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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  ゴジラ×メガギラス G消滅作戦
予告編を観ただけで、否が応でも鼻につく“駄作臭”から逃れるようにこれまでスルーし続けてきた今作。 ただゴジラファンとして、シリーズ中観ていない作品があることも口惜しいので、ついに初鑑賞。 ハードルを下げきっていた分、思ったよりは“観られた”感覚はあるが、やはり駄作は駄作だと思う。  予告編の段階から明らかだったことではあるが、今作における最たるマイナス要因は“キャスティング”だと思う。 田中美里には大変申し訳無いけれど、主人公の特殊部隊隊長に彼女を起用したことは、完全なるミスキャストだ。どこからどう見てもまるっきり戦闘員に見えないことは、主演女優の演技力どうこうではなく、配役の失敗以外の何物でもない。 今作で監督デビューを果たした手塚昌明は、この後の「ゴジラ×メカゴジラ」でも釈由美子を女性戦士役で主人公に配しており、完全に彼の“趣味趣向”なのだろうが、今作のこのキャスティングミスは致命的だった。  もちろん“駄作”と言い切る以上、主演女優一人にその原因を押し付けることは出来ない。 その他のキャラクターの軽薄さ、ストーリーそのもののお粗末さも、当然褒められたものではない。  そして、個人的に最も我慢ならなかったのは、ゴジラの造形である。 不必要に仰々しい背びれは厨二病丸出しのデザインで不自然でダサい。 ゴジラと対峙するメガギラスなる新怪獣も下品な毒々しさが空回りしており、これまたダサい。  とまあ振り返ってみれば、オープニングタイトルから、ラストカット、エンドクレジット後の“蛇足”シーンに至るまで、ことごとく「ダサい」の一言に尽きる。  しかし、ゴジラシリーズは実のところ7割以上が“駄作”であることは、ファンであれば周知の事実。 それを踏まえれば、今作の駄作ぶりなどそれほど目くじらを立てることではないとも思える。 そして、今作での長編デビュー後に、手塚昌明監督が再度挑んだ「ゴジラ×メカゴジラ」と「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」は、シリーズの中でも屈指の良作だと思っているので、この「失敗」は許せる。
[CS・衛星(邦画)] 3点(2015-10-13 23:52:14)
2.  交渉人 真下正義 《ネタバレ》 
テレビシリーズから通しての「踊る~」ファンであっても、やはりあの“真下”単独主演映画というのにはいささかの懸念があった。まあそれでも、劇場に足を運ばせるのだから、この製作サイドは相変わらず(良い意味で)金儲けがうまいなあ~と思った。  で、本編についてであるが、率直に言って純粋に満足できる内容であろう。 脚本的には随所にご都合主義的なところが気になったり、時間の経過とともに寒々しさが際立つギャグシーンも鼻につくところだが、これまでのシリーズの雰囲気はある程度残しつつも、ストーリーの展開的には“決別”し、一つの独立したパニックアクションに仕上げたと思う。  同シリーズではこれまでも過去の名作映画のオマージュ的な要素が楽しみの一つであったが、今作はまさに現代版「新幹線大爆破」であった。交渉人真下を軸に据えながら、列車の衝突を回避すべく活躍する鉄道マン、地上での捜査班&狙撃班らの“協力”は娯楽性に溢れていたと思う。 主人公の真下正義よりも、捜査班の寺島進、狙撃班の高杉亘、爆破処理班の松重豊らそれぞれの現場リーダーが存在感たっぷりに描かれていたことが成功の要因だろう。  そして「新幹線大爆破」の主犯が高倉健という存在感溢れるものだったのに対し、今作の犯人は結局最後の最後まで姿を現さないという“ゴースト性”も実に現代的であり、アレはアレでありだと思った。  わりと何回でも楽しく観られる映画である。
[映画館(字幕)] 7点(2015-09-16 15:19:27)
3.  ゴジラ×メカゴジラ
