Menu
 > レビュワー
 > 鉄腕麗人 さんの口コミ一覧。40ページ目
鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2640
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 44歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117118119120
121122123124125126127128129130131132
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117118119120
121122123124125126127128129130131132
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100
101102103104105106107108109110111112113114115116117118119120
121122123124125126127128129130131132
>> カレンダー表示
>> 通常表示
781.  ヴァンパイア(2011) 《ネタバレ》 
「これはあなたの夢?」  “ヴァンパイア”の、おそらくは最初の“献身者”となった女の最期の一言。  この映画の主人公である“ヴァンパイア”の「彼」にとって、“血液を啜る”という行為の意味は、果たして何だったのだろうか。 心の隙間を埋めるための一種の趣向だったのか、行き場を失った孤独を癒す“温もり”を感じるための唯一の手段だったのか。  結果として、繊細で優しい殺人鬼と化した主人公の得た結末は、幸福だったのか、不幸だったのか。  ラスト、己の業が明るみに曝された主人公は、思わず逃避に駆られる。 どこまでも逃げようとするけれど、その足は次第に宙空に浮き、無情にから回る。  それはおそらく、彼の深淵なる“夢”の終わりの時だったのだと思う。  孤独の淵に立たされた主人公が、妄信的に辿り着いた“ヴァンパイア”という生き方。 物語の吸血鬼のように、己の存在が「永遠」でないことは、他の誰よりも本人がよく知っていたことだろう。  「血は命そのものだ」と、“ヴァンパイア”は語る。 「血」を追い求めた彼の姿は、「生」を渇望する弱々しくも必死な、人間という生物そのものの本質的な在り方に見えた。   「花とアリス」以来8年ぶりとなる岩井俊二監督の長編映画。勿論、映画館で鑑賞したかったけれど、地方都市住まいの悲しさにより叶わず……。 とうにレンタル開始はされていたけれど、万全のタイミングを探るべく、日々が過ぎ去った。結局、劇場公開から10ヶ月近く経過した今ようやく鑑賞。   淡々と、空気を呑み込むような、あまりに美しい映像世界。 独創的な世界観は、人によっては独善的で独りよがりに映るのかもしれない。  でも、僕にとってそれは、十代後半で初めて触れ、心の底から愛した映画世界そのものだった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-06-30 02:04:14)
782.  エージェント・マロリー
“素材”の魅力に惚れ込んだスティーヴン・ソダーバーグが、ハリウッドにおける自らの人脈を最大限に駆使してスタンドプレーで撮った、格闘家出身の主演女優ジーナ・カラーノのための“プロモーション・ムービー”のように見えた。  どんな形であれ、この手の女スパイアクションもサラリと撮ってしまうあたりには、ソダーバーグ監督の相変わらずのマルチぶりを感じずにはいられない。  そして、確かに主人公に抜擢された(というか彼女ありきの作品なのだろうが)、格闘家ジーナ・カラーノはアクションヒロインとして充分過ぎるほどに魅力的だったと思う。 類い稀な美貌と、プロ仕様の“実用的”なローキックだけも、女優として勝負できることは間違いないし、想像以上に演技力も備わっていたように見えた。  ストーリー的には、凄腕スパイである主人公が所属する組織の陰謀により命を狙われ戦いを挑むという、あまりにありきたりなものなのだが、御大マイケル・ダグラスをはじめとして、新旧のスター俳優が顔を揃えたキャスティングが成功したのは、監督の人脈ばかりではなく、彼らが主演女優の魅力に文字通り“ノックアウト”されたからに違いない。  というわけで、ストーリー展開だけを捉えれば何の捻りもなく、シーンによっては肝心のアクションにもキレが足りない部分もあり、凡庸極まりないアクション映画なのだけれど、“素材”の発見という唯一のトピックスのみで娯楽映画として成立させていることは、ある意味潔い。  生身で本格的なアクションをこなせる女優として、各種エンターテイメント映画における需要は確実にあると思うので、ジーナ・カラーノの今後の活躍には期待したいところ。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-06-27 17:17:14)
783.  華麗なるギャツビー(2013)
野望、欲望、羨望……言い方は様々だけれど、人間は誰しも大なり小なりの「望み」を抱えて生きている。  この映画は、世界中の誰よりも、自分が抱いた「望み」を追い求め、そのすべてを実現しかけ、つい果てた男の物語だ。 絢爛豪華に見える人生の中にひた隠されたこの男の本質は、あまりに哀れで、哀しく、だけれどもほんの少し羨ましくも思う。  虚栄と退廃に塗れた“クソ”のような世界において、ギャツビーという男の生き様にこそ唯一無二の「価値」があった。 その生き様は、時に笑ってしまうくらいに無様だけれど、そこにはたった一つの「目的」のために生きた人間の、人間らしい純粋さが満ちていた。 だから、世の中のすべてに馬鹿にされようとも、最後の最後まで「望み」を信じ続けた彼に羨ましさを感じるのだと思う。  ただその一方で、彼以外の、クソのような世界で生きるクソのような人間たちのことを無下に否定することもできない。 ギャツビーにとって最大にして唯一の「望み」であり「夢」であった“麗しの君”も、結局は卑怯で醜い人間の一人であったわけだけれど、誰が彼女の“選択”を否定出来ようかと僕は思う。  自らの娘の将来を案じて「女の子は美しくて馬鹿なほうがいい」と、彼女は言う。 それは彼女自身が、虚栄の極みの中で生き、それに頼らざるを得ない人間であるということを自覚していることに他ならない。 ある意味では、彼女もまた己の「望み」を貫き通した人間の一人だったのだと思う。  結局、彼女は孤独に果てたギャツビーに一瞥もくれずに去っていく。 非常に冷淡で愚かしく見えるけれど、あの時代、あの環境において、そのスタンスこそが彼女にとっての生き抜く術だったのだとも思える。   愚かな程に美しいこの映画のすべてのシーンがオーバーラップしてくる。 「夢」に対してすべての手筈を整えたギャツビーの満面の笑み、ニックが抱いた尊敬と羨望の眼差し、愛する人のキスを待つデイジーの麗しさ……。  誰もがただただ「望み」に対して懸命に生き、結果として大きな大きな“悲哀”が残ったということ。その人間ならではの、儚くも果てしない無情さに感極まった。  最高の演技、最高の音楽、最高の映画世界。もう他に何も要らない。
[映画館(字幕)] 9点(2013-06-27 12:33:02)
784.  夢売るふたり
どこにでもいる普通の夫婦。そんな彼らの両の瞳の黒が、展開と共にじわじわと深まっていく。 映画は、序盤コメディタッチで描かれるが、ふいに垣間見えるその瞳の深い黒色が、安易な笑いを拒絶するようだった。 誰が見てもおしどり夫婦だった二人が、突然訪れた一つの“不幸”により、そのままの関係性を維持出来なくなってしまう。 それは決して劇的なことではなくて、世の中のどの夫婦にも内包されている普遍的な危険性の表れのように思えた。  自分自身、結婚をして3年半になるが、つくづく「夫婦」という関係性が一つの形に定まり続けるということはないと感じる。 結婚は決して“ゴールイン”などではなく、あらゆる試練の“スタート”だ。 その試練が幸福なものになるか、不幸なものになるか。そこには、本人たちの多大な努力と、それに匹敵するくらい大きな「運」が必要なのだと思う。  映画の中でこの夫婦が営む料理屋は、結果的にどの店も客入りが良い。 それは、この夫婦が本当に相性が良くて、その関係性に相応しい男女だったということの表れに他ならない。 でも、ほんの少しの行き違いによって、彼らは互いの相性の良さを信じ切れなかった。 それは本当に些細なタイミングのずれに過ぎなかった筈なのに、その小さなずれが大きな悲劇を生んでしまった。  ただし、だ。先に述べたように夫婦という関係性が続く以上は、その形に終わりは無い。 映画のラストで示される二人の表情には、悲劇のその先で、それでも離れ切れない夫婦の悲哀が滲み出ていて、そこには一抹の救いがあったように思う。   ストーリー展開においては強引な部分があることは否めない。しかし、それを補って余りある役者の演技力が随所に光っている。 主演の松たか子と阿部サダヲは、「普通」の夫婦の中にこそある「危うさ」を見事過ぎる程に体現していたと思う。特に、松たか子の体と心を張った演技は、彼女が女優としてまた一つ高みに上がったことを確信させた。 また豪華なキャスト陣の中にあって、風俗嬢を演じた安藤玉恵、女子ウエイトリフティング選手を演じた江原由夏、この決して有名ではない二人の女優の“実在感”が素晴らしかった。  そして、役者の印象的な演技を引き出した上で、西川美和監督は細やかな演出で纏め上げている。 長編映画4作目にして、日本映画界におけるこの女性監督の存在感は不動のものとなったと言える。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2013-06-26 00:15:51)
785.  アイアン・スカイ 《ネタバレ》 
ジャケットの中央に立ついかにもな“ナチ女”のキャラクターが、実際は意外に純真なヒロインだったことは、残念でもあり、キュートでもあった。  月の裏側からナチスの残党が挙党を組んで地球に攻めてくる!という何とも馬鹿馬鹿しいSF映画。 そのイントロダクションの馬鹿馬鹿しさの逆を突いて、展開自体は意外に大真面目なものが繰り広げられるのかと想定していたのだが、それもハズれ、想定以上に序盤から馬鹿ネタ満載の世界観にちょっと引いてしまったことは否めない。  しかし、最終的にはその馬鹿展開を押し通しつつも、強烈な社会風刺もとい“地球風刺”を絡ませ、なかなか独特な映画世界を構築してみせていると思う。  要は、この世界において恐ろしいものは「無知」であり、さらに恐ろしいものは「馬鹿」であるということ。 そして、無知で馬鹿なのは、時代錯誤に攻め入ってきた“地球外ナチス”ではなく、現在の地球人そのものであるという皮肉。  映画のラスト、月の裏側に取り残された主人公たちは、何も知らない人々に対しての教育に途方に暮れつつも、一抹の希望を感じている。 その一方で、「馬鹿」の極みに至ってしまった地球人たちは、地球外からの侵攻等関係なく勝手に滅んでいく。  馬鹿は死ななきゃ治らない……いや、この場合「馬鹿は滅ばなきゃ治らない」ということか。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-06-26 00:12:42)(良:1票)
786.  フラクチャー
アンソニー・ホプキンス×ライアン・ゴズリングという新旧の個性と実力を兼ね備えた二人の競演作でありながら、日本国内未公開どころか今なおDVDスルーにも至っていないことが、まず腑に落ちない。 内容がお粗末な作品ならまだしも、これほどクオリティーの高いサスペンス映画も昨今なかなか無いので、殊更だ。 どうやら劇中の或る描写が、現実的な倫理観と照らし合わせて問題視されているようだが、まったく何のための「フィクション」という言葉なのかと思う。  とにかく、日本では見る機会さえ無かったかもしれなかったことに憤りを感じるくらい、見応えのある「犯罪劇」であり、「法廷劇」だった。  何より、前述の主演の二人の相性が、思いのほか良かったと思う。 老獪で利口な犯罪者の「策略」に、対峙する若く野心的な検事が振り回されつつも追求していくという構図に、ぴったりと合ったキャスティングだった。  “レクター博士”ほどの強烈さはもちろん無かったけれど、アンソニー・ホプキンスは軽妙な語り口の奥底に秘めた恐ろしさをひしひしと感じさせる存在感を放っていた。 一方で、ライアン・ゴズリングは、若さ故の傲慢さと未熟さを放ちつつ、最後には相手を凌駕する雰囲気を醸し出していた。  この二人、タイプは全く違うように見えるが、俳優としての本質的な部分に何か似通った要素を感じる。 そういった俳優自身の素養を引き出し、混ぜ合わせることに成功した見事なキャスティングであり、演出だったと思う。  ラスト、“真相”の正体そのものには「なあんだ」と一寸肩透かしを食らう。 しかし直ぐさま、この映画ならではの“オチ”で静かに締める顛末がとても巧かった。  冷静で頭脳明晰な犯罪者が、犯行の最後の最後で抑えきれなかった“憎しみ”という感情。 その感情の一瞬の露呈が、完璧だった計画に、小さな小さな綻びを生んでいたのだろう。
[インターネット(字幕)] 8点(2013-06-26 00:10:49)
787.  風立ちぬ(1976)
太平洋戦争真っ只中、日本中が暗い影に陥る中で、密かな恋心を募らせた男女。 出征、肺結核、二人に示された道はあまりに過酷だ。 それでも、離れることが出来ず、与えられた限られた時間を共に過ごした彼らの姿と事の顛末は、今となってはあまりにありふれたストーリー展開に見える。 けれど、もはやそれは物語としての王道であり、決して劇的な顛末を得られないことは、実際に同じような運命を辿った恋人たちが、あの時代この国には数多くいたということを表しているようで、感慨深い。  初めて、山口百恵&三浦友和の映画を観た。山口百恵に至っては、出演映画を観ることすら初めてだった。 初めて観たが、この二人が日本映画史に残る「ゴールデンコンビ」であったことは充分に納得出来た。 決して劇的ではないこの映画の唯一無二の見所は、この二人が生み出す空気感に他ならない。 そこには「演技」というアプローチの限界を超えた「表現」が確実に溢れ出ており、ある意味ベタなストーリー展開において、心から主人公二人の幸せを願わずにはいられなかった。  今夏(2013年)に公開される宮崎駿の最新作「風立ちぬ」と原作が同じではないらしいが、一部着想は得ているらしいということで、この映画の鑑賞に至った。 自分自身が歳を重ねていることも影響しているだろうけれど、このところ戦前戦後の日本のありふれた生活風景を描き出した映画に弱い。 そこに生きた彼らが、厳しい社会の中で、健気に力強く時代を紡いだからこそ、今この瞬間の僕たちの生活があるのだということを考えると、胸を熱くせずにはいられなくなる。  もっと若い頃ならこの手の文芸映画は退屈でたまらなかったことだろう。 宮崎駿版「風立ちぬ」も楽しみでならない。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2013-06-17 17:01:49)(良:1票)
788.  グランド・マスター 《ネタバレ》 
久しぶりにウォン・カーウァイの映画を観て、自分がこの人の映画に惚れていたことを思い出す。 6年前に前作「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を観たときも、同じような思いをしたような気がする。 近年決して多作ではない映画監督なので、映画を観始めてしばらくして、描き出される映画世界の特異な空気感に「おや?」となり、「ああそうか、これがウォン・カーウァイだ」と記憶が呼び起こされる。  誰もが楽しめ、受け入れられる類いの作風ではないことは明らか。 時に酷く散文的で、ビジュアル的な美しさが強調される世界観を嫌う人は多いと思う。 この映画にしても、ストーリー的にはあまりにまとまりがなく、「結局何の話なんだ?」と主題がぼやけて見えることは否めない。 詰まるところ、激動の時代における、伝説の武術家イップ・マン(葉問)をはじめとするカンフーマスターたちのそれぞれの人生模様を描いた作品なわけだが、「伝記映画」と謳っている故か、超人的なカンフーマスターたちがドラマティックに絡んでいくように見えて、実は直接的な絡みは殆どない。 アンフェアな予告編に騙されて、“カンフー映画”としてのエンターテイメント性を期待してしまうと、きっと肩透かしを食らう。  ただし、十数年前に「恋する惑星」を観て以来、この映画監督の作品に惚れてしまっている者としては、映画全体からほとばしるその「美意識」だけで、諸々の否定的要素は霧散してしまう。  ハット姿のトニー・レオンが土砂降りを切り裂くように敵を蹴散らす。薄い化粧(けわい)が秀麗なチャン・ツィイーが降雪の中で強く美しく舞う。  ビジュアル的な「美意識」だけが先行してしまっている映画という評は間違ってはいまい。しかし、その「美意識」だけで充分だとも言える。 ウォン・カーウァイがカンフー映画を撮るというのはこういうことなのだ。と、理解してもらうしかない。  兎にも角にも、映画自体の完成度はともかく、大好きな監督の最新作を久しぶりに観られたことの満足度は高い。 ああ、「恋する惑星」が無性に観たくなった。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-16 00:57:03)(良:2票)
789.  バイオハザード ディジェネレーション
二日酔いで気分が最悪の休日の午前中。何もすることも、動く気力も無かったので、動画配信サービスをザッピングして、コンディション最悪の状態でも観ても後悔しないであろうこのフルCGアニメ映画を鑑賞。 結果的には、想像以上に良く出来ているなと思った。 上映時間も含めわりとボリュームもあり、この膨大な情報量を「構築」していく作業の果てしなさは、素人には想像もつかない。  カプコンのゲームシリーズ一切プレイしたことがない(僕には怖過ぎるので……)が、ミラ・ジョヴォヴィッチの映画版はシリーズ全作観ている。惰性で。 今作は映画ではあるが、ゲームシリーズ中の一つのストーリーであるため、個人的には新鮮な要素が多く案外楽しめた。 映画版はシリーズが進むにつれ、原作であるゲームの世界観を無視したヒロインアクションとして暴走してしまっているが、今作はキャラクターも含めてきちんとゲーム的な要素を踏まえて展開していくので、よりゲームファン向けだったと思う。  ただし、やはりというか何というか、フルCGによる描写には、クオリティーの高さは感じるものの、あくまでゲームレベルでのクオリティーのため、人間描写がどこか滑稽に見えてしまう。子供の手の振り方は“カタカタ”と音が聞こえてきそうでコワかった……。 文字通りの“作り笑顔”や諸々の感情的な表情に対しては、どうしても感情移入できなかった。  もう少しストーリーやキャラクターに深みがあれば、そういったマイナス要素もカバー出来ただろうけれど、根本的な希薄さはやはり気になる。 二日酔い回復のための暇つぶしには充分事足りたけれど。
[インターネット(字幕)] 5点(2013-06-15 23:51:23)
790.  極道の妻たち
今さらながらの「極妻」初見。 まあとは言っても、昔は何度もテレビ放映されていたし、それを観る父親らの傍らでどこかしらの場面場面を観ていた記憶は、子供心に確実に刻まれている。 「岩下志麻」という大女優の固有名詞を聞いて真っ先にイメージされるのは、確実に「極妻」であるし、「初見」という感じはまったくしなかった。  今作よりもさらに一昔前の「緋牡丹博徒」などの任侠映画や、「仁義なき戦い」などのヤクザ映画は大好きでよく観てきたので、今作にも同様のカタルシスを期待した部分があったのだけれど、良い意味でも悪い意味でもその思惑は結構外れてしまった。  家田荘子のルポルタージュを原作にしているだけに、想像以上に“リアル”な分(実際何がリアルかは知らんが……)、映画としての娯楽的な格好良さやドラマ性は薄く、極道の世界で入り乱れる女と男の“生々しさ”が際立っていた。 岩下志麻も含め、登場する“妻たち”は、決してただ妖艶に美しいわけではなく、むしろ“無様さ”の方が目立つ。 主人公も決してヒーロー然としているわけではなく、あの世界に身を捧げた女のある種の美しさと醜さ、そして儚さが滲み出ているように見えた。  その主人公を殆ど喰ってしまっているのが、ご存知かたせ梨乃。 今作における文字通りの熱演によって、“肉体派”女優としての存在感と絶大な人気を決定づけた彼女のパフォーマンスは、流石に凄い。 ラストの強烈な“絡み合い”だけでも、この映画を観る価値はあるというもの。  エンターテイメント性の強いタイプの極道映画を期待してしまうと、大いに困惑してしまうことは否めない。 しかし、他の映画シリーズにはないこの映画ならではの“女の情念”とそれに伴う独特の禍々しさが、多くの人たちを惹き付けたことはよく分かる。   最後に、この映画においても最も残念なところを言及したい。 主人公の側近役で、“斬られ役俳優”の福本清三がキャスティングされている。 彼のキャリアの中では珍しく全編通して登場するのだが、結局、死なずじまい……。 おいおい、勿体なさ過ぎるだろうよ。
[インターネット(字幕)] 6点(2013-06-13 23:28:17)
791.  ホッタラケの島 遥と魔法の鏡
充分に予想出来たことではあったが、いかにもフジテレビらしい表面的なポップさが、“際立つ”というよりは、“鼻に付く”ファンタジー世界の映像的なクオリティーの高さは認めつつも、やっぱりハマれなかった。 可愛らしさとユニークさを押し売られているようなこの感じは、このキー局から発せられる“娯楽”すべてに共通するもので、個人的にこの数年特に嫌悪感を覚えてしまう。  ストーリーは極めてありきたり。「不思議の国のアリス」的な導入から始まって、他の作品で何度使い古されてきたか分からない“死別した家族との心の交流”が、特に何の工夫も無く描き出されていた。タイトルからしていかにもでダサ過ぎる。 ありきたりでも何でも、お話として説得力が備わっていれば、充分に観れる筈だが、主人公をはじめとするキャラクター達の言動における「理由」が非常に曖昧で、薄っぺらい。 完全に、「そういうストーリーだから」という理由が先行する形で、アドベンチャーが繰り広げられるので、感情移入をすることが出来なかった。  娘をもつ一人の親としては、ラストのくだりに対してはどうしても涙腺が緩んでしまったけれど、それはもはやこの映画によるものではなく、あまりに普遍的な親の心情によるものでしかない。  その他諸々注文をつけたくなる部分は数多い。 いくらなんでもあれだけ危険な目にあって無傷ということに違和感を感じる。 「不思議の国のアリス」的な導入なのだから、むしろがっつりと“夢オチ”にしてしまって良かったと思う。 「夢だったのかもしれない」と思わせた方が、主人公自身が自らの中で心の成長を遂げたことが際立つし、押し付けがましい世界観にも幾分納得がいったと思う。  最終的には、綾瀬はるかが声優を担当したヒロインの、微妙にエロい短いスカートの丈の印象だけが残る「不純」なアニメ映画に仕上がってしまっており、残念なような、嬉しいような……。
[インターネット(字幕)] 3点(2013-06-05 23:36:31)(良:1票)
792.  ヴァイラス(1999)
「遊星からの物体X」「エイリアン」「ザ・グリード」と数々の“モンスター映画”の二番煎じオンパレード映画であることは間違いない。 ただし、同じような趣向でも、もっとどうしようもない映画は沢山あるし、二番煎じにすらなっていないものも多い。 そういう“駄作”の存在を踏まえると、今作の出来映えはそれほど悪くはない。 “B級”であることは間違いないが、“B級”故に充分な「見所」は備えている作品だと思える。  まず、「トゥルー・ライズ」以来のファンとして、ジェイミー・リー・カーティスが主演ということだけで、個人的にはかなりアツい。 「エイリアン」のシガニー・ウィーバーを意識した配役であることは明らかで、この女優のことをよく知らない人にとっては、「なんでこんなオバさんが主人公なんだ?」と思うのかもしれないが、少なくとも一部のファンにとって、このキャスティングは作品の充分な魅力になり得ている。  そして、ウィリアム・ボールドウィン、ドナルド・サザーランド、クリフ・カーティスと、脇を固めるキャストの“地味な豪華さ”も映画ファンにとっては味わい深い。 特にドラルド・サザーランド御大の最終的なぶっ壊れぶりは、笑ってしまうが、見ないと損だと思う。  更には、「トランスフォーマー」や「ハンニバル」を時を越えて“パクっている”と思わずにいられないてんこ盛りぶりも、この映画の立ち位置に相応しい要素だと思う。  ラストが意外に大人しく終わってしまうので、もっとストーリー的にも暴走しても良かったし、その可能性がまったく無いとしても「続編」への布石は打っておいてほしかった。 そうであれば、もっと問答無用に褒められたかもしれない。
[インターネット(字幕)] 5点(2013-06-05 23:07:31)
793.  ブロブ/宇宙からの不明物体 《ネタバレ》 
宇宙から飛来したアメーバの怪物が小さな田舎町の住人を片っ端から襲っていく。 この一文の説明で全く不足ない映画だが、“B級モンスター映画”として充分過ぎる存在感を放つ作品だと思う。 モンスター映画は大好きなので、1988年に製作されたこの映画の存在価値が極めて高いものだということは明らか。今の今まで存在すらよく知らなかったことを恥じなければならない。  オープニングクレジットで知らない名前ばかりが並ぶ中、“フランク・ダラボン”が脚本にクレジットされているのを発見し、一躍興味は掻き立てられた。 「ショーシャンクの空に」で一躍名匠の一人に名を連ねるに至ったフランク・ダラボンだが、元々感動映画傾倒の映画人ではなく、実はモンスター映画への嗜好が極めて強い人であることはもはや周知の事実。 そんな彼がキャリアの初期に携わった作品だけあって、実に堂々としたモンスター映画ぶりを繰り広げている。  幾つか特徴的なところを挙げるならば、まずは襲われ方のパターンが多岐に渡っていること。 基本的には、知能はほぼ無いと思われる謎の生物が、本能的に人間を呑み込んでいくということの連続なのだが、状況や場所のバリエーションを変えていくことで“殺され方”を多彩に描いている。 小さな排水溝に強引に引きずり込んだかと思えば、クライマックスでは大怪獣よろしく町の人々をまとめて呑み込んでいく。 モンスター映画のにおいて、人が襲われるシーンというのは“華”と言って過言でないので、それが多彩なこの映画はそれだけでも素晴らしい。  あと、“生き残るだろう登場人物”の予測が序盤において尽く外されていくということも、この映画の特徴だろう。 ヒーロー的な活躍をしていくのだろうと思われたキャラクターが老若男女関係なしに、割とあっさりとヤラレていくので、最終的に誰が生き延びるのかという緊迫感を最後まで持続させてくれる。  そしてラストは、実際に製作されるかされないかなど問題にしていない「続編」への布石。これがあるだけで、モンスター映画ファンとしてはかなり満足度が高くなる。 意外に細やかな伏線の回収ぶりも、目を引くところ。  というわけで、クオリティーが高いなんて映画では勿論ないが、B級モンスター映画ファンとしては外すべきではない映画であることは間違いない。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-06-03 22:03:51)
794.  オブリビオン(2013)
きっと多くの人から“叩かれる”タイプの映画なのだろうとは思う。 ストーリーに新しさがあるというわけではないし、粗も大いにある。 ピークを過ぎたスター俳優が、自ら築き上げてきた“ヒーロー像”にしがみついているように見えなくもない。  “ただし”、僕はこの映画を大絶賛したい。誰が何と言おうとも。  エイリアンの侵略により崩壊した地球。侵略に対して何とか勝利はおさめたが、他の星への移住に向けて、残された資源の“監視”をする任務に就いている二人きりの男女。 絶望的な未来世界を描いたいわゆる“ディストピア映画”は、長いSF映画史において数多生み出されているので、この映画の設定自体もやはりどこかありふれている。 それでも、何とか観客を驚かしてやろうという気概は確実にあり、工夫は凝らされていると思う。  結果として、ストーリーの「真相」において驚きがあったかどうかは、必ずしも重要ではない。 多少ベタなストーリーであっても、その展開において真っ当なプロセスを踏み、相応の娯楽性をきちんと生み出してくれたならば、当然感情は高揚するし、存分に映画世界を楽しむことが出来る。 この作品の勝因はまさにその部分で、見せるべき娯楽性を、見せるべきタイミングとビジュアルでしっかりと見せてくれたからこそ、ベタ的なラストの顛末で高揚出来たのだと思う。  そして、今作におけるそういった“真っ当な映画づくり”を牽引しているのは、やっぱりトム・クルーズに他ならない。 ピークを過ぎようが何だろうが、このスター俳優の「存在感」があるからこそ、この映画のエンターテイメント性は成立している。 どんな“裏技”を使っているのかは知らないけれども、まあとても50歳には見えないし、スタントなしのシーンでの動きや肉体を見る限り、相当の鍛錬をしていることも明らかだ。 映画製作に対してのその真摯な姿勢こそが、彼が“トム・クルーズ”であり続けられる「理由」だと思う。  「否定」は多かろうが、この映画の方向性と存在意義はまったく間違っていない。 「oblivion」の意味は「忘却」。ストーリー的な未熟さをカバーし、「絶望」の中に取り残された人々の叙事詩として導いてみせた“SFセンス”が素晴らしい。 声高らかに、新たなディストピア映画の傑作だと断言したい。
[映画館(字幕)] 8点(2013-06-01 23:59:48)(良:2票)
795.  巨神兵東京に現わる 劇場版
「特撮」という“業”は、「破壊」の為にあると言っていい。 それは即ち、人間に唯一許された“神の真似事”と言ってもいい。  その真理において、“この題材”を「特撮」で描いたことは、まさに正しい。   「創造」とそれに伴う「破壊」に総毛立った。以上。
[映画館(邦画)] 7点(2013-05-27 23:53:35)(良:1票)
796.  鍵泥棒のメソッド
「メッソド(method)」の意味は、方法・やり方、順序・筋道、規則正しさ・几帳面。 そして、役に没頭しその人格になりきる演技プランのことをメソッド演技という。  それらすべての意味合いを織り交ぜたストーリーテリングが、やはり面白かったと思う。 「運命じゃない人」「アフタースクール」と、傑出した娯楽作品を立て続けに生み出してきている内田けんじ監督ならではの世界観で、そのエンターテイメント性は安定している。 また、“そういうお話”を描くにあたり、堺雅人化×香川照之という今や日本の映画界を席巻するこの二人のキャスティングは、あまりにも間違いがなく、そりゃあ面白く仕上がらないわけがないという感じだった。  特に昨今の香川照之の相変わらずの好調ぶりは、凄まじいとすら思える。 記憶を無くした完璧主義の殺し屋が、突如自称役者の駄目男の人生に放り込まれ、持ち前の几帳面さで役者道を邁進しつつ、ラブコメに突入する様を映画の世界観にフィットした存在感で見事に演じてみせている。 今はや彼のスケジュールに沿って国内作品の製作スケジュールは確定しているという噂も、納得せざるを得ない。  堺雅人演じる主人公の言動が多少コント的過ぎる部分もあったが、一方で広末涼子演じるヒロインには新たな魅力が引き出せており、トータル的に見て、正しい娯楽だったことは間違いない。 今の日本にはそういう真っ当な娯楽を描き出せる人は想像以上に少ないと思う。 オーバーアクトが基本路線の映画に仕上がっているので、この主要キャストでそのまま舞台作品に置き換えても、素晴らしい作品となるだろうとも思えた。  ただし一方で、もう少し毒っ気があっても良かったかなとも思う。 コメディなので、この顛末自体はまったく問題はないのだけれど、ライトさが全面に出ているので、クライマックスの顛末における緊迫感は欠けていたように思える。 クライマックスのやり取りは、実際のところ生死を左右するものの筈なので、もう少し緩急を付けて締めるところは締めてくれると、より作品のライトさが良い意味で際立ったと思う。  ともかく、この監督は次回作も充分に期待出来る。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-05-27 23:51:17)
797.  39 刑法第三十九条
映画の序盤から終盤に至るまで、登場する人物の殆ど全員が、相手の目を見ようともせずにぼそぼそと話す。 鑑賞者としては、非常に聞き取りづらくて、不快感がつきまとったが、その不快感こそ、森田芳光がこの作品の中で貫き通したかった異常性であり、それが社会に生きるすべての人間に蔓延するものであることを表現したかったのだと思う。  他にも、大量の料理が並べられた食卓、グランドに転がる無数の軟球、カモメの無慈悲な目など、随所に目に見えない不穏さが溢れるシーンが多く描き出されていて、監督のこだわりを厭という程に感じられた。  「刑法第三十九条」という非常にデリケートで取り扱いが難しい題材を、意欲的にサスペンス化してみせていると思う。 核心となる計画の脆弱さなど、お話としての弱点は確実に存在する作品だと思うが、それを充分に補う要素が、監督の緻密な演出や、演者の存在感に備わっていたと思う。  時に過剰さも見え隠れしたが、俳優陣のパフォーマンスは総じてインパクトがあり素晴らしかったと思う。 岸部一徳、杉浦直樹、樹木希林、江守徹らベテラン俳優のあまりに個性的で強烈な脇役ぶりも特筆したいところだが、ここはやはり、主演の二人に言及したい。  鈴木京香も堤真一も、まだまだ若手の部類での主演作で、両者とも若々しい。 この難しい役どころを果敢に演じ、成功させてみせたことが、両者にとって大きなキャリアアップになったことは間違いないと思う。 映画の各シーンにおいて対峙し、互いの心理の本質を暴き合う様には、野心に溢れた俳優同士のぶつかり合いそのものを観ているようだった。  非常にアクの強い映画で、好き嫌いも大いに分かれるだろうけれど、こういう独特のアクを出す映画監督も少なくなった。 森田芳光監督の死は、やはり少し早過ぎた。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-05-13 16:34:07)
798.  スパルタンX
まず余談だが、ファミコンのゲーム版を子供の頃によくやっていた記憶が甦った。 テレビゲームが下手だったので、ファーストステージのボスである“棒術使い”を倒すのがやっとだった。 ちなみ映画には、その棒術使いも、他のブーメラン使いや怪力男も出てこなかったけれど……。  ジャッキー・チェンというアジアを代表するスーパースターの「価値」を個人的に再認識している今日この頃。 彼が身体的に絶頂期だった頃の作品をちゃんと観ておこうと思い、「プロジェクトA」「ポリスストーリー」に並んで評価の高い今作をとりあえずチョイス。 スペインを舞台にした「活劇」と呼ぶに相応しいジャッキー映画だったと思う。  何と言っても、少年時代からの盟友であるユン・ピョウ&サモ・ハン・キンポーとの絡みが、一映画ファンとして非常に楽しく、共演している彼ら自身が他の誰よりも楽しそうなことが、とても微笑ましい。 最初のアメリカ進出が不調に終わり、一度原点に立ち返ろうと、監督にサモ・ハン・キンポー、相棒役にユン・ピョウを配した今作は、ジャッキー・チェン個人にとっても極めて記念碑的な作品になったのだろうと思う。 ここから再度スター俳優としての地固めを強め、不動の国際的スターに上り詰めていくわけだから、持つべきものはやはり「友」だなと思う。  1984年の香港映画らしく、時代を感じさせる“ダサさ”は目に付く。ジャッキーをはじめ主要キャラクターの服装がことごとくダサい……。特にユン・ピョウの服装はダサいを通り越してもはやスゴい…。 しかし、30年の時を経ると、その“ダサさ”すらも映画としての味わいに変わってくるもの。 ストーリー上の理由は分からないが、何らかの理由でスペインに渡り住んでいる中国人たちが、逞しく楽しそうに生きているということが、彼らの服装に表れているようにも見え、結果としてナイスな衣装センスだったのだと思える。  一方で、彼らの体技は物凄い。冒頭の“朝練”シーンから、屈強な体の張りと、動きのキレに惚れ惚れしてしまった。 そして、原題が「快餐車」というだけあって、意外にもカーアクションが充実していたことも印象的。  年代的に今作以前のジャッキー・チェン映画の鑑賞率が非常に低いということに気付いた。もう少し、彼のフィルモグラフィーを遡っていってみようと思う。
[インターネット(字幕)] 6点(2013-05-11 14:52:45)
799.  ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記
ニコラス・ケイジ扮する歴史学者兼冒険家の主人公が、米国史に隠された陰謀と宝を追い求めるシリーズ第2作。 “当たり屋”覚悟で暇つぶしに観た一作目が意外に面白かったので、立て続けに鑑賞に至った。 もうこうなると、主人公をはじめとする主要キャラクター達に愛着が生まれてしまっていると言ってもいいかもしれない。  一作目では、ニコラス・ケイジ自体が主人公のキャラクターを探っている節が中盤まで見受けられたが、二作目になり“ベン・ゲイツ”というキャラクターをノリノリで演じていることが見受けられる。善し悪しは別にして……(ゴールデンラズベリー賞ノミネート)。 冒頭、バッキンガム宮殿で、ヒロインと罵り合うシーン等では、ニコラス・ケイジらしい過剰な演技プランが個人的にはウケた。  ストーリーは、リンカーン大統領暗殺事件に祖先が関わっていたという汚名を着せられた主人公(一家)が、先住民族の隠された黄金を探し、一族の汚名を晴らそう!というちょっとよく分からない展開が繰り広げられる。 現職大統領にもちょっかいを出しつつ、例によって謎が謎を呼び、主人公チームがことごとくそれを解いていくというくだりの連続。 王道というよりはベタな展開の連続なのだが、そこそこのアクション性と軽妙な台詞回しによって、飽きないつくりにはなっていると思う。  リンカーン暗殺者の日記の切れ端だとか、歴代の大統領に受け継がれた秘密の本だとか、よくありそうな題材ではあるけれど、やっぱり男心がくすぐられてしまう。  続編において主人公の「母親」登場!なんてくだりもベタの範疇だろうけど、必然的に大物女優の登場を期待して、「ヘレン・ミレン キター!」となると、映画ファンのテンションは上がってしまうもの。 前作に引き続き出演のジョン・ヴォイトとヘレン・ミレンによる“老夫婦アドベンチャー”にも、本筋ではない味わい深さがあった。  突っ込みどころはそりゃ満載だが、そんなこと気にしていたら“ニコラス・ケイジ映画”は楽しめないよということをある意味雄弁に語る娯楽大作と言える。
[インターネット(字幕)] 6点(2013-05-07 16:13:55)(良:1票)
800.  ナショナル・トレジャー
「インディ・ジョーンズ」と「ダヴィンチ・コード」をごちゃごちゃと混ぜ合わせて、“ニコラス・ケイジ印”でベタンと押し潰したような感じの映画だった。 と言うと卑下しているようにも聞こえるが、個人的には充分楽しめた。 二番煎じ、三番煎じだろうと、「お宝探し」という題材は、いつの時代も娯楽の本流であり、いくつになっても男心はくすぐられるものなのだと思った。  ビジュアル的にも、キャラクター的にも今ひとつ頼りになるのかならないのかよく分からないニコラス・ケイジ扮する主人公だが、なんだかんだとピンチを迎えいつもの“困り顔”を終始携えつつも、次第にキャラが立ってくる。 常に綱渡り状態でありながらも、極めてスムーズに、そして「独立宣言書を盗み出す!」など意外な程にアグレッシブに「謎」を解いていく様が、馬鹿馬鹿しくて良かったと思う。  ニコラス・ケイジが主演で、ジェリー・ブラッカイマーが製作の映画なのだから、そこに「ダヴィンチ・コード」のような下手な神妙さなどは不要であり、大仰に馬鹿馬鹿しく突っ走ったことは正解だ。  必要以上に穿った見方をしなければ、謎が謎を呼びアメリカ建国の歴史をも巻き込んだ巨大な陰謀に繋がっていくメインストーリーも充分に楽しいものだったと思う。 主人公にインディアナ・ジョーンズのようなスター性はないけれど、ある意味現代的なキャラクターだったと思うし、彼の脇に付くキャラクターらによるチーム感が、スター性の不足を補い小気味良かった。  ジョン・ヴォイト、クリストファー・プラマー、ハーヴェイ・カイテルと意外に豪華なベテラン俳優の顔ぶれも娯楽性を助長している  「観る価値なし」と完全にスルーしていたけれど、観てしまえば、すぐに続編が観たくなったのだから侮れない。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-05-07 15:29:21)
0160.61%
1592.23%
2752.84%
31425.38%
41716.48%
52449.24%
637814.32%
753820.38%
854520.64%
929911.33%
101736.55%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS