山が世界の果てのようだったが、例えば昔ながらの古風な東京住民(山手線周辺)で、東京こそが日本の中心(あるいは東京こそが日本)と思いながらも実はあまり外に出たことがないとこういう世界観になるのかと思ったりした。ただ最後の「日本埼玉化計画」を見ると、劇中の現実世界では関東以外の日本というのも存在していたことがわかる。 ちなみに関東平野は分水嶺で切れるのでなく平地に境界線を引く形になるので、赤城おろしの吹く熊谷は群馬の延長というのもなるほどと思わせるものがあった。  映画の作りとしては結構面白い。いきなり序盤から「さいたま市」に関する登場人物の率直な感想に爆笑した(エンディングテーマでもひどい言い方をされていた)。伝説パートでは、無心に見つめるシラコバトを踏みつけにできない男の心情に泣かされたのと、逃避行に使った常磐線の列車(シベリア鉄道?満鉄?)が目を引いた。 地元民でなければわからないネタも多いのだろうが、与野の立場くらいは想像がつくとして、八王子と田無が同格というのはわかる人に説明してもらいたい(起点が新宿でも鉄道路線で印象が違ったりするのか、保谷はどうなのか)。そのほか千葉扱いだったが西葛西が出たのはよかった(少し縁のある場所だ)。 話としては適度にスケールの大きい大真面目な伝説物語ができており、連合軍の勝利は感動的だったがラストの野望には不安を残す。世界が埼玉化されるというならうちも底上げされるだろうが、何か大事なものを失うのではという気もした。 なおこんな映画に真顔で出る役者には感心するが(最近よくあるが)個人的にはこれで二階堂ふみの好感度が上がった。可愛いからキスしてあげて、と言いたくなった。  以下余談として、少し前になぜか埼玉の話題になった時、野田の駅を降りたら醤油の匂いがして、という話をしかけたらそこは千葉だろうがと突っ込まれたことを思い出した(大宮から行ったので勘違いした)が本質的な違いなどあるのかどうか。なお最近の話題としては次の1万円札になる偉人も出ているので自慢にしてもいい。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-10-05 09:58:24)
6.  TOKYO CITY GIRL-2016- 《ネタバレ》 
若い女性を主人公にして4人の監督が撮ったオムニバスである。前作「TOKYO CITY GIRL」(2015)は6話だったが、今回は話数が減って平均時間も長くなっている。  【LOCAL→TOKYO】 よくわからないが勝手に解釈すると、田舎には何もないと思って東京に出てもやはり何もないわけだが、田舎でもいいこと、やれることがたくさんあるとわかってから東京に出ればもっといいこと、もっとやれることがあるという意味か。 それにしても武田玲奈さんはいつでもどこでも可愛い人だ。友人(ともこ)役は見たことがあると思ったら芋生悠という人だったらしい。 【あなたの記憶(こえ)を、私はまだ知らない。】 心の欠落部分を埋めるために2人が過去の記憶を共有し、それが結果的に2人の心を結びつけたと思えばいいか。最後は特に言ってなかったが、主人公はあの店の常連になっていたと思われる。 主演は高見こころという人で、少し前に見た「ねこにみかん」(2013)から一転して地味系女子になっている。一方でケバめの後輩を演じていたのは意外にも入来茉里さんだったようで、役柄としては間違ったことを考えていても正しいアドバイスをする聡明な(適当な?)人物だった。 【幸せのつじつま】 かなり笑わされた(泣かされた)。当然ながらちゃんと辻褄を合わせるお話である。相手の男も真直ぐな感じでいい奴だ。 主演の飯田祐真という人はそれほど何度も見たことはないが、かなりの個性派女優かと思っていたら、今回は極端に可愛い方に振れている(それを期待して見たわけだが)。ちなみに他のエピソードでも特別出演として顔出ししているらしい。 【ひらり、いま。】 父親がイタい人物(相当上の世代に見える)かつ気色悪いオヤジなのでかなり引くが、娘と仲が悪いわけでもなかったらしい。引越先まで送って来た身内が去るときの心細い思いは遠い昔に経験している。 主演の増田有華という人はAKB48所属だったとのことで有名人らしい。この映画では少し素朴な可愛らしさを出している。  とにかく若い女性を元気にしようとする企画のようで、前作に比べてもハッピーエンドの印象が強くなっている。寓話的でリアリティに欠ける面もあるが問題にはならない。また男にとっては出演女優を見て和まされるという意義もある。物語的にも厳密な対象限定ではなく人間一般が共感できる内容で、東京のシティガールの話だからと田舎者が敬遠しなくていい映画だった。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-01-27 08:28:09)
7.  TOKYO CITY GIRL 《ネタバレ》 
若い女性を主人公にして6人の監督が撮ったオムニバスである。東京のシティガールの映画など田舎者は遠慮すべきではないかと思ったりしたがあえて見た。  1「なんの意味もない」 なんの意味もないようでも、受け手の創造性が喚起されれば自ずと意味が生じる。これはある意味芸術かも知れない。 主演の青山美郷という人は別の悲惨な映画で悲惨な顔をしていたのを見たことがあるが(「人狼ゲーム ビーストサイド」(2014))、この映画では少しとぼけた感じながらも突破力のある女子高生をやっている。意外に感動作。 2「キッスで殺して」 大変申し訳ないが上司の言ったことが正しい(だいたい間違い)。主人公の本当の顔はラストでやっと明らかになる。 3「HOPE」 深刻な話だが、ここまで追い込まれて初めて達する境地に、20歳直前にして(幸いにも?)至ることができたということらしい。結末は不明だったが、そもそも人を不幸にして喜ぶタイプの企画でないことから自ずと知れる。それにしても比嘉梨乃さんは19歳にしては大人っぽい。 4「17歳、夏」 ひたすら下劣だが一応笑わせる。リスの交尾は珍しい。 5「EAST END」 題名はロンドンの東にあって、貧困層が多く居住することで知られている地域の名前(現在は再開発が進んでいるとのこと)。主人公は川の両岸に絶望的な断絶があると思い込んでいたようだが、別に「橋のない川」というわけでもなく(現に橋はかかっている)、要は自分で動けば事態は変えられるということだったらしい。ちなみに街の風景は主に京成立石駅周辺と思われる。 6「KOENJI 夢の寿命」 中央線の高円寺。新たな夢が見えたともいえないが、とりあえず生存可能限界を下回りそうになったところを間際で持ちこたえて、今度はアクティブな上昇局面に転じたということか。主人公は風俗嬢だが最後に見せ場のようなものがあり(街に憑いた不運の根源を打倒、さすが武田梨奈さん)、これがオムニバス全体の締めになっている。  エンディングの街頭インタビューを見ると、「夢」がテーマだったかのようでもあるが実際はそうでもなく、要は複数のエピソードに出る「愚痴聞き屋」というのがこの映画自体の立場だったのではないか。「夢」とまではいかなくても希望を語る内容ではあったかも知れない(4以外)。 ちなみにこの後「TOKYO CITY GIRL -2016-」というのも製作されているので併せて見るのが望ましい。
[DVD(邦画)] 7点(2019-01-27 08:28:08)
8.  東京少女 《ネタバレ》 
名前が「未歩」だと明治の人なら「いまだ歩まず」と読むのではないかと思うが、そういうところはあまり突っ込まないことにしておく。 内容としては「時をかける少女」と似たような印象があり、特に2010年実写版との類似点が目立つ(これより後だが)。時を越えて何かものを残すのは感動を呼ぶ定番要素のようでもあるが、ほかにこの映画では5歳/101歳?の人物の絡ませ方がよく、結構うまく作ったお話だったという気分になる。 またデートという発想はなかなか面白い。満月の頃だと昼間は月が地平線上に出ないので無理だろうと思ったが、別に月齢はどうでも構わなかったらしく、その場でヒロインがちゃんと調べて日を決めていたのは賢い。当日までに店を探してあったのも用意周到で、かなり頭の働く人物らしいのが好印象だった。 そのヒロイン役はこの時点でまだ16歳で文句のつけようのない美少女で、「ちゃんと勇気もらったよ」とかいう何でもない台詞も心に響く。デートの場面は声も弾んで楽しげで見る側としても嬉しくなるが、一方で結末を予想すれば(ほとんど最初から見えているが)この時点ですでに切なくもなる。 このヒロインのほかに、明治の少女は立ち居振る舞いが一応それらしく見え、甲斐甲斐しくてお兄様思いで何気に可愛らしい。この女優(福永マリカ)は同じ「東京少女」のBSのシリーズで主演・脚本??を務めていたとのことで、脇役と思って侮ってはならないようである。 以上のほか、本来はヒロインの成長物語といったところも重要なのかも知れないが、まあそれはそれとして、とりあえず泣ける切ない青春物語という点を重く見ることにして、それなりの点をつけておく。いい年してこれで泣けるおれはアホではないかと思うが、こういう話には弱いのでしょうがない。
[DVD(邦画)] 7点(2015-08-03 23:58:17)
9.  ドッジGO!GO! 《ネタバレ》 
一応は合作ということになっているが、これだけ無邪気な映画であっても日本でしか公開されなかったとのことで、一方通行の友情もいい加減にしろという気になる。専門家のコーチを呼んで本気でトレーニングして作ったのだから、せめて国内の普及促進にでも役立てないと作った甲斐がないように思うが、そうすると妙な友好ムードがかえって異物になるようにも思われる。どういう事情でこうなったのかわからないが。 内容としては主に子ども向けの映画だろうから、多少リアリティに欠けるところはあっても大目に見て構わない気がする。直前にかき集めた連中をいきなり試合に出したり、試合中も息抜きのような形でコメディが入っていたりするが、それでもおバカな映画に見えたりしないのは、映画がこの競技に対して真剣に向き合っている様子がちゃんと映像化されているからだと思われる。またエンディングで出ていた国境を越えたボールパスも心温まるものがあり、製作目的に対して極めて誠実に取り組んだ映画には見える。  ところでこの映画を大人が見た場合、主人公の母親が家を出たという設定は著しく不自然に思われる。こんな子がいれば、普通の親なら可愛くて仕方ないだろうから置いて行くなど考えられず(劇中に顔も出さない)、一方で母親に捨てられたはずの子どもが、これほど屈託なく前向きなのも奇跡のようである。まあこの子もパパのことが大好きだったようだし、父親も溺愛とは言わないまでも可愛がっていたようなので、愛情には不足していなかったのだろうとは思う。劇中でこの子が笑ったり泣いたり一生懸命だったりする姿が、この映画の価値をかなり高めているというのが実感だった。 なおこの子役は外見的にはボーイッシュというか男の子のようにしか見えないが、いま見るとなかなか魅力的な女優さんになっているようで、時間が経つのは早いものだと思う。これも一応は21世紀の映画なわけだが。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-09 19:58:05)
10.  同窓会(2008) 《ネタバレ》 
いくらコメディにしても、最後のオチがあまりにもチャンチャン、という感じの幕切れだったのは映画としてどうかと思うが、まあ全体として面白いのでいいことにしておく。そもそも最初からネタバレしているわけなので、見る側としては何があっても騙されてやる、というくらいの気分でいた方が楽しめると思われる。単純に面白おかしいだけでもなく、劇中の雪の人柄には心惹かれるものがあり、こういう人を粗末に扱ってはいかんだろうという気にさせる。最初の方では「むごかばい、神様」が切なく、また終盤で主人公が病院へ向かった場面では普通に泣けた。  一方キャストに関しても、永作博美は本当に可愛い人だとこの映画を見てしみじみ思う。また高校時代の雪もかわいいが、個人的には「口裂け女2」で悲惨な役をやった飛鳥凛が普通の女の子の役で出ているのでほっとする。そのほか主人公の同級生の娘2人の動きが可笑しくて仕方ないとか、校長役で出ていた本物の島原市長(当時)がなかなかの芸達者で笑えるとか、いろいろ指摘したくなる事項も多く、総じて登場人物は魅力的である。そういったことも含めて、少年時代の主人公が語っていたような、笑って泣けて心が暖かくなる娯楽映画にちゃんとなっていると感じられた。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-03 21:08:06)
11.  時をかける少女(2010) 《ネタバレ》 
