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641.  クライマーズ・ハイ(2008) 《ネタバレ》 
ブン屋もの、ってのは、ちょっと前までは社会派映画の定番で、輪転機が回って大見出しが斜めに飛び出してくるシーンをよく目にしたものだったが、なんか久しぶりに輪転機を見た気がする。事故だ! さあ大変だ! と沸き立つ感じはやっぱり浮き浮きし、あの場に音楽を入れなかったのも正しく、こっちにまで興奮が伝わってくる。他人の不幸で堂々とイキイキできる職場だ。なのにその後、脇筋がチョコチョコと入り、これがせっかくの興奮を薄めてしまう。脇筋が絡むと主人公も暇そうに見えてしまう。いちおうそれらの脇筋も地方紙の職場をよりよく見せてはくれるんだけど、煩雑になり、そういうのは時間がたっぷりある小説にまかせておけばいい。職場内だけに話を絞る勇気が欲しかった。他社より早くスクープを押さえる、というブン屋のルールがはっきりとあるのだから、そのルール上で映画を勝負してほしかった。記者がノイローゼになるまではルール内の出来事だが、それを車に轢かせるとなると、やはり脇筋への脱線だ。現代編の山登りも、当然話の腰を折る。俳優ではでんでんが好演で、地方紙の職場はこんな人物が支えていそうだ、というリアリティがあった。彼は去年は『母べえ』の町内会長でも良く、ここんとこ大当たり。
[DVD(邦画)] 6点(2009-06-13 12:04:11)
642.  若い季節(1962) 《ネタバレ》 
テーマ曲に乗って、皆が明朗に笑いながら並んで歩いてくる。いい感じ。空撮の日比谷から赤いスポーツカーを捉え、淡路社長の出社。ますますいいノリ。そして植木等が出ただけで場内が浮きたつのは、東宝映画の常とは言いながら、たいしたものである。バカ踊りの、あのいかにも宴会芸的な安っぽさの魅力を何と言ったらいいのだろう。腹が据わってる、とか、頼りがいがある、とかいった古い美徳をすべてコケにした痛快さ、というか。ホレボレする。この時代の映画は何かというとすぐビルの屋上に上がりたがる。会社の一同を集めての訓辞、そして軍艦マーチに乗って宣伝部員らがヘラヘラと踊る。いいなあ。銀座通りにはまだ都電が走っていく。団令子はおそらく現代の基準で言えば“デブ”だろうが、この時代は“グラマー”の範疇だった。健全な時代だった。人見明がズーズー弁で笑わせる。由利徹といい若水ヤエ子といい、当時はズーズー弁が笑いの重要な要素だった。植木等と坂本九が持ち歌を交換し、九が「サラリーマンとは気楽な稼業と~」とやれば、植木が「上を向ういて~」とやる。まったく見終わって何も残らない映画だが、何か朗らかになってたな、という気分の記憶だけは持続する。
[映画館(邦画)] 6点(2009-06-12 12:06:09)
643.  燃えつきた地図
この映画の興味の一つは、『座頭市』の勝新太郎と『男はつらいよ』の渥美清という二大プログラムピクチャースターが安部公房の世界でどう動いたか、というところにあったが、率直な感想を言えば「失敗」の一言。どちらも天才的な役者だが、合わない世界というものはあり、これはどうにも合ってない。どちらも粘着型の演技で、またそれが魅力なのだけど、公房が描きたかったのはそういうものを取り去った世界なのだろう。彼らの味わいであった余分な情緒が、ここでは邪魔になる。『影武者』のときのように仲代達矢に変更されていたら、このケースではそっちのほうが良かったかも知れないし、同じ喜劇役者なら渥美よりフランキー堺のほうが合ってたかも知れない。ヌードスタジオで渥美と長山藍子が語るシーンは、テレビ版「男はつらいよ」のトラとさくらが会ってる気分。キャスティングでは市原悦子のミステリアスぶりが一番良かった。鏡像とかコップ越しの渥美とか凝った映像が、今見ると薄っぺらに見える。砂の変化する表情をあれだけ新鮮に捉えた監督だったが、都市を描くと意外と陳腐になってしまった。ただこの時代の変貌する東京とその近郊の記録としては価値が残る。公房は、公式には出来映えに満足している文章を宣伝用に残してるけど、全集に収録されたドナルド・キーン宛て私信では不満たらたらだった。4本続いた作家と監督の蜜月はこれを最後に終わる(だが公房は監督の次回作『サマー・ソルジャー』は評価していた)。都市の響きをアレンジしたタイトル曲は武満には珍しいが、そのなかから古曲が浮かんでくるあたりがあの人のタッチ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-06-03 12:08:34)(良:1票)
