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マーチェンカさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 206
性別 男性
ブログのURL https://www.jtnews.jp/blog/22117/
年齢 43歳

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ゲド戦記 《ネタバレ》 
あくまで個人的な感想として採点をさせてもらうと、「劇場公開当時にしっかり2度見に行き、その後DVDも買い、また最近TV放送で見返してもある種の感銘を受けた」くらい好きな作品であるという意味で、この点数としました。  作品の内容やテーマといった事以前に、僕自身はこの映画に関して何より「作品世界の構築のなされ方」それ自体が大好きなのです。例えばゲドとアレンがたどり着くホートタウンや、テナーとテルーが住む家、そして畑の描写など、いずれも「街」としての、あるいは「村中の家」としての生活感が漂う、「生々しい」とも言えるほどの精緻な造形がとても印象的でした。  そして僕自身は、それらの丁寧な作品世界の構築により、見ていて実際にその土地を踏み、その空気を吸っているかのような臨場感を得ることができました。何よりそれら一つ一つの「街」や「村」を含めた、一つの世界としての「手触り」が、作品から感じられる点が素晴らしいと思います。  もちろんこのような「世界観の構築」にあたっては、ル=グウィンによる原作の存在や、あるいは原案としての『シュナの旅』(作者は他ならぬ宮崎駿監督)の存在が、大いに参考になっている面もあるとは思います(例えば上記ホートタウンの描写など)。しかしそういった「オリジナル」があるとはいえ、最終的にそれを映像化し、一つの「世界」としてのまとまりを与えるのは、他ならぬ監督の手腕によるのではないかと思います。  それは恐らく、上記「原作」の注意深い吟味と、そして吟味する側のある種の「主体性」といったもの無しには、成し遂げられないものでしょう。そして吾朗監督は、宮崎駿やル=グウィンといった「偉大な先人」の手による原作に臆することなく取り組み、「自分自身でそれらから読み取ったもの」を、やはり臆さずに作品に注ぎ込んでいると思いました。そしてその結果としての、あの「独自の手触りのある世界観の造形」なのだと思います。  また肝心の「内容そのもの」に関しても、僕自身はその「生と死の認識」に、ある種の感銘を受けました。原作にも存在するこの重要なテーマを吾朗監督は正確に読み取り、それをジブリらしい少年少女の物語に置き換えることにより、印象的に表現していると思います。あるいはその表現の仕方の「強度」からすると、こういう「生と死」の問題意識は、もともと吾朗監督の中にも存在していたのかもしれません。  ただし表現に教条的な部分があったり、言葉での説明に重きが置かれ過ぎている部分が存在する一方で、ある部分では内的イメージが何の説明もなく全面的に打ち出されていて作りがかなりアンバランスであるなど、僭越ながら「未熟」という言葉がちらついてしまう瞬間があるのも事実です。  そして個人的に現状のこのような激しい批判・非難の原因として、こういう内省的(あるいは内向的)な作風を一本の娯楽映画の中で、よりによって「ジブリ映画」という看板を背負いながら貫いてしまった点があるのではないかと思います。  しかし個人的には、「二世監督」といった世間の目や、あるいは原作「ゲド戦記」の偉大さといった要因をものともせずに、泥臭く真摯に原作と取り組み、自分なりの表現で作品を完成させた吾朗監督に、無条件で敬意を表したいと思います(「ぐるぐる」さん、締めの段落が微妙にかぶってしまいました・・・どうしても言いたかったことなので申し訳ないです(^^;))
[地上波(邦画)] 9点(2011-08-09 15:19:20)
2.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
<『特別篇』を見た上でのレビューです。3D上映で鑑賞しました>  映像の革新性は言うまでも無いと思いますが、その一方で物語には(偉そうな言い方になってしまいますが)悪い意味での「アメリカ娯楽映画的な安易さ」がちらついてしまう瞬間が少なからずあるのも事実だと思います。個人的には、そもそも「既に人間が資源を求めて異星を略奪している」という設定からして、「今の時代いい加減そういう『無批判に侵略を描く』という態度は無いだろう」という違和感を感じてしまいます。  しかしそれにも関わらず、この映画は魅力的だと感じました。僕自身はあまり熱心なキャメロン・ファンではありませんが、ただ折に触れて彼の作り出す「生々しい臨場感」はそれなりに楽しんできましたし、そういう「臨場感へのこだわり」が、「強い女性」というモチーフと並んでキャメロン監督の持ち味だと感じてきました。そして個人的にはこの「臨場感へのこだわり」という点に関して、この作品はある種の到達点にたどり着いたと思います(個人的には、あの「翼竜」を手なずける儀式のために訪れた高地の底知れなさが見事だと思いました)。  またキャメロン監督が、この作品に関して宮崎アニメ(特に『もののけ姫』)からの影響を公言してはばからないだけあって、ナヴィたちやパンドラの生物(つまり「自然」)とジェイク(人間)との「交流」の描き方も、かなり印象的だと感じました。例えば(アバターになっている)ジェイクが自分の翼竜を手なずけた直後の様子など、一宮崎アニメ好きとしてはニヤリとしてしまいます。