141. スペースバンパイア
《ネタバレ》 “LIFEFORCE”『生命力≒精気』。血ではなく精気を吸い取るので、字幕でも吸血鬼ならぬ“吸精鬼”となってます。でも原作は邦題と同じ“The Space Vampires”でした。映画に詳しくない上司(58)は、エマ・ストーンもグウィネス・パルトロウも知らないけれど、マチルダ・メイは知っていました。世代によっては、そんな身近な映画なんですよ、スペースバンパイアは。 劇場公開のとき『ハリウッド最新SF映画特集』みたいな番組が、ゴールデンタイムに放送されてました。そこでさんざん流されてたのが、ミイラ化した警備員が解剖医の精気を吸い取る有名なシーンと、解剖台から起き上がって警備員の生気を吸い取るマチルダ・メイのシーン。ここが何度も放送されていた記憶があります(※映像のインパクトが強かったため、記憶に誤差が生じている可能性アリ)。 ゴールデンタイムにおっぱい。マチルダ・メイの巨大なおっぱい。19歳の美しいおっぱいが、何度も何度も何度も流されてました。テレビ局の策略に見事にハマり、当時のお父さんたちは最新SFXの凄さを観てるフリして、おっぱいに釘付けだったことでしょう。私も「ハリウッドって色んな意味でスゲェ…」って思って観てました。 ふぅ…さて、何でしたっけ?そうスペースバンパイアね。マチルダ・メイと同じく印象深いのがカッコいいテーマソングです。宇宙空間に漂うスペースシャトルがカッコ良かったなぁ。当時の私は後半のゾンビだらけのロンドンの映像が怖くて怖くて…。バンパイアがターゲットを襲う所は大丈夫でも、誰彼構わず襲われるのが苦手で、自分があの場に居たらと思うと、怖かったんですね。あとは…あんまり覚えてないや。 先日偶然、中古DVDを見つけて、ついつい買ってしまいました。『無修正版』だって?あぁ、いわゆる“ヘア”が出てました。当時のはモザイクが掛かってたんでしょうかね?テーマソングはやっぱりカッコいいけど、スペースシャトル、あんな平べったかったなぁ?ハレー彗星ショボいな。でも宇宙船チャーチルの内部はお金掛かってます。何か他の映画のセット流用かなぁ? 吸精鬼が入ってるクリスタルをどうやって開けようか悩んでたのに、次のシーンではベッドで寝てるマチルダ・メイ。けっこう適当な映画なのを、マチルダ・メイのおっぱいが全部ひっくり返します。寝てても起きててもカタチの変わらないおっぱい。でも、エロさより美しさが勝るんですよね。マチルダ・メイもゆっくり動くから、おっぱいが揺れないので、あまりエロさを感じないのかもしれません。 ロンドンのゾンビ化は、警備員の生気を吸い取られた解剖医同様、2時間の命の吸精鬼たちなんですね。今見てもなかなか怖いです。でもそれより、TNGのピカード艦長(パトリック・スチュワート)が女声でカールセンとキスするところのほうが怖くて、目を背けたくなりました。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-11 14:25:18) |
142. 炎のランナー
《ネタバレ》 2024年パリ・オリンピック開催中に、1924パリ・オリンピックの映画を観る…いやいつでも観られる映画より歴史的瞬間のほう観ろよ!って思いつつ、映画観ちゃうんだなこれが… “Chariots of Fire”『炎の戦車』。戦車というのはベン・ハーに出てくる競争用の馬車です。『我が炎の戦車(Chariot of Fire)を持て』という詩をモトに、イングランドの国歌の一つ『エルサレム』の歌詞の一部になっています。エルサレムは、1919年当時の愛国心高揚の歌だそうです。 有名なヴァンゲリスのテーマソングが美しい。このサントラのカセットテープ持ってましたよ。私の中でオリンピックの音楽といえば、この『タイトルズ』と'84ロスオリンピックの『ファンファーレ』です。ロスの方はジョン・ウィリアムズ作曲だったのか。だから、自分好みな音楽だったのかなぁ? さて、映画の背景を見ると、公開は'81年。前年'80年はモスクワ・オリンピックがありましたが、ソ連のアフガン侵攻を受けて。西側諸国の大量ボイコットがありました。日本もアメリカも、この映画の製作国のイギリスも不参加でした。その前の'76年モントリオールも、南アのアパルトヘイトを理由にアフリカ諸国がボイコット。その前の'72ミュンヘン・オリンピックでは映画にもなった事件が。平和の祭典がどんどん、国家間の政治問題に利用されていた時代だったんですね。そして'84年が西側の雄アメリカで開催のオリンピックです。盛り上げなきゃいけません。それでこの映画です。 映画の舞台を'24年にしたのは、製作国イギリスが、第一次大戦の大きな傷跡から立ち直ったキッカケとなった大会だったからでしょうか。駅でハロルドが、勲章を付けた負傷兵が荷物運びをしているのに驚くシーンが印象的です。 炎のランナーといえば、海辺を走るオープニングの、純粋に走ることを楽しんでいる選手たちの美しさ。この映像に、この映画の伝えたいことが全部詰まっているように思えました。この映像は、インドア派の私でも気分が高まりますよ。公開当時モスクワのボイコットで辛い思いをしたアスリートたちも、再び闘志が湧き上がったことでしょう。そしてその闘志をぶつける舞台は、3年後のロス・オリンピック。この地味で美しいオリンピック映画はアカデミー作品賞を受賞します。アメリカも後押ししたんですね。娯楽超大作のレイダースに受賞させるより、3年後のロス・オリンピック。 ナイキとかスポンサーが全面に出てて、スケボーとかブレイキンとか娯楽要素の強い新しい競技が出てきて、いろんな人種の人がいろんな国に所属して出場し、日常生活とセットでタレントのような取り上げられ方の現代のアスリートたち。 中東の宗教問題、人種問題、東西冷戦に翻弄されつつも、ショー・ビジネスと宣伝広告の媒体となっていき、代理戦争の如く国家の威信を背負って競技に挑んだ'80年代のアスリートたち。 自身の肉体・精神の競技を象徴するように、無地の白いシャツ。シンプルな国旗のワッペンを胸に、裸足で海岸を走る100年前のアスリートたち。 舞台の100年前と、この映画が制作された43年前との、時代の変化を感じますね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2024-08-11 12:57:55) |
143. 菊次郎の夏
《ネタバレ》 所々雑なんだけど、後半のたけし軍団のお笑いがクドいんだけど、心に残る映画です。音楽の影響が大きいかな。そして夏の景色。プール、神社祭り、トウモロコシ畑、海、川、キャンプ。日本人にはテッパンの夏の景色が目白押し。公開時は、特にノスタルジックな雰囲気で押してる映画じゃないんだけど、今では'99年の景色さえ、どことなく懐かしくなってしまいました。 私はてっきり、坊主が菊次郎なんだと思っていましたが、映画を観る前に雑誌か何かでおじさんが菊次郎だと知りました。…これって重大なネタバレなような気がしていました。だって最後の「菊次郎だよバカヤロー」って、タイトルのネタバラシですよね?最後の最後で、今まで名前が出なかったおじさん=菊次郎だって解る。観客は子どもの夏の思い出映画だと思って観ていたけど、おじさんが他人の子どもと過ごした夏の映画だったのかぁっ!…って、当初イメージをガラッとひっくり返して、どこか納得する事が出来たんです。 でも、それするにも下校時の友達との会話で、坊主=正男だって解ってしまいます。消去法でおじさん=菊次郎になってしまいます。最後まで徹底して“おじさん”と“坊主”で通していたら、名前を言うときの効果は大きくなっていたかもしれません。公開前にシックス・センスを研究出来ていれば…なんて、鬼の首を取ったように書いた後で、特典映像の劇場版予告を観ると、開始35秒で「おじちゃ~ん、おじちゃんの名前何ていうの?」「菊次郎だよバカヤロー」って言っちゃってる。ネタバラシでもミスリードでもなかったのかぁ~~ 正男の行き先が豊橋だと知ったから、菊次郎の母の場所に近いから、妻(岸本加世子)は菊次郎について行かせたのかな。ほとんど母親代わりな奥さん。 この夏、正男と菊次郎は、幼少期に自分を捨てた母親に会いに行きます。声を掛けることもなく、遠くから見つめるだけの再会。悲しい思いを胸に優しいおじさん達とのキャンプ「一緒に遊びましょう?子供が可哀想です。」 結婚して新しい人生を歩いている正男の母親。老人ホームで友達の居ない寂しい老後を送る菊次郎の母親。まさかこの夏、自分が捨てた子供が、遠くから会いに来ていたなんて。もしそれを知ったら、お母さんきっと胸がギュッとなるでしょうね。もし会ってしまったら、きっと謝るしか出来なかったでしょうね。 「またお母さん探しに行こうな!」今回会えなかったから、また次回会いに行ける。 きっと次回なんて無いんだけれど、子供にとって母親は、何年過ぎてもずっと母親。 余談だけど、この子、どことなく安住純一郎アナに似てません?少し前の『情報7daysニュースキャスター』で、後年、滑舌の悪くなったたけしのコメントを、きちんと拾ってフォローする安住アナのコンビネーションが、年老いた菊次郎と成長した正男に観えてしまって… [DVD(邦画)] 6点(2024-08-09 23:15:47)(良:1票) |
144. オースティン・パワーズ ゴールドメンバー
《ネタバレ》 “Austin Powers in Goldmember”『金の陰茎』。 オープニングが本当のスパイ映画(!?)みたいで格好良くて、トムにケビンにスピルバーグ!“こんな映画にこんな人が!”って、この映画のためにあるような言葉ですね。ブリトニーとの意味わかんないビンタ合戦も楽しかったよ。欧米のセレブはみんなこのシリーズが大好きなんだね。いやもう、オープニングでお腹いっぱいですよ。 公開時に劇場で観て、地上波放送の際、久しぶりに観ました。それから暫くしてDVD買って観てて、およそ10年に1回ペースで3回観てるんですが、いやはや、内容全然覚えてませんでした。豪華なオープニングと定番の影絵とか下品なジョークはチラチラ覚えてましたが、シリーズの中で一番記憶に残らない作品でした。マイケル・マクドナルドも出てこないし。 3作目にしてお父さんが出てくる、しかも大物俳優。と言えばインディシリーズを連想します。ナイジェルをオースティンと同じタイプのの上位互換にしたのは、失敗に思いました。インディはアクティブな息子とインドアな父の掛け合いが面白かったけど、本作ではずっとボケ役だったオースティンが、ナイジェルの前だとパワーダウンしてツッコミに回ってます。オースティン・パワーズは、マイク・マイヤーズ演じるオースティンやイーブルらが、周りを引っ掻き回してこその面白さだったと思います。 イーブルにしても、息子のスコットが悪のボスとして覚醒します。それはそれで面白い展開だけど、スコットじゃシリーズは続けられないなって、思いました。もっとも、オースティンとイーブルの出生の秘密から、シリーズ最終作として創られたんでしょう。それでもネタ切れかマンネリ防止か、中途半端に'70年代を舞台にしたのも残念。舞台は最後まで'60年代と現代で、何とか工夫してほしかった気もします。 この映画観て笑ったら、速攻で内容忘れて、忘れた頃にまた観て笑えれば何より。そんな映画です。 [映画館(字幕)] 6点(2024-08-07 22:38:30) |
145. ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
《ネタバレ》 ポスターとかでは“Once Upon a Time in... Hollywood”『むかしむかし…ハリウッドでは。』 似たようなタイトルでin Americaやin Chinaがあるから、同じように訳せば良いのかと思いきや、この“...”が案外ミソでした。 劇中当時のハリウッド裏事情なんて、なかなか知る機会がなく、映画のスターは銀幕の中で演じる役柄そのままな存在でした。でも寡黙なヒーローと思っていたマックイーン(ぽい!めっちゃ雰囲気)が、シャロンたちの裏事情に詳しくてペラペラ喋ってるのがイメージとぜんぜん違う。 同様にブルース・リー(ぽいぽい!でもグラサン取ったら誰?)がビッグマウスなのも、イメージと全然違ったわ。だけど彼らの、思ってたのと違う!って表現が、思ってたのとぜんぜん違う結末に結びついていくんじゃないかなぁ? 後半、ジワジワと暗雲が立ち込める展開に、昔ネットで知ったカルト教団の事件をぼんやりと思い出す。「マンソンの教団にシャロン・テート?あ~~何か事件があった…と思う。けどクッキリハッキリとは思い出せない」って状態で物語の結末を見届ける。「…??こんな事件だっけ?」映画の後でwikiみて記憶修正。あぁナルホド! 最後の安息のシーンに掛かるタイトル。ここで“Once Upon a Time ...in Hollywood”って...の後ろにinが来てます。 『むかしむかしの事でした…ハリウッド版』ってな意味に。ハリウッド≒映画≒創作。実際の事件や歴史を、極力忠実に再現する映画作品も多い中、適度に創作部分を入れるどころか、思い切った結末をブチ込む思い切りの良さに恐れ入ったわ。コレも映画だ! [DVD(字幕)] 7点(2024-08-04 17:33:32) |
146. セブン
《ネタバレ》 “SE7EN”この“7”がカッコいいですね。当時色んなドラマとかでパクられた、カッコいいオープニング映像といい、映像クリエイターだったフィンチャー監督のセンス炸裂です。公開時は「エイリアン3の監督かぁ…」って警戒していましたが、人によって得意分野ってあるものですね。 名作だけど結末がとっても重たいので、今回も久しぶりの視聴です。ぼんやりと6人が犠牲になり、最後自分が7人目なんて記憶していましたが、あれ?奥さんのお腹に…って思って再度整理してみました。 タイトル通り7にちなんだ連続殺人事件で、ジョン・ドゥが『七つの大罪』に沿って、自分の犯した罪を明かしていきます。5人目の高慢までは順当で、最後の2つ、嫉妬はジョン。憤怒はミルズで『七つの大罪』は完結しています。一方でジョンが引き起こした殺人として、ミルズの妻トレイシーと、お腹の子で7人を殺害。だけどジョン自身が直接殺したのはトレイシーだけで、お腹の子と、暴食の男は副次的に死んだとも言えます。罪を重ねた結果、被害者は死んだ体になっています。肉欲に関しては直接殺人をした男が罪で、娼婦は肉欲の被害者になるでしょうか。…こういうサイコパスの殺人を考えると、自分までオカシクなりそうで怖いですね。 ミルズの配属早々サマセットは「7日間は見ているだけでいい」って言いますが…この殺人事件が捜査線上に上がったのが月曜日。事件は日曜日に解決します。この期間がサマセットが退職するまでの7日間だったのも、ジョンは計算していたんでしょうか?自分が殺される嫉妬(6)までの罪は、死を持って断罪されますが、最後の憤怒(7)は、自分が死ぬまで自責の念を抱きながら生きていく、あまりに厳しい断罪。 7日間が過ぎると、殺人犯も、事件を追った2人の刑事も、誰も残らない。一本の映画として完璧なパッケージングです。ついつい7点を付けたくなる気持ちを抑えて… [ビデオ(字幕)] 8点(2024-08-04 16:41:30) |
147. (500)日のサマー
《ネタバレ》 “(500) Days of Summer”邦題ままでいいと思います。 最初、夏の映画だと思ったので夏に観ましたが、人の名前だったんですね。タイトル見て(500)のカッコが不思議な感じですが、映画観るとすぐに解ります。意味合いとしては『500回目のサマーの日』でしょうか。 (1)にサマーに出会い、(488)に最後のお別れ。(500)は何があったかというと、次の出会いがありました。別れたのは(290)のようです。トムは(290)以降もズルズルとサマーを引きずり、やり直せるか?ってタイミングもあり、でも結局(488)に綺麗に終わってます。出会った(1)から、次の出会いがあった(500)までが、サマーの期間。男の思考回路がそう出来ている。という映画でしょう。 サマーにとってトムは、最初から最後まで彼氏ではなく親友。その辺の考え方が最初からズレていました。トムはそのうち、サマーも考え直すと思ったんでしょうが、その機会は来なかったようです。 ランドセル女優ゾーイ・デシャネルの個性的なキャラを活かした映画に思えます。サマーの過去がサラッと語られますが、アルバムやバイト先の売上げ上昇、男をたくさん振り向かせた過去などが、劇中どう活かされたのかはイマイチ不明です。トムとサマーのごく普通のボーイ・ミーツ・ガール物語に観えました。 余談だけどサマーの後がそう来たら、その前は?って思って調べたら、バイイントンさんという女優さんがいました。 [DVD(字幕)] 6点(2024-08-04 14:22:22) |
148. クリスティーン
《ネタバレ》 “Christine”邦題まま。パッケージによってはアタマに“John Carpenter's ”って付いてます。原作が『スティーヴン・キングのクリスティーン』なんて呼ばれていたそうだから、シナリオも変わっているし、差別化の意味でも監督名を入れてるのかもしれません。 意思を持ったクルマが人を襲う…コレ怖いか?って聞かれると、脳内イメージは微妙です。本来、殺意を持った人間が乗ることで、クルマは凶器となり、怖ぇって思えるんだろうけど… 名前の通りクリスティーンは女です。車種は'58年型プリマス・フューリー。このクルマのボディカラーは白地に金ラインの一種類のみだったそうです。オープニングの工場ラインで、白+金のプリマスが並ぶ中、1台だけ赤+白のクリスティーンが目立ってます。…この台数のプリマス用意するの、大変だったろうな。で、初めての事件-整備士が指を挟まれる-が起きるんですが、クリスティーンの『ちょっと触んないでよ!!』って言葉が聞こえてきそうです。続いて最初の殺人=タバコの灰を落とした…怒るのも解るけど殺すほどか?ルベーの話だと、何があったか知らないけど、まだ5歳だった弟の娘と妻も殺してる。なので、彼女の沸点の低さと仕返しのエゲツナサが伺えます。 こう考えてみました。クリスティーンは“意志を持ったクルマ”ではなく、“クルマの外観を持った女”が、次々人を殺していく物語なんじゃないかと。太った不良ムーチーを殺すときの、入れない狭さの路地にバリバリ入っていく様子は、なりふり構わない女のワイルドさを感じさせます。バディを殺すときの、炎のドレスをまとったクリスティーンは、この映画で一番美しいシーンかもしれません。 エンジンは掛かるけどボロボロのプリマスが250ドル。'83年は1ドル238円くらいだったので、アーニーは6万円ほどで彼女を手に入れます。格安ですね。でも30年くらい前は15年落ちの国産中古車が5万円くらいでロシアに売られていたので、妥当といえば妥当です。 不良にボロボロにされたクリスティーンが、アーニーの見てる前で、まるでストリップのようにボディを復元していく特撮は圧巻です。壊す映像の逆再生だろうけどどうやって車体に圧力かけてるんだろう? 怖さはイマイチだけど、CGの無いこの時代だから創れた、大量の実車プリマスを惜しげもなく使った映像は、一見の価値があります。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-03 11:19:47) |
149. 13日の金曜日(1980)
《ネタバレ》 “FRIDAY THE 13TH”邦題ままでいいけど『金曜日・13番目』っぽい。 キリストが磔刑されたのが金曜日で、裏切り者のユダは13番目の弟子。それらの組み合わせで、西洋では古くから“不吉な日”とされているそう。この日以外で『〇〇日の◯曜日』って特定日は思いつかないものね。 13金シリーズは、子供の頃しょっちゅうテレビで流れていた印象があります。お陰さまで13日(金)となると、怖いことが起きそうで1日中ドキドキしていたし、ホッケーマスクは殺人鬼が被るものだし、ジェイソンって名前の人は=殺人鬼だし… シリーズのどれも“湖でキャンプする若者が殺人鬼に次々殺される”って同じような内容でしたね。観た順番とか記憶は曖昧ですが、この1作目は、シリーズ何作品か観た後に観てます。そのため『殺人鬼=ジェイソンじゃない!?』事が新鮮だったのと、最後のシーンは、見事にビックリしたものです。 本作と本シリーズは'80年代を代表するスプラッター・ホラー映画です。でも次々と人が殺されるけど、怖いか?目を背けたくなるか?というと、案外耐えられます。私にホラー耐性がついたのと、本作の殺す瞬間が、サクッと一瞬で終わるからかもしれません。当時から『悪魔のいけにえ』のように、もっと長時間、生々しく息苦しい殺人描写の映画もありましたから、それに比べると、そんなに恐くはありません。むしろ当時の特撮技術(創意工夫)に感心しながら、楽しく観られました。 過去の有名ホラー作品からのリスペクトが強く出ているため、元ネタが解ると“まんまやん”ってちょっとガッカリしてしまいますが、後のマンネリ長期シリーズの原点と思うと、「最初は色々工夫していたんだな」って、むしろ好意的に受け止められます。 そして本作はもともと『シリーズ化を想定していない単体作品』でした。単体作品として考えた場合、ジェイソン・ボーヒーズは23年前に溺れ死んだ可哀想な少年で、今もクリスタルレイクの底に沈んだままだそうです。 1の主なスタッフは、2以降のシリーズには参加してないんですね。13金と言えばホッケーマスクの殺人鬼ジェイソンで有名。だけど記念すべき1作目を生み出したスタッフは、殺人鬼ジェイソンとは無関係という、ちょっと不思議な関係になります。 劇中の独特な効果音。私が子供の頃は『チッチッチッ!ハッハッハ!』って言ってました。DVDの特典の、スタッフ(マンフレディーニ)の話によると『キッキッキ!マッマッマ!=Kill Mom(ママ殺して)』だそうです。う~んでも、ジェイソンの乗り移ったパメラは「Kill Her Mommy Kill Her!」って言ってるから『キッキッキ!ハッハッハ!=Kill Her(あの女を殺して)』が正しいんじゃないかな?って思ったりします。思春期真っ盛り、11歳のジェイソン少年の、美人指導員への片想い。イケメン指導員との見てはいけない関係を目撃してからの逆恨みがモトで、それでイチャイチャしてる男女から率先して殺すようになったのかなぁ?って。妄想ですが。 [地上波(吹替)] 5点(2024-08-03 00:37:14) |
150. IAM A HERO アイアムアヒーロー
《ネタバレ》 原作読む前に映画観ました。邦画のSFとして、安っぽさを感じさせない映像で、結構頑張ってるなぁって思いました。 原作の前半部分は“ゾンビパニックが日本で起きた場合、日本人はどんな行動を取るか?”を、結構リアルにシミュレートしていたと思います。目の前でZQNに襲われた人を見ても、写メ撮るくらいで無関心な通行人とかが日本人らしいというか、なかなかパニックにならず、日常生活を続けようとする辺りがリアルに思えました。それと原作の英雄はもっとウジウジしていてコミュ力低め。妄想癖もあって面倒くさい人物。でも映画ではその辺りは控えめにして、ゾンビ物アクション映画として、勢いを優先したように思えました。 ストーリーを詰め込みすぎず、適度に省いたことで、原作未読の人にも取っ付きやすくなっています。反面、比呂美が英雄を信頼する過程が説明不足になってしまいました。英雄の「俺が君を守る!」からの「…うん」って返事と同時に流れる一筋の涙は、結構な見どころだと思います。有村架純頑張ったなぁ。 で、富士山麓の森の中から、再び幹線道路に出てきた時に英雄が髭面になっていたから、相当な時間経過があった模様。そこをもう少ししっかり描いても良かったかと思いますが、“ゾンビ物と言えばショッピングモールの籠城戦”と言わんばかりにアウトレットモールをクライマックスにしたことで、アクションに傾倒した仕上がりになっています。 連載途中の人気漫画の映画化としては良く出来ていますが、当初は続編を創る気があったのか判りませんが、一本の映画としては消化不良な終わり方です。英雄が最後の最後に銃を撃つのは見せ場として上手いと思うけど、あの数のDQNをあの場所で全部倒してしまうのは、ちょっと画的に単調でした。 『モールから脱出したから終わり。…で良いよね?』では、ちょっと『ロメロ・ゾンビ』のお約束に頼りすぎな気がしました。比呂美が半人半ZQNになった理由や、今後彼女はどうなるのか?とかは、映画オリジナルの落とし所を持ってきても良かったかと思います。 [映画館(邦画)] 5点(2024-07-31 23:36:42) |
151. ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
《ネタバレ》 “Extremely Loud and Incredibly Close”色々考えたんですが、考えれば考えるほど頭煮詰まってきますので、健康のため、ひとまず『邦題まま』としておきます。何かスラングかとも思いましたが、もしかしたらこのタイトルも、作中に出てきた“矛盾語”なのかもしれませんね。 何が「ものすごくうるさい」のか、判りませんでした。オスカーの苦手な街の喧騒でしょうかね?「ありえないほど近い」は、求める答えだと思いました。最後の第6回調査探検『第6区を見つける』では、最後の晩と「3番目のブランコが…」と、既にそのまま答えがありました。調査探検『鍵穴を探す』では、最初のブラックさんが答えでした。 創作系の感動話って、ダメなものはダメみたいで、この映画は私には合いませんでした。 劇中、気を許せる相手に辛く当たるオスカー。だから面と向かって「ママだったら良かったのに」は、アスペルガーの子供なら言ってしまいそう。でも、もうママが可哀想で…夫を失って自分も辛いのに、一人息子からあんな事言われたら。観てて「あ、もうダメだ」って、感情がリタイアしてしまいました。テレビ番組だったらチャンネル変えてました。 空爆で両親を失い、それ以来喋らなくなった祖父に、自分の息子(オスカーには父親)が死ぬときの留守録を聞かせる。アスペルガーだから、そんなの聞きたくない祖父の気持ちが解らない。これも私の感情に追い打ちをかけました。 ドアマンへの毎度のキツい一言も、彼がアスペルガーだからって事に、後から気が付きました。 映画だから創作です。ママも祖父も、あの件の直接的な救済が感じられません。ママは特に、良く耐え抜いたと感心してしまいます。劇中ママにあんな事を言った自分を責めるとか、第三者に「君は言ってはいけないことを言ったんだよ」と注意されるとか、映画観て嫌な気分になった私(視聴者)を救うシーンを入れておいてほしかったわ。 私が日本人だからか、鍵の袋に“Black”って書いてあって、それが人名だって、まず思いません。黒い箱の鍵かもしれない。そしてBlackと書いたのはパパじゃない。ウィリアムのお父さん?でもなんで自分の名字書いた?あ、貸金庫の銀行か?でも“Mr.”付けるよな。謎解きのお約束「Blackって、名字じゃなく◯◯の事だったんだ!!」は、ありませんでしたね。 OPから何度か差し込まれる、落下するパパの映像。…でもパパの通話が切れると同時にビルが倒壊しています。じゃ、パパは飛び降りてなくて、倒壊で亡くなったと考えるのが自然。オスカーは留守録から父の最期を知る唯一の存在なのに、なんでビルから落下するイメージを持つのか謎。 制作側の意図として、高層ビルから落下する人々の写真は、万人にとって衝撃的だったから映画に入れたい。また留守録は映画の重要アイテムだから入れる必要あり。だから倒壊も落下も、両方入れてみた。…これこそ“矛盾語”ですよね。 物語上必要な倒壊だけで良かったのに、センセーショナルな落下を入れたがために、私には感動作という裏で『リメンバー9.11』的なプロパガンダ映画にも思えました。『パパを失ったシェル家は、みんなが苦しんでいる。オスカーは8分間に囚われたままになっている。…じゃあ、そもそも誰が、あの優しいパパを殺した?』って。テロリストについて触れずに身内で傷つけ合うのも、“憤りを外に向けろ”って意味?って勘ぐってしまう。 公開年はイラク戦争終結の年でした。 第6回調査探検の“第6区を見つけろ”は、『生者と死者の間の、8分間の人が住む場所』だと思いました。最初の方でオスカーが「死者を地下にビルを建てて埋葬して…」と言ってました。