644.  いそぎんちゃく 《ネタバレ》 
カラーのポスターの印象が強かったけど、白黒映画だったんだ。白黒だと最初のクリーニング屋なんか70年代直前とは思えない昔の風景に見え、それとも高度成長期と言っても木場のあたりはまだこんな感じだったのか。この映画ではミ♯レ♯レミという音楽が流れると、男はムラムラッとして渥美マリに悪さをするキマリになっていて、それを見つけた亭主の妻が「あたし、出ていく、いいのっ!」って怒ると、亭主が「すまん、いいよ」って言うのがおかしかった。そしてとにかく男を渡り歩いていくの。大辻伺郎はもちろん、加藤嘉や牟田悌三ですら、ミ♯レ♯レミが流れ出すと、ムラムラッとする。強調されているのは渥美マリの食欲で、ラーメンをズズズーッとすするわ、別れるときもモリモリ食って「ご馳走さまでした」と去っていくわ、眼をギラギラさせてる老人の接待の料理屋でもパクパクするわ、と色気より色気以前の動物的食い気を強調、男に対してはただただ不貞腐れている。思えば渥美マリとは、60年代の今村昌平の春川ますみの食欲から、70年代の神代辰巳の伊佐山ひろ子の不貞腐れへとつないだ存在のようである。田舎の貧困や世間への怨みがモチーフとしてあるが、とりあえず掲げたという感じで、60年代末ではあまり説得力がなかったのではないか。
[映画館(邦画)] 6点(2009-06-02 12:15:44)
645.  右門捕物帖 拾万両秘聞 《ネタバレ》 
ああそうか、金田一シリーズの加藤武のルーツは、この志村喬の“あば敬”にあったのかもしれない。ヨシッ、分かった、とひとり合点し、見当違いの人間をしょっぴいていっちゃう、という役柄。志村喬の軽躁さと対照的に、アラカンはずっと大きな動きを見せずにムッツリ考え続け、「伝六、カゴを呼べ」で一気に動き出す。序破急の呼吸。時代劇でヒーローが悪漢を捕らえるときって、眉間にしわをよせ大仰に何かをこらえる表情をするのは、「てめえのような悪漢を含む世界全体を憂えてるんだ」ってポーズなのかなあ。それぐらい悲壮感に満ち満ちた表情になる。それとも「てめえのような汚ねえ野郎とは、仕事だからいやいや関わってるんだ」という軽蔑なのか。半世紀以上たってもテレビ時代劇の松平健あたりにまでつながっている伝統の眉間のしわだ。ドラマとしては、冒頭に刻限を決めた約束があり、ラストで切腹からのぎりぎりの救出があって、整えられている。十万両奪取の動機が複雑な政治的陰謀ではなく、恋のもつれというのがアッケラカンと分かりやすい。芝居小屋は時代劇ではよく背景に使われるが、味わいがあっていい。これでは犯罪で使われたシビレ煙幕と芝居の児雷也の仕掛け煙幕とが絡んでくる趣向で、ドラマの悪にも芝居の悪のようなおおどかな気分が添う。
[映画館(邦画)] 6点(2009-05-30 11:58:39)
646.  ぐるりのこと。
一方に20世紀末の世間を騒がせた事件史があり、一方に無名の夫婦の歴史がある。でもこうして裁判所での事件を並べてみると、個性的に見えたそれぞれが同じ「社会からの逃走」という病いの別の症状の現われに見えてくる。また、妻の母に認められるまでの夫婦史を眺めていると、世の夫婦というものは同じようでいてそれぞれの特殊を生きてるんだな、と思わされる。普遍と特殊がスルリスルリと交替しあっているような世界観。それらを貫いているのは「人生から逃げない」ということ。別に歯を食いしばって抗うことでなく、柔軟に、しかし逃げないということの大切さ、そんなテーマの周辺を回っていたような気がする。「とにかく面倒なことからは逃げよ」という人生訓を守って生きてきた者にとっては、粛然とさせられる。法廷スケッチという一日だけ有効な絵と、寺の天井画という永く残る絵、でもそれらが等価に支えあって夫婦になっており、また社会が成り立っている、そんなことを見ながら考えていた。夫婦のいさかいなど、長回しで場の雰囲気をそっくり捉えるところが、うまさ。ただ親戚連中は、時代の変化を見せるために動員されたような感じで薄っぺらい。それと天井画ってのがやや唐突だったような。
