1. ロストケア
《ネタバレ》 クリスチャンでもないのに聖書を読み漁る意味は「救われたい」以外にありません。キリスト教の黄金律「あなたが人にしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい」この一文を斯波が聖書の中で見つけた時の心情は如何ばかりでしょう。自身の罪を正当化する「救い」の可能性を感じたはずです。 ここで斯波が犯した原罪「父殺し」を黄金律に照らしてみます。「あなた=斯波」にした場合。「父に死んでほしいので自分で父を殺しました」あれ?黄金律に当てはまりません。では「あなた=父親」にしたらどうでしょう。「もう楽になりたかった。だから息子に殺してもらった」こちらも黄金律ではありません。そう黄金律で「父殺し」は正当化されません。そこで斯波は考えたのです。黄金律で「自らを救う」方法を。それが「黄金律を実践する」でした。「天命をうけた」とはこのこと。斯波自身の経験(心情)を黄金律にあてはめ、要介護者を殺すことで介護に苦しむ家族を救っていく。家族が介護から解放され「良かった」と世間で認められた時、はじめて彼の「父殺し」も正当化されます。ですから一人や二人ではなく出来るだけ多くの事例を用意する必要がありました。遺族の心境を確認するために積極的に葬儀に出席しました。この斯波の「身勝手な犯行」は「介護で苦しむ家族にとってはまさに救い」でありました。目的はどうあれ、斯波の行為は問題解決方法として「芯を食っていた」わけです。介護の大変さは、経験者は勿論のこと、未経験者でも想像に難くありません。これが斯波を安易に断罪できない理由であり、善悪の判断を惑わせる最大の要因です。 問題が複雑な時は出来るだけ単純化することが肝要と考えます。本事件の骨子をみれば「自身の犯した罪を正当化するために別の罪を重ねた」になるのでは。どうですか。こう書くと斯波に同情する余地など無くなりませんか。特にキリスト教黄金律を持ち出し、実に41人を殺めたことは大罪です。おそらく法廷で遺族から「人殺し!」と罵られたのは相当堪えたはずです。自身の行為が介護家族を救っていなかったら「父殺し」も正当化できなくなってしまいます。大体において「良かれと思って」は「勘違い」か「自己満足」と相場が決まっているのですが。 もっとも法廷で叫んだ女性が本心を口にしているとは限りません。彼女が重介護から解放されたのは事実であり、彼女自身も当初感謝の言葉を口にしていました。でも実は殺されたと知ってしまった以上、父の死に安堵した自分は酷い人間に思えてしまう。だから彼女は自身の良心を守るため斯波を非難したのでしょう。また一方、斯波の犯行を知ってもなお「救われた」と感じる女性もいました。新しい人生を踏み出せたのは斯波のおかげ。多分どちらの感覚も間違っていません。長期に渡る重介護は人の心を病ませ狂わせます。この世で一番幸せな言葉が「ぴんぴんころり」なのは間違いありません。 なお斯波に同情の余地なしと書きましたが「父殺し」については違います。刑法的には「嘱託殺人」だそうですが私には「正当防衛」としか思えません。あの状況での父殺しを罪に問うのはあまりに酷な話。でも悪法でも法は法です。ですから検事にはプロとして自身の感情を押し殺し、斯波に粛々と対峙して欲しかったと感じます。事件の背後に横たわる社会問題に対してどう対処するか。大きな変革の原動力となるのは、同情ではなく怒りであると考えます。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-01-28 19:53:24)(良:1票) 《新規》 |
2. 蛇の道(2024)
《ネタバレ》 (1998年のオリジナル版の感想から続く)オリジナルの感想を踏襲するなら本作を料理、当然「フランス料理」に喩える流れですが、フレンチもイタリアンもざっくり「洋食」にしか括れない庶民ゆえ頓珍漢ご容赦ください。 セルフリメイクである本作。舞台をフランスに変え、新島の性別職業を変更しています。オリジナルを「フグの塩丸焼き」とするなら、本作は「フグのポワレ」といったところでしょうか(ポワレってどんな料理でしたっけ?)。これはこれで悪いとは言いませんが、オリジナルという「正解例」を知っている以上「物足りなさ」は否めません。胸糞は「アク」なので不要ですが、不条理は「苦み」「エグ味」であると同時に「旨味」でもあります。観客に配慮するあまり黒沢映画の味まで失っては本末転倒な気がしました。そう本リメイクのキーワードは「配慮」です。その最たるポイントが舞台をフランスに移したことでしょう。登場人物がまるで「無味無臭」でした。設定(背景)を知っているから「そのつもりで観る」だけで、彼らの言動で感情は揺さぶられません。これは被害者も加害者も同じ。役者の技量の問題というより、もっと根本的な部分で「コミュニケーションの壁」を感じました。 映画レビューサイトでドラマの話をして恐縮ですが、今期『ホットスポット』というTVドラマがあります。バカリズム脚本。市川実日子と東京03角田の掛け合いをみると「日本人にしか伝わらないだろうな」と痛感するのです。例えば100%言っている「言ってません」。表情、口調、仕草、間。各種情報が瞬時に真相を伝えます。これを「機微」と呼ぶのでしょう。演技力は勿論のこと、カメラワークや演出が素晴らしいのは大前提ですが、心情を受け取る側にも技量が求められます。といっても日本人なら普通に身に着けているスキル。こう書くと「差別」云々言われそうですが、そんなつもりは毛頭ありません。単純に「慣れ」や「経験」の話。ひよこの雌雄鑑定が素人には無理ですよと同じ。外国人でも長年日本で暮らしていれば機微を感じ取れるでしょうし、日本人でも子どもでは無理です。舞台をフランスに移した理由も多分これかと。外国人俳優を起用することで「わざわざ感情を伝わり難くした」。胸糞ぶりは最高峰クラスの物語。直撃すると心がやられます。設定や表現同様、人物に配慮を加え「観易くした」と感じます。それはエンターテイメントとして正しい姿勢でしょう。ただし匙加減は間違えました。カレーから重要なスパイスを抜いたような。あれ全然フランス料理の喩えじゃないですね。 さらに補足するなら「夫婦」の視点を付加したこともセルフリメイクの意義と感じます。オリジナルは「父親」の話。「母親」は欠片も出てきません。その「不手際」を補い「夫婦」の話に落とし込んだのは流石だと思います。新島最後の台詞が「監督が一番言わせたかったこと」では。採点は6点。オリジナルは7点なので1点しか違いませんが、胸糞マイナスの8点満点中の7点に対し、本作は10点満で6点です。点数以上に満足度には差があります。 [インターネット(字幕)] 6点(2025-01-23 18:14:36) |
3. 蛇の道(1998)
《ネタバレ》 韓国映画で如何にもありそうなお話。ないですか?観たことある気がしますが。ただし韓国映画ならばもっと「どぎつい」はずです。キムチ味?ヤンニョム味?どう喩えたらよいか迷いますが、いずれにせよ胸焼け必至。あるいは園子温監督の作風に同じ。その点本作は和食でした。というより味付けは最低限の塩だけ。簡素なもの。でも腕利き料理人・黒沢清の技が光ります。素材の味がダイレクトに伝わってくる分、これはこれでキツイ。むしろ濃い目の調味料による誤魔化しがない分「しんどい」かもしれません。 物語上不可解だったのは1点のみ。「誰が宮下(香川照之)の娘を殺したのか?」ということ。状況証拠は新島(哀川翔)を犯人と示唆しています。しかし彼にそんな蛮行が働けるでしょうか。普通の感覚なら、いや人の親ならば、出来るはずがありません。その一方、彼は「捉えどころのない男」でもある。思考回路が常人と違うのは明らかです。ならばやはり新島が犯人?いやいやそんなはずがない。じゃあ組織の仕業?宮下の娘が狙われたのは意趣返し?偶然?でも・・・。思考は堂々巡りするばかり。まるで2匹の蛇が互いの尾を飲み込み合っているような感覚に陥ります。「狂気」と「我欲」2つの蛇。食われているのはどちらでしょう。 本作の見どころは新島のキャラクター造形に尽きます。秀逸でした。前述したとおり捉えどころがありません。この謎めいた男を哀川翔が好演しています。いやこれを好演と呼んでよいのか躊躇します。演技云々の話ではないような。哀川がナチュラルに身に着けている「胡散臭さ」こそが、本作唯一の味付け「塩」の役目を果たしていた気がします。「は・か・た・の塩」ならぬ「や・か・ら・の塩」。おっと悪ふざけが過ぎましたが、冗談でも皮肉でもなく最大級の誉め言葉のつもりですのでご容赦ください。哀川翔のベストアクトは『ゼブラーマン』でも『DEAD OR ALIVE』でもなく本作の新島であると無責任にも断言します。あれ『DEAD OR ALIVE』は観てたかな。さて、これから2024年制作のセルフリメイク版を観ます。そのために本作を先に鑑賞しました。正直役者としての技量は、哀川翔より柴咲コウの方が上だと思いますが、この役に限定するなら柴咲に勝ち目はないと感じます。リメイク版の感想に続く。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-01-20 18:12:37) |
4. Cloud クラウド
《ネタバレ》 黒沢清監督と言えば邦画界きってのホラー上手であり難解映画クリエイター。その語り口は『黒沢清節』とでも呼びたい特徴ある演出技法にあり、ホラーとの相性が抜群です。また「台詞ではなく映像で語る」を旨とし「観客の想像力」を最大限活用する脚本を用いるため「親切」「丁寧」とは無縁の監督と言えましょう。ゆえに黒沢作品は(しばしば)難解映画にカテゴライズされるものと考えます。そこで本作。現代日本社会の闇を切り取った寓話的サスペンスでありました。そう、本作は本質的に「寓話」です。設定や展開は寓話らしく単純化されていますし、リアリティは担保していません(というよりリアリティを必要としない)。キャラクターの言動は合理性を欠きます。一般的なサスペンス映画のつもりで鑑賞すると「なんだこりゃ」になりかねません。リアリティ至上主義の岸部露伴先生なら白目を剥くかと。しかし寓話と認識してしまえば問題ありません。ネット世界を中心とした破滅の道程が「むしろ生々しく」描かれていました。 なお本作は「難解」ではありませんが「解釈」したくなる物語ではあります。そこは流石の黒沢印。例えばラーテル配下の青年。獅子身中の虫か、簀の子の下の舞か。劇中「転売屋の仕事はババ抜きのようなもの」という台詞がありましたが、彼はまさしく「JOKER」の象徴でしょう。ババ抜きならば最後まで持っていたら負け。でもポーカーや大貧民なら最強のカードでもある。転売屋という商売におけるババ=JOKERは紛れもなく商品で、大化けして富をもたらす物もあれば、利益ゼロどころか厄災を連れてくる品もある。いずれにしても自分の意思で手放すことは叶いません。ほんと転売はババ抜きに等しい。今回の騒動では最強カードJOKERの特性により窮地を脱することが出来た主人公ですが、ババ抜き人生は依然続行中です。富と憎悪の先にあるのは負けた時破滅が確定している未来。JOKERと共に生きるより選択肢がなくなった人生を「地獄」と呼ぶのに違和感はありません。 [インターネット(邦画)] 8点(2025-01-18 16:43:00) |
5. あのコはだぁれ?
《ネタバレ》 本作はホラーシリーズの続編です。1作目『ミンナのウタ』から順に鑑賞することをお勧めします。 恨み辛みで呪い殺すのではなく、純粋な好奇心と探究心で人を殺める高谷さな。呪いを解かなければ必ず死に至る貞子に対し、さなの呪いはさほど致死率は高くありません。実は助かる人の方が多いのです。しかし感染力は半端ありません。貞子の場合は某病原ウイルスを由来としていますが、さなの呪いはまるでコロナウイルスのよう。要するに「風邪」です。マキタスポーツがいう「厄介だ」とはこのこと。頑張れば無害化できる貞子の呪いの方が対処し易いとも言えます。「風邪は万病の元」ならぬ「さなの呪いは万死の元」。さなの呪いはこの世界から消え去ることはありません。まさに新型コロナウイルス=COVID-19の如き厄災でした。もっともCOVID-19の予防法が「人と距離を取る」であったのに対し「さなの呪い」の対抗策が「手をつなぐ」なのは何とも皮肉な話でありますが。 呪霊「高谷さな」のポテンシャルは相当に高いと感じます。呪いの媒介はキャッチーなメロディ。事務所いや家族総出で嫌がらせをしてくる点は相当に悪質です。上手く育てれば(?)貞子、伽椰子に次ぐ新たなホラーヒロインになりうる逸材では。にも関わらずなぜこんなにもパッとしないのか。これは偏にリアリティの欠如が問題と考えます。例えば冒頭の自動車事故。動転して救急車を呼べないのであれば硬直してください。それがリアリティ。頭部を強打している人間を躊躇なく抱き起こすのは不自然過ぎて見ていられません。終盤に仕込まれている大ネタにしてもそう。漢字は同じで読みだけ変えていたら素直に感心出来たのに。「改名はそんなに簡単じゃねえぞ」ですし「そもそも改名する意味ねえぞ」とも思います。おフザケは結構ですが、いい加減なのは困ります。いくらトンチキホラーだとしてもです。折角の優れたアイデアが脚本の不手際で殺されてしまうのはホラー以上にホラーな話という気がします。 [DVD(邦画)] 5点(2025-01-01 00:00:01) |
6. 唄う六人の女
《ネタバレ》 ハイセンスお洒落系不条理サスペンスの装丁ですが、中身は典型的な寓話でした。時代設定さえ変えれば「まんが日本昔ばなし」の一編でも違和感はありませんし、ジブリ映画と言われても気づかない。さしずめタイトルは『もののけ森の神隠し』。おっと内容は意外とハードなのでファミリー向けではありませんね。 寓話ですから教訓が付き物ですが、本作の場合は何でしょう。「自然を守ろう」ですか?あるいは「親と仲良く」ですか?いいえ違います。「ここぞという時、判断を誤るな」です。 主人公は奇跡的に迷いの森から生還し恋人と再会できました。それは森の住人の意思を汲む姿勢を見せたから。道義的に彼は森を救う努力義務を負いますし、彼自身の意向にも沿うので不都合はありません。しかしタイミングを測る必要はありました。 恋人は主人公に懇願します。一旦家に帰りましょう。大事な話もあると。しかし彼は固辞し再び森へ向かってしまいました。この展開は映画として当たり前です。戦闘員とひとしきり戦ったのち、一服してからボスと戦う仮面ライダーなんて居ません。公共の利益のために我が身を投げうつ様は『宇宙戦艦ヤマト』のヒロイズムに通じます。しかしこれは昭和の価値観に基づく正義では。今時流行りません。ワークライフバランス。デジタルトランスフォーメーション。私は主人公には一度冷静になって頂き、家に帰って欲しかったと思うのです。それじゃあドラマチックじゃない?知らんがな。 その場の勢いで無茶するのがカッコよく思えるのは精々20代まで。不惑どころか知命に差し掛かる大人の分別の無さに閉口します。適齢期の女性と付き合う覚悟に欠けるのも同じこと。そういう意味で彼は"大人になりきれていない"と感じました。これは武田玲奈と付き合える50男にやっかんでいる訳ではありません。ええ、断じてありません。 教訓は基本的に反面教師や失敗例なので"正しい"寓話の姿ではあります。ただし現代劇ならば、現代らしい教訓を入れては如何でしょう。ラストで「車両保険に入っていて本当に良かった」なんて一人語りを武田が始めたら、映画としては0点ですが私は満点を付けます。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-21 16:11:10) |
7. ミステリと言う勿れ
《ネタバレ》 ネタバレしています。ご注意ください。 テーマは「幼少期の重要性」です。整くんは少女が抱えるトラウマに対して「子どもの心は固まる前のセメント。どんなものを落とされたのか」と嘆いています。確かに彼女は心に深い傷を負っていました。しかしカウンセリングである程度の修復は可能でしょう。それが救い。しかし犯人の方はそうはいきません。常軌を逸した犯罪を自身の使命として疑わない。洗脳等という生易しい代物ではなく、アイデンティティに根ざした異常な価値観が形成されていました。更生は不可でしょう。そんな刷り込みを与えた親の方が自身の犯罪を理解している分「まとも」というのが何とも遣る瀬無い。後味の悪い結末でした。 『ミステリと言う勿れ』はTVドラマは録画を繰り返し観るほど好きですが、原作は未読です。そのような私が常々感じているのは「この作品は嘘(無茶な設定)が多い」ということ。代表的なのが「ライカさんの数字会話」ですが、本作の「動機」も相当無理がある。例えばこれが戦前の話であれば納得出来ます。閉ざされた村。家族の中で異常な概念を刷り込まれたら、そりゃ狂って当たり前です。しかし現代日本では様々な情報や価値観にさらされる。勿論基礎教育もしっかりしている。正直、ここまで反社会的な、というより荒唐無稽な価値観が形成されるのか疑問です。いやアルゴリズムで一面的な情報を吹き込まれ、陰謀論が幅を利かせてしまう現代日本の方がむしろ危ないのかも。 設定上の不具合は当然マイナスですが、整くんの言葉が魅力的なためマイナスを帳消しにして上回るプラスがありました。シリーズの本質は確かに「ミステリ」ではなく「整くんの説教」だったと思います。寓話的な楽しみ方と言っていいかもしれません。この観点でこの映画を見返すと、整くんの説教がやや不足していた気がするのです。これが映画に対して感じる「なんとなく物足りない」の正体では。整くんが反論するに値しない異常な犯罪であったとも言えますが。 [ブルーレイ(邦画)] 6点(2024-12-05 10:54:47)(良:1票) |
8. 変な家
《ネタバレ》 原作者の雨穴氏はイントロダクションで「本は4章構成。映画は例えるなら第5章。小説と映画2つ合わせて初めて【変な家】が完成する」と言っていました。私はYouTube動画しか観ていないので断言は出来ませんが「第5章」ではなく「蛇足」【変な家】ではなく【変な映画】の言い間違いだったと確信しています(あっ断言してる)。 [ブルーレイ(邦画)] 4点(2024-11-28 22:59:49) |
9. 先生!口裂け女です!
《ネタバレ》 高校の教室で生徒の口から表題の台詞が発せられます。つまりタイトルの「先生」が指したのは「教師」でした。もちろん世間一般で「先生」と呼ばれるのは教師に限りません。医師、弁護士、代議士、小説家、漫画家などなど。そう、本作の「先生」にも「教師」以外の意味が含まれていたのです。格闘技の師範を称して「先生」と呼ぶ。その相手が「口裂け女」でした。分かり易くタイトルを補足するなら『先生は口裂け女です』。観ていない人には「なんだそりゃ」でしょうが、本作では「口裂け女」が仲間となり、主人公に格闘技を教えました。予想だにしなかった展開。そんな口裂け女は、アパート住まいの単車乗り。都市伝説の怪物ではなく、「走るのが異様に早く」「格闘が滅法強い」「口が裂けている一般女性」というオチです。このアプローチに感心しました。散々擦られてきた「口裂け女」にこんな切り口があったとは(おっと、この切り口は駄洒落とかではありません。なんか恥ずかしいわ)。しかもこの設定がフェイクで二度びっくり。「口が裂けているだけの一般女性」と思わせて、やっぱり「怪物」だったとは。そうじゃなきゃ、平気で何人も殺したりしないでしょうよ。いやはや、見事な脚本、そしてアイデアの勝利でした。何気に格闘シーンも見応えありで、主人公が口裂け女から習った技を繰り出すシーンなんてジャッキー・チェン映画ばりのカタルシスがありました(ちと褒め過ぎ)。 怪物が正義の味方という観点では『妖怪人間ベム』や『デビルマン』の流れを汲むものであり、昭和のヤンキー漫画のテイストを令和で再現したという点では『今日から俺は』に通じるものもあります。と、結果的に絶賛レビューとなってしまいましたが、見た目通りB級映画である事に違いはありません。役者さんの演技含め安普請であることは否めません。ただ、前述のとおり「よく出来ている」のです。喩えるなら知らないコンビニの500円弁当が800円くらいの価値があった時の嬉しさというか。ですからデパ地下の1,500円弁当には負ける訳です。でも好感度は高いでしょって話。何だか取り留めのない感想になってしまいましたが、現場からは以上です。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-11-20 18:28:00)(良:1票) |
10. ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ
《ネタバレ》 ネタバレ含みます。ご注意ください。 「シリーズ最高傑作」なんて言葉を使うと逆に信憑性が疑われそうですが(失礼。他意はありません)率直に言って最高でした。『ベイビーわるきゅーれ』が「完成」した気がしました。二作目は「洗練されたけど逆に物足りなくもない」と感じましたが、本作には満足感しかありません。同じく二作目の感想から引用するなら、マジで170kmの豪速球なのに制球力抜群の投手に育った印象です。中でもアクションの進化と深化が止まりません。もともとジャッキー・チェンとUWFのハイブリッドでしたが、更に桃太郎侍と昭和のロボットアニメ最終回もトッピング。"リアリティなんてクソ喰らえ"(暴言失礼)なファンタジームーブは圧巻の一言で、アクション映画におけるエンターテイメントサイドの頂を極めたようにも感じられます。これは単に「格闘シーンの見栄え」を称賛しているのではありません。「気持ち」と「ドラマ」を乗せたアクションだからこそ心が揺さぶられたのです。プロレス的と言っても構いません。そういう意味で本作の殊勲賞は圧倒的な存在感を見せつけた池松壮亮で間違いなく、技能賞は伊澤彩織に、敢闘賞は髙石あかりに差し上げたい。とくに髙石は俳優として一皮も二皮も剥けたと思います。ベビわるファン(そんな略し方はしないですか?)は基本的に深川まひろに魅了されている気がしますが(もしかすると勘違い?)、本作の杉本ちひろに惚れないファンなんて居ないでしょう。コメディエンヌとしてもアクション俳優としても申し分なく、NHK朝ドラヒロイン抜擢も何ら不思議ではありません。これから髙石あかりという逸材が世間に見つかる訳です。胸熱ですな。 「勝利」「友情」「お仕事大変」が三本柱のエセ少年ジャンプのような本シリーズは、アクションだけでなく青春ドラマもコメディパートも素晴らしく、こと本作に至っては欠点らしい欠点が見当たらない「無敵映画」となりました。いや、1点だけ注文を。個人的な好みを言わせてもらうなら最終盤居酒屋での台詞が引っ掛かりました。「らしくない殺し屋」がコンセプトではありますが、二人に『深夜高速』みたいな台詞は言って欲しくなかったなあと。「ボロは着てても心は錦」ではありませんが「ケーキを頬張っても気概は殺し屋」であって欲しいと願います。重箱の隅を突くような言い掛かり、申し訳ありません。 それにしても前作の駆け出し殺し屋ブラザーズといい、本作の最強野良殺し屋といい、愛すべき良キャラクターが1作限りで退場とはなんと贅沢つくりでしょう。作品の性質上仕方ありませんが、本当に勿体無い話です。救いは前田敦子と沖縄マッチョが生き残ったことでしょうか。次回以降も必ず出演してくださいね。 シリーズ続編映画に本サイトの最高点を付けるのは『エイリアン2完全版』以来であり、中毒性は『キック・アス』にも負けません。『チョコレートファイター』で「一食抜いてでも観るべき映画」と書きましたが本作でも同じ事を言わせてください。これらは私の中で最上級の褒め言葉です。 [映画館(邦画)] 10点(2024-11-09 22:12:34) |
11. あまろっく
《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。 本作のハイライトは【私があんたのあまろっくになってやる】です。優子にこの台詞を言わせる為の物語でした。なんと感動的な言葉でしょう。私は撃ち抜かれました。しかし同時に「でも自分の人生を犠牲にするのはあかんやろ!」と猛抗議せずにはいられません(口調は関西弁で)。結末についてはあえて言及しません。未見の方はご自身の目でご確認ください。 本作についてはやはり「リアリティ」に触れざるを得ません。①20歳女性と65歳男性の結婚は許されるのか。②39歳無職女性に同年齢の商社マンは釣り合うのか。③20歳継母と39歳義理の娘との同居は可能なのか。常識的に考えれば全てNOです。お花畑が過ぎます。私自身3人娘の父親なので①については仮に相手がビルゲイツやキムタクであっても論外です。②は「そんなケースがあっていい」とは思うものの、確率はかなり低いと思います。39歳橋本環奈が24歳の牧野ステテコに勝てないのが婚活市場では。③については何でしょう。地獄絵図しか思い浮かびません。今は無き昼メロドラマの呪いでしょうか。しかし本作は愛の物語。あらゆる障壁が無効化される強力魔法が掛けられています。だから常識を持ち出しても意味がありません。これは現実世界も同じ。そういう意味で「愛」は無敵です。 あるいは「多様性を認める社会」という切り口で本作を解釈することも可能でしょう。この概念もまた愛には敵わぬまでも十分強力な魔法です。八百万の神を認める日本人気質にも本来「多様性」は合っている気がします。もっとも本作が上質なのは、これら魔法を物語上の免罪符として利用していないこと。あくまで正攻法で観客の理解を得るよう努めています。好感度オバケの鶴瓶師匠。鯖以上にサバサバしている江口のりこ。キャラクター造形は文句なしで、夢物語に最低限のリアリティを担保しています。ただ一点だけ異を唱えたい箇所あり。それは年の差カップルの馴れ初め。男女を入れ替えれば即訴訟案件なのは間違いなく、コレが許されると思う感覚が古いと思います。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-10-09 22:58:02) |
12. 新・三茶のポルターガイスト
《ネタバレ》 以下は私の受け止めであり、あくまで「個人の感想」です。予めご承知おきください。 前作では霊の「手」が出現しましたが、本作では「頭部」「上半身」も姿を現しました。続編らしく現象がちゃんとスケールアップしています。中でも衝撃だったのは『オカルトセブン7★』なるアイドルちゃんのステージに突如として現れた「仮面の男」でした。11人グループなのに「1人増えている!」と現場は騒然。失礼ながらこの時点で爆笑です。と同時に「ガチ」の看板が跡形もなく消えました。この件も含め「不可思議な現象」に対して科学分野の専門家が現場検証を行いましたが、超心理学者も物理学者も見解は「やらせ」で一致しました。「物理学とはあらゆる可能性を排除し構築されてきた理論。もし覆るような発見があれば即ノーベル賞だ」という物理学者の言葉は重いと感じます。 ここで注目したいのは「超常現象」の定義です。科学者は先の言葉のとおり「あらゆる可能性を排除して残った事実」を指すのに対し、オカルト支持者は「不思議な事はオカルトに違いない」でした。印象的だったのは「仮面の男」が消えた跡から「枯れ草」が見つかった件。現場に居合わせた者の共通認識は「多少臭うかも」でしたが、角由紀子氏のみ「あの臭さは異常。ジップロックを何重にもしないと漏れ出てしまう」と語っており「認知バイアス」の存在が伺えました。「呪物は臭い」がオカルト界隈の常識です。あるいは「息を吐くように嘘を付く」症例かもしれませんけど(失敬)。この件に限らずオカルト支持派の主張は主観ばかり。「あんな狭い場所に長時間人が潜むのは困難だ」「この現象を人為的に起こすなら一体いくら経費がかかるのだ」「仕込みがバレたら恥ずかしい。だからヤラセは無い」「スタッフを心霊騒動に巻き込むのは道義的にありえない」などなど。仕舞には「霊が居ないことは証明されていない」です。私の耳には「ギブアップ」に聞こえます。 「客観」の科学VS「主観」のオカルト。双方仮説止まりで誰も核心(物証)へ踏み込もうとしません。武士の情け?ビジネスにおける阿吽の呼吸?いずれにせよイニシアチブは施設所有者&映画制作サイドが握っているため、不完全決着が彼らの意思です。いわば「両者リングアウト」。昭和のプロレスでした。なお今回「水が噴き出る鏡」については完全スルーでした。鏡を外せばトリックの有無は一目瞭然なのに。この一点からも本現象の正体が垣間見えます。 さて、ここからは私が推測する【騒動の顛末】です。【発端はプロモーションも兼ねたオカルト好き社長の些細な悪戯。次第にエスカレートしていき世間にも知れ渡り引き返せなくなった。噂を聞きつけたオカルト界隈や映画制作会社はビジネスチャンスに乗っただけ。真相を知るのは事務所関係者の一部。真相を知らぬ(どうでもよい又は知らぬフリを含む)取り巻き多数。洒落が通じなかった一般人(陣内、デニス含む)が大多数。なお明らかに“やりすぎ”な「仮面の男」は、社長からの「消極的なやらせの告白」ではないか】以上。最後の一文は「匙加減を間違えた過剰なサービス精神」な気もしますが。 前作の私の投稿をお読み頂けると分かりますが「ガチ」であることを少しでも期待した自分を恥じています。「オカルト」に「ガチ」なんて概念は無い事をすっかり忘れていました。UWFでもあるまいに。やはりポイントは「仮面の男」と考えます。あれは「この作品はフィクションです」宣言。街裏ぴんく氏の「女芸人としてやらせてもらってます」と同質のボケです。つまり前作の感想で私が提示した「選択式回答」の答え合わせをすると④が正解でした。ぴんく氏の場合ピン芸人なのでツッコミ不在ですが、映画では科学者がツッコミ役です。しかしながら学者先生は芸人ではないため、まるでキレがありません。だから観客は戸惑うのです。いっそカミナリのたくみ君を連れてきて「こんなのオバケな訳ねえな!」と角由紀子氏の頭をはたけば分かり易くコントが成立しました。東京ホテイソンの「い~や普通にアイドルファンの男子」でも良いでしょう。 冷静に振り返ると最初から「ガチ」の看板など掲げられていなかったのかもしれません。「映画はフィクション。ドキュメンタリーはノンフィクション」という先入観がいけなかった気がします。今回私は劇場鑑賞こそしなかったものの、普段は手を出さない新作レンタルをしています。お値段500円也。社会勉強代としてはリーズナブルと思います。「自分だけは絶対に詐欺に引っ掛からない」は「あり得ない」が身に染みた貴重な体験でした。流石に本作で打ち止めだと思いますが、万が一にも続編で「あらゆる可能性を排除した本物の超常現象」が確認された場合は陳謝して考えを改めると共に点数を変更します。勿論その時はノーベル賞受賞も併せて御祝い申し上げます。 [インターネット(邦画)] 0点(2024-09-16 16:27:56) |
13. 帰ってきた あぶない刑事
《ネタバレ》 『トップガン』『マトリックス』少し前だと『インディージョーンズ』。不思議なタイミングで制作される人気シリーズ映画の続編。本作もそんな映画のひとつです。前作公開から実に8年後。劇中でも同じ月日が流れていました。当然キャストの皆さんもその分御歳を召す訳で、ダンディ鷹山もセクシー大下もはっきり言えばお爺ちゃんです。だって実年齢70オーバーですもの。しかし文句なくスタイリッシュ!期待値を遥かに上回る見事なアクションを見せてくれました。郷ひろみにしてもそうですが、ファンの理想を裏切らぬプロポーションを維持しているだけで本当に凄いと思います。これぞ「スター」で間違いありません。 物語の方は良くも悪くも『あぶない刑事』としか言いようがなく、本来昭和のエンタメ刑事ドラマのスタイル(または様式美)を令和で再現しようとするとこうなるんだろうなという感じ。こう言っては何ですが脚本家の方はさぞ頭を悩ませたことでしょう。元刑事に銃を撃たせるだけでも無理難題どころの話じゃありません。ですから私は二人に銃を渡した力技に対し「そんな訳あるかい!」とは言いません。よくぞ鷹山刑事に「単車ショットガン」シーンを用意してくれたと素直に感謝したいと思います。もちろん浅野温子さんも仲村トオルさんも「らしさ全開」の熱演ありがとう御座いました。 さらなる続編は無いとは思いますが、もし制作されるのであればいっそ「ゾンビもの」へシフトしては如何でしょうか。この世界なら倫理観とかリアリティなんてものに縛られず、自由に銃が撃てますし、あぶデカドラマも違和感なく展開出来るのでは。これ冗談に聞こえるかもしれませんが、割と本気で提案しています。ちょっと想像してみてください。マジでハマると思いませんか? 以下余談。作中若かりし頃のタカ&ユージが出てきますが、当時のTVドラマの映像素材ではなくAI生成CGが使われていた気がしますが気のせいですか?特にミドル鷹山に違和感があったのですが。多分ハリウッドあたりでは当たり前になりつつある技術だと思いますが、いずれ年齢差を理由とする配役吹き替えが無くなるんでしょうか。そうだとすれば正直ちょっと嫌だなと思います。似たイメージの俳優で吹き替えたり、直接顔を映さない演出だったり、今まで培われてきた技術や工夫が失われていくようで少し寂しく感じるのです。究極的には俳優さんも要らなくなる理屈ですし。 [映画館(邦画)] 7点(2024-09-05 19:45:28) |
14. ヒットマン・ロイヤー
《ネタバレ》 「裏の顔は殺し屋」といえばご存じ『必殺仕事人』。『ファブル』もそうかな。洋画だと『デス・ウィッシュ』でブルース・ウィルスが外科医の処刑人を演じています。殺し屋も社会生活があるので表の顔があって当然ですけども。さて本作では「ロイヤー=弁護士」と「ヒットマン=殺し屋」2つの顔を持つ男が主人公です。もっとも「殺し屋」の方は“人斬り以蔵”こと岡田以蔵の末裔だからそう呼称しているだけ。大袈裟な物言いです。実際は証人に刀を突きつけて有利な証言を引き出す程度。その結果、裁判は連戦連勝だそう。公式HPでは「己の正義で悪を裁く」とあります。どうです?やばいでしょ。近年稀にみるヤバさでした。 例えば『必殺仕事人』で留飲が下がるのは、法の裁きが及ばぬ加害者に対し被害者側から正当な罰を与えるから。「公」の機能不全を「私」が代行するとも言えます。あるいは弁護士業とは別件で人殺しをビジネスで請け負うなら犯罪映画として楽しめそう。しかし弁護士の顔で半端な暴力を振るわれても困惑します。どこの六法全書に「暴力を振るっていい」と書いてあるのでしょう。裏金を使う悪徳弁護士と何ら変わりません。そう、主人公は裁判に勝つためなら手段を選ばぬ極悪弁護士でした。それならそのように描けばよいものを「正義」や「悪」なんて言葉を持ち出すからややこしくなるのです。弁護士は依頼人のために働きます。そこにあるのは「利」のみです。あえて「正義」を使いたいなら「依頼人の利益を守ること」でしょうか。じゃあ対立する主張が「悪」ですか?そんな馬鹿な。その都度変わる「正義」を「己が信条」に置き換えるなど土台無理な話です。古美門研介なら白目を剥いて笑うでしょう。「己の正義で悪を裁く」のであれば、依頼人に左右されるロイヤー=弁護士ではなく、ジャッジ=裁判官の方が適任です。ただし弁護士よりずっと害悪な気がしますが。おっと「遠山の金さん」を悪く言うつもりはありません。あれは検事と判事の兼任ですから。 主人公はジェネリックGACTというか、ワイルドつんくというか、要するに眉毛キリリのホスト顔でした。とても弁護士には見えません。というか輩です。やから。と思っていたら案の定物語後半はヤクザの抗争劇にシフトします。何だそりゃ。夜の市街地でひとり悦に入り日本刀を振り回す主人公。銃刀法違反で捕まりますよ。法廷劇も驚きのクオリティでした。ずっと歩きながら論述しますし、常に傍聴人に訴えかけています。単に取材不足というよりもっと本質的な誤解。法廷劇の意味を履き違えているのでは。『リーガルハイ』は土台となるドラマやキャラクターが秀逸だからこそ成立するエンタメですよ。裁判官の許しも得ず延々と弁護士同士で公判を進める様はまるでコントでした。通常ここまでダメ出しを重ねると「でもアクションシーンは良かったですよ」と褒めてバランスを取る良識派の私ですが、本作については言えません。アクションは普通です。伊能昌幸(ラーメン屋)の格闘アクションスキルが高いのは確認済み。彼を有効活用しないなんてホント勿体ないです。よってトホホなVシネマのつもりで「ネタ映画」として鑑賞することをお勧めします。「ネタ映画」としてなら楽しめる(面白がれる)方もいるはずです。 [インターネット(邦画)] 3点(2024-09-04 18:58:31) |
15. ぬけろ、メビウス!!
《ネタバレ》 元服はおよそ15歳。高校卒業なら18歳程度。「巣立ち」は重要なライフイベントのひとつですが、大学進学が過半数の現在そのタイミングは概ね「後ろ倒し」となっています。主人公は24歳。巣立つ年齢として遅くはないですが、彼女はすでに社会人でした。普通なら当該イベントは終了済みのはず。しかし彼女はまだ巣の中に居ました。 タイトルにある「メビウス」とはご存じ「メビウスの輪」のこと。進んでも元の位置に戻る特殊構造を、進路が定まらず停滞している現状に喩えています。また主人公が好意を寄せるイケメン帰国子女エイト君も8を横にしてメビウスです。よってタイトルは「足踏みしている現状とイケメン彼氏から抜け出せ!」という意味です。因みにエイト君パパ&ママのキャラクターは完全に「アメリカンホームドラマ」を揶揄しており、その会話劇は作中随一のお笑いポイントとなっていました。皆さん一緒に「欧米か!」と突っ込んでみましょう。 「全て母親に従って生きてきた」この思いが主人公の自立を阻む根本要因です。彼女自身でそう分析済み。ですから主人公に必要だったのは「自分で決める」という経験でした。本来ならアドバイスを参考に「決断」すればよい話ですが、精神的に未熟だと「従った」のか「自身で決めた」のか判別出来ません。でもアドバイスに反する選択であれば「自分の意思」と実感できるでしょう。往々にしてこの論法により若者は間違うのです。主人公の場合も同じ。彼氏の選択を誤りましたし、たぶん大学受験も・・・。しかし繰り返しますが重要なのは「自分で決めること」です。結果より過程。これは結果が全ての現実社会と正反対の案件。だから物語も受験の合否を見せません。必要ないから。そもそも人生の正解なんて何でも知っている神様でもない限り分かるものですか(あれ?でもカウンターに神様が居ましたか??)何なら誤答を正答に変えるのも自分次第だったりします。だから人生って面白い。 母親は正しく母親でしたし、娘の振る舞いも何ら問題ありません。「このままだと行き詰った時、お母さんを言い訳にしてしまう」と理解しているなら大丈夫。勉強は出来ないかもしれませんが賢い子です。全ては人生を悔いなく終えるために。どうぞ沢山足掻いてください。なお母の言葉「自分のコンプレックスを好きだと言ってくれる人と結婚しなさい」は金言なので、しっかりと心に留め置くと良いでしょう。個人的には元彼に100回土下座をすればよいと思います。彼以上の伴侶を見つけるのは東大合格より難しいでしょう。 巣立ちのドラマとしては大してドラマチックではありません。また主人公のキャラクターも俗物的です。でもだからこそ「自分ごと」として捉えられるのでは。冒頭で「社会人なら巣立っていて当たり前」と書きましたが、本当はそんな事ありません。経済的にも精神的にも自立するのは大変なこと。ある意味「自立しなくても生きていける」のが今の日本社会とも言えます。 多様性の時代ではありますが、ライフイベントには適齢があり順番があります。少なくとも母親はそう考えているでしょう。だから反抗する娘に対し諦めたように「好きにしなさい」と言ったのです。これは「後悔しないのであれば好きにしなさい」という意味。見放したわけでも何でもなく本心だと思います。私も我が子に対して「幸せになって欲しい」と同じくらい「なるべく悔いなく生きて欲しい」と願っています。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-09-02 18:22:01) |
16. マッチング
《ネタバレ》 一応「真相」と「犯人」は明かされていますが、不明な個所が多々あります。よって想像も交えながら物語を整理してみます。ネタバレしていますので未見の方はご注意ください。 テーマは「マッチングアプリなんてロクなもんじゃない」ではなく「不倫ダメゼッタイ!」でした。これが殺害動機でもあります。指示役は幼少期に親の不倫で家庭を壊されたマッチングアプリ会社社長。実行犯は特殊清掃員のトムでした。社長はアプリを介して登録者の不貞情報を入手したと思われます。殺された者たちはいずれも不貞を働いていたのでしょう(そんな人間性だから直前にブーケを取替させたり、会食直前にアレルギー情報を伝えたりする)。顔に大きく×を刻まれ、手を固く握り合った状態で殺されたのも不倫の罰という意味です。これら一連の殺人事件のうち、主人公の「恩師夫婦」と「女性同僚」殺害のみ社長自ら実行しました。前者はトムに断られたから(運命の彼女の恩師は殺せない)。後者は口封じのためと推測します。同僚殺しのみ動機が異なりますし、何なら事前に彼女が警察に相談していたらスピード解決していたはずです。もっともトムから決定的な証拠や言質を得ていた訳ではないでしょうが。 社長の憤りの矛先は、原因者たる母の不倫相手=主人公の父親だけでなく、主人公にも向けられました。彼女に罪が無いのは明らかなので、父親の不倫を知らずに真っすぐ育ったのが憎かったのでしょう。彼女に対しては明確な殺意があった訳でなく、トムに邪魔された勢いで凶器を振り上げただけかもしれません。ところで社長は不倫を取り締まる為にマッチングアプリを開発したのでしょうか。それならまるで「ゴキブリ〇ホイホイ」の開発者と同じです。 指示役(首謀者)が逮捕されれば事件は終わり。でも連続殺人は止まりませんでした。そう社長逮捕後の殺人はトムの意思によるもの。動機も同じ「不倫憎し」という気がします。社長の周辺を探るうちに自身のルーツにも辿り着いた捨て子のトム。彼もまた親の不倫の犠牲者であったことを知りました。真相を知ったトムは、社長、いや兄の思いを受け継いだのでは。因みに社長は実行犯について自供しないでしょう。罪は重くなってもなろうとも軽減はあり得ませんから。むしろ「不倫者への罰の執行」をトムが継いでくれるなら好都合とも言えます。社長はトムが弟だとは知らない気がしますがどうでしょう。以上私が考える「一番面白そうな」解釈例でした。社長からトムへ殺人の依頼があった証拠はありませんし、殺害動機についても単なる「猟奇殺人」の可能性もあります。あくまで解釈の一例ですのでご留意ください。 本作を観て「不倫の罪の重さ」がよく分かりました。不倫をした本人よりも家族が苦しむということ。本件の一番の被害者は主人公の母親でした。長年にわたり地獄の苦しみを味わう羽目に。何という理不尽な仕打ちでしょう。この真実を目の当たりにした父親はショックのあまり自ら命を絶ったほど。赤いドレスの女も初めは騙されていたのかもしれません。そういう意味では当時「出会い系掲示板」など無ければ不幸な事件は起きなかったとも言えます。いや悪いのは道具ではなく、使う人ですね。ですから冒頭に戻りますが本作は決して「マッチングアプリ」を否定していません。正しく上手に使えば有益な道具。WEB掲示板もアプリも、幸せになった人は沢山いるでしょう。ただし不幸になった人と天秤に乗せた場合、どちらに傾くかの検証は必要だという気がしますけども。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-08-26 18:17:16) |
17. ラストマイル
《ネタバレ》 ドラマ『アンナチュラル』『MIU404』と繋がるシェアード・ユニバース・ムービーだそう。うーん何このオシャレカタカナ。要するに同一世界線ということです。両ドラマのサブキャストが申し訳程度に出演しているのかと思いきや然にあらず。石原さとみや星野源にも台詞ありの出血大サービス!(注:慣用句です)特に『アンナチュラル』チームの方はストーリー上重要な役回りを担っていました。「まさにTBSドラマのアベンジャーズや〜」と彦摩呂風の軽口を叩きそうになりますが、そんなフザケたノリでは全然無くて。極めてシリアスな骨太社会派ドラマでありました。それでいてエンターテイメント性にも優れています。ミステリーとしてもサスペンスとしても上質ですが、何よりヒューマンドラマとして見応えがありました。敬意をもって「人」が描かれており好感。主人公が容疑者を検索で絞り込み特定した際「ビンゴ!」ではなく「見つけた」と静かに口にした時点でこの映画を信用してよいと判断しました。 企業と顧客。発注元と下請け。会社と個人。そして加害者と被害者。立場が変われば正義も変わる。いや正義ではなく「免罪符」あるいは「言い訳」かもしれません。もちろん利益を追求するのは悪ではありません。勝つ事も大事。ですが勝ち過ぎはいけません。人類が選択すべき最高の戦略は「共存共栄」に違いありません。この事件を通じて主人公が感じたこと、企業人としての決断にどうぞ胸を熱くしてください。彼女の服色の変化にも注目です。そして爆弾テロの最終的な死者数とその内訳にも涙してください。私は『MIU404』は観ていませんが、少なくとも『アンナチュラル』が好きな方なら大満足出来るはずです。正直タイトルも舞台設定もイマイチ分かり難く地味な印象がありましたが、本当に良い映画でした。シネコンで「時間が合うから」で選んだのが申し訳無いくらい。皆さんはこの映画を観るために劇場へ足をお運びください。 [映画館(邦画)] 8点(2024-08-24 08:53:50)(良:1票) |
18. ミンナのウタ
《ネタバレ》 ネタバレしています。未見の方はご注意ください。 都市伝説的に有名な『暗い日曜日』や邦画ホラー『伝染歌』など、歌うと死ぬ系のギミックは既に存在しますが、本作の場合「歌うと消える」でした。とはいえホラーですから「消える=死」だと理解していましたが、一件落着後「現れる」というミラクルな着地を見せます。そのため作中現在進行エピソードでの死者数はゼロでした。これは『GENERATIOS from EXILE TRIBE』という人気アーティストを本人役で主演に配した影響であり、完全にネタバレですがGENERATIOSのリアルライブシーンで終幕します。そう所謂『アイドルホラー』ジャンルの作品。これは冒頭に記した『伝染歌』(AKB48)や本作出演の早見あかりが在籍したももいろクローバーの『シロメ』と同ジャンルということ。そもそもファン向けのアイドル映画ですからファンが納得すればそれで良く、あまり外野がとやかく言う筋合いはありません。ですが、とやかく言います。そういう趣旨のサイトなので。 一言でいってしまえば「トンチキホラー」です。決して正統派ホラーではありません。でもこれが「面白い」のです。この「面白い」には「笑える」と「ホラーとして楽しめる」の2通りの意味があります。前者については何といっても「劇中リアルカラオケ」が挙げられるでしょう。唐突に始まるGENERATIOS楽曲のカラオケ風ムービー。主演はマキタスポーツ。ホテルの夜景。ちゃんと画面に歌詞まで出ます。このスカシ(ギャグ)が秀逸でサスペンスで重要とされる「緩和剤」の役目を果たしていました。当然「こんなのフザけてる!」と立腹される方が居るかもしれませんが、そもそも「トンチキホラー」なので言うだけ損です。それよりも一人だけドラマ不参加メンバーが居ることを問題視しましょう。スケジュールの都合かな?ゴネたのかな?理由は分かりませんがライブシーンのみの出演でした。私は逆に滅茶苦茶ウケましたが、そのメンバーのファンだったらどう思うのでしょうか。気になるところです。後者については意外と言ったら失礼ですがホラーとしてちゃんと怖かったのです。演出面で際立っていたのは「はーい」のところ。これは同監督の『呪怨 白い老女』でも使用されているフォーマットで、その構造を理解していても鳥肌でした。掃除機のコードにしてもそうですが、日常風景の些細な違和感に由来する恐怖に私自身殊更弱いようです。設定面ではタイトルに隠された真の意味に震撼しました。これは相当にエグいでしょう。呪いの歌のメロディはキャッチ―で覚えやすいものの、すぐに忘れられるのが有難い。実生活に影響しません。もっともこれは私の加齢による効果かもしれませんけど。 「そもそも呪いのトリガーって何?」「みんなちゃんと歌を聞いていましたか?」「弟はどうやって殺されたの?」「呪い殺すより時空を歪ませる方がずっと大変な気がしますけど」等々。疑問点を指摘し出したらキリがありませんが、そこは「トンチキホラー」なので言ったら負けです。「トンチキホラー」最恐ではありませんが最強かも。 観終えてみればショッキングシーン控えめのマイルドな仕上がりで、デートムービーとしての実用性もあり。ホントか?GENERATIOSのファンは勿論、それ以外でも「トンチキホラー」を笑って許せる御方であれば(そこそこ)楽しめる映画ではないでしょうか。少なくとも私は嫌いではありません。ところで「みんなのうた」だと某SASの楽曲が思い起こされますが、カタナカ表記にすることで著作権的な話はクリアになるのでしょうか。いっそエンディングテーマに採用してくれたらアッパレだったと思いますがLDHが許しませんか?点数は4点~6点が妥当だと思いますが、本作についてはももクロちゃん加点が適応されます。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-08-20 18:15:37) |
19. 忌怪島/きかいじま
《ネタバレ》 記載したのは「こう考えると面白いのでは」な解釈の一例です。決して正答ではありませんのでご承知おきください。またネタバレしております。未見の方はご注意ください。ちなみにこの手の長文解釈作品は「すごく面白くて興奮した」か「いまいちなので自力で楽しんだ」のいずれかのパターン。どちらに該当するかは点数でご判断ください。 私最大の関心事はラストの解釈でした。「少女は何故自死したのか」ということ。この点を念頭に物語を整理してみます。 チーム・シンセカイが創り上げた仮想空間は、実在する離島をスキャンして作り上げたもの。視覚だけでなく風や匂い音など全てが完全再現されていました。リアルさを追求するため島のあらゆるデータを隅々まで取り込んだのでしょう。その中には島民(協力者)の脳内データも含まれていました。主人公の仮想空間での登録ナンバーが「4」であることから協力者は「3人」と推測できます。冒頭で死んだ園田、お世話係の老人、そして女子中学生。老人の脳内データ(記憶、知識、感情等)が元となって忌女(漢字だとこうですよね)が顕現したと考えられます。注意したいのは「霊があの世から戻ってきた」ではなく「脳内データから再構築された」ということ。シャーマンが話す「あの世」が仮想空間と酷似していることから前者と錯覚しそうですがミスリードと感じました。老人がこの「違い」を理解していたかどうか不明ですが、少なくとも自身が忌女を出現させた自覚はあったはず。だから彼は厄災を引き起こした自責の念に駆られて自殺したのでしょう。 さて、ここで冒頭の「少女の自死」に戻ります。作中自死したのは老人と少女のみ。なら理由も同じでは。つまり彼女も責任を感じて自殺したのでは。いみじくも老人と同じ唄を歌った直後の出来事でした。更にこの説をエピローグが裏付けます。フェリーに乗船する2人の背後に忌女の気配。でも女は鳥居を焼いた際に消滅したはず。しかし別の忌女が居たとしたらどうでしょう。忌女が脳内データで再構築されるのなら、老人以外の脳内データで再構築されていても不思議ではありません。少女もまた厄災の発端となったひとりかも。とここまで書いておいてなんですが見当違いです。というより少女は自死していません。少なくとも自殺したのはアバターでした。現世で焼失した海中鳥居が存在しているので仮想空間の出来事。もちろん現世の少女が仮想空間に再入室した可能性は否定できませんが、手引きする人はもう居ません。よってラストに自殺した少女のアバターは「読み込み済み過去データ」と推測します。この時点で少女は忌女の厄災を知らぬはず。彼女のアバターが死を選んだ理由は何でしょうか。 ここで主人公が理想とした仮想空間とはどんな世界だったのか振り返ってみます。其処は他人と関わらなくてよい場所。見る景色は変わらないのに、人だけが居ない町。初対面の主人公に物おじせず話しかけ、村八分の老人と交流していた「人間大好き」な少女にとって地獄では。そう彼女(のアバター)は孤独に耐えられず自殺したのではないか。そんな馬鹿なという気もしますが、彼女にはウイルソンが居ないのです。たとえば『あつ森』にもう何年もログインしていないなんて人はいませんか。〇〇島の「あなた」はちゃんと生きていますか。 最後に、エンディングで2人が向かった先について。これはかっぱ堰さんがご指摘のように「あの世」と解釈するのが正しい気がしますが、もしかすると「現世」かもしれません。いずれにせよフェリーに乗り込んでいたのはアバターであり、彼らが今いる世界は仮想空間です(海中鳥居と腕のナンバーで判断)。仮想空間とはおそらく現世とあの世の中間に位置する世界。アクセス良好なのは忌女が証明済み。彼らが向かった先が「あの世」と考えるか「現世」と捉えるかで物語の余韻は大きく変わります。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2024-08-16 18:20:49) |
20. 夜明けまでバス停で
《ネタバレ》 時代設定がコロナ禍の作品は観たことがありますが「コロナ禍」自体をテーマとした映画は初めてでした。職を失い、住むことろを失い、追い詰められた主人公が辿り着いた境地に身震いしました。どんな善人であろうと「貧すれば鈍す」ということ。柄本明が言う「社会の底が抜けた」は弱者だけでなく全ての人にとっての「緊急事態」を意味しました。「私が幸せならばそれでいい」は通用しません。「情けは人の為ならず」とはよく言ったもの。多くの人が幸せに暮らせることが、結局は自分自身の利益に繋がるのだと思います。そういう意味で本作の主張は政治批判も含め共感出来る部分はありました。ただ両手を挙げて賛同はできません。主人公の罪は窮地に助けを求めなかったこと。友人に、家族に、政府に、何故助けを求めないのでしょう。弱みを見せられない性格?プライドが邪魔をする?それが理由になるのは精々未成年まで。「神は自ら助くる者を助く」とは言いますが、助けを求めることは恥でも何でもありません。助けてもらった分、次は助けてあげればよいだけ。この世は持ちつ持たれつですから。「黙って動けぬ者も含めて困窮者は全員助けるべき」が理想かもしれませんが、よほど社会に余力がない限り無理な話。そんな余力があるなら、そもそも底は抜けていない訳ですし。ただ最後に物言わぬ主人公が救われたのは奇跡ではありません。あれこそ「情けは人の為ならず」の成果。かけた情けが戻って来たと捉えて良い気がします。さて大切なのは「機」を逃さぬこと。彼女が手にした(たぶん)30万円は、人生を立て直すに可能な原資と考えます。作るのは爆弾ではなく「居場所」です。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-08-05 00:13:37) |