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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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41.  BROTHER
「その男凶暴につき」「ソナチネ」とバイオレンスの秀作を生み出してきた北野武であるが、今作は北野ワールドにおけるバイオレンス性という点でのひとつの頂点となる作品だと思う。世の中にバイオレンス映画と呼ばれるものは数多いが、この映画ほど狂気的な凶暴性と同時に鮮烈な叙情感を描き出している映画は他にないだろう。その「動」と「静」の絶妙な共存こそ北野武の世界観であり秀逸さに他ならない。展開されるすべてのシーンが衝撃的であり、感慨深い。
[映画館(邦画)] 8点(2003-12-16 01:14:45)
42.  プライベート・ライアン
よくあるタイプの戦争物という視点で見てしまうと、映像の圧倒的迫力は置いといて、なんてくだらないストーリーだと感じてしまう。しかし、やはり巨匠スピルバーグの思惑は崇高だった。二等兵を国家のイメージのために問答無用に助け出すという作戦がこの映画の題材なわけだが、この作戦の愚かさ、滑稽さこそがすなわち戦争という愚行を象徴しているのだ。真意が分かれば、ブラックユーモアにもなりそうなテーマである。そこを本格的な戦争映画として完璧に描き出すことが、スピルバーグのスピルバーグたる所以であろう。
8点(2003-11-12 15:14:43)
43.  フル・モンティ
失業中という状態からまさに裸一貫で起死回生を試みる中年オヤジたちの生き様が清々しい。小気味いいダンスミュージックと台詞回しが、センス良く映画全体を包んでいて愉快で爽快感のある作品に仕上がっている。もはやイギリス映画を代表する秀作の一つではあるまいか。
[映画館(字幕)] 8点(2003-11-08 23:03:34)
44.  フィフス・エレメント
評価の対象はいろいろあるけど、やはり特筆すべきはミラ・ジョヴォヴィッチの存在だと思う。今や売れ筋映画として女性が主人公のアクション映画は多発されているが、その今のブームの先駆けとなったのが今作のジョヴォヴィッチのインパクトではなかったかと思う。リュック・ベッソンだからこそ作れたこの芸術的な娯楽大作は、間違いなく傑作である。
[映画館(字幕)] 8点(2003-10-25 13:45:15)
45.  プリティ・リーグ
戦争中に発足した女子プロ野球という設定自体が、とてもエンターテイメント性とドラマ性に溢れたものだけに、面白い映画になることは間違いなかったと思う。曲のある監督を演じたトム・ハンクスの演技が非常に良くて、女性だらけのキャスト陣の中で核となる存在感を見せてくれた。
8点(2003-10-17 14:39:54)
46.  フランケンシュタイン(1994)
とてつもなく怖く、とてつもなく切ない映画だった。フランケンシュタインというキャラクターそのものがとても悲しい。全身メイクで演じたロバート・デ・ニーロの存在感はさすがだった。映画全体に漂う不健康で焦燥的な空気感が秀逸。監督ケネス・ブラナーのセンスが光っていた。
8点(2003-10-06 18:33:35)
47.  ファイナル・カウントダウン
歴史的な“混迷”をリアルタイムに感じずにはいられない昨今、日本国内はもとより世界的規模で“時代”は進むべき方法を惑っているように思わずにはいられない。 そんな折に触手を伸ばした古いポリティカルSF映画が、殊の外面白かった。 前々から某動画配信サービスのマイリストには入れていて、キャスティングの豪華さとあらすじの壮大さに反して、作品としての知名度の低さに懸念を覚えて鑑賞するタイミングを推し量っていたのだが、想像以上にしっかりとしたスペクタクル映画だったと思う。  ハワイ沖を航行していた最新鋭(1980年当時)の原子力空母が、時空乱流に巻き込まれて1941年12月6日にタイムスリップしてしまう。奇しくも時は日本軍による真珠湾攻撃前夜、空母に搭乗していた現代のアメリカ海軍の面々は、日本軍の奇襲を阻止(=歴史介入)して祖国を守るべきか否かを迫られる。  個人単位のタイムスリップにより、歴史の改変に対して葛藤したり、奔走したりする映画は多々あるけれど、数千人の乗組員を有する巨大な原子力空母ごと時間移動してしまうという設定が大胆で嫌いじゃなかった。(似たプロットだと、半村良原作の「戦国自衛隊」や、かわぐちかいじの漫画「ジパング」が思い起こされる) 40年の時を遡って現れた原子力空母は、太平洋戦争当時であれば強大な国が新たに出現したことに等しく、180度歴史を転換してしまう力を有していることへの説得力も大きかったと思う。 様々な立場や歴史観を持つ人物が入り交じる空母艦内だからこそ、歴史を改変してしまうことの是非や、軍人・米国人としての倫理観も多角的に対立し、ストーリー性にも幅があった。 カーク・ダグラス、マーティン・シーンをはじめとして、当時のスター俳優たちの競演にも見応えがあったし、実際に大西洋上に配備中だった空母ニミッツでの撮影や、トムキャット等実機を贅沢に映し出した戦闘機の描写にも迫力があり申し分なかったと思う。  上映時間が104分とこの規模の娯楽大作としてはコンパクトだったこともスマートで好印象だったけれど、一方では、映画としての骨格がしっかりしていた分、もっと掘り下げたストーリー展開があっても良かったかなとも思える。 ストーリー展開がテンポよく進むので鑑賞中はあまり気にならなかったけれど、主要キャラクターたちの人格描写やバックグラウンドは、もう少し丁寧に描き出した方が、彼らの葛藤や対立を軸にしたストーリーに厚みが出たろうと思う。 特にマーティン・シーン演じる重工業会社の社員や、実務の傍らで歴史学を研究している航空隊長(演 ジェームズ・ファレンティノ)の両者においては、言動の理由がやや不明確だったように感じてしまう。 実質的な主人公でもある彼らのキャラクター描写と人間ドラマにもっと深みがあれば、ラストのタイムパラドックス的“オチ”も更にエモーショナルなものになっていただろう。  ともあれ、期待を大きく越えた娯楽映画であったことは間違いない。 世界的な混迷を迎えている現代においても、「ああ、あの時代に戻ってやり直せなたら」と、世界中のあらゆる人間たちが悔恨や憤りを感じていることだろう。 でも、本作で歴史学を愛する航空隊長の台詞にもあるように、「すべての物事は一度しか起きない」ということが真理であり、決してやり直しは効かないのである。 ことの大小に関わらず、どんな物事であっても常に「今」が勝負時であり、もし失敗しなたらば次の機会にその反省を活かして巻き返すしかないのだろう。  現代を舞台にしても十分成立するストーリーだと思われるので、リメイクしてほしいものだ。原子力空母という存在感の大きさを活かして、ドラマシリーズ化して多様なストーリー展開を見せても面白いかもしれない。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-01-21 00:39:24)
48.  ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー
それなりに長く映画を観続けていると、現実世界の俳優の死に伴う喪失感が、映画世界の内外を巻き込んで渦巻くことはままある。 2020年、43歳の若さでこの世を去ったチャドウィック・ボーズマンの死は、近年においてその最も顕著な出来事だったろう。 MCUでブラックパンサーことティ・チャラ役にキャスティングされたことで、一躍世界のトップ俳優の一人となった彼の死は、MCUファンに限らず、世界の映画ファンにとってあまりにも大きな損失だった。  無論、この「ブラックパンサー」の続編も、チャドウィック・ボーズマン続投が大前提のプロジェクト進行が、突然の悲報に伴い、継続そのものを問う岐路に立たされたことは言うまでもない。 普通に考えて、絶対的な主人公を演じていた俳優を失ったヒーロー映画の続編が、そのまま成立するなんてことはあり得ないだろう。 それでもなお、映画の製作を進め、161分の大長編として日の目を見た本作からは、監督のライアン・クーグラを筆頭に、スタッフ、キャストからの、亡き“ティ・チャラ王”に対する尊敬と哀悼が満ち溢れていた。  死に伴う喪失感は、時に残された人間を惑わし、自暴自棄に貶める。 その心情が本作に登場するキャラクターたちに投影され、彼らも大いに惑い、進むべき道を見失いそうになる様が印象的だった。 それをどう乗り越え、その先の時間をどう生きるのか。それはきっと最愛の人間の死に出会うべくしてこの世に生きるすべての人間に課せられた宿命なのだと思う。  最愛の兄と王とヒーローをまさしく“同時”に失った妹のシュリは、映画のラストで光に照らされた美しい浜辺で一人佇む。 その表情からはやはり寂しさと心細さが垣間見える。その一方で、大切な記憶や、兄や母に対する愛情は決して色褪せないことも噛み締めているようだった。  生きろ、そして戦い続けろ。 「エンドゲーム」のクライマックス、ポータルの中から現れたティ・チャラが、満身創痍のキャプテン・アメリカに対して力強く視線を向けた後、援軍を鼓舞するシーンが思い浮かぶ。 偉大なヒーローは死してもなお、映画世界の内外の“アベンジャーズ”を鼓舞し続ける。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-12 01:30:22)
49.  ブライトバーン/恐怖の拡散者 《ネタバレ》 
僕の子どもは、まだ8歳と5歳だが、それでもごくたまに「あれ、この子こんな顔だったかな?」と毎日見ているはずの我が子の表情に違和感を覚える瞬間がある。 またふいに発動される思いにもよらない発言や行動にびっくりすることもある。 それらは詰まるところ「成長」というごく普遍的な一言で説明がつくことなんだけれど、親たちは、あまりの唐突さに驚き、慄き、時に理解不能でうろたえてしまう。 そのある種の「恐怖」との邂逅自体は、子どもを育てる親にとっては必然的なことの一つであるわけだが、この映画に登場する夫婦が不幸だったのは、子どもがあまりにも「特別」過ぎたということ。  世界中の親にとって、自分の子どもは誰よりも「特別」だろう。 そこに血の繋がりは必ずしも関係なく、養子をもらおうが、森で拾おうが、桃から生まれようが、「自分の子どもだ」と認識した時点で、「特別」であることに変わりは無い。  ただし、その「特別」が、必ず良い方向ばかりに向くかというと、実際そんなことはないわけで。 カンザス州の“ケント家”の事例があまりにもセンセーショナルだったため、特に映画に登場する「特別な子」はすべからく“スーパーヒーロー”になるものだと世界中の映画ファンは高を括っていたが、本作は僕たちのその甘い認識を“全否定”する。 そりゃそうだ。現実世界のすべての凶悪犯も、極悪人も、生まれた時は「特別な子ども」の一人だったはずなのだから。  とにもかくにも、この映画は、スーパーヒーロー映画の王道的な導入から端を発し、「オーメン」や「エスター」のような「子どもが怖いホラー映画」のこれまた王道的恐怖展開を容赦なく見せつけてくる。 ヒーロー映画は大好きだが、ホラー映画は大の苦手なので、「久しぶりに映画館でホラー映画を観ているな」とビクビクしながら鑑賞していたが、“子ども”の自我の目覚めと共に恐怖の拡散が益々エスカレートしてくると、「恐怖」は徐々に「高揚感」へと転じてくる。  その「高揚感」の正体は、あまりにも禍々しい最凶“ヴィラン”のビギニングを目撃したことに他ならない。 “アンチヒーロー映画”の体で、露悪的でぶっ飛んだホラーを紡ぎ、最終的にはヒーロー映画の世界に再接続してみせたジェームズ・ガンの“悪だくみ”がたまんない。  エンドクレジットでは“DCエクステンデッド・ユニバース”との連携が“非公式”に臭わされた程度だったが、どうせなら正式参画してもらって、「シャザム!」との“悪ガキ対決”が観たいぞ。
[映画館(字幕)] 7点(2019-12-11 21:14:17)
50.  ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
「ハリー・ポッター」シリーズは、全8作を“一応”鑑賞している。最終作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」は満を持して劇場で鑑賞したが、結局最後の最後まで乗り切れなかったというのが正直なところだ。 児童文学の映画化シリーズとして致し方ないし、むしろ真っ当なことなのかも知れないが、話運びや登場人物たちの言動に対して“子供向け”の範疇を超えたものを感じることが出来ず、シリーズを通じて成長した主人公がどんなに必死の形相で呪文を唱えても、滲み出る“お遊戯感”を受け入れることが出来なかったのだと思う。 ただし、この映画シリーズが、老若男女世界中の人々に愛され人気を博した映画史に残るシリーズであることは否定しようもないし、原作ファンでも無い者が否定する余地はないと思う。  そんな個人的なスタンスのため、このスピンオフ作品についても、それほど興味を持てぬまま続編となる最新作の公開を間近に控えた今の今までスルーする形になっていた。 本シリーズに通づる“お遊戯感”にプラスして、ファンタジックな生き物たちが登場するファミリー向け映画なのだろうと高を括っていた部分もあった。  が、しかし、実際に観てみたならば、いやいやどうして想像よりもずっと好きな映画だった。 珍妙な魔法生物たちが続々登場するファンタジックな映画であることは間違いないけれど、映画全体のテイストが決して子供だましなわけではなくて、“オトナの可愛らしさ”が随所に散りばめられた良いファンタジー映画だった。  思うに、「ハリー・ポッター」シリーズは、「子供」が主人公であることによる避けられない幼児性や稚拙さが、話運びのまどろっこしさに繋がっていたのではないかと思う。 しかし今作は、主人公のニュート・スキャマンダーをはじめ、登場人物たちはみな既に何かしらの人生の機微を味わっている「大人」たちだ。 大人ゆえのまどろっこしさも勿論あるが、そういう部分も含めて、彼らが織りなす人生模様が物語の奥ゆかしさとして表れている。 1920年代の古式ゆかしきニューヨークの物語舞台と魔法との相性も極めてよく、秀麗なビジュアルを見せてくれていると思う。  一転して、公開を控える最新作が俄然楽しみになってきた。 今作でサプライズ登場したジョニー・デップに加え、若きダンブルドア役にジュード・ロウ!パリ・ロンドンを舞台にした映像世界にハマらないわけがない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-07-17 00:07:58)
51.  ブラックパンサー
争いを繰り返す愚かな世界の中で、一線を引いて「傍観者」であることは賢い選択であろうし、それが出来る国があったとしたならば、それはその国が真の意味で恵まれた強い国家であることの証だろう。 だけれども、憎しみが憎しみを呼ぶ負の連鎖が益々深まる「世界」に対して、背を向け続けることが、果たしていつまでも己の身を守ることになるのか。  若き王は苦闘し、決意する。  若く屈強な黒衣の王が、ソウル・ミュージックの重低音と共に、世界の中心で立ち上がる。 新たな英雄の誕生譚にまた高揚せずにはいられなかった。   言わずもがなマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の大ファンではあるが、「シビル・ウォー」で突然登場した“ブラックパンサー”の単独映画が製作されることを最初に知った時は、「さすがに地味過ぎるんじゃないか」と不安感を禁じ得なかった。 だがしかし、実際に公開初日に鑑賞に至ってみたならば、成る程この作品がこのタイミングで製作されることは様々な角度から意義深いものだったのだと思い知った。  現実世界のありとあらゆる場面で差別と格差は益々広がり、それに伴う諍いは深刻に泥沼化している。 ただしそれは、一概に弱者と強者のパワーバランスを均せばいいとか、どちらが搾取しどちらが搾取されていると安易に擁護したり否定できるものでもない。 マクロからミクロに至るまで、あらゆる関係性の中で、欲望や思惑や妬みや怒りが渦巻いている。  その現実を目の当たりにし、この世界の真理を垣間見たからこそ、若き王は苦悩したのだ。 与えられたその鋭い爪を向けるべき相手は何なのか? 彼が抱えた苦悩は、今この世界全体が抱え込む出口の見えない葛藤に他ならない。  自身の無知の裏側で生じていた哀しき怨念の権化と対峙し、一度は奈落の底へ落とされたものの、ついに打ち勝ち、彼は「国王」として「英雄」として進むべき路を見出す。 それは、「シビル・ウォー」において生じた“耐え難い対立”を孕んだまま「インフィニティ・ウォー」を迎えなければならない“アベンジャーズ”にとっても、必要不可欠なニューヒーローが生まれたことを意味する。  ファンとしては、ワカンダに滞在していたことは明らかである“キャップ”の登場が無かったことは残念だったけれど(バッキーかよ!)、そこは公開間近の三度の“大祭”に期待するとしよう。
[映画館(字幕)] 7点(2018-03-01 23:24:42)
52.  フューリー(2014)
朝が来る。 朽ち果てた戦車と、そこで闘い果てた屍を越えて、兵たちは歩を進める。 まるで何もなかったかのような俯瞰で、残骸となった戦車を一つ残し、一つのストーリーが終わる。  「戦争」という、繰り返される人間の愚かな歴史の中で、同様のシーンが一体、幾千、幾万、繰り広げられてきたのだろうか。 その無残の極みの様に、胸が詰まる。   僕自身はミリタリー描写にそれほど熱い頓着が無いので、伝説的な戦車とその活躍の様を忠実に再現したという、この映画の触れ込みにもあまり興味を惹かれなかったことは否めない。 ただ、世の好事家たちはこぞって絶賛しているので、全編通して描き出される戦場シーンに一切の妥協はないのだろう。  冒頭に記した通り、戦争そのものに対する普遍的な無残さと、そこに携わった人間たちが抱える虚無感は、きちんと描かれている。 そして、ビジュアル的な説得力も充分に備わっている優れた戦争映画、なのだとは思う。  ただし、ひしひしと伝わってくる映画のクオリーティーの高さに反して、今ひとつ感情的に揺さぶられるものが少なかった。 ラストの決死戦などは、もっとエモーショナルな感覚を持ってしかるべきなのだと思うが、何となく淡々と観れてしまった。  人物描写の描き込みが希薄だったのか、そもそもミリタリー映画自体への愛着が薄いからか、単に精神的なタイミングが悪かっただけなのか。  この虚しさのような物足りになさに、戦争の空虚感を表現していたとしたら、それはそれで大したものだけれど。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-11-01 00:26:37)
53.  フライト・ゲーム 《ネタバレ》 
冒頭、主人公がウイスキーを紙コップに注ぎ歯ブラシでかき混ぜる。 この主人公の男が明らかにうらぶれていて、拭いがたい負い目を抱えて生きていることが一発で分かるオープニングだった。 その主人公を、リーアム・ニーソンがお馴染みの“困り顔”で演じているわけだから、それだけで“リーアム・ニーソン映画”としては太鼓判を押していいのかもしれない。  「シンドラーのリスト」「レ・ミゼラブル」「マイケル・コリンズ」など、かつては歴史大作や文芸大作を主戦場に渋く濃厚な存在感を示していたこの俳優が、“ジャンル映画”のスターとなって久しい。 彼の俳優としての立ち位置に対しては、映画ファンによってその是非が分かれるところだろうが、とはいえ実際ハマっている映画も多いので、「面白い」のであればそれが正義だと思う。  今作にしても、ジャンル映画としての存在価値は充分に発揮している。 ストーリー上の穴や粗など端から無視を決め込むか、それ有りきで楽しむべき立派な“リーアム・ニーソン映画”だ。  ストーリーテリングとしては、ヒッチコックの「バルカン超特急」に端を発する“誰も信じてくれない”系サスペンスで、舞台が航空機内とういこともあり、ジョディ・フォスターの「フライトプラン」にも酷似しているが、リーアム・ニーソンの近年持ち前の“危うさ”巧く機能しており、観客すらも彼に対して疑心暗鬼になってしまう。  ジュリアン・ムーアを初めとして、脇を固める俳優陣も地味に豪華で、主人公と観客の“疑心”を効果的に深めている。 結末を知った後で、オープニングの群像シーンを観てみると、それぞれにキャラクターにおいて細やかな演出がされていて、それはそれで面白かった。   それにしても、思わず口走ってしまった“一年間乗客無料サービス”の約束は果たされるのだろうか。反故にされた場合は、訴訟を起こす輩が一人くらいはいそうでコワい。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-07-15 23:27:55)
54.  舟を編む
10年以上かけて延々と辞書をつくる。ただひたすらに言葉を集め、編纂する。 おびただしい言葉の海に放り込まれ、漂い、もがき、“向こう側”に辿り着こうとする映画。 極めて地味な映画である。でも、なんとも愛らしい映画だった。  「言葉」そのものを敬い、愛する日本人ならではの物語だと思う。 また、「仕事」に一生をかけることへの憧れと羨望の描き出し方も、日本人ならではの特性をくすぐるものだった。 そういう意味では、とても日本人らしい映画だと思うし、この国の人々の普遍的な一側面を世界に対して理解してもらうにも有意義な映画だとも思う。  映画としては非常にオーソドックスで面白味が薄いようにも見えるけれど、一つ一つの画づくりはとても丁寧だった。 たとえば、編集室の書類の積み重なり方や、主人公の下宿の佇まいに至るまで、登場人物たちが息づく空間の空気感がちゃんと伝わってくる。  作り込まれた映画の世界観は、時に秀逸なアニメーションに通じる雰囲気を覚えた。 特に主人公とヒロインが出会うシーンなどは、ありふれた描写ではあるけれど、とてもキュートでファンタジックだった。  主演の松田龍平は地味な物語の地味な主人公を、彼の愛妻が言うように「面白く」魅力的に演じていた。 宮﨑あおい、オダギリジョー、小林薫ら脇を固める俳優たちの存在感もそれぞれ素晴らしく、味わい深い人間模様を見せてくれた。  映画的工夫の軽微な欠如は感じ、物語の核となる「言葉」や「料理」などにもう少し効果的にフォーカスを合わせてみても良かったように思える。 そうすれば更に芳醇な映画になったかもしれないけれど、そのいきすぎない「真面目さ」がこの映画のあり方だろうし、それはひいてはこの国が見つめ直すべきあり方に繋がるものなのだろうと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2014-03-16 10:15:57)(良:1票)
55.  ブロブ/宇宙からの不明物体 《ネタバレ》 
宇宙から飛来したアメーバの怪物が小さな田舎町の住人を片っ端から襲っていく。 この一文の説明で全く不足ない映画だが、“B級モンスター映画”として充分過ぎる存在感を放つ作品だと思う。 モンスター映画は大好きなので、1988年に製作されたこの映画の存在価値が極めて高いものだということは明らか。今の今まで存在すらよく知らなかったことを恥じなければならない。  オープニングクレジットで知らない名前ばかりが並ぶ中、“フランク・ダラボン”が脚本にクレジットされているのを発見し、一躍興味は掻き立てられた。 「ショーシャンクの空に」で一躍名匠の一人に名を連ねるに至ったフランク・ダラボンだが、元々感動映画傾倒の映画人ではなく、実はモンスター映画への嗜好が極めて強い人であることはもはや周知の事実。 そんな彼がキャリアの初期に携わった作品だけあって、実に堂々としたモンスター映画ぶりを繰り広げている。  幾つか特徴的なところを挙げるならば、まずは襲われ方のパターンが多岐に渡っていること。 基本的には、知能はほぼ無いと思われる謎の生物が、本能的に人間を呑み込んでいくということの連続なのだが、状況や場所のバリエーションを変えていくことで“殺され方”を多彩に描いている。 小さな排水溝に強引に引きずり込んだかと思えば、クライマックスでは大怪獣よろしく町の人々をまとめて呑み込んでいく。 モンスター映画のにおいて、人が襲われるシーンというのは“華”と言って過言でないので、それが多彩なこの映画はそれだけでも素晴らしい。  あと、“生き残るだろう登場人物”の予測が序盤において尽く外されていくということも、この映画の特徴だろう。 ヒーロー的な活躍をしていくのだろうと思われたキャラクターが老若男女関係なしに、割とあっさりとヤラレていくので、最終的に誰が生き延びるのかという緊迫感を最後まで持続させてくれる。  そしてラストは、実際に製作されるかされないかなど問題にしていない「続編」への布石。これがあるだけで、モンスター映画ファンとしてはかなり満足度が高くなる。 意外に細やかな伏線の回収ぶりも、目を引くところ。  というわけで、クオリティーが高いなんて映画では勿論ないが、B級モンスター映画ファンとしては外すべきではない映画であることは間違いない。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-06-03 22:03:51)
56.  BRAVE HEARTS 海猿
「海猿」シリーズもなんだかんだと第4作目。もはや毎度のことではあるが、これでもかと「奇跡」という言葉を連発する予告編に興ざめしてしまい、映画館へは二の足を踏んでしまった。 が、これももう毎度のことなのだが、いざ本編を観ると映画作品としての精度は別にして熱くなる。 それは、奇跡、奇跡と安直にのたまう海上保安官たちのことをあざとく感じる反面、こういう仕事をする人たちにはそういうことを言い続けていてほしいという願望がきっとどこかにあるからだと思う。 そうして、映画としての出来が良かろうが悪かろうが、シリーズ通じて結局目頭を熱くする自分が居た。  ただ今作においてはっきり言えることは、そういう個人的な趣向は別にしても、間違いなく及第点の出来映えを誇っていいパニック映画に仕上がっているということだ。 エンジントラブルを起こしたジャンボジェット機が決死の海上着水を試みるというプロットは、航空パニックと海難パニックの見事な合わせ技を見せ、往年のパニック映画の名作「エアポート」+「ポセイドンアドベンチャー」の図式を彷彿とさせる。  これまでのシリーズ作は、頭に馬鹿が付くほど愚直な主人公がただただ自らの精神論を武器に無闇矢鱈に人命救助に望むという構図が全面に出過ぎてしまっており、それがリアリティを著しく削ぐ大きな要素になっていた。 しかし今作においては、そういった主人公のこれまでの言動そのものをバックグラウンドに敷き、一定のリアリティと説得力をもってストーリーを進めることに成功している。 そこに3・11以降の「結束力」に対する価値が加味され、我々日本人にとっては特に感慨深いドラマ性を孕ませられていたと思う。  ラストの顛末など、相変わらずの御都合主義はあるけれど、それを分かった上で映画の中の保安官たちを応援してしまう。じゃあそれで充分だと思う。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-02-05 23:44:55)(良:1票)
57.  フランケンウィニー(2012)
「映画づくり」において、独自の世界観を貫き通すクリエイターは多々居るが、ティム・バートンという人ほどその特異な世界観を貫き通した上で、商業的な成功に長けた作品をコンスタントに生み出し続けているクリエイターは中々居ないと思う。  この15年ほどのティム・バートンの監督作品はほぼ漏れなく劇場で鑑賞してきている。 当然、作品によって好き嫌いはあるが、どの作品においても“ティム・バートン印”と言えるような「個性」が確実に存在し、どんな形であれそれが貫かれている以上、無下に否定することは出来ない。 そして、今作もまたそんな“バートン印”がこれでもかと押されている作品に仕上がっていると思う。  ティム・バートンらしい徹底した“悪ふざけ”の炸裂ぶりは、「マーズ・アタック!」を彷彿とさせる。この“ふざけかた”に免疫があるかないかで、この映画に対する許容は大いに変わってくるだろう。 得意のゴシックホラー調の気味悪くもポップな映画世界に彩られたストップモーションアニメのクオリティーは秀逸という他無く、もうそのアニメーションの動きだけで一定の満足度は得られる。  ただし、同時に物語の帰着点に若干の不満は残った。 主人公の少年が巻き起こした騒動の発端となる「行為」に対しての戒めと、それに伴う彼の成長が、今ひとつ曖昧に映ってしまっていることは否めない。 途中、科学教師からストーリーの核心に繋がり得る“教え”が主人公に伝えられるが、それがラストにきっちりと回収されていない。  今回ティム・バートンは、そういうある種正統なテーマ性を少々無視してでも、“悪ふざけ”によるB級映画ノリを徹底したのだと思うが、もう少しストーリーテリング自体に説得力が備わっていた方が、個人的には好感が持てたと思う。  しかし、前述の通り、もうそれは個々人の好みの問題であり、このティム・バートンという異才の極めてパーソナルな部分を貫き通した今作に対して不満を突きつけるのはお門違いだとも思う。  想像以上に暴走していく映画のテンションに、面食らいつつも、ほくそ笑んで楽しむべき映画だろう。  あと、そもそも“犬好き”な者にとっては、“フラン犬”スパーキーの愛くるしい動きとけなげさに対して、どうしたって涙腺は緩んでしまう。ズルい。
[映画館(吹替)] 7点(2013-01-03 22:19:47)
58.  プロメテウス 《ネタバレ》 
前夜、十数年ぶりに1972年公開の「エイリアン」第一作目を鑑賞し直した。 改めて見直してみて、30年以上前の作品とは思えない映像世界のスタイリッシュさと何度観ても揺らがない恐怖感におののくと共に、秘められた「伏線」に気づき、よくもまあ30年間もその伏線の回収を放っておいたなと思えた。  そうして満を持しての最新作の鑑賞。 結論から言うと、30年前の伏線の解明は成されている。 しかし、更に新たな謎が幾つも生み出され、それらが放り出されたまま映画は終わってしまった。  全編通して荘厳な映像世界に感嘆する一方で、この映画そのものの完成度という面においては、大巨匠の神通力の低下を疑わざるを得なかったというのが正直なところだ。 製作上において、何か致命的な失敗があったとしか思えないほどに、映画を振り返ってみると、登場人物の言動からあらゆる設定に至るまで説明が成されていない部分があまりに多く、「穴」だらけに見える。  観賞後しばらくは不満と満足の狭間で困惑してしまった。 しかし、「続編」が既に決定しているとの情報を得て、その困惑はすぐに一転する。 詰まるところ、部分的な満足感も全体的な不満感もすべては一介のCMクリエーターから現在の地位までのし上がった巨匠の強かさによるものなのだろう。  プロモーションにおいて、敢えて“エイリアン”というキーワードを極力避けながら、歴史的大傑作の“パート0”を新たに生み出すことで、「謎の解明」という新たな「謎」を描き出す。 そうすることで、過去作への注目を効果的に高め、更なる「続編」への期待感を増幅させる。 ハリウッドの第一線を年齢と逆行するように精力的に突っ走る“現役巨匠”の目論見はまさにそういうことだったのではなかろうか。  当然、「続編」の公開前には、この監督の“得意技”とも言える「ディレクターズカット版」もリリースされることだろう。この映画のあからさまな穴あき具合から、未公開の映像が山のようにあることは容易に想像できる。  映画としての完成度は決して高くない。でも映画世界に対しての興味と期待感は更に深まる。 今回は取り敢えず巨匠の衰えない強かさを感じつつ、ひたすらに続編を待つとしよう。
[映画館(字幕)] 7点(2012-08-26 22:46:19)(良:1票)
59.  ファンタスティック Mr.FOX
こういうストップモーションアニメやクレイアニメを決して安直に子供に媚びるわけではなく、真っ当な大人も観られるコメディ映画に仕上げられることが、アメリカという国の多様性を最も分かりやすく表していると思う。 ジョージ・クルーニーやメリル・ストリープが声優としてメインを張るわけだから、その価値観が確立されていることは明らかで、“エンターテイメント”という要素でこの国にはやっぱり敵わないと思わずにはいられない。  映画は思ったよりも“真っすぐ”な親子の物語だった。 周囲への迷惑を顧みず功名心を貫き通してしまう父親と、彼に憧れ彼に認められていないことに傷つく息子の絆の物語。“人間”を完全な悪者に据えて、共闘する中で親子の絆を見出し深めていく。  ストーリーに特別な捻りがあるわけではないけれど、時に奇妙な動きを見せるストップモーションのキャラクターたちが総じて愛らしく、彼らの言動を観ているだけで充分な娯楽性は備わっていると言える。  楽しく、安心して観られて、子供の頃に観たなら、何度でも観たくなるだろうアニメ映画だったと思う。 そして、無性に“りんご酒”というものを飲んでみたくなる。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-19 15:10:51)
60.  ファンボーイズ
それほど遠くない昔、遥か銀河の彼方ではない地球の片隅では、「エピソードⅠ」公開を半年先に控えていた。 “スターウォーズオタク”の4人組は、がんに冒され余命3ヶ月の仲間のために、最新作を盗み見るための旅に出掛ける。  ファンしか分からない内輪ネタ満載の珍道中を描いたロードムービーで、「スター・ウォーズ」好き以外は観てくれるな!と言わんばかりの様相であるけれど、どっこい意外と心に染み入る「感動」を備えた映画だと思う。  もちろん、「スター・ウォーズ」ファンであれば共感は必至であろうが、決してそうでなくても、何かとても“大好きなもの”がある人であれば、その熱中ぶりに共感出来、彼らの歓びと哀しみを理解出来るはず。  9割近くは”ふざけた”映画であることは間違いないけれど、自分の好きなものに対する「愛」を真っ向から貫くファンボーイズたちの姿を否定出来るわけがない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-08-02 14:33:54)(良:2票)
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