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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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41.  ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 - スペシャル・エクステンデッド・エディション -
“5日目の朝日”と共に白い魔法使いが軍勢を引き連れて戻ってくる。大軍勢が一挙に斜面を下り、待ち受ける敵方の大軍勢とぶつかり合う。 起死回生のこのシーンの迫力は物凄く、劇場公開時に初めて目の当たりにした時の興奮は忘れられない。 個人的には、この「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズが、ファンタジー映画の範疇に留まらずエンターテイメント映画として唯一無二のものとなっているのは、この第二作の圧倒的なクオリティーによるところが大きい。  シリーズの前日譚「ホビット」の公開、鑑賞を受け、この“スペシャル・エクステンデッド・エディション”を初めて鑑賞。 本当はもっと早く観ておきたかったけれど、何せ上映時間が223分もあってはなかなか機会を見出せず、結局今回のタイミングに至った。  エンターテイメント映画としてのクオリティーの高さは、先述の通り言うまでもなく物凄い。 長ーーいエンドロールが、この映画に携わった人間とそれに伴う情報量の膨大さを顕著に物語っている。  今作はメインキャラクターはもちろん脇役も含めた登場人物たちの群像劇としての趣が強く、映画世界に息づくキャラクター達の緻密な人物像とそれに付随するドラマ性も見所だと思う。 その分、逆に主人公フロド周辺の描写は少なく、彼においてはそれほど大きな進展もないのだが、周辺キャラクターの魅力が深まる今作があるからこそ、この三部作は強固な娯楽性を持ち得ていると思う。  さあて、この勢いのまま「王の帰還」の“スペシャル・エクステンデッド・エディション”に挑むかな。
[DVD(字幕)] 10点(2013-02-13 16:53:56)(良:1票)
42.  モンスターVSエイリアン
往年の東宝特撮映画、もしくは往年のアメリカモンスター映画を沢山観てきた人たちにとっては、楽しい映画であることは間違いないだろう。 主人公自体のキャラクターや、味方となるモンスターたち、悪役エイリアン、そして司令基地のデザインに至るまで、過去の特撮映画のありとあらゆる要素が詰め込まれている。 特に、日本の怪獣映画ファンにとっては、クライマックスのあるシーンはいやがおうにも“アガる↑”ことだろう。  特撮映画マニアのスタッフが、子供と一部の特撮映画マニアの大人たちのために作った映画であり、その部分が楽しければ問題ない映画だとは思う。 ただし、正直“それだけ”の映画であることも間違いない。 過去作に対してのリスペクトを込めたオマージュ作品であることは明らかだが、悪く言えば既存のアイデアを組み合わせただけで、目新しい“工夫”の無い映画だとも言える。  個人的には特撮映画ファンではあるけれど、オマージュ的要素を生かした上でのストーリー的な“新しさ”が無かったことは、最後の最後まで今ひとつ乗り切れなかった要因となってしまった。  主人公も含め、あらゆる“モンスター”たちが、徒党を組んで地球防衛に献身するという構図は楽しいものだったけれど、それぞれのキャラクターの中身が乏しく、行動の理由があまりに軽薄だったと思う。 “アメリカ人”に一方的に捕らえられ、半永久的に閉じ込められているにも関わらず、何の疑問も示さず彼らの言いなりになっている姿は、とても安直に見えた。 主人公においては、結婚を目前にした普通の人間の女性である。そんな女性が、隕石がぶつかって突如巨大化したからといって、その瞬間に捕縛され、強制的に“生物兵器”扱いされるのは、あまりに非人道的だし、三週間やそこらでその現実を全て受け止めて「これからも地球を守ろう!」なんてことになるわけがない。  そういう基本的な人間描写においては、あまりにも“乙女心”が分かっていない製作スタッフの“オタク魂”が過剰に出過ぎてしまった結果だと思った。  まあ、そういったあからさまな“ほつれ具合”も開き直って「味」として認めれば、全然問題はないのかもしれないけれど。
[DVD(字幕)] 6点(2012-09-28 15:29:41)(良:1票)
43.  白夜行-白い闇の中を歩く-
韓国映画特有の“痛み”の表現の重さは、この物語に非常に合っていると思った。 身体的な痛みも、精神的な痛みも、この映画は濃厚に、説得力をもって描けている。 その部分は、とても良かった。  4年前に原作小説を読んだ。ふたりの男女が、長い長い年月に渡り、一筋のか細い光を必死に辿りながら果てしない闇の中を突き進む壮大な「悲劇」だった。 単なるミステリーの枠には収まり切らない“真相”とそれに伴う濃ゆい人間ドラマが見事だった。  今作では、原作の物語構成にかなり大幅なアレンジが加えられており、諸々のエピソードに相違はあった。 しかしそれは、原作ファンであっても、映画作品として、とても有意義だと思えるアレンジだった。 望まない性行為と、望まない殺人、この映画はいきなり主人公二人の“苦しみ”を如実に表す描写が折り重なって始まる。 主人公たちの人生が苦悩に満ち溢れたものだということを、ダイレクトに伝えてくる印象的なオープニングだった。 そういった映画的な表現の巧さは、さすが韓国映画だと思えた。  2年前に日本の映画版(堀北真希主演)を観た。映画化作品として良く頑張っていたとは思うが、あと一歩物語の本質的な部分での物足りなさを感じた。 今作は、前述の通り韓国映画ならばではの説得力で、日本版より優れている部分は多い。 しかし、残念ながら、日本版と同じような部分で物足りなさを禁じ得なかった。  それは即ち、物語の中心に存在するふたりの男女の「覚悟」の描写に対しての物足りなさだと思う。 あまりに悲痛な「過去」を共有し結びついたふたりが決めた「覚悟」。その深淵こそが、東野圭吾が紡ぎ出したこの物語の核心だと思う。 それは一般人には理解し難いほどに研ぎすまされた「愛」の形であり、映画化にあたってもそこに妥協や曖昧さがあってはならなかった。 “あの日”、「目的」を達成するまで「会わない」と決めた二人が、直接対面したり会話をする場面は極力描くべきではなかったと思う。せめて目も合わさずすれ違う程度、距離を置いて存在を感じる程度に留めるべきだった。  原作小説を読んでいなければ、手放しで満足できる作品だった。実際良い映画だとは思う。 そういう映画的なレベルの高さを備えた作品だからこそ、あと一歩の核心への踏み込みが足りなかったことは、非常に残念。 
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-23 08:58:29)
44.  ステルス 《ネタバレ》 
多かれ少なかれ確実に反米感情を持っている各国(実名)に対して、阿呆なくらいに一方的に“戦争の口実”を与えまくり、主人公達が暢気に愛を語り合うラストシーンの同日には、きっと第三次世界大戦が勃発しているだろうと想像するしか無い馬鹿過ぎる映画だった。 ただただドンパチが売りの娯楽映画なので、その馬鹿さ加減も一笑に伏して楽しむべき映画だということは分かっているが、それにしたって酷い。  人工知能を備えたスーパー戦闘機が暴走し人間に攻撃を始めるというプロットは、安直ではあるが、SF的要素も含んでいそうで魅力的には思えた。 「地球爆破作戦」のようなコンピューターの反乱が、人類への警鐘も含めて描かれるのかと思ったが、実際は想像以上に馬鹿な人工知能が何でもかんでも“表面的”に学習して、ただただ暴走するだけだった。  それならそれで、主人公らトップガンたちとスーパー戦闘機の攻防がシンプルに描けばいいものを、実は馬鹿な人工知能以上に大馬鹿な上官が諸悪の対象と移り変わり、結局は主人公とスーパー戦闘機との間に友情めいたものが芽生えるという始末。  そもそも期待も何もないので、残念に思うことも全くないのだけれど、これほどまで全編通して爽快感がなく、むしろ居心地の悪さを感じる娯楽映画も珍しい。
[地上波(吹替)] 2点(2012-09-23 01:30:24)
45.  愛のむきだし 《ネタバレ》 
いやあ、困った映画だ……。 というのが、鑑賞直後の率直な感想。“何”を重要視するかで、褒めちぎることも出来るし、どこまでも蔑むことも出来る。そういう映画だった。  タイトルが示す通り、「愛」そのもののあまりに無防備な“むきだし”の様を延々4時間見せ続ける。 それだけで、一言「凄い」と言えばその通りで、他のあらゆる映画とも似通わない“天上天下唯我独尊”的映画だと言っていい。そのオリジナリティと絶大なエネルギーは、もちろん賞賛に値すると思う。  しかし、観賞後しばらく時間が経過して、個人的には拭いされない「違和感」が先行していることに気付いた。 人間の本質的な雑多さと下世話な様に満ち溢れた映画であることは間違いない。 過剰な“エログロ”描写が、鑑賞者の好き嫌いを大別することも明らかだろう。 ただ自分が感じた「違和感」は、そういう部分のことではなかった。  端的に言えば、「宗教観」だと思う。 難しく微妙な宗教描写にも、この映画は堂々と土足で踏み込んでいく。僕は無信仰なので、それらの描写もこの映画のエネルギッシュな娯楽要素として受け入れることはできた。 しかし、よくよく考えれば、この映画の宗教描写はあまりに乱暴過ぎるのではないかと思った。  主人公は、明らかに怪しい新興宗教に陥っていくヒロインに対して、「あの新興宗教でなければ、他のどの宗教を信じてもいい」というようなことを言う。 無信仰な者の台詞であれば、べつに違和感はない。しかし、主人公が生まれた時から敬虔なクリスチャンの家庭で育った人間であることを踏まえると、ちょっとあり得ない台詞なんじゃないかと思う。  そして、この映画では、信仰の深い人間が徹底的に危うく脆い者として描かれる。 「宗教」がテーマの核心に存在しているが、この映画はどこかで、信仰を軽蔑しているように見えて仕方がなかった。  そういう“立ち位置”を今作に感じてしまうと、みっちりとエグい描写が羅列する程に、致命的な軽薄さが垣間見えてしまった。  ただし、このあまりに特異な映画世界に息づく演技者たちはすべて素晴らしい。 特に物語的な主人公と言っていい“3人”が凄い。 西島隆弘、満島ひかり、そして安藤サクラ、この若い3人の俳優が凄まじい存在感を全編に渡り放ち続けていた。  さて、結局面白かったのか、面白くなかったのかどっちなのだろう。 ああ、困った……。
[DVD(邦画)] 6点(2012-09-19 23:11:55)
46.  ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン!
馬鹿馬鹿しいことを、しっかりとお金と労力をかけて覚悟をもって貫き通すこと。それが良いコメディ映画を生み出すための条件だと思う。 この作品の製作スタッフは、そういうことを誰よりも理解しているからこそ、世界中に受け入れられるコメディが作れるのだと思う。  エドガー・ライト監督&サイモン・ペッグ+ニック・フロストの主演コンビの「ショーン・オブ・ザ・デッド」、そして監督は異なるが同主演コンビの「宇宙人ポール」を既に観ていて、それぞれ映画ファンなら殊更に爆笑必至の素晴らしいコメディ映画の世界観を堪能していた。  前述の二作品がそれぞれ「ゾンビ映画」と「宇宙人映画」のパロディを存分に詰め込んだ作品だったのと同様に、今作の“対象”は、もちろん「刑事映画」。 「刑事映画」、その中でも特に“バディ映画”におけるベタと王道が、可笑しみと愛着をもって見事に散りばめられている。 中でも、「ハートブルー」をパロディの中心に据えていることが、非常に局地的なツボを突いていて良い。  この手の映画としては、120分という上映時間は正直「長い」と感じる。中盤において若干の中だるみ感を感じてしまったことは否めない。 しかし、ラストの怒濤のクライマックスは、そういうマイナス要素を吹き飛ばしてくれる。一見滅茶苦茶で何でもアリな展開に見えるけれど、それまでの人物描写が何気なくも人物それぞれの異質さを表しており、用意周到な伏線となっている。 だから、滅茶苦茶に見える展開にも妙に説得力があり、「娯楽」として見事に高まっている。  ついに最後にはモンスターパニック映画から東宝映画オマージュまで加わり、映画ファンのカタルシスを一気に高めてくれた。  充分満足できる映画であることは間違いない。が、"彼女”がケイト・ブランシェットだということに気がつけなかったことは、この大女優のファンとして情けない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-17 22:35:09)
47.  デジャヴ(2006) 《ネタバレ》 
高揚感を覚えながら、この映画を観終えて、二つの「悔恨」を感じずにはいられなかった。 一つは、これほど映画的なエンターテイメント性に溢れた秀作を今の今まで鑑賞できていなかったこと。 そしてもう一つは、今作を描き出したトニー・スコットという映画監督の新作をもう観ることが出来ないということだ。  タイトルが指し示すもの以上に、ストーリーそのものは荒唐無稽であり得ない。下手をすれば相当に陳腐な映画に成り下がっていてもおかしくはないだろう。 でもこの映画は、与えられたすべての要素を最大限まで高め、上質で忘れ難い娯楽映画に仕上がっている。 これぞ長年に渡りハリウッドのエンターテイメントを牽引してきたトニー・スコットの真骨頂だと思えた。  悲劇的な爆破事件において、主人公は一人の女性の亡骸と“出逢う”。 その瞬間、妙な既視感と共に確実に生まれた恋心。この映画のすべては、この時の主人公の感情に端を発する。 即ちこれは紛れもない“ラブ・ストーリー”であり、まだ見ぬ自分が愛した人を、道理も常識もぶっ飛ばして「死」という事実から救い出そうとする破天荒なエンターテイメントだ。 無理もあるし、矛盾もあろう。けれど、そんなことはどうでも良いと心から思わせる映画としての「面白味」に溢れている。  「死体」としての姿がファーストカットとなるヒロインが、主人公に恋心を抱かせたシーンに、観客が「納得」した時点でこの映画の成功は約束されたとも言える。 そういう意味では、殆ど無名のポーラ・パットンという女優を抜擢し、彼女の魅力を引き出したことも、監督のファインプレーだったと思う。  そして、全編通して心理も言動もフル回転を余儀なくされる主人公をデンゼル・ワシントンがドスンと安定感たっぷりに演じている。これも中途半端な俳優が演じていたら、ただただ落ち着きの無いキャラクターになっていたことだろう。  レンタルショップにて、それこそデジャヴを感じる程に何度も何度もこの映画のパッケージを手に取っては、結局棚に戻し続けていた記憶が思い起こされる。 その時の自分に「さっさと観ろ!」とメモでも送ってやりたい。  最後に、愛すべき娯楽映画を生み出し続けたトニー・スコット監督の冥福を祈る。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-09-07 14:26:25)(良:1票)
48.  アドレナリン(2006)
何か知らんが、アドレナリンを出し続けなければ心臓が停止するという毒薬を注入された男が、己の生命と復讐をかけ、他人の命と迷惑なんて顧みず街中を走り回るという映画。 馬鹿馬鹿しいにも程があると言わざるを得ないストーリーだが、それでもかろうじてエンターテイメントとして成立させている。 そして、この馬鹿馬鹿しさをまかり通せるのは、今はこの男しかいないだろう。  ジェイソン・ステイサムが、表現通りに“アドレナリン分泌しっ放し”の主人公を、“いつも通り”の存在感で体現してみせる。この映画のエンターテイメント性は、もうその存在感に頼りっぱなしと言っていい。  90%以上は「くだらない」と一笑に付してしまって良い映画だが、困ったことに主演俳優の存在性を盾にして、どうしたって印象に残ってしまうシーンが所々で映し出され、時に大笑いしてしまい、時にウルッときてしまうものだから、尚更始末が悪い。  公然○○○シーンや、まさかのラストシーンでの愛の告白からの衝撃のラストカット。 本当にこの映画を作った方々の頭はどうかしてしまってるんじゃないかと思ってしまう。主演俳優も含めて……。  そしてッ、このラストで続編があるってんだから、いよいよどうかしてるぜ!
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-06-07 15:33:20)(良:1票)
49.  南極料理人 《ネタバレ》 
終始、南極越冬隊の生活感をゆるーいテンションで淡々と描いた映画で、その表面を覆ううすぼんやりとした感じが、中盤に退屈感を呼び起こしてしまったことは否めなかった。  しかし、そのうすぼんやり感は、あくまでこの映画の表面的なものに過ぎず、よくよくと思い返せば、そこには各人物の人生における葛藤や、極地生活で小さいながらも確実に生じる心の闇、そして張りつめた精神がふいに崩れる様などもきっちりと描かれている。  そうして任務を終え、日常生活に戻っていくラスト。このラストについても、あくまで淡々としており、やたらに盛り上げない感じが絶妙だった。 南極での任務期間中、意外に潤沢な食材をフルに生かして、生活環境の厳しさを少しでも忘れさそうとするかの如く、主人公は時に豪華で時に魅力的な食事を日々作っていく。 しかし、映画の中の南極での食事シーンでは、主人公が「ウマい」と発するシーンは一つもない。 それなのに、ラストシーンで家族で訪れた遊園地の明らかに不味そうなハンバーガーを口にするや否や思わず「ウマッ!」を発する。 「食事」という行為の本当の意味の醍醐味を如実に表した、この映画に相応しいラストシーンだったと思う。  冒頭に述べたように、映画として若干間延びをしてしまっている印象はある。南極観測基地という極端に閉鎖的な環境を生かして、もっとタイトにまとめて欲しかったとも思う。 芸達者な舞台出身俳優が揃っているので、このまま舞台化したなら、かなりの名舞台作品になる予感を持たずにいられない。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-06-05 23:44:33)(良:1票)
50.  銀河ヒッチハイク・ガイド(2005)
「天地創造」の真理に何の変哲も無い“一般ピープル”が触れるという物語の設定は、藤子・F・不二雄のSF短編漫画を彷彿とさせる。 惑星の崩壊と再生という大スペクタクルが、SF的観点と哲学的思想を巡り巡って、一人の男の言動に集約されるという顛末は、個人的に非常に興味をそそられる題材で、知らず知らずに異様な映画世界に引き込まれていた。  レンタルショップをぶらりと巡って、タイトルを聞いたことも無かった今作を、製作年も誰が出演しているかも確かめぬまま、“衝動借り”した。 「ロスト・イン・スペース」的なスペース・コメディものだという認識で観始めて、概ねその想定は外れてはいなかったが、想像以上にシュールな展開には少々面食らった。 馴染み難い異質なコメディが怒濤の如く羅列されるため、序盤から中盤に至るまで、映画の世界観に入りきれなかった部分があることは否めない。 ノリ自体は嫌いではないが、この映画が伝える“真理”が掴みきれず、戸惑ってしまったというのが正直なところだろう。  しかし、壮大な宇宙哲学的な要素を踏まえて、ストーリーが想定に反して次第にディープに深まってくいくのを目の当たりにして、この映画の存在性そのものに対して興味が深まってきた。 何がどう導き出されるのかということにようやく焦点が定まり、「結論」に至るまで映画世界を堪能することが出来た。  大いなる宇宙意思の中であまりに小さい生命体が無数に存在していて、すべての生命体の行く末はその宇宙意思に委ねられているように見える。けれど、突き詰めてみれば、結局は或る一つの生命体の意思によって宇宙意思そのものの行方が変わっていくという無限のロジック。 即ち、その「問い」に「答え」などは存在せず、「問い」と「答え」のどちらが先かも定かにはならない。 ただ、だからこそどんなに小さな生命体であっても生存していく“意味”があって、その事実こそが最も素晴らしいことだという…………。  多分に独りよがりな要素や、“テキトー”で“チープ”な部分も多い映画だった。 でも、そういう永遠に答えが出ないことをつらつらと頭の片隅で考えつつ、生きていく事自体がほんの少し楽しくなるという、へんてこりんな映画であることは間違いないと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-05-15 00:11:18)(良:2票)
51.  トゥモロー・ワールド
或る深夜。寝室から愛娘の泣き声が聞こえる。夜毎の夜泣きは楽ではないが、それは彼女が“生きている”ということの一つの「証明」のようにも思えて、とても安心する。 自分に子供が生まれ、明確な「恐怖」として感じるようになったことがある。 それは、幼い命が育たないということに対する恐怖だ。 日々のニュースの中では、毎日のように、何らかの理由であまりに短い“生”の時間を終えなければならなかった幼い命に関する事故や事件が伝えられる。 その度に、悲しみや憤りとともに、恐怖を感じる。  幼い生命が育たないということは、人類にとって、いや生物全体にとって、最大の恐怖なのだと思う。 このSF映画は、そういう人類という生物が直面するかもしれない絶対的な恐怖を壮絶に映し出している。  18年間、新生児が誕生していない近未来。 映画は、クライヴ・オーウェン演じる主人公が立ち寄ったコーヒーショップから出た直後に突如爆破されるシーンから始まる。 このファーストカットが驚くべきロングテイク(長回し)で映し出され、一気にこの映画の世界観の中に放り込まれた。  この映画ではとにかくロングテイクが多用されており、壮絶な襲撃や市街戦を描いたアクションシーンまでもが目を見まがう程の完璧なロングテイクで徹底的に描き出されている。 それにより観ている側は、この悲劇的な未来世界の中で問答無用に息づかせられ、荒涼とした世界の空気感と荒んだ人間たちの感情までもがひしひしと伝わってくる。  ストーリーの設定や展開は、よくある近未来世界を描いたその他の映画と変わりはない。 しかし、突き詰められた映像構造と、生命とそれが育つことの価値に対する真摯なスタンスにより、他にはないリアリティを生み出している。  一つの小さな生命を救うために数多くの生命が犠牲になっていくこと。それが何故正しいのか? この映画では何事においても明確な理由や答えは最後まで示されはしないが、現在の人類が今一度立ち返るべき根本的な価値観と在り方、それを考えるべき機会が示されていると思う。  幼い生命が育つという本来当たり前であるべき事象。それが成立するための条件が、「平和」ということだというのならば、やはりそれを願わずにはいられない。 「シャンティ シャンティ シャンティ」
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-30 10:21:19)(良:2票)
52.  ベティ・サイズモア
レネー・ゼルウィガー、この決して真っ当な美女ではない女優が何故にハリウッドで大成したのか。あまり彼女の出演映画を観ていなかった自分にとっては少々疑問だった。しかし、その“理由”がこの映画には溢れている。 プロットとキャラクターの人物設定だけを読めば、あまりに“イタ過ぎる”主人公を、この主演女優はとても愛らしく魅力的に体現し、息づかせている。  主人公の言動は、身も蓋もない言い方をしてしまえば、あまりのことに精神を病みイタイ暴走をしてしまっているに過ぎない。 普通に考えればドン引きしてしまいそうな言動なのだけれど、そうなってしまった理由はどうであれ、自分の“望み”に対して真っすぐに突き進む彼女の姿は、とても魅力的に触れ合っていく人々を虜にしていく。 口封じのために彼女を追跡していたモーガン・フリーマン同様に、気がつけば観ている自分も彼女に恋をしてしまっていた。  主題歌の「ケセラセラ」が表すように、人生はなるようになる。 ただそのためには、「自分」という人間を他の誰でもない自分自身が認めることが出来なければならない。 人間の弱さや脆さに裏打ちされた確かな“強さ”。この映画には、愛すべきコメディの中にそういった人間の根底にある「価値」がしっかりと存在していた。   映画には様々なジャンルがあり、それぞれに様々な感情が盛り込まれるが、唯一“コメディ”というジャンルが、その一つの中にあらゆる映画的感情を盛り込めるものであるということを、この映画は証明している。素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-04-28 02:10:53)
53.  ルパン三世VS名探偵コナン<TVM>
そもそも褒められる作品ではないだろうことは分かりきっていたので、ハードルを充分に下げて観ることが出来たことは、そこそこ“見れた”要因に繋がり結果オーライだったと思う。 馬鹿馬鹿しい粗に対してわざわざ怒ることの方が、よっぽど馬鹿らしいので、良かった点を挙げたい。  “VS”となっているが、やはりどちらかというとコナン寄りのストーリー展開は、作品としてバランスが良かったと言える。 越えてきた修羅場の質と量を考えれば、圧倒的にルパンが勝るわけで、ルパンメインの土俵が展開されては、一介の名探偵であるコナンが活躍する余地などなかっただろう。 あくまでコナンの活躍がメインの土俵で、ビッグゲスト的にルパン一味が絡んでくるキャラ立て方は、そもそも無理矢理な舞台設定の中で互いの特性を上手く引き出せていたとは思う。  あと、いつもは気恥ずかしいくらいに童貞感丸出しの「名探偵コナン」の世界観の中に、「ルパン三世」のアダルティなニュアンスが僅かながら加味されていて良かった。 それに伴う、コナン側のキャラクターの精一杯のエロさ加減が、このコラボレーションによる最大の成果だったのではないかと思う。  とは言っても、やはり「楽しめる」という表現を使うにははばかれる出来であることも事実。 それぞれの作品に対して、ギリギリ「冒涜ではない」と言えるレベルであることは否めない
[地上波(邦画)] 3点(2012-04-09 17:18:20)
54.  川の底からこんにちは
映画は、いきなりヒロインが腸内洗浄を行われるシーンから始まる。 少々横柄な女医の問いかけに対して、若干焦点が定まらない黒い瞳で「ふぁい」と返事をするその表現を観た瞬間に、このアイドル上がりの若い女優が、この数年で一気に日本映画界を席巻する存在に成っている理由が理解できた気がした。  この映画の全編を通して発揮されている「満島ひかり」という女優の抜群の存在感には、儚さと美しさ、そしてあらゆる“重さ”に耐える強い人間味が備わっていて、まるで韓国女優のような骨太さを感じた。 ああ、日本にもこういう女優が生まれたんだという新しい光みたいなものを明確に感じたと言っていい。 火を見るよりも明らかだが、このヘンテコリンな映画は、満島ひかりというトピックス的な存在があって初めて成立している。  ヒロインはあらゆる苦境に対していつも「しょうがない」と無表情で言って割り切る。 自分自身のことを鑑みて、“中の下”の女だから“中の下”の人生しか歩めないと、悲しいまでに達観してしまっているのだ。 周りの人間も揃いも揃って馬鹿ばかりだけれど、自分自身が馬鹿なんだから、それも「しょうがない」。  そうやって常に脱力感に溢れ、流れのままに人生を沈み込んでいくヒロインが、ついに川の底まで辿り着き、あたかも川底からすくい上げられる“しじみ”の如く、川面に顔を出す。 そうまさに「川の底からこんにちは」なのだ。  その様は決して劇的なことなどではなく、何の根拠もないただの“開き直り”ではあるけれど、今までただただ受け身としての「しょうがない」だった彼女が、“頑張る”と決めたのだから「しょうがない」とささやかな変化を見せる姿は、不思議な程に勇ましく、高揚感に溢れる。  人生は自分の望む通りにはならない。そんなことずっと前から知っている。 でも、ただ負けてばかりはいられない。だから、頑張るしかしょーがない。 人生など、それでいいのだ。と、ヒロイン同様、安い発泡酒を飲みながら思えた。
[DVD(邦画)] 8点(2012-04-03 13:57:48)(良:2票)
55.  SR サイタマノラッパー
“ラップ”という音楽表現が、日本の音楽シーンに根付いてもう久しい。 けれど、“日本語でラップをする”という表現方法が持つ根本的に拭いされない違和感と気恥ずかしさは確実にあり続けている。そういうものから目をそらさず、それでもこの表現で夢を追う若者たちの“無様さ”を真正面から描いた試みが良かった。  「自主制作映画」ということは知っていたけど、音声の違和感も含め思ったよりもチープな映像世界と素人臭い演技には少々面食らってしまった。映画冒頭の感触は、どこかの映画学校の学生が課題で撮ったものかと思える程で、果たしてこれからどんな映画世界が描き出されていくのか不安になったことは否めない。  繰り広げられる安っぽい映像や演技に嘲笑を禁じ得なかったけれど、気がつくとそういうことは気にならなくなっていた。 稚拙な演技も含めて、ださくて、格好悪い片田舎のラッパーたちの行く末が気になって仕方なくなってくる。 尽く格好悪い彼らの言動が、可笑しくて、仕方がない。  中盤でみひろが主人公に対して言うことは、恐らく間違っていまい。 何も出来ていない彼らは、きっと何も成し遂げることなく終わるのだろう。 それは、悲劇でもなんでもないあまりにフツーの現実だ。  「夢を追う」ということの愚かさとほんの少しの素晴らしさが入り交じった現実。 映し出される映像世界はとてもチープだけれど、それを不器用なまでにまっすぐに描いているこの映画の在り方はきっと正しい。 場末の焼肉屋で、ようやくバイトを始めたに過ぎない主人公が、夢を諦めかけている友人と自分自身に対して熱くライミングをするラストシーンは、それまでと変わらず、いやそれまで以上に格好悪く滑稽だ。 ただ、僕には彼を嘲笑うことなんて出来るわけがない。  P.S.みひろが良い。エロくて良い。当たり前だけれど。
[DVD(邦画)] 7点(2012-03-04 23:32:41)(良:1票)
56.  ボルト
個人的に“犬好き”なので、涙腺が緩んだポイントなどは挙げればきりがない。 ブロックバスター映画顔負けの劇中映画を描いたオープニングで、主人公ボルトが飼い主の少女を綱で引いてハイウェイを激走するシーンはもとより、その前のプロローグ場面から涙腺は緩みっぱなしだった。  そんな“犬好き”を惹き付けることなんてことは、この映画にとっては朝飯前のことだったように思える。 今作において最も特徴的で素晴らしいことは、“犬を犬として描き切っていること”だと思う。 他の多くのディズニー映画と同様に、今作においても動物たちは生き生きと喋る。しかし、それはあくまで動物間でのやり取りに限られており、必要以上に擬人化はされていない。 主人公の飼い主の少女をはじめ、登場する人間からは犬は犬、猫は猫、ハムスターはハムスターとしか見えておらず、きちんとそういう描かれ方がされている。 今までもそういう設定のアニメ映画は多々あったろうが、この映画で描かれている世界観は、あくまで人間社会の中で生きる動物たちのお話であり、動物が動物らしく描かれていることが、紡ぎ出されるドラマ性をより効果的に高めている。 それは、クライマックスで主人公が愛する飼い主を救い出すシーンのちょっと驚くくらいの「地味さ」を観ても明らかだ。  娯楽映画として単純な見た目の盛り上がりの乏しさに対して不満を漏らす人もいるのかもしれないが、この映画におけるその徹底した「犬の犬らしさ」こそが、ディズニーの動物映画としては珍しいほどのリアリティ感を生んでいると思う。  この当たり前のように言っている「犬を犬らしく描き出す」というアニメ表現を、さも当然のように成し遂げているディズニー・ピクサーの圧倒的な技術力と表現力に、改めて舌を巻いた。 それぞれのキャラクターの立たせ方、伏線を生かした小気味良い展開力、脚本自体が巧いとしか言いようがなく、それがこの魔法のようなアニメーション技術によって形作られているわけだから、面白くないわけがない。  前述の通り“犬好き”で簡単に涙腺が緩んでしまうので、逆に「犬映画」は積極的に観ないし、あまり好きではなかったりもする。 だからこそ敢えて言いたい、この映画こそ史上最高の「犬映画」だと。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2012-02-29 16:12:52)(良:3票)
57.  トランスポーター2
“B級”というテイストが、これほど主人公そのもののキャラクターに反映されている映画も珍しい。 ジェイソン・ステイサム演じる主人公は、これ見よがしに男気に溢れたヒーロー然としているが、何を置いても彼自身に“粗”があり過ぎる! 前作に引き続き、己に課した“ルール”をおおよそプロフェッショナルとは思えないほど容易に覆し、それがまんまとピンチに繋がっている。 ただし、その主人公の隙だらけのスタンスこそが、2作目にしてこの映画シリーズの確固たる“味わい”となっている。だから問題なし。  前作同様、ストーリーや諸々の設定の粗探しをしたって始まらない。何故なら、“粗”しかないんだから粗探しにならない。 奇しくも、あるウィルスパニックを描いた映画を観た後に今作を観たので、登場する細菌兵器の設定の浅はかさが問答無用に際立った。 しかし、この映画にとってそんなディティールへの配慮はすぐに意味をなさなくなる。 この映画は観客に対して、ひたすらに繰り広げられる“大馬鹿アクション”に乗れないのなら、潔く下車して頂こうという気概に溢れている。  その「乗車基準」を持ち合わせていたならば、ジェイソン・ステイサムが織りなす香港アクションを彷彿とさせる格闘シーンを楽しみ、ミラ・ジョボヴィッチ風のキレた女殺し屋のエロさを堪能し、まったく科学者に見えないジェイソン・フレミングのチンピラぶりに突っ込みを入れながら、秀逸なB級アクションの世界に浸れるだろう。  爆弾が仕掛けられた愛車から飛び降りるのではなく、ジャンプした車体を捻らせて空中のフックで爆弾を削り落とすという「判断」を受け入れられるかどうか。 この映画の“敷居”は意外と高いかもしれない……。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-02-15 16:42:40)(笑:1票) (良:1票)
58.  レスラー
冒頭、カメラは主人公の背中を延々と追い、そのうらぶれた様を映し出す。 そこからは、ただこの男が惨めな生活に追いやられているという状況説明だけでなく、プロレスラーとして確実にあった過去の栄光を雄弁に物語ると共に、彼が今なおリングに上がり、そこで少なからずの尊敬と敬愛を受けているということがしっかりと伝わってくる。 そういう描写の後に、ミッキー・ロークの表情が映し出された瞬間、「ああ、この人はかつてのスターレスラーだ」とリアルな存在感を持って納得させられる。 この冒頭数分間の主人公描写の時点で、この映画の成功は間違いないと確信した。  イントロダクションからは、かつてのスーパースターの復活を描いたサクセスストーリーのような印象も受けるが、今作は決してそのような綺麗な映画ではない。 主人公の風貌そのままに、汚れ、くたびれ、傷だらけの映画だ。 「満身創痍」という言葉が相応し過ぎる映画世界、そしてミッキー・ローク演じる主人公の「大馬鹿野郎」としか言いようがない生き様に対して決して共感は出来ない。 ただしかし、引き込まれ、目が離せなくなる。  プロレスに生き続けた老ファイターが、遂に最後までリングにしか居場所を見出せなかったと言えば聞こえは良い。 しかし、そこに映し出されているのは、愚かで、切ない一人の男の姿であり、この映画が描こうとしたことはまさにそういう人間の根本的な無様さだ。  “現実”の死を厭わず恐らく最後になるであろうリングに立つ男の姿に涙が溢れるわけではなかった。 唯一残された「居場所」、そこに立つまでの男の全ての言動が、哀しく切ない。 この映画に描かれていることも、描かれていないことも、この男の人生そのものに涙が溢れた。  リング上で闘い続けるということが、逆接的に立ち向かうべき己の人生から逃げ続けたこととイコールになる悲哀。 ただし、それが不幸だろうが幸福だろうが、決して他人はその人生を否定も肯定も出来ない。 その価値を計れるのは、紛れもないその人生を生きた本人しかいない。  「生きる」ということの普遍的な厳しさと、だからこそ垣間見える人間の煌めきが心を揺さぶる。これはそういう映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-02-11 01:33:57)(良:2票)
59.  くもりときどきミートボール
たぶんこのアニメ映画のイントロダクションを見聞きした人の殆どが、今作の持つ「性質」を誤解したまま観たり、また敬遠してしまっていると思う。  イントロダクションを見ただけでは、“珍発明”によりありとあらゆる食べ物が空から降ってくるドタバタ騒動を描いた低俗な子供向け映画という印象を持ってしまうことは致し方ない。 そして、日本人の食文化に対する感覚からすると、“空から食べ物が降ってくる”というファンタジー性自体に、幾ばくかの嫌悪感を感じてしまい、より敬遠してしまうだろう。  しかし、実際にこの映画世界に描かれる「本質」は、決して低俗ではなく、また子供向けでもないと言える。むしろ、子供にはこの映画が持つシニカルなユーモアは理解しきれないと思う。  この映画が描くものは、「飽食」に対する問題意識を礎にした現代社会に蔓延する病理性への警鐘だ。 際限なく降ってくる食べ物に対してぞんざいな扱いを続けた人間たちに、食べ物自体が“災害”として襲いかかる。 もちろん、あり得ない設定だし、時に描かれ方が悪趣味にも見える。しかし、それこそがこの題材をアニメ映画として構築する意味であり、価値だと思う。 「飽食」という常態化している問題を、アニメーションならではのフィクション性と馬鹿らしさの中で描くことで、逆に問題の異常性が浮き立ってくる。  エゴイズムを全面に出し、溢れる食べ物を食べ漁りみるみる太っていく市長のキャラクターは、まさに現代人の権化であろう。 ラストカット、海の上で一人取り残された市長が「船まで食べちゃうなんて馬鹿だよね」という台詞は、まさに自らが生きる環境をも食い尽くそうとしている人間に対するある種直接的な批判だった。  そういう意外と真っ当なテーマ性を孕ませつつ、実際はひたすらに愉快にアニメーションが繰り広げられる。 随所にあらゆるエンターテイメント映画のオマージュ的な描写も見られ、どこまでも楽しませてくれる。 また敷かれている脚本は意外なほど緻密に構成されており、細かな伏線の確実な回収も含めて、物語的にも非常に良く出来ている。  表面的なイメージのみで観る映画の取捨選択をしてまいがちだが、それによって大いに損をしてしまっているかもしれないということを改めて感じさせる極めて秀逸なアニメ映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-02-06 21:24:18)(良:1票)
60.  トランスポーター
「運び屋」と銘打っているくらいだから、「TAXi」よろしく強引なカーアクションが問答無用に展開するB級アクションなのだろうと高をくくっていた。 B級アクションであることは間違いなかったけれど、想像以上にジャンルを無視した“ナンデモアクション”が荒唐無稽に展開され、失笑と馬鹿笑いの間で思いのほか楽しめた。  ジェイソン・ステイサムという俳優は、初期のガイ・リッチー監督作品でのブリティッシュマフィアの役柄の印象が強く、これほどまでアクションスター然としたパフォーマンスを見せるとは思わなかった。 アクションスターとしてのスタンスは、かつてのジャン=クロード・ヴァン・ダムらを彷彿とさせるもので、もはや“古臭さ”さえ感じるが、逆にあの時代のアクション映画で育った者としては、面白さを感じてしまうことを否定できない。 思った以上に鍛え上げられた体躯から繰り出される格闘アクションにも充分に説得力があり、香港映画ばりに舞台環境を駆使した闘い方には、リアリティなんて無いが素直に面白かったと思う。 偉そうに運び屋のプロとしての口上をのたまう割には、おおよそプロらしくない人間味を早々から曝け出してしまうキャラクター性も馬鹿らしくて良かった。  ストーリーに目を向けてしまうと、粗なんて突っ込みきれないほどあり、まともに見られたものではない。 が、主人公の無骨だけれど人間味のある格好良さや、アジア系ヒロインの可愛さも相まって、映画に溢れるあらゆる“粗”を“見て見ぬふり”をさせてくれるB級アクション映画としての娯楽性は充分に備わっていると思う。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-02-05 09:25:38)
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