プロフィール |
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1908年にカナダ・バンクーバーで産まれた日系二世。青年時代は伝説的な日系人野球チームであるバンクーバー朝日軍のスラッガーとして活躍し、リーグ本塁打王になったこともある。引退後は歌手を目指しバリトン・オペラ歌手として知られる存在となる。40年にオペラ歌手として一旗揚げようと奮起して来日、太平洋戦争勃発によりカナダ帰国が不可能となり、その後の生涯はほとんど日本で活動することに。戦時中は、東京ローズとともに対外宣伝放送に従事したこともある。戦後は持ち前の英語力と歌唱力で進駐軍クラブのトップ・シンガーとして絶大な人気を得る。バンクーバー訛りの日本語を矯正するために俳優養成所に入ったことがきっかけで、俳優として東宝と専属契約を結ぶ。東宝特撮映画の常連で、演じるキャラは“国籍不明の怪しげなアジア人”が定番だった。俳優の傍らで音楽活動も続け、とくに外人アーティストの来日公演でのMCは彼の独壇場だった。藤原歌劇団の北米公演ツァーに参加するために『戦場にかける橋』プロデューサーからのオファーを断ったが、その役は実は早川雪洲が演じた斎藤大佐だったというエピソードがある。1992年没、享年83歳。 |
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【関連作品一覧】
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