1. ニュルンベルク軍事裁判〈TVM〉
空襲で焼け野原になったニュールンベルクの、机や椅子などが全て持ち出されて床が塵芥で覆われた裁判所内部でジャクソン検察官の秘書が壁を指して「こんなところモーゼが受け取った十戒のタブレットのレプリカがあるわ!」と叫びます。モーゼが受け取った十戒こそが近代国家が遵守する法治主義の原点なのですが、人類の代表として基本法である十戒を受け取ったユダヤ人を迫害したことでゲーリング以下のナチスドイツの高官らは軍事法廷に立たされて審判を受けるのです。この事実からして、ナチスドイツによるユダヤ人迫害は異端審問と同じ性質のものだったと言えないことはないでしょう。「いや、異端審問は審問であり裁判で刑が確定した。」とおっしゃる方はエドガー・アラン・ポーの「落とし穴と振り子」を読んでいただければ異端決定がいかにいい加減なものだったのかがわかります。そもそもモーゼの出エジプトの起源になったエジプト王による迫害も王の母が叔母がモーゼを我が子のように可愛がったことによる血族間の憎しみに端を発しています。そしてユダヤ人のイエス・キリストに対する憎しみは唯一絶対神の信仰が民族宗教にとどまるべきか世界宗教に発展すべきかという考え方の違いに端を発しているようです。憎悪というものは近しい者同士や知った者同士で一層燃え上がるようですが、ナチスのユダヤ人に対する憎悪は少なくともヒトラーなど上層部では魔女狩りと同じで不寛容から発するヒステリーだったように思えてなりません。だとするとそれは戦時ヒステリーか不況によって引き起こされたヒステリーであって今の世の中で近代的な法治主義を採用する国家ではありえないと思いたいです。 中盤でゲーリングと心理学者として従軍したイギリス人将校との間で「ユダヤ人を大量に殺したのは罪だ、」「連合国だって広島と長崎で罪もない市民を大量に殺したじゃないか」「彼ら犠牲者は連合国の市民ではなかったがナチスドイツが殺したのは自国の市民だった。」という会話がなされ、ここではイギリス人将校が明らかに守勢立たされています。日本人としてはよくぞ言ってくれたというところですが、東京裁判の結果死刑を宣告された日本人の中で同様のことを主張した人はいたのでしょうか。。。おそらくいなかったと思います。わたしは靖国参拝したことはありませんが、せめて東京裁判で文明を被告とすることや勝者が敗者裁くことの理不尽さを指摘したインド人裁判官ハル氏の考え方を理解してから靖国参拝したいと思っています。 [DVD(字幕)] 10点(2020-04-04 02:26:38) |
2. 日本のいちばん長い日(1967)
最初図書館でDVDを借りて見た後でアナログ経由の劣化コピーで何度見たかわかりません。終戦前日正確に言うと玉音放送が放送されるまでの二十四時間に政府内部で起きた政変にも近いような天皇人質のに取った政争劇がそれほど強烈だったのです。対立の構図は戦争継続を絶対に望まない天皇と本土決戦を望む軍部、とりわけ陸軍の若手将校たち、そしてその間で立場決めかねた総理大臣以下の閣僚たちでした。閣僚の中でも真珠湾攻撃の直前まで開戦反対していた海軍の長である米内海軍相は早い段階から本土決戦に反対し、陸軍相阿南は血気はやる若手将校らの意気を理解し、また陸軍内でのクーデターを恐れたのか内部的には懐柔策を取り、閣僚会議や御前会議では強硬論を唱えます。しかしやはり決定的だったのは昭和天皇の強いいしでした。 「四方の海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらん」と開戦決定がなされた御前会議で天皇は明治天皇御製の短歌を朗詠して戦争に対して精一杯の抗議をなさいました。この時点で昭和天皇は明確に抗議しよう思えばできたはずでしたが、また明日に抗議すれば聞き入れられないことも十分に承知しておられたはずです。この時に天皇の頭をよぎったのは維新の元勲の山県有朋と仲違いして一説には暗殺されたとされる父の大正天皇のことだったかもしれません。昭和天皇はご自分が万能ではないことも議会制民主義の枠組みだけは成立している日本で自分がしゃしゃり出ることは適当ではないこともご存知でした。昭和天皇は開戦時に「とにかく生きよう。父大正天皇の轍は踏むまい。」と思われたのではなかったでしょうか? そして広島長崎の原爆投下ソ連の宣戦布告後の御前会議で全て状況が日本にとって不利であるとの閣僚からの報告の後で天皇の意志は強固でした。「日本国民を生かすためには無条件降伏やむなし。」と思われ、また「自分はそのために生きてきたのだ。」思われたかもしれません。そして宮殿の一室での玉音放送録音後、ご寝所に入られた後で天皇は皇居を占拠した陸軍将校たちの実質的な人質となるのですが、天皇はご寝所の周囲じ止まった忠実な侍従らに守られて熟睡されたのではないでしょうか。 終戦後、昭和天皇はマッカーサー元帥に対面されて自分は戦争責任を追求されて縛り首になってお構わないおっしゃったそうですがマッカーサーは天皇の紳士的な人柄に惚れ込んで天皇の戦争責任は追求しませんでした。昭和天皇の長い在位期間中に日本は復興を遂げ経済成長を果たして国民総生産世界2位の国家になりました。昭和天皇はご自分が終戦の時に果たした役割に満足し、さぞかし長生きをしてよかった思われたことでしょう。 [DVD(邦画)] 10点(2020-04-01 13:56:16)(良:1票) |
3. オーケストラの少女
《ネタバレ》 いかにもアメリカ的な能天気な作品です。社会のどこかに眠っている本来なら輝く才能をもった人材が適材適所で活躍して人々賞賛を得ることができれば経済恐慌も不景気もなんのその、という考え方は本当にそうあってほしい理想です。結局、現実では大恐慌後のアメリカはルーズベルト大統領のさしがねで暗号を解読してあらかじめわかっていた日本軍による真珠湾攻撃看過して戦争へ突入することによって失業問題などを解決するしかなかったのですが。。。失業音楽家たちが大指揮者ストコフスキーの家に忍び込んで体当たりで演奏を披露してストコフスキーを否応なしにとりこにしてしまうというようなおとぎ話で何もかもうまくいけばいいですよね。この曲(リストの「狂詩曲(ラプソディー)第4番」)もパトリシアが最後に歌うヴェルディのオペラ「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」のアリアも難曲中の難曲のようで、正式のコンサートマスターや声楽専門の教師なしに演奏したり歌ったりできるというのも正におとぎ話です。現実と正反対の夢を見させてくれた指揮者ストコフスキー(本人)とパトリシア役の女優さんに喝采! [DVD(字幕)] 10点(2015-12-14 14:00:11) |
4. 汚れなき悪戯
《ネタバレ》 市場に積まれたリンゴの山の中程からマルセリーノがひとつを掴んだせいでリンゴの山が総崩れに、そして驚いた家畜の牛たちが暴れ出して市場全体がドミノ効果のようにめちゃくちゃになるシーンを何十年も昔、子供の頃に見た時には見過ごしていました。そして、周囲の大人達に冷たくされた寂しさの中でマルセリーノと屋根裏の痩せたおじさんとの交流が始まるのですが、それは子供心にただただ不気味にしか感じられませんでした。 今、大人として鑑賞してもやはり不気味さは拭えません。中南米系のカトリック教徒は奇跡を信じて例えば涙を流したことのある彫刻みたいなものを拝んだりしますが、カルチャーの違いかわたしには到底理解できません。劇中のフランス兵の帽子の形からナポレオン時代(19世紀前半)以降の物語だと推測できますが、マルセリーノの死因は奇跡ではなく心臓麻痺とかじゃなかったんでしょうか?まあ、今なら明らかにもなるし話題にもなるそういったことは不問に付して神様の意思といった宗教がらみの要因だけを問題にするとしても、12人の父親よりも1人の母親のほうがいいというマルセリーノの願いがいとも簡単に叶えられるのは、市場の騒動の件で一時的に冷淡になっていたとはいえ、マルセリーノを一生懸命育ててきた修道士さん達にとってはあまりにも不公平です。 でも鑑賞後にわたしは「人は皆、理由があって生まれ、理由があって死ぬ。」というある宗教家の言葉を思い出しました。乳幼児のうちに天に召される者は周囲の人間に何かを教えて去っていくのだそうです。マルセリーノが修道士達に何を教えたのか、宗教の違いを超えて考えてみてはどうでしょうか? [DVD(吹替)] 10点(2015-06-08 00:02:25) |
5. 河(1951)
印象派絵画の巨匠を父としフランス映画の祖と呼ばれるジャン・ルノアール監督・製作した映画の原点と言ってもいい作品です。娯楽作品のフレンチカンカンでルノアールが試みた大胆な色彩の乱舞は姿を消し、河と埃っぽい大地の渋い色合いを基調とする画面に花や緑や光の祭りの灯火、そして生きて活動する登場人物の衣服が色彩を添えます。ストーリーも淡々としていてご都合主義の作為は全くなく、登場人物に仰々しく語らせることもありません。いや、主人公格のハリエットが劇中劇の形で語りメラニーが演じる単純なストーリーがあるのですが、結局この世界全体の全ての人生がこの劇中劇のバリエーションだというのが作品全体に流れる思想なのではないでしょうか?哲学に色彩を添えた文句なしの満点の作品です。 [DVD(字幕)] 10点(2011-09-05 22:47:50) |
6. 1000日のアン
映像と衣装の美しさ、豪華さで40年も前に作られたという古さを全く感じさせない作品です。リチャード・バートンのヘンリー8世は、「クレオパトラ」の中でレックス・ハリソンが演じたジュリアス・シーザーや「イル・ポスティーノ」の中でフィリップ・ノアレが演じたパブロ・ネルーダと並んで名優そっくりさん出演のチャンピオン格じゃないでしょうか。(ちなみに「クレオパトラ」の中でリチャード・バートンが演じたアンソニーはたいしたことないです。)アン・ブーリン役の女優さんの悪魔っぽいかわいさも際立っています。鑑賞の鍵となるのはやはり、ばら戦争などの内戦で疲弊した弱小国だったイギリス(イングランド)がヨーロッパの他の大国からの独立を保って次世代のエリザベス一世の下で日の沈まぬ国になったという運命のからくりです。「国王は男でなければならない。」というヘンリー8世に可愛いがられて成長したエリザベス一世が色恋を全く拒む女性君主になってスペインの無敵艦隊を破ったことは、生母アン・ブーリンと前妃キャサリンとの確執の因果でしょう。前妃キャサリンはスペイン史上人気ナンバー・ワンのパワー・カップル、イベリア半島からイスラム教徒を追い出してスペインを統一し、コロンブスの航海のスポンサーも務めたカスティラ女王イザベルとアラゴン王フェルディナンドの娘で、元々はヘンリー8世の兄のところに嫁いできて兄の死後、弱小国イギリスが大国スペインに頭が上がらなかったためにヘンリー8世が彼女の二人目の夫にさせられたという事情もあります。だから、キャサリンの娘でヘンリー8世の後を継いだメアリー女王は母方の宗教のカトリックに深く帰依し、映画「エリザベス」の中で描かれているように、国教会に属した異母妹のエリザベスを虐待したのです。こんなことに想いをめぐらせながら鑑賞すれば二時間半はあっという間に過ぎてしまいます。質、長さともに久々に見た大河ドラマでした。 [DVD(字幕)] 10点(2009-12-06 11:11:55)(良:1票) |
7. ニュールンベルグ裁判
《ネタバレ》 一回目に見た時は事実をありのままに再現しようとする作品で何の主張もないような気がしたのですが、二回見てこれほど印象が変わった作品はありませんでした。この裁判の勝者はだれかというと・・・誰もいないのです。ロルフ弁護士は大先輩のヤニングに「わたしはもちろん有罪。」と告白されてしまって敗北せざるを得なくなるし、ロースン検事は「ソ連がドイツを勢力下に置こうとしている今、ナチ政府下の法律家を極刑に処すとドイツ人の反感を買ってアメリカの国益に反する。」と言って釘を刺されるし・・・。未亡人の訴えに屈しなかったヘイウッド、そしてロルフ弁護士のイレーネに対する歯に衣着せない執拗な追及を見てようやく人間らしい感情を取り戻したかのように言葉を発したヤニングの二人の、法律家としての気骨と威厳が光っていました。厳罰に処せられるべきなのはやはりロルフ弁護士の言うとおり、戦争を起こしてしまった人類全体の馬鹿さ加減なのでしょう。 [DVD(字幕)] 10点(2008-01-14 13:57:43) |
8. サウンド・オブ・ミュージック
《ネタバレ》 終わり近く、のど自慢大会のシーンでトラップ大佐が「エーデルワイス」をギターで弾き語りしながら思わず絶句してしまいますが、この歌はアルプスの麓に住むオーストリア人にとって、正に第二国歌のようです。「ドイチュラント・ユーバー・アレ(世界に冠たるドイツ)」を歌って第一次大戦を戦ったドイツに味方して敗北を喫し、広大だった国土を大幅に縮小させられたオーストリアでは「国破れて山河(どちらかというと山)あり。」みたいな感慨のある歌なのでしょう。この作品、全体的に明るくて戦争色は後半にならないと出てきませんが、巻頭に「1930年台の最後の年(つまり1939年)」という言葉書きが出てきます。原文(英語)に数字はありません。アジアでは1930年台の前半から日本軍が中国でドンパチやっていたので私たちにはピンとはきませんが、1939という数字は第二次世界大戦が始まった怨念の年を表していてヨーロッパ人にとっては見るもおぞましいのに違いありません。ドイツはこの前年にオーストリアを無血併合、言葉も習慣もほとんど同じ国と一緒になるのは一般人にはどうということはないのかもしれませんが、トラップ大佐のようにヒットラーが支配する国に併合されるのを快く思わなかったオーストリア人も多かったはずです。それにしても大佐はあの気位の高そうな貴婦人ではなくてマリアと結婚して正解でしたね。貴婦人が奥さんだったら子供を背負ってアルプスを越えてスイスに亡命なんてできず、ドイツ海軍に加わってイギリス軍に撃沈されていたかもしれませんでした。「西部戦線異常なし」はリアルな描写で、チャップリンの「独裁者」はギャグで、この作品は明るい歌声で戦争やナチスに対抗しているのです。 [DVD(字幕)] 10点(2006-03-22 02:25:29)(良:1票) |
9. ドクトル・ジバゴ(1965)
数年前に見た時、繊細で貫禄のあるジバゴ役の俳優さんが印象に残り、「あまり見かけない俳優だな・・・。」なんて、思ったのですが、今回は「アラビアのロレンス」を見ていたのですぐにわかりました。同作品でアラビアの魂アリを演じたオマル・シャリフですよね。しかし、アラブ人がよくロシア人に化けました。欧米のスペクタクル映画でモンゴル人(例えばジンギス・カン)や中国人(英雄・才人・美女・烈女は目白押し)を演じる日本人俳優が出ることを願って甘い点数をつけようと見る前に決定しましたが、最後まで画面に引き込まれっぱなしでした。この作品はただの不倫の話ではありません。日本が幸か不幸か経験しなかった革命の動乱の時代には価値観が揺れ動き、言葉までが影響を受けます。ロシア語のことは知りませんが、革命期の中国では、旧体制の枠組みの中で親や権力者によって結婚させられた相手のことを太太(タイタイ)とか丈夫(チャンフ)とか呼び、共通の理想を持って一緒に暮らす異性のことを愛人(アイレン)と呼び、「愛人」はまともな「配偶者」の意味、毛沢東などの偉いさんたちはみんな太太と愛人の二本立てでした。それは、是非とは別の事実なのです。この作品ではトーニャはジバゴの「太太」でパーシャはラーラの「丈夫」で、お互い同士が「愛人」です。マイホーム獲得を夫婦共通の目標にする現代日本とは違います。男性が女性にもてる条件には、通常考えられる魅力に加えて「女性の魅力に敏感なこと」と「家庭を築く気があり、また、家庭を大切にすること。」がありますが、オマル・シャリフは理想の男ジバゴをうまく演じていましたね。彼がアカデミー賞にノミネートさえされなかったのは、革命というものがアメリカで理解されなかったのか、それともアラブ人がロシア人を演じるのが変に見えたのか・・・それにしてもオマル・シャリフはよくロシア人に化けました。日本人の俳優からも・・・(←くどい)。 [ビデオ(字幕)] 10点(2005-08-18 23:22:37)(笑:1票) |
10. シラノ・ド・ベルジュラック(1990)
《ネタバレ》 中盤であまりにも笑ったのでこの作品を「コメディー」に分類して、私の個人的な基準である「娯楽系(含、ミュージカル)は8点が満点」を適用して8点にしようと思ったのですが、最後の哀愁、ジェラール・ドパルデューの名演、また、シラノ・ド・ベジュラックが実在の人物で、彼をモデルにしたロスタンの戯曲も古典といっていい作品なので10点を奮発することにしました。とにかく、これぞフランス映画の粋、前の方が書いていらっしゃるようにドパルデューの一世一代の演技を満喫できます。音楽も映像も満点です。いくら醜男でもこれほど屈折しているのは珍しいんじゃないかという気もしますが、そこはオハナシ・・・現実だったらどんな醜男でもいつかは「もういい加減にせーや。彼女は俺の女だ・・・。」と外見役に迫るだろうし、外見だけの男に迫られた女性もよほどのアホでない限りどこかで真実を知るはずだと思いますが、シラノ・ド・ベジュラックが死ぬまで本心を明かさない、しかも外見役が死んでもなおかつ・・・というナンセンスを表現してみせるのが文学や映画の虚構であり、それを「これが本当だったらあほらしい・・。」と観客に思わせながら感情移入させてしまうのが俳優の才能だと思うのです。 [ビデオ(字幕)] 10点(2005-08-01 12:19:43)(良:1票) |
11. 赤ひげ
このストーリーが実話だったら精神分析の創始者はフロイトではなく赤ひげさんだということに医学発展史を書き換えなければいけなくなるでしょう。 10点(2004-06-30 01:47:06) |
12. コールド マウンテン
「銃後の守り」という言葉は平和な今の日本ではほとんど死語になっていますが、戦時下の日本では父、夫、頼りにしていた息子などが戦地に赴いた後、残された女性は男性に頼らずに家事や家業をきりもりするのが美徳とされていました。「女は弱し、されど母は強し。」なんて言葉もあって、ボーボワール流にこの言葉を解釈すれば、「女は男を魅了するためにはか弱くなくてはならないが軍国の妻や母はもちろん強くなくてはならない。」なんていう社会のご都合主義が見え隠れします。だから恋人に「帰ってきて・・・。」と手紙を書き送ったエイダを決して責めることはできないのですが・・・でもやはり、南北戦争というご時世に、特に太平洋戦争と違って地続きの場所で戦っている男にこんな手紙を送るなんて非常識で身勝手もいいところです。女も母も適度に強いのが普通という平和な社会に生まれ育った私としては「こんな時代に生まれなくて良かった・・・。」というのが一番ぴったりな感想です。結末はエイダの弱さに対する決定的な天罰だと私は受け取りました。インマンはどうころんでも脱走兵(=重罪人)としてエイダと幸せに暮らすことなどままならないはずなのに、エイダは「結婚」という甘い夢に最後までしがみつきます。「社会の変動期にどんな人間が生き延び、どんな人間が淘汰されていくのかを描きたかった。」と優雅な生活を捨てられないメラニー/アシュレー夫妻と逞しいスカーレット・オハラ/抜け目ないレット・バトラーを対照的に描いたマーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」と、本作品のテーマは同じながら、スカーレットの二つの面を分けたようなエイダとルビー、とりわけルビーに触発されたエイダの成長ぶり、そして美しい風景が印象的で2時間40分を長いと感じませんでした。 10点(2004-05-30 10:13:10)(良:1票) |
13. 楢山節考(1983)
家を出てから楢山に達するまで無言で息子を励まして行く先を指図するおりんが神域に達した人のようで神々しく見えました。 10点(2004-04-13 03:34:19) |
14. ベン・ハー(1959)
《ネタバレ》 もう一度見たのですが、始めにちゃんと「イエス・キリストの物語」と書いてあるではありませんか。やはり、この作品は魂の救済をテーマとしているのです。復讐を遂げた後の人間というのは人生のバロメーターがマイナスからゼロになったようなもので虚脱感はあっても建設的な人生を築く土台はないわけだし、あれほどの目にあったらベンハーほどの強靭な精神の持ち主でも(といおうか強靭な精神の持ち主だからこそ)心はぼろぼろで「それは不当だ!」と叫んで夜中に飛び起きたりやなんかして(ここまで描写したらサイコホラーかコメディーになりますが)、元に戻るには数十回の治療セッションが必要なはずなのに、イエス・キリストは2回会っただけで治してしまうなんてすごいですね。さもなければベン・ハーはきっと、一生の間メッサラと同様の人間を攻撃し続けるサイコで終わっていましたよ。イエス・キリストはこの物語の頃に「やあやあ我こそは旧約聖書イザヤ書に予言されたる救世主なり・・・。」と言って(自分で言ったのではなくて後世の人が言ったことにして)登場、ユダヤ人達に「わてらの目の黒いうちにユダヤ王国は主権を回復するのかいな?(注:傀儡ユダヤ王国は存在)」と期待させながら「王国は汝等の心の中にあり。」なんて言ったものだから、「そりゃインチキや!」と処刑されてしまい、弟子たちのその後の努力によってその教えが各地に広まった(以上は新約聖書の超ダイジェスト版)そうですが、ユダヤ人の中にもキリストが正真正銘の救世主だと思った人もいたはずで、そういったユダヤ人はユダヤ王国の再興後に官僚になったり政治献金をするあてのない下積みだったと考えられがちです。でもベンハーのように金や実力のあるユダヤ人も結構キリスト教に帰依したのではないでしょうか。何しろ復讐は律法に従って実行すればいいし、金は自分で稼げばいいし、地獄の沙汰は金次第(これは浪速商人は言ってもユダヤ商人は言いそうにない)だけれど、生きているうちに心の平安を得ることは非常にむずかしいからです。従来の医療で直せない心の病を治すために精神分析を始めたユダヤ人医師フロイトのお弟子さんたち、聞いてくれていますか? 10点(2004-03-06 10:03:40)(良:1票) |
15. アマデウス
トム・ハルス演じる世渡りは下手だけれども子供っぽくて純真そのもののモーツアルト、そしてエイブラハムが演じる俗物根性丸出しでモーツアルトの才能に嫉妬する憎らしいおっさんのサリエリ、この二人の対比をネビル・マリナー指揮のモーツアルトの音楽をバックにたっぷりエンジョイしました。他のみなさんのコメントを拝見するとモーツアルトの肩を持つ人、サリエリを支持する人、中立派などに分けられるようです。この作品に限って、見た人それぞれがどの派閥に属するかを人気投票形式で調査してみると面白いでしょうね。私は完全にモーツアルト派で、作中で私に一番近い登場人物はサリエリの音楽のレッスンを受けながら「モーツアルトさんの自作で監督と指揮も自分でやるオペラのオーディションを受けたいんですけれど、どうしたらいいのでしょう?」なんて意味のことを口走り、サリエリの心中が煮えたぎっているのを知っていても知らなくても「だってモーツアルトさんは音楽は素敵だしハンサムだし・・・。(これは私が作ったセリフ)」なんて言ってきゃあきゃあ騒ぐミーハー歌手のカテリーナです。この映画を見てモーツアルトを本当に(そしてミーハー的に)好きになりました。 アカデミー賞主演男優賞に一作品で二人(モーツアルト役とサリエリ役)が揃ってノミネートされるなんて異例だと思うし、サリエリ役の受賞がちょっと皮肉(といおうかあの世にいるサリエリに対するほんの少しばかりの慰め)ですね。 10点(2004-02-23 05:51:09)(良:1票) |
16. アポロ13
太古の昔から人間は手の延長として道具を使い、自然に存在する電気を道具を動かすパワーとして利用する術を習得し、海を航行するために船や潜水艦を作り、空を飛ぶために飛行機を開発しました。なぜこのようなことをわざわざ書くかというと、地球上の他の生物には与えられてない頭脳によって次々といろんな夢を実現していくにもかかわらず人間は神ではないということを肝に銘じる必要があると思うからです。私は宗教とは無縁ですが、飛行機事故で死んだら天国で一番いいところに行けると信じています。飛行機事故はその発生確率の低さもさることながら、人間の技術力の現時点における限界と新たな挑戦の可能性を示してくれるからです。さて、映画の中でトム・ハンクスが演じる主人公はまさか自分の時に限って宇宙船がトラブルを起こすとは考えてもみませんでした。でもNASAの技術力をもってしても予想できなかった事故が発生します。ローマ法王を始めとした全世界からの祈りの声、「これが乗組員が持っている全てだ」と、テーブルの上に船内にあるのと同じ種々雑多な器具などを山積みし、それらの組み合わせによって宇宙船内の二酸化炭素過多を解消する方法を知恵を寄せ集めて考え出した地上スタッフ(エド・ハリスなど)の努力、そして三人の乗組員を含めたすべての関係者の勇気と知恵を神様が認めたのか三人は生還することができました。「はしか感染」の疑いでメンバーからはずされた宇宙飛行士(ゲイリー・シニーズ)が帰還した三人に向かって無線で「Welcome Home!」と呼びかける場面では改めて、地球は60億の人類全員にとって安心して住める家なんだな、と感じさせられます。月着陸の失敗と宇宙飛行士の奇跡的帰還というこのアポロ13号のエピソードは永久に語り継がれるべきです。以後、私たちはさらに二機のスペース・シャトルと十数名に上る宇宙飛行士・科学者を失いましたが、この映画を見て私たち人類の力の限界、そして進歩と挑戦の継続という人類の宿命的課題に改めて厳粛な思いを巡らしてみてはどうでしょう 10点(2004-02-01 13:44:42)(良:5票) |
17. 十二人の怒れる男(1957)
ヘンリー・フォンダが壮年期だった頃のアメリカ、そして今のアメリカや日本でも共通していると思いますが、国選(アメリカでは公選)弁護人がもらえる報酬というのはすごく少ないんだそうです。特に殺人事件なんて任されたらウェイターやったほうが儲かるどころかまともに取り組んで労力と時間を費やしたら最低賃金を割ってしまうほどなんだそうです。ましてや、この映画の被告人のような英語が不自由で貧しいマイノリティーが殺人を犯したら・・・法廷では通訳がついても弁護士にはつかないでしょう。だから、調査はちゃらんぽらん、「物的証拠がない限り推定無罪」なんて刑法適用上の原則もめちゃくちゃにないがしろにされて、「こんなやつは虫けら同然。死んでも自分にとっては痛くも痒くもない。だからこいつを犠牲にして一件落着にしてやろう。」なんて弁護人も証人も思うようになってしまうのです。こんな状況において陪審員が頑張らなければ誰が無実の人を救うんでしょうか?陪審員が何とかしなければ結果は火を見るよりも明らかです。この映画は検察庁(弁護人と異なって給料をもらっている検察官や通訳者がいる)に代表される国家権力と個人が犯罪行為をめぐって対峙した場合における「疑わしきは罰せず」という刑法の大原則、あるいは法治国家の原則を示している教科書です。 なぜ十二人の陪審員が「怒れる男」なのかわかっていただけるでしょうね。 10点(2004-01-27 14:52:51)(良:1票) |
18. 戦場にかける橋
イギリス兵の誇りの象徴、口笛で吹く「クワイ河マーチ」がこの映画で有名になりました。この作品に出演した早川雪舟さんは国際的な映画コンテストでノミネートされた日本人の第一号だそうです。でも、イギリス人将校ニコルソン大佐の協力なしではビルマの辺境地に橋を建設できないことを悟ったときの斎藤大佐の気持ちは男泣きするほどくやしいものなのかな・・・ニコルソン大佐の命令なしではイギリス兵は働かないのが当たり前だと私は思うのですが・・・。武士道の権化のような斎藤大佐がイギリス留学で得た国際性を次第に表わし、さらにニコルソン大佐が「平和になった時にはこの橋を作ったイギリス兵は現地の人に感謝される・・・。」と気持ちを軟化させてイギリス兵たちが追随していくくだりが実にいい。それにしてもアメリカ兵は憎らしい。大岡昇平なんか読む限り、アメリカ軍だけが東南アジア戦線で衣食に困らなかったらしい。なにせパール・ハーバーを別として、本土が全く戦禍にさらされていないわけだから・・・。日本兵ではなくアメリカ兵を残酷で近視眼的な悪役、あるいは「アホ」に描いたこの映画がアメリカのアカデミー賞を7部門で受賞するなんて、アメリカ人は懐が深いのか、それとも戦争が嫌になっていたのか、でなければやはり映画そのもの神通力のせいでしょう。 10点(2004-01-26 14:48:27)(良:2票) |
19. ガンジー
世界一の映画大国といえば・・・言わずとしれたアメリカ・・・ではありません。年間製作本数と観客動員数ではインドが世界のトップだそうです。だから、この映画でエクストラも含め、インド・パキスタン系の俳優が何百人、もしかしたら延べ何千人の規模で登場し、主要な人物全てが打てば響くように好演されているのも何ら不思議ではないはずなのですが、それにしてもこれだけのスケールで多数の登場人物とエクストラがCGなしで撮影・オーガナイズされている背景にはやはりかの非暴力抵抗運動の元祖、マハトハ・ガンジーの足跡を何が何でも映像にしたいという映画人の執念、さらには非暴力を唱えながら暴力に倒れたガンジーがあの世から映画製作を指揮しているかのような鬼気さえ感じないわけにはいきません。 教科書的に鑑賞した箇所も多かったのですが、いかにも青年弁護士でハンサムでかっこよかった若いころのガンジーや「塩を作るキャンペーン」や「国産衣料を着るキャンペーン」など、子供のように思いついたことをすぐに実行に移す姿が印象的てした。ガンジーの希望に反して印パが分離独立した直後、印パ国境付近をイスラム教徒難民が北上、ヒンヅー教徒難民が南下するシーンは悲劇的で圧巻でしたが、パキスタン出身インド在住のヒンヅー教徒の人によると分離独立後、インドはイスラム教徒に対して寛容だったけれど、パキスタンはヒンヅー教徒を容赦なく追い出したそうです。この映画はドキュメンタリーではないのでカンジー翁の遺志にそった脚色が随所にあるのかもしれません。歴史上、「神の下の人間の平等」を説いた宗教家は多数存在しましたが、世界史上最初で最後になるかもしれない「全ての神の平等」を説いた宗教家を力強く描いています。 10点(2004-01-25 08:38:20)(良:2票) |
20. オフィシャル・ストーリー
先進国ながら貧富の差が根強く存在し軍部によるクーデターが繰り返されたアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを舞台に「人間の真実」という普遍的なテーマを主題にしたドラマ。題名には「教科書に書かれていないことが人間の真実なんだ。」という意味が皮肉っぽく込められています。家庭ではかわいいわが子にメロメロの主人公が男子校の教壇に立つとがちがちの女史タイプに変身するのが面白い。でもその態度のせいで茶目っ気のある生徒に「センセ、歴史教えようと思ったら教科書読んでいるだけではだめだよ・・・。」と教えられることになるわけです。政情不安のアルゼンチンでは「暗い過去」はたった数年前の出来事ですが、日本でも60年遡れば原爆やら中国残留孤児などの暗い歴史が存在します。それなのに、映画の中の夫の態度からもわかるように、たった数年前のことであっても私たちには嫌なことからは目をそらそうとしてしまいます。平穏な生活の中で主人公が目をそらしがちな暗い歴史を探り、終に真実に向かい合うまでの過程が淡々と描かれています。子役がとてもかわいいし夫婦を演じた中年の俳優さん二人の抑えた演技がすばらしいです 10点(2004-01-22 11:31:45) |