1. アップサイドダウン 重力の恋人
《ネタバレ》 美しい映像を楽しむための映画です。まるで大型美術館のなかに「二重重力の世界」が存在するかのようです。観客は美術鑑賞を楽しんでください。あくまでもストーリー重視ではなく、視覚重視の映画です。試されているのは観客の感性なのです。上と下の世界がそんなに遠くない距離にあるところが素敵でした。ロープを使って上から下へ。また下から上へ。面白いじゃないですか。遠そうで近い距離にある上と下の世界─。会社内ではジャンプをすれば、下の社員は上の社員にタッチできそうだ。しかし見た目は近そうでも、そこにはルールが存在し、実質的には遠いのですね。この上と下の、曖昧模糊とした距離感が絶妙です。もはやこのシュチエーションは芸術だ。恋愛の描写は素直にかわいいと思います。スパイダーマンよろしく、いつしかダンストは、アクロバットなキスをする女優と呼ばれるでしょう。それと青年のほうは必死すぎて笑えます。お前は体が燃えているのに彼女を追いかけるのかよ。残酷な現実が二人を引き裂けば、より一層強く惹かれ合う(by宇多田)というのは、天地開闢以来の恋愛の真実のようです。重力の都合でアクロバットなキスが多かった2人ですが、しっかりとセックスもしていたようです。さぞかしアクロバットなセックスだったのでしょう。やはりロープでどちらかを縛ってやったのでしょうか。さすがに映像化はできなかったようです。いずれにせよ、できちゃった婚で、メデタシ、メデタシ。ご存じの通り、この映画には矛盾が多いです。しかし私はこういう想像力に富んだアイデアを素直に面白いと思える感性を持った観客でありたいと思います。 [DVD(字幕)] 8点(2014-09-21 20:47:22)(良:1票) |
2. 故郷よ
《ネタバレ》 ヒロインの仕事はチェルノブイリの観光ガイド。それだけでもこの映画を観る価値はあります。人の住めない場所に観光客が来るの?いずれ福島も観光名所になるの?不謹慎じゃないの?と思う人がいると思いますが、これをダークツーリズムと言います。ユダヤ収容所のアウシュビッツや、私がつい先日訪れた広島の原爆ドームも同じです。今も広島の平和祈念館は、崇高な目的を持った外国人観光客や、物見遊山な外国人がたくさん観光に訪れる場所です。天地開闢以来、人間は常に愚かな行為を繰り返してきました。その人災を語り継ぐことは、高遠な意義があると思います。ただし、ヒロインは長年その場所にいるせいで髪の毛が抜け落ちる後遺症で苦しんでいます。目に見えない放射能の怖さが伝わってきます。この放射能とは、空気感染するウィルスと似ている。今はまだ痛くもかゆくもないのに、北斗神拳のケンシロウに秘孔を突かれた時のように、おまえはすでに死んでいると宣告されるに等しい。映画の中で、男が傘をまとめ買いして、黒い雨を浴びる住民に配るシーンがありました。俺はもう死ぬのか?それともまだ生きられるのか?その不安な状態が一番こわい。即死のほうがマシに思えてくる。それほど放射能は怖い。放射能の汚れを落とすために観光客がシャワーを浴びるシーン。デブなおばさんの裸体がずっと映されていましたよね。あれは意味がないようで、おぞましいということを、隠喩として伝えたかったのでしょう。のんきに結婚式をやっている光景とは裏腹に目に見えない放射能の恐怖が迫っている描写も巧い。また、ゴーストタウンと化した街並みの映像は、あたかもゾンビ映画の世界のようだ。日本の場合、マスコミたちが、絆、絆と、事故のことを、能天気に感動物語にしている。やはり日本が現実を見つめるには時間が必要です。負の遺産を、負の遺産として描くことも改めて大切だと感じました。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-08-23 21:59:30) |
3. スノーピアサー
《ネタバレ》 超のつく氷河期のため、外では誰も生きられない設定で、無理やり「人類」を、列車の中に詰め込んでしまうという大変イマジネーションに富んだ作品です。この映画を新聞の広告で知って、久しぶりに映画を鑑賞しようと思いました。最大の見どころは世界観の構築です。列車の扉を開けるたびに、新たな敵と、新たな世界が観客の視界に飛び込んでくる。奇抜な水族館、名勝庭園、なぜか寿司屋、それに学校、そして授業を受ける洗脳されたクソ生意気な生徒たち、次の扉を開けると、どんな世界が現れるだろうかと思わせてくれる。私は豪華客船や、豪華列車に興味がある。それは乗り物というよりも1つの居住空間であり、1つの世界だからです。そんな私の欲求をこの映画は満たしてくれる。同じ人がいたら是非この映画を観るべし。惜しむらくは、ラストが饒舌すぎる点です。親切に説明をするから、揚げ足を取る観客が増えやがるのだ。いっそのこと、こうしたらどうか?「なぜ列車に食料があるのか?」「なぜ武器があるのか?」「なぜ列車は壊れないのか?」「列車を動かす真の理由は?」と、主人公に言わせる。そのうち、観客も一緒になってその謎を考えるようになるだろう。そして、いよいよ主人公が最後の扉を開ける瞬間、エンドクレジットを流してやれ。最後の扉を半分開いたところで映画を終わらせるのだ。支配者も当然のことながら謎のままにしておく。観客ごとき、甘やかさずに、放置するのも1つの手である。過去にそういう映画があった─。ご存じの人もいると思うが、あのカナダ映画です。ただ、実際には、饒舌すぎる支配者が、延々と、主人公と、われわれ観客に、意味不明な演説をぶつわけだ。しかし、列車の中の身分制度のアイデアは世界観を構築するうえで重要だった。列車の中にちゃんと首相まで存在する。もしかして大臣もいたかもしれない。つまり列車の中に「国家」があり、そして「社会」が存在する。このように細かい個所までしっかり描くことで、より一層、この列車は、「人類を詰め込んで走っている」というファンタジックな感覚を、観客は味わうことができるのである。私はこの映画の映像美的センスを買う。 [DVD(字幕)] 9点(2014-06-09 22:57:26)(良:1票) |
4. 最強のふたり
《ネタバレ》 最強の2人?タイトルが意味不明。いっそのこと最強のクソに改名してもらいたい。介護現場はここで描かれているような綺麗なものじゃない。現場はまさにクソの始末が待っているのだ。成金オヤジが「2週間もったら、大したもんだ」と言っていたが、そもそもなぜ黒人青年は2週間もったのか?なぜ彼はクソの始末ができるようになったのか?それが描かれていない。成金オヤジの足に熱湯をかけて爆笑するシーンなどドリフ以下で笑う気もしない。介護現場で足に熱湯をかけても「この子は同情しないから好きだ」と言ってもらえると思うか?冗談じゃない。「同情しなかったら患者と仲良くなれる」というメッセージなどクソ食らえだ。それと日本では我々がクソジジイになるころには、外国人に介護してもらうしかない。現実に日本の若者たちは、誰もがクソの後始末を嫌がる。だから人材不足だ。それでフィリピンなどの国から介護人を集めている。どれだけ不景気で就職ができなくても介護だけは避ける世の中だ。つまり、クソジジイとクソの問題は深刻なのだ。成金が単なるクソジジイだったら、あの黒人青年も途中で逃げ出していただろう。壮大なパラグライダー、感動のオペラ、目を見張る豪邸、耽美な絵画、豪華な高級車、これらの映像は、介護の現実を観客の目から逸らすためのカモフラージュである。こういう映画は是非「働きたくても仕事がない」と嘘ぶくニートたちに見てもらいたい。介護は楽しいぞ。スポーツカーに乗れるし空も飛べるぞ。そう思ってくれるかもしれない。 いずれにせよ、文部省推薦の偽善映画であることは間違いない。 [DVD(字幕)] 1点(2013-09-16 19:33:50)(笑:1票) |
5. 別離(2011)
《ネタバレ》 この映画のラストシーンは非常に良いですが、あのシーンは、娘の決定した答えを想像しなさい、と言っているのではなく、単純に娘の考えた結論は、この物語には必要がないからカットしたのでしょう。つまり、「別離」で言いたいことは、別離した後の結論ではない、そのことを強調するメッセージだと思います。親といえども、男女関係です。だからなぜ別離するの?という問いかけも意味を持ちません。テーマは別離だけではなく、裁判の行く末にも重点が置かれています。ドストエフスキーの名作「カラマーゾフの兄弟」のように泥沼系の裁判描写が延々と続くので、ドロドロ系好きの私にはたまりません。ただし、もちろん盗まれたお金はどうなった?ということを追求する目的ではありません。裁判というのは、アメリカや日本では、勝つか負けるかという戦略的な戦いの場です。しかし宗教に身を置く人々の一部では、かりに証拠不十分などで法律的な罰を免れても、神様から罰を受けると、本気で恐れている。てっきり私は流産した女性が、嘘をついて、慰謝料をふんだくる気でいるのかと思っていましたが、彼女は最後になって、嘘をついてお金を貰うと、神の罰が当たると恐れていました。日本人では「後ろめたい」という感情はあるかもしれませんが、見えない罰を真剣に怯える人は少ないでしょう。つまり性悪説の立場に立てば、宗教は犯罪防止の1つの抑止力になりえるのかもしれません。まあしかし、DV夫や、娘に嘘を連発する父親をみていると、信者のなかでも、神の罰を恐れるイラン人は一部しかいないのかもしれませんが─。「アルゴ」というイラン人を悪魔扱いしたハリウッド映画の後に観ましたのですごく良い映画に見えました(笑)「アメリカ人よ、これが映画だ」と言いたい気分です。 [DVD(字幕)] 8点(2013-05-06 16:03:43) |
