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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1249
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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381.  ふたりの旅路 《ネタバレ》 
ラトビア・日本の合作だそうだが、まとまりが悪い。 まず、場所がリガである必然性が感じられず、要は神戸市とリガ市が姉妹都市だから、ということで感覚的に正当化するしかない。観光映画という意味もあるようだが、ピンポイントの観光案内的で街全体としてのイメージが得られにくい。なお「ルンダーレ宮殿」は美麗だがリガにはない(南方約80km、リトアニア国境に近い)。 また着物の話かと思っていると、そのうち料理にテーマが移ってしまうのは変だ。着物+和食ということなら、ラトビア側からすれば要は「日本」だからと一括して問題ない??と思うかも知れないが、実際作っていたのは和食でもない。握り飯でも作ってみせればよかっただろうが米がないか。 ほかラトビア側からは人間の鎖(1989年)、神戸側は震災(1995年)の話題が出ていたが、6年も時間差があるものを同時期のようにごまかして語っていたのは無理がある。さらにいえば、日本側関係者が全て神戸の人間なわりに、誰ひとりとして関西弁を話さないのも何だとは思うが、まあそこまでは言わなくてもいいかも知れない。  監督・脚本はラトビア人とのことだが、悪い面で邦画くさいのが鼻につく。ドタバタじみた展開で見ている方が気まずくなり、またzutisだと何度言われても聞き取れないのは非常に苛立たしい。深夜の旧市街で、変な日本人が一人でしゃべっているなど近所がどう思うかと気が気でなく、また噛み合わない会話からとんでもない事態に発展していくのも素直に受け取れない。これは昭和の喜劇映画でも志向しているのか。 物語の本筋に関しては、何が表現したいかわからなくはない。主人公が独り言をいうようになった事情を聞くと心が痛いが、今回の旅行でやっと心の中の夫に向き合えるようになったらしい。また気に障るから怒鳴るなというあたりは、古い日本式の夫婦関係が表現されていたように思われる。「理屈っぽいかも知れないけれどもいつものようにね」というのは万国共通かどうか。 そのほかこの映画の最大の特徴は、日本を代表する名優の表情を大写しでじっくり見せることだった。良くも悪くもこの役者ならではという登場人物になっていて、人によってはこれが何よりの見どころかも知れない。あんな台詞が初めから書いてあったわけはないが、あとでからラトビア語に訳したということか。
[インターネット(邦画)] 5点(2020-08-08 08:57:27)
382.  365日のシンプルライフ 《ネタバレ》 
自伝というかドキュメンタリー調のようだが、積雪のある時期にわざわざ全裸で倉庫へ走るなどはいかにも作為的である(前日は倉庫から全裸で帰ったということか)。全体的にストーリー性が弱いので退屈に耐えながら見たが、最後には少し和ませる仕掛けがなくもなかった(祖母に似た感じだったような)。男連中の顔などは見なくていいが、上から目線の従弟のど素人っぽい顔には笑った。また風景映像の印象は悪くなく、背景音楽の北欧ジャズもいい雰囲気だった。  実験の内容に関しては、日本でいう高度成長期でもなかろうに、モノがあるほど幸せと思う人間など今どきどれだけいるかと思うわけで、前提からしてちょっと違うのではと思わせるものはある。そもそも実験を始めたきっかけがそれなら結局どうすればいいかは最初から見えており、弟や友人などの好意もさんざん当てにしておいて、結局何が一番大事なのかというのもありきたりな結論というしかない。ただ公式サイトによれば、公開時には「多数の“実験”フォロワーが生まれ」たとのことで、別に主人公と同じ結論を得る必要はないわけなので、真似してみること自体はいいかも知れない。 個人的に真似する気はないが思ったこととしては、自分としては今あるものを全部捨てて家を空にしてから墓に入りたいという願望が昔からあるので、それが終活の大きな課題になることは改めて認識した。その一方で映画に関することでいえば、動画配信サービスなどで見て終わりにしておけばいいものを、形あるものとして手元に置きたくなってDVDなり何なりを買ってしまうということがある(最近の例では「地獄少女」)ので、そういう欲求を抑えるのが生きている間の課題かとは思った。  なお真似するにしても全裸になる必要まではないだろうが、ちなみにフィンランド人はサウナに入った後に全裸のまま外に出て湖に飛び込んだりする人々だそうで、全裸で走るのにも抵抗がなかった可能性はなくもない。以前にNOKIAの日本支社長が、社内のサウナに入ってから屋上で涼むのが周囲のビルから丸見えになるので日本人社員が困ったという話を読んだこともある。映画と関係ないが。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-08-01 08:49:48)
383.  ゾンビプーラ 《ネタバレ》 
「シンガポール初のゾンビ映画」だそうである。題名のZombiepuraは、国名のSingapura(獅子の町)のもじりだというのは言われなくてもわかるかも知れないが、自分としてはこのネーミングに引かれて見る気になった。ちなみにエンドロールを見るとzombieは漢字で「喪屍」と書くらしい。また今回関係ないがいわゆるキョンシーは「殭屍」(固い死体)である。 ジャンルとしてはホラー/コメディだそうだが別に怖くはなく、また国内向け宣伝で「抱腹絶倒」と書いているがそれほどバカ可笑しいわけでもなく、コメディ調ではありながらも普通に悲劇的な場面もあったりする普通の物語になっている。漢字の題名は「屍殺軍營」とのことで、ほとんど軍隊の兵営内のためスケールが小さく、日本でいえば学園ゾンビ映画のように見える。「筋肉の記憶」とかゾンビ除けの秘薬といったものが特徴的な要素だがそれほど独創的な感じでもなく、またゾンビの群れが特定の音楽に反応するのは、個人的にはAKB48メンバーが出た学園ゾンビドラマ「セーラーゾンビ」(2014)を思い出した。 なお障害物競走は少し面白かった。また最後の祖母の件は笑った。  