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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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161.  育ちざかり
内藤洋子って映画から出た正統アイドルの最後の人かなあ(突然変異的な角川娘はいたけど)。と言っても微妙なところで、たしかにデビューは『赤ひげ』と映画だが、名前を売ったのはテレビの「氷点」で、そういう面では過渡期の人。映画ではさかんにおでこを強調して、アイドルとしてのセールスポイントにしている。でもこういう「愛くるしい系」の時代は終わりつつあり、次は秋吉久美子のようなちょっとスネた不良性を漂わす感じが70年代の主流となっていくのだった。時代に間に合わなかった哀しみが、この人にはある。一生懸命プロモーション映画としていろいろやっている。乗馬姿あり、水着姿あり、テニスもやって、レモンもかじるし、定番中の定番、海岸をスローモーションで走ったりもする。こういう不良性のないアイドルは、次からは完全にテレビへと、たとえば天地真理にバトンされていったのだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2009-01-05 12:10:09)
162.  偽大学生 《ネタバレ》 
誰が正義なのか、誰が弱者なのか、誰が被害者なのか、と簡単に割り切れない社会の根を物語の設定に据えるの、初期の大江健三郎はうまかったが、これなんかそう。偽大学生をひとり60年安保時の学生集団に据えることで、権力の対抗者だけではなかった彼らの、特権性・エリート意識・権力志向をえぐっていく。学生たちは、その闘争の目標とするものにどこかで安住しているところがあり、コンパで偽大学生のジェリー藤尾が「学歴なんて関係ないんだ」ってはしゃぐところが皮肉。で仲間に警察のスパイと疑われて監禁される。“進歩的文化人”教授の船越英二も印象深い。偽証による学生たちの保身のあたりが、見ていて一番チリチリと来るところで、正義づらした・弱者づらした加害者たち。集会でジェリーが許しを乞うあたり、若尾文子の発言をエヘラエヘラ流すあたり、現場検証の場で偽学生を見る視線など、見事。
[映画館(邦画)] 8点(2009-01-03 12:13:20)
163.  冷飯とおさんとちゃん
そうかこの1965年てのは東宝が『赤ひげ』東映がこれと、山本周五郎のはやり年だったんだな(まだ存命中)。中村錦之助によるオムニバス、三変化的な楽しみもあるわけ。二話の「おさん」が凝ってて、三田佳子は灰色のセットを背景に桃色の衣裳で置かれる。一人がたりの手法。ただシナリオはややセリフに頼り、職人らしくない言葉をしゃべらせたりしていた。大坂志郎が死んだように生きている男を演じ、変に凄味があった。壁を背にした顔のみのカットとか。三話「ちゃん」は筋だけ取り出すとクサいんだけど、ドラマとして見るとやっぱり泣ける。筋じゃないんだよな、山周は。そこに漂う空気というか。森光子ってちょっと苦手な女優さんなんだけど、ラストの長回しのやりとりが見どころで、その前の「お前さん、どこに行くんだね」と目を光らせて現われるとこに凄味があった。この頃は、脇にギラッと凄味を出せる役者が揃っていたのだ。そして三木のり平、のり平のシーンはついついささいな動作にまで見とれてしまう、銚子を動かすタイミングなど。末娘は藤山直美で、強引に上方弁を通していた。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-30 12:24:12)
164.  天国と地獄
