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プロフィール
コメント数 204
性別 男性
年齢 46歳
自己紹介 専門は邦画とヨーロッパ映画(特にフランス)。気に入った監督や俳優がいればひたすら観つづけるので、どうしても同じジャンル・国に集中してしまうようです。(だからあまりハリウッドを観ない。)

最近引っ越してしまい、なかなか映画を気軽に観ることができなくなりました。撮りためたビデオとDVDばかりになりますが、観たものは書き込んでいこうと思っています。

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1.  ベティ・ブルー/インテグラル<完全版> 《ネタバレ》 
これはゾルグとベティの愛の物語である。ゾルグの受難でもベティの破滅でもない。ゾルグはベティを受け止めたのではなく、ベティは自己崩壊を起こしたわけでもない。そんな事じゃない!ベティはゾルグを愛する事で生きた。そして、それと同様にゾルグもベティを愛する事で生きた。ベティと出会うまでのゾルグはゾルグではなかった。アドルフの回想録を書き、人生に横を向いた傍観者でしかなかった。そんな彼が、ベティを愛すことで人生に真正面からぶつかってゆく。それまで道なりだった人生は一変する。人々はみな善良で、滑稽で、愚かである。日々は退屈で、虚無に満ちている。そんな中で、ベティとの愛だけが輝いている。しかし、その至高の愛はその純粋さ故に食い荒らされ、朽ちてゆく。ベティは心を病む。3人の警官、雇い主、白皮症のボブと妻、さらにリサとエディでさえも、彼らの愛を食い荒らす愚かな人々に過ぎない。そして、ゾルグは気付く、自らもその愚かな一人に加わっていたことを。ベティの純粋さと、自らの愚かさの狭間でゾルグは悩む。ベティはあまりに純粋で、張り詰めて、二人の愛にはどんな夾雑物も許されない。この愛は内側から崩れたのではない。全ての愚かな物が二人の愛を朽ちさせたのだ。ゾルグは自らの手で、愚かな人々に汚されたベティの息を止める。しかし、決して後悔はしない。何故なら、それをベティが望んでいることを知っているから。"信じる"とは別の次元で、彼は二人の愛が永遠であり続ける事を"知っている"から。だから、彼は自らの命を絶ったりなんかしない。彼は虚無から立ち上がり、ベティに捧げる小説を書き始めることができる。ベネックス監督は愛の対極に「愚かさ」を置いた。そして、ベティは、あまりに純粋すぎた、それだけである。
10点(2004-02-23 21:34:25)(良:1票)
2.  野性の夜に 《ネタバレ》 
ここで3人目の満点をつけることに、躊躇はありません。この映画は素晴らしい、多くの人に観て頂きたい名作だと確信しています。この映画には、AIDS、同性愛、右翼といった幾つかの問題を孕んでいますが、最終的に観るものに突き付けているのは「いかに生くるか」に尽きます。このテーマを真正面からぶつけているこの作品に、僕は最高の点数をつけざるを得ない。フランス映画で、僕はいくつかの同性愛映画を観てきました。そこではホモ(同性間)とヘテロ(異性間)の違いや関係を通して、セックスや恋愛、差別や社会との隔絶を描いているのですが、この作品ではさらに一歩踏み込んだ描き方をしています。鬱屈した毎日につきまとう死への恐怖、そして逃れられない不幸。醜いホモのうたう歌が、「そのようにしか生きられない不幸」宿命ともいうべき、人間の根源に付き纏う悲しみを浮かび上がらせます。また、17歳という少女ローラが、真実の愛を求めて苦悩し、またAIDSという問題を抱えて壊れていく過程は、ベネックス監督の「ベティ・ブルー」を連想させます。自らの全てを投げ出しても得られない愛。独占、恨み、躊躇、苦しみ、その先で自傷に行き着くまでは同じような展開なのですが、さらに17歳という年齢からくる弱さによる、相手まで呪わざる得ない心の脆弱さを加えている事に、シリル・コラール独自の変化を感じます。そしてこの映画のキーパーソンであるサミーの鬱積した感情。若さという一言では片付けられない苦悩や情欲、愛。ジャンの持つ生への固執、才能への不安、怠惰、虚無、家族の愛、そして死への恐怖。最後のエンディングで、それらの全てが昇華し、一つの答えとしてジャンの口から語られた事で、この物語は完成しました。