現地の事情はよくわからないが、主人公が軍隊にいたのは志願したわけではなく、兵役(2年)を務めた後に毎年集められる予備役だったようで、当事者としてはとにかく何もせず楽に過ごして早く帰りたい状態だったらしい。しかし今回の件で守るべき者の存在を意識したことで、訓練ではできなかったことも自分の力でできるようになり、同じ任務の仲間と協力し、国旗に導かれて?小さな勝利を得たという話に見える。 シンガポールは面積的には小国ながら、豊かな国らしく侮れない軍事力があるようで、この映画のようなだらけた状態が普通なわけではないとは思われる。しかし現実問題としては主人公のように、戦争などゲームや映画でしか意識していない連中ばかりなのを兵役で使う苦労があるのだとすれば、ここでちょっと平和ボケを矯正してやる、という意味もあるのかも知れない。それにしても基本的に平和な国ということだろうが。  なおキャストは地元の役者のようで当然知らない人ばかりである。唯一の若手女子であるXiao Ling(小玲)役はJoey Pink Lai(黎格欣)という女優・モデルのようで、劇中では美女と言われていたが、少しタヌキっぽい愛嬌のある顔で和んだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-04-11 22:27:33)(良:1票)
384.  米中開戦 20XX年: 悪魔のシナリオ 《ネタバレ》 
ニュージーランドの映画らしい。脚本・監督・プロデューサーの人物と、少なくとも主演女優は同国出身、撮影場所も同地である。どうせしょうもない映画だろうとは思ったが、IMDbのユーザーレビューを読んで大笑いしたので見ずには済ませられなくなった。 邦題はともかく当初の時点では北朝鮮・ロシア・中東に国際紛争の火種があり、このうち最初のが世界大戦につながった形になっている。いきなり大軍で侵攻してから全面核戦争にまで発展するなどまるで20世紀の発想だが、しかしそういうのが第三次世界大戦のイメージだとすれば、劇中の中高年の道楽で起きるようなのが原題の「第四次世界大戦」というつもりかも知れない。 物語的には一応、人類存亡の危機に警鐘を鳴らす体裁になっており、悲しみや憤りも表現されている。日本人なら反戦映画として見られなくもないが、それほど真面目に見るものとも思われない。 なお日本は当然破滅する側だが、当のニュージーランドは最後まで出て来ない。自分だけ離れた場所から北半球の破滅を眺めて面白がっていたようでもあり、いわば劇中の愉快犯の位置にいたということらしい。  映像面では各種兵器や戦闘場面が豊富だが、多くは本物の戦闘や演習や訓練などの映像をつなぎ合わせてそれらしく見せたもののようで、それがこの映画の最大の特徴である(素人動画にもありそうだが)。ちなみに艦隊の映像は環太平洋合同演習(リムパック)の映像が使われていたようで、個人的に贔屓にしている「ちょうかい」DDG-176が映ったのは嬉しい(邦画「空母いぶき」では変な名前に変えられてしまっていたが)。また同演習に参加した中国のジャンカイ級フリゲート(572衡水)の映像が使えたのはストーリー的に都合がいい。 ほか個人的にはリトアニアにNATO諸国の戦闘機が配備されているというのが興味深かった(ノルウェーのF-16など)。ほかにも軍事ファンの人々ならいろいろ見どころ(突っ込みどころ)があるかも知れない。自分としては「空母いぶき」と同程度には楽しめる映画だった。   [2022-05-14追記] いきなり大軍で侵攻してから核戦争に発展するなど20世紀の古くさい発想かと思っていたが、今年のロシア軍のウクライナ侵攻を見るとそうでもなかったらしい。この映画で国際紛争の火種になっていたのは北朝鮮・ロシア・中東の3つだったが、ロシアというのもありえなくはなかったことがわかる(映画でもウクライナや黒海が出て来る)。 なお劇中の道楽オヤジはいわゆる陰謀論的な世界観の所産のようでもあるが、現実問題としては人類文明を滅ぼすなどという、誰の得にもならない(本人も得しない)ことを趣味的にやらかす者はいないと思うのが普通である。その点で荒唐無稽な映画であるのは間違いないが、それにしても今回若干見直したところもなくはなかったので、最初は4点だったが少し点数を上げておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-02-13 23:06:58)
385.  デスフォレスト 恐怖の森5 《ネタバレ》 
監督・脚本がまた代わっている。福田陽平監督はこの手のホラーではお馴染み感がある。 今回は本格的な東京進出ということで、渋谷を舞台にした若者の生活圏が表現されている。「…チャン」とか「…メン」とかの若者言葉(オタク用語?)が多用されていたが、変にくどいので劇中人物までが「どうなってんだよ最近の日本語」と言っていたのは笑った。また若者なら知らない者のない?フリーゲームとの関係について、因果関係を逆にしていたのは一応の言い訳になっている。 映像技術の面では前回以下のようだったが、上空にいて獲物を見つけると降下して来るのは悪くない。今回も鳥のイメージだったかも知れない。  内容的には、若者の集まる街で被害が広がる展開のためやたらに登場人物が死んでいく。五次元だの仏教だの適当なことを言う奴は必ず死ぬ、とか思っていたら順当に死んでいたが、どうも最後は本当にそういう結末になっていたらしい。レギュラーの男はみなが行くところに毎回行けず、一人取り残される境遇を嘆いていたということか。また蝋燭が108本消えたからには、もしかすると平成の怪異はこれで終了なのかも知れない。 それにしてもバケモノ連中の正体は結局明らかにされず、前回のミステリー展開は一体何だったのかという思いは残る。しかし今回は時間も長くして(1時間半もある)、賑やかに盛り上げておいてから有無を言わさず終了した印象があり、ここでシリーズが打ち止めになったのも一応納得だった。いわば5連作の最後を飾る娯楽大作といった位置づけかと思われる。  なお今回は美少女・美女系だけでも大人数になっており、ほかにお笑い関係とかコスプレーヤーとかいろいろ出ていたようだがほとんど知らないので誰が誰だかわからない。個別の人物で印象的だったのはアイドルオタで、「女の子を守ったり…する…推しごと」を実践しようとする気概を見せていたのは感動した。こいつはヒーローだと思ったがやはり順当に死んでいた。 ほとんど唯一見たことがあったのが秋山依里(元・秋山奈々)という人で、前に見た「アイズ」(2015)では無駄にかわいい精神科医役だったが今回は刑事をやっている。同僚刑事の「正義の味方だよバカヤロー」も感動的だったが、この人もカワイイので絶対正義で間違いない。登場人物がほとんど全滅する中で、この人は無事に終わってハッピーエンドだった。
