21. ドント・ブリーズ
《ネタバレ》 3人が家の中に入ろうとしている段階で、なぜあの猛犬が騒がなかったんだろう? 知人が飼ってるプードルなんか、私が窓の下に立った気配だけでわめきちらすのに。 犬好きとしては、どうしても無視できない大きな違和感。脚本が書かれたとき、誰もこの点をおかしいと思わなかったのだろうか。 すぐそばに強盗犯がいるにもかかわらず、気がつかない老人。先天性疾患ではないからか。緊迫した空気の描写はさすがだと思ったけれど、(家の中に猛犬がいるんだよなあ・・・)と思うと、ここでもやはり違和感が。 犯行は深夜2時に行われた。しかし、表が暗いにもかかわらず暗い家の中に差し込んでくる明かりは一体・・・? 街灯の明かりなのか、夜明けが近くなって朝日が差してきたことによる光なのか、よくわからないから気が散り、混乱してしまった。 老人は高額な示談金を提示した加害女性の親を憎んでいながら、絶えず金庫の中を確認するほどその金に執着していた。盗まれたと知るや怒り狂って窃盗犯を執拗に追い回す。うーん、一貫していない。そもそも娘への愛情が本物なら、そんな金を拒否して示談を受け入れなかったはずでは? 狂人といえばそれまでだが、この老人の哀しみにも素直に寄り添うことができない。 ロッキーは強奪したお金を最後まで手放さなかったが、幼い妹の未来がかかっているのが大きな動機。自己中心的でありながら母性本能も人一倍強いと見える。誘拐された女性を、足手まといになるのも厭わず助けようとしたのは唯一共感できる。本当にここだけ。つくづく人間は矛盾した生きものだと再認識させられた。 ラストで彼女が妹と光のゲートを出て行くとき、体の大きな男性が2人の前にすっと出たとたん、いきなり画面が暗くなって映画が終わった。 ロッキーはゲートの向こう側へは出られなかった、アレックスの言う通り10年をくらった、という結末であることを信じたい。 [インターネット(字幕)] 5点(2020-10-09 00:07:58) |
22. 蜘蛛の巣を払う女
《ネタバレ》 えええ、違和感がありすぎる。リスベット、なんで自分と無関係な男相手に『必殺』みたいなことしてるの? そんなことしてる暇があったら、それこそカミラの言うとおり、救いきれなかった彼女をさっさと助けに行きなよ(子供の頃、DVを受ける母親のために父親を焼き殺そうとしたクソ度胸のエピソードはどこいった!? )。 敵役のセリフに共感し主人公に矛盾を感じた・・・・・・終盤にきたこのねじれ感にはモヤらずにいられない。そもそも、天才肌のリスベットが簡単にアジトを敵に察知されるって、何で? 即行で少年にチェスに負けるし(気づかないし)、敵陣に乗り込んだはいいけれど、スタンガンを振り回すばかりで、作戦BもCも考えてないって・・・・・・(プレイグたちの援護射撃が作戦Bだったにしては、ガスで気を失い、気がつき、拷問を受けるまでの長時間にさっぱり動きがなかった)。それにこれは仕方ないことだけど、この女優さんが大竹しのぶにそっくりだったのも、ちょっと辛かった。 ブルムクヴィストも存在感薄いなあ。3年もリスベットを捜し続けていながら、負傷した彼女をどうしていいかわからず童貞のように躊躇してしまう。人妻と関係を持つほどの男が娘のような若い女にハグもできないなんて、男性としての包容力や経験値を感じられない。リスベットの足を引っ張り、保育士さながら子供だけきっちり保護して、なんとか退場。記事も白紙に戻し、何かと戦い、糾弾することもなくジャーナリストの仕事をせずにさらりと終わる。薄いよ、ミカエル~。 それに核絡みのサスペンスも、いい加減腹が立つ。「核」をちらつかせれば悪事にハクがつくとでも? 2度も核を落とされた側としては、これっぽっちのストーリーごときにやすやすと絡ませないでくれと言いたい。 [DVD(字幕)] 5点(2020-09-13 00:46:15)(良:2票) |
23. MAMA(2013)
《ネタバレ》 パパに殺されたママは一体どうなったの? という疑問がずっと頭から離れなかった。下の子を産んでまだ1年しか経っていない、かわいい盛りの娘たちと理不尽に死に別れてしまった若い霊は、古い霊の前では何の主張もできないのか。彼らが存在するのは、時の観念などない同じ霊界なのだから、この件をスルーされると違和感が大きい。我が子を救うために、実母の霊が狂暴なママと闘うというストーリーなら、もっとしっくり見られたと思う。 昔の霊がこの世を生きる子供に絡んでくる話としては、『シックス・センス』の方が断然自然で面白い。大仰なCGなど使わなくても、本当にこんな世界があるかもしれないと錯覚するほどのリアリティがあった。本作では、霊感の強弱に関係なく誰もがまざまざと霊の姿を見たり、物理的に触れるなど設定にこじつけが多い上、父親や叔父ともに、男性陣の存在感がうすっぺらいし情けない。何より、この物語で強調したいのは叔父の姪への愛の深さかと思っていたら、途中からアナベルの母性の目覚めに移行している。とにかく、全体的にすごく中途半端に感じた。 [インターネット(字幕)] 4点(2020-06-15 23:31:19) |
24. ブレイン・ゲーム
《ネタバレ》 2016年に起きた障害者施設殺傷事件で「生きている価値がないから殺した」と豪語した犯人を思い出しながら、本作をとても複雑な思いで鑑賞した。 超能力を持ち、人の生殺与奪を握っているのに、チャールズは神になる気はないという。彼の犯罪は果たして「情け容赦がない」という形容が妥当なのだろうか。痛みや苦しみを最小限に抑えてその命を奪う、いや終わらせる。「彼らの苦しみを終わらせる」という動機をもち、「究極の愛の行為はこの上なく辛い」と声を震わせて語るチャールズに、もし人の不幸な未来を見出す特殊能力がなかったら、彼は殺人者になどなっていなかったのではないか。ともかく、殺めることで人に慈悲を与えようとする彼のやり方は絶対に間違っている。間違っているのに・・・・・・ 細かい設定で引っかかる点が多かったにもかかわらず、本作に深く考えさせられた。 自分の身に置き換えたら、私は何一つ確信をもって行動できないと思い知らされたからだ。 もし自分が絶望的な痛みに苦しむ難病に侵されていたら、チャールズの行為を「大きなお世話」とはねのけられるのか。 自分の医療費は家族の家計に響かないか? 家族の未来を奪ってしまわないか? と脅えながら、 愛する家族を殺人者にさせないために安楽死をねだったりせず、自然な死が訪れるまで病とずっと向き合っていけるのか。 そして、 一切の苦しみから救ってくれる殺人者が現れたら、感謝の気持ちを抱かずにいられるだろうか。 チャールズは、ジョーの息子の教育費まで考慮しているのだ。 考えれば考えるほど、この作品が問うている生死の問題は奥が深い。 [インターネット(吹替)] 8点(2020-03-10 02:07:27) |
25. ブラック・ファイル 野心の代償
サスペンスだからって、もったいぶった謎をごてごて付け加えればいいってもんじゃない。 登場人物たちの各々の「動機」が全然整理されてない上、時系列もお粗末で、何より巨額の資産が全く活きていない。ちゃちな人間模様で、どたばた走り回っているだけ。 同じアル・パチーノの『インサイダー』がいかに優れた社会派サスペンスドラマか、逆によくわかった。 [インターネット(字幕)] 3点(2020-03-06 23:36:51) |
26. クロユリ団地
《ネタバレ》 笹原と明日香がドア一つ挟んで霊と対峙し、心の痛いところを突かれる誘惑に必死に耐えているシーンはとても見応えたがあった。家族で事故に遭い、自分一人だけ生還した人は、これほどの罪悪感に苦しむのかと身も凍る思いだった。極端な例えで言えば、白虎隊や特攻隊で生き残った人などは、その心中の苦しさは計り知れない。このシーンを視聴できただけでも本作品を見た甲斐があったとさえ思った。 しかし、その後の怒涛のぐちゃぐちゃは、ああ、やっぱりこう来たかとがっかり。フラッシュバックに絶えず苦しみ、生還者として前を向かねばならない葛藤を最後までしっかり描けていたら、手段としてのホラーとなり、文学的な厚みのある作品になったと思うのに。ホラーとして見せたいがための物語となっていて、とんでもなく薄っぺらな肝試し風映画になってしまった。どうしてCG等を使ってあり得ないおどろおどろしい光景を無理やり作る必要があったのだろう。現実に、団地で孤独死を迎える人が大勢いるのだし、現代社会が抱える問題を太い軸にして、いっそう背筋を凍らせる話にして欲しかった。例えば、端と端の部屋しか住居人がおらず、夜はほとんど灯りがつかないゴースト化した団地という設定だったら、作り物のあり得ない壁穴なんかよりよっぽど怖い。生存年数の短い子供の霊よりも、気配を断った人間の方が何倍も恐ろしい。 [インターネット(邦画)] 6点(2019-11-27 01:01:16) |
27. スマホを落としただけなのに
《ネタバレ》 映画を観て勉強になったのは、スマホを拾った人がそもそも警察に届けず、持ち主に直接会いもせず、人を通して間接的に返そうとするときは、そのスマホに用心すべしということ。顔を見られたくないのは、心にやましさがあるから。一時的とはいえ、自分のスマホ(個人情報)がそういう相手の手許にあったことを重く考えるべき。 ストーリーはツッコミどころ満載だったけれど、啓発用ドラマとしてなら文句ない。 例えば、スマホ紛失後にクレジットカードのトラブルに巻き込まれれば、ふつうは拾得者の犯行を疑うに決まっているが、その路線で話を進めたとすると、当然富田はスマホを警察に持参して相談するだろうし、保存した画像から恋人は黒髪美人だと刑事の知るところとなるし、あれよあれよと事件が解決して『スマホを落としただけなのに』というタイトルの実感を、観客は全く味わえないお粗末な流れになってしまう。だから、あえて細かいことには目をつぶり、スマホ紛失のリスクを学ぶために楽しむ映画、と割り切ることにした。 それに、ネット世界の「なりすまし」が現実世界でもありえるという二重構造になっていて、これを「ひねりすぎ」と突っ込むよりも、バーチャルとリアルの垣根の薄さに素直にぞっとした方が、この映画を観た価値が上がろうというもの。 ただ、どうしても納得できないのはラストのハッピーエンド。直接公文書を偽造したわけではないものの、公文書の事実を歪めて重い罪に問われるべき人間があっさり許される。これだけはあまりにも不自然すぎて、さすがにフォローできない。締めがゆるゆるだから、やっぱり免許証更新の時に見せられる事故防止啓発ビデオのような位置づけにしか思えなくて、残念。(でも、お世話になりました。スマホを紛失したら友人たちにも迷惑をかけてしまうリスクは、しっかり肝に銘じます) [インターネット(邦画)] 6点(2019-10-11 23:26:09)(良:1票) |
28. 天使のたまご(1985)
《ネタバレ》 これは、賛否というより好悪が分かれる作品だと思った。作品のタイトルからして謎。少女が抱えるたまごが「天使のたまご」なのか、少女=天使で、天使が抱えたたまごなのか、いまだにどちらか判別できない。さらに、青年が少女を絶望させたかったのか、たまごに害を加えたかったのかの判別も、最初は理解できなかった。2人が互いに「誰」と問い合うシーンが多いのも暗示的で、特定されたキャラではないことが作品に底の知れない不気味な深さを与えている気がする。とにかくわからないことだらけ。 ただ、少女が卵の中で命が育っていると信じているのは、最初から何となく違う予感がしていた。卵は死んだ雛が入っているか、中身が消えうせた浅利のように、空っぽなのではないかという気がしていた。彼女が大事に大事に抱えていた卵を、青年は無残に剣(?)で突いてしまった。もしかしたら、いつまでも孵(かえ)ることのない卵であることを彼は知っていたのではないか。卵の中には、自ら殻を割って表に出てくる温かい命などない。彼は独善的に、こんな卵を少女に持たせ続ける方が残酷だと考えたのかもしれない。 散乱した卵の殻を見て、少女は悲鳴をあげる。しかしなぜか、その悲鳴が響き渡って初めて何かが再生する予感が生まれたような気がした。彼女は力強い腹式呼吸で泣きわめいた。暗澹たる空気を切り裂く人間の声が、映画の鑑賞中初めて血の通った生々しい音声として耳に突き刺さったからだ。ウィキの監督による解説を読み、なるほどやはりそういうことかと合点がいった。 例えば、1人息子が行方不明になった母親を想像してみる。息子は、もしかしたらどこかに生きているかもしれない。少女が「お願い、たまごを傷つけないで」と青年に言ったのは、そうした母親の一縷の望みのようなものかもしれない。しかし、息子は何年も何年も帰ってこない。そこへ、唐突に彼の遺体が見つかったとする。母親は絶叫して号泣する。しかし、やがて息子の死を受け入れ、自らの人生を歩むためにやがて前を向き始める。 ・・・・・・そうしたことの寓話として作られた話ではないか、という気がする。少女の悲鳴が、私にとって最も大きなヒントになった。 それにしても、大きな魚影が街中に現れたときはびっくりした。1985年の映画なのに、早々にプロジェクト・マッピングを予言している!? 始祖鳥を思わせる巨大な化石、あるいはレリーフ(?)にも驚いた。ノアの箱舟といい、根元的な生物の再生の物語として描かれていたのかもしれない。 [インターネット(邦画)] 7点(2019-09-14 00:19:07) |
29. スカイ・クロラ The Sky Crawlers
《ネタバレ》 紙面を真ん中で折り、爪で丁寧に紙面をしごき、読み終わった新聞を静かに机の上に置く。死んだ男と同じクセを持つ男が現れたとき、これは一体何を表しているんだろうと思ったけれど、まさか、戦死したパイロットが輪廻で生まれかわったと言いたいのだろうか。そして、主人公のカンナミは映画の最後に現れた男に生まれ変わったとか? 草薙がその男を前にして、待っていたわと微笑むのを見て混乱した。もしカンナミの生まれかわりだとしたら、その男はカンナミと同世代であってはおかしい。でも、キルドレたちは永遠に年をとらないわけだから、もしかしたら、ここは草薙の容姿に惑わされず、カンナミが死んでかなりの年数が経っていると理解すべきなのか。 でも、そこまで年数の帳尻を合わせて、練られたストーリーとも思えない。なぜなら・・・・・・何年も何年も同じ容姿で生き続けてきたキルドレの特質を、話の中でうまく活かしきれておらず、ともすればこの作品がSFであることを忘れそうにさえなるからだ。キルドレと非キルドレの対比があまりにお粗末で、この映画の中盤まで見ても、いったいどういう世界観を描いた話なのかわからなかった。 それに、年を取らないシチュエーションがなぜ必要なのかもよくわからない。戦争で戦って無意味に死ぬ。その虚無感で充分じゃないかと思うのに、さらに永遠に生き続ける虚無感をプラスするから、観ている方はどちらに焦点を合わせて話を追えばいいのか、集中力が続かない。人の手によって死を迎え、輪廻ゆえか新たな生を受け、再び戦争のため空へ駆け上がっていくキルドレたち。ということはつまり、「スカイクロラ」とは、子供たちが戦争を永遠に支え続けている世界なわけ? パン屋でパン作りに励む生き方もあろうに、軍人として空で壮絶な死を遂げたにも関わらず、せっかく別の体で生まれかわっても、性懲りもなくまた戦場に戻ってくる彼らの融通のきかなさが謎。キルドレの元締めが遺伝子操作でもしてるんじゃないかと思うほどだ。そもそも、一体どういう大義名分で、彼らも敵も互いに戦っているのだろう。 でも、自分の解釈も全然自信がない。何といっても絶望的にセリフがわからない。途中からスピーカーを諦めイヤホンを試してみたが、それでも聞き取れないってどういうこと!? 戦闘機のパイロットは血の気が多い輩のイメージがあるが、人を殺すほどの所業をしている彼らが、どうしてぼしょぼしょ呟くの。冷静沈着な声の低さは、まるで潜水艦の乗組員のようだ。いくらなんでも、もう少し腹に力入れて話そうよ。 [インターネット(邦画)] 3点(2019-09-13 23:14:18) |
30. ロケットマン
エルトンの楽曲を映画館で思う存分聞けると単純に楽しみにしていたが、まさかこんなにハンカチがぐしょぐしょになるとは思わなかった。思春期の息子と意思疎通がうまくいかなかった頃のことを思い出しながら鑑賞していたせいかもしれない。レジ―、あるいはエルトンが、両親の心ない言葉に深く傷つき、寂しさに打ちひしがれている様子が映るたび、わけもわからず泣けてきた。彼がど派手な衣装を身に付ける理由が初めて理解できたような気がする。主演のタロン・エガートンの歌もすごく上手かったけれど、長年彼の歌をCDがすり減るまで聞きまくってきただけに、途中から本人の歌声が聞きたくてたまらなくなって閉口した。家に帰ると、すでに成人して仕事にも就いている息子に無性に会いたくなった。 (タロンの2本の前歯の間にわずかに隙間があったけれど、あれはもしかしてエルトンに似せてわざと広げたとか?) [映画館(字幕)] 10点(2019-09-05 00:13:43)(良:1票) |
31. 名探偵コナン ゼロの執行人
《ネタバレ》 最後まで見るのに、何回DVDの再生を止めたことか。きたちょでも日本国土に飛翔体を落とすのはさすがにビビって、まだかすりもしないのに。犯人がどんな動機で何を企んでいるのか知ったときは、あまりにも荒唐無稽で呆れ果てた。テロの内容1つとってみても、どれだけ無関係な人々の生活基盤をぶっ壊したことか。犯人に告ぐ。死ななけりゃいいってもんじゃないでしょ。後半では、犯罪に関わりのあるキャラたちが感情的に自分の気持ちを各々ぶちまけているけど、誰も彼もがあまりにも自己都合がすぎて、「これって、共感する人誰かいるのか?」と寒々しい気持ちになってしまった。悪の魅力が全く感じられない上に、涙を流してわめく犯人側の言い分をこれっぽっちも納得できないから、残念ながら白けるしかない。組織同士で揉めることは多少あるだろうけど、いくら仲が悪いからって、相手に腹いせをしたいからって、あまりにもバカバカしい規模でそれをやろうとするから、首都圏で目に見えないゴジラとキングギドラがケンカして、哀れな人間(都民)が大いなるとばっちりを食らってるような図式に見えた。納税者であるエキストラたちは、ゆでダコになって然るべきだ。 [DVD(邦画)] 3点(2019-08-31 23:06:31) |
32. フード・インク
10年前に堤未果氏の『ルポ貧困大国アメリカ』を読んだとき、貧困者になぜ肥満体の人が多いのかを初めて知って衝撃を受けたことを思い出す。映画評論家の町山智浩氏の語るアメリカ事情にもこの手の話が絡むことがあり、もちろんこのドキュメンタリーを含め、問題の本質が異口同音で耳に入ってくると、さすがにアメリカの食事情の深刻さを信じないわけにいかない。この映画で一番ぞっとしたのは、食問題で集まった人たちを相手に、家族に糖尿病患者がいる人に挙手させていたところ。ほぼ全員が手をあげ、「2人いる人」「3人いる人」と質問が続くけれど、誰も手を下げない。鳥肌が立つほど恐ろしかった。いつのまに、この国は糖尿病大国になってしまっていたのだろう。欧米人はインスリンの分泌力が優れていて糖尿病になりにくい体質だと聞いていたのに、一家族に複数人もの患者がいるなど、とても信じられない。 大腸菌に汚染された食材が商品に紛れ込んでいたとしても、企業は謝罪しないどころか、声をあげる消費者を次々と告訴していくという。日本でもO-157感染で国中が大騒ぎになったことがあったが、被害を受けた限定消費者だけではなく、一般人もマスコミも社会をあげて感染経路の特定と予防対策を求めた。この一連の動きがどれほど正常な流れだったのかを改めて思い出した。 また、『インサイダー』『エリン・ブロコヴィッチ』『フィクサー』など、巨大企業を相手に国民の命を守るため戦う映画を何本も見たが、遺伝子組み換え大豆の話が本作で出てきたときは、真っ先に『ゴルゴ13』の「害虫戦争」を思い出して、これまたぞっとした。遺伝子組み換えとは、あくまで気象条件に耐え抜く強い作物を生み出すための技術だと思っていた。それでも何やら落ち着かないのに、人為的に作物の特性を、それも明確な方向性をもって遺伝子レベルで操作するなど冗談がすぎる。そんな物騒な話はコミック上にとどめておいてもらいたい。 思うに、資本主義、共産主義など諸々のイデオロギーを問わず、アメリカ、中国、ロシアなどの大国は、一国民の小さな声をいちいち拾い上げるには図体が大きすぎるのかもしれない。巨大な富と権力が集中する一握の輩が政経を動かしている以上、怪しい加工食品しか口にできない貧困層は、今後どうやって健康を維持していけるのだろう。それでも、声をあげようと活動している人たちの勇気と行動力に深く感動せずにいられない。 [インターネット(字幕)] 9点(2019-08-18 23:08:54) |
33. 茄子 アンダルシアの夏
《ネタバレ》 ドーピングに染まった女子チャンピオンが主人公の「レーサー/光と影」という映画を観たことがあるが、本作とを絶えず心のどこかで比較しながら鑑賞していた。ペペたちが追い込みに入ったシーンは、これが原作者の構成した架空のレースだと忘れそうになるほど、緊迫したすばらしい走りだった。ゴールを超えて各選手が息も絶え絶えに徐行している様子が爽やかで清々しい。放心状態の牛馬となり果てた者や、「やるだけのことはやった」としゃがれ声で漏らす者。彼らは姑息な手段を一切使わず、全力を出し切って戦った。そこには粘着質な嫉妬や悔しさ、怒りすらないように見える。ただ完全燃焼の疲労感あるのみで正しく無我の境地、ペペと言わずヘトヘトにくたびれた誰も彼もがカッコいい。「レーサー/光と影」もドーピングの恐怖が生々しく描かれ、それはそれで興味深く観たけれども、二度三度と見直したいと思うのは間違いなく「茄子~」の方だ。 カルメンが兄を選んだ悔しさ、哀しさをレースにぶつけたペペは、挫折を乗り越えた穏やかな表情をしていた。彼の精神的な成長を垣間見れる深いシーンで、濃密な時間の経過を感じさせる。巨大な牛の看板が裏向きになっていて最後まで表を見なかったのは、ペペの未知数な伸びしろを暗示している気がする。 最後に、ペペが小さな茄子をまるごと口に入れようとしたとき、何となく両目の入った小さなだるまのイメージがきた。つまり、何か1つ達成した証のようなもの。もしくは、辛い思い出の残る地元の名物。それをパクっと食べてしまう。この茄子はいろいろな読み方ができて面白い。その後、唐突に流れてきた忌野清志郎の調子っぱずれな歌がまた最高! 本当に面白かった。今まで見てこなかったのが悔やまれる。 [インターネット(邦画)] 9点(2019-08-12 00:29:36) |
34. ザ・コール [緊急通報指令室]
昔よく見ていた米ドラマ『CSI:科学捜査班』では、基本的に1話につき複数の犯罪が扱われている。そういう形式で何シーズンも制作されていて、よくネタが尽きないなあと感心していたものだった。本作を見て、なるほどと納得。何となく想像はついていたけれど、オペレーターが休む暇もないほどひっきりなしに緊急コールが入るとは。これだけ犯罪の実例があれば、確かにネタの宝庫といえるかもしれない。 驚いたのは、個人情報が完全に当局に管理されていること。車の持ち主の顔写真が出たときは初めそれほど違和感を覚えなかったけれど、考えてみたら免許証ではなく車の名義人の写真。購入時に証明写真が必要なのだろうか。何より誘拐された女の子の顔写真がばっちり映し出されてびっくりした。どういうこと!? 小さい頃の写真ではなく、誘拐時の容姿とさほど違って見えないということは、・・・・・・アメリカの人は毎年写真を登録させられてるの? 個人情報の管理がヤバいとは聞いていたけれど、本当に理解に苦しむ。 それに、犯人に連れ回されている被害者も、こんな悲惨な目に遭わされては、たとえ救助されても後でひどいトラウマに苦しむのではないかとハラハラした。男性恐怖症になることはもちろん、車に乗ることも、1人で街を歩くことも、夜電気を消して眠ることもできなくなるかもしれない。そんなこんなを想像していたら、思いがけないラストにたどりついた。なるほど! 被害者のその後なんて、心配する必要はないみたい。ただ、前半のノリは、犯罪が多発するアメリカの病巣をえぐっているような硬派の流れだったのに、後半になって、特殊な犯罪の一ケースといった視野の狭いものに変わってしまい、そしてあのラストが来る。社会派ドラマがいつの間にか、ホラーサスペンスになってしまった、という感があった。それだけがもったいない。 それにしても、ケイシーが何と、『リトル・ミス・サンシャイン』のオリーヴだったとは! ぽちゃぽちゃのほっぺたと前に突き出たかわいいお腹がなつかしい。 [インターネット(字幕)] 7点(2019-04-29 01:40:46) |
35. 今度は愛妻家
《ネタバレ》 俊介とさくらが、『うる星やつら』のあたるとラムそっくりに見えた。ラムがそばにいるから安心して(?)浮気をするあたる。でも、ラムがいなくなると、身も心もぼろぼろに。俊介もあたるもほんとにどうしようもない浮気虫だなって思うけど、憎み切れない可愛げがあるから、そんな男に惚れた女は苦労するんだろうな。 後半は、ティッシュが手放せない状態になってしまった。現実に、先日から全国各地で自動車の死亡事故が報道される中、突然妻子の命を奪われた夫の会見を見たばかり。病死と違い、何の覚悟もなくいきなり家族を失うなんて、あまりに残酷すぎて想像するだけで胸が痛くなる。俊介は事故る直前のさくらの後ろ姿を、まさに虫の知らせか間一髪で撮っている。その後、彼が写真を撮れなくなるのは当たり前だ。どんな被写体も幻のさくらに見えたろうから。 本作は、オチを知る前、知った後の計2回は見るべき映画。脚本のマジックともいうべき二重のストーリーが味わえる。 [インターネット(邦画)] 8点(2019-04-27 00:48:23)(良:1票) |
36. ブタがいた教室
《ネタバレ》 動物好きの小学生相手に、哺乳類に「名前をつけるな」というのは、まず無理なんじゃないかと。中学生でも無理な気がする。高校生なら、なんとか名前なしで、家畜としての哺乳類を世話できるかも。 ペットとして育ててしまった豚を、食べる、食べないと論争になってしまった。それでいいじゃないかと私は思う。もし家畜として育てたのなら、そもそもこんな論争になっていない。花火大会に豚を連れ出したりしないし、楽しい思い出をわざわざクラス単位で作る必要もない。教師だって、それを許さずに「餌やりと掃除だけしなさい」と命じなければならない。それで、本当に食育になるのだろうか。いや、食育以前の問題だと思う。「命」という概念を、これだけ真剣に子供たちが自発的に考えることができたのは、名前をつけて、愛情をかけて、一生懸命に育てたブタを、名づけ親である自分たちが、殺さなければならないから。このことの、何が間違っているのだろう。現実に、子供たちは、Pちゃんの命に責任を持つことで、命の重さ、尊さを、いやというほど学んだ。3年生に世話を委ねようとしたり、反対意見を言う相手に全身でぶつかっていったり、失敗、希望、挫折を、何度も何度も繰り返した。その悩みの深さ、出口の見えないしんどい思いを、半年近くも引きずってきた。社会人顔負けの悩みっぷりだ。その半年間で、彼らがどれほど精神的に成長したことか。ブタを飼育せずに過ごした無難な小学生ライフと比べて? 人や動物を問わず、救うことができない命があるという不条理な真実を、彼らは苦しみながらもしっかり学んだ。 また、Pちゃんがブタだったからよかったのだ。魚釣りでは、完全にエンターテインメントになってしまうし、ふだん私たちが食べない(食べる国もあるけれど)犬や猫なら、そもそも命を奪うわけにはいかない。人が食べる動物を、「可哀そうだ」と言って通らない残酷な世界があることに、子供たちは気づかなければならない。そこを乗り越えないと、感謝して命をいただき大切に生きる、ということが理解できないし、謙虚な心が生まれない。この作品では、どの子供たちもPちゃんの短い命を思って涙を流した。いっぱい泣いて、他者が受ける痛みを肌で感じて、子供たちは強くなればいい。 [インターネット(邦画)] 9点(2019-03-30 00:21:40)(良:1票) |
37. あなたになら言える秘密のこと
《ネタバレ》 クロアチアの国情とはいいながら、この話はどの戦争でもあてはまる。国から無理やり出兵させられた男たちは、殺らねば殺られる戦いを前線で強いられ、精神を病んだ者が大勢出たと思われる。ハンナを始めとする女たちは、彼らの狂気を文字通り体中に浴びたのだ。ハンナは、「親友は自分とは正反対の性格の子」と言った。つまり惨事が起こる前までは、彼女は陽気で明るい笑顔をふりまく女の子だった、ということ。親友の名前が「ハンナ」なのだから。「(親友が)早く死ねるように祈った。彼女の悲鳴を数え、うめき声や痛みの深さを推し量った」という言葉から、ハンナが幽体離脱の感覚を味わっていたことがわかる。体を痛めつけられている間、狂気から逃れたい一心で意識が宙に浮いたのかもしれない。男女の別なくこうした人格破壊は、世界大戦を経た国の如何や時制を問わず、大量殺戮が行われる地なら当然のように起こり得るだろう。 ハンナが工場内で、リンゴとライスの味気ない昼食を取っているとき、彼女の背後の壁に、「健康への5ステップ」と書かれた栄養学の知識が掲示されている皮肉。また、彼女が海岸で海を眺めているとき、岸壁に「NO PARKING」とペイントされている。この「NO」という文字は偶然映像に入ったはずがない。生を拒否する彼女を強く暗示する演出だ。 ハンナがジョセフを受け入れたキー・センテンスは、「泳ぎを練習する」。このひと言は、とてつもなく深い。海上での労働者が泳げないといって、ハンナが初めて声をあげて笑ったシーンがあった。「泳げない」は彼女の唯一のツボ、そこをジョゼフはいく通りも意味を含めて見事に突いた。キスも、まず唇が重なるのではなく、互いの肌のぬくもりを確かめるように額や鼻が触れ合う。私は顔全体が重なるキスを見るといつも、どちらか一方、あるいは両者が深く傷ついているように感じてしまう。それほどに寂しく心に沁みとおるキスだ。2人が結ばれ、ハンナの架空の娘も、本物の子供ができてからは存在が希薄になりつつあるよう(完全に姿を消すことはないだろうが)。しかしこの症状は、統合失調症ではないのか。 ただ、この作品でひとつだけなかなか納得できないことがある。ハンナはなぜ、男性恐怖症にならなかったのか。看護師とはいえ、あんな目に遭わされれば男の股間など触るのも身の毛がよだつだろうに。ましてやジョセフは大男。この点だけはちょっと無理がある気がする。 [インターネット(字幕)] 9点(2019-03-28 00:22:06) |
38. パワー・ゲーム
《ネタバレ》 ギリシャ神話にミダス王の有名なエピソードがある。手に触れるもの全てが黄金になるようディオニュソスに願いごとをし、それが叶えられると、しばらく王は黄金の魅力に取りつかれていた。そのうち、食べ物も愛する娘も金に変わってしまうことに気づき、彼は激しく後悔したという。 アメリカの経済サスペンスものは、たいていこのエピソードがそのまま当てはまってしまう。身に過ぎた富を追い求めると、王が娘を彫像にしてしまったように、身内をも巻き込み必ずいつか破滅する。 そもそも主人公がスパイ行為に手を染め始めたとき、視聴したことを激しく後悔した。人の信頼を得て背信行為を働く映画は、もう年齢的にきつい。それでも歯を食いしばって最後まで見たが、ラストは単なる盗聴で悪事を暴いてあっけない幕引き。主人公のどや顔に、白けて引いてしまう。ここに至るまでのストレスを吹き飛ばすくらいの凝った方法でひっくり返して欲しかったのに。それでも、ハリソン・フォードとゲイリー・オールドマンのこってりとしたセリフの応酬、顔芸はすばらしかった。そこだけを何回でも見直したい。 一番残念なのは、ヒロインだった。産業スパイがいてもおかしくない大会社の重要ポストに就いていながら、見ず知らずの男と一夜限りの仲になるわ、新参者を相手に牽制するわ、遅刻はするわ、PCからデータを盗まれたことにも気づかないわ、社の命運を左右する端末を恋人同室の枕元で充電するわ、携帯の紛失は半狂乱になるほどの事態だというのに、「私をだましたのね」とスパイとわかった彼氏にのん気に電話するわ、彼女の危機管理能力は呆れるほどゼロに等しい。美人という以外、いったい彼女の何が秀でていてジョックの御側付きが務まっていたのか、理解に苦しむ。ラストの「私は高いの」というセリフには苦笑してしまった。あなたは何もかも緩すぎるんだって! 産業スパイをあえて懐に飛び込ませるためにジョックが彼女を雇っていた、という設定にしなければ、ジョックの手腕にムラがありすぎる。全体的に煮詰まっていない作品だと思う。 [インターネット(字幕)] 5点(2019-03-27 15:28:39) |
39. シークレット・アイズ
《ネタバレ》 13年間の前と後も同様に美しいクレアと、深い悲しみにすっかり老け込んだジェス(この無情な対比に、ジュリア・ロバーツがよくこの役を引き受けたなあと驚いた)。2人は決してハグを交わさないが、心の底で互いにリスペクトし、いたわり、大事に思っている。2人とも、低い声で話す抑えた演技がそれぞれ個性的で、どちらも目が離せない。間に入ったカステンがまた絶妙な位置にいて、トライアングルの均衡は崩れる気配がない。 ただ、ストーリーが痛い。モラレスのやり方もどうかと思うが、仲間内の不幸を最優先し、良心を傷めることなくテロリストの検挙を度外視しているカステンはプロ失格だ。この点だけは全く共感できない。9.11の事件が起こってまだ間もないのに、ジェスの娘のように命を奪われる犠牲者が多数発生するリスクを、なぜカステンたちは軽視するのだろう。そもそも、ビジネスライクに現場にやって来たカステンやジェスにかなり違和感があった。自分の人生に関わる人間が被害に遭わなければ、本気になれないのか。他の命を軽視しているように見えて仕方がない。テロ犯罪防止とレイプ殺人検挙の狭間で、主要キャストたちが悩みくドラマを見たかった。 また、被害者遺族が復讐を果たすことが許されるなら、納得できない法の裁きを受け入れ、一線を越えることなく耐え忍んでいる一般の遺族が浮かばれない。穴を掘り続けるカステンに、どうしても共感できなかった。ただ、愛する子供を理不尽に奪われた遺族は、加害者に対し、これほどの憎しみを生涯持ち続けるのだと訴えているこの作品は、一見の価値ありと思う。 [インターネット(字幕)] 7点(2019-03-26 15:19:19) |
40. セッション
《ネタバレ》 アンドリューの勇気、決断力、実行力には驚いた。好きになった子には直接告白できるし、人生の帰路に立ったときも迷わず即決でき、彼女に事情を説明して別れることを選ぶ。一見冷たくて自分勝手に思えるが、本当の自己中なら、会いたいときだけ会おうとし、中途半端に彼女を縛りつけるだろう。事務的な別れの言葉でニコルを傷つけたが、自分を守るような偽善はみじんもなく、結果的に彼女は恋人未満のまま最小の痛手だけですんだ。彼のけじめはえらいと思う。 フレッチャーの指揮するウィップラッシュの出だしが素晴らしかった。全ての楽器がずれることなく爆発するような音を奏でた。彼が出だしの音に異常な執着を示すのもうなずける。アンドリューの鬼気迫る激しいドラムは、そうした師に引き出されたもの。無情なしごきに耐え抜いて奏でる音は、常人の領域を超える。たとえ、問題山積みの師弟関係であったとしても。絵画、音楽、その他何であれ芸術至上主義を貫いて表現されるものは、しばし鑑賞者を黙らせてしまう。 昔読んだ有吉京子の名作コミック『ニジンスキー寓話』を思い出す。不安な心を維持しなければ優れた踊りはできないと、気難しい振付師ジャンが舞踊家のルシファを厳しく指導する。常に変化することを強いられ、安住の地に住むことを許されないルシファは次第に精神を病んでいくが、独自の演奏を決行するアンドリューはフレッチャーに呑まれることなく、薄皮一枚で自己をしっかり掴んでいるように思う。 私には、甘さを徹底的に排除した気迫のみの芸術を、どう受け止めるべきかわからない。ただ、名誉欲に縛られているフレッチャーを、無条件ではやはり受け入れられない。例えば、一糸乱れぬ北朝鮮のマーチングは正確無比で素晴らしいが、心のどこかで何かが反発するのを感じる。強いていえば、そんな感覚だ。 フレッチャーが、故蜷川幸雄氏とイメージがかぶって仕方なかった。容姿も、ものをぶんなげるのも、罵声をとばすのも。 でも、蜷川さんには、底辺に深い愛があった。観客に対して、俳優に対して、何より舞台そのものに対して。 フレッチャーは、果たして音楽を愛しているといえるのか・・・・・・? [インターネット(字幕)] 9点(2019-03-24 01:43:41) |