この143分てのは『生きる』と同じ長さなんだ。どちらも同じ二段構えで。何かを描くのにちょうどいい長さというものが、作家には固有にあるらしい。でもこれは私には『赤ひげ』とセットになっていて、ヒューマニズムの人としての総まとめが『赤ひげ』なら、サスペンス作家としての総まとめが本作だと思っている。そしてあちらに善の医者、こちらに悪の医者、と対になっている。黒澤は多くの作品で医者を描いていて、生命に密着した職業ということを越え、魂の治癒者といった役割りを持たされている。その医者がこの映画では、魂を沈下させていく。高台の権藤邸に憎しみの目を向けつつ、黄金町の魔窟にまで沈んでいく。こういう世の裏側の感じは、『野良犬』の楽屋裏なんかにも通じて黒澤が好んだ形而上学的な世界構造だ。この世界には一つ奥の暗い場所が隠されている、って。医者はそこを往還する職業なんだ。善い医者は下から上へ、悪い医者は上から下へと、魂を運んでいく。そういった世界観が黒澤にはあるのだと思う。この映画のサスペンスのうまさを今さらいちいち挙げてもしょうがない。好きな女優さんをひとりだけ挙げさせて。これを見るたびに印象に残るのは、山崎努と踊りながらヤクを受け渡しする女のそれらしさ。今村昌平作品なら主人公になれるような顔で、生き物の臭いはプンプンさせていながら生活臭のない女。ストイックな黒澤さんはきっとこういうタイプが嫌いなんだろうけど、それだけに見事に存在感を示していて、私はあのシーンになると異様にドキドキしてしまうのだ。
[映画館(邦画)] 10点(2008-12-24 12:23:52)
165.  不知火檢校 《ネタバレ》 
勝新のヌルヌルヌラヌラした感じが最高に発揮されている。子どものときから自分の盲目をネタに言いがかりをつける悪いヤツ。世間は征服する対象としてのみ存在している。障害者のピカレスクが凄味を持つのは、世間との対立感覚がより際立つからであろう。差別かもしれないが、でもここには世間の側が持つ疚しさも関わっているから、見ているこちらにもジャリジャリと引っかかってくるのだ。しかしけっきょく女の心は得られず、自分の罪を他に転嫁しようとした過去の仕掛けによってアシがついてしまうという設定が皮肉。冒頭が祭りの風景で、そこで少年の杉の市が小さな罪を犯すところから始まって、ラストも、祭りを蹴散らしてゆく検校の駕籠が捕縛されるという対比。世間からのつぶてが飛んでくる。まったくひどいヤツだが、ずっとこの映画を見ていた一観客としては、このつぶての一団に加わるほどの真っ白な正義感も湧いてこない。そこにこの映画の価値がある。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-23 12:11:24)(良:1票)
166.  続・悪名 《ネタバレ》 
脚本は依田義賢。勝新てのは実に上方の匂いを漂わせている男だなあ、と思う。錦之助は上方でも江戸でも通るが、勝新の江戸っ子は似合わない。映画としては、正編の後始末めいて焦点が定まらなく感じる面もあるけど、「戦争いうたらナワバリ争いやんけ」というやくざの発想が、面白い戦争批判になっていた。「ごっつい出入りやなあ」という目で戦争を見てるの。金取ったぶん守ってやる、というやくざのナワバリの発想と、税金で戦争する国家の発想とどこが違うんじゃ、って感じ。こういう話には必ずダメ男がチョロチョロし、関西だと南都雄二がその役。田宮二郎のモートルの貞が殺される雨の俯瞰シーンがいい。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-21 12:22:39)
167.  沓掛時次郎 遊侠一匹 《ネタバレ》 
股旅ものの根本思想には、組織は悪くて個人はつらい、ってのがある。渥美清はバカを通して殺され、心が通じあう個人と個人は対決せねばならない。一旗あげたい農村青年が「やくざは虫けらだが、百姓はもっと虫けらだ、どうせ死ぬなら羽根を広げて死にてえ」という言葉が重い。さらに家庭という組織もからんできてるわけだ。股旅ものならではの寂寥感が随所に見られるいい映画だとは思うんだけど、錦ちゃんの長谷川伸三大名作の中では、作品のうねりに不整脈みたいなギクシャクしたものが感じられて、私はちょっと不満が残るの。これよりは『瞼の母』のほうが、さらに『瞼の母』よりは『関の弥太っぺ』のほうが純度が高いように思え、私は好きです。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-20 12:15:59)
168.  エレキの若大将 《ネタバレ》 
これ子どものとき、『怪獣大戦争』の併映でたぶん見てるはずなんだけど、寺内タケシの出前が塀を乗り越えてきたところで、かすかなうずきを感じたくらいで、あとはまったく記憶になかった。怪獣にしか興味のない子どもにとって、併映作品は初めて出会う普通の映画で、怪獣も出ない・ビルも破壊されず街も炎上しない、そういった“普段”を見ていて何が面白いのだろう、とはなはだ不思議に思ったものだ(一番古い記憶は『ゴジラ対モスラ』のときに見た舟木一夫の学園もので、蛙の顔のアップがあったことだけを覚えている)。で今現在この若大将を見ると、やっぱり懐かしいですね。一作目ではかなりワルだった青大将が、滑稽な卑怯者の三枚目役に落ち着いている。一番の収穫は、加山らがエレキ合戦に出たときの司会者、その軽薄ぶりから最初は長沢純かと思っていたら、よく見たら内田裕也だった。彼も昔からツッパッていられたわけではなく、興行界と妥協して生きてきた辛い時代があったのだ。そこで加山が「夜空の星」を歌うと会場が盛り上がるんだけど、でもワーとかキャーにはならず、手拍子になる。それも強拍部で打つ旅館の宴会場のノリで、ここらへん時代を感じた。女性エレキバンドのちょい役で、のちの加山夫人松本めぐみが出ていた。髪を乱してゴーゴーを踊る飯田蝶子がかわいい。
[DVD(邦画)] 5点(2008-12-18 12:17:41)
169.  にっぽん泥棒物語 《ネタバレ》 
泥棒の話が映画で好まれたのは、それが声を出してはいけない状況を伴うからかもしれない。サイレント映画ではとりわけ好まれてたんじゃないか。で、この映画、泥棒が忍び込んでいくと、子どもがフトンからじっと見ているカットになる、お菓子でなだめて帰ろうとすると、もっと頂戴と泣き出す。サイレント映画にでもありそうなコント。でもやっぱり社会派監督だから、松川事件がからんできてコメディに徹してはくれないが、三国連太郎のトボケぶりと、伊藤雄之助検事のネチネチぶりが楽しく、そもそも裁判という厳めしい公の場で、こそ泥の話をしていくその対照が面白い。泥棒というのはなぜ滑稽なのだろう、コソコソしているからか。弁護士が千葉真一だった。室田日出男は当然泥棒の一味だろうと思っていたら、進歩的な新聞記者だった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-17 12:10:43)
170.  大学の若大将
そうか、このシリーズも最初のころは加山雄三オリジナル曲を歌ってなかったんだ。まだ東宝は彼にそういう才能があるのに気づいてなかった。タイトルのときに、なんかマヌケな感じのコーラスが流れて驚いた。中で加山が歌ってるのはドドンパだったし。60年安保の翌年の学生像と見ると、かなり落差を感じるが、案外大多数の学生はこんなもんだったんだろう、またサイレント時代の鈴木伝明などの大学生ものからつながっている伝統のジャンルの型だからしょうがない。もっとも戦前は学生ってのは尊敬される特殊な階級だったから微笑んでヤンチャぶりを見られたんだけど、時代が近づいてくるとちょっと微妙にはなる。レジャー産業が学生に標的を定めだしたころ。上原謙に「いまどき珍しい好青年だ」なんて言わせる楽屋落ちもあった。団令子が「MMK」と言うのは「もてて・もてて・困っちゃう」のことだそうだ。時代を懐かしむ材料として以外にはつらい作品で、唯一見せ場になりそうだったのは水泳大会リレー会場へ駆けつけるシーン、あそこは走りながら脱いでいって、そのままタッチと同時に止まらずに飛び込む、ってのが映画としては正解であろう。へんにリアリズムにこだわってはいけない。