ゴジラ映画ファンだからこそ、シリーズ中「良作」と呼べる作品が数作品しかないこともよく認識しているのだが、今作は紛れも無くその数少ない良作の一つだと言える。 “ゴジラ”というブランドの低迷が極まった時期に製作された作品のため、その評価はお世辞にも良くない。 しかしこの映画は、ゴジラというモンスターの強大さを描いた「怪獣映画」としても、機龍(メカゴジラ)という対G兵器を描いた「ロボット映画」としても、真っ当で、熱い作品に仕上がっていると断言したい。  何と言っても、“メカゴジラ”というシリーズ既存のキャラクターを、ゴジラの骨と機械とを掛けあわせた人間側の新兵器として再誕生させてみせた発想が見事だった。 厨二病的な発想と言ってしまえばその通りだが、生まれ変わったメカゴジラのキャラクター性は、“兵器”としても“怪獣”としてもドラマがあり、その造形美は最高に格好良い。 厨二病?大いに結構!と開き直りたくなる。  主演の釈由美子は、最初に今作を観た時にはそのあざとい演技に失笑を禁じ得なかったけれど、段々とこの映画自体のスタンスに的確であると思えてくる。 体躯のビジュアルや美貌も含めて、彼女の存在感そのものがアニメチックで、この映画に相応しいヒロイン像を体現してくれている。  「いくよ、機龍!」 というヒロインの台詞を聞くために、僕はこの先も何度もこのゴジラ映画を観ることだろう。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-06-18 12:34:14)(良:1票)
4.  ゴールデンスランバー(2009)
「逃げる」ということは、大抵の場合否定される。「逃げるな、負けるな」ということを言われ続けて生きている人がほとんどじゃないだろうか。 果たして、それが正しいのかどうかは分からないけれど、この映画の物語が描いているのは、まさにその当然とされる風潮へのアンチテーゼだ。  首相暗殺の陰謀に巻き込まれた主人公。ひたすらに逃げ続ける主人公に対して、彼を知る周囲の人間は、「逃げろ、勝とうとするな」と彼に言い続ける。 無実の人間が巨大な陰謀に巻き込まれるというプロットに、通常求められることは、「報復」そして「真相解明」である。 しかし、この物語は、主人公が苦難を乗り越えながら、巨悪へと立ち向かうという予定調和を無視し、ひたすらに「逃げる」ということのみの描写を貫く。  「逃げる」ということを肯定し、それを真っ向から描く究極の逃亡劇の中に、主人公の運命と周囲の人間との”関わり合い”を織り交ぜ、最高のエンターテイメントを描き出したことが、伊坂幸太郎の原作の凄さだ。  面白い原作に対してその映画化が成功する可能性は、実際極めて低いと言わざるを得ない。それが娯楽作品であれば殊更だろう。 原作を読み終えた時に、「映画化するなら主人公役は堺雅人だな」と思い、その通りの配役が実現した報を聞いても、期待をする反面、危惧は拭えなかった。  が、その危惧は、主人公が逃げ始めた途端に、ものの見事に一掃された。 ほぼ完璧な伊坂幸太郎原作の映画化作品だと思う。 何よりも良かったのは、やはり「配役」だ。個人的に熱望した堺雅人はもちろん良かったが、脇を固めるその他の俳優達が、見事に原作に登場するキャラクターに適合していた。  原作が素晴らしいほど、その映画化作品には違和感が生まれるもので、どうしても居心地の悪さが生じることは多くの場合否めない。 しかし、ベストな配役と、原作の世界観をきちんと踏まえた演出により、非常に居心地の良い映画世界を構築してみせたと思う。 予想以上に完成度の高い映画世界の中で、とても幸福な時間を過ごすことが出来た。
[映画館(邦画)] 10点(2015-02-19 23:20:26)(良:1票)
5.  ゴジラ FINAL WARS 《ネタバレ》 
“愚の骨頂”あらゆる意味でこの映画にこの言葉はふさわしい。  はっきり言って「くだらない」と一蹴してしまうことを戸惑う作品ではない。間違いなく「くだらない」。  でもこれほどまでに、東宝特撮映画が自らに対する記念碑的映画としてふさわしい出来栄えもないかもしれない。 “とにかく、あらゆる東宝ネタを詰め込もう!!”という根本のコンセプトは間違っていないと思う。 海底軍艦の出撃に、妖星ゴラスの襲来、謎のX星人……ある種のオールスター的要素を心から喜ぶ人達はとても多いだろう。 ほとんど支離滅裂に登場する怪獣たちの存在も充分に楽しめる要素である。 ある種のチープさは、東宝特撮映画の良い意味での伝統であり、それこそ黄金時代を象徴する娯楽性だったと思う。  しかし、それでも、やはりこの映画は冒頭の言葉に終始する。  その原因はただ一つだ。 そう、このゴジラ最終作の監督に北村龍平という人間を起用したことに尽きる。  一辺倒の格闘シーンしか紡ぐことの出来ないこの監督は、自分に与えられた仕事の意味と責任を何も分かっていなかった。 製作発表の段階で、誰もが抱いた最大の不安は、見事に的中した。  近年のゴジラ映画には希望の光が見えていただけに、製作会社のこの“大見誤り”は「残念」では済まされない。  長いゴジラ映画の歴史の中で、ひとつの区切りとしてこういう映画があるのはべつに良いと思う。 しかし、これで“終わり”では、日本映画最大のヒーローがあまりに可哀想だ。  この映画にハリウッド版「GODZILLA」を愚弄する資格などどこにもない。
[映画館(邦画)] 0点(2013-10-12 22:55:19)(良:8票)
6.  コンフィデンス
「結果」だけ見れば、この手の犯罪サスペンス映画としては、常套手段のオンパレードであり、“どんでん返し”に伴うカタルシスは極めて薄いと言わざるを得ない。 しかも、主人公のキャラクターが“詐欺師”でこの“真相”では、名作「スティング」をなぞっていることは明らかで、顛末が容易に読めてしまうのは大きなマイナス点だと思う。  ただし、それでも一定の見応えは備えている映画だとも思う。 何と言ってもキャストが豪華だ。それほどの大作でもなかろうによく揃えられたものだと思う。 ほぼ映画の事前情報を入れずにふらっと見始めたので、アンディ・ガルシアの登場で「お!」、ダスティン・ホフマンの登場で「おお!」と素直に驚けた。 ポール・ジアマッティやルイス・ガスマンら地味ながらも味のある俳優が脇を固めているのも嬉しい。  特筆すべきはやはり、レイチェル・ワイズの美しさに尽きる。 この映画の娯楽性を保ち、結構良い映画なんじゃないかと錯覚でも感じさせるのは、ヒロインの魅惑的な存在感があるからだ。 実際、映画の価値においては、そういう部分も重要な要素の一つだと思う。  ネタは数多の詐欺師映画の模倣だし、諸々の人物描写に整合性が無い部分も多い。 褒められた出来ではなく、人にも勧めづらいが、それでも楽しむべき要素は備えている。 少なくともレイチェル・ワイズのファンにとっては。
[インターネット(字幕)] 5点(2013-05-13 21:42:35)
7.  GO(2001・行定勲監督作品)
少しでもそのテイストを間違えば、とんでもない駄作になってしまいそうな物語を非常に巧く映画化したと思う。駄作どころかこの映画の価値は極めて高い。基本的に問題意識の低い日本人にとってこの映画で燦然と描かれるテーマは非常に重要なことだ。瑞々しいエネルギーと痛々しい葛藤を描いた今作を多くの日本人が観るべきだと思う。劇中、窪塚洋介が言う「広い世界を見るのだ」、まさにその通りだと思った。
[映画館(邦画)] 8点(2012-02-17 17:13:07)
8.  (500)日のサマー
その昔、ある友人の恋模様のエピソードを聞いていると、度々「コーヒーに誘った」という内容が出てきた。 それを聞いた僕は、「コーヒーなんて誘ってどうするんだ?」とまるっきりピンと来なかった。 自分が関心を持っている相手とコーヒーを飲みながら話をするという選択肢自体が、当時の自分の中はなかった。 最近になって殊更に目につくのだが、欧米の映画では男女の会話の中で、「コーヒーでもどう?」という台詞というか“駆け引き”がしょっちゅう出てくる。 ああそうか、男女の駆け引きの中では、“コーヒーに誘う”という行為はものすごく一般的な常套手段なんだな。ということに今更ながら気付いた。 まあそんなことはこの映画には関係ないので、どうでもいい。   「運命」は「偶然」だと思うし、「偶然」は「運命」だと僕は思う。 だから、「すべての出来事は偶然だ」ということと、「すべての出来事は運命だ」ということは、まったくの同意だと思う。  “500日”という時間の中で、出会い、別れた男女の様を美しくユニークな映像世界の中で、切なくポップに描き出したとても良い映画だと思えた。 たとえ“1日”でも恋を経験した人であるならば、男女問わずに、どこかしらに共感できるポイントがあって、その可愛らしくも辛辣なシーンを目の当たりにして、胸がきゅう~っとなる映画だったと思う。  500日目の後に新たな“1日目”が始まる偶然。 500日目の後に“501日目”が始まる運命。 両者は平等に可能性を秘めており、それらを繰り返しながら、すべての人たちは“1日”を生きている。
[DVD(字幕)] 9点(2011-12-10 14:11:15)
9.  ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS 《ネタバレ》 
東宝の「ゴジラ」シリーズは大好きで、1954年の第一作目をはじめとしてその殆どの作品を観てきた。  それを踏まえた上で、敢えて言っておかなければならないことは、この日本映画史に残る特撮映画シリーズは、その殆どの作品が「駄作」であるということだ。「ゴジラ」シリーズ全28作品中、「良い映画」だと呼べる作品は、本当に一握りしかない。  そんな中で、第27作目である本作は、意外に良い映画だと思っている。  「ゴジラ」シリーズにおける“良い映画”に共通する特色が一つある。それは、"ゴジラ”と対峙する(闘う)のが、「人間」であるということ。  「駄作」と断言できるゴジラ映画の多くは、ゴジラが登場し、そしてまた別の巨大怪獣が登場し、両者の対決ばかりを延々と繰り返す。 必然的にそこには人間ドラマなどなく、ストーリー性なんてあってないようなものになっている。当然ながら、映画として面白いわけがない。  娯楽映画であろうと、特撮映画であろうと、そこに確固とした人間模様が描かれるからこそ、観客は感情移入し、より一層にエンターテイメント性が際立つものだと思う。  そういった「ゴジラ映画」である前に「映画」として不可欠な要素を、本作はきちんと組み込んでいる。  人間が対ゴジラ用の最終兵器として生み出した“メカゴジラ”=「機龍」の整備士を主人公に配し、人間とマシーンの狭間に生まれる思いを軸に展開するストーリー性は、これまでのゴジラ映画にはない新しさだったと思う。 だからと言って、ストーリーの完成度が高いなんてことはないのだが、少なくともストーリー展開に整合性はあり、白けるようなことはない。  注文をつけるとすれば、成虫・幼虫(双子)と大サービスで登場する“モスラ”の存在性はあまりに無意味だったと思う。 モスラと、この怪獣とセットの“小美人”の存在のせいで、リアリティが大いに損なわれたと思う。(まあ、ゴジラ映画にリアリティなど求めること自体がナンセンスかもしれないが……)  あともう少しキャスティング力にパワーがあれば、更に人間ドラマが際立ったのになあとも思う。  エンドロール後の“バイオハザード”的な更なる続編への煽りも個人的には大好きで、次作にも期待したのだけれど、続いて公開された最終作は、本作とは全く繋がりのない超絶駄作となってしまったことは有名な話。
[DVD(邦画)] 8点(2011-03-29 14:41:54)
10.  コララインとボタンの魔女
「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」の監督が新たに描き出した独特のアニメーションが印象的な作品だった。 ストーリーは極めてオーソドックスで、特に新しさや興味深いものは無い。が、それを充分に補って余りあるアニーメーションのクオリティーの高さを堪能できる映画だと思う。  外国映画を鑑賞する際、言語が理解できないのであれば、基本的に字幕で観るべきだと思っている。 ただし、アニメ映画の場合は、必ずしもそうするべきではないと思う。 特に、今作のように細やかに作り込まれたアニメーションそのものに魅力がある作品では、日本語字幕を追うことで世界観を堪能し切れなくなる。 声優経験が少ない俳優を吹替え版キャストに起用することには難色を感じるが、アニメのキャラクターたちの見せる言動をそのまま“感じる”ことが重要だと思う。  今作の場合、主人公の声を演じた榮倉奈々のパフォーマンスには、新鮮味と同時に多少たどたどしさを感じたけれど、主人公の母親&魔女役を演じた戸田恵子の声優としての技量が安定して発揮されているので、映画として安定して観られたと思う。  ティム・バートンが絡んでいないので、「ナイトメアー~」や「コープス・ブライド」のような世界観の圧倒的な深みはない。 その部分でやや物足りなさは感じたけれど、卓越したセンスに裏打ちされた完成度の高いアニメ世界を見せてくれる映画だとは思う。