[DVD(邦画)] 6点(2009-05-29 12:07:23)(良:1票)
647.  熱泥地 [短縮公開版]
昔の映画を見ることは、そのまま俳優に反映した歴史を見ることでもあり、たとえば藤田進。ちょっと前までは理想的な帝国軍人をもっぱら演じていたのが、この戦後5年目になると、眠れないと言って酒飲んで荒れている役。彼が演じてきた人物とダブって見えてくる。この後『ひめゆりの塔』で、優しい日本の兵隊さんから一転して変わる軍人を演じて、彼は俳優として立派に戦争責任を果たしたと思っているが、それは別の話。飲み屋の女将なんかの脇役で、顔は知ってるけど名前までは…という俳優だった利根はる恵が、この時代は主役級でけっこう光っていたのだ。そう思って見ると、彼女には戦後混乱期の雰囲気がある。そして映画見終わってから調べたら、そうか『男はつらいよ・寅次郎忘れな草』のリリーの母親役だった。あれを忘れてはいけなかった。出番は少なかったが強烈な印象を残したものだ。つまりリリーの母親も、この『熱泥地』のヒロインのようにふてぶてしく輝いていた戦後史を秘め、飲み屋の女将をやって娘にたかる生活にたどり着いた、という歴史があったのだろう。でこの映画、崑らしい切れ味としては、斜めにシャワーが構図を断ってのラブシーンなど。アイヌの歌となると、これはもう伊福部昭の音楽。副題は短縮版公開時のもので、「現金」には「ゲンナマ」とふりがながついていたように記憶している。
[映画館(邦画)] 6点(2009-05-03 12:04:00)
648.  山のあなた 徳市の恋
これ元の映画を見ていないので、純粋に新作映画として鑑賞できるな、と思っていたら、DVDの最初にオリジナルの『按摩と女』の宣伝が流れ、しっかり高峰三枝子と佐分利信が頭にインプットされてしまった。すると作品中でヒロインがしゃべっても途端に高峰三枝子が出てきてしまい、おそらくしゃべり方も意図的に似せているのだろうが、気が散って困った。女が徳市をかわしてフラフラと後方に逃げるあたり、とてもいいシーンなのだが、清水版ではどんな感じなんだろう、と余計なことを思ってしまう。現在こういうリメイクを作る積極的な意味が、もひとつ見つけづらいところにも問題がありそうだ。一番はっきりしているのは色が着いたことで、緑のさわやかさ、ハイキングする娘たちのまぶしさなどが描けたことはある。話としては温泉宿とワケアリの都会の女ということで『簪』(これは見てる)の姉妹篇みたいな作品で、退屈している少年の絡ませかたも申し分なく、楽しめた。草彅君は川辺のシーンで着衣を脱ぎかけたが、全裸にはならなかった。
[DVD(邦画)] 6点(2009-04-28 12:04:15)
649.  MISTY(1997)
承知して手掛けた再映画化なのだろうから、黒澤と比較しては気の毒などと言ってはいけなかろう。と思っても、やっぱりテレビっぽいんだなあ。アップの多用で、たとえば手なら手に意味が集中しているような画面とか、おそらくテレビの話法としては充分生きるとこなんだろうけど、スクリーンだとスカスカになってしまう。あと音楽(監督のお兄さん)がかなりうるさかったこと。この原作はどうも自分なりの解決篇を付けたくなるらしく、今回は因果ものめいた出来事を絡ませていた。三つの証言にそれぞれ雨・風・雷三様の背景を持たせる趣向、死んでいく夫の前で繰り返される「あなた…」の声の調子が多様に変わっていく趣向、ラスト森の中でくねくね動き回ったカメラが樹を這うトカゲを捉える趣向、などは面白かった。で比較するが、黒澤の森のほうが深かったね。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-27 12:02:17)
650.  憂鬱な楽園
映画で青春の退屈を表現するとこうなる。底では焦燥がくすぶってるんだけど、空回りするばかり。ドンブリかかえて外で食事をする、列車が動くのを見守って。そういう気分。上海でレストランを始めるという、ここの現実と連続していない夢があって、それがあるだけかえってわびしいというか、情けないというか。うだうだしているところに不意の暴力があるが、しかしそれも派手に炸裂するわけではなく、くすぶる感覚。そしてとうとうラストでは、車でさえ田圃の中に止まってしまう。「燃えあがらなさ」というものを丁寧に描くその手つきはすごいんだけど、見てるほうはくすぶりばかりが残って、当然スッキリする映画ではない。この監督は、不良・チンピラ・やくざを好んで描くが、それらを描いて普通の「不良・チンピラ・やくざ映画」のスッキリした快感をもたらさせないことにかけては、徹底している。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-26 12:15:33)
