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王の七つの森さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 188
性別 男性
自己紹介 ・・・・最初に投稿してから4年近くたとうとしています。
これからも、細々とでも投稿してゆきたいと思っています。

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21.  祇園囃子
淀長さんもいう、、、「女を描いたら天才ですよ、溝口は」、、、多くの人たちも言う、「溝口の女の描き方は比類のないものだ、、、」、、、でも思うのだが、女のさがみたいなものは、ずっとずっと変わらないものなのだろうか。生物学的に女であると、感情も立ち居振る舞いも、必ずある姿をまとうようになるのだろうか。、、、僕はそんなことはないと思う。母性本能みたいなものが神話であるように、女がどのような感情を抱き、どのように振る舞うかということも、時代とともに変化すると僕は思うのだ。、、、、だから、淀長さんが想定しているのは大正、昭和の女ではないだろうか。、、、、だから、平成の女を引照基準にして見ると、溝口の映画は、女の世界が主題になっているようには見えない。、、、、この映画でも、木暮も若尾も、仕事を持つ女で、映画のテーマも、仕事と自分の個人的な感情の間での悩みであり、今の時代なら、この二人は男という設定の仕方にしても決して成り立たないわけではない。そして、木暮の親兄弟もいないという寂しさ、若尾にむける愛情は、木暮が女だから抱く感情だとは、今の時代なら、思えない。、、、、、、それにしても、木暮の住まいの玄関から右に出た長屋の通路の風情の美しいこと。その先の道路を歩く通行人、路上で花火をする子どもたち、僕たちの多くが見失ってしまった、かつての日本文化のたおやかなたたずまいが、ここになはしっかりと記録されている。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-10 10:39:09)(良:2票)
22.  近松物語
なんという不条理。、、、、長谷川一夫は実存の顕現であり、これはカミュよりもカミュ的である。、、、、、などという意味不明な冗談はさておいて、、、、、日本の文化に少しでも関心があるという場合は、、、商家の家の造り、日々の暮らし、親類関係の意味、身分構造など、必見!!、、、そして昔の日本の人たちが、どのような意味世界に生きていたのかということが、深い同感的想像力と、美事な様式美で描かれていると思いました。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-06 10:51:24)(良:2票)
23.  雨月物語
見方によっては、ただ古くさいのですが、、、ふと考えてみると、恐ろしい作品です。、、、、、日本的な様式美、凄いですね。特に、開け放たれた屋敷の風情、女官の立ち居、そして美事なお亀顔の京マチ子の装束、化粧。、、、それに城下町の賑わい、武士の屋敷の郎等たちなど、、、。また、女に艪を漕がせ、子どもを背負わせ、女郎屋に行き着かせ、現実を生きる女たちが、ここにはしっかりと存在しています。、、、、そして、そうした日本的なものに、金銭欲、権力欲といった古今東西に普遍的なテーマが接ぎ木されている。、、、、、ただし、最も強く感じたのは、これが1953年の作品であること、つまり戦争が終わって7,8年しか経過していないということ。川辺のロケ地の風景は酷く荒れ果てていて、戦後の荒廃を十分に思わせてくれるものでした。、、、、そして、この映画を1953年に見た日本人も、ヨーロッパの人も、身近で親しくしていた人の何人かは必ず戦争で失っていたはずです。、、、、だからみんな、最後に、死んだはずの宮木が出てきたとき、その親しかった亡き人と、宮木とを重ね合わせて見たに違いありません。、、、、、そんな風に思うと、戦後を生きた無数の人たちの悲しみと源十郎の悲しみが混然として、最後の10分ほどは、涙を押しとどめることができませんでした。、、、、、、、日本的な美、日本的な生活、権力と財貨をめぐる普遍的なテーマ、そして戦争を民草の目から告発する強い意思、、、、この目配りはあまりに凄い。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-06-01 12:03:49)(良:3票)
24.  オールド・ボーイ(2003) 《ネタバレ》 
単なるアクション映画かと思っていたら、現代韓国流にアレンジされたオイディプスでしたね。オデスという名前も、オイディプスに由来しているのでしょうか。、、、、、、最後のオデスとウジンの対峙、そしてオデスの慟哭、懇願、、、、思わず目頭が熱くなり、野村萬斎さんのギリシアでの公演を思い出しました。(もちろん見たのはテレビですが)、、、そしてチェミンシクの演技は、萬斎氏の演技よりも深く、悲しいものにも感じられました。、、、、、、でもどうして、言葉でいわれ、それらしい写真を示されただけで、ミドを娘だと信じることができるのだろうか。そこには言葉が私たちに対して持っている暴力的な力が見事に表現されています。、、、また、娘と交わることが、どうして舌を切るほど深い慟哭に値するのだろうか。そこには私たちが属している共同体の文化が私たちに強い影響を持っていることが端的に示されています。、、、、でも、そうした価値意識は、何も考えずに、変えがたいもの、当然のこととして承認してよいのだろうか。そういう疑念は、この映画にも提示されているように思います。、、、、、ラストの二人です。氏族制度を軸とする伝統的な価値意識に執着するならば、仮に記憶をなくしているとしても、ラストは許し難いものに受け取れるのではないでしょうか。しかし、私は、慣習や言葉の牢獄から、完全に脱することはできなくとも、少しでもそこから脱し、より人間的な生を実現したいという意志を、ラストの二人、そしてそれを取り囲む冬山の情景から感じ取ることができるのではないかと思いました。つまり、運命の前にただ頭を垂れるのではなく、何とかして、少しでもそれを切り開こうとする意志です。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-16 23:46:02)(良:1票)
25.  アレクサンダー大王
映画というのは、言葉では伝えることができないものを、映像や音を加えて表現するものなのでしょう。だとすると、本当に優れた映画に対しては、それについて語る言葉を見失ってしまうものなのかもしれない。、、、、、この映画で、今、よみがえるのは、男たちの低い唸るような祈りの声、アナーキストたちの歌、部屋の明かり、夜の闇、銃をかかげて円を描く男たち、処刑されユダのように吊され揺れる男、ポセイドンの神殿からの夜明け、アクロポリスの丘から見渡す今のアテネの夕暮れ、そしてアレクサンダーのライトモチーフ。、、、、、、アレクサンダーとは誰、そして何なのだろう。私たちの心、語りの中から生まれ、私たちの希望を実現してくれる使徒であり、逆に私たちを拘束し、抑圧する権力にもなるもの。愛し、すがるべきものであると同時に憎み、唾棄すべきもの。、、、、、、現時点では、アンゲロプロスの最高傑作に推したいです。、、、、、、、、ところで、1900年を描いた映画には、他に、「海の上のピアニスト」やベルトリッチの「1900年」などがありますが、見比べてみるのも面白いかもしれません。
[DVD(字幕)] 10点(2005-05-06 00:11:54)
26.  アメリカン・ビューティー
ぱーふぇくと。、、、、、、、、、、、と一言にしようと思ったのですが、以下、だらだら。、、、、とにかく絶妙のバランス感覚。これだけ多様なテーマ、よくもまあ上手に、しかも饒舌にならずにまとめたものだと。、、、鏡、ビデオ、窓といった人と人との媒体の使い方も上手だし、ガラス、陶器のように割れやすく脆いものの象徴的配置も巧み。、、、この世界、そしてその中の「わたし」という存在を、どのように捉えるのかという哲学的な視座もしっかりしているし、、、。それに役者が、みんな上手。それぞれの役どころをしっかり理解しているからなのか、全ての役者が、それぞれ人としてしっかりと生命を持っている。、、、、、、そして上手に笑いをいれながら、、、感情、考えなど一人として全く同じ人間などいないこの世界で、どうやって生きてゆくのか、幸せをどこに探したらいいのか、というシリアスな問題を扱う。、、そう。そういう問題って、あんまり深刻に考えたら、いけないんですよね。人生の一番根っこにある問題って、肩の力を抜いて、楽しく、ばかばかしく、考えなくっちゃね。
10点(2005-03-21 13:13:41)(良:2票)
27.  旅芸人の記録
4時間という時間を無駄にすることなく、この映画を見るには、次の三つのことが必要だと思います。、、1.1937年頃から1952年までのギリシア史の概略的知識、2. 「アガメムノン」の概略知識、3.映画の中で、誰がアガメムノンで、アイギストスで、エレクトラで、オレステスなのかという区別。、、、、特に配役は、最初は、誰が誰だかわからないはずです。映画の中でも、その名前を呼ばれるのはオレステスだけですし、、、。しかし、例えば、最初の方のシーンで、椅子の上で、「父よ世界はなぜかくも美しい」を歌うのはアイギストスであるというのがわからないと、どんどん退屈になってしまいかねません。、、、、また最初の出だしが1952年で、そこにはアガメムノンもアイギストスもいないけど、一番最後のシーンは1939年で、アガメムノンもアイギストスも揃っているということも、一度見ただけではわかるはずもありません。、、、、、、以上、1.2.3を踏まえつつ、これが1975年の作品であること、つまりギリシアは軍政下にあり、ヨーロッパではユーロ・コミュニズムが登場した頃であることを考慮して、見たあとの感想は、、、、、、演劇的空間(=長まわし)を、あまりに見事に映像に表現した作品。そしてなんという歴史やリアリティの存在構造についての卓見!!、、、、比喩的に言えば、消費者である我々が、リンゴ農家にとってリンゴがどのような存在であるかを知るには、別のものでリンゴを象徴させるか、リンゴ農家の日常を詳しく説明するか、いずれかになるわけで、物質としてのリンゴを提示するだけではうまく行かないわけです。何故って、リンゴを見せられると消費者としてのイメージが混入しちゃうからです。、、、、前者の象徴的な技法が、この映画では極めて有効に随所に使われ、そのおかげで、過去の出来事のリアリティに想像的に接することができると思います。(でも個人的には、いまのところ「ユリシーズの瞳」の方が好きです)
10点(2005-03-06 13:17:36)
28.  8 Mile
そうかぁ、そうですかぁ、これは貧乏自慢、自画自賛のプロモ映画だったのですね。、、、、、、、、、、でも、おじさん(=わたし)は、途中から、どういうわけか、うるうるで、洟を何回もかんでしまいました。、、、おじさんは、感動した。、、、、どうしてかっていうと、、、、、、おじさん、エミネムなんて知らないから、、、だから一人の貧乏な白人青年の話にしか見えないから、、、、それで、こんな糞環境のなかで、すねたり、ぐれたり、自暴自棄になったりしていないし、いつも真剣に前を向いたまなざしで、気取るな、すかすな、ごまかすな、しっかり自分を見ろと歌っているからです。、、、、、帰るべき暖かいママはいないし、仕事は単調だし、彼女とは別れたし、なのに、なんでこんなに前向きに生きられるのだろう。、、、、、個人的には、ラップバトルは最初のだけで十分だと思いました。また成功していくところが描かれていなくてホッとしました。だから、この話は、どこにでもいる、一人の貧しい白人青年の話として見ることができるわけです。
10点(2005-03-02 13:32:40)(良:3票)
29.  ユリシーズの瞳
これほど端正で重層的で、強く激しく、そして美しくて悲しい反戦映画をわたしは他に知りません。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、以下は付け足し。、、、、反戦映画というと、戦闘シーン、別離、戦死などの具体的な出来事を描くというのが定番ですが、それだと、今の私たちの生活とはどうしてもかけ離れてしまう。そこで、戦時中の誰かの心象風景を描くことで、現代の私たちの心象とリンクさせようという試みがでてくる。例えば「美しい夏キリシマ」みたいに。しかし、人が不条理に殺されるのが戦争なのだという戦争についての一番大事で基本的なことが、それだと落ちてしまう。、、、この映画では、まず時間的な重層性によって、私たちの心の記憶が取り込まれ、サラエボの厳然たる事実が示されることで、その心象と外面的事実が交じり合う。そして最後に、オデッセイは遂にペネロペの元に帰り着いたが、今のオデッセイ(=我々)にはペネロペは死んだのであり、二度とこの世で出会うことはないのだという、深い、深い慟哭。、、、、、(例えば冷戦構造の終結、ユーゴ内戦などに何の記憶もないという場合は、全くつまらない映画に思えるに違いないのでご注意を、、、。)
10点(2005-02-28 13:47:46)
30.  サイダーハウス・ルール
焼却炉で焼かれる堕胎された胎児、孤児として生き残った自分、その差異はなんら必然的に説明できるものではなく、、、、。そこから、わたしとはいったい何なのかという問いかけが通奏低音として流れているように感じられます。、、、そしてホーマーはいわば自分探しの旅に出るわけですが、特徴的なのは、決して内向きに、内面を探るという展開にならないことだと思います。そうではなく、出会う様々な人との関係で、自分の位置を確定しようとする。 、、、、もちろん、だからといって、社会的に生きよ、という道徳をたれるわけでは全くありません。どこで、どう生きようと、それぞれの人の自由。部屋の中にとどまるのも、部屋から出て行くのも自由なわけですから。、、、、しかし、部屋にとどまるなら、つまり社会の中で生きることを選択するのなら、「役に立て」。、、、そして役に立つというのは、下半身が不自由な者の役に立つ、孤児達の役に立つ、など色々な役に立ち方があるわけで、職業ということに限定されるものではありません。、、、、さらに、そのように考えて自立した人達の関係を規定するルールは、自分たちで作るもので人から与えられるものではない。、、、、、、あと、描かれている人達の関係の殆どは非常に暖かく家庭的で、アメリカ的なのですか、よくありがちなものと違って、家族の延長上にはその関係は設定されていません。ホーマーなど、孤児としてあらかじめ家族から断絶されているわけです。、、、むしろ黒人の父娘の家族の崩壊に見られるように、血のつながりから生まれる家族の情愛などは消極的にここでは捉えられているように思えます。、、、、、、、、何という達観、、、、そしてそこから生まれる、何という暖かさ、何という静かな前向きさ。、、、、、、見終えて、極めて良質なアメリカ的良心の香りをかがせてもらった印象で清々しい気持ちで一杯です。
10点(2005-02-12 01:19:32)(良:2票)
31.  es[エス](2001)
ふだんの生活で、真面目で勤勉だったり、大らかで冗談が好きだったりする、普通の大人達が、環境の変化から、暴力的で、抑圧的で、理性を失ってしまうようになる、という正気から狂気への信じられないような展開が、非常に説得的に描かれていたと思います。、、、、これがナチの支配体制であり、かつての東欧の社会主義体制であり、現在のイラクの刑務所で行われていることなのでしょう。、、、、どんな戦争映画よりも、戦時体制の抑圧性を想像力豊かに描いているともいえると思います。、、、、、また程度の差こそあれ、今の私たちの会社組織や、サークルでも、類似したことが進行しているのかもしれません。例えば、妙に真面目で想像力の欠けた奴が、会社の部長や課長になったり、サークルの幹事や会長になったりすると、突然、部下や会員に対して職権を振りかざし、自分は絶対に正しいとして抑圧的になったり、、、、、、。唯一気にくわないのは、題名。せっかく様々な想像的要素が豊に備わっているのに、それをフロイト的に「エス」とくくって説明したのでは、想像性が一気にしぼんでしまう。封建的家父長制家族を背景としたフロイト理論に拘っていては、暴走する現代を捉え、未来を構想する手がかりとすることはできませんっ。(父というのは神のメタファーであり、またフロイト理論ではスーパーエゴを形成させるものですから、ドラの父の死は、この劇中での神や規範の不在を予兆しているわけで、、、とか一元的に整理しちゃうと、話に豊かさがなくなってしまうわけです。)
10点(2005-02-07 15:01:56)
32.  ブラックホーク・ダウン
映画を見るって、そこに散りばめられた多数の事柄、映像から、自分なりに理解できるストーリーを作り上げることで、それって、結局、その映画の中に、自分のものの見方、感じ方を見いだすことなんですね。、、、、、で、私には、この映画は、「安易に武力行使という選択肢を選んではならない」という戒め、ある意味では反戦映画にしか見えませんでした。、、、、、マットの理想主義は完膚無きまでに潰え、ヒーローは誰もおらず、ただ消耗するだけの戦闘で、戦いに何の意味も見いだせず、あるのはただ、隣で一緒に戦っている奴のために戦うということのみ。、、、、アメリカの武力行使に何の大義もないということ、一瞬にして手足が吹き飛ばされ、内蔵が飛び出す戦闘がいかに悲惨なものなのかを語ってあまりあると思いました。(だからといって絶対的な非暴力主義が最も有効な手段だとは思いませんが)、、、、、最後の方で国連軍の装甲車などが登場しますが、国連平和維持活動に参加する自衛隊、イラクの米軍に協力する自衛隊が重なって見えました。、、、、、井筒監督は「究極の駄作」と評したそうですが、この映画のどの部分をどのようにつないで物語を作ると、アメリカ礼賛の駄作になるのか、興味深いところです。
10点(2004-12-14 11:45:16)(良:1票)
33.  シュリ
メッセージ性と娯楽性をともに備えた秀作だと思います。、、、、、(誤解があるかもしれませんが)、、、、チェ・ミンシクの狙いは、南北の両首脳、つまり金正日と金大中を同時に抹殺して、その混乱に乗じて南北統一を図ろうというもので、赤色革命を行おうというものでは決してないですよね。もちろん、直接名指しで登場すると問題もあるので、金正日、金大中という名前は使ってないけど。、、、、、、彼らの目標は、北のような社会主義ではなく、あくまで祖国統一。将軍まんせいなんて一言も言っていない。、、、、、北朝鮮の悲惨な状態を野放しにしている金正日、そしてそれを容認している金大中の太陽政策に対する、痛烈な批判。、、、、彼らのテロを、ヤンゴン事件や大韓航空機爆破事件と重ね合わせてしまい、チェ・ミンシクのターゲットが金正日であるということを見落とすと、全然違った、どうしようもない映画に見えてしまうでしょう。、、、、キム・ユンジンも南と北のどちらをとるかで揺れているのではなく、祖国統一と南での個人的幸福の間で揺れている。(社会学者のM台氏もちゃんとみてんのかなぁ??、、、M台氏は、この映画は北を批判していないとか、太陽政策の肯定だとかいっているけど、何をとぼけたこといっているのだろう。キム・ユンジンが最後に狙う、警備された車に乗っているのは、誰だと思ったのか!!!! 金正日か、金大中かどっちかでしょ!!!!)、、、、、私の個人的な思いこみかもしれないですが、キム・ユンジンが最後まで狙ったのが金正日だと仮定して、キム・ユンジン最後のシーンを思い浮かべると、これを書いている今も、あふれる涙を抑え切れません、、、、。
10点(2004-12-09 09:44:07)(良:2票)
34.  Wの悲劇 《ネタバレ》 
もう一度見直してみて、思いました。いやぁ、実によくできている。・・・・最初の20-30分は退屈ですが、パトロンの腹上死あたりから、身代わりになる芝居の筋と、本編の筋が重なってきて、テンポも良くなってきます。・・・・・・居酒屋のシーンなど、かなりの長まわしも幾度か使っています。・・・・それと、ホテルの部屋の窓ガラスに薬師丸の顔を映して、実際とは違う自分を演技していることを象徴させるところが二度ほどあります。・・・・・・・最後のジャンプのシーンもいいですね。届かない天井のポスターは、実現しなかった夢を象徴しているのでしょうか。これも薬師丸というアイドルがかわいげにやるから、わざとらしくなく、実に自然にできています。・・・・・全体として、私たちの日常が、演技を軸として成立していることを鮮やかに示してくれました。また、朝の講演野外劇場、渋谷方面の都会の情景などなど、バブルの前の都会の情景をしっとりと伝えてくれます。・・・・・・・・・梨本まで出してきて、、、顔をおおった蜷川さんはわらっているのでしょうか、、、、娯楽性を保ちながら、ほんとによくできています。それに、アイドル映画というのは、それなりの内容がある場合、時間を経過してから見ると、その時代をよく引きずっていて、その時代には見えなかったものが色々と見え始めてきて、なかなか味わいが深くなるものですね。
[映画館(邦画)] 10点(2004-06-17 13:02:12)
35.  ブレードランナー
レプリカントが私たちとは異質な悪と感じられたら、この映画は吐き気さえ催す駄作に感じられるかもしれません。(確かに、そういう方向の想像力の発揮もありかもと今、ふと思ったりもするのですが)、、、、、、、レプリカントが求めているものは、限定づけられた命をながらえることであり、それは人間の根源的な欲求と重なり合うものです。、、、だから彼らが延命の術を求めて、街をさまよう姿は、行き詰まった恋愛、隘路に逢着した仕事に活路を求めつつ、虚しく歩む私たち自身の姿を想起させるのです。ヴァン・ゲリスの流れる雨降る夜の街は、そうした情感をさらに強くしてくれるものでした。、、、、そうした彼らに対して、既存の社会は、絶対的な障壁を設定し、差別し、その欲求の実現を暴力的に抑圧する。、、、、、、、それに対して彼らは暴力で応える。、、、彼らの中に、自分達と共通する願望を認め、差別される姿に同感を覚えつつも、その暴力に抵抗感を感じながら映像に見入ってゆくことになります。そしてロイの最後。、、、、自分は、極めて短期間であっても、誰とも違う経験をすることができた、その経験を美しく抱きながら、この先の命を断念しようと、ロイは暴力を収め、運命に従いました。、、、、あまりに美しく神々しい。、、、この時、私という存在も、経験、思い出によって定義される存在であるということが、切々と了解されるのです。過去の想い出は、わたしという現象そのものであるのかもしれない、、、、、、。レイチェルが懊悩するのは、自分を定義してくれる、かけがえのない記憶、思い出が、実は偽りのものであるかもしれないからでした。、、、SFの魅力は、今と違う世界を描くことで、私たちの想像力を刺激し、刺激された想像力で、ふと今の世界を見たとき、今の世界が違った形で豊かさを回復してくれる、というところにあると思います。そしてこの作品は、そうしたSFの魅力を見事に実現していると私は考えます。
10点(2004-06-03 12:06:01)(良:4票)
36.  天井桟敷の人々
わたしが大切にしたいと思う価値観、感情がこの映画には散りばめられています。、、、、、、最初、映画館で見たときは、長くて腰が痛くなりましたし、特に深い感動もありませんでした。アルレッティはおばさんだし、ジャンルイバローのパントはあまりにゆったりとしているし、画面は白黒で衣装や装置の細部は不確かだし、、、、。ただ、その後、ビデオを購入し、何度か見るうちに、じわじわと虜になり、最愛の映画になりました。どうしてなのだろう???、、、、、、、そう考えてきて今、わかりました。わたしが大切にしたい価値観がここには溢れていると。、、、、、ルメートルのように全てを天職に傾けたいという感情、ラスネールのように斜に構えたい心情、バチストのように昔の感情を爆発させたい気持ち、、、、、飲んだくれてラスネールに気前よく振る舞い、また決闘にまで臨んでしまう軽はずみ加減、、自分の中の嫉妬心を客体視して「これでオテロがわかった」とする前向きさ、、垣根を設けず乞食の演技にも瞠目するバチスト、、、、、、などなどなど。、、、ただ一点、人生とは、カーニバルのようなもので、そこでは、人の大きな流れに囲まれ、自分の位置を定めることができないものなのかどうか、これから考えて行くつもりです。
10点(2004-06-03 11:43:13)
37.  ノー・マンズ・ランド(2001) 《ネタバレ》 
映画音楽が全く使用されていません。・・・・映画音楽とは何なのだろう、と考えさせられました。・・・・・地雷をセットされた兵士は、旧ユーゴを象徴させているのでしょう。「解決できない」「動いたら爆発する」というのは、旧ユーゴの民族対立でした。ラストで横たわった兵士は旧ユーゴの地図に重なります。・・・・地雷は本当に外せないわけではないでしょう。もしそんな状態なら、一連の動きの中で爆発しているはずです・・・・・最後のセリフが強烈でした。国連軍司令官「夜に塹壕に相手が進出する予定だと伝えろ」→当然、両軍とも夜になれば塹壕を激しく砲撃するでしょう。国連軍司令官は、そうやって、地雷兵士を抹殺し、証拠の隠滅をはかっていました。・・・・レポーター「塹壕の中には何もない」→世界の旧ユーゴへの無関心を象徴させていました。・・・・・争っていた二人は、セルビア人とクロアチア人なのでしょう。セルビア語とクロアチア語は、ほとんど同じで意思疎通が可能といわれていますから。・・・国連司令官がTシャツで出てくるのは、秘書との情事の後だからでしょう。ハリウッド映画だと、そういう乳繰りあうシーンを入れるのかもしれませんが、この映画には、そんなサービス精神はありません。・・・・・・全体として、良くできた大人の映画でした。ただ、これが映画として面白いのか、と考えると、どうかなー、と思えるので、1点減点です。(旧ユーゴ紛争のおおよその図式がわかっていても退屈なので、そんな10年以上も前の出来事に係わっている暇のない現代の若者には、もっと退屈な映画ではないだろうか、と思います)
[DVD(字幕)] 9点(2012-05-20 00:07:28)
38.  CASSHERN
唐沢俊一氏がどこかで、キャシャーンは、映画ファンからは総スカンを食らったが、アニメファン(→原作アニメという意味ではなく、アニメオタクという意味)からは絶賛されている、といっていました。そこで、自分がアニメオタクの感性は持っていないことを確かめるために、どれどれ、と思って見ました。・・・・・・出だしから、ナチズムの安易なイメージ化のようであり、やっぱり、と思っていたのですが、・・・やがて、これは少なくとも「ハウルの動く城」よりはましだ、と思い始め、・・・・ついには、なかなか面白いではないか、と感じるようになってしまいました。・・・・アニメではなく、普通の映画でもなく、むしろ芝居の延長にあるような作品でした。そして劇的と感じられる部分が幾つかありました。・・・・・ただ、冗長ですね。愛だの憎しみだのと、同じことを叫び続けると、言葉の持つインパクトがだんだん弱くなって、かえって逆効果でしょう。・・・・・・ということで私の感性は、アニメオタクの感性に近いのかもしれない。ショック。
[DVD(邦画)] 9点(2007-06-10 22:42:50)
39.  さらば、わが愛/覇王別姫 《ネタバレ》 
劇中劇と現実が渾然一体となり、ほんとうに項羽と虞姫が2000年の時を越えて現れたかのような錯覚を覚えさせる、、、、というのが映画全体としての狙いではないかと受け取れました。というのも、蝶衣が一番最後に自刃することや、最初と最後に観客のない、幻想性のあるシーンを設定してあることなどは、そうでないと説明できないように思うからです。・・・・そして、全体として、中国版の『旅芸人の記録』だとも受け取れました。・・映像も美しい。蝶衣は本当に綺麗だ。中国の激動の歴史もよく伝わる。・・・・では、その狙いは成功しているのか、と問われたら、わたしは、あまり成功していない、と答えたいです。・・・どうしてかというと、項羽と虞姫の史実よりも、蝶衣と小樓が生きてきた、波濤の中国現代史の方が、遙かに重く感じられてしまうから。・・・・特に、文化大革命の時に、お互いを罵りあい、かつ菊仙が縊死するという、あまりに重たい現実。これを華やかな京劇に包み込んで、項羽と虞姫の史実と一体化させようとしても、その現実の方が、あまりに大きくて重い。・・・・・結果として、この文革の現実を乗り越えて、蝶衣がどうして愛を継続させることができたのか、というところがわからない。また、虞姫は蝶衣に十分に重なるとしても、小樓は項羽とは重なりにくいし、また小樓の蝶衣に対しての愛情が十分に伝わってこず、蝶衣の片思いの話しでは、項羽と虞姫には重ならない。・・・・・・まとめてしまえば、この映画は、最初と最後のシーンのアイデアから出発したのではないかと疑わせますが、製作の過程で、中身が、最初のアイデアを遙かに凌駕してしまったのではないか、そのために全体としてのまとまりに今ひとつ欠けてしまったと思いました。蝶衣の自刃がないと話しにけりがつかないけど、余計だ、と思うのです。
[DVD(字幕)] 9点(2007-04-03 13:21:09)(良:2票)
40.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
いやぁ、テンポは良いし、よくできた映画でした。それに、中谷美紀は頑張りましたねぇ。・・・・・・だけど、毒だらけの映画というか、アンチ三丁目の映画というか、positiveなところは何もない映画というか、根底に怒りと諦めを抱えた映画というか、、、、、、、。「何を与えられるかでなく、何を与えるかが大事」という、ケネディの有名な演説のパロディが出てきたあたりで、この映画の私なりの解釈というか、見方が定まりました。・・・・要するに、最初から最後まで、この松子ってやつは馬鹿なやつだ、ゲハハハハハ、全く主体性もなく、いつも受け身で、それでいていつも正直で、真面目で、要するに、死ななきゃ治らんぜ、どはははは、という感じで、見なきゃいけないわけです。感動したり、同感できるシーンは皆無です。・・・・馬鹿だね、酷いね、と見なきゃいけないわけです。・・・・・・・何か具体的に、ポジティブにいいたいことがあるわけでなく、「人生なんかに意味はないのさ」と、徹底して相対化したとき、見る人、それぞれに何か、思うところが残ればいいじゃないか、というのが監督の立場ではないかと思いました。・・・・・・・そうやってみるとき、例えば、片平なぎさを笑いながら、彼女がアイドルだった頃を思い出し、人間綺麗には生きられないさ、ということに気付きつつ、それでもしっかりと彼女のように生きていくことに、何ともいえないポジティブなものを感じるようになるのです。・・・・テンポよく楽しく見ることができますが、難しい映画でした。・・・・こういうのは0点か10点かどちらしかない、とも思いましたが、片平なぎさのように大人になって、9点。
[DVD(邦画)] 9点(2007-01-15 14:09:36)
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284.26%
3157.98%
4168.51%
5189.57%
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72010.64%
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