ただし森や生物とナヴィ(そして当然人間)との関係に、どこか「人間の現世的な利害の一致の関係」の影を振り払いきれないところなど、深遠極まりない宮崎アニメをそれなりに見続けてきた一ジブリ・ファンとしては「もう一歩かな」という気持ちを拭い去れないのですが。  しかしそういう宮崎アニメを髣髴させるシーンばかりでなく、例えばラストの「人間のままのジェイクとネイティリとの始めての出会い」という、単なる宮崎アニメの模倣ではないこの映画独自の魅力を持ったシーンも存在すると思います。「大きく猛々しい女性」が「小さくか弱い男性」をやさしく労わる様子など、ある意味「究極のキャメロン節」ではないかとも思いますし、僕自身このシーンが大好きです。  そして僕にとって、何よりジェイクが「足を治す」という選択肢を蹴ってまで自分の意志を貫いたその様子が、強く印象に残りました。このジェイクの決断に関しては、「足も治そうと思えば治せた」という点が劇中できちんと示されているだけに、説得力があると感じました。  先にも書いたようにこの作品には「独自の魅力」と「ありきたり・安易な部分」が混在していると思いますし、僕自身、今後この作品を見返したときに、もしかしたら評価を下げることもあるかもしれません。しかしそういう「ありきたりな部分」の存在にもかかわらず、それ以外の「魅力」といったものがより大きな比重を占めていると僕は感じますし、また映画館の大画面でこの作品の迫力を感じることができた満足感が現時点では加わっていますので、 この点数ということにしたいと思います。
[映画館(吹替)] 9点(2010-10-24 20:35:23)
3.  スカイ・クロラ The Sky Crawlers 《ネタバレ》 
押井作品に関しては、『天使のたまご』は見ているものの『ビューティフル・ドリーマー』は見ていないという中途半端なフォローしかしていませんので、この作品にコメントをするのもおこがましいとは思うのですが、あくまで「この作品を見た限りにおいて感じたこと」として、レビューをさせてもらいたいと思います。  まず個人的な感想として、「明らかにこれまでの押井作品と比べて、前進しようとする『意志』は強く感じられる」と思いました。誰しも「日々の生活の『ループ感』」と言うのは、程度の大小こそあれ感じることだとは思うのですが、「それを耐えられるようになってこそ大人なんだ」という風にばっさりと切り捨てるのではなく、ドン・キホーテ的な無益さを承知の上で「そうではない」とはっきり言っているところに、押井監督の「真剣さ」といったものを感じました。この点に関しては、僕は何も言うつもりはありませんし、無条件で敬意を表したいと思います。  しかし僕が気になるのは、そういう「ループ感」に捉われている人々の描写と言うのが、あまりにも「その状況に耽溺しすぎている」という風に見えてしまい、それがまた劇中BGMの切なさも相まって何とも甘美に感じられてしまう点です。具体的に言うなら、前~中盤のそういう「状況に捉われた」描写が、「結局は何をやっても負け戦になる」という前提になっているように見えてしまい、それゆえに終盤のあの展開に否応なく「敗者の美学」みたいな、何か危険な「甘さ」のようなものが付いて回るように見えてしまうのです。  ここからは完全に(未経験な若輩者である)僕のわがままになってしまうのですが、せめて映画の中では(と言うより現実をはるかに飛び越える可能性もある映画の中だからこそ)、そういう「甘美さ」を抜きにして、「敗者になること」を前提とした勝ち目の無いものではなく、せめて拮抗しているか、あるいはそういう「勝ち負け」をポンと飛び越した状況を経た上で、「人間性の勝利」みたいなものが垣間見える瞬間を見てみたいのです・・・と言うより、今現在の僕の個人的な嗜好として、製作者自身も「何とかそういう方向を手放さずに格闘する」ような作品をより多く見てみたいと思います。  (とは言え、こういう種類の「甘さ」と言うのは、僕が見てきた数少ない押井作品の数々(とりわけ『天使のたまご』)の中からも感じられた、言ってみれば「押井作品の持ち味」と言っても良いものなのかもしれませんが・・・)  そういう意味では、この作品は僕にとって「決して駄作ではないが、かといって無条件に礼賛するのも危険な作品である」という位置づけになります。  しかしそうは言いながらもこういう「甘美さ」には、個人的に抗いがたい魅力を感じますし、また最後まで見てみれば、この作品が決してそういう風に「耽溺する」つもりで終わっているわけではない事も窺えます。従って僕自身は、この映画に備わる「甘美さ」に関しては、ごくたまに味わう高級なお酒みたいなものとして捉える事にし、ラストに存在する「前進する意志」だけを、極力心に留めておきたいと思いました。   そういう「前進する意志」という意味において、ラストでスイトが煙草を吸わなかったシーンが大変力強く印象に残ります。それまでの「日々のルーティン」から意識的に抜け出し「煙草を吸わなくなった」上司として、この後新たにカンナミの後任に就いた人物に対して、彼女が一体何を言おうとするのか、想像したくなります。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2010-08-17 00:30:53)(良:3票)
4.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 
この映画、本当に大好きです。個人的に、  1:グロ過ぎない(何にせよ「飛び散らない、千切れない、痛がり過ぎない」) 2:突然びっくりさせない  というネガティブ基準に加え、  1:雰囲気が好奇心(怖いもの見たさ)をそそる 2:出てくるものが何だか訳がわからない 3:上記2点があくまで「徐々に」漂う・姿を見せる  というポジティブ基準を満たしていればSF・ホラー・サスペンスにせよ大好きになるのですが(どれだけ気が小さいのかと^^:)、そういう基準で言うとこの作品は完全に僕の好みに直球で訴える作品でした。  冒頭の謎の雷やトライポッド襲来の様子などといった正統派SF的な「掴み」の上手さが何とも面白く、安心して楽しめる作品だと思うのですが、そんな中にあって微妙にうまくいっていない家族関係、パニックに陥る人間たちといった、バックグラウンドとなる人間たちの描写が意外にしっかりしているのも見どころだと思います。  個人的にはティム・ロビンスの異常ぶりが、「敵は決して外部だけにいるとは限らない」という点に関して妙にリアルに感じられました。   <追記(H22/9/4)>改めて見直してみたのですが、ティム・ロビンス演じるオギルビーの扱いがさすがにちょっと安易と言うか、「異物は死をもって排除する」という姿勢があからさまに出すぎていて、この点だけは安易に見過ごしてはいけないような気がしました。この一連の場面に限らず、この映画には「仕方なしに他人を死地に見捨てる」場面が多々存在しますが、このオギルビーに関わる場面以外に関しては、そういう状況に他人を捨てておくのに相応な「理由」や「状況」というものが(あくまで「映画的に」、ということですが)示されるのに対し、この場面に限ってはそういう「やるだけのことはやった」といった「選びようの無さ」というものが余り見えてこない気がしました。  しかしそれにも関わらず(と言うかその点のみを、個人的な「受け入れるべきでない点」として考慮したとしても)、作品全体で見れば依然として大好きな映画であることに変わりはありません。スピルバーグらしい、「ツボはすべて心得ている」といった趣の娯楽性はもとより、トム・クルーズ演じるレイのダメぶり・不器用ぶりが、個人的に何とも共感を覚えてしまい、それだけにその不器用さを通してしか表現できない「愛情」といったものが、際立って印象的だと感じました。オギルビーの地下室にかくまわれた当初に、子守唄をレイチェルからねだられて何一つ彼女の希望の歌を歌えず、ようやく自分の知っている歌を歌って精一杯の愛情表現を行うレイの姿が、今回見直してみて特に印象深く感じました。   個人的には、最初の方であれだけ子供たちにダメぶりを見せ付け、子供たちも言うことを聞こうとしなかったレイに対し、ロビーが自主的に「お父さん」と呼ぶようになったあのラストシーンこそ、まさにこの映画にふさわしいカタルシスの備わった場面だと思いました。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2010-08-15 15:51:58)
5.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 
まず最初に書いておきたいのですが、タオの家が襲われて以降のあの一連の物語の流れ、あれに関しては僕は釈然としない思いを拭い去れません。僕自身は、「死をもってささげる好意よりも生きたままで持ち続ける交流の方が守りにくく、それだけに一層そちらの方が尊い」と感じるからです。それに普通に考えても、「復讐よりはまずは『警察に通報』だろう」と考えてしまいます。ましてや映画の中盤まで、あれだけ「掛け替えのない」交流を深めてきたウォルトとモン族(とりわけタオ)との「関係」があるのだし、たとえウォルトが病気で死にかけていたとしても(もしかしたらそれゆえ先が長くないだけ余計に)、残された時間における彼らとの「関係」は一層貴重なものになるのではないかと思ってしまうのです。  また、「『あいつら』がいる限りタオとスーには平和は訪れない」といった内容のウォルトのセリフがあり、そのセリフの意味に乗っかった上でのあのラストの展開がやってきますが、僕はあれも結局は対症療法でしかなく、厳しい(そして身勝手な)言い方になってしまいますがそれは最終的にはタオ自身の問題の解決になっていないのではないかと思うのです。劇中のタオ自身には、劇が進むにつれて「たくましさ」の感触が少しずつ感じられてくるのですが、それを差し引いてもなお、「『あいつら』みたいな『やつら』がゴロゴロいるこの世界にあって、あんな解決ではタオ自身が、この先自分の力だけで新たな『あいつら』に対処していけるかわからない」という気持ちが残ってしまいます。  ・・・と、ここまで不平みたいなものを述べては来たのですが、しかしそれにも関わらず、僕はこの映画が大変好きになってしまいました(今回レンタルで見たのが初見です)。それは何を置いても、劇中でのウォルトとモン族、そして言うまでもなくタオとの交流が非常に心温まるものに感じられたからです。同胞であるモン族のギャングたちは「一人前になるための儀式」としてタオにグラントリノを盗ませようとしますが、本当に「一人前」になるためのきっかけを与えてくれたのは、そのグラントリノの持ち主である異人種の老人であり、また血を分けた家族の中で寒々とした思いを味わい続けてきたウォルトの心を再び暖めたのは、やはり異人種の人々であり、とりわけ一人の少年の存在でした。  僕自身は以上の理由から、単純に彼ら二人を「精神的境遇の似た者同士」と見ていたような気がします。そしてそんな潜在的な「似た者同士」を、全くの異人種間でお互いが見出したことが、僕にはとても印象的でした。  また上記僕の不満めいた感想にもかかわらず、例えばラストのあのウォルトの遺言状の口ぶりが、相変わらず辛辣な皮肉屋っぽい響きを失っていなかった点などによって、何だかんだ言ってそういうご都合主義的なように見えるところまで「これは映画だ」と割り切らせる気持ちにもさせます。そしてその結果、映画を観終わった後に残るのは、僕にとって一番印象深かった「老人と少年の交流、そして双方の成長」という大変優しい、そして力強い光景なのです。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2010-08-11 23:47:12)(良:3票)
6.  チェンジリング(2008) 《ネタバレ》 
映画館で初めて見た時には劇中のクリスティンの状況に激しく心を揺さぶられましたし、最近改めて見直してからもその点は一切変わりなかったのですが、今回見返してみて漠然と思ったのは、「組織に埋没している人間が一番『非人間的』になる可能性があるものなのだな」という感慨であり、また「そういう点をかなり強調してこの作品は作られている」という印象でした。  それは例えば劇中でニセのウォルター少年が「自分は警察から『ウォルターを名乗れ』と言われたのだ」と叫ぶ場面や、あるいはあの凶悪犯ノースコットさえも、(劇中「警察から」と特定はしないものの)「<誰か>から『ウォルター少年を殺した』とクリスティンに言うこと」を「強要」されているようなそぶりを見せる描写などからも感じられました(それは劇中後半で「ウォルターが逃げ出した」ことが明かされることからも窺えると思います)。さらに言うなら、この犯人と母親との緊迫の対面場面において、僕はむしろ自身死刑が迫っている(何もかもどうでも良いという投げやりな心理になってもおかしくない)身でありながら、それでも「嘘をつきたくない」という信念に基づいて、「ウォルターを殺した」という(事実に反した)言葉を一切口に出さなかったノースコットに、ある種の「誠実さ」すら見てしまうのです。  そして上記ロス市警に属する(ヤバラ刑事を除いた)上層部やあの精神病院の面々の腐敗ぶりの横にこのノースコットを置いた時、(あくまで「映画の中だけ」に限ったことですが)あの凶悪犯でさえ、(遅すぎたとはいえ)「信念に基づいて『真実』に逆らわずに行動している」だけ、僕には何とも「人間的」に見えてしまうのです。  それだけでなく、この作品には例えばノースコットに殺人の方棒を担がされるクラーク少年や、あるいは事件の7年後に初めて名乗り出た生存者の少年のように、「激しく悔いる」人物が登場します。そして彼らに共通しているのは、最後には「自分の気持ち」に逆らわず、それに従って行動をするという点です。そして僕自身はこの点に、作中極めてイノセントに自分の信念を行動に移すクリスティンと他の(組織に属した人々以外の)登場人物を結ぶ「共通の糸」を見る思いがします。  個人的にはこういった点に、「真実を曲げない」という信念を持った人々への製作者側の(あるいは監督自身でしょうか)共感といったものを感じます。もしかしたら実際の事件から色々と脚色が加えられているのかもしれませんが、僕自身はそういう点とは関係なく、「組織(や、あるいは漠然と「自分より大きいもの」)に埋没せずいかに『真実』を曲げずに生きていけるか」という点を切実に思い返す契機となっただけで、この作品は称賛に値すると思えました。
[ブルーレイ(字幕)] 10点(2010-08-10 22:00:22)(良:2票)
7.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
劇場公開当時、久しぶりの宮崎作品と言うことで、座席でワクワクしながら上映開始を待っていた時のことです。僕の左手からジュースを載せたトレイを手に、一人の女の子が僕の方に近づいて来ました。その子は僕の右隣の席を指定されていたのですが、そのトレイを持つ手が何とも危なっかしくプルプルと震えているのです。  「あの子大丈夫かな」と思った瞬間、その子は僕のズボンに派手にジュースをぶちまけました。  すぐに「うわっ、ごめんなさい!」とその子は謝ってくれたのですが、ズボンも座席もビショビショで気持ち悪く、正直言って返答する気には全くなりませんでした。それを見かねたのでしょう、僕の左隣に座っていたカップルのうちの彼氏さんが、「これ良かったらどうぞ」とポケットティッシュを手渡してくれました(本当に有難かったです)。その後重ねてその女の子から「本当にごめんなさい」ともう一度謝罪の言葉がありましたが、さすがに無視する訳にも行かなかったので今回は一応返答したものの、それも「あ~ハイハイ」という素気ない響きでしかできませんでした。  「よりによってこんな時に。ホント最悪だ」とムシャクシャした気持ちで上映開始を迎えました。そして上映開始からしばらくして、そんな自分の状態の全てが吹っ飛んでしまう程に、作品に圧倒されることになりました。  もう本当に、映画の中で展開される、「原初的」としか表現しようのない純粋な喜びやイメージの奔流を前に、「空いた口が塞がらない」という状態を初めて経験しました。僕自身は浅く短い映画鑑賞歴しか持ち合わせていませんが、それでも僕は、これまで見てきた映画の中でも、これだけシンプルに心を動かす力強い作品には出会ったことがないと、そう言いたい気持ちになります。物語の後半、グランマンマーレが海に戻っていくあの感動的な場面に至っては、正直な話僕は涙を堪え切れず、手に持っていたポニョの団扇で顔を隠していたこともよく覚えています。  前置きの部分が長くなってしまいましたが、自分にとって色々な意味で思い出深い初鑑賞の日だったので、色々書かせてもらいました。ちなみに上映終了時には、僕の機嫌はすっかり治ってしまっていました。あの女の子に対する態度についても、ちょっと素気無さ過ぎたかなとも思いました。手元にある『ポニョ』のDVDのイラストを見たりすると、その子のことも少し思い出したりします。
[映画館(邦画)] 10点(2009-10-03 13:11:14)(良:2票)
8.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 《ネタバレ》 
『序』の内容が本当に素晴らしかったので、今回のこの『破』も、大変期待しながら劇場に足を運びました。そしてその期待は、個人的に全く裏切られることがありませんでした。  例えばミサトとリョウジの関係から「ただれた」「腐れ縁」的なにおいが綺麗に洗い流された事なども印象的でしたし、終盤の展開も大変感動的だったのですが、ここでは特に劇中での「音楽の扱い」について書きたいと思います。  旧TV版では「遠景」的にしか流れなかった挿入歌が、この『破』では人物たちの生活に食い込む形で積極的に扱われています。懐メロ(外界)が否応なく人物たちの生活(内面)に食い込んでくるさまは新鮮なものでした(この点旧TV版の場合、街中などで流れている歌はあくまで背景という感じであり、作中人物たちの心情とも殆どリンクしていません。個人的にはTV版における、外界と人物の内面との隔たりを強く感じさせられる瞬間でもありました)。  個人的に「内面に閉じこもってばかり」という印象を残しがちだった旧TV版とは違い、その「閉じこもる」方向を根本から打ち消す「外界」としての役割を与えられた劇中音楽に違和感を感じることはありませんでしたし、そのような「外部の音」を自然に受け入れるシンジやミサト達の姿に、ある種のたくましさや強さを感じたりもしました。  そしてその延長線上にある演出として、劇中での「今日の日はさようなら」や「翼をください」の使用があるのだと思います。僕は実は「(某人物)が3号機に乗る」事の重要性を、劇場鑑賞後に確認するまで気が付きませんでした。また物語後半における有名な「最強の使徒」戦の場合、耳学問という形でしか旧TV版の展開を知りませんでした。しかしそれにも関らず、上記2曲の効果的な使用とも相まって、僕自身はそれらのシーンを、この『破』単独の見所として楽しめました。  旧TV版を良く知っている方なら、「一粒で二度おいしい」的な楽しみ方をすることができると思います(むしろ個人的には、庵野監督は旧作からエヴァをフォローし続けている古くからのファンにこそサービスをしたいという意図もあって、このエヴァの「破」壊を試みられたのではないかという気がします)。しかしそれと同時に僕自身は、「旧作との比較」という点で極めて不十分な形でしか鑑賞できなかったこの『破』に対して、作品単独で非常に満足できたことも重ねて書いておきたいと思います。
[映画館(邦画)] 10点(2009-07-19 01:23:07)(良:1票)
9.  宮廷画家ゴヤは見た 《ネタバレ》 
電灯の無い時代と言う舞台を意識した薄暗い画面作りや、意外に緊迫した娯楽性のある内容(これがいわゆるフォアマン作品らしいところなのかなと、素人ながらに感じました)はもとより、何よりも作品における真の主人公と言えるロレンソのその姿が特に印象に残りました。  僕が見た限りでは、ロレンソは最後にあえて死刑を選ぶまで、自分自身の信念らしい信念を持ち合わせていなかったのではないかと思います。スペインで神父をしていた時代のロレンソのその嫌らしい偽善者振りや、フランス逃亡後の居丈高な調子(実はいずれも自分にとって大変生々しく身近に感じてしまいました)・・・どちらも背後に透けて見えるのはロレンソ自身の、臆病さと裏腹になった傲慢さです。そして痛みや危難に際して、ロレンソは簡単に信仰を捨ててしまうのです。  最後の最後で教会の高僧から、「死を選ぶか再度信仰に戻るか」という二者選択を迫られますが、その際ロレンソはあえて屈辱的な状況で命を長らえる事を拒み、自ら進んで死に赴く事を選びます。その理由は劇中言葉では説明されませんが、僕自身は、もはやその時ロレンソの中にはフランス革命の理想も、またその革命に殉じるという悲壮な決意も存在しなかったのではないかと思います。ただそこにあるのは、自分自身の「意地」のようなもの、もう自分自身の中で何もブレたりはしないという、「自分の良心」への忠実といったものだったのではないかと思います。  椅子に縛られたままガタガタ震えるほどに死を怖れつつ、それでもなお死を選んでまで意地を通したロレンソは、最後の最後に「信念の人」になれたのだと思いました。また神父時代に自らが凌辱したイネスの、ロレンソに向けられた真っ直ぐな笑顔は、孤立無援で死に赴くロレンソに手向けられたせめてもの祝福だったのだと僕は思います。それに対して引きつりながらも笑顔を返したロレンソを見ると、彼自身も少しは報われたのではないかと思い、何だか僕まで少し救われたように感じてしまいました。
[映画館(字幕)] 10点(2008-10-23 22:34:26)
10.  ダークナイト(2008) 《ネタバレ》 
<<かなり核心的なネタバレをしています。未見の方注意!!!>>まずは一言、通常のハリウッド映画の定石というガチガチの「枠」を踏み出して、およそ2時間半という長丁場をものともせず緊張感を維持し続けたその内容と、僕自身が最初から最後までその内容にのめりこんで鑑賞することができたことに関して、この映画に感謝したいと思います。  9点と言う点数は、二転三転して観客を振り回すそのストーリーと、観る者を圧倒するアクション、そして個人的には、「高潔で良心的」なゴードン警部を演じたゲイリー・オールドマンに対して差し上げたいと思います。  ではなぜ満点ではないのか・・・個人的には、この映画のテーマの根幹に係ると思われる「ダーク」な部分、つまり「暗部」についての解釈に、やや釈然としない思いを抱いたからです。  人間の「暗さ」というのは、どの人間も等しく持ち合わせているものだと思います。