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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  ドラえもん のび太の恐竜
WOWOWで、「37作一挙放送!史上最大の映画ドラえもんまつり」という「流石!」な企画があり、ここぞとばかりに全作を録り溜めている。 早速、この記念すべき第一作を子どもたちと共に鑑賞。 タイムトラベル、恐竜世界(異世界)、未来人の横暴……F先生によるドラえもん映画ならではのスペクタクルの要素は、この一作目から既に確立している。 鑑賞後にすかさず、本棚から原作漫画の「大長編ドラえもん」を引っ張り出してきて読んだが、たった一冊の普通サイズの単行本にこれ程の大冒険を詰め込み、成立させるF先生のまさに“神業”に改めて驚く。  そして、鑑賞後3歳の息子が拙くも「面白かった」と言った。 僕にとっては、それがすべてだ。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2018-04-18 08:36:37)
22.  トリプルX 再起動
2002年(15年前!)の第一作目は、低迷していたアクションスター型アクション映画に一石を投じる文字通りの快作だった。 その成功の要因は、やはり主演のヴィン・ディーゼルという俳優の特異性にあったと思う。 「ワイルド・スピード」シリーズが世界的大ヒットコンテンツとなった今となっては、もはや彼の特異性には「愛着」しかないけれど、当時はまさに売り出し中、モロに悪役面で豪腕を振り回すヴィン・ディーゼルのアンチ・ヒーローぶりは、新鮮で、エキサイティングだった。  そのヴィン・ディーゼルが降板し、代わりにアイス・キューブが主演を務めたシリーズ第二作目は未見だが、最大の見どころであった主演俳優が交代してしまっては、その苦戦ぶりは想像に難くない。 そしてその第二作からも12年の月日が過ぎ去った上でのまさかのシリーズ最新作には、当然ながら“今更感”は拭い去れない。 けれど、もはやアクションスターとしての絶対的な地位を確立したヴィン・ディーゼルが、「xXx」として復帰している以上、相応の娯楽性自体が復活していることは言うまでもない。  そして何と言ってもこの「再起動」は、競演陣が豪華だ。 サミュエル・L・ジャクソンが相変わらずのノリの良さで唯一シリーズ皆勤賞の指揮官役を喜々として怪演する。その傍らにはネイマール! アジアからは、絶好調ドニー・イェンとトニー・ジャーが参戦し、圧倒的な説得力を備えた体技の数々で、娯楽性に華を添えてくれる。 それに、コケた前作の屈辱を呑み込んだ上で再登場したアイス・キューブは、なんていいヤツなんだ!と思わずを得ない。  ストーリーテリングの目論見自体は、「ワイルド・スピード」シリーズの成功の二番煎じ狙いであることは明らかだし、サミュエル・L・ジャクソン演じる指揮官ギボンズのキャラクター性にも、“ニック・フューリー”の焼き直し感は否めない。 決して志の高い映画ではないことは間違いないが、そんなこと誰も求めていないこともまた然り。  そういう意味で、この映画を観ようとするファンが「観たいもの」をしっかりと観せてくれる作品だと思う。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-12-25 20:10:15)
23.  ドクター・ストレンジ
マーベル・コミックのクロスオーバー作品である“マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)”のシリーズ第14作目にして、“フェイズ3”の2作目なんて聞くと、もはやファンですら混乱してしまいそうで、完全に一見さんお断りの雰囲気を醸し出している。 ついに「魔術師」まで登場してしまっては、この世界観のリアリティーラインが一気にぶっ飛びそうだが、その「異質」さが、逆に一見さんを“アリ”にしてくれているようにも感じた。 故に、特にMCUシリーズのファンにとっては、大いに賛否が分かれる作品に仕上がっていると思う。  アメコミ自体への造詣が深いわけではないので、当初は「ドクター・ストレンジ?何だそれ?」といったところだったが、MCUにベネディクト・カンバーバッチが参戦となれば、当然劇場に足を運ばぬわけにはいかない。 そして、傲慢で屈折した性格を持つ天才外科医なんて役どころが、カンバーバッチにマッチしないわけがなく、髭を蓄えた白髪交じりの魔術師の立ち振舞も、他のマーベルヒーローとは一線を画す格好良さがあった。 ある意味では、そのビジュアル的な娯楽性を達成できている時点で、アメコミ映画としては「成功」と言ってもいいのかもしれない。  しかしながら、これまでのMCUシリーズ各作品において(すべてとは言わないが)ストーリーテリングの巧さとエンターテイメントとしての手際の良さによって高揚感を与え続けられてきたファンとしては、少々稚拙なストーリー展開に思わず眉をひそめてしまった。 冒頭からクライマックスに至るまで、終始ストーリー運びが唐突に感じた。 天才外科医だった主人公が、交通事故を起こし、天職を失い、絶望し、彷徨い、偶然に怪しい呪術の存在を知り、学び、魔術師になる。その一連の流れがあまりに短絡的で、都合いい。「そういう運命だから」という一言で済ませようとするような乱暴さすら感じてしまう。 