651.  かごや判官
チャンバラより推理ドラマ仕立ての体裁。けっこう戦前って推理ものの時代劇が盛んだったんだ。戦中の名作、マキノ正博の『待って居た男』なんて現在の推理ドラマよりはるかに出来がいい。もっともこれはあんまり期待しないでね。推理より演出。死体からカメラが動いて、塀を乗り越え、外で騒いでいる町人にまで移動していく、なんて同時代の溝口健二というより、半世紀後の相米慎二を思わせる。取り調べでしゃべる女の声に合わせて、回想画面の人物の口が合う、なんてのもかなりシャレている。演出として成功しているかどうかは別にして、楽しい。長屋での権三の夫婦げんかと、助十の兄弟げんかがパラレルに描かれたり。このころは時代劇もモダンの風に吹かれていたのだ。もちろん歌も歌う。馬鹿が愛嬌の江戸町人。でもこの作品の製作は江戸でなく、松竹京都創立15周年記念映画。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-23 12:00:14)
652.  緑の大地
青島の運河建設をモチーフにした国策映画。大運河であり、大計画であり、大目標である、と藤田進はさかんに「大」を連発する。その「大」の前では、原節子の入江たか子への嫉妬など些細なこととなる。日常の煩雑さが、すべて「大」の前で消滅し、人生も世界も単純明快なものとなる。戦時下とは、そういう「大」の時代なのだ。「大」に関わる人物像も単純に磊落で、この監督の『隣りの八重ちゃん』の繊細なスケッチを愛する者としては、つらい。それとあと一つ、この時代の国策映画でよく見られる「親切を分かってもらえない」というパターン。『支那の夜』で典型的に見られたこのパターンは、反日運動の存在は否定できないので、「真意が伝わっていない」という形で納得しようとしてるわけだ。悪役をしっかりこしらえておいて、日本の汚点はそこに集中させておく。でもこの「誤解されてる」って言い訳は今でも政治家が失言問題起こしたときなんかによく使われ、もはや日本の伝統文化と言ってもいいだろう。よその土地に勝手に神社をこさえるのも、ここでは「善政」なのであり、それに反発されるのは「真意が伝わっていない」からなのである。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-16 12:08:10)
653.  与太者と海水浴 《ネタバレ》 
たぶん私が見た高峰秀子の中で、『東京の合唱』の次に古いものだと思う。9歳。『東京の合唱』では、まだ子ども一般という感じで個性は認められなかったが、ここに至って後の大女優に通じる個性が生まれている。と言っても、敏行君という、金持ちの坊ちゃん役。女の子が男の子を演じるのは、美空ひばりや松島トモ子が杉作をやったりと、最近の香港映画『ミラクル7号』に至るまでけっこうあり、芝居で男の子役を若い女優が演じるしきたりとつながってるキマリなのかもしれないけど、高峰で見られたのはこれだけ(あと『麗人』という島津保次郎作品で、岩夫君・6歳・てのを演じたのがフィルムセンターに残っているそうだ)。自伝によると高峰はこの時期男の子役のほうが多かったそうで、五所平之助監督は後になっても彼女のことを「坊や」と呼んでいたという。で、この映画だが、この金持ちの子どもと庶民の子どもの友情が軸の海辺コメディ。庶民の子どもを演じたのが『生れてはみたけれど』の金持ちの坊ちゃんだったのがおかしい。この時代にしてはかなり長い水中撮影がある。水中で汗を拭いたり、水中でその手拭いを絞ったりするギャグをやってた。パーティーの席で、魚屋が出された魚を、ついナイフで三枚にさばいてしまうギャグもよかった。この魚屋を演じたのは阿部正三郎というコメディアンで、この与太者シリーズでは磯野秋雄、三井秀男(弘次)とともに常連だったが、戦争に引っ張られて帰ってこなかったという。戦前の映画を見ていてつらいのは、幾多の才能がフッと途切れてしまうこと。さらに思えば、戦後花開いたに違いないもっと多くの名優や名監督の卵も、ガダルカナルやインパールで無意味に失われているのだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-14 12:18:57)
654.  うなぎ
男たちがダラダラと床屋に集まっているあたりに味を感じたが、これは今村のものだろうか。男たちの集団は『果しなき欲望』とか『豚と軍艦』とかで描かれてるけど、それらはもっとギトギトしたものを持っていた。今回はサークルのような寛ぎの場で、船大工、やくざもん、UFOきちがいらによる浮世床の世界。この場を提供している役所は一歩退いていて、心的には外部の柄本明に近いのかも知れない。だからギトギトと煮詰まってはいかない。もちろん監督には自分の作品のトーンを定着させない権利があり、こっちに勝手に決められても困るだろうけど、うなぎと言えば『復讐するは我にあり』のドローンネチャネチャとしたカットが印象に残っているので、ついネバっこいものを期待してしまったのだ。人を見る目が優しくなったぶん、ドキッとさせる時間は減ってしまった。昔だったら、柄本明がもっと膨らんだだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-13 11:57:26)
655.  愉しき哉人生
まるで安部公房の「友達」の設定を、皮肉でなくそのまま描いたような作品で、だから戦後の今見ると、「友達」と同じようなグロテスクなものに見えてくる。柳家金語楼の不気味さが遺憾なく発揮された映画に見える。冒頭なんか垢抜けてる。狂って鳴り出した時計を合図のように、風が起こり、主人公たち相馬一家の引っ越し荷物が向こうから現われてくる。全体としてアメリカ映画のスモールタウンものの味がある。中ごろでは桶屋のリズム、タンタンタンタン、タタータータタン、に合わせて唐突に山根寿子が歌を歌ったり、主婦たちのおしゃべりを、処理した音声でやってみたり、成瀬の奇妙な面をたくさん見られる。しっとりした成瀬ではなくて、乾いた成瀬。テーマは「気の持ちようで明るくなるさ」という、いかにも戦局が悪化している背景をうかがわせるもので、この登場人物たちの朗らかさがカタストロフの近づきをかえって動かしがたいものに感じさせてくれる。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-11 11:59:23)
656.  望楼の決死隊
後の反戦左翼監督も戦争中はこういうのを作っている。考えてみればまったく西部劇と同じ構造なわけだ。勝手によその土地にやってきて居座り、現地の人が襲ってくるのを匪賊として撃退する話。地元の人たちを身体検査する場面など、今から見れば、こういう辱しめを平気で与えていたんだなあ、という正直な記録に見えるけど、おそらく製作側の意図としては、こういう危険きわまりない土地で同胞の兵隊さんたちは日夜苦労しているのだ、という文脈であっただろうし、また当時の観客にとってもそうであったろう(こういうズレは映画受容ではけっこうあり、今井監督が戦後反戦映画のつもりで撮った『海軍特別年少兵』を、右翼の赤尾敏が激賞したこともあった)。活劇ものとして見ると、はずみかけると精神訓話が入り込んで停滞してしまうところが、まどろっこしい。母の死を隠してサッパリと笑っている高田稔とか。また戦友の家族的な仲間意識のステレオタイプの描写。だいたいヒゲ面の熊ナントカって豪放な性格のが一人くらいいる。川が氷ると歩行可能になり危険が高まる、その氷る音が銃声のように響く、なんてあたりはいい設定になるんだけれども、どうも活劇演出がまどろっこしい。丁寧にワンカットで一人ずつ倒れる。まあそうして“騎兵隊”が救援に駆けつけてくるわけだ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-04-01 12:05:37)
657.  信子
