Menu
 > レビュワー
 > かっぱ堰 さんの口コミ一覧。12ページ目
かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
>> カレンダー表示
>> 通常表示
221.  リアル鬼ごっこ5 《ネタバレ》 
[2018-08-17修正] このシリーズは3以外見ない予定だったが事情があって4を見てしまい、同じ監督だったこともあってこれも見た。 3と4はそれぞれ孤立的な物語だったが、やっとこの5で三部作の全体像が示され、スケールの若干大きい荒唐無稽な未来物語(なんと西暦3000年)としての展開も見られるようになる。また、そのような真面目に見る必要のない部分以外のところでちゃんと登場人物の人間ドラマも作ってあるが、今回はかなり笑いあり涙ありの感動作で、三部作中ではかなり異色の印象がある。  3と4では高校生が主体だったため、映画自体の対象年齢もその程度だろうという気がしていたわけだが、この5は大人が主人公なので精神年齢を高くして見なければならないかと思えばそうでもなく、純粋で一途な真心は必ず届く、といった感じの非常にベタで気恥かしい純愛ストーリーになっている。黙って傘を置いたのを見られていたなど恥ずかしくて笑ってしまう。 しかし3、4と同様に柔軟かつ寛容な態度で見れば見られる物語にはなっており、特に付箋の裏に書かれていた言葉には不覚にも泣けてしまった。自分としては業務用のメモであってもこういう余計なことを書かれてしまうと捨てられなくなって困る性格であり、これは弱いところを突かれてしまった気がする。今回は素直にハッピーエンドといえる物語だったのも嬉しくなる。 結局のところ、今回を含めた三部作は同じ設定のもとで統合された形にはなっているものの、その設定自体に大した意味はなく、3~5それぞれ独自のお話を作っており、かつ自分としては全て嫌いでない(好きだ)という結論に達した。全部見てシリーズとしての愛着もわいて来たので全部を好意的な点数にしておく。  そのほかこのシリーズは若手女優の個性的な魅力が見どころだったわけだが、今回はヒロインがあまりに正統派(洋風)美女のため、最初は少し冷たい目で見ていた。しかし最終的には守ってあげたい/守られたいキレイなお姉さんに見えてきて、今回も一応これが見どころだった。ほか男連中もなかなか面白かったと書いておく。 なお余談として、終盤の採血室に張り渡してあった赤い布は、見た目が“血”をイメージさせる以外に現実的な機能のない代物だったが、これはこれで低予算という条件下での一つの工夫なのかと思ったりした(同じ監督の以前の映画で似た感じのものがあった)。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-22 23:57:48)
222.  リアル鬼ごっこ4 《ネタバレ》 
[2018-08-17修正] このシリーズは3以外見ない予定だったが、この4に関してはキャストの一部を自分が人物登録したこともあり、一定の義理があるような気がして見た。 今回は3の序盤から分岐する形で金髪男が主人公になり、また途中で5と共通の場面を設けることでシリーズの一体性を出している。基本設定は当然同じで登場人物も高校生だが、前回よりは少し骨のある連中のようで反撃にためらいがなく、爆弾という画期的な武器も使用するほか、3以降で初めて刃物を使ったのが女子だったのは頼もしいことだった。倒れた敵にさらに一発くらわせるといった場面もあり、このくらいやってもらうと見ている側でもストレスが軽減される。  今回も劇中にちゃんとドラマが作られているので真面目に見なければならなくなる。当初段階では、姉御女子の共闘主義と金髪男の孤立主義が対立関係にあったが、細かくいえば姉御女子の方は“他人を助ける代わりに自分も助けを求める”、金髪男は“他人を助けない代わりに自分も助けを求めない”ということで、表裏の関係だがお互い様という点では両者とも筋が通っている。この二人が衝突した結果、金髪男が行動方針を修正して“助けを求められたら見捨てない”という形で両者が一致したということらしい。 また姉御女子に関しては、漢気があるのは結構だが完璧主義が常に通用するわけでもなく、最後は“他人を犠牲にして自分が助かる”ことの決断を迫られていた(同時に妹分も助けていた)。一方で腹黒女子は見たとおり“自分が助かるために他人を犠牲にする”という方針だったが、姉御女子に助けられてからは“他人のために自分を犠牲にする”という正反対の行動様式を一気に受け入れて、これも姉御女子の最後の決断を後押ししていた。当初の方針が修正されて高次の認識に至るのは前作と同じだが、それまでの間に仲間の命が失われてしまったというのも同様である。  ところで今回は女子高が舞台のため主要キャストに女子が多い。うち姉御女子(若葉ツカサ)役の相楽樹という人は美少女ともいえないが、出演者インタビューなど見ると何ともいえない愛嬌があって注目された(先日結婚してしまったが)。またその妹分(ユイ)役の未来穂香(当時)という人の女の子演技が可笑しく、このキャラクターに笑わされる場面が物語の過酷さを緩和している。腹黒女子(マユリ)の前田希美さんも結果的に重要人物の役で、多彩な若手女優が見どころの映画になっている。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-22 23:57:39)
223.  リアル鬼ごっこ3 《ネタバレ》 
[2018-08-02再視聴後] シリーズ中で1、2は見ないで3だけ見たが、これは案外まともな映画を作ろうとしたのではという気がした。劇中の国家体制はとても真面目な考察の対象になるものではないが、これはこういうものとしてそのまま受け取ることが要請されている。また殺戮の場面もそれなりに悲惨だがスプラッターにはしておらず、余計なものを削ぎ落してシチュエーションを純化した印象がある。 自分であれば殺される前にせめて1人くらいは相手をぶち殺してやろうと思うだろうが、劇中の高校生はなかなかそんな気にもならないようで、いつまでも鈍器で防戦する程度なのが情けない。しかしそのように反抗的でありながら、体制的に抑えつけられているため決定的な行動をとれないでいるのは現実の学校生活を反映していると思えなくはない。  物語としては、常識外れの状況で多数の人が死んでいく中で、残された者が次第に自分を変えながら生き延びようとする話になっている。親がかりだった主人公に対して、自分自身の力で生きろ、と言うのは親の立場としては当然のことだが、別に孤立して生きろと言っていたわけでもなく、実際はその後の展開の中で、他者と互いに影響し合ったり支え合ったりする関係がありうることを知らされていく。主人公以外にも、例えばライバルが主人公を非難した言葉が、そのまま自分に返ってきていたことに気づかされる場面があったりもした。終盤、ノイジーなメインテーマが鳴り始めてライバルだった男がスタートの合図を出し、そこで主人公が我に返って走り出したのは少し感動的だった。 またこの映画で強い印象を残したのが主人公と一緒にいた女子生徒である(演・山谷花純)。当初は心を閉ざした状態だったようだが、校内社会の枠組みが壊れたことで殻を破ったように主体性を発揮するようになり、土壇場で見せた顔などはけっこうな迫力を出していた。容貌としては目が大きいのと眉がくっきりしているのが野性的な印象で、普通の美少女タレントのようにも見えないので、こういう人を女優の卵というのかと当時思っていた。ちなみにこのとき中三とのことで2歳上の役をやっており、出演者インタビューを見てもしっかりと自分の考えを話す人だった。 そのほか、冒頭で疾走していた女子生徒(演・町田佳代)は必死の形相が可哀想だったが、身が軽そうで若い人は元気があっていいなと思わせるものもあった。この場面は終盤に入ったところで本編ともリンクしている(飛ぶように走っている)。
[DVD(邦画)] 7点(2014-07-07 21:46:48)
224.  築城せよ! 《ネタバレ》 
大学の開学記念で映画を作るというのは独創的な試みと思われる。この後には、専修大学の創立130年記念映画「学校をつくろう」(2011)があるようだが、それは大学の創立者の物語であって、この映画のような変なお話を作ったわけではないので、そういった意味でもユニークである。  ストーリーに関しては、永続するものなどないと見切った上で、それぞれが今なすべきことをするというような前提だろうと思われる。劇中では永遠のライバル同士が対立しながらも補い合って、結果的に歴史を未来につなぐ方向に動き出していたのが少し感動的だった。開学記念事業の基本コンセプト「ものづくり、人づくり、地域づくり」を本当にそのまま映画化したように見えるのが優等生的で微笑ましい。 ただし考証面では過去も現代も変なところが多いので、最低限の常識はふまえて制作した方がいいかと思われる。特に変に思ったのは、戦国時代の小領主ならそんな場所でなく、背後の山の上に居城を置けば防備に優れ見晴らしも利き、分不相応な五層の大天守など築造する必要もないだろうということだが、それはまあいいことにするか。竣工後の姿を見ると金閣寺をイメージしたもののように感じられ、朝日を受けて輝いていたのは美しい。  なお登場人物に関しては、主演俳優の存在感はさすがという感じで、いわば二役なのが同じ人とは思われなかったが、一方の女子大生も元気がよくて色気があって可愛いので、ずっとこの人を見ていたい気分だった。また藤田朋子は自分としては久しぶりに見た気がするが、この人が女子大生と一緒になって女の子っぽく見えているのも微妙に感動的だった。
[DVD(邦画)] 7点(2014-06-28 23:50:54)
225.  非・バランス 《ネタバレ》 
まずは題名の意味がよくわからないので落ち着かないが、外見からすれば中年オカマと少女の組み合わせが不釣り合いということか。また少女が長身で大人びた顔のわりに年齢に似合ったガキっぽさも出しているのがアンバランスともいえる。  ところで“人生のブレイクスルー”について考えた場合、少女の級友が過激な行動によって一発で実現していた(いきなりで驚いた)のは効率的ではあるが、しかし万人向けとしてはもう少し穏健なやり方が望まれるところである。 まず、無理に保っていた平衡状態をぶち壊すのは効果的である。少女の場合は突然出会った異質な人物が、独りよがりな「戦略」をなし崩しにしたのが突破口になったらしい。一方で中年オカマは深刻さのレベルが全く違っていたわけだが、それでも少女がまっすぐで無遠慮な好意をぶつけたことでプライドが根底から崩れてしまい、それでかえって次の道が開けた気になったようである。 また人間関係の取り方に関していえば、調和を優先して自分が引くとか迎合していればいいのでなく、あえて自分を出して衝突するのが問題の打開につながることもある。終盤で少女が仇敵に喧嘩を売ったのは痛快だったが、同時にその仇敵の方も、無道なことをすれば手ひどい反撃を受けると思い知ったことで別の教育的効果が生じたとも考えられる。 映画のラストでは、以上のブレイクスルー後の新しい安定状態が示されていたようで、ここでは新しい友人に自分のことを伝えたい、という少女の思いが、ほのぼのした音楽とともに素直に心に入って来る。そのように他者と心を通じ合うきっかけとして、まずは助けを求めてみてはどうか、というのがこの映画の提案だったようだが、しかし中学生はともかく大人の立場としては体面もあるのでそう簡単にはいかない。いい歳をした大人が、全てが崩壊した後になって初めて少女に泣きついていたのは情けない有様だったが、それだけに同じ大人としても切ないものがあった。  なおこの映画では舞台を特定の地方都市に設定しており、自分が昔ここに住んでいた頃に、オカマに迫られて脱がされそうになったことを思い出す(劇中の文化横丁ではない)。映像に何度か出る霊屋橋(おたまやばし)の周辺は緑が多く、角度によっては山中の渓谷のようにも見えるが、これでも市街中心部に隣接した旧城下町の一角である。
[DVD(邦画)] 7点(2014-05-18 01:23:22)
226.  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 《ネタバレ》 
いたいけな少女をシビアな環境に置くという趣向自体は珍しくないのだろうが、このアニメでは劇中世界そのものの苛酷さが半端でない。エンディングでは不安をかき立てるテーマ曲をバックに女の子走りをする少女の姿が痛々しく、劇場版ではこれが前編の最後に1回だけだが、TV版では3話以降これが何度も繰り返されるので心の痛みが次第に増していき、続けて次回を見なければ済まない気にさせられた(劇場版の話ではないが)。  ところで劇場版ではマミさんが魔法少女になった経緯が出ていないのはなぜか不明だが、彼女としてはとりあえず現状を肯定するため「人助け」を当面の目的扱いしていたように見えている。しかし、まどか・さやかがこの点に共鳴したのは入口として明らかに間違っていたらしく、これはマミさんのかなり意図的なミスリードに思われる。その後の展開は、広い意味でのヒーロー物が前提としていた古典的で素朴な「正義の味方」像に対し、現実的で冷淡な認識を容赦なく執拗に突きつけていたように見える。 またこのアニメ独自の問題提起になっているのが希望と絶望の問題である。現実に裏切られたことで当初の希望が反転し、現に希望をもって何かを目指す者を冷笑する人物に変わってしまうのは実社会でも起こりうることだが、さらに劇中では希望が必ず絶望で報われるとまで言い切ることで、登場人物をとりまく世界の救いのなさを印象づけていた。希望と絶望の総和がゼロというのが正しいかはわからないが、これはこれでわれわれのいる現実世界の実態を端的に表現したものと感じられる。 以上、この前編の範囲で見ていると、かつての子どもが現世への失望を経てオトナになり、一度は憧れた「正義の味方」を貶めて格好つけて見せただけのようにも取れる。しかし一方では世評の高い「結界」の表現など、やはりただならぬアニメと感じさせるものはあり、途中経過としてもある程度の点数は付けておかなければならない気になる。  なお後編が字数制限にかかるのでここに書いておくが、個別の魔女退治の場面で特に強烈な印象を残したのは、何といっても青空にひるがえるセーラー服だった。ここでは得体の知れないものへの警戒感と爆笑の衝動が一緒に襲って来る。
[DVD(邦画)] 7点(2014-04-21 21:55:35)
227.  ハッピーフライト(2008) 《ネタバレ》 
本日、ANAで747型の運航を終了したという報道があったが、狙って投稿したのではなくたまたまである。 まず航空会社のPRとしては、こんな心許ない乗務員が登場するのを許す会社の鷹揚さに感心するが、中身には全部目を通しているはずなので、劇中の出来事は基本的に会社の考え方を反映しているものと考えられる。具体的には勘違いの鳥マニアは明らかな危険要因だが、飛行機オタクは迷惑なことはあってもいい関係を保っておく必要があるらしい。一方で乗客は何を怒鳴ろうがわめこうがあくまでお客様であり、どれだけ理不尽でも誠意をもって接すればかえって上客になってくれる、といったようなクレーマー対策なのだと思われる。航空会社としては緊急事態の場面は容認しても、お客様を悪役扱いすることだけは絶対避ける方針なのがよくわかった。 そのほか実際どうかはわからないが、運航乗務員の心構えとして「こういう時はまず笑え」というのは個人的に好きなタイプの物言いである。  ところで劇中で可笑しかったのは、とぼけた機内放送を聞いて吹石一恵が険悪な顔をしているのに、綾瀬はるかが天真爛漫な笑顔で客と一緒に笑っていた場面である。本来はこういった主演女優の持ち味を楽しむ映画だというのはよくわかる。 ただ個人的にはそれよりも、裏ヒロイン?であるグランドスタッフ(演・田畑智子)の方に注目してしまった。あまりに頑張って疲れてしまって不平を言いながらもなお頑張らなければならなくなって、それで少し貸しを返してもらうつもりでちょっと職場を抜け出したらどうやらしあわせの道が開けてきて、それで元気をもらってまた頑張ってしまって、というような感じだろうか。何か非常に愛しく思える人物だった。 ほかにも同僚のグランドスタッフなど各部署の出演者が多彩で楽しめる映画になっている。平岩紙さんに関してはサイドストーリー「歯医者発、しあわせ便」も必見である。
[DVD(邦画)] 7点(2014-03-31 21:49:24)(良:1票)
228.  洋菓子店コアンドル 《ネタバレ》 
色彩豊かなスイーツの映像だけでも心なごむ映画と予想するわけだが、実際見ると主人公があまりに破壊的な人物のため事前のイメージが砕かれてしまう。 とにかく感情制御に問題があって、自分の心の安定を保つためには客観性も常識も思いやりもなくなるらしいのが大変なところである。特に怒りの抑制が困難らしく、些細なことでも心に収められずにその場でバランスを取ろうとするので大ごとになってしまう。元彼が本気でものを言っているのに笑い飛ばそうとした態度には、さすがに自分としても(実在の人物を思い出してしまって)腹が立った。これまでずっとこんなのを相手にしていた海くんが哀れでならない。 これでその他の条件(主に見た目)がどうかによっては見るのも考えるのも嫌な奴ということになるだろうが、幸い主演女優のおかげでまだしも愛嬌があるのが救われる。劇中ではこの人と元彼・店のシェフ・嫌味な先輩・伝説の男とのやり取りがそれぞれ見所になっていて、専らこのキャラクターの存在が映画全体の価値を決していたように思われた。初回はともかく2回目に見ると彼女の言動には笑いっぱなしで、次第にこの主演女優も好きになって来た気がする。  一方でストーリーとしては緩い感じになっており、娘にケーキの作り方を教えたいと思ったことが何で復帰の動機になるのかとか、要は復帰すればいいのであって元妻とよりを戻すことまで考える必要がどこにあったのかとか細かいことはいろいろあるが、まあ大体のところでいいお話だったのではないかと思われる。 なお常連さん宅にケーキを届ける場面では、常連役の女優の普段のイメージとの関係もあって“この人がこんなことを言ってくれた”と少し感激する思いだった。ただこのケーキを作ったのは主人公ではなかったはずなので、ここは彼女に奮起を促したエピソードだったということだろう。
[DVD(邦画)] 7点(2014-02-03 19:50:39)(良:2票)
229.  蝿男の恐怖 《ネタバレ》 
物質転送機という発想はいかにも荒唐無稽である。音や映像が遠くに送れるなら物体も可能というつもりだろうが、“原子が空中を光速?移動”するというなら電話やテレビなどとは原理が根本的に違うだろうし、それよりなら「どこでもドア」方式の方がまだしも現実的に思われる。ただしわが国の「電送人間」(1960)をはじめ、その後の各種特撮の小道具として使われるようになったことからすれば、その独創性だけは評価しなければならない(映画でなく原作の方だが)。USSエンタープライズの転送装置も、このような事故を繰り返しながら改良されていったと考えると恐ろしい。  それで内容に関しては、昔の映画らしくきっちりまとまった印象を受ける。基本的には屋内中心の静的な環境の中で話が展開し、リメイク版のバイオホラーと違うのはもちろん、昔の特撮映画のイメージからもかけ離れている。そのため初見時(10数年前)にはとにかく地味な映画としか思えなかったが、改めて見ればそれなりに見所はあると感じられる。 劇中で一応の問題提起と思われたのは、人間とそれ以外とをどこで区別するのかということである。当初、妻は「理性」「知性」「心」を重視しており、またこういったものが失われかけたことで夫も死を決意していたことから、精神面が重要だということは夫婦間でも一致していたらしい。しかし一方、妻が内心で葛藤しながらも冷徹な表情で夫の殺害に協力し、事件後「あれは死んでよかったんです(I'm glad the thing is dead.)」とまで言っていたのは、要は夫の顔を見てしまった嫌悪感の方が主な動機ではないか。自分としても、夫がハエ面のままで妻にキスをしようとした場面には非常な違和感を覚え、たとえ人間の心があったにしてもハエ男が人間の女性を愛することは許容できなかった。劇中人物は妻を含めてみな理性的な人々だったが、それでも心が大事などというのは綺麗事という冷たい現実を淡々と突きつけているようでもあり、この点はリメイク版との大きな違いに思われた。  ところで劇中では、兄も実は弟の妻に心惹かれていたが2人の意向を尊重する形で譲り、その後はずっと独身で通してきたらしいことが示されていた。事件の結果、弟は失われたがその名誉は守ったまま、愛する女性とその息子と3人の安定的で穏やかな生活が実現していたようで、これは素直にハッピーエンドとして受け取れる。続編などなければよかったのだが。
[DVD(字幕)] 7点(2014-01-27 20:48:53)
230.  江ノ島プリズム 《ネタバレ》 
主要人物の3人はそれぞれいい雰囲気を出している。前半はずっとコミカルな展開が続き、とぼけた感じの主人公に友人2人が突っ込むのがユーモラスで、ギャグのセンスもいいので気持ちよく笑える。それから何といっても地縛霊の今日子ちゃんが清楚で可憐で真面目で超かわいいのが感動的で、他の3人には申し訳ないがこの映画のベストキャラに思われる。花火の場面でこの人が喜んでいたのは観客としても嬉しかった。ほかオカルト研顧問の教員(吉田羊)も、端正な顔立ちながらけっこう笑わせる。 また物語の内容としては、劇中では「デロリアン」という言葉も出ていたが、時かけファンの自分としては「時をかける少女」との類似性が強く感じられる。女1人男2人の組み合わせは基本的な共通点だが、特に無邪気な三角関係がやがて崩れる展開は2006年アニメ版を思わせるものがある。一方で劇中の「タイム・プリズナー」という言葉は、1983年版風にいえば「時の囚われ人」とかいう表現になっただろうが、あるいは同作に出る「時の亡者」そのままの意味かも知れない。   ところでこの映画で非常に残念だったのは、修太の行動が引き起こした現象が納得できなかったことである。これは1983年版の最後にある“記憶のない再会”を再現するための設定だろうが、旧作では理解可能な理由で人為的に記憶を消去していたのに対し、この映画では自然の摂理で起こることにしたのは若干の無理が感じられ、またその自然現象が駅の場面でタイミングよく、かつ時間差をつけて起こっていたのは都合良すぎである。 それからその“記憶のない再会”の場面も実はよくわからない。ここで修太が拾ったプリズムの三面は幼なじみの3人の本来の姿を象徴していたわけで、そのことを他の2人も修太自身も知らないというのが哀しいのだと思われる。それならそれでいいのだが、青春映画に求められるのはやはり恋愛感情に基づく切なさだろうし、少なくとも個人的には泣けない場面になっていたのが大変遺憾である。これは女子の立場でミチルに感情移入すると泣けるのだろうか。 ただそれとは別に、せっかく心の通じた今日子ちゃんが修太に忘れられてしまったことの方は確かに切なく感じられ、男子にとってはこっちが本筋かとも思われる。とにかく自分としてはこの今日子ちゃんがかわいそうで仕方ないのだった。
