Menu
 > レビュワー
 > ユーカラ さんの口コミ一覧。14ページ目
ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL https://www.jtnews.jp/blog/24461/

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12345678910111213141516171819
投稿日付順12345678910111213141516171819
変更日付順12345678910111213141516171819
>> カレンダー表示
>> 通常表示
261.  ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
オープニングの刑務所のシークエンスから、ほぼ無言のまま身振り手振りのパフォーマンスによって芝居を見せていくトム・クルーズ。  大男との鉢合わせや、消滅しない電話ボックス、『ボーン』シリーズ的な雑踏の中での衣類調達、落下前に準備運動するジェレミー・レナーなど、専ら視覚でみせるリアクションギャグのさりげなさが全篇にわたって冴えている。  あるいは、建築物の構造と特徴から逆算でアクションを設計していく資質。その活劇志向と空間把握は、やはりアニメーション的思考の特有性から来るものだろう。  高層ビルの駆け下りやアイデアを凝らした立体駐車場での格闘とギミックの過剰さは、バスター・キートンやジャッキー・チェンのスラップスティックばかりでなくどこかアニメーション映画『カリオストロの城』の伸びやかな疾走ー跳躍アクションや時計塔の舞台装置すら髣髴させて感動的だ。  近年とみに目覚しい米国アニメーション映画の充実ぶり。 その絵作り感覚がアメリカ映画全体の底上げに大きく寄与している感すらある。  開巻からクライマックスまで、ひたすら重力と落下への偏執が貫かれる本作は文字通り「宙吊り」=サスペンスの活劇といえる。  裏通りの路地を歩いてくるコートの女はまさしく『スティング』だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2012-01-07 20:13:54)
262.  フェア・ゲーム(2010)
友人達とのホーム・パーティシーンで白熱する政治論議。 マスメディアのサダム・フセイン悪玉論を得意げに受け売りする友人を、ショーン・ペンが一喝する。そのフセイン像は自身が実際に見聞した真実の姿なのか、と。 例えば、実際の現場を直接見てもおらずに『ユナイテッド93』の顛末を(「大本営発表」を以って)既に「知っている」つもりの少なくない観客にとっては耳が痛い台詞だろう。  CIAエージェントとしての身分を暴露され絶望するナオミ・ワッツを説得するシーンと共に、俳優ショーン・ペン本人の義憤が直裁に伝わってくるような響きの台詞であり、メソッド演技である。  パパラッチとの確執。国家と個人。いずれもショーン・ペン的なモチーフであり、役者の個性と、実録としての強みとの相乗効果がまず何よりも映画の推進力だ。  劇中のホワイトハウスは曇天にくすんでいる。  今後いくつの「イラク後遺症映画」が作られていくことになるのか。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-12-10 23:01:54)
263.  殺人者(1946)
車のフロントガラス越しに照らし出される夜の街道。同乗している男二人のシルエットが浮かび上がるファーストショットから、ノワールムード全開である。  その直後のシーンに登場するダイナーの長いカウンターや、広い鏡を配したバーの内装の立体的造型が画面を引き締めている。  侵入から逃走まで、クレーンをダイナミックに使った長廻しによる強盗シーンもまた、奥行き豊かな空間とアクションの流れを作り出している充実したワンショットだ。  同伴のヴァージニア・クリスティーンそっちのけで妖艶なエヴァ・ガードナーに目を奪われるバート・ランカスター。その三人の配置と、スリリングな視線劇の妙味。 そしてファム・ファタルを妖しく照らし出す照明術の冴え。  あるいは、対峙した保険調査員エドマンド・オブライエンの一瞬の隙を衝いて拳銃を蹴り払い、一気に形勢逆転するジャック・ランバートの敏捷な動き。その緩から急への反射的アクションを捉えたワンショットの充実度。  さらには、クライマックスの感情を形づくるアルバート・デッカー邸内部の光と闇の拮抗。  スティーブ・マーティンの『四つ数えろ』でも多くのシーンが引用されているように、全編が見所といっていい。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-11-22 22:44:23)
264.  ウィンターズ・ボーン
タイトルバックの仰角ショット。 絡まりあう黒い枝々の合間から光を放つ薄日のイメージが映画の中で象徴的にリフレインされる。 生活感を滲ます家屋の質感と、中西部の寒々しい外気を伝える自然光主体の画面の感触がいい。 一癖も二癖もある登場人物たちの実在感と凄味。その佇まいだけで、主人公を取り巻くシビアな生存環境を語りしめる。 その過酷さの頂点にあるのが、壮絶なリンチを受け、左頬を無残に腫れ上がらせたジェニファー・ローレンスの痛々しい「顔」だろう。 それでも尚、擦り切れたミリタリー柄のジーンズにハーフコートを羽織り闊歩する彼女のタフで凛々しい相貌が素晴らしい。  淀んだ暗い沼の水面に落ちる月光の冷たい光と、チェーンソーのモーター音が苛烈に響く夜を彼女は越え、父の形見となった白いバンジョーを弾く幼い妹・弟と玄関前に寄り添い合う。  その三人のショットはナイーヴさを宿しながらも心強い。
[映画館(字幕)] 7点(2011-11-22 20:21:06)
265.  ミッション:8ミニッツ 《ネタバレ》 
列車、ポッド、オペレーションデスクと、可動範囲の狭い閉塞的空間の中で全身アクションを制限された役者たちの肉体は、さらにカメラフレームによっても寸断される。  ジェイク・ギレンホールのバストショットは役柄上の必然でもあり、二人の女優にとってのクロースアップは、映画表現の特権としてその相貌の肉感的な肌触りと魅力を伝えてくる。  モノアイとの切り返しの中で、ヴェラ・ファーミガのクロースアップは頬の輪郭や瞳の動きといった豊かなディティールによって彼女の感情の揺れと相克を露呈させて素晴らしい。 任務を遂行したギレンホールをねぎらい称える言葉と表情に滲む慈愛のエモーションが泣かせる。  テロリストに撃たれ、向かい合う形で路上に倒れて動けないミシェル・モナハンとギレンホールの視線を結びつけたローポジションの切り返しショットの切なさ。 その距離感があってこそ、彼の最後の決意は納得性をもち、最後の8分間の中で互いに向かい合って車窓の白い光を受ける二人の屈託無い笑顔のツーショットが活きてくる。  時間の静止した世界。乗客たちの笑顔の一瞬間が切り取られる。その渾然一体となった至高の映画的エモーションは何物にも意味づけられない。  抑圧、拘束、静止、不自由という「反アクション」の中に生の尊厳が浮かび上がってくる。  アバンタイトルの幾何学的ビル群の意匠。列車の外から中へ、というプロローグ。格子をすり抜けるカメラ。眼を見開いて横たわる女性等など。ヒッチコック的味わいも魅力だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-11-05 23:12:48)
266.  スリーデイズ
プロットの面白さは、オリジナル『すべて彼女のために』に因るもの。語りをほぼ忠実になぞって絵解きするのだから、つまらなくするほうが難しいはずだが、構図の活かし方(特に「ドア」の配置)もテンポも、断然本家が上だ。  マイナーチェンジとして、都会の鉄道を使った大掛かりな逃走アクションや、時間制限の中での子供を巡る葛藤などが付加されており、その辺りがハリウッド流リメイクとしての戦略と差別化だろう。  オリジナルの地味な魅力に比べ、スターの配置も音楽も編集もそして検問突破のサスペンス演出も、より通俗性を志向しているが、 ハイウェイを走る車から身を躍らせようとするエリザベス・バンクスの表情などは、リメイク版に新たに設定された印象深いイメージだ。  ただし余分に見える肉付け(特に序盤及びエピローグ)も多く、結果は上映時間の差が歴然と示している。  
[映画館(字幕)] 5点(2011-11-04 20:45:47)
267.  タイトロープ
黒の領域を目一杯とりながら、見せるべき身体部位や輪郭線は最小の光源によって的確に浮かび上がらせ、画面は常に見事な艶を保持している。  このB・サーティースのローキーによって、イーストウッドの顔面半分も濃い闇に塗りつぶされ、その中に潜む彼のオルターエゴを強く印象づけてくる。  仮面、覆面、ピエロ、人形もまた「裏面」を嫌でも意識させるモチーフだ。  そして、脱『ダーティ・ハリー』として自制されたガンファイトの代わりにクライマックスのアクション画面に閃くのは、稲光とヘリのサーチライト、操車場を走るレール面の照り返しである。 雷光に浮かび上がる犯人とイーストウッドの上下の切返しショット。その相似の表情が禍々しい。  次女が無邪気に語る卑語や護身用教材人形、娼婦の咥えるアイスキャンディー、ジュヌビエーブ・ビジョルドと向かい合っての筋トレで性をユーモラスに隠喩し、80年代ノワールとして倫理コードと戯れつつ、イーストウッド父娘はレイプ被害という過酷なエモーションをも担ってみせる。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-10-26 21:13:31)
268.  猿の惑星:創世記(ジェネシス) 《ネタバレ》 
ホークスの『モンキー・ビジネス』(1952)で、チンパンジーが錠を外して檻を抜け出し、若返りの新薬を調合、味見し、それを人間の給水機に混入させてしまうまでを驚異の2ショットで本物に実演させてしまっていることを思えば、CGIの時代に人間の演技を模写・変換した合成キャラクター自体は、予想を超えた動揺や驚きといったものをもたらすべくもない。(本物のチンパンジーの、時に意表を衝く豊かな表情変化は「非心理的」で実に見事だ。) 人間の演技と表情を模した生物の人間的倫理に共感性がもたらされるのはある意味当然のことであり、眼による感情表情を中心としたそれも人間の理解と納得の範囲に納まるものでしかない。  ゆえに、ドラマとして彼我の優劣を決定づけ、かつ映画としての驚きとスペクタクルを呼び込むのはその身体能力の圧倒的差異である。  映画の後半部、金門橋の上部・下部構造を駆使した登攀、懸垂、跳躍、疾駆の「超人的」アクションと、それを捉える縦横無尽の流動的カメラワーク(横移動、縦移動、空撮俯瞰)が断然素晴らしい。  同時に、仲間の殺傷行為の暴走を制止しようする「手」による反アクションのアクションが情感と同時に批評性を伴って迫る。
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-17 12:43:03)
269.  ロッキー・ザ・ファイナル
監督シルヴェスター・スタローンによる直近3作のアクションシーンは1ショットに拘ることなく、忙しないほどのモンタージュ加工によって作り上げられる。  旧作で、寝起きから生卵一気飲みまでを捉えた一連の長回しや、持続的なウェイトリフティングとプッシュアップ、歩道から美術館の階段上までを主人公のロードワークと共に駆け上がる見事なステディカム移動撮影といった、1ショットが含み持った感動は今作には見られず、ことごとく細かいアクション繋ぎによって編集されている。  主人公の生理と同調しつつ、主人公に伴走しながら階段を登りきるカメラワークの持続があってこそ観る者により高揚をもたらすはずなのだが、テーマ曲の尺とリズムを偏重した結果か、勿体ないカットの割り方と云わざるを得ない。  一見、意匠的には旧作を踏襲しているように見えながら、過度に分解された1ショットの運動の充実度は薄い。  一方で、イエスの肖像で始まる第一作に回帰し、その表象として画面を彩る個々の光は印象的だ。  スケートリンク跡地で、主人公の両肩に輝くヘッドライトは五作目で語られる「Angel」だろうか。  スタローンはジェラルディン・ヒューズの玄関先に「光あれ」と電燈をつけ、彼は逆にこの光に照らされ、エキシビション・マッチの決意を固める。  そして、最後の花道を振り返る彼を照らすスポットライトの光がひときわ美しい。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-08 17:08:18)
270.  ザ・ウォード/監禁病棟 《ネタバレ》 
何度失敗しようが、諦めずに脱走を試みる不屈のヒロイン(アンバー・ハード)。 彼女を何度も物理的に投げ飛ばす幽霊も豪快でよい。  脱獄シーンでありながら、足音や物音を気にもしないその無頓着ぶりも大らかで楽しい。ベッケルの『穴』のように、深夜の廊下や通風ダクトに響き渡る過剰な音が却ってサスペンスを盛り立てる。  一つの扉から、次の扉へ。階下階上を巡る追っかけアクションもスリルがあって楽しめる。廊下の直線を縦に捉え、手前で閉まりかけるエレベーターの扉に向かって追いかけてくる看守を間一髪でやりすごすタイミングやフレーミングなども堂に入っている。  お馴染みの「横切り」や、派手な音響を伴った常套的なショッカー演出はご愛嬌。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-10-05 22:42:20)
271.  シャンハイ(2010) 《ネタバレ》 
様々な形状のランプシェード、幻燈、ネオンサイン、暖炉、ヘッドライト。 あるいは、動乱の予兆ともいうべきマッチの発火に銃の発砲火炎と、暗闇に浮かぶ光の要素は数多いにも拘わらず、明暗のコントラストが際立たず、官能性にも欠ける。 結果として光も闇も共倒れの印象で、その辺りもラブロマンスとしての弱さの一因かも知れない。  ノワールなら、せめて濡れた路面への照り返しや、黒塗り車の艶光や、煙草の紫煙へのこだわりは欲しい。  ジョン・キューザックがコン・リーを尾行するシーンはほぼ起点と終点のみで、映画として肝心な経過の描写を欠き、上海駅ホームの群集シーンも同様に、追う・追われるのサスペンス醸成が拙い。  日本大使館前での暗殺シーンのカットバックも、クライマックスのショットガンの撃ち合いも編集が乱雑すぎる。  巷で騒がしい政治性論議などはどうでも良いとして、これでは乗れない。  
[映画館(字幕)] 3点(2011-09-30 23:06:02)
272.  世界侵略:ロサンゼルス決戦 《ネタバレ》 
厭戦と不況と失業率悪化の中、なりふり構わぬリクルートに精出す米軍と、物資・施設協力の見返りに露骨なゴマスリぶりをみせる製作側。(ベビーブーマーへの配慮もぬかりない。)  あまりの臆面の無さに、逆効果ではないかと心配してしまうくらいだ。 キャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』ほど巧妙でないぶん実効性は低いだろうが、本質は一緒だ。  軍関係の画面占拠率とアクション規模は、迎合とアピールの度合いにはっきり正比例していて、イラク侵略泥沼化を経て、尚も仮想敵の捏造と徴兵宣伝に勤しまねばならない懸命ぶりが気の毒にもなってくる。  それはともかくこの映画、相も変らぬ「故意の手振れ」にまず萎える。 こんな手垢のついた「詐術」をまだやってるのか、と。そのダサさに心底、呆れる。  いくら揺らしの為に揺らしたところで、対話シーンでは平気で切返しを使い、ビルやバスへの突入シーンの度にキャメラが先行して、兵士が銃口を向けるのを「川口探検隊」式に幾度も正面から捉えるのだから、緊張感も臨場感もあったものではない。(『ハート・ロッカー』もまったく同様。)  出鱈目な視点で、単に揺れてさえいれば「ドキュメンタリータッチ」だというなら、観客愚弄というべきだろう。  これまた手垢塗れの近視眼的「小状況」設定と近視眼的顔面アップの連続は、文字通り近視眼的ヒロイズムにまみれ、無線遮断も時間制限もカウントダウンも、ドラマの中で何らサスペンスとして立体化せず、退屈極まりない。  新鮮味も皆無で、端的につまらない。    
[映画館(字幕)] 1点(2011-09-24 16:43:26)
273.  ザッツ・ダンシング!
エジソンの時代から80年代までのダンス映像がモンタージュによって紡がれ、一つのリズムにシンクロしながらオープニングナンバーを形づくる感動。  そして『ザッツ・エンタテインメント』シリーズと同様、名ショットがリプレイされる最中にストップモーションによってダンサーたちの素敵な表情と身振りの一瞬間が躍動の中から的確に切り取られ、その一瞬が永遠化するようなエンディングの映画的感動。  全身で表現される伸びやかなダンスがスクリーンを越えて観る側の何かを開放し、幸福感で満たしてくれる。  69年の不動産企業によるMGM買収とその「資産破壊」、そしてメジャー再編を経たMGM/UAによる本作に登場する作品は(皮肉にも)時代範囲からしてもMGM中心の上記シリーズ以上に多彩だ。  映画は「ダンス」を描いた古代の壁、絵画、彫刻、舞台、そして映画最初期から80年代のMTV時代までを網羅する。 様式的には、民族舞踊、チャールストンからモダンダンス、ブレイクダンスまで。 映画表現的には、サイレントからトーキー、モノクロームからカラー、スタンダードからシネスコへ。30年代のバスビー・バークレーの前衛的な視覚効果からアステア+ロジャースらの個人技・フルショットの時代への変遷も判りやすい。  なかでも、巨大セットとスターが象徴する絢爛豪華の50年代と、『フェーム』等のストリートロケが象徴する80年代とのルックの隔たりは、撮影所の崩壊を強烈に印象付ける。その一方で、ダンスは継承と同時にエレガンス志向からエネルギッシュなものへとスタイルの革新を示し、映画は黄金時代への郷愁に湿るばかりではない。 映画は健康なオプティミズムで締めくくられている。  そして何より「映画キャメラの発明以前にダンスの道を歩んだ人々に捧げる」とする映画冒頭の献辞が感動的だ。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-09-19 18:22:49)
274.  モールス
フィックスのロングショットにおいて突発的に生起するアクションの衝撃性を重視したトーマス・アルフレッドソン版に対し、リメイクとなるマット・リーヴス版は、踏み切り越しの警音や列車通過音や給油所内の喧騒といった環境音を前景に配置して後景の静的な惨劇を際立たせる趣向をそれに組み合わせている。  車のバック走行から転覆までを車内後部座席からのロングテイクで捉えるアクションシーンの1ショット性なども、2008年版のアクション演出を踏まえつつハリウッド的な派手さを加味したものといえるだろう。  バスルームのドア向こう、あるいはプールの水面上で進行する殺戮を見せない趣向の踏襲が有効に機能しているのは当然として、一方で超人的なアクションを視覚効果で見せてしまうショットは驚きも緊張も生まないのが残念だ。 白い吐息、窓ガラスへの人物の反映、犬・猫の用い方など、細部の豊かさもやはり2008年版に軍配が上がる。  怪奇幻想ムードの中に差し挟まれたレーガンの「Evil Empire Speech」(1983)は現実的で異質なアクセントとしてさりげなくも面白い。 時代性と共に、コミュニケーションの主題をも暗に仄めかしているようだ。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-19 18:19:26)
275.  トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン
カーチェイス等を主とする水平軸のアクションよりも、垂直軸・あるいは傾斜軸を活かした高低差のアクションのほうが、やはり3Dには相性が良いのか。  『パールハーバー』で戦艦アリゾナに向かって落下する爆弾を高空から追うバーチャルキャメラや、戦艦オクラホマの傾斜した甲板を船員が滑落していく移動ショットで試みられた斜面感覚がここに結実している。  ビルの高層階から地上を俯瞰する縦に深い構図の奥行きは、平衡感覚を瞬間的に迷わせ、落下の錯覚を催させてはくるのだが、それはあくまで感覚刺激にとどまり、映画の感情を際立たせることは無い。  高層ビルから飛行艇へ、シャイア・ラブーフを追ってヒロインが果敢に飛び移るショットや、半壊して傾斜の度を増すビルの中で手を繋ぎ支え合う二人のアクション等にはもう少し情感というものが伴っても良さそうなものだが。  その無頓着ぶりと、状況をナンセンスコメディに転化させてしまうエキセントリックな感覚こそがマイケル・ベイの資質なのだろう。  それでも(それゆえ?)楽しめてしまうのは、画面の豊かな活劇性ゆえだ。  全身による螺旋回転運動を採り入れながら敵を蹴散らしていくトランスフォーマーのダイナミックな横移動ショットなどは、マキノ的な殺陣アクションを連想させずにはおかない。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-03 20:13:28)
276.  大列車強盗(1903)
駅舎の中、駅員が拘束される画面右手奥の窓に映る「列車の到着」。または強盗が行われている貨車の側面扉の奥を水平方向に流れていく木々の光景。  画面の前景・後景それぞれに常に動態が取り入れられ、重層的画面は固定化することがない。  原野のロケーションを背景にした列車や馬の疾走、そして車上の格闘はパースペクティブを活かした縦構図の中に捉えられ、乗客降車のモブシーンや、躍動的な群舞シーンは画面を賑やかに活気づける。  林の中を逃走する強盗団の1人が落馬するショット、そしてクライマックスで画面奥の保安隊と手前の強盗団の間で交わされる銃撃戦を延々と捉える固定ショットもアクション性豊かだ。 その乱戦の活劇感覚がとてもいい。 画面のあちこちにに突発的に白い硝煙が広がる瞬間、馬たちが驚き、怯える様はそこにある「音」をも強烈に感じさせる。   
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-08-27 00:56:04)
277.  ルネ・クレールの明日を知った男 《ネタバレ》 
意欲と技巧の先走った感もあるトーキー初期に比べ、40年代ハリウッド期(第3作)の「音」使いは控えめながら要所要所で対位的な面白味を加味して物語を引き立てる。  窓ガラス越しのショットによって、オペラハウス会場の歌声と拍手をロビー側の強盗シーンの騒乱に被せる。または、楽屋裏でのアクションに表舞台の楽曲をオフで被せてシンクロさせるといった部分だが、それら技巧の突出を控える分、魅力的なキャラクター達の造形と話術に力を注いで荒唐無稽な脚本をファンタジックに昇華している。  川に飛び込んだリンダ・ダーネルが、ディック・パウエルのダブダブのスーツを着て自室に帰るシーンあたりから、少々無愛想だった彼女が俄然魅力を放つ。  クライマックスのアクションも空間的な広がりとタイムリミットが活かされ大いに盛り上がる。  そしてラストの雨宿りの幸福感溢れるツーショットはまさにクレール印だ。 冒頭と釣り合う形で、50年後(金婚式)の二人のロングショットにカットバックしたかと思うと、いま一度若き二人の仲睦まじい笑顔に戻る。その魅力的な二人の表情がとても愛しい。  主人公を諭すジョン・フィリバーの柔和な佇まいも素晴らしい。     
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 21:01:22)
278.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 
仮想的を「宇宙」に求めたバイロン・ハスキン版(53)とは異なるアプローチによる、本来あるべきウェルズ原作「世界間の戦争」の忠実な映画化である。 それは即ち、異なる価値観に生きる他民族同士の争いを問うという事だ。  第二次大戦後のパル=ハスキン版に対し、2005年にH・G・ウェルズをリメイクする意義とは、いわゆる9.11が触発した現在進行形のイラク侵攻(一方的軍事侵略)が突きつけた課題に映画人としてどう向き合うか、という事に他ならない。それを明確に象徴するのが旅客機の残骸の図であり、埃塗れのトム・クルーズであり、暴徒化し難民化する群衆の姿だ。  映画は大状況の説明には興味を示すことなく、小状況の中で争い合う人間の、いわば原理を追究していく。 だから、映画は地下壕での主人公自身による殺人行為に異様なほど十分な時間を割く。ドアを閉じ、ダコタ・ファニングを眼隠しすることがここで映画的効果を発揮している。  闇を効果的に強調するヤヌス・カミンスキーの撮影が相変わらず素晴らしい。
[映画館(字幕)] 9点(2011-07-24 19:50:42)
279.  激怒(1936) 《ネタバレ》 
前半の善良な青年から、後半の荒んだ復讐鬼へ。スペンサー・トレイシーの変貌ぶりが憎悪の奥深さを雄弁に物語り、映画に濃い陰影を投げる。  保安官事務所に民衆が集結してくるモブシーンのクレーンショットが、その後の波乱を予感させて秀逸だ。 事務所が火炎と黒煙に包まれる中、暴徒の笑顔のクロースアップが短く積み重ねられるモンタージュによって彼らの禍々しく残忍な印象が一層際立つのも、一種のクレショフ効果か。 裁判の重要な証拠となるニュース映画のストップモーションと共に、インパクトが強烈だ。  ショーウィンドウや、「22」の視覚的記号と共に、私刑と復讐の主題系はドイツ時代から連なるフリッツ・ラングの特色だが、ハリウッド的甘味を折衷させたラストはやはりどこか、渡米後第一作の不自由を思わせる。  床屋のシーンや、裁判長の宣誓シーン、犬やアヒルのショットなど、暗い主題を中和するユーモアも随所に散らばり、作品のバランスに対する苦心と配慮を窺わせる。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-23 19:51:37)
280.  ラスト・ターゲット(2010)
全編通して、台詞の大幅な排除によって達成された寡黙の美質。 異邦人の孤立を際立たせる山岳地帯の望遠ショットの見事さ。 少々単調気味のクロースアップも、呆気ないまでに短い撃ち合いも、「娼婦と流れ者」のモチーフも、中盤に登場するセルジオ・レオーネ『ウエスタン』の引用が納得させる。  中世の趣を残す村の急峻なロケーションが絶景であり、山の斜面が作り出す地形的特色は狙撃のドラマにも巧く活かされている。 そして雨に濡れた夜の石畳が街灯の光を鈍く反射させる画は、紛れも無くハリウッド・ノワールの証だ。  暗い屋内で、サイレンサーを「職人の手」捌きで作り上げていくストイックな身振り。 銃器受け渡しスポットとなる食堂の疎らな客。抑制された静のムードが緊張感を呼び込んでいる。  草むらの中でジョージ・クルーニーとテクラ・ルーテンが距離を置いて交互にライフルの試射を行うシーンに『ジャッカルの日』の誤差修正シーンの緊張感が甦る。  娼婦を演じるヴィオランテ・ブラシドが醸す純朴と妖艶の入り混じったムードも出色だ。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-07-22 22:04:32)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS