1. 花嫁はエイリアン
《ネタバレ》 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がもちろん代表格だけど、80年代SFコメディは40年後の現代でも観ていて愉しくさせてくれるから嬉しい。この映画も冒頭のトム・ジョーンズからしてバブル時代のうきうきした雰囲気が伝わってきます、そりゃあ音楽担当は『バック…』と同じアラン・シルヴェストリですからね。男やもめのどん臭い科学者というのはダン・エイクロイドお得意のキャラですが、やっぱコメディエンヌとしてのキム・ベイジンガーの魅力がもっとも堪能できるのは間違いなく本作でしょう。このころの彼女はその美の絶頂期だったし、ウエディングドレス姿も含めて彼女の色んなファッションも眼を愉しませてくれます。あとエイクロイドの13歳の娘もなかなかキュートで良かったですね。この映画ではストーリー云々に突っ込むのはそりゃナンセンスですよ。愛すべきおバカなストーリーのラストで、円盤からステファニー王女軍団が現れて主人公の弟ロンがロールスロイスごと宇宙に旅立っちゃうのには笑わせていただきました。こんなおバカな終わり方のコメディ映画は、滅多にお目にかかれないでしょう。こういうノリのコメディ映画は、もうハリウッドでは製作されないのかなあ… [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-11-20 22:14:15)★《新規》★ |
2. マンディ 地獄のロード・ウォリアー
《ネタバレ》 ニコラス・ケイジが主演ということで『ゴーストライダー』みたいなノリのお話しかと思いきや、肝心のニコジーは冒頭にちょっと顔を出したと思ったら50分過ぎまでまったく登場しなくなっちゃうし、その間キチ〇イカルト集団の何の意味もない世迷い言を延々と聞かされる拷問みたいな展開。やっと再登場したニコジーボウガンやら手製の剣で嫁を焼き殺されて復讐に奮闘するわけですが、そもそもこの役は枯れてもオスカー俳優が演じるもんじゃないじゃないか?いやいやカルト教祖に負けない不気味さのこの主人公は、やっぱニコラス・ケイジじゃないと演じられないというかまさに適役だったのかなと最後には思い知らされました。彼の主演作の中でももっとも汚いんじゃないかと思う髭面で、殺した相手や自身の負った傷でもう人相も判らなくなるぐらいに血まみれ状態なんだからねえ。でも快作『ウィリーズ・ワンダーランド』のような吹っ切れた爽快感(?)はなくて、重低音の音楽を背景にしたレンズに赤フィルターをつけて撮ったような観ずらい映像で陰惨なストーリーを見せられるのは苦痛です。でもそんなヘンなストーリーでもところどころに味がある部分もあって、ニコジーが夢の中で観るアニメーションがなんか斬新な感じがしました。 この映画で一番耐性が試されたところ:チェダー・ゴブリンのチーズマカロニのCM、こんな気色悪いフェイクCMをわざわざ撮る監督はどうかしてるぜ!ちなみに監督は『カサンドラ・クロス』や『コブラ』を監督したジョージ・パン・コスマトスの息子だそうです。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2024-11-17 21:58:57)《新規》 |
3. 地球の静止する日
《ネタバレ》 ハリウッド製映画には侵略系やモンスター系のSFしかなかった時代に、突如出現したハードSFの古典中の古典です。英国ではすでに第二次大戦前に『来るべき世界』のようなハードSFが製作されていたことを考えると、いかにハリウッドが遅れていたかがわかります。あまりに有名な作品なので観た気になっていましたがそうじゃないことに気が付き、初のフル鑑賞とあいなりました。 いちばんびっくりしたのは、この映画には“地球の静止する”シーンがないということです!強いて言えばクラトゥが全世界の電力や動力を三十分だけ止めるというシークエンスなのかもしれないが、飛行中の航空機には影響が及ばないようにしたり同時刻なのに世界中が白昼だったり、これはこれで突っ込みどころです。