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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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61.  ショーン・オブ・ザ・デッド
エスプリの効いた思わずニヤリとしてしまうラストシーンを観て、「ゾンビ映画」は、詰まるところ“コメディ”なんだなと思い知った。  それは、この映画において、ゾンビ映画における定番的展開が、ほんの少しタイミングや視点を変えただけで可笑しさを連発させることに如実に表れている。 この根底に潜む“可笑しさ”を含めた娯楽性が、ゾンビ映画が世界中で愛される要因なのだろうと思った。  故に今作はゾンビ映画が苦手な者でも充分に楽しめる映画だと思うが、ゾンビ映画が好きな人ならもっと余計に楽しめる映画だと至極当たり前のことを思った。   そして、この映画がただ愉快なコメディ映画で終わっていないのは、映画の面白さが必ずしもゾンビ映画のパロディ的な部分のみによって構築されていないことだ。 ゾンビに汚染される前の日常風景のあちらこちらにもゾンビ映画的な“雰囲気”が表現されているように、普遍的な人間社会そのものに、実はゾンビが蔓延る世界以上の禍々しさが溢れているということをこの映画は伝えてくる。    駄目男の主人公は、突如として放り込まれたゾンビとの死闘を経て、大切な人を失い、同時に何か大切なものを得る……ように描かれる。 しかし、実際は行き着く生活に結局大差は無いというラストには、爽快感や痛快感と共に絶妙なブラックユーモアが溢れている。   “表裏”両面の笑いが散りばめられ、感動もあれば、それらを包括する哲学性すら感じる。色々な観点から楽しみがいのある素晴らしいコメディ映画だ。
[DVD(字幕)] 8点(2012-02-02 13:49:23)(良:1票)
62.  チョコレート・ファイター
数年前に観た「マッハ!!!!!!!!」は、あまりに覚えづらいタイ人監督の名前と、「体を張る」ということの本当の意味を伴ったアクションを強烈に印象づけた映画だった。 ただし、主人公を演じたトニー・ジャーというアクション俳優のパフォーマンスがあまりに超絶過ぎるのに対して、ストーリーは陳腐なので、もはや一流アスリートの超人芸を映し出した記録映像を延々と見せられているようで、映画としてのカタルシスを得ることが出来なかった。  「マッハ!!!!!!!!」はそういった形で、とても勿体ないと思えた映画だったが、今作は数年かけて育て上げた天才少女ジージャー・ヤーニン(井上真央似)を主人公に配し、足りなかった映画的カタルシスを備えた“タイ産”美少女アクションに仕上がっている。  ストーリー的に嘲笑を抑えきれない部分はやはり多い。色々な意味で、決して“良質”な映画とは言い難い。  ストーリーテリングが必要以上にシリアスなのに、諸々の場面設定はチープだし、キャラクターの行動の整合性も欠けている。 そもそもがこの手のジャンル映画としては、あまりに話が暗過ぎるし、特に序盤の鬱積感は観ていて辛ささえ感じる。  でも、そういう諸々の粗や鬱積を“助走”として、少女の体そのものから文字通り「解放」されるアクションがもの凄い。 エンディングで映し出される「NGシーン」もとい「事故映像」が伝えるままに、描かれるアクションは痛々しいまでにリアルで半端ない。それが、今回は「記録映像」に留まっていない。 ブルース・リーをはじめ、ジャッキー・チェン、ワイヤーアクション、チャンバラに至るまで、あらゆる格闘アクションに尊敬とオマージュを捧げたアクションが、映画の中で「進化」し、“ジージャー”という新星の唯一無二のオリジナルアクションへと「昇華」していく。その進化の過程に対して、何よりもカタルシスを覚えた。  繰り返しになるが、ストーリーはお世辞にも褒められたものではなく、極めて陳腐だと言わざるを得ない。 ただし、DVDを観終わった深夜のリビングで、思わず「フォワーーッ」と発しながらハイキックをしてしまった。 もちろん“ジージャー”のそれと比べると、「ハイキック」と呼べるほど自分の足は上がっていなかったけれど、映画を観終わってそういう反射的な行動を引き起こさせる、これを「本物のアクション」と言わずして何と言う?
[DVD(字幕)] 8点(2012-01-27 00:48:57)
63.  デス・プルーフ in グラインドハウス 《ネタバレ》 
まったく“とんでもない”映画だ。 アクション?サスペンス?ホラー?映画のどのジャンルに当てはめようとしても、すべてに「?」を付けたくなる。というか、こういう風に論じようとすること自体が馬鹿らしく思えてくる。 つまりは、ハリウッドにおける永遠の悪童クエンティン・タランティーノが、またもや“大馬鹿映画”を作り上げたということに他ならない。  冒頭から延々と繰り広げられるのは、典型的な女子の駄話。実際その教養もなければ、オチもないガールズトークは、映画の大半を占める割合で展開される。 そこには退屈を覚えるというよりも、一体なんなんだこのシーンは!?と唖然としっ放しになる。 ただ何故だが眼は離せない。それはおそらく、「あー、こんなイケイケギャルたちの話に混ざりてー」という無意識の妄想が生まれているからだろう。  そんなイケイケギャル映画だった映画世界は、ミステリアスな雰囲気を携えて登場したカート・ラッセルが、狂気の殺人鬼(変態)に豹変した瞬間からオゾマしい恐怖映画に転じる。 その豹変ぶりは本当に「突然」で、作品中の惨劇シーン同様、激しい揺さぶりに酔いそうになる。  場面が変わり、また別のグループのガールズトークが始まるのだが、今度はいつ次の「恐怖」が訪れるのかと先の揺さぶりが止まらず、先には無かった居心地の悪さを感じずにはいられなかった。  そして再びカート・ラッセルが登場し、いよいよ始まりそうな次の恐怖に身構えた途端、映画は唐突なUターンの如き展開もとい“転回”を見せ、「女性至上主義」の圧倒的なカーアクション映画へ文字通りに突っ走る。 一体何が起こっているのか判然としないまま、映画は怒濤のエンディングを“ぶちかます”。 「THE END」のテロップが堂々と出た瞬間、馬鹿笑いを止められなかった。  「クソ映画」であることは間違い。けれど、クエンティン・タランティーノは多大な労力を注いで、端から「クソ映画」を撮ろうとしているのだから、文句のつけようが無い。 「カッコいい!」とか「エロい!」とか一瞬でも思ってしまったなら、その時点でタランティーノの完勝であり、観ている側は潔く完敗を認めるしかない。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-01-22 15:39:01)(良:1票)
64.  その土曜日、7時58分 《ネタバレ》 
「その土曜日、7時58分」この邦題も嫌いではないけれど、原題「Before the Devil Knows You're Dead」は、「悪魔があなたの死に気付く前に天国にあらんことを」というアイルランドの諺を引用しているらしい。 人生においてもはや“死に体”となった主人公を始めとする登場人物たちの様を如実に表したタイトルだと思う。  後戻りできない悪循環にはまった人生を好転させるため、“或る犯罪”を企てる兄弟。容易に思われた計画は思わぬ形で頓挫し、更に最悪な悪循環にはまっていく。 ドラマとして素晴らしい点は、描かれる「悲劇」が、必ずしもその犯罪に端を発しているわけではなく、主人公の兄弟をはじめとする彼らの家族が、そもそも孕んでいた屈折した関係性から生じているということ。  この家族は、決して心の底からお互いを憎んでいたわけではないけれど、長い年月の中で少しずつ鬱積し増幅した軋轢やコンプレックスが、後戻りできない悲劇を生んでしまった。 「家族」という最も身近で、最も微妙な人間関係を主軸に据えたサスペンスが、鈍く光る鋭利な刃物のようにゆっくりとそして確実に突き刺さってくるようだった。  ただでさえ深い面白味をもったストーリーを、時間軸をずらした構成で巧みに描き出し、サスペンスの緊張感と驚きを越えたその先に、濃密過ぎるほどの人間模様を映し出した演出は、まさに「巨匠」のそれだった。 長きに渡り、重厚な社会派ドラマを映画史に刻みつけてきたシドニー・ルメット、その遺作に相応しい映画だと思う。  ラスト、自らの手で悲劇の終止符を打たずにはいられなかった老いた父親が、一人光の中に消えていく。 その先に居たのは悪魔か天使か。その答えはあまりに分かりきっていて、悲し過ぎる。
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-21 14:13:03)
65.  カンフー・パンダ
この映画は言うなれば、“パンダカンフー”版「スター・ウォーズ」である。 ストーリー、キャラクター性、あらゆる面でかのスペースオペラの世界観が色濃く反映されている。 スター・ウォーズファンのカンフー映画ファンならば、文句なしに楽しめる映画だろう。  何の取り柄もないカンフーマニアのデブパンダが、運命だか偶然だかで“伝説の戦士”に選ばれ、強敵を倒す。という、ありふれたプロットに想像通りにストレートなお話が展開される。 実際、ストーリーに“ひねり”など必要としない映画であることは間違いなく、アニメーション表現ならではの面白さとキャラクターの魅力だけで、「完成」している映画だと思う。  とは言うものの、いくつかの難点はあった。 一つは、主人公の成長の仕方が唐突過ぎるように思えたこと。 何も取り柄もないと思われていた主人公の唯一見出された資質が“食い意地”で、それを最大限に生かして潜在能力を引き出すという修行方法は、この映画世界に相応しいユニークさだと思った。けれど、そもそもその潜在能力が備わっている理由が明確にならないので、やはりあまりに都合良く思えた。  そしてその主人公が、圧倒的に凶暴に描かれる強敵に打ち勝つという様にも説得力が足りなかった。 何故デブでのろまなパンダが戦士に選ばれ、何故強敵を倒すことが出来るのか。そういう基本的な部分の理由付けが曖昧すぎたように思う。  生い立ちも含めた描かれなかった主人公のキャラクター設定は、続編への布石のつもりなのかもしれないけれど、この作品を単体で観た限りでは“軽薄”という印象を拭えない。  ただ、この映画は垣間見えるいくつかの粗を追求するべきものではなく、ユニークなキャラクターたちの愉快で痛快な言動そのものに面白味を見出すべき作品だろう。 そういう意味では、アニメ映画としても、カンフー映画としても、楽しみがいのある優れた娯楽映画であることは間違いない。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-01-20 13:15:12)(良:1票)
66.  ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー
前作「ヘルボーイ」は、登場するキャラクター性やその造形美には魅力を感じたものの、彼らを充分に生かし切れていないストーリー展開によって、今ひとつ乗り切れないヒーロー映画としてイメージづけられた。 そのイメージが強く、4年後に製作されたこの続編にも「今さら……」という印象が拭えず、興味がわかなかった。慢性的なネタ不足のハリウッドなので、「とりあえず作っとくか~」程度の続編だろうと勝手に想像してしまっていた部分もある。  しかし、実際に鑑賞に至ってみて驚いた。 登場するキャラクターたちの魅力はそのままに、前作とは比較にならない壮大な世界観の中で、主人公ヘルボーイをはじめとするキャラクターたちが生き生きと息づいていた。  新登場のキャラクターや端役程度のクリーチャーのクオリティーも極めて高く、圧倒的な造形美に彩られている。 異形の者たちが集う市場のシーンでは、ありとあらゆるクリーチャーがごった返し、その作り込みは半端なかった。その他のシーンも含めて、画面に映し出されるあらゆる造形を見ているだけでも、充分に楽しい映画に仕上がっていると思う。  そういったクオリティーの高い造形美の中でも、描かれるストーリーは圧倒的に世界観は広がっているものの、良い意味で極めてコミック的で愛着がわく。 第一作目を観たときは、続編への期待など殆どなかったけれど、今作では所々に気になる伏線も散りばめられており、第三弾に対して大いに期待は膨らむ格好となった。  監督のギレルモ・デル・トロはすっかり売れっ子の映画監督になっており、引く手数多のようだ。 「ロード・オブ・ザ・リング」のスピンオフ作品「ホビット」2部作の監督にも就任したが、諸々のスケジュールの都合で降板したらしい。 他にも期待度の高い企画は進行しているらしいが、くれぐれも「ヘルボーイ3」の企画は頓挫しないように願いたい。 主演のロン・パールマンもかれこれ高齢ですし……。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-01-17 16:41:43)
67.  リアリズムの宿
冬風が吹きつける日本の寂れた裏通りを歩いていく冴えない男二人。 “顔見知り”程度の二人の絶妙な関係性が、妙な間と可笑しみを生んでいく。 そこには希望もなければ、絶望もない。“美しくないもの”をきっちり美しくなく描き出す辛辣さと、可笑しさ、それらに裏打ちされたリアリズム。  山下敦弘監督(「リンダ リンダ リンダ」)のこの映画をずうっと観たいと思っていたけれど、地元のレンタル店ではなかなか見つけることが出来ずにいた。 最近になって特に観たくなっていた最大の理由は、尾野真千子が出演しているからだった。 ふと訪れた自宅から遠いレンタル店でようやく今作のパッケージを見つけ、やっと鑑賞に至った。  つげ義春の原作らしく、創造以上に“つかみきれない”感覚は、エンドクレジットが映し出された瞬間に覚えた。 良い映画とも悪い映画とも大別できない浮遊感みたいなものを、観終わってしばらく感じていた。  その浮遊感こそ、この映画が描こうとしたことだと思う。 人の世は、楽しいものなのか、美しいものなのか、素晴らしいものなのか。 大概の場合、その答えは「ノー」と言わざる得ないけれど、それでもふいに訪れるわずかな“光”の“ようなもの”を求めて、ふらふら、ふわふわと多くの人間は生きている。  人も、物も、風景も尽くうらびれているこの映画は、その突き詰められた“うらびれ感”の中で、「それでももうちょっと生きてみるのも悪くない」ということを呟くように伝えてくる。
[DVD(邦画)] 8点(2012-01-16 22:42:37)
68.  トロピック・サンダー/史上最低の作戦 《ネタバレ》 
とても悲しいことがあって、こういう時だからこそ敢えて理屈抜きに大笑いできる映画を観ようと思った。 普段は積極的にこの類いの“コテコテ”のコメディ映画は観ない。だからベン・スティラーの映画を観るのも本当に久しぶりだった。  どのジャンルの映画においても同じことが言えようが、コメディ映画というジャンルは特に観る者によって好き嫌いが大別される。故に笑いどころのポイントが合わなければ、その人にとっては駄作以外の何ものでもなくなってしまう。 それはもう丁半博打のようなものだけれど、幸運にもこの映画は大笑いできる映画だった。サイコーである。  ある程度あらゆる映画を見続けている人であれば、映画の冒頭から本当に可笑しくて仕方なくなってくるのではないかと思う。 戦争映画のパロディというよりも、ハリウッドの映画産業自体を風刺しパロディ化した映画世界は、凄まじいほどにきちんと作り込まれていて、笑いと同時に大いに感心してしまう。 数多の戦争映画で描かれてきた戦場における狂気の様と、ハリウッドのメインストリートの住人たちの滲み出る狂気が絶妙にリンクしていく描写は、ストーリーとしてもとても優れていた。  世界中にコメディ映画は溢れているが、本当に優れた可笑しさは、ストーリー的にも映像的にも徹底したクオリティーの高さの中にこそ生まれるということを、この映画の作り手は熟知しているのだと思った。  ブラックで時にどギツイシーンも連発されるが、豪華な出演陣のパフォーマンスをはじめ、常に“中途半端”であることを避け、すべてにおいて“振り切っている”ことが、決して居心地の悪さを感じさせない理由だろう。  鬼畜豪腕プロデューサーの意味不明な“ラストダンス”も含め、問答無用にテンションを上げてくれる“今の自分”に相応しい映画だったと思う。   個人的に惜しむらくは、鬼畜豪腕プロデューサー役のキャスティングに最後のクレジットまで気付かないでいられたなら、最終的なテンションの上がり方はもっと劇的になっただろうなと思ったこと。 某スパイ映画の最新作を含め、「彼」の映画を最近立て続けに観たばかりだったので、“眼”と“動き方”から気付かずにはいられなかった……。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-01-14 16:17:03)
69.  リトル・ランボーズ
“なにか”に触れ、自分のその先の人生をかけるくらいに熱狂する。それは、すべての“男の子”に与えられた「権利」だ。 その熱狂が、たとえ盲目的で何かしらの弊害を生んだとしても、熱狂したその瞬間こそが彼らにとっての「宝物」であり、生きていく中でその価値はきっと揺るがない。  生活環境が全く異なった11歳の少年二人が、「ランボー」で共鳴する。 主人公二人の共通項が詩人のアルチュール・ランボーのことであればひどく退屈な映画に思えるが、シルベスター・スタローンの「ランボー」であることが映画の面白さを引き立てる。  厳格な信仰の元で育ちあらゆる娯楽を禁じられた少年が、悪たれだが映画が好きな少年に引き込まれ、嗜好を爆発させていく様が愉快で解放感に溢れている。 個人的に、かつて映画製作を志していた時期があるので、少年たちが喜びを爆発させるように映画づくりに没頭する様を観ているだけで、この映画を否定することなどできなくなる。  少々意味不明な交換留学生のフランス人の存在感や、主人公たちそれぞれの境遇の中途半端さに対して、この映画が求める抑揚に乗り切れない部分もあった。 ただそういう難点を補ってあまりある“輝き”がある映画であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-23 10:12:08)
70.  ファンタスティック Mr.FOX
こういうストップモーションアニメやクレイアニメを決して安直に子供に媚びるわけではなく、真っ当な大人も観られるコメディ映画に仕上げられることが、アメリカという国の多様性を最も分かりやすく表していると思う。 ジョージ・クルーニーやメリル・ストリープが声優としてメインを張るわけだから、その価値観が確立されていることは明らかで、“エンターテイメント”という要素でこの国にはやっぱり敵わないと思わずにはいられない。  映画は思ったよりも“真っすぐ”な親子の物語だった。 周囲への迷惑を顧みず功名心を貫き通してしまう父親と、彼に憧れ彼に認められていないことに傷つく息子の絆の物語。“人間”を完全な悪者に据えて、共闘する中で親子の絆を見出し深めていく。  ストーリーに特別な捻りがあるわけではないけれど、時に奇妙な動きを見せるストップモーションのキャラクターたちが総じて愛らしく、彼らの言動を観ているだけで充分な娯楽性は備わっていると言える。  楽しく、安心して観られて、子供の頃に観たなら、何度でも観たくなるだろうアニメ映画だったと思う。 そして、無性に“りんご酒”というものを飲んでみたくなる。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-19 15:10:51)
71.  クローンは故郷をめざす
とても丁寧に作られている映画だとは感じた。でも面白くはなかった。  過去にトラウマを抱えた宇宙飛行士の男が死に、クローンとして蘇る。望郷と悔恨に導かれるまま故郷に歩んでいく。 ヴィム・ヴェンダースがエグゼクティブプロデューサーとして関わっているらしく、叙情的な世界観とストーリーはマッチしていたと思う。 伝えたい映画世界は理解できたが、どうにも引き込まれず、心が揺れ動く登場人物たちに感情移入が出来なかった。 総じて“ありきたり”が満載な映画と言えるかもしれない。 結果、情感溢れる映画世界が酷く退屈なものに映ってしまった。  SFと人間の感情を織り交ぜた題材自体は好きなものだし、キャスト陣も好きな俳優たちが出ていたのに、面白さを感じないという。これはこれで稀有な映画体験かもしれない。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2011-12-14 16:09:19)
72.  (500)日のサマー
その昔、ある友人の恋模様のエピソードを聞いていると、度々「コーヒーに誘った」という内容が出てきた。 それを聞いた僕は、「コーヒーなんて誘ってどうするんだ?」とまるっきりピンと来なかった。 自分が関心を持っている相手とコーヒーを飲みながら話をするという選択肢自体が、当時の自分の中はなかった。 最近になって殊更に目につくのだが、欧米の映画では男女の会話の中で、「コーヒーでもどう?」という台詞というか“駆け引き”がしょっちゅう出てくる。 ああそうか、男女の駆け引きの中では、“コーヒーに誘う”という行為はものすごく一般的な常套手段なんだな。ということに今更ながら気付いた。 まあそんなことはこの映画には関係ないので、どうでもいい。   「運命」は「偶然」だと思うし、「偶然」は「運命」だと僕は思う。 だから、「すべての出来事は偶然だ」ということと、「すべての出来事は運命だ」ということは、まったくの同意だと思う。  “500日”という時間の中で、出会い、別れた男女の様を美しくユニークな映像世界の中で、切なくポップに描き出したとても良い映画だと思えた。 たとえ“1日”でも恋を経験した人であるならば、男女問わずに、どこかしらに共感できるポイントがあって、その可愛らしくも辛辣なシーンを目の当たりにして、胸がきゅう~っとなる映画だったと思う。  500日目の後に新たな“1日目”が始まる偶然。 500日目の後に“501日目”が始まる運命。 両者は平等に可能性を秘めており、それらを繰り返しながら、すべての人たちは“1日”を生きている。
[DVD(字幕)] 9点(2011-12-10 14:09:29)
73.  Sweet Rain 死神の精度
前日に原作小説を読み終えたばかりだった。 原作を読み終えた直後に映画作品を観るのは、ハードルがあまりに上がってしまってアンフェアかなとも思ったけれど、タイミング良く朝から冷たい雨が降り続いていたので、鑑賞に至った。  結論から言おうと、非常に良い映画に仕上がっていると思う。予想外に良い出来映えだった。 まず何よりもキャスティングが良かったと思う。 主人公の死神「千葉」役に金城武を起用したことは、間違いなかった。 原作者の伊坂幸太郎の「指名」だったらしいが、ほんの少し“片言”な感じに聞こえる台詞回しや、他の日本人俳優にはない浮世離れした存在感が、死神役に相応しく、「千葉」そのものだった。 ちょっとした風貌の変化で、様々な年代の異なったキャラクターを表現する様には、単純な演技力ではないアジアを代表する俳優としての表現力が見られたと思う。 物語を締める老女を演じた富司純子も素晴らしく、根本的な美しさと芯の強さを兼ね備えた老女役において、今、彼女以上に映画の画面に映える女優は居ないと思う。  このキャスティングの妙だけでも、充分に観る価値のある映画だったと思うが、更に映画化にあたり脚色の巧さも光っていた。 原作小説は6編の短編からなる連作小説だが、その内の3編を選択し、とても巧く一つの映画作品の脚本として繋ぎ合わせていた。 映像化にあたって改修が不可欠な台詞回しも、物語の本質を損なうことなくユニークに繰り広げられており、それぞれのキャラクター像がある部分においては深まっていたと思う。 各話の連なり方だけを見れば、この脚色の方が映画的には相応しかったとさえ感じた。  良い小説の映像化においては、どうしても必要不可欠な脚色行為によって、大いにその世界観が損なわれることは多々ある。 でも、今作においては、明らかな変更点を目の当たりにしつつも、すんなりと受け入れられ、原作とは違う映画ならではの感動を生んでいた。 稀ではあるが、とても幸福な小説の映画化だったと思う。  犬の安っぽい字幕演出がなければもっと良かったのだけれど……。
[DVD(邦画)] 8点(2011-12-08 12:53:23)
74.  メアリー&マックス
数日前、とあるラジオ番組のポッドキャストを聞いていて、このクレイアニメ映画の存在を初めて知った。 今年はアニメ映画自体をあまり観ていなかったので、俄然興味はかき立てられ、早速レンタルした。 そのポッドキャストを聞いていなければ、この映画のパッケージを目にしたとしてもスルーし続けていたことだろう。 自分の人生にとって必要な「情報」は、色んなところに溢れていて、常にそれらを拾っていくためのアンテナを広げていかなければ、人生において大いに損をしてしまう。ということを、この素晴らしい映画を観終わって思った。  ポッドキャストでは少々重いテーマを扱った大人向けのアニメ映画ということだった。 確かに描かれる世界観は時に重苦しく、「人生」を生きるにあたっての様々な“障壁”について深く考えさせられる。 きっと子供が観ても理解出来ない部分は多いだろうと思う。 ただし、分からないなりにも本質的な部分で伝わるものはたぶんあるだろうし、辛辣な世界観ではあるが、ある程度の分別が付き始めた子供であるならば鑑賞し、子供なりの思いを膨らませてもいいのだろうと思った。  きっと世界中のほとんどすべての人間が、この映画の主人公たちと同じようなことで悩み苦しんでいる。 すなわち、自分自身を好きになることができないことによる行き詰まりだ。  その解決に明確な答えなどなく、手段や方向は人間の数だけ無数にあるのだろう。 世界には幸福も不幸もまんべんなくあって、自分に与えられたそれらを他者と比べて、劣等感や優越感に浸っても意味が無い。 ただただ与えられた一本道を歩んでいくしかないし、そうであれば自分自身で自分なりの“よろこび”を見つけていくしかない。  この特徴的なクレイアニメは、そういうことの大切さを辛辣さと可愛らしさを共存させた世界観の中で、雄弁に語ってくれている。  孤独の中でふいに繋がり合ったふたり。年齢と距離を越えて、長い時間の中でひっそりと支え合ったことは、決して偶然が呼んだラッキーなどではなく、ふたりの人間がそれぞれの意思によってしっかりと選びとった宝物のような絆だったのだと、愛くるしいラストシーンに涙を滲ませながら思った。
[DVD(吹替)] 9点(2011-12-01 17:04:33)
75.  ミスター・ノーバディ
土曜日の深夜にこの映画を観た。 映画を観終わり、エンドロールが終わっても、しばし呆然とした。 そして、それほど眠気は無かったが、すぐに眠ることにした。 いつもならば、映画鑑賞をした後はすぐにレビューの文章を綴るのだけれど、この映画の感想を綴るには、とてもじゃないが一日使い古した深夜の思考回路ではおぼつかないと思えた。 それに、一旦眠りに就き、一晩夢見の中でこの映画の余韻に浸りたいと思った。   「死」がなくなった新世界、世界で最後の「死」を迎える老人が118歳の誕生日に自身の人生を顧みる。  あの日、あの時、ああすれば良かった……。という思いは、人生という限られた「時間」を生きゆくすべての人間が思い巡らせることだろう。 自分の人生はただ一つだが、実は同時に「選択」の数だけ無限のパラレルワールドが存在し、それと同じ数だけの人生が存在するということが、あまりに美しいビジュアルの中で表現される。   「選択をしなければ、すべての可能性が残る」 と、人生において最初の「選択」を迫られた少年時代の主人公が語る。  映画は展開し、無限のような広がりを見せた果てに、その少年時代の台詞に帰結する。 死を目前にした老人が“過去の記憶”を辿っていく物語に見えていた映画世界が、その瞬間から、9歳の少年が自らの「選択」による“未来”とそれに伴う“可能性”を辿った物語に転ずる。  それまでに脳内に注ぎ込まれていた膨大で不可思議なイメージが、一瞬で整合した感覚を覚えた。  この映画のすべてを自分自身が正確に把握し理解しているとは思わないが、圧倒的に凄い映画であることは間違いないと思った。 「人間」の営みそのものを宇宙的視野の中で捉え、見事としか言いようがないビジュアルで表現した世界観は、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせる深遠さと崇高さを備えていた。 そして、この映画が表現する「概念」そのものは、手塚治虫の傑作短編集「空気の底」の映像化を見ているようだった。  決して万人に受け入れられる映画ではないだろうし、個々人の精神状態次第で酷く退屈な映画になり得る作品だと思う。 ただ僕は、自分自身が己の人生を通して考え続けているあらゆる要素が溢れているこの映画から目線を外すことが出来なかった。  敢えてもう一度言う。凄い映画だ。人生を通して何度も観たい。
[DVD(字幕)] 10点(2011-11-27 01:37:41)(良:1票)
76.  殯の森
漠然としていて、退屈で、とても居心地の悪い映画だ。“映画通”ぶって賞賛したいところだが、どう転んでも“好き”にはなれない映画だったと思う。 ただ、「命」の在り方を描いたこの作品そのものの“在り方”は、これで間違いないのだろうとも思える。  それは、「命」というもの自体が、漠然としていて、捉えようが無く、それを全うする多くの時間がある種の退屈さと居心地の悪さを秘めているからだ。  決して面白い映画ではなく、「つまらない」と断言できるが、この映画が「命」というものの本質を描こうとしている以上、それは仕方の無いことだと思う。   つまらない映画と言ったが、個人的には「尾野真千子」が観られただけで良い。 今作から10年前の同じ河瀬直美監督作品「萌の朱雀」にて、ロケ先の村の中学校で靴箱掃除をしているところをスカウトされ、主演デビュー。 当時立ち寄ったミニシアターでたまたまその映画を観た際の彼女に対する衝撃は忘れられない。 もちろん“素人”の演技であったことは確かだが、溢れ出る“女優”としての魅力と可能性に心を打たれた。  10年という時を経て、再び河瀬直美の独特の映画世界に降り立った彼女は、すっかり“女優”としての風格を携えていて、何だかそのことが一番感動的だった。
[DVD(邦画)] 5点(2011-10-22 01:48:31)
77.  突入せよ!「あさま山荘」事件
日本の事件史に残る「あさま荘事件」を、敢えて警察組織側からの目線のみで描いた今作。 事件解決に挑む警察官それぞれの奮闘を描き連ねるものの、そこには爽快なヒーロー像は存在せず、むしろ時代の過渡期の中での警察組織の“未成熟さ”を如実に表していることが、とても興味深かった。  事件解決に挑んだ警察官たちの働きを美談的に描いたドキュメンタリーも多々あるであろう中、最もエンターテイメントに徹していいはずのこの映画が、現場に居合わせた人物たちの良い部分も悪い部分も含めた“人間らしさ”をありのままに描いていることに、作り手の潔さとそれに伴う説得力を感じた。  組織としてあまりに未完成な醜態をさらす映画の中の警察には、正直観ていて辟易してきた。 ただし、まだまだ経験値の乏しい“途上中”の国の中で起こった事件に対して、その対応に追われた警察の実態はまさにこのようなものだったのだろうと思えた。 そして、実際問題右も左も分からぬままで、文字通り命をかけて解決に臨んだ熱さには、作り物ではない感動を覚えた。  社会と組織がもっと成熟していれば、幾人かの命が消えることも無かったかもしれない。 でもいつの世であっても、“今”を生きる者は、そういう“命”の犠牲の上に立っているものだろうと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2011-10-12 14:51:25)
78.  ブローン・アパート 《ネタバレ》 
心の隙間を埋めるために入り込んでしまった情事の最中に、息子と夫をテロ事件により亡くした女。 彼女の喪失感と罪悪感を軸に隠された謎が暴かれるというイントロダクションだったが、実際に映し出された映画世界は随分と毛色が違っていたように思う。  真相を追うサスペンスはお飾り程度なもので、ストーリーの本質には関わってこない。 一人の女性の絶望と後悔を礎にして、たとえ無様で必ずしも道徳的でなかったとしても、愚かなテロ行為とそれに伴う悲劇から人間はしぶとく力強く立ち上がるのだ。ということをこの映画は描きたかったのだろうと思う。  サスペンスを期待した分、違和感は覚えたが、その切り口自体は興味深かったとは思う。 ただし、明らかに実際に起こったテロ事件からインスパイアされた印象は強く、主人公が“オサマ・ビンラディンへの手紙”という体で語るモノローグは少々あざとく感じた。  主人公の女性を演じたミシェル・ウィリアムズは美しく存在感のある演技を披露していたが、相手役のユアン・マクレガーはストーリー的にキャラクター性が薄く、別に彼を配役する必要はなかったように思えた。   誰しも、誰にも恥ずべきことなく真っ当に生きたいと思っている。 でも、なかなかそういうわけにもいかないことが多いのが人生だ。 その度に激しく後悔もするのだろうけれど、それでもしぶとく生きていくしかない。  映画自体の完成度や善し悪しはともかくとして、そういうことを感じた作品だった。
[DVD(字幕)] 5点(2011-10-07 17:08:30)
79.  ワイルド・スピード/MAX
こういう映画を観て、是か否か自答し断然「是」だと感じてしまう自分は、結局のところハリウッドの大味なアクション映画が大好きなんだろうなと再確認してしまう。 映画作品として質が高いとは決して言えず、粗も突っ込みどころも満載だけれど、「面白い」と思ってしまうんだから仕方がない。  今作は、一応シリーズ第4作目という位置付けだけれど、ヴィン・ディーゼルをはじめとするオリジナルキャストが復活し、ストーリー的には第1作目の続編という色が強い。 PART2の「X2」も決して悪くは無かったけれど、全体的に薄っぺらな印象を覚えたことも否めなかった。 その最大の要因は、やはり“ヴィン・ディーゼルの不在”に他ならなかったと思う。 まともに彼の出演映画を観たことは無かったけれど、想定通りの大味な演技が、想定外に愛着を持たせる稀有な俳優だと思った。 ポール・ウォーカー演じるシャープな主人公と、ヴィン・ディーゼルの荒々しくも哀愁のあるキャラクター性が、絶妙な塩梅で混ざり合っていることこそが、この映画の魅力だろうと思う。  そして第1作、第2作が、ストリートレースに興じるヤンキーたちの延長線上の活躍に過ぎなかったのに対し、今作は良い意味で文字通り“暴走”し、アクションヒーロー映画として開き直ってしまっている点が素晴らしい。 これまでの軽妙さを捨て去り、ハードボイルドさえ感じる古き良きアクション映画の世界観が今作には溢れ出ている。  まあとにもかくにも、更なる続編を作る気満々で映し出されたラストシーンを観ながらニヤニヤが止まらなかった時点で、僕にこの映画を批判する余地は無い。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2011-10-04 14:51:44)(良:1票)
80.  ワイルド・スピードX2
こういう映画の場合、「感想」なんて本当に不必要だと思う。 目まぐるしいカーアクションを頭を空っぽにして見始めて、見終わるそれが正しい“観方”だろう。  話の流れで目も向けていなかった第一作目を観てしまったので、勢いに乗ってシリーズ全作を観てみようと思い至ったシリーズ第2作目。 「X2」って何だ?と思い、もしかしたら「X」があるのかと不安になったが、原題はまったく別物の「2 FAST 2 FURIOUS」なので、お決まりの意味をなさない邦題なのだろう。  なぜかヴィン・ディーゼルが出演しておらず、舞台はマイアミということで、映画全体がよりライトな雰囲気に包まれている。 ノリに乗ったまま、運転技術を武器にした主人公らが地元のマフィアと対決するという話。 はっきり言ってストーリーなんてあってないようなもので、良い意味でどうでもいいと思わせる。  ほとんど前作の二番煎じという範疇を出ないが、おとり捜査官役のエヴァ・メンデスがセクシー過ぎるので、「もうこの映画はそれだけでいいや」と思いたくなる。  クルマ好きと女好きだけが観れば良い映画であることは間違いない。僕は必ずしもそうではないけれど……。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2011-10-03 17:47:46)
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