10点(2003-12-21 22:02:59)
3.  EUREKA ユリイカ
長くてセピアでシネマスコープで、ちょっとしんどいんじゃないかと観る前には思っていたのだけれど、結局最後まで意識せず観てしまった。最後にスクリーンに現れる『EUREKA』の文字に、この映画のタイトルの意味を思い出して、愕然として息を飲む。はっと気付くと体が固まっていて体の節々が痛くて、そこで微動だにせず映画を見切ってしまったことに気付いた。渋い、派手とは言えない俳優ばかりを選んだキャストの活躍も大きいが、何より各シーンの構図を撮影・田村正毅と共に徹底的に考え抜いた青山監督の執念が、この大作を成功させているのだと思う。この映画のストーリーには多くの穴がある。それは、僕達がこの映画を観る中で足をとられてしまいそうな大きな穴だ。各シーンの俳優の行動、それぞれに完全な説明はなく、そこから読み取れる最小限の情報、それは言葉や表情の小さな動きだったりするのだが、観客はそれからその関係を推測するしか方法はない。特に、登場人物の過去についてはほとんど語られていない。沢井と親友シゲオ、妻弓子、父、兄の間には、何か過去のエピソードを匂わす空気が漂っている。「何かがあった」ということは読み取れるものの、そこから先は完全に闇に閉ざされる。これには観客はヤキモキしてしまう。例えば、秋彦が漏らす「昔、殺されかかった」という過去は同監督の『Helpless』に一本の映画としてまとめられている。それを考えると、それぞれの間に漂う「何かがあった」というようなエピソードは、それぞれで映画が出来るほどのストーリーなのかもしれない。しかし、それも想像だ。僕達は、映画の最小限の情報から、最大限の物を読み取り、考え、構成するという作業を続けていく、そしてその先に青山監督の示すこの映画の意図が見えてくる。青山・田村のアップで「完璧」なシーンを作り、それから引いても「完璧」だと思わせる手腕には唸るしかない。宮崎将・あおい兄妹の熱演や、役所浩司も重要だが、監督の投影とも言える光石研・斉藤陽一郎の脇二人がとても重要な役割を演じている。長い長い映画であるが、是非、二度三度観て欲しい一本だと思う。
10点(2003-11-04 01:30:06)(良:1票)
4.  青い車 《ネタバレ》 
すごい映画に出会ったと思いました。主演3人は非のうちどころのない演技というほかありません。まずARATA。金髪にサングラス、さらに無表情な顔でどのように演技するのかと興味がありましたが、口ってセリフを言わずともあれだけ表現できるんですね。屈折の度合いを見事に表現していました。格好も違和感なく、目の傷も生々しかったです。リスカの跡がもう少しリアルだと良かったなと思います。次に、麻生久美子。本当に彼女は監督によって変わりますね。心優しさの中に逞しさが表現されていて、一本筋の通った美しさがあったと思います。事故後のシーンは「あれ?出すんだ」と思いました。最後に宮崎あおい。もう完璧。唸るしかありません。10代の飽きっぽさ、自信のなさ、悲劇のヒロイン願望と、センチメンタル趣味。そして最後に現れる本当の悲しみ。この単純じゃない感情の揺れを、細かく表現できていたんじゃないでしょうか。いや、もっと複雑な心象を描いていたのに、20代の僕には嗅ぎ取れなかったのかもしれない、そうまでも思います。彼女は日本のトップ女優へ着実に近づいていると思うのは僕だけではないはずです。この若く美しい10代のうちに奥田瑛二の「少女」みたいな映画に出て欲しいと切に思っています。 ストーリーとテーマソング、カメラワークも素敵だったと思います。内容を完全に把握できたかと言えば僕にも自信はありませんが、リチオの心の中を100%説明するのは本人にもできることではなく、あえて言えば原作のよしとものみぞ知るといった所でしょう。子供をさらわれかけたトモロヲの行動と、その後のベンチでの会話など、細かく笑ってしまう部分もあり、緩急をつけたストーリー進行が良かったと思います。じっくり考えて映画を噛み締めてみたい人にお薦めの映画です。
9点(2004-12-24 01:41:39)
5.  いま、会いにゆきます 《ネタバレ》 
佳作。原作・監督・脚本・カメラなどのスタッフ陣、および、主役の二人を含めたキャストにおいて、大物や気鋭の新人といった役者は見当たらない。中村獅童にしたって、竹内結子にしたって演技がそんなに上手いわけでもない。はっきり言えばエースのいない布陣だと言いきっていいかもしれない。その、期待できないメンバーがずらずらと並ぶエンドロールを、僕は驚きと、感動で熱くなった目をゴシゴシしながらみた。うるんでた。確実に。詳細を突けばキリがない。(手帳薄すぎ!とか。)もとよりそんなに高尚なストーリーでもない。だいたい原作を読んでる他の観客が先どりして泣いている。しかし、いいよね、これは。高校時代の二人の雰囲気もいいし、大人になってからの二人もいい。ずっと寝てる所長もいいし、喫茶店で泣いてしまう竹内結子もいい。そして、エンディングでのキスもいい。誕生日ケーキもいいじゃないか。全部ベタ。しかし、それを愚直にやられたら感動するんだね。下手な演出がないのがいいよ。本当に、3人の生活がずっと続けばいいなと思ったもの。いい映画を観たと思います。みなさんが触れていますが、主題歌でマイナス1点。
9点(2004-12-24 00:58:53)(良:1票)
6.  泥の河 《ネタバレ》 
「ここはお国を何百里 離れて遠き満洲の~」きっちゃんの大人びた節回しを聴いていると、心がしんとしてきます。このワンシーンに、戦争や貧しさ、浮ついた時代への痛烈な批判、親を失った二人の悲哀など、様々な、本当にたくさんの悲しみがこめられています。この映画は、悲しいです。この映画の主題は、のぶちゃん(主人公の少年)の眼からみつめた世の中の悲しみです。泣かせようとする演出ではありません、冷静に幼い彼が感じとった世の中の悲しみを坦々と映し出しています。 この映画のことを説明すると、原作は宮本輝の同名小説(処女作・太宰治賞受賞作品)。監督はこれも新人の小栗康平、白黒の作品です。監督・原作者ともに新人であるため、観ていて映像の拙さを感じる方もおられるかもしれません。しかし、僕は宮本輝後期作品の説教臭さがなく、原作を思い切って切り取った小栗の決断力と、二人の若さも評価すべきだと思います。何度観ても考えさせられる作品ですが、やはり気になるのは銀子の存在です。廓船に住み、笑いを忘れ、過剰なほどに丁寧で控え目なその振舞い。しかし、その中に漂う消しようのない色気。陸の家庭に触れ、笑いを取り戻したかに見えるものの、その奥に隠れる歪み。彼女の存在、演技はこの映画の中でどうしても触れなければならない所です。メインキャストの田村高廣・藤田弓子・加賀まりこが玄人らしい演技をみせており、それに加えてノブちゃん・きっちゃんが拙いながらも心のこもった演技をしていることがこの映画を素晴らしいものにしていると思います。ほぼ満点の内容なのですが、音楽が少々感傷的過ぎていたので減点させていただきました。
9点(2004-06-12 00:28:49)(良:2票)
7.  人間の條件 第五部 死の脱出
竜子の死体が痛々しく、墓を巡る丹下と梶の議論なんてどうでもよくなってくる。死を前にして思想が何をしてくれるのか?僕は、いま思想を持っていないので言葉に詰まるが、焚火を前にして捨てられた少女を思う梶の心が、僕には戦争の矛盾と伴に、思想の矛盾として強く響く。大きな流れの中では人は流されるしかないのか?それとも沈んでしまうだけか?殺人マシーンと化してゆく梶の苦悩は、僕には理解できないほども深く、暗い。美千子という美しく、純粋に彼を愛してくれるものに対して、彼はこのことをどう語るのだろうか?それを考えると、その苦しみの一端だけでも突き刺さってくる。梶は、歩哨の生活を考えただろう。歩哨がロシアの家族のもとで、美千子と同じように愛する妻のもとに帰りたがっていることを感じただろう。戦争とは、どれほど多くの矛盾を抱えながら進行してゆくのだろうか?思想とは、国家とは、それほどまでに重要なものだろうか?僕にはわからない。娘役の中村玉緒の溌剌とした笑顔が、僕の脳裏に刻み込まれる。この作品の持つ悲しさをより引き立てるこの笑顔を、僕は想像でも踏みにじることは出来ない。戦時下にない僕には想像すら出来ない、凄惨なことが、戦時下・敗戦下という名目で行われていたことに、僕たちは眼を背けてはいけないだろう。
9点(2004-03-14 17:38:55)(良:1票)
8.  アカルイミライ 《ネタバレ》 
「浮遊するポストモダン」この映画に解説をつけるのならば、さしずめこんなタイトルにするだろう。日本のポスト近代への移行が、共同体の解体に伴い、規範を壊し続けているとしたら、そこに生み出されるものは何であろう?その答えが、真水に生きるクラゲと、街を闊歩する少年達だ。フワフワと漂うクラゲ、そして、フワフワと生きる少年達は、一見してただ流されるだけの存在でしかない。社会から外れ確固とした意思を持つわけでもなく、気分だけで生きる彼ら。それが日本のミライだと言われれば、多くの人は戸惑うに違いない。海でしか生きられないはずのクラゲは、水槽という閉じた系から、あるとき外界へ流れ出す。それはこれまで淘汰さてきたはずの存在が社会に溢れだしたこの10年を模している。宮崎勤、宅間守、数多くの不可解な事件が世を騒がせた。オタク、トラウマ、家族崩壊、、、メディアは理由を探し社会は憎むべき者を探して彷徨った。「責任能力を有する」つまり「正常」な彼らがなぜ平然と「異常」な犯罪を犯したのか。そのパラドキシカルな問いに向かい合えない我々は、「不可解」の一言で片付けてきた。しかしクラゲの毒に理由があるだろうか?クラゲの心がわかるだろうか?それは、完璧なる断絶である。守のように社会の規範や価値観から離れたアウトロー(宮台真司は『脱社会的存在』と呼ぶ)は、我々の言葉では語ることができない。これは村上龍の示すような、楽観的アウトローの姿ではない。真水の東京で生きる力を獲得しても、クラゲ(=アウトロー)は危険で駆除されるべき存在でしかない。しかし未来を予言する仁村は確信を持って答える。「彼等はきっと帰ってくる」と。アウトローと共生することのできる唯一の存在である少年達の胸には、戦いの中で死んだゲバラがイコンとして刻まれている。彼らは「アカルイミライ」を支え歩き続ける。(それがエンディングで示されたようにフィクションだったとしても!)黒沢清の提示したミライ。それは日本のポストモダン像に他ならない。過去を生きる者達は傷つきながらも「許す」のだろうか。それとも、徹底的な駆除を試みるのだろうか。この映画のタイトル「アカルイミライ」は近代批判、または、ニヒリズムではない。我々はそれを受け入れるしかない。黒沢は淡々とそれを描いている。
[DVD(字幕)] 9点(2004-02-29 06:12:52)(良:1票)
9.  髪結いの亭主
ルコントの女性に対する想い、もっと言えば信仰のようなものが感じられた。彼にとって女性は太陽であり、蜂蜜であり、何より闇である。そして愛しく感じながらも、決して理解できないブラックボックスのようなものだと考えているのかもしれない。だから、手を入れて触るのだ。彼は女性の服を脱がせたりしない。目を瞑って服の下に手を差し込む。そこにあるのは柔らかな、丸みをおびた体。目を瞑って、その手に感じられる世界がその全てである。マチルドを失ったアントワーヌはどうやって生きていくのだろう?シェーファー夫人が亡くなったとき、彼には新しい髪結いの女性を探す夢があった。しかし、今の彼には10年という長いマチルドとの思い出ばかりしか残されてはいない。ルコントは何も語らずに物語を終える。語るべきことは何もないと言わんばかりに。この映画は、まさに傑作と呼べる作品であろう。
9点(2004-02-15 19:20:17)(良:2票)
10.  人間の條件 第四部 戦雲篇 《ネタバレ》 
最近の戦争をテーマとした作品を観ていると、戦局を冷静に判断して「生きる」ことに重点をおいているクレバーな人間を主役にしている事が多い。この『人間の條件』という作品もそうだ。この物語は戦争に翻弄された男の悲しい物語である。しかし、もっと悲しいのは「大日本帝国」を本当に信じ込んで、自分を守ることも出来ずに「軍国主義を信じた愚か者」になってしまった人々なのかもしれないな、そんな事を思った。そういう観点では、梶はまだ幸せなのかもしれない。たまに、僕の田舎には今でも戦時の武勇伝を語る老人がいるが、見ていて暗澹たる気分になる。今回の梶は、初年兵を教育する事に努力する。しかし、それは上手くいかず空回りだ。敬礼の不備によって古兵から懲罰を受けるシーンなどは、その空回りが如実に出ていて哀しくなる。梶の思想は完全に偏りすぎていて、青臭くて、正直馬鹿らしくなる。純粋であるよりも愚直、つまり愚かさが先にくる。それは、沖島や影山などの平衡感覚を持った人間をそばに置く事により際立ってくる。それが、梶の背負った悲哀ともいえるかもしれない。梶の、上官を絞め殺すシーンはこの人間の條件という作品でも屈指のハイライト。戦争の悲惨さをダイレクトに伝えるエピソードとして重く、考えさせられるシーンだ。美千子はどうしているだろう?左遷された沖島は?老虎嶺ではまた岡崎の搾取が再開されただろう。王はちゃんと逃げおおせただろうか?人間の隣りには人間がいるのか?悲しい第四部であった。
9点(2004-02-01 21:45:24)(良:2票)
11.  ガラスの墓標 《ネタバレ》 
まず一番最初に書いておきたい事は、この映画が名作であるということです。音楽、美術、演技など、映画としての素晴らしさに溢れています。ストーリーも、冒頭のコメントにあるように純愛とアクションを完全に語り尽くすこのプロットは、本当に美しいものでした。それにしても、各アクターの存在感が凄まじいほどですね。特にセルジュは、音楽・監督業だけでなく、俳優としてもこれだけの力を持っている事に、奇才の名を欲しいままにしている理由が伺えます。ジェーン.b、ポール・ニコラスも、男と女ですが、違う色の愛で満たされていて、感動的ですらありました。ラストシーンは、二人が憎み合うのではなく、ひたすらにセルジュの死を悲しんでいたことに、その愛がひしひしと伝わってきました。カット割や音楽なども最高で、絶妙のタイミングを保っていたと思う。印象的だったのが養鶏場でのシーン。鶏の中をかき分けて打ち合い、隣りの棟の男を狙撃するシーンや、両手に鶏の屍をぶらさげて肩を組むシーンなど、そうスタイリッシュでも、泥臭くもないが、新しさに溢れていて、カメラワークの見事さが溢れていた。カーチェイスでも、徹底的に3人の表情を追っていて、アップでしつこく写しつづけている所など、心情描写に徹していて気持ちがよかった。最後に、この映画が70年に製作されていることに驚きを感じます。まったく色あせないこの感性には、各スタッフの力とともに、文化大国と言われるフランスの度量を感じます。
9点(2004-01-27 20:39:40)
12.  ラブetc. 《ネタバレ》 
「僕は甘いものを食べないと・・・」というクスッと笑ってしまうようなピエールのベンチでの会話。「オイオイどうするの?」と楽しくもドキドキしてしまう告白されたマリー、花束でオロオロ。同情しながらもなんだか突き放して眺めてしまい、さらにやっぱり同情してしまう後半のブノワ。観ていて、純粋な観客として楽しめた映画です。この映画の中では、観ている側が登場人物に感情移入をするための”とって”がほとんどありません。最初、ピエールの性格は不明で彼の行動は不審ですらあります。突然のマリーのブノワへの寛容な愛もよくわかりません。後半ではブノワが何故、あの段階で二人の関係への感心が爆発したのかもわかりません。しかし、映画を観ただけで、登場人物が何を考えて、どう行動したかを全て把握する事が出来るわけもありません。現実の世界で、子供や配偶者でさえも理解しがたい時はいくらでもあるはずです。僕には、異国の特殊な関係に陥った恋愛の当事者の心を共有できるとは思えません。だから、僕は観客に徹します。これはそんな、観客の僕が、少し離れた場所からクスクス笑いながら、ちょっとドキドキしながら、本当に楽しんで観ることが出来る映画なのです。たまに理解しやすい映画を観ると、登場人物が思わせぶりな心情の吐露をすることがあります。「そんなこと現実にないよな。」と苦笑してしまいますが、よくある手法です。しかし、この映画にはそんな方法で登場人物の心情を共有して欲しいとは思っていないようです。3人は、3人とも愛すべき人間として描かれています。特に、利己的さと知的さを併せ持つピエール、シャルル・ベルランのパーソナリティーは素敵です。暗さと我儘とを輝かしく見せたシャルロットの演技も素晴らしい。気弱さと大胆さをあわせたイヴァンも良かったと思います。この3人が知的に、利己的に、横暴に、矛盾を持って会話する妙は、単純に観えて非常に緻密で、この映画に奥行きを持たせています。3人の素敵なキャスト。2人の男と1人の女というフランス恋愛の王道を歩みながらも素晴らしいコンセプトを光らせたストーリー。最後のエンディングの秀逸さを加味すれば、この映画は1級だと僕は判断します。
9点(2004-01-14 12:46:16)
13.  鬼が来た! 《ネタバレ》 
「時代考証は少し無理があるな」と内心思いながらも、中国側も日本側も俳優さんが達者で、観ているうちにこの映画の虜になっていたみたいです。観終わった後「虜になっちゃった。」と感じる映画はいい映画だと思っているので、自分にとってはこれはいい映画です。長城の東端が映ってるから河北省あたり?時代的には中国占領末期?だいたいの時代背景と場所は飲み込めました。食糧状態や雰囲気からすれば、少しズレているような気もするが、まあいっかと。役者を見ていると、日本軍の酒塚がいい役回りをしていますね。規律と人間性と、矛盾と人情を上手くからめて、複雑なところを見せてます。それと通訳。「外国語なんて勉強しなければ!」って叫んだり酒塚におもねってみたり、面白い役割を巧みに演じています。結末ではちょっと悲しいけど、それも流れで行けば当然のこととも思えます。この二人は実にいいですね。もちろん、主役のチアン・ウェンと香川照之は別格でいいです。チアン・ウェンの中国人らしい表情と動作に溢れる動きもいいですし、それからだんだん花屋が影響されて中国人チックになっていく所も面白かったです。まさに熱演!って感じで観ていて熱くなるのがわかりました。それにしても、ストーリーは終始牧歌的に進められていて、殺伐とした雰囲気がありませんね。日本軍の宴会での殺戮でさえ、まったく殺伐としていない。全体的に戦争の残忍さに関しては軽減してあるように思います。これはマーの暴走や最後の斬首にしても同じ事で、これは戦争の残忍さだとか矛盾だとかを伝えたいんじゃなくて、戦争を土台にしてもっと別の事を言わんとしているんじゃないかと思いました。赤いコーリャンで「日本人=悪」という古典的なベクトルを入れてしまったために伝えたい事が伝わらず失敗した轍を踏まないように、チアン・ウェンが苦心した結果でしょう。もちろん、この映画を観て「日本人が悪だ」と思う人もいるにはいるでしょう。一方方向から見れば、どうしてもそう思ってしまいます。僕も高校時代「人間の條件」って本を読んで「日本人鬱、死にたい」とか思った時期がありました。(もちろん作品のせいではない)が、それって入り口なんですよね。それから歴史を勉強していって、それでも『歴史の真実』なんてあるわけがなくて、現在の世界情勢まで頭に入れて、なるべくバランス感覚のある『歴史観』を構築していければいいなと思います。
[DVD(字幕)] 9点(2004-01-12 13:48:53)(良:6票)
14.  僕の村は戦場だった
イワンの演技に震えがきました。特に、彼の眼は、暗く、冷たく、痛いほどの輝きを持っていますね。頬のコケ具合や痩せた体がその眼を際立たせていて、存在感が画面から直に伝わってきます。スクリーンいっぱいに顔アップを持ってきても、決して負けないだけの力がその表情にあります。映画の主役をこの年齢で完全にはっているということに、脱帽するよりほかありません。終始後方に光る信号弾。銃声。河という境界を目の前に置くことで、緊張感を最大までに高めているところなど、その設定の見事さにも驚かされます。戦争映画としては、どこに出しても文句のでないほどの秀作だと思われます。
9点(2003-12-27 23:44:17)
15.  シュウシュウの季節
文化大革命。死者8千万人(よくわからない)とも言われるこの歴史的悪政は、反吐が出るほど愚かで、僕にはまったく理解できない事件です。どれだけの人が亡くなったか、どれだけの人が苦痛を味わったのか、わかりません。チベットやウイグルについては、話を聞くだけで恐怖と怒りを感じます。それは、現代中国でも間接的に体験する事が出来ます。例えば僕が雲岡石窟という世界遺産に登録されている貴重な遺跡に行くと、そこには紅衛兵による無残な傷跡が残っていました。チベットでは、数百年続いた寺院が紅衛兵によって破戒された"跡"を見ました。あまりの愚かさに、自分でも止められない、"憎しみ"も生まれました。毛沢東はバーミヤンを破壊したオマル師のごとき人物であり、まったく尊敬できる人物ではない。それを現在、全ての紙幣の顔にした中共は、どう考えてもおかしい!信じられない! そんな反中国的な思想を抑えるに抑えられず、隠し持っている僕ですから、この映画はかなり重くなりました。政治的な思想で映画を観る事は愚かだと自分でも思います。そんな観方で監督の意図が汲み取れるはずもないし、決していい感想は生まれない。しかし・・・この映画は衝撃的で、哀しくて、また素晴らしいとも感じました。本当に辛い映画です。実話ではありませんが、このようなことはいくらでもあった、老金のように蔑まれたチベット人は数多くいたでしょう。目を覆うような辛い出来事は数限りなく続いたでしょう。だから、辛い。この映画が、俳優の演技、ストーリー、風景描写、小道具に至るまで綿密に創り上げられていたことは救いでした。中国の田舎の描写は、完璧とも言える出来で、中国本国で撮影できないだろう難しい状況で、これだけの仕事をやり遂げたことに感動さえ感じます。これが、アジテーションの映画にならなくて本当に良かった。最後まで救われないと言う方も多いと思いますが、あれも一つの救いだとして、僕は肯定したいと思います。シュウシュウの純粋さと、熱演と、悲しみに、本当にありがとうと言いたい。陳腐な感想になりますが、このような愚かなことは繰り返してはいけない。それは日本軍による侵略も同じ事です。その民族が善悪を背負っているわけではなく、人間は愚かな失敗を繰り返すものであり、それを食い止める何かが必要なのではないか、そんなことをこの映画と「鬼が来た!」を観て考えています。
9点(2003-12-15 14:16:32)(良:2票)
16.  老人と海(1999)
この映画は、「レンブラント技法」と呼ばれるガラス板に絵を書いて、重ねていくという方法で造られているのですが、独創的で美しい映像が大きな魅力になっています。ストーリーも原作に忠実で(カットも挿入もない)、ヘミングウェイの名作を完璧に映像化したと言っても過言ではないと思います。NHKのTVで観たのですが、完全にファンになってしまいました。どう考えても量産できるタイプの手法ではないので、数年に一本になるとは思いますが、この監督には是非頑張って欲しいと思います。
9点(2003-12-13 14:06:58)
17.  チンピラ(1996)
僕が青山作品が大好きだからそう思うのかもしれませんが、「実はすごくいい映画なんじゃないですか?」と真剣に思います。ストーリーは、84年の映画のリメイクなんですから、そのまんま古臭いチンピラ映画という感じです。しかし、感動という言葉が適切かどうかはわかりませんが、なんとも言えない不思議な心の高まりがありました。「うぉー!」と言いたい気分なんですが、これは涙を流すような性質の心の高ぶりじゃないです。観ていない人に薦めたいのが、とにかく大沢たかおとダンカンの演技が最高です。大沢たかおの、チンピラな社会に揉まれてガサガサに擦り切れていく感覚(下手な言い回しですが、)は、恋人役の片岡礼子との関係もあってとてもいい味をだしています。この時の片岡礼子も非常にいいです。しかし、それにも増してダンカンの「望んでもいない、意識してもないのに何故だか転落してしまう男」という存在は、「そうとしか生きられない運命」をすごく的確に示していて、「そういう人生」ってなんというか「哀れだなぁ」と同情とか憐憫だとか、とても切ない気分になりました。(しかし、ここで青山真治は涙を流すような描写をしたわけではない。)ダンカンは本当に、本当にいい俳優さんだと思います。一番好きなシーンはセスナを発見した瞬間です。この瞬間の顔がいいです。それに、その後の会話もいい。他にも「みっちゃん~」の歌がまた切ないんですよ、胸がキリキリ痛みます。話がこんなに単純なのに、こんなにガツンと心にくるとは思いませんでした。もう一度書きますが、この映画は涙を流すような描写は一切ありません、しかし切ない、しみじみと感じさせる映画です。
9点(2003-12-12 00:44:49)
18.  ワンダフルライフ
老婆とスタッフが面談をしているシーン、赤い服を着て踊っていた幼女時代の思い出を語ったお婆さんの所で、いきなり何の前触れもなく「ドドドドド」と感情が湧き出てきました。普通、感動する時と言えば少し前から「感動するぞ感動するぞ」というサインが頭の中で点灯していて、涙腺がちょっとウルウルなって、背筋にちょっと緊張感が走って、ジワジワジワジワと感情が高まっていくものなのですが、今回は突然何の予告もなく来ました。ビールの缶を開けたら実は炭酸が思いっきり振ってあって、いきなり発泡して慌てて「うひょー」と思ってしまうように、自分の中から溢れ出した感情をどう処理すればいいのかわからず、それよりまず第一に何故こんなシーンで感動してしまったのかわからず、ビデオを一時停止するくらい狼狽してしまいました。ホントこんな経験初めてです。「なんだったんだろう?」と振り返ってみるに、上手く言えないんですが、「生きた喜び」みたいなものをシンプルかつ素直に、真正面から表現していたからなんじゃないかな、と思います。観終わって、ぼーっとしながら考えてみると、映画全体を見てみても、ストーリーが秀逸、俳優も良く揃えてあり、映像も素敵、どれも素晴らしいものです。しかし、何よりこの映画の主役は「もし自分が死んだら・・・」ということを真剣に考えて、ちょっとテレながら思い出を語ってくれた素人の出演者の方々だと思います。彼らは、どんな俳優さんよりもリアルで、美しかったです。本当にいい映画を観たと、満足している次第です。
9点(2003-12-02 14:48:36)(良:1票)
19.  A2
Aの続編ですが、合わせて4時間ぶっとおしで観てしまうほど熱中した作品です。コンセプト、何を伝えたいのかはっきりしないところの多かった「A」に比べて映像的にも観やすくなっているし、解りやすくなっていると思います。荒木浩氏は、なんだかずいぶん老けたように見えますが、やはり心労と食事面が厳しいのでしょうか?「A」からの変化にちょっと驚きます。右翼の登場するシーンなど、ドキュメントにしても凄いなと感心する、ビックリするほどの取材能力です。アレフ側のみじゃなく、もっと広い視野を取り入れているところなど、前作よりもグレードアップしている感もあります。それにしても、これは考えさせられる作品です。是非、是非おすすめ。
9点(2003-11-23 20:44:33)
20.  
この作品を観て、オウムが一番メディアに取り上げられていた、僕が中学生だった頃の事を思い出しました。僕はその当時、彼らの拠点の一つ(それは松本サリン事件や坂本弁護士殺害事件などの一連の事件よりもかなり早くからあった。)の近くに住んでいたのですが、テレビの中の"現実"、それは日常から遠く離れたフィクションに近い"現実"と、自分の身近にある"現実"のニアミスに興奮し、テレビに熱中していました。一億総オウム評論家と誰かが揶揄していましたが、僕の愚かな頭の中にはどのサティアンにどんな施設が隠されているか、オウムの幹部の人物像と宗教名、それに警察の動きなどがこと細かく納められていました。今はもう、その当時どんな気持で彼らに熱中していたのか、はっきりとは思い出せないのですが、(もちろん、オウム自体の詳細なんて完全に霧散している。)ただ、「オウム信者がカッターナイフ所持で銃刀法違反で逮捕」というニュースに大きな疑問を感じた事だけは記憶しています。その当時、僕の性格ならばたぶん周囲の大人にこの疑問を尋ねたはずなのですが、その返答はまったく記憶に残っていません。適当にあしらわれたのでしょうか、それともきちんとした返答を受けたにもかかわらず僕が記憶から失ったのでしょうか。どちらにしても、納得はしていなかったはずです。(だから違和感だけが残っている。)気付けば僕は、その当時の僕なら「大人」だと思った年齢にまでなっていました。僕が、あの時の僕を納得させられるかは自信がありません。あれから僕は何を考えて生きてきたんだろう?何を学んできたんだろう?そんなことを考えました。あの当時、"正常"と言える眼で事件をみつめていた人がどれだけいたのでしょうか?いや、過去に限ったことではなく今、9.11後の世界を冷静に見詰めることができる人がどれだけいるのでしょうか?澄んだ瞳で、世の中を見渡せる人間になりたい。そんなことを考えました。
9点(2003-11-23 20:37:18)
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