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141.  IAM A HERO アイアムアヒーロー 《ネタバレ》 
原作読む前に映画観ました。邦画のSFとして、安っぽさを感じさせない映像で、結構頑張ってるなぁって思いました。 原作の前半部分は“ゾンビパニックが日本で起きた場合、日本人はどんな行動を取るか?”を、結構リアルにシミュレートしていたと思います。目の前でZQNに襲われた人を見ても、写メ撮るくらいで無関心な通行人とかが日本人らしいというか、なかなかパニックにならず、日常生活を続けようとする辺りがリアルに思えました。それと原作の英雄はもっとウジウジしていてコミュ力低め。妄想癖もあって面倒くさい人物。でも映画ではその辺りは控えめにして、ゾンビ物アクション映画として、勢いを優先したように思えました。  ストーリーを詰め込みすぎず、適度に省いたことで、原作未読の人にも取っ付きやすくなっています。反面、比呂美が英雄を信頼する過程が説明不足になってしまいました。英雄の「俺が君を守る!」からの「…うん」って返事と同時に流れる一筋の涙は、結構な見どころだと思います。有村架純頑張ったなぁ。 で、富士山麓の森の中から、再び幹線道路に出てきた時に英雄が髭面になっていたから、相当な時間経過があった模様。そこをもう少ししっかり描いても良かったかと思いますが、“ゾンビ物と言えばショッピングモールの籠城戦”と言わんばかりにアウトレットモールをクライマックスにしたことで、アクションに傾倒した仕上がりになっています。  連載途中の人気漫画の映画化としては良く出来ていますが、当初は続編を創る気があったのか判りませんが、一本の映画としては消化不良な終わり方です。英雄が最後の最後に銃を撃つのは見せ場として上手いと思うけど、あの数のDQNをあの場所で全部倒してしまうのは、ちょっと画的に単調でした。 『モールから脱出したから終わり。…で良いよね?』では、ちょっと『ロメロ・ゾンビ』のお約束に頼りすぎな気がしました。比呂美が半人半ZQNになった理由や、今後彼女はどうなるのか?とかは、映画オリジナルの落とし所を持ってきても良かったかと思います。
[映画館(邦画)] 5点(2024-07-31 23:36:42)
142.  ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 《ネタバレ》 
“Extremely Loud and Incredibly Close”色々考えたんですが、考えれば考えるほど頭煮詰まってきますので、健康のため、ひとまず『邦題まま』としておきます。何かスラングかとも思いましたが、もしかしたらこのタイトルも、作中に出てきた“矛盾語”なのかもしれませんね。 何が「ものすごくうるさい」のか、判りませんでした。オスカーの苦手な街の喧騒でしょうかね?「ありえないほど近い」は、求める答えだと思いました。最後の第6回調査探検『第6区を見つける』では、最後の晩と「3番目のブランコが…」と、既にそのまま答えがありました。調査探検『鍵穴を探す』では、最初のブラックさんが答えでした。  創作系の感動話って、ダメなものはダメみたいで、この映画は私には合いませんでした。 劇中、気を許せる相手に辛く当たるオスカー。だから面と向かって「ママだったら良かったのに」は、アスペルガーの子供なら言ってしまいそう。でも、もうママが可哀想で…夫を失って自分も辛いのに、一人息子からあんな事言われたら。観てて「あ、もうダメだ」って、感情がリタイアしてしまいました。テレビ番組だったらチャンネル変えてました。 空爆で両親を失い、それ以来喋らなくなった祖父に、自分の息子(オスカーには父親)が死ぬときの留守録を聞かせる。アスペルガーだから、そんなの聞きたくない祖父の気持ちが解らない。これも私の感情に追い打ちをかけました。 ドアマンへの毎度のキツい一言も、彼がアスペルガーだからって事に、後から気が付きました。 映画だから創作です。ママも祖父も、あの件の直接的な救済が感じられません。ママは特に、良く耐え抜いたと感心してしまいます。劇中ママにあんな事を言った自分を責めるとか、第三者に「君は言ってはいけないことを言ったんだよ」と注意されるとか、映画観て嫌な気分になった私(視聴者)を救うシーンを入れておいてほしかったわ。  私が日本人だからか、鍵の袋に“Black”って書いてあって、それが人名だって、まず思いません。黒い箱の鍵かもしれない。そしてBlackと書いたのはパパじゃない。ウィリアムのお父さん?でもなんで自分の名字書いた?あ、貸金庫の銀行か?でも“Mr.”付けるよな。謎解きのお約束「Blackって、名字じゃなく◯◯の事だったんだ!!」は、ありませんでしたね。  OPから何度か差し込まれる、落下するパパの映像。…でもパパの通話が切れると同時にビルが倒壊しています。じゃ、パパは飛び降りてなくて、倒壊で亡くなったと考えるのが自然。オスカーは留守録から父の最期を知る唯一の存在なのに、なんでビルから落下するイメージを持つのか謎。 制作側の意図として、高層ビルから落下する人々の写真は、万人にとって衝撃的だったから映画に入れたい。また留守録は映画の重要アイテムだから入れる必要あり。だから倒壊も落下も、両方入れてみた。…これこそ“矛盾語”ですよね。 物語上必要な倒壊だけで良かったのに、センセーショナルな落下を入れたがために、私には感動作という裏で『リメンバー9.11』的なプロパガンダ映画にも思えました。『パパを失ったシェル家は、みんなが苦しんでいる。オスカーは8分間に囚われたままになっている。…じゃあ、そもそも誰が、あの優しいパパを殺した?』って。テロリストについて触れずに身内で傷つけ合うのも、“憤りを外に向けろ”って意味?って勘ぐってしまう。 公開年はイラク戦争終結の年でした。  第6回調査探検の“第6区を見つけろ”は、『生者と死者の間の、8分間の人が住む場所』だと思いました。最初の方でオスカーが「死者を地下にビルを建てて埋葬して…」と言ってました。第6区は「川に流されてしまって行方不明」。パパは死んだけど死体はありません。空っぽの棺桶で葬式をしたのは、生きているみんなが納得して死を受け入れるため。 手紙に「第6区の人々はどこかで君を称えているよ 私もだ」って、まるで遺言のよう。ただこれはパパが直後に死んだからそう思えたので、実際は別な解釈があったのかもしれません。そうでないとコレも“矛盾語”になってしまいます。そしてタイトル『ありえないほど近い』のは、第6区の事にも思えます。う~ん…『ものすごくうるさくて』ってなんだ?  映画としては、第5回以前の調査探検を描いて観せるべきだったでしょう。“20世紀の各年代に共通するもの”の答えが石ころでしたが、観てる側には??です。『問題』と『答え』があるのに『解説』が無いからサッパリなのです。 “観るものに委ねる”のもよくある手ですが、タイトルといい『鍵』と『持ち主』を出して『鍵穴・中身』を出さない創りといい、この映画の創り全体が、解けないなぞなぞみたいで、不快でモヤモヤします。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2024-07-20 10:06:40)
143.  マッドマックス2 《ネタバレ》 
“The Road Warrior”『路上の戦士』って米国版の英題が付いてました。 続編でありながらピッタリとはくっつかない。本作はブーメラン少年が北部の部族の老人になってからの、回顧録の形式を取っています。前作は暴走族の社会問題がテーマとして、本作は一転して純粋な破壊と暴力を楽しむ映画と思いましたが、もしかしたらもっと大きなテーマがあるのかもしれません。  冒頭、老人が語る昔の世界は、“何か解らぬ理由で二つの大国が戦い、世界中を火の海にした”と。ご存知のように公開当時は米ソの冷戦から、核戦争が危惧されていました。本作は核戦争が起きたあと、生き延びた人々がどんな世界で生きるかをシミュレートしています。この映画の影響で、核戦争後の私たちに、3つの選択肢が生まれました。①資源豊かな村を、弱者も仲間に入れて共同で守っていくか。②弱肉強食、力こそ正義。モヒカン・パンクスタイルで「ヒャッハー!!」するか。③世紀末救世主。…まぁ③は難しいとして、多くの人は家庭や家族のことを考えて、①を選ぶでしょうか。 ゾンビが街に出たらヘリで無人島に飛ぶか、ショッピングモールに逃げるのと同じくらいの、映画界の革命的選択肢と言ってもいいでしょう。  さて、当初マックスはヒューマンガスとパッパガーロの戦いを遠くから傍観しています。ここがもしかしたら本作のテーマ“米ソの第三次世界大戦に対し、我々オーストラリア(マックス)はどうするべきか”を示していたのかもしれません。大きな戦争で世界が滅んでも、2つの陣営に分かれて不毛な戦争は続く。どちらが米かソかは判りませんが、守るパッパガーロ側には女子供や老人もいて、攻めてきたヒューマンガスを悪として描いています。(※でもヒューマンガス側にも女はいます)  さて、善の側として描かれるパッパガーロたちが、そもそもどうやって、あの石油精製所を手にしたのか気になります。彼らの目的は3,200キロ先のサンシャイン・コースト(太陽の楽園・オーストラリア北部に実在する)に行くことのようです。…精製所にずっと住み着いて、ヒューマンガスたちと取引して、平和の見返りに適度にガソリンを分け与えるのが一番安全に思えるけど。 結末から逆算すると、ガソリンはバスで運んでいます。じゃあ囮にしたトレーラーって元々必要なかった?パッパガーロは理想家で策略家のため、トレーラー探しや小競り合いで、密かに人減らしをしていったんでしょう。生き残った人数から、バスに積める程度のガソリンで充分と踏んだんでしょうね。 そしてトレーラーの囮部隊で暴走族を壊滅させる。暴走族には何も残さんと言わんばかりに、精製所を爆破する徹底ぶり。結果、パッパガーロの思い描いた通りになりました。パッパガーロって本当に“善”だったんでしょうか?転倒したトレーラーを見て引き返す暴走族たちの表情。『俺たち一杯食わされたな』って顔のジャイロ・キャプテンとマックス。不毛な戦争が両陣営に残した傷跡が、戦争の虚しさと、生き残ったことの安堵を感じさせます。 もし世界大戦が起きて、世界が滅んでも、少ない資源を求め、争いは続く。どちらかの陣営についても、利用されて終わる。  でもそんな説教臭いこと抜きにスカッとする映画です。ゴールデン洋画劇場で始めて観た時、追跡劇の終盤で、夕日に照らされたトレーラーがUターンする時に感じた、「あぁ、もう終わるんだ」ってドーパミンがドバドバ出る感覚は、一生忘れることは無いでしょう。
[地上波(吹替)] 10点(2024-07-16 18:01:07)
144.  スウィングガールズ 《ネタバレ》 
楽器素人の少女たちによるジャズ演奏会映像(映画付き)。同時代のAKB商法に例えると、握手券がラストの演奏シーンで、CDが映画かな。正直、ウォーターボーイズと同じことやってます。同じなんだけど、オマケの映画部分は少し熟れて来てます。吹奏楽を経験された方たちにはボロクソに言われるのも解りますし、『ウォーター…と一緒だべ』と大人が眉をひそめるのも解ります。でもウォーターと違い、スウィングは、完全子供向け(学生向け)映画に仕上げてきました。ウォーターを観て、シンクロやりたいって男子は少ないと思いますが、この映画を観てジャズをやってみたいって子達は多かったですからね。そして学生向けの青春映画として、学生ビッグバンド結成のハードルを下げたのは大きな功績です。  彼女たちの思うジャズ=気取ったオッサンがブランデー回しながら聞くイメージをそのまんま竹中直人で観せ、一方で当時のゲーム・スペースチャンネル5のテーマ曲もジャズ(メキシカン・フライヤー)だった事を、スッと入れてます。 吹奏楽だと中学生からもう上手い子は上手いので、素人が高校から取り組んでもレギュラー入りは難しいけど、ジャズバンドは競合者が少ないから、頑張れば彼女たちのように…と希望が持てます。 学校にある高級な管楽器は吹奏楽部に取られていても、お小遣い貯めて中古で揃えることも出来るよ?あと最後、お揃いのブレザーなんて無くてもセーラー服で演奏するのもカッコイイよ?金銭面のハードルを下げてます。  主演5人の中に朝ドラの主役級を3人も入れてますが、メチャクチャ可愛いのを揃えなかったのも上手いです。貫地谷しほりより井上先輩の彼女のほうが可愛かったです。そして一番顔立ちの良い本仮屋ユイカを地味メガネにしてました。そして小太り娘に草食系の地味男子と、主要メンバー全員が“人生の2軍役”なんです。ダラダラと学生生活を送ってきた彼女らが、偶然にもジャズと出会って、彼女らなりに頑張った。泣いて馬鹿にされ失敗もした。だから最後あんなに輝いた。スカスカに観えて、案外スキがないですよね。 彼女らの実際の練習風景、努力の部分は、テレビの特番や円盤の特典映像で二毛作する腹づもりだったんでしょう。 集団食中毒から代打で素人ビッグバンドは、夏の高校野球の期間中にはムリ。ウォーターと同じ、抜けた仲間がワラワラと戻って来る演出は相変わらず説得力無し。コンクール参加できる・出来ないのハラハラ感が当時のバラエティ番組並みとツッコミどころも多いけど、ウォーターより良くなってます。
[地上波(邦画)] 6点(2024-07-16 11:55:58)
145.  大病人 《ネタバレ》 
この映画のキャッチフレーズは『僕ならこう死ぬ』です。伊丹監督作品のテーマとしては、お葬式の手前の話になると思いますが、いつもの“業界の裏話”的なセオリーを使わずに、病気と死について淡々と描いています。 ただ、DVDの特典映像に特報(2)が入っていて、探偵に扮した伊丹監督が「これが凶器です」と紫の点滴を見せる内容。もしかしたら、当初は、治療という名目で病院に殺される…というハウツーものを考えていたのかもしれません。死にたくても死なせてもらえない患者なんて特に。 特報(1)で、伊丹監督自身が病院のベッドの上で「もし自分が癌だったら、延命はしなくていい。痛みだけは抑えてほしい。そして自宅に帰って死にたい」と、この映画のテーマとも言える自身の願望を言っています。  たしかに当時は、本人に病名の告知をする・しないの判断は病院側の考え方次第だったようです。この映画の数ヶ月後に、逸見政孝さんの癌の告白会見が、世の中に大きな衝撃を与えました。『残りの人生を本人にとって有意義に使う為に、正しい病名を告知する』そんな世の中の流れになってきたように思います。 そしてもう一つ、本作では向井が一度、死を体験します。顔の下からとうもろこしが湧いて出たり、少女の帽子から鳥が飛び出したりと、当時の最先端技術で創られた幻想的な特撮映像が流れます。伊丹監督流の臨死体験を映像化したものですが、当時は『丹波哲郎の大霊界』なる映画がヒットし、シリーズ3作も創られていました。…アレだけ話題になった割にはレビュー少ないですね。バブルも崩壊し、ノストラダムスの大予言も不安を煽る世紀末ということもあり、統一教会やオウム真理教のように、宗教が社会的に脚光を浴び、世の中の誰もが死について関心を持った時代だったように思います。  当時の世の中のニーズにピッタリとマッチした作品に思えますが、構成があまり上手じゃありません。劇中劇で癌で死にゆく夫婦の映画を撮っているけど、この当時向井は癌だと知らないし、癌だと知ってから映画の内容が変わっていったようでもない。最後の般若心経も、最初から撮ろうとしていたっぽい(緒方医師と看護婦には介助してもらってたが)ので、自身の癌や臨死体験が劇中劇に活かされるわけでもない。なら何で癌の劇中劇にしたんだろう? 緒方医師が勝手に退院しようとする向井に、医師としてではなく個人の考えを伝えます。そして向井最後の日「あんたが病院に入らず、治療も受けてなかったら、今でもピンピンしていたと思う」と。医師が自分の仕事を否定しているように聞こえます。この辺、いつもの伊丹映画らしい、病院の裏側映画の名残に思えます。コッチの路線だったら、いつものように面白い伊丹映画になっていたでしょうね。
[DVD(邦画)] 4点(2024-07-15 13:52:31)
146.  ウォーターボーイズ 《ネタバレ》 
公開当時は『男子がシンクロ??』ってだけで、馬鹿馬鹿しい注目度があったように思います。ホントそれだけで観るのに抵抗あった時代だし、想像するだけで笑えるし、逆張りでヒットしたのも頷けます。 そして周防監督作品を筆頭に『素人が、一生懸命練習して、その世界で人に観せられる域に達する』映画が、徐々に邦画界で取り上げられてきてました。本作はその一種として『学生が部活動にのめり込む青春モノ』をミックスした、邦画界のターニングポイント作品であり、パイオニアな作品でもあったんでしょう。 何よりメインキャストが若手だから、制作費もそんなに掛からない。本作をキッカケに、同じような“部活青春映画”がボコボコ生まれ、日本映画界に新風を巻き起こしました。どれもそれなりにヒットしましたね。  『男がストリップ??』4年前のイギリス映画~本来、女がやるストリップを、素人の男がやる~フル・モンティ。本作は低予算で大ヒットの、この映画ありきな作品に思えます。日本版フルモンティを創るに当たり、~本来、女がやるシンクロを、素人の男子高校生が、実際にやってるらしい~ってネタは、いいハマり具合だったんでしょう。美少年俳優が、ちっちゃい競泳水着はいて、水面から脚だけ出して、大股開きのインパクト。そこだけ欲しかったから、別に川越高校男子水泳部の再現に、こだわりはありません。シンクロやる目的=大金を作るため…なんて、フルモンティから設定丸々持ってきたんでしょう。  磯村に魚の代金を返さなきゃいけないのに、その磯村がゲーセン代5000円をポンと出す謎。鈴木は木内にシンクロやることを告げられずにいたのに、木内は鈴木にシンクロのアップリケ付きの海パンを用意していた謎(※てか商店街にポスター貼ってたからバレて当然か)。あと本作に限らずだけど、中盤以降になってメイン以外のメンバー(水泳部員?)が俺も俺もと参加してきて、メインと遜色ないパフォーマンスをする謎。そもそものメインメンバーが、シンクロ素人の磯村の教えで上手くなる謎。最初の方で主人公が拾った鼻栓も、捨てられて以降、活かされること無いし、最後みんな付けてないし。ご厚意で借りた他校のプールに水泳キャップしないで入ってるし。馬鹿やって釣り堀の魚全滅とか、馬鹿やってイルカ感電死(未遂)とか、部員の一人がゲイとか、時代とともに笑っていいのか困るネタもチラホラ。  でも、学際の日程が重なって会えない鈴木と木内が、ボヤ騒ぎでプールの水が…からの展開は、素直に上手いなと思いました。一番の見せ場のシンクロもビシッと決まって見事でした。 だけど本作が、優勝とか点数を争うスポ根モノじゃない以上、入場者数が目標金額に達したのかは触れるべきかと。ともしびのママたちのチケットが無効扱いされてたのも意味不明だったし。満員御礼だから言うまでもない事かもしれないけど、そういう所まで投げっぱなしにされると、彼らの目的が弁償するお金を作るためなのか、金額関係なく練習したシンクロを披露するためなのか、そもそも最後、何で彼らがシンクロしてるのか、良くわからなくなってました。 そんな観方じゃ、同時代のテレビ企画『ウリナリ芸能人◯◯部』と変わりありません。観る側も、細かい事ゴチャゴチャ考えず『男子がシンクロ??』って最初のインパクトで最後まで突っ走ってこその映画です。変にシリアスな展開や泣ける場面を入れず、最初の馬鹿馬鹿しさのまま突っ走ったって意味では、よく出来てます。
[DVD(邦画)] 4点(2024-07-09 01:02:21)
147.  マッドマックス 《ネタバレ》 
“Mad Max”『狂ったマックス』になるのかな。マックスは人名ですが、文字面から受ける印象は『最高潮の怒り』でしょうか? この映画は衝撃でした。今より少し先の未来。治安は悪化の一途を辿り、法に縛られる警察の対応は常に後手に回る。 当時のオーストラリアでは暴走族が社会問題になっていて、同様に日本でも校内暴力など、若者による暴力行為が問題化してきた時代でした。そのため、こんな近未来も可能性として存在するんだろうな…と素直に思えました。 マッドマックスは止まらない暴力に対し、より強力な暴力で抑え込むという、一つの答えを示していたんでしょうね。黄色いパトカーも【INTERCEPTOR=迎撃】に【PURSUIT=追撃】と、物騒な役割分担がされていました。  '70年代の海外の暴走族イメージと言うと、ピカピカのハーレーに乗った髭面ロン毛、サングラスにノーヘルといった、イージー・ライダーのスタイルが思い浮かびます。彼らに直接的な暴力イメージはなく『俺を見てくれ』と言わんばかりの美しさも感じますが、本作の暴走族は、薄汚れたカワサキに乗ってて、ヘルメットの中に血走った目。革ジャンはホコリまみれ。ナイトライダーの死体を受け取りに来た際の、理不尽で一方的な暴力が、交渉の余地を感じさせません。このあと逃げ出したカップルが襲われますが、マックスたちに発見されたときは、男性もズボンを脱がされ、お尻に血が…関わりたくない野犬集団の怖さを感じさせます。  野犬の狂気を見せ付けたのが、冒頭のナイトライダー。薬物の影響か、ず~~っと叫んでます。『スーサイド(自殺)・マシーン』はBスプリングスティーンの“明日なき暴走”の歌詞にも出てきますね。 「アイアム・ロッカー!アイアム・ローラー!アイアム・アウト・オブ・コントローラー!アイアム・ナイトライダー・ベイビー!!」きちんと韻を踏んでてカッコイイです。そんなキレッキレのナイトライダーが、マックスとたった1回交差しただけで、自信を喪失して泣き出します。薬の効果が切れたのか、内なる狂気が一気に冷めて、ちっぽけな人間に戻った瞬間です。この落差こそが、狂気を抑え込む狂気の演出として際立ってます。  友人と家族を失ったマックスは、法を捨ててトーカッター達を追い回し、無慈悲に殺して回ります。暴走族を殺す行為に、何の感情も、カタルシスも、達成感もありません。ただブッ殺すだけです。 でもジョニーだけは違いました。ババも言ってましたが「奴はナイトライダーとは違う」と。ラリったジョニーはトーカッターの台詞「夜空を見上げるたびに…」を叫びますが、ちゃんと覚えてるのは「ナーイトライダー!!」だけ。ジョニーはファッションとしてトーカッター達に憧れるだけの弱い若者です。 マックスはそんなジョニーを野犬の一匹として無慈悲に殺すのではなく、人間として助かる選択肢を残します。でもそれは、とても選べない選択肢でした。暴走族に身を落とすという選択は、もう人間として後戻りができない選択なんだと。 全てを失ったマックスからの、暴走族に憧れる現代の若者へのメッセージ。2以降のバイオレンス作品とは違う、至高の一作です。
[地上波(吹替)] 9点(2024-07-07 15:12:06)(良:1票)
148.  ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀 《ネタバレ》 
“Howard the Duck”『アヒルのハワード』の本名が『ハワード・T・ダック』みたいです。実は私が小学生の時、人生で初めて劇場に観に行った字幕洋画が、このハワード・ザ・ダックです。…鑑賞は2番目になりましたが。 公開直前は、“卵の殻から飛び出た葉巻を咥えたクチバシ”のイメージ図くらいしか発表されず、ハワードがどんな顔でどんな容姿かは謎でした。E.T.と同様の手法を取ったんですね。当時それなりに話題になっていたこの映画のウリは“ジョージ・ルーカス製作総指揮”の一点でした。  近所の同級生たちと、土曜の学校のあと観に行った、思い出深い映画です。あのスター・ウォーズの巨匠ルーカスが、E.T.やグレムリンのような愛くるしいキャラクター映画を創った。ウワサでは『ハワードのキャラの完成度から、ドナルドダックを抱えるディズニーが危機感を感じて訴えた』とか…そりゃ面白くないハズがありません。 NYっぽい大都会、マンションの一室、帰宅する小柄な男。特に引っ張るでもなく姿を晒したこの生き物は…あ、ハワードだ!これがハワードかぁ。こんな顔なんだぁ。アメリカじゃ、こういうのがカワイイのかぁ…いきなりエロ雑誌見るし、アヒル女性の入浴シーンが出てくるし、アヒル版バカ殿様みたいでしたが、笑うまでには至りませんでした。むしろキモカワ系のアヒル人間の容姿に目が慣れるまで、時間を要した気がします。  当時から思っていましたが、謎だったハワードの容姿に見慣れると、残る観どころは“リー・トンプソンのキュートさ”くらいなんですね。みんなの感想も「ビバリー可愛かった」でした。「痛いところない?」「プライドがちょっと…」など、ウィットに富んだハワードのセリフも、小学生のガキンチョ共を笑わせるには、ちょっとハードル高かったです。財布に忍ばせたコンドームなんて、まだ意味解ってないし。それでも私は、自分の星に帰る道を諦め、自分をいじめた人間のため、暗黒魔王と戦って命を落とした(演出)ハワードに、素直にうるうるしてました。 帰り道みんなで「ハーワード・ザァダッック!ウーッ♪」って歌ってました。でも、純粋に面白かったのは同時上映の方でしたね。同時上映の合せ技で、満足度は高かったんだと思います。  検索すると当時のチラシが出てくると思いますが、同時上映との面積比率が7:3くらいでハワード・ザ・ダックは7の側。それだけ、本作には力が入っていたって事でしょう。で、合わせ技でやっと満足。インディ・シリーズはスピルバーグとの共同制作だったけど、実はルーカスってスピルバーグに“おんぶにだっこ”なんじゃないか?って思えるようになりました。『ルーカスってスター・ウォーズだけの人だったのかも?』なんて印象になってしまいました。 振り返ると、映画の中で子供向けの笑い(ドタバタ)の中に、中途半端に大人向けの笑い(ハワードのジョーク)が入り混じってましたね。原作漫画は皮肉っぽいことを言う人間の格好をしたアヒルの漫画だったそうで、最近だと『テッド』がその路線で成功してます。ソッチに全振りしていれば化けた可能性もあります。でもルーカスは子供向け路線でやりたかったんでしょう。だってスター・ウォーズにイウォーク出しちゃうくらいだし。彼もスピルバーグのE.T.みたいに、子供が喜ぶキャラを生み出したかったんでしょう。  ハワードとは高校の時にも出会います。友達の家で集まって、夕飯を頂いたあと、時間つぶしに見せてくれたのがハワード・ザ・ダックでした。しかも当時も珍しいVHDビデオディスクでの鑑賞。一人っ子の友人は、わざわざVHDで買うほど、ハワードが好きだったんだな。久しぶりの私と初めて観る人たち。初ハワードの感想が「…魔王って割には攻撃ショボいな」だけでした。 そして近年「ハワードだ!懐かしい!」って、サングラスをしたアヒルのシャツをよく見ました。でも『ダックデュード』って別なキャラなんですね。…ルーカス訴えればいいのに。
[映画館(字幕)] 5点(2024-07-07 10:11:28)(良:1票)
149.  マネー・ピット 《ネタバレ》 
“The Money Pit”『お金が吸い込まれる底なしの穴=金食い虫』。実は私が小学生の時、人生で初めて劇場で観た字幕洋画が、このマネー・ピットです。トム・ハンクスはまだ若く、お客を呼べるほどの知名度でもない、若手のコメディ俳優という印象でした。となると当時のこの映画のウリは“スティーブン・スピルバーグ製作総指揮”の一点でした。  近所の同級生たちと、土曜の学校のあと観に行った、思い出深い映画です。本命はこの映画の同時上映作品でしたから、マネー・ピットの事前情報は映画館のポスターだけ。どんな映画かもよく知らず、退屈な映画だったら寝てようかな…位の感覚でしたが、でもスピルバーグって書いてあるし、きっと面白いんだろう。なんて感じに観始めました。途中で『あ、コメディ映画なんだ』って気がついたくらい。階段が壊れ、風呂は落下し、主人公はカーペットに飲み込まれる。一つ一つのトラブルがお金の掛かったドリフみたいで、小学生の私達にも、とてもわかり易く、みんなで大笑いしてました。 でも当時の目的はコレでなく同時上映の方でした。検索すると当時のチラシが出てくると思いますが、面積比率が7:3くらいでマネー・ピットは3の側。それだけ、同時上映の方に力が入っていたって事でしょう。  大人になって改めて観ると、観どころが“家が壊れていく様”くらいなんですね。夫婦間のトラブルも、なんか後半有耶無耶に解決された印象です。でもロックバンドとオーケストラの大団円だし、なんかハッピーな最後だったなって感想です。 こういう映画ってなんて言うんでしょうね?B級ってほど安っぽくもなく、単独上映じゃお客が入るとも思えない、同時上映専用映画…とでも言うんでしょうか。この映画の役割は、同時上映を見る前の、場のあたため役。お笑いで言う『前説』や『前座』のように思えます。 同時上映の宿命で、本命映画よりも目立ってはいけない。面白くてはいけない。インパクトを残してもいけない。当然、上映時間が長すぎてはいけないし、退屈させてもいけない。観終わったらスーっと忘れるくらいのさじ加減の映画。 …なんか最初からそう考えると、創るのとっても難しそう。でもこういう脇役の映画が、案外、劇場に足を運ぶ満足度を上げてくれてたりしました。また復活しないかな同時上映。 さぁ、トイレにも行ったし、本命が始まるぞ!  ~同時上映『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』につづく~~
[映画館(字幕)] 6点(2024-07-07 10:08:46)
150.  白い巨塔 《ネタバレ》 
今から20年前の年末に人生初の入院を経験。その時、唐沢寿明の白い巨塔が一挙放送されていて、38度超えの高熱にうなされながらもイッキ観してしまいました。内容はうろ覚えですが、先の展開が気になって、ベッドに横になったまま、テレビにかじり付いてました。入院中ず~っとアメイジング・グレイスが頭の中で鳴り響いてました。  いきなり実際の手術シーンから始まるのはかなりショッキングでした。モノクロだったから耐えられたけど、あんなにスパッと人の体にメスを入れるって、凄い度胸だなって感心させられました。外科医って凄い職業だな… 話は逸れるけど、'62年の椿三十郎の、あの大量の血しぶきから、以降の映画の残酷描写が映画の話題作りの一つに、大きな影響を与えたそうです。そう考えると、本作のこの生々しい手術シーンも、恐らくは当時の観客に大きなインパクトを与えたことと思います。 もちろんそれが売りの映画ではなく、教授の座を賭けた醜い争いのドラマ自体も、充分に面白かったです。  大学病院の裏側、財前も東教授も教授というポジションに対し執拗な執着を見せる。不健全な票の奪い合いが生々しい。温厚な菊川を追い込む脅迫手段も、「全員で非協力」というドロドロした内側を垣間見せる粘っこさ。あぁ、会社内の派閥の気持ち悪さはどこも一緒だわ。 裁判では里見と大河内の正論にスカッとした気持ちで観てたけど、鑑定結果と偽証でズブズブと飲み込まれていく、この後味の悪さ。一握りの勇気と真っ当な正義感では変えられない、世の中という仕組みが恐ろしい。  入院中、唐沢財前の後半のセリフ「無念だ」を覚えていたけど、本作は150分。映画としては長編ですが、私が観たドラマの、だいたい半分までの物語でした。でも、観ごたえのある映画でした。この時代の空気、このキャスト、このスケールで、この続きを観て、最後スカッとしたいところ。…いや結末も財前に感情移入してしまって、そんなにスカッとはしなかったっけ?
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-07-06 19:07:09)
151.  カーズ 《ネタバレ》 
“Cars”邦題まま。 “命のないモノに魂を入れる”作品を創らせたら、ピクサーって凄いですね。オモチャの次はクルマときました。今回“ヒト”は一切出てこなくて、全部クルマの世界というのも思い切った設定です。 「クルマを擬人化するとしたら、目はヘッドライトだろ!?」…なんて思いますよね。子供が描いた交通安全のポスターなんかも、目=ヘッドライトにしてるのが多い気がします。じゃあ目=フロントガラスはカーズが初か?と言えば、少なくとも昔観たトムとジェリーの(真ん中)、車の親子の話から既に、目はフロントガラスでした。お国柄なんでしょうかね?そのため、レースカーのヘッドライトがステッカーなんてマニアックなネタを仕込んでたのは面白かったです。フロントガラスを目にすることで、表情はより豊かになりました。また車種や年代、丸目・角目で、性格イメージが固定されることも無い上手い方法です。  私がこの映画に引き込まれたのは、優等生のサリーがお尻に入れてたタトゥーが出たとき。人間ならローライズジーンズから覗く腰の部分。ラッキースケベですね。ポルシェって速度を上げると自動でウイングがせり上がるらしく、サリーは普段は人に見せないその場所に、タトゥー入れてたんですね。うっかり若気の至りを見られて慌てるサリーと、それ声に出して言っちゃうデリカシーのないライトニング。子供向けCGアニメだと侮ってましたが、良い変化球でした。  さて、高速が開通して国道沿いの町が廃れるのって、北海道だとホントよく目にする光景だったので、ラジエーター・スプリングス(以下RS)の寂れ具合にはとても既視感を感じました。レースも高速道路も“早く目的地(ゴール)に行く”のは、そもそものクルマの存在意義とも言えます。利用者の居ない店。誰も来ない観光名所。クルマだけの世界では、ある意味存在する意義が希薄なRS住民。レーサーのマックイーンに、モータリゼーションの発展と町の過疎化を見せるのは、結構皮肉な展開に思えます。 トップレーサーだけど友達も居ないマックイーンが、寂れた田舎町で一度立ち止まって、自分はこれから、何をするべきかを考える作品。レース後の展開、マックイーンもRSに住んで、友達や仲間と一緒に暮らし、レーサーとしての拠点もRSにして、お互いウィンウィン。めでたし、めでたし。 …なんだけどそれはアニメ映画のお話。実際は、何処にでもある全国チェーン店が幅を利かせ、味のある地元の個人店が閉業に追い込まれ、ネットでよく見る『田舎の国道沿いの風景』になってしまう。というのが、どこにでもある現実のようです。'50年代から'70年代の車が共存する古き良きRSが、今風の平凡な田舎町になるのは、嫌だなぁ…
[地上波(吹替)] 7点(2024-07-06 00:34:40)
152.  スーパーの女 《ネタバレ》 
この映画を始めて観たとき「田嶋陽子に柴田理恵に…このスーパー毎回おんなじ客ばっか来るんだな」なんて思ったりしたけれど、この歳になって、まさか私も彼女らのように、週5でスーパー覗くようになってたなんて…。 ほぼ、棚が空っぽになることのないスーパー。『もうすぐ閉店だけど、あの大量に並んだ鮮魚、これからどうするんだろう?』そんな、とっても身近で、毎日の生活に欠かせない近所のスーパーの裏側を、ズバッと観せてくれます。 業界の不正、偽装、改ざんが新聞を賑わし、食の安全が注目されるようになるのは、本作の5年ほど後。実際に報道された食肉偽装の数々のテクニックに、感心するやら呆れるやら…報道やネットで、この映画よりも酷い現実を見せられました。  五郎と花子が変な踊りを踊りだすのは、今までの伊丹映画にない漫画チックな味付けでした。最初は楽しげで良かったんですが、複数回観せられるとクドく感じます。お揃いのピンクの自転車でチラシを配って回ったり、二人きりでサンタと小鳥の着ぐるみ着て遊んでるのとか、他の社員がドン引きしそうです。伊丹映画にしてはお色気要素の殆ど無い本作ですが、中年2人のベッドシーンは結構生々しい感じでした。恋愛コメディとしては微妙。 いつもの伊丹節&宮本信子の痛快キャラは健在で、花子がプライドだけの職人たちの鼻っ柱を叩き折っていく様は、なかなか痛快です。魚の血の混じった水を飲むシーンは迫力があってコッチまで「おえ…」ってなります。 新鮮な野菜で満たされた青果コーナーを誇りに思うキヨちゃん。自分の作ったタラコのおにぎりを美味いと言われて涙する社長。当時バブルは崩壊していましたが、庶民はまだお金を持っていた時代。急激な物価高と長引く低賃金のいまは、消費者も品質に妥協をしなきゃいけない時代。店側に騙されるのは嫌だけど、自分を騙して安物食材をカゴに入れざるを得ない現実が悲しい。  食がテーマの伊丹映画というと、たんぽぽが思い浮かびます。あちらは主に外食産業のお話で、一人の男が自分の外食経験からラーメン屋の女将を助けるお話でした。スーパーと言えば食材を買いに行くところ。本作は一人の主婦が、生活の中で培った知恵で、ダメなスーパーのダメな専務を助けるお話。 外食から自炊に。ラーメンの下手な女将は駄目スーパーの専務に。助っ人が男から女に。結構似通った点が多いけど、本作では伊丹映画らしく業界の裏側、闇の部分にスポットを当てているのと、今までの伊丹映画以上にコメディ色が強めに出ていました。 前2作がイマイチヒットせず、かといって今までの『〇〇の女』だとマンネリ扱いされる。この時期、伊丹監督も結構苦しかったと思います。今までの伊丹映画らしくないカーチェイスなんかにも、苦労の跡が見受けられます。それでも『たんぽぽ2』とか安易にヒット作の続編に逃げなかったのは、やっぱり凄い人だなと思います。
[地上波(邦画)] 6点(2024-07-06 00:01:21)
153.  快盗ルビイ 《ネタバレ》 
ポワトリンとキャッツアイを合わせたような映画かなぁ?なんて思ってたけど、変身したり、夜のビル街を飛び回ったりしない、もっとスケールの小さい、可愛らしいお話でした。 『快盗ルビイ・マーチンスン』という原作小説があったんですね。原作のルビイ青年と従弟の犯罪を、ちょっと不思議な女の子と平凡なサラリーマンに置き換えてます。アイドル全盛期のキョン²と、芸の幅を広げてる最中の真田広之のコンビが異色で面白いです。 “成功しない犯罪”なんて面白い原作に目をつけて、アイドル映画に落とし込むアレンジも上手いですね。留美→ルビイってのもお洒落です。  カバンのすり替え、銀行強盗、詐欺、空き巣…殺人や誘拐じゃないにせよ、一生懸命悪事に手を染めるルビイと徹。徹が見る悪夢のように、成功したら警察に捕まって大変なんだけど、毎度毎度、何やかや失敗します。計画とか変装とか頑張ってるんだし、今度こそ犯罪を成功してほしいって気持ちと、失敗して何もない日常に戻ってホッとする気持ちが交互にポンポン繰り返されるのが心地いい。どこか、毎回マドンナにフラれる寅さんみたいな様式美を感じさせます。  自分が出した手紙を、彼氏に読まれる前に取り戻す…って、今までで一番どうしようもない犯罪計画だけど、立派な犯罪(窃盗罪)になってしまうのが、最後のエピソード。30分以下の短編TVシリーズなら、もう数話犯罪計画も追加出来たと思うけど、映画としては、ダレる前の程よい尺で終わらせたと思います。近年の邦画コメディは、このさじ加減がダラダラ長すぎたり、詰め込みすぎと感じることが多い気がします。 2人のほのぼのした犯行を、もっと観ていたい気持ちもあるけど、適当なところでスパッと終わらせた見切りが上手い。続編を創らなかったのも潔かったと感じます。まさに『こういうので良いんだよ、こういうので』って逸品でした。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-06-26 22:22:31)(良:1票)
154.  八つ墓村(1996) 《ネタバレ》 
舞台が昭和24年とのことで、石坂金田一の事件年表に当てはめると、犬神家と病院坂の間のエピソード。 あの怪作'77年版の八つ墓村のインパクトが強すぎたから、どうしても比べてしまって、結果どうにも物足りない気持ちを抱いてしまいます。だけど、市川監督の金田一シリーズって、元々こんなじゃなかったかなぁ?  今振り返ると、何で'96年のこの当時、急にポツリと八つ墓村を一本だけ映画化したんだろ?と疑問に思いますが、公開の数年前から、漫画、ドラマ、アニメで『金田一少年の事件簿』が流行ってたんですね。悪い捉え方をすると便乗ですか。 金田一と言えば市川監督。監督が映画化していなくて、人気の高いエピソードの八つ墓に、白羽の矢が立ったんでしょうね?きっと。  石坂浩二はもう55歳で金田一役はムリ。そして落ち武者狩り、32人殺しと血みどろの事件の映像化はもちろん、鍾乳洞での美也子の怖さも見事に表現した'77年版が既にあるから、似たような演出は出来ない。そして金田一少年ブームに乗るとしたら、少年少女も観に来るかも?となると、あまりに残酷すぎてもダメときたら…市川監督、とっても撮りにくかったことと思います。  小竹さん小梅さんの二役でCGは使ってますが、殺害シーンは昔ながらのマネキンみたいな人形と、ペンキみたいな血しぶき。まだジャパニーズ・ホラーの傑作『リング』が出来る2年前とは言え、平成の世に、まるで昭和のお化け屋敷のような特撮が、かえって微笑ましく思えます。 でも昔っから市川金田一ってこんなテイストだったと思うのですよ。数年前に観てるからか、割と違和感は感じなかったですよ。電線のスズメとか、釣鐘で生首がすっ飛ぶとか、今思うと結構可愛らしかったですよ。浅野ゆう子も3バカ姉妹の役だったし…って全部『獄門島』だわ。 旧来のファンは石坂金田一と'77年の八つ墓村と比較してしまうし、新しいお客には特撮が古臭く人間関係も複雑と、あまり期待に添えない作品だったんじゃないかなぁ?でも作品としては、17年ぶりに等々力警部の「良し!解った!」と、粉薬の大噴射が観られたので、良かったかな。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-06-21 21:13:14)
155.  阪急電車 片道15分の奇跡 《ネタバレ》 
どこかスバルのCMを連想させるような、ちょっとジーンとくる、電車の乗客のショートストーリー。この映画を観て原作は読んでみたいと思いました。原作小説は恐らく、一話完結の短編集なんでしょう。 映画の方は、往路と復路で季節を変えて、同じ人物のその後を描くなんて、かなり素敵なアイデアです。そして日本の映画界&ドラマ界で主役を張る、名だたる名優達が共演しているんですから、どう組み立てたって素晴らしい作品になる事でしょう。…でも何がどうしてこうなったのか。  阪急電車という共通点だけで、それぞれが独立したお話だったら、テレビドラマの短編枠で魅力を発揮できたと思うけど、映画として全部のショートストーリーを繋げてしまったから、却ってまとまりが無く感じてしまいました。 主人公が辛い目に合うけど、アレコレあって元気を取り戻す&スカッと解決するという、あまりにステレオタイプなパターンの、単に盛り合わせという感じ。 一番辛かったのはうるさいオバちゃん。『誰かがビシッと文句を言って、スカッとさせるパターンだな』とは思いましたが、往路も復路もず~~っと、ず~~~~~~~っとギャアギャア騒ぎまくるのを観るのは、正直辛い。最後のスカッとが割に合わないくらい、アレを観つづけるのがしんどかったです。 戸田恵梨香のDVも可哀想だったし、小学生のイジメも生々しくて嫌だった。女子高生が、彼氏とヤッたかどうか恥ずかしげもなく話すのも生々しいし、そうなると喫茶店でデキ婚を問い詰める修羅場も、あわせ技で辛い方に入ってしまう。この映画、スカッとホンワカする率より、辛くしんどく感じる率の方が3:7くらいで高いんじゃないか?と  中谷美紀の電車でウエディングドレスはパンチと意外性があって良かったです。ホテルでバスタオル一枚の有村架純を抱かない彼氏もカッコ良かったです。 大学生カップルの話は終始ほのぼのしてて良かったですが、CGの漫画チックな表現は、私はあまり好きではありません。ずっと前から、実写にアニメみたいな表現って、何か浮いてる気がして合わないと思っています。アメリカン・ビューティの薔薇くらいだと違和感無いんですが… うるさいオバちゃんにビシッと言う前の宮本信子の“独り言”も、ちょっとアニメっぽい表現で、実写では違和感を感じます。ここに限らず作品全体がアニメっぽく、私は「こんな人現実に居ねぇよ」と、実写としてのリアリティを感じられなかったです。いっそアニメにしてしまえば、シックリしたかもしれません。 う~ん…やっぱオバちゃんだな。往復ともずっとうるさいオバちゃんに注意アナウンスもしない阪急電車ってのが、顧客満足度低そうに思えてしまって、誰得の映画なのか解りませんでした。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2024-06-21 19:41:22)
156.  ミスター・ガラス 《ネタバレ》 
“Glass”『ガラス』。ミスターはついてないんだな。 三部作とのことですが、アンブレが1作目、スプリットが2作目前編、本作を2作目後編と考えたほうが、なんかスッキリしそうです。 前作で24人格のうち数名(8名らしい)しか出なかったのが、21(?)名分の人格が出てきていたそう。ライトを浴びるたびに人格が変わる、ジェームズ・マカヴォイの演技は凄い。これ、前作でこれだけの人格が出ていたら、観る側がパンクしていたと思うし、前作でヘドウィグやパトリシアといった特徴ある人格を強調していたことが、本作で凄く活きている。  アニャの続投は予想の範囲内だったけど、パッと見で“ダンの息子だ!”って解ったジョセフの再登場は嬉しかったな。イライジャ・ママもおんなじ俳優さんだったのも嬉しい。 そして本作のテーマ、『スーパーヒーローは実在するか?』を、精神科医との討論で崩していく展開は予想外で面白いと思った。大槻教授ザ・ムービー。出来ればその方向で、もう少し引っ張ってほしかった。あの女医さんも実は特殊能力者ってオチを予想したけど、ちょっと違ってたな。  最後はアンブレの世界観を壊さない、ヒーローVSヴィランの対決。そこまでは良いとして、その先この結末で良いのか?って思ってしまう。ヒーローが勝ちも負けもしないで、あぁなってしまうとは…予想外だったけど、「で?結局なんだったの?」って消化不良な感じも残る結末。 予告編とか凄く面白そうなんだけど、映画を観終わった後、観る前以上の満足感を得られないんだよね。もう少しエンタメ寄りな作品になるよう、アドバイスしてくれる人を身近に置いたら、満足感の高い映画が撮れると思うんだけどな。チアガール4人を手錠掛けて吊るすなんて画を思いつくとか、やっぱ映画の観せ方が上手い人だと思うよ、シャマラン監督。
[DVD(字幕)] 5点(2024-06-19 22:36:06)
157.  ミンボーの女 《ネタバレ》 
これもまた凄い映画です。今までの伊丹監督の映画にもヤクザは出てきましたが、本作は伊丹版ヤクザ映画でしょうか? 昭和の時代、芸能界とヤクザは切っても切れない関係だったと聞きます。だからかどうか解りませんが、ヤクザ映画は邦画の一大ジャンルを占め、そこに登場するヤクザは、入れ墨してて怖いんだけど、男気があってカッコイイ主人公が多いんですよね。ある意味、ヤクザのイメージアップに貢献していたんじゃないでしょうか。鶴田浩二や高倉健、菅原文太に憧れて、その道に足を踏み込んだ若者も、少なくなかったことでしょう。  一方、本作のヤクザは弱いものから金を巻き上げる、怖くて悪いだけのヤクザです。しかも人を騙し、弱みを握って、罠に嵌めて、恫喝して金を巻き上げる、手口も汚いし、お世辞にもカッコイイとは思えないヤクザです。ヤクザ映画と伊丹映画。実際に私達の周りにいるヤクザって、どっちなんでしょうかね? 怖いヤクザの化けの皮を一枚一枚剥がし、恫喝は出来ても、そう簡単に暴力は振るえないヤクザの実態を丸裸にしてみせます。映画を観る私達も、セキュリティ対策の鈴木と若杉のように、まひるから対策を学び、「もうヤクザなんて怖くない!」とまで思わせる力量は見事です。集団でホテルに来たヤクザの一団を、鈴木がホテルマンたちの先頭に立って、涼しい顔で撃退するシーンは本当にスカッとします。  伊丹監督が、ヤクザを敵に回す覚悟があって本作を制作したのかは疑問です。脱税、宗教団体&地上げ屋ときて、今度はヤクザの実態を暴くハウトゥを映画にしてみようか…。なんて具合に、単に娯楽としてスタートした可能性は否定できないですよね。 前作『あげまん』が思いのほか公開後の評判が良くなかったためか、本作は伊丹監督らしいスタンダードな仕上がりとなっています。 ただ当時は、こんなにクオリティ高いのに、マルサと同じようなジャンルが続いてしまい、“伊丹監督ってこういうのしか面白く撮れないのかな”なんて、マンネリ感を感じてしまっていたように思います。今思うと贅沢な考えですよね。 公開直後の伊丹監督襲撃事件は、却って監督を本気にさせてしまったのかもしれません。いわば襲撃も、映画を見た観客のレスポンスの一つ。自分が暴こうとした真相に近づいた証拠!くらいに思っていたのかな?なんて。 今となっては真相は解りませんが、映画業界が持ち上げたヤクザのイメージを、地の底に突き落とす力を持った映画なのは、間違いありません。
[地上波(邦画)] 8点(2024-06-18 22:18:56)(良:1票)
158.  或る夜の出来事 《ネタバレ》 
“It Happened One Night”『それはある夜に起きた』とかでしょうか?ずっと『或る“ヨル”の出来事』だと思ってた。 一括りにすると昔のラブコメ映画ではありますが、昔もむかし1930年代の、それも前半の作品。当時トーキー映画が徐々に出てきて、でもまだチャップリンがサイレント映画やってた時代に、これだけスタイリッシュでスピーディでテンポの良い、それこそ『ローマの休日(本作より20年もあとの作品)』と比較される作品が創られていたなんて、ただただ驚きです。まるで時代のオーパーツのような映画です。  古い映画を観ていると『何でこの若い美女が、こんな初老の男と?』なんて不思議に思うことがあります。まだこの当時、淑女は紳士の添え物と考えられていたんだろうな、と解釈してます。でも本作のピーターは、世間知らずのエリーをリードこそしますが、きちんと対等の関係を示しているように感じます。ドーナツの浸し方も、男が女に教えてやってるという説教臭さは感じられません。…てか女性はコーヒーに浸すなんて下品な食べ方、しなかったと思います。 部屋を借りる際、毛布で『ジェリコの壁』を作るとこなんて紳士的だし、エリーの目の前で生着替え。シャツを脱いで、次はズボンと見せかけて靴に行くユーモアというか気遣い。エリーが壁に放ったストッキングをしまうように言うところも、凄く格好良く思いました。 ピーターが自信満々のヒッチハイクを披露してからの、エリーのあんよチラリでアッサリ勝ってしまうとこなんて、たぶん'80年代くらいの作品までは、余裕でパクられてるネタですよね。2人の関係が対等だから成り立つ勝負が、とても微笑ましく思えます。 クライマックスは結婚式からの大逆転。そしてジェリコの壁とラッパ。シンプルだけど幸せいっぱいなラストが良いですね。  もし、漠然と古い映画に興味を持った人に、何を観たら良いか聞かれたら、私は迷わずこの映画をオススメします。 ちなみにこれまで827本の映画レビューを書かせて頂いていますが、本作より古い映画のレビューは、たった6本だけでした。今から90年前なんだってこの映画。90年前のラブコメが今でも楽しく観られるなんて、凄いよね。
[ビデオ(字幕)] 9点(2024-06-17 22:29:46)(良:1票)
159.  12人の優しい日本人 《ネタバレ》 
数年前に先にコッチ観て、先日ルメットのホンモノを観て、またコッチ観てみました。どっちも面白かったです。 12人がそれぞれ意見を出して、有罪・無罪が二転三転する。もう2~3作品バリエーションが作れそうな気がするくらい、シチュエーション自体が面白いんですね。コレもし、タイトルがここまで思いっきりでなかったら、私なんて鬼の首取ったかのごとくパクり認定レビューしてたかもしれません。  日本は裁判員制度が導入されていますが、公開当時は映画のような制度はなく、“もしも日本に陪審員制度が導入されていたら?”といった、いわゆるSFシミュレーション作品だったとも言えます。タイトルの『男』の部分を『日本人』にしているのは、女性も参加しているのはもちろん、『日本は人種問題を考えなくていい、一億総中流(貧富の差が少ない)の、単一民族国家だから。』というタイトルジョークだったんでしょう。今だとちょっと問題に思われる可能性がありますが、'91年の洒落たタイトルだと思います。  真相の解明はないので、彼らの議論に突っ込んでも仕方ない作品ですので、12人の話し合いを静かに見守ります。陪審員13号の私としては、目撃者のおばさんが「死んじゃえー!」って聞いていたことに違和感を感じました。彼女の耳が信用できず、クラクションの信憑性が疑わしいのに、どうして「死んじゃえー!」はキッチリ覚えていたのか?『死ねー!とか殺してやるー!とかナントカ言ってました。』ならともかく、ハッキリと「死んじゃえー!」は、ネタ振りとして出来すぎじゃないでしょーか?※いや作品へのツッコミではなくこんなセリフで映画に参加したいなって思っただけです。  この当時日本が陪審員制度導入に動いていたかは知りませんが、このSF作品は、タイトルの『優しい』が示す通り、一般の日本人には、心を鬼にした判決は出せないのでは?という答えを出していたように思えます。陪審員8号の「だけど、ホンネ言うと彼女、殺してるんですよね~?」なんてとてもリアルです。そして陪審員長の過去の経験談は、有罪に一票を入れるその先を想像させます。 ルメットの作品では純粋に少年が有罪か無罪かを考え、本作では自分が、有罪と思えた時に有罪と言えるかどうか?を考えさせられました。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-06-17 20:09:03)
160.  JFK 《ネタバレ》 
“JFK”ケネディ元大統領と呼んでいた当時、少なくとも日本国内で、このイニシャルで誰を意味するのかを根付かせたタイトルでした。暗殺の映像は、テレビの『カメラが捉えた決定的瞬間』とかで何度か観ていました。確か初の衛星生中継で、日本でも暗殺事件が放送されたって言うから、ザプルーダー・フィルムがお茶の間でババーンと流れたものだと思ってましたよ、私は。  ネットの普及する前の時代、自ら劇場に足を運んで観に行く映画は、小さな子供も観る規制だらけのテレビより、より突っ込んだ真実に触れられる貴重な媒体でもありました。映画に先駆け『ケネディ大統領は政府に暗殺された…らしい』なんて陰謀論は聞いていたと思いますが、具体的に何がどう行われたのか?は、この映画で知りました。  3時間にも及ぶ映画は、暗殺が行われた当時から再現していきます。まず型通りの捜査をして、その3年後から暗殺事件としてドラマが動き出します。そして最後の約1時間を使った、クレイ・ショー裁判の迫力たるや、圧巻の一言です。公開当時はこの裁判シーンの模型の精密さに驚いていました。記録映像と綿密な証言から再現されたであろうジオラマ模型は、どこにどんな人物がいたのか、服の色から立ち位置まで、ここまで再現するのかという、捜査に対する執念に似たものを感じさせました。 そして“魔法の銃弾”のデタラメさ。実行がほぼ不可能なオズワルドのその日の足取り。テレビで観た暗殺の瞬間を、何度も何度も繰り返し流すことで、映画を観ている私も一緒に検証する感覚。数秒のフィルムの裏で1963年11月22日12時30分に何が起きたのか。それを3時間掛けて考えるというのは、とても貴重な体験でした。  先日、『13デイズ』を観てCGの再現度と可能性に驚いたばかりですが、改めてCG導入前の本作を観ると'60年代の“再現”も凄かったです。当時の車を配置するのは解りやすい記号ですが、服装、髪型、建造物と何処にもスキがありません。オズワルドの犯行再現で、教科書倉庫ビルからライフルを構えるギャリソン。ディーリー・プラザの俯瞰図の'60年代っぽさは、どれだけお金掛かってるんだろう?と心配になるほどです。この俯瞰図がしっかり再現されているから、裁判でのジオラマ模型の再現度がより引き立ってるんでしょうね。
[映画館(字幕)] 8点(2024-06-16 15:47:33)
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