61. 漫才ギャング
《ネタバレ》 この作品は、ふつうに観れば映画っぽく撮れていると思います。こちらに投稿されている皆さんが述べられている通り、様々な要素がそれっぽい姿はしています。まずアクションですが、スローモーションと早回しを多用する事で、今流行のスピード感あるハリウッドっぽいアクションに仕上げています。そのアクションそのものを演出しておられるのが日本屈指のアクション監督である諸鍛冶さんということもあってか、ぽいです。また、この作品のそれっぽさの根源は当然脚本にあるわけですが、問題は大量にあります。まず上地さん演じる鬼塚ですが、彼の変化の物語は佐藤さん演じる黒沢に誘われ、引き受けた時点で終わりを迎えています。というのも彼は自らの生き方を変えなければならない状況に置かれた人物だったわけですが、それに背を向けて突っ返す訳でもなく爽やかに引き受けている時点で彼は成長を遂げてしまっています。終盤に決断を迫られる流れはありますが、彼はそれを深く悩みもせず決断し、ラストカットでは漫才をやってます。葛藤があるっぽいだけでそこに感情の抑制は皆無です。つまり、彼は最初の決断以降その軽いノリのまま、最後まで平然と嬉しそうに漫才をやり切っているわけです。また、二人を筆頭にこの作品には“とある何かをしなければならないが、それをすると大切な何かを失う”といった抑制された状況にいる人間、思い悩む感情は存在しないのです。まぁ、正直そんなことはどうでも良いです。この品川という人は、彼の立場上最もやってはならないことを平然とやってのけているのです。それがあるから、葛藤どうこうは次元を超えてどうでもよくさせてくれます。それは「漫才をなめるな」という事です。黒沢はずぶの素人である鬼塚とコンビを組みますが(それ自体馬鹿じゃないか?と思いますがそれも良しとして)、なぜか初めての舞台から“笑い”を取る訳です。人を“笑わす”という事は簡単ではないと散々黒沢に言わせておきながら、簡単に“笑わせ”ているわけです。その後も人を“笑わす”事に一切苦難することなく“笑わせ”続けます。つまり「人を笑わせることなんて簡単!」という流れの作品になっているのです。そこから理解できるのは、この品川という人が表面、絵面ばっかり洒落込んで中身が伴わせることに興味がないことを具体的に表しているのです。映画だけでなく、漫才すらなめています。 [DVD(邦画)] 0点(2012-01-11 18:25:11) |
62. ローラーガールズ・ダイアリー
《ネタバレ》 まず言いたいのは、映画におけるタイトルって映画の一部だよ、マジで!シーンを変えるのと変わんないよ?わかってるのかー!バカタレー!作者の意図を尊重しないやつは□ね!ということです。なんでそうも熱くなるかというとこの作品がムチャ面白かったからです。「JUNO」「アメリカン・クライム」で旋律なインパクトを世間に与え、最近では「スーパー!」に「インセプション」と見事なキャリアメイクにすでに成功しているエレン・ペイジちゃんの、唯一のスポコンものです。もはやぼくは彼女が画面の中で躍動しているのを見れるだけで若干満足してしまう節があるのですが、そんな彼女の長いと言い切れないちょい太めな足や、背が低くて豊とは言えない胸など、“色気”の類いのパーツは弱いとは思うけれど、気が強そうで不器用そうな存在感にぼくは愛おしさを感じずにはいられません。それはまさにちょいブサかわいいドリュー様の後継者としてその姿が重なってきます。ドリュー様がティーンの時に演じたかった姿なんだと感じずにいられません。つまりこの作品における母子の構図とダブるわけです。また、エレンちゃんが己で見つけた、己の最も輝ける場所に立ち続けることを決めるわけですが、そこには多くの他者がいます。そこで学ぶのは、何歳になろうと青春は訪れるし、いつだって遅くはない、そして誰だってやっていいのがスポーツの素晴らしさであることを教えてくれます。さらにはローラーゲームの魅力もあますことなく表現し、ルールを知らない観客でさえゲームの成り行きに唾を飲み、興奮できるように鮮やかに描き、エレンちゃんのみならずドリュー様自身も身を以て画面の中で躍動してみせてくれます。構成としては使い古さているといえばそうですが、その中に散りばめられている要素は心震わす物ばかりです。特に好きなのは、プール!澄んだ水、必至に相手の元へ向う様、衣類が一人で脱げない姿。全てが初恋のメタファー!そしてタイトル「Whip it」仲間の力を借りて加速するスーパープレイであると同時に、この作品自体を比喩しています。家族、友人、仲間、初恋、失恋が人生におけるwhip it。ダイアリーとか、過去にしてんじゃねぇ!今この瞬間もwhip itじゃ! [DVD(字幕)] 9点(2012-01-10 21:13:23)(良:1票) |
63. さや侍
《ネタバレ》 ぼくは松本人志の大ファンではありませんが、そんなぼくでも松本人志の刀は知っているつもりです。それは言うまでもなく“べしゃり”であり、日本の頂点に立っている刀の“持ち主”なわけです。そんな名刀を今回は完全に封印し、さらには自分ではない他人にその身を委ねています。自らで自らを縛り付けての挑戦をこの作品でやっていることは誰の目に必然です。その状況で挑むストーリーは「走れメロス」系、期限内達成ものです。そこにあるのはまず緊張感と恐怖感で、登場人物の感情に吸い込まれるような感覚を生み出します。また、その緊張感の中で登場人物たちが喪失の予感を共有することで生まれる衝突と再生が何よりの醍醐味です。それらを踏まえてこの作品を考えると、緊張感と恐怖感はまったくと言っていいほどありません。それは主人公に失いたくない絶対的な何かが感じられなかったからです。この作品における刀は松本人志にとっての“笑い”であると同時に、作中では侍としてのプライドであるはずなのですが、彼からはそれが一切感じれないのです。それを描かずして成立しない物語といってはずですが、“笑い”を優先してしまったが故に物語上の核を描いていないことになっています。また、“笑い”に関してもこれは好みなのかも知れませんが、30日間で徐々に笑いのバラメーターは上がって行き、笑えていくものだと思っていたら、最後の最後までぼくは「え?いまの面白かったの?」という印象止まりでした。それに関しては最後には刀なくとも切り裂いてくれるだろう、という過剰な期待の飽和が招いたことなのかも知れませんが、作中に笑っている農民の姿、笑い声が聞こえる度にその温度差にも苦しみ、またそれが笑いを強いられているような気がしてなりませんでした。ぼくには何よりその姿勢そのものが辛く、不快感すら抱きました。それを踏まえてのラストの切腹の解釈を「刀がなければ駄目なんだ、あれでは満足できない」というふうに受け止めれば納得もできたのですが、その後に手紙を坊主に託してベラベラ喋らした時点でわけがわからなくなりました。それは刀以外の何物でもありませんのでぼくの心に残ったのは不信感以外ありません。必至で考えましたが、ぼくには作品の意図としても、映画としても、笑いとしても、何ひとつ魅力を感じれる要素を見つけることができませんでした。ただ、映画に挑戦しようとした試みに点数を。 [DVD(邦画)] 3点(2012-01-10 20:40:05)(良:2票) |
64. ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
《ネタバレ》 トム・クルーズ=イーサン・ハントがようやく自分の中で納得できる人物に見れました。もっと簡潔にいうと、イーサンの感情にここまで特化した内容のものは、シリーズ通して実はあったようでなかったと思います。前作を念頭に鑑賞を始めると、序盤から感じるのは奥さんは?という雑念が過り、次に思うのは「ハリウッドアクション映画シリーズ御得意のヒロイン取っ替え引っ替えか?」です。大切な女を一貫して守れないおっさんが、なにが国家を守るだ?アホか、と思わせてくれるわけです。それが、主軸の核戦争勃発を阻止するための行動と共に事情が徐々に明かされてゆき、物語とリンクして行きます。「イーサン、そんな過去が・・・でもなぜ、お前はそこまで強くいられるんだ」徐々にそう思わずにいられなくなります。それは、途中参加の分析官の彼の心情とまさにシンクロするわけです。そしてそれは最後に最大のネタバレに繋がって行きます。後出し!最後の最後にお涙頂戴展開だよ!って思ってしまう反面で、彼は一人いつも自分に課せたGhost Protcol「実在しない協定」の上で彼女を守っていたのだと思うと、否応なく心が震えました。もはやぼくの勝手な解釈になりますが、Ghost Protcolによって二人以外の人間が知りえないその悲しき関係性が物語の核とシンクロした瞬間、心がとても震えました。中盤でハントが言った「生き返らない=絶対に戻ることがない関係性」も観賞後に本来の意味になって響いてきます。つまりハントはこの先一生死ぬまで、Ghost Protcolの作戦を一人孤独に続けて行かなければならないのです。ぼくは想像してしまいます。今この瞬間も戦っているハントの姿を。 [映画館(字幕)] 9点(2012-01-04 02:11:29)(良:2票) |
65. SUPER8/スーパーエイト(2011)
《ネタバレ》 この映画は、やりたいことをやり切っている映画であることはまず間違いないと思います。ただ、それが往々にして物語上の豊かさや推進力に繋がって行っていないところが、やっているだけの印象が観賞後に残ってしまう原因になっていると思います。この作品そのものが、スピルバーグ作品へのオマージュであることは誰の目にも必至で、誰もがそれと比較して観てしまうと思います。相乗効果といいますか「幼少期の純粋性」×「未知の生命体」×「大人(社会)との対立(喪失の予感、緊張感)」の要素による見事な融合が『ET』を作ったと例えるなら、この映画にある要素は「幼少期の恋心」×「未知の生命体が齎す緊張感」×「役に立たない大人たちの存在」だと解釈しました。つまり、てんで方向性が滅茶苦茶でそれぞれが全く重なってこないのです。だって、軍の人間は生命体を逃がしてしまってあたふたして本気で捕まえるようとしているようには見えず、親はなんか勝手に動いてもがいているだけで、子どもたちは攫われた女の子を救出するだけですし、生命体は帰りたいだけです。軍と生命体との対立は瞬く間に終わり、その後はおのおののやりたいことをする時間になるわけですが、もう映画の推進力になる大きな目的はないのです。というか、もともとないのです。観ていて望んだのは、子どもがフィルムを早めに観る事でその存在に気付き、大人たちに話すも相手にされず、親たちが気付いたころには子どもたちは次のステップに危険を顧みず進んでいる、という感じです。それが『ET』だと子どもたちがETを大人たち(社会または悪)から守ることであるから、どう守り、どう帰らせるかに興奮と緊張感があり、また別れにカタルシスがあるのです。でも、この映画にはその中心にあるべき映画としての目的がないため、その場その場の状況に流されているようにしか観えないのです。母親の形見?しかりです。その前に台詞で言ってるんだから、そこであざとくやるのもやっぱりやりたいだけな印象が先にきます。まぁ、やりたいことをやりたいようにやると滅茶苦茶になるよ、というお手本的な作品とも言えます。最後に、良い点を挙げれば、それは幼少期の恋のピュアさは奇麗に描いています。ゾンビメイクの件とか、窓から入ってくる件とか、ホームでの芝居のうっとりする件とか。その一連だけは純粋に心地良く観れました。 [DVD(吹替)] 5点(2012-01-02 00:25:58)(良:1票) |
66. 抱きたいカンケイ
ラブコメなんて、どれ見たって結局男と女が紆余曲折あってくっつくだけの話であって、それ以上を期待して見ることが大前提として間違っているのだから、この映画はその意味では満点。60点中、60点みたいな。 紆余曲折が明確で、恋人にはならない!のルールがいかにして崩れるかが見所!な物語なわけですが、どこをどう切り取ってもいちゃいちゃしてるアシュトン氏とナタリー氏を暖かく、優しい気持ちで見る余裕、余裕?があるかどうか?が楽しめるかどうかの決め手になると思います。 ま、それにどこもかしこもでき過ぎた話な訳ですが、それに対してもアメリカの楽天的バカ映画であるという絶対的な土台で戦っていることを念頭に置いて観れば観れる! 全てが観客が望んだ収まるべきところに収まるようにしっかりとお決まりな内容に収まって行く、その収まり形も実にお手本と言わんばかりの見事な収まり具合。寸分狂わぬ、予定調和具合が正直心底心地良い。いや、それをも凌ぐ予定調和に酔いしれる。ああ、くだらん!羨ましい!くだらーん!羨ましいー!その繰り返しが不毛で良い。うん、ナタリー可愛い!おっぱい見たい!それだけで良い!日本のモテるとかどうか言ってるあれのあの回りくどい、鬱陶しいやり方よりこっちの方がずっと良い。60点を望んできた観客にきっちり60点を取られる技術ってやっぱ凄いと思う。ぼくはね。 [DVD(吹替)] 6点(2011-12-26 12:50:18)(笑:1票) (良:1票) |
67. 銀色の雨
《ネタバレ》 これは劣悪です。まるで素人が演出したかのような安直なシーン構成の連続。人物の感情の起伏を描くということがどういうことなのかわかっていないのではないか、と思ってしまうほど、常によくわからない。最も腹立たしいというか、その都度興醒めさせられたのが回想。セピアって!高校生の作る自主映画か!もろにただの説明で、あざとく、押し付けがましい。「はい、ここからは中村獅童の記憶の話ですよー。これから観続ける上で重要ですよー」回想の重複に舌打ちし、台詞で言った事をさらに見せる。説明に次ぐ、説明。観客の想像力を馬鹿にしてます。また、カメラが酷い。サイズもいちいち中途半端だし、カット割りも酷い。そこでヒキになる意図は?うわっ、寄っちゃったよ。という具合にいちいち気になってどうしようもなかった。そもそも俳優の立ち位置に常に問題があり、常に不自然。つまり、人間と人間が同じ空間で、ある内容のことを話していたら、または考えていたら、人間はどう動くか、ということを炙り出すつもりがない演出が現場で行われていた事が画面からヒシヒシ伝わってくる。脚本も酷いです。主人公と母親の対立、関係性の構築がメインの変化部分になるはずなのですが、主人公と母親が対峙するシーンは序盤以降一切ない。間接的な関わりはあるけども、最後の最後まで対峙せず、修復すべきこと、歩み寄るべき事など、もろもろをすっ飛ばしてまるまるOKになりました、という状況だけを見せる。今頭の中に浮かんでいる不満、指摘ポイントを挙げていくと多分、全シーン、全構成、全登場人物に対して言えてしまう気がします。この映画には何もいいところがない、雑な思想の結晶体のようなものだと思います。観ない方がいいです。時間の無駄です。1点は雨降らしをがんばった監督、カメラマン以外のスタッフに贈ります。 [DVD(邦画)] 1点(2011-12-23 13:48:51) |
68. 十三人の刺客(2010)
《ネタバレ》 これは素晴らしい!まず、視点で言えば間違っているかもしれないけど、撮影の行為そのものをがんばっていることにとても感心しました。実写でやれることはしっかりと実写で撮影を行い、殺陣もみなさんすごくがんばっていることに驚いてしまいました。とくに松方弘樹さんの殺陣芝居は本当に御見事です。すごく美しかったです。また、村のオープンセットを作り、家をまるまる一軒壊し、そして殺陣シーンを特殊な映像技術を使わず、正面切ってきっちり描いた姿勢には拍手を送りたいです。そして肝心のストーリーですが、平たくいえば超悪的な暴君を暗殺する為に集まった13人の男が約300人と暴君を殺す、というだけの話です。近代の複雑で空白恐怖症の日本映画界が陥っている詰め込み過ぎから背を向けるかのようなシンプルな物語に、ぼくは素直に没頭することができました。そこにあるのはただただ人のモラルとか道徳観。こんな超悪的な人間に日本を支配させるわけにはいかない、生かしてはおけない、おくべきではない!という気持ち。そこには普遍的な人が人たる所以の感情が漲っているので、強烈でなおかつ具体的な目的意識に強く共感し、没頭することができたのだと思います。それでも、でっかい壁状の木がどういう動力で、どういう原理で動いているのかとか、伊勢谷友介さんと岸部一徳さんの件とか、弓矢から殺陣への移行の理由とか、吹石一恵の一人二役意味ある?ていうかいる?など腑に落ちない部分は多々ありますが、それでもあの迫力あるアクションシーンを現代日本映画で見れただけでかなりの満足感を得られました。 [DVD(邦画)] 8点(2011-12-20 09:34:09) |
69. ザ・ファイター
《ネタバレ》 馬鹿な家族から手の切れない馬鹿な主人公。もう、終始イライラした。受動的で、明らかに狂っている母親を決して非難せず、ラリっている兄を尊重し続けるわけの分からない姿勢。嗚呼、こいつも同じ血で、狂っている。そう感じずにはいられない。明らかに意思の弱すぎる主人公は、終始一本調子で受動的なまま、されど天性のものに支えられて世界の頂点に立つ。 兄のおかげで手を怪我しつつも、周りの人間に助けられて復帰し、トントン拍子に成功していく様に、人並み外れた努力が見受けられないのがもう何より苦痛で仕方なかった。おいおい、人生そんな上手く行く?脚色し過ぎじゃない?本当はもっと血の滲む努力があって、それはちゃんと描かれるべきじゃないの?と思わずにいられない。また、兄貴のドラッグから手を洗う動機が自らの姿を映したドキュメンタリーを観たのが原因というのはなんとも納得いかない。撮影中に、撮影がなんの為に行われているか気付かないってどれだけラリってたんだ?もはやトレーナーをそんな人間にやらせているとは、一体何事だ?なんて思ってもそれは実話だからしかたないか・・・でも、弟もボクシングに戻る動機がドキュメンタリーを観た以降の、女を抱いた後ってのが腑に落ちない。つまりあの時の動機というのは「俺の評価まで下がるのは嫌だ!」ということになり、自分大好き推進力というのはなんでこんなに魅力が感じられないのだろう。受動的な考えは維持したまま、自分愛護に拍車をかけて走り回る。終盤の皆大事と言い張り、復活に手を差し伸べてくれた人たちをも裏切り、狂った家族とまた復縁の形を選択する。何も失わぬまま、得るものを得るというのはなんと腹立たしいのだろう。もはや終盤、興味を無くして早く終わってくれるのを願わずにいられなかった。 [DVD(字幕)] 5点(2011-12-17 01:15:57) |
70. エンジェル ウォーズ
正直、なんの話かさっぱりわからない。空想の中の、空想っていうのが、ぼくの理解力から言ってキャパ越えになるっていうのもあるんですが、もう序盤10分くらいからすでに置いてきぼりを食らった心境で、ただただ画面をポカーんとアホヅラで眺めてるしか術がなくなりました。 さらにわけわかんないのは、まず妄想の中で脱走したやつは妄想ではない実世界でも脱走できているのだけど、その脱出したその作業肯定自体は妄想世界でしか描かれていないので、実際何が起きたかは明確に説明はされていません。裏にしてもわかるでしょ?という前提なのですが、待てよ。えっと、実世界でもあのお友達はみな存在してたってこと?ん?なんかね、多分、妄想の中の妄想を描きたいが為に、妄想世界を描いている感じがあって、じゃあもう実世界設定自体いらないんじゃない?って想っちゃいました。なぜなら、結末に実世界設定が不必要だもん。深刻な救いようのない世界を表現する為に、実世界を根底に設定しただけで、なんかやりたいこと凝縮させたらやりたいことわかんなくなっちゃいました。みたいな終わり方になってる気がする。ようは女の子の戦闘シーンを描く為に、その戦闘シーン自体を妄想にして、その妄想シーンを意味ありそうな設定として説得力を持たす為に、踊るとドーンっていう設定にして、でもそれ自体に深刻な状況にしきれなかったから、その世界すら妄想にしましょう!っていう印象。やりたいことのリアリティや面白さを理詰めし、追求しようとしたらぐっちゃぐっちゃになっちゃったのがこれ。究極の欲張り映画だと思います! [DVD(吹替)] 3点(2011-10-08 00:16:56) |
71. モテキ
この映画を簡潔に言うと「生唾もののまさみを下心丸出しで好きになった男が、ふわふわした状態でまさみを大好きなままちょい衝突して、最後にまさみとブチューする」というだけの話。ただただそれだけの話。この映画を見た女性は、何を思うのって感じだけど、エンターテイメントとして様々な表現にトライしていることには好感が持てるのかも知れない。 大嫌いだけど、ナレーションの多用と同時に下衆なカメラワークによって主観的な映像で色々見せつけられ、否応なく興奮させられる。それだけで、ムラムラしてイライラしつつも満たされてしまう。さらに、カラオケテロップ調の感情表現や、PV風の場面など映画らしからぬ表現が多用されていたけど、こういうやり方はバラエティ、しいてはテレビ局発っぽいなーという感想のみ、抱けた。興味深くはあったけど、面白いとは思わなかった。それまでの日常からの突然の非リアリティー、脱現実。その度心が離れた。あと、主要な女性キャストの残り三人が三人とも、あの三人である必然性はなかったんじゃないかと想ってしまうほど、雑に扱われている。もはや長澤まさみの背景と化している。可哀想だなーてのが率直な思い。抱くだけ抱いてポイされた麻生さんしかり。さらにリリーさんにも抱かれ、別のシーンで同僚とスマイル。尻軽女なん?それでOK?で、主人公の長澤まさみに対する感情のグラデーションの変わらなさっぷり、モチベーションの平坦さたるはまさに馬鹿の極み。ある程度のコミニュケーション能力を持ち合わせている男が、ある程度の積極性でまさみと逢い続け、最後にその積極性のまま、ブチュー。 それと、森山未來がダサくて、冴えない、ちょっとキモい男にぼくは見えなかった。ありでしょ?彼なら。毎日ほぼ違う服装で、髪型はキマってるし。そこを例えば、おしゃれを目指すけどなんかダサいとか、髪型もどっかおかしくない?って感じにするとか。あと、少し前までフリーターだった男が、長文の、人様に読んでもらう文章の筆力があるってどういう事?都合良い設定ぶっこんだってのもあるし、それってすごい才能でしょ?そんな男がモテない?嘘だろ?なんてことを監督にネチネチグチグチ説いたくなるが、この作品は兎に角、まさみが可愛いくてアレがアレしてて、ムラムラして羨ましくてイライラする為のもの!良い、それだけで良いのだ!長澤まさみのIVなのだから! [映画館(邦画)] 5点(2011-10-05 00:29:23)(良:1票) |
72. ぼくのエリ 200歳の少女
《ネタバレ》 エリに尽くし続けた男は、エリを守るため、 自らの額に酸をかけた。あの男も、少年と同じように、 人付き合いの下手な弱気な男の子だったのかもしれない。 あの男の昔がもしかすると少年で、少年の行く末がもしかするとあの男で、それが何年も何十年も繰り返され、それさえもエリの中では計算されているのかも知れない。 などと、いくらでも深読みはできるし、観客に勝手気ままに想像させるために意図的な説明少なな内容にしているようにも捉えれる。 透き通るような白く透明なエリの立ち姿が血に染まった時の、 背筋が凍るような恐怖は、あまりにも新鮮で、 ある意味、どんなバイオレンスなシーンよりも衝撃的に見えた。 唯一、自分の本心に気付いてくれたのがたまたまエリなだけだった。 唯一、自分の身を真剣に心配してくれたのがたまたまバンパイアなだけだった。 唯一、エリの存在を知ったのが彼なだけだった。 小さな恋のメロディのように否応なく、惹かれてしまった無垢な心が引き寄せた愛情。 殺戮と捉えたのは人間。 猫がネズミを襲い、ネズミが虫を襲い、虫が植物を食らう、 その連鎖の人間の先にいたのがバンパイアなだけ。 思い込みの枷が外れた瞬間の人間は、きっとエリのために人を殺す。 悲しみに満ちた彼の未来を想うと心が痛い。 ただ、説明がほとんどないのは素敵だが、 最後があまりにも伏線なしで、唐突に思えた。 両親はどうした?二人だけで生きて行くの?プールでの殺戮はスルーできたの?様々なもやもやが残りながらのあのラストシーンの、モールス信号でのやりとりは素敵だけど、やりたいだけだでは全てを圧倒するほどの説得力満たしていなかったように想う。でも、クオリティーはすごく高い。日本こそ、こういったローバジェットで制作できそうな脚本勝負の作品にトライすべきだとすごく思った。 [DVD(吹替)] 8点(2011-10-04 23:41:34) |
73. X-MEN:ファースト・ジェネレーション
《ネタバレ》 この仕切り直し作品のノーマルな人間とミュータントの関係性は、 つまるところこれまでの人類が歩んできた誤ちの歴史の 合わせ鏡のような描かれ方をしていた。 冒頭、ナチスが後のマグニートから親を引き剥がす場面からも それが物語られており、ナチスがユダヤ人にしてきた行為は、 行く末の人類がミュータントにする行動のそれでしかなく、 また、プロフェッサーXとマグニートが出会ってからも同様に、 リンカーン像の前で二人でチェスをするというのも、行く末の彼らが歩む道、 つまり人類の歩んできた道を暗示しているように見えた。 特色を持ったコマを使い、互いに相手のコマを潰し合い、 相手の包囲網へ入り込み、キングを潰すという目的のゲーム。 それはつまり戦争の仕組みであり、植民地や奴隷などにも比喩されてくる。 さらには世界人権宣言、黒人奴隷からの解放、 そんな非差別の象徴であるリンカーン像の前で、 チェスをするというのは、もはや直喩的な表現で人類の歴史を、 ミュータントの行く末を表現しているようにも見えた。 それらが意味するのは、ただ、観ているだけで差別され、区別される側の人間の思いに感情移入し、 差別に対する反対的な意識をなんの違和感なく自然と抱ける、その構造の見事さが素晴らしい。 また、当然のように観客から求められる、超人的な能力を活かしたアクションシーンや 訓練シーンは人物それぞれの特色を活かし、高揚感、躍動感たっぷりに描いており、 第三次世界大戦を阻止するという主軸の物語も、ケビン・ベーコン演じるショウの 圧倒的な強さも相まって緊張感たっぷりに楽しく観ることができた。 そして、プロフェッサーXとマグニートの理想像というのが、 最終的に全人類が目指すべき理想像と現実に結びついてくるところが、 何より面白く、この映画のすごいところだと思う。 次回作も是非マシュー監督で観たい。 [映画館(字幕)] 9点(2011-07-19 20:45:52)(良:2票) |
74. 127時間
《ネタバレ》 この作品は彼のみの、主観的な物語で構成されているがゆえ、感情移入がとても容易にできる作りになっている。絶対的な主観の人生に閉じ込めらている観客自身が、彼になりきった気分で、まさに岩に右腕挟まれた感覚で、物語の成り行きに身をゆだね、没頭することができる。カタルシスは絶対的な孤独の中で、人生をどう取り戻すか。そういった意味では、「キャストアウェイ」が内容的には近く、心情を吐露する対象が物語を発展させる上で必要不可欠で、キャストアウェイではボールだったのが、この作品ではビデオカメラの液晶に移る自分自身になっている。比喩的にも物理的にも、自分自身と自分自身について語り合うという構造が見事に描かれていて、とても面白い。自らの欠点を見つめ、自らの人生の反省点と改善点を、絶望的な状況下で自分自身と語り合い、見つめなおす。そして、自分がすべきだったことを液晶の自分自身に向けて語る。彼に与えられた選択肢は3つ。ただただ一日でも長く生き延び救助を待つ、岩を崩して脱出する、そして腕を切り取り、生き延びる。結局、最後の決断以外、死の予感しかしない。選ばざる終えない究極の決断にいたるプロセスは、「生きる」への熱意、希望が最高潮に達するまでを、様々な手法で描いている。人は喪失の予感を目の前にしないと、変われない。彼もそうであったに違いない。振り向き様に写真を撮った彼の最後の言葉は、つまり127時間の己との対話を設けてくれた自然への感謝の言葉だったと思う。最後に、できればもう少し死への恐怖心、緊張感を感じさせてもらえたら、脱出の時の死からの開放のカタルシスがもっと感じられたのではないだろうか。観客自身も己の人生を見つめなおすきっかけに成りえる作品の一歩、二歩手間で止まってしまっているような感じ。 [映画館(字幕)] 8点(2011-07-17 20:09:59)(良:1票) |
75. その街のこども 劇場版
《ネタバレ》 映画は祈りです。誰かの幸せや平穏な日々や、 健康などを誰にともなく、手を合わせ祈っている、 それが映画の隠された一面です。 どうかあの人が、どうかあの人が、どうかどうか、 そうやって目を硬く閉じて祈っているのです。 この映画は、今を生きる多くの被災した方々への 祈りです。 まさか、公開された2ヶ月先に阪神淡路大震災と並ぶ 日本の歴史に深く刻まれる大震災が起きるだなんて、 誰が想像できたでしょう。 今この瞬間もその街のこどもが、彼らが15年前に 感じた痛みと同じように感じ、苦しんでいる筈です。 否応なく容赦なく、執拗に深く深く。 そう思うと胸が痛くてしょうがなくなります。 だけど、だからこそこの映画には意味があるはずです。 手持ちカメラでまさに今その瞬間に呼吸する二人の痛みと、 心の触れ合いを、触れる事ができてしまいそうな距離感で、 直に感じれました。 目の前にいる人の言葉を目を見て聞いているかのような錯覚は、 ドキュメンタリーでもそうそう感じれないけど、 ちゃんとドラマとして二人の背景がその瞬間に見え隠れするから、 深く深く届くのだと思うのです。 歩いて歩いて、言葉を交わし、思いをぶつけ合う。 耐震強度の矛盾に苦しみながら建設業を続ける彼と、 トラウマに縛られ続けている彼女が、 その日と向き合うまでの時間。 特筆すべきは、一つだけ光の灯った部屋に 向かうまでのその光は、トラウマそのものであって、 恐怖でしかないのですが、戻ってきた時にはその光は、 とっても温かいものに変わって映るのです。 それが人です。 向き合うというのは、知りたくないことを知り、 時に傷を深めることもあると思います。 彼女はその日に向かって走った、では彼は? 来年にする、そう言い残して歩いて行きます。 二人のほんの少しの変化が、身近に感じられ、 強く心に響きました。 どうか、忘れないで欲しい。 どうか、知って欲しい。 どうか、早く笑顔が戻って欲しい。 この映画を観たら祈らずにはいられません。 [DVD(邦画)] 9点(2011-07-17 13:02:54)(良:1票) |
76. マイ・ブラザー(2009)
《ネタバレ》 本人たちが意図せぬ事を原因として、翻弄され揺らぐ家庭という関係図を好んで撮るジム・ジェリダン監督の新作。 この作品に置いて、不謹慎だけど最大のカタルシスを抱けるのは、子どもの感情が爆発する瞬間にあったと思う。 子どもの見ている目線が最も観客の立ち位置に近く、まさに三人の人物たちが触れ合い、ぶつかり合う摩擦熱を子どもを通して直に感じたような気になる。 父を失うも、父の弟を実の父のように思えるようになったころ、豹変した父が生還するが、まったく快く思わない心情の変化。 まさに観客の立ち位置と重なってくる。 当事者だけど、一歩離れた位置にいる感覚は、まさに観客のそれである。 話を元に戻して、子どもが豹変した父に向けて「二人はセックスした」と言い放った瞬間、家庭の秩序が完全に崩れた。 生きて帰ってきた事を絶望する瞬間、兄弟の絆が喪失した瞬間、偽りの名の下に愛がすでにそこにないことを証明してしまった瞬間。 子どもの意図的な失言は、意図した通りか否かはわからないが、簡単に修復できないところまで関係性を崩してしまった。 絶望の予感に胸を締め付けられ、そこからの修復、復活へのカタルシスに期待を寄せずにはいられなかった。 しかしながら結末は、そのプロセスの過程で終わりを迎える。 例えるなら、下り坂を転がり落ちて、そこからまた登ろうと顔をあげたその瞬間に終わる。 しばしば映画では、その後は想像にお任せします、で終わることもあるけれど、流石にこの作品に関しては想像の範囲が広すぎて困ってしまう。 あそこで終わるなら、今後彼がすべきである、子どもとの関係性と兄弟の関係性の回復、彼自身の心の修復と再生、夫婦の絆の再確認、そして三人の関係性の再構築の5点を、観客が想像できるように、ある程度の説明、ないしは道しるべになるようなヒントを描いてから終わって欲しかった。 もう一本映画が撮れそうな材料を残し、もっと観せて欲しい、という願望が心にふわふわと残されるのは、流石に後味が悪い。 ただ、主演三人を含め、キャストの芝居が魅力的で、とくに「父の祈りを」を彷彿とさせるシリアスな芝居は大変見応えあった。 [DVD(字幕)] 7点(2011-07-13 12:54:58) |
77. マイ・バック・ページ
《ネタバレ》 赤軍も学生運動も、その出来事を日本の歴史の一部 としか捉えることのできないぼくにとっては、 この時代に何が起き、どうしてそうなったか、 という事実性はもちろんのこと、 それによって翻弄される社会がどういう 状態だったか、というのは とても新鮮な情報として ぼくは受け取ることができた。 映画はドキュメント的に、 多くの人に世界情勢や社会問題を 知ってもらうための媒体として 使われることもしばしばあり、 この作品に関して言えば、 学生運動に荒れるこの時代の 人間たちの姿というのは、 知っておく価値は十分にあった。 若松孝二監督の「実録連合赤軍」に 関しても、まずは何が起きていたのか、 という事実を知るにはもってこいの 作品だった。 ただ、事実を知るだけなら教科書で言い訳で、 せっかく映画を観るのなら、そこに映し出される人間たちを 通して、監督が何を描きたかったのかが、 見えてこなければ映画にはならない。 若きジャーナリズムに燃える青年と、 口の達者な運動家の青年を通して、 ぼくが感じたことは、 幼さに尽きる。 両者とも、至る所は後悔の淵で、 つまり後先考えず、衝動と流行りに 身を任せてしまった愚か者なのだと思う。 互いに言いたいこと、やりたいことは あったにせよ、 しかしながら劇中でも描かれているとおり、 論理が纏まっていないように思えた。 ようするに、流行りに流され、 自分の意思が固まる前に 衝動的に動き出してしまった あさはかな若者でしかないのだと。 さらには、連載誌も終わるまさに流行りの末期で、 若者の多くが抱える自分も何か時代に名を残したい、 という願望も合間っての愚かさだったに違いない。 そんな二人こそ、その時代の象徴なのだと感じた。 監督の同情ではないにしろ、 その時代を覆う大きな哀しみや痛みに対しての、 その肩にそっと手を添えるような 優しさは見えた気がした。 ただ、山下監督の「天然コケッコー」 以来の新作がこれ、というのは癪然としない。 人間の滑稽で愚かだけど、ユーモアに満ちた姿を 豊かに描ける山下監督が、 なぜこの作品を撮ったのか、 納得のいく回答をこの作品から見出せないのが残念だった。 [映画館(邦画)] 7点(2011-07-09 08:41:06) |
78. 星守る犬
《ネタバレ》 この作品の最大の欠点は、 ハッピーの感情がまるで 上手く描かれていない点にあると思う。 死を目前に控えた西田敏行さんを 傍に常にいるハッピーが どう思っているかが、 観客の最大のカタルシスに つながる筈なのに、 ハッピーの気持ちが常に ただそこにいるだけ としか描かれていないため何も感じられない。 悪く言えば、ただ西田敏行さんに 連れ回されている犬としか 見えてこない。 動物映画の難しさはわかる。 どんなに調教された犬でも、 集中力は短いし、 感情を持っているかのような 芝居というのはなかなかできない。 でも、ハッピーの感情がわからないのは、 監督の無精としか残念ながら言いようがない。 そう見えるように努力した様が まるで見えてこない。 たとえば、泣かせの一回目である 西田敏行さんがハッピーと 別れようとした時の鎖に繋がれた ハッピーが西田敏行さんの元に 向かおうとする姿は、カットを割り過ぎで、 監督の「こうすればこう思っているように見えるでしょ?」という 掌が見えた気がして馬鹿にされてる気がした。 さらに、西田敏行さんが死を目前にしているシーンで ハッピーが西田敏行さんの手をなめる。 わかりにくい! 心配の表現にすら見えない。 さすがに鈍感すぎるだろう。 死を目前にしていることくらい 本能的に気づけよ! 馬鹿犬に見えてしまっているぞ! なめるより、低く唸るような寂しそうな 鳴き声にするとかして欲しい。 説明的にならないようにしているのかもしれないが、 相手は犬なのだから、もっともっと わかりやすく表現しないと 抽象的過ぎてよくわからん! 終盤はもはや誰目線? この世を去ったハッピーの回想? そこだけ説明的! 終始ハッピーの感情がわからない故に、 この手の作品に重要な 別れの予感による重圧的な悲しみ、 緊張感が一切ない。 そしてその大打撃に加え、 玉山鉄二と川島海荷も感情がわけわからない。 西田敏行さんの死を目前にしながら、 最愛のハッピーと共に死に場所を探す、 その芝居が豊かなだけに、 二人の行動の動機が弱いので、 勝手にやってろ、な気分を終始 抱かされた。 この監督は台本に沿って人物、 ハッピーを動かしているだけで、 そこに感情の豊かさが微塵もない。 この監督は人間にも動物にも興味がない ことだけがぼくには伝わった。 [映画館(邦画)] 3点(2011-07-03 18:30:21) |
79. グラン・トリノ
血を流さず、悪を罰する。永遠に繋がる復讐心の連鎖を、皺らだけの手のひらだけで、その心をその場に置き去りにする。ぼくにはその手のひらの温もりが心に強く残った。グラン・トリノのハンドルを通して、彼にも必ず伝わっている。 [映画館(字幕)] 10点(2011-06-24 01:30:30)(良:1票) |
80. キック・アス
バカだー! クソー! 仕事なんて休んで、映画館へ行き、2回立て続けに観ればよかった! 満足感に満たされた後に、ドッと後悔に胸を締め付けられた。 映画館で観たらどれだけ興奮し、どれだけ感動できただろう。 一生、映画館で観ることはできない。 ただただ、悔しい・・・ [DVD(吹替)] 9点(2011-06-22 00:53:50) |