とにかくヒロインの芳山あかりが陽性で表情豊かで楽しい。タイトルを生かすため冒頭で無意味に元気よく走ってみたり、タイムリープの場面でも走りまくっていたのはご愛嬌。深町の本名を聞いた時の微妙なリアクションは可笑しかった。他の登場人物もみな魅力的だったが、変にナイスガイになった深町が、冷徹なようでいても情に負けて目こぼししてしまうのは少し見直した。彼も心に痛みを感じていたのかも知れない。  今回のヒロインが行くのは1974年で、その年代自体には特に必然性が感じられないが、劇中に出ていたような“窮鳥懐に入らば”的な律儀さが生きていた時代とすればわかるような気もする。現代人が体験する70年代の青春というのも、時間モノとしては面白い趣向かも知れない。また、この時代から見た21世紀のイメージは劇中に出たとおりの未来都市が典型だったのだが(ちょっと古臭いか)、その後実際に起きたのは、あかりが誇らしげに示した携帯電話に象徴される情報通信ネットワークの急速な発達だったわけで、この辺の現実認識は適切だと思う。  ところで劇中では、中学生の和子が「記憶は消えても…心で憶えてる」と言っていたが、それよりも現実に誰にでも起こりうるのは、劇中の涼太が危惧したように“記憶はあるが思いは失われる”ことだろう。そこで涼太が、いわばタイムカプセルに封入するような形で思いを残そうとしたのは自然なことであり、あかりの側でも記憶がないことで、かえってその思いだけを前向きに受け取れたようだった。また和子も実際には記憶を取り戻して、双方が相手をちゃんと認識した上で再会を果たしており、1983年版のシビアな印象がかなり緩和されていた。これは映画全体の雰囲気からすれば妥当と思える。 ただ、ストーリー作りのために死人が出たことだけは理不尽だ。能代の母はこの先どうすればいいのか。  なお余談だが、完全版DVDの特典ディスクには劇中映画の完成版が入っており、何となくその後の新たな展開を予想させる内容になっているが、これは完璧なハッピーエンドを期待する特別なファンの思いに応えようとするものかも知れない。
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 22:49:09)(良:1票)
12.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 
冒頭の場面で原作のオチを軽く蹴飛ばしてしまい、この映画は違うんだと宣言しているかのようだ。違っている点は、原作の登場人物が中学生のため思春期の一時的な心の揺れで済ませられるのに対し、この映画では年齢が高校生まで上がっているので、劇中の出来事がその後の人生を直接左右する恐れがあるということである。果たしてこの映画ではヒロインと、その幼馴染みがとばっちりで人生を狂わされてしまった。こんな理不尽な映画に誰がした、と怒りを覚える。どこが理想の愛だ。だいたい深町が憎たらしい。  しかし、本編終了後のプロモーション映像のような場面になると一転、ヒロインがにこにこしてとにかく可愛いので、見ている方も顔が緩み、テーマ曲に合わせて身体を左右に揺らしてしまう。周囲の登場人物もヒロインを盛り立てようとしているのが嬉しい。この幸福感で本編のいろんなことは全部許してしまい、あーよかったという気分になって映画の評価が確定。終わりよければ全てよしという結末。  ところで、舞台の街が超レトロであり、また一部の特殊効果が超安手なのは、映画自体が古いせいだと思う人がもしかするといるかも知れないが、これはリアルタイムで見てもそのように感じられたと証言しておく。
[DVD(邦画)] 7点(2011-12-31 23:49:07)(良:3票)
13.  東京のバスガール 《ネタバレ》 
ジャンルとしては「歌謡映画」だそうで、歌手本人が主人公の先輩役で出演して、題名の歌を車内で歌う場面が最初と最後にある。物語としては主人公の仕事と恋愛を中心に、巨額の遺産相続問題という変な要素を絡めてドタバタ喜劇の印象も出している。  観光バスの映画なので昭和33年の東京周辺の風景が映り、開業直前らしい東京タワーも見えている。戦後10年以上を経てGHQも昔の話になっていたが、主人公に身寄りがないとの設定は戦災孤児ということだったかも知れない。また南アジア風の君主国の皇太子から求婚されるエピソードがあったのは、現実にわが国皇太子の結婚が話題になっていたからか、または「王様と私」(1956)の影響もあったかどうか。 主人公は最初に「山形県落合村農業会」といういかにもそれらしい団体を案内していたが(無理にいえば現在の山形市落合町?)、すぐに遺産狙いの変な連中が出て来て邪魔されてしまう。不純物を入れないで、まずはお仕事映画としてちゃんと見せてくれと思っていたが、その後に施設の子どもらを案内したことで、仕事の意義を再確認する場面もあったので結果的には安心できた。 恋愛に関しては、順風満帆だったはずが遺産相続問題で邪魔されて、さらには主人公の明らかな失策もあってそのまま破局に至ったのは非常に意外だった。その後の唐突な挽回は都合よすぎに見えたが、まあ先輩の人徳あってこそのハッピーエンドだったと思っておく。 主人公は親しみやすい可愛らしさのある人で、変なことに惑わされない良識があり、また8時に行くと決めたら通す律儀な(確実性の高い)人物だった。河口湖での顛末は、実は本人にも迷いがあってのことだったかも知れないが、最終的には仕事も恋愛も本当に価値あるものを掴んだらしい。 現実のバスガールが「明るく走る」ばかりではなかっただろうというのは容易に想像できることだが、そもそも歌詞もつらさに負けず職業人として明るくふるまう内容になっている。つらいことの中にいいこともあるのが人生だろうし、また社会全体としてもこの後は経済成長が続くこともあり、劇中2人の未来も明るいはずだと思っておこう、という気にさせられる映画ではあった。  なお主人公の会社は「東京観光バス」という名前だったが、現実問題としては「はとバス」のこととしか思えない。この映画を見て、今どき改めて観光バスで東京を回ってみるのもいいかと思わされた。「はとバス」のPR映画になっている。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-01-21 13:47:13)
14.  劇場版 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージ from スーパー戦隊 《ネタバレ》 
スーパー戦隊恒例の“VS”シリーズとのことで、その時点での現役戦隊(動物戦隊ジュウオウジャー)が前任戦隊(手裏剣戦隊ニンニンジャー)と共演し、そこに放送開始前の次の戦隊(宇宙戦隊キュウレンジャー)が予告的に姿を見せる形になっている。 また今回はスーパー戦隊シリーズ通算40作記念が謳われており(ジュウオウジャーが40番目)、ドラマ的にもここで戦隊の歴史が途切れそうになる状況をわざわざ作っておいてから、メンバー同士のつながりと、歴代戦隊の応援のおかげで未来につなぐことができたという形にしている。結果としては「スーパー戦隊恐るべし」ということで大変結構なことだった。 ニンニンジャーは今回ゲストの扱いだろうが、アカニンジャーとその息子と父親の3世代が揃って親子のつながりを見せつけるので、現役戦隊よりかえって強い印象を残していた。主役のはずのジュウオウジャーが荒唐無稽な忍術で振り回され気味に見えるところもあり、現役戦隊もまだいろいろ学ぶべきものがあるのだろうと思わせる。 なお序盤の段階で、次の日に死ぬ運命だった男に息子がいるのはなぜか、という疑問を持たされたままラストに至る映画だったが、最後に真相が明らかにされた場面では、本当にこんな話でいいのかと唖然とさせられた(あまりにいい加減)。しかしニンニンジャーの最後を飾った前回のFINAL WARS(2016)のあと、メンバーがそれぞれの道を歩み始めてからの後日談のようなものとすれば、その間に意外な事情の変化があっても不思議でないといえなくはない。それにしてもこのオチにはかなり呆れた。  主役のジュウオウジャーは前回のVS映画で姿を見たことがあるが、今回はトラの人が色っぽいのが目についた。サメの人は性格がきつそうな感じかと思ったら、女子だけ(スーツアクター)の場面では女の子っぽい動きを見せていたのが微笑ましい。 またニンニンジャーは人格的な軽さが目立つようだったが、この緩い感じがやはり結構心地よく、本放送開始から6年も経って今どきこのニンニンジャーが好きになって来た。個人的にはかすみ姉のファンだが、この人の出番としては「ずっとあなたのことを疑っていたんです」の微妙な表情が面白かったのと、「ナーイスです!」がかわいい。 ほか未来のアカニンジャーの子役はけっこう凛々しい顔を見せていた。父親よりよほどまともな人物に見える。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:30)
15.  トウキョウ・リビング・デッド・アイドル 《ネタバレ》 
「1000年に1度の童顔巨乳」浅川梨奈主演のアイドル映画で、劇中グループのメンバー2人も同じ「SUPER☆GiRLS」のご同僚だったようである。冒頭とエンディングで主題歌の「Hero」というのが出るが、かなり耳について離れなくなるタイプの曲である。 まず社会批判の面からみると、主に全米ライフル協会か何かを皮肉っているのかと思ったら、製薬関係(政府と業界)を皮肉る発言もあり、さらに死刑存続論への皮肉らしいものも出て来ていた。特に中心テーマがあるわけでもなく単に皮肉を言い散らしていたようで、何だかんだ言ってみたくて仕方ないお年頃ということらしい。ちなみに自分としては住んでいる場所の関係で、日本の猟友会(なんと「大日本猟友会」という名前)を悪くは言えない。うちだけでなく、そういう場所は全国にかなり多いはずだ。  そういう社会派風味はいいとして娯楽映画本来のところでいえば、全体的にあまり飽きさせずにどんどん話を進めていくが、特に各種オマージュだかパロディだかに笑わされるのが大きな特徴になっている。自分としては食パンをかじりながら走って来た人物とか、「おまえらはもう」の後が続かなかったところは爆笑した。また意外にアクション関係の見せ場があり、この面では居合斬りの女子高生(演・星守紗凪)が注目される。 アイドル映画として見た場合には、いわば“アイドルの価値は全てを超える”という事実をこれでもかこれでもかと徹底的に表現していたのが感動的だった。男2人が捨て石になったようなのは物悲しい印象もあったが、彼らにとっては身をすり潰してでも好きなアイドルを守るのが本望だったに違いない(泣かせる)。グループの仲間を大事にしたいという気持ちも(実際どうかは別にして)描写されていたのが心に染みる。 そのほか、主人公が一人で伴奏なしで歌う場面では、本来こういう分野の人だったのだと感心させられた。いろいろあるにせよ結果として、各種制約のもとでけっこう高水準の娯楽映画ができていたというしかない。  なお余談として、奇跡の美女ゾンビの血液を入れると不死身になるという設定があったと思われるが、それを主人公がこれからどう生かす見通しなのかは不明瞭に終わっていたようである。さらに完全に雑談だが、劇中で高架の鉄道が新宿方面に向かって合流している特徴的な景観は、この映画の制作会社が入っている建物から撮影したものらしい(わざわざ探したわけではなく)。
[インターネット(邦画)] 6点(2018-11-24 18:57:01)
16.  富江 アンリミテッド 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第8作で、現在までのところこれが最後の富江映画である。 写真部の月子という少女が主人公で、主に原作の「写真」「接吻」のあたりを下敷きにしたようだが原作通りでは全くない。グロ描写や残酷場面を遠慮しないというのが副題の意味だろうが、廊下を追いかけられる場面などはドタバタホラーの風情だった(これは気色悪い)。あまり真面目に見るものではないという気にもなるが、今までにない賑やかさと映像的な見せ場(安っぽいが)の豊富な富江映画とはいえる。  ただし終盤になると、主人公の秘めた感情をもとにして思い切りシリアスな物語ができている。意味不明ではあるが自分として思ったのは、劇中では明らかに富江(姉)=怖い、主人公(妹)=可愛い、という対比ができており、これはどう見ても妹の方が人に好かれるはずだということである(主観だが)。主人公が姉に引け目を感じていたというのは家庭内事情なので何ともいえないが、少なくとも外部評価として姉>>>>>妹ということはありえない(主観だが)。 主人公は自分が他人に必要とされていないと思い込み、本当は周囲の皆が少しずつ自分の存在を支えてくれていることにも気づかないまま、そこに付け込んだ姉に誤ったイメージを植え付けられて自滅したということではないか。妹が父の実子でないというのも実は嘘で、本当は姉の方がもらい子だったとも考えられる。最後は例えば虐待する夫から離れられない妻のような図式になっており、こうならないためには自己の確立が大事だという警告の物語と取れる。  ところで今回の富江は、「シリーズ史上最も原作のキャラクターに近いと評される」という宣伝文をあえて否定するつもりもないが、何しろ顔が怖すぎて、見た男が全員惚れるという本来の設定はどこに行ったのかという感じだった。これに比べれば、終盤で街中に蔓延していた富江はさわやか感が際立っており、仲村みうという人本人も(もともと少し怖いイメージだが)さすがに本来はこっちに近いのだろうという気がした。 また主人公(妹)は、外見的な印象としては前記の主観のとおりで、この人だけはあくまで清純派でいてもらいたかったが最後は少し残念だ。ほかAKB48メンバーの扱いがひどすぎたのは笑うしかないが、しかし本人は何とも思っていなかったようで、こういうところは現代アイドルの割り切りのよさかも知れない。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-26 21:58:26)
17.  富江VS富江 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第7作で、監督・脚本は「富江 最終章」(2002)で助監督をしていた人物である。映画紹介ではこの映画を「完結編」としているものがあるが、それなら「最終章」とは何だったのかということになり、またこの後も富江映画は製作されているので全く完結していない。その時々でこれが最後の決定版だと宣言したいのかも知れないが、それにしても今回はかなり番外編的な内容になっている。  今回も一応は原作にネタ元があり、「梅原」「尚子」という人名は「ある集団」から、誰彼構わず注射するのは「通り魔」からだろうが、しかしストーリーは全く違っている。原作では注射されると完全に富江化していたが、この映画では「出来損ない」の半富江になるというのが独自の設定で、またこのことから、人間の部分を残した半富江の悲恋物語ができているのが今回最大の特徴点と思われる。 放っておくとやがて自滅するなど本来の富江にはありえないことで、その半富江が生存をかけて争う様子は哀れともいえる。一方で、満を持して登場した本物は元彼の生命などには頓着なく、半富江の最後の思いも踏みにじって1人だけ生き続ける形になっており、さすが本物は無慈悲で無敵という印象があった。死んでいった人々には申し訳ないが、この富江ならもう大丈夫、という安心感さえある。 全体的な雰囲気としても、背景音楽のせいもあって邦画ホラーというジャンルに捉われない怪奇映画のような風情がある。エンディングテーマも本編と統一感があって余韻を残し、最終的にはけっこう佳作と思わされる映画になっていた。  キャストに関しては、今回の富江役といえば一応あびる優という人だろうが、ほかにも半富江と思われる人々が多く、序盤の枝分かれ元も別の富江だったとすれば子役2人(笠菜月・荒川ちか)を含めて富江演者が5人にもなる。自分としては派手目の顔より堅実な顔が好きなので、実は2番手の半富江(演・松岡恵望子)を応援していたが、わりと簡単に排除されてしまったのは残念だった。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-26 21:58:23)
18.  富江 最終章~禁断の果実~ 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第4作である。題名に「最終章」とあるが特に終わりの印象を出しているわけではなく、富江は依然として野放しであり、映画としても間をおいてまた製作されている。  今回は原作のどのエピソードをもとにしたということでもないようで、かなりユニークな話になっている。 主人公が最初のところで「バートリー」を名乗っていたのは実在の「血の伯爵夫人」バートリ・エルジェーベト(1560~1614)を意識したのかと思うが、そのあとで「私はバンパイア」と言っていたのはその伯爵夫人がモデルといわれる吸血鬼カーミラ(1872年の小説「カーミラ」より)のことだろうから、主人公はもともとそういう存在に憧れていたということらしい。若いまま生き続けてほくろの位置が同じというのは劇中では富江の属性だが、もとはといえばカーミラの特徴であり、またカーミラの同性愛の性質も今回の富江は受け継いだようである。 奥手な眼鏡女子だった主人公は、父親を異性として意識し始めたのか嫌悪気味のようだったが、富江に誘惑されてガールズラブの方に行ってしまい、本物の異性関係をすっ飛ばしていきなり母親に目覚めたというのが今回の話と思われる。途中で育児放棄という挫折もあったようだが、最後に「本当の親友を作る」と言っていたのは現実の(一部の)母親の子育て感覚というつもりかも知れない。 一方で、主人公の父親が初恋をやり直すなどと言われて全てを捨てたのは、年齢的にまだ間に合うというつもりだったかも知れないが(かなり無理があるが)、相手が娘と同年配の少女では犯罪だ。また工場のジジイまで少女好きが顔に出ており、これはどれだけ年取っても男はスケベ心を忘れないということの表現に違いない。自分としても当時16歳くらいの宮崎あおいはさすがに可愛いと思うわけだが、そういうオヤジをロリコン扱いしてはばからない皮肉な作りの映画になっている。  そのようなことで男女の性に関わる人間模様が描かれていたようだが、今回の富江は残念ながら個人的にあまり好きでない(容貌と性格)。劇中の富江は主人公を「年を取って醜くなって誰にも相手にされなくなって」と中傷していたが、この映画から15年後の感覚でいえば、宮崎あおいは30過ぎていろいろあっても役者としての存在感があって(自分的には昨年の「怒り」)今でも可愛く見える、と言ってやる。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-20 20:53:38)
19.  富江 re-birth 《ネタバレ》 
伊藤潤二原作のホラーマンガシリーズ「富江」の映画化第3作で、これが清水崇監督の劇場版初監督映画ということになるらしい。題名からすると前年の第2作と関連がありそうだが実際は全く関係ない話になっている。 物語としては原作のどのエピソードとも言いがたいが、肖像画とか顔から毛髪といった個別要素は拾っている。大まかにいえば男3人と、それぞれに関わる女性のエピソードを連ねた形になっており、男女の愛憎がらみなのが富江らしい雰囲気を出している。特に今回は女同士の争いに重点を置いて、人の心の執着心や嫉妬心が富江を生み出すのだ、というような教訓話にしたようにも見えた。ただし富江を生み出していたのは若手女子だけで、中年以上は単に排除されて終わりになるようで、子離れできない母親の末路は因果応報・自業自得という印象だった。最初の男の母親(演・大塚良重)が無事だったらしいのは案外普通の親子関係だったということか。 なお原作との関係でいえば、口紅だけで富江が伝染するのはあまりに安易な展開であり、違う女優でも目元にほくろがあれば全部富江だというお手軽感覚にも納得できない。また最初は東京都内の話だったのに終盤で里帰りするのは「呪怨2」<OV>(2000)で見られた地方出張のようなものかと思うが、個人的好みとしては都市的環境の中で終わらせてもらいたかった。  今回の富江に関しては、外見的な派手さはあまりないが目つき顔つき話し方笑い方の印象は良好で、口先で人の感情を翻弄するのが小気味いい。耳元でささやかれるのが神経に響きそうな感じで、殺し文句の「好き」というのは自分も言われたい(が向こうも相手を選ぶとは思われる)。洗面器からじっと見ていて何気にまばたきするのも愛嬌があって、個人的には今回の富江がシリーズ中で一番好きだ。 ちなみに電柱の張り紙など見ると、呪怨シリーズに通じるおふざけ感が出ていたようでもある。自宅に帰った男が持っていた買い物袋からネギが出ていたのはマンガのようだった。
[DVD(邦画)] 6点(2017-11-20 20:53:35)
20.  トワイライトシンドローム-卒業- 《ネタバレ》 
ゲームの映画化とのことで、元がどういう話だったかは知らないが、この映画に関しては高校最後の夏休みに起きた思いがけない出来事という体裁になっている。 最初は感傷的な雰囲気で始まるが、直後になんちゃって式に開き直ってコメディ展開に移行する。まずは女子高生のじゃれ合いとかガールズトークに付き合わされて、そのあとみんなでプールに行って水着になって水中撮影というサービスもある。そのうち通りすがりのバイト男が本格的にからんで来るとラブコメ風味も出て、気恥ずかしくて笑ってしまうとか少しキュンとさせられるとか何気に泣かせるところもあってとりあえず楽しい。全体としてはミステリー風の構造ができていて段取りよく進んでいくが、終盤に至ってもまだ嬉し恥ずかしの場面など入れてあるので和まされる。最後は題名の「卒業」を受けた形で切ない余韻を残しながらもすっきり終わり、結果的には登場人物みんなの笑顔が嬉しい爽やかな(少し古風な?)青春映画になっていた。ちなみに少し怖いところが1か所あったが、ここでかすかな音が先触れになるという趣向は非常によかった。 なお主演の酒井若菜という人のことは当時よく知らなかったが、この映画を見る限り美少女ともいえない代わりに何ともいえない愛嬌のある顔をしていて和む。年少時の子役とも連続性が感じられて微笑ましい。
[DVD(邦画)] 6点(2017-06-17 08:31:22)
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