Menu
 > レビュワー
 > 鉄腕麗人 さんの口コミ一覧。5ページ目
鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順123456789
投稿日付順123456789
変更日付順123456789
>> カレンダー表示
>> 通常表示
81.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 復讐の女神<TVM> 《ネタバレ》 
ミステリーにおける“探偵”は、物語の真相を解き明かす先導者であり、同時に犯人を奈落の底に突き落とす”死神”でもあると思う。 謎の解明は即ち、殺人者に対する処刑宣告であり、その様は時に無慈悲で恐ろしい。  そういったミステリーの主人公の“正義漢”と表裏一体の“恐ろしさ”を、今作のミス・マープルからは如実に感じられた。まさに「復讐の女神」という主題にふさわしい。  古き友人の遺言に導かれるようにミステリーツアーに参加するミス・マープル。そこに集まるわけありの人物たち。 アガサ・クリスティー作品の大定番と言える舞台設定の中で、殺人が起こり、過ぎ去った殺人事件の真相が導き出される。 展開は極めて王道的だが、冒頭から感じられる禍々しさがストーリーの全編に溢れ、緊張感を増幅させる。  多くのミステリー作品で見られる顛末と同じく、真相を暴かれた殺人者は自ら命を絶つ。 その定番の展開を見る度に、みすみす死なすなよと思ってきたけれど、もはやそれはミステリーそのものの定石であり、避けられるものではないのだと感じてきた。  ミステリーにおいて、真相を解明する者は、同時に死刑宣告者であり、すべての主人公はその宿命を負っているのだ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-20 14:38:27)
82.  アンドロメダ・・・
2010年、日本国内を席巻したトピックスの一つとして挙げられるのは、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還だろう。 それまで見向きもしなかったものに対して、突如として熱狂することは、善し悪しは別として昨今の日本人の特色だ。 このトピックスで日本中が沸いた際、何かのメディアで評論家が興味深い“不安”を口にしていた。  それは、無人探査機が地球から遠く離れた小惑星から採取したその「物質」が、地球の生態系において全く無害で、人類の科学技術で管理できるものだと、誰が断言できるのかということだった。  大多数の賞賛の中で、その空気の読めないコメントは、特に取り上げられることもなくスルーされた。 だが、その“不安”は、充分に考えるべき要素だと思った。  そして、それに極めて類似する不安要素を、このマイケル・クライトン原作の映画作品に感じた。  映画として優れた娯楽性を見せる作品とは言い難い。  宇宙から飛来した謎の病原体を、4人の科学者たちが深い深い地下の秘密施設で研究し続ける映画で、作中の科学者たちと同様、延々と繰り返される終わりの見えない研究室の風景には、退屈感が蔓延する。 主要キャストの4人も、オジンとオバンばかりで格好良さがまるで無い。  謎の物体が、突如として真の姿を現し始める瞬間など、スリリングな場面は幾つかあるのだが、もっと娯楽性高く映画全体を魅せる方法はいくらでもあるように思う。  ただ、今年「はやぶさ」に対する安直な熱狂があったからこそ、この映画が描き出す「恐怖」は、実はすぐそこに迫っているのではないかという緊張感を増幅させる。  そう考えていくと、分かりやすい娯楽性なんてこの映画には必要なく、延々と続く研究シーンと同じく、「未知なるもの」に対する実態の見えない分かりにくさこそが、「本質」なのだとも思える。
[DVD(字幕)] 7点(2010-10-18 22:32:41)(良:2票)
83.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 ゼロ時間へ<TVM>
「ゼロ時間へ」という意味深なタイトル、そして冒頭で語られる「殺人事件」に対する哲学的な言い回しに、より深い視点からのミステリーが繰り広げるのかもしれないと期待したけれど、実際は極めて定番なミステリーだったと思う。  ミス・マープルが珍しく積極的に事件周辺を嗅ぎ回り、ラストでは真犯人に対して高圧的な姿勢で対峙する様が印象的。 ただその反面、アガサ・クリスティー特有の人間模様には、それほど深みがなく、ドラマ性は薄く感じられた。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 11:02:22)(良:1票)
84.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 シタフォードの謎<TVM>
猛吹雪が吹き荒れる中、山里深い小さなホテルで、次期首相候補の男が殺される。  当然、その小さなホテルに集っていた何やら怪しげな宿泊客らが容疑者となり、  ミス・マープルは例によって自身は殆ど捜査活動に動かないまま、人づてに聞いた情報のみで事件の真相を解き明かしていく。  アガサ・クリスティーの同シリーズも4作品目なので、ミス・マープルの独特の捜査手法にも慣れ、「定番」の流れを安心して見られるようになった。  現在の人間模様と、過ぎ去った人間模様が絡み合い始めたとき、事件の真相が見えてくる。  殺される首相候補の政治家をティモシー・ダルトンという俳優が演じていて、どこかで見たことがあるおっさんだな~と思っていたら、かつて「007」でジェームズ・ボンドを演じた俳優だった。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 11:01:27)
85.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 動く指<TVM>
アガサ・クリスティー原作の人気シリーズ「ミス・マープル」。そのテレビ映画シリーズを今回初めて続けて鑑賞し、今作が3作品目。 ようやくこのシリーズの特徴として、“ミス・マープル”は決して主人公ではないということに気づいた。  様々な人間模様の中から渦巻く謎と殺人事件。その「真相」を導き出すのは、“第三者”である謎解き好きの老婦人ではなく、その人間模様の中にどっぷりと息づく当事者であることが多いようだ。  一般的な名探偵ものとは一線を画し、名探偵役のミス・マープルは、節々で観察眼の鋭さを見せるものの、その立ち位置は、我々「鑑賞者」の目線に近い。 そのかわりに、物語の中で描かれる人間関係に密接な人物が事件を解いていくことで、よりドラマ性が深化し、ただのミステリーに留まらない情感を生み出していると思った。  イングランドの田舎町で出回る怪文書を軸に、閉鎖的環境ならではの人間関係の“ひずみ”とそれに伴う“殺人”を巧みに描き出した今作も、その例に漏れず、繊細な人間ドラマと上質なミステリーを同時に味わわせてくれる。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-15 11:00:16)
86.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 親指のうずき<TVM> 《ネタバレ》 
突然死した叔母、消えた老婦人、時を越えた殺人事件……。 アガサ・クリスティらしいミステリーをミス・マープルが解き明かしていく。  浮上する「謎」の実像がなかなか見えないので、全編通して“ふわふわ”した感じてストーリーは進んでいく。 ミス・マープルと行動を共にするタペンス婦人がアル中だったりするので、余計に事件の真相が現実と妄想の狭間で見え隠れする。 それはミステリーの特徴として良いのだけれど、キーマンとなる人物の存在や見せ方もぼんやりと曖昧なので、ストーリー自体が追いづらい印象を受けた。導き出された真相と真犯人にも強引さと整合性の欠如を感じた。  独特の人間模様にはドラマ性があり、ミステリーとしての面白味は充分あるのだけれど、謎に対する真相に深みは無かったように思う。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 10:59:17)(良:1票)
87.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 スリーピング・マーダー<TVM>
アガサ・クリスティの「ミス・マープル」シリーズの映像作品を初めて観た。 謎を解き明かす主人公が地味な老婦人ということで、それほど興味はそそられず恐る恐る観始めたが、冒頭から繰り広げられる上質なミステリアスに途端に引き込まれた。  婚約を機にインドからイングランドへ移ってきたヒロインが、何かに導かれるように訪れた売り家にて、養生時に見た「殺人」の記憶が突然蘇ったことから、それまで眠っていた事件が目覚める。 ヒロインと事件にまつわる人々が入れ替わり立ち替わりし、複雑な人間模様があらわれてくるくだりは、アガサ・クリスティらしいストーリーテリングで、事件の真相と並行して導き出される隠された人間ドラマが秀逸だった。  ソフィア・マイルズが演じたヒロインが、蘇る記憶に苦悩しながらもアグレッシブに過去の人間関係を辿っていくので、ミス・マープルの存在性が薄く感じてしまったことは如何なものかと思う。 が、一つのミステリー作品としての完成度は極めて高く、オールドイングランドを舞台に洗練された文体の世界観を堪能できた。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-05 13:00:01)
88.  アパートメント(1996) 《ネタバレ》 
人間の情愛というものは、必ずしも綺麗ごとで済まされるものではない。愛するという行為はこの世界において最も美しいことだが、その行為は往々にしてすれ違い、報われない想いが時に悲劇を生む。  久しぶりに観たフランス映画は、まさにフランス映画らしいねっとりと絡み付くような情感と、各々の情愛が絡み合う類い稀なサスペンスに溢れた隠れた傑作だった。  映画の冒頭、先ず若かりしヴァンサン・カッセルの風貌と、彼の安い演技に対して思わずきょとんとしてしまう。 「これは駄作を引いてしまったか?」と懸念を大いに抱いた反面、何故だか妙に画面に惹き付けられていた。  何も起こっていない安い演技と演出の中に、何かが起こり得る要素はすでに含まれていて、それは巧みに隠されると同時に、絶妙な塩梅によるほのかな香りとして印象付けられていたのだと思う。  他人との何気ない“すれ違い”の中で、すでに情愛のもつれは始まっていた。目の前に居る人間の言動は、自分が知る由もない思惑を孕んでいる。 真実をすべて知った時、辿り着けるものは、真の愛か幻想か……。  どうも言葉で飾るほど、この映画の本質はぼやけてしまい、よろしくないようだ。 正直、うまく説明することが出来ない。  それは、この映画が、人間の根本的な愚かさを表しているからだと思う。  序盤、安い演技を見せていたヴァンサン・カッセルは、映画の展開と共に雰囲気が一変する。 ラストシーン、婚約者と抱き合いつつ、別の女性を見つめるその眼には、男の艶やかさが満ち溢れている。そこには愚かさを超え、狂気すら感じる。圧巻。   P.S.この作品を経て結ばれたのであろうヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチ。ヨーロッパを代表するこのセクシーな夫婦が、離婚なんて必然的とさえ言えるあの世界において、今尚「夫婦」を保っていることが、物凄く奇跡的なことに思えてならない。世界一格好良い夫婦なんじゃないかとさえ思う。
[DVD(字幕)] 9点(2010-09-18 02:15:21)
89.  アラジン(1992)
5歳のとき、幼稚園のお遊戯会で「アラジンと魔法のランプ」の劇がクラスの出し物で、僕は主役のアラジンを演じた。 ターバンとテカテカの派手な衣装を着て、セリフと音楽に合わせて踊り、ボール紙に金の色紙が全面に貼られたランプをこすった。 今思い返すと、非常に気恥ずかしいが、良い思い出だ。  そんなわけで、この千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)の一説とされる物語に対しては、とても愛着があって、当然このディズニー作品もとっくに観たものだと思っていた。  が、ふと振り返ってみると、どうやらちゃんと観たことが無かったようだ。  観たことは無かったが、登場するキャラクターたちは、魔人のジーニーにしても、ヒロインのジャスミンにしても、あまりに有名なので、目新しさは無かったものの、終始安心して観られた。  何と言っても、ランプの魔人ジーニーのキャラクター性が抜群だ。 アラビアン・ナイトの世界観を超越したあの破天荒なキャラクター性は、ディズニー映画史に残る名プレイヤーだと思う。  あまりに有名なお伽話なので、ストーリーに特筆するようなインパクトはないが、そんなことをディズニー映画に求めるのはそもそもナンセンスだ。 突如繰り広げられるミュージカルと、青い魔人のテンションの高さに、必死についていくべき映画だと思う。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-08-23 14:06:08)
90.  アパートの鍵貸します
主人公は大手保険会社のしがないサラリーマン。上役の不倫の場所として自らのアパートを提供し、出世の口利きをしてもらっているという設定は、少々強引だし、かと言ってそこにインパクトがあるかというと、そうでもない。 ストーリーのプロット自体は、「安いラブコメ」と言ったところだ……。  ただし、圧倒的に素晴らしい映画だった。「名作」の名にふさわしい。  主人公も含め、登場するキャラクターの人間性が魅力的だというわけでもない。 むしろ、揃いも揃って、狡くて、愚かで、滑稽だ。  でも、そういう部分こそ、すべての人間が共通して持つ“人間らしさ”だと思う。 その決して格好良くない人間の有りのままの姿を、きっちりと描写していることが、この作品の最も素晴らしい部分で、多くの人たちに愛される映画である所以なのだろう。  気まぐれで意地悪な人間関係の中で、右往左往する主人公にふいに舞い降りるハッピーエンド。 それはあまりに唐突のようにも見えるけれど、人生の転機なんてものはそんなもので、喜びも哀しみもいつだってふいに訪れる。  人間の営みの儚さと、だからこそ生まれる素晴らしさを巧みに描いた傑作だと思う。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-08-22 23:49:25)
91.  アイアンマン2
今一番熱いアメコミヒーロー映画シリーズ「アイアンマン」。 このシリーズの最大の勝因は、何を置いても主演俳優のキャスティングだと思っている。 これまでのヒーローたちとはその存在性そのものが「異質」であるトニー・スタークというキャラクター。決してヒーロー然としていないこの無頼漢を、ハリウッドきっての問題児ロバート・ダウニー・Jr.が演じたことで、このシリーズの成功が決まったと思う。  非常に期待したこの続編。娯楽映画としての面白さは問題ない。何も考えずに与えられた2時間をただ楽しめる映画だと思う。  ただし、「1」に比べると、ストーリー展開そのものは安直で魅力がない。 悪役に迎えられたミッキー・ロークは、その存在感自体は熱かったが、用意されたキャラクターにあまりに魅力が無かったと思う。最終的には、アイアンマンと予備スーツを着たローズ中佐とのタッグチームに二人掛かりであっさり倒されるという、あまりにおいしくない役柄で、せっかくのミッキー・ロークが勿体ない。  まあそのかわりに見せ場を作ったのは、ブラック・ウィドウに扮したスカーレット・ヨハンソン。相変わらずゴージャスな風貌で魅せる美しい強さは、今作のハイライトと言えるかもしれない。  ストーリーの更なる充実に期待して、次回作も待望したいと思う。       (2018.5.5再鑑賞)  「インフィニティ・ウォー」追悼MCU行脚。劇場公開以来の再鑑賞。 初鑑賞時は、傑作だった「1」の高揚感に対して、若干“消化不良”が先行した印象で、決して駄作だとは思っていなかったが「凡作」と記憶していた。 しかし、今回改めて観返してみると、今作以降ある種奇跡的な成功を勝ち獲っていく「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」を発展させていく上で、非常に重要な“ブリッジ”の役割を果たしていると思える。  トニー・スターク自身に課せられた問題として、アイアンマン存続のための複数の障壁を解消しつつ、この時点では謎に包まれた“S.H.I.E.L.D”という組織の全体像を朧げながら浮かび上がらせている。 何と言っても今作においてその役割に大いに貢献しているのは、ナターシャ・ロマノフ=ブラック・ウィドウだ。この超人的な身体能力と美貌を兼ね備えたスーパーエージェントを演じるスカーレット・ヨハンソンが、言わずもがな「堪んない」。  初見時はストーリー構成上ややとっ散らかって見えたアクション描写も、改めて観てみると、しっかりと盛りだくさんで見せ方も悪く思えた。おそらく、この後の展開が全く見えていなかった初見時は、ストーリー上に散りばめられたアレコレが当然ながら腑に落ちておらず、散漫に見えたのだろうと思う。 まあ、そういう部分が、やはり単体映画としては「粗」であったことは否めないけれど。  現在時点で、MCUの世界観にどっぷりと遣ってしまっているファンとしては、今作の価値は一転して高まった。 「アイアンマン」「アイアンマン2」を監督として務め上げ、MCUの本流を生み出してくれた“ハッピー”もといジョン・ファブローは、「良い仕事をした」と改めて思う。  エンドロール後のシークエンスには“ソー”のハンマー! 最高じゃん。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-27 22:33:25)
92.  アリス・イン・ワンダーランド
「ずいぶんと子供向けの”不思議の国のアリス”だな」  というのが、観終わった後の率直な感想だった。よく考えれば少しおかしな感想だ。 そもそもこの物語は、ルイス・キャロルが1865年に発表した児童文学であり、今作にしても、子供から大人まで楽しめる娯楽映画という位置づけであることは言うまでもない。 “子供向け”であることは、ある意味当然のことなのだ。  ならば、なぜそういう印象を持ってしまったのか。 その前提にあるのは、1951年のディズニーアニメ「ふしぎの国のアリス」の存在に他ならない。  このおよそ60年前の長編アニメの存在感が、物凄い。  決して大衆に媚びないそのシュールなアニメ世界は、ルイス・キャロルの原作が持つ根本的な”不可思議さ”を完全に表現すると同時に、アニメーションという表現方法を最大限に生かした芸術性と娯楽性に溢れている。 そして、その奇抜さは今尚少しも色褪せない。  今回の実写映画が、ディズニーの配給である時点で、ルイス・キャロルの児童文学の実写化というよりは、アニメ映画「ふしぎの国のアリス」の実写化であると捉えるべきだと思う。 そして、その実行者として、現在の映画界においてティム・バートン以上の適役は無かっただろうとも思う。  果たしてハリウッドきっての奇想天外な映画監督が、またもジョニー・デップと組み、あの不可思議な世界観をどのように映像化してみせるのか。そういう部分に期待は集中した。  結論としては、冒頭の感想に尽きる。  アニメ映画「ふしぎの国のアリス」の最大の魅力は、“不思議”なんて言葉を通り越して溢れ出る”毒々しさ”だった。 何も知らない幼子が観たならば、恐ろしくてその夜の夢に出てきそうな程に禍々しい。  そういう要素がこの実写映画には無く、比べると非常に“薄味”に思える。  莫大な製作費をかけた娯楽大作であるのだから、大衆に対する間口は出来る限り広げなければならなかったのだろう。 それでもティム・バートンならばと、もっとぶっ飛んだ“アリス”を期待していただけに、拍子抜けという感は否めない。  まあそれだけ半世紀以上前のアニメ映画が、ぶっ飛んでいるということだろうが。 
[映画館(字幕)] 5点(2010-04-29 22:44:36)(良:1票)
93.  愛を読むひと 《ネタバレ》 
戦後の西ドイツ、ふとしたきっかけで出会った15歳の少年と36歳の女。欲望のままに惹かれ合い、たった一夏の関係を過ごした二人。彼らの中ではじまった「朗読」という儀式は、一体何だったのだろう。  その意味は、決して単純に美しいものではないように思う。  過去の“業”を秘め無学をひたすらに隠そうとするアラウンド40の女と、目覚めた”性”を抑えきれず彼女に対する無意識下の蔑みを「愛」と盲目する少年、それぞれの脆さと愚かさを、「朗読」という行為で正当化しているような、そんな屈折した心証が見え隠れする。 キャッチコピーにもある通り、そこには、「愛」と呼ぶにはあまりに切ない二人の男女の関係性があったと思う。  時を経て、再び「朗読」という行為で繋がる二人の関係性は、20年前のそれとはまったく異なる。かつての感情の高ぶりを思い起こすと同時に、決して取り戻すことは出来ない過ぎ去った時間を感じ、二人の関係の本当の意味での“終幕”を迎える。  結局、この男と女は、一度たりとも心が通じ合ったことは無かったのではないかと思える。お互いが、無知と無学の狭間で盲目的に惹かれてはすれ違うということを繰り返し続けたのではないか。  それはやはり「愛」ではなかった。ただ、その関係性がイコール「悲劇」かというとそうではない。それぞれの人生において、「朗読」という行為は、“始める”意味でも、“終わらせる”意味でも不可欠なことだった。 それはおそらく当人たちでさえ説明がつかない心と心の“交じり合い”だったのだろう。  この物語の真意を100%理解出来たとは思えないし、完全に理解することなどは不可能だと思う。 なぜなら、主人公の女が死を覚悟してまで文盲であることを隠し続けたことが如実にあわらすように、人間の心理は千差万別であり、一つとして完璧に重なり合うものはないからだ。 そういう人間の複雑さを映画として情感たっぷりに描き出した優れた作品だと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2010-03-22 09:26:35)(良:1票)
94.  アイアンマン 《ネタバレ》 
「戦争」は批判するべきだし、それに直通する「武器製造」も絶対的に愚かなことだと思う。 ただし、そんな正論を言いつつ、“武器”や“兵器”に対しての娯楽性を払拭できないことも事実で、見たことのない最新兵器に高揚感を持ってしまうのは、否定できない男の「性」だと思う。  世界最強の武器商人が、自らの方向性に疑問を持ち、武器製造のノウハウをもってして自分自身がスーパーヒーローになっていく様は、ある意味本末転倒で滑稽だけれど、エンターテイメント性に溢れ、愉快痛快だ。  そういった設定自体が持つ魅力に加えて、このアメコミ映画を成功に至らしめているのは、何を置いても主演ロバート・ダウニーJr.のパフォーマンスだと思う。 「世界最強の武器商人」という他の映画であれば、明らかに悪役的なキャラクターから一転、ヒーローへと転じる様は、私生活から毒気に溢れているロバート・ダウニーJr.だからこそ表現できたキャラクター性だろう。  最新のCGを駆使して描かれるメカニカル感も言うことなく、少々子供じみたデザインも含めて、「カッコイー!」と感じずにはいられない。  「アイアンマン」=「鋼鉄の男」と聞くと、とても質実剛健なヒーロー像を想像するが、描かれるキャラクターは、それとは程遠く、その毒々しさがこそがこの映画の最大の魅力だと思う。  案の定というか、お決まりというか、エンドロール後の続編へのくだりも、まさかのサミュエル登場で、俄然期待は膨らんだ。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2010-01-08 21:44:36)
95.  アバター(2009)
流行りの3D映画を初めて観た。 その「初体験」がジェームズ・キャメロンの12年ぶりの新作で、本当に良かったと思う。  革新的な映像を見せる映画に対して、“未経験の映像体験”なんてキャッチコピーはよく使われるが、今まで観たどの映画よりも、この映画こそその常套句にふさわしい。 まさに、「観た」というよりは、「体験した」という表現の方がぴったりとくる。   正直、危惧の方が大きかった。 「タイタニック」以降、音沙汰なかった巨匠が、12年ぶりに挑んだ最新作は流行りの3D映画。 個人的に、3D映画に対しては、最新技術に頼った安直さが伺えて興味がなかった。映画の「本質」をぼかしているように思えたからだ。 大々的に広告はしているけれど、ただただ資金と時間を浪費した“超駄作”に仕上がっているのではなかろうか。と、不安を抱えたまま劇場へ入った。 初めての3Dグラスは、非常にかけ心地が悪く(眼鏡をかけているので尚更…)、上映前に益々萎えてきた。  しかし、本編が始まるにつれ、危惧とか不安とかそういうものは一蹴された。 それ以上に、今ここにある自分の日常的な存在自体が、どこか遠くに吹き飛ばされる感覚を、終始覚えた。 冒頭から間もなくして、すっかり映画世界に引き込まれた。  “引き込まれた”という表現を映画の感想で多々使ってきたけれど、今作ほどその表現にふさわしい映画はないと思う。 まさに「体感」。出演者の息づかいをスクリーン越しに感じるのではなく、自分自身が彼らと共に息づいているような感覚。それは紛れもない未体験ゾーンだった。   素晴らしい映画によくありがちなことだが、この映画は、うまく形容する言葉が見つからない。  『未開の惑星を侵略する地球人、スパイとして先住民族の中に送り込まれた主人公、やがて主人公は愚行から目覚め先住民と共に地球人の侵略に立ち向かう。』  と、プロットをただ言葉にするとあまりにありふれている。 が、そこに加えられた“光”と“音”によって、圧倒的な価値が生まれる。 それこそが「映画」そのもののマジックであると思う。  3Dという新たな映画表現によって見せ付けられたのは、そういう根本的な映画娯楽の魅力と、 12年ぶりに復活したエンターテイメント映画の大巨星の、絶対的な“瞬き”であった。  “ゼロ”からの圧倒的な「創造」。そのすべてが、凄い。物凄い。
[映画館(字幕)] 10点(2009-12-26 02:06:09)(良:1票)
96.  アンティーク ~西洋骨董洋菓子店~
良い。 “よしながふみ”による原作漫画は、隠れた傑作である。それを“真っ当”に映画化してみせた良い作品だと思う。  原作の持つ表面的な軽妙さと核心的な深刻さが混ざり合った独特の世界観を、映像化することで、ある部分においては見易く、ある部分においては思慮深く表現することに成功している。 とても「微妙」なテーマ性を内に秘めた作品なので、実はとても取り扱いが難しい素材だったと思うが、映画としてのエンターテイメント性も保ちつつ、作品としてまとめあげており、見事だ。  かつて同原作から、安直というかまったく「別物」のチープなテレビドラマしか生み出せなかった日本と比べると、改めて韓国の映画製作における本質的な巧みさを感じずにはいられない。  韓国俳優たちのバラエティーに富んだ演技もとても良く、決して漫画のキャラクター像に縛り付けられることなく、映画作品としての新たなキャラクターを表現していたと思う。 その辺りも、「漫画の映画化」となると、ことごとく原作のキャラクターを内面・外見ともになぞるだけの多くの日本映画とは、明らかな「差」を感じた。  非常に大好きな原作漫画の映画化だっただけに、自分の中でのハードルは高かったはずだけれど、それをひょいっと越えてみせた韓国映画の相変わらずの力強さに脱帽。
[映画館(字幕)] 8点(2009-11-05 00:52:56)
97.  歩いても 歩いても
暑い夏の日、亡くなった長男を弔うために家族が集まる。 どこにでもいる普通の家族の、何でもない一日。  自分自身も毎年経験していることだけれど、離れて暮らす家族が会する場というものは、実のところとても独特な空気を持っていると思う。 いつも一緒に暮らしているわけではないので、実際問題各々のことをそれほど把握しているわけではない。 にも関わらず、「家族」という微妙な関係性に縛られているから、特に改まることを許されず、努めて親密に振る舞わなければならない。 それは、互いの関係が良いとか、悪いとかに関わらず、そういうものだ。  だからこそ、表面的な会話の裏に見え隠れするそれぞれの思いにドラマが生まれる。 そのドラマ性を決して表立たせるわけではなく、あくまで個々が抱えた「感情」として描き出す。 それぞれの感情をもっと膨らませて、言動としてぶちまけたなら、荒々しい“波”のある映画になったかもしれない。 しかし、それを敢えてせず、作品全体を水面に落ちた一滴が生む波紋のように仕上げたことが、この映画の最大の魅力であり、是枝監督の流石の巧さだと思う。   歩いても、歩いても、人生が完璧に満ち足りるなんてことは、ないのかもしれない。 それは、息子を亡くした老いた母親にとっても、父親を亡くした少年にとっても、誰にとっても同じことなのだろう。 哀しいことだけれど、そういう何かしらの“物足りなさ”を抱えて生きていくことこそ、本当の意味で人間が人間らしく生きるということのような気がする。
[DVD(邦画)] 9点(2009-06-20 10:10:55)(良:1票)
98.  アイム・ノット・ゼア
ボブ・ディランというアメリカを、現代を、代表するアーティストの様々な存在性を、人種、性別を越えた6人の俳優が演じるという、奇抜な伝記的映画だった。  正直、ボブ・ディラン自体のことをよく知っているか、知っていないかでは、この映画の“面白味”には大いに差が生じるだろうと思う。 かく言う自分も、色々な映画や漫画などで彼の名前を認知している程度に過ぎず、どれほどこの作品の真髄を捉えられたかというと、首を傾げるしかない。  しかし、それでも巧みな演出と6人の俳優たちの個性的な表現力、そして全編に流れるボブ・ディランの楽曲によって、生ける伝説である希代のアーティストの類い稀な存在性は、大いに感じることができたと思う。  まあ何と言っても、ケイト・ブランシェットが凄い。 女優が、実在する男性を演じるなど、それは流石に無理があるんじゃないかと思っていたが、その表現力は圧倒的だったと思う。 実際、ボブ・ディランの言動を見聞きした経験はないが、ブランシェットが全身から発する繊細さと危うさは、まさに彼のそれなのだろうと疑わなかった。 同じくより現実に近いボブ・ディランを演じたヒース・レジャーとケイト・ブランシェットの目つきや佇まいが、根幹的な部分で同じだったことも驚いた。  これから、ボブ・ディランのことを少しずつ知っていこうと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2008-10-25 09:43:48)
99.  アフタースクール
前作「運命じゃない人」で、衝撃のスパイラルムービーを見せつけた内田けんじ監督の最新作。またもや、人の思惑と思惑がストーリーの“裏側”で入り交じる展開が見事だった。  何も考えていなさそうなやつが、実は秘めている企みの妙。確信犯的なストーリー以上に、人間が常に秘めている表には出さない感情と真相に、面白味を感じた。 今作では、大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人と、それぞれに味わいを持った性格俳優がメインを張っていることも、「人間の深層(真相)」という部分で、深みを持たせる要因となっている。  日本には今、エンターテイメント映画のジャンルで、良作を連発できる映画監督は少ない。 肯定的な意味で、“同じような映画”を連発する監督が少ないのだと思う。 内田けんじ監督には、今後も、積極的に観客を騙し続ける映画を量産していってほしいものだ。
[映画館(邦画)] 8点(2008-07-13 12:04:45)(良:1票)
100.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 
ふとこういう色々な意味で驚きに溢れた良い作品にめぐりあうから、映画はやめられない。  進学のため越してきた普通の大学生が、突然隣人に「本屋を襲わないか?」と誘われる。 なぜ、隣の隣のブータン人のために本屋を襲わなければならなかったのか?……なぜ、ディランを歌うのか?……なぜ、「じゃあ河童の方」の河なのか?、さりげなく散りばめられた伏線が結びつき、紡ぎ出された「真実」に、突如として感情が揺さぶられた。  伊坂幸太郎の原作は未読で、「映像化不可能」と言われいた文体がどういうものなのかは、この映画化作品を見た後だからこそ、殊更に気になる。  こういう映画は、感想の言葉を並べれば並べる程、蛇足になってしまう。  ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」によって繋がった出会いは、きっと神様が「彼」に差し伸べた「救い」だったのだろう。
[DVD(邦画)] 9点(2008-06-21 16:55:53)(良:1票)
0160.62%
1592.28%
2752.89%
31425.48%
41716.59%
52439.37%
637114.31%
752820.36%
852320.17%
929511.38%
101706.56%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS