Menu
 > レビュワー
 > 六本木ソルジャー さんの口コミ一覧。14ページ目
六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
212223242526272829303132
投稿日付順1234567891011121314151617181920
212223242526272829303132
変更日付順1234567891011121314151617181920
212223242526272829303132
>> カレンダー表示
>> 通常表示
261.  ダーティハリー 《ネタバレ》 
ただのドンパチ映画かと思っていたら、「被疑者の人権」、「法律の壁」など結構ディープな素材を扱っていたのには驚いた。 「被疑者の人権擁護」といった好ましくない風潮の中で、被害者の人権はいったいどうするんだ、被害者を誰が護るのか、法律は被害者ではなく加害者のためにあるのか、という怒りや嘆きが込められていると思う。 そのようなテーマを掲げて、寡黙だが内心に怒りを抱えた全く新しいタイプのヒーローをイーストウッドが好演している。あの仕草、セリフに加えて、独特の雰囲気をかもし出している。陸橋での仁王立ちや、釣り少年を人質を取られた後の早撃ちなど、誰がみてもカッコいいと思うのではないか。 彼のマグナムも印象的だ。普通の銃が「法」の範囲に収まっているものならば、彼の所有する「マグナム」が象徴しているものが、「法を超越したチカラ」のようにも感じる。 「お前は考えているのだろう。この銃に弾が残っているのかどうか。」というセリフは、 犯罪者に対して、「法を超越したチカラ」が存在するのかどうかを問いているようにも聞こえてきた。冒頭の銀行強盗は、「法を超越したチカラ」があると思ったから、「法の裁き」を受けようと思い、スコルピオは「法を超越したチカラ」などはないと思ったから、「法を超越したチカラ」の裁きを受けることになったのではないか。 減点材料としては、ラスト付近のドンパチがやや間延びして緊張感を欠いている印象。あれだけメチャクチャ撃ち合いしていても、どちらの弾もかすりもしないのはあまり良くないだろう。お互いに銃には長けているのだから、何発かは体にかすって傷ついた方がより展開も引き締まるのではないか。 ラストに警察バッジを投げ捨てるのも、善良な市民を救えずに悪人を裁けないのならばこんなもの要らない、着けている意味はないということを改めて総括的に締めくくっているのもよいと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2006-12-31 00:27:04)
262.  ロボコップ(1987) 《ネタバレ》 
ポールバーホーベン監督って、最低な監督の代表名詞みたいになっているけど、本作を観る限りはかなり才能がある人なんだなと思った。DVDの特典をみると、相当大変な思いをして作られたようであるが、CGもない当時に、この題材で映画を作れって言われたら、これ以上のものを作れる人はいないのではないか。 テーマに「アイデンティティ」を持ってきていることが、映画が引き締まった理由の一つだろう。記憶を抹消されて、何ら思考を持たない死体から作り上げられたサイボーグだったはずが、アンルイスからは「名前は?」と聞かれたり、副社長からは「名前などない」と言われたりするやり取りをすることによって、「アイデンティティ」をストーリーの核に持ってきているのがよく分かる。 殺されたときの悪夢の記憶、過去の家族との懐かしい思い出などにより「アイデンティティ」に苦しみながら、徐々に自分が何者であったかを考えていくようになる。最後には、社長から「いい腕だ。名前は何かね?」と聞かれたときに、一言「マーフィー」と答え、タイトルがドカンと出る爽快感が実に素晴らしい。 ラスト間際にヘルメットを脱いだり、ベビーフードを食べないのも、サイボーグからの脱却なのだろう。ED209という完全なロボットとの対比も面白い視点。ロボコップはたんなる機械ではないということを明確にしている。 バイオレンス度がきついという意見が多々見られる。確かに右腕を吹っ飛ばされたり、有害廃液まみれになった悪役がぐちゃぐちゃになってクルマで吹っ飛ばされたりと普通の映画よりもバイオレンス度は高いとは思うが、バーホーベンレベルを踏まえると、バイオレンス加減もそれほどキツメではなく、子どもの観客にも耐えられる抑えられたものにはなっていると思う。 バイオレンス以上にアメリカの風刺がややドギツイかなと思われる。 未来のメチャクチャなテレビニュース、過激なテレビコマーシャル(家庭用核兵器ゲームや1ドルがどうのこうの言っている下品なピザらしきCM)、警察や軍の民間委託などは、すべて当時のアメリカ批判だろう。
[DVD(字幕)] 7点(2006-12-30 23:58:42)
263.  トータル・リコール(1990) 《ネタバレ》 
バーホーベンらしく、映像にはこだわりが感じられる。この時代に、よくここまで映像化できたものだ。また、バーホーベンらしいグロさもSFストーリーによくマッチしている。 問題は、本作のすべてがリコール社の創り出したクエイドの夢かどうかという点だろう。 すべて「夢」であった方がバーホーベンらしいとは思うが、普通に観た限りは、「夢」のようで「夢」ではなく、全部「現実」だったのではないかと思わざるを得ない。 「夢」として観た場合には、リコール社でのやり取りを詳細に描きすぎたため、どうしても無理を感じてしまう。この部分も実は「夢」であったという解釈もできるが、クエイドは気を失っているので、やはりその説明が難しいだろう。「以前、火星に行ったことがあるようだ」というリコール社の社員のセリフも矛盾する点だ。 リコール社の社員と妻役のローリーが火星にいるクエイドを訪ねた際の「汗」についても、本作が「夢」であればストーリーとして活きてこないシークエンスだ。 また、火星における作り込みに手が込んでおり、ラストには爽快感もあり、「夢オチ」という流れにはもっていきづらいのではないか。 個人的には、もっと「夢」「現実」のどちらの解釈でも可能なほどに曖昧にしておけばよかったと思う。 そうすれば、同じ原作者の「ブレードランナー」のようなディカードは人間か、レプリカントかという論争が起きたかもしれない。 本作において面白い点は「夢」「現実」論争よりも、「植えつけられた仮の記憶による自分」が「本来の自分」を凌駕していくところではないかと思う。 「偽りの自分(クエイド)」が「本当の自分(ハウザー)」を捨てて、偽り(コーヘイゲンを裏切りレジスタンスに加担してコーヘイゲンを失脚させる)が真実(コーヘイゲンを倒し、火星を開放させる)となっていくところだろう。 「本当の自分」よりも「偽りの自分」の方に居心地のよさを覚えてしまうという感覚は面白いと思う。 「夢」「現実」とは別に、そういう意味においても「記憶」の曖昧さという点はしっかりと描きこまれている。
[DVD(字幕)] 7点(2006-12-30 23:56:21)(良:1票)
264.  007/ダイ・アナザー・デイ 《ネタバレ》 
(過去のシリーズのネタバレも含みます)10作目の「私を愛したスパイ」がそうであったように、20作目の本作は過去の作品の大量オマージュで構成されている。過去の作品に新しいネタをふんだんに取り込み、シリーズが好きな人はより楽しめるように、知らない人でも十分楽しめるようになっている。 ボンドが溺れそうになっているジンクスを必死で救い出そうとするシーンはかなり良い。前作「ワールドイズノットイナフ」で愛した女性を殺してしまったことの罪滅ぼし的な意味があると思う。 初めて観る人にはイカルスという人工衛星に違和感を感じるかもしれないが、この荒唐無稽さがボンドシリーズの歴史でもある。 「ダイヤモンドは永遠に」という作品では、ダイヤモンドで作った衛星で世界各地を破壊し脅すというストーリーになっており、ダイヤモンドと人工衛星という組み合わせは本作にもっとも近いものだ。「ムーンレイカー」や「私を愛したスパイ」では全人類を滅亡させるストーリーなのだから本作はまだマシな方だ。 オマージュや過去のアイテムは各所に現れている。大量にありすぎて書ききれないので個人的に好きだったオマージュを取り上げると、まずはジンクスの登場シーンだ。1作目「ドクターノウ」のハニーライダー(アーシュラアンドレス)の有名なシーンを意識したものになっている。ちゃんと腰にナイフを携帯しているところもファン泣かせになっている。 本作のラスト付近で人間が飛行機からどんどん放り出されるが、これは3作目「ゴールドフィンガー」を意識したものだろう。 4作目「サンダーボール」で使ったアイテムも登場。空中を飛べる装置がQの部屋(過去の多数のアイテム)においてあるばかりか、口に挟めば数分間息ができるというアイテムを使って、ボンドはグスタフの氷の屋敷に潜入している。 「トゥモローネバーダイ」で明かされたボンドの習慣でもある「枕の下に銃を隠している」というネタも大いに活かされ、逆に利用されるのは面白い。 ラストの飛行機でのフロストとジンクスが意味も無く薄着なのも本シリーズならではの流れ(特に「ダイヤモンド」「黄金銃」「ワールド」)を汲んだものだ。 また、キューバで鳥類学者にボンドが扮したと思うが、これはなかなか深いネタだ。フレミングの家にたまたまあった鳥類図鑑の作者がジェームズボンドであり、この名前をフレミングが拝借したというのは有名な話だ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-12-11 21:08:25)(良:2票)
265.  ナポレオン・ダイナマイト 《ネタバレ》 
観た後は誰でもハッピーになれる映画ではないだろうか。こういう映画はセンスが違うとまったく理解ができないからあまり期待はしなかったけど、見事にハマれて良かった。 低予算であっても、キャラクターやセリフ、構成、アイディアで勝負した、かなり切れ味がある新しいタイプの映画と感じた。序盤はエピソードのぶつ切りではっきりしたストーリーはないけど、各エピソードはそれなりに他のエピソードにも繋がるし、映画としても意外とちゃんとした構成となっている。 なんと言っても、ナポレオンとペドロの「友情」がよい味を醸し出しているのが本作の魅力のひとつだ。彼らの友情は普通の映画で描かれる「熱い」友情ではなく、表面的には「こいつら本当に友達か?」っていう感じの繋がりしか感じられないのが逆によい。しかし、二人は心の底から信頼しきっている感じが随所に現れている。ペドロが休んだときに電話を掛けるのもナポレオン流に心配している証であり、ナポレオンのダンスパートナーが消えたときにデビーと踊れと言ってくれるペドロはナポレオンを気遣っていることが窺われる(おそらくナポレオンが潜在的にデビーが好きだと気付いているのだろう)。 自分には取り柄がないと嘆くナポレオンに対して「画が上手い」と誉めるペドロの姿もさりげない会話だが彼らの関係をよく表している。 また、「最後は「夢は叶う」で締めろ」とナポレオンに言われればペドロはそのように従うし、ペドロのピンチの時には恥もかなぐり捨てて、捨て身のダンスを披露する。 逆に、デビーに嫌われたとペドロに相談したときには、「贈り物をしろ」という短いペドロのアドバイスに従い、デビーに唯一の所持品の魚をプレゼントする(DVDの未公開編に釣りのシーンがあったがその流れか)。おかげでナポレオンとデビーは再び仲直りできたようだ。このように、感情的ではないけれども、二人の友情は堅く結ばれているのが分かる仕組みとなっているのは面白い。 デビーとナポレオンの最後の遊戯シーンも素晴らしかった。もし、この二人のキスシーンで終わるとすればやや興ざめするだろう。ナポレオンの第一歩としては、二人だけで戯れるくらいがちょうどよい。最後には、ナポレオン一人でボールを叩き始めるのも、なんとなくナポレオンらしさや照れみたいなものも感じられる。 ところで、ナポレオンってオタクというより邪気眼系だよね。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-13 23:48:10)(良:2票)
266.  ポロック 2人だけのアトリエ 《ネタバレ》 
今や1枚164億円という世界最高額で取引されるほどになったジャクソンポロックの作品を一度だけ実物を観たことがあったが、あまりの迫力と情熱に度肝を抜かれた記憶がある。自分が画から印象を受けたのと同様に、本作ではポロックの情熱的で壮絶な人生を描き切られている。 自分の作品に「青が強い」といったケチを付けられ、酔った勢いで自分の作品を変えようとするものの、その動きをフリーズする姿がとても印象的だ。それだけ自分の作品に魂を込め、完璧さを求め、自分の作品に自信をもっていたのだろう。 また、彼の弱さも実に印象的だ。画が売れずに母や兄の嫁に馬鹿にされるのを我慢できず食卓をメチャクチャにしてしまう姿や、大成功を収めたものの映画監督にいいように弄ばれ、自分の思い通りにならない憤りから、自分は「エセ」ではないと食卓をひっくりしてしまう姿には自己顕示欲の強さも窺える。雑誌などの記事に一喜一憂する姿もその表れだろう。自分の欲を満たせず、結局は酒に逃げ込んでしまうのも、彼の弱さでしかなかった。 そんな弱いポロックを支え続けたリー・クラズナーの人生もとても印象的だった。彼女が支えなければ、ポロックは恐らくニューヨークで酒に溺れて行き倒れていただろう。大成功を収めた後、ポロックとリーの二人の見つめ合う姿には、なんとも表現しようのない「重み」が感じられ、二人で手にした「成功」を噛み締めて、お互いを称え合っているように感じられる。 リーには、妻という生き方、母という生き方、画家という生き方という三択の生き方を選ぶことができたはずだけれども、画家ポロックを背後から支え続ける妻という生き方を選んだ。それだけ、ポロックの才能を信じきっていたのだろう。しかし、共倒れを避けるために、自分という生き方を殺して、ポロックの影になるという生き方を選ばざるを得なかったのも悲劇的だった。恐らくポロック以上に子どもを欲しかったのはリーだったのかもしれない。 ポロックの死後は、ポロックから開放されて、画家という生き方を選び、再びリー・クラズナーという人生を正面から歩み始めることができたのではないか。 ポロックの事故死には、飲酒の事故というだけでなく、酒に溺れて画を描くことができなくなってしまったことに対して自己を破滅させたい衝動に駆られたようにも感じられた。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-05 00:28:46)
267.  父親たちの星条旗 《ネタバレ》 
この映画に「答え」はないのかもしれないが、「真実を知ること」の重要性を問いかけている作品だと思う。 ドクはイギーの死の真実をイギーの母親に伝え、アイラはハーロンの父親に星条旗の写真に映っているのがハーロンであるという事実を告げる。 そして、ドクの息子ジェームズは硫黄島で起こったことの真実、父がアメリカで行ったことの真実を知るのである。 この真実をどのように受けとめるかは、この映画を観た我々にイーストウッドから託されたことだ。 「反戦」でも「アメリカの欺瞞」でも良い。この真実から何かを受けとって欲しいというメッセージはしっかりと感じられた。 演出や脚本においても以下のような見事な工夫がされている。 【三つの舞台】①硫黄島の戦い、②英雄に祭り上げられ、戦争国債の宣伝に駆り出される日々と真実に目をつむり、偽りの勝利に歓喜する国民の姿、③現代(父ジョンの生き様を探る息子)という三つの舞台が目まぐるしく描かれていく。 しかも、それぞれの時間軸がずれているから、初見ではなかなか分かりづらいかもしれないが、それぞれ舞台から小出しにされた情報が見事に底辺を形作り、それが山となって、頂上(真実)を炙り出しているのが見事である。 【三人の英雄】二本目の星条旗を掲げた六人のうちドク、ギャグノン、アイラの三人の帰国時の対応は見事に異なる。 ギャクノンは英雄の名声を利用し、将来に対するコネクションと地位を恋人とともに築こうとする。 アイラは英雄と扱われることに激しい拒否反応を示す(上官に飲んだくれと罵られ、戦場に戻されるのはまさに欺瞞であり、戻される前に母親に会いたいと頼んでも、「英雄」であるはずの彼の頼みは受け入られない)。 一方、ドクは「英雄」と扱われることに対して、態度を明らかにせず、口を閉ざしたままだ。彼の寡黙さは見事にイーストウッドの問いかけになっている。 彼はギャグノンとは対照的に、恋人を近くに置くことはしない。戦争国債を宣伝することは必要悪と捉え、任務はきちんとこなすが、自分を決して「英雄」とは思っておらず、利用することも当然考えていない。その苦痛は彼を戦争後も寡黙にさせている。 三人の母親(マイク、ハンク、フランクリン)に会ったときの三者の異なる態様も実に見事な問いかけだ。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-31 00:32:55)
