361. インサイド・ヘッド
《ネタバレ》 都会へと引っ越す車を捉える横移動のショットに『となりのトトロ』の冒頭ショットがだぶる。 ラストの大ジャンプと司令塔への激突ランディングは、『カリオストロの城』の二段跳びのアレンジに近い。 そもそも、登って落ちて再び大上昇という垂直空間でのアクションをドラマに絡ませるセンスが宮崎駿流だ。 それと同時に、『トイストーリー』シリーズがそうであるように「家に帰る」というジョン・フォード的主題をも継承する。 ヨロコビの帰還と共に、少女もまた家族の待つ新しい家へと帰る。 予定調和のシンプルな物語を豊かに視覚化する、立体的な舞台設定とカラーリング。 陽性のキャラクターを体現するヨロコビの活力ある身体表現の素晴らしさ。 活劇には成りえなさそうな題材がここまでテンポの良いアクションに仕立て上げられてしまう。 [映画館(吹替)] 8点(2015-09-07 16:52:59) |
362. ヴィンセントが教えてくれたこと
《ネタバレ》 嫌われ者だったビル・マーレイが衆人環視の中で賞賛の拍手を受ける。 感動の場面といいたいところだが、逆にその安易さに萎える。 大観衆による拍手喝采のカタルシスという、いわゆる感動ドラマの毎度のパターンだ。 せめて、本人をその場から除かせるとか、理解者をラストのテーブルの面々だけに絞るとか出来なかったものか。 結局は万人向けの道徳的な話に落ち着く訳だ。 脳卒中とリハビリのくだりも、演技賞狙いの設定かと邪推してしまいそうになる。 この種のコンビものなら山ほどあるだろうが、キャラクター性といい、競馬のシチュエーションといい まずは北野武『菊次郎の夏』が浮かぶが、その語り口のナイーヴさにおいて似て非なるものである。 気取った選曲の数々もどこかキャメロン・クロウっぽいと思えば、 ラストは「Shelter From The Storm」できた。 [映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2015-09-06 17:18:23) |
363. ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
《ネタバレ》 中空での宙吊りアクションといえば、『グランドキャニオンの対決』や『007リビングデイライツ』がある。 いずれも実景ロングショットでのスタントマンによるアクションと、スクリーンプロセスによる俳優らのミドルショットで構成される アクションシーンだが、そのショット繋ぎの巧さも相まって非常にサスペンスフルで迫真のシーンだ。 それらの「アクション」を踏まえていうなら、『ローグネイション』の宙吊りショットにあるのはスター映画の醍醐味であり、アクション映画の それではない。 巻頭の拘束部屋やオペラ舞台裏での格闘にしても、階段を下るカーチェイスにしてもアクションの段取りと設計はあるようだが、 その繋ぎが悪いのか画角が悪いのか、折角の俳優のアクションが映えないのが勿体無い。 クライマックスのマンホールへの滑り込みなども、トム・クルーズ自身は華麗な身体アクションを体現しているはずなのにそれを 効果的に撮れていない印象を受ける。 拘束具にキーが届かずに悪戦苦闘したり、水中行動での不手際や、バンク走行で膝を擦ったりという ハプニング的なアクションの採り入れ方はよいのだが。 トム・クルーズとサイモン・ペッグらとの信頼関係に関する部分は明らかに台詞が多い。 貸し借りがどうとか、彼を必ず救うだとかを言葉で表明してから行動というのはNGだろう。 有言実行は現実なら励行すべきだが、映画ではやるべきではない。 マイケル・マンを見習うべきである。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2015-09-06 00:21:39) |
364. この国の空
《ネタバレ》 まずは雨音の響きから始まる。 その低く静かな響きは、映画がSEに対しても丁寧に演出を施していることを直感させる。 物々交換に出た母娘が食事を摂る河原のせせらぎ、境内に響く蝉の鳴き声とそれに照応するラジオのノイズ、 ラスト近くで再び降り出す小雨の音など、印象的なシーンは ことごとくそれらの環境音が場面の官能性を一段と高めている。 映画は冒頭から家屋セットでの芝居が中心で、予算の制約も確かにあるのだろうが、 神社の坂道や子供達が川遊びをしている川にかかる橋など、見栄えのあるロケーション も様々に取り込んでいて作り手の意欲はよく伝わる。決して貧相ではない。 解説で確認しなくともはっきりフィルム撮影とわかる画面の肌理も昭和の味がある。 空の題名を持ちながら全体を通しても空のショットは非常に少なく、前半は Bの編隊が飛ぶ赤黒い空くらいのものだが、それだけに青空が大写しとなる工藤夕貴と 二階堂ふみの川原のシーンはやはり特別なのだ。 食事の映画でもあるが、それは時代背景描写にとどまらずそれぞれの関係性や心情を 慎ましやかに炙り出す描写としてあるところが素晴らしい。 二階堂ふみのラストのストップモーションも絶品だ。 [映画館(邦画)] 8点(2015-08-31 22:35:44) |
365. ヘウォンの恋愛日記
《ネタバレ》 公園やキオスクや古書店など、地味目なソウルロケーションと、その中で展開する 例によっての、まったりとぎこちない飲食シーンが不思議と心地よい。 彼らの会話が他愛無くも切実なものとして伝わるのは、このカメラの距離感もポイントだろう。 その例によってのあれこれが楽しいホン・サンス。 愛らしくへウォンを演じるチョン・ウンチェが一気に飲み干しているのは 本物の酒なのかどうか、その美味しそうな飲みっぷりが気持ちいい。 [DVD(字幕)] 8点(2015-08-28 23:56:48) |
366. 暁の追跡
《ネタバレ》 杉葉子と鎌倉に海水浴に来た池部良が遠い爆音にふと空を見上げると、航空機が一機飛んでいる。 彼女に「思い出す?」と問われる彼は何を思うのか。 また、転職の相談をする証券会社勤務の戦友がビルの屋上で「南方を思い出すな、あの雲は」という台詞をふと漏らす。 雑然と賑わう鎌倉や新橋、兜町などのロケーション撮影の中、それらの細部に「戦後5年」を垣間見せる。 南方戦線を含む過酷な戦場を体験した池部良を意識しての新藤脚本だろうか。 縦の構図を多用したロケ撮影による生々しい街の表情が主役でもある。 これも日本版ネオリアリズモといえる。 路線沿いの活気ある繁華街とは対照的な月島地区、クライマックスの深川地区などの発展途上地域の模様など、都市論の提示でもあろう。 夜明け前の時間経過を追いつつ展開するラストの緊迫した銃撃戦も素晴らしい。 [DVD(邦画)] 7点(2015-08-27 23:57:41) |
367. 虹色ほたる ~永遠の夏休み~
《ネタバレ》 一部に記号的すぎる仕草もあるにはあるが、よく動く少年達のしなやかで伸びやかな手足の振りがいい。 燈籠の灯りの中、もつれあいながらも少年と少女は手をつないで懸命に駆ける。 冒頭から携帯電話を手放せなかった少年は、手を触れ合うコミュニケーションを知る。 ノスタルジックな山あいの風景以上に、指切りの約束や別れの握手など、映画が強調して演出するのは接触の記憶と絆だ。 「握りかえす 手のぬくもり」「見つめ返す 瞳の中に」 それら作品のモチーフを的確に歌詞に落としてエンディングを彩る松任谷由実のセンスはやはり素晴らしい。 映画のラストを衆人環視のイベントとしたこと、安易なスペクタクルに依ったことが惜しい。 [映画館(邦画)] 6点(2015-08-25 23:58:33) |
368. 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN
《ネタバレ》 一般常識的にやってはいけないこと、するべきではないこと。 それは映画内でこそどんどんやればいい。現実の場ではないのだから。 軍律的におかしな行動だろうが何だろうが、それが出来るのが映画の特権だ。 そもそもこれは荒唐無稽な『怪獣映画』の一種ではないか。 騒いで、性交して、規律違反して、トラブルを積極的に呼び込み、周囲をそれに 巻き込んでこそ戦争アクション映画のキャラクターの王道だ。 話題の前田某らは数々の戦争映画主人公のアナーキーな迷惑キャラぶりも知らぬのかと。 最前線での性愛シーンなどだって、普通にいくらでもあるだろう。 『英霊』、『内地』などの単語に大して意味は持たせていないようが、 そもそもこの未熟な軍隊の有様は図らずも現在日本の世代批評と見れなくもない。 ここで三浦春馬がみせる直情径行、情緒不安定、喧嘩早さなど映画史の中では実に可愛いものだが、 そのような性向の描写と彼に降りかかる理不尽とがあって、 クライマックスの呪詛と化身が一応はカタルシスとなるわけである。 と、誰でも批判出来る評判の悪い脚本をとりあえず擁護はしてみるが、 世評のよろしい空中飛行のショットはまるで不出来である。 夜明け前の設定によって照明は薄暗く、重量と飛翔の感覚も活きていない。 人間と巨人の、見上げる-見下ろすの視線処理も不全である分、恐怖感を削ぐ。 [映画館(邦画)] 4点(2015-08-22 01:26:50) |
369. 日本のいちばん長い日(2015)
《ネタバレ》 『投入せよ!「あさま山荘」事件』なり、『金融腐蝕列島』なりで 監督の立ち位置は明白だし、何よりもこの製作委員会でのシネコン仕様なのだから その批評精神の生ぬるさは推して知るべしである。 原田眞人は「彼らを狂気の存在にしたくなかった。」という。(映画パンフレット) その為に、原作や岡本版にはある首相私邸放火の顛末などは都合よく省略した ということか。ならばフェアではない。 あるいは松竹路線に倣った訳でもなかろうが、「家族のドラマ」を描きたかった、ともいう。 公人の、良き家庭人である一面を弁明的に盛り込めばそれは印象操作も簡単だろう。 彼らもプライベートでは実にイイ人でした。 『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)などと同じ、常套的な方式である。 そんな姑息なやり口で公人の戦争責任を免罪でもしようとする気かと。 後半ではドラマの流れすら阻害しているだろう。 だから上野昂志氏にも某旬報で書かれてしまうのである。「戦後七十年にして、これかよ!」と。 英語題が示すように、長く表象タブーであった昭和天皇を中心に『日本のいちばん長い日』を映画化する。 これも今回の主眼なのだろうが、 その一方で岡本版でもよく指摘された(が、実際は決してそうではない)「民衆不在」はさらに徹底している。 広島の原爆はキノコ雲のあからさまなCG画面のみ。長崎の原爆は単に台詞のみだ。 ナレーションとはいえ、お仕着せ大作のしがらみの中で学徒兵や民間人犠牲者の姿をしっかり映し出し、 大戦の犠牲者数をラストで大書して「殺される側」のこだわりを示した岡本版の目線との何という相違か。 監督がどこを向いて仕事をしているか、よくわかる。 [映画館(邦画)] 4点(2015-08-16 21:45:37) |
370. リアル鬼ごっこ(2015)
《ネタバレ》 折角の85分という魅力的な上映時間を長く感じさせてしまうのはNGだろう。 オープニングの空撮には『シャイニング』、羽毛のモティーフは『新学期 操行ゼロ』を連想させ、 ヒロインは『幻の湖』のように疾走しまくるが、後半は文字通り失速してしまう。 羽毛が宙に舞い、枯葉が巻き上がる前半は健闘するが、それも後半には露骨にメタファーと化し、 風は吹き止み、説明へと至る。 ヒロインの運動神経の鈍さは見るからに歴然だが、鈍いなりにもう少し見れる走りをして欲しい。 懸命に走っているつもりなのはわかるが、それでも生温い。 そうでなければ、後半の叫びも運命を変える決意も響いてこない。 [映画館(邦画)] 4点(2015-07-20 14:01:50) |
371. バケモノの子