主人公をはじめとする各キャラクターの行動理由についての描写も非常に薄い。 何やらわけの分からぬ固有名詞を連発してそれっぽいことを述べて、強引に事を運んでいるように見えてならなかった。  ラストの主人公が勝利するくだりは、魔術師らしい狡猾な“とんち”が効いていて小気味よかったが、あのような展開がまかり通るのならば、それを活かしてもっと巧いストーリーテリングが構築できたのではないかと思える。 序盤の都合のいい展開も、時空を超越した魔術師の仕業だった〜なんてオチであれば、楽しかったのにと口惜しさが残った。  とはいえ、前述の通りMCUシリーズの中でも個性的な作品であることは間違いない。 ストーリーの稚拙さはあるが、場面場面の愛らしさを含め、奇妙で歪でかわいい映画と言えなくもない。  「魔術師」の登場に対してリアリティーラインの崩壊を危惧したけれど、考えてみれば、古来より「科学」と「魔術」の境界線は紙一重であり、実は今もそれは変わりないのかもしれない。(「ドラえもん のび太の魔界大冒険」で出来杉くんも同様のことを言っていた) ならば、科学の粋を集めたアイアンマンと魔術師のドクター・ストレンジが同一世界に居たとしても全くおかしくはないのだろう。
[映画館(字幕)] 6点(2017-11-06 23:13:35)(良:1票)
24.  ドリーム
「私には差別意識なんてものは無いのよ」  と、キルスティン・ダンスト演じる白人女性管理職のミッチェルが、それが自分の本心だということを疑わずに言う。 それに対して、黒人女性としてNASA初の管理職を目指すオクタヴィア・スペンサー演じるドロシーはこう冷静に返す。  「分かっているわ あなたがそう思い込んでいることを」  愕然とするミッチェルのみならず、僕自身を含め、観客の多くがドキッとした台詞だったろう。 世界のあらゆる「差別」における最大の問題点は、あからさまなレイシストをどう排除していくかということではない。 「私は差別なんてしていない」と平然と生活をしている我々大衆の根底にある無意識の差別意識を、どう根絶できるかということだ。  「差別なんてしてない」と信じている人間に、実は存在する差別意識を認識させること程難しいことはない。 たとえそれの存在に気付いていたとしても、「知らないふり」をしていた方が、ずっと楽だし、正義を気取れるからだ。 自分自身の中に巣食う差別意識に対面し、それを認めることは、実は最も勇気が必要なことなのかもしれない。  社会に蔓延る人種差別を描いた映画を多々観てきたけれど、「“差別”が何故愚かなことなのか」という普遍的な問いに対する、分かっているようで分かっていないその「答え」を、これ程まで明確に、そして娯楽性豊かに示した映画を他に知らない。  この映画が示すその明確な答えは、あまりに潔く、的確だ。 即ちそれは、「差別」の存在が人類の進化においてあまりにも“非効率”であり、その歩みを留める致命的な“エラー”になり得るからだ。 本当に優秀な人材が、当たり前のように根付く差別意識とそれに伴う愚かな仕組みのせいで、ただ「トイレに行く」だけのために、無意味に駆け回らなければならない。 人類全体の新たな「1歩」のために、1秒、1ミリ、1グラムを追求するべく職に就く人間が、愚かな非効率を強いられることの罪深さをこの映画は圧倒的な雄弁さで物語る。  言わずもがな、キャストの演技はみな素晴らしい。 特に主要キャラクターとなる3人の黒人女性を演じた女優たちの魅力的な存在感は圧巻。原題「Hidden Figures」が表す通り、歴史の中に隠れた人達の輝かしい功績を燦然と体現している。  同年のアカデミー賞を勝ち獲ったのは、今作と同じく、社会的マイノリティの葛藤を叙情的に描いた「ムーンライト」だったわけだが、今作の映画としての非の打ち所の無さは同作を遥かに凌駕する。 世界中の誰が観ても、心から楽しめ、提示される問題の根深さを理解することが出来るこの映画の価値は極めて高い。   クラシックな車と同じく、古い「時代」とそれに伴う間違った「価値観」は時に立ち往生する。 悲しくて悔しくて、先行きままならないことも多々ある。 でも、ならば車の底に潜り込んで直せばいい、正せばいい。 彼女たちが示した勇気とプライド。そのあまりにも尊い価値に涙と多幸感が溢れ出る。
[映画館(字幕)] 9点(2017-10-29 07:53:08)(良:3票)
25.  ドラゴンボールZ 復活の「F」
マッスルパワーの亀仙人が強すぎるぞッ!  が、往年のファンとしてそれは嬉しすぎるサービスカットだ。悟空たちがあれだけ際限なく強くなっているのだから、不老不死(自称)の亀仙人が密かに修行して強くなっていてもなんら不思議ではない! ただし、あのように亀仙人はじめ各キャラクターの活躍シーンを用意してくれるのであれば、ちゃんとヤムチャとチャオズも連れて来てあげて欲しかった。 ヤムチャの繰気弾とチャオズのどどん波のシーンがあればもっと盛り上がったろうにと思う。 というか天さんよ、いつからあんたはチャオズに加えてヤムチャの保護者的立場になったのだ?  というわけで、映画としてのストーリーの稚拙さや工夫の無さなどはもはやどうでもいい。 孫悟空はじめキャラクターが勢揃いし、再び地球の危機を救う。 そして、対峙する悪は、満を持して復活した原作最恐の悪役フリーザ。 悟空対フリーザ。その構図が再び見られただけで、往年のドラゴンボールファンとしては、懐かしさとともに嬉しさが先行してしまうことは否めない。  ストーリーテリングがあまりに雑過ぎるので、映画単体としての低評価は免れないけれど、“彼ら”が闘うシーンを再び見られるだけで、一定の満足感は得られる。 「ドラゴンボール」とは、もはやそういう伝説的な娯楽なのだと思う。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2015-11-14 08:53:17)
26.  ドラッグ・ウォー 毒戦
映画ファンとしては恥ずべきことだが、監督作品50本以上という香港の名匠ジョニー・トーの映画世界に触れてまだ日が浅い。 鑑賞数は今作でまだ3作目。実は、まだまだこの監督の世界観の本質が掴みきれていない。 ただ、共通することは、三度とも「この映画は面白いのか?面白くなかったのか?」というとても基本的な鑑賞直後の判別がつかなかったことと、それに伴う“ざわつき”みたいなものが心にジワリと残るという独特な後味だった。 つまるところ、これほどまでに“一筋縄ではいかない”作品を作り続ける映画監督もなかなかいないということだ。  今作も、まさに“独特”。 ストーリーの概要は、“麻薬を取り締まる公安警察と麻薬密売組織との攻防”であり、題材としてはハリウッドをはじめとして世界中で作り続けられている普遍的なものと言えるだろう。 が、描き出す人と、描き出される国が違うとこうも“異質”な映画になるものかと、唖然としてしまうくらいにこの映画のオリジナリティは際立つ。  何と言っても、キャラクター描写が異質だ。 通常の娯楽映画であれば絶対にあるはずの登場人物同士の“関係性”が、意識的に排除されている。 代わりに、個々のキャラクターにおける生々しい人間性が、まさに飾り気のないありのままの姿として強く描き出される。 決して綺麗事ではないその様は、不格好で、愚かしく、汚らしいが、それ故に「人間」を正直に描き出しているとも感じられ、潔い。   前述の通り、鑑賞直後は“どういう映画”を見せられたのか理解が追いつかないくらいに戸惑い、果たして自分はこの映画が面白かったのかどうなのか判別がつかなかった。 そして、一晩よくよく映画世界を振り返ってみて、数々の印象的なシーンがフラッシュバックされると共にようやく確信する。  「ああ、面白かったな」と。  この独特な面白さはまさに麻薬的だ。危険で刺激的な感覚はきっとクセになる。“中毒者”になってしまうのにそう時間はかからないだろう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-10-06 14:51:39)
27.  トゥモローランド
この映画を観る前の日中は、愛娘の幼稚園の行事に参加してきた。梅雨の合間の炎天下、我が娘も含めて、数百人の子どもたちがわらわらと駆け回っていた。 そんな日の夜に観たからこそだったのかもしれないけれど、僕はこのSF映画が伝えるメッセージを素直に受け止めることが出来た。 それは、映画ファンとして、子を持つ父親として、とても幸福なことだったと思う。   映画の冒頭、少年時代の主人公が、自作したジェットパックで未来都市を飛び回る。 このシーンをはじめとする「未来」を目の当たりした問答無用の高揚感こそが、この映画の総てだと言っていい。 映し出された未来像に対して“ワクワク”するというあまりに普遍的なSF映画の本来あるべき姿がそこにはあり、同時にそれを素直に肯定することが出来ない現代社会の病理も表しているように思えた。  無邪気だろうが、浅はかだろうが、「明日」を夢見なければ「未来」はない。 未来に希望を持てないなんて悲しすぎるし、希望を持てないことを誰かのせいにして、ある意味開き直って、あたかも絶望を抱える方が当たり前だと言わんばかりに、世界の退廃を受け入れるなんてまっぴらだ。  この映画が導き出したテーマを、「選民意識」の表れだと批判する人が多いらしい。なんて見当違いで、愚かなんだと思わずにはいられない。 確かに、この映画のラストでは、より良い未来を担うべき者の選抜が描かれてはいる。 そこに、未来という次のステージに今この瞬間の全員を連れていけるわけではないというある種の非情さが表れていることは確かだとは思う。 ただしそれは、才能に秀でた者が、才能に秀でた者を選民しているわけでは決してない。  「未来」という夢と希望を担うべき人材を、「才能」ではなく、それを諦めない「意志」で選ぶことを理想として導き出したこの映画を、僕は決して戯れ言だとは思いたくない。 それを「選民意識」なんて捉え方をすることこそが、未来に対しての逃げ口上だと思えてならない。  もちろん、困難や問題は尽きない。特別な才能があろうが、なかろうが、絶望することは容易だろう。 しかし、自らとそれに追随する若い命のために、「明日」という世界を作り続けなければならない。 そのために必要な物が夢や希望だと言うのならば、何がなんでも、僕はそれを追い求めたい。
[映画館(字幕)] 7点(2015-08-13 14:30:13)(良:1票)
28.  トランセンデンス(2014)