268.  サンキュー・スモーキング
本作は「インサイダー」のようなタバコ業界の内幕を暴露するような映画でもなければ、マイケルムーア作品のようにタバコ業界を糾弾するような映画でもなく、「スーパーサイズミー」のようなタバコの害を体験しながら明らかにしていくドキュメンタリーでもない。 本作はタバコ業界を舞台にした人間ドラマである。しかも、タバコ業界に関与している者同士の利権や思惑が交錯する複雑なものではなく、根っこは「親子」の在り方を描いた作品である。なぜ、タバコ業界を描きながら、親子の話がでてくるのかと感じた人もいたのではないだろうか。<以下ネタバレ>タバコに害があるというのは、大人であれば誰でも分かることだ。害があると知りつつ、タバコを吸うのには誰に責任があるのだろうか。 本作では「本当にタバコ会社に責任があるのだろうか?」という問い掛けをしている。話を変えれば、「肥満の責任はマクドナルドにあるのか?」「クルマの事故は自動車会社にあるのか?」「殺人の責任は銃器メーカーや刃物製造会社に責任があるのか?」「飲酒運転はビール会社や自動車会社に責任があるのか?」という問題と同視できるのではないか。責任の一旦はあるのかもしれないが、(タバコには中毒性という問題があるかもしれない)これらに起因する責任は「自己責任」ではないかという問題提起をしているのが新しい。各人が自分の行動に責任をもてるようにするためには何が必要なのか?という答えに対して、本作では「教育」という問題を取り上げている。学校での教育ではなく、家庭での教育である。本作では、父と子どもが向き合って話し合い、ありのままの父親の姿を見せ、子どもに考えさせ、子どもを成長させ、時には、子どもに励ましてもらい、子どもに対して恥ずかしくない生き方を示していく。お互いがお互いを成長させるという理想的な姿をユーモラスに描き出している。訴訟大国アメリカにおいて、タバコにドクロマークをつけるかどうかというように問題をすり替えることで決着させるのではなく、本質的で当たり前の部分を突いているという点に対して、とても新鮮で驚かされることとなった。 本作の上映前に同監督の短編「In God We Trust」という作品も特別に併映された回を鑑賞することができた。結構、他の観客には大いに受けていたが、それほど笑いのレベルは高くはないと感じた。本作がDVD化された暁には、この短編も付録につくのかな。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-24 00:03:24)(良:1票)
269.  ミッドナイト・エクスプレス(1978) 《ネタバレ》 
映画のタイトルが、なんといってもしびれる。「ミッドナイトエクスプレス」とは、受刑者たちで使われる隠語で「脱獄」を意味する言葉。この幻の列車に乗るのか、乗れるのか、それとも待ち続けるしかないのか…。そもそもこんな列車は幻想に過ぎず…、受刑者が、監獄という「絶望」の中で生き続けるためにすがりつく、単なる希望に過ぎないのだろうか。本作のタイトルの意味を知っただけで、かなりの儚さを感じさせる。 本作のような作品というのは、関係者に対して影響力が大きく、力をもった映画である。 アメリカ・トルコ間での受刑者の在り方を変えたというだけではなく、本作を観れば、誰しもヤクを密輸入しようとは思わないはずだろう。ヤクの密輸入がもはや軽い行為でないと分かるはずだ。政治だけでなく、海外へ渡航する一般市民までをも変えるだけの力を持つ映画という点で評価は高くなる。 また、犯罪が自分自身だけでなく、自分の周囲の関係者をも不幸に貶めることであることがきちんと描かれている点において、本作が他の犯罪を含めた犯罪への抑止力にもなるだろう。 本作のストーリーに関して、自業自得という意見をもつのも分からないではないが、本作の問題はその一言で済まされるものではない。犯罪者(加害者)の人権を過度に必死になって護ろうという動きには個人的には否定的であるが、本作では人間が人間として生きる権利さえ奪われていることが一番の問題であり、さらに、犯した犯罪に比して、下された不当な判決、不当な手続きによって拘禁され続けたという点にも問題がある。 スーザンとの再会シーンは、まさに衝撃である。人間としての本能を抑えきれないほどギリギリの精神状態になるまで、追い詰められているということがよく分かるシーン。やはり、人間を発狂させ、廃人に追い込む非人道的なやり方は認められるものではなく、自業自得を超えた世界である。 DVDの特典には、ビリー本人もちらっと出ていた。映画の監獄セットに対して、当時を思い出し、あのときの恐怖を思い出すといったナレーションがあったが、本作のどこまでが真実なのだろうか。しかし、日本でも近年(2002年ごろ)、中国でビラを配っただけで不当に1年半ほど拘禁された事件があったところだ。本作に描かれたことは、まだまだ過去の事件とは済まされないようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-10-08 02:16:00)(良:1票)
270.  レディ・イン・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 
アメリカではシャマラン作品としてはかなり苦戦した興行収入となり、ブエナビスタ(ディズニー系)が製作に二の足を踏んだため、ワーナーと手を組んだという、あまりいい評判も聞くことはなかった本作であるために、まったく期待していなかったが、正直いってそれほど悪くはないと思う。 シャマラン監督というのは、意外と不幸な監督であり、シックスセンスの大成功により、「どんでん返し」や何か絶対に「裏」があるのではないかと、絶えず観客から変な期待されてしまう。本作には、そういった「裏」はまったくないし、自分もシャマランにはそういうものを期待しなかったから、本作を純粋に楽しめたのかもしれない。思い切って、冒頭にテロップで「本作は最後まで特別なことは起きませんので、期待しないでください」とでも流せばよかったのかもしれない。 酷評したくなる気持ちは分からないでもない。ストーリーは単純で「水の精をみんなで協力して、元の世界に帰してやる」というだけのものである。裏も何もない、本当に純粋な「おとぎ話」にすぎない。いい大人が見れば「クダラネェ」と思っても仕方がない。 しかし、自分は子どもに返ったようにワクワクしながら「マンションの住民」を応援できた気がした。「水の精」に疑いすら持たない住人たち、誰も彼も協力を惜しまない住人たちに普通ならば違和感を抱くかもしれないが、別にそれでもいいじゃないだろうか。このマンションは、シャマランの描く「理想郷」なのだから。人間はみな善良で、それぞれ役割を持ち、生きている意味や目的があるという、シャマランの理想がここには描かれている。シャマランが込めた願いとしては、子ども達にはこういう大人になって欲しい、大人には、子どものような気持ちに戻って、純粋で清らかな心を思い起こしてほしいということだろう。 個人的には、あんな狼みたいな生き物で、音や衝撃だけのコケオドシは止めて欲しかったが、人間の理想郷を描いた本作では人間の形をした生き物に「悪」を担わせることをしたくなかったのだろう。自分には、そういう理想はないので、あの狼を操る「悪者」がマンションの住人の中にいるという設定にした方が、より万人に好まれる作品になったのではないかと思う。 大人向けでもなく、だからといって子供向けの作品でもなくなってしまい、ターゲットを失ってしまったのが、本作の興行面の失敗の理由のひとつだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-02 21:19:39)(良:3票)
271.  殺しのドレス 《ネタバレ》 
「殺人」+「目撃」+「追いかけっこ」+「エロ」+「二重人格」+「夢オチ」=「ブライアンデパルマの極上のサスペンス」の出来上がり。 まさにブライアンデパルマのフルコースをお腹いっぱいに食したという印象。デパルマが好きな人ならば、絶対に満足ができるだろう。 なんていっても「カメラワーク」の素晴らしさには、惚れ惚れとする。 クネクネと動いたり、寄ったり引いたりと「どうやったらこんな動きを思いつけるのか」と感心せざるを得ない。独特のカメラワークの動きを存分に楽しんでいただきたい。 「犯人は誰か?」とか「これパクリじゃねぇ?」とかつまらないことは気にせずに、オープニングクレジット明けの30秒ほどでいきなり女性の裸が登場する「デパルマワールド」を存分に堪能するのが、本作に適した鑑賞方法でしょう。 デパルマには、「アンタッチャブル」や「ミッションインポッシブル」といったヒット作があり、本作よりも質の高い作品(ミッドナイトクロス、カジュアリティーズ)も多数あるけれども、「彼の代表作とは何か?」を問われれば、自分は間違いなく本作を挙げるだろう。 バレバレの犯人、あっけない幕切れ、メチャクチャなストーリー、力の入れ方が間違っているだろうと突っ込みたいほど熱を入れた美術館のシーン(音を一切使っていないシーンもあり)、自分の嫁の使い方など、あらゆる点において、ブライアンデパルマが極めた己の頂点の作品といってよいだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2006-09-29 00:03:03)(良:1票)
272.  サルバドル/遥かなる日々 《ネタバレ》 
本作を観て、大きく二点について考えさせられた。「エルサルバドルの当時の現状」、「ジャーナリズムの在り方」である。 エルサルバドルという国自体は知っているものの、自分は国際情勢には疎いため、政府によって国民が殺されていたという映画において描かれている「事実」を全く知らなかった。 このような事実を世に知らしめる手段の一つに映画がある。ドキュメンタリーとは違い、フィクションが多少含められているとは思うが、映画の果たすべき役割の大きさを感じる。 また、本作では、共産主義を撲滅するという名目のために、アメリカがエルサルバドル政府を軍事支援し、軍事支援されたエルサルバドル政府は、共産主義だけではなく、無実・無害のただの国民までも皆殺しにしているという現実を告発するものだ。ベトナム戦争での反省が全く活かされておらず、歴史が繰り返されている悲劇には怒りを覚える。 さらに、アメリカが軍事支援することによって生じた多くの移民を強制送還してしまうという一種の「矛盾」が痛々しい。 そして、本作では「ジャーナリズム」とは何かを感じさせる。ボイルは、スクープ狙いで金儲けが目的だったのかもしれない。ジョンに比べて軽薄であり、思想や信念も強いものではなく、体制側にも依存するように、「ジャーナリスト精神」は薄弱かもしれない。 しかし、悲惨な光景を目の当たりにして、徐々に怒りに火がつき、「真実を伝えなくてはいけない」という精神が彼の中で膨らんでいった気がする。ジョンのような初めから真面目な男ではなく、ボイルのようなどうしようもない男だからこそ、何かを共感できた気がする。 国境付近での一悶着後の談笑には、自分を殺そうとした男たちと、談笑できるくらいの度胸と、後腐れのなさがないと、この仕事は勤まらないのだよというメッセージにも受け止められた。 ジェームズウッズがかなりの好演をみせていたが、危険な撮影方法などを巡り、現場ではかなり監督と揉めたようだ。完成後に、彼が映画館で鑑賞した際に、エルサルバドルの人から握手を求められたことで、少しでも自分の演技が何らかの役に立ったのならばよかった。そういう意味では本作に出たことを誇りに思うし、監督と仕事をできたことを感謝していると述べていたのが印象的だった。
[DVD(字幕)] 7点(2006-09-07 00:39:01)(良:1票)
273.  ギター弾きの恋 《ネタバレ》 
ジャンゴと「愛」に対して病的にまで怯える男エメットをショーンペンが実に繊細な演技で演じている。 自分の気持ちをストレートに表現することができずに、ネズミの射撃行為や汽車を眺めることに逃げてしまうのも、彼の不器用さや孤独感を印象付けている。 感情を表に出すことを嫌がっているエメットだけれども、彼の奏でる音楽にはどことなく孤独感や寂しさが伝わってくる感じがした。 そして、彼の音楽を聞いているときのハッティの表情が素晴らしい。言葉を発することはできなくても、彼女の表情が様々なことを物語っている。彼の演奏に心酔していることが、サマンサモートンの表情によって見事に演じられていた。 また、アレンの演出も冴えていた。途中途中で入るアレン本人やジャズ関係者のセリフがいいアクセントになっている。 架空の人物であるエメットレイという人物をリアルに描けるという効果が生じるだけではなくて、こういうシーンを挿入せずに、もし、ただただエメットの人生だけを描いたのとするならば、話が散漫になり観客が飽きてしまうのではないか。 この手法は観客を飽きさせるのを防止するとともに、一本の映画としてストーリーを引き締める効果もあると思う。エメットの生涯を無理なく描こうとしようとすれば、エピソードが飛び飛びになってしまう。ハッティとの出会いやブランチとの結婚を無理なく一本のストーリーに収めるために、アレンや関係者に概要を語らせた後に、当該エピソードに繋げていっているのでとても分かりやすくなっており、映画がとてもスムーズになっている。 「このエピソードには諸説あって…」というような発展型にも応用されていて、アレンのユーモアも感じられる。 そして、なんといってもラストのエメットの「I mistake」が実に胸に突き刺さる。見栄っ張りで不器用な男が犯した間違い。後悔したとしてももう戻れない彼の過ちが重さが、自分の命であるギターの破壊に見事に投影されている。
[DVD(字幕)] 7点(2006-08-22 00:31:29)(良:1票)
274.  マッチポイント 《ネタバレ》 
少し期待しすぎたのかもしれない。ぎりぎりで7点を付けたいと思うが、手放しで絶賛できる映画ではなかった。 ロンドンで新境地をみせたと言われており、確かに今までのアレン作品とは一風趣きが異なるような気もしたが、このストーリーならばどうしても「重罪と軽罪」を思い出してしまうだろう。しかも、苦悩する主人公が、そこにはいないはずの者と会話する手法も「重罪と軽罪」で使われている手法でもあり、なんら驚きもない。アレン映画が好きな人ならば、むしろ失望に繋がるシーン。「重罪と軽罪」という本作よりも素晴らしい作品を知っている者には、本作はあまり高い評価は期待できないと思う。 「重罪と軽罪」になかった要素としては、「運」というものがあったと思うが、あまり「運」が効果的なポイントになっていたとは思えない。 「オチ」には一役買ったとは思うが、「運」に翻弄される人々という感じには受けなかった。様々な偶然や運があったから、確かにこのような展開になったのかもしれないが、もっと「運」が効果的な使われ方をした方が良かったのではないか。「浮気」がばれそうになったときに「運」によって救われるとか、または「運」によって浮気がばれそうになり、窮地に追い込まれてるとか。「結婚」や「仕事」にも「運」がもっと関わってきてもよいだろう。 鑑賞前には、強い野心を抱く主人公が、「運」によって救われたり、「運」に見放されたりして、「人生」がどんどん転がっていく、そんな男の人生をみれるのかなと思っていたのだが、どうも本作の主人公のクリスという男の考えていることがよく分からなかった。確たるビジョンもなく、言われるがままに結婚し、言われるがままに仕事に就き、なんとなくノラに惹かれ、ただひたすらに身体を求める。「運」に賭けるというよりも、ただひたすらに流れに身を任せる平凡の男にしか映らなかった。もっと、クリスの人物像に深みがあれば、面白くなったかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2006-08-20 01:55:12)
275.  セプテンバー 《ネタバレ》 
雰囲気やセリフなど、かなり質の高い優れた映画だと思う。 男女6人のそれぞれの満たされない想いが実に切なくて哀しい。そして、分かっていてもどうしても愛を求める姿や、代替的な愛に逃げてしまう姿に、人間はなんて弱々しくてもろい存在なのかと感じる。まさにfragileという言葉がぴったりの映画だ。 愛したくても愛せない、愛されたくても愛されない、そんな想いに対する答えはみつからないのかもしれない。ただ、人は出会い、そして別れていく。時が流れて、季節も変わる。夏が終わり、そして秋が訪れる。満たされない想いが癒される一つの答えは、時間だけなのかもしれないという情感あふれたラストになっている。 本作では、男女の愛だけでなく、母娘の愛についても描かれている点も面白い。やはりお互いの気持ちが向き合うことはないのだが。 レイン(ミアファロー)の母親も自己中心的でありながらも、レインに対しては強い愛情をもっている。一人でコックリさんをやっている時の表情や、ピーターとレインの仲を取り持とうとダンスを勧める様子などをみても分かる。ただ、愛情は持っていても、その愛情の示し方や、レインに対する接し方が分からないだけなのだろう。レインの母は、過去のことは過去のことと割り切るタイプなので、過去に囚われて前に進めなくなっているレインとどのように接していいのかが分からないのは無理がない。 一方、レインは事件のことも、家のこともすべてを自分に押し付けて、勝手気ままに生きる母親に対しては我慢できないでいるが、自分の満たされない想いを自分のせいではなく、母親へ責任転嫁しているだけではないか。たとえ、ニューヨークに行ったとしても、幸せになれるだろうか。本当の幸せは、目の前(ハワード)にあるのに、周囲が見えなくなっている状態を、ミアファローが素晴らしく演じている。 ステファニー(ダイアンウィースト)も夫婦間の満たされない想いをピーターへぶつけてみたり、ピーターは作家になりたいという満たされない想いを、レインやステファニーにぶつけている。 しかし、好きでもないレインに手を出すピーターや自分を試すためにピーターを誘ったステファニー、娘を理解できないダイアンなどに特別な悪意があるわけではない。ただ単に、人はみな弱々しくて、その弱さを何かで埋めるしか術を知らないだけなのだから。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-08-07 23:07:03)
276.  ラジオ・デイズ 《ネタバレ》 
古きよき時代の古きよき思い出が、「ラジオ」にまつわるエピソードと「美しい音楽」を通して語られていく。 時代とともに忘れ去れてしまう過ぎ去りし日の美しい思い出というのは、「具体的」でありながらも、意外とぼんやりとした「抽象的」な要素も含まれていると思う。このような形があるようで、ないような難しいテーマを「映像化」するということはなかなか難しいと思うが、ウディアレンは核となるストーリーを置かずに、「家族の愛」を中心にエピソードを積み重ねることで描いた。 このたわいもないエピソードかもしれないが、誰しも必ず一つ二つ思い当たるフシがあるのではないか。「俺にもそんなことをしたり、そんなことを考えたことがあったなあ」と観客に感じさせることにより、観た人により共感しやすくさせることを狙ったのかと思われる。 さらに、アレン監督の繊細さが、よりノスタルジックに、より感傷的にさせている。まさにウディアレンだからこそ創り上げることができた良作と思う(フェリーニ監督作品は未見)。 そして、ラストもかなり良い。「年が明ける」ことを描くことにより、「古きよき時代」も過ぎ去ったように感じさせている。「古きよき時代」が過ぎ去った「もの悲しさ」を描くとともに、「新しい時代」の幕開けを祝う陽気さも同時に描いている。確かに「古きよき時代」は去っていったのかもしれないが、これからの「新しい時代」も「古きよき時代」と同じように、よい時代にしていこうという希望的な明るさも感じさせているような気がした。
[DVD(字幕)] 7点(2006-08-05 00:16:14)
277.  スーパーマン リターンズ
約20年ぶりに復活したシリーズ最新作は、続編でありながら、原点回帰のリメイク的な内容にもなっている面白い造りだ。今まで観た事がない人でも十分楽しめる内容にはなっているが、「Ⅰ」とリンク(マーロンブランドの重要なセリフ等)する部分もあるので、事前に「Ⅰ」だけでも観ておくとより一層楽しめるだろう。 【評価とテーマ】なかなか評価は難しい。「なぜスーパーマンが必要なのか」というテーマを相当ねちっこく、かつ丁寧に創りこんだため、完成度は高く、スーパーマンに対する深い愛情も感じられる良作というジャッジもできるが、2時間30分という長尺と派手なバトルがあるわけでもないストーリーとのバランスを踏まえると「長い・飽きる・くどい」といった評価も聞こえてきそうだ。「初代」に思い入れのある人には高評価で迎えられると思うが、最終的にはあまり高い平均点は期待できないかもしれない。 【ブランドンラウスが演じるスーパーマンについて】見た目や雰囲気はクリストファーリーブを彷彿とさせる見事なチョイスかもしれない。しかし、肝心の演技ができるかどうかは別だ。彼のスーパーマンは「表情」が語っていない。鉄火面のような無表情、CGのような無機質さを感じる。「人類に対する慈悲深い無償の愛」が根底にあるのは分かるが、「表情が豊かではない」→「感情が伝わらない」→「行動に対して共感できない」→「さっきから同じことの繰り返しじゃないか」という思考が延々とループしてしまった。もっと人間くささを出してもよかったように思える。 【ケヴィンスペイシーが演じるレックスルーサーについて】「セブン」のようなゾクゾクするような悪役を期待していたが、やや魅力を欠いている。好意的な評価をしても初代のジーンハックマンと同レベルかなという印象。もっとはじけてもいいと感じたが、本作のテーマを踏まえて、キャラクターとしての存在感を抑えたようにもみえる。本シリーズは、悪役が目玉となる「バットマン」とは根本的に異なり、あくまでも主役はスーパーマンという方針なのかもしれない。 【その他】幼年期のジャンプシーンは「スパイダーマン」や「ハルク」、着地時には「ミッションインポッシブルⅠ」を思い出した。ルーサーの出獄理由は「ダーティハリーⅠ」と似ているし、「タイタニック」のようなシーンもある。パクリではなくサービス的な意味合いでなかなかユニークと感じた。
[試写会(字幕)] 7点(2006-08-02 21:01:38)(良:2票)
278.  スタンドアップ 《ネタバレ》 
「女性」として、そして「母親」として、あるいは「娘」としてのジョージー・エイムズという人間をシャーリーズセロンが見事に演じきった。自分の力だけで子供たちを育てていきたいという芯の強さ。弁護士、父、母、同僚、友人多くの人々に支えられながら、決して泣き寝入りすることなく常に戦い続けたいという激しさ。不当に罵られた際に親友や子ども、周囲にあたってしまう弱さ。父や周囲に蔑まれても「過去」を一人で抱えてしまう「苦しみ」。セクハラや恐怖に対する怯え、苦しみ、怒り、やるせなさ。これらの複雑な感情が観客にもダイレクトに伝わる迫真の演技だったと思う。 しかし、全般的に優れた作品で穴がなく、かなり「リアル」なストーリーなのだけれども、どこか「押し」の強さや盛り上がりが足りない感じもした。最初8点くらいの作品かなと感じていたけど、そこまで高得点を与えてよいのかと悩んでしまう映画だった。 そして、個人的に残念だったのは法廷シーンが少なかったこと。本作で日本にはないクラスアクション制度(集団訴訟)について少し勉強できるかなと思っていただけに残念。不勉強ながらちょっとかじったことがあるのでクラスアクションについて知っていることを書くと、普通の一般の訴訟では、被害を受けた被告と原告が、自分の権利を巡って争うものであるが、クラスアクションは、クラス(本作ではセクハラで被害を受けた女性のすべて)を代表して、クラス全体の権利を個人が争うものである。勝手に他人の権利を処分することになるので、クラスにいる者には通知する必要があるが、クラスにいる者は積極的に「除外(オプトアウト)」の手続きを取らなければ、判決の効力はクラス全体に及ぶという制度である。いろいろと弊害も多い制度(自己の権利が勝手に他人に処分されるおそれ、高額な賠償額による企業経営の切迫、弁護士の金儲けの手段)であるので、EU諸国でも導入されておらず、おそらくアメリカ特有の制度である。アメリカでも、今ではクラスアクションをなんとか押さえ込もうとしている始末であるため、日本で導入されることはまずないでしょう。日本にも選定当事者制度(あまり利用されていない)という類似の制度があるけど、こちらは被害を受けた複数の者が、自己の権利を被害を受けた者に委任して、一人ないし複数が代表して訴訟を争うものである。似ているけど、本質は大きく異なる。
[DVD(字幕)] 7点(2006-07-21 23:33:20)(良:1票)
279.  マシニスト 《ネタバレ》 
役者と監督のやる気が伝わる、いい映画だったと思う。 ただ、妄想ならばなんでもありというわけにはいかないのではないか。 デイビッドリンチの世界とかなり近い感じがするけど、リンチの描く世界は、混乱しているようにみえて実はきちんと調和が取れているのに対して、本作は辻褄を合わせるために綺麗にまとまりすぎている感じがする。 だからオチが分かるとちょっとガッカリという気がする。 でも、消したい記憶と消えない記憶という都合のいい人間の記憶のプラグラムに対して、「良心」という計り知れないものを掛け合せた世界を描いたという点は評価できる。この監督には注目したい。
[DVD(字幕)] 7点(2006-07-09 17:18:52)
280.  M:I-2 《ネタバレ》 
ハトが出てきたあたりから、唖然としながら画面を見つめていた。 そのあとも嘘みたいな展開が快調に繰り広げられていく。 「ミッションインポッシブルってこんな映画だったっけ??」という疑問符が脳裏をかすめながら、戸惑いながら映像を凝視し続けると、次第に嘘みたいな展開が心地よい爽快感に変わっていった。そして観終わった感想は「トムクルーズにハト意外に合うなあ。」というものだった。 この映画をみて感じたことは、トムクルーズのプロデューサー能力は相当に高いなと思われる。 ブライアンデパルマ監督のサスペンスタッチの前作が成功を収めたにも関わらず、前作の「型」にハメることなく、前作とは全く異なるテイストで攻めるというのは、なかなか出来ることではない。コケたら当然ボロクソに言われるということが目に見えているはずであり、大金が動くこの世界では比較的冒険はしないのがセオリーである。それにも関わらず、あえて新たな一面に挑戦し、その可能性に賭けた結果、大成功を収めたわけである。プロデューサーとしては一流と言わざるを得ない。 そしてジョンウー監督の起用も流石と唸らざるを得ない。その分野に秀でた監督をきちんと起用し、監督の好き勝手にやらせたであろう結果が画面からにじみ出ている。予算の関係から監督に好きにやらせない風潮が多い中で、監督の悪ノリに近いノリをそのまま映像化し、監督の長所を引き出している点からもプロデューサーとしては優秀と言わざるを得ない。 ただ、脚本は意外と筋がいいのに、その良さを上手く演出することなく放棄してしまっている点がもったいない。二人の変装の名人がいて、本物なのか、偽物なのかというスリルが残念ながら味わえない。当然ラストのトリックもあれが本物のイーサンハントだと思う人はまず、いないであろう。最初から最後まで全ての変装が完全に「ああ、変装しているな」というのが分かってしまってはもったいないところだ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-06-21 23:55:07)(良:1票)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS