701. 地獄(1960)
こういうネタで映画を一本でっち上げようというセンス、というかセンスの無さ、というのが一番オソロシくって、全く常識が通用しそうにない、何が起きるか本気でワカラン、という映画です。実際、子供の頃テレビで怪奇映画を紹介する番組やってた時、この映画は破格の怖さでした(そう、ゴケミドロ並みに)。 100分ほどの映画のうち、最初の1時間で現世のドラマが描かれるも、面白いように人が死んでいき、気が付いたら都合よく、全員死亡。そこから後はひたすらあの世が描かれ、地獄の描写では拷問に次ぐ拷問。ちょん切られた手が一瞬動く、などはなかなかの芸の細かさです。皮剥の刑では何故か肉まで毟られ、もはや『ピラニア(新しい方)』状態。亡者どもが大勢、グルグルと彷徨う姿は、これこそが本当の死霊の盆踊りと呼ぶべき光景じゃなかろうか、と思えてきてしまう。 あの淡々とした罪状言い渡しが、曰く言い難い味があって、それとハチャメチャな映像とのギャップが、もう何とも言えません。 [インターネット(邦画)] 7点(2021-03-28 21:44:04) |
702. FAKE
《ネタバレ》 ゴーストライター騒動渦中の佐村河内氏本人の懐に飛び込んでカメラを回せばとりあえず何かが出てくるだろう、と、あまり深く考えずに撮影を始めたような感じで、正直、あまりうまく撮れているような気もせず、さらには森監督自身、ある取材では音声を録り忘れるという、取材者にあるまじきミスを犯してしまったりもするのですが、これが偶然にも、難聴者の暮らす世界を我々に想起させる、という不思議。ホントにマイク入れ忘れたのか、それともfakeなのか? あまり適当に取材してると、「下山事件」では映画は完成せず、著作も言い訳を繰り返すばかりで中途半端な幕切れ、ってなことになっちゃったのですが。 でもそれが持ち味か。本作のあちこちに監督自身も顔を出したり口を出したり、お陰で天敵(?)新垣氏の朴訥としたヒトの良さまであぶり出してしまう。 監督は佐村河内氏を信じると言い、佐村河内氏も監督を信じると言う。そこで監督が最後に佐村河内氏に問いかける。あなたは私に何か隠してませんか、と。 その問いに対する佐村河内氏の長い沈黙は、彼の、彼なりの、誠実さを表したものと言えるでしょう。一言、否定するのは容易いこと。しかし誰だって、何らかの嘘、欺瞞、隠し事を抱えて生きているはず。それに、彼は、いや我々は、向き合ってきただろうか、と。 ところで、かつて騒動の前、NHKで佐村河内氏のドキュメンタリーが放送され(その中には騒動後に思い返すと、作曲中はカメラを拒否するというアヤしげな部分があったのだけど)、大きな反響を呼び、視聴者のリクエストに応える形で、件の交響曲1番もNHKが放送することになって、私も楽しみに録画したクチ、なんですけどね。ただ、いざ聴いてみると、ちょっと期待外れというか、どうも緊張感が持たない。正直、私の中に、ベートーヴェンでもスメタナでもない現代日本の難聴者が作る曲とはどのレベルのものだろう、と値踏みするような邪念があったのも確かだし、イージーリスニングなノリに対する心の準備も無かったし、テレビに映る聴衆の感激覚めやらぬ姿を見て、これはきっと私の側に問題があるのだろう、くらいに思ってたのでした。クラシック界には新しい波が訪れているのかもしれない…… それがこんなことになってしまって。というモヤモヤ感。それに対する答えがこの作品の中にある訳ではないし、何かが正しい方向に動き始めたのかどうかもよくわからない。ついでに言うと、交響曲の作曲にあたって誰がメロディを作ったかなんて、どうでもいいこと(他のジャンルならともかく)。スピルバーグがジュラシックパークの監督と言えるのかどうかには無頓着でも、佐村河内氏が作曲家と言えるのかには神経を尖らせ、「聾唖の作曲家」で生まれたビジネスが、今度は糾弾ビジネスに生まれ変わって、モトを取ろうとする。しょうがない面もあるけど、なんか、切ない。 佐村河内さん、今からでも遅くない、音楽の勉強は、した方がいいと思う。 [インターネット(邦画)] 7点(2021-03-28 16:19:35)(良:1票) |
703. 砂の器
《ネタバレ》 これは原作を見事に映画として消化しきった例。だいたい、あの原作の「○○で殺害を企てる」なんていう設定を無くしただけでも大きな功績です(あんな殺害方法があり得るなら、私などいくつ命があっても足りん)。 とかいうのは別としても、時系列を変化させたり、複数の事象を同時並行で描いたり、(捜査会議、演奏会、回想)映画らしい構成がもたらすダイナミズムと緊張感は無類のものがあります。 前半はひたすら地道な捜査、それに並行してある人物の人となりが、描かれます。コツコツと捜査の足を伸ばし、日本各地に出没する、丹波哲郎。このロケにつぐロケがあればこそ、ついに真相を掴んだときの感慨も、ひとしおとなります。ひたすら鉄道を駆使して、津々浦々。その意味では鉄道映画の側面もあって、あまり関係なさそうな島田陽子ですら、倒れるのは踏切のそば。 映画は、尺を大きく残した段階で真相解明に移りますが、そこでギアを上げて、壮大な親子の苦難へと物語を転じます。しかしここでも、別れのシーンではしっかり、鉄道が登場したりして。 このパートでは、捜査員は語り手、聞き手に徹し、加害者の生い立ちが中心に描かれる一方、被害者の姿もそこでは生身の人間として活き活きと描かれており、映画前半の段階では被害者もまた、伝聞の中に出てくるだけのボンヤリとした存在に過ぎなかったことに気づかされます。 クライマックスで流れる「宿命」という曲、冒頭から本気モード全開で、最初からこれだけ盛り上げたら、一体どうやって音楽を締めくくるんだろう、と少し心配になってきますが、そこは映像と音の饗宴。見事に映画を、締めくくるのでした。 [インターネット(邦画)] 8点(2021-03-28 12:34:55)(良:3票) |
704. 火の鳥(1978)
子供の頃、テレビでやってたのを夢中で見たという記憶はあるのですが、細部は忘れてしまって、だけどどういう訳か一部のシーンは気味が悪いほど鮮明に脳裏に焼き付いてて。見てから経った年月と、その映像の記憶の鮮明さとが余りに釣り合わず、何か他の作品の記憶が混在してるんじゃないかと、自分でも疑わしくなるのですが、後に原作の黎明編を読んでみると、確かにそこには記憶に似たシーンが存在していて。 で、今回、この映画版を40年ぶり(?)くらいに、見てみると。 おお、鉄の矢が岩を砕くシーンも、あの残酷な目潰しのシーンも、穴の底に生えたわずかな草をむさぼるシーンも、記憶通りそこにあるじゃないか! と言いたいところですが、正直、それぞれ少しずつ、実際よりも立派なシーンへと脳内変換されてたようです。ハイ。素顔のウズメがこんな由美かおる顔だとも思ってなかったし。 たぶん、子供の頃の私には、今と違ったものが見えてたんだと思う。 しかし今みると、ムダに説明じみたセリフの多さが気になってしまいますね。脚本は谷川俊太郎さん。きっとイイ人なんだろう、とか思っちゃうのは元々の氏のイメージにもよるのですが、ちょっと原作に配慮し過ぎかな、と。こういうのは、「手塚治虫がナンボのもんじゃい」というぐらいの人がやった方がいいと思う。 ただ一人、市川崑監督だけが、手塚治虫と横溝正史との区別がついていないようですが。 何にせよ、この原作のイメージを残しつつ実写化する、という困難を、アニメとの合成という大胆な手段で乗り越え、さらにはコミックだからこそ許される誇張やギャグまで、そのノリを取り込んじゃおうという、無謀な挑戦。 一方では、奇跡と言ってよいほど原作イメージ通りの、草刈・仲代両名の存在もあって。 失敗作といえばそうだろうけど、それだけで終わらせては、ちょっと勿体ないですね。 [インターネット(邦画)] 6点(2021-03-28 11:48:12)(良:1票) |
705. 女番長 野良猫ロック
アッコさんがいくら実生活で強いからと言って、アクションスターになれるかというと、そうは問屋が卸さない。だけど、持ち前の長身にダイナミックな歌声、やや素人じみた演技なんかも独特の味を出していて、梶芽衣子軍団とは一線を画した存在感を放ってます。 さらにはところ構わず繰り広げられる、バイクとクルマのチェイス。ミニミニ大作戦(オリジナルの方)を彷彿させますが、追われてるのがミニミニならぬデカデカのアッコさん、というところに、妙味を感じます(勿論代役のスタントだろうけど)。 全編にわたって繰り広げられる、サイケ調の世界。何やら昨今、80年代がイケてる、みたいな言われ方もするけれど、いやいや、本当にアブなかったのは70年代、だと思うんですけどね。 [インターネット(邦画)] 6点(2021-03-27 22:28:22) |
706. 吸血鬼ゴケミドロ
《ネタバレ》 私がだいぶ小さかった頃だと思うんですが、コレ、テレビでやってて。その時、姉と二人で留守番してたのかな? 何せあの、赤い空を飛ぶ飛行機、という不気味な映像がテレビ画面に映し出された瞬間、怖がりの私はチャンネルを変えることを主張したはず、なんですけれども、すぐにこういうのを見たがる姉に押されてしまい、一体どういう神経してるんだよ、とか思ってたら。 言わんこっちゃない、額がパックリ割れて、ニョロニョロと。もう恐怖は最高潮に。 この辺りで私の記憶は途切れるのですが(笑)。 しかし実際、今見ても途轍もなく不気味な作品で、どういう発想したらこういう作品がうまれるんだか。宇宙人侵略モノでありながら実態は吸血鬼モノ、不時着した飛行機の中と外での攻防戦。しかしあのニョロニョロの存在が、そして額の割れ目が、むやみに得体が知れなく、みやみに気持ち悪い。いや、そんなに強そうには見えないので、本来なら襲われても何とかなりそうなんだけど、そうはいかない。蛇ににらまれたカエルのごとく無力に襲われる犠牲者たち、というのが、いかにも悪夢のようで。 飛行機を脱出しても、そのさらに外では……という二重構造も、うまく活かされていて、不気味さこの上なし。いやはや、また記憶が飛びそうな。 [インターネット(邦画)] 8点(2021-03-27 09:55:20) |
707. フォート・サガン
《ネタバレ》 巷ではソフィー・マルソーの初脱ぎ作品、くらいの認知度しかない作品ではあるけれど(以前の私だけか?)、実は3時間超えの超大作、そんなちょびっと見えるか見えないかのハダカよりも、雄大な砂漠の光景の方が、よほど見どころになってます。けれど大人になりきるかどうかという微妙なお年頃の彼女のチャーミングさというのも、一見の価値アリ、です。 前半は特に、ジェラール・ドパルデュー演じる士官が、部隊を率いて砂漠の行軍。出てくるのは砂漠とラクダばかり。カメラは引き気味で、雄大な光景を捉えます。 で、納得いかぬ理不尽な事態も発生するけれど、一方では民族や宗教といった垣根を超えた、理解や友情があったりもする。 しかし、やがて巻き起こる第一次大戦は、そういったもの全てを、押し潰してしまう。 たけど、そのすべてが消え去った訳ではない、というしみじみとしたラスト。イイですね。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-03-27 09:12:41) |
708. アタック・オブ・ザ・キラートマト
トマトが人間を襲う、という、意味はよくわからんけれど意図はわからんでもない(いや逆か?)このネタで、どうしてここまでオハナシが迷走してしまうのか、が不思議な映画。パニック映画のようで、ギャグ映画のようで、戦争映画のようで、でも実はスパイ映画。のようで、多分、どれでもない。強いて言えば、トマト映画。なんだそりゃ。 と思ってこちらも見てる訳で、ムダに長い「トマトの出てこない時間帯」を、我々はどういう気持ちで画面に向かえばいいのやら。 いや、トマトが出てきたところで、トマトに襲われると何が起こるのか、トマトの何が恐ろしいのか、全くワカラン訳で。そういう一番肝心なところについて何も語らない、というハートの強さには、恐れ入ります。マーズアタックの原点、などと言ってみたところで、その点ではマーズアタックとは永久に埋まらない差異があります。 恐るべきはこの無分別。 随所に挟まるギャグもお寒いものばかり、なのに笑ってしまう自分がだんだん、信じられなくなってくる。 それにしても、不味そうなトマトばかり出てきますな。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-03-26 23:14:42) |
709. 悪魔の赤ちゃん
『ローズマリーの赤ちゃん』が妊娠にまつわる不安というものを描いているなら、本作はもう、あけすけに、「生まれたら最後、子供なんてみんなモンスターなのよ」、と。 まあ、そうなんだけれども、自分の子供となるとやっぱりカワイイところがあって、逆に言うとそういう子供への愛情ってのは、アカの他人からするとどうでもいい、いやそれこそちょっとイタイものだったりするのよね。ってな映画ですわな、これは。 映画開始間もなく惨劇が発生、神出鬼没の凶暴なる赤ちゃんはなかなかその容貌を画面上にはっきりとは現さず、しかしチラチラと部分的には見せる、チラリズム。コストをかけずに最大限、雰囲気を出してますが、それにしても演出がモタつき気味で、安っぽさも感じざるを得ません。 それが、クライマックスにおける暗渠での追跡劇となると、雰囲気出まくり、俄然盛り上がってきて、まさにラリー・コーエンの面目躍如。姿を現した赤ん坊が一部、全くのハリボテにしか見えなくても、気にならない、気にしない。 そもそも、この映画では、赤ん坊が人を襲うシーンそのものズバリは殆ど描かれておらず、多くは間接的な描写にとどまっているのだけど、そしてそれはおそらく、ハリボテの赤ちゃんが大のオトナに襲い掛かってもサマにならない、という技術的な理由によるとも思われるのだけど、それでもちゃんと「赤ちゃんが襲ってる」という印象を作り出してるのは、これはウマイと言っていいんじゃないでしょうか。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-03-24 23:32:47)(良:1票) |
710. ピラニア 3D
エリザベス・シューがいてクリストファー・ロイドがいて、これでマイケルJがいれば完璧なのだけどそうもいかないので、代わりにリチャード・ドレイファス。代わりが務まるのかどうかは知らんけど。 それにしても、ひたすら人間がピラニアに食われ続ける映画。豪快に、美味しそうに、ピラニアが人間を食べまくり、これだけ徹底的にやったらアッパレ。と思わんでもないけれど、人体損壊に拘りすぎて、ちょっと単調。ピラニアから逃れようと、水に浮いたステージみたいなヤツに人びとが殺到して傾いてしまい、また水中に転落する、ってのは大いに結構だけど、こういう場合は傾くだけじゃなくって、派手にひっくり返って欲しかった。 全体的に、「想定内のパニック」から脱しきれなかった、との印象も。 [インターネット(字幕)] 5点(2021-03-23 23:30:47)(良:1票) |
711. 処刑軍団ザップ
《ネタバレ》 若者グループが悪魔崇拝チックな儀式をやってる冒頭は、ストーリー上はどうでもいい気がするのだけど、この若者どもがどうしようもない連中だということと、この映画がどうしようもない出来だということだけはよくわかるので、このシーンを入れただけの価値はあったかな、と。 この若者どもにお爺ちゃんをイジメられた孫が、腹いせに狂犬病のイヌの血を仕込んだパイを彼らに食わせる、という、それ以上でも以下でもないオハナシなんですけれども、感染が多少広がって、工事のおっちゃんたちがヘルメット姿で襲ってくるマヌケな光景とか、彼らにパシャパシャ水を掛けて追いはらうマヌケな光景とか、音楽なのかアラーム音なのかよくわからないマヌケな電子音のBGMとか、普通の映画では味わえない要素もいろいろと楽しむことができます。 しかし結局のところ、せっかく悪魔崇拝みたいな導入部を入れたにもかかわらず、狂犬病なんていう、やけに具体的で限定的なネタに落ち着かせてしまったのは、やっぱり失敗だったんじゃないかなあ。 撮影のために平気で動物を何匹か殺しちゃってそうなのが、少し、気になりました。少しだけ、ですが。 [インターネット(字幕)] 3点(2021-03-23 21:47:26) |
712. ザ・クレイジーズ(1972)
はい、やっと観ることができました、この作品。 ロメロと言えばゾンビ映画、のイメージですが、この作品はまだキャリア初期の頃、『ナイト・オブ~』の数年後。 『ナイト・オブ~』ではゾンビ対人間、という対立関係・断絶関係に、明確な境界が引かれていて、しかにそこに、人間がゾンビ化したり、人間対人間の断絶が描かれて、境界が揺らぐ。 それが、作品を追うごとに次第に、境界自体が曖昧になっていった感があります。 で、この作品。ゾンビ映画ではないけれど、ネタ的にはかなり近いものがあって、細菌に感染した人々が凶暴化、いわばゾンビ化する、という趣向。防護服を着た兵士、なんてのは、感染者と非感染者の境界をイヤでも感じさせるけれど、一方、あくまで描かれているのは細菌感染なので、当然、感染者と非感染者の境界は揺らぐし、そもそも感染しているのかいないのかも時には区別がつかなかったりする。それどころか、一連のゾンビ映画よりもずっと、両者の関係が相対化されていて、かなり醒めた視線で事件の経緯を描いています。だもんで、特定の人物に肩入れして描かれることもなく、そこが本作の愛想の無いところ。しかしユニークなところ。実験的、と言ってもよいかも。 こうやって見ると、もしかすると、ロメロが本当に描きたかったのは本作のような世界観だったけど、残酷趣味を含めたエンタメ性の確保、という観点ではゾンビ映画しかなかった、ってなことなのかも。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-03-20 06:45:08) |
713. シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
子供たちに誘われて一家総出で見に行ったんですけどね。こんなの見終わってから家族でどういう会話を交わせ、ってんですかね、もう。息子は開口一番、「長かった・・・」と非常に真っ当なコメント、それでも何がしか、彼なりに楽しんだ様子も。 私は、というと、エヴァなんて序破Qに軽く触れた程度の免疫の無さ、終盤の「崩れ具合」にそれはそれは戸惑いつつも、どこか、記憶の奥に刺さった棘に触れられたような感覚も。 前半はまだ、大きな波乱も破綻もなく、そういう感じは無かったんですけどね。シンジ君はひたすら他者を拒絶(?)するばかり。さらに、画面外の人物がセリフをしゃべる、いわゆる「オフの音声」がしばしば使用されてたりするもんで、よそよそしい雰囲気が漂っている。だけど舞台はあくまで、穏やかな農村、友人たちは一人を除いて(?)優しいし、アヤナミ(?)は他者との交流を模索する(←こうやって「?」を連発しているあたりに、エヴァ初心者の戸惑いを感じていただけたら幸いです)。 後半、物語は大きく動き始めるけれど、物語ばかりではなく、映画の構成自体が揺らぎ始めて。あんなにコワかったゲンドウ氏が、ひたすら矮小化されていき、ただの妄想炸裂オヤジと化して。肥大化し続ける妄想のイメージ。シンジと繰り広げるのは、単なる親子喧嘩に過ぎなく、それは、チャチなセットやらお茶の間やらで行われる(それともこれら自体がシンジの妄想なのか?)。 だいたい、「父親の幼少時代」を息子が知る訳が無いのだけど、、、 と、壮大な物語がただの親子喧嘩と化す中で、冒頭における農村の光景から、映画の随所に工場地帯のイメージが挿入され、ラストはリアルな地方都市の風景で締めくくられる。 何なんだろう、これは。 アニメーションの限界に挑戦するような技巧の限りを尽くして描かれる未来戦争が、セットの中の親子喧嘩という茶番にまで矮小化され、浄化として描かれるはずのラストも、結局は「今の我々の日常」でしかない、ということ。農村が徐々に失われ、工業化が進んだ、普通の日常。 いや、それすらも今や失われつつある、という危機感、あるいはオジサンたちのノスタルジーなのか。記憶の奥の棘。 [映画館(邦画)] 7点(2021-03-20 05:55:03) |
714. サウスポー
《ネタバレ》 まず冒頭のボクシングシーンの迫真の描写にオドロキ。『ロッキー』なんかよりもずっと迫力あるのでは。 と、どうしても『ロッキー』と比べてしまう、比べられてしまう。 いっそ、クライマックスではロッキーの音楽パクって流しちゃえば、盛り上がったのにねえ。 なんて言ってはイケマセンけれども。 ボクシングシーンの出来は、やはり結局、冒頭が一番良かったのかな。クライマックスをもう少しうまく盛り上げて欲しかったところ。 妻を亡くしてボクシングに気が入らなくなり、財産も無くし、ついには娘とも引き離されようとして一念発起。ってな話で、主人公の身の回りには色々な事が起こるんだけど、結局のところ、妻と娘の二人がかりでも、あのボケーッとしたエイドリアン1人に存在感で勝てないってのが、やっぱり『ロッキー』の手ごわさ、なんでしょうか。 さすがにフォレスト・ウィテカーは、バージェス・メレディスと互角といってよさそう。あんなにアクが強くないけれど、静かな存在感を示しています。このヒト、「デカい」という印象があったんですが(初体験リッジモンドハイの時の印象か?)、この映画ではあまりデカさが目立ちませんね。 [CS・衛星(吹替)] 6点(2021-03-13 15:32:18) |
715. アフターショック
《ネタバレ》 最初は災害パニック映画と思わせて、最終的には、“実はコイツが真犯人でした”的なヤツと、“最後に生き残った一人”とが対峙する、という、13金っぽいスリラーに落ち着く、という趣向。もちろんオチも含めて、随所に「災害」は顔を出すけれど、刑務所から脱走したならず者集団とか、自衛のために主人公たちに銃を突きつけるオバチャンとか、危機にバリエーションを持たせ、展開の意外性が作品の売りになってます。 前半、主人公の一行のウダウダとした様子をウダウダと描き(しかしだからと言って飽きさせる訳でもなく)、ちゃんと彼ら一人一人を丁寧に印象付けているのも、その後の展開に、効いています。何しろ、この作品のもう一つの売りは「悲惨な死」。残酷、と言っても、映像そのものの残酷さより、彼らが辿る運命の残酷さ、ってのを前面に押し出して、それをエンターテインメントにしよう、ってなワケで。 ま、悪趣味と言えば、悪趣味。 しかし、一番生き残って欲しいヒトがちゃんと終盤まで生き残ってくれる(笑)ので、その点はイイかな、と。 という考え方が一番、残酷なんでしょうけどね。で、このオチ。 [インターネット(字幕)] 7点(2021-03-13 14:42:10)(良:1票) |
716. 宇宙からのメッセージ
映画全編に横溢する、この手作り感・・・なんか、落ち着きますなあ。ちょっと、ノスタルジー。 わざわざ、スターウォーズにあやかって、はっきり云やあスターウォーズをパクって、こんな映画を日本で作らなくても、とは思うのですが、これって一種の地産地消みたいな考え方なんですかね??? 手作りっぽさ、要するにチープ、ではあるのですが、見てると、ミニチュアも含め潤沢にセットが準備され、メーキャップも顔を銀色に塗ってるだけとは言えこれもそれなりに手間がかかるはず、何だか意外に金がかかっちゃってそうな雰囲気も。もしかして、おカネのかけ方、少し間違えましたかね。 この数年後に製作された『里見八犬伝』の先駆けみたいに、勇者が徐々に集まってくるオハナシですが、そのせいで、登場人物の誰一人として目立たない、という副作用が。真田サンはひたすら軽いノリでヒロイズムのカケラも感じさせず(彼の相方その他、誰だかよくわからん外国人俳優たちもほぼ同様)、ではヴィック・モローくらいは何とか存在感を示すのかというと、これも何だか、やる気があるんだか無いんだか。千葉真一もかなり微妙。 大体、あの皆が有難がっている木の実も、ただのクルミにしか見えんのだけど、ロボットまでが有難がっているのを見ると・・・なんか、落ち着きます、かねえ? そんな中、やたらと丹波哲郎だけは、やたらとしっくり来ている。さすがは大霊界、だね! とにかく、これはもう明らかにパクリ企画の、珍品の類の映画、なんですが(何も音楽までショスタコの5番をパクらんでも)、こういうのを作っちゃうノリの良さ、というか、どうせやるならハチャメチャやっちゃえ的な図々しさ、というか、とにかく勢いみたいなものを感じさせて。「宇宙空間で音がするのか?」とか、「宇宙服を着ないで宇宙遊泳して大丈夫なのか?」とか言う以前に、「宇宙空間でホントに手を搔いて泳いでるぞ!」というのが、ここまでくるとちょっと惚れ惚れしてしまいます。 まあ、正直、ヒドい作品だとは思うんですけどね。 ただ、いくらパクリ企画とは言え、さすがに志穂美悦子はキャリー・フィッシャーよりも美人だと思うぞ。 [インターネット(邦画)] 5点(2021-03-13 12:47:33)(良:2票) |
717. 宇宙大怪獣ギララ
《ネタバレ》 いずみたく先生の主題歌。だもんで、音楽が妙に明るく、妙に陽気。いきなり宇宙に飛び出したはいいけれど、UFOを目撃しても誰も慌てず騒がず驚かず、宇宙で入浴とか、どうでもいいシーンばかりが登場し、一向に怪獣が出てこない。もしかして、こんなタイトルだけど、これは怪獣が出てこない映画なんじゃないか、と諦めかけたその時。 さんざん待たせて、ようやく出てきたのがオマエかよ。 とは言いたくなるものの、まあ確かにこの造形、宇宙っぽいっちゃあ、宇宙っぽい。 特撮の方も、最初はどうかと心配させられるものの、以外に頑張ってる。松竹にも作れちゃうのが、怪獣映画。 怪獣が暴れ出すと、あんなに陽気だった音楽が一転、ひたすら単調で地味なテーマに。まるで盛り上がらない。 で、せっかく大暴れしてた怪獣も、例によって、ツマラナイ弱点があり、結局は塩をかけられたナメクジのごとき最期を迎えて。 対象年齢不明の映画でした。 [インターネット(邦画)] 5点(2021-03-11 23:31:00) |
718. 昆虫大戦争
『スウォーム』の10年も前にこんな映画を撮ろうと思った事自体はエライと思いますけれども。しかし何も10年も前にここまでヒネらなくてもよかったんじゃないの、と。 あるいは、ここまでヒネくれなくても、と。 昆虫は人間の事を、一応、オコってるらしいのだけど、何だかそんなことはどうでもよくって、映画は「人間の愚かさ」ばかりを描こうとする。というのが余りにも見え透いていて、いささかゲンナリしてきます。 ただ、この迷走ぶり(ラストシーンには、まさに絶句)と、あちこちに見られる珍妙なセリフは、本作の珍品としての価値を高めては、おります。 それとも、ここは素直に「つまらん」と言っといた方がいいのかな。 [インターネット(邦画)] 4点(2021-03-10 23:26:44) |
719. 昭和残侠伝
映画の前半は「挨拶の仕方大全集」みたいなノリで、池部良が仁義を切ってみせるのをフルバージョンで描くのに始まって、復員してきた健さんも挨拶しまくり頭下げまくり。いやあ、やっぱり礼儀って大事だよね、見てて気持ちいいよね、と。 あまり礼儀が出来ていない若き日の松方弘樹や梅宮辰夫も、威勢がよく茶目っ気もあって、これはこれで見てて気持ちがいい。 しかし例によって例のごとく、対立する悪辣なる一味から散々、悪辣なるイヤガラセと攻撃を受け、ついに堪忍袋の緒が切れた健さんが、殴り込みをかける。 そこで、やっぱり、池部良。 物静かな雰囲気がかえって、次に来るであろうクライマックスの修羅場を予感させて。 イイですねえ。 [インターネット(邦画)] 7点(2021-03-09 22:55:34)(良:1票) |
720. 南へ走れ、海の道を!
今では岩城滉一と言ったらジャワカレー食べてるおじさん、というイメージが強いけど(そうでもない?)、昔はトンがってて、その頃はこんなにカッコよかったんだよ、という映画。正確には、何とか落ち着いてきた頃、と言うべきかもしれませんが。 長髪に口髭、引き締まった体で拳銃を操り、その姿はまさに、歩くハードボイルド。 撃たれた安田成美を気遣いつつ、敵に立ち向かおうとするシーンの、どっち付かずの中途半端な仕草が、残念でしたが。 あと、主人公が浮世離れし過ぎているのも、ちょっと違和感があって。いや、この同じ役をもしも松田優作とかが演じてたら、「このヒト、どうやって生計立ててるんだろう」などという下世話なギモンが観てる最中に脳裏をよぎることも無かったんじゃないかな、と。 それが、松田優作とジャワカレーおじさんとの違い、なんですかね。 おそらくは潤沢な製作費など準備出来ないのだろうけど、沖縄ロケに、銃撃戦、血糊をふんだんに使ったバイオレンス描写など、数々の見どころを手際良くさばいてみせ、制作陣の熱い思いが伝わってくる作品となっています。 [インターネット(邦画)] 6点(2021-03-07 13:52:53) |