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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2589
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  レッド・ノーティス
“Rock”のような強大な筋肉系アクションスター、“Wonder”に強く神々しい美女、不遇という俳優としての“Dead”を幾度も越えてきた愛すべき人気俳優、今やハリウッドにおいても最も愛されていると言ってもいい3人のスターによる三つ巴。そんな娯楽大作が面白くならないわけがない。  勿論、今年ナンバーワンの傑作!だとか、映画史に残るアクション映画!などと言うつもりはない。 アクション映画の「質」としては有り触れたものであり、新鮮味などは殆ど皆無だ。 “ベタ”で、幾つもの過去作の“トレース”と言ってしまっていいだろう。けれど、同時に、そういう娯楽映画の系譜をしっかりと踏襲した真っ当な娯楽映画であることも間違いない。  監督は、ローソン・マーシャル・サーバーなる人物。誰かと思えば、同じくドウェイン・ジョンソン主演のパニックアクション「スカイスクレイパー」の監督じゃんか。 「スカイスクレイパー」も、過去のパニックアクションの“お約束”をもれなく踏襲した隠れた傑作だったので、本作の娯楽力も納得だ。  最新のNetflix映画ではあるが、作品自体のコンセプトやアプローチは、もはや古典的で古臭いとも言える。 でも、1980年代生まれで、90年代のハリウッド映画で育ってきた映画ファンとしては、こういう映画には愛着を持たずにはいられない。  終盤唐突に発される“ヴィン・ディーゼル”ネタのジョークには笑った。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-01-22 23:42:14)
2.  レディ・プレイヤー1
「なんて映画だ!」と、感嘆を込めて叫びたくなる。 その感嘆は、この「映画監督」の作品を観て幾度となく感じてきたことだけれど、この島国で映画ファンであることに、これ程まで幸福感を覚えたことはない。 この映画は、史上最強にして今なお現役最強の“オタク”であり続けるスティーヴン・スピルバーグによる、世界中すべてのポップカルチャーファンに向けたプレゼントだと思う。 そして、そのプレゼント性以上に、スピルバーグがいつまでたってもスピルバーグで在り続けてくれていることに、感謝と感動が尽きない。  紡ぎ出されるストーリーは、「王道」のジュブナイルものだ。 文字通り“内に籠った”主人公の少年が、アドベンチャーを繰り広げる中で、自分自身と対峙し、失意と勇気、友情と恋を経て成長していく。 そのストーリーテリングはあまりにも有り触れている。しかし、スティーヴン・スピルバーグこそが、その映画的王道を創り上げてきた唯一無二の存在なのだから、研ぎ澄まされた王道的ストーリーには益々すきがない。  この最新作に投影されているものは、他の誰でもなく、“スティーヴン・スピルバーグ”そのものだ。 驚愕のVR世界を創り上げたゲームクリエイターも、その世界に没頭する主人公の少年も、スピルバーグ自身の“分身”だろう。 更には、敵役として描かれるライバル企業の資本主義者の社長ですら、映画製作者としてのスピルバーグが抱える一側面を投影したキャラクターなのだと思える。  ひいては、世界中のありとあらゆるキャラクターやポップアイコンが溢れかえって、入り乱れる様を描き出したVR世界全体が、スピルバーグの“脳内”のように見えてくる。 「スピルバーグの頭の中を覗いている!」と思えるだけで、何とも贅沢に感じ、多幸感に溢れる。それは、今作の主人公がゲームの創始者の“思考”を巡る冒険の中で感じた感慨と全く同じものだったろう。 主人公は、監督自身の投影であると同時に、観客の思考ともリンクしてくる。その多重構造は、当然ながら誰でもが生み出せるものではなく、あまりにもアメージングだ。   スティーヴン・スピルバーグがスピルバーグで在り続け、最強の映画監督で在り続けている所以は、彼がいつまでも変わらず、“孤独なエゴイスト”であるからだと、今作を観て改めて思った。 彼は、己の人生を通じて抱え続ける「孤独」と、それと反比例するように膨らみ続ける「イマジネーション」を、「映画」という表現の中で解放し続けている。 そのための手段や方法において、この映画監督は決して妥協しない。 表現をするための方法が存在しなければ新たな映画技術を生み出すし、「我」を通すための製作環境が整わないのであれば自分の映画会社を立ち上げる。 彼は、「エゴイスト」で在り続けるための、手法と環境を常に追求し続けてきた。  だからこそ、スピルバーグはいつも「映画」の“一歩その先”を僕たちに観せてくれる。 「未来を描いた映画」は数多あるけれど、「未来の映画」はいつも彼によって創り出されてきた。  上手く言えないけれど、スティーヴン・スピルバーグこそが、僕たちにとっての「未来」なのだ。
[映画館(字幕)] 10点(2018-04-26 00:16:44)(良:1票)
3.  レッド・スパロー
女優の肢体が艶やかに烈しく躍動し、映画世界の内外で見ている者を“虜”にする。 “ハニートラップ”を極めたスパイを描くにあたり、今のハリウッドで“彼女”以上に相応しい女優は思い浮かばない。 即ちこの映画は、“ジェニファー・ローレンス”という名の現在のハリウッドが誇る映画的芸術、映画的娯楽を堪能すべき一作だ。「辛抱たまらない」とはまさにこのことである。  「冷戦」の空気感が色濃く残る時代に暗躍する“女スパイ”を描いた映画というと、昨年(2017年)の「アトミック・ブロンド」の鮮烈が記憶に新しい。 シャーリーズ・セロンが圧倒的な女優力で主演を務めた「アトミック・ブロンド」と、今作はあらゆる面で類似している。しかし、その類似性と、だからこそ際立つ独自性が興味深く、両作はある意味「対」となる“女スパイ映画”だと思う。  シャーリーズ・セロンがぐうの音も出ないアクション性と美貌で、映画世界を「支配」したのに対し、今作のジェニファー・ローレンスも全く別の「支配力」で魅せる。  かの“大国”同士の水面下での血で血を洗う鬩ぎ合いの中では、「正義」という言葉は意味を成さない。その見紛うことなき“修羅場”を「女」という唯一無二の武器一つで越えていく。 彼女が進みゆく道には、浅はかなフェミニズムなど無論存在せず、人道的な道理すら存在しない。ただひたすらに、その与えられた武器のみで死屍累々を超えていくしか、彼女に許された道は無かった。 文字通り体を張り、文字通り丸裸にされる全く新しい女スパイ像を、ジェニファー・ローレンスがこれまた圧倒的な女優力で、“惜しみなく”魅せてくれる。  この1990年生まれのまだまだ若い女優が、トップ・オブ・トップになり得ているのは、その“惜しみなさ”故だ。 この女優は、常に自分がその時にし得る「表現」に対して、出し惜しみがない。 ありふれた言い方をするならば、それは女優としての「覚悟」が群を抜いているということだと思う。 若い女優ではあるが、既に彼女は、自分がいつまでもそのままではいられないということをよく理解している。 だからこそ、今この瞬間の「美貌」を最大限に活かし得るこの役に挑んだように思える。  ストーリーテリング的に踏み込みが浅い部分は確かにある。“ハニートラップ”という要素をもっと深掘りした心理戦の妙が、具体的にストーリー上に含まれていたなら、映画的な価値は更に高まっていただろう。 しかし、そんなマイナス要因など補って余りある「女優」という娯楽性によって満足感は揺るがない。   ただ、映画として非常に面白かった反面、もろに冷戦時の危機感を引き起こすかのごとく、東西の軋轢を描く意欲作が立て続いているあたりに、映画世界を越えて、現実世界から漂ってくる“きな臭さ”を禁じ得ない。 主人公の悪しき叔父さんの造形を完全に“某大統領”に寄せていたのには、背筋が凍った。
[映画館(字幕)] 8点(2018-04-18 23:00:52)
4.  レッド・ファミリー
朝鮮半島における南北問題を風刺したコメディ映画のつもりで今作を観た。 コメディ映画であることは間違いはない。けれど、重く暗い現実問題を根底に敷いたこの映画の本質は、あまりに悲しく、そしてあまりにも切ない。  「平和」は、家族という人間関係のかけがえのない価値を、しばしば忘れさせる。 すぐそこに存在していることが当たり前になりすぎて、手前勝手な不満ばかりを相手にぶつけがちだ。 そこにいて、感情を伝えられることの幸福を見失っている。  笑い合えることの幸せ、そして罵り合えることの幸せ。 それすらも奪われた非情が、4人の北朝鮮工作員が織りなす“偽りの家族ドラマ”を通じて描き出される。  当初工作員一家は、醜い言い争いばかりを繰り返す隣の韓国人家族を、蔑み嫌悪していた。 しかし、国家によって強制的に家族と引き離され、終わりの見えない工作員活動を強いられていることに対する苦悩が深まるとともに、「家族」というものの正しい在り方を思い知らされていく。 言い争い、罵り合い、それでも相手を許し共に暮らしていく。そんな当たり前のことすら許されていない自らの人生と、妄信する国家の在り方に、疑問が深まり、惑う。  隣の国では、ごくありふれた小市民の家族ですら、相手を許すことを知っている。 でも、自分たちの国は、いつまでたっても憎しみばかりを振りかざしている。 私たちはどうしてこんな血にまみれた道を歩んできてしまったのか。 なぜ、どうして……。  悲しく、辛すぎる苦悩の果てに、偽装家族の面々は決断をする。 “命をかけた家族ごっこ” その真の意味を目の当たりにした時、心が締め付けられた。   あまりにも悲しい。 けれど、それでも残された一つの希望に、この映画を生み出した民族の未来に向けての思いが表れているように思えた。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2016-11-23 18:01:20)(良:1票)
5.  LEGO ムービー
「LEGO ムービー」なんてタイトルを見知った時点で、「なんだこのチープな企画は……」と早々に鑑賞対象外にしてしまったことを激しく後悔しなければならなかった。  子ども時代の僕が、“LEGO派”ではなく、“ダイヤブロック派”だったから……というわけではなく、このタイトルで、そのまんまブロック玩具で構築された映画が、まさかこんなに面白いとは思えなかった。 (まったく、これだけ映画を観てきておいて、自分自身の浅はかさがいやになる……)  序盤は、LEGOの人形そのままの主人公がひたすらにカクカクと動く描写がただチープに見えてしまう。 なんだ、やっぱりLEGOファンによるLEGOファンのためだけの映画か……とトーンダウンしそうになる。 しかし、次第に、LEGOというブロック玩具の世界観を、実際のリアルな玩具で再現出来得るだろう範囲内で、際限なく広げていく様に、驚き、ついには唖然としてしまう。  実際この映画はフルCGによるアニメーションなのだが、映し出されるブロック玩具の質感はリアルそのもので、アナログ感に溢れ、フルCGであることに逆に驚きを感じた。 立ち並ぶビル群、荒野、天空世界、海原、宇宙……そのすべてが本当にブロックのみで表現されていて、そのビジュアルは圧巻の一言に尽きる。  そして、すべてをリアルで精密な“LEGO描写”で構築された世界に隠された意図。 描き出されたテーマは、決して子どもだましではなく、自己と他者の関係性を導き出したあまりに普遍的で深い人間同士の在り方だった。 ストーリーテリングと映画の世界構造の巧みさに脱帽するしか無かった。  とはいえ、“LEGO”というおもちゃそのものは、まず子どものためにあるべきだろう。 子どもたちは、「すべてはサイコー♪」とごきげんな歌を口ずさみながら、主人公たちのアドベンチャーを心から楽しんでほしい。  すなわちこの映画の根幹にあるものは、子どもの想像力と大人の想像力の融合なのだと思う。 それはあまりにハッピーなイマジネーションの結晶だったと言える。
[ブルーレイ(吹替)] 9点(2014-08-27 23:51:06)
6.  REDリターンズ
大ヒットした前作は、個人的には“消化不良”だった部分が多く、分かりやす過ぎる程に魅力的なコンテンツに反して、不評を禁じ得なかった。 そもそもグラフィックノベルが原作なのだから、現実味なんて微塵も意識せずに、もっと“マンガ的”に最後の最後まで突っ走れば良いのに……と惜しんだことをよく覚えている。  そんなわけで、それほど期待もしていなかった続編だったが、この想定外の面白さは、劇場で観なかったことを後悔させる程だ。 前作で感じた消化不良感を見事に解消してくれていることが嬉しい。 アクションシーンも、コメディシーンも、この映画のコンテンツに相応しく振り切れていて、本来見たかった“娯楽性”をしっかりと見せてくれている。  ストーリー自体は、前作と同様に、“取って付けた”という表現が相応しいほどに薄っぺらい。 ただし、この映画に関しては、ストーリーなんて正直どうでもいいと思える。“それっぽい”展開をその場しのぎの説得力だけで繰り広げてくれれば充分だ。 何故ならば、このコンテンツは、それを補って余りあるキャストの魅力で支えられているからだ。  ブルース・ウィリス&ジョン・マルコヴィッチのハゲ親父コンビの安定感と存在感は抜群。 ヘレン・ミレンのガンアクションは相変わらず“ズル過ぎる”し、この大女優にあの“女王”ネタをヤらせるのは、更に“反則”だ。 キャリン・ゼタ=ジョーンズ姐さんのロシア将校には萌えずにはいられない。(彼女の顛末は大いに不満だが……) そして、アンソニー・ホプキンスに最凶のマッドサイエンティストを演じさせるという、これまた反則的に間違いない恐怖感。 そりゃあ面白くなるに決まっている。  でも、今作の娯楽性を高めたハイライトは、そんな豪華絢爛なキャスト陣をある意味従えて強く印象づけた“ヒロイン”の存在感だ。 前作に引き続きメアリー=ルイーズ・パーカー演じるこの“地味”なヒロインが見せる想定外のハジけっぷりこそが、今作の最大の娯楽性であったと思う。  前作の素地があったからこそ深まったこの続編の面白さだと思うが、一気にこのシリーズのキャラクターたちを好きになってしまったことは嬉しい誤算だ。 きっとこの愛着はシリーズが続く程深まる類いのものだろう。ブルース・ウィリスをはじめまだまだしぶとそうな爺さま、婆さまたちの続投を期待したい。
[インターネット(字幕)] 8点(2014-05-10 01:21:24)(良:1票)
7.  レディ・イン・ザ・ウォーター
ハリウッドきっての人気親子主演の最新作「アフター・アース」の日本版トレーラーにおいて、かつて一世を風靡したはずの「監督」の名前が一切表示されないことをあまりに不憫に思い、改めて“彼”の未見作品を見直してみることにした。  “彼”とは勿論、M・ナイト・シャマランのことである。  1999年の「シックス・センス」があまりに大ヒットしてしまったため、大衆向けの娯楽映画監督という印象が強く付き過ぎてしまい、その後の「特異」な映画世界に対する大衆の拒否感が必要以上に高まってしまった感のあるシャマラン監督。  個人的に最も好きな作品は、世間的には酷評が目立つ「アンブレイカブル」なので、一概に大衆向けの映画監督だとは思っていなかったけれど、その後の「サイン」「ヴィレッジ」にまったく面白さを感じられなかったので、以降彼の作品からは疎遠になっていた。  気がつけば実に9年の空白を経て、彼の映画を観ることになった。 率直な感想だが、とりあえず善し悪しは別にして、たぶん、この作品の映画世界こそM・ナイト・シャマランという映画人が本当に描きたい世界観なのだろうと思える。  正直、映画の世界観に少しでも没頭できなければ、「結局なんなんだ!?」と噴飯もやむを得ない作品であることは間違いない。 僕自身、「面白かったか?」と問われれば、実際「微妙」と答えざるを得ないというのが正直なところだ。  ただし、この特異な映画において、この特異な映画監督が描こうとしていることは、一貫している。 自分たちが存在し生きているこの世界を、「物語」そのものに見立て、世界そのものの閉塞感や神秘性、そこに生きる人間たちの宿命や運命を、ある部分では間接的に、ある部分では極めて直接的に表現しているのだろう。  それはシャマラン監督自身が、「表現者」として常にこの世界に感じている“ジレンマ”に他ならない。 「物語」がつまびらかにされるストーリーにおいて、シャマラン監督自身が「作家」を演じ、「悪役」が映画評論家なんてのは、どうしても伝えずにはいられない彼の思いがほとばしっているように見えた。  というわけで、この監督の本質が極めて大衆的ではないということは明らかだ。 あまりハリウッドの潮流に流され過ぎずに、映画作家として我を張って、自分の描きたいことだけに集中していってほしいなあ。と、映画ファンとしては思わずにいられない。
[DVD(字幕)] 6点(2013-07-08 23:47:48)
8.  レミーのおいしいレストラン
“動物もの”のファンタジー映画として不足はなく、ピクサーならではの映像完成度と娯楽性によって充分に楽しめる佳作に仕上がっていると思う。 しかし、この映画には致命的な難点があって、もうそれはこの物語の構成上致し方ないことだけれど、やはり最後までその部分が引っかかり続けてしまった。  それは詰まるところ、ネズミが料理を作るという不衛生さに対する拒否感だ。 この映画の製作陣やファンは、それを言っちゃあ元も子もないと言うのだろうけれど、どう取り繕ってもネズミがレストランの厨房に我が物顔でのさばり、自ら料理を作っちゃあいかんだろうと思ってしまった。 しかもこの映画の主人公でもあるネズミは、どんなに愛らしくキャラクター化していても"ドブネズミ”にカテゴライズされるタイプのネズミであり、綺麗事をいくら並べ立てたところで「不潔」であることは揺るぎようも無いのである。 主人公のネズミは、自身の不衛生を気にし申し訳程度に手を洗ったりはしているけれど、「いやいや、そういうレベルの問題じゃないから!」と突っ込まざるを得なかった。  個人的な話をすると、若い頃に地下街の飲食店でアルバイトを始めたことがあった。 しかし、閉店後の片付けの最中に巨大なネズミが走り回る現状を目の当たりにして、耐えきれず一週間で辞めてしまった。当然その後、その店には客としても決して行く気にはなれなかった。  これはもはや、ほぼすべての動物映画の根底にある博愛主義をいくら盾にしたところで、無意味な類いの問題であろう。 すべての生命と共存しようとすることは素晴らしいことだと思うし、決してネズミたちに罪はないけれど、世界中の飲食店の裏側に潜むネズミが病原菌を媒介してしまうことは現実であり、そういう部分をあまりにも無視してただファンタジックに仕上げてしまっているこの映画の在り方には疑問を禁じ得ない。  ただし、そういうことをすべて見て見ぬ振りしてしまえれば、楽しめる映画であることも事実。 単純に“動物”+“料理”のファンタジー映画として捉えれば良いのかなー……、でもやっぱり大量のネズミ(主人公ファミリー)が露呈するシーンにはユーモラスというよりも“おぞましさ”が先行してしまったな……。
[DVD(吹替)] 5点(2013-02-27 17:34:57)(良:1票)
9.  レ・ミゼラブル(2012)
2012年、年の瀬。たぶん、今年一番泣いた。 生命をまっとうした人物たちが、人生の讃歌を高らかに歌い上げるラストシーンに涙が止まらなかった。  こんなにも泣くつもりはなかった。「レ・ミゼラブル」という物語については、原作も読んだことがあるし、過去の映画化作品も観ていたので、描き出されるストーリー自体に感動こそすれ号泣などはすまいと思っていた。 実際、涙が止まらなかった直接的な理由は物語に対しての感動によるものではなかったと思う。 映画の持つ素晴らしさ、音楽の持つ素晴らしさ、芸術という表現そのものが持つ果てしなく大きな「力」に対して、感動し、むせび泣いてしまったという感じだった。  この物語に本質的な意味で“間違っている”人物は登場しない。 すべての人物は、ただただひたすらに“生きる”ということに執着しているだけだ。必死に生き抜こうとしている彼らを誰も否定することなど出来ない。 ただ、だからこそ人間同士はぶつかり合い、すれ違い、「人間」であるが故の悲喜劇が生まれる。 この物語が、時代と国を越えて愛され続けているのは、そういう人間そのものの本質的な葛藤とそれに伴う壮大なドラマが、決して色褪せるものではないからだと思う。  その色褪せない人間ドラマが、音楽、歌唱、映像、演技、それらすべてをひっくるめた「光と音」で彩られる。 スクリーンいっぱいに繰り広げられるその映画世界は、もはや奇蹟的で、神々しさすら感じた。  そんな映画にこれ以上言葉など必要ない。 今この時季にこのミュージカル映画を観られたことへの多幸感に対して、立ち上がって拍手を送りたくなった。 いつか必ず舞台版も観たい。
[映画館(字幕)] 10点(2012-12-23 00:57:58)(良:3票)
10.  レスラー
冒頭、カメラは主人公の背中を延々と追い、そのうらぶれた様を映し出す。 そこからは、ただこの男が惨めな生活に追いやられているという状況説明だけでなく、プロレスラーとして確実にあった過去の栄光を雄弁に物語ると共に、彼が今なおリングに上がり、そこで少なからずの尊敬と敬愛を受けているということがしっかりと伝わってくる。 そういう描写の後に、ミッキー・ロークの表情が映し出された瞬間、「ああ、この人はかつてのスターレスラーだ」とリアルな存在感を持って納得させられる。 この冒頭数分間の主人公描写の時点で、この映画の成功は間違いないと確信した。  イントロダクションからは、かつてのスーパースターの復活を描いたサクセスストーリーのような印象も受けるが、今作は決してそのような綺麗な映画ではない。 主人公の風貌そのままに、汚れ、くたびれ、傷だらけの映画だ。 「満身創痍」という言葉が相応し過ぎる映画世界、そしてミッキー・ローク演じる主人公の「大馬鹿野郎」としか言いようがない生き様に対して決して共感は出来ない。 ただしかし、引き込まれ、目が離せなくなる。  プロレスに生き続けた老ファイターが、遂に最後までリングにしか居場所を見出せなかったと言えば聞こえは良い。 しかし、そこに映し出されているのは、愚かで、切ない一人の男の姿であり、この映画が描こうとしたことはまさにそういう人間の根本的な無様さだ。  “現実”の死を厭わず恐らく最後になるであろうリングに立つ男の姿に涙が溢れるわけではなかった。 唯一残された「居場所」、そこに立つまでの男の全ての言動が、哀しく切ない。 この映画に描かれていることも、描かれていないことも、この男の人生そのものに涙が溢れた。  リング上で闘い続けるということが、逆接的に立ち向かうべき己の人生から逃げ続けたこととイコールになる悲哀。 ただし、それが不幸だろうが幸福だろうが、決して他人はその人生を否定も肯定も出来ない。 その価値を計れるのは、紛れもないその人生を生きた本人しかいない。  「生きる」ということの普遍的な厳しさと、だからこそ垣間見える人間の煌めきが心を揺さぶる。これはそういう映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-02-11 01:33:57)(良:2票)
11.  聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実―
今年初めての映画鑑賞を終えて映画館を出た。映画館の屋上の駐車場から沈み始めたばかりの夕日が見え、その輝きの思わぬ美しさにしばし見入った。 様々な価値観はあろうが、僕自身のこの人生が、同じようにこの国に生きた数多くの生命の上に成り立っていることは疑いの無いことで、こうやって美しい夕日が見られるのも、彼らの生命のおかげだと思った。  伝記映画として、戦争映画として、この映画に目新しいドラマ性は殆どない。 逆に言うと、世間一般の知識が乏しい山本五十六という人物の人間性を真正面からきちんと描いている映画だと言えると思う。 実在の人物や歴史を描いた数多の映画と同様に、今作が総てにおいて真実を描いているとは思わない。 しかし、たとえ一側面であったとしても、山本五十六の人間ドラマは充分に感じることができたし、それに伴う歴史の無情さや愚かさも深く感じることができた。  太平洋戦争勃発時の司令長官として、戦中戦後に渡り山本五十六に対する世間の風評は大いに揺れ動いたように思う。時には過剰すぎる程に神格化され、時には諸悪の源として蔑まれていたことだろう。 実際にこの人物がどういった人間だったのかは、タイムマシンでもない限り知る由もない。が、少なくともこの映画を観た限りでは、そういった世間の盲目的で安定しない風評に反するかのように、自分の目で世情を見据え揺るぎない信念を持ち続けた人間だったのだなと素直に感じた。  混沌とする世界の中で、一国の重圧と期待と悲しみを一身に背負い生き抜いた一人の人間の姿を見ることができた。 同時に、戦争とそれに伴う悲しみは、“誰か”のせいで生まれるのではなく、その国全体の“愚かさ”によって生まれるのだとういことを思った。  役所広司の演技にも目新しさは決してないが、安定しており、何よりも“説得力”が備わっていた。 主演俳優の演技に呼応するように、作品全体に安定した説得力のある良い映画だったと思う。  「歴史」を描いている以上、あらゆる価値観から賛否は渦巻くのだろうけれど、少なくとも今現在この国で生きている自分は、より責任を持って今この時を生きていかなければならない。  そして、今この国に生きる人々の多くは、太平洋戦争から70年を経た今だからこそもっとこの戦争の事実を知らなければならない。  そういったことを何よりも強く感じた。
[映画館(邦画)] 8点(2012-01-08 22:51:01)(良:2票)
12.  レボリューション6
破壊活動やら革命運動なんてものは、平和ボケした日本で普通の人生を送っている自分にはあまりに縁遠いことだけれど、それらのことは突き詰めれば、先行きが見えない若い日々の抑えられない熱情の表現なのだろうと思う。  だから、そういった過激な行動が伴わなくても、誰しも「あの頃は良かった」だとか「若い日々に戻りたい」と思うのだろう。  きっとそれは、何かしらの思いを携えて“若い日々”を過ごしたすべての人に当てはまることだろうと思うし、すなわちこの映画に登場する6人の仲間たちに共鳴してしまう部分が誰しもあるということだと思う。  破壊的で過激な青春時代を過ごした6人の仲間。彼らがかつてしかけた爆弾が十数年の月日を経て爆発したことをきっかけに再会する。  彼らの言動のすべてに共感出来るはずはない。基本的には愚かな犯罪者だと思う。 でも、彼らがかつて過ごした日々の彼らにとっての価値や、失った時間とその代償に得た人生の価値、仲間と再会したことで生じた喜びや悲しみは、よく分かる。  繊細な光と音楽の中で、軽快感と共にビターで儚い人間模様を描いた良いドイツ映画だったと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2011-08-06 11:21:59)
13.  RED/レッド(2010)
決して嫌いじゃない。が、もっと面白くする方法はいくらでもあったと思う。  老いても尚、こういう役どころのアクション映画で堂々と活路を見出すブルース・ウィリスは、相変わらず精力的だと思う。 その主演映画がまだまだ“面白そう”に思えるのは、彼自身の類い稀なスター性故だろう。  ただし、主演映画が多い分、良作と駄作の振れ幅も大きいことも、彼の映画の特徴と言える……。  引退した凄腕CIAエージェントたちが、老体に鞭を打って、急襲してくる現役エージェントたちを撃滅していく様は、非常にエンターテイメント性に溢れ、それを豪勢な名優たちが演じるのだから、映画としては尚更魅力的だった。  特に、ジョン・マルコビッチのキレっぷりと、まさかのヘレン・ミレンがマシンガンを問答無用にぶっ放すというコンテンツは、絶大なオリジナリティーだったと思う。  しかし、キャラクターに対するぶっ飛んだ設定が、残念ながら映画自体に反映しきれていない。 そもそもが“マンガ”なのだから、そこに現実的な整合性など必要もなく、ひたすらに荒唐無稽な世界観を突き通すべきだったと思う。というか、そういう映画世界を見たかった。  序盤の爆発的なテンションが、クライマックスに近づくにつれ、どんどん降下していくことも致命的だったと思う。  もしクエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲスが監督を務めていたら、こういう結果にはならなかっただろう。 
[映画館(字幕)] 5点(2011-01-30 23:23:55)(良:2票)
14.  レポゼッション・メン 《ネタバレ》 
「レポゼッション・メン」=“回収人”というタイトルの意味を聞いただけでも、このSF映画の大体のストーリーは想像できるだろう。 “人工臓器”の販売が一般化している近未来。高額商品のため、購入者は当然の如くローン支払いとなる。支払いが滞った“滞納者”の前には、“回収人”が現れ、問答無用に臓器を回収していく。当然、臓器の回収はそのまま「死」を意味する。 一流の回収人として活躍していた主人公だったが、ある事故により一転、自分自身が人工臓器の利用者となり、回収人に追われる立場となってしまう……。  まあよくあるプロットだと思う。定石通りに、追われる立場となった主人公は、かつて勤めていた大企業に対峙し、反撃を始めるわけだ。 追っ手や企業の社員たちを次々に殺していく主人公の様は、よくあるヒーロー像に見える。  臓器を巡る独特のグロテスクさと、軽快なアクションシーンが絶妙に融合し、痛快なSFアクション映画だなと好感触を覚え始めた頃、致命的な違和感に気づく。  それは、この主人公の行動には、「正義」が伴っていないということだ。  大企業が展開する人工臓器販売はれっきとしたビジネスであり、その“回収方法”には非人道的な要素が含まれているものの、映画世界の中では、“滞納者”に対するあくまで合法的な“取り立て行為”である。 そして、主人公が置かれた危機的な立場も、あくまで“滞納者”である故の必然的な状況であり、それに真っ向から反発して企業関係者を抹殺していく様には、実は道理が無い。  その不道理を通したまま、映画は結末を迎える……。 「ああ…これは駄作だな」と諦めかけた次の瞬間、このSF映画は「真意」を見せる。  成る程。終盤にかけての強引な展開や、整合性の無さ、ジュード・ロウのおよそ彼らしくない妙に大味な演技や、フォレスト・ウィッテカーをキャスティングしている理由までが、途端に鮮明になる。  まさにSF映画らしい「転回」であり、その真相の領域がいったい何処までを含んでいるのかなどということを考えると、より一層ストーリーに深みが増してくる。  あまり過剰な先入観を持たずに、最後までシンプルな思考で観ることが出来たなら、存分に楽しめる映画だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-23 16:47:18)
15.  レッドクリフ Part I 《ネタバレ》 
ジョン・ウーによる「三国志」の完全映画化。 トニー・レオン、金城武というアジアきっての世界的映画スターのそろい踏みは、エンターテイメント作品としてやはり魅力的である。  ただ、ここ数年のジョン・ウー作品にはあまり“当たり”がない。 実のところ、「フェイス/オフ」を越える作品は生まれていないのではないかという感はある。 もはやハリウッドでも幅を利かせる大アクション映画監督というポジションに与えられる潤沢の資金が、総じて作品の「大味感」につながっているように思う。  そこにきて何十億という制作費を投じての大エンターテイメント作品として誕生したらしい今作。 しかも、半年後に公開されるPART2との二部作。 「大味感」に対する不安は捨てきれない。  で、どういう映画だったかというと、 ものすごく贅沢に作られた「歴史ドキュメンタリードラマ」という感じ。  冒頭のドキュメンタリー番組の1コーナーのような歴史的背景の説明モノローグから始まり、主要キャラクターが登場する度に表示される役名の字幕。 「三国志」自体に明るくない者にとっては、「~の将軍」などという説明は分かりやすくはあるが、当然ながら映画としての質を落とすモノだったことは間違いない。  詰まるところ、全編通じて、三国志の中の「赤壁の戦い」の始終をただなぞっていくような印象が抜けず、各人物についてのドラマ性が薄く、のめり込むような感情が生まれない。  俳優たちの表情や一つ一つのシーンには雰囲気があり、それぞれを切り取ったなら質の高さを感じる。 しかし、一つの映画作品としては決して面白味のある映画とは言い難い。 そもそも「三国志」という物語そのものにある程度の造詣があったなら、もう少し印象が違うのかもしれないが。 
[映画館(字幕)] 4点(2008-12-01 00:02:55)(良:1票)
16.  恋愛睡眠のすすめ
これ以上ないほどのクオリティーによる“手作りの映画”。 紙や布や木で作り込まれた“夢”と“現実”の狭間で、生き方に不器用な主人公がハッピーを目指して奔走する。  考えてみれば、「夢」ほど己の存在のみで作り上げられた世界は無いのだと思う。 自分が作り上げた“世界”である以上、そこへ逃げ込むことも、そこから抜け出すことも、本人の自由であり、他人からの否定を受けるものではないのかもしれない。  現実世界での行き詰まりを夢の世界で解消していく主人公の姿は、滑稽で少し哀しいけれど、人間として実にありのままの姿なのではないかと思う。  夢想の中でもがく主人公をガエル・ガルシア・ベルナルが愛嬌たっぷりに好演し、こういうファンタジックで特異な世界観を描き出すことに秀でたミシェル・ゴンドリーの映画世界に違和感無く息づいて見せたと思う。  「夢」という浮遊感溢れるテーマであるから、ストーリーとしての結論の出し方は、これで間違いはないと思う。しかし、同監督の前作「エターナル・サンシャイン」と比較すると、映画のストーリーの「力」には大きな差があるように感じる。 一概に言えることではないだろうが、「脚本にチャーリー・カウフマンが入っていれば……」という無責任な思いは残った。  手作りの可愛らしくて、ファンタジックな映像で彩られた夢の世界。ただ、現実はそれと表裏一体で存在する。そのことをしっかりと描いているからこそ、この映画は短絡的にハッピーには辿り着かない。
[DVD(字幕)] 7点(2007-10-08 03:24:32)
17.  レイクサイド マーダーケース
“辛辣”という言葉だけでは覆うことができない“混沌”と“闇”にまみれた世界が映し出される。 これは映画である。が、事実でなかろうと、実際にこんなことが起きいても、いなくても、人間が想像し得る以上、これは現実に起こり得る“ケース”であると思う。だからこそ、映画においても答えは出ない。 主人公の男がそうであるように、現代の多くの人間が、眩い光を直視できないのかもしれない。 では僕は、直視できないこの殺人事件に対し、その背けた目線を何処に向ければいいのだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2005-10-11 05:09:20)
18.  レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
とにもかくにもビジュアルの創造性は素晴らしいの一言に尽きる。姉弟妹たちの憂いに満ちた眼差しから不穏で荒涼とした空気の色合いまで、ほとんどパーフェクトに近いものを見せてくれる。どなたかが述べられているように、ティム・バートンを彷彿とさせるクオリティの高さだと思う。ただ如何せんストーリーの盛り上げ方に技量の低さを感じずにはいられない。題材自体はとてもユニークなのに、それを紡ぎ上げる“巧さ”がまったくと言っていいほど感じられない。話と話、台詞と台詞のつなぎ方のひとつひとつでテンポを外されるという印象を受けた。久しぶりに見たジム・キャリーの七変化(顔芸)は流石だし、主演の姉弟妹を演じたそれぞれが雰囲気の良さを感じさせ、充分に楽しめる素材を揃えてはいるのだけれど、どこか手放しで満足することができないもどかしさがじわっと残る。
[映画館(字幕)] 5点(2005-05-23 21:27:34)
19.  レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード 《ネタバレ》 
大金をつぎ込んだだけあって、前作よりもパワーアップした特異なアクションシーンには及第点をつけられるが、シンプルさを押し通せなかったストーリーには難色を示さずにはいられない。曲者通しの騙し合いという構図自体は分かるが、その基本構図がまったくキャストを生かしきれない足枷となったと思う。存在自体には流石のアクの強さを見せたジョニデはキャラ設定が中途半端で、結局彼の目的は何だったのだろうと呆気にとられる。悪キャラとして名を連ねたウィレム・デフォー&ミッキー・ロークも彼らの持ち味を出せずじまいでアッケなく殺されてしまう。そもそも主人公のバンデラスは、一人込み入った(?)ストーリーに対して蚊帳の外である。ビッグマネーが使えたからこそ揃えられたキャスティングであろうが、その重圧がロドリゲス節を抑えつけてしまったらしい。非常に残念だ。唯一の救いは、相変わらずにドギツイ悪役面を見せつけてくれるダニー・トレホの存在か。
[DVD(字幕)] 3点(2004-08-03 18:19:08)
20.  レッド・ドラゴン(2002)
「羊たちの沈黙」パート3というよりは、舞台が過去にさかのぼっていることもあり番外編というニュアンスが強い今作であるが、クオリティは極めて高かったと思う。何よりも今作における主役であるレイフ・ファインズの演技が物凄い。緻密に大胆に役作りをこなした彼の様は、まさにレクターを演じたアンソニー・ホプキンスに匹敵するものだと言って過言ではない。それにエドワード・ノートンの安定した巧さが加わることで、非常に濃厚な競演が楽しめる。前二作の戦慄のサスペンステイストから一転してレッド・ドラゴンの人物像を掘り下げた人間ドラマ的な要素が強いことも良かった。まさに大抜擢となったブレット・ラトナー監督は重圧を跳ね除ける良い仕事をしたと思う。
8点(2004-01-30 15:36:46)(良:2票)
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