この映画でも至る所にその「暗部」が、ある時にはちらついたり、ある時にはあからさまな狂気と共に描かれます。  その「暗部」についての描写(あるいは「闇」と対比された「光」の部分)に対して、「映画」という一貫性のある表現形態で形にする必要があったという事情を考慮したとしても、余りにも「今の時代」の暗い雰囲気を意識し過ぎているのではないかと僕は感じられたのです。その気持ちは、僕の場合は作品がクライマックスを迎えるにつれてより募っていきました。  たとえば作品ラストでバットマンが「ダークナイト」として「罪」を引き受ける場面についても、「古風」と言われればそれまでなのですが、僕は正義を行うのであれば、たとえ良かれと思ったことであっても自分の中に「偽り」を抱え込むべきではないし、また「偽り」を抱えたままではそれまでのようなまともな「行動」もできなくなるのではないかと、思ってしまうのです。  しかしその一方で、高潔でまっさらな「ヒーロー」というものが成立しにくいという今の時代に、そのあたりの屈折した感情をも背負った「アンチヒーロー」として形作られた「バットマン=ウェイン」という存在を、大変魅力的にも感じます。個人的に上記の「違和感」は否定しきれないのですが、一本の作品としては、単なる「娯楽映画」という枠を突き抜けた重い感触を観客に残す力のある、素晴らしい映画だと感じました。
[映画館(字幕)] 9点(2008-08-17 02:06:13)
11.  ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 《ネタバレ》 
最近になって庵野監督の奥様である安野モヨコさんの結婚生活マンガ(「監督不行届」)を読んだのですが、その後書きで、庵野監督が「大きな心境の変化」を吐露されていることを知ったこともあって、この劇場版「ヱヴァ」に興味が湧いた次第です。  ある程度TV版「エヴァ」の流れを踏まえた上でこの「ヱヴァ」を見返してみると、一番強く感じるのは劇場版の方がより「開かれた」ものになっている・・・と言うより「人と人の繋がり」と「その暖かみ」がより直接的に描かれている、という点です。この点、とかくシンジ君の孤独な心象が強調されるTV版「エヴァ」とは対照的だと思います(電信柱やビルはシンジ君には何の関係もなく突っ立っており、時にシンジ君はそこに無言の重圧を感じますし、街の喧騒やクラスメイトの暢気な軽口はますますシンジ君を追い詰めます)。  上記庵野監督の「心情の変化」というのもこういう所からうかがえるのかな、と僕自身は感じます。この「ヱヴァ」では、シンジ君の引き受ける「運命」は非常に重いものとして描かれ、それだけに彼のその「運命」を(暖かく、というのが大きなポイントなのでしょう)見守る周囲の人々の気持ちの変化も、TV版と比べて(さりげなくではあるものの)より鮮明に描かれているように感じます。鑑賞中に「『自分』と『外』を隔てる扉がふっと開かれる」ような、何か暖かい気持ちになる瞬間を何度か感じたのも、恐らくこのシンジ君の周囲の人々の心情に強く関係しているからなのだと、僕は思います。  そしてその重い運命を引き受けるシンジ君の主体性と強い意志が、この劇場版でははっきりと見て取る事ができました。正直言って僕は、この劇場版のシンジ君程に強い気持ちを持つ事ができるのか(あるいは今の時点で持っているのか)、自信がありません。それ程に、僕はこの劇場版の方のシンジ君に強く心引かれるのです(今の僕にとって、この劇場版のシンジ君は非常に眩しい、魅力的な少年に見えます)。   個人的な、そして極めて勝手な感想ですが、TV版のシンジ君は、この劇場版のシンジ君になる可能性を秘めた発展途上のシンジ君だったのではないかと、僕は思うのです。庵野監督は、小さくてか弱く、しかし極めて偉大な少年像を、もしかしたら生み出しているのかもしれません。
[映画館(邦画)] 9点(2007-11-07 00:05:02)(良:1票)
12.  BLOOD THE LAST VAMPIRE 《ネタバレ》 
何しろ50分程度という短さですから、物足りなさを感じてしまうのは仕方のないところですが、それでもかっちりと作りこまれた作品内容となっていますので見ごたえは十分でした。あの「オニ」の造形(「人外」という言葉があるんですね、皆さんのレビューで初めて知りました)も面白かったし、最後にどうしてそれらが基地に向かっていたのかというオチも、僕自身は納得できるものでした(不謹慎かもしれませんが、これまでの大きな戦が生み出した死屍累々の中に、あのオニに襲われた死体が含まれ、また古今東西の戦場でそれらもまた密かに人を襲っていたという事は、何となくありそうなことだと思わされます)。  その一方で、確かに小夜の過去に関して掘り下げが足りないという印象も拭いきれませんが、それはそれで観る者の想像力を刺激しないわけでもありません。まぁこの点は、これから始まるTVシリーズで徐々に明らかにされることかもしれませんが。  工藤夕貴の吹き替えは、僕の予想を遥かに超えて優れていました。僕自身は、吹き替えに危惧を感じていてこの作品をなかなか見る気にならなかったのですが、今回見てみてそれが全くの間違いだったことがわかりました。意外と太いその声が、作品のハードボイルドな雰囲気ととてもよく合っていたと思います。
[地上波(字幕)] 7点(2005-10-10 01:22:45)
13.  スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 《ネタバレ》 
「陳腐なところや書き込みの足りないところなどが多々あるが、それでもスターウォーズ・ファンである自分にとっては、基本的にはこのEP3という作品は”キズは多々あるものの『基本的には』宝石である”」というのが、初見当時の僕のこの作品に対する基本的なスタンスでした。そこから月日が経った今の自分からはもはやかけ離れた感想となっている、と一言だけしておきたいと思います。  最近見直して、アナキンがオビワンに対して、並々ならぬ配慮や熱情を吐露しているところが印象深く感じました。それは「私の運命は彼(オビワン)と共にある」という意味合いのセリフを、数回は話しているという点や、またオビワンに対して(恐らく内面には自己否定すれすれの自己犠牲感も手伝っていたであろうとは言え)、ジェダイ騎士としての自分が取るべき道を基準とした心情(=自分はこれまで傲慢で感謝の足りない態度を示し続けていた)の吐露を、極めて率直に行っていた事からも窺えると思います。暗黒面に堕ちる直前まで彼が真摯に葛藤し続けた事の証左として、僕自身の中で極めて鮮烈に印象付けられつつある部分です。  そしてこの作品に存在する問題は、この自己犠牲感を引き換えとした「義務への奉仕」と、それに対する根源的な「自分自身の奥底に燻ぶる気持ち」との根深い葛藤にあるのだと、最近になって改めて思い至った次第です。  並み以上のジェダイ騎士からしても雲の上の存在であるヨーダからは、下手をすれば説教にも響きかねない助言を投げかけられる事にもある程度納得できたかもしれませんが、自分が長年接してきて、かつ信頼も寄せていたオビワンからもそのような説教じみた助言を与えられた時、アナキンにはどこか煮え切らない、もう一歩親身になった事を言ってほしいという気持ちが残らなかったとも言い切れないと、今は思うのです。そしてこのEP3の悲劇性は、長い目で見ればヨーダやオビワンの言うことは圧倒的に正しく、その一方でどこにも片づけることのできないアナキンの葛藤も決して無視されるべきではなかったという、この解決の図りにくい二項対立にあったのではないかと、今は強く感じます。  こうして見ると、ジョージ・ルーカスは「ハリウッド的大作映画」というガチガチに固まった枠の中で、彼の考える最善の方法で自分の信じることを、このEP3という器の中に盛りきったのではないかと、最近では思います。
[映画館(吹替)] 10点(2005-07-15 18:49:05)
14.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
この作品について強く感じたのは、前作『千と千尋』から引き続いて「生きる力」が、描かれているという事でした・・・これは以前に書いたレビューの冒頭ですが、今回見返してみて、この感想をより自分の実感に即した、生き生きとしたものとして感じ取ることができました。  作中ではあまりにもさりげなく描かれていますが、冒頭のソフィーのどこかすっきりしない様子は、この作品の重要なモチーフとなっている「人の心」を表しているのではないかと思います。父親の店を自分が継がなければならないという義務感から自分を抑圧していたソフィーは、いつの間にか生き生きとした「自分だけの」心の動きをも、見失っていたのです。  そしてソフィーとハウルの二人を結ぶのも、この「心」というキーワードであるように見えました。ハウルは幼い頃に星を飲み込み、「自分の心」と引き換えに大きな力を手に入れますし、またハウルの心には「怪物」が潜んでいます(と言うより心の一部が怪物である、ということでしょうか)。そして自分の心の生き生きとした動きを取り戻したソフィーは、「あなたが怪物でも良い」と言い切って、ハウルを愛するのです。  この作品は、人の心がどれだけその生き生きとした動きを知らない間に失っているのか、そしてその動きを取り戻した時にどれだけ人が強くなれるのかという事が描かれていると感じました。親の店の引継ぎを振り切って、「心臓を取ってしまう」という恐ろしい噂がついてまわる男を愛し、徹底して自分自身の心に素直に行動するソフィーを形にした宮崎監督は、実は「人は心の動きを失いうる存在であり、一度それを取り戻すと世界の常識や決まりが無意味になってしまう」ということを浮き彫りにした、とても大胆な作品を作り出したのではないかと思います。
[映画館(字幕)] 10点(2004-11-30 18:22:46)
15.  イノセンス 《ネタバレ》 
恐らく押井監督はこの作品において、「人形」と「人間」を区別せず、そして(人間自身を含んだ)「動物」に対する愛と「人形」に対する愛をも区別しないという姿勢を取り、そこから見えてくるものをこの作品で表現しようとしたのではないかと思います。  個人的に印象に残っているセリフで、「鏡は瞥見するものであり熟視するものではない」というものがあるのですが、これに関しては、作中に出てくるような精巧な「人形」が登場するようになれば、人間と人形との境界が曖昧になっていくばかりであり、そのような状況であえて人間と人形の区別を問うことは、それこそ人間の存在基盤を曖昧にしてしまう恐れがある、従って我々はあえてこのような問いを発するべきではない、すなわち「鏡を熟視」すべきではない・・・こういう意味があるのではと思っています。  僕はこういう主張に対しては、ある程度共感すると共に、「ちょっとそれは考えすぎではないのか」という気がしないでもありません(もし上に書いたような主張が本当にこの作品に込められているのだとすればですが)。例えば作中での「子育て=人造人間製造の欲望」という考えに関しては、実感としてピンと来ない上に、このような考え方が余りにも論理的であり、人間の「人間臭い」面を軽視しているのではないかと思えてなりません。  もっとも、この点に関しても、押井監督は監督なりに回答を用意しているのかもしれませんが。そしてその回答が、ラストにおける少佐とバトーとの再会シーンに込められているのかもしれません。個人的に異論もあるとは言え、結局この点数にしたのは、このラストの展開がやたらに感動的だったからです。   <追記>久しぶりに見返してみて、その時もラストに至ってやたらに感動してしまいました。そしてその時になって、その原因が作品の構造にあるのではないかということに思い当たりました。  この映画は、物語が進むにつれて、人間の人間たる基盤みたいなものを揺るがしていく(もっともこれは押井監督の意地悪ではなくて、あくまでご本人の問題意識の表れなのでしょうが)という構造を持っていますが、ラストに至って少佐が「登場」し、そこでようやく徹底的に揺るがされた「人間性」に訴えかける事により、見る者(と言うかこの場合僕自身ですが)に何とも言えない、虚無的な寂寥感を伴う感動を与えるのではないか・・・こんなことを思いました。
9点(2004-03-12 22:53:10)(良:1票)
16.  千年女優
場面やら状況やらが突然変わる(と言うより交錯する)独特の手法を見ていると、さすが『PERFECT BLUE』の監督だなと思います。前作と違って安心して見ることができる話の内容が、個人的に良かったです(テンポの良い展開とあの独特の手法が良い具合にマッチしてとても面白かったです)。ただラストのあのセリフに関しては、個人的に拍子抜けの感じがぬぐいがたかったです。今監督は個人的に期待しているので、新作が発表されれば見に行くつもりですが、それでも「次はどう出るのだろうか」という多少の不安を感じないでもありません(老婆心ながら、『PERFECT・・・』といいこの作品といい、「アイディアで勝負」という面が結構強いので、「次」のアイディアが前二作に比肩するなり凌ぐなりできるのかと、心配になってしまいます・・・まぁこんな心配は、一視聴者としての僕の想像力の貧困を物語るだけで、たぶん今監督は今度も十分楽しませてくれると思いますが)
6点(2003-11-12 23:08:00)
17.  マトリックス レボリューションズ 《ネタバレ》 
前二作がとても面白かったので、この作品もかなり期待しながら見ました。ザイオンでの戦闘シーンや、ミフネ船長の激闘にラストの大勢のスミスが見守る中での格闘など、見所も多く、楽しんだことは楽しんだのですが、それでも個人的にはちょっと物足りなく感じてしまいました(すごく贅沢な事を言っているのはよくわかっているのですが)。僕は前二作では、CGてんこもりのアクションと映像表現を別にすると、主に「マトリックス」の世界と現実の世界が関わっていく事によって生まれる、独特の仮想現実感とスリルに魅力を感じていたのですが、この作品は主に現実の世界での戦闘がメインであり、「マトリックス」の世界がやや脇に下がったこの作品は、個人的にはかなり「普通のSF映画」に近づいているなと感じてしまいました(この作品を見て初めて、自分が上に書いたような魅力を『マトリックス』に感じていたのだと気づきました)。肝心の「マトリックス」方面についても、思ったほど深い世界観ではなかったと言うことと、ラストのネオとスミスの格闘の結末が途中で読めてしまったことにより、思ったほど楽しめませんでした。トリニティーやモーフィアス、それにネオやスミスさえも、この作品に関しては何だか印象が薄いと感じました(どうも登場人物全体が、物語の結末に向かって整然と動き過ぎているように感じました。なかなかキャラクターが立っていた前二作と比べて物足りないと感じた点の一つです)。ただそれでも面白く見たことは確かです。
7点(2003-11-11 23:33:28)(良:1票)
18.  TRICK トリック 劇場版
テレビシリーズが好きで、結構楽しみにしていたのですが、個人的にはどうもドラマほどの切れのいいテンポは感じられず、何だか間延びのした展開だなと感じてしまいました・・・ベンガルや竹中直人や石橋蓮司といった、名前を並べただけでも非常に濃ゆい脇役も、どうもこの映画に関しては(その演技も含めて)少々くどいと思いました。ただ含み笑い、小笑いは相変わらずで、そこはやはりテレビと同じく楽しませてもらいました。
5点(2003-10-20 15:13:21)
19.  ミスター・ルーキー
今現在、TVは福岡ドームを映しています・・・頭に血が上りっぱなし眉間にシワが寄りっぱなし叫びっぱなしで、頭とノドが痛いです。今現在がこんな状態ですので、映画の出来云々を無視して心情を優先すれば僕としては10点しか有り得ないのですが、そうもいきませんのでできるだけ公平にレビューを書きたいと思います。一応そこそこは楽しめましたが、どうも作りの甘さばかりが気になって実際の野球の試合ほど興奮することはありませんでした。ただ、桧山や矢野ら阪神ナインや、田淵現コーチの微笑ましい演技(笑)などが見れて、なかなか良かったです。
5点(2003-10-18 20:20:42)
20.  アニマトリックス
第一作の『マトリックス』を見たときにちょうどこの『アニマトリックス』が発売されましたので、『マトリックス』を見た勢いを借りて見てみました。個人的には渡辺信一郎の参加した「キッズストーリー」と「ディテクティブストーリー」が目当てだったのですが、それら二つはもちろん、それ以外の作品も短いながらなかなか面白かったです。「キッズストーリー」の映像表現から何となく『となりの山田くん』を連想したりして、アニメでの実験が無駄にならずにちゃんと生きているんだなと、勝手に納得しました(苦笑)。僕としては、収録されたその他の作品だと「Beyond」が好きです。
6点(2003-10-18 18:02:47)
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