[DVD(邦画)] 5点(2020-01-25 10:29:35)
386.  仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判 《ネタバレ》 
シーズン1(2016)、シーズン2(2017)に続く総まとめの劇場版で、それぞれの再編集版の劇場公開(2018/5/5、5/12)に続き5/19に公開されている。 今回は畜産計画なるものに関わるエピソードだが、最初に出た食料事情の説明が荒唐無稽な上に、そもそも食料としての優位性がどこにあるのかわからないので現実味は薄い。山中の養護施設のようなものも浮世離れしてスケールが小さいが、ダークファンタジーというか寓話的な物語とはいえる。無垢な少女の肢体を欲する好色ハゲオヤジというのも古色蒼然たる図式だった(芸能界では普通なのか)。  内容的にはこれまで同様激しいアクションで暴力沙汰が多く、こんなに血が出てよく生きているものだと思った。 一方で、以前からのトーキョーグール路線にはここで一定の結末をつけたように見える。人間を食わなくても生きられる、という点は非常に大事なことで、これで例えば現実世界のクマのようなものかと思えるようになった。赤の方はクマとみれば全部殺す執念の男だが、緑の方は人に害をなさない限り生かすべきという立場とすればわかりやすく、それで最後に赤が敗退したのは自然ともいえる。ただしいつ豹変して人を食うかわからないのでは、本来は人を食わないクマより危険だろうが、話が通じる点ではクマよりましであり、ここはクマとの決定的な違いである。 また、食う食われるの関係を善悪の話で終わらせなかったのもまともな態度である。結果としては気色悪いジジイが言っていたように、生態系が常に変化する中で、生きるために生きる生物が生き残る、という普通の見解で終わったようで、あとは人間の立場として人間が生き残れるよう、やるべきことはやらせてもらうということになる。ただ何をどうするにしても冷徹な判断だけでなく、気持ちとか思いとか心も重要だということを言っていたような気はした。 自分としては特に面白いシリーズではなかったが、あまり観客が関心を持たなそうな面でもいろいろ考えながら作っているようではあった。  ほかキャストとしては、武田玲奈さんが最後まで良心的な役柄で、優しいお姉さんの顔を見せていたのはよかったが、ただ劇中事情に即していえば、この人物はそのうち不良少年に食い殺されて終わりと思われる。また東亜優さんはクラゲでもなく慈母のような存在で、こんなところで膝枕もいいかも知れないとは思った。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:48)
387.  劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season2 輪廻 《ネタバレ》 
シーズン1に続くその2である。前回と同じく2017年4~6月の13話からなるシーズン2を1/5弱に短縮した再編集版で、シーズン1の公開(2018/5/5)一週間後の5/12に劇場公開されている。 単純な続きではなくいきなり5年後になっており、冒頭に少しだけつなぎの部分があるが超ダイジェストのため、かろうじて子ができたことがわかっただけである。その後も何をやっているのか不明な場面が多く、さすがに総集編だけで見るのは厳しい気がした。例えば赤いのが人間を守る方針だった理由は、つなぎの部分でも説明があったようだが、結局Wikipediaの記事を読むまでわからなかった。  物語的には前回に続いて「東京喰種 トーキョーグール」路線に見えるが、登場人物の間で劇中世界への対応姿勢に違いがあることは明瞭になっている。対立する立場のうち、赤いのが「人間は守る」と言っていたのは人類にとっての共通認識であるから、視聴者の立場としてもモグラに死んでもらう必要があったのは間違いない。一方の緑は当事者として自分なりの判断基準を持っていたようで(よくわからなかったが)、目的に応じて赤とも人とも共闘する姿勢だったらしい。 今回少し注目したのは「楽をした分誰かにつけが回る」で終わる一連の会話だった。前回の駆除班がなぜかいつまでも5円玉の御縁にこだわるのは呆れたが、そういう情に流されてどっちつかずの態度を取るのでなく、まずは自分の立場をはっきりさせる(旗色を鮮明にする)ことが大事ということかと思った。劇中でいう「ちゃんと向き合う」というのも、その上でのことだったようである。  キャストについて、武田玲奈さんはやっと前面に出るようになったが、今回はどうもヒロイン役を別人に取られてしまった印象もある。そもそも可愛く見せようという気がないのではと思ったが、しかし劇中人物としては自分の方針をしっかり持っていたのがいい役柄に見えた。また東亜優さんはいきなりお母さんになったあげくにクラゲというのも困った展開だが、上半身裸になって(!) 胸は見せない場面もあったりした(特にエロくはない)。子が父母のそれぞれに似ているというのは泣かせどころだったかも知れない。 そのほか、この手の番組でウニが出て来たのは初めて見たと思ったが、実は昔の仮面ライダーシリーズでも結構出ていたらしい。今回は殻の中身まで見せたようなデザインが秀逸だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:45)
388.  劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season1 覚醒 《ネタバレ》 
仮面ライダーシリーズの劇場版である。今どき「アマゾン」である理由に関して、劇中でも開き直ったような説明は一応あったが、それよりこれ自体がAmazonプライム・ビデオで公開されたオリジナルコンテンツだそうなので、そのこととの関連で捉えた方が素直に納得できる。 この映画は、2016年4~6月の13話からなるシーズン1を1/5以下に短縮した再編集版とのことで、総まとめとなる劇場版の公開(2018/5/19)に先立ち5/5に劇場公開されている。総集編のため細かいところは飛ばしているのだろうが、大まかな話としてはわからなくはない。ちなみにもとの13話も追加料金なしで見られるがそこまでの熱意はない。  まずアクション部分はかなりハードな印象があり、力任せの生体破断など残酷というより豪快で、自己の存続をかけた容赦ない闘争の表現に見える。ただし自称が「ボク」の男が2人もいるのは気色悪く、そんなことで同情を買おうとするなと言いたくなったが、そういう甘ったれも最初のうちだけだったらしい。 一応は子どもを含む広い世代が見る想定のようだが、ただし製作側が意図したように「30~40代の男」にとって「見応えのあるもの」かどうかは何ともいえない。特に、ちょっと恥ずかしいほど「東京喰種 トーキョーグール」と似たようなことを言っている(2017年の映画しか見ていないが)のでまたこの話かと思わされるが、しかし最後になると赤いのがあくまで「人間を守る」と宣言する一方、駆除班までが反対側に味方したりして、それほど単純な図式でもなかったらしい。これを見た限り緑の立場は微妙なようで、そのうちどこかで無理が出るのではという気はしたが、とりあえず今後の動向を見るしかない。  キャストに関しては、個人的に最大の見どころになるはずだった武田玲奈さんが、この再編集版ではほとんど出番がないので落胆させられる。こんなことならかえって変に危ない場所に出て来ないで別のところで可愛く女子高生でもやっていればいいのではと思ったが、キャスト配列順を見るとヒロイン役(緑の方)の位置付けのようで、次回以降は活躍の場があるのかも知れない。また東亜優さんも素性不明の役だが、同じく大人のヒロイン役(赤の方)ということになるので、そういうことも含めて期待感を高めておくことにする。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:41)
389.  指恋 ~君に贈るメッセージ~〈web〉 《ネタバレ》 
エイベックスとソフトバンクが運営していたスマートフォン向け配信サービスのUULA(2013~2017)が製作したwebドラマである。本来は1話10分で全12話あり、全部つなぐと映画1本分の長さになる。 宣伝上は「恋に踏み出せない女の子」を応援するドラマということで、中高生向けのケータイ小説とかが原作かと思ったらオリジナルの脚本らしい。最初のうちは中高生というより中学生向けかとも思っていたが、後の方では少し対象年齢が上がったように見えるので、あまり侮ってかからないで虚心に見た方がいい。  物語としては、日本人男女になぜか外国人の男を加えた三角関係ということになっているが、実際はさらに2人を加えたW形にして一定の複雑性のある話を作っている。終盤の「おれに聞くなよ」以降、次第に明らかにされていく真実はありきたりともいえるが、それまで納得いかなかったことも最終的に全て解消され、結果としてけっこう悪くない話ができていた。 また題名に関して、映画紹介ではスマホのメールで思いを語ることだと説明されており、いかにもケータイ小説じみた軽薄なネーミングと思っていたが、実際見ればちゃんとまともな意味があることがわかって少し感動的だった(こんなドラマで感動したなどと言いたくないが)。また副題にいうメッセージは、字で書くと「웃어줘」だと思われる(これで正しいかどうか)。  キャストに関しては、主演の瀧本美織という人はよく知らないが、劇中で「普通の子」と言われていた通りの地味な容貌に見える。ただしそもそもが美形のため、これで「“非モテ”女子」といわれても現実味はない。 一方でライバル役の山谷花純さん(エイベックス所属)は、この頃まだ16歳くらいだろうが主人公と同じ女子大生役で、単純な可愛さではなく大人っぽさと個性を前面に出し、主人公が劣等感を覚えるだけの存在感を見せている。こんなwebドラマの場ではあるが、なかなかの大役を務めている印象はあった。ほか主人公の叔母役は、発声のせいで台詞が聞き取りにくかった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-12-14 08:58:11)
390.  ディール・ブレイク 《ネタバレ》 
アイスランドの映画である(寒々としている)。シリーズ2作目とのことだが、単純な続きではなく独立的なサイドストーリーのようなものらしい。 内容としてはアクションのあまりないクライムサスペンスである。最後の部分を除いて説明的なところは全くなく、専ら状況に語らせる展開なのでわかりにくい。また日本人にとっては顔の見分けがつきにくいのも問題で、せめて人名はまめに出してもらいたいものだと思った。  物語としては麻薬の密売に関わる犯罪組織が、警察内部に協力者を確保しながら街の支配権を争う話になっている。この2作目では警察官が主人公だが、その警察でも内部統制が緩く、情実人事とか汚職を見て見ぬふりの風潮があったらしい。また血讐blóðhefndの風習を残しているかのような場面もあり、それでは何のために警察があるのかもわからなくなる。刑務所の看守が受刑者と癒着していたのも問題で、そういう現代の先進国らしからぬ現状を批判する意図があると取れなくはない。 しかし人口35万の小国であることから、警察一般への批判というより特定機関を名指しで悪事を暴くような印象が出ており、これを単なるフィクションとして見るのは結構難しい。何か確証があって告発しているのか、または存在しないことをでっち上げてまで社会批判したいのか、あるいは実態と関係なしに自国を舞台にした犯罪映画を作りたかっただけなのかがわからないので非常に困惑する。 ただエンドクレジットを見るとアイスランド産業・革新省?が制作に関わっており、またレイキャヴィーク首都圏警察その他国家機関も協力していたらしいので、少なくとも国と一線を画した立場で権力批判していたのではないようでもある。そもそも2013年に初めて武装警察の発砲で人が死んだことが話題にされるお国柄で、こういう犯罪映画が成り立つのかと思うわけだが、しかし外務省(日本)の海外安全ホームページによると、この国にも「麻薬の常習者や売人」がいること自体は間違いないらしいので、こういうことも絶対なくはないという程度に思っておけばいいのか。どういう見方をすればいいかわからないのでかなり混乱させられる映画だった。  なお劇中の外国人について、パレスチナ自治政府の旗のあるレストランは難民の経営だろうが、セルビア人の密売人も90年代のユーゴスラビア紛争の難民だったらしい。そのセルビア人は、憎むべき悪人でいながら当人もかなり厳しい状況に置かれており、これから生まれる娘をネタに脅迫されていたのはお気の毒というしかない。悪の根源は内にも外にもあるが、本当に恐ろしいことは外の世界にあるということか。 ほか何気に日本車を貶める台詞が出ていたのは気に食わない。「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」(2009)に続き、個人的にはこの映画でまた対アイスランド感情が若干悪化した。
