1. ラッキー・ガール
《ネタバレ》 「ラブコメなんて女子が観るもの」という考えだった自分に「ラブコメって、こんなに面白かったのか!」という衝撃を与えてくれた、記念すべき一本。 久々に再見してみると、非常にシンプルな作りであり(ありがちなラブコメでしかなくて、際立った傑作という訳ではなかったんだな)と、寂しい想いに駆られたりもしたんですが…… それでもなお、本作が「面白い映画」「好きな映画」である事は揺らぎませんでしたね。 主人公アシュレーを演じるリンジー・ローハンは魅力的だし、後にカーク船長となるクリス・パインが、彼女と対になる「とことん不運な彼氏」のジェイクを演じているのも面白い。 思えば、この映画を初めて観た頃の自分って(ラブコメ映画に出てくる彼氏役ときたら、男の自分には嘘臭くて耐えられないような奴ばかり)っていう偏見があった気がするんですよね。 でも、本作のジェイクには自然と感情移入出来たし(良い奴だなぁ……幸せになって欲しいな)と応援する気持ちになれたんだから、これって凄い事だと思います。 脇役も充実しており、ジェイクの隣に住んでる幼女のケイティなんて、特にキュートでしたね。 アシュレーが不運になっても決して見放したりせず、一緒に同居生活を送ってくれる女友達の存在も、実に好ましい。 ボウリング場で慣れない仕事を頑張る場面や、洗濯室で泡まみれになって戯れる場面など、昔観て(良いな)と思えた場面に対し、今観ても同じようなトキメキを感じられた事も嬉しかったです。 ラストの「二人同時にケイティにキスをする」という解決法も(そう来たか!)という感じで、意外性があって良かったですね。 今後の主人公カップルは、不運続きな人生になってしまうかも知れないけど、ケイティが傍にいて支えてあげれば大丈夫じゃないかなーって思えるし、ちゃんとハッピーエンドと呼べそうな雰囲気で終わっているのが嬉しい。 再び人生の岐路に立たされるようなイベントが起こったら、ケイティからキスしてもらって一時的に幸運を授かり、事を済ませた後に再びキスしてケイティに幸運を返す、なんて日々を送ってそうな気もしますね。 あえて難点を挙げるとすれば……「会議のプレゼンが成功」とか「車に轢かれても平気」とか(それって運が良いだけで済む話なの?)と思えてモヤッとする場面があるとか、それくらいでしょうか。 あとは、クライマックスの演奏シーンで、もっと盛り上げてくれていたら、文句無しの傑作と呼べていたかも。 この映画と出会っていなかったら、ラブコメを好きになれないまま、多くのラブコメ映画を楽しめないままだったかも知れないなと思えば、ちょっと身震いするような気分になりますね。 そういう意味では、とても特別な映画ですし、忘れ難い一品です。 [DVD(吹替)] 8点(2024-11-28 12:04:53)《更新》 |
2. ゴジラ(1954)
《ネタバレ》 「ゴジラ」(1954年)とは、芹沢大助という人間の物語である。 ……というのが自分の持論だったのですが、此度再鑑賞してみても、やはりその持論は揺らぐ事が無かったです。 そもそも本作のストーリーラインって、剽窃や盗作と言って良いぐらいに「原子怪獣現わる」(1953年)そのままだったりする訳ですが、そんな中で最も独自性を感じさせるのが芹沢大助の存在なんですよね。 一応は主人公と呼べるはずの尾形秀人の影が薄いというか、出番が少ない事も、そう感じさせる一因。 自分としては「芹沢が主人公であり、尾形は主人公の最期を看取ってくれる存在」と、そう考えてしまうくらいに、芹沢博士のキャラクターは魅力的だったと思います。 とはいえ、そんな「隻眼の天才科学者」に魅了されるだけの映画って訳ではなく「芹沢博士が登場していない場面」あるいは「ゴジラが登場していない場面」も、しっかり面白い辺りが、本作が傑作たる所以ですよね。 後者に関しては特に重要であり「怪獣が出てこない場面でも面白い怪獣映画」と感じさせるのって、本当に凄い事なんじゃないでしょうか。 世に怪獣映画は数あれど、その大半は「怪獣が出てくる場面は力が入っていて面白いけど、出てこない場面は退屈」って品だったりしますからね。 本作に関してはゴジラを「原爆の象徴」「戦争の恐怖を思い出させる存在」として描いたのが大正解であり「ゴジラに怯える人々」や「何とかしてゴジラに対処しようとする人々」を描いた人間パートも抜群に面白いというのが、怪獣映画の歴史の中でも画期的な部分だったように思えます。 空襲の記憶が鮮明な時期に撮影されたがゆえに、逃げ惑う人々の演技にリアリティが有るって点も「怪獣」という突飛な存在に実在感を与えているし、ゴジラの襲来によって「井戸が使えなくなる」という描写にも、恐ろしさを感じましたね。 後々のゴジラ映画とは異なり、ゴジラの熱線が「熱い」というより「冷たい」印象を受ける音であった点も、非常に印象深いです。 その他、ゴジラの存在を公表すべきと主張する「強い女性」的なキャラクターが登場しているのも興味深いとか、劇中に「美女とゴジラ」という看板があるのは、キングコングへのオマージュな気がするとか、語りたい事柄は沢山有るのですが…… やっぱり、この映画の一番の語り所と言えばもう、芹沢博士の最期を措いて他に無いです。 別れ際、かつての婚約者と、その恋人に掛ける「幸福に暮らせよ」という台詞も悲しいし、単なる自己犠牲の美しさだけでなく「芹沢博士は、人間を信じられなかった。だから禁断の新兵器もろとも自分も死ぬ道を選んだ」という哀愁も描いているのが、たまらないんですよね。 彼はゴジラに勝利した英雄であると同時に、人類に絶望して自殺した敗北者でもある。 この構図は実に悲劇的だし、それほどに人間を信じられなかった彼が、それでも愛していた女性と、その恋人に対しては「幸福に暮らして欲しい」と願って死んでいった事にも、切なさを感じます。 ゴジラを倒した後、マスコミが嬉しそうに伝える「この感激、この喜び、ついに勝ちました!」「若い世紀の科学者、芹沢博士は遂に勝ったのであります」という言葉に、なんと空しい勝利なんだと思える辺りも、皮肉な味わいが有って好きですね。 ゴジラの保護を訴えていた山根先生が「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかに……」と教訓的な台詞を吐き、敬礼で終わるラストシーンも、勿論良いんだけど…… 自分としては、マスコミの白々しい「勝利宣言」に合わせる形で、人々が敬礼を行う場面で終わっていたとしても、それはそれで名作に仕上がっていたんじゃないかって、そんな風に思えました。 [インターネット(邦画)] 9点(2024-11-28 12:03:47)(良:2票) 《更新》 |
3. リバー、流れないでよ
《ネタバレ》 「続きが気になる」「結末が知りたい」と観客に感じさせるのは、良い映画の条件の一つだと思います。 その点に関して、本作は文句無しの出来栄えでしたね。 ただ、面白かったかというと……ちょっと微妙です。 「続きが気になる」って感情と「面白い」って感情とは、本来別種の代物なんだなって、この映画に教えてもらったような気分。 やっぱり、タイムループの期間が二分っていうのが短過ぎて、主人公が階段を登る姿なんかを何度も何度も見せられるもんだから、流石に(もう良いよ……)って気持ちになっちゃうんですよね。 一つのループ期間を、一回の長回しで見せるって手法も、アイディアとしては面白いんだけど、実際に観た限りでは「手ブレで酔う」「アングルがワンパターンで退屈」っていう、デメリットの方が際立っていた気がします。 劇中の人物達もタイムループで気が狂いそうになってたけど、観客まで同じ気持ちにさせられるっていうのは、正直辛いです。 冒頭に出てきた白服の女性が全然出てこない(途中で出てくるけど、タイムループに巻き込まれているのに、妙に冷静だったりする)のが気になっていたら、それが伏線だったとか、タイムループ中のはずなのに雪が降り出して(いや、駄目だろ。ロケやり直せよ)と思っていたら、それに対しても台詞上のフォローが有ったりとか、丁寧に作られているので、映画としての完成度は高いんですけどね。 「面白い映画」っていうよりは「良く出来た映画」っていう、そんな誉め言葉が似合いそうな感じ。 「ループするのが二分間だなんて短過ぎる」って点を逆手に取ったような「たった二分間のデートでも、色んな事が出来る」って示す終盤の展開も、独特な魅力が有って良かったです。 個人的には、タイムマシンを直す件よりも、あそこのデート場面の方が、本作のクライマックスと呼べるんじゃないかなって気がしました。 そんなデート場面での、雪化粧した旅館や山の景色が、本当に美しくて…… あれって、最初から計算尽くで「この場面には、雪が必要だから」と、天気を狙い定めた上で撮影したのか、それとも偶然雪が降ってしまっただけなのかと、気になっちゃいますね。 もし前者だとしたら、作り手の拘りに「粋」を感じて嬉しくなるし、後者だとしたら、まるで映画の神様からの贈り物のような「素敵な偶然」だよなって、そんな風に思えました。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-11-28 11:56:58)(良:1票) 《新規》 |
4. リバー・ランズ・スルー・イット
《ネタバレ》 自分は「レジェンド・オブ・フォール」(1994年)を「ブラッド・ピットの俳優人生で、最も美しい瞬間を収めたフィルム」と評しましたが…… その場合、対抗馬として真っ先に思い浮かぶのが本作ですね。 もしかしたら、彼の美しさという意味では本作の方が優れてるかも知れません。 何せ劇中でも「ポールは美しかった」と評されてるし、その言葉が大袈裟でも何でもなく、本当に「美しい」としか思えないんだから凄い。 そんな彼に負けず劣らず、モンタナの川景色も素晴らしいし、水の流れる音やリールが巻かれる音にも癒されるんですよね。 自然の美しさを描く際には、ついつい視覚的な方面にばかり偏ってしまうものですが、本作は「音の美しさ」にも拘りを感じます。 主人公兄弟の父が牧師という事もあり、意外と宗教色が強い内容なんだけど、あまり説教臭さを感じない作りになってるのも嬉しい。 「真面目な兄」のノーマンですら、家業を継いで牧師になったりはしなかったし「破天荒な弟」であるポールの方はといえば、牧師とは真逆のアウトローとして描かれていますからね。 あるいは映画の冒頭にて「宗教と釣りの間に、はっきりとした境が無かった」と語られている通り、釣りという行いそのものが、主人公一家にとっての宗教だったのかも知れませんが…… 自分としては、教会で説教を聞いたり祈ったりする必要がある宗派よりも、川で釣りするだけの宗派の方が、ずっと素敵じゃないかと思えて仕方無いです。 そんな本作は終盤にて「自由奔放に生きていたポールの、突然の死」が描かれる訳だけど、そこに大きな驚きは伴わず、観客としても自然と受け入れられるような作りだったのも、凄い事ですよね。 中盤、留置場に迎えに行く場面などで「ポールの危うさ」を描いておいた脚本も上手いと思うし、それより何より「この弟は、いずれ取り返しのつかない事をやらかしてしまう」「ある日ふっと何処かに、いなくなってしまう」と感じさせる人物を演じ切った、ブラッド・ピットが素晴らしい。 これはもう演技力とか、そういうテクニック的な次元の話ではなく、この時代、この映画の中だけに収められた「儚さと眩しさが交ざりあったような、不思議な存在感」があってこその、奇跡のような配役だったと思います。 釣り以外にも「人生で一度だけの兄弟喧嘩」とか「列車用のトンネルを車で通る」とか、忘れ難い場面が色々と備わっているのも、映画としての奥深さ、味わい深さを感じますね。 悲劇が起こる前日、兄のノーマンが「一緒にシカゴに行かないか?」と弟を誘うのも、弟を救いたい兄なりの精一杯の優しさ、そして「俺にはお前は理解出来ないし、お前を変える事も出来ないけど、せめて傍にいてやりたい」という、切ない願いが伝わってくるかのようで、好きな場面。 兄弟の少年時代から、青年時代、そして弟を失った兄が老人になった姿まで、丁寧に描かれた本作品。 子供の頃に観ても、大人になった今観返しても、充分に楽しめたのですが…… いずれ老人になった時に観返したら、どんな感覚を味わえるだろうかと、今から楽しみです。 [DVD(吹替)] 8点(2024-11-13 15:44:55)(良:2票) |
5. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 ゴジラ映画の最高傑作。 ……なんて言い出すと、ほんの一年前の自分に「最高傑作は初代に決まってるだろ」とツッコまれそうなんですが、本当にそう評したくなるような逸品だったんだから、参っちゃいますね。 まずは何を置いても、主人公の敷島浩一というキャラクターが素晴らしい。 基本的に自分は「悲劇に酔ってる」って感じの主人公は苦手なんですが、本作の敷島は「悲劇に溺れてる」人物であり、その溺れ方が圧巻で、観ていて惹き付けられてしまうんです。 どんなに自分が不幸であっても、赤ん坊を預けられたら見捨てられないという善性の描写も丁寧であり、自然と感情移入出来る。 本当にベタですが「どうか幸せになって欲しい」と、心から応援したくなる存在でした。 思えば初代ゴジラが芹沢大助という人間の物語であったように、本作は敷島浩一という人間の物語だった訳で、その辺りの「初代ゴジラを徹底的に研究し、魅力を理解した上で、それを越えるような映画を撮ってみせた」って事も、観ていて心地良かったです。 特に、有名な「ゴジラのテーマ」の使い方が初代と同じであり「ゴジラに立ち向かう人類の曲」として流れる演出なんて、もう最高。 山崎貴は天才というだけでなく「ゴジラを愛してる人」なんだと、そう確信させられました。 脇役陣も魅力的であり、自分としては「隣のおばさん」こと澄子さんが、特にお気に入り。 憎んでたはずの敷島に「とっときの白米」を渡してやる場面も良かったし「あの子に重湯作るのに使いな」という台詞が、終盤で敷島が澄子さんに託す手紙にて「明子のために使って下さい」と大金を同封してる場面に繋がる脚本も、素晴らしいの一言。 幼子を救うという善意が、大人達の心を優しく繋いでみせたという流れ、本当に大好きです。 戦えなかった兵器の代表格である震電に、戦わなかった兵士の敷島が乗る展開も熱いし、敷島が死なせた兵士達の写真束の中に、明子に似た娘を抱いてる兵士の写真があるという(そこまでやるか……)って描写も、本作の面白さを高めていますね。 整備士の橘さんが足を引き摺る仕草を印象的に描いておき、彼が再登場する場面で「足を引き摺って歩く男の足元」を映すカメラワークになって、顔を見せるより先に(橘さんだ!)と観客に覚らせる辺りも、実に良い。 終盤で敷島が特攻死せずに生き延びたと知った時の橘さんの表情も、印象深いです。 「本当は生きたいと願ってた奴の命を救う」という形で、宿願を果たせた訳だし、憎かった敷島の命を救う事で、橘さんの戦争もようやく終わったんだなと感じられる、忘れ難い名場面でした。 一応、欠点らしき部分も挙げておくと「ヒロインである典子の黒い痣」や「最後にゴジラが再生していく場面」など、せっかくのハッピーエンドに影を残す終わり方をした点が挙げられそうですが…… 「黒い痣」に関しては、ゴジラが原爆の象徴である以上「たとえ生き残ったとしても、重い影を背負って生きなければいけない」と示す為に必要だった気もするし、初代より前の時間軸の話である以上、この映画世界にも芹沢博士が存在して、復活したゴジラと相対し「ゴジラを殺せるのは、オキシジェン・デストロイヤーだけである」と証明してみせたのではないかとも考えられるしで、決定的な瑕とは思えませんでしたね。 他にも、小説版にて文章で描かれた「震電から眺める家の一つ一つに、明子がいて、典子がいて、敷島がいて、日々の暮らしを営んでいる」「これをゴジラに破壊させる訳にはいけない」と敷島が決意を新たにする場面を、台詞に頼らず映像だけで描いてるのが凄いとか「録音した声をゴジラの同族の声と思わせて呼び寄せる作戦」は、ゴジラの元ネタである「原子怪獣現わる」(1953年)の更なる元ネタの「霧笛」(1951年)を彷彿とさせるとか、本当、この映画について語ると、止まらなくなっちゃいますね。 邦画でありながらアカデミー受賞作であり、作品賞や脚本賞を取っても驚かないくらいの出来栄えだったのですが、本作が受賞したのは「視覚効果賞」であったというのも、味わい深いものがあります。 それは怪獣映画にとって、最高の勲章。 逃げ惑う人々を踏み潰し、家屋も容赦無く破壊するゴジラの存在感が、圧倒的でしたからね。 人を殺すのも、家を壊すのも、それを実際に見せるのは大変だからって「見せずに想像させる」演出に逃げがちな部分を、全力で描いてみせた作り手の姿勢が、本当に素晴らしかったです。 「いるはずのない怪獣が、スクリーンの中に確かに存在してると感じさせる」という意味合いにおいて、本作は最高のゴジラ映画である以上に「最高の怪獣映画」なのだと、強く思えました。 [映画館(邦画)] 10点(2024-06-05 10:48:41)(良:6票) |
6. 映画ドラえもん のび太の地球交響楽
《ネタバレ》 音楽を嫌いだった少年が、音楽を好きになるまでを描いた映画。 「冒険」を主題にしたドラ映画が多かった中、本作では「音楽」が主題になっているという、それだけでも斬新さを感じますね。 映画の強みとは映像だけでなく、音にもあるのだと実感させられたし、漫画という媒体の原作では生み出せない「映画ドラえもん」ならではの魅力を生み出す事にも成功してるのだから、大いに感動。 実にシリーズ18作目(スタドラを含めたら20作目、旧アニメ版も含めたら40作以上)でありながら、未開拓の分野に切り込んでみせた作り手の発想力と冒険心に、熱い拍手を送りたいです。 そんな本作で一番心に残ったのは、クライマックスの場面。 地球上の音楽全てを結集させて敵を打ち払うという、とても盛り上がる場面なのですが、そんな中で、さり気無く「戦場でハーモニカを吹く兵士」という一コマを挟んでいるんですよね。 恐らくは傷付いた戦友の為、束の間の安らぎを与えてるという、その姿を刹那的に描く演出には、本当にグッと来ちゃいました。 主人公であるのび太達は、平和な日本で暮らしているけど、地球には戦争をしている人達もいる。 そして、そんな場所でも人々は音楽を奏でているという、正に「地球交響楽」を体現した場面であり、文句無しで素晴らしかったです。 序盤にて、のび太が風呂場で笛の練習していたお陰で地球が救われたとか、脚本の伏線回収も鮮やかだったし、ゲストキャラクターも魅力的。 ロボットの語源になったというカレル・チャペックから拝借して、ゲストロボを「チャペック」と名付けるセンスにも、ニヤリとさせられましたね。 幼女のミッカちゃんも可愛らしく「のほほんメガネ」と呼んで小馬鹿にしていた相手を、最後の最後に「のび太お兄ちゃん」と呼ぶツンデレ表現なんかも、幼い女の子ならではの魅力があって、良かったです。 主人公のび太と同世代の女の子ではない、妹のような幼女だからこその可愛さが、上手く描けていたと思います。 そんなミッカちゃんとの別れの場面を直接描かず、エンディングの一枚絵でのび太に抱き着く姿や、皆から貰ったプレゼントを部屋に飾ってる描写などで、断片的に伝えて想像力を刺激する形になっているのも、非常に御洒落。 今井監督って「新恐竜」でもピー助との二度目の別れをさり気無く描いてみせていたし、こういった「さり気無い描き方で、大きな感動を生み出す」という手法が、本当に上手いですよね。 「十八番」や「職人芸」と言って良い領域に達してると思います。 「中盤でジャイスネ主役になる場面は、ちょっと浮いてるし、観ていてダレる」「ゲストキャラも多過ぎるし、個々に見せ場を与えようとして散漫になっているので、ミッカちゃんとチャペックの二人に焦点を絞っても良かったのでは?」等々、不満点も有るには有るんですが…… 主題歌も大好きなVaundyだし、映画にも合ってる曲だったしで、満足度の方が高かったですね。 そうして、最後の「おまけ映像」には、心から興奮。 満を持しての寺本監督復帰作で「新・夢幻三剣士」の可能性が高いだなんて、期待するなという方が無理な話です。 また一年後に、スクリーンでドラ映画を満喫出来る。 そんな幸せを噛み締めながら、劇場を後にする帰り道まで、楽しく過ごせた一本でした。 [映画館(邦画)] 8点(2024-03-21 12:28:58)(良:1票) |
7. グリーンブック
《ネタバレ》 ピーター・ファレリー監督が、こんな真面目な映画を撮ったのかぁ……と、その事に吃驚。 「白人」「黒人」「差別」といった属性を備えた品なんだけど、単純に「白人が黒人を救う物語」って訳でもないのが面白いですね。 主人公のトニーは白人だけどイタリア系であり、劇中にて「イタ公」と差別される側でもあるんです。 そもそも黒人のドクはトニーの雇い主であり、困窮してたトニーを雇って救ってあげた側という大前提があるんだから、非常にバランスが良い。 史実では単なる雇用関係に過ぎなかった二人を、無二の親友になったかのように描く事への批判もあるようですが…… 映画の観客に過ぎない自分としては、この両者のキャラ設定は絶妙だったと思います。 その他にも「二人が旅立つまでが長い」とか「ドクが同性愛者であるという要素は、あまり活かせてない」とか、欠点らしき物も幾つか思い浮かぶんだけど「主人公であるトニーの境遇を説明する為には、止むを得ない」「実話ネタなんだから、同性愛者と示しておく必要があった」と、ちゃんと疑問に対する答えは見つかる為、さほど気になりませんでしたね。 むしろ、他のファレリー監督作の映画と比べても欠点は少ない方だと思うし、非常に出来の良い、優等生的な映画だと感じました。 そんな本作の中でも特に好きなのは、トニーが初めてドクのピアノ演奏を聴いて、虜になる場面。 実際に演奏が見事だったから、観客の自分としてもトニーの感動とシンクロ出来たし、その後すぐドク当人に「感動したよ」って伝えたりする訳ではなく、家族への手紙で「ドクは天才だ」と絶賛してるという、その遠回しな表現が、また心地良いんですよね。 そういった積み重ねがあるからこそ、本人に直接「アンタのピアノは凄ぇんだよ、アンタにしか弾けない」とトニーが訴える場面も、より感動的に響くという形。 他にも、コンサートスタッフに「クロなら、どんなピアノでも弾ける」と言われ、トニーが激昂する場面。 運転中、二人で音楽談義する場面。 ドクが初めてフライドチキンを食べて、二人で笑顔になる場面も素晴らしいし、二人が親友になるまでが、非常に丁寧に、説得力を持って描かれていたと思います。 脚本や演出の上手さという意味では「拳銃」の使い方も、本当に見事。 「銃を持ってるというハッタリ」の伏線が「本当に銃を持ってる」という形で回収される鮮やかさときたら、もう脱帽するしかないです。 この拳銃の発砲シーンって「酒場で札束を見せたがゆえに、ドクが殺されてしまうバッドエンド」を予感させておき、そんな悲劇を銃声で吹き飛ばす形にもなってるのが、実に痛快なんですよね。 ともすれば一方的な「黒人って可哀想」映画になりかねない中で、ドクを襲おうとした黒人達って場面を挟む事により「黒人は常に被害者という訳ではなく、加害者とも成り得る」と示す効果まであるんだから、二重三重に意味のある、忘れ難い名場面です。 それはその後の、親切な警官に助けてもらう場面も、また然り。 「南部にも良い人はいる」「警官にも良い人はいる」という、当たり前の事を当たり前に描いてくれる配慮が、本作を万人が楽しめる傑作たらしめていると感じました。 本来ドクにとっては屈辱なはずの「黒人が白人の為に車を運転する」という行いで、トニーを助けてあげる終盤の展開も良かったし…… 最後に、トニーの妻には「手紙」の秘密がバレていたと示す終わり方も、非常に御洒落でしたね。 それまで出番は少なめだった「トニーの妻」というキャラクターが「素敵な手紙をありがとう」という一言により、一気に魅力的になったんだから凄い。 良質な脚本と、良質な演出を味わえる好例として、映画好きな人だけでなく、映画作りをする人達にも、是非観て欲しいって思えるような…… そんな、素敵な一本でありました。 [ブルーレイ(吹替)] 8点(2024-02-18 16:36:27)(良:4票) |
8. アダルトボーイズ青春白書
《ネタバレ》 大人の夏休み感が味わえる一本。 「日々の疲れを癒したい」「アウトドアを追体験したい」って願いを叶えてくれる作りになってるし、娯楽映画としての完成度は高かったと思います。 自然の中で、大人も子供も笑顔ではしゃぐ様が描かれているし、皆にとって「楽しい夏の思い出」になったんだろうなと、ほのぼのさせられました。 ともすれば「最近の子供はけしからん、俺達が子供の頃はそうじゃなかった」「残酷なテレビゲームばかりやってないで、もっと健全な遊びをやりなさい」という説教臭い内容になりそうなストーリーだし、実際そういうメッセージ性も込められてた気はしますが…… 観ていて違和感を覚えるほどじゃなかったし、あまり押し付けがましくないバランスにしてるのも良かったですね。 子供達を外に連れ出す場面も「せっかくアウトドアが楽しめる環境なのだから、自宅では出来ない遊びをしよう」って雰囲気だったし、この辺りのバランス感覚は上手かったと思います。 ただ、どうも波長が合わないというか…… 登場人物に対する印象が「悪い奴らではないんだろうけど、友達になりたいとは思えない」みたいな感じだったりするのが、非常に残念。 例として挙げるなら「甲高い声のマッチョマンを笑いものにする場面」「皆が並んでるのにズルして横入りする場面」などがそれであり、ちょっと主人公達が「嫌な奴ら」に思えちゃうんです。 クライマックスのバスケの試合にて、主人公が故意にシュートを外して負けるのを美談みたいに描いてるのも、納得出来ないものがあります。 「主人公は大人になった」「この世には、勝敗より大切なものがある」って言いたいんでしょうけど、どう考えても対戦相手に失礼というか…… 精神的な成長というより、単に主人公が自己満足の為に他者を利用して「わざと負けてあげた」という優越感に浸ってるだけに思えちゃったんですよね。 ベタな言い方かも知れないけど、そこは相手に対する礼儀として真剣勝負を行って欲しかったです。 とはいえ、その辺りに関しても「本作はスポーツではなく、休暇が主題だから」と考えれば、決定的な瑕とは言えないだろうし…… 基本的には楽しい内容だったので、それなりに満足。 また何時か、夏休み気分を味わいたい時に再見したら、もっと好きになれる映画かも知れません。 [DVD(吹替)] 5点(2024-02-10 14:13:47) |
9. バトルシップ(2012)
《ネタバレ》 「レーダーで捕捉出来ない敵との艦戦」という、元ネタのボードゲームを再現した作りに感心。 特に、戦闘のテンポがちゃんと「ターン制」である事なんかは「映画でそれをやるか!」という感じがして、凄く嬉しかったですね。 「味方のターンなので味方が砲撃する」「敵のターンなので敵が反撃してくる」って感じの戦闘描写である為、ワンパターンで飽きてくるという欠点もあるんですけど、ターン制のゲームが好きな身としては、どうにも憎めなかったです。 説明を極力排し「とにかく謎の異星人が敵なんだよ」というシンプルさで押し切ったのも、良かったと思います。 「敵の目的は何?」「なんか侵略してきたわりに戦意が乏しくない?」など、ツッコミ所もあるんだけど、作中でも「人類にとって理解不能の異星人達」として扱われている為、それほど気にならない。 敵艦のデザインやギミックが「トランスフォーマー」を連想させるというだけでなく「ファンタズム」や「ランゴリアーズ」的な球型兵器まで登場して、大いに暴れてくれるもんだから、それらを眺めているだけでも楽しかったです。 地球外生命体をコロンブス、地球人を先住民に喩えるブラックユーモアや、チキンブリトーを盗む場面で「ピンク・パンサーのテーマ」をBGMに流すというベタベタなセンスも、好きですね。 全体的に「王道」「お約束」を大事にした作りとなっており ・「義足の軍人は元ボクサーだと語られる」→「その後に異星人と殴り合う」 ・「臆病な博士がアタッシュケースを持って逃げる」→「土壇場で戻って来てくれて、アタッシュケースで異星人を殴りヒロイン達の窮地を救う」 といった感じに、分かりやすく場面の前後が繋がっている事にも、ニヤリとさせられました。 ラストには、残り一発の砲弾が決定打となって勝つというのも「そう来なくっちゃ!」という感じ。 退役軍人達が集結し、記念艦となっている旧式のミズーリを動かして再戦を挑む流れも熱かったし「皆いつか死ぬ」「だが今日じゃない」という主人公の台詞も恰好良かったですね。 浅野忠信演じるナガタが副主人公格なのも嬉しかったのですが、作中での「サマーキャンプで射撃を習った」という台詞は「夏祭りの射的」の事で良いのかな? と、そこは少し気になったので、答え合わせが欲しかったかも。 他にも「主人公の兄が死亡するシーンが、あんまり劇的じゃない」とか「エンドロール後の続編を意識したかのようなシーンは微妙」とか、細かい不満点も多いんですけど、作品全体の印象としては、決して悪くないですね。 中弛みしているのは否めないけど、終盤のミズーリ復活からの流れは文句無しに面白い為、欠点も忘れさせてくれるようなところがあります。 米国以上に日本での人気が高く「バトルシッパー」なる言葉も生み出したほどの本作品。 カルト映画になるのも納得な、独特の魅力を備えた品でありました。 [ブルーレイ(吹替)] 7点(2024-01-03 17:01:44)(良:3票) |
10. メリーに首ったけ
《ネタバレ》 破天荒なラブコメ作品。 この頃のファレリー兄弟作が好きな人にとっては、後の作品は「良い子ぶってる」と思えるだろうし「これぞファレリー兄弟の真骨頂」と本作を賛美する人の気持ちも、分かるような気はしますが…… 自分としては「後の飛躍を感じさせる、粗削りな初期作品」って印象でしたね。 決して嫌いではないけど、完成度は低かった気がします。 主人公のテッドが小説家志望とか、冒頭に出てきたルイーズの存在とか、色んな設定やキャラを活かしきれていない気がするし、あれもこれもと面白そうな要素を詰め込んだ結果、粗が目立つ形になってるのが、良くも悪くもアマチュア的。 序盤の「ナニをチャックに挟んでしまった」展開も痛々し過ぎて笑えないし、最後の終わり方も唐突過ぎて(雑だなぁ)と感じちゃいます。 自分は本作を何度か観返してるんだけど、その度に序盤で(うわ、痛そう)と引いちゃうし、最後には(すっごい雑な終わり方)と呆れてるんだから、これはもう筋金入りというか、この二点に関してだけは、とことん自分に合わないポイントなんでしょうね。 でもまぁ、やっぱり嫌いじゃないというか……むしろ好きな映画なんです、これ。 そもそも監督がファレリー兄弟で、主演がキャメロン・ディアスとベン・スティラーという自分好みな布陣なんだから、嫌いになれという方が無理な話。 メリーに言い寄る男共を多数用意して、群像劇として描いてるにも関わらず、主人公のテッド以外が酷い奴揃いで「誰がメリーと結ばれるか」みたいなドキドキ感が無い(ブレット・ファーヴは例外的に聖人として描かれてるけど、実在人物である彼がメリーと結ばれるはず無いと観客は分かっちゃう)辺りとか、映画としては致命的な欠点だと思うけど…… ベン・スティラーという名優がテッドを演じ(こいつとメリーが結ばれなきゃ駄目だ)と思わせてくれるお陰で、その辺も気にならなかったです。 あと、一番大事なポイントとして「作中で色んな男に言い寄られるくらいに、メリーは良い女である」って事に、しっかり説得力があったのも素晴らしいですね。 これはもう脚本とか演出以上に、キャメロン・ディアスという存在ありきの、力業みたいなもんだと思います。 「ヘアジェル」で髪が逆立ったメリーの姿を、下品にし過ぎず、可哀想にもし過ぎずに(この子、可愛いな)と笑える形で演じられるのって、彼女だけじゃなかろうかって思えたくらい。 それから、本作って下品なギャグが目立つけど、実は凄く道徳的な話でもあると思うんですよね。 メリーの弟のウォーレンに関しても、知的障碍者である以上、映画としては「天使のように良い子」として描かれるのがお約束なのに、本作では全然そんな事無いんです。 テッドの顔に釣り針を引っかけても「僕じゃない、テッドが悪いんだ」と言ったりして、むしろ嫌な奴というか、悪い子として描いてる。 でも、最終的にはテッドに心を開いて、耳に触れられても怒らない場面を見せたりして、可愛いとこあるじゃないかって思わせたりもする。 つまり「基本的には悪い子だけど、それなりに可愛気もある」という、非常にリアルなバランスなんですね。 その辺り「障碍者だからといって、特別扱いはしない」「障碍者は皆して善人だなんて、そんなの馬鹿げてる」っていう作り手のスタンスが窺えて、自分としては好ましく思えました。 誠実なテッドがメリーと結ばれ、嘘ついて彼女に言い寄ってたパット達は振られちゃうのも、如何にも道徳的というか、童話的。 「好きな映画が一緒」って事に浪漫を感じる身としては、本当は好きな映画でもないのに騙してメリーに言い寄るパットって場面が一番抵抗あったし、その後の顛末にも大満足。 やっぱり、映画オタクとしては、映画の好き嫌いでは嘘ついて欲しくないです。 最後は人が撃たれて、悲劇的な幕切れのはずなのに、エンドロールでは皆で唄って賑やかに終わるのも、何だかアンバランスな魅力があって良い。 ファレリー兄弟の映画って、観た後は大体明るく楽しい気持ちになれるんだけど…… それは本作に関しても、例外ではなかったです。 [ブルーレイ(吹替)] 6点(2023-12-28 06:06:04)(良:2票) |
11. あなたが寝てる間に・・・
《ネタバレ》 家族を求めていた主人公が、家族を得るまでを描いた物語。 その点、あまりラブコメらしくないというか…… 「恋人を求め、恋人を得るまでを描いた」という普通のラブコメ映画とは、一線を画すものがありますね。 何せ彼氏役のジャックが登場するのが、本編開始後30分くらいになってからというんだから、徹底しています。 最後のプロポーズ場面でも、ジャック単独ではなく家族同伴で行ってるくらいだし、本作のハッピーエンドとは「素敵な恋人が出来た事」ではなく「素敵な家族が出来た事」なのだと伝わってきました。 そんな本作の特長としては、やはり主演のサンドラ・ブロックの魅力が挙げられると思います。 冷静に考えたら、こんな美女が「恋人のいない孤独な女性」を演じるって、かなり無理があるはずなのに、映画を観てる間はそう感じさせないんだから凄い。 シカゴの地下鉄で改札嬢として働き、毎朝見かける客に恋してるって設定なのですが、その姿が本当に健気で、応援したくなっちゃうんですよね。 憧れの彼に「メリークリスマス」と言ってもらえたのに、上手い返事が出来ずに落ち込んじゃう様なんてもう、実にキュート。 主人公のルーシーが嘘を吐き、ジャックの家族を騙してる形なのに、全然「嫌な女」とは思えなかったし、無理のある設定を主演女優の魅力で補ってみせているんだから、本当に見事でした。 脚本も中々凝っており、特に大家の息子のジョーは良いキャラしてたというか、物語の中での使い方が上手かった気がしますね。 彼が得意気に「ルーシーと付き合ってる」と言い出した時、観客としては(なんて図々しい)と感じるんだけど、良く考えたらルーシーも同じような嘘を吐いてるんだと気が付かせる形になってるんです。 だからこそ、終盤で罪悪感ゆえにルーシーが結婚式を破綻させちゃう流れにも、自然と納得出来ちゃう。 ある意味、ルーシーには一番お似合いというか、似た者同士な二人であり、終盤で二人がハグを交わし「良い友達」という関係性に収まるオチには、ほのぼのさせられました。 難点としては……駅でピーターを突き落とした二人がどうなったのか、謎のままなのでスッキリしない事。 そして「寝てる間に婚約者が出来て、それを弟に奪われた」って形になるピーターが哀れで、ハッピーエンドに影を落としている事が挙げられそうですね。 優しい作風の品なのだから、最後も「主人公は幸せになりました」というだけでなく「皆が幸せになりました」という形の方が似合ったんじゃないかなって、そんな風に思えました。 [DVD(吹替)] 6点(2023-12-26 08:25:46)(良:2票) |
12. メイズ・ランナー
《ネタバレ》 三部作を完走した上で、再鑑賞。 2以降の展開に「迷路、関係無いじゃん」とツッコまされた訳ですが、実は1の途中から既に関係無くなってるんですよね、これ。 そもそも主人公のトーマスが「ランナー」になった時には、既に迷路は全体図を把握されており、閉じ込められた皆に希望を持たせる為に、リーダー達が「まだ踏破していない」と他の面々を騙してただけと判明するんだから、もう吃驚です。 若者達が迷路に閉じ込められた理由も、結局は「実験の為」という在来な代物だったし、新薬開発の為に本当にこんな大仕掛けが必要だったのかと、甚だ疑問が残るし…… 正直、あまり褒められた出来栄えの映画ではないと思います。 ただ、原作小説は人気シリーズとの事で、言われてみれば本作って「人気のある原作を映画化した結果、微妙な出来栄えになってしまった」っていう典型のような品なんですよね。 登場人物も、それぞれにファンが生まれていそうな魅力は感じられたのですが、いかんせん映画の尺の中では描写が足りず、中途半端に終わってしまったという印象。 例えば、金髪のニュートなんかは如何にも良い奴っぽくて、これは主人公の相棒になって活躍するんだろうなと思わせる存在感があったのに、目立った活躍なんか全くしないで「仲間その1」っていうポジションのまま終わってしまうんです。 ヒロインのテレサも、典型的な「紅一点が必要だから用意してみました」というだけの存在であり、見せ場なんて皆無。 ニュートにせよテレサにせよ、2以降では役目が与えられているキャラだけに、この1での扱いの悪さは勿体無かったです。 ラストにて、憎まれ役のギャリーが涙ながらに「迷路はオレの家だ、皆の家だ」と訴えても、そんな愛着を抱くに至る経緯が描かれてないから、心に響かないし…… 最年少のチャックの死をクライマックスに据えるなら、事前に主人公とチャックの交流を濃い目に描いておくべきだったと思うしで、やはり全体的に拙いというか、未熟な印象が強いです。 一応、良かった点も挙げておくなら「狭い迷路の中で、化け物に襲われる恐ろしさ」というホラー映画な魅力は、しっかり描けている事。 「迷路の道が閉じるって特性を活かして、化け物を倒す」「手近な位置から順番に仕舞っていく扉に追いつくように走り、窮地を脱する」などの、迷路という舞台設定を活かしたアクションが描かれていた事は、評価に値すると思います。 後は、病に犯され正気を失った仲間を迷路に押し込む件なんかは「蠅の王」的な狂気を感じさせて、中々良かったんじゃないかと。 個人的には、ヒロインのテレサをもっと活かし「男だけの園に女の子が送られてきた事により、奪い合いになる」っていう「アナタハンの女王」的な展開にしても良かったんじゃないかって、初見の際には、そう思えたんですが…… そんな道は選ばず、健全な雰囲気で纏めた辺りも、今となっては長所に感じられますね。 適度な怖さ、適度なエグさを楽しめるという意味では、ティーンズ向け映画として成功してるのかも知れません。 [DVD(吹替)] 5点(2023-11-29 23:52:34)(良:1票) |
13. メイズ・ランナー 最期の迷宮
《ネタバレ》 やっぱりゾンビ映画。 2の時点で分かってた事ではあるんだけど、3では更にゾンビ濃度が高まってるんですよね。 それも、ただ単に「ゾンビ好きに媚びる為にゾンビを出しました」って訳でもなく、その要素を劇中で活かし「主人公の親友ニュートがゾンビ化してしまい、殺してくれと訴えてくる」って展開になるんだから、お見事です。 物語としては本作が一番盛り上がるし、最終章に相応しい内容だったと思います。 冒頭から「走行中の列車を襲撃し、仲間を救出しようとする主人公達」って見せ場が用意されているのも、嬉しい限り。 他にも「高所からプールにダイブ」とか「バスをクレーンで釣り上げる」とか、要所要所で見せ場があるし、作り手の誠意を感じます。 これに関しては、単純に観ていて面白いっていうよりは(あぁ、ちゃんと観客を楽しませようとしてるんだな……)と思えてきて、安心させられるって類の長所ですね。 「そんなのは、娯楽映画として当たり前の事だ」って考える人もいるでしょうけど、それが出来ていない映画だって沢山ある訳だし、自分としては評価したいです。 そんな訳で、1→2→3と順当に成長してきた、シリーズ最高傑作と称えたい気持ちもあるんですが…… 素直に褒めきれない部分も多かったりして、そこは残念。 まず、上述のニュートに関しても、3単体では「主人公の相棒であり、大切な親友」として描かれてるけど、1と2では全然そんな事は無くて「仲間その1」でしかなかった訳だから、ちょっと唐突なんですよね。 3で急に仲良くなったような形ではなく、1から親友として描いていたら、その劇的な死も更に盛り上がったはずなので、実に惜しい。 これに関しては「1のチャックに比べたら、3のニュートの方が退場のさせ方は上手くなってる」と褒める事も出来そうだし、判断が難しいです。 あとは「実は生きていたギャリー」って展開で、これはもう、申し訳無いけど失敗してると思います。 そりゃあギャリーのファンなら嬉しいかも知れないけど、どう考えても「死んだと思ってたキャラが、実は生きていた」というサプライズ展開やりたかっただけって感じであり、必然性も無いし、ギャリーという存在を活かしきれてもいないんですよね。 宿敵だった主人公のトーマスにも「頑張れ」と声かけたりして、いつのまにか普通に信頼出来る仲間みたいになってるし、劇的な和解イベントも無し。 ギャリーを串刺しにした張本人のミンホに対しても「誰にでも間違いはある」で済ませちゃうんだから、大いに拍子抜け。 これならギャリーではなく、本作から登場した新キャラって事にしても、充分成立したと思います。 他にも「ヒロインのテレサまで、ニュートのおまけみたいに死んじゃうのが可哀想」とか「結局、世界がウイルスから救われたかどうかも分からない」っていう曖昧さとか、欠点を論えばキリが無いんだけど…… 「友達でいてくれて、ありがとう」という最後のニュートの手紙は、中々グッと来るものがあったし、三部作を完走して良かったと、そう思えましたね。 またトーマスやニュート達に会いたくなったら、1から3まで観返したくなる。 なんだかんだで愛着が湧いちゃう、憎めない友達のような映画でした。 [DVD(吹替)] 5点(2023-11-28 22:38:49)(良:1票) |
14. メイズ・ランナー2 砂漠の迷宮
《ネタバレ》 まさかのゾンビ映画。 一本の映画の中で「実はホラー映画でした」と中盤で判明する例なら、これまでにも何度か体験済みですが「三部作の2からゾンビ映画になる」ってパターンは、流石に初体験です。 これ、前作のファンにとっては辛いというか「ゾンビなんて良いから、迷路で探検して欲しい」って気持ちになって、失望しちゃったかも知れませんね。 でも、自分みたいに「ゾンビ映画が好き」「そもそも1の時点で、迷路が主体の映画ではなかったと思う」ってタイプにとっては、このサプライズ展開、かなり良かったです。 「近未来が舞台の、ティーンズゾンビ映画」って時点で貴重だと思うし、そういうものだと割り切って観れば、中々目新しい魅力があるんですよね。 序盤にて、主人公達が収容施設から逃げ出す展開になるのも、脱獄物としての面白さがあって、これまた自分好み。 廃墟と化した都市の描写なども、低予算映画では中々拝めないような絵面で良かったです。 三部作を一気見して気付いた事なんですが、このシリーズって「全体の完成度はイマイチだけど、ちゃんと観客を喜ばせるような見せ場は用意してある」って特徴があり、本作も例外ではなかったって辺りも、嬉しいポイント。 特に「ゾンビと争ってる最中に、ガラスの床を割って高所から落として倒す」って場面は、かなりお気に入りですね。 これまで色んなゾンビ映画を観てきたけど、こういう倒し方もあるんだなぁって感心しちゃいました。 仲間内で最も強くて頼もしい存在だったミンホが、最後に連れ去られ「囚われのお姫様」ポジションになってしまう事。 そして、影の薄いヒロインのテレサが敵組織の内通者となる事も、程好いサプライズ展開って感じであり、良かったと思います。 序盤にて(施設内に監視カメラとか無いの?)と思っていたら、脱走した後に各所に監視カメラがあると発覚し(いや、主人公達の部屋にも設置しとけよ)とツッコまされたりとか、作り込みの甘さは否めないけど…… そういった諸々込みで、割と楽しめちゃいましたね。 シリーズ中でも異端の品であり、真っ当なファンなら反発しちゃうかも知れない、本作品。 だけど、天邪鬼な自分としては、こういう映画って結構好きです。 [DVD(吹替)] 6点(2023-11-28 22:34:12)(良:2票) |
15. ベガスの恋に勝つルール
《ネタバレ》 色んな意味で「夢を叶えてくれる映画」って感じですね。 ベガスで一攫千金、お金持ちになりたい。 美女(美男子)と一緒に暮らしてみたい。 そんな庶民の願望を疑似体験させてくれる、心地良い映画だったと思います。 スロットで大当たりする場面もテンポ良く、気持ち良く描いているし、自宅でのパーティーや社員旅行などのイベントの件も、とても楽し気で良かったです。 二人が同棲する事になる部屋も「ここに住んでみたい」と思わせるような魅力があって、好きなんですよね~ ヒロインは嫌がっていたけど、バーカウンターやピンボールの台があるなんて素敵じゃないかと思えるし「ドアを開けると、そこからベッドが飛び出す」ギミックなんかも好み。 「相手に浮気させようと互いにアレコレ画策する」「便座の上げ下げを巡って争う」「夫婦カウンセリングに向かう二人」などの夫婦喧嘩パートも、軽快なBGMに乗せて楽しく描かれており、良かったと思います。 テーマがテーマだけに、ここで攻防が陰湿になり過ぎて観ていて引いてしまう可能性や、主役二人が「嫌な奴」に思えてしまう可能性もありましたからね。 そこを暗くなり過ぎず、明るく能天気なテンションで描き切ってみせた事には、大いに拍手を送りたいところ。 「自分でサイコロを振る勇気すら無かったけど、とうとう起業を決意した主人公」「仕事に依存していたけど、仕事が好きという訳じゃなかったと気が付くヒロイン」などの真面目な部分を、ライトなノリを失わないまま、さりげなく描いているのも良かったですね。 お約束だけど「今回の騒動を通して、二人は大金よりも価値のあるものを手に入れる事が出来た」と感じさせるものがあって、凄く後味爽やか。 主人公の男友達と、ヒロインの女友達も魅力的であり、喧嘩してばかりだった二人が、最終的にはカップルみたいに仲良くなっちゃう結末も、ハッピーエンド感を高めてくれたように思えます。 その他にも「夫婦どちらも『レイダース』が好きだったと分かる」「結婚指輪を填めた薬指を、中指を立てるようにして旦那に見せ付ける妻」など、印象的なシーンが幾つもあって、本当に観ていて楽しい。 夕暮れを迎えた海辺での「結婚してくれませんか、もう一度」という二度目のプロポーズも素敵で(あぁ、良いなぁ……良い映画だなぁ)なんて、しみじみ感じちゃいました。 あまり評判は良くない(ゴールデンラズベリー賞にノミネートされてる)のを覚悟の上で観賞したのですが、意外や意外、本当に面白くて、楽しくて、吃驚させられましたね。 やはり世間の評判なんかに左右されず、自分の感性で判断しなきゃ駄目だな……と、そんな当たり前の事を再確認させてくれた、非常に価値ある一本でした。 [ブルーレイ(吹替)] 8点(2023-11-07 04:13:28)(良:2票) |
16. 魔法にかけられて
《ネタバレ》 主人公が現実世界からファンタジー世界に行くのではなく、その逆というのが斬新ですね。 導入部も「お馴染みのディズニーの城の中に入り込む」という形で凝ってるし、とても丁寧な、考え込まれた作りの品だったと思います。 世間の評価が高く、傑作とされているのも納得。 ……ただ、観る前にハードルを高くし過ぎたせいか(期待値ほどではなかった)という印象を受けたりもして、そこは残念。 決定的に駄目な部分があるって訳じゃないんだけど、なんか細かい部分で(んっ?)と気になっちゃう事が多いんですよね。 例えば「一緒に楽しく掃除した仲のはずなのに、虫が鳥に食べられちゃう場面」なんかは、可哀想過ぎて好きになれないですし。 主人公のジゼルはファンタジー世界の超能力をそのまま現実世界に持ち込んでる形なのに、リスのピップは現実世界では喋れなくなるというのも(何で?)と思えちゃいました。 あと、これは「細かい部分」じゃなく、ラブコメとして割と重要な部分かも知れませんが…… 彼氏役のロバートがジゼルに惹かれていくのは分かるんだけど、ジゼルがロバートを好きになる過程が曖昧で、二人の恋路を応援したい気持ちになれなかったんですよね。 これ、主人公がロバートだったなら「ヒロインが主人公を好きになる過程は、描かれずとも問題無い」「主人公目線で描かれた話なのだから、きっと見えないところでヒロインなりの好きになる事情があったのだろう」と納得出来たんですけど、実際はジゼル主視点で作られてる訳だから、どうにも物足りないんです。 そもそも二人とも「結婚するはずだったエドワード王子がいる」「プロポーズするはずだった恋人のナンシーがいる」って設定にしたのがマズかったんじゃないかと。 障害のある恋の方が燃えるってのは分かりますが、障害を設定した以上は、それを越えるだけの説得力が欲しくなるんですよね。 劇中の二人に「この世で一番強い魔法」「真実の愛のキス」が出来るほどの絆が描かれていたかと考えたら、甚だ疑問。 そんな二人のせいで「余り物」となったエドワード王子とナンシーが結ばれる流れも、あまりにも都合が良過ぎたように思えます。 でもまぁ、全体的には「楽しい雰囲気の、良い映画」だったので、それなりに満足。 特に、ジゼルが公園で歌う場面なんかは、観ていて嬉しくなっちゃいましたね。 異世界の人々とも、音楽があれば分かり合えるという展開が、実に自分好み。 本作をミュージカル映画と考えるなら、この公園の場面が一番良かったと思います。 ジゼルが語る「斧を振り回して狼を追いかける赤ずきん」は、是非映像でも見たかったなぁって思えたし、そういう小ネタが全体に散りばめられているのも、大きな魅力。 自分としては、クライマックスで女王がドラゴンと化し「キング・コング」のオマージュ的展開になる辺りが、一番面白かったですね。 どうやら他にも色んなディズニー作品のパロネタが散りばめられているようなので、もっとディズニー作品に詳しければ、より楽しめたかも知れません。 [ブルーレイ(吹替)] 6点(2023-11-04 15:29:15) |
17. キートンの蒸気船
《ネタバレ》 喜劇王キートンのフィルモグラフィーの中で、最も有名な場面。 それが本作の「建物が倒れてくるけど、窓枠の部分にスッポリ収まり無傷なキートン」になると思われます。 「それはつまり、コレが彼の最高傑作って事なのか」と言われたら、自分としては異議を唱えたくなるんだけど…… そう認識されても仕方無いくらいの傑作である事は、間違いないですね。 とにかくもう、キートン自ら監督したという後半部分の「ハリケーンに襲われた町」の描写は圧巻であり、良くもまぁこんな世界を描き出せたものだと、感心するばかり。 キートンの魅力といえば、当人のアクロバティックな動きが真っ先に挙げられるけど、この人って自分以外の「舞台の作り方」も、本当に上手いんですよね。 自分は三大喜劇王の中でキートンが一番好きであり「王」というよりは「喜劇の神様」って表現が似合うんじゃないかとさえ思ってるんですが…… その理由としては「映画の中に独自の世界を作り上げる事。そして、その世界を壊す事に関しては、キートンに並び得る者は存在しないから」ってのが挙げられるくらいです。 本作に関しても、その力量は如何無く発揮されており「ハリケーンに襲われた町」という特殊な舞台ならではの面白さと、巨大な建造物を破壊していくカタルシスとが、たっぷり描かれていたと思います。 冒頭部分で言及した「窓枠にスッポリ収まったキートン」の場面も凄いけど、個人的には「家が飛んできて潰されたかと思いきや、普通にドアを開けて中から出てくるキートン」って場面も、同じくらいお気に入りですね。 ここ、本当に「朝起きて、出かける為にドアを開けた」くらいの気軽さで、暴風雨なんて起こってないとばかりに平然と出てくるのがもう、たまんないです。 特異な状況ゆえの「普通の事を普通にやってる可笑しさ」を、これほど見事に表現出来るのは、正にキートンだからこそ。 クライマックスでは「水没する檻の中から父親を救い出す」って見せ場も用意されているし、主人公とヒロインが結婚する未来を「溺れた牧師を助けた」という形で示唆するのも、オシャレな終わり方でしたね。 そんな神掛かり的な後半に比べると、キートン監督ではない前半部分に関しては、凡庸な出来栄えに思えたりもするんですが…… 「不器用ながらも息子を大切に想ってる父親」の存在など、魅力的な脇役も揃っているので、決定的な不満点って程では無かったです。 捕まった父を留置場から脱出させるべく、キートンがアレコレ画策する場面なんかは「刑務所モノ」「脱獄モノ」が好きな身としては、心躍るものがありましたし。 それだけでも「キートンが監督していない部分にも、確かに価値は有った」と言える気がします。 それと、本作の前半部分には、もう一つ興味深い場面があるんですよね。 美男子であるキートンが、どう見ても似合ってないチョビ髭を付けて登場し、それを剃る展開になる。 これってつまり「チャップリンのような口髭を付けた姿から、本来のキートンらしい姿に変身する」って形になってる訳で、非常に寓意的なものを感じます。 本作の監督であるチャールズ・F・ライズナーは、数々のチャップリン映画で助監督を務めた人っていうのも、何だか意味深。 そもそもキートンって、ロイドやチャップリンに比べると商業面では劣等生であり、本作でも多大な赤字を記録してたりするもんだから、周囲から「ロイドのような映画を撮るべき」「チャップリンのようなキャラクターを演じるべき」って要求されていたフシがあるんですよね。 「大学生」(1927年)や「結婚狂」(1929年)なんかは、それが顕著。 つまり、本作における「チョビ髭を剃る」シークエンスも、キートンなりの皮肉なユーモアが籠められていたんじゃないでしょうか。 映画を観てる自分としても「バスター・キートンはバスター・キートンであり、決して他の喜劇王と同じではない」という事を、確かに感じましたからね。 それは本作の後半部分、紛れもない「キートン映画」の魅力によって、力強く証明されていると思います。 [DVD(字幕)] 8点(2023-10-25 13:58:57)(良:1票) |
18. 淑女は何を忘れたか
《ネタバレ》 先日観賞した「秋刀魚の味」が面白かったもので (これはいよいよ、自分にも小津映画を楽しめる器量が備わったのか?) と調子に乗って手を出してみた本作。 で、結果はといえば……やっぱり、まだ早かったみたいですね。 監督さんの個性である独特のカメラワークだとか、演出だとか、会話の間だとかが、どうも退屈に感じられてしまう。 テーマとしては女性というか、主婦に対する皮肉なのかなと思いきや、最終的には「色々あるけど夫婦は仲良く」という結論に落ち着いてしまったみたいで、それが妙に物足りず、中途半端な印象を受けてしまいました。 「奥さんには花を持たせんきゃいかんよ」 「子供を叱る時にね、逆にこう褒めるだろ? あれだよ。つまり逆手だね」 などの台詞によって、一見すると尻に敷かれていた夫の方が、実は巧妙に妻を手懐けていると判明する件は面白かったけど、ちょっと女性を男性より下に捉え過ぎているようにも思えます。 夫に頬を打たれた妻が、その事を喜び、茶飲み仲間に話して羨ましがらせるというのも、何だか都合の良過ぎる話。 この辺りは、監督の価値観がどうこうというより、制作当時の時代性が大きいのでしょうか。 そんな風に、今一つ乗り切れない映画であったのですが、そこかしこに散らばるユーモアのセンスには、流石と思わせるものがありましたね。 特にお気に入りなのは、地球儀を使った地名当てクイズにて、周る地球儀の天辺を指差して「北極」と答えてみせる件。 その手があったかと、大いに感心させられました。 「バカ」「カバ」というやり取りに関しても、初出の場面では子供っぽさに呆れていたはずなのに、二度目に使われた際には(えっ? また使うの?)という意外性も相まって、思わずクスっと笑みが零れたのだから、不思議なもの。 ラストシーンに関しても、少しずつ部屋の灯りが消えていく様が幻想的で、好みの演出だったりするんですよね。 観賞中は退屈な時間の方が長かったはずなのに、この終わり方を目にするだけでも(良い映画だったなぁ……)と思えてくるのだから、全く困った話です。 小津安二郎という人は、今後も自分にとって評価の難しい監督さんであり続ける気がします。 [DVD(邦画)] 5点(2023-10-25 02:50:31) |
19. プロジェクトA
《ネタバレ》 映画史に残る大傑作。 ジャッキーの自伝に曰く「少林寺や彷徨う戦士達を主人公にしなくても、格闘時代劇が作れる事を証明した」点が画期的との事で、言われてみれば本作の主人公って、現代の刑事物にも通じる「正義感溢れる警官」として描かれてるんですよね。 だからこそ、現代の観客にとっても感情移入し易いし、時代を越えた普遍性が有る。 そもそも中国(&香港)においては「官は悪、侠は善」(役人は庶民をいじめる悪役であり、御上に逆らう無頼漢が庶民の味方)という作劇上の伝統があった訳で、警官を主役に据えてる時点で、本作が斬新な映画であった事が窺えます。 その一方で「警察なんて辞めてやるぜ!」と啖呵を切ってバッジを投げ捨てる場面など、ちゃんと「理不尽な役人に逆らうアウトローな主人公」としての魅力も描いてるのが凄い。 当時の人々や「権力者側を善玉として描くのを嫌がる人」でも受け入れ易いよう作ってある訳で、この辺りのバランス感覚が、本当に見事。 「王道を裏切らずに、斬新な事をやってる」という形であり、これって理想的な「時代の先取り」の仕方だと思います。 自転車を駆使してのアクション(自分は「ノック」の件が特にお気に入り)も素晴らしいし、今や語り草になってる「時計台からの落下」シーンも、迫力満点。 後者に関しては、怯えるジャッキーを叱咤激励する形でサモ・ハンが監督しているとの事で、あの場面ではジャッキーが「監督」ではなく、単なる「役者」そして「スタントマン」に立ち返っているという意味でも、趣深い魅力がありますね。 「あの画には全く演技がなく、全て真剣だった」とジャッキーが語る通り、本当に限界を越えて手から力が抜けて(もう、だめだ)と思いながら落下したとの事で、作り物ではない「本物」の迫力が感じられるのも納得。 ただ、そんな名場面にも唯一の瑕が有り「時間が巻き戻ったかのように、違う落ち方を二度見せている」のが不自然なのですが…… これに関しては、劇中で「大口」役を演じたマースが、念の為に一度ジャッキーの代役として落下しているという裏話が影響していそうなんですよね。 つまり、ジャッキーが彼に敬意を表して、彼のスタント場面も無理やり本編に挿入した結果、不自然な形になったのではないかと推測出来るんですか、真相や如何に。 上述の「大口」への敬意の表れが、終盤の展開に影響してるように思える辺りも、ちょっと気になります。 本作のラスボスであるサン親分って、ジャッキーとサモ・ハンとユン・ピョウが三人掛かりで立ち向かうような強敵だったのに、何故か大口がトドメを刺す形になっているんです。 最後の漂流シーンでも、三大スターを押しのけて大口が一番目立っているし…… 大口が当初から準主役だった訳でもなく、脇役に過ぎなかった事を考えると、この「急に何かが変わったかのような優遇っぷり」は、如何にも不自然。 これも、時計台落下という危険なスタントをこなした大口に対する、ジャッキー監督からの「ご褒美」だったんじゃないかと、そんな風に妄想しちゃいますね。 でもまぁ、そういった難点があったとしても、本作が傑作である事は、疑う余地が無いです。 冒頭、ジャッキーが自転車を柵に突っ込ませる場面で、もう面白くって「これから凄い映画が始まる」って予感で、ワクワクしますし。 酒場での乱闘シーンなど、音楽の使い方も上手かったです。 沿岸警備隊が復活し「これより、プロジェクトAを決行致します」と告げる場面も恰好良くって、もしかしたらココが一番の名場面じゃないかと思えたくらい。 サモ・ハン演じるフェイとドラゴンが再会する件で、自然な流れで食事してジャンケンする場面など、短い尺で「二人は旧知の仲」と納得させる演出なんかも、流石だなぁと唸っちゃいますね。 この辺りは、実際に少年時代からの付き合いである二人だからこその、阿吽の呼吸を感じました。 京劇出身な二人らしい一幕もあったりするし、色んなジャッキー映画の中でも「サモ・ハンとの絆」が、最も良い具合に作用したのが本作だったように思えます。 他にも「時計台落下はハロルド・ロイドから、逃走シーンはバスター・キートンから影響を受けている」とか、この映画について語り出すと、止まらなくなっちゃいますね。 映画の評価なんて移ろい易いものであり「子供の頃に好きだった映画が、今観るとつまらなくて幻滅しちゃう」とか、逆に「子供の頃は退屈だった映画が、名作だと気付かされる」とか、色んなパターンがある訳ですが…… 本作に関しては「子供の頃も、大人になった今でも、大好きな映画」だと、胸を張って言えそうです。 [DVD(吹替)] 9点(2023-10-21 20:46:01)(良:3票) |
20. ロイドの要心無用
《ネタバレ》 主人公の役名は「THE BOY」ヒロインの役名は「THE GIRL」と表記される冒頭場面にて、何だかほのぼのしちゃいましたね。 劇中で給与明細を受け取る場面では、氏名の欄に「ハロルド・ロイド」と書かれている訳だし、完全に無名な存在ではないにせよ「この作品の主人公とヒロインは、誰しもが成り得るような等身大の存在」というメッセージ性が感じられました。 旅立ちの駅にて「主人公は近々絞首刑にされる囚人」と思わせるミスリードとか、最後の「水溜りに思えたのは実はタール(?)で、靴も靴下も脱げ落ちてしまう」ってオチとか、今観るとシュールで分かり難い場面もあったりするんだけど…… そんなのは希少な例で、基本的には「誰でも笑える、楽しめる映画」であった事も、嬉しい限り。 キートンやチャップリンを含めた三大喜劇王の中で、ロイドが最も「知的でオシャレな映画」を提供する人ってイメージが有るんですが、そういうタイプの映画って、どうしても「分かる人にだけ分かれば良い」的な、作り手の傲慢さが滲み出ちゃうものなんですよね。 でも、本作に関してはそうじゃなく、大衆向けの娯楽映画として分かり易く作ってある。 この辺りがロイドがカルト化せずに、多くの人に愛された所以なんだと思います。 個人的には「家賃を回収しに来た大家さんから隠れる為、壁に掛かったコートの中に隠れる」場面や「そこの50ドル札、どなたが落としたんです?」の件なんかが、特にお気に入り。 基本的にはドジな主人公なんだけど、所々で頭が良いとこを見せるってバランスが絶妙だし、それをサラッと見せちゃうから嫌味さが無いんですよね。 自らを追う警官の影に気が付き、咄嗟に通りすがりの車に捕まって姿を消してみせる場面なんかも、怪盗か何かに思えちゃうくらい鮮やか。 そういったキートン的なアクロバティックな魅力も有るし、かと思えば「ヒロインへのプレゼントを買う為、昼食代が無くなってしまう場面」では、チャップリン的な悲惨なユーモアと哀愁も醸し出してるしで、ロイドは両者の良いとこ取りしてるというか、どちらもこなせちゃう優等生的な存在であった事を証明する形になってるのも、興味深い。 それは「総合力では両者に比肩する」という一方で「それぞれの得意分野では、キートンとチャップリンに及ばなかった」という事でもあり、それゆえにロイドは、両者ほど強烈なカリスマには成り得なかったのかも知れません。 そんな「優等生な喜劇王」を代表する「時計の針にブラ下がる場面」に関しては、もう文句無しの素晴らしさ。 序盤にて、主人公が遅刻を誤魔化す為に時計の針を動かすのが伏線になってるし「何故、時計の針にブラ下がる事になったのか(何故ビルを登る事になったのか)」という脚本の流れも自然だしで、クライマックスに至るまでの構成が丁寧だから、観ていて気持ち良いんですよね。 こういった派手な見せ場のある映画って「○○という見せ場に持っていく為、無理やりストーリーを構築する」ってパターンが多いんだけど、本作は見せ場への繋ぎ方が完璧なんです。 名作と呼ばれる所以は、案外その辺りの「見せ場の場面以外も、丁寧に作っている事」に有るんじゃないかって、そんな風に思えました。 ちなみに、命懸けのスタントと評される事も多い上記の場面なのですが、実際はビルの屋上に作られたセットで演技しており、時計の針から落ちても大丈夫だったりしたんですよね。 これに関しては「なぁんだ」とガッカリしちゃう人もいるかも知れないけど…… 「命懸けのスタントを行わずとも、そう見せる手腕が凄い」って事なんだと思います。 映画とは、そもそも「観客に夢を与える嘘」を作る事に本質が有るんじゃないかと考える身としては、実際に命懸けのスタントを行ったのと同じくらい「命懸けのスタントを行ってるように見せた」ロイドは凄かったんだと、そう主張したいところ。 ビル登りの件に関しては「次の階までの辛抱」と、少しずつ目標を達成していけば、いつのまにか屋上に到着しちゃうオチが寓話的で素晴らしいとか、ロイドは過去作の撮影中の事故で右手の指を失ってるので(失った本数や箇所に関しては諸説有り)良く見ると左手を軸にして摑まってる場面が多いとか、色んな観方で楽しめちゃう辺りも良いですね。 自分としては、中盤で母親のような老婆に「そんな事をして、落ちたら大怪我しますよ」と窘められ、困ったように笑ってみせるロイドの顔が、何とも言えず好きです。 実に百年前の映画となりますが、今観ても楽しめるという…… 正に、時代を越えた傑作。 喜劇王の代表作に相応しい一本だと思います。 [DVD(字幕)] 9点(2023-10-20 00:24:42)(良:1票) |