世界随一の科学者の頭脳がインストールされた人工知能。 そこには、オリジナルの“人格”が生きているのか、全く別物なのか。 人類を遥かに凌駕する程に進化した人工知能の“暴走”は、一体誰の思いが結実したものだったのだろうか。  社会構造の機械化、コンピューター化が進む世界における危機意識は、昔からSF映画で描き出されてきたことで、今作もその潮流を汲む作品の一つと言える。 愛する者の頭脳をインストールした人工知能を渦中に置き、人類とコンピューターとの関係性を抉り出そうとした興味深いSF映画だったとは思う。  今作を観ていて思い出されたのは、「地球爆破作戦」(1970年製作)という映画だ。 超高性能の人工知能が、プログラミングされた「目的」=「平和」を遂行するために、人類を支配下に置こうとする恐怖を描いた傑作SF映画である。 人類と人工知能との攻防を描くという点はもちろん、真の意味で世界を滅亡させようとしているのは一体どちらかというテーマ性も極めて類似していると思う。  今作ではそのテーマ性に、普遍的な夫婦愛が加味され、より多感なドラマ性が生まれていたと思う。 繰り返しになるが、興味深いSF映画であったことは間違いないし、決して嫌いな映画ではなかった。 が、しかし、映画としての芳醇さというか、観客を引き込む本質的な魅力みたいのものが、大事なところで足りなかったと思う。  この映画の主人公は、人工知能に生前の頭脳をインストールされた天才科学者の夫ではなく、彼を誰よりも愛し失意の中で“禁断”の進化を選んだ妻であろう。 であるならば、もっとこの妻の愛情とそれ故の狂気を深く描き出すべきだったと思う。 そうしたならば、ジョニー・デップ演じる“人工知能”の夫の中の「人格」の有無がもっとスリリングに、もっとエモーショナルに際立ったのではないか。  実際、そういう風に描き出そうとはしていたのだとは思う。 ただそれに見合う演出力とイマジネーションが、長編デビュー一作目の今作の監督には明らかに備わっていなかった。 監督のウォーリー・フィスターは、クリストファー・ノーラン組でずっと撮影監督をしてきた人物なので、その技量は申し分ない。当然ながら今作でもビジュアルセンスの確かさは光っていたと思う。  ただし、映画として人々の記憶に焼き付けるためには、撮影技術とは違うベクトルの創造力が必要不可欠だということだろう。 例えば、人工知能の「意思」が雨粒となって地上に降り注ぐシーンなどは、クリストファー・ノーランならば、これまで観たことがない新鮮味と神々しさに溢れるシーンに仕上げたに違いない。 また夫が妻の“嘘”を見破るシーンが、序盤と終盤で対比的に描き出されるのだが、その差異の描き方もちょっと中途半端で分かりづらかった。こういう部分も、一流の映画監督であれば感動のポイントとして逃さないだろう。  もしくは、ジョニー・デップをキャスティングしていなければ、もっと適正なバランス感覚で仕上がったのかもしれない。 人工知能の夫としてのビジュアルは殆ど映し出さないくらいの低予算方針で撮ったならば、逆に味わい深いSF映画として仕上がったのではないだろうか。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-07-18 00:43:27)
29.  ドラゴンボールZ 神と神
「オラ、ワクワクしてきたぞ!」 このアニメの主人公が過去に何度も何度も発してきたセリフである。 孫悟空という主人公が終始一貫追い求めてきたものは、「最強」という称号などではない。 自分よりも“強い者”と出会い、それに打ち勝つことだ。  前作から実に17年ぶりの劇場版作品。原作者鳥山明が初めて直接ストーリーに関与した今作には、原点回帰ともいえる要素が色濃く表されていた。 アニメーション映画としてのクオリティーは別として、この漫画・アニメシリーズによる“高揚感”がDNAに刷り込まれている世代の者にとって、久方ぶりに描き出された世界観は、ただただ楽しく、嬉しいものだったと言える。  勿論、難点はいくつもある。 “破壊神ビルス”というこれまた次元を超えた難敵が登場したわりには、舞台となる場所はブルマ邸の庭先に過ぎず、描かれるストーリーの大部分は“ブルマの誕生日会”なので、あまりに派手さがない。 また、ビルスの怒りを抑えようと孤軍奮闘するベジータの“キャラ崩壊ぶり”もいささかやり過ぎなように思える。  ただ、そういった難点すらも、長年のファンにとってはもはや微笑ましく見える。 誕生日会であれなんであれ、レギュラーキャラクターたちが勢揃いした様は、その描写を見ただけで嬉しい。 “キャラ崩壊”のベジータも、彼が長らく地球に住み着いて辿り着いた人格だと思えるし、恥もプライドもかなぐり捨てて、家族と仲間たちを守ろうとする滑稽な姿は、もはや感動的ですらあった。  何よりもこの映画作品には、“3・11”の大震災を受けた偉大な漫画家の熱い意思が表れている。 それは、多少ふざけすぎていたとしても、久しぶりに一堂に会した仲間たちとの時間を“楽しいものにしたい!”という思いであり、それを見た子どもたち、そしてこの作品に熱狂し大人になったかつての子どもたちを再び笑顔にしたいという熱い思いだろう。  この映画はおそらく初めて、孫悟空が相手に勝てないまま終幕する。 それも、上には上がいて、この世界は、この宇宙はもっと“可能性”に溢れているという漫画家からのメッセージに違いない。 “可能性”、それは即ち“未来”。 孫悟空という主人公はこれから先も、いくつも可能性に出会い、打ち勝ち、新しい未来に立ち続けることだろう。  成る程、「ドラゴンボール」という作品がいつまでだっても風化せず、愛されるわけだ。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-06-18 23:08:49)
