Menu
 > レビュワー
 > ユーカラ さんの口コミ一覧。27ページ目
ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL https://www.jtnews.jp/blog/24461/

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
>> カレンダー表示
>> 通常表示
521.  ファインド・アウト
派手に車体をぶつけるばかりが能ではない、というカーチェイスがいい。 車種を幾度も変えつつ、 追走するパトカーの目眩めくライトの光芒がテンポの良いカッティングの中で 美しく映えて、車体の接触など一度も無いことが逆に一層の緊迫感を煽る。  運転座席での携帯通話という図の繰り返しは単調になりがちだが、 通話しているアマンダ・サイフリッドの背後の窓ガラスに意識的に 映り込んでいる雨滴、緩やかに流れていく街燈の光やマジックアワーの明かり、 そして森の闇が画面の動的なアクセントとして機能している。  「Just Watch Me」と懐柔を拒否し、「I lied」と何の躊躇もなく マッチの火を洞穴に投げ込み復讐を果たすヒロインの清々しいまでの豪胆。 全編に一貫した、一切躊躇のない無頼派の行動が何より魅力だ。  
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2013-10-16 01:18:42)
522.  エンディングノート
黄金色に輝く銀杏並木の光が、街路を歩く主人公:砂田智昭さんの横顔を包む。 砂田さんが登る階段の背後で教会のステンドグラスが輝いている。 臨終を確認する音声が流れる中、街のシルエットとその背後に広がる マジックアワーの淡い陽光が悲しいまでに美しい。  家族の交流を映し出す合間に点描される、光を伴った街・空の情景ショットが、 単に映像がキレイだとかいう事ではなく、映画の場面として印象深い。  8mm映像の中で笑う、ありし日の父の姿は誰が撮ったものか。 その粗い画調ならではのノスタルジックな美しさ。  病床で妻への愛情を伝えるシーンは恐らく、撮影者=監督不在のまま 録画されているのだろう。光量不足でザラついた画面だからこそ 夫婦二人だけの時間・空間を切り取ったこの場面はひときわ美しい。  日頃からカメラを向けてきたからこそ、自然体のままカメラを受け入れ、 何の衒いもなく被写体を生きる父。 そして砂田麻美監督を含めた家族それぞれが、被写体として素晴らしい。   
[DVD(邦画)] 8点(2013-10-14 23:14:03)
523.  そして父になる
スピルバーグが惚れ込むのもよく頷ける、父と子のドラマである。 映画祭での評価は、勿論そんなテーマがどうのこうのといったものではあるまい。 テーマなら小説ででも語ればよいのだから。  デジタルカメラの再生画像を見る福山雅治の横顔。 その頬を涙が伝っているのか、いないのか、微妙な自然光の加減が素晴らしい。  列車の座席で二宮慶多に「どこかに行っちゃおうか」と語りかける尾野真千子の横顔。 ふと影が差し込み、画面は暗転。その表情は判然とせず、 彼女の思いつめているだろう輪郭だけがうっすらと浮かびあがる明暗が素晴らしい。  スピルバーグはこの慎ましくも豊かな光の表現に触発されたはずだ。  リリー・フランキー、真木よう子が子供たちと触れ合う身体表現もいい。 河原で尾野の肩をやさしく抱き、勝手口の上がり框で二宮を抱きしめてやる真木。 その相手を受け入れる手の動きが、そしてそれに応える二人の手のリアクションが 豊かな表情となっている。  黄升炫が詫びながら顔を覆う手のいじらしさも忘れられない。  
[映画館(邦画)] 8点(2013-10-09 22:52:52)
524.  ボディ・アンド・ソウル
オープニングの、屋外練習用リングの俯瞰から 窓際のベッドで魘されるジョン・ガーフィールドへと移るショットの暗く不穏な情緒が 秀逸で、映画後半に時制が戻る際に反復される同一構図のショットでは そこに至るドラマの蓄積も相まって悪夢的イメージがさらに増幅されて印象深い。  リングサイド下からあおり気味に捉えられた実録風のファイトシーンの迫真と、 裏切りを知ったガーフィールドの狂気を帯びた表情が緊張に満ちた見事なモンタージュを象る。 負のスパイラルの中で主人公が葛藤するドラマのラスト、 観客を掻き分けながら駆け寄るヒロインの姿と、二人の後ろ姿のシルエットに 見る者も救われる。  助監督にはアルドリッチ。納得感がある。
[DVD(字幕)] 9点(2013-09-16 07:18:49)
525.  上京ものがたり
この映画もまた、作り手の思い入れ過剰な役者のアップがくどい。 何故にそこまで、というくらい寄りまくって気色悪くなるほどだ。 物語の支障ですらある。 一方で見晴らしの良い川沿いの情景や、鉄道の走る橋のロングショットなどが所々で 織り込まれるのでなんとか釣り合いがとれている。 西原原作作品では馴染みの海辺も、例によって死を暗示する場として印象的だ。 その中、北乃きいが良く寝、良く食べ、良く歩く。 とりわけ苛立ちを持て余しながらひたすら街中を前進していく歩調がいい。 または、池松壮亮の出ていった暗がりの部屋で、一人おにぎりをほおばる北乃の表情。 案の定、涙が一粒流れ落ちてというのが陳腐ではあるが、いい表情を見せる。 連載打ち切りを伝える編集者になりふりかまわず必死に食ってかかる姿もグッとくる。 要は、反グラビア的な表情、不格好なアクションこそ感動的なのだ。    
[映画館(邦画)] 6点(2013-09-06 00:39:58)
526.  水の娘
序盤の、運河をゆるやかに渡る艀のショット群の何という瑞々しさか。 船上で料理をするカトリーヌ・エスラン。 その後景を、揺らめく水面と岸部の並木が流れていく。 以降も、さまざまにロケーションを変えて登場する水辺の情景が素晴らしい。  燃え盛る炎や流れる水、風に揺れる木々のみならず、 アヒルや犬や白馬など、動物たちのアドリブを活かした画面がまさに 伸びやかで生きた瞬間瞬間を掬い取る。  中盤のトリック撮影の奔放で自由なイメージの何と力強いことか。 白馬の疾走と共に、凸面鏡に反映させた木々が荒々しいスピード感で流れていく。 飛翔し、落下する娘の白い衣装がスローモーションによって官能的にはためく。  随所に挿入される縦移動のショットも、いかにもルノワールだ。 実質的な処女作だけに、原初的な衝動といったものがあらゆるショットに横溢している   
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2013-09-01 00:24:20)
527.  クロエ(2009) 《ネタバレ》 
フルショットで撮られたジュリアン・ムーアが携帯電話で話し出すと、 相手方のアマンダ・サイフリッドの声も不自然なほど鮮明に聞こえてくる。  違和を感じた瞬間、カメラがパンすると同室に彼女が入り込んできていた事 が判明するという、そういったさり気ない音響の仕掛けが随所で巧い。  人物の背後からのライトを中心に、複数の光源を用いて 女優の金髪の輪郭線と瞳とを妖しく美しく輝かせるライティングの緻密さ。 拡散する影の動きも画面を重層化させて見事である。  手前の人物と、背景の窓枠・額縁・鏡・スクリーンを的確にレイアウトした構図など、 ショット一つ一つが官能的に決まっている。  見るものの欲望の投影たる鏡・窓ガラス。そこに幾度も映し出される ファム・ファタルとしてのアマンダ・サイフリッドは「虚像」の視覚的隠喩である。  『上海から来た女』を始めとする鏡の映画史に倣えば、 映画の構造上のクライマックスは、「砕け散る鏡(ガラス)」以外有り得ないことは 中盤には明らかになるだろう。  その映画的終結というべきスローモーションも美しい。 
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2013-07-19 12:40:10)
528.  真夏の方程式 《ネタバレ》 
原作では海辺が舞台となる謎解きシーンは、映画では取調べ室に置き換えられる。  本来なら、その後に続く杏と風吹ジュンの面会シーンのようなセットとしたほうが いかにも現実的で「ツッコまれ」ないだろうが、映画はあの部屋を要請する。  劇中で幾度も変奏されてきた反射装置の極め付けと云うべきミラーガラスが そこにあるからに他ならない。  この1枚の仕切りを介した視線の劇が、 『パリ、テキサス』とはまた別種の形容し難い情感を生む。  母娘の正対する面会シーンもまた、仕切りを介して現在と過去を交錯させる。  息せき切って走る、フラッシュバックの中の娘。 揺れる水面上で、マジックミラーの背後で、喘ぐように嗚咽する現在の娘。 女優の呼吸が、ヒロインのキャラクターに文字通り生を吹き込んでいる。  そして疑似父子としての福山雅治と山崎光が 幾度もロケット実験を繰り返すシーンの清々しさは、その放物線の美しさと共に 『父ありき』の川釣りのシーンにこじつけたくもなる。  二人が横並びで座る駅舎のベンチシーン。 福山の誠実な語りの響きがいい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-07-04 06:28:53)
529.  桜並木の満開の下に
パンフレットの佐々木敦氏の批評を読むまでもなく、成瀬の『乱れ雲』とすぐ気づく。  三浦貴大の差し出す現金入りの封筒を幾度も幾度も叩き続けた臼田あさ美の手。 その彼女の手が、ラストの駅のホームで横に並んだ三浦の手をしっかりと握る。  そこには病床の加山雄三の手を握りしめる司葉子の手の記憶があると共に、 『百年恋歌』(恋愛の夢篇)での結ばれる手のイメージも重なって感動を増す。  地元PRありきの企画ながら、ドラマティックな物語とロケーションが見事に 融合しており、観光スポットを変に浮き上がらせるような愚も回避している。  焚火の灯りが映える夜の浜辺。 縦の構図を活かした、年季の入った工場内の風情。 艶やかな夜の駅のホーム。 それぞれの画面が低予算などまるで感じさせない出来だ。  その情景の中で震災後を生きる臼田あさ美、三浦貴大の佇まいもまた素晴らしい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-06-26 22:47:24)
530.  箱入り息子の恋
夏帆の横顔から、ピアノを弾く彼女の指の動きへ、 彼女自身の演奏をしっかりと捉える緩やかなカメラの動き。  二人の主観に可能な限り近づけんとするかのように、 お互いの肩越しの接写で切返される、二人の出会いのショット。  小高い丘の上でぎこちないキスを交わす夏帆と星野源の清々しさを 演出する、彼らを撫でるそよ風。  雨に濡れること。並んで牛丼を食べること。互いの生身の身体に触れること。  そうした接触・感触を意識した部分部分の積み重ねが丁寧でいい。  それだけに、二階へよじ登る星野と彼の手を握って引き上げる夏帆の 協働のシーンが手抜きにみえてしまい残念だ。  2人が渾身の力でベランダを乗り越える、 最も肝心な触れ合いの部分が省略されてしまっている。  誰がどういう動作をして、どうなったという流れはとりあえず解る。 が、心を動かす映画のアクションにはなっていない。 ベランダからの落下のくだりも同様である。そこが惜しい。       
[映画館(邦画)] 7点(2013-06-26 10:04:38)
531.  バレット(2012)
運転席と助手席での対話が多く、その深度のない構図の反復も単調。 ならば、流れる背景だとか車内に入射する街燈の光などで画面に変化をつけて欲しい。  クライマックスの発電所廃屋も、三者それぞれの位置関係の提示が不出来。 音の反響で繋ぐなり、縦構図を利用するなり、現場機具をもっと活用するなり、 もう少し空間を活かして欲しい。  湯気に煙るプールでの乱闘も、『イースタン・プロミス』の後ではいささか物足りない。  が、数々のアクションをこなしてきたシルヴェスター・スタローンの 武骨で年季の入った面構えと、彼の発する低音の響きは非常に渋く印象深い。 『スペシャリスト』以上に、彼の声の魅力がよく引き出されている。    
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2013-06-09 23:44:06)
532.  オブリビオン(2013) 《ネタバレ》 
例えば二者の電話での対話を見せる際、双方の顔を発話に従って交互に映し出す というのが最も芸がなく単調でつまらない撮り方なわけだが、 中盤まで続くトム・クルーズとアンドレア・ライズブローの交信の描写はそれに近い。  おまけにファン・サービスでもあろうアップ・アップの連続がくどいとくる。  カメラの主体は判然としないが、彼女の前にモニター画像があるのなら それをもっと利用するなり、一方の側の状況を見せないことで 観客に想像の余地を与えるなりしてサスペンスを創り出すのが基本中の基本だろうに。  緑に囲まれた一軒家、「青い影」が流れ、今度は トム・クルーズとオルガ・キュリレンコが並んで対話する。 その拙い切返し編集もまた単なる対話の説明であり、酷い。  幾度もフラッシュバックされる過去の記憶と対になるべき、ラストの視線の交錯は もっと外連が欲しいところ。  ランドスケープのスペクタクルも部分的な見世物としては第1級のものだが、 距離感と空間性は『トロン・レガシー』と同様に欠落している。  その中でトム・クルーズが鮮やかな身のこなしをみせる船内遊泳やライディング・ 格闘術等の身体アクション、これはやはり流石だ。  そして、ツーショット写真のハッとするような用い方もさりげなく印象的でいい。  
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2013-06-04 21:39:30)
533.  言の葉の庭
雨滴の一粒一粒、枝葉の一枚一枚まで疎かにしない、 眼を奪う細密の画面は大スクリーンにこそふさわしい。  鮮烈なグリーンのグラデーション、潤いを湛えた水面の光の揺れと滲みは、 リアルを超える。  そしてキーライトの当たる逆側に薄緑の淡い影を配したキャラクター像の斬新さ。 トレスラインを含め、約4色を使った立体的な色使いが独特の味わいであり、画期的だ。 その自然光への意欲的なこだわりは天晴れの一語。  朝陽が差し込むベッド上に漂う羽毛の粒子の表現など、そこまで拘るかと恐れ入る。  時に静かに、時に激しく、男女の感情の揺れを様々な雨の情景が代弁する。  雷光の一閃から激しい夕立へ。そして晴れやかな夕陽へ。 その時間の推移描写とエモーションの昂ぶりが素晴らしい。    
[映画館(邦画)] 9点(2013-06-03 19:30:53)
534.  ファウスト(2011) 《ネタバレ》 
つきまとい、つきまとわれ、顔を接さんばかりに寄せ合い、問答する登場人物たち。 スタンダードサイズの画面の中、歪曲のエフェクトと共に その過剰なまでに詰まった人物間の距離が息詰まるような緊迫感を醸す。  猥雑かつ殺伐としたイメージ群の中、 マルガレーテ(イゾルダ・ディシャウク)の清楚さが文字通り輝く。  教会内のシーンの厳かな光。 ファウスト(ヨハネス・ツァイラー)に真相を問わんとする彼女の 複雑で繊細な表情を包む光芒。そして雷光が劇的だ。  湖畔に一人佇む彼女がファウストを振り返る、その一瞬の表情の印象深さ。  そのまま二人がグリーンの湖中へと沈んでゆく、その静かな波紋の広がりの清冽。  ラストの峻厳なロケーションもまた素晴らしい。 
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-06-01 00:01:46)
535.  探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点 《ネタバレ》 
サービスのつもりで盛り込んだであろう乱闘やらベッドシーンやらが、 単に騒がしく乱雑なだけの乱闘であり、無意味なベッドシーンでしかない。  市電のアクションや、中山峠のカーアクションがそれなりに見れるのは 風物やロケーションの魅力に負っている。  バーで自責の涙を流す尾野真千子。「自惚れるな。」と返す大泉洋。 二人の芝居が醸す清らかな情感はなかなか良い。  続く尾野の演奏シーンでは、フラッシュバックと共に『砂の器』でもやらかすのかと 冷や冷やしたが、そうはならずに一安心。  かわりに、スポットライトを受ける彼女の凛とした表情と潤った瞳に 映画が引き締まった。 
[映画館(邦画)] 4点(2013-05-22 23:28:50)
536.  県庁おもてなし課
画面に語らせず、「高知県は最高。」「凄い計画。」と 幾度も抽象的な台詞で説明する愚。 クライマックスまでがテレビ演説というのだから、安っぽい。  たかだか5名の課員の具体的「仕事」・労働をロクに描出できない愚。安っぽい。 誰も仕事するなとは言っていまいに、「仕事がしたい」「仕事をさせろ」 と叫ばせるセンスに頭を抱えたくなる。高知県庁はよほどヒマなのだろうか。 工事中のHPも、トイレの改善の件も、すべて放り投げられているわけだ。  幾度も同じようなシーンで同じパターンで甘いBGMを入れてくる芸の無さ。安っぽい。  ご当地映画でありながら「自然しかない。」のセリフの通り、 フレームから郷土の人々を締め出し、 人間の気配の無い絵葉書のような景観だけをキレイに収めることにのみ 躍起になっている似非郷土愛。致命的に安っぽすぎる。  マーケットのシーンですら、無機質な群衆の場でしかない。  この作品、本当に登場人物が少ない。職場の人間関係、主人公らの家族関係、 街の人々の表情。何もないので、生活者としての人物像がまるで浮かび上がらない一方、 主要俳優約5名の思い入れ過剰なクロースアップだけがひたすらくどい。  「パンダ誘致論?さあ、知らない。」の三回反復の編集に象徴的なテンポの悪さ。 折角の自転車を映画の中でロクに活用しきらない感覚の鈍さ。 欠点の山である。  こういうのは、テレビだけでやって欲しい。 
[映画館(邦画)] 1点(2013-05-20 21:06:55)
537.  藁の楯
台詞が多すぎる。 余貴美子に語らせる、殺人未遂者の動機の補足説明などは完全な蛇足だ。  特に、後半での大沢たかおと山崎努の二度に渡る問答やら、 岸谷五郎の熱弁やらの長々とした弁論に至っては、 平行して藤原達也を放置する映画内時間の間延び状態となり、 作劇上の瑕疵ともなっている。(松嶋菜々子の扱いに関して)  機敏なアクションの連続で緊張感を持続させた前半からの失速ぶりが勿体ない。  監視社会化のアイデアを駆使してひたすら危機突破の活劇に徹すれば また違った面白さを獲得しただろうが、 後半はA級的内面ドラマに傾きすぎたということだ。  藤原の逃走シーンでの木々の不穏なざわめきや、 杖をつく山崎努の着衣をなびかせる風の感触など、 後半も台詞の無いシーンこそ所々で光る。 
[映画館(邦画)] 6点(2013-05-19 21:16:15)
538.  リンカーン
窓の明かりや、室内ランプ、蝋燭、街頭を光源として点在させる審美的画面の連続に、 採決の瞬間にはおそらく溢れる光が主人公を包むのだろうと予想がつくし、 これらの小さな炎は例によってどこかで人物と重なり合うだろうと 思いながら見ていると、 臨終シーンのダニエル・D=ルイスに重なった蝋燭の炎が大きくオーヴァーラップして 演説シーンの群衆に繋がり、誰でもがそれとわかる意味性を帯びるという具合だ。  強められたメッセージとたちの悪い審美主義が画面をスタティックに固定し、 中心化させている。  議場を出ていくトミー・L・ジョーンズや、 血の滴り落ちる荷車を追うジョセフ・G=レヴィットの歩み、 あるいは様々なニュアンスを含む「帽子を取る」というアクションの反復が 時折その固定化を阻む動きを見せるが、 総体としてはダイアログと顔芸に重きを置くという意味で、テレビ的である。  そして、困ったことにその権謀術策の駆け引き自体に映画的スリルを欠いており、 ドラマは平板だ。  主人公の来歴についてもフラッシュバック等を用いず現在進行形を貫く試みは潔いが。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2013-05-01 01:08:11)
539.  さまよう心臓
シンプルにしてスリリングな力に満ちた労作である。  パペットの衣類の質感やアニメーション技術の細やかさもさることながら、 仰角と俯瞰のキャメラアングル・照明効果による陰影のつけ方の見事さが光る。  壁や階段やドアなど、何気なくありふれた空間をいかに禍々しく演出するか。 そうした異世界の画面づくりに払われた真摯な努力こそが胸を打つ。  炎のスペクタクルの中、『ターミネーター』のワンシーンのように 人形の首がポロッともげるカットの不気味な生々しさ・凶々しさ。  本作を第三回下北沢映画祭グランプリに推した黒沢清監督もまたやはり このカットに「やられた。」と語っている。  全てが作り手によって制御されているかに見えるパペットアニメーションの中で、 炎や煙といった制御不能な運動がクライマックスの画面を覆うと共に、 その首が転がる運動が、監督すら予期しなかっただろう独特で生々しい一瞬間を 捉えているからに相違ない。 作り手にとっても不測の事象が生起する瞬間の、映画の美である。  秦俊子監督は、本作品の中で説明や根拠付け・動機付けを一切排除し、 無意味・無心理に徹すること、そして純粋に恐怖のエモーションを 創出することのみに賭けている。  「映画が単純に映画であること」その潔さと倫理性。  かつて黒沢監督の『地獄の警備員』を評した上野昂志氏の賛辞を思い起こす。     
[映画館(邦画)] 9点(2013-04-29 07:00:52)
540.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
作戦開始を伝える交信音声が流れる中、画面中央に浮かんでいたメカニックが 次第に大写しとなり、回頭、降下。そして縦横無尽のアクションに突入していく。  事態の推移は判然としない上、アクションもスピーディで目まぐるしいながらも、 逆に映画開始から観客の視線を巧みに誘導し、一気に引き込ませる。 この牽引力はなかなかだ。  そのファーストカットや、戦艦の戦闘ブリッジ内を旋回するカメラ、 遠心力を利用した戦法や渦巻く雲海など、ぜひ3Dで見たいと思わせるような 立体的なカットが印象的だ。  TV版のような静止画利用はほとんどなく、 ピアノ連弾のシーンなどは恐らくプレスコなのだろうが、 シネスコサイズでの難しいレイアウトの中で、 運指を的確に動画させていて手抜きを感じさせない。  中盤の、星々が小さく瞬いている静かな夜空のカットの美しさは忘れがたい。  
[映画館(邦画)] 6点(2013-04-24 07:56:06)
010.11%
150.53%
2202.14%
3384.06%
4717.59%
510311.00%
610811.54%
721522.97%
821823.29%
911412.18%
10434.59%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS