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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  新しき世界 《ネタバレ》 
ラスト、辛辣な運命に導かれるままに、ついに望まぬ“椅子”に収まった主人公。“新しき世界”を眼下に見下ろし、彼は何を思ったのだろう。 一見、彼の表情は自らの運命に対しての苦悩に苛まれているように見える。 しかし、その先のシークエンスで、彼の中にはそういった苦悩とはまったく別の感情が巡っていたのだろうことが分かる。 ラストのラスト、この映画で主人公が唯一見せる或る“表情”。 観客も、主人公自身もはたと気づく。 彼にとっての“新しき世界”は、とうの昔に始まっていたことに。  いやあ素晴らしい。毎度のことながら、韓国映画には新鮮に感服させられる。 監督の巧さ、俳優の巧さ、撮影技術の巧さ、すべてが高水準であることは間違いなく、総じて「映画づくりが巧い!」と言わざるをえない。  特に個人的に思うのは、ラストシーンの絶対的な巧さだ。 今作においても、ラストシーンの映画的巧さによって、作品自体の質を格段に上げている。 韓国映画のつくり手たちは、本当に映画という“娯楽”をよく理解していると思う。  そして、俳優たちが演じるキャラクターの“実在感”がまた凄い。 一人ひとりの顔つきに、各人物の人生模様が如実に現れていて、細かい人物描写がシーンとして無くとも、彼らがどういう人生を歩んできたのかが見えてくる。  嘘で塗り固められた人生を歩んできた主人公は、「真実」という“偽り”をすべて捨て去り新世界の支配者となる。 その彼の表情が苦悩に満ち溢れていたとしたならば、それはやはり、新世界の景色を共に見下ろすべき存在が誰であったかということに、ようやく気付いたからだろう。 その「孤独」に心が揺さぶられる。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-01-25 00:56:17)(良:2票)
22.  アメイジング・スパイダーマン2 《ネタバレ》 
勢いよく飛び出した蜘蛛の糸が、ヒロインを救うために伸びる。 この“スーパーヒーロー”のどの作品にも描かれているお決まりのシーンの筈だが、“糸の先”が必死に伸ばした小さな手のように映し出される様を見て、突如としてその先の“悲しみ”が脳裏をよぎる。   前作に続き、ヒロインを演じたエマ・ストーンが、最初から最後までどのシーンにおいても、可愛く、美しい。 ヒロインのその存在感こそが、この映画の総てだと言ってしまって決して過言ではないと思う。 なぜならば、マーク・ウェブ監督が描き出したこの“スパイダーマン”は、決してヒーロー映画ではなく、若い男女を描いた恋愛映画であり、青春映画だからだ。 前作でも感じたことだが、派手なアクションシーン以上に、おおよそアメコミヒーロー映画らしくないただのデートシーンが矢鱈に印象的ことからも、それは明らかだ。  主人公をはじめ、登場人物たちの行動原理はとても浅はかだ。 約束は守れないし、一度決めたこともその場の気分ですぐに覆す。 彼らの軽薄さと危うさは、そのままこの映画全体の脆さに繋がっているようにも見える。  しかし、僕はその部分こそが、この映画の最大の魅力だと思える。  軽薄さも危うさも、見ていて気恥ずかしいまでの青臭さも、それらはすべて若者たちに与えられた「特権」だ。 常に揺れ動く“不確かさ”こそが、この映画におけるリアリティであり、他の映画にはないオリジナリティだと思う。   特に自覚もなく“大人”になったばかりの彼らが選んだ「道」は、あまりにも堪え難い悲劇だった。 しかし、その悲しみも、後悔すらも、彼らに与えられた権利であり、誰が非難出来ることではない。 ただ、その選択をした“本人”だけが、ひたすらに悲しみ、ひたすらに後悔し、絶望に沈むことが出来る。 だからこそ、絶望の淵から再びマスクを被り、少年の前に立つヒーローの姿に胸が熱くなった。   原作でのヒロインの顛末は知っていたので、“そのこと”自体に対しての驚きはさほどなかったけれど、想定以上にその後の自分自身の落ち込み具合が大きいことに気付いた。 それも、このシリーズが前作から通じて描き連ねてきた、“若さ”に対しての希望と、それと隣り合わせの脆弱さが結実した結果だと思う。  ヒーロー映画としての最大の“タブー”をしっかりと描き切ったこの映画の勇気、その価値はとても高い。
[映画館(字幕)] 9点(2014-05-02 00:41:02)(良:3票)
23.  悪の法則 《ネタバレ》 
ラストシーン、或る人物が「お腹がすいた」と一言発し、暗転、この映画は終焉する。 その瞳は、愉悦を覚えているようにも見えるし、欲望を満たすことを続けなければこの「世界」では生き続けられないということを、この映画に登場する誰よりも“正確”に理解している人間故の深く暗い悲哀に溢れているようにも見えた。  非常に哲学的で、極めて奇妙な映画であることは間違いない。 豪華キャスト勢揃いによる麻薬取引を軸にした“犯罪エンターテイメント”と高を括って観てしまうと、虚をつかれることは避けられないだろう。  マイケル・ファスベンダー演じる主人公が、終始ただ「カウンセラー(弁護士)」と呼称されることに表れている通り、この映画ではキャラクターのバックグラウンドに踏み込むような描写は一切無い。 それどころか、彼らがどういう経緯と理由で「悪」に手を染めているのかということも明確にならないし、描き出されるストーリーの“顛末”においても、「誰がどうしたからどうなった」という、普通の娯楽映画であれば当然ある筈の「事の真相」も抜け落ちている。  もちろんそれは描き手の明確な意図によるものであり、この映画で真に描き出したいことが、表面的にショッキングなバイオレンス描写やセックス描写などではなく、善悪の境界すらも超越した、彼らが生きる「世界」の本質的な「仕組み」の話であることに他ならない。  それはまさに、野うさぎを本能的に追うチーターの姿と何ら変わりない。  「捕食者」と「被食者」というたった二つの立場しか許されないピラミッドの縮図と、その真理だ。 そこには慈悲もなければ、憎しみすらない。ただどちらかが生きるために、どちらかが死ぬという極めてシンプルな「法則」があるだけ。  そのあまりに意欲的で野心的な映画世界を、「最新作」として送り出す大巨星リドリー・スコットの映画監督しての意識の“若々しさ”と“雄々しさ”には、毎度のことながら感服せずにはいられない。 映画作品としてのクオリティーを鑑みればそんじょそこらの映画監督が撮れる作品でないことは明らかだが、御歳76歳の大巨匠が描き出すような類いの作品ではないこともまた然り。 「衰え知らず」とは、まさにこの人のためにある言葉だと言っていい。  とても誤解されやすいタイプの映画だとは思うが、だからこそ、含まれた「真意」に対しての戦慄は殊更に際立つ。
[映画館(字幕)] 9点(2013-12-08 22:47:11)(良:1票)
24.  アイアンマン3
映画鑑賞後、マイカー(軽四自動車)で帰路についた。 アクセルを踏み込む足、ハンドルを回す手、バックミラーを見る目、何ともない自動車の運転において、心なしか“メカを操っている”という気分で高揚していることに気付く。 詰まるところ、「アイアンマン」とは、そういう映画だ。  「3」なのでもちろんシリーズ3作目なのだが、今作の場合、普通のアメコミヒーロー映画のシリーズ3作目の立ち位置とは大いに異なる。 ご存知、一年前の一大フェスティバル「アベンジャーズ」を挟んで初めての続編だからだ。 幸いにも“フェスティバル”は大成功に終わったが、その後の各ヒーローの単体シリーズに課されたハードルは、高いというよりも、非常に困難なものになった筈。 「アベンジャーズ」で、宇宙規模いや神話規模の強敵と両雄入り乱れる死闘をNYで繰り広げた後に、ヒーロー単体で一体どんな「敵」と戦えばいいんだ?という話である。  しかし、結果としてこの作品の製作陣は、見事な結果を導き出してみせたと思う。   何よりも「脚本」が素晴らしかったと思う。  “祭りのあと”の心労を主人公に与え、独善的にまで自信家だった彼に、心に植え付けられた明確な恐怖を感じさせ、同時に旗艦である自宅、そして身に纏うアーマーまでもが敵によって破壊されてしまう。 結果、彼は内も外も文字通りに“丸裸”にされてしまうわけだ。  すなわちこの作品は、これまで自慢の鋼鉄アーマーを纏うことによってはじめて“アイアンマン”と成っていたトニー・スタークが、一度総てを脱ぎ捨て、自ら破壊し、彼自身が“アイアンマン”そのものであるということを見出していく物語に仕上がっている。  そういう物語の意向を踏まえると、妄信的に開発し続けてきたパワードスーツが尽く破壊され、絶体絶命に陥ったトニー・スタークが既に手に入れていたものこそが、“ペッパー”という彼にとっての最強のアーマーだったというクライマックスの顛末も、とても感動的だ。  さて、どうやら今作を皮切りに、“フェスティバル”の第2弾への助走が始まったと言っていいらしい。 もはやこちらとしてはノせられる気満々なので、せいぜい金をかけてマイルストーンを置いていってほしいものだ。  そして、すべてを脱ぎ去ったトニー・スタークが、満を持して“フェスティバル”に帰ってくる様を心待ちにしていよう。     (2018.5.11再鑑賞)  「I am Iron Man.」と、“社長”が締め、このシリーズ最終作(一応)は終幕する。 この台詞は、第一作「アイアンマン」で、同様にトニー・スタークが放つ台詞だが、イントネーションを変えることで、同じ台詞が持つ「意味」を変えて表現しているところが上手い。 このシリーズ最終作(一応)で、あらゆるものを失ったかのように見えるトニー・スタークだが、彼は“スーツ”をはじめとする総てを失ったことで、初めて自分自身の本当の価値を見出す。 即ち、鋼鉄の最強スーツを身に纏ったスーパーヒーローが“アイアンマン”なのではなく、それを絶体絶命の中から生み出し、叩かれ、倒れてもなお、再び創造することが出来る「私」こそが、“アイアンマン”なのだということに、他の誰でもなく自分自身が認められたことで、彼の「闘い」は一つの区切りを得たのだ。  ロバート・ダウニー・Jrを“社長”に配した映画史上においても指折りのベストキャスティングに端を発したこのヒーロー映画シリーズの「着地点」として、見事な最終作(一応)だったと思う。  まあ、(一応)を連呼した通り、MCUの連なりの中では、この先も“社長”はバンバン登場するわけで、この映画のラストシーンに溢れている筈のヒーローが去った寂しさみたいなものは、今となっては全く感じることは出来ないのだけれど。
[映画館(字幕)] 9点(2013-04-28 19:24:00)
25.  アルゴ
“偽装”によるイラン国外への脱出に危険とそれに伴う恐怖を訴える外交官たちに対して、主人公は「偽装だけが銃から身を守る」と諭す。  人間、極限までに進退窮まれば、最後に唯一できることは“偽る”ことだけなのかもしれない。 そして、人間による“偽り”という行為は、必ずしも悲観すべきものばかりではないとも思える。  人生において打ちひしがれ、落ち込み、どうにもならない状況に陥ったとしても、自分が出来得る万全を期してその状況を何とか“やり過ごす”ことが出来たなら、きっとその先の展望は開ける。 決して格好良い事ではないけれど、そのしぶとさを人間は誇っていいのだと思う。 この映画と、それを生み出したベン・アフレックという映画人に、そういうことを感じた。  この映画はあくまで米国側の視点、もっと言うならばCIAの主観とも取れる“見方”によって描かれた作品である。 だから、いくらノンフィクションを描いていると言っても、真実と異なる点は大いにあるのだろう。実際大部分は脚色されているらしい。 必然的に、イラン側は分かりやすく“悪役”として描かれているが、そもそもの発端には米英による陰謀的な搾取があるわけで、国家間の争いに善悪などないというのが実際なのだろう。 その歴史的事実に対しては、世界中の人々が、正しく認知すべきだろうと思う。  ただし、いくら捉え方が偏っていようとも、これが映画である以上、そこに間違いはない。 しかも、世界中の多くの人間が観て「面白い!」と思うのならば、殊更に何の問題もないと思う。  こういう自国が直接的に関わるリアルな事件や問題を題材にして、ひたすらに面白い映画に仕上げようとするハリウッドの体質を、作品を通じて垣間見る度に、アメリカという国は、世界一“愚かな国”だけれど、結局のところ世界一“強い国”だと思わざるを得ない。  何かがほんの少しうまくいかなければ、もしかしたら世界は破滅に突き進んでいたかもしれない。 愚かな人間が巣食うこの世界はいつだってそんな危機に満ちている。  その数多の危機の一つを、文字通り、とても直接的な意味合いで「映画」が救ったという事実を、映画ファンとして愛さずにはいられない。 そしてその映画を生み出したのも、愚かな人間であるということに、ほんの少し勇気を貰え、何とか明日も生きていける。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2013-04-28 19:18:55)(良:1票)
26.  アベンジャーズ(2012)
もし、この映画を自分の意志で観に行って「つまんねー」なんて言う人が居たならば、そんな人はもう映画なんて観なくていいのにと思ってしまう。 こんなにも幸福な“THE MATSURI”映画を心行くまで楽しめないなんて、そんな不幸なことはない。  冒頭怒濤のドタバタから自分の口元は“ニヤリ”と緩みっぱなしで、結局最後まで嬉しそうにニヤニヤしながらスクリーンに食いついていた。 ストーリーが薄いとか、辻褄が合わないとか、滅茶苦茶だとか、そんなことは本当にどうでもいい。 爆音と爆発、音と光の「娯楽」のみで最初から最後まで押し通したこの映画の在り方は極めて正しく、「エライ!」と思った。  様々な世界観に息づくヒーローが一堂に会する明らかに「雑多」な映画が、これほどまで娯楽映画としてバランスよく仕上がっているとは思わなかった。 「大味」であることはそもそも覚悟して、たとえ中だるみや陳腐さがあったとしても許容する用意はしていたのだけれど、そういう部分が驚くほどに無かった。 無意識に「見て見ぬふり」をしているだけかもしれないが、観客にそうさせることが見事だと思う。  「ヒーロー大集合」とはいえ、結局はトニー・スタークが活躍の大部分を占める「アイアンマン2.5」的なスタンスなのかと思っていた。 実際良いところはやはり彼が持っていくのだけれど、それぞれのキャラクターも充分に持ち味を見せてくれ、非常に魅力的な「群像活劇」に仕上がっている。  超人たちの中で明らかに場違いに見える“生身の人間”である“ブラック・ウィドウ”と“ホークアイ”は、仰々しく雑多になり過ぎて不足しがちな“ドラマ”部分を担当しつつ、時に超人たちを押しのけるほどの大立ち回りを見せる。 スカーレット・ヨハンソンとジェレミー・レナーの“肉弾戦”なんて、この映画でなければ決して見られまい。  そして、主要キャストの中では明らかに地味なキャスティングとなった性格俳優のマーク・ラファロ演じる“ハルク”が、強烈な二面性と神をも振り回す“最強”ぶりで、見事な“オチ”をつける。  このキャラクターやキャストの関係性も含めた絶妙なバランスの良さが、想定外の完成度と爽快感を生み出していると思う。  いやあ満足、素晴らしい。この“祭り”にはまた参加したい。  エンドロール後のシークエンスに、“祭りのあと”の寂しさを感じつつも大笑いして、殊更にそう思った。
[映画館(字幕)] 9点(2012-08-25 01:32:16)(良:1票)
27.  アウトレイジ(2010)
タランティーノばりに馬鹿馬鹿しい映画だなと思った。勿論褒めている。 ヤクザが雁首付き合って罵り合い、殺し合い、血みどろになる。ただそれだけの映画だと言って良い。 それだけで面白いのだから良いのだと、映画作品そのものが堂々と居直っているように見えた。  “タランティーノばり”と言ったが、この映画が彼の映画を模倣しているという意味ではもちろんない。 それはむしろ逆で、映画オタクであるクエンティン・タランティーノが愛し憧れた日本映画の姿が、この映画に久方ぶりに現れたと言った方が正しい。 つまりは、世界中の映画ファンが“観たい日本映画”とは、体裁ばかりに無駄に大金を投じて中身がスカスカの恋愛映画やSF映画などではなく、“切った張った”の血みどろ映画であるということに他ならない。 この映画は、「ヤクザ映画」というかつて日本の娯楽映画のメインストリームに確かに存在し、日本が世界に対して、アニメ映画と怪獣映画以外で勝負し得た確固たるエンターテイメントの“再構築”だと思う。  「全員悪人」というか、「全員愚か者」と断言できるキャラクターを、そうそうたる俳優陣がそれぞれ抜群の存在感をもって演じている。 彼らのパフォーマンスは皆過剰なまでに仰々しく、決して今の時代において「リアル」なんてことは言えない。 ただその演出は間違いなく正しく、非現実感も含めこれこそが「ヤクザ映画」におけるエンターテイメントだということを高らかに宣言しているようだった。 そういう明確な意志を持って、総愚か者を演じたキャスト全員が素晴らしかったと思う。 また鈴木慶一によるスタイリッシュだがどこか冷酷なまでの軽薄さを感じる音楽も良かった。  それらすべてを導き出した北野武という映画監督は、やはり映画に愛されているのだなと感じた。昨今、ありとあらゆるお笑い芸人がこぞって映画監督に“腰掛けている”が、彼らとは映画に対するスタンスから何から総てにおいて明らかに次元が違うということを改めて思い知った。  “こういう映画”として殆ど文句のつけようは無い。が、敢えて言わせてもらうならば、 椎名桔平の最期酷過ぎるよ、バカヤロー!コノヤロー!続編も期待大だよ、コノヤロー!
[DVD(邦画)] 9点(2012-04-30 23:13:13)(良:5票)
28.  アジョシ
過去に訳ありの殺人術に長けた男が、孤独な少女と出会い、彼女を救い出すために決死の闘いに挑む……。 プロットそのものはあまりにありふれており、同様の作品は世界各国で量産されている。 そしてタイトルは“アジョシ(=おじさん)”。飾り気の無いそのタイトルは、食傷感を助長するには充分だったと言える。 韓国映画の全体的なクオリティーの高さは認めつつも、価値観の相違による居心地の悪さから若干の苦手意識もないことはない自分としては、某ラジオ番組で絶賛されていなければ、きっと見向きもしなかったろう。  結論としては、“食わず嫌い”をしなくて本当に良かった。この映画をこの“タイミング”で観なかった場合の損失はあまりに大きかったことだろうと思う。  “タイミング”という表現の意味の対象は、主演のウォンビンに他ならない。 今この時期のウォンビンという俳優の「凄さ」と「可能性」を知っているかそうでないかでは、今後の韓国映画に対する捉え方が大いに変わってくると思う。 即ち、今後彼の出演作は漏れなく注目していかなければならないということだ。 そう言ってしまって過言ではない程、前出演作「母なる証明」に続き、この美形俳優の存在感が半端なかった。 異性が求める「男性」の魅力の究極の様を同性でありながら強烈に感じずにはいられない。 その元来生まれ持った天性の美貌を更に高め爆発させるように、俳優としての存在感が際立ってきている。  孤独を深めていた男が徐々に怒りを爆発させていく。 その鬼神の如き様は、戦慄を覚えると同時に、自らに対する何かしらの“救い”を求めもがいているようにも見え、激しく感情を揺さぶられた。 鮮烈なバイオレンス描写の中に、これ程までセンシティブな情感を映し出した映画は中々ないと思う。  その総てを己の身体一つで表現している主演俳優の素晴らしさ。そして、彼の存在に説得力を与え、より際立たせている映画構成の巧みさに感嘆する。 ウォンビンの惚れ惚れするような体躯と同様に絞り込まれたタイトな演出と、端役に至るまでしっかりとキャラ立てがされている人物描写の上手さが、ありきたりなプロットの上に成り立つ映画を唯一無二の高みへと磨き上げていた。  こういう映画を長編第二作目の新鋭監督が鮮やかに作り上げてしまう隣国の映画制作のレベルの高さに、毎度のことながら驚き、ついつい羨望の眼差しを送ってしまう。
[DVD(字幕)] 9点(2012-03-01 18:13:33)
29.  アパートメント(1996) 《ネタバレ》 
人間の情愛というものは、必ずしも綺麗ごとで済まされるものではない。愛するという行為はこの世界において最も美しいことだが、その行為は往々にしてすれ違い、報われない想いが時に悲劇を生む。  久しぶりに観たフランス映画は、まさにフランス映画らしいねっとりと絡み付くような情感と、各々の情愛が絡み合う類い稀なサスペンスに溢れた隠れた傑作だった。  映画の冒頭、先ず若かりしヴァンサン・カッセルの風貌と、彼の安い演技に対して思わずきょとんとしてしまう。 「これは駄作を引いてしまったか?」と懸念を大いに抱いた反面、何故だか妙に画面に惹き付けられていた。  何も起こっていない安い演技と演出の中に、何かが起こり得る要素はすでに含まれていて、それは巧みに隠されると同時に、絶妙な塩梅によるほのかな香りとして印象付けられていたのだと思う。  他人との何気ない“すれ違い”の中で、すでに情愛のもつれは始まっていた。目の前に居る人間の言動は、自分が知る由もない思惑を孕んでいる。 真実をすべて知った時、辿り着けるものは、真の愛か幻想か……。  どうも言葉で飾るほど、この映画の本質はぼやけてしまい、よろしくないようだ。 正直、うまく説明することが出来ない。  それは、この映画が、人間の根本的な愚かさを表しているからだと思う。  序盤、安い演技を見せていたヴァンサン・カッセルは、映画の展開と共に雰囲気が一変する。 ラストシーン、婚約者と抱き合いつつ、別の女性を見つめるその眼には、男の艶やかさが満ち溢れている。そこには愚かさを超え、狂気すら感じる。圧巻。   P.S.この作品を経て結ばれたのであろうヴァンサン・カッセルとモニカ・ベルッチ。ヨーロッパを代表するこのセクシーな夫婦が、離婚なんて必然的とさえ言えるあの世界において、今尚「夫婦」を保っていることが、物凄く奇跡的なことに思えてならない。世界一格好良い夫婦なんじゃないかとさえ思う。
[DVD(字幕)] 9点(2010-09-18 02:15:21)
30.  アイアンマン 《ネタバレ》 
「戦争」は批判するべきだし、それに直通する「武器製造」も絶対的に愚かなことだと思う。 ただし、そんな正論を言いつつ、“武器”や“兵器”に対しての娯楽性を払拭できないことも事実で、見たことのない最新兵器に高揚感を持ってしまうのは、否定できない男の「性」だと思う。  世界最強の武器商人が、自らの方向性に疑問を持ち、武器製造のノウハウをもってして自分自身がスーパーヒーローになっていく様は、ある意味本末転倒で滑稽だけれど、エンターテイメント性に溢れ、愉快痛快だ。  そういった設定自体が持つ魅力に加えて、このアメコミ映画を成功に至らしめているのは、何を置いても主演ロバート・ダウニーJr.のパフォーマンスだと思う。 「世界最強の武器商人」という他の映画であれば、明らかに悪役的なキャラクターから一転、ヒーローへと転じる様は、私生活から毒気に溢れているロバート・ダウニーJr.だからこそ表現できたキャラクター性だろう。  最新のCGを駆使して描かれるメカニカル感も言うことなく、少々子供じみたデザインも含めて、「カッコイー!」と感じずにはいられない。  「アイアンマン」=「鋼鉄の男」と聞くと、とても質実剛健なヒーロー像を想像するが、描かれるキャラクターは、それとは程遠く、その毒々しさがこそがこの映画の最大の魅力だと思う。  案の定というか、お決まりというか、エンドロール後の続編へのくだりも、まさかのサミュエル登場で、俄然期待は膨らんだ。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2010-01-08 21:44:36)
31.  歩いても 歩いても
暑い夏の日、亡くなった長男を弔うために家族が集まる。 どこにでもいる普通の家族の、何でもない一日。  自分自身も毎年経験していることだけれど、離れて暮らす家族が会する場というものは、実のところとても独特な空気を持っていると思う。 いつも一緒に暮らしているわけではないので、実際問題各々のことをそれほど把握しているわけではない。 にも関わらず、「家族」という微妙な関係性に縛られているから、特に改まることを許されず、努めて親密に振る舞わなければならない。 それは、互いの関係が良いとか、悪いとかに関わらず、そういうものだ。  だからこそ、表面的な会話の裏に見え隠れするそれぞれの思いにドラマが生まれる。 そのドラマ性を決して表立たせるわけではなく、あくまで個々が抱えた「感情」として描き出す。 それぞれの感情をもっと膨らませて、言動としてぶちまけたなら、荒々しい“波”のある映画になったかもしれない。 しかし、それを敢えてせず、作品全体を水面に落ちた一滴が生む波紋のように仕上げたことが、この映画の最大の魅力であり、是枝監督の流石の巧さだと思う。   歩いても、歩いても、人生が完璧に満ち足りるなんてことは、ないのかもしれない。 それは、息子を亡くした老いた母親にとっても、父親を亡くした少年にとっても、誰にとっても同じことなのだろう。 哀しいことだけれど、そういう何かしらの“物足りなさ”を抱えて生きていくことこそ、本当の意味で人間が人間らしく生きるということのような気がする。
[DVD(邦画)] 9点(2009-06-20 10:10:55)(良:1票)
32.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 
ふとこういう色々な意味で驚きに溢れた良い作品にめぐりあうから、映画はやめられない。  進学のため越してきた普通の大学生が、突然隣人に「本屋を襲わないか?」と誘われる。 なぜ、隣の隣のブータン人のために本屋を襲わなければならなかったのか?……なぜ、ディランを歌うのか?……なぜ、「じゃあ河童の方」の河なのか?、さりげなく散りばめられた伏線が結びつき、紡ぎ出された「真実」に、突如として感情が揺さぶられた。  伊坂幸太郎の原作は未読で、「映像化不可能」と言われいた文体がどういうものなのかは、この映画化作品を見た後だからこそ、殊更に気になる。  こういう映画は、感想の言葉を並べれば並べる程、蛇足になってしまう。  ボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」によって繋がった出会いは、きっと神様が「彼」に差し伸べた「救い」だったのだろう。
[DVD(邦画)] 9点(2008-06-21 16:55:53)(良:1票)
33.  アメリカン・ギャングスター
愚直なまでに強い信念とプライドによって自らの「道」を切り開いていく二人の男。光と影、相反する人生が交錯する時、壮絶な“生き残り”への戦いが始まる。  リドリー・スコット×デンゼル・ワシントン×ラッセル・クロウ、アカデミー賞の常連揃いのなんとも「確実」な組み合わせだったと思う。そして、実際素晴らしい映画に仕上がっている。 現役俳優を代表する二大アカデミー賞俳優の激突は凄まじく、「悪」を演じたワシントンも、「正義」を演じたクロウも素晴らしい存在感を見せてくれる。  両雄の激突を演出するリドリー・スコットの演出も冴え渡る。 リドリー・スコットという映画監督がスゴイのは、紛れもない「名匠」でありながら、映画製作における身のこなしの「軽さ」だと思う。 絶対的な説得力をもつカメラワークと演出力を根底に据えながら、描き出される世界観は常に新しく、「野心」に溢れている。 そういう巨匠であると同時に持ち合わせる「新進性」が彼を映画界のトップにのし上がった理由だろう。  密度の濃い男たちが織りなす密度の濃い映画世界を堪能できた。
[映画館(字幕)] 9点(2008-02-04 14:58:43)
34.  青い車
いまや「漫画の映画化」というのは、ネタ不足の映画界においてまさにブームで、秀逸な漫画は片っ端から映画化されている。最近の漫画はその作品自体が秀逸で、漫画を読んでいる段階から映画を思わせる作品が多いため、映画化が無理なく成功するパターンが増えてきているように思う。ただ、それでも、映画が原作漫画を超えるということは、ほとんどない。漫画は、それそのもので作品として“完成”しているからだ。 しかし、今作は、間違いなく原作漫画を超えている。 極限まで物語の断片を省いた短編作品である原作において描かれなかった物語を、とてもとても丁寧に補い、完成された物語を紡ぎ出している。 やはり、俳優が素晴らしい。ARATAにしても、宮崎あおいにしても、麻生久美子にしても、田口トモロヲにしても、原作ではなんだか薄くみえるキャラクター像を、生々しく美しい人間像へと昇華させている。 そして、原作の雰囲気を崩さずに、ただ自然に、確実に膨らませてみせた、脚本と演出と音楽に賞賛を送りたい。 
[DVD(字幕)] 9点(2005-09-15 03:27:29)
35.  アビエイター
アカデミー賞というは、映画に対する一つの価値観でしかないと思っているが、今年のノミネート作品の中では本当はこの映画こそ受賞にふさわしい映画ではなかったのかと思う。非常に良い意味でアカデミー賞を獲るべき作品であると思う。 ハワード・ヒューズという人物の知識はまるで無く、この映画で描かれることがどこまで真実なのかは分からない。しかし、少なくともこの映画の中で息づく彼の姿は、まさに伝説であり、最高のスタッフによって描かれるべき人物であると感じる。夢を追い、夢に生き、夢に苦しみぬいたヒューズの姿に、ひとりの人間として複雑な感情が渦巻く。果たして彼は“成功者”なのか?多くの人達が彼の成功の是非について語ってきたのであろうが、ヒューズにとって本当はそんなことどうでもいいことなのだと思う。最初から最後まで、世界で唯一無二の“飛行機野郎=AVIATOR”であり続けることが、彼の望みだったのだ。そしてそれを体現し続けたハワード・ヒューズという人物はやはり“伝説”なのであろう。 それにしても、またしても大願成就ならなかったスコセッシとディカプリオ。彼らにとって最高の仕事をしたと思うだけにとても気の毒だ。他の賞ならいざ知らず、やはりアカデミー賞だけは、良い意味でも悪い意味でも“狙って獲る”というのが醍醐味であり伝統のような気がする。「ミリオンダラー・ベイビー」を観ていないので本当は何とも言えないのだけれど、既に受賞経験があり余裕綽々のイーストウッド&スワンク組よりは、獲る気満々のスコセッシ&ディカプリ組が受賞した方が盛り上がったような気がする。まあ“またも受賞ならず~!”というのもドラマティックな気もするけども。スコセッシは次作再度ディカプリオと組むそうで、これはこれで映画史における“伝説”になり得そうでなんだかワクワクする。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-02 10:44:20)
36.  アイズ ワイド シャット
“性への渇望”これほどまでに映画のテーマとして難しいものを、徹底して描ききっていることに驚く。スタンリー・キューブリックという一つの伝説に終焉にふさわしい芸術品だと思う。甘く危険な裸体美の羅列の中で、まさに真の意味合いを持つ“仮面夫婦”を表現してみせたトム・クルーズとニコール・キッドマンも凄い。この作品の後、二人は実際に結婚生活を解消してしまうわけだが、少なからずこの映画の出演が影響したことは間違いないと思う。そして、この映画がそういう“危険”をはらんでいることを俳優夫婦は分かっていたのだろう。それでも敢えて、この映画に挑み、演じきった。それは、彼らの真の俳優としての本能が抑え切れなかった“衝動”によるものだったのではないか。「たとえ私生活に多大な影響があるとしても、この映画を避けて通るわけにはいかない」という、彼らの共通意識が、ある種の固い絆の中で生まれたのだと思う。結果、彼らは別れたが、各々が俳優としての凄まじいほどの飛躍を見せていることは言うまでもない。キューブリック、クルーズ、キッドマン、3人が選んだ運命、映画人としての業が、危険に混ざり合い、美しさと醜さを併せ持った特異な映画として昇華したのだと思う。
9点(2004-11-29 02:59:52)
37.  APPLESEED アップルシード
まさか感動するとは思わなかった。「攻殻機動隊」「イノセンス」などにどうしても面白味を感じることができないタイプなので、原作・士郎正宗という時点で一歩引いてしまい、映画としての力のみなぎる予告編を観ても、劇場に足を運ぶことができなかった。そのことを非常に後悔させる映画世界に対し、喜びと悔しさが入り混じる。何と言っても、ストーリー展開の潔さが素晴らしい。上記にあげた作品などと違い、あくまでストレートに人間、ロボット、新人類らの葛藤を自然な表現で描いたことが、感情の高ぶりに繋がったと思う。そうでなければ、3Dライブアニメという新しい映像世界に存在する、見慣れないビジュアルを携えたキャラクターたちにこれほど感情移入することは出来なかっただろう。価値観はもちろん様々だが、どう理屈をこねようとも、万人が理解してこその“映画”であり、そのことを充分に理解しているこの作品の価値は高い。 「戦いが終わったら、母になりたい」この映画コピーが、クライマックスにかけて実に心に染みる。 
9点(2004-11-12 17:54:40)(良:1票)
38.  アダプテーション
チャーリー・カウフマンという脚本家、まさに天才である。脚本の創造に思い悩む脚本家のとめどなく乱雑した世界を混沌と並べ立て、限りなく破綻に近いところで展開させる例を見ないその構成力に唖然とする。実在の蘭収集家と架空の自分の双子を混在させどこまでも独特な世界観に観客は現実との境界線を見失いそうになる。シュールで哲学的で、何よりもユニークな傑作だ。
9点(2004-02-28 17:07:36)
39.  “アイデンティティー”
「観客の衝撃」を求め続けて映画史の長い時間の中で作られてきたサスペンス映画だが、数ある名作サスペンス映画が生み出され、人々を驚愕させ、それでもなお今作のように新たな衝撃を観客に与えることを可能にする人間の思考の想像力に感嘆せずにはいられない。「アイデンティティ」というシンプルでストレートなタイトルに今作の強かさと自信を感じる。脚本、映像、展開力、キャスティングが合致した極めて秀逸な心理サスペンス映画の誕生だ。
9点(2004-02-25 17:50:59)(良:1票)
40.  アマデウス
モーツアルトという圧倒的な天才を前に苦しむ音楽家サリエリ、そしてその絶対的な才能をコントロールできないモーツアルト。「才能」に苦しむ二人の音楽家の運命を濃密に描いた傑作だった。完成度の高い映像世界と高揚感みなぎる音楽、そして二人の男の生き様に圧倒される。
9点(2004-02-11 14:15:56)
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