[インターネット(字幕)] 5点(2019-11-16 16:28:46)
391.  おクジラさま ふたつの正義の物語 《ネタバレ》 
題名(副題の方)にクレームを付ける目的で見た。 かつて“正義の味方”という言葉があったが、そこでの“正義”とは社会の構成員が安全・安心に暮らすために必要な共通認識を規範として守り、あるいは守らせるよう努めることだったと考えられる。要は“人を殺してはならない”といった類の極めて基本的なもので、だからこそ“正義の味方”の登場は子ども向け創作物に限られていたわけだが、だからといって子どもの世界にしか正義が存在しないわけではない。わざわざ口に出して言わないにしても、大人を含めた社会の全員が“正義の味方”でなければならないことになる(程度の問題はあるとして)。 そのような前提でいえば、副題のように正義が複数などということはありえない。現実には、何が正しいかについて社会の共通認識が得られにくい問題が多いにしても、逆にいえばそのような問題に対して“正義”という言葉を使うのは誤りだということになる。確かに個別の個人的見解や信念を揶揄するためにこの言葉が濫用されているのも事実だが、それが日本語の“正義”の意味を変質させ、さらには社会の構成員が守るべき規範が存在するという意識までも希薄にしていくことはないのかと危惧される。 この映画の副題は、そのような風潮を助長するとまではいわないにしても(そこまで影響力はないだろうが)社会の安全・安心を損なうことを平気で表現しているのは間違いない。解説文にある「正義の反対は悪ではなく別の正義」という言葉を使うなら、“人を殺してはならない”という正義の反対は“人を殺してもよい”という別の正義であって悪ではない、ということになるが、そういうことをこの映画は意識していたのかどうか。 さらにいえば、捕鯨問題のように人類全体の共通認識が得られにくい題材をわざわざ選んで“正義”を相対化して骨抜きにし、アメリカ発という高級そうな見かけを装って、日本人の多くが正しいと思うことをポピュリズムとして否定し侮蔑して貶めようとしているのではないかと疑っていた。全て副題の印象が悪かったためである。  そういう最悪の先入観のもとで見たが、実際は自分がこの問題に関して感覚的に思っていたことに沿った内容で、日本側へのメッセージも含めてそれほど反発を感じるところはない。外部情報によれば、完成前からアメリカで激しく批判されていたのをものともせずに発表したとのことで、少なくともアメリカに迎合しようとするものではなく、かえって作中で言われていた日本人のPR下手を助けるものになっている。結果として先入観の方が間違っていたことになるが、点数は本来の数字から副題分を減じてつけておく。「正義の反対は…」の英語原文の訳し方に対する反感である。 ほか余談として、登場人物の中立的(親日的)アメリカ人の話の中で「海兵隊を内陸(アイダホ)に投入してるようなもの」という表現はユニークで笑った。これ自体は反捕鯨団体の行動力に一定の敬意を示した上での発言だったが、ここで自分としては“活動的な馬鹿より恐ろしいものはない”という言葉を思い出した。もう一つ、少し可笑しいところとして、小学校で「ろうかはあるこう」と書いてあるのに平気で走る子どもらを映していたのは“元気な子どもたち”(または“大らかな学校”)の表現かと思われる。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-19 17:23:35)
392.  人間失格 太宰治と3人の女たち 《ネタバレ》 
初日に行ったが年齢層は若干高めだった。 実話をもとにしたフィクションとのことで、主人公のほか登場人物は実在の人物らしい。冒頭の入水事件を除き、ほとんどの部分は1946年に主人公が東京に移転してから1948年に死去するまでの足かけ3年の話である。 日頃この作家の著作に親しんでいるわけでもない男(走れメロスしか知らない)として共感できるものは特にないが、文豪の創作の背景を描いたものとして見ごたえのある映画と思われる(ただし少し眠くなる)。物語のほかにも映像面や役者の演技で見どころは多いだろうが、自分としてはカニを買った場面が好きだ(台詞と顔)。また題名の小説を書く前に主人公が死んでしまうのではないかと思っていたが、最後に執筆経過を手際よくまとめていたのはよかった。  事実がどうかは別としてこの映画で見た限り、主人公が創作のために何人もの女性を身勝手に翻弄したのは非道ともいえるが、しかしできた作品が傑作だから許されるなどと言い訳するまでもなく、この男はこのようにしか生きられなかったというだけに見える。主人公は最後までバカなままで死んだようだが、そのことで「3人の女たち」はそれぞれ最後に得たものがあったらしく、これで基本的にはハッピーエンドと取れる。また最後に傑作が残されたからには読者も得をしたわけで、他のみんなが喜ぶ一方で主人公だけがブチ壊れて滅んだという結末らしいが、そういう理解でこの作家のファンが納得するのかはわからない。 登場人物に関しては、何といっても「3人の女たち」が見どころだろうがそれほど極端にエロい場面はない。個人的な関心事として、山谷花純という若手女優がどこに出ているかと思っていたら最後まで気づかないまま終わってしまったが、本人によれば「田部シメ子役」とのことで、冒頭で入水した人物(実在)がそうだったらしい。出番は短いが「3人の女たち」に加えたもう1人の女としての位置付けになる。 なお主人公の長女役は名の知れた子役のようだったが、長男役の子役はどこから連れて来たのか気になった。  以上のようなことで、自分としては特に大絶賛ということにはならないが、鑑賞者側の限界のために評価しきれていないところが多いと思われる。そういう場合の通例としてとりあえず点数は5点にしておく。
[映画館(邦画)] 5点(2019-09-14 19:44:20)(良:1票)
393.  文福茶釜 《ネタバレ》 
「古美術ミステリー」の短編集を原作とした映画で、表題作の「文福茶釜」からマンガという要素を除き、代わりに「山居静観」の水墨画を加えて映画一本にしている。映画の舞台は大阪を中心とした関西である(敦賀は出ない)。 内容的には、騙し騙されというほど逆転続きの意外性はないが原作の雰囲気は表現されている。美術品に内在する普遍的価値どころか愛好者の主観的価値も問題にされず、専ら表面上の取引価格しか存在しないかのような世界観だが(「芸術」という言葉が一回だけ出る)、業界人同士の化かし合いは当然としながらも、素人は騙さないという点で一定の倫理水準を保っているのは原作由来のことである。  映画独自の趣向として、原作では登場人物が男(中高年)ばかりで極めて地味なのに対し、映画では女性の新人社員を加えることで華を添えている。かつこの新人を観客に近い存在として劇中世界との接点にしたらしく、顔だけで人を信用してはならないという初歩的な教訓を込めたオチを最後に付けている。ほか原作にはない主人公の生い立ちの話を加えて人情味も出しており、エンドロール後の場面は特に共感できるわけでもなかったが、その場面自体はあとに余韻を残すので悪くない。 少し困ったと思うのは、主人公の勤務先が美術雑誌の出版社という説明はあったが本業の場面がほとんどなく(冒頭の神戸は広告取り)、何で美大出の新卒がこんな会社に就職したのかよくわからなくなることである。この新人はとりあえず修羅場で真贋を見極める力を磨いてから、もっとまともな職場に移った方がいい。  演者については吉本興業の製作らしく関西芸人を揃えたようだが、それはいいとして根本的なところで問題なのは、大阪出身の小芝風花さん(むくれた顔がかわいい)を出しておいて東京言葉をしゃべらせるのはどういう了見なのかということである。自分としてはこの人が大阪弁で本領発揮というのを期待していたので多少の落胆はあったわけだが、それにしても素直で騙されやすい人物をわざわざ東京出身の設定にするのはいわば地域差別(逆差別?)のようなものではないか。真面目で正直な女性は大阪にもいるだろうが(多分いなくはない)。 そういうことで特に好みでもないが基本的には堅実な映画であり、原作ファンと小芝風花さんを見たい人々には見る価値があると思われる。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-07-27 12:59:22)
394.  カミングアウト 《ネタバレ》 
“LGBT”のうちのGayの青年が周囲の人々にカミングアウトしようとする話で、特に過激に思われる場面もなく穏やかな雰囲気で推移する。見たところ一般向け啓発ビデオのような印象があり、宣伝文では「きっと、あなたの価値観変わります」と書いているが、見ても特に変わった気がしないのは5年も前の映画だからかも知れない。 映画の作りとしてはどうも素人っぽいというか手際が悪く見えるところがあり、特に大学のサークルの場面は間が悪いようで笑える台詞も笑えなくなっているが、これはキャストというよりスタッフの問題ではないかという気がする。後半になるとそれほど違和感もなく、夜の静かな場面での虫の声などは効果的に思った。  物語としては、まず前半で主人公が人間関係に悩みながら覚悟を固めていき、後半でごく近しい人々に対し順次カミングアウトを敢行することになる。なおいわゆるアウティングに関する問題は捨象されているらしい。 相手の反応のうち、特に母親の嘆き(孫の関係)は単に無知とか偏見では済まされないことなので心が痛むものがあるが、これは他の劇中人物が言っていたように「人生にはままならないことがある」と思え、ということか。どうしようもないのはお互い様だということもあり、またLGBTだけが原因になるわけではないということもある。 今回は親しい人間に限定して実行していたわけだが、主人公としては今後も対象を拡大していくつもりだったらしい。一体どこまでやらなければならないのかと部外者としては正直思うが、ここはこの映画の持つ啓発ビデオの役割を主人公に負わせていたということか。社会の受容度が高くなれば当事者があえてハードルを越えようとすること自体が不要になるのは間違いない。 ちなみに親友に対しては告白が2段階になっており、2つ目はあえて言わなくてもと思わなくはなかったが、この映画として淡い恋物語の結末が必要だったということかも知れない。  なお監督・脚本は犬童一利という人物だが、著名な犬童一心監督との関係はわからない(年齢は約26歳差)。知っている役者はあまり出ていないが、高山侑子という人が主人公の後輩で普通に可愛い女子大生をやっている。ほか「協賛」としてNPO法人の名前と「Alfa Romeo」「TENGA」という企業名が出ていたが、後の2つは実際にLGBTに関わる社会活動をしている会社のようで、劇中でもそれぞれの製品を見せていた。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-06-07 19:56:18)
395.  恋とオンチの方程式 《ネタバレ》 
香川県さぬき市のご当地映画である。2002年に5町が合併してできた比較的新しい市だが、その中でも旧津田町の海辺にある「津田の松原」が重要ポイント扱いになっている。また「讃岐うどんバーガー」というのも最寄りのサービスエリアで提供されているものらしい。それ以外の場所としては「志度音楽ホール」(旧志度町)というのも使っていた。 監督は香川県の銀行に勤務しながら映画を撮っている香西志帆という人で、この映画は監督第2作ということになると思うが、今回は本広克行氏(香川県丸亀市出身)が関わっているせいか、第1作よりキャストに名の知れた人が多くなっている。また前回は「脚本と監督と撮影と編集」を一人でやっていたが、今回は撮影を別人が担当している。  内容的には「コミカルでキュートなほんわかラブコメ」だそうで、少女マンガ的というかドジな主人公と男2人の三角関係の構図の中に、主人公が生来のオンチ(の前にリズムンチ)を克服する成長ドラマを加えている。男女の物理的なからみが全くない清純派ラブコメなので子どもに見せても全く支障ない。またコメディ色も強いがアホすぎて大笑いというより失笑レベルだが、失笑続きだったので全体的には結構笑ったかも知れない(音響会社の高橋という男が目立っている)。 最終的にどうなるかはほとんど想像がつくわけだが、それまでの途中経過は尋常でない。バスガイドの話かと思うと突然ご当地アイドルの話に移行するので世界観が覆ったような印象があり、また登場人物に関係するサプライズ要素が2つもあって、それで素直に驚かされるというより呆れてしまう。特に終盤は何か食い違ったような展開で、ここは大物歌手の登場をうまく取り込めていないのではという気もしたが、そのせいで最後まで予断を許さない映画だったとはいえる。ただラストの締め方だけは正直呆れた(この顔を見せて終わりなのか)。個人的には「中学三年生」(1973)というのを聞きたかったが。  そういうことで変な映画を見てしまったという思いは残ったが、娯楽と割り切ればそれほど問題ない。見どころかが何かは何とも言えないが、「キュートな」部分といえば40代(1)、30代(1)、20代(2)の女子4人によるアイドルステージということになる。吉田羊さんかわいい!とか言ってみたくなるが、本心では大塚千弘という人が一番可愛いと思った。
[DVD(邦画)] 5点(2019-05-11 11:16:16)
396.  未来のミライ 《ネタバレ》 
公開時から悪評ばかりで全く見る気がしなかったが、米アカデミー賞ノミネートということで試しに見た。見ればそれほど真に最悪な映画でもなく、主人公の声も変だが慣れた(上白石萌歌さんの今後に期待する)。登場人物がやかましいとか気に障るとか言動が4歳児でないとか顔のデフォルメが極端なのは嫌いだとかいろいろあるが、どんな映画でも(特にアニメは)我慢を強いられる場面というのはあるものだ。主人公の家はそのうち高齢者用にエスカレーターでも設置しなければならなくなるだろうがそれは後の話だ。 物語に関しては、それまで主人公にとって自分が世界の中心だった状態から、周囲の空間的・時間的な広がりの中で自分の位置を捉えるに至った最初の体験という、いわば世界認識の転換(コペルニクス的転回のようなもの)が描かれているのかと思ったが、最後の庭の木の話からすると生命の連鎖のようなものがテーマだったということか。しかしどういう意味にしても、それを誰に見せようとしているのかはわからない。幼児が当事者意識をもってこれを見るはずはないので、要は親も子に育てられる面がある、といったようなことなどを含めて子育て世代そのほか思い当たる人々の共感を得たいという話なのか。何にせよ自分としては対象層から外れているので特に愛着を覚えるようなものではなかった。  なお主人公の行き先で少し注目したのは戦後すぐの横浜市磯子区(※)で、考証的にはどうかわからないがこういう景観だったのだろうなとは思った。世間の評判通り曽祖父は格好よすぎだ(「おら」というのが微妙な方言だ)。ちなみに復員輸送艦になっていた第九号輸送艦と航空母艦鳳翔が映っており、その鳳翔の解体が始まった昭和21年8月末までの間のことだったと思われる。 また未来の東京駅は結構好きだ。外国語表示の言語数が増えている(北東アジアばかりでない)のは好ましいことだが、ただし繁体字が見えなかったのは不穏なものを感じる。遺失物係は劇団イヌカレーかと思った。ケモノ新幹線に関しては、外皮の手触りを確かめてみる場面がなかったのが残念だ(モフモフかゴワゴワか)。 ※東京駅のアナウンスでは「いそいそ区」とか言っていた。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-04-20 14:58:41)(良:1票)
397.  ギョ<OV> 《ネタバレ》 
伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作としたアニメで、腐敗臭のする無数の歩行魚が沖縄に上陸、次いで東京にも襲来して大混乱に陥り、やがて世界全体が滅亡に向かうという話である。怖いというより気色悪さを前面に出しており(反則気味)、全体的にはパニック物という印象がある。 ストーリーはわりと原作に忠実で、主要エピソードは何らかの形で拾っており、原作で脱線に見えたところも入れてある。大きく違うのは登場人物で、原作の中心人物だった男女の役割を交換して女の方を主人公にし、原作に出ない男とともに最後まで生き残る形にしたのはアニメ向きの趣向かも知れない。なお膨れてガスを噴出する女は別のキャラクターを用意してある。またラストは原作と変えてあり、悲壮感と同時に強さも感じさせる終幕になっている。  アニメーションに関しては特に目を見張るようなものはないが、そこら中に漂う臭気を映像化しようとしてゴッホの絵のようになっているのが目につくところはある。 一方でどうも登場人物の設定とか言動とか安易な展開など安手のアニメ臭が鼻につく。特に主人公が公的に禁止されたことをやろうとして制止されると、止めた側を悪人にして駄々をこねて同情を誘うといったことをいつまでやっているつもりかと思う。また“世界全体”ということを表現するために、香港?の街はまだしも凱旋門・タージマハール寺院・赤の広場・エンパイアステートビルを次々見せるというのはわざと昭和ステレオタイプにしたのか何も考えていないだけか。 アニメ独自のテーマとしては、「目で見たものだけが真実」ということかも知れないがあまり納得しない。自分の目で見なければ信じないと言い張るのは、自分周辺の狭い世界でしか生きて来なかったアナログ時代の高齢者かと思ったが、膨大な情報が流通する現代ではかえって原点回帰が必要だと言いたいのか。それにしても事実関係はどうでも信じ込みさえすればそれが真実だというのでは情報源がどうかは関係ないではないか。ほかにも最後に何か微妙に言いたいことがあったようだがはっきり言わないので無視する。 そういうことで気に入らないところもあって特に褒める気にはならないが、原作マンガのアニメ化ということでは悪くない。若干の独創性を評価するかどうかは人による。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2019-04-13 13:30:45)
398.  誘拐少女<OV> 《ネタバレ》 
まず、見るからに低予算な上に娯楽性が全くなく、またDV男(妹尾青洸という役者)の顔を見たくないにもかかわらず最後まで出て来るのが不快なので、そういうのに耐えられない人は見ない方がいい。  内容としては極めて真面目な物語で、「大誘拐」のような痛快要素も全くない。要は父親のDVのせいで離婚した母親の娘2人(中高生)が、現状を打破するためにとんでもない行動を起こしたが、結果的には何とかなったという話である。 そもそもの動機は妹の復讐だったようだが、これはこの面で一歩先んじていた姉が収めたらしい。また学費は母親も納得の上で父親に出させることにしたと想像される。妹が自分は父親似ではないかと気にしていたらしいのは気の毒だが、しかしそこは姉が言ったように、自分で何とかしていくしかないという現実的な対処が見通されていたようである。少し困ったのはラストの一瞬で、姉妹の前面(カメラ位置)に誰かがいたかのような表情に見えたのが意味不明だったが、しかし適宜に解釈すれば、朝に意を決して出て行った姉妹が夜になって凱旋し、その時点ではもう父親からも母親からも距離をおいた一人の人間としての顔を見せていたと思えばいいか。 