561. エクスペンダブルズ2
序盤でのブルース・ウィリスとシルヴェスター・スタローンの対話を、 それぞれ別撮りしたかのような単調な切返し編集で焦らしながら、 シーンの最後ではしっかりと二人を横並びに収めてみせるあたりが憎い。 複数のスターを同一画面内にどう配置し、どういうアングルと距離で引き立てるか。 如何に編集で邪魔せずに、ジェイソン・ステイサムが「classic」と呼ぶ スター自身による体技をフルショットで見せるか。 そうした見得の切り方、ケレンの利かせ方が前作より格段に良く、 静のシーンを短く配置した緩急のバランス感覚もいい。 その静の中にも、朝霧・硝煙・葉巻の紫煙の動が演出され、 粒子の粗いザラついた感触の残る画面によく映えている。 そして、重低音の銃撃と爆発も祝砲と花火のように華々しい。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2012-10-24 06:32:08) |
562. ボーン・レガシー
《ネタバレ》 序盤、二階建てのレイチェル・ワイズ宅の外壁を身軽に登ったジェレミー・レナーが、 階上の採光窓を蹴破って二階廊下の侵入者を拳銃で狙撃する。 家屋の構造と空間を活かした、アクション映画らしきアクションは後にも先にもこの1ショットのみと云っていい。 それ以外は、前三部作を踏襲した高速カット割りがことごとく映画の運動を殺す。 マニラロケによる車線無視の乱雑なカーチェイスも頑張ってはいるのだが、 そこで終わりでは締まらない。 少しは徒手格闘の見せ場も無くては、敵暗殺者の脅威が際立たないだろうに。 何よりも、延々と続く近視眼的なアップの連続、その芸の無さが耐えがたい。 [映画館(字幕)] 3点(2012-10-21 23:06:17) |
563. ハンガー・ゲーム
表情のアップを主体とする手持ちカメラは、 ヒロインの主観に寄り添うという趣旨なのだろう。 舞台上のインタビューのシーン、弓を引くシーンの接写では それなりに効果を見せるのだが、全般的に1ショットが極端に短く、 寄りすぎ且つ不安定で、とにかく見苦しい。 折角のジェニファー・ローレンスの魅力を削いでしまっている。 撮影監督トム・スターンであるにもかかわらず、 マスターショットの不足で場の状況の説明すら覚束ない始末である。 人工の猛獣の襲撃や、格闘場面などでは、カメラの振り回しすぎで 肝心の俳優のアクションも判然としない。 本来なら、森の中を人物が疾走するショットなどは アクション映画の格好の素材のはずなのだが。 語りも冗漫すぎる。この程度の内容で、143分は無い。 [映画館(字幕)] 3点(2012-10-19 06:19:06) |
564. アイアン・スカイ
月面の硬質な近未来空間と、黒づくめのユニフォームを始めとする 旧態依然とした第四帝国の武骨なレトロ感覚。 両者がモノクロ画調の中でよくマッチしている。 そのナチズムの形式主義を茶化したギャグは ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』を少し思い出させてそれなりに面白いけれど、 こちらは若干くどい。 クライマックスの決戦ではヒロイン:ユリア・ディーツェを もっと活躍させる事が出来たはずだし、 クリストファー・カービーとの協調と連携も淡白すぎる気がしないでもないが、 二人の微妙な関係性は本作の面白味だ。 宇宙間戦闘のSFXも健闘している。 [映画館(字幕)] 8点(2012-10-15 23:49:15) |
565. 恐怖分子
夕景の街中にあるガスタンク。十字の格子が浮かび上がる部屋。木々のざわめき。 半透明なレースカーテンの白の揺れ。風にはためく、壁に貼られたモノクロ写真。 何気ない風景のようでいて、その佇まいだけで不穏な気配を濃密に湛える画面の 息遣いがことごとく心をざわつかせる。 そして人物の表情が見えるか見えないかの半逆光の加減が絶妙で、 その無表情と陰影はキャラクターの心理を読み取らせない。 ゆえに本作は、物語的にも画面展開的にも全く予断を許さない。 それだけに、突発的な暴力が炸裂する刹那のインパクトは見る者を戦慄させ、 静かに流れ出す『煙が目に沁みる』のレコード音の情感に 訳も分からないまま心を動かされてしまう。 80年代の空気をすくい取りながら、まるで古さを感じさせない。 [ビデオ(字幕)] 10点(2012-10-05 23:52:51) |
566. リリオム
《ネタバレ》 自殺者として天国で裁きを受けるリリオム(シャルル・ボワイエ)。 彼が生前に妻ジュリー(マドレーヌ・オズレ―)を殴ったときの記録映像が 証拠として映し出される。 ドイツから亡命したフリッツ・ラングがフランスで撮ったファンタジー作品で、 表現主義的要素などは希薄だが、劇中のシーンが証拠映像として用いられるといった 趣向が「裁き」の主題系と共に渡米後の作品との繋がりも感じさせて面白い。 回転木馬上で出会う二人の、花一輪を巡る手のやりとりから、 リリオムがナイフを自分の胸に突き刺した瞬間、自分の胸に手をやるジュリーの手の動き、 そして運び込まれた瀕死の彼の手を優しく撫でる彼女の手の動きと、 相手への想いを語る手のアクションが全編通じてとても豊かだ。 ルノワ―ルが担当した音楽は、遊園地での陽気な歌の部分だろうか。 仲間だったリリオムの死を悼んで、その遊園地の面々が黙祷を捧げる静かなシーンや、 死んだ彼が夜空を昇天していく幻想的な特撮シーン、 ラストの二人の表情も美しい。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2012-09-24 05:38:32) |
567. 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望
《ネタバレ》 『映画は映画的であるほどドラマから遠ざかる』と、 本広克行が尊敬しているらしい押井守が書いている。 ドラマの本質はダイアログと状況設定にあり、 映像的主張はドラマを停滞させるから、というわけだ。 バストショット主体の対話劇でドラマは十分に機能するが、 劇場用作品となるとそうはいかない。映画的な見せ場こそ肝要だからである。 となると、既に盛んに批判されている荒唐無稽なバス突入や、 織田裕二の直感的判断と疾走こそ、 ドラマ的には不正解、映画的には正解だと見る事が出来る。 合理的動機に拠らない活劇であり、スペクタクルだからである。 あるいは、膨大なエキストラを統制しまとめあげた署内セットのモブシーンの活気、 充実した空撮、盛り上げどころで目一杯活用されるクレーン撮影の快いリズム感、 そして事件解決後の織田と柳葉のツーショットに 適切に差し込まれた朝陽の演出なども同様だ。 一方で、戒名を巡るギャグやラストの織田の演説などは、 ドラマ的には妥当であり、映画的には妨げでしかない。 活字、言語が機能するシーンだからである。 そうしたドラマ―映画のバランスの中途半端さは、 テレビドラマを始点とするシリーズ映画ゆえの性質にも拠るのだろう。 ステマを含む局の様々なしがらみ、制約、ファンサービスにも折り合いをつけながら、 映画的こだわりが伝わるのが何よりである。 [映画館(邦画)] 6点(2012-09-17 22:19:28) |
568. おおかみこどもの雨と雪
映画に登場する母親の子育てのスタンスを批判するのは実に容易い。 だが、フィクション映画の登場人物が賢くあるべき必要などまったくない上、 子育ての正論などそもそも映画とはなんの関係もない。 人間が不完全で愚かなのは当たり前の話。 あいにく、こちらはご立派で正しい子育て論など アニメーション映画に求めてはいない。 作り手が試みているのは、主人公が愚かであるなりに、間違っているなりに、 子への情愛とその試行錯誤を映画という動態の中でどう表現するかである。 愚直に読書に頼り、独学にこだわる未熟で愚かなキャラクターだからこそ、 睡眠不足で身体を泳がせる様、息を切らしながらの農作業、 涙と鼻水を流しながら瀕死の息子を抱き締める姿、 そして嵐の山中を必死に捜し回る歩みが愛しむべきものとなる。 その中で、『時をかける少女』でも不可逆性の象徴として使われた 坂道や勾配がアクションとドラマの場として活きてくる。 中盤の雪山を延々と滑降するシーンが作画的クライマックスとして印象深いのは、 そこにあるのが自立的な疾走感・爽快感だけでなく、 己の意思ではどうしようもない自然の力が作用しているからであり、 それが親離れのドラマ展開の予告ともなっているからだ。 そして細田印の蒼(空)と白(雪と雲)もまた印象的なシーンである。 [映画館(邦画)] 6点(2012-09-12 23:29:17) |
569. しあわせのパン
いくら寓話とはいえ、この度を越してメルヘンチックで空虚で生活実感のない 主人公夫婦のキャラクターの空々しいあり方は何なのか。 いくら絵空事とはいえ、この度を越して退屈で幼稚で深みのない 妄想エピソードの漫然とした並べ方は何だろう。 生計であるとか労働であるとかは、ことごとくオママゴト以下の描写でしかなく、 山や湖は単に観光向けの小奇麗な風景でしかない。 そしてカップに注がれるコーヒーを、皿に盛りつけられる野菜スープを 単に真上から撮って良しとする安直なショットからは、 食の魅力というものがまるで伝わらない。 そもそも肝心のパンが大して美味しそうにみえないという、 褒めどころのない映画である。 [映画館(邦画)] 2点(2012-09-10 22:45:13) |
570. プロメテウス
美術畑出身のリドリー・スコットは俳優以上に背景・セットを重視するあまり、 『ブレードランナー』を主演のハリソン・フォードが嫌っているというのは有名な話。 この作品もまた、主演俳優はひたすら無様に走り廻り、活躍らしい活躍もなく、 極めて魅力が薄い。 「デザインも映画の脚本」の弁のとおり、、 監督にとって主役は異世界のランドスケープと云っても良さそうだ。 従来からスコットは濃いバックライトとインセンス・スモークの活用、 そして奥行きのある構図取りによって三次元的な効果を創り出してきた。 ここで主にそれを担うのは山間の雲であり、巨大な砂嵐であり、 宇宙船の上昇と落下に伴う砂塵である。 ただ既出のデザインも多い上、3Dによる3Dホログラム映像といった趣向など、 そのままデジタル加工に拠っている部分もあり、 光と霧と建築物そのものを駆使して演出した『エイリアン』や 『ブレードランナー』の立体感の味わいにはどうしても欠ける。 即物的な迫力だけを狙った立体感ではつまらない。 [映画館(字幕)] 5点(2012-09-02 23:17:27) |
571. アベンジャーズ(2012)
《ネタバレ》 それぞれの超人達が対立する前半は、 身体あるいはエネルギーを一直線的にぶつけ合うアクションが中心であるが、 彼らが結束してゆく後半はアクションのスタイルも微妙に様変わりしてゆく。 洗脳されたジェレミー・レナーが航空母艦の巨大プロペラの破壊を企てるのに対し、 ロバート・ダウニーJr.らはまずその旋回運動を復活させる。 そして超人たちはビルの乱立する市街地を舞台に、 身体の捻りや回転を利用した縦横無尽の殺陣を見せる。 (ボウガンを放つJ・レナーのしなやかなアクションが素晴らしい。) 直線的な核弾頭の進路を逸らし、屈曲させ、 最後は垂直落下してくるアイアンマンの進路を曲げることで激突から回避させる。 対立から結束へ。そのイメージ化としての、直線から円環へ。 その主題を最も象徴する映画的見せ場の一つが、 市街地に降り立った6人が外向きに円陣を組んで空を臨む勇姿を捉える 周回のキャメラワークだろう。 エンディングロール後のラストショットのとぼけた大団円も、 そのクライマックスとは対称的な円形のバランスとニュアンスに味がある。 ただ、最も感動的なアクションを挙げるなら、 それはスクールバスに乗った子供たちを救助する1シーンだ。 具体的なアクションとして一般人を救ったのは、このシーンくらいではなかったか。 ラストのニュース映像で、ヒーローを擁護するのはこの子供達のほうがふさわしい。 [映画館(字幕)] 6点(2012-08-27 22:08:26) |
572. 桐島、部活やめるってよ
気になる相手、想いを寄せる相手、その周囲の人間に気づかれまいと気遣いながらも、 つい瞬間的に目を注いでしまう窃視の視線。 目を背けつつも、全神経を相手に集中させ、意識し続ける身体。 そうした、乱れる内心を見せまいとするナイーヴな表情や振る舞いや言い回しが キャラクターに初々しくリアルな感覚を与えている。 見る者と見られる者・話す者と聴く者の姿が視点の変化の中で 反復によって映し込まれていくことで、 その登場人物の視線やファインダー越しの映像に倣って 彼らの想いが強く鮮明に伝わる。その仕掛けが卓越だ。 またBGMをほぼ皆無とし、環境音を効果的にドラマに活かすことで さらにこの映画なりのリアリズムが追求されている。 校舎裏のシーン、大後寿々花の背後でざわめく木々の音や、 彼女の独奏する管楽器の音色や息吹が彼女の心情を浮かび上がらせて秀逸だ。 バスケットボールの弾むリズミカルな音と、バレーボール特訓のハードな音響の対比。 クライマックスを盛り上げる、現実音としての吹奏楽の演奏。 そしてラストに遠く響いてくる野球部員の掛け声と、音が良く活きている。 群像劇としては、焦点が浅くピント送りが多々あるのがやや安易か。 そこはパンフォーカスだろうと思うショットがいくつかあった。 [映画館(邦画)] 8点(2012-08-20 00:32:14) |
573. アナザー Another(2011)
《ネタバレ》 「そこにいないのに、そこに見える」死者と、 「そこにいるのに、そこに見えない」生者。 その実像と虚像が、硝子の反射と水の透明性のモチーフによって視覚化されていく。 巻頭の病室におかれた硝子コップ。窓ガラス。鏡。校庭の池の水面。義眼の碧い瞳。 それらの反射面に浮かび上がる不鮮明で半透明な人物の像が示すのは 彼らのあいまいなアイデンティティだ。 印象的なその碧い瞳の超クロースアップは、 見る主体と見られる対象を同時に画面に乗せ、 橋本愛の冷やかな印象を強調するとともに 観る側の視線を引き付ける求心的な効果がある。 切り返しを排し、見る主体を不明瞭にしたままの歪な一方向的主観ショットと編集が、 ラストシーンの別れでは切り返しによる視線の交換へと変わり、 橋本愛と山崎賢人の淡い交流を際立たせる。 その表情は画面からは判然としないが、 さわやかな水色の衣装で大きく手を振って車を見送る橋本愛が小さくなっていく、 山崎賢人の見た目のショットがいい。 二人が携帯電話の番号を交わす合宿所の夜、 二人の座るテーブルに置かれた白いカップはもはや硝子製ではない。 [映画館(邦画)] 6点(2012-08-14 03:16:17) |
574. 港々に女あり
気のいい海の男を演じるヴィクター・マクラグレンがいい。 見かけは無骨で喧嘩早い直情径行のキャラクター。 女性好きで荒くれたところもあるが、根の優しさが目元の表情と仕草に表れている。 酒場での喧嘩をきっかけとして無二の親友となる ロバート・アームストロングに保釈金を用立て、 二人一緒に海に落ちてずぶ濡れになりながら彼のタバコに火をつけてやり、 誤解があっても互いに小突き合いながら仲直りする、 その不器用な身振りの数々が気持ち良く、殴り合いのアクションも爽快だ。 そして、水夫の父を亡くした小さな子供の遊び相手をする彼がみせる 優しい表情が素晴らしく、情が滲み出ている。 歩哨やバンドを巻き込んだ酒場の乱闘の数々が楽しく、 妖艶なルイーズ・ブルックスの美貌が麗しく、 彼女をめぐる男二人のライバル関係と友情のドラマが痛快である。 [DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2012-08-13 00:33:49) |
575. ダークナイト ライジング
《ネタバレ》 寓話はあくまで架空の都市のイメージの中で語って欲しい。 ノーラン版のシリーズとして一貫してはいるが、 そのままストレートに現実を意識させるロケーションや歌唱や、 テーマ語りはやはり安易で浅はかな印象しか与えない。 主要キャラクターそれぞれに見せ場を配分するのもわかるが、 かえってその場面転換がテンポを殺しているのもいただけない。 特に肝心な後半、緊張が高まるべきカウントダウンに向かいながら 4者のパラレルアクションが映画を寸断させ、間延びさせてしまっている。 画面も深度が浅く、表情芝居に頼った人物の対話場面などは 切り返しも配置もフォーカスもことごとく単調だ。 アクションの構図もアングルも貧しく、決死のジャンプシーンにも 絶望的な高低と距離の感覚が出せているとは云えず、 物語を絵解きするのに手一杯にみえる。 巻頭の航空機墜落をはじめ、地盤の崩落、橋梁の倒壊、幽閉溝の登攀、 背骨折り、氷上での処刑とノーランが拘るのは執拗な垂直落下のイメージであり、 その中でタイトルの主題系が立ち上がって来る仕掛けではあろう。 一方で、水平の空間移動をあえて省略してみせるあたりは潔いのだが。 『ダーティ・ハリー』の投げ捨てられる警察バッヂ、『M』の人民裁判、 『機動警察パトレーバー2』の雪降る水路・橋梁爆破の空撮ショットなど、 映画の参照ぶりは相変わらず多彩だ。 [映画館(字幕)] 5点(2012-08-08 02:08:32) |
576. スノーホワイト(2012)
すのー口づけの奇跡の根拠として観客を納得させるショット、 つまりクリス・ヘムズワースのクリステン・スチュワートに対する想い・ あるいは二人の関係性の変化を決定的に示す描写がないというのは如何なものか。 会釈する大鹿に向き合う彼女を見つめる視線がそれだとしても、あまりに弱い。 そのために、彼女が目覚める感動や驚きが観る側に届いてこない。 焼き討ちに遭う村の火を見て、クリス・ヘムズワースが翻意するシーン。 サム・クラフリンとの再会シーン。クライマックスの城門突破シーン。 基本的に盛り上がってしかるべき場面のエモーションがことごとく欠落しており、 淡白すぎて拍子抜けしてしまう。 スカートの丈をつめたり白装束や甲冑を纏ったりといったせっかくの衣装替えの趣向も、 コスチュームをドラマ的に活かす工夫が欠落していてさしたる面白みもなければ華もない。 よって甲冑を着けたヒロインのアクション自体も 『アリス・イン・ワンダーランド』のミア・ワシコウスカと代わり映えせず、 活劇的にも物足りない。 [映画館(字幕)] 4点(2012-07-04 23:59:08) |
577. 愛と誠(2012)
ミュージカルシーンに映画を感じたのは、 大野いとの『夢は夜ひらく』と、安藤サクラの『また逢う日まで』。 動きのとれないトイレ個室内での歩調と、 大野の決して上手くない歌がシュールでいい。 雨に濡れた夜の歩道を走る安藤の躍動と笑顔、そしてそれを追う横移動のカメラがいい。 武井咲も斎藤工も、 一青窈・市村正親コンビの達者な身のこなしなどと比較してしまうと可哀相だが、 シンプルな振付と頻繁なカットつなぎにも助けられて健闘している。 そのミュージカルの少し硬い感じが逆に味となって後半のドラマに活きており、 特にこの二人がそれぞれ違うシチュエーションで土下座をして 必死に懇願するシーンではその熱演と表情が一気に輝き出して素晴らしい。 ただ、妻夫木聡のワイドショー番組的な安っぽい突っ込み台詞の数々は もう少し工夫が欲しかったところ。 [映画館(邦画)] 7点(2012-07-01 22:39:33) |
578. 左側に気をつけろ
スラップスティックとしてのスピード感と破天荒ぶりでは 『チャップリンの拳闘』に敵わないが、 その軽快で飄々とした緩いペースこそジャック・タチらしさだろう。 郵便配達の自転車の軽快な疾走に始まり、走り去る自転車に終わる、 全編通してののどかな屋外のロケが瑞々しく、 陽の降り注ぐ野外のリングで行われるボクシングや、 いたるところで登場する沢山の動物たちのランダムな動きと共演が大らかでいい。 ヌーヴェルヴァーグの先駆けともいえる。 軽いフットワークでボクサーの動きを模写をする ジャック・タチのコミカルなパントマイム。 後に『右側に気をつけろ』を撮るゴダールが 自作中でよく取り入れるシャドーボクシングの身振りの原型がここにある。 トーキーだが台詞は相当に省略され、 手引書の図解を利用したギャグを始め、 サイレント的な身振りによる語りが冴えている。 [ビデオ(字幕)] 7点(2012-06-27 23:57:36) |
579. とべない沈黙
撮影は鈴木達夫。 白と黒のシャープなコントラストを基調に ドキュメンタリーと観念的ドラマがせめぎ合う画面は、 季節や気温、湿度、人物の体温の感触まで余すところなく掬い取っており、 素晴らしい。 少年が白樺林で蝶を追うシーンの浮遊感(北海道篇)や、 駅ホームから地上出口までの雑踏を追うカメラ(大阪篇)。 反核集会の人混みの合間を縫っての移動(広島篇)。 あるいは、喫茶店2階の乱闘から階下へ、 そして雨に濡れた路上での銃撃までを延々と追うゲリラ撮影的長回し(東京篇)などの 動的なハンドカメラが時に詩的で、時に生々しく、安定と不安定の按配も絶品である。 そうしたダイナミックな動的ショットと端正な静的ショット、 あるいは緊密なクロースアップと望遠ショットの対照が利いている。 ヘッドライトを原爆の光に模した観念的なショットが登場するかと思えば、 様々なニュース映像やインタビュー音声までが奔放に入り乱れる雑然ぶりは 後の『原子力戦争』のゲリラ撮影へと連なっていく大胆さだ。 とくに映画の後半、香港篇が入って来る辺りで映画が破綻気味に変調しかかるが、 松村禎三の主旋律と加賀まり子の美しい佇まいが 映画に一貫したトーンを保たせている。 [DVD(邦画)] 7点(2012-06-25 00:10:35) |
580. 坊やに下剤を
トーキー第一作として、うがいや水洗トイレなどの水をめぐる音響を まず採り入れるあたりがルノワールらしいが、 何よりも全編ひっきりなしの対話の応酬が耳を引く。 連音(リエゾン)を巡ってのやりとりや、大仰な感嘆詞の連発など、 フランス語の発音自体の面白味をトーキーに活かしている。 主要な登場人物は5人、舞台は主に4つの屋内空間という簡素さ。 カメラはフィックスのフルショット主体で、登場人物の芝居も演劇調だが、 ドアからの出入りの活用と、複数のカメラでのアクション繋ぎによって 画面にアクセントを付けている。 印象的な効果音は、おまるの破砕音と水洗トイレの水流音。 少々物足りない感もあるが、あれもこれもと欲張らない分、 その即物的な音響はストーリーと絡んだ形で響き、 SEだけを浮き上がらせてはいない。そこが賢明なところだ。 お話自体は他愛ないが、スピーディなダイアログが映画を満たしている。 [DVD(字幕)] 6点(2012-06-24 08:46:55) |