「坊っちゃん」の女性版であるけど(先生も生徒もほとんど女性)、東京と地方が入れ替わっている。夏目漱石では、維新の敗者であった直情の江戸っ子が、因習の地方に向かっていたわけだが、獅子文六のこれでは、直情の地方から軽佻浮薄・事なかれの東京に向かう。明治と昭和での地域世相の違いか。モダンな高峰三枝子に、「…ちゅうですけん」と九州方言を言わせるおかしみ。最初は国語教師のはずだったが、体育に回される。音楽の先生は松原操。問題児えい子さんがドラマを動かす。ハイキングのときいなくなるえい子さんをみんなで呼ぶところ、「え~子さ~ん」の反響、こういうところをタップリとる。最後のほうでもみんなが寄宿舎で「え~子さ~ん」と探し回るとこで、時間を充分にとる。緊張を持続させるためというのでもない。監督がこういう時間が好きなのだろう。人を心配する気持ちが満ちている空間・時間。心優しい監督なのだ。昔の映画は堂々と照れずに“明朗”をやれていいな。
[映画館(邦画)] 6点(2009-03-22 12:13:43)(良:1票)
658.  時をかける少女(2006)
木洩れ日や室内の陰りなど、光と影の“照明”が丁寧になされていて、平板な人物たちがそれで救われた。リセット願望というか、やり直し願望というか、なかったことにしたい願望、そういうものは若者よりも中年以上の世代のほうが強くあるんだけど、年とると深刻になっちゃうから、さわやかな話にならない。こういうテーマでさわやかにキュンとなれる主人公も、若者の特権なのか。タイムリープするにも、かなり体力が要りそうで、若くなければできそうもない。悔しい。停められない時間・魔の時の始まりを告げる商店街の自動人形時計の凶々しさなんかよかった。アニメとは動く画のはずだが、停止した時間も描けたのだ。停止した世界をゆっくり移動で捉えるシーンが美しい。それがあって走り続けるヒロインの場も生きてくる。映画ならではの反復の楽しみもいっぱい。それにしても、「遅刻しちゃ~う」と階段を駆け降り、朝食もそこそこに飛び出していく女の子で始まるドラマを、人はいったい一生のうちに何十本目にするのだろうか。
[DVD(邦画)] 6点(2009-03-06 12:15:07)(笑:1票) (良:1票)
659.  縞の背広の親分衆
おそらく同時代に見ていれば、3日たてば記憶からきれいに消える映画だろうが、今見ると東宝系コメディの懐かしさが匂いたって、へんに嬉しい。スリー・バブルズでしたか、ああいうのの存在とか、だいたい団令子が出るとそれだけで懐かしい。あそこまで丸々としたスターってのは、この時代以外にいただろうか(次点で京マチ子と薬師丸ひろ子)。フランキーと西村晃が小金治の店の入り口でにらみ合うとこ、若き愛川欽也(なぜか出ているのだ)以下チンピラ三名を鍛える東京タワー下・愛宕山の階段界隈の場とか、森繁が苦情係(象屋デパート)で各家庭を回るとことかに、はずみがある。ジェリー藤尾ら一党が出入りに出ていこうとして行進になるあたりも、実に東宝的。べサメムーチョから浪花節になるテーマ曲、森繁は当たり役森の石松の子孫という設定なのだ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-02-25 12:17:10)
660.  人のセックスを笑うな 《ネタバレ》 
長回しって、ある時間のかけがえのなさをその場の空気ごと捉えることもできるが、ちょっとの違いでただルーズにカメラを回しているようにも見える。見る側の気分に左右される要素が大きい。年上の女に、え? え? という感じで裸にされていく年下の男の子を捉えたりすると、その丁寧な言葉づかいもあいまって、とても充実した時間を封印できる。気まずさを描くのはこうするしかない、というように。でも空気マットを膨らませるところでは、緊張が抜けてみえた。たぶんこちらの気分の微妙な差なのだろう。長回しってほどではなかったが、バックする忍成の車の移動撮影なんか新鮮だった。一番よかったのは、だだっ広い畑の中のバス停のベンチの二人、その所在なげな感じをタップリ見せた後で男がバイクを反対方向に向け、とそこでカメラが突然向こうの反対側に移り、二人で乗って行くところを捉える。このカットつなぎの効果が生きるのも、前半の長さがあるからだろう。蒼井優・忍成修吾と『リリィ・シュシュ…』の顔が出てるが、あれも北関東で上映時間もほとんど同じ。
[DVD(邦画)] 6点(2009-02-08 12:01:47)(良:1票)
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