[DVD(邦画)] 7点(2013-12-22 17:45:44)(良:2票)
231.  風切羽~かざきりば~ 《ネタバレ》 
公式サイトに経過が書かれているが、もともと後半のロードムービー部分を先に制作し、後に前半部分を追加して長編にしたとのことである。撮影自体は2012年だが、序盤で出ていた震災関連のニュースは2011年のものであり(4/17日曜日、気仙沼の朝市)、自分としては現実世界のこの時期に、春の明るい陽射しと裏腹に感じていた内心の不安を呼び覚まされる気がしたが、これは意図されたものかどうかわからない。  映画のテーマは“親に愛されない子ども”ということらしいが、劇中の出来事自体は個人的知見から想像しうる範囲に収まっていて特に目新しいものはないように見える。しかし改めてこのように見せられるとやはり心穏やかではなく、劇中の少女が弛緩したような荒んだ感じを全身で出しているのも痛々しい(4月中旬にこの格好では寒いだろう)。まるで世の中にまともな大人がいないように見えるのは同じ大人としてつらいものがあるが、逆に少女の境遇が周囲をこういう連中ばかりにしていると解すべきか。 今回の件で、この少女としても何かふっ切れたものがあったようではあるが、しかし少年と違って閉じられた円環からは抜け出せず、元の場所に回帰しただけのようにも見えている。劇中で生じた現世的トラブルは残されたままであり、携帯を使う営業からも簡単に抜け出せるのか怪しい気がするが、まあ根本的な解決は劇中人物というよりも、現実世界での対策如何によるというのが映画の趣旨だろう。  ところで主演女優に関しては、舞台挨拶で「あたし走るのが本当に下手で…」と言っていたが本当に下手である。自分としてはこの人をよく知っているわけではないが、よく知っている人が持つイメージとはかけ離れた役をやっているのは間違いない。前髪を下ろしたことでも雰囲気がかなり違っているが、特にこの人の顔で特徴的な目が、いつもと同じはずだが全く違う目のように見えており、冒頭では視点の定まらないうつろな表情がいきなり印象的だった。公式サイトを見れば、オーディション時にこの人がとりわけ努力家だったことも記されている。 そういったことから私情にはなるが、評点はこの人のために若干加点しておく。
[DVD(邦画)] 7点(2013-12-22 17:45:39)(良:1票)
232.  わが母の記 《ネタバレ》 
邦題は単に「記」だが、英題の方は「年代記」になっている。映画では期間が14年間とされており、その間に登場人物も年齢を重ねて変化していくのが目に見えているが、そのような長期にわたる時々のエピソードを淡々と記述していく形になっているのは年代記の名にふさわしい。しかし、当初は一見ばらばらのようだったものが次第に母子の関係に収斂していくのはこの映画独自の構成であり、これは素直に賞賛したい。自分としてはまだ味わい切れていないところがあるような気もするが、とりあえず現時点でも間違いなく良質の映画と感じられる。 また役者についてはそもそも名優揃いで自分などが特に褒めようとは思わないが、主人公の三女役に関しては、メイクや衣装のおかげもあるとのことながら中学生から二十代後半までをスムーズに演じているのはやはり少し驚く。  ところでこういう話を見て思うのは、劇中にも出ていた「東京物語」(1953)のように、同じ映画でも年代によって見えるものは違うのだろうということである。高齢者の世話が大変だという観点ももちろんあるだろうが、人生の半分を間違いなく過ぎたと思う自分としては、死と向き合う登場人物が直接自分のこととして感じられ、親が亡くなれば視界が開けた感じがすると言っていたのも他人事とは思えない。うちの身内は高齢でも頭はしっかりしている者が多いので自分もそうだろうと思ってはいるのだが、いずれその時が来れば、この映画のような穏やかな風景の中で死ねるだろうかと考えたりもする。  なお完全に余談だが、劇中のバス車掌役の女優(枝元深佳さん)は役所広司氏(179cm)と比べてずいぶん小柄なのが目立つと思ったら、“150cmなので役に限りはあるが女優として頑張っています”という趣旨の記事をネット上で発見した。最近知ったところでは志田未来も同じくらいのようである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-11-11 19:39:47)
233.  ねらわれた学園(1981) 《ネタバレ》 
当時はこの主演女優が好きだと思っていなかったが、改めて見ると冒頭からPV風の映像になごまされる。以降も全編にわたり清純で邪気がなく愛くるしい様子に心を奪われてしまい、この人がいるなら劇中に出る全てのことをそのまま大らかに受け入れたいという気にさせられる。初見時から30年を経て、やっとこの映画の本来の見方が感得できた気がした(要はアイドル映画だということだが)。  内容に関しては、まず少なくとも前半はまぎれもない青春コメディであり、ギャグとおちゃらけの連続のように感じられて真剣な顔で見るべきところはほとんどない。また後半は表面的には深刻になるものの、さりげなく“頭痛が痛い”というような台詞が挟まっていたり、クラシックまがいの大仰な背景音楽も苦笑を誘うので、とりあえず今だけ真顔を装っていると思わせるものがある。それでこそクライマックスでの羽目を外した展開にも、待ってましたとばかりに違和感なく同調できるのだった。  一方で全編を通じて特に印象的だったのがヒロインの母性的な愛で、ちょっと情けない幼馴染みの彼に向けた思いやりは見る者の心をくすぐる。これも父母が彼女に寄せていたあふれるほどの愛情を分け与えていたということだろう。終盤の展開も、彼女の超能力というよりは愛の力が全てを解決に導いたのであり、結果として高見沢みちるが八王子の自宅へ無事に戻れたのは泣かせるものがあった。 ラストでは星の王子が新宿の空から笑顔でヒロインを見守っていたが、どうやら彼もまた彼女の「広い大きな心」に打たれたらしい。そうすると冒頭に出ていた映画の趣旨説明も、実はこの王子が語った言葉そのままだったのかと思わせるものがある。結果的には劇中世界も見た人も、全てを暖かく大きな愛で包み込もうとする映画と感じられたのだった。  そういうわけで感動的だったので、記念に「時をかける少女」(1983)と同点をつけておく。 それにしても原作者(校長役で出演)は、真面目な作品をこんな映画にされて何とも思わなかったのか。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-30 18:59:57)(良:1票)
234.  スキトモ 《ネタバレ》 
冒頭の場面でドアを開けてセーラー服の女の子が入って来るので、これは美少女に違いないと思ったらそれほどでもなく拍子抜け。美少女でない上に色気も乏しく、友人の色香にも明らかに負けている。私服になると体型が貧弱なのが余計に目立ち、服装そのものも含めて小学生のように見える。兄と比べると年齢も体格も著しい差があって、実の兄妹でないとはいえまともな恋愛対象とはとても思えない。 しかし、それだからこそかえって一途な思いがいじらしく、妙によからぬ企みをするのも微笑ましい。兄に叱られて拗ねた場面で初めてこの子が愛らしく見えたが、終盤に至ると女性的魅力も幾分増し、また他者へのいたわりを含んだ柔らかな笑顔は文句なしに可愛らしい。そういうことで自分にとってのこの映画は、いわゆるBLというより妹萌えの映画のように思われたのだった。妹役の小松愛梨という人も好演だったように見える。  以上で終わりでもいいが全体的なことも一応書いておくと、とにかく純粋で清々しい映画で、登場人物も善意の人ばかりで安心できる(妹が最も邪悪)。薄目のBL風味にあえて反発せず、また「お兄ちゃんなんて大っきらい!」という感じの展開も冷笑せずに受け入れられるなら、ほとんど万人が楽しめる作りになっている(どことはいわないが爆笑する場面もある)。まったくこんな映画とは予想もしていなかった。 ただ個人的に気にかかるのは、途中まで出ていた気のいい大学生のお姉さんはその後どうしたかということである。見ているとこの人もかなり魅力的であるから放っておく手はないはずで、個人の嗜好はあるにせよ、わが国の出生率を向上しようとする観点からすれば、やはり基本的には異性間の結合を求める方向での行動が広く望まれるところである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-30 18:59:50)
235.  ドッジGO!GO! 《ネタバレ》 
一応は合作ということになっているが、これだけ無邪気な映画であっても日本でしか公開されなかったとのことで、一方通行の友情もいい加減にしろという気になる。専門家のコーチを呼んで本気でトレーニングして作ったのだから、せめて国内の普及促進にでも役立てないと作った甲斐がないように思うが、そうすると妙な友好ムードがかえって異物になるようにも思われる。どういう事情でこうなったのかわからないが。 内容としては主に子ども向けの映画だろうから、多少リアリティに欠けるところはあっても大目に見て構わない気がする。直前にかき集めた連中をいきなり試合に出したり、試合中も息抜きのような形でコメディが入っていたりするが、それでもおバカな映画に見えたりしないのは、映画がこの競技に対して真剣に向き合っている様子がちゃんと映像化されているからだと思われる。またエンディングで出ていた国境を越えたボールパスも心温まるものがあり、製作目的に対して極めて誠実に取り組んだ映画には見える。  ところでこの映画を大人が見た場合、主人公の母親が家を出たという設定は著しく不自然に思われる。こんな子がいれば、普通の親なら可愛くて仕方ないだろうから置いて行くなど考えられず(劇中に顔も出さない)、一方で母親に捨てられたはずの子どもが、これほど屈託なく前向きなのも奇跡のようである。まあこの子もパパのことが大好きだったようだし、父親も溺愛とは言わないまでも可愛がっていたようなので、愛情には不足していなかったのだろうとは思う。劇中でこの子が笑ったり泣いたり一生懸命だったりする姿が、この映画の価値をかなり高めているというのが実感だった。 なおこの子役は外見的にはボーイッシュというか男の子のようにしか見えないが、いま見るとなかなか魅力的な女優さんになっているようで、時間が経つのは早いものだと思う。これも一応は21世紀の映画なわけだが。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-09 19:58:05)
236.  あしたはきっと… 《ネタバレ》 
最初は葡萄畑だけ見て甲府盆地かと思ったが、実は大阪府羽曳野市のあたりだったらしく、そうして見れば「ブタのケツ」などという言葉も地域性を示しているように感じられる。実際の登場人物は全部大阪言葉(河内弁)でしゃべっているのを、映画では東京言葉に吹き替えたような形になっているのだろう。この「ブタのケツ」の場面では、女の子連中がとにかくやかましくてもう何を言っているのかわからなくなるのが可笑しい。  ところで、この映画を見る上で考慮に入れた方がいいと思うのは、この監督が原田知世のファンだ(と別映画のメイキングで言っていた)ということである。その原点は、ほぼ同世代の男ども(自分を含む)と同じように「時をかける少女」(1983)だっただろうから、この映画はそのリメイクのような感覚で作っていると考えれば、ストーリー中で時間が前後するのもそれほど奇異には感じられない。 ただし話の中身は1983年版とは全く似ていない。劇中では時間の繰返しが二度(範囲は異なる)行われていたが、そこで表現されていたのは自分にとって都合のいい結果のセットなどというのはありえず、現実にはいま自分の持てるもので一つひとつに立ち向かうしかないということなのだろう。ここには否応なしに変化を迫られるこの年代を暖かく見守ろうとする視線が感じられ、1983年版のように趣味的にひん曲げたようなストーリーよりはるかに素直に受け取れる。むしろ2006年アニメ版との類似性が強くなっており、あるいはその元ネタがこの映画だったのではないかとも思われる。時かけファンの立場としては、1983年から2010年に至る時かけ系列映画の関連作としてこの映画も位置づけておきたい気がする。  そのほか登場人物に関しては、主人公は個人的趣味の範囲内ではないが、ピュアでまっすぐな人物像がきれいに映像化されているとは思える。先輩への告白の場面(1)では、話の流れをぶった切って正面攻撃したもののあえなく撃破された(逃げ足も速い)のが印象深かった。また個人的には「葡萄畑の女の子」(役名)が個性的で可愛いと思ったが、これが若いのに何となくばあちゃんぽく見えるのも面白い。
[DVD(邦画)] 7点(2013-08-11 18:25:17)(良:1票)
237.  Love Letter(1995) 《ネタバレ》 
もともと中山美穂という人に関心がなかったので、これほど魅力的に見える女優だったことにこの映画で初めて気づいた。とにかくきれいだし可愛い(若い!)が、同じ顔で二人の女性を演じ分けているのも素直に評価したい。ストーリーに関しても、手紙のやり取りを通じて男の思いが明らかになっていく(しかし書いている本人は気づかない)構成は巧みと思える。個人的には、学校を訪ねて写真を撮って、それから後輩と出会って…という一連の部分に特に愛着を覚える。  しかし一方、終始出る関西人の男はどうにもイラつくので、神戸のヒロインを素直に祝福してやっていいのかどうかが怪しく思える。ほか無駄にコミカルな場面が多いが笑えるわけでもなく単に不快であり、またロケ地と劇中の設定との関係がでたらめで(彼氏が死んだ山へ行くには余市駅で降りて歩くのか?)、最初から最後まで関係者全員が小樽にいたようにしか見えないのも変だ。周囲の風景がどうでも観客の方が頭を切り替えろというのでは無理がある。 それからストーリーも終わってみればいかにも作り物で、劇中の設定や出来事を全て製作上の思惑通り都合よく作り込んだようで鼻白むものがあり、その上に世間の常識や周辺社会や自然現象までをもねじ曲げるような強引さが感じられる。特に救急車の件については、そもそもが積雪寒冷地なのに窓にチラチラと雪がかかる程度の天候で、それも都市部で1時間かかるなどということは想像もできず、仮にそうだとすれば流しのタクシーなどいるはずもないだろう。その上、いつの間にか時間が40分以内とかいう問題にすり替えられてしまい、外気温が何度なのかといった考慮もなされないまま、吹雪の中で傘をさして走ったりする支離滅裂さはさすがに受忍の限度を超えている。一体どこまで観客に寛容さを求めようというのか。  そのようなことで、愛憎相半ばする映画、というのが正直な印象である。評判がいいのでベタ褒めしたかったのだがそうもいかない。難点を美点でカバーして不問に付すという状態にならなかったことからすれば、結果的にこの映画は性に合わなかったということになると思われる。 ただそれでも、ラストシーンに問答無用で泣かされてしまうのは悔しいが認めざるを得ない。これに免じて、評点は少しいい方にしておく。
[DVD(邦画)] 7点(2013-07-15 18:48:54)(良:1票)
238.  地球防衛軍 《ネタバレ》 
「地球防衛軍」というものの古い事例として、自分としては「ウルトラセブン」に出る組織をまず思い出すが、日本で最初にこの言葉を使ったのはこの映画なのではなかろうか(根拠なし)。この後、特撮モノから近年のゲームソフトまで用語として一般化しており、Wikipedia日本語版では普通名詞のように扱われるに至っているが、その発端となったところにこの映画の揺るぎない価値が認められる(と思う)。  それでこの映画では、まず気恥かしいほどあか抜けないリズムを刻む(スタタタ スタタタと聞こえる)勇ましいマーチが非常に強く印象に残る。 また映像面でも古いなりに健闘しており、光線兵器で戦闘車両が白熱するのは怖いし、円盤の映像もなかなかよくできている。森永チョコレートの広告塔の背景に、高空を飛ぶ円盤が見える場面は印象的だった。ほか特に、富士山麓の宿場町のような場所に超近代的?ロボット怪獣が現れて、高度成長期前の伝統家屋を光線兵器で攻撃するというのは現代の目で見るとミスマッチだが、逆にいえばこういう時代にこういう映画を作ったのだということが改めて思い知らされる。このロボット怪獣は世間では笑われることが多いようだが、山道の途中で崖から出て来たのは実際に直面したら怖いだろう。またヒロインの入浴場面でも、素っ裸の状態で窓の外にこんなものが見えたら、もうどうすればいいかわからなくなるのではと思う。 一方でストーリー的には、最初の方こそ何かが起こりそうな期待感と不安感の入り混じった展開だが、後半では地球側が正面攻撃を延々と続ける印象があって(よく見ると山も谷もあるのだが)、正直退屈なのが残念である。  ところでこの映画の形式上のヒロインは白川由美さんの方だろうが、河内桃子さんもほとんど同格の存在感があって、ダブルヒロインの豪華状態である。二人ともきれいな人で、他の拉致女性と比べてもすらりと背が高い。また河内桃子さんは相変わらず可愛らしい人だが、敵の意図を知らされたことで泣き出してしまう場面はまことに痛々しい。こんな女性を人身御供に出してはならないと思えば、男が戦いに赴く動機の原点を描いた映画だと評することができなくもない。
[DVD(邦画)] 7点(2013-07-01 21:32:10)
239.  濡れ髪剣法 《ネタバレ》 
題名の「濡れ髪」の意味がどうしてもわからないが、「水もしたたる」と同じような美男の形容なのかも知れないと現時点では考えておく。自分としてはこの主演俳優がどういう人なのか年代の関係でほとんど知らないのだが、ただの二枚目役者でないことはこの映画でよくわかった。 中身としては笑いあり涙なしの痛快時代劇で、よくできた娯楽映画という印象である。若殿が「キ印」から始まって五万三千石の跡取りまで自力で上りつめるのは、話としては出来すぎだが見ていて飽きず、また最初と最後の野駆けの場面は清々しい。 それから登場人物としては、とにかく姫さまが稀に見る美形の上にお茶目でツンデレっぽいのがたまらなく可愛らしい。大和屋のおみねさんも意外に(といっては失礼だが)可愛いが、途中から身分違いをわきまえて、尽くすだけの立場になったのはかわいそうかも知れない。また柳橋芸者の蔦葉姐さんも艶っぽく世話好きで人懐こい感じなのに惹かれる。ほか男の登場人物としては、長屋仲間の与平次の最後の場面が鮮やかに決まっていたように思われた。   ところで、どうせ誰も読まないだろうから少し余計なことを書いておくと、劇中の大和屋はいわゆる口入屋だったようで、武家奉公人の派遣業務を中心に営業しており、その取引先がたまたま遠州佐伯(架空)の松平家だったということらしい。皆で剣術の稽古をしていたのは、映画に出たように市中で不良旗本やら何やらと衝突するのが常態だったということか。そういうのが考証的にどうなのかはわからないが、モノになりそうな人間を仕入れるために経営者(親分)が常に目配りしていたらしいのは、今回のストーリーにとって好都合な設定である。 また、終盤で立ち回りをやるのはこの手の映画として当然の展開なのだろうが、自分のところの家臣(江戸詰)が全滅しそうになるのはさすがにまずいのではないか、と見ていて心配になる。しかしこれが家臣団のリストラにつながり財政改革に役立つと思えば、まもなくの家督相続に当たって幸先がいいともいえる。とぼけたようでいてちゃっかりと結果を出す若殿である。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-24 18:58:41)
240.  マックィーンの絶対の危機(ピンチ) 《ネタバレ》 
邦題には変遷があるが、原題は一貫して”The Blob”である。 以前「消えるヒッチハイカー」という本を読んだ時に、アメリカの都市伝説で夜間に車で出かけた若い男女が恐ろしい目にあう話が書いてあり、なるほど映画でもそういうパターンのがあるなと思った。その時に何となく念頭にあったのがこの映画で、その時点ではこれをアメリカの恐怖映画の代表のように思っていたわけである。実際、幼少時に見たときは非常に怖かったように記憶しており、最初からずっと夜の場面が続くので怖いまま息抜きができず、ラストに至って北極の場面だけが明るい青空なので少しほっとするが、そこでまたさらに?が出るのでもうやめてくれ、という感じだった。  しかしいま見ると、問題のブロブなどあまり出番はなく、出ても少し固目のをモソモソ動かしたり、粘度の低いのを押し出したりするばかりで、特撮映画としては極めてショボい。人が実際に食われる場面は映像化を回避して画面に出さず、またクライマックスの巨大ブロブはアニメーションでごまかしたりしている。そもそもオープニングテーマからしてノホホンとしてとぼけた感じだし、劇中でも主人公とヒロインが、穏やかな音楽をバックに信頼と愛情を深めていく場面が延々と続いたりする。どうも世評の通り初めから青春映画のようなノリで作っているらしく、古き良き時代の愛すべき娯楽映画という感じである。昔と今でこれほど印象が違う映画も珍しい。 また映画の中身と直接関係ない話だが、DVD封入のリーフレットを読むと、撮影が行われたペンシルバニア州チェスター郡フェニックスビルの映画館では毎年「ブロブ祭り」というのをやっているとのことで、映画館の公式サイトを見てみると実際に”Blobfest 2013”のPRをしていた。どうやら地域住民に今なお愛されている映画であるらしいことが窺える。  なお1958.9.12米公開のこの映画と直接の関連があったのではないかと疑われるのは、同年6.24公開の東宝映画「美女と液体人間」で、両者を比べればわが国の誇る昭和特撮の方がまだしも勝っていると思うのだが、ここでの現時点での平均点はこの映画の方が高くなっているのが悔しい。思い切って1点とか付けて点を下げてやるかとも思ったが、この映画はこの映画で愛着があるためそういうこともできず、適正と思われる点を付けるしかない。結果として、かえって平均点を上げてしまった。
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-24 18:58:33)(良:1票)
0110.88%
1272.17%
2614.90%
3987.88%
418014.47%
532526.13%
628522.91%
717814.31%
8614.90%
9171.37%
1010.08%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS