141. 天城越え(1983)
《ネタバレ》 分かるようでイマイチ分からないところもある映画。 本作の少年にそれほど感情移入できなかったので、個人的には高くは評価しにくい。 田中裕子に惹かれるかどうかでも感想が異なりそうだ。 少年(印刷会社社長)の犯行であることは一目瞭然なので、なぜ彼が人間を殺さざるを得なかったのかという犯行の動機がポイントなるが、それが明瞭になっても、それほど深くは感じ入れなかった。 犯行の動機は、“男”としての性や優劣競争のようなものだろうか。 「俺はこんな奴に負けたわけじゃない」「オマエのせいで俺の・・・」という思いや憤りが爆発したのだろうか。 自分の母親も叔父さんに取られたようなことになっており、“男”として敗北感や“子ども”という無力感が既に根付いていたのかもしれない。 少年も若いなりに“男”が爆発したが、本作の監督も“男”として爆発し、田中裕子をそういった視点から上手く撮っている。 それにきちんと応えている田中裕子を褒めるべきかもしれないが。 ただ、天城のシーンはよく撮れているが、現代のシーンは評価できるものでもない(最後の意味不明なところもあるカットも興ざめ)。 コントメイクの老刑事とのやり取りも何かを感じ取れるものはない。 結局、ハナも無罪となったものの、病気で死んだというのもやや引っ掛かるところだ。 ハナが無罪となっては、彼が犯した“罪”の重さも変わってくる。 時効によって罪は消えるかもしれないが、罪の意識は消えることはないはず、ましてや他人(好きな女性ならばなおさら)に罪を押し付けるということはどれだけ心に深く刻まれるかということをもうちょっとアピールして欲しいところ。 そのためにも、無罪や病死というのはいかがなものか。 そもそも彼女が無罪となったら、少年にも嫌疑が掛かるものではないか。 彼女が罪を被れば、少年が罰せられなかった理由は分かる。 しかし、彼女の言動に何か引っ掛かるところがあり、引退した刑事が最後に犯人と向き合うという形にした方がよいかもしれない。 刑事自身も自分が犯した“罪”と向き合ってもよい。 彼も“男”として初めて向き合った殺人事件を解決したい、“男”として“女”になめられたくないという思いがあったのかもしれない。 [DVD(邦画)] 6点(2009-11-21 22:34:05) |
142. 張込み(1958)
《ネタバレ》 50年代という自分が知らない日本が描かれているので、それだけでも映像に惹き付けられたが、それだけではない不思議な魅力をもった作品。 大して動きもそれほどない日常や、刑事が汗を拭うシーンが描かれているだけにも関わらず、なぜこれほど惹き付けられるだろうか。 清張の原作、野村の演出、橋本の脚本の見事な融合によって傑作に仕上がっている。 本作を観ると、“人間”というものが上手く描かれていると感じられる。 まず、『人間というものはよく分からない』ということが分かる。 7日間の張込みで人間の本質を理解できないのは当然のことではあるが、一緒に暮らしている夫の銀行員は何年一緒に暮らしても、さだ子を理解できないだろう。 ひょっとするとさだ子自身も自分のことを理解していなかったかもしれない。 自分の奥底に潜むパッションが爆発するということを彼女自身が分かっていたとは思えない。 何年も変わらぬ日常を経験したさだ子だからこそ、3年前のさだ子とは異なる決断ができたのだと思う。 ただし、“時間”というものがその決断を許さなかったようだ。 また、『人間というものは楽観的に解釈する』ということも本作の特徴かもしれない。 人間は、今この時に動かなくても、将来はきっと明るい未来が開けていると都合よく解釈してしまうものだ。 しかし、現実はそれほど甘くはないようだ。 将来を楽観視するのではなくて、行動するのは“今”なのかもしれない。 行動して失敗することもあるだろうが、行動しなくて後悔するよりも行動して後悔する方がマシだ。 急いで電報を打った柚木からそのように感じられた。 たとえ失敗したとしても、またやり直せばよい。 [DVD(邦画)] 8点(2009-11-21 22:25:46) |
143. わるいやつら
《ネタバレ》 原作未読、ドラマ未見。 さすがに松本清張原作作品だけのことはあり、見応えが十分だった。 終盤の豪華出演陣も驚かされるばかりだ。 当時としては最先端なのかもしれないが、今観るとかなり違和感のある映像も逆に新鮮でなかなか面白いと感じた。 また、主演の院長が軽薄でどうしようもなく雑魚っぽいところも個人的にはツボ。 現在の映画においては、こういうキャラが主演になることは少ないだろう。 男と女の様々な欲望が絡み合っているが、あまり計算しているように思えず、本能のおもむくままという状態もどこか生々しいところがある。 それぞれがスマートな知能の持ち主ではなく、間の抜けたところがあるため、より人間らしくみえる。 そして、男と女の“性格”が要所要所で上手く描かれているように思われる。 特に、個人的には“殺し方”に特徴が現れていたと感じられる。 男は首絞めやナイフといった暴力的かつ直接的な手段を選ぶものの、女は薬といった間接的ともいえる手段を選んでいる。 男は感情で行動し、女は冷めた目で行動するということだろうか。 現代の男女の在り方を考えると、逆のようにも感じるが、当時としてはそういうものだったのかもしれない。 いずれにせよ、男性よりも女性の方が、肝が据わっているのは事実だろう。 徹底的に利用する女と、徹底的に利用される男という構図も面白い。 もし、院長が婦長を女性のように徹底的に利用することができれば、恐らく身の破滅を防ぐことができただろう。 それができないのが男の性というものか。 院長もわるいやつだが、院長や下見沢を手玉に取る槙村の“わる”が映像上見えてこない点が面白いところでもあり、物足りないところでもある。 完全な“わる”を見せることもないが、もうちょっと彼女なりの“恐ろしさ”を醸し出してもよかったか。 自分の“弱さ”を見せたり、簡単には落ちないような“強さ”を見せたりと、様々な顔は見せているものの、“恐ろしさ”はストレートには感じられない。 刺殺されるという結果を踏まえると、彼女の“恐ろしさ”は相当なものなのだろうが。 [DVD(邦画)] 6点(2009-11-21 22:17:39) |
144. チャップリンの黄金狂時代
《ネタバレ》 名作だからということを考えなくても高い評価を与えられる作品。 鑑賞前は『チャップリンの映画なんていつもと同じだろう』と思っていたが、同じように見えても大きく異なっている。 やはり、彼はタダモノではないと改めて感じさせる。 ストレートに笑いを追求しており、チャップリン作品らしいクドさがないだけに、本作がチャップリン作品の入門編として見易いかもしれない。 色々と意味やメッセージも付加しているかもしれないが、本作は何も考えずに純粋に楽しめるのではないか。 犬のロープを自分の腰に繋いでしまうような笑えないものもあるが、印象的なシーンがかなり多く、笑いのセンスは今でも十分通用するほどレベルが高い。 ラストのハッピーエンドについてはヒネリがないが、ヒネル作品でもないので、特に違和感を覚えなかった。 楽しく笑って、恋愛で温かな気持ちになれればという作品に仕上がっている。 [DVD(字幕)] 7点(2009-11-21 22:10:53) |
145. ネットワーク
《ネタバレ》 悲劇とも喜劇ともいえる作品。 本作のような社会派映画を独特かつパワフルな作品に仕上げたシドニー・ルメット監督はやはり素晴らしい監督だ。 視聴率に振り回されるテレビ関係者たち、テレビに振り回される視聴者たちを鋭く見事に描き出されている。 テレビによってムーブメントが形成されていく様は圧巻であり、ニュースも何もかもショー化していき、より過激になっていく様も恐ろしい。 いったん動き出した歯車は留まることを知らず、テレビという魔物が“怪物”を産み、“怪物”を産んだ当事者すらコントロールできなくなる。 そのような“怪物”を止める手段すらもメディアの道具にしてしまう辺りは“悪い冗談”としか思えないが、こういった一連の冗談は、もはや“現実”のものとなっているだろう。 カメラに映された悲劇的な事故や事件は、視聴者の注目を集め、繰り返しメディアで放送されたり、視聴率のために過激な“ヤラセ”や“煽り”が横行しているのも周知の事実である。 また、登場人物のほとんど全てが叫び、怒鳴りつけているのが印象的だ。 5人がアカデミー賞にノミネートされ、2人が受賞しているのは伊達ではない。 素晴らしい演技合戦が見物となっている。 個人的には、ピーター・フィンチが豹変して、完全にイってしまった演技が気に入った。 本作において、やや違和感があるのはホールデンとダナウェイの恋愛エピソードと思われるが、個人的にはこのエピソードは本作にとって必要不可欠なものであると思われる。 仕事に追われるあまり、恋愛を含めた“人間性”が欠如していることを端的に表しているエピソードだからである。 しかし、全体の流れから、やや浮いたような展開になってしまい、しっくりと来ないようにも感じられる。 この点に関しては、やや不満が残るところでもあり、上手くフィットするように調理ができていれば、より傑作として後世に語り継がれただろう。 [DVD(字幕)] 8点(2009-11-21 22:08:51) |
146. マルクス兄弟 オペラは踊る
ウディ・アレンが好きなので、マルクス兄弟については名前を前からよく知っていたが、鑑賞するのは、本作が初めてとなった。 ファーストインプレッションは、度肝を抜かれたところもあり、正直凄いとは思った。 しかし、確かに凄いとは思うが、はっきりいって自分の感性には合わなかった。 グルーチョはナンセンスさにはついていけず、ハーポにはちょっとヒイた。 「チャップリン」や「キートン」のこともよくは知らないので、偉そうなことはいえないが、彼らの笑いは単純でストレートだと思う。 マルクス兄弟にも、単純でストレートな部分はあるが、それほど分かりやすい笑いではないと思う。一言でいえば“シュール”な笑いではないか。 古臭さを感じるというよりも、斬新さが目に付いた。 笑いというものをやや超越しているところもある。 多くのコメディアンに影響を与えたことは明白であるが、影響を受けた者はマルクス兄弟の笑いをもっと単純化したものであり、常人が理解できるレベルに落としている。 マルクス兄弟の笑いの真髄は、誰にも真似はできないかもしれない。 テレビのような大衆的な笑いというよりも、地下の小劇場でやるような独自の笑いの世界がある。 初見では少々評価を低くしてしまったが、あまりに毒性が強くて、体が受け付けなかっただけかもしれない。 彼らの笑いは特殊であり、単純というわけではないので、現代の人々の中ですんなりと受け入れることができる人はそれほど多くないような気がする。 しかし、何度も見ていけば中毒症状を起こしそうな深さや怖さは感じられるものだ。 ハマれれば、どっぷりとハマれそうだ。 ストーリーについては全く関心がなかったが、意外としっかりしているのも驚きだ。 [DVD(字幕)] 6点(2009-11-21 22:06:02) |
147. ゼロの焦点(2009)
《ネタバレ》 原作やオリジナルを知らずに、本作を単独で評価すれば、5点か6点かという評価になるだろうか。松本清張原作作品なので、ストーリー自体の面白さは保証されている。 しかし、オリジナルを見てしまうと、本作は“酷い”としか形容のしようがない。途中退席をしようかと考えるほど、“憤り”を覚えたので、正確にジャッジできているとは思えないが、カラクリを全て知ってみると、ネタの出し方、編集や構成、脚色全てにおいてバランスが悪く、ことごとく裏目に出ていると感じられる。観客に“驚き”を与える気持ちが感じられず、ストーリーを単に流しているだけ。自分の頭に血がのぼっていたので、女優陣のせっかくの熱演も『茶番だ』としか感じられなかった。 現代において、当時の北陸を再現することは難しいが、冬の北陸を上手く表現して活かしているとも思えない。 こういうことになるのは分かっていたので、オリジナルを見るのは本作鑑賞後にする予定だったが、偶然オリジナルを見る機会が先に来てしまったのが問題だった。 松本清張の原作を読んでいないので、自分の批判が適切なものかは分からない。 ひょっとするとオリジナルが原作とかけ離れており、本作が原作に沿っているのかもしれないが、オリジナルの良さをことごとく消し去ってくれている。 オリジナルはただの殺人事件を描いたわけではないのに対して、本作はただの殺人事件を描いたに過ぎない。 オリジナルは“時代”や“過去”に翻弄された同情すべき悲しい事件なのに対して、本作は同情の余地が一切ない、自分勝手な人たちが巻き起こした事件となっている。 監督・脚本を兼ねている犬童監督はオリジナル作品をきちんと見たのだろうか。 もしオリジナルを見ているとすれば、彼の才能を高くは評価できない。 しかし、逆に穴が空くほどにオリジナルを見たのかもしれないとも感じられた。 オリジナルとは180度と言っていいほど、完全に真逆の作品に仕上がっているからだ。 単にコピーして劣化版を作成するのではなくて、自分の“オリジナル”作品を仕上げるという壮大な狙いを込めたのだろうか。その壮大な狙いが失敗しただけなのかもしれない。リメイク自体は否定するつもりはなく、自分としては歓迎をしているが、比べられる対象があるだけに、製作するサイドとしても、鑑賞するサイドとしてもリメイクというものは本当に難しいものだと感じさせた。 [映画館(邦画)] 2点(2009-11-16 23:05:00) |
148. ゼロの焦点(1961)
《ネタバレ》 “北陸”という場所が非常にマッチした映画に仕上がっている。 冬の北陸へは数度しか行った事はないので、個人イメージというところもあるが、鉛色の空が似合うちょっと寂しい感じの街だった気がする。 本作において、新婚旅行のときだろうか電車に乗っている際に、金沢への憧れを表す妻と金沢に対する嫌気を表す夫のやり取りが印象的に残っている。 夫にとっては、金沢という場所は想像以上に孤独で寂しい場所だったのではないか(鵜原だけではなくて、社長夫人や久子も含めて)。 ハイヒールを履いて雪の上を歩く妻の姿を見れば、その憧れは単なる憧れであり、現実が分かっていなかったこともよく分かる。 そのため、“北陸”という過酷な地において、それほど好きではない久子とその孤独のスキマを埋めざるを得なかったのかなと感じられた。 それがこの“悲劇”の始まりだろうか。 本社復帰を何度か断ったというセリフはあったが、いったん泥沼にはまると抜け出したくてもなかなか抜け出せないというのはよくあることだ。 パンパンという言葉を初めて聞いたが、当時としては相当な差別対象だったと想像される。 どんなに偽っても、どんなに誤魔化してもそういった“過去”というものは消えず、“過去”は付きまとい、“過去”という亡霊に怯え続けるざるを得ないのだと思い知らされる。 また、人を愛するということは、その人の全てを知りたいと願うことなのかもしれない。 妻はたった7日間の結婚生活だったけれども夫を愛していた。 社長は妻のことを愛していた。 人から愛される度に“過去”というものが浮かび上がってきてしまうもののようだ。 人を愛さなければ、人から愛されなければ“過去”というものは問題ならないのかもしれない。 “過去”というものが非常に厄介なものだということも思い知らされる。 “謎”自体はそれほど複雑で面白みのあるものではないが、それがまた何かを感じさせるものとなっている。 一瞬の感情や偶然によって、事件が複雑に絡まってしまっているだけであり、真実はそれほどドロドロしいものでもなければ、計画的な残酷性があるわけではない。 それが悲しみを引き立てる効果となっていると感じられた。 [DVD(邦画)] 8点(2009-11-16 23:02:57) |
149. ソウ6