6. サラの鍵
《ネタバレ》 サラは悲しみを乗り越えることができなかったようです。まさかの自殺。心の苦しみは、時間だけが解決すると言われますが、何十年たっても、乗り越えることができない心の痛みがあるのだと分かりました。いやむしろ、結婚して、幸せになればなるほど、幸せである自分が、弟に対して、申し訳ないという思いが募っていったのでしょう。主人公の一歳の娘がムチャクチャかわいい。名前はサラと同じ名です。ではなぜ、サラの息子ウィリアムは、娘の名を聞いて泣いたか分かりますか?勘違いしている人もいるので、是非説明したい。人間というのは、本能的に、死んでからも、周りから忘れてほしくないという思いを持っている。愛する者も、死んだ人を忘れたくない気持ちがある。息子のウィリアムは、母親のサラを愛していた。しかし母親は悲しい女性だった。正体を隠して自殺した哀れなユダヤ人だった。誰も彼女を救えなかった。誰も彼女を知らなかった。誰も死後の彼女を思い出すこともなかった。息子の涙は、そんな自分の母親のことを、一生忘れない、一生覚えていたい、と思っている主人公の、その気持ちに対する涙だったのです。これほど迫害を受けたのに、なおも幸せになる自分が許せないと思い込んで、命を絶った孤独な母親のことを、忘れないでくれる人がいた、その事実が息子の心を動かし、涙となったのです。主人公は決してサラの人生を掘り返したのではない。サラの人生を、自分の人生に刻んだのです。その象徴が一歳の娘でした。もし主人公がサラを知らなかったら、中絶していた。だから娘は生まれてこなかったのです。サラは生き続ける。主人公と息子の中で。ずっとサラがかわいそうだと思い続けてきました。しかし最後に母親に対する息子の無限の愛情が伝わってきて涙が止まりませんでした。映画ってすごい。涙の10点です。 [DVD(字幕)] 10点(2012-11-25 20:09:16)(良:1票) |
7. メランコリア
《ネタバレ》 トリアーの作品の多くは、神経の弱ったアウトローの人間を、まわりの複数の人間たちが、「もっと周りの人間たちと協調しなさい」と注意したり、「かわいそう」と同情したり、憎んだりする描写が中心に描かれている。鬱とは何か?それについて他人は「悩むな」とアドバイスを与える。「もっと頑張れ」とも言う。しかしそのアドバイスには、憎しみと軽蔑が含まれていることに、言っている本人たちが気が付いていない。これを偽善という。トリアーはこの「偽善」を描くために生きているようなものだ。社会の一員になれない異端児を攻撃する本能が、われわれ社会にはある。地球破滅願望の心理は単純です。今、鬱病の自分が持っている不安を凌駕する不安が起これば、小さな不安は消えるからです。しかもそれは自分だけの不安ではなく、自分に対して「もっと頑張れ」とアドバイスをおくる憎悪すべき人々まで巻き込むことができる。姉のクレアの「滅亡」に対する恐怖は、さぞかし主人公にとっては心地よかったと思います。反対にメランコリアが地球から離れていこうとしたとき、彼女は少しがっかりした様子さえ見せます。トリアーはどの作品でも一貫して、社会の一員になりきれない弱者を描いてきた。そしてそういう弱者を周りの我々が、同情や軽蔑によって攻撃する様子を、偽善を交えて描いてきた。偽善こそ憎むべき存在であり、それは人類そのものを意味する。メランコリアは主人公の期待通り、すなわち彼女の敵である我々を滅ぼすために、再び地球に接近する。そして滅亡!ついに出たよ、トリアー流のハッピーエンド。彼の頭の中は人類に対する復讐心でいっぱいなのでしょう。そして私はそういう彼に共感するのだ。勇気を持って爽快感を味わえる映画だと断言しておきます。 [DVD(字幕)] 10点(2012-08-18 20:18:55)(良:1票) |
8. [リミット]
《ネタバレ》 ダイハードのマクレーン刑事を思い出した。警察は基本的に犯人の要求に従おうとする。特に日本はそうだ。なのにアメリカは違う。人命を尊重し、犯人の要求に従おうとすると、なぜかその行動はテロリストのいいなりだ、弱腰だ、というスタンスで描かれてしまう。そんな弱腰の組織に対しあのバカ者のマクレーン刑事は「テロに屈するな!」とほざいて孤軍奮闘する。そしてテロリストを叩きのめす。そのおかげで人質は殺されまくりだ。飛行機の大爆発なんて人質の乗客が何百人死んでいるんだよ。この映画、じつはその「人質」たちの声を代弁した物語になっている。正義の理不尽さを描いているだけなのだ。その人質の1人はこう言う。おまえらが正義を実行するのは構わないが、殺されるこっちの立場にもなってくれ、頼むから身代金を払ってくれと。あぁ・・でもそれじゃ正義はカタルシスを得ることができないし、観客も満足できないのだ。監督の言いたいことはよく分かる。名もなきトラックの運転手が殺されたという事実。そんな事実は正義のヒーローが悪を倒したあとでは、歓喜の声でかき消されて忘れ去られてしまう。むしろ、名もなき人質が悪人に殺されたほうがモチベーションが上がる。最後にテロ人質対策のオジサンが「ごめん・・救出場所を間違えちゃった」と平謝りしていたが、しかしこの後、彼は仇討ちを行う。むしろ仇討ちを行うことのために人質とは死ななくてはいけない暗黙のルールがある。そして救出者が悪を倒す英雄へと変わるのだ。英雄は歓喜の声をあげ、こう叫ぶ。正義は勝つ!! 運転手はどうしても死ななくてはいけなかった。でなければこの漆黒のメッセージは成立しなかったのだ。こういう映画、たまらなく好きだ。 [地上波(吹替)] 7点(2011-11-05 23:19:56) |
9. 約束の旅路
《ネタバレ》 混乱必死なので簡潔にまとめます。◎イスラエル人(ヘブライ人)・・イスラエルを祖国とする人たち。。◎ユダヤ人・・ユダヤ教を信仰している人たち。イスラエル人の中には、他宗教を信仰する者もいるし、無宗教の左派もいる。従ってユダヤ人=イスラエル人ではない。いずれにせよモーセ作戦の対象者である彼らは、エジプト人からはよそ者と言われ、ユダヤ人からは「黒人」と言われてしまうわけです。黒人で、キリスト教徒で、しかもユダヤ人を偽るエチオピア人の主人公は悩みます。(この設定が難解だ)彼は叫ぶ。自分の祖国はどこ?自分は何人?しかし手紙を書く宗教家のおじさんや、養家の祖父の愛情があまりにも深すぎて号泣してしまう。彼らは主人公の正体を知っていたはずだ。しかしそれでも彼を愛していたのだ。青年に成長した主人公が警察で自分の正体を告白するシーンは、あたかも「罪と罰」のラスコーリニコフであり、彼は正体を隠す自分を罪人と思い込んでいた。恋人のサラだけは主人公の正体を知らなかったのでショックを受けた。だが彼女は言う。「白だろうか、黒だろうが、ユダヤだろうが、エジプトだろうが、わたしには関係ねえんだよ。おい、わたしはあなたという人間を愛していたのだ、なぜ10年間も言ってくれなかったのか?」この女、虚言癖が激しいが、じつは非常にいいヤツで本気で泣けてくる。差別というのは、知らない人が、知らない人を評価するときに生まれる。知らないからこそ、民族や肌の色、デブハゲなど、容姿で判断してしまう。しかし人が人と接するうちに、そんな記号の偏見は消える。差別があるから愛せないのではない。知らないから差別するのだ。母親は、我が子を捨てることで命を救った。その子は遠い場所でずっと母を想いつづけた。そしてラスト。主人公がエチオピアに帰還し、自分を捨て、同時に命を救った母親を抱きしめたラストシーン。ただ、ただ、ひたすら号泣した・・。もう言葉もない。紛れもなく名作だ。 [DVD(字幕)] 10点(2011-09-20 19:39:45) |
10. つぐない
《ネタバレ》 贖罪とは「善行を積み、自分の犯した罪を償うこと」だという。果たして彼女は、罪滅ぼしの目的で小説を書いたのか?そうではなく、「彼女は病気になり、自分の罪を忘れてしまうことを恐れた。だから小説を書き、自分が病気で忘れても、みんなに自分の罪を永遠に覚えてもらおうとおもった」という意見もありますが、つまり、罪滅ぼしではなく、罪を刻むための小説だったと─。分かる気がする。彼女は最初から赦しなど期待していなかったと思う。これは特定の1人の女性の罪を描いた物語ではなく、我々を含めた人間のあるべき姿を描いていた物語だとおもう。この物語の本質は、自覚した罪は赦してもらうものではなく、その罪は背負って生きていくべきという思想が前提にある。すなわち宗教的なメッセージが込められていた。従って「小説なんてつぐないになっていない」だとか反対に「つぐなった」という見方は、限りなくピント外れだと考える。妹が罪(十字架)を最後まで背負い続けるには、記憶を失う前に、あの小説を完成させる必要があった。彼女の優しさは、罪を自覚した人特有の、弱者に対する共感なのである。一番心が痛かったのは、彼女はキーラ姉さんの愛したバカ男を、自分も愛していたこと。彼女の愛し方は限りなく不器用だった。自殺に近い。池に飛び込むという愚かな行為で表現してしまった。「命の恩人です」という言葉が痛々しい。そのせいで愛するバカ男を怒らせてしまった。彼女の人生はウソではじまり、そして最後には、死んだ2人を、小説の中で救うというウソで幕を閉じることになる。映像の美しさがかえって理不尽に感じてしまうくらいに、ひたすら切なかった・・。 [DVD(字幕)] 9点(2011-03-27 23:37:27)(良:3票) |
11. オーロラ
《ネタバレ》 結論から先に述べると物語としては面白くはない。だが視覚的に観る価値はある。バレエ映画としては恐らく世界最高峰である。内容は簡単に言うと、踊ることを禁止された国で、やんちゃな姫が踊りまくって、王様がケシカラン!と怒って騒動が起こるというもの。そこに王様である父親の悩ましい過去や、そして母親である王女の痛々しい過去がからみあって、さらに弟の皇太子が、姉のオーロラ姫に恋心を持っていたりする。これは複雑なヒューマンドラマか??と思った矢先、いきなり、姫が「わたし・・・妖精が見えるワ!」と言い出した後は、問答無用でファンタジー映画へと突入していく。思いのほか、つかみきれない映画であった。あげくのはてにオーロラ姫は、空を飛んでしまう。雲の上まで行ってしまう。そこは天国だろうか?あまり深く考えると損をする気がする・・。そこで恋する貧乏画家と踊る。三島由紀夫賞を受賞した舞城王太郎の阿修羅ガールみたいな許しがたい展開が次々と起こる。しかしそれを差し引いても、雲の上での踊りは圧巻であった。貧乏画家は一流の踊り手だった。製作者が、徹底して踊り重視の姿勢を貫く余り、物語性をとことん排除している。そのせいか意味不明な点はいくつかある。しかしやはり視覚的には満足はできる。残業時間が3時間以上越えてクタクタになって帰途につくサラリーマンよ。君らにお勧めできる癒し系の掘り出し物映画だ。1シーン、1シーンが、フェルメールの画のように光沢を放っている。美しさ重視だと理解してご覧ください。 [DVD(字幕)] 7点(2011-03-20 20:31:30) |
12. エスター
《ネタバレ》 マックスが信じられないほどかわいい。姉のエスターと妹のマックスと対比させることによりエスターの存在感が浮き上がってくる感じだった。つまり主役の悪魔を目立たせたいならば、まずは天使を目立たせる手法が効果的になる。もちろんマックスは天使でエスターは悪魔。しかし悪魔の化身と言われるエスターだが本当はかわいそうな女性だと思う。不倫大好きのあのエロ夫でさえ、エスターを「女」としてみようとしない。それは当然のことではあるが、しかし大人の女性にとってこれほどの孤独はないはずです。だったらエスターは自ら「私は今年で33歳なのよ、独身で恋人募集中よ、よろしくね」と言えばよかったのか?そんなことをすればますます世間の好奇の目に晒されてしまう。エスターはたしかに悪人でしょう。しかし彼女はただ愛されたかっただけなのだと思う。ホルモン異常のせいで、絶望し、怒りにかられ、何もかも壊してしまう。その繰り返しがエスターの人生であった。私はそう思う。彼女が号泣するシーンをみて、「怖かった」で終わらせてしまう人が大半ではないだろうか。しかしなぜ彼女は泣かずにはいられなかったのか考えた人はいるだろうか?そこに気がつけばさらにヒューマニズムの見地からエスターを見ることができるのです。あのイライラするほど頭の回転が鈍くてセックスばかりしたがるエロ夫が爽快にぶっ殺されたとき、思わずエスターに向かって「グッジョブ!グッジョブ!!」と連呼して叫んでいた。母親のほうは同情できる。彼女はもともとアル中で、世間ではダメママと言われる部類だろう。その過去があるからエロ夫から「離婚して子供をひきとるぞ」と脅されてしまう。エロ夫よ、おまえはエスターの策略にサクサクはまり過ぎだ。ばか者が。しかしこの母親、土壇場になって、我が子を助けるために天窓を自ら突き破って落下するのだ。子を想う母親の命がけのそのシーンをみて、私は心の底から感動した。ラストはハッピーエンドだと思う。これで親子3人、水入らずに暮らせます。エロ夫はどうか安からに地獄に堕ちてくれ。今度生まれ変わったらエスターは普通の女性となって、普通の恋ができるだろうか?そんなことを考えていると・・・やはり切なくなってくる。ちょっぴり泣きました。 [DVD(字幕)] 9点(2011-01-15 20:50:45)(良:1票) |
13. ずっとあなたを愛してる
