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コメント数 106
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【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  8 1/2 《ネタバレ》 
映画の製作現場を舞台に、周囲を取り巻く息詰まるような人間関係、映画にかける想い、郷愁の念、不信から来る喪失への怖れ、などを描いた自伝映画。とはいえ、フェリーニは他の作品でも自らの体験や想いを軸にしているものが目立つ。それは別に「自分の生活が興味を引く」とか考えているわけではなく、「さも真実らしい嘘をつく」「くそリアリズム」な映画、「何でも夫(監督)の思い通り」で「騒ぎが好き」なだけの「無用な言葉や音楽に窒息させられる」ような「規則的な」映画は作りたくないだけなのだ。人間は複雑で多面的なので、「嘘や妥協のない映画」を作るために「私の映画では全てが起こる」。この映画も「単純なことを伝えるつもりだった」が、こうならざるを得なかった。だが、この確固たる信念が私生活では特にマイナスに作用する。「深刻に考えすぎ」、人を信じられず、妻にさえ正直になれず、過去にしがみつき、「一つを選び取ってそれに人生をかける」ことができずに全てを欲してしまう、ゆえに愛を知らない。「全てを受け入れ、愛する」ことができれば、「全てが真実で輝いて見え」て、ラストの大団円のような開放感を味わえるのだが、信念とのギャップ、矛盾に苦しみ、そうはなれない少数派、孤独なフェリーニ・・・1人の人間の全てを丁寧に映像化したフェリーニ。尊敬と共感で涙が出たほどの作品。 ―――こういった説明調の感想は詰まらぬものだと知りながら、十全な説明を見かけないためとりあえず。
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:20:42)(良:1票)
2.  気狂いピエロ
部屋を往来しながら歌うアンナ・カリーナを適切な距離を保ちながら撮るカメラが、ベッドに座ったアンナに寄っていくあの瑞々しさ!!あのミュージカルそのものがそもそも物語に収束されない原初的モーションに違いない魅力なのだが、あのクロースアップの全くもって寄りたかったから寄ったとしか動機付けできない瞬間の欲求はまさに映像の特権的な自由であり、またその現在が複製されいまだ鑑賞され続けているそのエロスといったら!気狂いピエロは見事なクリティックである。簡潔な物語と台詞と自由とが混在し響き合うこの紛れもない私映画を全映画人は絶賛せずにいられない筈だ!
[ビデオ(字幕)] 10点(2008-02-07 14:11:05)(良:1票)
3.  ワン・プラス・ワン
ローリング・ストーンズによる曲の創作とブラック・サバスによる革命の創造を並列させ提示する。いわゆる政治の時代に差し掛かった作品だが、ゴダールの立ち位置は決まって提示者である。毛沢東支持を表明していたミック・ジャガーのつくる音の高揚がブラック・サバスの暴力的差別撤廃運動(革命)に正義を与えてしまうといえばそうなのだが。本作では珍しく長回しを基調としているが、これは技術は主題によって決定されるべきという基本論理に乗ったまでのことで、これをもってゴダールらしからぬとは間違っても結論付けてはならない。さてどこまでいっても並列をたどるこの映画、音と映像と言語の主従的でない関係に似ているとも言える。以前ゴダールが「音や映像を用いずにどうして構造が語れるというのか」と、フーコーらを批判したことがあったが、これもまた構造についての思索の一環と捉えることができそうだ。ただ主題を捉え続け、またそれが映像・音・言語を通じて響いてきたかというと十分ではなかった。移動撮影やクレーンショットの見事なシークエンスは間違いなく存在するのだが、この映画は強度を保ってはいない。
[ビデオ(字幕)] 7点(2008-02-07 14:03:02)
4.  はなればなれに
あまりに気楽な犯罪映画、あるいはあまりに原初的欲求に忠実な冒険映画である。自身『勝手にしやがれ』について、主題がなく、何をやってもいいそういった種類の映画だった と語っているように、物語の映画を作るゴダールは実に愉快である。ゴダールをして括弧は必要ないと言わしめる明々白々さとは愛したから愛し、金が欲しいから奪い、無茶がしたいからインディの真似事をするといった、映画的な、あまりに映画的な論理によって裏付けされてしまう。美女と犯罪、シャープな画面と無為な会話や動作。優れたB級犯罪映画であり、偏愛の垣間見れる何とも愛しい作品である。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 14:02:07)
5.  小さな兵隊 《ネタバレ》 
アルジェリア戦争と当時問題視されていた拷問に関するゴダールからの問題提起。至って真面目な主題設定と取り組みであり、本人曰く「『勝手にしやがれ』後に、よりリアリズムに具体性に近づこうとした試み」でもある。主人公である小さな兵隊はフランス語を話す美しき外国人に語り続けるのだが、ここで重要なのは彼が正しいことも誤ったことも口にしている点だろう。議論の余地のある映画。観客が自分に疑問を投げかけることをその目的とする映画(これはまるでブレヒトの演劇理論ではないか!)。世界の混乱を国内の混乱を体内の混乱をありのまま提示し、しかし主人公を暗殺へと向かわせてしまうこの映画と未来の美学、倫理を戦わせてみる。そうして24倍の真実である映画の可能性を感じてみるのもまた愉しき体験である。それだけで途方もないような美しい画面は存在しないが、素早いパンや小回りの利いた話者の追跡は主題と撮影方法の合致といえるだろう。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 13:59:33)
6.  中国女 《ネタバレ》 
正真正銘主題の映画であり、提示の映画であるのだが、掲題に収斂されない輝きを持つ、サトエリによるところの良質の中国映画である(笑)音楽を聴きながらの別れ話など、主義に対して非常に実践的なのだが、背後で奥行きを打ち消す壁が彼らの空論を暴いており、おそらく作中最もサスペンスに富んだ教授との議論が背景の開かれた列車の窓によってなされていることもまた象徴的である。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-02-07 13:57:58)
7.  軽蔑(1963)
昔はすべてが共犯の歓びの中で無意識に過ぎていった。何もかもが異常で魔法のような気軽さとともに起きた。 異常なまでに繰り返される主題曲は、もはや作品の言語世界に追随することを辞め、自らの見えざる主題を語り出しているかのようである。 気付かぬ内に彼の腕に抱かれていたあの感覚はまるでなかったかのように姿をなくす。 自室で繰り返される真意の読み取れない議論の末、直後の劇場での、ラングとカミーユ、ポールと製作者の座席の位置で愛の消滅を告げる。これが映画である。 妻を殺しても愛を失い、浮気相手を殺しても愛を失う。 不毛な議論の中で、無価値な言葉と同等に発されたこの一節が価値を帯びてくる。これが映画だ。 フリッツ・ラングへの愛、映画への愛、ホークスへの愛、ヒッチへの愛、カリーナとの愛、一部映画への軽蔑。 言語が語る、音楽が語る、映像が語る、海が彫刻が語り合い、せめぎあっている。だからゴダールの映画は凄い。だから映画は素晴らしい。 
[DVD(字幕)] 10点(2007-07-25 11:27:01)(良:1票)
8.  裸のキッス
スコセッシやスピルバーグに影響を与えた?それどころではない。作品を観れば、ゴダールやヒッチコックに並ぶ逸材であることは明らかである。短いショットの連結によって確信犯的に重要度を知らしめるその手法は正にヒッチコックの手法であり、事実匹敵しているし、ジャンプカットを始めそれ自体がその運動自体が魅力となりうる事象や技法を提供する姿勢は正にゴダールである。加えてこの作品に触れた折、思い出さずにいられないのが『狩人の夜』である。撮影が同じくスタンリー・コルテスによることは後で知り、驚きと納得を得たのだが、その光をふんだんに取り入れた映像そのものもさることながら、映像によるところの語り口(長回しを厭わず、省略を恐れない)、真相を目撃した際のカッティングであるとか幼女が真相を語った後の流れるような、一連の動きと運命付けられていたかのような録音機からテープへのカメラワークだとか、夢の絶頂であった子供たちとの掛け合いの歌を凍り付くような絶望の歌として再会させてくれるあたり、すべてが『狩人の夜』的なのである。それはつまり『狩人の夜』の素晴らしさを再確認したいのであるが、それと同時に、ゴダールやヒッチコックまでも感じ取らせてくれる、この教祖として申し分ない人物、サミュエル・フラーを本来あるべき陽の下に立たせようとする運動への欲求なのである。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2007-01-04 10:08:52)(良:1票)
9.  引き裂かれたカーテン
農家での殺害シーン、目付け役がポール・ニューマンの腹を小突く短いショットが緊迫を煽り、水入りの鍋が投げつけられる、視覚的・聴覚的衝撃によって沸点を越え、展開を変化させる。そして人間臭を過剰に嗅がせる死への道程。ヒッチコックが恐怖や動悸を与える際の特徴的な演出、ややローアングル、クロースアップぎみの縦の動き(ナイフを持った女)と肉体的痛みを感じさせる短いショット(足へのシャベルでの打撃)が編集(モンタージュ)によって一体となり、また鎖骨あたりに刺さったナイフが折れるといった独特のリアリズムが絡むことによって“たかが”殺害シーンをこれ異常ない密度に引き上げている。 ヒッチコックの真髄とは正にこれである。“たかが○○シーン”に工夫を惜しまない姿勢がすべてのショットに浸透し、すべてのショットが関係性や状況の緊迫を示唆している“かのような”絶え間ない緊密さに支配されている。それは時にはホテルのエレベーターから移動の俯瞰ショットで捉えたような(エレベーターから出てくるニューマンと床掃除の従業員、最後に目付け役がクロースアップで映り込むショット)単なる視覚的エモーションに過ぎなかったりもするのだが、言語性との緊密性よりもこういった絶えず繰り出されるエモーションの緊密性こそが、ヒッチコックが自ら課した責務なのだろう。 無論この映画の脚本は凡庸で平板的なものであり、「家事だー」と英語で叫び大わらわとなる寒々しさや、また査問会の部屋からジュリーが飛び出すような単なる感情の露見化に過ぎない退屈なシーンも見受けられるのだが、単なる失敗作ではなく、健在振りを発揮した作品であったことだけは再確認しておこう。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-12-29 02:36:33)
10.  特攻大作戦 《ネタバレ》 
あまりにもカットを割るので辟易していたのだが、なるほどこれは視線の映画である。少佐と将校たち、少佐と囚人たち、常に多数が存在する場を提供するにあたり、オルドリッチが役者に厳密に指示したのが目の動きであり、角度を変えることで位置関係を把握させ、目線に生命を与える。そのための異常に緻密なカット割りだったのだ。大佐が部屋から出るたびに演奏を始める指揮者が面白いのも、「例の二人組だ」という伝言が暴行された本人に行き着く面白さもすべて位置関係と目線の面白さである。演習において青軍が赤軍の腕章を着けるのはルール違反であるし、戦争において敵軍将校の服を着て欺くことは条約違反である。ルールを守らず刑を与えられた者たちがルールを破ることで英雄となる。もちろんそういった面白さもあるのだが、何より、死刑囚に一度限りのチャンスが与えられるという適当な材料を料理していかに面白さを作れるか、男臭い魅力を放ち続けるか、その一点においてこの映画はあまりにも素晴らしい。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-12-29 02:31:46)
11.  
宗教と王室を守ることを第一義とする右翼体制の政府、警察国家、統治国家に対するコスタ・ガヴラスの批判的思想が生み出した作品であり、また、この作品の歴史的背景には驚嘆させられるしかないのだが、そんな思想より、背景よりも、この演出力である。独特な音楽も大きな魅力の一つであるが、群を抜いているのはカメラワーク。これほどまでに大胆で滑らかな動のカメラを私は知らない。ショットが短く複雑で、クロースアップも多用しているのに疲れさせることなくそれぞれのショットが流麗に繋がっている。モンタージュ技法を応用したフラッシュバックも過不足ない情報量が詰め込まれ、過去の出来事や心象を見事に伝えてくる。これはもう、とっくに政治作品云々を超えた「映画」であろう。細部に至るまでのリアリズムが貫かれているわけではないが、判事と同じく観客も中立の立場から作品に参加させる意図と、演出力によって敢えて行われる軽量化により、魅きつけられてしまう。映画の持ち得る力や魅力が分かり易く詰まった大傑作である。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:46:32)
12.  殺人者たち 《ネタバレ》 
こんなにも「映画」を感じさせてくれる濃い100分はなんと久し振りなことか。オープニングショット、リー・マーヴィンのクロースアップ。サングラスに相棒がうっすらと映りこむ斜めからのショット。『男と女』以上に鮮烈な実際のレース映像。蒸し風呂での脅し。アンジー・ディッキンソンの美しすぎる笑顔を惜しげもなく、鼻水の垂れた醜い顔に変えてしまうその非情さ。二人を撃ち家を出たリー・マーヴィンのよろめきなんてとても形容できない。 枝葉の演出や展開に対するアイデアはことごとく派手であるのにそれをひけらかさない。けして仰々しくしない。例えばアンジーが贈ったブレスレットを数年後に再会したカサヴェテスが身に付けていたシーン。当然ブレスレットにクロースアップするかと思いきやカメラは動こうとしない。観客の期待に応えながらも所々で肩透かしするこのバランスに妙に魅かれる。 脚本としてはアンジーの裏切りが唐突にも感じられるが、それを補って余りある演出力。関係者の話を聞きながら過去の真実を探っていくという展開も一見使い古されたもののようではあるが、展開の中心にいる男がオープニングであまりにあっけなく殺される今作の展開は特異ですらある。 映画史に残すべき傑作。
[ビデオ(字幕)] 9点(2006-09-24 12:44:38)
13.  男と女(1966) 《ネタバレ》 
映像・台詞・音楽などの能力を最大限に使いこなせばこんなにも無駄なく美しく出来上がる。素晴らしく効率のいい映画。前戯のシーンでも「ダメ、やっぱり・・・私ダメなの・・・やっぱり・・・前の夫のことが忘れられないの!私の記憶に住みついた彼の亡霊が消えてくれないの!」なんて野暮なことは言わない。ちょっとだけ複雑な表情を見せ、前の夫との楽しい思い出の映像を流す。これで充分伝わる。音楽の歌詞にも気持ちを乗せる。過剰な説明も説明不足もない。シンプルでありふれた展開だが、簡素な美に惹きつけられる。
[DVD(字幕)] 8点(2006-05-20 04:34:46)
14.  黒い十人の女 《ネタバレ》 
しっかりと特徴を持ってインパクトある作品を生み出すあたり、永田の策士っぷりが遺憾無く発揮されている。ハイコントラストな映像、印象の強いオープニング、雨月物語とは異なるコミカルな存在の幽霊、キャラにハマっていてそれぞれ違った魅力を放つ女優陣、難しい役にぴたりとハマる船越英二・・・武器が多くそろっている。脚本も単なる恋愛痴話に収まっていない。どんなに本気でも熱っぽく語っても解り合えない人間の可笑しさ、隠しながらも誰もが強く持つ利己的な考え方、手に入れる―消えてもらうという正反対ながら似通った充足、人生の目的なんて考えずに仕事に没頭し充足を得てしまう男という生き物・・・。ここまでしっかりと生の人間を描き出している作品はなかなかない。ただ、30分くらいで全容が分かるにしては長すぎる。
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-05-20 04:26:13)
15.  空軍大戦略
空爆で赤く染まるロンドンが印象的。 数百もの実機が飛び交い、撃ち合い、脱出する様子を空撮で映し続ける。言うなればアナログの美学といったところか。ホーミングミサイルなんかない、マシンガンのみでの戦闘。タタタタタという乾いた銃声、撃墜され枯葉のごとく堕ちる戦闘機。実機ならではの渋い味わいと稀少な魅力とがこの映画にはある。ただ、空戦において知性を感じさせる戦術であったり執拗な追いつ追われつの展開であったりが見られなかったのは残念。独軍が太陽から現れるとかそういう驚きをもっと取り入れてほしかったところ。 また、2000機の攻撃を600機で守ったと声高に語る割にはカタルシスにも欠ける。というのもこれは結局ゲーリング元帥の戦術ミスでしかないから。立場や思想に捉われることなくただ忠実に“バトルオブブリテン”を映像化したことがこの作品の魅力でもあるが、空中戦をひたすら映しておきながら、勝負を決定付けた要因が現場にないのでは少し不満も残る。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-18 02:33:51)
16.  冒険者たち(1967) 《ネタバレ》 
エンジン開発、飛行機乗り、芸術家 それぞれ職は違うが、何の分野においても冒険者であることは変わらない。事実上レティシアが中心人物となって話が進むわけやけど、それもそのはず。こんなワクワクするような女の人なかなかいないもん。こんなにカラッとした人――カジノに置き去りにされても何とも気にしないカラッとした女の人、魅力的やもん。展開は正直言って粗いよ。楽に見つかる場所にお宝あるのに誰も探しに来ないし、裏社会の一味が あえて見つけさせた後で奪ってやろう とかもう雑な感じよ。けどな、滅多に会えない仲間だからこその強い結びつきってやっぱ素敵やもん。 かっこいいかダサいかで言うと、多分こいつらはダサい。けど、一度は夢に破れたこいつらが、それでも、冒険者であり続けようとするから・・・かっこいいと思ってしまうんやろな。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-12 15:12:31)(良:1票)
17.  シベールの日曜日
何というか・・・愛くるしいほどに出来の悪い作品(悪口じゃない)。「そんなことまで言わせる気?」とか、彼の指から出た血を舐めて「これでもう他人じゃないわね」とか幼女が発言するんやもん。笑ってしまうやん。湖のほとりの木陰で彼女がバッチリ覗き見しよん姿とか吹き出してしまうもん。アンリ・ドカエの映像は勿論綺麗やし、湖のシーンでは木や石や水を使った演出が抜群に巧い。 けどどうしても真面目すぎて笑ってしまう。例えば犬のシーン。シベールが同年代の男の子達と遊び始めて、ピエールがポツンと座り込んだ、その瞬間に犬が寄ってくる。このタイミングが完璧すぎて、笑わずにいられない。「どう?完璧でしょ?」ってな制作陣の無邪気な顔が浮かんでしまう。本題。なぜピエールはシベールに恋をしたのか、なぜマドレーヌはピエールに夢中なのか。純真さ云々という理由付けも出来るけど、最たる理由は“鳥小屋に閉じ込めたかったから”やと思う。“愛する”って不思議なもんで、愛されるからこそ深く愛することができる。記憶を失った孤独なピエールだからこそマドレーヌは愛した。けどマドレーヌは社会人であるので他にも付き合いが多々ある。これではピエールはのめり込んだりできない。一方、ピエールとシベールは孤独同士。こんなピッタシな組み合わせなんてなかなかない。そら夢中になるわ。恋愛も家族愛も根っこの部分は同じようなもの。二人の愛は、ただ、愛と呼ぶのがふさわしい。水面に映る二人の姿、石を投げ入れると、今いる二人が一度ぼやけて、またはっきりと輪郭が現れる。この生まれ変わりのような画には、ほんと惚れ惚れする。余談。日本語字幕と英語字幕が同時に表示されているのは勘弁してほしかった。日本語の字幕が簡略化しすぎてて、英語字幕のほうが細かく的確なので、鑑賞中、しょぼい脳内翻訳ソフトをフル活用させっぱなしで、観終わった頃には、ひと仕事終えたような気分になっていた。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-05-09 06:46:00)
18.  飢餓海峡 《ネタバレ》 
設定自体はとりわけ複雑ではないが、貧困、不信、疑念、執念、感謝、後悔、と多くのエッセンスが詰まっていて3時間と言う長尺も充分納得できる内容。特筆すべきは、保身への葛藤から八重を殺してしまうシーン。巻き込まれたのではなく実際犯してしまった罪への後悔、愛情が画面に溢れている。やたら陽気な八重ちゃんに笑ってしまったり、貧乏な刑事に違和感を覚えたりしてしまったが、この映画が火サス系サスペンスの頂点にあることは自分の中で変わらない。そんなジャンルねぇよ、と怒られたとしても、自分の中で、変わらない。
[ビデオ(邦画)] 8点(2006-04-29 06:48:54)
19.  人間は鳥ではない
必死に働いても一向に生活が向上しない労働者、結果を出してもボーナスではなく無価値な勲章が与えられるだけ。“人殺しさえしかねないような催眠術”(与えられたことをただ遂行することしか出来ない現状の皮肉的暗喩)で労働者をこき使う企業、ひいては国への批判が詰まった作品。1965年当時のユーゴスラビアは言うまでもなく社会主義国家ではあるが、独自の自主管理方式(経営責任者と労働者が一体となって意思決定をする経済方式)を導入していた。マカヴァイエフは実質経営責任者や国の一存で意思決定がなされている現状の歪みを“なんと呼ばれようが問題は中身”という台詞に込め、伝えようとしたのだろう。細部の荒さはあるが、恋愛における男女間の力の差となぞらえながら社会風刺作品を作り上げた手法は大変秀逸。たいへんよくできました。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-04-24 04:07:01)
20.  切腹
泰平の世が訪れ、武士の多くは浪人へと成り下がり、衣食を憂う。事象の成り行きは全て均衡へと向かい、一定を保つ。疎から密へ、密から疎へ。上がるものあれば下がるものもある。だが、人はそのことに気付かぬフリをする。均衡を崩す者現れれば、世迷い事と切って捨て、かろうじて一定を保つ。津雲半四郎に武士の誇り、武士の魂が宿っていたわけではけしてない。彼は建前を捨て、鎧を纏わず、ただ本質を追求し、真実を見せ付けたに過ぎない。誤読された賛美を受けていることに対して監督はどう感じているのだろうか。“竹光での切腹”、“お預かりしていたものをお返ししましょう”作られすぎた世界で真実を暴く。もしかすると驚異的な作品なのかもしれない。
[DVD(邦画)] 9点(2006-04-18 07:18:38)
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