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とにかく、全編にわたって「ニグロ、ニガー」が連呼されるのだ。それも、あきらかに差別的・侮蔑的に発せられるばかりでなく、たとえばハリソン・フォード扮する主人公の“恩人”であるオーナーですら、当然のように「ニグロ」と口にする。もちろんそれは、この映画が描く時代なら“政治的に正しくない言葉”でも何でもない、日常的に使われる語だった、ということなんだろう。が、21世紀の今、ここまであからさまに黒人差別用語を連呼する映画が製作されたこと。そこにこそ、本作の最も大きなポイントがあると思う。
この映画を見た英語圏の黒人観客は、その洪水のような差別用語の連呼を、もはや精神的苦痛という以上に肉体的な不快感とともに受け止めたかもしれない。なぜならそれは、否応なしに自分たちの被差別的な歴史を思い起こさせる言葉だからだ。と同時にそれは、白人の観客にも極めて居心地の悪さをもたらすものだった。なぜならそこには、彼らが“なかったこと”にしたいと思っている自分たちの差別意識が、むき出しになっているからだ。 大リーグ初の黒人選手をめぐる白人社会の反発と融和を描くといった実に「ヒューマン」な感動作にみえて(というか、その通りなんだが)、一方でこの映画が浮き彫りにするのは、誰もが「ニグロ、ニガー」といった言葉を当然のように口にしていた時代と、それを“封印=隠蔽”することでよしとする現代との、その連続性ではないか。主人公に悪辣な差別的ヤジを飛ばしつづけるあの相手チームの監督は、当時であっても非常識な「悪役」だったろう。が、それは程度の差に過ぎない。そして主人公のロビンソンが真に直面したのは、「ニグロ」という語そのものであり、その黒人へのあからさまな差別意識というか“嫌悪=憎悪”だった。 ただ、なるほど彼はそれに耐え、選手として活躍することで白人たちの意識を変えていった。が、一方でそれは、白人オーナーの忠告通り彼が「ニグロ」という語に忍従し服従した、一種の“奴隷根性(!)”ゆえともとれるのだ・・・。 あまりにうがちすぎだろうか? けれどこれは、常に歴史(=物語)の“もうひとつの真相(=深層)”にこそ言及してきた真のポストモダニスト、B・ヘルゲランド監督・脚本作品なのである。・・・問題なのは、それゆえに本作が良くも悪くもただの「感動作」たり得ないものになってしまったという、その一点にちがいない。 【やましんの巻】さん [映画館(字幕)] 7点(2013-11-05 17:29:29)
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