《ネタバレ》 主人公の女は殺人犯。しかも殺した人間は我が子でした。くだらないマスコミに記事を書かせれば、冷酷な鬼母の犯行で片付けられるでしょう。ただし「事実」と「真実」は違う。女の出所後、母親の痴呆症や、警官の自殺など、不幸の大バーゲンセールがずっと続きます。息子殺しの正体がばれてクソオヤジから罵倒されるシーンもかなり痛い。しかしこういう場合、女は怒ることも泣くこともしない。感情のスイッチを切ることが唯一の防衛手段になる。これが傷つきすぎた人間が自殺せず生きるための応急処置なのです。アジア系の子供は監督の実の養子の娘らしい。この娘の無垢な愛情によってしだいに女は笑顔が増えていく。すると突然女が美人に見えてくる。もともと美人なのです。しかしそれを観客に感じさせなかったクリスティン・スコット・トーマスの演技が素晴らしい。まずそうにタバコを吸っていた枯れ果てた女が、だんだん輝きだしてくる。ただし女が周りに心を開けば開くほど、殺人事件の真相が暴かれていくというジレンマ。妹のレアは苦悩する─。小説「罪と罰」をめぐり、人殺しのラスコーリニコフと、姉を投影させ、突然ドストエフスキーに逆ギレする。「おまえ、人を殺した経験がないだろ?空想で殺人の苦悩を描くなよ。この不幸フェチのクソジジイが!」と、こんなふうにレアは言いたかったのでしょう。ラストでついに女の口から事件の真相が語られる。女はなぜ息子を殺したのか?実際にそれを知りたかったのは誰なのか?裁判官か?野次馬か?それともオチをおねだりする思考麻痺の観客か?我々は赦せる殺人なら赦すのか?赦せない殺人だったら赦さないのか?女は善か?悪か?偽善か?ノン、ノン、違います。女の告白は、すなわち「真実」は、彼女の罪を観客にジャッジさせるためのパフォーマンスではない。真実は相対的でありその真実は妹のレアのために必要でした。彼女がそれを知ることによって姉の痛みを共有させるために。肉体の激痛さえ手を握ってもらうと、やわらぐという本質。告白後の女の重しがとれた晴れやかな表情が全てを物語っている。それでも女の前途は多難であり、今後も厳しい世間の目に晒されるでしょう。しかし家族は痛みを共有しあう。人はこうして再生していく。 [DVD(字幕)] 10点(2010-12-03 21:51:52) |
14. オーケストラ!
《ネタバレ》 フランス映画なのにロシア語が飛び込んでくる。極寒の住民たるロシア人はこれほど陽気な性格なのか??まるで南米系のようだ・・・。だからロシア語の早口が、ポルトガル語に聞こえてくる。彼らは陽気で、イライラするほどルーズで、大阪商人のように、したたかだ。その老獪さで、フランスの英雄ナポレオンを翻弄したのだろう。単純なドタバタ劇に見えるが、じつはフランス人からみたロシア人気質が描かれている。ロシア人はラバのように頑固で、殴り付けないと前に進まないらしい。見所はなんといってもラストのチャイコフスキー協奏曲の12分間だ。政治によって失われた芸術家としての誇りを取り戻すために、そして流刑地で憤死した天才ヴァイオリンソリストのために時間の歯車がそこに向って動いている。レアのために戻れ、という号令のもと、フィナーレでついに彼女は彼女の残した遺児の導きによって現代へと甦る─。思わず号泣した・・。圧巻のバイオリンソロ・・その瞬間、彼らロシアの芸術家たちの味わった挫折感は癒された(泣)そして30年間という長い年月を経てようやくチャイコフスキー協奏曲は完結し、母から娘へとその想いがつながるのである。ただ・・残念なことにフランス人の「ロシア人観」を描くことを強調しすぎたせいか、不真面目な連中が、練習なしで本番で成功する物語だと見られがちだ。アタックNO1や巨人の星などの熱血練習を好む日本人、忍耐を好む日本人には、このロシア民族の不真面目さ(フランス人の偏見だが)がさぞかし不満もあるだろう。し、か、し、こういう奇跡を、現実に置き換えていけない。これは夢を見続けるすべての人たちに贈られたファンタジーなのである。また芸術が政治によって敗北してしまったロシアの芸術家たちを、映画の中で救うことにも重点が置かれている。フランスのすごさはロシア人の曲者ぶりを警戒しつつ、芸術家を愛する精神があるところだ。人種を超えた芸術家に対する賞賛、芸術を愛するロシア人に対する畏敬の念、それを表現したパリの大歓声、芸術は政治に屈せず。さあチャイコフスキー協奏曲が終った後は立ち上がって拍手をしよう、そして叫ぼう。ぶ、ブラボー! [DVD(字幕)] 8点(2010-11-20 20:28:14)(良:2票) |
15. ココ・アヴァン・シャネル
《ネタバレ》 100年続く大帝国を築き上げたシャネルって何者か?私は起業家シャネルのカリスマ性に注目していた。ところがシャネルは他人の家に勝手に居座って暮らしているだけ。お前はアリエッティかよ。だけど当時は女性が働きたくても働くことが難しい時代でした。ようするに完全な男社会。バカな男たちに支配された女性たち。隠喩的にこの時代を表現するならば、男は女性を鎖につないで自由を奪い、奴隷にしていた。そういう時代においてシャネルは男社会に足を踏み込んで自由を手に入れた。この作品からは理解しにくいですが、彼女は女性進出のパイオニアだった。彼女の後に多くの女性が自立の道を選びます。リンカーンは黒人に対して奴隷解放宣言を出した。シャネルは女性に対して奴隷解放宣言を出した。そういうことです。彼女がフェミニストの旗手たるゆえんはそんなところではないでしょうか。しかし残念なことに、本作品では主役の女性がまだ自分の才能を開花させていません。この作品を一言で説明するならば、シャネルの雌伏の日々が描かれている。しかし彼女は雌伏の期間を経たからこそ、大きく羽ばたくことができた。そう思うようになったのは、おそらくこの映画のおかげです。ちなみに100年もブランドを守り続けるのは容易ではありません。たとえばジブリブランド。もうほとんど消滅しそうです。ブランドっていうのは1人のカリスマが作り上げるものです。しかし後に続く人間も相当優秀じゃなくては消えてしまう。シャネルがシャネルに変身する前の雌伏期間の映画だと思ってください。 [DVD(字幕)] 7点(2010-08-12 20:19:43) |
16. レスラー
《ネタバレ》 60歳まで現役だったジャイアント馬場を思い出す。60歳といえば還暦だ。クソジジイだ。見ていてスリルがありすぎる。対戦相手が間違って馬場を強く攻撃したら即死もありえる。彼は61歳でくたばったから生涯現役だったと言える。そういう意味ではたいしたものだ。ミッキーもラストで愛する彼女をふりきって、死ぬ覚悟でリングに上がったが、試合が終わって、まだ生きていたら格好悪いだろうな。ラストは必殺技ラム・ジャムの途中でぷっつり終わるが、あれで本当に死ねるのか?と逆に心配してしまった。このダメ俳優は猫パンチで日本人を激怒させたが、彼はああいう性格なので、ハリウッドでも総スカンを食らって干された。レスラーはまさに彼の「はまり役」といえる。かつての時代の寵児が落ち目になるという話はよくあるが、それをレスラーの体から流れる血や、ボロボロの体で表現する手法のことを、メタファーと言う。この手法がアカデミー賞候補に認められた理由だと思う。ドグマっぽい撮影方法も好感が持てる。ちなみに死にそうになったからと言って、数十年ぶりに娘の前に現れる父親ほど恐いものはない。私だったら、そんな父親が瀕死の状態で目の前に現れたら絶対にとどめをさしてやる。「おまえに嫌われたくない」とメソメソ泣く姿も、ただ感傷に浸っているだけで気持ち悪い。私の親だったら許さない。私自身が同じ経験があるので強くそう思った。親の身勝手な感傷などクソ食らえである。しょせんこういう男は家族など持てないのだ。不器用な生き方だねと言ってこのレスラーを愛することができるのはしょせん他人だからである。 [DVD(字幕)] 3点(2010-03-07 12:13:17)(笑:1票) (良:1票) |
17. ピエロの赤い鼻
《ネタバレ》 はっきり言わせてもらうと、ピエロのギャグはクソがつくほど笑えない。気分が悪いときにあんなギャグをみせられたら殺意すら沸いてきそうだ。しかし人間というのは極めて感情的な動物であって、たとえば好きな人が作った手料理はどんな料理でも美味いと感じるし、逆に死ぬほど嫌いな人間のつくった料理は、たとえ一流のシェフのものであってもまずいと感じるのと同じように、「笑い」だって感情的な部分に支配されることが非常に大きい。私がそう思った理由は、あの父親嫌いのメタボ系のデブ息子が、父親のギャグにさっぱり笑わなかったのに、父の過去を聞かされたあとに突然、抱腹絶倒して「オヤジ、ブラボー!」と叫びだしたからです。つまり人は「好き」か「嫌い」によって、笑えるかどうかが決定されるのだと思います。チャップリンのクソくだらないギャグだって、あれは彼が人格者だからみんなが安心して笑うのです。同様にあのマヌケで変人のドイツ兵。彼は真正の変わり者でしたが、穴の中で彼を見上げる死刑寸前の4人はこの変人から何かを感じ取ったのでしょう。よく考えてください、吉本の新人があんなピエロギャグをやったら1日で解雇にされますよ。お金を出してあんなギャグを見せられた観客はブチ切れて「金かえせ」と怒鳴りだすでしょう。そもそも、これから死刑にされる人間たちがあのギャグで笑えるはずがない。しかし彼らは笑った。この意味が分かりますか?それはあの奇人のドイツ兵が、これから死のうとする人間たちに対して、なにかを伝えようとしたからです。彼は命をかけてそれを実行した。それを感じとった4人はこの変人に好意を持った─。そして笑いにつながった─。すべての事情を知ったものだけが笑えるのです。 これぞ「信用」が生み出す笑い。人間ってすばらしい。 [DVD(字幕)] 8点(2009-09-20 20:48:36) |
18. 灯台守の恋
《ネタバレ》 癒されたい願望が強いのでこの作品を観ましたが、いかせん島に住む人間たちの人間関係が、悪玉コレステロールいっぱいの中年オヤジのようにドロドロでしたので、「灯台守の恋」じゃなくて「ドロドロの恋」というタイトルにしてほしかった。陰湿ないじめは私は苦手です。よそ者が仲間はずれにされる。すなわち村八分です。閉鎖された村社会は陰湿そのもの。いじめに参加しないと自分までいじめられてしまう。ここは小学校か!たとえ景色が美しくてもこういうドロドロした人間関係が好きになれなかった。イヴォンは良い奴でしょう。だけど私は最初に彼が仕事を教えなかったことに嫌悪感を覚えた。それは自分自身がそういう目にあってきたから。こればかりはどうしようもない。映画なんて1人1人の生まれ育った環境が違うのだから、客観的に評価などできない。私に不快感を与えたのは監督のせいじゃない。私の過去のせいです。しかし私はそれを点数に反映させます。 [DVD(字幕)] 1点(2009-08-24 22:18:49) |
19. ハプニング
《ネタバレ》 人は生まれたときから闇を恐れるように、見えないものを本能的に恐れます。想像力こそが最大の恐怖なのです。それとは何なのか?私はそれの正体を知っています。それは見えるとすれば銀色です。風がそれを運んでくるらしい。ですが実はそれが空気よりも重いのです。じゃあなぜ風に流されるのか?その答えはあえて教えません。それに触れたら必ず感染するわけでもありません。これは多くの人が指摘する通りです。監督はそれの正体についてまともな答えは用意していませんが、その気持ちはよく分かります。それが化学兵器やウィルスであったり、もしくは自然界の復讐や、神の怒りが原因だったしても、姿が分かってしまえば意味がないのです。想像させる恐怖ではなくなってしまう。作り手の意図は明確です。見えないモノに襲われることにより、自分の想像力に恐怖する人間模様を描きたかった。つまり、暗闇の奥に潜んでいる魔物の姿は、人によって違うということです。私の作り出した魔物を人に教えても意味が無いでしょう。一番感心したのは、「それ」が鬱のメタファーとして見事に機能していたことです。鬱はまさにハプニング。それは突風のように、突然人の身に訪れ、人の人格まで変えてしまい、自分殺しを実行させます。よく勘違いする人がいるのですが、死にたい人が自殺するのではありません。自殺は自分に殺される行為であり、自分でも止めようがないハプニングなのです。現在の私は長生きしたいと思っています。しかしいつ自分の身に風が降りかかってくるかまったく分かりません。あなたは死ぬつもりがないから自殺の心配はないなんて思っていませんか?そんなことで防げるとは私は思いません。観れば観るほど、色々考えさせられてますます怖い映画でした。 [DVD(字幕)] 8点(2009-04-12 01:31:01) |
20. エディット・ピアフ~愛の讃歌~
《ネタバレ》 「歌」というのは単に歌うのがうまいから評価されるということはない。その反対に歌が下手だから評価されないということもありえない。「歌」はきわめて主観的な評価により決定されるものであり、つまり歌う人物が好きか嫌いかによって決まるといっても言い過ぎではありません。ピアフは歌がうまかった。しかし実はそんなことは歌手としての評価にあまり関係がないのです。ピアフがこれほどまでにフランスで愛された理由はひとえに彼女の人格に共感する人が多かったからなのです。それにしてもマリオン・コティヤールです。別映画に主演しているときの彼女はモデルのように身長が高い肉感的な女性だと思っていましたが、身長を調べてみるとやはり170センチ近くもある。ちなみに和田アキ子は174センチ。いずれにせよそんな大柄な女性が身長142センチの子すずめを演じきるというのはやはり尋常なことではない。俳優が役作りのために体重をコントロールする話はよく聞きますが、さすがに身長はむり。しかし彼女は小さく見えました。これが「演じる」ということです。ようやくマリオンが主演女優賞を獲得できた理由が理解できました。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2009-03-06 23:13:00)(良:1票) |