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よしのぶさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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41.  ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 《ネタバレ》 
「全てを映す、あらゆる視点から映す」という編集方針が成功の要因。この映像を見れば、どんな朴念仁でも、”ウッドストック”が単なる音楽祭でなかったことは容易に理解するだろう。約30組の人気アーティストの熱演と熱狂する大群衆の姿を見るだけでも圧巻なのに、ドキュメンタリー映像が付加され、当時の社会的状況や若者文化の一端が垣間見れる。音もフィルムもカメラワークも荒削りだが、これらが三位一体となって価値を高めており、間違いなく歴史に残る映像だ。特徴を一言でいえば「若者の熱狂」だろう。当時の音楽には若者を熱狂させる魔法のような力があった。愛や平和への切実な思いが込められていたからだろう。ベトナム戦争反対運動、徴兵忌避、麻薬の乱用、従来の価値観を否定するヒッピー文化の興隆など様々な社会変動の中で、最大規模に催されたイベントだった。企画が金銭目的でなかったのはあきらか。農場主のスピーチや、意外にも若者をほめる警察署長や医者など心温まるインタビューがあるが、最も感銘を受けたのはトイレ掃除のおじさん。芳香剤を置く気配りを見せて「自分にも彼らくらいの息子が二人いる。一人はベトナムに行っている」これにはほろりとさせられた。音楽のことはわからないけど、居ても立ってもいられず、トイレ掃除のボランティアを買って出たのだろう。ディレクターカット盤は225分、40周年記念盤は更に170分追加されている。好演が多い。ウッドストックを代表する曲を一つ選ぶとすれば、リッチー・ヘブンス がゴスペルの歌詞を借りて即興演奏した「フリーダム」だ。コード弾きを越えた「親指弾き」での熱唱は神がかり。三大ギタリストは、ジミヘン、ジョニー・ウインター、サンタナで、これにアルヴィン・リー、ピート・タウンジェント、レズリー・ウェストと続く。三大歌手は、ジョー・コッカー、ジョーン・バエズ、ジャニス・ジョップリン。二大ドラマーは、キース・ムーンと19歳のマイケル・シュリーヴ(サンタナ)。視覚的なカッコよさは、ザ・フー。上半身裸でマイクを振り回し、若さを発散させるダルトリーの姿は、ロックンロールそのもの。ジミヘンはトリに相応しい。スケジュールが押しに押して登場したのが四日目の朝となり、観客は2万数千人に減っていたが、演奏は文句なしに素晴らしく、特に「星条旗よ永遠なれ」の風変りな美しさは誰の耳にも記憶に残るだろう。天才のなせる業だ。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-16 16:40:22)
42.  ウエスタン 《ネタバレ》 
「もしルキノ・ヴィスコンティが西部劇を作るとすれば」をコンセプトに作られたらしい。道理で、カルディナーレを起用したり、歴史劇要素を盛り込んでいるわけだ。観客の期待を良い意味で裏切る。冒頭、永々と三人の無頼者の”顔芸”をクローズアップで魅せたあと、満を持して主人公ハーモニカが登場。言葉の言いがかりによる撃ち合いで、あっという間に全員倒れ、しばらくして、ハーモニカが起き上がる。次にアイルランド移民のブレッド一家が登場。が、三人は突如射殺される。殺し屋が登場すると、その顔は”アメリカの正義”ヘンリー・ホンダ!残った子供が登場して、そこで初めて音楽が流れる。それまでは生活音のみ。音楽も素晴らしいが、このじらしにも似たタメが見事な効果を上げる。ここまでは芸術品。子供をも殺す残虐性を見せつけ、映画の方向性が決定する。ブレッドの妻が登場して中だるみするものの、馬車が休憩所に入ってから再沸騰する。外でけたたましい馬のいななきと拳銃音が響いたあと、のそっと入ってくる一人の男。酒を飲む手がアップとなり、囚人と知れる。何と不気味なことか。そしてハーモニカとの息づまる初対面。ケレン味に満ちた演出で、十分に時間を使った序章は完璧。監督は才能を出し切っている。この緊張の糸が最後まで持続しなかったのは悔しい。一見して主題は「復讐」にみえるが、実は「夢」ではないか。ブレッドの夢は、自分の土地に鉄道が引かれ、町が建つこと。それを夢見て、十数年も待ち続けた。妻の夢は、娼婦をやめ、田舎で暮らし、普通の家庭を持つこと。鉄道王モートンの夢は、鉄道を海の見える太平洋にまで引くこと。病気で余命の少ないことが、彼を犯罪にかりたてる引き金となった。悲劇である。ハーモニカの夢は兄の仇討ち。複数の夢は交差し、死ぬ者は死に、去る者は去り、残るものは残った。そして新たな町に新たな歴史が刻まれる。わかりづらい部分がある。冒頭、ハーモニカがフラスコの部下三人を殺すが何故?事故なのか?フラスコがハーモニカを雇ったはずだが。もう一つ、山賊のシャイアン一味がモートンを襲う場面が省略されている事。シャイアンがモートンに撃たれたにしては、戻ってきた姿が元気すぎる。ここと、ハーモニカが死にゆくフラスコにハーモニカを銜えさせるところがリアリティに欠く。尚ブレッドの娘がダニーボーイを口ずさむが、この歌詞は1910年のもので時代が合わない。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-13 06:22:03)(良:1票)
43.  アスファルト・ジャングル 《ネタバレ》 
荒涼とした都会の犯罪多発地域が舞台。不況のせいで庶民の生活は苦しく、心は荒んでいる。そこへ出所した知能犯ドックが、周到に練られた宝石商強奪計画を持って現れたところから物語が動き出す。宝石略奪という大博打にかける六人男たちの行動と心理が鮮やかに描かれる。表情を常に正確に捉えるライティングや端正に構図を決めるカメラワークは好印象。緻密な計画だが、弁護士があらかじめ裏切りを決め込んでいるなど、不確定要素を含んでいてサスペンスが持続する。うまい脚本だ。舌を巻くのは各人の掘り下げがきちんとできていること。個性豊かなのが嬉しい。全員根っからの悪党ではなく、善人の部分と精神の弱みを併せ持つところが味噌。実に人間らしいのだ。ドックは頭脳明晰で大胆かつ紳士だが、若い女性に弱く、失敗は偶然のせいにして反省しない傾向が強い。そのため自滅する。用心棒のディックスは競馬狂いで強盗常習犯だが、子供時代に育った農場を買い戻す夢を捨てていない。そっけないが、約束は守り、女性にも親切だ。資金提供者のエマリックは悪徳弁護士で高利貸しだが、若い娘を囲うなどの散財で破産の憂き目にある。それでも病気の妻への愛情は持ち続けていて、最後は自責の念から自殺する。金庫破りのルイは風邪をひいた自分の赤子を気遣う、良き父でもある。運転手のガスは食堂経営者だが、せむしで小男のため世間からは冷たい目で見られている。金に困っているディックスに金を融通するなど、友情に篤い面がある。賭博業者コビーは大金を見るだけで汗をかくという気弱な性格。これに賭博業者と結託する悪徳刑事とディックスに思いを寄せる女が絡むのだから、面白くないわけがない。犯罪撲滅に苦慮する警察側の様子も描かれるという丁寧さ。まだ無名のマリリン・モンローが花を添えるという贅沢さもある。監督が描きたかったのは、犯罪そのものではなく、犯罪を生む風土だ。死人の出る犯罪映画だが、過激で扇情的な演出や痛快なアクション、美男美女の織り成す恋愛などの現代映画的な要素はなく、むしろあっさりしている。これは時代の制限であり、監督の良心でもあるのだろう。古い映画だが、今でも映画作りの手本になる映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-10 15:48:17)(良:1票)
44.  彼とわたしの漂流日記 《ネタバレ》 
これは拾い物。隠れた名作的位置づけにあたる作品だ。生きる希望を失い、孤独な生活を続ける二人の男女が知り合い、奇妙な交流を通じて自己再生していく物語。その”奇妙さ加減”が抜群に面白く、コミカルな小ネタもふんだんで、観る者を飽きさせない。意表を突く展開の連続で、先が読めない小気味さがある。丁寧なカメラワークで二人の繊細な内面を写しだす手法には感服する。韓流特有のオーバー・アクションや感情過多は少なく、むしろ控えめな演出で、日本人には共感しやすい。◆男はリストラ、離婚、借金苦で、人生に絶望し、橋から投身自殺を図るが、漢江の中洲の無人島に漂着する。最初は助けを求めたり、自殺を図ったりしてあがくが、いつかサバイバル術を覚え、そこに住み着くようになる。砂浜に描いたHELPがHELLOWに変わるのがおかしい。女は三年間、マンションの一室で引きこもり生活を続けている。両親とは会話もしないが、ネットでは別人になりすまし、偽りの対話で自らを慰めている。趣味は月の写真を撮ること。月に人類はおらず、完全な孤独なところに魅かれるのだ。年に二度、地上を撮ることがある。有事訓練で路上に人がいなくなるときがあるのだ。そのとき女のカメラが偶然に中洲の男を捉えた。男が孤独であると知った女は、内なる欲求に抗いきれず、ついに男との交流を図る。それが何とも不器用で、朴訥で、はがゆく、おかしく、そして微笑ましい。最初の返事が来るのに二月半もかかるし、メッセージも一行だけという慎ましさだ。だがこの交流で二人の心に変化が芽ばえ、徐々に人間らしさを取り戻していく。その過程はやわらかく、しなやかで、孤独がちな現代人に温かいメーっセージとなって伝わってくる。◆台風の日、女はネットでのなりすましがバレて、逃避先を失う。男も台風の清掃にきた職員に発見されて、島を追われる。絶望した男は自殺を決意する。それを止められるのは女だけだ。女は必死に走って男の乗ったバスを追い駆けるが追いつけない。もうだめだと諦めたとき、奇跡が起きる。漸く初対面を果たせた二人の眼から溢れでる涙。それは忌まわしい過去を流し、本来の自分を取り戻した喜びの涙だ。沖を流れるアヒルの船が映し出されて終了。この船は、男が住居としていたもので、男は”醜いアヒルの子”を自認していた。”醜いアヒルの子”との訣別という象徴性に富んだエンディングに拍手。才能のある監督です。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-11-08 14:01:12)(良:2票)
45.  死刑台のエレベーター(1958) 《ネタバレ》 
サスペンス映画の傑作。2つのサスペンスが同時に進行し、意表外なことから思わぬ展開となり、複数の犯罪が一気に白日の下にさらされるラストは見事である。中年の愛と若者の愛も描けている。硬質なモノクロ映像、心理描写に卓越したカメラワーク、主演女優の艶麗な美しさ、クールで洗練された音楽、頗るゴージャスだ。完全犯罪を目論んだが僅かの偶然から破綻していく過程を見せる映画のように見えるが、そうではないだろう。主題は「倦怠(アンニュイ)からの開放」。登場人物のほぼ全員が倦怠を感じている。倦怠とは、退屈な生活、本来の自分でない自分に対する嫌悪感といったところ。社長夫人は、夫との愛のない生活に疲れ果てている。ジュリアン(大尉)は戦争で死線をさまよったが、戦争で儲けている男の下で働いている。花屋の娘は、退屈な仕事と貧しさに甘んじながら一人暮らし。青年はやりたいことが見つからず、仕事もせず、バイク窃盗で指名手配され自暴自棄になっている。その他、秘書、警備員、各飲食店の従業員、酔っ払いの大尉の友人、警察の受付まで、誰一人明るい顔をしていない。人生に倦む現代人の無表情がそこにある。倦怠を暗喩するのが雨模様の夜の都会であり、その中を夜を徹して恋人を探して徘徊する社長夫人の姿は、自由を渇望してもがく現代人の姿そのものだ。恋人通しがお互いに惹かれ合うのは、倦怠から脱出したいという共通の素懐があったからだろう。彼らは犯罪を起こす前から 倦怠という名のエレベーターの狭い空間に、息も絶え絶えに閉じ込められていた。だからこそ中年の恋人達は自分たちの邪魔になる男の殺害するという決死の決断をし、若い恋人達は自分たちの犯罪が明るみになりかけたとき、躊躇なく自殺を決行したのだ。殺人を犯したことでエレベーターは死刑台へとつながる。展開上、若者の恋人達は、中年の恋人達をかき乱しているだけの存在にみえるが、実は両者は対等だ。アンニュイを感じている人ほど、この作品に惹かれるのではないか。残念な点もある。鉤爪付きロープが地上に落下しているが、もし雨などのせいで勝手に滑り落ちたとしても、ベランダに落ちるはず。ロープは回収するつもりだったが、警備員が部屋に入ってきて、あとで回収するしかなかったという筋にすべき。殺される観光客はおちゃらけすぎ。最後の抱擁写真だが、あれは一枚で良い。風景写真の中にたった一枚あった方が印象が強い。
[DVD(字幕)] 9点(2012-10-06 04:20:24)(良:1票)
46.  白い馬(1952) 《ネタバレ》 
鮮烈な印象が残る映像詩。寓話性、象徴性に富み、映像と物語が高度に昇華された好短編。白い馬の気高き精神、他者に屈しない自尊心、野生の剛健さ、躍動する生命力が遺憾なく表現されている。最後の行動は、自由を奪われるくらいなら死を選ぶというような単純な考えではない。少年と馬を衝き動かしたのは、常人では考えもつかぬ、より高みへ進もう、未知の新天地を目指そう、新しい冒険の旅にでようとする開拓精神の表れだと思う。沖に漂う少年と馬は若さと自由のメタファーであり、逃避や自殺などでは決してない。最後は光となって消えた「かもめのジョナサン」と比較されるべきものだ。 ◆最後の語り「強くたくましい白い馬は友である少年を素晴らしい土地へと運んでいった。人と馬が仲良く暮らせる国へ」は余計だ。何故少年と馬は沖へ沖へと進んでいったのか、いつか戻ってくるのかなどを想像させて、深い余韻を残すのが常套手法。短編であればなおさらだ。 ◆惜しいのは少年パート。少年の内面が見えてこない懸念がある。少年が自尊心の高い白い馬に認められて、強い絆を築く過程がややもすると平坦。少年が何度も捕まえようとしては失敗し、時には怪我をし、時には馬飼達から守ってやるなどの辛労、精神力を見せる場面がもっとほしい。心の成長を見せてほしい。短編で尺が足りず、仕方ないのだが、非常に残念である。少年の弟(妹にみえる)が、三年後に「赤い風船」の主役を演じるとは驚きだ。子供の成長は早いもの。「赤い風船」と同じ主題であることにも驚いた。このごつごつとした現実とは別に、どこかに理想郷が存在すると夢想しているのだろう。そのロマンチシズムに乾杯。監督さん、あなたは詩人だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-09-13 19:28:41)
47.  アンストッパブル(2010) 《ネタバレ》 
ちょっとした手違いから、39両編成もの貨車列車が暴走を始めてしまった。止めなければならないが、会社が手を尽くしても止めることができない。このままでは大きな被害がでるという危急存亡のときに、機関士と車掌の英雄的行為により止めることに成功する。表面的にはそういう内容だ。だがこの映画は、暴走列車をただ止めるだけの単純な痛快アクションではないと思う。それだけで精神の高揚や感動は得られないからだ。どうして感動するのか?それはどうして主人公二人は、敢えて自らの生命の危険を冒してまで、暴走列車を止めようとしたのか、という問いに集約される。その答えは「人の命を救いたい」という本能に基因するものだろう。特別な人間でない、ただの鉄道職員が、ある日英雄になるのはそのためだ。特に救う命が自分の家族であったり、大勢であれば自らの死も厭わないと考える。これが人間の本質だと思うし、思いたい。この素朴な生命尊重の倫理が、観客の根底に備わっているので感動するのではないか。勿論、ベテラン機関士の会社への意地や若手車掌の家族を守りたいというドラマ部分での感動の底上げもある。加えて、危機感を煽るために、暴走貨物には可燃燃料と有毒化学物質が大量に積載されており、脱線必至な町郊外の急カーブ地点付近には石油コンビナートがあり、もし脱線すれば大変な被害が予想されるという過剰設定もある。しかしそれらを省いたとしても、感動の本質は変わらないと思う。観客は無意識に、暴走列車の圧倒的な重量感、疾走感に、命の危うさ、大切さを感じ取っているのではないだろうか。轟音が心臓の音、疾走する姿が生命の躍動に見えてくる。そしてもし事故が起ったら死ぬであろう大勢の人のことを想像してしまう。だから、つい手に汗を握って観入ってしまうのだ。こう考えると、この映画は、やはり単なる暴走列車映画ではなく、人間の本能、本質に訴えかける人間賛歌の映画だと思えてくる。◆余談だが、列車の脱線は簡単にできる。アラビアのロレンスよろしく、ダイナマイトで線路を爆破すればよいし、そんな大げさでなくても、松川事件のように犬釘を抜いて、ボルトを緩めるだけで脱線転覆する。脱線装置という効果あいまいなものに頼る必要なないと思った。監督の冥福を祈ります。 
[DVD(字幕)] 9点(2012-09-09 20:01:08)(良:3票)
48.  さらば箱舟 《ネタバレ》 
前近代的、土俗的因習の残る「村」が舞台。村全体が本家・分家の疑似家族で、本家により価値観と時間が一元支配される。支配の象徴が柱時計で村崩壊と共に時計は止る。冥界に通じる「穴」は「村の死」の表徴で、村の瓦解と共に巨大化。死は否定的ではなく、生も死もおおらか。村崩壊の原因は隣町(近代社会の象徴)から流入する物や人。鋳掛屋、写真屋、時計売り、電柱・電話、偽家族、旅芸人等。◆近親相姦の禁忌に触れたため、いとこの捨吉と結婚したスエは髪(女性性の象徴)を切られ、貞操帯を着けられる。大作と捨吉は対極の関係。大作は本家の嫡男で、女を自由に抱ける。捨吉は分家で、妻さえも抱けない。不満の爆発した捨吉が大作を刺殺。本家の世嗣を失い村の崩壊は加速する。捨吉は逃走するが元の家に還る。彼自身が村の掟という呪縛(価値観)の囚人で、無意識に「ものを忘れる」ことで自らを罰する。大作の亡霊が見えるのは罪意識の所為。「俺」の札を首にかけた捨吉は自己喪失の象徴で、消えゆく村の予兆。捨吉と村は一如。彼が柱時計を持つと掟破りの罪で村人に殺される。彼が死んでスエの貞操帯は外れる。長髪を付け(女性性の回復)、ダイ(本家の偽跡取り)と性交するが、終ると古い家は消えた。全員村を去るが、捨吉を棄てられないスエは留まり、隣町の存在を否定。百年経たないと強い絆で結びついた村(箱舟)の本当の価値はわからないと予言し、花嫁姿で「穴」に身投げする。百年後。村人の子孫は都市に住むが、集合写真を撮る程度の絆は残る。写真は百年前の姿に一変。人間の本質は何も変わらない。生き代わり、死に代わりして、命脈を繋げる人間の逞しさ、いとおしさ。監督の死生観の表明。美と醜、原色と白黒、猥雑と神秘、エロスとタナトス、現実と虚構の交錯する独自の映像詩に瞠目。◆木等に縛った布は村の戒めの象徴。随所挿入の老婆は時の流れを客観的に見守る神(監督)。浮遊石は神への信仰心の象徴で徐々に地に落ち、めり込む。チグサは神秘の象徴。人と神が未分化の状態で、エロスと死の女神。神の戒めを解く力があるが不用意に近づけば死ぬ。黄の花弁はあの世とこの世の境界の象徴。ダイが「穴」に落ちて成長したのは、「穴」が成長を促したから。よそ者ダイの成長は村の死を早めることになる。村人の火の踊りは絆の象徴で、村として最後の光芒。竃の火は家の象徴。金貨は村の財産の象徴だが、村が消滅していては活かされない。
[DVD(邦画)] 9点(2012-08-12 19:34:32)(良:1票)
49.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
CGによる肌、布、植物等の質感の再現は頂点を極める。奥行きの空気までも再現したかのような背景は申し分のない素晴らしさ。俯瞰、仰瞰、スパイラルと自由に動き回る目線(カメラ)移動は、観客を物語の世界に引き込む効果がある。着実な技術の進歩がみられる。◆童話ラプンチェルの設定を巧く活かして、そつのない恋愛・冒険物語に仕立て上げている。悪女ゴーテルにより赤ん坊の時にさらわれてきたプリンス。彼女の髪に若返りの力があるためだ。塔に幽閉されている少女は当然ながら自由への憧れが強い。そこへひょいと出現したが追手からかろうじて逃れてきた、ちょいと軽めの泥棒青年。これで恋愛パートは成立。◆意表を突いたのは次の部分。①少女がどうしても見たいと思った、誕生日毎に揚げられる空飛ぶ灯籠群は、実は誘拐された少女への思いを込めて国王妃と人民が揚げるものだった。②少女が自分の本来の姿と母と思っている人の正体をどうやって知るのかに注目していたが、秘密を解く鍵は少女の描いた壁画の中にあった。見慣れているものの中に秘密が隠されていたという驚き。少女が自らの力で自分と母の秘密を解くところが水際立つ。③ラストの展開は「総てを知った少女が、青年を助けにお城に馳せ参じる」と予想したが異なった。脱走した青年が少女に会いに来た。ただ青年がいつも他力本願なのは遺憾。脱走も馬と悪党達のお膳立て。◆ラストで、少女は瀕死の青年を救うために髪の力を使おうとする。青年はそれでは少女が死んでしまうと髪を切ってしまう。結果髪の能力は失われ、ゴーテルは魔法が解けて老いた姿で転落死(カメレオン、グッジョブ)、青年は奇跡的に少女の涙で生命を取り戻す。これは原作の「女の涙で男の盲目が治る」の因襲。両者の自己犠牲精神が奇跡を呼ぶわけだが、遺憾なことに青年を治すと少女が死ぬ理由が説明されていない。◆髪には若返る力、治癒力があるが、他の使用アイデアが面白い。長髪エレベーター、緊縛用、光らせて水中探索、ターザンの綱代わり。でも少女の能力は髪だけではない。真の能力は純粋な心だろう。それが閉ざされた青年の心を開き、悪党達に夢を持つ心を思い出させ、馬を仲間に引き入れる。観客も冒険にはらはらしながら、実はそこに感動している。◆気になる点。生まれたばかりなのに髪が長すぎ。ゴーテルは若返ってから魔法の花が発見されたのに、赤ん坊をさらいにきたときには老けていた。
[DVD(字幕)] 9点(2012-08-09 18:17:12)
50.  ネバーエンディング・ストーリー 《ネタバレ》 
ファンタジーの金字塔。物語が入れ子構造で、物語と現実が交差する。本を読むと物語の主人公になれる魔法のような本があったら。この設定が”神がかり”で、想像の翼はどこまでも飛翔する。少年が本に出会ったのは偶然ではない。母親を失くした喪失感、学力優先の授業、学友からのいじめ。現実のなんと厳しいことか。少年は慰みを本に求めていて、ファンタジーの住民だったのだ。”無”によって消滅の危機にあるファンタジー王国を救うために勇士アトレイユが出発して冒険物語が始まる。美しくて壮麗な景観がファンタジーの世界へと誘う。次から次へと襲う試練と危機で飽きることがない。仲間である王国の住人達は見ていて楽しい。特にロックバイターは個性的でお気に入りだ。”無”の放つ刺客ともいうべき黒狼の存在が不気味で、緊張感を与えている。物語に弛緩箇所は無い。アトレイユは自分の本当の姿が映る鏡の前に立つ。そこに現れるのは本を読む少年の姿だった。自分が子供だったとして、本の中に自分のことが書いてあったらどれだけの衝撃を受けるか、計り知れないものがある。ここから物語は少年と一緒に進む。アトレイユは武器を持たず、試練は精神的なものが多い。悲しさに捉われると沈んでしまう沼。自分の本当の姿が映る鏡。勇気がゆらぐと通れない門。これは少年がアトレイユと同じ精神状態となり、一体となるための工夫。やがて少年は知る。王国は人間の空想の世界の産物で、人間の夢と希望で作られている。希望を失い、夢をあきらめかけている人間の心の空しさ、絶望が”無”の正体であることを。アトレイユも知る。自分の冒険の旅は、実は人間の子供を王国に連れてくるためのものだった。そして、それは成功した。王国を救うためには人間の子供が女王に新しい名前を付ければよい。それは新しい空想物語が始まることを意味していた。少年は母の名前(実はムーンチャイルド)を叫び、王国は再生された。少年はファルコンに乗って現実世界に戻り、いじめっ子に仕返しをするが、これは蛇足。成長した少年がいじめっ子と堂々と渡り合う姿を見せれば良い。技術的には、機械仕掛の創造物の顔の表情が豊かなのに驚く。日本の特撮では見受けられない精巧さだが、四足動物の動きは再現出来なかったようでカットされている。キーアイテムのアウリンの活躍が少なくて残念。アトレイユの冒険の旅も又壁画に描かれていたという凝った構成には脱帽。
[DVD(字幕)] 9点(2012-08-08 03:08:40)
51.  赤ひげ 《ネタバレ》 
「貧困+病気=不幸」だが、不幸の様子は人によって様々。ここで描かれる不幸模様は通り一遍のものではなく、大不幸と呼ぶべきもの。底辺に生きる人々の姿を描く事で人間の真の姿、エゴ、死の荘厳さ、人と人の絆、人間愛等を浮き彫りにする。不幸だから可哀相という皮相的な描き方はしていない。人間が自分の力ではどうすることもできない運命や不幸にみまわれた時、それをどう受容するか、どう考えるか、どう行動するか、いくつかの切り口で見せてくれる。不幸には多面性がある。不幸を背負った者にしかわからない事、味わえないものがある。不幸になって初めて幸福だった自分を知る事もある。もしかしたら不幸は、人間らしくあれと神様がお授けになったものかも知れない。不幸があってこそ偉大な人生が歩める。そんな感傷的な考えが思い浮かぶほど、考えさせられる映画。名作です。何より無駄が無いのが心地よい。例えば、おとよの着物の使い方。まさえがおとよに着物を贈る。心を病むおとよは着物を溝に捨ててしまうが、やりて婆が迎えに来て「着物がうちにいたときのぼろのまま」となじると、「私はこんな佳い着物を持っている」と服を見せる。着物一つでまさえの優しさ、おとよの病気、その回復ぶりが顕かとなる。巧いです。いちいちおとよ目元にライトが当る職人芸も満喫。気になる点もある。それは赤ひげが遊郭の用心棒を叩きのめすところ。赤ひげをスーパーマンする必要はない。人間味ある医者としての赤ひげに弟子の保本が心酔し、成長する姿を描くのが主軸。他の要素を入れず、医者物語で終始してよいと思う。他にも気になる点がある。保本が手術に立ち会い失神するが、これはまずない。保本は長崎で蘭医学を3年以上修行している。蘭方医と漢方医が覇を競いあっている時代で、蘭方医が出来て漢方医が出来ないものが外科、内科手術。手術は念入りに実施研修する。左八とおなかの挿話だが、おなかは佐八との生活を「幸せすぎて怖い」と感じていたところに地震が起きて、罪意識から佐八の許を去る。ミステリアスな展開だが、再会後おなかは自責の念にかられ「強く抱いて」と佐八に短刀を突かせて自死する。乳呑児を持つ母が自殺するとは思えないし、最愛の男に殺人をさせるのも疑問。相手を苦しめるだけ。看病日記だが当時は全て候文で、「おとよははっきり意識を回復した」等と口語では書かない。これは完全なミス。
[DVD(字幕)] 9点(2012-07-12 01:44:40)
52.  羅生門(1950) 《ネタバレ》 
芥川龍之介と黒澤明の夢のコラボ。人間の心の怖さ、脆さ、危うさ、人間不信、人間愛を描いた作品。原作「藪の中」では三者三様の別々の矛盾した物語が述べられ、真相は語られないる。対して本作では、解答編すなわち杣売の目撃談が語られる。非常に丁寧に作られた作品で、映画作りに対する真摯な態度に頭が下がる。先ずは時代背景。疫病、飢饉、台風、火事、盗賊の横行、羅生門の放棄死体等の話題を出し、人民が荒廃している様子が示される。その象徴が半壊放置の羅生門。次に事件のあった日のうだるような暑さ。ぎらぎら輝く太陽、木漏れ日、顔に映る葉影、玉の汗、光る刀、岩清水…枚挙に暇がない。この暑さが事件の外因になっているのだから重要だ。そして人間不信に陥った杣売、僧の心の状態を表現する大雨。こういった道具立てに手抜きがない。映像も例えば、開始15分30秒に騎馬の多襄丸が夕日を背景に疾走するワンショットの目の覚めるような美しさ。映画に対する意気込みが違う。意図せず芸術になっている。恐ろしいと感じた場面がある。それは「青葉を鳴らして涼しい風が吹いた」という偶然が、多襄丸に女の顔を見せ、犯行の動機になった事。偶然により大きく狂わされる人間の運命というものに震撼した。もう一つ。武士は被害者なのだが、思いめぐらしてみれば、そもそもは多襄丸の口車に乗って刀や鏡を安く手に入れようと欲を起こしたことに非がある。ほんの少しの欲が顔をもたげたばかりに殺されることになってしまう悲運。人知を超えたものだ。そして女の美しさ。美しいことは罪だろうか?多襄丸が女をものにしたいと思ったのも美しさの故だ。美しいという美徳が罪悪の原因にもなるという撞着。菩薩にも魔性になる女の変化。価値観が揺り動かされます。最後に、恥の文化。恥は名誉を重んずる事で人間を人間たらしめる。証言が矛盾するのは、対面や体裁を取り繕う気持ちが強いから。無意識に自分自身を騙し、信じたいものを信じてしまう事もあるだろう。人間の心がいかに危うい価値観の上に成立しているか、それを認識させてくれる稀有な作品です。最後のメッセージは明快で、人間の本来持っている善の部分を信じたいということ、赤ん坊の未来は明るいということ。大雨の後の雲間に希望の光が射してくる。とても単純だけども、とても力強い演出です。ヒューマニスト黒澤明ここにあり!
[DVD(邦画)] 9点(2012-07-11 16:33:52)
53.  銀河鉄道999 《ネタバレ》 
主題は永遠の命を得ることの是非。機械の体に魂を封じ込めて永遠の命を得た機械化人間は、命を軽視し、人間狩りを楽しむなど堕落するようになっていった。機械伯爵に母を殺された鉄郎の復讐譚と、機械化打倒をめざす人間と機械化母星の女王との最終対決を描く。蒸気機関車型宇宙船による星間旅行という浪漫的な演出で、宇宙に対する憧憬と冒険心がかきたてられる。他に文明批判あり、戦闘あり、友情あり、悲哀あり、恋愛あり、と贅沢な内容になっている。無駄のない緻密な脚本で、全ての挿話がつながっているといってよい。例えば、タイターンで二人は山賊に襲われ、メーテルが誘拐される。鉄郎を助けた老婆は鉄郎に帽子と銃を渡す。この銃は機械人間を倒せる「戦士の銃」で、老婆は戦士トチローの母だった。トチローはエメラルダスの恋人でハーロックの親友。エメラルダスは機械伯爵のタイムマシン「時間城」の場所を知っている。トチローは後に鉄郎の手を借り、魂だけの存在となりハーロックの海賊船アルカディア号の心となる。山賊の頭領はアンタレスで、機械化人間打倒を目指しており、鉄郎が機械伯爵と対決するとき助っ人となる。この対決時、体内にエネルギー弾の不発弾を抱えているという伏線が回収される。又、メーテルの謎の提示方法が見事で、最後まで観客を惹きつける。「最後まであの少年と行くのだ、それがお前の役目だ」という謎の会話。メーテルが氷の墓で見ていたものは何か。エメラルダスと旧知の仲。アンタレスの最後の言葉、「メーテルに気を許すな」。終着駅が近づくにつれて浮かない顔になる。機械化母星の名がメーテル。これだけ謎が多い女性は他に例がないだろう。メーテルが鉄郎を裏切ったと思わせる演出も終盤を彩る。登場する女性全員が鉄郎の味方をするのは、母性本能をくすぐるからだろう。音楽は荘厳で、哲学的で重厚な主題にふさわしい。画は粗いものの内容は壮大華麗な宇宙歌劇で、アニメの傑作といっていい。不満は次の2点。星ごと爆発させるという暴力的な解決方法。たかが硝子体のクレアが簡単にプロメシュームを倒す。【メーテルの正体まとめ】女王プロメシュームの娘。人間の体に魂を宿らせる影のような存在。今は鉄郎の母に生き写しだが、年取ると別の体に乗り移る。そのようにして永遠の命を保つ。魂は分離され一つは機械化母星の心となっている。冥王星の氷の墓に元の姿が眠っているらしい。
[映画館(邦画)] 9点(2012-07-08 10:22:08)
54.  インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 《ネタバレ》 
”ジェット・コースター・ムービー”の代名詞的作品。連続して飛び出すびっくり箱のように観客を驚かすよう徹底して演出された映画で、その姿勢は潔い。走馬燈のように謎、危機、アクション、スペクタクル、笑いの連続で、観客に考える暇を与えない。内容はトンデモ魔術のB級だが、演技、撮影技術、美術、音楽が優れているので贅沢なA級娯楽作品に仕上がっている。◆冒頭まず銅鑼のアップ。意表をつくミュージカルで始まる。女が虎の口に引っ込むと奥で別の舞台が演じられ(客には見えない)、又虎の口から出てくるという人を食ったような演出。本作品の象徴だ。インディが登場し、マフィアと取引。コイン、ダイヤ、拳銃、毒薬、ヌルハチの骨のやり取りの結果死体2つ。銃弾飛び交う中、ダイヤと解毒剤を追いかけるインディと女。マフィアが機関銃をぶっ放すと二人は回転する銅鑼に隠れつつ窓からジャンプ。待ち受けた自動車に無事落下するが、運転主はなんと子供。カーアクションを経て、飛行機で脱出。一安心と思いきや、それはマフィアの飛行機。運転手がパラシュートで逃亡し、三人はありえないゴム・ボートで空から脱出。雪の急坂、崖、急流を乗り切り、やっと一息つく。着いた先がインドで、ここから本来の冒険開始。ここまで20分。クールなインディ、ダイヤに目がなく、よくわめく都会育ちの歌手、こまっしゃくれたインディの相棒の子供。何の説明もないが、アクション場面だけで、主人公3人のキャラを過不足なく紹介。インディと女は不仲で、これは恋愛の伏線。実に秀逸な導入部だ。 ◆女と子供が決して足手まといではなくフルに活躍するのが爽快。子供のやんちゃぶりと、二人の奇妙な恋愛進行を絡めながら冒険活劇が続くので飽きない。トロッコや吊り橋の場面は誰でも息をのむ。◆連続して意表を突き、驚かすのが特徴。例えば止らないトロッコを靴で踏んばってやっと止めたら、靴が燃えて「水、水」となったら洪水が押し寄せる。何とか岸壁の出口に逃れるが、今度は岩が穿たれる。アイデア目白押しだ。◆謎はサンカラ石。村を守る力があり、無くなると水が干上がる。5つ揃うと超常的な力を得ることが出来、悪者は邪教の布教に利用したいらしい。そのために埋められた2つを発掘するが、何故か子供に掘らせる不思議。結局2つは未発見、2つは川に落ち、一つを村に持ち帰り冒険終了。考古学者なのに調べようとしないインディに違和感。
[DVD(字幕)] 9点(2011-12-07 06:31:15)(良:1票)
55.  駅馬車(1939) 《ネタバレ》 
単純明快な物語。人間ドラマ、恋愛、格闘シーン、スカッとするラスト、どれも秀逸で、娯楽映画としてのエッセンスが詰まっている。足りないのは芸術性くらいだが、アパッチ襲撃シーンは芸術の域に達していると思う。フィルムのコマ数を落して馬の疾走感を出す、馬車がカメラの上を駆け抜ける、俯瞰撮影、フィルム合成、危険なスタントシーン、賭博師が撃たれるシーンを見せない選出など、どれも素晴らしい。 ◆人間ドラマはもっと掘り下げることが可能。①医者は医者として自信を失う事があり、トラウマを抱え、酒浸りになった。出産と治療を通じて、医師としての自信を取り戻す。②賭博師は判事の息子だが放蕩者になった。そのきっかけの一つがかつて貴婦人に失恋したこと。偶然再会して護衛を申し出る。③銀行家は厳格すぎる妻との生活に嫌気がさしていた。その日の大喧嘩する。そのとき大金が持ち込まれ、アパッチの襲撃で電信が途絶えた。チャンスとばかり駅馬車で脱出を試みる。命からがら助かった彼は、かわいい息子がいたことを思い出し、自首する。④娼婦は足を洗ってこの町に来て真面目に働いていたが、婦人会から追い出される。唯一の友人がリンゴで、無理と知りながら、彼との結婚を夢みていた。⑤貴婦人は騎兵隊の大尉と駆け落ちをして一緒になった仲。夫が重傷との連絡を受け取り、身重の身を押して、単独夫の元へ駆けつけるところ。賭博師と大尉は恋敵だった。⑥リンゴは無実の罪で刑務所に入れられた。3兄弟が嘘の証言をしたためだ。しかもリンゴの父、弟を殺したのは3兄弟だと判る。リンゴは脱獄し、復讐を誓う。◆アパッチが馬車の馬を撃たなかったのは、馬の強奪が目的だったからと解釈しましょう。アパッチにとって馬は通貨と同じです。残念なのはせっかくやってきた騎兵隊とアパッチの対決シーンがなかったこと。終わってみれば2名負傷したものの犠牲者は1名のみ。3兄弟との決闘はあっけないです。3兄弟は逃げずに堂々と勝負しますが、もっと悪者キャラにして、リンゴをだまし討ちにするが、返り討ちに会う方がカタルシスがあります。保安官が結婚の約束をしたリンゴと娼婦を見逃してやるという粋な計らいで終了。「一杯おごろう」「一杯だけな」誰でも祝杯をあげたくなります。ところでリンゴと娼婦はこの日が初対面ですが、女が娼婦ということを知っているのでしょうか。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-24 01:18:19)
56.  サイコ(1960) 《ネタバレ》 
女(勤務十年のオールドミス)が会社の金を横領するのが事件の発端。動機は恋人がいるが、お金がなくて結婚できないから。人生で魔が差した瞬間だ。女は恋人の町へ逃走するが、途中で社長に目撃され、警察官に尋問され、車を替えてもパトカーに追尾される。車中で横領が発覚した状況を想像し怯える。上質のクライム・サスペンス。 ◆大雨に遭い、車はモーテルへ。「人は罠にかかったらそれから逃げられない」「人は時々おかしくなるときがある」「一度だけでたくさんね」経営者との示唆に富んだ会話で女は改心し、金を戻す決心をする。使ったお金を紙に書いて計算。しかしシャワーの最中に老婆らしき人物に刺殺される。主人公が死んで驚く仕掛け。犯人が分ってから考えると、犯人との会話で改心し、そして殺されるところが皮肉。無辜の人でなく、横領犯が被害者なのに同情してしまう。大金の行方も気にかかる。経営者が死体を処理し、車ごと沼に捨てるが、途中で止る演出にはらはらする。感情移入が女から経営者に転移する瞬間だ。 ◆ミステリーとして読むと倒叙形式。最初に犯人と殺害方法が提示される。後は探偵役によく謎解きパートだが、犯人がラストで大どんでん返しになるという斬新さ。二重人格が知られていないので、医者に説明させるという丁寧な作り。 ◆謎解きはパートは淡白。探偵が切れすぎるのだ。その場で筆跡鑑定、経営者の様子で女が経営者に会ったと確信。女の妹と恋人に連絡してから家を訪ねる。そして殺される。死体処理は時間の都合で省略。 ◆当時は映画規制が厳しく、陰惨な場面やヌードはご法度。それで観客に想像させる画面作りに徹している。細かいカットをつないだシャワー場面は本当に惨殺されているかのよう。滲んだ血が流れる排水溝の渦、死んだ眼のアップが回転しつつ、カメラはそのまま大金へパンする。音楽は神業。地下室での揺れる電灯、サングラス警察官のアップ顔、覗き見する経営者の横顔、不気味な鳥の剥製、沈むのが一瞬止まる車、闇に浮かぶ高台の家、印象深いショットが多い。 ◆サイコという言葉を世に知らしめた名作で影響は計り知れず。日本では話題にもならなかった。キネマ旬報洋画ベスト(30位)ランク外。最大の瑕疵は母になりきった経営者の声が女性の声である事。次に横領の動機が弱い事。美男美女の理想的カップルで、お金に困っているように見えない。昼休みにHするのはどうかと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-20 19:19:01)
57.  トイ・ストーリー3 《ネタバレ》 
テーマは子供とおもちゃとの別れ。子供は大学生になって引っ越して行き、おもちゃは別の子供の元へ届けられる。 人間にとっては子供時代との決別を意味します。楽しく遊んだおもちゃも、成長すると遊べなくなります。現実の世界の出来事に興味が移り、ファンタジーの世界に遊ぶことも少なくなります。子供に見られるより、大人に見られたいと思う年頃ってありますよね。大学生ともなれば、もうその段階を越えています。一方おもちゃは童心のまま。永遠の子供です。人間の子供に遊んでもらうのを夢見ている。別れが来るのは当然ですね。 ◆物語はおもちゃ達が持ち主であるアンディが自分たちを捨てたと思い、保育園へ引っ越します。 熊のロッツォは心を閉ざしたおもちゃです。心から愛されていたと信じきっていた持ち主に捨てられた経験の反動で人間不審に陥ってます。子供達との関わりを最小限にし、保育園のおもちゃを支配しています。新入りのおもちゃは乱暴な年少組に壊される運命です。人のよさそうな熊が実は悪役だったところが最大のサプライズでした。アンディが自分たちを捨てたのではないと知ったおもちゃ達は帰ろうとします。それを邪魔するのがロッツォ。脱出のドラバタがあり、ロッツォともども焼却場に入れられるおもちゃ達。おもちゃ達はロッツォを信頼しますが、ロッツォは彼らを見捨てます。間一髪で助かりますが、彼らを見殺しにしようとしたロッツォの罪は重いですね。どうしてロッツォは改心しなかったのか?それは人間との関わり合いが原因なので、おもちゃ同士の友情ではなんとかならないからでしょう。それほど捨てられた傷心が大きかったということです。 ◆考えてみればおもちゃの運命も過酷です。いくら持ち主に気に入られたとしても、よほどのことがなければ、最後には捨てられ焼却処分される運命です。この映画を観て子供たちにおもちゃへの思いやりの心、おもちゃへの感謝の気持ちが芽生えれば、救われるおもちゃも増えるでしょう。すべての子供に観せたい映画です。大人もたまにはファンタジーに浸ってみるのも良いものですね。純真だった子供の頃を思い出すことは自分を見つめなおす良い機会になります。大人の鑑賞に堪える深みのある映画でした。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-16 13:58:17)(良:2票)
58.  ヒックとドラゴン 《ネタバレ》 
内容は完全に子供向けですが、沢山の要素が詰まっていて、大人の鑑賞に耐える珠玉の物語です。 ①ヒックという異端児が自らの個性、得意分野を生かし、最初のドラゴン使いになる。 ②ヒックという弱者が、巨大ドラゴン退治をして、父親越えをする。 ③ヒックという虚弱児は偉大な父親からはひどく疎まれていたが、最終的にお互いに理解者となり、仲直りする。 ④ヒックという心優しい若者は傷ついたドラゴンを殺すことができず、助けてあげることによりドラゴンと心の交流が始まる。 ⑤ヒックという兵器発明家はドラゴンの片尾翼を奪うが、ヒックも最終的に方足を失い、互いに補いあう関係になる。 ⑥ヒックとうバイキングはドラゴンを敵と思っていたが、ドラゴンと交流を深めることによりそうではないことを知り、遂には村人の意識も変える。 ⑦ヒックという鍛冶手伝いは自分の仕事がいやだったが、ドラゴンのためのものづくりをする中で、自分の職業が好きになる。 ⑧ヒックという少年は好きな少女からは軽蔑されていたが、ドラゴン操縦能力を見せることにより相思相愛になる。 ⑨ヒックという村の笑われ者が、一夜にして英雄となるワン・ナイト・サクセス・ストーリー。 ベタになりがちな王道ストーリーですが、キャラや世界観を巧く演出することによって破綻の無い感動物語に仕立てています。 ◆もっとも感動したのはアニメの技術の向上です。ドラゴンの造詣や背景描写も素晴らしですが、何より飛翔時の浮遊感や疾走感がよく表現されています。本当に目がくらむような爽快な感覚を味わいました。目線が次々変わり、画面がリズミカルに変化するので見ていて楽しいです。ジブリアニメが古くなりましたね。監督はジブリファンなので勉強したのでしょう。 ◆問題なのは巨大ドラゴンへの対応。巨大すぎて飼いならすことは不可能だったのでしょうか?いきなり襲ってきて、船を焼却しましたからね。ミツバチの女王と喩えられていましたが、ドラゴン達にとっては悪の独裁者ですね。ドラゴン以外の造詣にすれば問題をスルーできたのですが。 ◆原作ではドラゴンを飼いならすことができて一人前で、ヒックは初めてドラゴン語を話せすようになりますが、本作ではヒックだけが飼いならすことに成功するように変更。これが効いてますね。ヒックの成し遂げたことがより際立ちます。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-16 01:39:47)(良:1票)
59.  気狂いピエロ 《ネタバレ》 
物語本位で観せる従来の映画を解体し、脚本、映像を独自の感性と即興で再構成させた作品。時系列の操作、ジャンプ編集、観客に話しかける俳優など、映画の約束事を破り、多解釈が可能。詩や映像の豊かなイメージと喚起が、男女が閉塞した現実から逃避行するというストーリーと相まって、爽快さと開放感をもたらす。体験する映画。◆男にとって女はファム・ファタール、魔性の存在。犯罪と事件を運んでくる。その神秘性を崇め共にいたいと願う。ドル札を燃やしたり、奪ったばかりの車を川に沈めるのはそのため。金があると女が逃げるとわかっている。◆女にとって男は夢ばかり見ている存在。一緒にいても退屈。「僕を捨てないでね」「もちろんよ」騙されているとも知らないで詩ばかり書いている男は道化師にしか見えない。◆女は何をしても明るく、生き生きと描かれている。倫理観を超越した神々しさがある。一方で男は、つねに閉塞さを感じている。思想を言葉でまとめようとしているが、うまくいかない。◆多くが記号化されて表現。舞台装置に近い。裸で箱に入ればお湯がなくとも風呂、流れる照明で車中、死体と武器があるので武器商人の家、木の棒だけどダイナマイトと書いてあるなど。女が上機嫌のときはミュージカル風になる。◆事故に見せかけて車を燃やす場面で、高速道路が一部しかない。これは行くことも戻ることもできない絶体絶命の象徴。◆犯罪はコミカルに描かれる。盗むつもりの車の台車が上がったり、ギャングが小人だったり。犯罪も舞台装置でしかないということ。◆音楽が頭の中で鳴り続ける男。鳴っているのは音楽ではなく「あなたは私を愛していますか?」の言葉が鳴っている。本当に愛されているかわからない状態。◆逃避行は町から海へ至る道程。海が近づくにしたがって青色が画面を支配するようになる。車、服、椅子、ボーリング場、ペンキ。青は空と海が溶け合った色で、永遠の象徴。永遠=永遠の安楽=死でもある。◆男はダイナマイトを顔に巻くが死ぬつもりはなかった。「言いたかったのは、何故……」「バカだ、こんな死が」消そうとして爆発。死んだのは観客の心の中の道化師。誰にもこんなバカ(現実からの逃避行)をやってみたい気持ちがある。◆監督のプライベートな作品とも解釈可能。離婚したばかりで、分かり合えない男女の様を描いた。男は監督の分身。ウィリアムウィルソンのように男が死んで監督が生き残った。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-11 19:57:09)
60.  ミツバチのささやき 《ネタバレ》 
生と死の狭間に揺れる少女の無垢な魂の成長を極力言葉を排した映像詩で綴る。 母は内戦前の過去に生きる人物。友に安否を尋ねる手紙を出すが、返事は芳しいものではなかったようだ。 父は社会や家族には無関心で、養蜂にしか興味がない。その蜜蜂に嫌悪感を持っている。 アンの魂は幼く、蜜蜂のそれのように未分化で、人間と精霊の中間にある。精霊は人間(生者)と死者の中間に位置する。 映画のフランケンシュタインの怪物は、水辺で一緒に遊んだ少女を誤って殺してしまい、最後は村人に殺される。アンは死に対して強い興味を抱く。質問された姉は、怪物は実は精霊で村はずれの廃墟に住んでいると出まかせを言う。また精霊は友達になるといつでも呼び出せるとも。廃墟を訪ねると大きな足跡があるだけだったが、ある日そこで脱走兵を見つける。脱走兵が懐中時計を消す手品を見せて、アンは精霊と確信する。次に行くと脱走兵は消え、血痕がある。父が殺したと誤認したアンは父から逃げ出す。夜の森の水辺で精霊と遇う。友達になれたのでアンは危うく死を免れる。 ◆暗喩が多いのが特徴。窓の六角形の格子=家は政府の監視下にある硝子の蜜蜂の巣。死=怪物の映画、解剖人形、鉄道での遊び、絵画の髑髏、毒キノコ、猫の首を絞める、死んだふり。火を飛び越える=大人への通過儀礼で、アンは見ているだけ。圧政=汽車の青年兵、村人、父の無表情と無言。水辺=精霊と会う場所。蜜蜂=政府に飼いならされた民衆。 ◆少女と怪物の対比が印象的。無垢な魂の前では、どんな怪物も本来の無垢な姿に立ち戻る。人間の本質を見ることを大人達は忘れがちだ。解剖人形も最後に目が入って完成した。蜜蜂の社会は管理社会で、個々の蜜蜂に自由や独立はなく、魂も未分化状態。圧政下の重苦しい状況にあえぐ民衆になぞらえているのは明白。「怪物=政府」と「少女=無垢の魂=民衆」が友達になれたときに明るい未来が約束されるだろう。だからアンは最後まで対話を求め、精霊を呼ぶ「私はアンよ」と。フランケンシュタイの映画を自家薬籠中の物として見事に取り込んだ手法に驚嘆。他に類を見ないのではないか。脱走兵は母の元恋人であったかもしれない、脱走兵を殺したのは村人等、深読みが可能で楽しい。映像詩の美しさの多くは子役の演技に負うところが大きい。人間は子供時代があるから素晴らしい。怪物にも子供時代があったから共鳴するのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-07 23:46:15)
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