《ネタバレ》 師匠と弟子二人並んでの、一風変わった型稽古の情景モンタージュが前半の山だ。 少年がひたすら模倣することによって次第に上達していく様が、 ロングショット主体でレイアウトされた動きの変化の中から表れてくる。 そこには二者の動きが次第にシンクロしていくアクション映画、舞踊映画の快感があり、 アニメーションによる誇張(スピード・タイミング)の醍醐味がある。 キャラクターにはあえて影をつけない平板な絵柄を採用し、その分 部屋の内外を駆け回っての喧嘩や、卵かけご飯の食事など アニメーションならではの動きの楽しさを充実させ、 一方で人物の表情のアップでは瞳の潤いを細やかに揺らす繊細な演出を施し、息吹を与える。 モブシーンの動画を含め、特に前半はよく頑張っている。 今回のクレジットでは細田単独の脚本だが、台詞が削り切れていないのは児童向けを意識したためか。 ラストでの回想シーンも少し親切すぎる。 トレードマーク的な青空と白い入道雲は決めのカットにはしっかりと登場していてそれなりに印象的だが。 [映画館(邦画)] 7点(2015-07-18 16:18:26) |
372. 大列車作戦
《ネタバレ》 線路上で爆薬を仕掛けるバート・ランカスタ-。その奥に列車が小さく現れ、手前方向に迫って来る。 操車場のドイツ軍大佐(ポール・スコフィールド)。その奥の空に戦闘機が小さく現れ、手前方向に向かって飛行して来る。 いずれのショットも、遠方のアクションと近景のアクションとを同時進行させながらいずれの対象にも 焦点を合わせて一つの画面の中におさめたものだ。 航空機や車両が進行する方向と速度とタイミング。大量のモブ(群衆)の動き。さらには主要キャストの芝居。 それを的確に統制し、的確な構図で捉える労苦は計り知れない。 そこに、物語レベルに留まらないサスペンスが生まれる。 そうした奥行きの深さを活かしたスケールと難度の高いアクションシーンが満載だ。 少年が階段を登って屋根上へと移動するカメラの移動。 ランカスタ-が梯子を滑り降り、列車を追いつつ飛び乗るアクション。 同じく彼が傷ついた身体で山の勾配を登り下りする走り。 いずれも身体性と持続性、空間の垂直性と平行性を一体としてショットを形作っているのが素晴らしいのである。 オープニングの、無言の兵士たちが美術品をパッキングしていく具体的描写のリズム感。 360度方向のセットと密度の高いエキストラの間を縦横無尽に動くカメラ移動からして一気にドラマに引き込まれる。 [DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2015-07-15 00:01:52) |
373. ボヴァリー夫人(1933)
《ネタバレ》 本来ならば190分の作品が無残にも半分以上切られてしまっているのだから、 現在残されているバージョンで物語を追おうとすることには無理がある。 特に前半部の欠損が多いのか、いきなり場面が結婚後に飛んでいたりと展開の 慌ただしい事この上なく、混乱すら来たしてしまう程だが、それは少なくともルノワールの非ではない。 逆に物語を放棄する分、それぞれのルノワール的画面の映画性をより良く味わえるだろう。 確かにヴァランティーヌ・テシエは薹が立った印象でヒロインとしての魅力には欠けるのだが、 終盤の病床シーンの芝居などは圧巻だ。 家禽の行き交う田園風景の風情や、並木道を進む馬車の縦移動の緩やかな運動感もいい。 屋内シーンでもぬかりなく窓を解放しドアを開閉し、外の世界の広がりを豊かに画面に取り入れる。 パンフォーカスによって二間の部屋の奥、その又先にある屋外空間の事物・空気まで意識を伸ばしている。 『市民ケーン』(1941)に先駆ける、この意欲的な世界把握。傑出と云っていいだろう。 [DVD(字幕)] 7点(2015-07-13 16:55:07) |
374. サイの季節
《ネタバレ》 常に暗雲が垂れ込め、晴れ間の覗くことの全くない風景。 光は、主人公(ベヘルーズ・ヴォスギー)の運転する車の車窓を流れる雨滴やヘッドライトの 小さな乱反射や、モニカ・ベルッチがタトゥーを施すシーンの蝋燭の灯りくらいだ。 その度々登場する(キアロスタミ風)車窓への映り込みと彼の寡黙な表情との夢幻的な重なり合いが、 亀やサイや馬などの明らかなイメージショットと現実のショットとを橋渡しするような形で美しくももの悲しい。 (主人公に嫉妬する運転手(ユルマズ・エルドガン)に重なり合うのは、からみつくような木々の黒い枝の影だ。) 独特の形状の幹を持つ木々の奇観。雪の吹きすさぶ墓地の荒涼とした風情、寒々とした湾を望む岸壁など、 ロケーションも独特だが、黒味を活かした陰影豊かな画面の感触の何と重厚で深みのあることか。 主人公らの30年間を刻印する顔の皺や白髪を克明に映し出すフォーカスは、モニカ・ベルッチに対しても容赦ない。 逆に敢えて他者をぼかした後景や革命騒乱シーンの群衆の不明瞭な画面も意図的な設計だろう。 国境を越えた彼らは多くを語らない。寡黙な顔だけがある。 [映画館(字幕)] 9点(2015-07-12 23:08:14) |
375. 神々のたそがれ
《ネタバレ》 雨に霧に炎、蒸気、煙、吊るされた身体。 流動的で不安定、不定形のものが常に画面に充満している。 初めはそのフェリーニ風の世界観と意匠に眼を奪われ、次いで画面に突然現出してくる あらゆる事物、人物、動物、現象の動きそのものに約3時間驚かされ続けてしまう。 カメラがどう動くのか、様々な動物たちがどう行動するのか、 画面手前や横からいきなりフレームインしてくる奇矯なる人物達が次の瞬間に何をしでかすか、 次のショット、次の瞬間の予測が全くつかないので眼が離せないまま、 何やらドラマは進行してしまっている。 雨と泥土とモブの中で、尚且つ動物とも共演しながらの俳優は想定通りの芝居など出来ない上に、 即興演技も相当に入っているであろう人物同士も常にぶつかり合い、どつき合っている状態だから そのリアクションは必然的に生々しくならざるを得ない、という寸法のようだ。 人間たちは雨や泥に塗れながら唾や反吐を吐き、汗や鼻水や鼻血を流し、放尿する。 身体の大半が水分から成ることを改めて実感させる、個体の生々しさも強烈だ。 この即物性もまた、紛れもない人間描写である。 [映画館(字幕)] 9点(2015-07-12 00:33:52) |
376. ターミネーター:新起動/ジェニシス
《ネタバレ》 追う、追われるという第一作のシンプルなシチュエーションが恋しくなる。 下手に状況を複雑化させることで、小賢しい理屈付けで戯れる羽目になって ますます映画から遠のいている。 ここでは逃走のサスペンスよりも、真贋不明のサスペンスが主となるのだが、 小状況が一旦終了するとひとまず収監のパターンで切迫感が途切れ、 作品を貫くべき大きなサスペンスが持続しない。 そしてジェイ・コートニーはクライマックスにおいても全くの奮闘不足であり、 それが為にエミリア・クラークとのラブストーリーも淡白すぎて中途半端だ。 彼らのエモーションを核としてこそヒューマンドラマが成立すると思うが、 擬似父娘のドラマの比重を高くせざるを得ないのは スター俳優を偏重するシステムの弊害か。 ともあれ、『マッドマックス』最新作にしても本作にしても、 女性の強さがよりアピールされている ところが時代性とマーケティングの反映ともいえそうだが。 それから、殺人マシン同士が激突する金属音の良さは特筆したい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-07-10 23:56:54) |
377. ボクサー(1977)
《ネタバレ》 『あしたのジョー』と『ロッキー』を折衷したような定番物語に 自らのルーツである演劇的な空間も採り入れつつ、 木場等の下町的ロケーションも意欲的に活用する。 当時の現役・元現役プロボクサーの記録映像的な趣向もあれば、 試合シーンに風音を響かせて心象化する実験的試みもある。 (成功しているとは云い難いが) そのごった煮で雑然とした印象が、魅力といえば魅力か。 当時のハングリースポーツ、ボクシングの泥臭さと哀調が強調されていて 独特の風情がある。 清水健太郎のファイトシーンも頑張っている。 [DVD(邦画)] 7点(2015-07-09 23:59:29) |
378. ガンファイターの最後
《ネタバレ》 撃つ者と撃たれる者が縦構図の中におさまり、 撃つ瞬間と撃たれる瞬間、双方のアクションが 同一画面の中に展開する。 ガンアクションの醍醐味溢れる秀逸なショットに痺れる。 落下スタントを織り交ぜた冒頭の暗い納屋での対決や、 リチャード・ウィドマークが部屋に飛び込みざま 手前に滑り込みながらドアの背後の若者を銃撃する、 レナ・ホーンの部屋での対決などだ。 物語自体は時代の反映もあってか陰鬱でアクションシーン自体も少ないが、 そうした瞬発力の高い銃撃ショットが強烈な印象を残す。 乱打、乱射を細分化したカッティングで見せる昨今のアクションフィルムとは 比較にならないシンプルなワンショットの何と活劇的なことか。 「列車の到着」で幕を開け、緩やかな列車の出発で幕を閉じる。 その夜の深い黒がよく映える。 [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2015-07-08 15:10:13) |
379. アメリカン・スナイパー
《ネタバレ》 始まって早々に、今どき流行りの時間の巻き戻しが入る。 幼少期の父親の薫陶であったり、ライフル体験であったり、9.11への義憤であったり。 これが結果的には、今そこにある主人公に対する弁明・釈明ともなり得てしまう。 従来の監督なら、回想による生い立ち説明などには依存せずに あくまでも現在の人物の言動で提示しうる範囲でもって人物を描写したのではないか。 「スナイパーはスナイパーだから狙撃する。」と。 そうした「古き良き」簡潔さを許さぬのが映画の現在であり、 実話ものの制約・しがらみなのだろうが、 この隙もまた本作をめぐるイデオロギー論争を助長させたように思える。 ともあれ、本作での銃撃や着弾の即物的音響は生々しく尾を引く。 白いシーツの翻る、視界不良の屋上空間では、尚のこと音の恐怖が倍増する。 帰国後の主人公を苛むのも、ドリル音や子供の泣声など、視覚以上に聴覚的記憶のほうであり、 携帯電話から響く戦場の音も、現場が見えないだけに主人公の妻を恐怖させる。 エンディングはそこからの開放でもあろうか。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2015-07-05 20:44:27) |
380. アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
《ネタバレ》 例えとしては、さる方の表現を借りるなら 「スペシューム光線を打ちっぱなしのウルトラマン」みたい。 手始めに各人のアクションを順々に見せていく1ショットなど 児童向けの日本製特撮ヒーローものそのままだ。 神経症的に画面を動きと物量で埋め尽くし、視覚効果で押しまくって全編クライマックス化を図る。 あの大人数の見せ場をバランスよく配置して各キャラクターを立てねばならないのだから作り手も大変だろう。 いろいろと苦心しているのは良くわかるが 案の定、各キャラクターが入れ替わり立ち代りの飽和状態でシーンも裁断され、感情も持続しない。 緩急はつけたつもりでも、メリハリがある訳ではない。 クライマックスも『1000年女王』の関東平野レベルでは逆に 小ぢんまり感のほうが強くなってしまっていないか。 その戦闘の中、暗い屋内でのジェレミー・レナーがエリザベス・オルセンを励ますシーンが光る。 弾着跡の穴からの一条の光はジェレミー・レナーにだけ当てられていて、 エリザベス・オルセンの方はまだ暗がりの中にいる。 こういうちょっとした演出がその後の扉を開ける彼女のアクションを引き立てるのだが、 それも結局は単発的になってしまうのが惜しい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-07-05 14:21:55) |