一方で、当のDV男も本来悪い人でないことが一応アピールされてはいたようだが、しかし本性の善悪がどうあれ威圧的・暴力的な言動が許されないのは当然のことである。こういう人間は一生治らないだろうから最後は孤独に寂しく死んでいくのが正しい結末だろうが、その前に学費を出させる必要があるので今すぐ死んでもらっても困るわけである。  ところで姉妹2人とその幼少時の2人がスターダストプロモーションの所属で、製作がSDPなので自社タレントのPR映画と思うが、その割に主演2人を可愛く見せることが優先されていないのはドラマ重視ということらしい。姉役の高橋春織という人は困ったような情けない表情が多く、美少女ともいいにくいが愛嬌があるとはいえる。また妹役の浅見姫香という人はとにかくきつい顔で、可愛いともいいにくいが美少女といえなくもない。とりあえずこの2人は印象に残ったので若手女優紹介の役目は果たしていたかも知れない。 ちなみにこの後に同じ監督の「恐喝少女」(2015)、「強盗少女」(2015)というのが制作されていて、「少女犯罪シリーズ」といわれているようだが特に見る予定はない(今回のがあまりに地味)。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-02-08 23:21:46)
399.  海すずめ 《ネタバレ》 
愛媛県宇和島市の映画である。公式サイトによれば、宇和島藩主だった伊達家の第十三代ご当主が企画段階から関わったようなことが書いてあり、劇中でも本人役の出演者になっているが、これほど殿様が前面に出るのはご当地映画の新しいパターンかも知れない(蔵を訪ねた場面の演出には笑ってしまった)。主人公の名前(及び題名)の由来になったのも伊達家の家紋「竹に雀」だが、これは基本的に仙台の伊達家と同様でデザインを若干変えているらしい。 映画宣伝には「今でもお殿様が存在する珍しい街」と書いてあるが、ただし仙台の伊達家のご当主も現在は仙台市在住と思うのでそれほど珍しくない。ちなみにうちの地元の殿様は一貫して地元在住で地元貢献も多大なので宇和島伊達家には全く負けていない(石高も多い)。  内容としてはかなりいろんなものを詰め込んだ印象があり、そもそも主人公に自転車乗りと作家志望という2つの性格付けがなされているのでイメージが統一できない。ストーリーとしても「宇和島伊達400年祭」関連の文献探し(+島の高齢者)、主人公の作家としての成功と、図書館の自転車部門の存廃(+同僚の今後の生き方)の3つの話が並行しているように見える。主人公の台詞で「全てはつながる」と言っていたが、一応つないだようでいて個別に決着つけただけのようでもある。 この中で特に自転車の話を出す必然性がどこにあったのかと思うが、これは宇和島というより愛媛県として自転車関連施策を推進しているからではないかと想像される。宇和島市の図書館に自転車課はないだろうが、県庁には「自転車新文化推進課」というのがあるようで、そのように各方面の思惑がからんだ映画に見えた。  キャストに関しては、主演の武田梨奈さんは自転車をこいでいる健康的な姿と作家志望のキレイなお姉さんの二様が見られるほか、物憂げな顔でその辺を眺めているとか、眼差しに優しさを出しているあたりは女優の顔をしていて結構だ(アクションは全くない)。また上野優華さん(徳島県出身)は近年悪役が多い印象があるので、この映画で普通に可愛い(すごく可愛い)役だったのは安心した。岡田奈々さんはおっ母さん役だが今もかわいく見える。そのほか図書館の変人娘(演・佐生雪)にも少し注目したが、終盤に出たお姫様には結構驚いた(さすが宝塚/ちなみに愛媛県出身)。そもそも役柄の割に脚がきれいすぎると思っていた。
[DVD(邦画)] 5点(2019-01-06 18:59:40)(良:1票)
400.  旅人は夢を奏でる 《ネタバレ》 
フィンランドのロードムービーである。邦題はどちらかというと意味不明で(「夢」はあるか?)、英題は北への道というような感じだろうが、原題では”pohjoiseen”が「入格」というのを使っており、単純に方向を示すのではなく“北の地へ入って行く道”というような意味だと思えばいいか。 移動の経路としては、国の南端にある首都ヘルシンキから北に向かってユヴァスキュラをまず訪れ、アーネコスキに立ち寄った後、セイナヨキを通って? ボスニア湾岸に出て? オウル経由で? 北上してロヴァニエミ(フィンランド北部のラッピ県の中心都市)に至り、さらに奥地のケミヤルヴィから北に入り込んだ場所を終焉の地にして終わっている。行程中で特に目を見張るような景観はなく、ただ淡々とフィンランドの普通の風景を映しているようである。  物語としては突然帰った父親が、かつての自分の所業のせいで混乱して停滞していたものをひっかき回してぶち壊して、結果的に息子の人生を立て直して家族を再構成した話に見える。 難しいのは父親の語る寓話のようなものの解釈で、うち孫に語ったスグリの実の話は、これまで永遠の40歳のつもりだったが何もできずに来た男が、世界最良のものに出会ったのが人生の最後だった、という状況を語っていたと思えばいいか。コメディめかしていながらどうも最初から陰気臭さが感じられて、自分としてはこのジジイの行末に不吉なものがありそうだとばかり思いながら見ていた。また「射手」の話はストーリーの根幹に関わるものだろうが、何と結末部分が語られないで終わってしまう。ここは息子なり観客なりがそれぞれ思ったことそのままでいいということか。 結果として悪い話ではないだろうが、個人的にはそれほど共感できる箇所もなかった。当然ながら世間では評判がいいらしく、こういうのをいいと思わない自分は映画好きとはいえないのだろうなと思った。  ちなみに今回勉強になったこととして、英語の”Earl”というのはフィンランド人にとっても発音しにくい言葉だったらしい。またホテルで披露されたピアノ曲「ねこふんじゃった」を台詞では”Kissanpolkka”と言っていたが、これは「ネコのポルカ」(kissa「ネコ」→kissan「ネコの」+polkka「ポルカ」)という意味である。フィンランド語の題名にもちゃんとネコが出ていることがわかって若干感動的だった。ついでにいうとジジイの孫はるみちゃんという子だったが、lumiというのは雪の意味である(ゆきちゃん)。
[DVD(字幕)] 5点(2018-12-31 12:58:06)
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