《ネタバレ》 デキは意外と悪くはなく、合格ラインは突破しているのではないか。驚くようなトリックはないものの、ゲーム自体はなかなか凝ったものとなっている。また、ホフマン刑事にカリスマ性がないことが欠点だったが、そういう欠点を長所に変えるところがこのシリーズの良さでもある(Ⅲでも使った手法)。直接殺人を犯すという暴挙に出た彼に後継者失格の烙印を押して、今後のシリーズ展開を膨らまそうという狙いもみられる。 気に入らないところは、保険会社の担当者を殺す必要があったのかというところだ。彼のゲームのプレイを見ている限りでは、それほど悪い奴ではない。自分だけが生き残ることや自分が痛みを感じないことを第一に考えているわけではない。計算や数字で判断するのではなくて、純粋に仲間を助けたい、家族や子どもがいるかどうか、というような点で判断している人間的な一面が垣間見られる。 彼がどういうプレイをするかを母子が判断するという“ゲーム”があるとすれば、彼のプレイは間違っているようには思えず、母子の“ゲーム”はミスではないか。彼を殺さないことによって、今後は更生して何人もの命が彼の保険によって救われる可能性も出てくる。 彼をたとえ殺すとしても、もうちょっとタメが必要だったと思われる。母親がいったんは殺そうと決意するもののやはり最後には殺せないと嘆いて、観客に対して安堵感を与えておきながら、最後の最後に息子がもう一撃食らわせるということが必要だったのではないか。“彼が助かった”と感じさせないと息子の一撃が活きてこない。 “ゲーム”の趣旨を考えると、殺すこと自体賛成できないうえに殺し方も面白みに欠けるので、この点がマイナス評価となる。一応、“生への実感”“生に対する感謝”が本作のテーマでもあるわけなので、なんでもかんでも殺せばよいという問題ではない。父親を見殺しにされたから“むかついたので殺します”では、復讐や暴力を是認する残酷なだけのものであり、映画としての“深み”もなくなってしまう。 彼を殺すか殺さないかというのも製作者に対する一つの“ゲーム”だったような気もする。化学薬品を使った面白い殺人方法を思いついたから、実現させてみようぜというノリではないか。ハロウィーンシーズンに楽しむサスペンスホラーなので仕方がないとはいえ、製作者自身が“ゲーム”に負けているような気がする。 [映画館(字幕)] 6点(2009-11-08 22:37:41)(良:2票) |
150. マイケル・ジャクソン/THIS IS IT
《ネタバレ》 マイケル・ジャクソンのファンではないが、「見て良かった」「有意義な時間を過ごせた」と感じさせる作品になっている。上映後、六本木の映画館では拍手が巻き起こっていたので、皆同じ気持ちだったのだろう。ブランクもかなりあり、リハーサルでもあり、年齢的な衰えもあるはずなので、それほど大したパフォーマンスは期待できないと思っていたら、全盛期とそれほど変わらないような人間離れした動きをいきなり披露されて、度胆を抜かれた。基本的には7割ぐらいにセーブして“流す”ような感じであったが、それでも次元の違うパフォーマンスには圧倒される。『フルボイスで歌わせるな』『まだまだ仕上げるのは早い』と自分でセーブしているところにも、プロ魂を感じさせる。パフォーマンスだけで、基本的に他人任せなのかと思っていたが、細かい“音”にこだわり続けて、自分の“音の世界”を追求する彼の姿勢には驚かされる。 本作を見れば、メインボーカルであり、ダンサーであり、指揮者でもあるマイケル・ジャクソンの類まれな“才能”を感じられるはずだ。正直言って、個人的に彼を過大に評価していなかったが、彼が熱狂的に支持される理由が分かった気がする。間違いなく“本物”の天才だ。少々やっかいな指揮者である、その天才に合わせる方の才能も恐ろしく高い。ダンサー、コーラス、サブボーカル、ギター等の各楽器演奏者、本物のプロ集団との共演も必見だ。彼に振り回されるだけではなくて、きちんと彼に意見して、よりよい作品に向かおうとする関係者の熱意も感じられる。 それにしても、“音楽”の力というものは恐ろしい。20年近くの曲にも関わらず、色あせるどころか、よりヒカリを増している。幼いころに聴いていたときよりも、凄みやキレがあるとさえ感じさせる。リハーサルでこれほどなのだから、本番はどれほどのパフォーマンスを披露したのだろうか。これほどの完成度をみせられたら、これが実現しなかったことが悔やまれる。ここまで仕上げたにも関わらず、実現できなかった関係者の失意は相当なものがあったのだろう。 ただ、パフォーマンスには圧倒されたが、一本の映画としては工夫の余地はまだまだ残されているとは思う。彼のパフォーマンスさえしっかりと映っていれば、余計な工夫や小細工をする必要はないのかもしれない。彼の魅力が十分伝わっているので、やはり本作を評価をしないわけにはいかないだろう。 [映画館(字幕)] 8点(2009-11-03 23:06:12)(良:1票) |
151. 沈まぬ太陽
《ネタバレ》 202分という上映時間の割には、長さを感じさせない映画に仕上がっており、この点に関しては大いに評価したいところだ。 原作は読んだことがないが、その膨大な原作を練りに練りこんで脚本化して、一人の男の半生を興味深く描き込むには相当な労力を要したことだろう。 飽きるということは全くなく、むしろもっともっと色々なことを深く描いて欲しかったというところが正直な感想。 ただ、つまらないという印象は全くないが、男の人生・生き様に関して、深く感銘を受けるというものもなかった。 実際の事故や人物をベースに描いているので、深くえぐり取ることができずに、ぼやかさざるを得なかったのかもしれないが、ストーリーを流すことを主眼に置きすぎて、ポイントが少々ズレてしまったところがある。 企業も政治も何もかも「どろどろ」としているが、その「どろどろ」が上手く活きていないような気もする。 上映時間だけは長いが、長ければそれだけ深く描けるということはないようだ。 観客に訴えたいポイントを“核”にしなければいけないが、その“核”が少々見えてこない。 『苦しみの果て、悲しみの果てのアフリカの地で恩地が何を見て、何を感じたのか』が自分には深いところが分からなかった。 恩地とココロを通わして、何か同じことを感じ取ったり、考えることができなかったのは自分が幼すぎるからだろうか。 「逃げずに立ち向かい戦い続けた男」「波から落ちないように戦い続けた男」「戦うことから逃げてしまった男」など、様々な男の生き様と、その男を支え続けた女の姿が描かれている。 自分自身の性格が「逃げずに戦う男」ではなくて、「戦うことから逃げてしまう男」なので、本作の“核”が感じ取れないのかもしれない。 兄が妹に対して、「生きている時代が違うから分からない」というセリフがあったと記憶しているが、まさにそういう感想だ。 ただ、人類が生まれた地であるアフリカという場所に立って、再び生れかわれる、再びスタートできるというような気持ちがあったのかもしれないというようなことは感じられた。 自分自身との苦しい戦い、悲しみの果てにも人間はやり直せるというようなメッセージをもっと本作から深く感じ取りたかったところだ。 [映画館(邦画)] 6点(2009-11-02 00:30:44) |
152. ぼんち
《ネタバレ》 個性のある俳優・女優陣の競演がみられ、面白いとは思うが、少々すっきりとしないところもある映画。 『冒頭のうだつの上がらなそうなオヤジがどのように転落していったのか』ということに注目していったら、どことなく中途半端に幕を閉じたという印象。 “女の怖さ”のようなものも強くは感じられず(風呂で戯れる女たちに怖さを感じられないところは自分の甘さか)、結局、何が言いたかったのだろうかという想いは残ったが、あまりそういうことを考えない方がよい映画なのかもしれない。 本作にテーマやオチのようなものを求めるのは、野暮で無粋というものか。 こういうチカラを抜いた作品が作れるということが本当の才能といえるかもしれない。 現代では考えられないような“しきたり”や“因習”や、様々な“女”たちや“時代”に翻弄された一人の若旦那の半生を興味深く堪能すればよい。 若旦那が破滅をすることもなく、また商売始めるんだとラストで語るようなところをみると、女はもちろんしたたかだが、男も意外と負けていないようなしたたかさや、しぶとさがあるのかもしれない。 金はほとんどなさそうだが、噺家のような人にご祝儀をあげている辺りが腐っても“ぼん”なのだと感じさせる。 過去にあまり見なかったタイプの映画だったので、新鮮な気持ちで見ることはできる。 何を喋っているのか分からないところも多くあったが、基本的にはほとんどがニュアンスで感じ取ることはできるというのも面白い。 [DVD(邦画)] 7点(2009-11-02 00:29:59) |
153. パイレーツ・ロック
《ネタバレ》 非常にセンスのある作品に仕上がっている。 ミュージック、ファッション、作風・世界観いずれにも見応えがあり、アメリカ作品とは異なるイギリス作品らしいユーモアセンスも抜群だ。 下ネタがかなり多いが、下品になっておらず、こちらも絶妙なユーモアとセンスで上手く調理されている。 「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉があるが、「海賊ラジオ死すとも、ロックは死せず」ということだろうか。 ロックを語れるほど、ロックに傾倒しているわけではないが、その自分にも「ロック魂」「ロック愛」のようなものが十分伝わってきた。 政府に禁止されようとも、船が沈没しようとも、最後の最後までロックを流し続ける、ラジオを流し続ける“魂”が熱い。 当時の人々が熱狂したかもしれないという理由が分かる気がする。 見ているうちに次第に、個性のあるイカれた野郎どもと1人の女性コックが愛おしく感じてくる。 自分もこの船の乗客になったかのように、アットホームで仲間内な雰囲気に飲み込まれていく。 それぞれの個性は強烈であり、キャラクターも生きているとは思う。 しかし、何度か見れば、当然感想も変わると思うが、初見では乗員それぞれの内面というものまでもは完全には伝わりきれていない。 ただ、それぞれのキャラクターに変なエピソードを設け過ぎると、その世界観や映画としての個性が崩れる可能性があるので、難しいところだ。 ロックを愛する訳の分からない連中が騒いでいるだけの映画でも、本作にとってはよいのかもしれない。 長所でも短所でもあるのが、この“ユルさ”である。 バカバカしいようなところでも、そのユルさによって、バカバカしくは感じさせない。 しかし、前半はその独特な世界観にハマるが、ストーリーらしいストーリーがなくキャラクター及び世界観依存型の映画なので、中盤は多少ダレてくるところがあったような気がする。 個人的には、船の沈没間近でも革パンを履いてくるところや、命よりも大事そうなレコードを「これはクソだ」と放り投げるようなところが気に入った。 『それぞれのキャラクターの内面が伝わらない』とは書いたが、このようなどうでもいいシーン一つ一つに、各キャラクターの余裕と生き様を感じられるので、何度も見て深く堪能して、それぞれのキャラクターの内面を感じ取っていく作品かもしれない。 [映画館(字幕)] 7点(2009-10-25 23:46:57)(良:2票) |
154. 手紙(2006)
《ネタバレ》 原作未読。邦画も捨てたものではないと感じさせる傑作。映画を見て、ほとんど泣くことのない自分でも泣けた。特に減点すべきところもないので、10点満点と評価してもよい作品だ。ただ泣けるだけではなくて、『犯罪者の弟としての苦痛・苦悩』、『手紙のもつチカラ』がきちんと描かれている点を評価したい。作り物とは思えないほど、心に響いてくる作品だ。 “答え”のない難題にチャレンジしておきながら、一定の“答え”を出しているという非常に“深み”のある映画に仕上がっている。 「犯罪」というものは誰もが本能的に忌み嫌うものであり、「犯罪者」「犯罪者の家族」というレッテルを剥がすことは決してできないだろう。 我々としても、「犯罪者」に対して“差別”をするという意識がなくても、無意識的な“差別”なしに対応することはできないのではないかと思う。 ただ、本作を鑑賞することによって、そのような“差別”に対して、何かを感じ取ることや何かを考えることはできるという思いを強くすることができる。 結婚して子どもができたところで『これでエンドかな』と一瞬でも思ったことが、愚かともいえるほどの展開が待ち受けていたことが驚きだった。 本当のストーリーがここから始まるといっても過言ではない。 手紙を書くことで事件から逃げていた加害者、手紙を代筆させることで事件から逃げていた加害者の弟、手紙を無視(返事を書かない)することで事件から逃げていた被害者の息子、この事件はそれぞれの中では決して終わることはなかった。 自分の手による本音の手紙を書くことで事件に向き合う加害者の弟、手紙を書かないことで事件に向き合う加害者、たとえ読んでいたとしても半ば無視していたであろう手紙と本当に向き合った被害者の息子、事件から逃げずにそれぞれがきちんと事件に向き合うことによって、事件はようやく決着するのかもしれない。 『逃げちゃダメだ』という言葉は簡単に言えるかもしれないが、本当に逃げずに向き合うことはこれほど過酷なものとは思わなかったと感じさせるだけのパワーがあるラストだった。 事件は誰の心からも消えることはないのかもしれないが、繋がりを再認識して支え合うことによって乗り越えることはできるのかもしれない。 血縁者だからこそ苦しみも受けるが、血縁者だからこそ出来ることもある。 [DVD(邦画)] 9点(2009-10-24 22:17:19)(良:3票) |
155. ココ・シャネル(2008)
《ネタバレ》 「アヴァン」と併せてみると、シャネルの人生・生き様がより理解できる。本作はココ・シャネルの歴史を描き、「アヴァン」はシャネルとして成功するまでの内面が描かれている。「アヴァン」が“陰のシャネル”とすれば、本作は“陽のシャネル”といえるかもしれない。数多くの苦労や失敗は描かれているものの、基本的にはいずれも好意的に解釈されており、美化されているように思われた。内容面については同じことを描いているが、同じ人間を描いたとは思えないほど、この2作の内容は異なっているようにも感じられる。 しかし、波乱に満ちた一人の人生を2時間程度で描き切ることはできないのも事実。どちらもが本当のシャネルでもあり、どちらもが本当のシャネルではないのかもしれない。「アヴァン」はそれほど面白いとは思わなかったが、個人的には「アヴァン」の方が好みだったようだ。映画としての質は「アヴァン」の方が数段優れている(もっとも本作はテレビ用として製作されたようなので比べようもないが)。「アヴァン」を観なければ、本作をもうちょっと高く評価したかもしれない。 ただ、ココ・シャネルという生き方を理解しやすいのは文句なく本作の方だ。ココ・シャネルという人間を全く知らない人にはこちらを薦めて、ココ・シャネルの生き様をよく分かっている人には「アヴァン」を薦めたい。 ココ・シャネルという人物の歴史を知るには、本作の方が適しているが、その描き方はどこか表層的だ。バルザンやカペルとの愛情、親友やマルコムが演じた男との友情といった人間関係に深みがない。カペルとの関係は「アヴァン」よりも時間が割かれており、よりよく理解できるが、「結婚する」「別れる」といった二面でしか捉えられていないので、やはり「アヴァン」の方が深いといえる。突然、復縁を申し出る辺りも“映画の流れ”の上でスムーズとは思えない。事実通りに継ぎ接ぎをしていっているようなので、その辺りに歪みが生じている部分があるようにも思える。 マクレーンは文句のない迫力・存在感を発揮している。カペルとともに作り上げた“シャネル”というブランド及び服飾に対する情熱、自分自身に対する自信が感じられる。しかし、若き日のシャネルを演じた女優はオドレイほど深みのある演技をみせることはできていない。オドレイやマクレーンと比較さえしなければ、文句のない演技なのだが、相手が悪すぎたようだ。 [映画館(字幕)] 5点(2009-10-24 22:04:36) |
156. さまよう刃(2009)
《ネタバレ》 原作未読。よく出来た映画であり、何かを考えさせられる映画でもある。ただ、“深い”部分まで描かれているかといえば、そういう作品でもない。表面的な部分をすくった程度であり、ココロに深く何かを刻まれたという想いはない。“傑作”というジャッジをするには至らず、“良作”というところではないか。 しかし、寺尾聰さんの演技は評価に値する。演技の上手さや下手さの判断がそれほどよく分からないが、寺尾聰さんの演技はリアルであり、ナチュラルである。実際に娘を殺されて、未来を奪われた人間としか映らなかった。そこには“答え”が分からずに、呆然として、さまようしか術がない男しかいなかった。 “復讐”ということは“答え”ではないかもしれない。しかし、被害者の遺族の感情とすれば、何らかの“答え”は必要なのだろう。“復讐”以外に答えを求めるとすれば、「立法」と「矯正行政」の範疇となる。せっかく裁判員制度も導入されたのであるから、もう少し刑罰の幅を広げてもいいかもしれない。複数名を殺害しないと死刑にならないというのはおかしな裁判判例であるし、殺害の意思がなければ殺人罪にも問えないこともある。過去の判例と照らし合わせて判決を下すのではなくて、裁判員制度ではもっと様々な事情を鑑みて判決を下されるべきではないか。「1人でも殺せば死刑になることがある」という判決を重ねないと、犯罪の抑止力が損なわれる恐れがある。 日本には「死刑」「無期懲役」という刑罰はあるが、「無期懲役」には仮釈放というおなしな制度もある。この際、「終身刑」という新たな刑罰を創設し、被害者遺族の感情に応える立法も必要な時期に来ているのかもしれない。また、刑務所にいったん入っても再犯するような事態を極力避けるような矯正行政の在り方や社会の仕組みも問われるべきだろう。罪を犯した者が刑務所に入ることによって、誰しもが納得できるようなシステムを構築することが、被害者の家族の感情の軽減や犯罪の抑止力といった効果が期待できる。 なかなか簡単には社会は変わらず、変えることもできないが、よりよい方向に変える社会作りに我々は貢献したいものだ。 現在の動きは、逆に「死刑制度」をなくそうという動きすらある。 被害者の想い、加害者の事情、人を裁くことはそれほど簡単なことではないが、犯した罪に応じて厳罰を処するということはあってしかるべきであろう。 [映画館(邦画)] 6点(2009-10-19 21:20:50) |
157. g@me.(2003)
《ネタバレ》 原作未読。よくよく考えればおかしなところも出てきそうだが、良質なサスペンスに仕上がっている。裏があるのは誰でも分かることだが、先が読みにくく、基本的には飽きずに楽しめた。 ストーリーの面白さだけではなくて、ほとんど“男の妄想”のような甘さのあるロマンティシズムで満たされているのも好意的に感じられた。 『女には騙されても、女を騙すことはできない』『愛を利用されることはあっても、愛を利用することはできない』というようなこともよく出来ている。 男性が観れば、少々共感できるところもある作品に仕上がっているのではないか。お互いの気持ちが通じ合っても、最後にウマくいかないところも悪くはない落としどころだ。 難点をいえば、「誘拐に対する決意」「二人の恋愛関係の発展」の描写が甘いようなところか。 「誘拐に対する決意」に関しては、プロジェクトリーダーから外されたからというような気がしたが、誘拐の決意の前に副社長と直接的なやり取りがあってもよかったと思う。意味は完全に理解できなかったが、「仮面のやり取り」を誘拐の決意の前に持ってくると、多少は「ゲームをプレイしたくなる動機」のようなものが強化できるような気がする。ビジネスというゲームにおいては負けたかもしれないが、何らかの方法で副社長を負かしたいという想いをもうちょっと感じさせて欲しいところ。 「二人の恋愛関係の発展」に関しては、崖のようなところで佐久間の家庭状況を聞いて、なんとなく父親に似ている、自分にも似ていると感じたから、動いたように感じられる。多少の理由が付加されているものの、唐突という印象も否めない。 原作はよく分からないが、“モロ”というよりも発展するのかしないのか“微妙”な感じで進めてもよかったかもしれない。“モロ”にラブシーンなどを描くと「一緒に逃げない?」「シドニー行きの切符を用意した」といった本音とも嘘とも分からないセリフも深みが増さないところがある。これらのセリフの受け止め方も、ある意味で男と女のGAMEに発展させるためには“微妙”な演出が求められるところだ。 女の嘘が分からない男、男の本音に気付かない女といったようなところまで描いてもよかったかもしれない。男を信じられずに、シドニー行きが自分をハメるようなフェイクだと思ったものの、実は本当だったというオチにすると、ラストの別れにも納得できるのではないか。 [DVD(邦画)] 7点(2009-10-19 21:15:41) |
158. カイジ 人生逆転ゲーム
《ネタバレ》 原作はかつて“沼”辺りまで見ていたような思い出がある。本作に描かれているゲームはかなり簡略化されているだけではなくて、ポイントが少々ズレているので、それぞれのゲームの面白みは薄れている。カラクリを知っているためか、それとも演出がマズいためなのか、ゲームに息を呑むような緊迫感があるわけではないので、評価を下げたいところだが、本作のメッセージがそれほど悪くはなかったので少々評価を上げたい。 脚本家の大森美香は、金を持っているから「勝ち組」とか、金を持っていないから「負け組」といったことで“人”を判断してよいのかということをメッセージとして伝えようとしていたのではないかと感じた。“金のため”に平気で仲間や他人を裏切って、それによって「勝ち組」ということになるのならば、「勝ち組」になんてならなくてよい。カイジが船井や利根川に勝てたのはイカサマというよりも、相手のイカサマや能力を逆用しただけだ。 カイジは友達の連帯保証人になっただけにも関わらず、限定ジャンケンの負けを被り(一人で十分なのに一緒に落ちるというのはいかがなものか。おっさんの負けを被ったあとにおっさんも地下に落ちてきたという流れの方がよい)、勝利した金を遠藤にかすめ取られ、それでもなお、おっさんと交わした“約束”を守ろうとしている。 カイジは誰も裏切ることはせずに、佐原や石田のおっさん、そして遠藤までをも最後まで信頼しているのである。現代にはあまり存在しないバカ正直なオトコだが、カイジは「勝ち組」でも「負け組」でもない何か新しい“階層”にいるような気がした。 一寸先は闇である不況時代においては、そういう人間こそ、真の「勝ち組」といえるのではないかというメッセージを受け取った。1年前は金を死ぬほどもっていても、1年後には破産するような時代である。「勝ち」でも「負け」でもない、人間としての当然の在り方を求められる時代ではないか。 あのシチュエーションで、遠藤が組織に歯向かってでも5千万円をカイジに貸すということは、原作的にはあり得ない流れだが、そういうカイジのバカ正直さ(自分のことを最後まで良い人と言う)、他人に対する信頼を、彼女なりに信じてみたくなったのではないか。 彼女もいわゆる「勝ち組」から脱して、違う“階層”に進みたかったのかもしれない。 最後は騙し討ちをしているが、“金利”という名目なので仕方はないだろう。 [映画館(邦画)] 6点(2009-10-19 00:06:08) |
159. ココ・アヴァン・シャネル
《ネタバレ》 シャネルの生き様や彼女のファッションに関しては、ほとんど前知識なし。フランス語はよく分からないが、“アヴァン”は“前”という意味があるようであり、“シャネルになる前のココ”というタイトルになるようだ。自分はデザイナーとしてのシャネルに関心があったので、一人の女性としてのココ・シャネルにはそれほど関心がなく、大きな感銘を受けるほどのものはなかった。 あまり面白みはない作品ではあるが、オドレイ・トトゥの表情が非常に印象的に描かれている。冒頭から憂鬱そうな表情を浮かべている。「退屈だと老けてみえる」というようなセリフがあったと思うが、まさにその通りである。裕福なバルザンの家に転がり込んでも、浮かない表情はそのままだった。しかし、“ボーイ”カペルとの2日間の小旅行ではその表情が一変している。生気のない表情から生き生きした若々しい表情へと変化している。“ボーイ”カペルとの別れや死で再びその表情も曇ってしまうが、最後のコレクション時の表情もまた印象的なものとなっている。“ボーイ”カペルと過ごした際の幸せそうな表情とは異なるものの、新たな生きがいを見つけたようなこれまで見せたことのない不思議な表情を浮かべている。オドレイ・トトゥの表情を見ているだけで、色々なことが伝わってくるような気がした。表情だけで内面を描き出すという演技は評価したいところだ。 本作は「愛している」「愛していない」、「結婚する」「別れる」というような単純な二面で割り切れるようには描かれていないのも特徴。人間の感情などは複雑極まりないものだ。映画においてはその複雑性を描くことは本来難しいものだが、本作においてはそれがきちんと描かれているようには感じられた。女性監督だからか、繊細なあやふやさがいい効果として発揮されている。 また、実際はよく分からないが、本作の中のココ・シャネルは「結婚」や「家庭」について嫌悪するのとともに大きな憧れを抱いていたようにも思われる。 苦しむ母親の姿を見て育ったものの、冒頭の孤児院において父親を待っている姿を振るかえると、いっそうそう感じざるを得ない。 “ボーイ”カペルとの結婚を心から望んでいたと思われるうえに、彼が生きていれば、彼女の人生も大きく変わったかもしれないとも感じられた。 そういう屈折した想いが深く描かれていれば、観客はより感情移入しやすい映画になったのではないか。 [映画館(字幕)] 6点(2009-10-17 23:10:41) |
160. ワイルド・スピード/MAX
《ネタバレ》 クルマには全く興味がなくても楽しめる作品に仕上がっている。 ココロに何かが残るということはないが、2時間近い時間は飽きることなく、たっぷりと堪能できるのではないか。 スムーズさは多少欠くところはあるが、手の込んだ脚本となっている。 麻薬捜査と恋人に対する復讐をミックスして、ストーリーがやや複雑化することによって豊かになり、恋人を殺した奴はいったい誰か、黒幕はいったい誰かという手法でさらに盛り上げている。 驚くようなどんでん返しやオチもないが、カーアクションがメインの作品としては悪くはない脚本だ。 肝心のカーアクションも見所満載である。 Ⅰではお馴染みとなっている手の込んだトラック強盗を冒頭から描いており、本シリーズを好む者を喜ばせている。 成功率の低そうなやり方だが、普通に銃を使って奪う犯罪ではなくて、彼らにとってはゲームのようなものなのだろう。 難解であればあるほど、燃えるのかもしれない。 Ⅲに登場するハンとドミニクの関係も明らかになり、本シリーズと関係ないと思われたⅢとブリッジさせることができている。 最後のトンネルシーンは単なるカーアクションを超えたようなデキとなっており、クルマがまるで生きているような仕上がりとなっている。 欲を言えば、もうちょっとドミニクとブライアンの関係を掘り下げてくれると面白い作品になったと思う。 彼らはお互いを助け合うというような単なる相棒ではない。 助ける義理もなければ、助けられる義理もない。 この二人は似たもの同士でありながら、水と油ともいえる面白い関係である。 信念をリスペクトしたり、妹の恋人だとお互いに認め合いながらも、こいつにだけは絶対負けられないという想いもあるはず。 ラスト間際のドミニクとブライアンの会話にもそういう気持ちが表れている。 そういう微妙な関係をもっと上手く演出して欲しいところ。 それぞれの表面的な目標は、恋人に対する復讐及び麻薬組織撲滅かもしれない。 それぞれの目的のためにコンビを組みながらも、お互いのライバル心をもっとメインに持ってきてもよかった。 単なる犯罪組織を壊滅させるアクション映画は世間に溢れているのであるから、それらのような作品とは異なる要素を付加していくことによって、本シリーズの必要性が増していくのではないか。 [映画館(字幕)] 7点(2009-10-11 00:52:46)(良:1票) |