30.  トランスフォーマー/ロストエイジ
165分の取り留めのない映像的物量の「羅列」を、グッと耐えるように観終えて思う。 これは、マイケル・ベイ監督渾身の「自虐」だと。  前三部作を撮り終え、身を引く予定だったマイケル・ベイが、敢えてこの新作でも監督を引き受けた理由は何なんだったのか。 勿論、単に自分が培ってきた人気シリーズを他人の手に任せたくないという思いもあったのだろうとは思うが、この映画の仕上がりを見たところでは、それ以外の明確な「意思」があるに違いないと思う。  もはや突っ込むことも馬鹿らしく思えるほどに、今作は「中国資本」による「広告」のオンパレードである。クライマックスを含めた後半は、完全に中国映画であり、中国のPRビデオである。  当然ながら、映画は“お金”がなければ作ることは出来ない。 そんな中で潤沢な資金力を誇る中国市場に、ハリウッドの映画産業が集中していくことは、もはや必然だろうと思える。 昔から映画の作品内で“スポンサー”の威光が示されることは決して珍しいことではない。  ただし、その“威光”が、今後更に度を越していくことを、稀代のブロックバスター映画監督であるマイケル・ベイは、この映画で示したかったのではないか。  嘲笑を携えながら、165分の広告映画を観終えた。 しかし、この映画が歴代最高額の興収をたたき出したという現実を知り、嘲笑すらも消え失せた。  明確に生じたこの「危機感」は、ある意味、映画史上において「貴重」なことなのかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 0点(2015-05-28 22:27:06)
31.  TOKYO TRIBE
好きか嫌いかで言えば、好き。 キャラクターづくり自体は、原作に忠実なキャラも、映画独自のオリジナリティを出したキャラも、総じて良い。 ただ、ストーリーがあまりに雑すぎた。  “こういう映画”なので、雑多なのは大いに結構だが、ストーリー展開として盛り上がりに欠けたことは否めない。娯楽映画としてのストーリー的な巧さは、もっといくらでも出せたと思う。 そうすれば、もう一味も二味も”サイコー”な映画になったろう、と大変勿体無く思う。  井上三太の原作「TOKYO TRIBE 2」は、ファッション誌「boon」での連載中から単行本を買って愛読していた。 田舎のダサい高校生だった僕が、どうやってこの漫画を知り、単行本を集めるに至ったか全く思い出せない。けれど、自分の住む世界とあまりにかけ離れたこの漫画の「欲望」と「狂気」の世界観を、まるで“いけないものを見るような”感覚で密かに楽しんでいたことを思い出す。  その欲望と狂気の世界観を園子温が撮る!という報は、かつての“いけない”感覚を呼び起こし、“ワクワク”というよりも“ドキドキ”に近い期待感を生んでいた。  結果として、この映画の監督が園子温であったことは、「成功」だったと思う。 この作品とキャラクターたちが表す、熱さも、愚かさも、可笑しさも、恐ろしさも、下らなさも、その要素は総て園子温という表現者が持つ資質に合致していた。  だからこそ、前述の“勿体無い感”が際立つ。 ストーリーは、“馬鹿”がつくほど単純でいい。「ケンカを売った」「ケンカを買った」「どちらかが勝った」それでいいのだ。 ただ、せっかく揃えた濃いキャラクターを巧く使って盛り上げて欲しかった。  プロの役者も、プロのラッパーも、出演陣が総じて良かっただけに、それぞれに印象的な見せ場や、壮絶な死に様を用意してあげて欲しかったと思う。そういう部分が軽薄だったため、映画としての盛り上がりにかけてしまっていた。   “ラップミュージカル”とイントロするだけあって、“プロ”を揃えたラップによるミュージカルシーンは、どの場面も非常にエモーショナルだった。 映画を観終わり、「サウンドトラックが欲しい!」と思えたのは久々だ。それだけでも、この映画の価値は大きいと思える。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2015-03-09 23:02:57)
32.  トラック野郎 御意見無用
物凄くとっ散らかっていて雑で下品な映画である。 しかし、主演俳優のほとばしる「熱量」のみで、無双の娯楽映画に仕上がっている。 諸々の表現やストーリー展開も含めて、決して褒められた映画でないことは明らかだろう。 でも、この映画に当時の多くの観衆が魅了されエネルギーを貰っただろうことも明らかだ。  何をおいても語るべきは、「菅原文太」だろう。 “一番星”という役名の通り、菅原文太という俳優の“映画スター”としてのパワーが凝縮された映画だった。 どんな障壁も、どんな失意も、トラック一つで突っ切って豪快に笑い飛ばす。 その姿はまさに反逆のカリスマであり、役柄を超えて菅原文太という人間そのものの生き様に繋がっているように思えた。  2014年11月、そんな大巨星が墜ちた。世代を超えたすべての映画ファンにとってあまりに悲しい出来事だった。 ただ、僕のような若輩者は、今作もしかりまだまだ観られていない菅原文太映画は数多い。それは映画ファンとして幸福なことだと思うし、死してなお銀幕の世界で生き続けられることこそが、映画スターの価値だとも思う。  この稀代の映画スターは、この先もずっと「一番星」として輝き続けることだろう。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2014-12-21 00:35:17)