[地上波(邦画)] 5点(2008-12-06 12:15:16)
171.  モスラ(1961) 《ネタバレ》 
私は東宝怪獣ものではだんぜんこれが好き。映画好きになった一因は本作との出会いにあり、感謝の一本。変態していく展開がほかの怪獣にまさるし、やっぱり東京タワーに繭を作るっていうあのファンタジーね、これにまさるイメージは、ついに怪獣映画からは生まれなかったんじゃないか。また、やがて映画界を衰退させていくテレビの電波塔を折り倒して成虫する映画の怪獣、ってのが、今から見ると別種のファンタジーでもある。東京湾で消えたモスラがダム湖から出現するのをフォローするのが、フランキー堺の「どうしてこんなところへ…」というつぶやきだけで、それで済ましちゃってるのは凄いなあと昔から気になってたんだけど、このほど「江戸歌舞伎の怪談と化け物」という本を読んでいたら、役者の水中早替わりに関して「日本には地の底で水はつながっているという異界観があった」という説明があった。ああこれだったのか、東京湾から山の中の湖に移動するってのは、日本文化の伝統的な世界観に則ればごく自然な展開だったのだ、と永年の謎が氷解し、ますますこの映画が好きになった。
[映画館(邦画)] 9点(2008-12-01 12:15:31)(良:2票)
172.  マイ・フェア・レディ
すごく大ざっぱだけど、ミュージカル映画はダンス中心から歌中心に移行してすたれた、って言えないか。この64年はもうダンスは付けたりで、踊ってても絶頂期のハレバレとした感じが出ない。「踊りあかそう」なんてどんどん狭い部屋へ入ってしまい欲求不満が残る。「時間どおりに教会へ」もいろいろやってるんだけど、コワザって感じ。競馬場での白黒の効果は見事だったが、『巴里のアメリカ人』ですでにやってるし、それにこれはミュージカルの味とは関係ない。いや、いい映画だとは思うんです、思うんですけど、峠を過ぎたジャンルの緩さも目立つ作品なんだな。かえって翌年の『サウンド・オブ・ミュージック』は、もうミュージカルの形にこだわらないことで成功したと思うんだ、でもそれはまた別の話。あ、この2つの映画、手元の「ぴあシネマクラブ」によると、どちらも上映時間は172分だぞ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-11-10 09:17:02)(良:1票)
173.  日本の青春 《ネタバレ》 
『壁あつき部屋』や『人間の条件』ともつながる“軍隊の内なる暴力”のテーマを扱っていて、でも60年代後半という、剛直より軟弱へという時代の流れを感じさせるとこが、いま見ると面白い(映画で言えば任侠ものから寅さんへという時期)。武満徹の音楽もフォーク調。藤田まことが軟弱な人間の真率さを演じるが、やや哀感過剰気味、これが60年代末のトーンだ。元上官佐藤慶は、時代がどう移ろうともその時代時代をちゃんと生きているという自負があり、バーの一角での対決が、セリフ劇として見応えがあった。しかしそれがこの映画の限界でもあって、図式が整いすぎて、イメージが膨らむ余地が少ない。主人公が家に帰って終わるってのはどうかなあ。それが、家にしか帰るところがないという絶望や苦みでなく、まだ帰るところがあるというニュアンスでまとめられていた。それでいいのかなあ。奈良岡朋子がカワイイやつになってしまっていたけど、そのカワイさの束縛ってのもあるんじゃないか。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-09 12:14:21)
174.  からみ合い
なにせ『人間の条件』と『切腹』の間に作られた作品なんで、どんなかなあ、という興味があった。遺産をめぐりニセの跡取りを作ったりするだまし合いの話で、もっとコメディタッチにしたほうが収まりがいい題材だったかもしれないが、そこは小林正樹、そして重厚な大作の間の作品、正攻法で攻めてくる。これはこれでいいのだろう。重々しさというのも、そういうものがまったく尊重されなくなった現在から見ると、美点である。話のほうより、美術の戸田重昌の仕事が記憶に残っている。中央に水槽があり奥に二つ扉がある左右対称の部屋や、冒頭、岸恵子と宮口精二がはいる喫茶室など、セットを味わえる映画だった。戸田は以後も小林作品(『怪談』!)や大島渚作品(『儀式』!)で、重厚なセットの記憶を日本映画史に残していく。音楽が小林作品で初めての武満徹、本格的なジャズであった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-07 12:19:37)(良:1票)
175.  悪い奴ほどよく眠る 《ネタバレ》 
冒頭の結婚式シーンはサスペンスのお手本ですな。まず記者団の闖入で波立てる。ひそひそ声、コロスとしての記者団と本舞台での演劇としての儀式。びっこの花嫁の入場、三橋達也の「殺す」という凶々しい言葉がはいるスピーチと、驚きをつなげながら、影の演出者である三船は一切しゃべらない。そしてとどめのケーキ入場まで、ほとんど完璧と言っていい。次の見せ場は、釜足の葬儀の場で志村のホンネのテープを流すところか。組織が個人を切り捨てる残酷、『酔いどれ天使』で、三船が親分の声を聞くマージャンの場の再現でもある。あと西村晃を追い詰めたりしてきびきび進むんだけど、後半主人公の内面の苦悩、香川への愛とかが出てくると、ちょっとネバついてしまう。彼の人間性を描いたがために、サスペンスとしてはモタついてしまう。でもこのスカッといくだけで押し切れないところが、良くも悪くも黒澤さんの姿勢で、明治人の求道精神と言うか、これはやっぱりこれで良いのだ、と思いたい。香川の善意が主人公を窮地に至らしめるってのは、次の『用心棒』なんかでも繰り返されるモチーフだな。森雅之がエプロン着けてバーベキューやってる良き家庭人の姿を見せるあたりの怖さもいい。
[映画館(邦画)] 8点(2008-09-25 12:16:55)
176.  今年の恋
ジャズを聞きながら勉強する高校生の田村正和は開けた横浜、それが友人の家である東京の料亭の古風な感じと対比される。またその彼ら若い世代とそのちょっと上の岡田茉莉子の世代との対比もある。ラストは京都で除夜の鐘を聞くという正月映画らしい流れだが、岡田が日本髪を結って特急に乗っているのが、ちょっと驚きだった。東京オリンピック前だと、正月ならそういう髪で娘(オールドミスになりかけといった微妙なところ)が特急に乗ってても不自然ではなかったのだな。でもたぶん田村正和の世代になると、ヘンだろう。またそれぞれの家に、東山千栄子、若水ヤエ子の婆やなり女中なりがいるのも時代か。こういう軽いスケッチ風の作品のほうが、時代を、その中の微妙な世代の違いも含めて、濃く残してくれる。
[映画館(邦画)] 7点(2008-09-12 12:12:38)
177.  春の夢(1960) 《ネタバレ》 
ちょっとまず物語の設定を聞いてください。「焼き芋屋の笠智衆が豪邸でイモ買ってもらったかわりに、女中の十朱幸代にソファを動かす手伝いをさせられ、そこで脳溢血で倒れる。応接間の真ん中で一週間絶対安静と医者の佐野周二は言う。おりしもこの宅の主、小沢栄太郎の毛はえ薬会社はストに突入し慌ただしく、禿げ頭の重役やガードマンのやくざが出入りし、外ではデモのシュプレヒコールが渦巻いている。一方、金を腹巻きに溜め込んでいるという噂の笠の看病をしようと彼の隣人の貧乏人たちが大挙押しかけ、家の娘岡田茉莉子は貧乏画家との駆け落ちの準備中、息子川津祐介は哲学青年でたえずブツブツ呟きながら半ズボンで家の中を徘徊している…」。どうです、面白そうでしょ。ほんと、この人のコメディはいいなあ。これだけ豪華なキャストで正月映画用の軽いコメディを製作できた黄金時代がうらやましい。久我美子にオールドミスの三枚目をやらせるなんて。舞台は豪邸内に限ってるけど、金持ちばかりを笑うのではなく、倒れたじいさんにたかる貧乏人も笑ってる。東山千栄子の部屋で笠智衆が倒れるなんて『東京物語』をひっくり返したパロディみたいだけど、たぶん話の骨格に「桜の園」を意識したので、東山の起用となったのでしょう。喜劇作家木下を代表できる一本だと思う。部屋の隅にポッとピンクや緑のライトが入るのは、次の『笛吹川』につながっていく試みか。
[映画館(邦画)] 8点(2008-09-06 12:20:09)
178.  鳥(1963)
ヒッチコックの映画が何度も繰り返し鑑賞できるのは、演出の名人芸を音楽のように味わえるからだと思うんだけど、ただこれだけはちょっと違うんだな。見るごとに、物語としても常に新しい読み取りかたに気が向くというか、味わうより考えちゃう。メラニーに「あなたは何なの」って問いつめる食堂の子連れのおばさんが気になったこともあるし、メラニーのいたずら好きってのが隠れたポイントじゃないかと思ったこともある(この事態は鳥がメラニーに替わっていたずらを始めたんじゃないか、でメラニーはラストでかつての鳥のような、目をパチパチするだけのか弱い存在になってしまったんじゃないか)。この異色作ばかりは悠然と鑑賞できず、いつも前向きに突っ込むように見てしまう。やっぱり原因不明のまま、話が開いたまま、エンドマークも出ないで終わっちゃうってとこが、謎として挑発してくるんだろう。鳥とは何か。たとえばある国なら少数民族のことを思い浮かべるかも知れないし、ある社会なら子どもを思い浮かべるかも知れない。人間には気がつかない些細なきっかけで大きな変化が起こり得るってとこに(非線形的変化っていうの?)、一番の恐怖があるのかも知れない。あなどっていたもの、気軽に石を投げつけていたものすべてが(生物に限らず)、この無表情で感情移入を拒む鳥の群れに重ねられ、見るごとに新しい恐怖を掻き立てている気がする。
[DVD(字幕)] 10点(2008-09-02 10:55:20)
179.  歌え若人達 《ネタバレ》 
木下恵介のコメディが好き。これが最後の純コメディになるのかな。松竹戦前からのお得意のスター誕生物語の枠組みだが、でもテレビで人気が出てから映画へというコースになっているのが60年代。永井智雄、大森義夫、坪内美詠子と、テレビ「事件記者」のレギュラーが顔を揃えたのは偶然か。他愛ない作品だけど、何となく現実と触れあえない気分や、もひとつたぎらない青春の血潮ってあたりに、脚本山田太一の色を感じる。東山千栄子に代表される田舎の重圧は木下のテーマ。特別出演の佐田啓二が「俺ら岬の…」を、田村高広が「女の園」を歌うというウチワオチあり。寮生活模様のスケッチ、いつもぶつかる手前のドアのギャグとか、若水ヤエ子管理人の放送などで笑わせる。ストリップ見た後ですぐに寮の男風呂のでぶのカットになるというギャグもあった。他愛ない作品ではあっても、いい加減な感じはない。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-26 12:15:15)
180.  地獄(1960)
そりゃ話はひどい。でもね、こういう荒唐無稽なストーリーで、でも軸にはなんかニヒリズムみたいなものが一本感じられて、ほとんどファルスに近い大量殺人ドラマが繰り広げられるって、鶴屋南北の歌舞伎と同じじゃないか。沼田曜一が神出鬼没するあたり、歌舞伎の演出を思わせるし、狂った教授夫人が室内でまわしている傘なども歌舞伎調だなあと思う。騒がしい宴会場から酔った女がふらふらと静まった外へ出ていくあたりの雰囲気も好きなの。新東宝の闇って、独特のくすんだ色調で、こういう闇に合う。みんながはしゃぎながら嬉々として滅んでいくような前半の展開に、私はけっこうゾクゾクするものを感じてしまう。すごく映画として満足してしまう。そういう意味で、これ『東海道四谷怪談』の、よりクレイジーな現代姉妹編と見たいんだ。
[映画館(邦画)] 8点(2008-08-21 10:38:03)
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