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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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401.  ザ・リング2 《ネタバレ》 
本作で何を伝えたかったというと、一言で表せば「親子愛」である。 確かに土俵はホラーではあるが、本作は間違いなく母と息子の親子愛を描こうとしている。このスタイルは恐らく「宇宙戦争」と同じではないかと思われる。あちらは宇宙人の地球侵略という舞台で親子愛を描こうとしている。したがって、この続編の方向性やその在り方自体は間違ってはいないと思う。 しかしどう考えても誰かがこのテーマを理解していない気がする。脚本家が親子愛なんて描くつもりも無いのに監督がその方向性に持っていったのか。監督が脚本家の意向を全く理解せずに演出してしまったのか。プロデューサーがこんなんじゃ怖くないと言い出して、監督がそれに逆らえなかったのか。そもそも「親子愛」なんてテーマにしていないのに、俺が勝手に思いこんでいるだけなのかは分からないが、これでは何もかも中途半端すぎる。 この程度で怖がらそうとしているのならば、もの凄い出来の悪いホラーであるし、親子愛を描くとしても伝わってこないので、何がやりたいのかさっぱり分からない。 自分が考えるこの映画の根本の欠陥は「サマラがエイダンの身体を乗っ取ろうとしていることをレイチェルが始めから分かってしまっていること」ではないか。 この部分は、レイチェル自身にも観客にも最後まで取っておく方が良い。サマラが何を考えているか分からないところに、ある程度の恐怖を感じることができるのではないだろうか。サマラの目的がはっきりしてしまったら、精神的な恐怖は何も無い。 ストーリーのプロットとしては、エイダンが謎の奇病を発症し、彼の周辺で不可解な事件が起きる。サマラの影に気づいたレイチェルは、原因を探ろうとして、サマラの出生の秘密とサマラの目的を知る。サマラの目的を分かったても時すでに遅く。エイダンの身体を完全に乗っ取られてしまうという流れの方が素直ではないか。 最後には、サマラにエイダンを乗っ取られようとも、それが本当の息子ではないことを知っており、息子の心の声を聞くことができるレイチェルの姿をもっとアピールした方がよかった気がする。そして息子の身体を救うために奔走するレイチェルの姿と母を想うエイダンとの心の絆を。この本当の母子の深い絆には、いくら母を求めるサマラでも断ち切れないとサマラ自身に思わせないとダメだろう。あんなコトするぐらいでサマラを封印することが出来るなら楽な話だ。
[映画館(字幕)] 3点(2005-06-19 00:31:26)(良:1票)
402.  スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
エピソード1~3の流れの中で、本作は、アナキンの心の弱さを中心に、正規軍という名のクローン軍が創設されてしまい。また、ジェダイの力が弱まりつつあり、ダークサイドの力が元老院にまで及んでいることが描かれている。 大きな流れの中では、エピソード2の位置付けの意義は充分と考えられる。 一方、エピソード2を単体の映画と評価すると、後半の怒涛の展開には文句のつけようが無く、満点を付けても良い。ただ、どうも中盤のバランスの悪さが目に付く。 確かにアナキンがダークサイドに転落するまでの大切な過程なので、じっくり描くことは否定しない。 タスケン族惨殺事件は、自分の力の足りなさによって、母を死なせてしまったという自分への苛立ちとオビワンへの怒りを描くためにも必要不可欠だ。 エピソード1でヨーダが、恐れは怒りを産み、怒りは憎しみを産み、憎しみは苦痛を産むというセリフからもここは大事な部分だろう。 問題は、アナキンとパドメの恋愛だ。確かにこの二人が恋に落ちないと、ルークとレイアが産まれないので既定路線であり仕方がない部分はある。しかし、必要以上にこの二人の関係が描かれすぎている。エピソード3で強引に二人の関係を引き離そうという動きでもない限りやり過ぎではないか。この二人の恋愛をファンが見たいかどうかは想像がつくとは思うが。 そして、ルーカスの演出方法として、様々なストーリーを同時並行的に描く手法がよく用いられる。ストーリーがよりスピーディーになり、より引き締まるという効果があるとは思う。しかし、今回のようにジャンゴを追うオビワンとパドメ護衛のアナキンのストーリーを並行的に描くことによって得られる相乗的な効果は、それほどない。 緊迫感のあるジャンゴとオビワンとのやり取りに対して、野原で二人でゴロゴロしているシーンを並列的に並べるのは、互いを殺してしまっている気がする。 もしどうしても描くとすれば、今回ばかりは、それぞれのストーリーをややじっくりと描く必要があったと思う。 個人的に好きなパルパティーンがイマイチ出番がないのが残念だが、要所要所でしっかりと影を感じられたので良しとしたい。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-12 19:40:33)(良:1票)
403.  スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 《ネタバレ》 
評判は良くないけど、映画自体はとても良く出来ていると思う。 脚本はよく練られているし、映像も素晴らしいとしか言いようが無い。欠点を一言でいえば、「スターウォーズ」らしくないというところだろうか。 エピソード1~3までで、アナキンがダースベイダーになるまでと、共和国が帝国になるまでが描かれると思われる。今回、序章ということで、アナキンがパダワン見習いになり、パルパティーンが議長になるところまで描かれるのは総論からすれば、充分だろう。パルパティーンは結構好きだな。エピソード1~3の裏の主役ではないかと思うほど存在感がある。 各論からすれば、ポッドレースには臨場感があり、アナキンの細かいリカバーなど詳細に描かれている。ポッドレース自体は素晴らしいと思う。しかし、ストーリーに比して、このポッドレースに重きを置きすぎている気がする。バランスが悪すぎる。 一方、ラストの展開はなかなか面白い。クワイガン他1名とダースモールの戦い、ジャージャー率いる部隊と機械兵との戦い、アナキンの戦闘機での戦い、パドメの侵入作戦と4つのストーリーを交互に描くことで、よりスピーディーな展開となり、ダースモールの戦いの緊張感が他のストーリーにも及ぼしていて、よりよい効果をもたらしている。 しかしこのような効果にも関わらず、各ストーリーのオチはお粗末なものだ。 ジャージャーの戦いは陽動作戦であるためこのオチは動かしようはない。ただアナキンのはなんとなく…過ぎないだろうか。フォースのなせる技という説明かもしれないが、R2-D2が誘導したなりの説明が必要かもしれない。 パドメの侵入作戦は、総督がいきなりパドメに対して女王であることを前提に話し始めたため、「おい!どういうことだ!」と突っ込もうとしたら、偽のアミダラが出てきてよく分からない内に終わってしまう。 ダースモールの戦いも拍子抜けだ。あれくらいでオビワンが勝てるぐらいなら、クワイガンの存在が薄くなってしまう。クワイガン即死でないなら、最後に弟子のためにダースモールの動きを邪魔するくらいしないと不味いだろう。
[DVD(字幕)] 8点(2005-06-12 16:00:16)
404.  ザ・リング
公開当時、映画館で見たときは結構怖かったような印象があったが、改めて昼間から家で見ると何一つ怖いところはない。 とにかく怖い、怖くないは別として、面白い点としては冒頭とラスト辺りが挙げられる。 冒頭の二人の女子校生のやり取りはアメリカンテイストが満載だ。そして個人的に気に入ったのは、冷蔵庫のシーン。冷蔵庫の扉によって、その背景が見えなくなっている。「リング」ではあるはずがないが、女子校生が冷蔵庫の扉を閉めたら、殺人鬼が立っているという演出はホラーとしてはよくある展開だろう。リングにこのような演出を持ちこむのは少し面白いと感じた(日本版がどのような演出をしていたのかは忘れたが)。 ラスト辺りのレイチェルが井戸に落ちるに至るシーンは、アメリカ的な強引な手法だろう。一切、論理的な流れを用いずに主人公を井戸に叩きこむやり方はある意味見事としかいいようがない。さらに、井戸の中では強引なほどに、やや感動的なアメリカ的準ハッピィ-エンドを迎えてしまう。 このように日本のホラーがアメリカ的な手法によって捻じ曲げられていく様にはハリウッドの真髄をみた。 論点は戻り、本作はまるで怖くないと思う。ゴア監督がアメリカ人かどうかは知らないが、アメリカ人監督なら「テキサスチェーンソー」のような恐ろしさしか理解できないのではないか。このような「呪い」という抽象的な観念を演出するのは日本人でもなかなか難しいと思う。はっきり言ってアメリカ人監督には無理だろう。 それにしてもラストまでに至る道中があまりにも単調過ぎる。せっかく7日間というタイムリミットが設定されているにもかかわらずまるで焦燥感が出ていない。もっとあせりなり、どうしようもならない苛立ちは必要だろう。 また、日本版についても「怖い」という印象はないのだが「親子愛」がクローズアップされていたように思われる。息子を助けようと奔走する親と娘を井戸に落した親との対比もあったろう。しかし本作ではその視点がやや足りないと感じる。レイチェルのエイダンへの愛は接し方には微妙に感じられたがこれでは弱すぎる。ホラーなのでそんな視点が要らないということであれば、更なる緊張感や緊迫感が必要だろう。なんらかの視点なりを盛りこむか、ストーリーをもっと激しく動かそうとしないといけないのではないだろうか。
[DVD(字幕)] 4点(2005-06-11 20:21:23)
405.  クローサー(2004) 《ネタバレ》 
他のレビュワーの評価はあまり芳しくないけど、非常に楽しめた作品。四人の会話は非常に面白く、かつ深みもある。またそれぞれによって繰り広げられる恋愛模様は、痛々しくも、なにか心に突き刺さる感じを受けた。しかし、この映画の男女の関係がリアルとは思わない。むしろ少なくとも日本人の我々にとってみると、この関係は非現実的だろう。誤解や反論のある表現だとは思うが、我々は、男女の関係にある程度の嘘があることを知っており、嘘だと思っていても、一定程度、黙認し、許容している部分がないだろうか。したがって、修正不可能な場合でない限り、あえて真実を知ろうとして、それによって関係にわざわざヒビを入れようとしない。特に「過去」に関しては。しかし、この映画の世界がリアルでないとしても、ある意味「現実(リアル)」を抽象化し、それを再びモデル的に具象化したように思われる。この世界には、リアルではないものの「真実」が隠されていると思う。 特に自分が男だけあって、ジュードロウにはある意味共感できた(絶対にジュードロウのように「真実」をあえて探ろうとはしないが)。彼は男女の関係の中に「嘘」がない関係を「真実」の関係と捉えている点がなんとも痛々しすぎる。真実を知りたい、もしくは真実を知っていても、相手を信じたいという男の哀しい性を感じる。その性が二人の女性を失わせることになる。 一方、女性は全く違う行動を取っている。ジュリアロバーツは、自分からは「真実」を白状しないが、どことなく嘘のない関係を拒んでおり、態度で「真実」を醸し出して、相手に気づかさせ ている。ナタリーポートマンは、あえて現実の世界に嘘の世界を作り出しているように思える。彼女は、男女の関係に必ずしも真実は必要ないと分かっているのではないか。もしかすると、彼女にとっては、男女の関係が嘘の世界であり、ストリッパーの世界が現実の世界と感じているのかもしれない。ともあれ、4人の中で非常に大人の人間だ。 クライヴオーウェンは、GG賞を取っただけはあって、粗野で、自己中心的、かつ狡猾な男という性格を感じさせる演技をしていた。最初ジュードロウに手玉に取られていたはずが、最後には手玉に取っているあたりが人間観察に優れた医者という設定に合っていると感じる。 ある意味、これほど人間、男女関係を、軽くかつ深く描いた作品はお目にかかれない。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-06 22:36:54)(良:1票)
406.  炎のメモリアル 《ネタバレ》 
この映画には基本的にドラマ性という視点が欠如している。 同僚の死、各人命救助、結婚に至るまで、そしてあの大きな火災での救援活動など、いづれもありのままの姿を平坦に描いている。 はじめ、仲間の死をなぜドラマティックに描こうとしないのか勿体無いなと感じていたが、見続けていて気がついた。この映画の趣旨が非現実な偽物の世界を描こうというつもりがないからである。 現実の消防士の世界をありのままに描くという視点がこの映画の主題なのではないか。 ビルの上からの人命救助や、黒人の女の子を救うための人命救助にも特別なドラマは要らない。 普通の映画とは違い、ガラスもなかなか割れない。女の子を見つけたとしても、一人ではどうしようもなく、ただ助けを求め続けることしかできない。そういう泥臭い仕事が消防士の仕事なのである。 同僚の死でさえも、一時でも注意を怠れば、死ととなり合わせ、死と直結する世界であることを伝えていることに過ぎない。 なぜ彼らが危険を犯してまで、この仕事に携われるかというと、それはこの映画のもう一つの主題である「人の命を救う仕事の尊さ」だろう。 確かに人間である以上、その信念は揺らぐことはある。「この仕事は好きか」と質問されても即答できなくなるかもしれない。 しかし、ホアキンは死の間際であっても、この仕事に誇りをもちつつ死を迎えたのではないかと感じさせた。ホアキンやトラボルタ、大火傷を負った同僚他、コアな信念は揺らぐことはなかったという気がする。 たぶん自分が脚本家やプロデュサーであれば、絶対にこのような映画を創ることはできないと思う。恐らくバックドラフトのようなものを創ろうとするだろう。 この映画のように主人公を助けようという気持ちは痛いほど伝わるものの、救援活動らしいことはまるで描かずに(カッターで鉄筋一つ切るのも一苦労)、最後は置き去りにせざるを得ないという脚本は、ある意味で非常に新鮮だった。この世界にはミラクルなど何もないのである。 トラボルタも目立たないながら、なかなか良い仕事をしていた気がする。ホアキンを支え、成長させ、見守り続けていた。ホアキンの表彰式の際には、人一倍喜んでいた姿が印象的だった。 また、この映画にはアメリカ人らしいバカ騒ぎがいくつも描かれており、文化の違いというか、気質の違いをまざまざと感じさせてくれるという面も面白い。
[映画館(字幕)] 7点(2005-06-05 14:17:24)
407.  フォーガットン 《ネタバレ》 
良かった点を強いてあげるとすれば、人間が吹っ飛ばされるシーン(劇場では失笑がちらほら)とジュリアンムーアの演技だけ。 ジュリアンムーアは実際にもさすがに母親だけあって、熱演をしていたが、果たしてこの映画にその演技が必要あっただろうか。 アメリカで流行っていたころ面白そうなストーリー(妄想系か、それともなんらかの事情で周りが病気にしたてている)だなと感じていたが、日本で公開というときに、すでに「彼ら」系という宣伝をされていたのでかなりガッカリとしていた。それでも見に行ったわけだが、やっぱり正直キツイね。 特にラスト間際の「彼ら」の一人が若干姿を変えるところは、タイプが違うものの「ドリームキャッチャー」を思い出したよ。あのシーンだけでもカットして欲しかった。興ざめもいいところ。 これだけ荒唐無稽なストーリーをどのようにオチをつけるのかを黙って見ていたが、多少納得のいく点はあるけど、一言でいえば「彼らって意外と親切だな」に尽きる。 「彼ら」の存在よりも、なぜこの映画にジュリアンムーアやゲイリーシニーズが出ているのか、なぜこの映画がアメリカでヒットしたのかが何よりも最大の謎だが、「彼ら」の存在は最後まで取っておくか、もっと表に出すかしないといけないだろう。この映画は、一番中途半端な描き方をしている。 一切のスリルも、どきどき感も、謎もない映画にはさすがに高い点数は付けられない。 しかし、ストーリーのネタとしては非常に面白いとは思う。息子は死んだと思っている母親に対して周りは息子なんて始めからいないという点に関しては。このネタに対して精神科医も絡めて、「記憶」の曖昧さや確かさをテーマに扱えば、もうちょい面白い映画にはなったと思うのだが。
[映画館(字幕)] 3点(2005-06-05 01:55:16)
408.  ミリオンダラー・ベイビー 《ネタバレ》 
とても繊細で複雑な映画である。こんな映画を撮ることができるのかいうくらい、繊細さを感じた。光と影によるコントラストが、さらに本作を繊細にしている。また、セリフのない数秒のカットでさえ、数分間を物語るくらいの効果があるものがいくつも垣間見られた。この点に関しても、流石と感心せざるを得ない。 ストーリーにおいて、一番気になったのは、彼女が「悔いのない人生」を送ることができたかどうかということだ。 あのような反則による事故によってあのような結末に至り、また「彼女が何のために戦い続けていたか」ということと家族の酷い仕打ちを見ると、果たして悔いのない人生と言えるのだろうか疑問に感じる。むしろ失意のうちに、また無念の想いを抱いていたのではないか。 家族については、家は買えても、心は買うことは出来ないので仕方がないとしても、ボクシングの試合に関しては、自分が脚本家ならば、チャンピオンの反則により、大きな怪我を負う。怪我を負っても戦うことを止めようとしないマギー。何度もタオルを投げ込もうとするも、戦う彼女の姿を見て、どうしてもタオルを投げ込めないフランキー。勝つか負けるかどちらでも良いが、最後までリングで戦った代償として全身不随の怪我を負うという流れにした方が良いのではないか。最後までリングで戦うことができれば、彼女は「悔いのない人生」を送ったと思うし、スクラップが失明した試合をカットマン故、止めれなかったけど実際はどうだったのか…という話ともリンクする。 フランキーはトレーナーとしては、マギーの試合にタオルを投げ込むことができなかったけど、トレーナーを超えた存在として、マギーの人生にタオルを投げ込む業をフランキーに背負わせるというのが、すっきりする流れと思われる。彼女の人生に自己責任を負わせることが出来ないと、後味の悪い、救いのなさだけが残ることになるのではないか。 他方、彼女を死なせないという流れの方が整合的なストーリーのような気もする。スクラップの語る「誰でも一度は負ける」というセリフには、裏を返せば「負けたとしも、どんなに傷ついても、人間は再び立ち上がれる」ということを言いたいのではないか。ラストで彼女が大学で車椅子の姿でもゲール語を学ぶ姿が見られたら、アカデミー賞受賞作品に相応しい映画になったのではないかと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2005-05-30 23:40:05)(良:2票)
409.  バタフライ・エフェクト/劇場公開版 《ネタバレ》 
予告編で結論等は予想できてしまうが、中身は予想を大幅に越えており、大満足の映画に仕上がっている。 多少強引なバタフライ効果(母の肺ガン、エヴァンによるトミー殺し)もあるが、脚本自体の穴はそれほど目立たないと思う(子どもの頃に書いた殺人の絵と冒頭のメモ書きを除く)。 個人的に一番気になったのがラスト。 通りでエヴァンとケイリーがすれ違うところがラストであるが、彼女を振りかえらせる必要はなかったのではないかというのが個人的な感想。ましてや本人も振りかえる必要もない。 自分が演出家ならば、キャリアウーマンの彼女よりも、母親にでもなって幸せそうに家族で歩いている彼女を見せたい。当然エヴァンを見ても何も気付かないケイリー。そして一瞬立ち止まり、喜びと哀しみが入り混じった複雑な表情を見せて再び歩き出すエヴァンでラストという感じの方がこの映画の趣旨に合っている気がする。 製作総指揮まで務めているのだから、アシュトンにも高い演技を要求しても良いだろう。とにかくラストはあのままで良いとしても、表情はもうちょい工夫が必要だろう。 そして、この映画のテーマとしては「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」というものがあるとは思う。 確かに、娼婦に身を落したケイリーとカフェで二人で語るシーンや腕を無くしたときにベンチで二人で語るシーンがあり、脚本としては充分に盛りこまれていると思う。 しかし、上記のテーマが観客の心に触れるほどには至っておらず、少々演技が足りないと感じる部分はある。この二箇所は重要なポイントなのでもうちょい重めに描いて欲しかった。 また、この映画の重要なキーアイテムである日記については、扱いが多少雑なような気がする。ベッドの下をごそごそと漁ればすぐに出てくるような軽いものにして欲しくなかった。現在の状況を変えたいと思い立ってすぐに「現在」を変えてしまっては面白くない。 刑務所での出来事のようにすぐに変えられない状況をそれぞれのエピソードにも盛りこむという仕掛けが用意すればさらにストーリーに動きがつき、面白くなると思うのだが。 色々と言いたいことは書いたが、この映画自体には興奮させられたのが率直な感想。 
[映画館(字幕)] 8点(2005-05-22 22:35:57)(良:3票)
410.  ザ・インタープリター 《ネタバレ》 
バスの爆発くらいしか派手なシーンもなく、あっと驚くようなラストや仕掛けもない。もちろんショーンペンとニコールキッドマンが恋に落ちるような話でもない。 そのような一見地味な映画であるが、脚本が練りに練りこまれており後半以降は素晴らしい作品に仕上がっている。 その理由としては、大統領暗殺計画を舞台としたサスペンスではあるが、それに留まらず、様々な視点が織り込まれていると感じる。 まずはその大統領と社会的背景。 その国に関する複雑な関係と大統領自身の過去や二人の政敵がストーリーをより一層面白くさせている。 そしてショーンペンとニコールキッドマンの二人の関係。 妻を失ったショーンペンと暗い過去を持つニコールキッドマンの哀しみを知る二人の関係は絶妙だった。当初はペンはキッドマンに対して疑いの眼をもっていたため対岸にいるような遠く離れた平行的な二人の関係であったが、徐々に近づいていき、結びついていく様は見事である。 そして憎しみに対する「復讐」と「許し」をテーマに掲げていると思う。 復讐(映画で言う「溺死」)をすることによって、哀しみを一生背負うのか。許す(「溺れさせずに助ける」)ことによって、人生の新たな一歩を歩むのか。このテーマはこの映画にとって必要不可欠なテーマである。 そして「暴力と言論」。 暴力によって物事を解決しようとした過去と言論を信じて通訳の道を進んだ現在。ラストのあれが彼女の信念になったのかは分からないが、言論の重要性が語られたラストは見事な展開だった。 表面的にしか映画を見ない人には多少退屈な映画に感じるかもしれないが、よくよく見るとこれだけ色々なものが詰まっている。映画が好きな人には面白いと感じる映画ではないだろうか。 結構色々な映画に出ているが、シドニーポラック自身も、ショーンペンの上司役にて登場。それだけでもちょっと嬉しい感じがする。
[映画館(字幕)] 8点(2005-05-21 23:27:59)
411.  追憶(1973) 《ネタバレ》 
好きなシーンは色々あるが、一番好きなシーンはケイティが演説しているフィルムをJJ達とたまたま観ていたときのハベルの顔だな。なんとも言い様のないモノ凄い良い表情をしていた。 あれを観て、ハリウッドの10人のためにワシントンに行ったケイティが以前と変わっていない又変わって欲しくないと思ったのではないか。 そのようにハベルは思い直して空港まで迎えにいくわけだが、その時の空港での喧嘩が二人に埋めようのない深い溝が生じて、二人の別れにとって決定的なものとなるわけで、映画のキモとなると思う。 「大切なのは人間だ」と主張するハベルと「主義こそ人間の糧」と主張するケイティ。 この根本の思想の違いこそ、別れの大きな理由となると思うのだが、ただ、このシーンだけでは二人の別れの理由としては、不充分というか、盛りあがりには欠ける気がする。 確かにハベルの浮気など別れにとって副次的なものもあるが、お互いに愛し合っていてもどうしても別れなければいけない決定的なもの。お互いをお互いに理解しようとしてもどうあっても理解できないもの。やり直そうやり直そうと努力しても埋まらない溝をもう少し盛りあがるカタチで描いて欲しかった。 この映画には、二人の再会から、大学シーン、一度目の別れ、ハリウッドでの生活、二人の別れ、そして再会シーンまでを描いている。一度目の別れと復縁する夜のシーン、再会シーンが極めて素晴らしいのだが、上記のどうしても別れなければならないシーンが心に触れないので勿体無いと思う。 個人的には、ケイティを赤狩り時代のハリウッドに閉じ込めておくことは、籠の中に鳥を閉じ込めておくようなものとハベルが感じて、ケイティのために別れを決意するという流れにしても良かった気がする。 DVDで鑑賞したのだが、削除されたシーンとしてケイティが20年前の自分に似た少女(大学のようなところで一人で声を張り上げて社会に訴えている少女)を見かけて涙を流すシーンがあった。 このシーンは、バーブラ自身も削除しないようにとシドニーに頼んだようだが、政治的色合いを薄めたいと考えたシドニーは削除することを決めたようだ。 このシーンも映画のキモになるべく大切なシーンだったと思う。このシーンがあればラストにおいて活動を続けているケイティの気持ちもはっきりと理解できる。
[DVD(字幕)] 7点(2005-05-21 17:30:16)(良:1票)
412.  キングダム・オブ・ヘブン 《ネタバレ》 
第一印象としては非常に勿体無い作品だなと思う。本来ならば、グラディエーター並に素晴らしい傑作になり得たのではないか。映像はリドリースコットだけあって文句の付けようがない素晴らしさ。そして描かれた舞台やその背景にも興味が引かれ、また深いテーマも描けそうである。さらに登場人物も各々それなりの思想を持ち、クセのある人達である。 それがあまり心に響かない凡作となってしまったのには、あまりにも時間が短すぎるのではないかと思う。2時間30分程度ならば、確かにグラディエーターと同様ではあるが、個人的には2部もしくは3部に分けて描いても納まるかどうか分からないほど描くべきことが多かったように思われる。 それがあまりにも、かっ飛ばして描かれていくので少しおかしな話になる。バリアンに惹かれないのも、主人公の心情を描くだけの時間を割いていないからだと思われる。 とは言っても、個人的にはバリアンはただの「ラッキーマン」としか思えなかった。 いきなり父の前に現れたと思ったら、皆を戦いに巻き込み、一人だけ無傷にいる。 いきなり船が転覆したと思ったら、何故か一人(他に馬)だけ無傷で助かる。 いきなり因縁つけられたと思ったら、父に数分教えられただけの技で、腕の立つ剣使いを倒してしまう。 何を考えてよく分からないが、いきなり数十人で百倍以上の敵に立ち向かっていき「さすがにこいつのラッキーもここまでだろう」と観ていたら、切り刻まれたのに、あの結果…。 最後には何故か一人木陰でたたずむところを数名の刺客に襲われても素手(石)で倒してしまうというストーリーには、はしょっているためかメチャクチャな展開が目立ってしまった。 また、父に託された「キングダムヘブン」の使命を全く理解していないところがバリアンに惹かれない部分であろう。 「(ギーを殺して、シビラと結婚するのは)私の良心が傷みます。私の魂は私のもの。」と言って、シビラとやっちまった揚句に拒否して、戦禍を拡大させる要因を作ったのには、誰も共感しないところだろう。 シビラとの結婚こそ、「キングダムオブヘブン」への道だと何故気付かん。 エルサレムに魂を引かれた人々を救ってやれよと思う。 最後に、エンドクレジット後に、ハンセン氏病に対する理解が示されていたのは好感的だ。観ている間に、この訳を使っていいのか、ちょっと引っかかっていたがやむを得ないところだろう。
[映画館(字幕)] 6点(2005-05-15 02:11:45)
413.  カイロの紫のバラ
高層ビルの最上階から地面に突き落とされたかのように衝撃を受けた作品。ラストではまさに「夢」から「現実」へと強引に引き戻されたような感を受ける。「現実」は汚い世界というセリフがあったかと思うが、まさに「現実」の厳しさを感じさせる。シンデレラはおとぎ話の中の世界であって厳しい現実からミアファローを救ってくれる王子様は存在しないということか。しかし、正確に言えばこれは間違いで、彼女にも王子様は確かに存在した。映画の中のトムである。 ミアには「虚構の中の夢(トム)」と「現実の中の夢(ギル)」と「現実の中の現実(夫)」という三つの道があったように思える。彼女が選んだ道は「現実の中の夢」だ。しかし自分にはなぜ「虚構の中の夢」をミアが選ばなかったのかも興味がある。ミアにとって、トムはあまりにも純粋すぎたのではないかという気がする。結婚してある程度、色々なことを知ってしまったミアにとって、彼の純粋さを受け入れることができなかった、または受け入れることに対する怖さがあったのではないだろうか。トムの純粋さを受け入れることができたのが、売春宿というのが何よりも皮肉的だ。 また、印象的だったのがラストのギルとミアの顔だ。ギルは飛行機の中で何を想うのか。ミアが薦めた役を演じることを決めたことからも、ミアに対する想いの全てが嘘なのではない。まだ端役であり、スターではないギルが選んだ選択もまた一つの「現実」だと思う。ミアを利用してトムをスクリーンに戻せなければ、ギルの俳優生命は終わるかもしれない…。彼にも厳しい「現実」を抱えていることは忘れてはいけない。 そして一人映画館に戻ってくるミア。なんとも哀しくも切ない表情である。しかし、あの映画を見つめる眼の輝き、何かを悟ったような笑顔は忘れられそうもない。「結局、私にはこれしかない」とでも言いたげであった。彼女には結局、夫の元へと戻るという「現実」しかないのだろうか。この映画を見ると、我々も何を求めて、映画館に足を運ぶのかを考えざるを得ない。 ミアと我々との違いもそれほどないのでないかとも思えてくる。ミアと自分自身を重ねて、色々なことを考させられる映画だ。アレン自身、自信のある作品と語っているだけに、この映画は本当に素晴らしい作品と思う。ファンタジックな内容でありながら「現実」を見つめている作品であり、また音楽も作品の内容とマッチしており素晴らしい。
[DVD(字幕)] 9点(2005-05-10 00:11:20)
414.  ライフ・アクアティック 《ネタバレ》 
天才マックスの時からこの監督の好きな人だけには薦められる作品で、はっきり言って一般受けはしないだろうと思われる。 何の面白くもない冒険ゴッコが繰り広げられるだけで、ズィスーの映画造りも上手くストーリーに活かされていない。 とにかく何もかも中途半端で何がしたいのか全く分からない。 海賊との戦いはバカ系なんだが、それで終始攻めるつもりでもなければ、また脱力系で攻めているわけでもない。 息子ネッドやジャグワーシャークの関係で感動させようとしているのかもしれないけど、これらではこれっぽっちも感動しない。 逆に観ている者にとっては「なんでそんなことするかなあ」と対応が困ってしまう。 思いきって、何もかもバカ系で攻めれば、結構面白くもなったんじゃないか。劇場ではかすかに笑い声がもれていたので勿体無い。自分も学生に単位を渡さないところで学生の反応には笑ったから。 この監督にとっては、ストーリーはあってないようなものが常だから、いまさら文句をつけるわけではないが、相変わらずどうでもいいダラダラとしたようなストーリーだ。 ストーリーで勝負しないのは分かっているので、この監督が勝負しなければならないのはキャラクターだ。 しかし肝心のキャラクター設定はイマイチだ。 どのキャラクターも「自分」というものを掴めずに演じているような気がする。どのキャラクターもしっかりとした「顔」が見えてこない。 顔や心が見えるのはネッドくらいではないだろうか。 また、海賊との戦いやイヌの扱いなどは、かなり度を越していると思われる。 船を半分に切ったようなセットは絶妙なのに、そのセットも上手く活かされていないのも残念だ。
[映画館(字幕)] 3点(2005-05-08 22:40:10)
415.  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ
多数のキャラクターが登場するが、各々のキャラクターに人間味や深みがある点が素晴らしいと感じる。 特に3人の息子と娘とイーライはそれぞれ悩みや弱さを抱えている。 チャスは、味方だと思っていた父親に子ども時代に撃たれたことを根に持ち、横領で父親を訴えたりと父親ロイヤルに対して相当怒りの感情を抱いている。 また、妻の死により、安全に対して敏感になっており、息子達を自由に育てることができていない。 マーゴは、養女ということを強調され続けられていることから、一人疎外感を抱いており、愛を知らない屈折した生き方をしている。 タバコを12歳のときから吸っているのも、誰かに構ってもらいたかった、誰かにとめて欲しかったことの現れのような気もする(禁煙を試みるも10年前のタバコをリッチーと吸うのはちょっと意味が分からないが)。 リッチーはマーゴのことを愛しているが感情を伝える術を知らずに苦悩している。マーゴの結婚を知ってテニスで大荒れの試合をしたり、マーゴの過去を知り自殺未遂をしたりと感情面の弱さを感じる。 イーライには両親がおらず、テネンバウムズ家族に常に憧れを抱いている。本は売れたが、続けては売れずに、結局はクスリに逃げて事故を起こす。 父親ロイヤルはどうしようもなく父親で、破産したあげく妻の再婚を食い止めるために一芝居打つ。ただ、その一芝居によって、家族と再び暮らすことが彼を変えていく。 大人になっても悩みや弱さを抱えるテネンバウムズの子ども達等だが、父親のロイヤルの変化によって、子ども達もそれぞれが微妙に少しづつ前向きに変わっていく姿が感動的だ。 しかし、孫達に無謀さを教えてやりたいと色々と連れまわすところはロイヤルという人間がよく分かるシーンだ。 また、妻のエセルと川沿いのようなところを二人で歩くシーンもロイヤルの人間像が分かり、結構良いシーンだと思う。 特にストーリーらしいストーリーはないけど、淡々とした流れの中に登場人物の様々な感情やその変化を感じることができる素晴らしい作品に仕上がっていると感じる。
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-08 03:52:49)(良:1票)
416.  天才マックスの世界
好きな人は好きなタイプの映画かもしれないけど、自分には全く楽しめなかった。 ストーリーとしては、ストーリーがあって、ないようなストーリーである。ストーリーで勝負しないのならば、キャラクターで勝負するのかと思っても、せっかくの奇特なキャラクターであるはずのマックス以下誰にも惹かれるものがいない。 この映画の基本的なテーマとしては、人はどんなことがあっても再び分かり合えるということだと思う。 マックスは好きな女にハーマンを取られて、あれだけいがみ合った時があっても、仲直りできたし、親友ダークとも彼の母親のことで喧嘩しても仲直りができた。 好きな先生のクロス、マックスの父親、ハーマンの息子、眼がねの女の子、ラシュモアの校長先生とも色々あったけど、最後には皆と分かり合えることができた。 何かというか、ただ仲直りできた「それだけ」としか感じられず、何かが足りず、もっと深いところが描けていないような気がする。 演劇の演出や稽古などで、心を通い合わせる過程やきっかけが描ききれていないのではないか。 また、それぞれのキャラクターに深みがなく表面的であり、ストーリーもあっさりとしすぎているために、何も感じられるところがないという結果になっている気がする。少しもったいないと思う。
[DVD(字幕)] 4点(2005-05-07 21:53:16)(良:1票)
417.  レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語 《ネタバレ》 
子ども向けの映画と承知しつつ、内容について思いっきり突っ込んでみたい。 まず、目新しいストーリーであるはずのタイトルが示す「不幸せな物語」があまり不幸せな物語になっていない。子ども達に演技を高度な演技を要求しているわけではないが、不幸せ感が全く感じられない。長男は両親を多少恨んだり、長女は届かない手紙の話をしたり、演出家はラストの手紙のオチへとストーリーを振っているつもりになっているが、演出が悪すぎて全く振りになっていない。もっと感情を出して両親を恨んだり、自分たちの境遇を呪ったりしないとラストの手紙の効力が半減すると思う。 「家族とは何か」「本当の幸せ、不幸せとは何か」といったことを映画の冒頭からラストに至るまでの間に描かなければいけないところをラストの数分でストーリーとはほとんど無関係なところで描くから無理がある。 そして演出に全くキレがないため、どこにでも有りがちな映画でしかなくなっている。 子ども達に様々な不幸が身に降りかかるが、その克服方法の描き方があまりにもお粗末すぎる。 クイズで「「オ〇フ」の〇に字を入れてください。」といったようなものがあるがこの映画における危機からの脱出方法がまさにこの程度と言って良い。 ヒントを散りばめすぎていて、かつあっさりすぎているため、観客は全くドキドキ感を感じないのではないだろうか。もう少しギリギリ感を出してタメを作らないと、この手の映画としては失格だろう。一応結婚証書ではタメているつもりになっているところもあるが、タメという効力よりも、観客にイライラ感を与えているだけになっているところもある。 せっかく子ども達には、発明力と暗記力と噛むチカラという特性を備えているのに、これらのチカラをあっさりと描きすぎているのも問題だ。この最悪な状況からどうやって抜け出すかを少ないヒントを与えて観客にも考えさせる位の演出と余裕も必要だと思う。 しかし相変わらずジムキャリーの演技だけは冴えていた。彼がいなかったらどうなっていたことか。相変わらずの上手さとオーバーアクションにならないギリギリのところで演技している。 ジュードロウに関してはもう少しクセを出さないとレモニースニケットという謎の人物のミステリアス感が感じられない。むしろダスティンホフマンにでもやらせた方がよっぽど良かった気がする。
[映画館(字幕)] 4点(2005-05-07 21:22:54)
418.  ドッジボール 《ネタバレ》 
基本的にはかなり笑えた。 計算されたようなネタ振りをして、ストーリーや流れに乗せながら、それぞれオチを付けるというのはなかなか笑いが分かっている人が作っていると思う。 しかし「ズーランダー」に比べれば、ハジケ方がそれほどでもないかなという印象。 ドッジボール特訓シーンはもっと笑いが取れるところなのに扱いが勿体無いと思う。 ベンスティラー一人にボケ役を担当させるのならば、彼には更にもう一味ぶっ飛んだ切れ方が欲しかったというところ。 ベンスティラーのお仲間の黒人にはもうちょい頑張って欲しかった。彼には原チャリしか笑えなかった。一番強烈だったのが、マユゲの繋がった彼女だろう。彼女と貧弱のシチサンの恋や試合シーンにはもうちょいスポットを当てても良かったかなと思う。ここでも笑いの一つや二つは取れるところだろう。 グロボチームには3名ほど個性的な奴がいる一方でアベレージチームには個性的なキャラクターが少ないのが残念だ。 眼がねのおっさんとシチサンには多少出番があったが、海賊と黒人は何一つ笑いが取れてない。こちらのチームにも個性的なキャラクターがいないとつまらない。 ドッジボールの試合の扱いとしては、多少真面目に作りすぎた感がある。CGなど使われたら興ざめになるが、笑いとしてはイマイチだろう。 試合で笑いを取らなくても良いのなら、実況者で笑いを取るべきなのに、あの二人にはほとんど笑えなかった。 個人的に気になったのが、ラストのオチだ。 ネタバレになるが、オッズ50倍のところに10万ドルも突っ込んだら、賭け金の総額がどの程度の規模にもよるが、あの程度の大会の試合ならオッズが逆転してもおかしくない話だろう。 もっともアメリカのオッズのつけ方が日本と違うのならば問題はないが、日本のギャンブルでは絶対ああいう風にはならないはずだ。 胴元が固定的なオッズを付けているのか、それともノミ屋みたいなところで勝負したのかどちらかなのだろうか。ギャンブルをやる者としては非常に気になったところだ。  
[映画館(字幕)] 6点(2005-05-02 00:27:25)
419.  ブロードウェイのダニー・ロ-ズ
ヘリウムガス位で派手な面白さはないけど、不思議と優しい気分にさせるいい作品だと思う。 特にダニーの「人間像」「芸人に対する愛情」「人生観」が素晴らしい。 昔は漫談家だったダニーだが、今でも芸人時のクセからか誰に対しても年齢を聞くことは忘れてないし。「一言言わせてくれ」(「説教でも冗談でもなく」ヴァージョンもあり)という決めゼリフや叔父や知り合いがいった名言を多用するような点を見ると、彼は本当に「笑い」が好きなんだなと感じさせる。 マネージャーではあるけれども、心のどこかではまだ舞台を夢見ているのかもしれないと感じさせる部分はあった。 そして全く売れない芸人に対する愛情が溢れていると感じさせる。自分のことのように熱心に売り込み、そして恩を仇で返すように裏切られ、それでもまだ彼は必死に芸人を売りこみ続ける。そんな彼の性格がにじみ出ていたし、彼が開く感謝祭もまさにそんな雰囲気が感じられる。 バーニーダンを犠牲にしたのも、彼が旅行中と思っていたからであって、別に単なる売れないどうしようもない芸人だから巻き添えにしたのではない。あの感謝祭に彼の姿があったのも少し嬉しくなる。 さらに彼の人生観だが、「人生に笑いが必要だが、ある程度苦しみも必要だ。」というのは本当に名言だと思う。 「スター、スマイル、ストロング(=3S)」を合言葉に常に「自信をもて」と芸人に勇気付ける姿は惹かれるキャラクターだ。 負けイヌでもいい、一夜にして英雄になれる可能性があるのだからと言い切るところには「夢」を諦めない強さを感じさせる。 一方、ストーリーとして少し物足りなさを感じさせるのも事実だ。 ストーリーのオチとしては、ティナとの友情が「根」にあると思われるのだが、ダニーとティナの二人の逃避行が面白い部分はあるものの、それほど心に訴えるものが少ないように感じる。 ティナが感じる「罪悪感」がもっと感じられるようにした方が良かったのではないか。 ティナとの逃避行の中でダニーがルーへの熱い想いをどこかで語るような部分があればティナの罪悪感を感じられるはずであり、もっと映画としては引き締まるように思う。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-04-29 23:45:59)
420.  さよなら、さよならハリウッド 《ネタバレ》 
2002年のカンヌのオープニングを飾って以来、約3年間ほったらかしにされていたアレンの作品。その理由は映画を見ればだいたい分かる。 心因性の失明に陥った映画監督がそれを隠して映画を創るというストーリーだが、本作も眼が見えない人が創ったようなピンとぼけた映画となっている。 この映画が(本来)伝えたかったことは、①眼が見えないことをヴァルが必死に隠そうとする姿と周りがそれに気付かないギャップを楽しむドタバタ劇、②父と息子の復縁する姿、③ヴァルと前妻エリーとの愛を再燃していく姿だと思う。 そして①~③を通して、眼が見えていたはずなのに見えなかったことが、眼が見えなくなったことで見えるようになっていくというストーリーを描くつもりだったのではないかと思っている。 しかし、①に関しては、どっちの時計や銃がいいかという小手先のネタや、高いところから落下する姿が描かれるのみで、肝心の映画「眠りなき街」の撮影シーンがほとんど描かれていない点が問題だ。また、面白いキャラクターもいるのに上手く活かされていない。 バレそうになるところで何とか乗る切るのがこの手の映画の面白いところだろう。 中国人カメラマン→エリー→ロリ→ハル→記者の順でなんとかごまかしていく方が良かったと思われる。変人だからの一言で済ませ、誰も疑問に思わないというのは致命的な欠陥のあるストーリーだ。特にエリーだけは疑問に思って欲しかった。「自分と会わないのはおかしい」という疑問は持っていたが、ヴァルのことを死ぬほど分かっているといっていたのに結局、何も見えていないのではないか。 ②に関しては、精神科医が突然トンチンカンな訳の分からないことを言い出したかと思ったら、本当に息子が出てきやがった。しかもストーリーと全く意味なし。出すのならヴァルが再び眼が見えるきっかけに使うべきだろう。 ③に関しては、ヴァルの嘘に気付き、エリーと二人三脚で映画を創る姿をきちんと描かなければ誰も納得しないだろう。眼が見えたときの「君はなんて美しいんだ」とニューヨークの美しい景色だけでは騙されない。ヒットはするものの金のことしか興味のない婚約者に嫌気をさすというストーリーの方が本質的ではないか。見えなかったものが見えるというテーマに対しては。 結論としては、良かったのはラストと原題のタイトルだけ。タイトルは二重に意味があり面白いとは思う。
[映画館(字幕)] 4点(2005-04-24 01:31:20)(良:1票)
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