33.  ドライブ・アングリー3D
この映画をクソ真面目に「否定」することしか出来ない人は、映画ファンとして勉強不足だと言わざるを得ない。 なぜならば、これこそが、もはや一つのジャンル映画として確立しつつある、“ニコラス・ケイジ映画”なのだから。  勿論、端から「期待」なんて言葉は持たずに某動画配信サービスで鑑賞を始めた。 すると、序盤から想定外の“おかしな”テンションの高さに、ニヤリとしてしまった。 「あれ?これはもしかしたら中々の馬鹿映画かもしれない」と、別の意味の「期待」が膨らんできた。  ニコラス・ケイジ演じる主人公が、ショットガン片手に問答無用に暴れまくる。 その凶暴さは、明らかに常軌を逸していて、この主人公が“フツーの人”ではないことは容易に理解できる。 どうやらその凶暴さの動機は、愛する娘を謎のカルト教団に殺され、残された孫娘を救い出すため……ということらしいが、はっきり言ってそれに見合った悲愴感など全く漂わせずに、襲来する悪漢を蹴散らし、行きずりの女とのセックスに興じる様は、ニコレス・ケイジ史上に残る無頼漢ぶりかもしれない。  その主人公の無頼漢ぶりに“悪ノリ”するかのように、映画の核心となると或る「設定」が明らかになり、「暴走」は益々激しさを増し、それと同時にストーリーは益々どうでもよくなってくる。  主人公のキャラクター性も良いが、それを上回るくらいに脇のキャラクター達も立っている。 アンバー・ハード演じるヒロインは、絶妙なビッチ感を漂わせつつ、ダイナーのウェイトレスを好演していた。 そして何と言っても、ウィリアム・フィクトナー演じる「監査役」が最高だった。得体の知れない独特のキャラクター性が、映画の重要なアクセントになっていたことは間違いなく、娯楽性を高める要因となっていたと思う。  物理的におかしな激しさを見せる銃撃戦とカーアクションに眉を潜めてしまったら負けだ。 映画全体の馬鹿馬鹿しさに対して、ストレートに「馬鹿だ!」と大笑いできた者の勝ち。 それが、“ニコラス・ケイジ映画”を楽しむための鉄則だろう。
[インターネット(字幕)] 6点(2013-11-14 16:00:18)(良:1票)
34.  トランス(2013)
冒頭、ヴァンサン・カッセル率いる強盗団がオークション会場を急襲する。主人公のジェームズ・マカヴォイも含めて、その面々の面構えが絶妙で惹き付けられた。 俳優の表情というものは、勿論映画づくりにおいて最重要なポイントで、それがきちんと押さえられている映画は、ある程度信頼していいと思う。  そういう映画なので、終始面白く見れたことは間違いない。入り組んだストーリーテリングに絡む人間描写に引き込まれ、観客として最後まで謎を追い求められたのだから、この手の映画として“悪くはない”と断言出来る。 しかし、映画が終わり立ち返ってみれば、大いに腑に落ちない要素が目白押しの映画であることも間違いない。  こういう人間の「記憶」をサスペンスの中核に据えた映画は、観る者を幾重にも重なる謎へ一気に引き込むけれど、許容範囲をしっかりと設けておかないと、際限がなくなり一気にリアリティに欠けるものになってしまう。 ダニー・ボイルらしい繊細且つ大胆な映画世界の中で濃厚なサスペンスが繰り広げられていたけれど、残念ながら少々行き過ぎてしまっている。  決して納得が出来ない話ではないのだけれど、こういう顛末なのであれば、主人公をはじめとする中盤までの人物描写が、導き出される「真相」に対してあまりにアンフェアだったと思う。 結果、クライマックスにかけてこれほど主人公の人格が“急降下”していく映画も珍しく、最終的に誰にも感情移入が出来ないまま、映画自体が突っ走ってしまった印象を覚えた。  なんだかんだ言って、結局、ヒロインが最も悪魔的な行為をしているんじゃないかと思えるし、そうなるとあのエピローグは極めて無責任で、嫌悪感を覚えてしまった。  まあしかし、脳味噌を吹き飛ばされたヴァンサン・カッセルが喋り出したり、昨今の娯楽映画には珍しくヒロインの強烈なフルヌードが唐突に映し出されるなど、想像以上に個性的な映画であることは確かだ。 故に、ルックの秀麗さに反して完成度が高いとは言えないが、無下に否定も出来ない。  タイトルに相応しく、良い意味でも悪い意味でもとても「倒錯的」な映画と言えると思う。
[映画館(字幕)] 6点(2013-10-21 23:38:53)(良:1票)
35.  時をかける少女(1983)
スゴイな。映画鑑賞暦20年。初めて“アイドル映画”というものを観た。 9割方“とんでもない”映画であり、変てこな映画である。しかし、これが原田知世というアイドルのアイドル映画である以上、これで“完璧”であるんだと思う。 実際、ハチャメチャなストーリーも、棒読みな台詞回しも、際どい映像センスも、原田知世に対する「カワイイ~」ですべてが好転する。奇想天外なストーリー、初々しい演技、革新的な映像世界、というふうに。 正直なところ、ラストシーンまで“???”疑問符が付きまとったが、スバラシイエンディングに迷いは消し飛んだ!
[ビデオ(字幕)] 8点(2013-10-11 17:47:09)(良:1票)
36.  トランスポーター3 アンリミテッド
良い意味でも悪い意味でも、「これぞトランスポーター」と言える映画だった。  ジェイソン・ステイサム演じる主人公の、プロフェッショナル精神をガンガン押し付けてくるわりには、あらゆる面で突っ込みどころ満載のキャラクターが健在。 致命的な「粗」とも取られかねないキャラクター描写の脆弱さを、圧倒的なアクションパフォーマンスと、ジェイソン・ステイサムならではの愛嬌で、「娯楽」の一つの要素としてまかり通しているのは、彼のアクション俳優としてのスター性によるところが大きい。  そういった主人公のある意味“ブレない”キャラクター性が安定しているので、シリーズのファンであれば充分に楽しめる映画には仕上がっているとは思う。  ただし、そのような贔屓目で見たとしても、いただけない部分が確実にある。 一つは、ストーリーのネタが一作目とあまりに類似し過ぎている。「運び屋」として運ぶものが、何やら訳ありの女一人という設定は、一作目と同じでありあまりに工夫が無い。  そして二つ目は、その運ばれる女、つまりはヒロインという位置付けの女優に魅力が無さ過ぎた。 無名のロシア系女優が、例によってリュック・ベッソンに見初められて大抜擢に至ったようだが、あまりに個人的な趣味趣向に走り過ぎてしまっている。 赤毛を携えたミステリアスな風貌は、「フィフス・エレメント」で同じくベッソンに抜擢されたミラ・ジョヴォヴィッチを彷彿とさせなくはないが、よくよく見れば見るほどそばかすだらけの顔が気になってしまい、ヒロインとして受け入れることが出来なかった。  終盤になる頃には、何とかヒロインのキャラクターに感情移入することは出来ていたので、この新人女優の可能性そのものは否定はしないけれど、やはりこの手アクション映画のヒロインには、分かりやすいチャーミングさが必要だと思う。  悪党チームの巨漢要員にK-1王者セーム・シュルトがキャスティングされていたのに笑ったのと、ステイサムのジャケット&Yシャツアクションは馬鹿馬鹿しさと新鮮味が相まって良かった。  というわけで、決して褒められる映画ではないが、なんだかんだと見所は備えている映画だと思う。  あ、首筋の「安」タトゥーの意味については深入りしません……。
[インターネット(字幕)] 5点(2013-09-29 22:53:34)(良:1票)
37.  トロン:レガシー
てっきり1982年のオリジナル作品の“リメイク”だとばかり思って観終わってみれば、28年の年月を経た正統な「続編」だということを後から知った。 そうであればちゃんとオリジナル作品を観てからでないと真っ当な評価にならないんじゃないかと思い、その後に感想を書こうと思った。  以降、オリジナル作品鑑賞後の感想。。。  一年前に公開されて以来、酷評ばかりしか伝わってこなかったので、「駄作」なんだろうと身構えていたことが逆に功を奏したのか、想像以上に興味深く面白い映画だった。  一流のゲームプログラマーの父親が失踪して20年。残された息子が誘われるように、電脳の世界に入り込みアドベンチャーを繰り広げながら父親と再開を果たす。 専門用語が飛び交うストーリーそのものは、アンフェアだし著しくご都合主義だとは思う。ただし、その世界観への試み自体はとても深遠で、大いに興味をそそられるものだった。 この世界観の概念を30年近くも前に描き出したのだから、映画の善し悪しはともかくとしてオリジナル作品の革新性に大きな価値があることは間違いない。  そして、オリジナル作品を観てから今作を振り返ってみると、とてもオリジナル作品のファンの愛着に応えた作品であることが分かる。 もし自分が、1982年当時にオリジナル作品を鑑賞し、その世界観に衝撃を受けた上で28年の時を経て続編である今作を観たらならば、その感慨深さはちょっと特別になるかもしれないと思ってしまう。 それは爆発的な映像技術の進歩であったり、オリジナル作品を踏襲した台詞回しだったり、引き続き同役で出演を果たしたジェフ・ブリッジスの円熟味だったり多岐にわたるだろう。  傑作だろうが駄作だろうが、映画とは鑑賞者個々人の価値観がすべてにおいて優先されるべきもの。 この映画を「駄作」と断ずる人も多いのだろうけれど、「傑作」と崇める人もたぶん結構居るだろうと思わせる。   僕自身にこの映画シリーズに対する思い入れはないけれど、少なくともこの過剰なまでの仰々しさ溢れる映画世界は嫌いではない。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-06-03 20:02:18)(良:1票)
38.  トータル・リコール(2012)
「アンダーワールド」シリーズのレン・ワイズマン監督による映像世界は流石に流麗で、アクションシーンにもメリハリがあり良かったと思う。これが、何のバックボーンもない新作SFアクション映画であれば、もう少しシンプルに好評を得ることも出来ただろう。 しかし、この映画が「トータル・リコール」のリメイクである以上、そういうわけにはいかない。  22年前にポール・バーホーベンが描き出したあの“特異”な映画世界と比較せざる得ない状況では、やはり今作に対しては「凡庸」という言葉が常に先行してしまう。 オリジナルとの大きな違いとして、今作の舞台は火星ではなく、荒廃した地球の表と裏という設定になっている。 貧富の格差をあからさまに表したこの舞台設定を結ぶ通勤電車“フォール”の存在は剛胆で良かったけれど、オリジナルの広大な世界観に比べてしまうと、どうしてもこぢんまりとした印象を覚えてしまう。 詰まるところ描かれているものは、圧政に対しての小規模な反乱に過ぎず、SF映画としての迫力に乏しかったと思う。  完全に「ブレードランナー」を意識した街並や小道具の造形は秀麗ではあったものの、バーホーベンの毒っ気溢れた世界観に比べると「フツーだな」と思ってしまう。 あの“顔面割れおばさん”を演じた女優に「二週間よ」という台詞を言わしたり、売春婦の"三連おっぱい”などバーホーベン版を彷彿とさせるオマージュ的描写が随所に挟み込まれていたことは、オリジナル作品に対してのリスペクトが感じられて好感は持てたけれど。  監督のリアルな奥方でもあるケイト・ベッキンセールが、オリジナルでシャロン・ストーンが演じた“鬼嫁”役を演じ、彼女にとっては珍しい“悪役”を楽しんでいた。 相変わらず美しいので、しつこく主人公を急襲する悪役ぶりをずっと観ていたい気もしたが、さすがに最後まで引っ張り過ぎなような気もした。おかげで敵ボスの存在感が薄れてしまっている。 だいたい、ベッキンセールの役は結局のところ職務に意欲的な公務員であり、よく考えれば決して悪党ではないというキャラ設定も中途半端だったと思う。  今思えば、オリジナル作品主演のシュワルツェネッガーは、あの馬鹿っぽさが適役だったんだなあと思い知った。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-02-06 13:50:30)(良:1票)
39.  DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る
すべてを観終えて、「少女たちは傷つきながら、夢を見る」というタイトルが痛烈に突き刺さった。 “彼女たち”は、自らの夢を追い、それを達成するために必要な「喪失」に対する「覚悟」が半端ないと思えた。 文字通り「身を削りながら」彼女たちは、ステージに立ち続け、笑顔を見せ続けているということを、このドキュメンタリー映画は想定を超える濃密さで、ファンであるかどうかなど全く関係ない次元で、観ている者にぶつけてくる。  今をときめくアイドル達の等身大の姿、なんて言い回しが非常に生温く思える。 そこに映し出されていたのは、"アイドル”という人生を生きる少女たちの「生身」の姿だった。 ドキュメント映像の大部分において彼女たちは笑っていない。慟哭し、怒り、憔悴している様が延々と羅列される。  前田敦子は払拭できない孤独感の中で倒れ、大島優子は凛とした立ち振る舞いのすぐ裏側で打ちひしがれ、髙橋みなみは次々に倒れていく仲間たちすべてを引っぱり満身創痍で突っ走る。 華やかな大ステージの舞台裏は、「戦場」という比喩が決して大げさではないほど悲愴感と混沌が渦巻いていた。  “アイドル”という「綺麗事」を大衆に売る彼女たちが、もっともその生き方が「綺麗事」ではないことを知っている。 汗にまみれ、涙にまみれ、世間のおびただしい視線にまみれ、どのようなスタンスで、どのようなプロセスを経たとしても、“センター”に立つ者が「正義」であるということを、全員が本質的に理解している。  汗も涙も悲しみも怒りも、時にはスキャンダルまでもが自分自身の「売り」になるということも、 震災で荒れた被災地を巡ることも“大人たち”の戦略の一部だということも、 自分たちの存在のすべてが“つくられたもの”だということも、 そしていつかはそれに終わりがくることも、 すべて、彼女たちは知っている。  そんな「リアル」さえ、彼女たちは踏み越えて堂々とステージに立ち続けているのだ。 大人たちの思惑や、世間の蔑みや批判なんてどうでもいい。 訪れた被災地の子供たちが、一瞬であれ悲しみを忘れ、心から喜び熱狂している。 彼女たちにとって、その“事実”以上に価値あるものなどきっとない。
[DVD(邦画)] 9点(2012-12-31 00:54:23)
40.  時をかける少女(2006)
原田知世が主演したノスタルジックかつ破天荒な“アイドル映画”から二十年余り、新たに生まれたこのアニメ映画はその“リメイク”というよりも、「時代」を越え、それを踏まえた“続編”である。  「タイムリーブ」を会得した主人公の少女は、当惑や困惑をする間を持たず、ひたすらに走り続ける。その姿と言動が実に現代的で、瑞々しい。 まさにタイトル通りに、時間の波間を“駆け”続ける少女の姿は、「時間を退行する」という行為にも関わらず常に“前向き”である。 そのどこまでも“前を見続ける”少女のスタイルこそ、この映画が物語る「確実に過ぎ去っていく時間を大切に生きる」ということだと思う。  クライマックス、明確な「意志」を持って最後のタイムリーブに踏み切っていく少女の“一歩一歩”には、言葉にならない感情の揺れを覚えた。  ただしかし、少しストーリーに説得力というか完璧に引き付ける“力”が足りないようにも思う。 各所のタイムパラドックス的な描写にもう一つ工夫がなかったり、終盤の核心部分がどこか曖昧だったりということを感じてしまった。 ストーリーの根底的な部分に、あと少しオリジナリティーを持った“軽妙さ”があればもっと良かったと思う。  もちろん悪い映画ではなく、良い映画である。完成度も高いと言える。 が、映画としてのインパクトだけをとれば、23年前のアイドル映画の方が力強い。
[映画館(邦画)] 7点(2012-10-09 23:00:21)(良:2票)
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