1. 映画 おそ松さん
《ネタバレ》 まず“前置き‐その1”から。当作品を観たきっかけは「年収103万円の壁に関するニュース」です。このニュースを見て、ふと、細川たかしさんが歌う「♪うちの父ちゃんは~日本一(にっぽんいち)!、残ったローンも日本一!」というフレーズが頭を巡りだしたのです。これは、昭和63(1988)年~平成元(1989)年にフジテレビで放送された【アニメ版おそ松くん:以下、’88アニメ版と表記します】の主題歌の一節です。「そういえば、2年ほど前に【おそ松さん】という映画が公開されたよな…日本テレビ系のバラエティー番組【スクール革命!】で切れ芸を披露し、新たな才能(もしくは素?)を開花させた髙橋ひかるさんがトト子役だったっけ」と思い、当サイトを見ました。しかし「あれ?作品情報にトト子の情報が無いぞ…あっ情報の要望が出来るんだ。初めてだけどやってみよう」と手続き。すると申請完了の画面に『新規要望したものは極力レビュー願います』というメッセージが…。私は若手アイドル主体の映画には不案内ですが、要望を反映していただいたので、年末にDVDをレンタル。その直後「1/2(木)の深夜に、テレビ東京で地上波初放送」と知り困惑しつつも「この偶然は『とにかく見るべし』ということに違いない」と考え直し、【DVD】も【録画した地上波放送】も鑑賞した上で投稿します。 次に“前置き‐その2”です。私にとって“おそ松”とは、上記の’88アニメ版のことです。題名と異なりメインキャラクターはイヤミ(演:肝付健太さん)とチビ太(演:田中真弓さん)であって、おそ松くんたちは狂言回し的な位置づけでした。トト子(演:松井菜桜子さん)も【自分の容姿に自惚れて高慢、欲深くて腹黒い】という性格で印象深く、声優さん達のハイテンションな演技を楽しませてもらっていました。 一方、この実写映画の元ネタであるテレビ東京放送のアニメ【おそ松さん】は、紹介番組を観たきりです。紹介のポイントは【兄弟の各キャラクター性を際立たせており、各人にファンがいる/放送が深夜帯なので、ブラック・シュール・カオスなギャグが炸裂する】といったものでした。トト子は紹介されませんでしたが、上記の内容から、’88アニメ版に準じたキャラだろうと推察していました。 それでは、ようやく本題に入ります。今回、鑑賞したところ、序盤のパチンコ屋の場面で「やり難いよなぁ実写」「そもそも実写でやるような話じゃないし」といった台詞の数々…悪く言えば“言い訳がましい”ですが、おそらく『アニメの実写化にはどうせ無理があるのだから、その無理を逆手にとって“おそ松さんワールド”を展開するので、ご承知おきを』というメッセージだろうな…と好意的に受けとめて観始めたら、トト子登場。予想通りのキャラでひと安心でした。 以降、おそ松さんワールド(脚本担当の土屋亮一さんワールド?)を実写化するために、スタッフ&演者さん達が一致団結!とでもいうようなパワーを堪能させてもらいました。昭和生まれの私としては【煙をあげながらのボカスカ喧嘩】に思わずニンマリ…短いシーンですが、この撮影だけでも、けっこう手間がかかったのでは…と思われます。因みに、私は今回の鑑賞でSnow Manというグループと各メンバー(の名前)を、やっと認識できました。それほど若手アイドルに疎かったのですが…【髪型と服装だけで六つ子を表現する=髪型が変われば、同じ顔には見えなくなり、衣装が変わればキャラも変わる】といった設定の前では、各演者に着目する観点は重要ではなさそうでしたね。むしろ疎かったからこそ、素直に没入できたのかもしれません。 このように個人的には楽しませてもらいましたが…内容上、万人受けは難しく、それこそゴールデンタイムでのTV放送は難しいとも思いました。 他のレビュアーさんもおっしゃる通り、Snow Manが目当ての人は戸惑ってしまうでしょう。それに、もし小学生の子供達が「テレビ東京放送の【ポケモンとどこいく!?】に出ている髙橋ひかるお姉さんが出演しているから」と思って観始めて…「うっせーなお前ら!ヒロイン様に気軽に話しかけてんじゃねーよ!」「クズで童貞のクソニートどもが」といった言動を目の当りにしたら…特に女の子の場合、変に感化されて真似するようになったら、親御さん達は頭を抱えてしまうかもしれません。 その意味で、今回、地上波の初放送が深夜帯だったのは正解ですね。 さて、採点ですが…上記の通り、観る人を限定してしまうものの、アニメの実写化のやり難さを逆手にとった“遊び心”に富んだ演出が心地良く、新年早々から元気をもらえました。当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します…ちょっと褒めすぎかなぁ…。 [DVD(邦画)] 8点(2025-01-12 14:12:25) |
2. 未知との遭遇
《ネタバレ》 【ゴジラ-1.0】の投稿文に『私も山崎監督とは、ほぼ同年代であって【スターウォーズ】や【未知との遭遇】に新鮮さを感じた一人です』と書いたものの、まだ当作品のレビューは未投稿でした。それでは誠意がないと思い、年末年始にBDをレンタル。収録されていた【オリジナル劇場版/特別編/ファイナル・カット版】を一通り鑑賞。それぞれ一長一短があると感じたので、この投稿では1つのバージョンに特定せず“総論”としてお伝えします。 まず“総論”を述べる前に“前置き”から。 小学生当時、クラスメートが持ってきた【UFO・宇宙人の本】や、TVでの【UFO特番】を恐々と見ていた私にとって、粒子の粗いUFOや宇宙人の写真・映像は大変強烈で、夜に布団を被っても『宇宙人にさらわれてしまうのではないか。このように隠れていても、宇宙人の科学力の前では、ばれてしまうのではないか』と眠れなかったものです。 その後、【昭和53(1978)年のお正月映画の宣伝番組】で「現在、アメリカでは、2つのSF映画がヒットしている。日本でも公開予定」と紹介されていたのが【スターウォーズ】と【未知との遭遇】でした。【スターウォーズ】は「往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを、SFの設定で復活させた作品」と説明され、興味がわきましたが…【未知との遭遇】は、①【UFO・宇宙人】ものであり、②私が苦手な“人間が食い殺される映画”の【ジョーズ:1975年】の監督作品ということで、観る気にはなりませんでした。 その後、【宇宙人との友好的な交流を描いた映画】だとわかってきて、中学生のときに劇場公開された【未知との遭遇 - 特別編】を友人達と観に行きました。表向きは「スターウォーズとの違いを比較検討するため」でしたが、内心は『UFOや宇宙人にまつわる恐怖感を克服する』という、自分に課した“通過儀礼”の意味合いが強いものでした。そして当時の感想ですが…ミステリアスな演出はあっても、悲鳴をあげたくなるような恐怖は感じられず、ひと安心。巨大なマザーシップとのコミュニケーションを描いたクライマックスは「現在の日本では、とてもこのような映像は創れない」と感激し、“通過儀礼”を無事に終えることができました。 それでは、ようやくBDを観ての“総論”に入ります。 まず、特殊撮影は…今、観ても素晴らしいと思いました(正確には、初見時の感激が蘇りました。私は、たとえ最新の映像を目の当たりにしても、それとは別に、かつて観た映像は、当時の感情と共に心に留めるタイプのようでして…)。特に“光を使った演出”は、特殊撮影を担当したダグラス・トランブル氏の真骨頂ではないでしょうか。 おそらく現在なら【ドローンで撮影したかのように、カメラが自由自在に動き回るような映像】にするかもしれませんが…当作品の場合は【UFOや宇宙人に遭遇した人々の視点からの映像】ということになりますから、【自由自在に動き回る…】は却って過剰演出になるのでは…と思われます。 一方、ドラマは、ロイの設定が気になりました。【誰が何と言おうとも、自らが感じること・思うところを、とことん突き詰めていく】という要素は良いとしても…それが【家庭を壊す】とイコールでなくてもいいのではないか、他にも別の設定は幾らでもあったろうに…と思ったのです。現在、家庭を持つ私としては、マッシュポテトで山を再現しようとする父親の姿に大粒の涙を流すお兄ちゃんの姿は、中学時代の初見時もそうでしたが、今回、観ていいて一層、痛々しく感じました。 ですから、ロイを例えば【不慮の事故で妻子を亡くした男性】という設定にして…毎晩「あの世界に妻や子供達がいるんだ」と星空を眺めていたら、UFOに遭遇し…周囲からは「奥さんや子供を亡くして、おかしくなってしまったんだ」と同情されたり奇異に見られたりしながらも、山を作り続け…最終的に「これで、妻や子供達のいる世界に行ける…」と旅立っていき、エンドクレジットで「♪星に願いを」が流れる…そんな展開なら、しっくりくるかも…と思ったりしています。 さて、採点ですが…上記の通り、ドラマには気になる所はあるものの…私にとって【UFOや宇宙人への恐怖感】を克服させてくれた思い出深い作品です。【スターウォーズ】と共にSF映画ブームの火付け役となり、ひいては山崎監督の【ゴジラ-1.0】にもつながった影響力も鑑み、先に投稿した【スターウォーズ】と同様、10点を献上させていただきます。 *なお、今回はBDでの鑑賞でしたが…鑑賞環境は【特別編】を観た映画館(字幕)とさせてください。 [映画館(字幕)] 10点(2025-01-12 09:42:29) |
3. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 コロナ禍以来、元々身体が弱いのに加え、基礎疾患がある身内と暮らしているため、映画館に足を運ぶのをためらっていたら、【シン・ウルトラマン】も【シン・仮面ライダー】も見損ねてしまい…しかし【シン・ゴジラ】を当サイトに投稿していたこともあり、当作品は、意を決して映画館で観ました。GW前の4月中旬、夕方の上映であり、お客さんはまばらで一安心。ただ、その後【ゴジラ:1954年‐以下、オリジナル版と表記します】のDVDをレンタル・鑑賞してから投稿したので、随分、遅くなりました。 まず、ドラマは、私も“山崎節”全開で「ちょっとくどいかな」と思ったものの【一見するとゴジラらしからぬ物語だが、台詞がストレートで演出も“お約束”に則っており、わかりやすい/主役や脇役に、NHKの朝ドラや大河ドラマに出演した役者が揃っている】という要素は、ひょっとすると、ゴジラ映画に興味が無い、或いは、子供向けと敬遠していた人達を引込む、言換えれば、鑑賞者の裾野を広げる可能性があるのでは…という印象を受けました。それこそ、地上波で放送されたとき「何か面白い番組やってないかな」とチャンネルを回した人が、途中から当作品を観て「あっ神木隆之介君と浜辺美波ちゃんだ。終戦直後のドラマなのかな。らんまんの朝ドラコンビ、いい味を出してるねぇ…え?これってゴジラ映画なの?!“普通”に観られるじゃないか」といった反響があればな…と思ったりしています。もっとも、本当にそのような反響があったら「その“普通”って何?。怪獣映画への偏ったイメージの裏返しでは?」という気持ちがわいちゃいそうですが…。 また、アメリカでも受け入れられたのは【オッペンハイマー:2023年】との兼合いは、勿論あるでしょう。ただし、もしかすると「自分だけが生き残ってしまった…」といった自問自答で苦しむ主人公の姿が、ベトナム戦争や湾岸戦争等からの帰還兵の方々の負った心の傷と通じるものがあり、共感を得たのでは…とも思ったりしております。 次に、音楽は、皆様のおっしゃる通り、伊福部サウンドが流れると「これこそゴジラ映画だ!」と私もワクワクしました。特に、銀座の場面では【モスラ対ゴジラ:1964年】、海神作戦では【キングコング対ゴジラ:1962年】のメロディーが印象的でした。 最後に特殊撮影については、私も山崎監督とほぼ同年代であって【スターウォーズ】や【未知との遭遇】に新鮮さを感じた一人です。あくまで素人の立場ですが、特殊撮影に興味を持ち、その変遷を観てきた者として、アカデミー特殊効果賞の受賞には素直に「おめでとう」と言わせていただきます。 ところで、アメリカ作品に比べ「製作費が15億円以下で低予算」が受賞の要因の一つらしいですが…「15億円」とは、日本映画としては大作の部類であろうし、それに私には一生稼げない金額でもあり、個人的には「低予算」とは言いたくないなぁ…。 もし「低予算」と言うにしても、私は「金をかければいい」というものでもないと思っています。若い世代の方々にはピンとこないかもしれませんが、レイ・ハリーハウゼン氏が生み出した“ダイナメーション”と呼称される特殊撮影による作品群だって、けっして予算に恵まれたものではありませんでした。それにもかかわらず、それらの作品群は、ジョージ・ルーカス氏やジェームズ・キャメロン氏らに多大な影響を与え、少なからず現在のハリウッドの特殊撮影の隆盛にも…そのようなつながりを考えると、いずれ「日本のゴジラ-1.0に感激して、この道に入りました」というフィルムメーカーが現れる…かもしれません。 さて、採点ですが…私のゴジラ映画の初見(TV放送)は【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年/怪獣大戦争:1965年)】という、思いっきり“娯楽路線”に入ってからの作品でしたが…【オリジナル版】に連なる“シリアス路線”の作品は、ゴジラ映画の原点として支持させていただきます。なお、正直、私も【ゴジラが再生する兆しが…/再会した典子に黒い痣が…】というラストは無くてもいいかな…とは思いましたが、“怪獣映画のお約束”として割りきり、減点しないでおきます。山崎監督と白組の努力・歩みの結実であり、かつ、【シン・ゴジラ】を乗り越えて新作を生み出したパワーに敬意を表し、10点を献上します。 *オリジナル版も、この投稿を機に加筆しております。 *令和6(2024)年11月4日(月) 追記:初稿では音楽について『今回は【モスラ対ゴジラ:1964年】のメロディーが効果的に使われており、波のような音楽のリズムと、海を舞台にした場面とが、見事にシンクロしている印象を受けました』と書きましたが…11/1(金)の地上波放送を観て記憶違いとわかり、本文を修正しました。 [映画館(邦画)] 10点(2024-11-04 17:31:29)(良:3票) |
4. ゴジラ(1954)
《ネタバレ》 シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。 当作品を観たのは、GODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。原子怪獣現わる(1953年)を観た後でした。『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』というストーリーラインこそ、前年発表の米映画『原子怪獣現わる』をなぞったものだとは思ったものの、「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。 ただし、その後に、私はビデオで怪獣王ゴジラ(1956年)という作品も観ました。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】という海外向けの再編集版であり、1作目のメッセージ性を見事に削ぎ落としていました。後年、ある本で海外の書評を読みましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面に複雑な気持ちになったものです。GODZILLA(1998年)が公開された当時も「1作目と比べてどうか」という評論はたくさんありましたが【日本人が語る1作目】と【アメリカの人々が語る1作目】では、かなりの温度差があると言っていいのではないかと思いました。 さて、採点ですが…当作品の優れた点は、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私がここで繰り返すまでもないかと思います。日本が生み出した傑作として文句なく10点を献上します。 *令和6(2024)年8月4日(日) 追記 【ゴジラ-1.0】の鑑賞を機に、当作品もDVDをレンタルして観直しました。あらためて、ドラマの映像・演出からは“人々の生活感や温もり”が伝わってくる思いがしました。漁村の場面は勿論、山根博士の自宅の様子も(博士の部屋は、いかにも“研究者の書斎然”としていますが…)、畳を基調とした居間の描写は質素で、いわゆる「庶民とかけ離れた生活をしている」という印象は受けませんでした。このように人々の生活に根差した描写を積み重ねたからこそ、ゴジラがもたらした災害による悲惨さが際立ち、かつ、「オキシジェン・デストロイヤーを、命を奪う兵器として為政者に利用されたくない」と、ゴジラと命運を共にする芹沢博士の姿に説得力を持たせたのではないか…と思われます。もちろん実写の映像自体は、撮影を担当した玉井正夫氏のお力によるものかもしれませんが、本多猪四郎監督に確固たるポリシーが無ければ、こうはならなかったでしょう。あらためて本多監督の誠実な姿勢に敬意を表します。 特殊撮影については、“現在の視点”で観ればチープに映っても仕方ないかもしれませんが…少なくとも私は“当時の現場の人達の試行錯誤に思いを巡らせながら観るという視点”に立つので、「よくぞ、これだけの映像を…」と、円谷英二氏をはじめとするスタッフの皆さんに敬意を表さずにはいられません。 いずれにせよ、原子怪獣現わる(1953年)が元ネタになっているとはいえ、【それに便乗し『その場限りで儲かればいい』と考えて安易に作られた手抜きだらけの作品】ではないことは確かでしょう。 以上、【ゴジラ-1.0】の鑑賞を機に、私は、当作品の偉大さを再認識できました。広島・長崎に原爆が落とされた8月6日・9日に近い日の投稿ということもあり、「唯一の被爆国であり、戦争によって深く傷ついた日本だからこそ生み出すことができた」という当作品の重みを胸に、投稿を締め括らせていただきます。 [ビデオ(邦画)] 10点(2024-08-05 21:14:21)(良:2票) |
5. Little DJ 小さな恋の物語
《ネタバレ》 R5(2023)年5月の上旬、何となくTVのチャンネルボタンを押していたときに、たまたま某ローカル局で放送されていたのが当作品。ちょうど、主人公二人がバスに乗って出かけるところでした。 「神木隆之介君が、まだ少年じゃないか!女の子は福田麻由子ちゃんだよね…TVシリーズの【女王の教室:2005年】では、志田未来ちゃんより麻由子ちゃんのほうが、自分にとっては印象に残ったんだよな…その後、麻由子ちゃんはTVシリーズの【白夜行‐TV版:2006年】で、綾瀬はるかさんの少女時代を演じていたっけ…」と懐かしい思いが沸いたのが第一印象。 次にTVの番組表の紹介を読んだら、いわゆる“難病もの”とわかり、襟を正して二人の行く末を見守りました。けっして目新しい題材ではなかったものの、短い生涯を懸命に生きた男の子とその憧れの女の子、そして男の子のご両親、病院スタッフ、患者さん達…というように、周りの人々の姿をも誠実に描いた作品として感じ入りました。 中途半端に観ただけでは作品に対して失礼と思い、あらためてDVDをレンタルして鑑賞、投稿させていただきました。 観直したところ、自身の思春期を振り返りつつ“親目線”で感情移入している自分に気づかされました。 特に、患者さんのお一人である結城さんとその息子の周平君を交えったエピソードでは、自分の少年時代を思い出し、以下のように自戒しちゃいました。「反抗期の頃は、自分もずいぶん、両親にひどい態度をとったよな…周平君のような、ちょっと年上のお兄さんから『レコードを買ってきてくれるなんて、いいお父さんじゃないか。邪険にするな』と、こんなふうに諭されたら、ハッとして、もっと早く素直になれたかも…」。 その太郎君の父親については、息子に反抗されて「親に向かってその態度はなんだ!」と高圧的に言い返してそれっきりこじれてしまう父子関係だって現実にはあるわけなので…ちゃんと自分の態度を改めた、このお父さんはやはり『いいお父さん』さんだと思います。 また、たまきちゃんに渡せなかった太郎君の手紙に目を通したときの“同じ男だからこそわかる息子の純情”に男泣きするシーンは、観直してみて、私も父親として涙しました。 それだけに、成長したたまきちゃんが、太郎君宅を訪問するシーンでは、お母さんだけでなく、お父さんにも登場してほしかったですね。 以上、父子関係に絞って書かせていただきましたが、母子関係も同様に“物語の中で描かれるもの”としては、いずれも“ありがち”なパターンであって、他のレビュアーさん達もおっしゃるようにステレオタイプなのかもしれません。しかし、その“ありがちさ”とは、観方を変えれば“親となった身であれば、誰しも同じような態度をとるであろう”という普遍的なものを、石黒賢さんと西田尚美さんが誠実に演じておられたのでは…と私は思っています。 このように親目線で観るかどうかは別として…白血病が以前に比べれば治療法が進んでいるとはいえ、現在でも、難病を抱えて奮闘しているお子さんやそのご両親は、けっして少なくはないでしょう。こうした作品は、もっと多くの人達に観てもらえたらと思います。 それなのに6月に入って、当作品に出演していた某役者さんがマスコミで“お騒がせ状態”になってしまい、観てもらえる機会が遠退いてしまったようで残念です。上述した某ローカル局での放送が5月上旬で、観ることができた私は幸運だったのかもしれません。 さて、採点ですが…目新しい題材ではないものの、かといって“既視感の打破をめざした作品”というわけでもないでしょう。私としては“命の尊さについて誠実に描いた佳作”ということで、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。 ~備考~ 近い将来、“お騒がせ”のほとぼりが冷めて、再び、多くの人達に観てもらえるよう願うばかりです。 ところで、ふと思ったのですが…当作品がロードショー公開されてから今年で16年。一方、劇中のたまきちゃんが大人になって、この物語を回想するのは、少女時代から15年後という設定…現在の福田麻由子さんの実年齢とほぼ合致します。いっそ、これを機に、大人の場面は、福田麻由子さんに演じ直してもらって差し替えてもいいのでは…そうすれば、再び、皆さんに観てもらえるようになるのでは…と思った次第です。ただし、後年に手直しされる大作映画の類の作品とは異なるので、それは無理なんでしょうけど…。 いずれにせよ、私にとっては、このまま埋もれさせたくない作品です。 [地上波(邦画)] 8点(2023-09-23 18:53:41) |
6. ジャイアント・ウーマン
《ネタバレ》 レンタルDVDで【妖怪巨大女:1958年‐以下、オリジナル版と表記します】を観た後、このリメイク版も取り寄せ可能と知り、引き続き鑑賞しました。 元々、オリジナル版の存在は、少年時代に読んだSF雑誌で知っていました。その解説文は「浮気した夫を、巨大化した妻が追いかけてくる…恐ろしいと言えば恐ろしいが…」という意味深なものでした。 そして、実際に観たオリジナル版は、ドラマ自体は真面目なものの、特殊撮影の“質”があまりにも低いために、作り手の皆さんが意図していないシーンで笑いを触発してしまう残念な仕上がりになっていました。 さて、当作品は…予想外に(失礼…)リメイクとしては良く出来ている印象を受けました。 まず【夫は、主人公の財産を我がものにしようとする/主人公はUFOとの接触を機に巨大化する】といった大筋や「女性を撃つのは抵抗が…」「ハリー(夫)は、やっとナンシー(主人公)のものに」といった台詞が継承されています。しかも、クライマックスにおいてドライブインシアターで上映されていたのは、オリジナル版であり、粋な計らいだと思いました。 登場人物も、主人公のナンシー・アーチャーを始め、概ね、同じ名前で登場します。違いは、①オリジナル版で主人公を守ろうと尽力する執事‐ジェスの代わりに、父親のコブが配されている、②精神科医のクッシングと保安官助手のチャーリーは女性、ということです。 ①により【自信が無い主人公の性格の背景には、強権的な父親の影響があること】を示唆していると私は感じました。また、②により【クッシング医師:専門家として独立して生活している/チャーリー:女の子らしく育ってほしいという親の願いとは裏腹に保安官をめざしている】というように、主人公とは異なる女性像を提示することで、このリメイク版ならではのテーマを強調しているようでした。 そのため、父親や夫へ初めて本音をぶつけた主人公が、気持ちの高ぶりと共に巨大化する場面(父親と夫はたじろぎ、クッシング医師は微笑む)に対し、私は痛快な気持ちに!しかもオリジナル版と異なりコミカルな演出を加味しているので、良い意味で笑うこともできました。この場面に限らず、オリジナル版を鑑み【真面目に演出しても笑われてしまう】のを予測し、敢えて笑えるようにしたかのような印象を受けるところが多々あり、その意味でも上手にリメイクしているな…と思いました。 特殊撮影もきちんとしています。オリジナル版のような【合成された人物に対し、背景が透けて見える】は皆無です。 また、巨大化してラストまで約40分ありますが、その大半は、主人公と関係者との会話にあてられています。そして同じフレーム内にしろ、交互にカット割りで表現するにしろ、会話する者どうし、互いに視線が合うよう配慮してあります。これは本編(ドラマ)班と特殊撮影班とが綿密に打ち合わせた賜物でしょう。 これらのことは“当たり前”かもしれませんが…オリジナル版では、それがやれていなかったわけで…ある種“当たり前”が如何に大事かを再認識できました。 もっとも、全面的に肯定できるわけでもありません。オリジナル版自体、SF作品としては非常にアバウトで、UFOが主人公に近づいた理由も、主人公が巨大化した理由も、説得力ある説明がなされているとは、到底、言えないものでした。リメイク版も同様であり「そういうところは継承しなくてもいいのに」と残念に思います。 勿論、製作にも携わったダリル・ハンナさんを始め、作り手の皆さんが伝えたかったのは【SFとしての緻密さ】ではなく【男の従属物ではない、自立した女性像や新たな女性の生き方】と思われるので、さほど重要ではなかったのかもしれません。 なお、当作品が発表されて今年で30年経つわけですが…作品に反映されている女性に対する世相が、現在はすっかり過去のものになったかというと…まだ、そうとは言えない印象を受けます。そのため当作品のテーマは、目新しさは無いものの、現在でも十分通じるのでは…と思われます。 さて、採点ですが…リメイク作品の佳作として、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品=8点】に…いや、実のところ「あまりにも出来の悪い(失礼…)オリジナル版との比較で、好印象になっているだけでは…」という面は否めず1点減。また、楽しめるかどうかは【女性が巨大化する設定自体を、陳腐と感じてしまう気持ちを乗り越えられるか】にかかっていると思います。そのハードルは、巨大化した主人公の身長を遥かに超えるほど高く「誰にでもお勧めできるわけではないよなぁ…」という意味でも1点を減じ、6点とさせていただきます。それでも高得点すぎ?… [DVD(字幕)] 6点(2023-09-15 23:21:15)(良:1票) |
7. 妖怪巨大女
《ネタバレ》 【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】【続・光る眼/宇宙空間の恐怖:1963年】【光る眼:1995年】…と【光る眼シリーズ?三作品】の投稿をして以来、諸事情で1年強、経ってしまいました…このままでは、今年は未投稿になりそうだったので、頑張って投稿します。 実は、当作品は“昨年の7月=上記三作品とほぼ同時期”に観ていました。厳密に言うと、まず、某レンタル店で【妖怪…】が目に入ったのが最初です。そのとき、以前は取り寄せ不能だった【未知空間の恐怖/光る眼】と【続・光る眼/宇宙空間の恐怖】のことを思い出したのです。【光る眼】と【妖怪…】は公開年が近いと知っていたので、念のため調べ直したら、取り寄せが再開されていると判明。そこで1995年版も含めた【光る眼シリーズ三作品】をレンタル。一通り観て投稿してから、当作品を観たのでした。さて、結果は… 当作品の出来は、↓の【なにわ君】がおっしゃっている通りです。 ストーリー自体はいたって真面目です。本編(ドラマ)で笑える要素は、本来、コメディーリリーフとして登場している保安官助手‐チャーリーの言動だけのはずですが…特殊撮影の“質”があまりにも低いために、作り手の皆さんが意図していないシーンで笑いが触発されてしまう…そんな仕上がりになっているのです。 私が印象に残ったのは、巨大化した主人公(の手)を見て看護師さんが悲鳴をあげる場面です。迫真の演技ではあるのですが、否、真に迫っているからこそ、おそらく、現在、マニアの方々が集まる上映会では、この場面で大爆笑が巻き起こるんだろうなぁ…と想像しました。 以下、特殊撮影の“質”について、合成場面に絞り、私なりに真面目に解説してみます。 合成場面の大半はフィルムの2重露光のようです。着陸して動かないボール状の宇宙船では、背景の荒れ地に対して明るく合成することで、背景が透けるのをカバーしているとわかります。しかし巨大宇宙人や巨大化した主人公という“動く被写体”では、明るく合成しただけでは限界があり、どうしても背景が透けてしまっています。 透けるのを防ぐには【①:トラベリングマット(被写体と同じ輪郭を持ち、被写体とシンクロするように動くシルエット)を、背景に重ねて未露光状態にしたフィルム】に対し【②:人物の被写体だけの映像】を焼き付ける、といった必要がありますが、それをしていない。そもそもトラベリングマットを作るには【人物を、無地の背景のスタジオで別撮りし、光学処理をする】もしくは【一コマ一コマ手書きする:これはこれで大変です】といった方法があるのですが…そういった予算も時間も無かったのでしょう。なお“浮気した夫を握りしめたまま絶命している主人公に、町の人々が集まるラストシーン”では、主人公が動かないので、ステーショナリーマット(被写体と同じ輪郭を持っていて、かつ、動きのない固定されたシルエット)を使っているらしく、透けずに済んでいます。 …と、この合成の解説を読んで、果たして若いレビュアーさんはピンと来るでしょうか?。スッと頭に入るレビュアーさんは、おそらく相応に年配で、しかもフィルム合成に興味があった人達に限られることでしょう。因みに、上記の“無地の背景のスタジオ”で使う背景の色は、かつては青色(俗にいうブルーバック)が主流でしたが、現在の映画・TV・CMの舞台裏を紹介する映像を見ると緑色が多くなっているようですね。合成はトラベリングマットを作るまでもなく“デジタル処理”で済むようになっており、隔世の感があります。 見方を変えれば、一口に「合成」といっても、フィルムによる光学合成は、お気軽な技術ではなかったことが垣間見える貴重な作品と言える…かもしれません。 また、ネイザン・ジュラン監督を始めとするスタッフの皆さん達の「この予算と時間で作ること自体、無理があったんだ~」といった苦悩に満ちた声が聞こえてきそうな気もします。 それでも本国ではヒットし、現在でもカルト的な人気があり、日本でも字幕付きでDVDがレンタルされるくらいですから、ある意味、すごい作品と言えるかもしれません。これでスタッフの皆さんの苦労も報われた…のかなぁ?… さて、採点ですが…お世辞にも良作とは言えませんが、長年の夢だった【未知空間の恐怖/光る眼】を観るきっかけをつくってくれた作品です。その感謝を込めて1点プラス。また、上記の“見方を変えれば”で述べたことも、一応、意義があると言えなくもないので、おまけとして1点プラス、計2点を献上します。 *ダリル・ハンナさん主演のリメイク「ジャイアント・ウーマン」も、取り寄せできたので、別途、鑑賞・投稿しています。 *【光る眼シリーズ三作品】も、別途、投稿しています。 [DVD(字幕)] 2点(2023-09-15 23:12:13) |
8. 続・光る眼/宇宙空間の恐怖
《ネタバレ》 今から約4年前の2018年3月31日(土)の深夜(厳密には4月1日(日)の早朝)、たまたま放送していたリメイク版(1995年)を(途中から)観たのを機に「まず1作目(1960年)を観てから、あらためてリメイク版を観てみよう」と決意。このたび、ようやく1作目とこの続編がカップリングされたDVDをレンタル店から取り寄せて鑑賞。 なお「続編とはいっても、設定の一部(眼が光るなど)を転用しているだけで、全く別の物語」ということは、以前読んだSF雑誌で知っていました。さて、観た結果は… 日本未公開ですが、その理由は、当時の日本の状況と映画の内容に由来するものではないか…と思いました。 当時の日本は、まだ戦後から20年に満たず、人々の多く(私の両親も含め)は「もう二度と、戦争に巻き込まれたくない。子ども達を戦争に巻き込みたくない」といった願いを、生々しく、切に抱いていた時代です。 それに対し当作品は【優秀な子ども達を、他国より優位に立つための殺戮兵器を開発する道具として無理やり連れて行こうとする。『他国に奪われるぐらいなら殺してしまおう』という思惑もひしめき合う】【結局、子ども達は全員、軍隊によって命を奪われる】という物語です。 そのため、日本の配給会社の人々から「子ども達の扱いがあまりにも、むごすぎる」といった声があがったのではないか…と推察しています。 以下、あらためて内容に言及します。 主人公の男の子は、母親から「あんたなんて、産んだ時に殺しておけばよかった」と罵声を浴びせられ、お偉方からは上記のように【戦争の道具】として扱われます。しかも、理解者であったはずの遺伝学者でさえ、人間とは異なる種(という疑い)がかかった途端に「彼らに支配されるぐらいなら、今のうちに抹殺すべきだ」と態度を急変させ…というように、結局、子ども達の味方はごく少数でした。 おそらく産まれたときから異端者として冷たい視線を浴びせられ続けてきたであろう子ども達の眼差しはよどんでおり、深い悲しみをたたえている印象を受けました。 そして、ラストは…本当にちっぽけで些細なアクシデントによって、それまでの緊張の糸が切れて軍隊による戦闘が勃発してしまい、上官が慌てて中止の指令を出しても現場の暴走は止まらず、全てが台無しになってしまう…つなぎ合った手だけが瓦礫から露わになった子ども達の亡骸は「信じ合おう・助け合おう」と手を取り合って努力しながらも無残に命を奪われてしまう市井の人々の無念さをも象徴しているように私は感じました。また、アクシデントのきっかけになったマイナスドライバーのアップに対しては【人間のコントロールの及ばない、本当につまらない偶然で、取り返しのつかないことになりうる】といったことを連想しました。 このようなわけで、1作目とは全く趣が異なる印象を受け「この映画って、当時の冷戦や核兵器による全面戦争の危機を風刺したものなのでは…」と、大変、重苦しいものが残りました。 後で副音声のコメンタリーを聞いたところ、当作品の脚本を手掛けたジョン・ブライリー氏が解説しており「冷戦についての寓話として考えた」という趣旨で語っておられました。 ただし、1作目と共通しているところもあります。全体が淡々としていて【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな映像】が無いという点です。そのため、人によっては1作目と同様「これのどこがホラーなの?」といった感想を抱いたとしても不思議ではないかな…と思われます。 もっとも上記のように、作り手さん達は【寓話・風刺劇】として製作したわけですから、少なくとも私には十分、心に響くものがありました。 個人的には、鑑賞したタイミングが、このご時世だけに、絵空事とは割りきれず「冷戦は過去のものになったとはいえ、現在の国際情勢を踏まえると、テーマは古びておらず、むしろ危機感は強まっているのではないか…」「全面戦争とはいかないまでも、些細なアクシデントや行き違いによって戦闘が始まってしまい、なかなか停戦や休戦にならないケースが、現在でも少なからず存在するのではないか。報道されていないだけで…」といったことが、頭を巡りました。 さて、採点ですが…現在の心境では【風刺映画】として10点にしたいところですが、①メッセージ性が強い作品のため、観る人によって好き嫌いがハッキリ分かれそうなこと、②ラストが強烈とはいえ、全体としての出来は佳作レベルと思われること、という2つの点を減じ、1作目と同様、8点とさせていただきます。 *1作目である【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】は、別途、レビューを投稿しています。 [DVD(字幕)] 8点(2022-06-21 21:13:31) |
9. 光る眼
《ネタバレ》 今から約4年前の2018年3月31日(土)の深夜(厳密には4月1日(日)の早朝)、たまたま早起きし、テレビ東京をつけたら放送していたのが当作品でした。オリジナル版(1960年)は、少年時代に読んだSF雑誌で、存在だけは知っていましたが、リメイクされているとは知りませんでした。しかも観始めたのは、マーク・ハミルさんが演じる人物(ジョージ牧師)が子ども達によって命を落とす場面で…ということで中途半端さは否めませんでした。 そこで「まずオリジナル版を観てから、あらためてこのリメイク版を観てみよう」と思ったら…当時、オリジナル版はレンタル店で取り寄せ不能になっており、市販もされておらず(廃盤と確認)、諦めていました。 幸い、最近になって取り寄せ再開を知り、リメイク版のDVDもレンタルして鑑賞。しかも6月13日(月)の昼過ぎに再びテレビ東京でリメイク版が放送されるとわかり、録画して再鑑賞。 こうして、リメイクだけでもDVD字幕版・DVD吹替え版・テレビ東京吹替え版の3種類を観る結果に。三者三様に日本語訳が違うだけでなく、二つの吹替え版は声の配役に加えて演出のニュアンスも異なっており、興味深かったです。 このように紆余曲折を経て、やっと投稿させていただきます。 元々オリジナル版が好きということもあり、それほど悪い印象は受けませんでした。 感心したのは、オリジナル版の物語の骨骼は変えずに、脚色やオリジナルエピードを追加した点です。また【心に築いた“レンガの壁”による主人公と子ども達との攻防】などオリジナル版を尊重しながら再現している場面も散見し、好感が持てました。 それに、ごく一部を除き【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな場面】が無いこともオリジナル版と共通しており、こうした場面が苦手な私には観やすかったです。 ただし【眼の発光】の演出には違和感がありました。 オリジナル版の場合、光り方は淡々としていて【静かな不気味さ】とでもいう雰囲気がありました。一方、当作品の場合、パワーを強調しようとしたのか?、光り方や効果音が派手で、どことなく軽い印象を受けたのです。 これは、ひょっとするとカーペンター監督なりの【子ども達の正体に関する解釈】が関係するのかもしれません。 オリジナル版では、子ども達が何者だったのか判明しないまま幕を閉じます。一方、当作品では、死産の赤ん坊の標本を通じて【宇宙から来たエイリアン】が正体だと示唆しています。それで眼の光は【超能力光線】としてパワフルに演出したのかもしれません。 しかし、赤ん坊の姿かたちは、良く言えばわかりやすいのですが…悪く言えばステレオタイプ化された宇宙人のフォルムそのもの。目の肥えた観客さんなら「安易だ」「同じカーペンター監督の【遊星からの物体X:1982年】のように、不定形にすればよかったのに」「オリジナル版は、正体が不明だったからこそ、観る者の想像力をかき立ててプラスだったと思うのに…何でもハッキリさせれば良いというものではない」など、不評要素の一つになってしまったのかも…と思ったりしました。 ただし、カーペンター監督の脚色は【感情の大切さ】をオリジナル版以上に強調し「異種族との関係は、支配‐被支配か、それとも共生か」という内容にも踏み込んでいます。これらは日本でも、ファミリー向けのヒーローものなら【王道】と呼べるものでは…と思われます。 そのため、もし「もう自分達はお子様じゃない。怖い映画も観てみたい」と思うようになった少年・少女向けに【わかりやすくて描写がソフトな、ホラー映画の入門編】として作ったのなら…眼の光や赤ん坊の標本は十分、不気味と思われます。ましてや黒焦げの亡骸にはドキッとするでしょう。ラストに対しても「理解し合ってハッピーエンドになると思ったのに」「それじゃあファミリー映画だよ。お子様向けじゃないからこそ、こういう最後でいいのさ」といった意見を交わし合う…といったこともあり得るのでは…と想像したりしました。 なお、監督の製作意図は未確認です。もし一般向けに作ったのなら…ちょっと…ね…。 さて、採点ですが…ホラー映画ファンの皆さんで、特に上述の【遊星からの物体X】に感激した方々には、期待外れこの上ないかと…ただし、推測通り【入門編】だとしら、まずまずの出来だと思います。クリストファー・リーブさんがお元気だったときの最後の主演映画ということもあり、大甘ですが、オリジナル版同様、8点とさせていただきます。因みに鑑賞環境は、当作品との出会いともなった【地上波(吹替)】ということで… *オリジナル版である【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】は、別途、レビューを投稿しています。 [地上波(吹替)] 8点(2022-06-20 20:14:36) |
10. 未知空間の恐怖 光る眼
《ネタバレ》 当作品については、少年時代に読んだSF雑誌で、存在だけは知っていました。そして今から約4年前の深夜、たまたまTVをつけたら放送していたのがリメイク版(1995年)。リメイクされたことも知らず、かつ、途中から観たので中途半端さも否めず、「オリジナル版を観てから、あらためてリメイク版を観てみよう」と思ったのですが…当時、このオリジナル版はレンタル店で取り寄せ不能で、市販もされていませんでした(廃盤と確認)。 幸い、最近になって取り寄せ再開を知り、レンタルして鑑賞した次第です。さて、結果は… イギリスの小さな村が舞台ですが、学者夫婦が住んでいて、その妻の兄は軍人という設定。ちょっと都合が良すぎる気もしましたが、この設定のおかけで【村の緊急事態に、即座に軍が調査を開始する/夫であるゴードン博士は、ロンドンでの有識者会議に参加し、科学的な論議をする】というように、ローカルな中にもグローバルな視野で物語が展開するのは上手いな、と思いました。 原題は『Village of the Damned = 呪われた村】ですが、邦題を『光る眼』にしたのは正解ですね。何といっても【光る眼でジーッと相手を見つめ、ジワジワと操る場面】が印象的です。しかも大袈裟でなく淡々と…この場面に限らず、作品全体が淡々としており【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな映像/血が飛び散る映像】は皆無です。こうした場面が苦手な私には観やすかったですし、【知的な面に訴える怖さ・不気味さ】とでもいうような効果を生みだしていると思います。 もちろん、この特徴により、人によっては「これのどこがホラーなの?」といった感想を抱いたとしても不思議ではないかもしれません。しかし【生理面に訴える怖さ・気持ち悪さ】が全てではなく、様々な表現があっていいのでは…と思っています。また【日常に、理解不能な現象が生じるという設定のSF作品】の場合、少なからず“不安・怯え・不気味”といった要素が含まれてくるのではないでしょうか。そのため、むしろ、ホラーという言葉を脇に置いて鑑賞したほうが、当作品の魅力が伝わりやすくなるかも…と思ったりしております。 なお、公開当時、【村に忍び寄る脅威】は【冷戦下での○○主義】を示唆していたようですが、これに限定しなくても、各人で様々な事象に重ねて観ることが可能では…と思われます。 私の場合、彼らは宇宙から飛来した“それ自体では生命体として機能できない何か”であって、地球人の細胞(卵子)に入り込む必要があった…要はウィルスに近いニュアンスを感じたのです。ウィルスと異なるのは【細胞内で増殖する】のではなく【一個体として成熟し、生殖する必要がある】という点ですが…それでもラストシーンを観ると【肉体を失って、再び、“何か”だけが宇宙へ…】という印象を受けました。 以上は、現在の世相に重ねた私の(こじつけがましい)観方に過ぎませんが…いずれにせよ、劇中で子ども達が何者だったのか、明らかにされなかったわけですから、時代を越えて様々な解釈・想像を膨らませる幅の広さがあるのでは…と私は考えます。 因みに、デイビッドをはじめとする子ども達は、終始、無表情かと思ったら…映画の開始49分後の【授業の場面】で、ゴードン博士に対し「質問したいんでしょ?」と、皆で悪戯っぽく微笑みます。その言葉を受け、博士が核心?をついた質問すると、一同、困ったような表情でうつむきます。こうした表情は、その後の展開に活かされてはいませんが「あの子たちは、博士には親しみを持っていたようだし…何かしら住み分けるなどして笑顔で締め括れなかったのかな…」と一抹の寂しさを感じたりもしました。 最後に、これは余談ですが…子ども達が幼児の段階で、その能力(知能が高いだけでなく、一人が覚えたことを、他の子ども達も共有できる)を検証する場面があります。そのときに使われる東洋のカラクリ箱は、【神奈川県・箱根の特産物である寄木細工の秘密箱】に似ている印象を受けました。そのため「ひょっとして海外向けに輸出された箱が、巡り巡ってイギリス映画の小道具に?」と想像し、妙に親近感がわきました。本筋とは関係ない感想ですけどね…。 さて、採点ですが…トータルな出来は佳作レベルかもしれませんが【日常に忍び寄る脅威を、淡々と描写したSF映画の古典】として相応しい作品だと思います。当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。 *リメイク版【光る眼:1995年】は、別途、レビューを投稿しています。 [DVD(字幕)] 8点(2022-06-19 18:51:02) |
11. 雨に唄えば
《ネタバレ》 数か月前に某ローカルTV局で放送されたのを機に投稿しようと思ったのですが…諸事情が重なり、気がつけば年末に…今さらですが、ようやく投稿させていただきます。 私が当作品に出会ったのは、小学校低学年の頃のTV放送時。両親が「いい映画だから」と勧めてくれて一緒に観ました。私にとって初めて観た【往年のハリウッド映画の名作】です。 当時のブラウン管のカラーテレビの画面はとても小さいものでしたが、映像は色鮮やかで、音楽には温かみがあり、楽しい歌やタップダンスと共に展開される物語は、とても新鮮でした。何故なら、それまで私がTVのCMや街頭ポスターで目にしていたアメリカ映画といえば、人間が食べられたり、悲鳴をあげて命を奪われたり…というパニック・ホラー・オカルトものばかりだったからです。「昔のアメリカ映画って、こんなに素晴らしかったんだ!」と子供心に感激したものです。 一方、同じ郷里で少年・少女時代に地元の映画館(その地域ではとても立派な施設だったとか…)で当作品を観た両親にとっても、大変、懐かしかったようです。なお、両親によると「キャシーがスターになってから、皆で歌い踊るミュージカルシーンがあったはずなんだけど…カットされている。TV放送だから仕方ないかな…」と残念がっていました。 その後、高校生の頃にTVで観たときは深夜帯の放送。当時、ビデオレコーダーは無く、両親は眠っていたので一人で鑑賞しました。 前振りで「以前のTV放送ではカットされていたシーンを、今回はお見せします!」という解説があってからスタート。それが【ブロードウェー・メロディー】の場面でした。本筋とは独立したものであって確かにカットしても支障が無いものでしたが…大がかりで熱のこもったシーンであることは伝わってきましたし「ストーリーを追うだけが全てではなく、歌と踊りを前面に出して魅せる。これもミュージカル映画の在り方の一つだろう」と好意的に受けとめました。 ただし、上述の両親の解説は明らかに記憶違いだということもわかりました。当時、私は思春期で両親に反発することが多々あったものの、さすがに二人の思い出を傷つけてはいけないと思い、翌朝になっても「小さい頃に観たときと同じで素晴らしかったよ」と伝えるに留め、違いの指摘はやめておきました。 あれから何十年経ったでしょう…これまでにもビデオやDVDで何度か観てきましたが、幼い頃に観た感激が色褪せることはありません。 特に今回のTV放送(字幕)では「Nothing can keep us apart, our love will last 'til the stars turn cold」という台詞のアフレコのキャシーの声が、実はリナ役のジーン・ヘイゲンさんの本当の声である、という予備知識のもとに鑑賞。これまでビデオやDVDで聞いていたはずでしたが、知識のおかげであらためて「ああ!こういう声だったのか!」と再認識できたことに感激しました。 同時に「公開当時は、感情移入したお客さんから『キャシーを苛める悪声女優』と勘違いされ、キャリアに傷をつけるリスクも予想されただろうに…よくこの役を引き受けたものだ」と、ジーン・ヘイゲンさんへの敬意も沸いてきました。否、新人だったわけではないから「あのジーン・ヘイゲンが、こんな裏声を出して面白い役を!」と、今でいうところの“ギャップ萌え”でファンを増やした…かもしれません。 さて、採点ですが…まず、鑑賞環境は今回のローカル局放送に則って地上波(字幕)とさせていただきます。上述の通り、思い出深い作品のため、減点はしたくないですね…。 敢えて批評的なことに言及するなら…当作品の設定は、初のトーキー映画“ジャズシンガー”が発表された1927年頃=公開当時の約25年前の時代であり、当時のアメリカの人達には昔懐かしいレトロな風俗を再現した物語だったはずです。このようにもともと【昔懐かしい=心地良い古さ】を醸し出しているからこそ、現在に至るまで【時代を越えて愛される普遍性】を獲得したと言えるのではないか…と思ったりしております。もし1950年代当時の最先端のファッションで見せる作品だったなら、時代と共に急速に“流行遅れ”など悪い意味で古びて見づらくなり、忘れ去られていたかもしれません…。 ちょっとこじつけがましいかもしれませんが、そうした普遍性もあり(無いかもしれませんが(笑)…)、当サイトの採点基準である【傑作中の傑作】として10点を献上させていただきます。少なくとも私にとっては、これからもずっと【昔懐かしい作品】であり続けることでしょう。 [地上波(字幕)] 10点(2021-12-30 09:33:06)(良:1票) |
12. デューン/砂の惑星(1984)
《ネタバレ》 当作品は、私にとって【日本テレビ放送版:昭和63(1988)年6月10日、金曜ロードショーにて】に馴染みがあります。以下、“日テレ版”と呼称し、その吹替えでの言葉を引用して書かせていただきます。 実は、日本で劇場公開された昭和60(1985)年当時、私は事前にSF雑誌を読んで「設定が複雑でわかり難そう」と敬遠してしまったのです。 約3年後、日テレ版を鑑賞。当時は我が家にもビデオレコーダーがあったので、録画もしました。すると「初めて観る視聴者に配慮してくれている」と感心しました。 まず、映画評論家の水野晴郎さんが、皇帝・アトレイデス家・ハルコーネン家の関係を、イラストで説明してくれた上でスタート。 本編では、イルーラン姫が語り手となって展開しますが、TV放送用として、台詞の無い場面に姫のナレーションを追加した箇所がありました(録画を観直した際、二か国語の主音声・副音声を聞き比べて確認しました)。一例として、ナビゲーター達一行が皇帝に会いに来た場面での「当時、宇宙空間の輸送を全て司っていたスペースギルドの力は、皇帝をも凌ぐものがありました。突然のギルドの訪問に宮廷は緊張していました」が挙げられます。 さらに【TVでの映画放送の慣例】として、各キャラクターが最初に登場するとき【ポール・アトレイデス - カイル・マクラクラン】というように【役名 - 役者名】のテロップが出るのも、人物を把握する上でプラスだと思いました。 このように、ごく大雑把ながら、設定などを理解できたおかげで【無念の死を遂げた父の仇討ちという、定石に則った物語】として楽しめました。 あれから30余年…当サイトで、当作品及びヴィルヌーヴ版のレビューを拝読するうちに、頭の中で当作品のテーマ曲が巡るようになり、かきたてられるように押し入れへ…埋もれていたビデオを発掘できました。 こうして日テレ版を再見。しかも勢いでDVD(劇場公開版)もレンタルして観比べたところ、やはり、わかりやすかったです。 特に放送用にカットしたドラマ部分(正味10分+α)は、大勢に影響がない箇所ばかりでした。日テレ版を作成したスタッフさん達に、あらためて敬意を表します。 敢えて言うなら、30余年前に観たときも感じましたが…フェイドとラバンの最初の登場シーンにおける「ハルコーネン男爵の甥にして後継者のフェイドは、冷酷無比な性格で権謀術数を好む若者でした。クイザッツ・ハデラックを善の超人とするなら、フェイドこそまさに悪の超人。ポール・アトレイデスの宿命のライバルです」という“追加ナレーション”は、その後の展開と照し合せると、残念ながら的外れかと…。 以下、作品自体にもう少し言及すると… まず、ブライアン・イーノ氏によるテーマ曲は、シンプルなメロディーの繰返しで印象深く、私は好きです。おかげで上記のようにビデオも発掘できましたし…(笑)。 クラシカルな味わいのある美術も独特で、特にハルコーネン男爵の描写に象徴される“グチャッ、ジュルジュルッ”と形容できそうな演出は、観る人によって好みが分かれそうです。 しかしグロテスクな演出ばかりでなく、ポール達が皇帝軍に勝利したとき【妹のアリアが酔いしれるような表情を浮かべる姿】は、ごく一瞬の映像ですが、リンチ監督の美的センスが光っていたと思います(この映像については、他のレビュアーさんも言及して下さっています)。 なお、スティルスーツが黒なのは、砂漠を背景にしたとき、人物が映えるよう意図したのかもしれませんが…“水分の濾過装置と熱交換システム”が備わっているはずもなく、砂漠のロケでは、灼熱の太陽光を吸収し、役者さん達は大変だったと思います。実際、日テレ版では水野晴郎さんも「連日40度という暑さ続きで(中略)皆さん、バタバタバタバタ倒れてしまったんだそうですね」と解説しています。そのため私は「たとえ失敗作と評されようとも、とにかく完成できたことは、過酷なロケの苦労が報われたと言えるのでは…」と考えたいです。 さて、採点ですが…まず、鑑賞環境は地上波(吹替)とさせていただきます。「日テレ版がポピュラーになり得たなら、日本ではもっと親しまれていたかも」と思いつつ、①確かに劇場公開版はわかり難い、②独白やナレーションなど言葉での説明が多く、特に後半は急ぎ足で、全体的に総集編的…という【2つの点】は、私も否定しません。 しかし個人的には「膨大な情報量の原作でありながら、よくぞ、公開にまでこぎつけた」「当作品があればこそ、TVドラマ版(2000・03年)、ひいてはヴィルヌーヴ版へとつながったのでは…」と思うのです。そのため、上記【2つの点】のみを差引き、大甘とは思いますが8点を献上させて下さい。 [地上波(吹替)] 8点(2021-12-06 21:24:01)(良:1票) |
13. スパルタカス(1960)
《ネタバレ》 「2020年2月5日にカーク・ダグラス氏が103歳で亡くなった」とニュースで知ったのを機に投稿します。 最初に…当作品を“キューブリック監督が作った映画”として観ると、↓の【恥部@研さん】がおっしゃる通り、肩透かしになるので要注意だと思います。かつて私は某新聞で「映画は誰が作るかと質問をすると、日本人は“監督”と答えるが、アメリカ人は“プロデューサー”と答える。これは映画作りのシステムに関する認識の違いだろう」という記事を読んだことがあります。その意味で当作品は↓の【S&Sさん】もおっしゃる通り、製作総指揮兼主役のカーク・ダグラス氏(及び脚本のダルトン・トランボ氏)が作った映画だと思います。現在、ディスク化されている【修復・完全版】が製作されたきっかけも「カーク・ダグラス氏を祝うパーティーで上映されたフィルムの状態が、ひどかったら」という文面を、完全版収録のレーザーディスク(今や大昔?の光メディア)の解説で読みました。 このように【キューブリック色】は、ほぼ皆無と言わざるをえませんが【正統派のスペクタクル史劇】としてなら観やすい作品では…と思います。 以下、【正統派のスペクタクル史劇】という視点でお伝えします。 私が初めて当作品を観たのは40数年前の高校生のとき、年末のTVの深夜放送(吹替え版)でした。当時はビデオレコーダーが無かったのでタイムリーに観ましたが、最後まで引込まれました。アレックス・ノースの音楽も、テーマ曲などは現代音楽的、愛のテーマはメロディーが明確で流麗な響きがあり…と多彩で、私には新鮮でした。事前にサントラの本で「作曲に1年以上を要した」と読んでおり、納得したものです。 そして当時、私が一番、印象に残ったのは、↓の【ヨアキムさん】と同じで、「スパルタカスを差し出せば命を助けてやる」というクラッサスに対し「俺がスパルタカスだ!」と、仲間達が次々に立ち上がるシーンでした。私は「現実にはあり得ない。我が身大事さにスパルタカスを突き出すはず」と考えつつも「この映画には『人間は信頼し合い助け合う素晴らしい存在なのだ。そう信じたい』という願いが込められているのだろう」という熱い思いが残りました。 その後、社会人になり、修復・完全版が映画館で上映されたので観直すと「画質も音質も、まるで新作だ」と感激しました。赤狩りを背景に製作されたことも知っていたので、高校時代の直感は当たらずとも遠からじと再認識し、上記の熱い思いが一層、高まりました。そして現在…DVDで何度観直しても、その思いは変わりません。 このように私は当作品を【スパルタカスの反乱という史実を素材に、人間の良識を謳いあげた映画】と思っています。一見、理想主義的で青臭いようですが…赤狩りで人間の醜さに打ちのめされても、それでも人間性を信じる人々が核になり作り上げた点に説得力があると思います。ベン・ハー(1959年)と違い宗教臭くない点も、日本人には観やすいのでは…とも思います。また、負けたとはいえ次世代へ希望がつながるラストも、後のブレイブハート(1995年)に通じるものがあり、ブレイブハートが好きな方々にはお勧めかな…と思われます。 ただし、スパルタカス(奴隷側)とクラッサス(ローマ側)の場面が交互に切替わり、しかもローマの場面は政治も絡んでくるので、人によっては没頭し難く、鑑賞時間が長く感じられるかも…と思ったりもします。私の場合、吹替え版が初見だったのが幸いしたのかもしれません。 さて、採点ですが…【鑑賞環境】は修復・完全版を観た【映画館】とし、カーク・ダグラス氏やダルトン・トランボ氏を始めとする作り手の皆さんの切なる願いを、大作として具現化したパワーに敬意を表し、10点を献上します。キューブリック監督は不本意でしょうけど…。そして最後に、あらためてカーク・ダグラス氏のご冥福をお祈りいたします。 ~備考~ *令和3(2021)年8月18日(水)に修正。以前は“連載中”という文面だったので… 当作品の制作エピソードは、漫画誌ビックコミックオリジナルで連載された【赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD:2017~2021年】で紹介されています。奇しくもカーク・ダグラス氏が亡くなった日と同日=2020年2月5日の発行号は、封切りの場面が描かれていました。↓の【アンドレ・タカシさん】もおっしゃる通り、現在ではフツーに観られる当作品も、当時はフツーに制作できなかった社会情勢が垣間見えます。漫画としての脚色があるにせよ、読んでから映画を観ると【フツーならざる味わい】があるかもしれません。もっとも、漫画以前に【トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男:2015年】を観れば事足りるかもしれませんが…。 [映画館(字幕)] 10点(2021-08-19 05:21:52) |
14. ファンタスティック・プラネット
《ネタバレ》 私が当作品を知ったのは中学生のとき。スターウォーズ(1977年)を発端に出版されたSF雑誌に、日本未公開作品として紹介されていました。私は「このような独特の絵が動くのを観てみたい。日本のアニメのように、セル画に起こして原画とは違う質感になるのかな?でも、一般受けしそうな絵じゃないから日本公開は無理か…」と思いました。その雑誌にはアニメートに関する技術は解説されていなかったのです。 あれから約40年…皆さんのレビューの拝読を機に、とっくに日本でもTV放送され、DVDも販売…と知りました。レンタル店に行ったら、あっけなく見つかり、早速、鑑賞。 さて結果は…目に焼き付いていた独創的な絵が、質感そのままに動くことに感激しました。他のレビュアーさん達が解説して下さっていますが、切り絵による表現だそうで…おそらく、当時の日本で製作しようにも「こんな手間暇のかかる技術では、採算がとれない」とボツになったことでしょう。否、絵柄自体でボツですね、きっと…。 しかも10分程度の実験映像ではなく、長編劇映画として完成できたことは、お国柄が違うとはいえ、ルネ・ラルー監督にとって作家冥利に尽きるのでは…とも思いました。また、作家性が強い作品の場合、ストーリーが難解のものがありますが、当作品はストーリー(あらすじ)がわかりやすいぶん、私は映像のイマジネーションの世界に浸れました。 そもそも当作品の独自性は、文字情報でも表現可能な【ストーリー性】よりも【絵柄=映像/音=BGMや効果音】によるところが大きく、まさに映像作品ならではと思われます。原作は未読ですが、もしドラーグ人を始めとする惑星イガムの様相が【原作通り=文字情報が基】だとしても、それを視覚化し得たことは、やはり価値があると言えるのではないでしょうか。 敢えてストーリーの物足りなさに言及するなら…テールを育てたティバの存在が、テールが家から逃げた後、それっきりになったことです。リメイクしたら、ラストで再登場するなど締め括りに重要な役割を担いそうですが…リメイクはしないですね、きっと… なお、他のレビュアーさん達から「気持ち悪い」といった感想が多く寄せられていますが…実のところ、ルネ・ラルー監督ら作り手の皆さんも、観客の皆さんが「気持ち悪い」と感じるよう、めざしていたように思えます。 それを示唆していると感じたのは、映画の開始後、約13分頃に登場する【シン知事ら4名の瞑想の場面】です。知事達の身体が歪んでいく様子を目撃した主人公・テールは、口元を押さえ、あたかも“オエッ”と嫌悪感を露わにしている印象を受けました。このことから「作り手の皆さんは意図的に、気持ち悪い場面にしようと考えて表現したのでは…」と私も思ったわけです。他の場面についても、大なり小なり、同様だったのでは…と推察します。 ひょっとすると「私たち地球人が気持ち悪いと感じるものこそ、ドラーグ人やイガムに住む人間達は美しいと感じるはず…と想像しながらデザインしました」といった趣旨のインタビュー記事が、どこかにありそうな気もします。仮に「テールが、シン知事たちの瞑想を“オエッ”と気持ち悪がっている場面がありますけど…」と突っ込んでも「あのときのテールはまだ幼く、初めてのものを見て驚いただけ」と言われちゃいそうです。いや、ちょっと考え過ぎ?… それにしても、私にとって当作品は【記憶の片隅にあった、遠い異国の幻の映画】でした。上述の通りレンタル店であっけなくDVDを発見したときは「当作品の情報から隔絶されていた自分の生活環境って何なんだ?陸の孤島か?」と思いましたが…思春期のときに観たらドキドキしそうなアダルトな絵も多かったので、“歳を重ねた現在”での鑑賞で、ちょうど良かったかもしれません。 いずれにせよ、当サイトが無ければ、私は、一生、観ず仕舞いだったことでしょう。ありがとう、シネマレビュー! さて、採点ですが…いつもなら「万人受けしない点を差し引き…」としますが、他のレビュアーさんもおっしゃっている通り【唯一無二の作品】だと思いますし、少年時代の夢が叶ったという思い入れも加味し、大甘かもしれませんが、10点とさせていただきます。 ~備考~ 余計なお節介かもしれませんが、当作品をご覧になるか検討している方々へ。もし可能なら、事前にDVDなどのパッケージやインターネットに掲載されている絵(静止画像)をご覧いただき「この絵が動くなんて、想像しただけで気持ち悪い」と感じた方は、観ないほうがいいのでは…と思います。せっかく観てもトラウマになるのでは、心身の健康に良くないと思いますので…もっとも「気持ち悪い」と思っても、つい観たくなるのが当作品の特徴(魅力?)なら、それまでですが… [DVD(字幕)] 10点(2021-07-30 21:40:17)(良:1票) |
15. 天国に行けないパパ
《ネタバレ》 私が当作品を知ったのは、まだ社会人になりたての頃、一人暮らし先にあったビデオレンタル店にて。パッケージの説明を読んで興味をそそられたものの、他にお目当ての作品があったのでレンタルを後回しにしていたら、店頭から姿が消えてそれっきりになっていました。 あれから約20余年。↓の【なたねさん】の投稿を機に「ああ!そういえば、そういう作品ってあった!」と思い出しました。「31年前の作品なので、置いていないだろうなぁ」とダメもとでレンタル店に行ったら…なんと!すぐ見つかりました。「自分が知らなかっただけで、実はコメディ作品としては不朽の名作なのかも」と感激し、早速、レンタルして鑑賞しました。 さて、結果は…良い意味で予想と異なる作風であり、これは名作だ!と感動しました。 まず、オープニングは、コミカルな音楽と共に幕を開けるのかと思ったら、「Short Time」という題名と共に、残り僅かな命を示唆するかのように、カチッ・カチッ…と時を刻む時計と、重々しい音楽が奏でられ…本編が始まると、残虐性は控えているものの極めて正攻法のポリスアクションが展開。悪党集団スターク一味を追跡した警官二人は爆死してしまって…ちょっとショックでしたが「真面目にしっかりと作っているんだな」と好印象。 バートを演じるダブニー・コールマンさんも、少なくとも私から観て、ズッコケるようなコミカルな演技はしておらず、【自分が亡き後の、幼い息子・ダギー、そして別れた奥さん・キャロラインの身を案じて奮闘する年配の男性】を、誠実に演じている印象を受けました。 そのため【当人が真面目であればあるほど、それに戸惑う周囲の人々のリアクションに対し、真相を知っている私達・観客の笑いを誘う】という演出なのだろうと、私は理解しました。そうは言っても、相棒のアーニーも、上述のキャロラインも、バートの変わりように戸惑いこそすれ、私から見て、さほどコミカルな演技をしている印象は受けませんでした。明らかにコミカルな演技をしているのは【出世欲の塊で嫌味なダン/TVドラマを見ている警官達】などごく少数。 むしろ「コメディだからって、変に茶化したり、手を抜いたりしないぞ」とでもいうような作り手の皆さんの心意気が伝わってくる思いがしました。 他のレビュアーさん達もおっしゃるように【ラッツ兄弟を追うカーアクション】は「いくらカーチェイスがお家芸のアメリカ映画とはいえ、コメディなんだから、ここまで本格的なアクションにしなくったって、いいんじゃないの?!」というほどの迫力。 次の【時限爆弾と共に人質を取って店に立てこもった男:この俳優さんの演技も、人生に絶望して切羽詰まった表情が、真に迫っていて上手い!】に対しても、当初こそ、バートが下着姿で臨む姿は、笑いを誘うものでしたが…店に入った後は「成長した子供達の姿を見たいだろう?」と説得に入ります。人生を見つめ直した年配者だからこそ語ることのできる、実感のこもった味わい深い言葉に満ちており、感動的な解決に至ります。そのため、その直後の爆発シーンは『感動モードになっちゃいましたね。スイマセン。コメディモードへ、リセットしまーす!』とでもいうような、グレッグ・チャンピオン監督の照れ隠しのように、私は感じました。このあたりは、ジョン・ブルメンタールさん及びマイケル・ベリーさんによる【脚本の妙】ということでもあるかな…と思われます。 その脚本について言えば、今回の騒動の発端になったバスの運転手さんに対しても、最後にけっして貶めることなく、素敵な言葉を添えています。その言葉については、これ以上、ネタバレにするのもどうかと思うので明記しませんが、このあたりにも良心的な配慮がなされていると感じました。 実は、私自身、歳と共に身体にガタが来まして…入院・手術をした経験もあるものですから「もし、自分も病気の発見が遅れて、手遅れだったら…」と思うと他人事ではなく、そのぶん、つい、真面目に観てしまったという面もあります。しかし、社会人になりたての頃でなく、この歳になって観ることが出来て、むしろ良かったかな…と思います。このタイミングで観る機会を与えてくれたシネマレビューよ、ありがとう! さて、採点ですが…上述の通り、変に茶化したりせず、俳優さんと作り手の皆さんが一丸となって真剣に創りあげた作品だと思います。単純に笑って楽しむも良し、私のように自分と主人公を重ねて観るも良し…と観る人によって見方や感じ方が異なりそう、という意味で厚みがあり、“その場限りのお笑いで終始する作品”とは一線を画しているとも思います。コメディの名作として、採点基準の「傑作中の傑作」に則り、10点を献上させていただきます。 [DVD(字幕)] 10点(2021-07-24 22:29:04)(良:1票) |
16. スター・トレック2/カーンの逆襲
《ネタバレ》 この映画は、製作総指揮が、TVシリーズの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏から、手際よくこなすヒットメーカーのハーヴ・ベネット氏に交代しました。既に「本来のスタートレックらしさを取り戻した作品」として、ファンから不動の評価を得ています。しかし「以下のような話もあり得たかも…」と個人的に思っているので、お伝えしておきます。 私が一番、引っかかっているのは、TVエピソードの結末を壊している点です。TVエピソードの原題は「Space Seed=宇宙の種」と言います。カーンはラストで、惑星セテイ・アルファ・Ⅴへの追放を前に「私は星を手に入れることを望んでいた。立派な帝国を築いてみせる」と誇り高く宣言して去っていきました。カークとスポックはカーン達の入植を「宇宙の種」に見立て「今日、蒔いた種が、どんな実を結ぶことになるか、いずれ訪問しよう」という明るい未来への展望をもって幕を閉じました。したがって当映画も「優性人間達のその後の動向を再調査するため、惑星を訪れた」という設定でも十分、話は成立したのでは…と思われます。それなのに、映画では「隣の惑星が爆発して不毛の土地になってしまった」だったのです。蒔いた種を根こそぎにしたように私は感じてしまったのです。 こうした変更は、製作の実権がベネット氏に変わったことが一因かな…と思ったりしています。もしロッデンベリー氏なら【カーンは、当時の屈辱をカークに吐露し衝突しながらも、惑星に訪れた危機に対し協働で乗り越え…】といった和解へつながるコンセプトの物語にしたのでは…と思ったりしています。 ただし、製作当時は、ソ連との冷戦を背景に、レーガン大統領により「強いアメリカ」が標榜され、映画界にも少なからず反映されていた時期でした。そのためか?最初のレギュラー陣による映画版(1~6作目)のうち「アーミー色が強い作品」とも言われています。したがって、仮に上記のようなコンセプト案があったとしても、当時は作り難かったのかもしれません。こうしたコンセプトの映画は、冷戦終結を背景にしたスタートレックⅥ(1991年)で実現することになります。まさに「映画は時代を映す鏡」と思われます。 さて、採点ですが…私自身、スポックが亡くなる場面に涙したものの、上記の【引っかかっている部分】を差し引き、ファンの皆さんには申し訳ありませんが、9点とさせていただきます。 令和3(2021)年6月13日(日)追記:↑の【鱗歌さん】のレビューを拝読してみて、公開当時の映画館での思い出が甦りました。それは、寄生生物が耳から出てくるシーンに場内がザワつき、映画が終わった後も「あの虫が気持ち悪かったね」という感想が飛び交ったことです。【鱗歌さん】のおっしゃる『小技も(というかむしろ小技の方が)効いてます』は、まさに言い得て妙だと感じました。なお、当時、スタートレックといえば、TVシリーズのTOSと映画版1作目のみの時代。場内の「気持ち悪い」を耳にして、当時の私は内心『そもそも、TVのSpace Seedの設定を壊している感じがするだけでも腑に落ちないのに…スタートレックは、気持ち悪さを売りにする作品ではなかったはずなんだけど…こういう路線変更って嫌だな…』と寂しく思ったものでした。当時を思い出して何だか減点したくなってきましたが…とりあえず9点のままにしておきます。 *追記を機に、改行や段落が不自然だったので修正してあります [映画館(字幕)] 9点(2021-06-13 14:42:53)(良:2票) |
17. D.N.A.
《ネタバレ》 【ドクター・モロ―の島:1977年-以下、77年版と表記します】の投稿を機に、興味がわいたのでDVDをレンタルし初鑑賞。さて結果は… まず、マーロン・ブランドさん扮するモロ―博士の白塗り&サングラス姿には、当初「科学者というより教祖様のよう…」と違和感がありました。ただ、宗教絡みの台詞もあったので、教祖という印象もあながち的外れではなさそう…と割りきりました。 次に、【獣人】達については、特殊メイクが【77年版】に比べ進歩したかどうか以上に、その人数に感心しました。メイクスタッフさん達は、かなりの大所帯だったろうと推察します。CG(モーション・キャプチャ)での表現が主流の現在の映画界では、これほど大規模な特殊メイクの実践は、もはやあり得ないだろう…と一抹の寂しさを感じました。 ただ、モロ―博士の亡き後、ハイエナ一派とアザゼロが権力を手中に収めんとするシーンは「長い…【77年版】には、こんな場面は無かったじゃないか」が本音でした。何故なら、銃を乱射し、破壊の限りを尽くし、ニヤニヤしながら相手の命を奪う…という一連の場面は、アメリカ映画における【犯罪者集団の典型的な描写】という印象を受けたからです。こうした描写が好きでない私には、大変、苦痛でした。 一応、ラストに「時折、暗たんたる思いになる。それは、世の人間の中に、あの獣人たちの影を見出す時だ」というエドワードのナレーションと共に、現実の記録映像が流れます。これも【77年版】には無かったものであり「なるほど。博士亡き後のシーンは、これを伝えるために必要だったんだ」とわかりました。しかし「現代社会に警鐘を鳴らすラストだ」と響くには至らず…何故なら、ナレーションとは逆に、私は上述の通り「ハイエナ一派やアザゼロという獣人たちに、人間の影(犯罪者集団と同様の邪悪な面)を見た」からです。もともと、博士が研究の目的について「人間の心に巣食う邪悪な遺伝子の要素を破壊し、完全なる無垢な(純粋で心が美しく争いを知らない)生物を創ること」という趣旨のことを述べているため、なおさら、そのように感じたのかもしれません。 勿論、ここで言う“影を見出す”とは、厳密には“片鱗を見る”という意味合いなのでしょうが、それでも獣人たち全員がハイエナ一派やアザゼロと同様だったわけではありません。「獣人たち」と一般化するなら、長老、アサシモン、マジャイ、ムリン、ヒロインのアイッサも、ハイエナ達のように振る舞わなければ、ナレーションとの整合性が取れないのでは…と思うのです。 鑑賞後、図書館で原作(橋本槇矩訳,1993年,岩波文庫)を借りて読んでみました。すると、訳語は異なっていましたが、ラストのナレーションの言葉は【物語の要】だとわかりました。同時に、上記の【無垢←→邪悪】を意識した研究の目的と、それに対応する【善良なアイッサ/邪悪なアザゼロ/博士亡き後のハイエナ一派の行動】は、この映画の脚色ということも確認しました。しかし繰返しになりますが、ナレーションが原作のままでは整合性が取れておらず【練り込み不足】という印象を否めません。 一方、【77年版】は“獣人たちの影”に関するものを削除するなど原作を大幅に脚色しているとわかりましたが、むしろ、そのことで「まとまりがあり、わかりやすくなっている」と再認識しました。脚色に関しては、↓の【鱗歌さん】がおっしゃる通り、当作品は「半端に原作を大事にすると大惨事になるという例」と言えるかもしれません。 別途、仕入れた情報では、マーロン・ブランドさんやヴァル・キルマーさんが、現場を相当、混乱させていたそうで…【練り込み不足】は、それが影響したからかも…と思ったりしました。 一方、【77年版】は、現場のチームワークがしっかりしていたのでは…と推察しています。そうでなければ【77年版】のオリジナルである【本物の猛獣と獣人達との生身のアクションシーン】は成功しなかったでしょう。逆に言えば、もし、同じ場面を当作品で実践したら…現場のギクシャクさが、一層の大惨事を招いていた…かもしれません。 さて、採点ですが…投稿の前は「色々と理屈を並べたけど、結局、少年時代から馴染みのある【77年版】のほうが好き、と述べているだけで、辛口の評価は申し訳ないかな…」と思ったのですが、他のレビュアーさん達も低評価が多いので安心しました(笑)。率直な印象だと4点ですが、混乱した現場を仕切らざるをえなかったであろうジョン・フランケンハイマー監督の気苦労に思いを馳せて+1点、スタン・ウィンストンさん率いるメイクスタッフさん達への敬意を表して+1点、計6点とさせていただきます。 *【ドクター・モロ―の島:1977年】は、別途、レビューを投稿しています [DVD(字幕)] 6点(2021-06-13 13:11:55) |
18. ドクター・モローの島
《ネタバレ》 私にとって当作品と出会いは、公開前に夕刊に大きく掲載された広告です。正確な文面は忘れましたが【ラストが売り】と強調していました。怖い映画が苦手な少年だった私は、劇場に足を運ばず…その後、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、毎年のようにTV放映されたので、恐々とチャンネルを切替えながら、何回か、というより何年か(笑)に分けて鑑賞。ラストは、私が想像していた血みどろで暴力的な場面ではなく「なるほど…」と冷静に受けとめることが出来ましたが、その後、ジワ~と響いてきて…確かに強烈な場面として心に残りました。 それだけに、皆さんのレビューの拝読を機に、別途、調べてみて「ラストは、日本公開のバッドエンド版とアメリカ公開のハッピーエンド版の2種類あり、DVDにはアメリカ公開版しか収録されていない」と知り、衝撃を受けました。「あのラストあっての作品でしょうよ!ハッピーなんて全てをぶち壊す改悪であって、ある意味バッドエンドじゃないの?この目で確かめねば…」と勢いづき、レンタル店でDVDを取り寄せ、鑑賞した次第です。さて、結果は… まず、全体の印象について。もともと少年時代に感じていて今回の再見であらためて思ったのは「異形のクリーチャーが登場するので、一応は“恐怖・ホラー映画”なのだろうけど…むしろ、当時のSF映画で主流だった“警告もの”に該当する作品では…」ということです。↓の【アンドレ・タカシさん】がおっしゃっている【警鐘を鳴らしている映画】とほぼ同じ意味合いかな…と思われます。 年配のレビュアーさん達ならご存知と思いますが、スターウォーズ(1977年)の公開以前の1960年代後半から70年代のSF映画は、猿の惑星(1968年)やウエストワールド(1973年)のように『科学の進歩は、一歩、間違えば、このような恐ろしい状況を招きかねない』といったメッセージ性のある“警告もの”が主流でした。当作品に随所に見られる【不安を醸し出す演出】は、それらの作品群に通ずるものであって【ドキッと悲鳴をあげそうになる恐怖・ホラー映画の演出】とは、質が異なる印象を受けたのです。 また、バート・ランカスターさん演じるモロ―博士も、怪奇じみた不気味な人物ではなく、知的で落着いた人物として登場します。研究の目的は「遺伝子を人間が操作する…その利点を考えたまえ。病から解放され…その可能性は無限だ」と、字面(字幕)だけを見ると、他の科学者の方々でも言いそうな内容です。それだけに、倫理を度外視して知的好奇心を最優先する展開の“普通でなさ”が際立ち、これは【SF的な怖さ】だと感じました。そして、博士が好奇心(実験)を優先するあまり、"彼ら"に課していた掟を自ら破ってしまい、自滅する結末には【一歩、間違えた科学が辿る末路】としての説得力を感じました。 今回の再見を機に調べてみると、1970年代は【生命倫理学】が提唱され話題になっていたと知りました。H.G.ウェルズが原作小説を発表した19世紀末とは違った意味で、当作品の製作はタイムリーだったのかもしれません。【真摯なメッセージ性のある作品】と判断したからこそ、バート・ランカスターさんも出演されたのでは…と思ったりもしました。 次に、猛獣と“彼ら”とのアクションについて。他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、素晴らしいですね。少年時代の感想は「皆、死んでしまった…掟を語っていたリーダーも…」という悲しみが主でしたが、今回の再見では「CGが無い中、ドン・テイラー監督を始めとする作り手の皆さんの、入念な打合せとチームワークがあればこそ成功したシーンでは!」と感じ入りました。 最後に、ラストについて。主人公・アンドリューは喜んでいるものの、ヒロイン・マリアの表情は明るくなかったので【ぶち壊し】というほどの印象は受けませんでした。 むしろ、マリアの目や口は腫れぼったいような異様な様相で…ひょっとすると 【アンドリューは元に戻ったが、実はマリアも“元”に戻り始めている暗示】と言えなくもありません。だとしたら「ハッピーエンド版も作れ」という上役の指示に対する、ドン・テイラー監督なりの『本当はバッドなんだ。誰か気づいてくれ』という抵抗だった…のかもしれません。 いずれにせよ、バッドエンド版の復刻を願ってやみません。 さて、採点ですが…現在では“彼ら”の特殊メイクが、ヴィジュアル的にネックになってしまうようですが、それさえ割りきれば【生命科学における倫理/苦痛や罰だけで押さえつける秩序の危うさ】という、いまだに今日的な問題を投げかける作品だと思います。バッドエンド版を念頭に、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。 [DVD(字幕)] 8点(2021-06-12 17:28:32) |
19. モスラ対ゴジラ
《ネタバレ》 元々、私が当作品を観たのは小学校のときに1回だけでした。【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】と【怪獣大戦争:1965年】は、フジテレビで夏休みの夕方にしょっちゅう放送されていた一方、当作品は、日本テレビの日曜の夕方に放送されたのを観たきりだったのです。 また、私にとって【モスラ:1961年】こそ、初めて(TVで)観た【東宝の怪獣映画】であり「あの大好きなモスラが死んでしまう映画だから…」と再見を敬遠していた面もありました。 しかし最近、当作品はかつての東京オリンピック(昭和39(1964)年10月開催)の間近である4月29日に公開されたと気付きました。「だからなに?」という気はしたものの、せっかくなので57年後の同日にDVDをレンタルして鑑賞した次第です。 さて、結果は…1回だけしか観ていなかったこともあり、断片的だった記憶がつながりスッキリしました。しかも以下のように、大人ならではの目線による発見・感想も加わり、観て良かったです。 まず、いつもながら、伊福部サウンドは絶好調!。関沢新一さんによる脚本は、ほど良くメッセージ性が盛り込まれ、本多監督の演出にも温かみがあり、特に漁村などのロケ場面は生活感が伝わってくる印象を受け、観やすかったです。円谷英二さん率いる特撮スタッフの皆さんについては、これは推測ですが…『キングコング対ゴジラ(1962年)では、コングについてアメリカ側から注文や制約があった。一方、今度のモスラとゴジラは国産だから自由にやれるぞ!オリンピック共々、日本の底力を見せてやる!』とでも言わんばかりの勢いが伝わってくる思いがしました。コロナ禍による閉塞感がある現状下での鑑賞だったので、なおさら、そう感じたのかもしれません。 また【亡くなった親モスラの翼で覆われていた卵から、双子の赤ちゃんモスラが顔を出す】とういうシーンは覚えていたのですが…今回の再見で、ザ・ピーナッツさん達が扮する妖精(小美人)達の「モスラは滅びません。卵から新しい命が産まれます」という台詞と共に【命のつながり】というものを、特に感じました。そのため“大好きなモスラが死んでしまう映画”という子供の頃のネガティブなイメージを払拭できました。そして赤ちゃんモスラ達がゴジラに勝ったとき、これまたコロナ禍のためもあってか「日本も、新たな若い命が次世代を担っていくんだ」といった思いが重なったりもしました。 さらに、あらためて特撮について言及すると、モスラ親子に命を吹き込んだ操演担当のスタッフさん達のチームワークは勿論、そのモスラ達を引き立てるように、ゴジラに扮した中島春雄さんが演技をしておられるのだと再認識できました。演技という意味では、特にB作戦での「よし!(ゴジラに)勝てるぞ」と自衛官に言わしめた臨場感は、中島さんの、電撃で苦しむ熱演によるところが大きかったでしょう。スローモーションでもあの動きだったわけですから、実際の撮影では、動き難いスーツの中で、どれほど速く全身を動かし、息苦しく汗だくだったことか…あらためて敬意を表します。 ところで、ラストは酒井記者(宝田明さん)と三浦博士(小泉博さん)による「お礼は、我々がいい社会をつくることだ」「うん。人間不信の無いね」という台詞で締め括られます。 しかし現在、日本国内に留まらず国際的にも【人間不信の無い社会】が実現しているかというと…当作品のように【様々な“力”を背景に、己の欲望を押し通そうとする人々】と【信頼や節度による人道的な社会を実現しようとする人々】のせめぎあいやバランスで、世の中が動いているように思います。 そのため「当作品の公開から57年も経ったのに、ちっとも変ってないじゃないか。むしろ、コロナ禍で状況が危うくなっていないか?」と言えなくもありません。しかし、ここはひとまず「57年前の作品を、当時と同じ4月29日に観られたのは、人々が最悪の事態を回避してバランスを保ってきた努力があればこそ。コロナも乗り越えられるはず」と思うことにします。 さて、採点ですが…【同じように東京オリンピックを控えている当時の日本と、現在の日本】を考える意味で、意義深い作品ではないかと…いや、ちょっと大袈裟ですね。シンプルに【昭和パワーに溢れた元気が出る映画】として楽しめればいいかと思います。大甘とは思いますが【モスラ】や【地球最大の決戦】と同様、10点を献上させていただきます。 そして最後に…今回、【コロナ禍】を意識して投稿しましたが…数年後に読み直したとき「コロナね…そんなこともあったな~」というように、良い意味で笑って振り返れる世の中になっているよう願っています。 *【モスラ】と【地球最大の決戦】は、別途、レビューを投稿しております。 [DVD(邦画)] 10点(2021-05-08 13:56:15) |
20. スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け
《ネタバレ》 遠い遠い昔…米ソの冷戦やベトナム戦争などを背景に「どんなに頑張っても、我々に明るい未来はない」とでも言わんばかりの厭世的な雰囲気の作品が映画界で支配的だった1970年代のアメリカで…当時「子供じみている」と敬遠されていた、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを、それまでとは一線を画す特殊撮影と共に復活させ、大ヒットした冒険活劇映画…それが1977年に公開されたスターウォーズでした。 当時、小学生だった私は、TVで放送されていた1950~60年代のハリウッド映画の名作に親しみを持っていたため、感激しました。また、当時の字幕の【理力】という言葉も印象に残りました。後年、そのものずばり【フォース】と表記されるようになりましたが、個人的には【理力】という訳語に当時の翻訳の苦労が偲ばれ、今でも親しみを持っています。 あれから40年以上。観る人それぞれの【スターウォーズ観】が生まれ、現在に至っているようです。そんな中、この【スカイウォーカーの夜明け】がTV放送されたので鑑賞。一応、一連の映画シリーズは観てきたものの、私はこれまで1作目(エピソードⅣ)しか投稿していませんでした。今回は【最後の作品】ということで投稿します。 当作品についていえば、レイ役のデイジー・リドリーさんを始めとする役者さん達、J・J・エイブラムス監督らスタッフさん達の「これで最後だ。しっかりと締め括ろう!」という熱い思いは、十分、伝わってきました。そして1作目(エピソードⅣ)に出演したマーク・ハミルさん、ハリソン・フォードさん、今は亡きキャリー・フィッシャーさん、ウェッジ役のデニス・ローソンさん、全シリーズ出演のC-3PO役アンソニー・ダニエルズさん、お疲れ様でした。*2作目(エピソードⅤ)からだけどビリー・ディー・ウィリアムズさんも… ただ、私は元々【新三部作】には引っかかるものが…それは「自分は未読だけど、“レジェンズ”として別扱いになってしまった小説(ルーク及び、レイアとソロの子供達 - ベン・スカイウォーカー、ジェイセン・ソロ、ジェイナ・ソロ、アナキン・ソロが活躍する物語)を映画化する選択肢は無かったのか?」ということです。そして同じ監督とスタッフさん達によるシリーズとして製作・公開すれば、作風が一貫して完成度が高く、それこそ焼き直し呼ばわりされることも無かったのでは…と思うのです。↓の【puta-pp】さんも、この小説の映画化とはおっしゃっていないものの【最初から同じ監督・スタッフでシリーズを製作することによるメリット】について言及されています。 もっとも「小説の映画化なんて、今さら言ってどうするの?」という方々が大半でしょう。実際、小説は情報量が膨大過ぎて、映画化は難しいかもしれませんし…。 しかし、ウォルト・ディズニー・スタジオ(以下、ディズニーと表記します)が【新三部作】に着手したのが興行上の理由なら…私は「ほとぼりが冷めた頃、新シリーズを立ち上げるのでは」と思っていました。 結局、最近の巷の情報では「これまでのシリーズは“スカイウォーカー・サーガ”として完結した。今後、新たなシリーズを予定している」らしいですね。この新作予定に対しては「嘘だ…」と「知ってたよ…」に反応が分かれそう…否、後者が多いかな…。 パルパティーンが合法的に銀河共和国を銀河帝国へとシフトして勢力を拡大したのと同様に、ディズニーは、合法的にルーカスフィルムや20世紀FOXを傘下に収めることで“スターウォーズ・ブランド”を手中に収め、勢力を拡大していくのでしょうか…。 実は、私が少年時代のディズニー映画は【ウォルト氏の亡き後の低迷期】で、陰ながら応援していました。リトルマーメイド(1989年)を機に不死鳥の如く息を吹き返して感動したのですが、現在の拡大路線には抵抗感があります。勿論、ディズニー側には経営上の切実な理由があるのでしょうが…いつか、勢いが落ち着いてバランスがもたらされたとき、それこそ、その歩みが【ディズニー・サーガ】と呼称されるものになるかもしれません。 いずれにせよ、今後の新シリーズが惨憺たる終焉を迎えないよう「理力と共にあれ」と願いたいです。かつて、日本でスターウォーズと人気を二分し「もうヤマトに会えない」と観客の涙を誘った【さらば宇宙戦艦ヤマト:1978年】が、興行上の理由で設定をくつがえし続編を作り続けた結果、世間から冷笑されて幕を閉じた二の舞にならないように…。*後年、ヤマトは【2199】で名誉を回復しました さて、採点ですが…ディズニーの思惑がどうであれ、前1・2作で多くの批判(私の文面もそうですね…)を浴びながらも、最後までやり遂げた【現場の方々への敬意】を込めて8点を献上します。 [地上波(吹替)] 8点(2021-03-11 21:49:06) |