[DVD(吹替)] 6点(2010-12-05 23:03:13)
11.  コンスタンティン
ビジュアル的にもストーリー的にも俳優的にも総じて“バランスの良い”映画だったと思う。テンポも良くてひたすらにハードボイルドを貫くキアヌのスタンスも良かった。ただしかし、やはりというか何というか、この手の映画に対する“ありきたりさ”を拭いきれなかったような気がする。また見方を変えると、かつてキアヌが主演した作品と似通った点が多すぎる。悪魔と対峙するという点ではアル・パチーノと共演した「ディアボロス」、そしてダークスーツでのアクションはやはり「マトリックス」を彷彿とさせてしまう。出来はまあ良いんだけど、随所で新鮮味が欠けるというところか。あと個人的にはとても期待していたレイチェル・ワイズの見せ場があまり無かったことが残念。
[映画館(字幕)] 6点(2009-06-20 20:48:52)
12.  コラテラル
なにか描かれるストーリー以上のものを観客に伝える映画だったと思う。単純にストーリー展開だけを見たならば、なんだかクールというよりもあっさりし過ぎているように感じるかもしれない。しかし実際に生きている人間たちがみなそうであるように、“一夜の出来事”の終焉は決して夜明けともに来るわけではない。翌朝も、翌々朝もずっとその人間の中に残っていくものだ。それは映画の住人たちにとっても変わりなく、タクシー運転手の人生はその後も続いていくし、死んだ殺し屋の人生を一晩だけで完全に理解するのは無理だ。なんだか、上手く言えないけど、そういう彼らの“一夜の出来事”の前後の生き様を考えさせられる映画だった。そして、最後の最後まで続いた彼らの思想の対立が、心の中をぐるぐると駆け回って、苦しい。
[映画館(字幕)] 6点(2009-06-20 20:38:18)
13.  コラテラル・ダメージ
いち消防士があれほどまでテロリスト相手に大立ち回りしてしまうリアリティの無さは、普通は認められないものだけど、それがシュワルツェネッガーであれば何の問題もなく、むしろフツーのこととも思える。肯定的な意味で非常にシュワちゃんらしい今作は、近年の彼の低迷振りを払拭するエンターテイメントを提供できていると思う。
[ビデオ(字幕)] 6点(2009-06-20 20:12:53)
14.  ゴーストワールド
“変”なのは自分なのか取り巻く環境なのか?社会の常識と言われているものを迎合して“自立”しなければならないのか?そういう普遍的な10代の思い悩みを、ある部分においては斬新に、そしてある部分においてはとても純粋に描いた作品だと思う。 パフォーマンス的にも、ビジュアル的にも完璧な演者たちが織り成す、少し奇妙なこの映画世界は、実はどの世界にも存在する滑稽で純粋な人間の姿だ。
[DVD(字幕)] 9点(2009-06-18 15:25:26)
15.  恋に落ちる確率
とてもとても変てこな映画だ。映画の主人公そのままに、間違いなく観ている側も“不思議な世界”へ引き込まれる。この映画世界は何なのか?主人公の男の混乱した精神世界なのか?劇中の小説家が描く愛についての物語の世界へ入り込んでしまったのか?たぶん、明確な説明などは必要でないのだと思う。この映画の作り手が望んでいるのは、そういうことではないと思う。 観客のそれぞれが、それぞれの“捉え方”をし、それぞれの結末に対する感情を持つべきなのだろう。 きっと、観終わった直後では、自身の中においても感情としての答えは定まらない。でも今はそれでいいのではないかと思う。 遠い、北の国でつくられたこの映画は、ただ単に冷たいだけではない冷ややかな体温をしっとりと観る者に残す。
[DVD(字幕)] 7点(2009-06-18 15:24:47)
16.  ゴスフォード・パーク
時代背景に裏づけされた人々の階級模様がそのまま舞台となる屋敷と映画の構図となり、非常に濃密で多面性のある群像劇が展開される。この手の映画は大得意な巨匠ロバート・アルトマンだけにストーリー展開とカメラワークが極めて見事で、多数の登場人物が混合することなくスマートに映画が進展していく。群像劇のみでも充分に見応えはあるが、そこに殺人というエッセンスが加わり映画としての味わい深さがさらに増す。
[映画館(字幕)] 8点(2009-06-12 23:28:28)
17.  GOEMON
賛否が大いに分かれた(というよりも殆どは“否”だった)前作「CASSHERN」から5年。紀里谷和明という映画監督の、創作者としてのエゴイズムと方向性が、圧倒的に正しいということを、改めて確信させるに余りある作品に、この「GOEMON」は仕上がっている。  既存のヒーローを描いた作品でありながら、、独創的で独善的なストーリー展開に突っ走った「CASSHERN」は、多数がどう言おうと素晴らしい映画だった。しかし、その分観客の許容範囲を狭めてしまったことも事実。  しかし、今回は史実に伝説として残りつつも、想像の部分が多分に含まれる”石川五右衛門”というヒーローを扱うことで、自由な表現が出来るから故に、単純明快なストーリーの上に、至高の娯楽が構築されたのだと思う。  当然のことだけれど、この映画に歴史的リアリティやその他もろもろの「常識」を求めるなんてナンセンス極まりない。 あらゆる固定観念を捨て去り、本当の意味でフラットな状態でひたすらに突き詰められた映画世界に没頭すべきだと思う。  日本映画に大きく欠けているもの。それは創造物に対する絶対的な「自信」と、それを持つためのエゴイズムだと思う。 そういうものを備えているからこそ、紀里谷和明という人間の創造物は、「日本」という枠を大きくはみ出るほどの、圧倒的なパワーに溢れている。 今後もそのスタンスを貫く限り、再び彼は「絶景」を見せてくれるに違いない。 
[映画館(邦画)] 9点(2009-05-05 09:26:21)(良:2票)
18.  皇帝ペンギン
自然界の動物の生態を指して、「親子愛」だとかそういう擬人的な価値観を押しつけることは出来ない。そんなのは、紛れも無い人間のエゴだ。そういう意味では、この作品のスタンスは少し過剰だとも思う。ただ、映し出されるペンギンたちの姿は、どうやったって「本物」なわけで、そのひとつの“生命”としての“生き様”には、純粋で力強い感動が生まれる。 もし、彼らの姿にどうしても、「愛」というフレーズをもって表現したいなら、それは、生命としての本能としての愛、すなわち「生命愛」であろう。
[DVD(字幕)] 7点(2006-01-10 01:49:31)(良:1票)
19.  コーヒー&シガレッツ
自分が、コーヒーと煙草を好んでいないことが悔しくなる映画だ。苦々しい口当たりを表すような各シチュエーションの会話と、だからこそこみ上げてくる奥深い味わいがモノトーンの映像世界に溢れる。 シニカルなうわべだけのどうでもいいような会話が、なぜにこうも深みをもってくるか。たぶん、それがコーヒーと煙草の魅力なのだろう。 ケイト・ブランシェットの自演&一人二役をはじめ、ビル・マーレーのヌけた演技と出演者たちの存在感が、独特な世界観に拍車をかける。 コーヒー&煙草同様、まさに空いた時間に、何気なく、リラックスしてみるための作品だ。
[DVD(字幕)] 8点(2005-12-28 12:54:41)
20.  CODE46
哀しい。どうしようもないほどに悲劇的な哀しさではない。でもだからこそ尚更に哀しい。“愛する”という感情の動きは、時に衝動的で時に動物的なものだ。到底理屈ではないものだ。そういった人間という生物の根底にあるものを、この映画は突き詰めていく。主人公たちそれぞれの行動を明確な言葉で理屈付けるなどナンセンスだ。でもそこから伝わってくる紛れも無い想いに陶酔する。ラストに訪れるめくるめく感情の倒錯の中で、ひたすらに切なさが募っていく。規制されつくした世界の中で、欲望を主張し感情の自由を求めて逃げ出す二人……そのままに終わりを見せない二人の“感情の終着点”が見事だ。想うほどに余韻が膨らむ傑作である。サマンサ・モートン凄い。
[DVD(字幕)] 9点(2005-10-05 15:03:56)
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