第6区は「川に流されてしまって行方不明」。パパは死んだけど死体はありません。空っぽの棺桶で葬式をしたのは、生きているみんなが納得して死を受け入れるため。 手紙に「第6区の人々はどこかで君を称えているよ 私もだ」って、まるで遺言のよう。ただこれはパパが直後に死んだからそう思えたので、実際は別な解釈があったのかもしれません。そうでないとコレも“矛盾語”になってしまいます。そしてタイトル『ありえないほど近い』のは、第6区の事にも思えます。う~ん…『ものすごくうるさくて』ってなんだ? 映画としては、第5回以前の調査探検を描いて観せるべきだったでしょう。“20世紀の各年代に共通するもの”の答えが石ころでしたが、観てる側には??です。『問題』と『答え』があるのに『解説』が無いからサッパリなのです。 “観るものに委ねる”のもよくある手ですが、タイトルといい『鍵』と『持ち主』を出して『鍵穴・中身』を出さない創りといい、この映画の創り全体が、解けないなぞなぞみたいで、不快でモヤモヤします。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2024-07-20 10:06:40) |
152. マッドマックス2
《ネタバレ》 “The Road Warrior”『路上の戦士』って米国版の英題が付いてました。 続編でありながらピッタリとはくっつかない。本作はブーメラン少年が北部の部族の老人になってからの、回顧録の形式を取っています。前作は暴走族の社会問題がテーマとして、本作は一転して純粋な破壊と暴力を楽しむ映画と思いましたが、もしかしたらもっと大きなテーマがあるのかもしれません。 冒頭、老人が語る昔の世界は、“何か解らぬ理由で二つの大国が戦い、世界中を火の海にした”と。ご存知のように公開当時は米ソの冷戦から、核戦争が危惧されていました。本作は核戦争が起きたあと、生き延びた人々がどんな世界で生きるかをシミュレートしています。この映画の影響で、核戦争後の私たちに、3つの選択肢が生まれました。①資源豊かな村を、弱者も仲間に入れて共同で守っていくか。②弱肉強食、力こそ正義。モヒカン・パンクスタイルで「ヒャッハー!!」するか。③世紀末救世主。…まぁ③は難しいとして、多くの人は家庭や家族のことを考えて、①を選ぶでしょうか。 ゾンビが街に出たらヘリで無人島に飛ぶか、ショッピングモールに逃げるのと同じくらいの、映画界の革命的選択肢と言ってもいいでしょう。 さて、当初マックスはヒューマンガスとパッパガーロの戦いを遠くから傍観しています。ここがもしかしたら本作のテーマ“米ソの第三次世界大戦に対し、我々オーストラリア(マックス)はどうするべきか”を示していたのかもしれません。大きな戦争で世界が滅んでも、2つの陣営に分かれて不毛な戦争は続く。どちらが米かソかは判りませんが、守るパッパガーロ側には女子供や老人もいて、攻めてきたヒューマンガスを悪として描いています。(※でもヒューマンガス側にも女はいます) さて、善の側として描かれるパッパガーロたちが、そもそもどうやって、あの石油精製所を手にしたのか気になります。彼らの目的は3,200キロ先のサンシャイン・コースト(太陽の楽園・オーストラリア北部に実在する)に行くことのようです。…精製所にずっと住み着いて、ヒューマンガスたちと取引して、平和の見返りに適度にガソリンを分け与えるのが一番安全に思えるけど。 結末から逆算すると、ガソリンはバスで運んでいます。じゃあ囮にしたトレーラーって元々必要なかった?パッパガーロは理想家で策略家のため、トレーラー探しや小競り合いで、密かに人減らしをしていったんでしょう。生き残った人数から、バスに積める程度のガソリンで充分と踏んだんでしょうね。 そしてトレーラーの囮部隊で暴走族を壊滅させる。暴走族には何も残さんと言わんばかりに、精製所を爆破する徹底ぶり。結果、パッパガーロの思い描いた通りになりました。パッパガーロって本当に“善”だったんでしょうか?転倒したトレーラーを見て引き返す暴走族たちの表情。『俺たち一杯食わされたな』って顔のジャイロ・キャプテンとマックス。不毛な戦争が両陣営に残した傷跡が、戦争の虚しさと、生き残ったことの安堵を感じさせます。 もし世界大戦が起きて、世界が滅んでも、少ない資源を求め、争いは続く。どちらかの陣営についても、利用されて終わる。 でもそんな説教臭いこと抜きにスカッとする映画です。ゴールデン洋画劇場で始めて観た時、追跡劇の終盤で、夕日に照らされたトレーラーがUターンする時に感じた、「あぁ、もう終わるんだ」ってドーパミンがドバドバ出る感覚は、一生忘れることは無いでしょう。 [地上波(吹替)] 10点(2024-07-16 18:01:07) |
153. スウィングガールズ
《ネタバレ》 楽器素人の少女たちによるジャズ演奏会映像(映画付き)。同時代のAKB商法に例えると、握手券がラストの演奏シーンで、CDが映画かな。正直、ウォーターボーイズと同じことやってます。同じなんだけど、オマケの映画部分は少し熟れて来てます。吹奏楽を経験された方たちにはボロクソに言われるのも解りますし、『ウォーター…と一緒だべ』と大人が眉をひそめるのも解ります。でもウォーターと違い、スウィングは、完全子供向け(学生向け)映画に仕上げてきました。ウォーターを観て、シンクロやりたいって男子は少ないと思いますが、この映画を観てジャズをやってみたいって子達は多かったですからね。そして学生向けの青春映画として、学生ビッグバンド結成のハードルを下げたのは大きな功績です。 彼女たちの思うジャズ=気取ったオッサンがブランデー回しながら聞くイメージをそのまんま竹中直人で観せ、一方で当時のゲーム・スペースチャンネル5のテーマ曲もジャズ(メキシカン・フライヤー)だった事を、スッと入れてます。 吹奏楽だと中学生からもう上手い子は上手いので、素人が高校から取り組んでもレギュラー入りは難しいけど、ジャズバンドは競合者が少ないから、頑張れば彼女たちのように…と希望が持てます。 学校にある高級な管楽器は吹奏楽部に取られていても、お小遣い貯めて中古で揃えることも出来るよ?あと最後、お揃いのブレザーなんて無くてもセーラー服で演奏するのもカッコイイよ?金銭面のハードルを下げてます。 主演5人の中に朝ドラの主役級を3人も入れてますが、メチャクチャ可愛いのを揃えなかったのも上手いです。貫地谷しほりより井上先輩の彼女のほうが可愛かったです。そして一番顔立ちの良い本仮屋ユイカを地味メガネにしてました。そして小太り娘に草食系の地味男子と、主要メンバー全員が“人生の2軍役”なんです。ダラダラと学生生活を送ってきた彼女らが、偶然にもジャズと出会って、彼女らなりに頑張った。泣いて馬鹿にされ失敗もした。だから最後あんなに輝いた。スカスカに観えて、案外スキがないですよね。 彼女らの実際の練習風景、努力の部分は、テレビの特番や円盤の特典映像で二毛作する腹づもりだったんでしょう。 集団食中毒から代打で素人ビッグバンドは、夏の高校野球の期間中にはムリ。ウォーターと同じ、抜けた仲間がワラワラと戻って来る演出は相変わらず説得力無し。コンクール参加できる・出来ないのハラハラ感が当時のバラエティ番組並みとツッコミどころも多いけど、ウォーターより良くなってます。 [地上波(邦画)] 6点(2024-07-16 11:55:58) |
154. 大病人
《ネタバレ》 この映画のキャッチフレーズは『僕ならこう死ぬ』です。伊丹監督作品のテーマとしては、お葬式の手前の話になると思いますが、いつもの“業界の裏話”的なセオリーを使わずに、病気と死について淡々と描いています。 ただ、DVDの特典映像に特報(2)が入っていて、探偵に扮した伊丹監督が「これが凶器です」と紫の点滴を見せる内容。もしかしたら、当初は、治療という名目で病院に殺される…というハウツーものを考えていたのかもしれません。死にたくても死なせてもらえない患者なんて特に。 特報(1)で、伊丹監督自身が病院のベッドの上で「もし自分が癌だったら、延命はしなくていい。痛みだけは抑えてほしい。そして自宅に帰って死にたい」と、この映画のテーマとも言える自身の願望を言っています。 たしかに当時は、本人に病名の告知をする・しないの判断は病院側の考え方次第だったようです。この映画の数ヶ月後に、逸見政孝さんの癌の告白会見が、世の中に大きな衝撃を与えました。『残りの人生を本人にとって有意義に使う為に、正しい病名を告知する』そんな世の中の流れになってきたように思います。 そしてもう一つ、本作では向井が一度、死を体験します。顔の下からとうもろこしが湧いて出たり、少女の帽子から鳥が飛び出したりと、当時の最先端技術で創られた幻想的な特撮映像が流れます。伊丹監督流の臨死体験を映像化したものですが、当時は『丹波哲郎の大霊界』なる映画がヒットし、シリーズ3作も創られていました。…アレだけ話題になった割にはレビュー少ないですね。バブルも崩壊し、ノストラダムスの大予言も不安を煽る世紀末ということもあり、統一教会やオウム真理教のように、宗教が社会的に脚光を浴び、世の中の誰もが死について関心を持った時代だったように思います。 当時の世の中のニーズにピッタリとマッチした作品に思えますが、構成があまり上手じゃありません。劇中劇で癌で死にゆく夫婦の映画を撮っているけど、この当時向井は癌だと知らないし、癌だと知ってから映画の内容が変わっていったようでもない。最後の般若心経も、最初から撮ろうとしていたっぽい(緒方医師と看護婦には介助してもらってたが)ので、自身の癌や臨死体験が劇中劇に活かされるわけでもない。なら何で癌の劇中劇にしたんだろう? 緒方医師が勝手に退院しようとする向井に、医師としてではなく個人の考えを伝えます。そして向井最後の日「あんたが病院に入らず、治療も受けてなかったら、今でもピンピンしていたと思う」と。医師が自分の仕事を否定しているように聞こえます。この辺、いつもの伊丹映画らしい、病院の裏側映画の名残に思えます。コッチの路線だったら、いつものように面白い伊丹映画になっていたでしょうね。 [DVD(邦画)] 4点(2024-07-15 13:52:31) |
155. ウォーターボーイズ
《ネタバレ》 公開当時は『男子がシンクロ??』ってだけで、馬鹿馬鹿しい注目度があったように思います。ホントそれだけで観るのに抵抗あった時代だし、想像するだけで笑えるし、逆張りでヒットしたのも頷けます。 そして周防監督作品を筆頭に『素人が、一生懸命練習して、その世界で人に観せられる域に達する』映画が、徐々に邦画界で取り上げられてきてました。本作はその一種として『学生が部活動にのめり込む青春モノ』をミックスした、邦画界のターニングポイント作品であり、パイオニアな作品でもあったんでしょう。 何よりメインキャストが若手だから、制作費もそんなに掛からない。本作をキッカケに、同じような“部活青春映画”がボコボコ生まれ、日本映画界に新風を巻き起こしました。どれもそれなりにヒットしましたね。 『男がストリップ??』4年前のイギリス映画~本来、女がやるストリップを、素人の男がやる~フル・モンティ。本作は低予算で大ヒットの、この映画ありきな作品に思えます。日本版フルモンティを創るに当たり、~本来、女がやるシンクロを、素人の男子高校生が、実際にやってるらしい~ってネタは、いいハマり具合だったんでしょう。美少年俳優が、ちっちゃい競泳水着はいて、水面から脚だけ出して、大股開きのインパクト。そこだけ欲しかったから、別に川越高校男子水泳部の再現に、こだわりはありません。シンクロやる目的=大金を作るため…なんて、フルモンティから設定丸々持ってきたんでしょう。 磯村に魚の代金を返さなきゃいけないのに、その磯村がゲーセン代5000円をポンと出す謎。鈴木は木内にシンクロやることを告げられずにいたのに、木内は鈴木にシンクロのアップリケ付きの海パンを用意していた謎(※てか商店街にポスター貼ってたからバレて当然か)。あと本作に限らずだけど、中盤以降になってメイン以外のメンバー(水泳部員?)が俺も俺もと参加してきて、メインと遜色ないパフォーマンスをする謎。そもそものメインメンバーが、シンクロ素人の磯村の教えで上手くなる謎。最初の方で主人公が拾った鼻栓も、捨てられて以降、活かされること無いし、最後みんな付けてないし。ご厚意で借りた他校のプールに水泳キャップしないで入ってるし。馬鹿やって釣り堀の魚全滅とか、馬鹿やってイルカ感電死(未遂)とか、部員の一人がゲイとか、時代とともに笑っていいのか困るネタもチラホラ。 でも、学際の日程が重なって会えない鈴木と木内が、ボヤ騒ぎでプールの水が…からの展開は、素直に上手いなと思いました。一番の見せ場のシンクロもビシッと決まって見事でした。 だけど本作が、優勝とか点数を争うスポ根モノじゃない以上、入場者数が目標金額に達したのかは触れるべきかと。ともしびのママたちのチケットが無効扱いされてたのも意味不明だったし。満員御礼だから言うまでもない事かもしれないけど、そういう所まで投げっぱなしにされると、彼らの目的が弁償するお金を作るためなのか、金額関係なく練習したシンクロを披露するためなのか、そもそも最後、何で彼らがシンクロしてるのか、良くわからなくなってました。 そんな観方じゃ、同時代のテレビ企画『ウリナリ芸能人◯◯部』と変わりありません。観る側も、細かい事ゴチャゴチャ考えず『男子がシンクロ??』って最初のインパクトで最後まで突っ走ってこその映画です。変にシリアスな展開や泣ける場面を入れず、最初の馬鹿馬鹿しさのまま突っ走ったって意味では、よく出来てます。 [DVD(邦画)] 4点(2024-07-09 01:02:21) |
156. マッドマックス
《ネタバレ》 “Mad Max”『狂ったマックス』になるのかな。マックスは人名ですが、文字面から受ける印象は『最高潮の怒り』でしょうか? この映画は衝撃でした。今より少し先の未来。治安は悪化の一途を辿り、法に縛られる警察の対応は常に後手に回る。 当時のオーストラリアでは暴走族が社会問題になっていて、同様に日本でも校内暴力など、若者による暴力行為が問題化してきた時代でした。そのため、こんな近未来も可能性として存在するんだろうな…と素直に思えました。 マッドマックスは止まらない暴力に対し、より強力な暴力で抑え込むという、一つの答えを示していたんでしょうね。黄色いパトカーも【INTERCEPTOR=迎撃】に【PURSUIT=追撃】と、物騒な役割分担がされていました。 '70年代の海外の暴走族イメージと言うと、ピカピカのハーレーに乗った髭面ロン毛、サングラスにノーヘルといった、イージー・ライダーのスタイルが思い浮かびます。彼らに直接的な暴力イメージはなく『俺を見てくれ』と言わんばかりの美しさも感じますが、本作の暴走族は、薄汚れたカワサキに乗ってて、ヘルメットの中に血走った目。革ジャンはホコリまみれ。ナイトライダーの死体を受け取りに来た際の、理不尽で一方的な暴力が、交渉の余地を感じさせません。このあと逃げ出したカップルが襲われますが、マックスたちに発見されたときは、男性もズボンを脱がされ、お尻に血が…関わりたくない野犬集団の怖さを感じさせます。 野犬の狂気を見せ付けたのが、冒頭のナイトライダー。薬物の影響か、ず~~っと叫んでます。『スーサイド(自殺)・マシーン』はBスプリングスティーンの“明日なき暴走”の歌詞にも出てきますね。 「アイアム・ロッカー!アイアム・ローラー!アイアム・アウト・オブ・コントローラー!アイアム・ナイトライダー・ベイビー!!」きちんと韻を踏んでてカッコイイです。そんなキレッキレのナイトライダーが、マックスとたった1回交差しただけで、自信を喪失して泣き出します。薬の効果が切れたのか、内なる狂気が一気に冷めて、ちっぽけな人間に戻った瞬間です。この落差こそが、狂気を抑え込む狂気の演出として際立ってます。 友人と家族を失ったマックスは、法を捨ててトーカッター達を追い回し、無慈悲に殺して回ります。暴走族を殺す行為に、何の感情も、カタルシスも、達成感もありません。ただブッ殺すだけです。 でもジョニーだけは違いました。ババも言ってましたが「奴はナイトライダーとは違う」と。ラリったジョニーはトーカッターの台詞「夜空を見上げるたびに…」を叫びますが、ちゃんと覚えてるのは「ナーイトライダー!!」だけ。ジョニーはファッションとしてトーカッター達に憧れるだけの弱い若者です。 マックスはそんなジョニーを野犬の一匹として無慈悲に殺すのではなく、人間として助かる選択肢を残します。でもそれは、とても選べない選択肢でした。暴走族に身を落とすという選択は、もう人間として後戻りができない選択なんだと。 全てを失ったマックスからの、暴走族に憧れる現代の若者へのメッセージ。2以降のバイオレンス作品とは違う、至高の一作です。 [地上波(吹替)] 9点(2024-07-07 15:12:06)(良:1票) |
157. ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀
《ネタバレ》 “Howard the Duck”『アヒルのハワード』の本名が『ハワード・T・ダック』みたいです。実は私が小学生の時、人生で初めて劇場に観に行った字幕洋画が、このハワード・ザ・ダックです。…鑑賞は2番目になりましたが。 公開直前は、“卵の殻から飛び出た葉巻を咥えたクチバシ”のイメージ図くらいしか発表されず、ハワードがどんな顔でどんな容姿かは謎でした。E.T.と同様の手法を取ったんですね。当時それなりに話題になっていたこの映画のウリは“ジョージ・ルーカス製作総指揮”の一点でした。 近所の同級生たちと、土曜の学校のあと観に行った、思い出深い映画です。あのスター・ウォーズの巨匠ルーカスが、E.T.やグレムリンのような愛くるしいキャラクター映画を創った。ウワサでは『ハワードのキャラの完成度から、ドナルドダックを抱えるディズニーが危機感を感じて訴えた』とか…そりゃ面白くないハズがありません。 NYっぽい大都会、マンションの一室、帰宅する小柄な男。特に引っ張るでもなく姿を晒したこの生き物は…あ、ハワードだ!これがハワードかぁ。こんな顔なんだぁ。アメリカじゃ、こういうのがカワイイのかぁ…いきなりエロ雑誌見るし、アヒル女性の入浴シーンが出てくるし、アヒル版バカ殿様みたいでしたが、笑うまでには至りませんでした。むしろキモカワ系のアヒル人間の容姿に目が慣れるまで、時間を要した気がします。 当時から思っていましたが、謎だったハワードの容姿に見慣れると、残る観どころは“リー・トンプソンのキュートさ”くらいなんですね。みんなの感想も「ビバリー可愛かった」でした。「痛いところない?」「プライドがちょっと…」など、ウィットに富んだハワードのセリフも、小学生のガキンチョ共を笑わせるには、ちょっとハードル高かったです。財布に忍ばせたコンドームなんて、まだ意味解ってないし。それでも私は、自分の星に帰る道を諦め、自分をいじめた人間のため、暗黒魔王と戦って命を落とした(演出)ハワードに、素直にうるうるしてました。 帰り道みんなで「ハーワード・ザァダッック!ウーッ♪」って歌ってました。でも、純粋に面白かったのは同時上映の方でしたね。同時上映の合せ技で、満足度は高かったんだと思います。 検索すると当時のチラシが出てくると思いますが、同時上映との面積比率が7:3くらいでハワード・ザ・ダックは7の側。それだけ、本作には力が入っていたって事でしょう。で、合わせ技でやっと満足。インディ・シリーズはスピルバーグとの共同制作だったけど、実はルーカスってスピルバーグに“おんぶにだっこ”なんじゃないか?って思えるようになりました。『ルーカスってスター・ウォーズだけの人だったのかも?』なんて印象になってしまいました。 振り返ると、映画の中で子供向けの笑い(ドタバタ)の中に、中途半端に大人向けの笑い(ハワードのジョーク)が入り混じってましたね。原作漫画は皮肉っぽいことを言う人間の格好をしたアヒルの漫画だったそうで、最近だと『テッド』がその路線で成功してます。ソッチに全振りしていれば化けた可能性もあります。でもルーカスは子供向け路線でやりたかったんでしょう。だってスター・ウォーズにイウォーク出しちゃうくらいだし。彼もスピルバーグのE.T.みたいに、子供が喜ぶキャラを生み出したかったんでしょう。 ハワードとは高校の時にも出会います。友達の家で集まって、夕飯を頂いたあと、時間つぶしに見せてくれたのがハワード・ザ・ダックでした。しかも当時も珍しいVHDビデオディスクでの鑑賞。一人っ子の友人は、わざわざVHDで買うほど、ハワードが好きだったんだな。久しぶりの私と初めて観る人たち。初ハワードの感想が「…魔王って割には攻撃ショボいな」だけでした。 そして近年「ハワードだ!懐かしい!」って、サングラスをしたアヒルのシャツをよく見ました。でも『ダックデュード』って別なキャラなんですね。…ルーカス訴えればいいのに。 [映画館(字幕)] 5点(2024-07-07 10:11:28)(良:1票) |
158. マネー・ピット
《ネタバレ》 “The Money Pit”『お金が吸い込まれる底なしの穴=金食い虫』。実は私が小学生の時、人生で初めて劇場で観た字幕洋画が、このマネー・ピットです。トム・ハンクスはまだ若く、お客を呼べるほどの知名度でもない、若手のコメディ俳優という印象でした。となると当時のこの映画のウリは“スティーブン・スピルバーグ製作総指揮”の一点でした。 近所の同級生たちと、土曜の学校のあと観に行った、思い出深い映画です。本命はこの映画の同時上映作品でしたから、マネー・ピットの事前情報は映画館のポスターだけ。どんな映画かもよく知らず、退屈な映画だったら寝てようかな…位の感覚でしたが、でもスピルバーグって書いてあるし、きっと面白いんだろう。なんて感じに観始めました。途中で『あ、コメディ映画なんだ』って気がついたくらい。階段が壊れ、風呂は落下し、主人公はカーペットに飲み込まれる。一つ一つのトラブルがお金の掛かったドリフみたいで、小学生の私達にも、とてもわかり易く、みんなで大笑いしてました。 でも当時の目的はコレでなく同時上映の方でした。検索すると当時のチラシが出てくると思いますが、面積比率が7:3くらいでマネー・ピットは3の側。それだけ、同時上映の方に力が入っていたって事でしょう。 大人になって改めて観ると、観どころが“家が壊れていく様”くらいなんですね。夫婦間のトラブルも、なんか後半有耶無耶に解決された印象です。でもロックバンドとオーケストラの大団円だし、なんかハッピーな最後だったなって感想です。 こういう映画ってなんて言うんでしょうね?B級ってほど安っぽくもなく、単独上映じゃお客が入るとも思えない、同時上映専用映画…とでも言うんでしょうか。この映画の役割は、同時上映を見る前の、場のあたため役。お笑いで言う『前説』や『前座』のように思えます。 同時上映の宿命で、本命映画よりも目立ってはいけない。面白くてはいけない。インパクトを残してもいけない。当然、上映時間が長すぎてはいけないし、退屈させてもいけない。観終わったらスーっと忘れるくらいのさじ加減の映画。 …なんか最初からそう考えると、創るのとっても難しそう。でもこういう脇役の映画が、案外、劇場に足を運ぶ満足度を上げてくれてたりしました。また復活しないかな同時上映。 さぁ、トイレにも行ったし、本命が始まるぞ! ~同時上映『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』につづく~~ [映画館(字幕)] 6点(2024-07-07 10:08:46) |
159. 白い巨塔
《ネタバレ》 今から20年前の年末に人生初の入院を経験。その時、唐沢寿明の白い巨塔が一挙放送されていて、38度超えの高熱にうなされながらもイッキ観してしまいました。内容はうろ覚えですが、先の展開が気になって、ベッドに横になったまま、テレビにかじり付いてました。入院中ず~っとアメイジング・グレイスが頭の中で鳴り響いてました。 いきなり実際の手術シーンから始まるのはかなりショッキングでした。モノクロだったから耐えられたけど、あんなにスパッと人の体にメスを入れるって、凄い度胸だなって感心させられました。外科医って凄い職業だな… 話は逸れるけど、'62年の椿三十郎の、あの大量の血しぶきから、以降の映画の残酷描写が映画の話題作りの一つに、大きな影響を与えたそうです。そう考えると、本作のこの生々しい手術シーンも、恐らくは当時の観客に大きなインパクトを与えたことと思います。 もちろんそれが売りの映画ではなく、教授の座を賭けた醜い争いのドラマ自体も、充分に面白かったです。 大学病院の裏側、財前も東教授も教授というポジションに対し執拗な執着を見せる。不健全な票の奪い合いが生々しい。温厚な菊川を追い込む脅迫手段も、「全員で非協力」というドロドロした内側を垣間見せる粘っこさ。あぁ、会社内の派閥の気持ち悪さはどこも一緒だわ。 裁判では里見と大河内の正論にスカッとした気持ちで観てたけど、鑑定結果と偽証でズブズブと飲み込まれていく、この後味の悪さ。一握りの勇気と真っ当な正義感では変えられない、世の中という仕組みが恐ろしい。 入院中、唐沢財前の後半のセリフ「無念だ」を覚えていたけど、本作は150分。映画としては長編ですが、私が観たドラマの、だいたい半分までの物語でした。でも、観ごたえのある映画でした。この時代の空気、このキャスト、このスケールで、この続きを観て、最後スカッとしたいところ。…いや結末も財前に感情移入してしまって、そんなにスカッとはしなかったっけ? [CS・衛星(邦画)] 7点(2024-07-06 19:07:09) |
160. カーズ
《ネタバレ》 “Cars”邦題まま。 “命のないモノに魂を入れる”作品を創らせたら、ピクサーって凄いですね。オモチャの次はクルマときました。今回“ヒト”は一切出てこなくて、全部クルマの世界というのも思い切った設定です。 「クルマを擬人化するとしたら、目はヘッドライトだろ!?」…なんて思いますよね。子供が描いた交通安全のポスターなんかも、目=ヘッドライトにしてるのが多い気がします。じゃあ目=フロントガラスはカーズが初か?と言えば、少なくとも昔観たトムとジェリーの(真ん中)、車の親子の話から既に、目はフロントガラスでした。お国柄なんでしょうかね?そのため、レースカーのヘッドライトがステッカーなんてマニアックなネタを仕込んでたのは面白かったです。フロントガラスを目にすることで、表情はより豊かになりました。また車種や年代、丸目・角目で、性格イメージが固定されることも無い上手い方法です。 私がこの映画に引き込まれたのは、優等生のサリーがお尻に入れてたタトゥーが出たとき。人間ならローライズジーンズから覗く腰の部分。ラッキースケベですね。ポルシェって速度を上げると自動でウイングがせり上がるらしく、サリーは普段は人に見せないその場所に、タトゥー入れてたんですね。うっかり若気の至りを見られて慌てるサリーと、それ声に出して言っちゃうデリカシーのないライトニング。子供向けCGアニメだと侮ってましたが、良い変化球でした。 さて、高速が開通して国道沿いの町が廃れるのって、北海道だとホントよく目にする光景だったので、ラジエーター・スプリングス(以下RS)の寂れ具合にはとても既視感を感じました。レースも高速道路も“早く目的地(ゴール)に行く”のは、そもそものクルマの存在意義とも言えます。利用者の居ない店。誰も来ない観光名所。クルマだけの世界では、ある意味存在する意義が希薄なRS住民。レーサーのマックイーンに、モータリゼーションの発展と町の過疎化を見せるのは、結構皮肉な展開に思えます。 トップレーサーだけど友達も居ないマックイーンが、寂れた田舎町で一度立ち止まって、自分はこれから、何をするべきかを考える作品。レース後の展開、マックイーンもRSに住んで、友達や仲間と一緒に暮らし、レーサーとしての拠点もRSにして、お互いウィンウィン。めでたし、めでたし。 …なんだけどそれはアニメ映画のお話。実際は、何処にでもある全国チェーン店が幅を利かせ、味のある地元の個人店が閉業に追い込まれ、ネットでよく見る『田舎の国道沿いの風景』になってしまう。というのが、どこにでもある現実のようです。'50年代から'70年代の車が共存する古き良きRSが、今風の平凡な田舎町になるのは、嫌だなぁ… [地上波(吹替)] 7点(2024-07-06 00:34:40) |