低予算だったらしくロボット・ゴートと円盤のセットぐらいしかSF的な要素はありません。クラトゥがもったいぶってラストになるまで地球に来た目的を明かさないのでてっきりそこで地球の自転を止めて見せてパニックになるのかと思いきや、受け取り様によっては単なるお花畑的な演説をして去ってゆくだけ。今の感覚からするとやけに説教臭い映画じゃないかと捉えられるかもしれないけど、本当のテーマは“核兵器の恐怖”だと思います。でも考えてみれば製作されたのは1951年、つまり朝鮮戦争の真っ最中なんだよな。同年に撮られた『遊星よりの物体X』が宇宙から来た生命体を共産陣営や異人種の暗喩として恐怖の対象にしていたのと較べると、その対極に位置するのが本作だと言えるでしょう。 当時はB級映画を手がける職人監督だったロバート・ワイズが初めて撮ったSF作品となります。劇中でバーンハート教授の研究室の黒板に書かれていたのは、物理学者を悩ましていた“三体問題”の正確な数式なんだそうです。こういう目立たないことにも拘りを見せるところはいかにもワイズらしいところです、まさに“神は細部に宿る”ですね。生涯で実に様々なジャンルの映画を撮ったワイズですが、やはり彼の真骨頂は後に『アンドロメダ…』を撮ったようにハードSFだったと言えるんじゃないでしょうか。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2024-11-14 22:22:02)(良:1票) 《更新》 |
4. モンスター・パニック
《ネタバレ》 ご存じロジャー・コーマン製作のモンスター・ホラーだけど、さすがに彼がむかし量産していたZ級ドライブイン・ムーヴィーとは違って80年代ともなればぎりぎりB級に近いC級程度には仕上がっています。ヴィック・モローやアン・ターケルといったそこそこ知名度がある俳優も使っていますし、若き日のジェームズ・ホーナーや駆け出しのころのロブ・ボッティンまでスタッフに名を連ねているんですから、若き才能者を見出して搾取する彼の目利き力はたいしたものです。でも監督の女性とはかなり揉めたみたいで、彼女が拒否したおかげでヌードやレイプまがいのシーンは助監督などが追加撮影したんだって。あわや監督が名を出すことを拒否した場合に使われるアラン・スミシ―名義になるところだったけど、コーマンが追加撮影などにかかった費用を負担しなければ認めないと突っぱねたそうです。そのうえアン・ターケルからもクレジットから外してくれと言われる事態、準主役キャラの俳優がそんな要求をするなんて聞いたことがないです。 主役のロブ・ボッティン謹製モンスターは、サケの成長促進のためにDNAをいじった小魚をシーラカンスが食べて半魚人化したという代物、なんで北米太平洋沿岸にシーラカンスがいるんだよ!ってのは置いときます(笑)。でも40年以上前にDNA操作をネタにするとはその先進性は褒めてあげたいが、説明がDNAとウイルスを混同していてこれは失笑でした。こ奴はロブ・ボッティン作だけあってけっこうなグチャグチャぶり、砂浜でビキニ女を襲った際にはわざわざ裸に引ん剝くので「こいつはエロ半魚人か」と突っ込んでいたら、なんとレイプしていたことが後に判明、妊娠させてラストにエイリアン丸パクリの出産と相成りました。ラストではモンスター映画お約束のフェスティバルでの惨劇となりますが、かなりのスプラッター映像で気合いが入ってます。でも半魚人自体は全然強くなくて、ライフルでバンバン撃ち殺されてしまうのがちょっと哀れ。 まあこれじゃ監督が逃げ出したくなったのは判る気がします。そして違う人が監督したエロ・グロのシーンが明らかにタッチが違うのが判りますよ。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2024-11-11 20:47:13) |
5. バビロン(2022)
《ネタバレ》 超下品な『ムーランルージュ』みたいな狂いまくったパーティが延々と三十分も続いたあとでやっと出てくるメインタイトル、あわや成人指定になりそうだったのを修正してもこれですから、ここでこの映画を観るのを止めちゃった人も多々いるんだろうな。ハリウッド草創期をモチーフににした映画は何本かあるけど、これほど“光と闇”のうち“闇”をクローズアップした作品はなかったんじゃないかな。荒野の真っ只中で後にメジャースタジオに成長するキノスコープ社は映画製作に励むが、人間扱いされていない俳優やスタッフはまだましな方で、大規模な合戦シーン撮影では死人やけが人が何人も出る始末、まさに“地獄のハリウッド”状態です。ブラピはサイレント期のスターだったジョン・ギルバート、マーゴット・ロビーはあのクララ・ボウをモデルとしているらしいが、その他にもサイレント期に起こった有名な事件をいくつか小ネタとして散りばめてます。この二人とプロデューサーに成りあがるメキシコ人青年(このキャラは完全に創作みたい)を軸にした群像劇みたいな構成なのだけど、イマイチ焦点が絞り切れないストーリーになってしまったのは残念。あとルイ・アームストロングを模した黒人ジャズ・プレイヤーも絡んでいるけど、このキャラがストーリーに必要だったのかは疑問、まあデイミアン・チャゼルのジャズ愛は伝わりますけどね。ブラピが演じるジャック・コンラッドはトーキーになってその声で俳優生命を失うことになるけど、「ブラピの声は悪声の部類だよな」と前々から気になっていたので自分にはなんかセルフパロディの感がありました。ラストの映画館のシーンはあの『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストを再現するつもりだったかもしれないが、ちょっとアートに走り過ぎた感があって感動を呼ぶにはほど遠かったな。 順調にキャリアを積んで『ラ・ラ・ランド』ではオスカーもゲットしたデイミアン・チャゼルだけど本作は結果として興行的には惨敗、やっちまいましたな… [CS・衛星(字幕)] 5点(2024-11-08 21:27:52) |
6. バッド・ルーテナント
《ネタバレ》 ハーヴェイ・カイテルがフルチンで怪演する『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』も昔観ていますけど、薄れた記憶を辿ってみてもヤクと博打の依存症な悪徳刑事が主人公ということ以外は、全然関連性がないと言っても過言じゃないでしょう。これじゃリメイクとは言えないんじゃないかと思うんだけど、実は監督のヴェルナー・ヘルツォーク自身も「この映画はアべル・フェラーラ作品のリメイクじゃないよ」と言っているし、じゃあ誰がリメイクと言い出したのかな? フェラーラ作品でのハーヴェイ・カイテルの怪演は有名だけど、本作のニコラス・ケイジの迫真の演技はそんなもん遥かに凌駕しています。ヴェルナー・ヘルツォークと言えばクラウス・キンスキーとの因縁コンビが有名だけど、実はニコジーとの相性も負けず劣らずだったんじゃないかな。ニコジー自身は本作の後の借金に追われて薄利多売の身に陥る10年以上続く低迷期の直前で、彼の全盛期の凄味が判る最後の輝きが本作だったんじゃないかな。ヤク中寸前で博打にも負け続きで首が回らなくなっている悪徳刑事テレンス・マクドノーは、まさに当時の彼自身の分身だったのかもしれません。 これはマクドノーの幻視だったんでしょうが、部屋でなぜかイグアナが動きっ回ったり射殺されたはずの男がブレイクダンスしたり、いかにもヘルツォークらしい演出だったと思います。どんどんドツボに嵌まってゆき自滅してゆくマクドノー、ところがラストにかけて急展開してゆきまさかのハッピーエンドとは、これぞまさにこの映画最大のサプライズでした。まあ考えてみれば悲惨な末路を迎えるマクドノーを見せても何の面白味がないでしょうし、自分としてはこれが正解だったんじゃないかと思います。最近は得てして揶揄の対象になりがちなニコラス・ケイジという名優の才能を、再認識するには最適の作品じゃないでしょうかね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-11-05 22:58:56) |
7. 新 仁義なき戦い 組長最後の日
《ネタバレ》 もう飯干晃一の原作とは何の関係もなくなっていた新シリーズの白鳥の歌、そして未練がましく続行するつもりだった東映の思惑が外れて文太・深作コンビの最終作となってしまった一遍です。すでにまったくのフィクションですが、実録ものじゃないだけに考えようではキレまくったストーリーだったとも言えます。個人的にはけっこう愉しめました。 末端のチンピラ売人同士のイザコザが大阪の大組織と九州の暴力団連合との戦争になってゆくというストーリーですが、手打ちになる展開を昔気質というか単なるKYとも見える菅原文太がぶち壊してしまうという展開です。東映がカーアクションに凝り始めたころの撮影ですので、とくに山道でのダンプ2台での襲撃シークエンスはけっこう見応えがありました。文太に狙われる大阪の組長は、どうもあの神戸の組織の三代目がモデルみたいですね。この小沢栄太郎が演じる大物は結局心臓発作で瀕死の状態になるのですが、その病室にカチこんで子分が「おやっさんはもう助からない、どうか安らかに逝かせてくれ」と懇願するのに射殺する文太の非情さにはちょっと震えます。もっとも護送される直前にパトカーを奪って小沢栄太郎を殺しに行く展開は、さすがに「そんなことあり得んだろ!」と呆れてしまいましたがね。妹の松原智恵子とは近親相姦の関係だったとか、文太のキャラはかなり癖が強かったですね。 まあ普通のヤクザ映画としては退屈しない出来だったと思いますが、このシリーズを通じてエスカレートしてきた手振れカメラ撮影が五月蠅過ぎた感がありました。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2024-11-02 22:27:45) |
8. ミステリー・トレイン
《ネタバレ》 “何も起こらない映画”の名手ジム・ジャームッシュ、初期作にはそんな称号が相応しかった作風が“大した事じゃないけど何かが起こる”風に変わってきた中期の作品です。メンフィスのホテルに泊まった三組の登場人物たちの一夜の体験を時系列をずらして群像劇として見せるというのはもうジャームッシュ版の『パルプフィクション』ですけど、タランティーノが撮る五年も前の映画なんですよね、これはタランティーノがパク…いや多大なる影響を受けたと言っても過言じゃないでしょ。バブル全盛期だった日本からJVCが出資したので永瀬正敏と工藤夕貴がキャスティングされたのかもしれませんが、二人は日本語で演技して他のアメリカ人俳優とはほとんど絡みはないけど、なんか二人のセリフ回しが(とくに工藤夕貴)拙く聞こえちゃうんだよな。やっぱ外国人を起用してその母国語で演技させると、監督には外国語なのでセリフ回しのニュアンスあたりには理解が及ぼないんだろうな。二人はしっかりエッチまでしてくれるけど、工藤がタバコを吸って永瀬に口づけしてその紫煙を長瀬が吸い取って吐き出すところは他に観たことない斬新なシーンでした。さすが『コーヒー&シガレッツ』のジャームッシュ、タバコに関しては拘りがありますね。二話目でニコレッタ・ブラスキにインチキなエルヴィス怪談で怖がらせてケチな寸借詐欺を仕掛けるトム・ヌーナン、なんせあのトム・ヌーナンですから怪談噺よりお前の存在自体がよっぽど怖いわ(笑)。そして三話目のスティーヴ・ブシェミたちの酔っ払いトリオの愚行には笑わせていただきました、こういうシチュエーションを演じさせたらスティーヴ・ブシェミはやはりピカイチです。 ①ホテルの宿泊代が一部屋22ドル②ジョー・ストラマーが酒屋で注文した酒代が22ドル③そして三人がホテルで割り当てられた部屋が22号室、この映画ではやたらと“22”という数字が出てくるんですよ、こういう拘りというか遊びがちりばめられているところがジャームッシュらしいところなんです、まあ意味不明ですけどね。あと、メンフィスからローマへの直行便は有りません、この人は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でもフロリダの田舎空港からブダペスト行きの直行便を飛ばした前科がありましたっけね(笑)。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-31 21:09:51) |
9. ボウリング・フォー・コロンバイン
《ネタバレ》 “世帯数が1,000万のカナダには700万丁の銃が存在するが、銃による殺人は米国の百分の一である”この映画の中ほどとラストのチャールトン・ヘストンのインタヴューで言及される事実だけど、この驚愕の数字こそがマイケル・ムーアがこの映画で訴えたかったことの核心なんじゃないでしょうか。さすがに彼にもあからさまには言えなかったけど、要は「俺たちアメリカ人はちょっとおかしいんじゃないか?」ということなんです。先住民たちを殺しまくって国土を拡大させてきた上に国内にいる多数の元黒人奴隷とその子孫たちが怖いので銃が手放せないんだ、と言うのは通説なのかもしれないが、そもそも“市民が武装する権利”なんてものを憲法に明記している国家なんて他にありますかね?こんな狂気を秘めた国家を攻撃したらどんな目に遭うかは日本は身に染みているはず、なんせ真珠湾を空襲したために最終的には三百万人近くが殺されて原爆を二発も落とされたんですからね。奇しくも9.11の犠牲者と真珠湾で死んだ兵士はほぼ同数、その結果アフガンと巻き添えを喰らったイラクは国家が消滅するほどの攻撃を受けたってわけです。 『進め!電波少年』のネタ元となった取材方法で一世を風靡したマイケル・ムーアですから、彼のそれまでの突撃アポなし取材の集大成として彼のキャリアのエポック・メイキングとなったのは周知のとおりです。ドキュメンタリーといっても彼の問題意識と怒りが軸となっていますから、やらせとまでは行かないまでも後に問題視された編集があることも確かです。まあ社会問題を扱ったドキュメンタリーは、観る者がその問題にどのような関心があるかで感想が違ってくるものですが、巧みな語り口なのでとくに米国人以外の観客には共感を得やすいんじゃないでしょうか。確かに自分にも「なるほど」と納得さてくれるところが多々あり、とくに全米ライフル協会とKKKが同年に設立されたという事実には、なんか背筋が寒くなるところがありました。 悪意のある編集をされたみたいだけど、言ってることはともかくとしても堂々とマイケル・ムーアのインタヴューを受けたチャールトン・ヘストンの姿勢は評価したい。でもムーアがヘストン邸を去る際に門脇に置いた学校で射殺された六歳女児の写真がどうなったかと考えると、ちょっと胸が痛みます。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2024-10-28 21:59:25) |
10. 唄う六人の女
《ネタバレ》 伝説のカルト映画『狂わせたいの』や未だに熱狂的なファンがいるバラエティー番組『オーマイキー』などで知られる石橋義正の、なんと13年ぶりの監督作品です。自分はその13年前の『ミロクローゼ』しか観ていないのですが、これもかなりのオフビートで度肝を抜かれました。その後はなんの活動も耳にせず「どうしちゃったんだろう?」と訝っていたらまさかの13年ぶりの映画製作、ただただ驚きましたよ。しかも『ミロクローゼ』で一人何役も怪演した山田孝之が出演、この人はアイドル好きだったりするしユニークなことに対する審美眼の様なものを持っていて信頼できる俳優です。 とんでもない山奥で謎の六人の美女たちに囚われてなぜか森から脱出できない二人の男、私はこの不条理劇の様な前半パートが好みです。なかなかの美形を揃えたこの六人、うめき声の様なものは発するけど全編で無言・セリフなしというシュールさもいいですねえ。彼女らには一応はキャラ分けはされているけど、ずっとリクライニングチェアに横たわってただ足を上げたり下げたりするだけの女は際立ってわけが判らん存在でした。冒頭からしてやたら昆虫や蛇が出てくるので耐性がない人にはきついかもしれないが、思うに彼女たちは森に生きる昆虫や両生類などの化身というか精霊みたいな存在と解釈できるでしょう。伏線回収を図ってゆく後半部は、核廃棄物処理施設なんかが出てきて理屈っぽくなったのは自分としてはちょっと残念な感じ、もっと不条理性をつき通して欲しかったな。でも山田孝之や竹野内豊の最期にはリアルとファンタジーの境目が意識され、良い幕の閉め方だったかと思います。 この映画は石橋義正の三本しかない劇場映画の中では尺は最長だし、これでもその中でもっとも一般受けしそうな作品かと思います。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2024-10-25 21:55:53) |
11. ふたりの女王 メアリーとエリザベス
《ネタバレ》 原題の通りでこの映画はスコットランド女王メアリーの物語で、イングランド女王エリザベスは言ってみれば狂言回しの様なストーリーテリングでした。ドロドロ・グチャグチャと言えばイングランドのチューダー朝のお家芸ですが、スコットランドのスチュアート朝も決して負けてはいませんね。スコットランド貴族たちの“裏切り御免!”ぶりは、皮肉ですけど観ていて清々しいほどです。なんといってもシアーシャ・ローナンの堂々たるメアリー女王演技には、あの少女がここまで立派になって…と感無量です。マーゴット・ロビーがエリザベス一世を演じるわけですが、天然痘を患って顔にあばたが残ったという割と知られた史実通りのメイクを再現しているところは、エリザベス女王が登場する映画で初めて観たような気がします。まあこれは、美貌でメアリーには負けるというエリザベスのコンプレックスを強調する意味合いがあるんだろうな。この映画ではメアリーがイングランドに亡命するまでのいわば彼女の人生の前半部がメインで、夫ダーンリー卿の爆殺の黒幕と疑われる根拠となった“小箱の中の秘密”事件や亡命後の数々の反乱計画などはスルーとなり、かなりメアリーに感情移入させる様な脚本になっています。あと、なぜかエリザベスの側近の一人が黒人、侍女の一人がアジア系の女優をキャスティングしているところがなんか奇妙。こういう物語上はあり得ない人種の俳優をあえて使う映画は他にも観た気がしますが、これも最近うるさいポリコレの影響なんでしょうか?そしてクライマックスでの、二人の女王は顔を合わせることがなかったという史実を超えたフィクションの会見、あの何枚ものベールをかき分けてついに果たした対面には二人の女としてのバチバチ感が緊張感を作っていました。 けっきょくエリザベスでチューダー朝は断絶してメアリーの息子ジェームズがイングランドの王になるという結末には、歴史の皮肉を感じさせるものがあります。メアリーのエリザベスへの最期の言葉は「あなたはいつか、私の流した血を思い起こすことでしょう」だったそうですが、苦悩の果てに死の間際に次王に指名したのがメアリーの血を引くジェームズだったのも皮肉です。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-22 22:55:54) |
12. 探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!
《ネタバレ》 考えてみれば、原作は読んだことないしマイク・ハマーが出てくる映画と言ったら『キッスで殺せ!』しか観たことないし、確かに『キッスで殺せ!』のハマーとはかなりイメージが違うところはあります。でもどちらも助手がセクシーな美女だという共通点もあるし、製作された時代の違いはあるけど妙にエロに力が入っているところも似ているかな。原作が出版されたのが40年代ですから設定や時代背景は当然アップデートされていて、マイク・ハマーはベトナム帰還兵でなんかよく判らんが軍やらCIAが絡んだ陰謀に巻き込まれるというお話しになっとります。何が起こっているのかよく判らない説明不足気味なストーリーテリングはハードボイルド映画のお決まりなのですが、アーマンド・アサンテのマイク・ハマーがあまりにカッコ良いんでそんなことあまり気になりませんでした。私立探偵にしては珍しく愛銃がブローニング・ハイパワー、こいつは弾倉に13発も詰め込んでいる軍用拳銃で、そりゃ戦闘力は強めです。愛するペットは熱帯魚なんだけど、外出するたびに何匹か死んでしまって嘆くのが可笑しい。彼アーマンド・アサンテはイケメン過ぎて主役スターを喰っちゃうのか脇役で使われることが多い俳優だが、こうやって主役を張ると改めていい役者だなあと再認識させられました。B級ながらもテンポがよくアクションもキレてるし良作だと思います、ただ難点としてはいろいろ詰め込み過ぎて判りにくいストーリーだったということかな。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-19 21:58:20) |
13. 大人の見る絵本 生れてはみたけれど
《ネタバレ》 最近“親ガチャ”なる言葉というか概念が流行ったが、この映画のテーマはまさに“昭和初年の親ガチャ”物語と言えるでしょう。これはもうどんな人間にも付きまとう不合理かつ宿命みたいなもんで、子供は自分の名前さえ選べないんだからどうしようもないことでしょう。この映画の時代のようにそりゃ戦前の方が貧乏人と金持ちの差は大きく、一種の階級社会みたいになっていたんじゃないかな。明治時代なら勉学や努力によって偉くなる=立身出世という“坂の上の雲”があったが、国家体制の骨格が固まってしまった昭和の時代には、日本社会に階層の固定化という閉塞感はあったと思います。 そんな金融恐慌が社会につけた傷がまだ癒えない時代の、中流サラリーマン氏の奮闘物語です。勤務先の専務の居住地近くに引っ越してきた吉井氏、上司へのへつらいがが功を奏してやっと課長の座を射止める。劇中頻繁に往来する電車は池上線なんだそうで、となるとあの郊外風景は旗の台とか雪が谷大塚あたりなのかもしれないが、現代の感覚ではまるで奥多摩の奥地みたいな風景です。主人公一家はこの線路脇に住んでいてそれは頻繁に電車が走るところが映りまるで現代の山手線のダイヤの様な錯覚がおこるけど、当時にこんなに電車の本数が多いわけがない。これは小津が意図してフレームに入るようにダイヤに合わせて撮影したみたいで、彼独特の東京的なものへの拘りとして意味があるのかもしれない。前半は吉井氏の二人の男児の日常生活と近所の子供たちとの交遊がメイン、この子役たちがサイレントとは思えない瑞々しい演技を見せるんです。近所のガキ大将グループに一人だけ幼女がくっついて来るが、この子の背中に「食べ物を与えないでください」みたいなことを書いた張り紙が貼ってあるのが面白い。雀の巣から卵をかっぱらって生で食べちゃうのにはびっくりしました、これって健康に害はないんだろうか?そんなガキ大将グループには専務の息子・太郎もいて、太郎の家で観た8ミリ上映会で会社で専務に媚びて完全にピエロとなった父親の姿を観てしまい、兄弟は親ガチャの悲哀に打ちのめされるのでした。 ここからの展開はパターン通りながらもいかにも小津映画らしくて印象に残ります。あれだけ痛いところを突く暴言を浴びせたなら戦前の父親なら例え小学生でも叩きのめしそうですが、せいぜいお尻ペンペンぐらいであとは内省してしまう人物像はいかにも小津作品らしいキャラでした。サイレント映画ですから字幕はそれこそ最小限という感じでしたが、不思議と声は聞こえずとも演者の言っていることが理解できるんですよね。何でもかんでもセリフで説明するストーリーテリングしかできない監督が日本では多いんですから、少しはこういうサイレント映画から学んで欲しいもんです。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2024-10-16 22:40:31) |
14. ニュースの天才
《ネタバレ》 アメリカでは『The New Republic』誌は政治問題を主に扱ういわゆる高級誌という位置づけなんだそうだが、例えとしては適当じゃないかもしれないが一昔前の朝日ジャーナルみたいな感じなのかな。その雑誌の若い20代の記者が書いた捏造記事のお話ですが、日本でも最近(自称)高級新聞の誤報(ほとんど捏造というのが正解)事件があったので興味が惹かれる題材です。この映画を観れば判るけど、この記者が捏造した記事は、お堅い政治記事が並ぶ同誌の中では暇ネタに分類されるような面白さを追及した記事です。こう言ってしまうと身もふたもなくなるが、国益を損なうというか国際問題にまでつながった(自称)高級新聞のやらかしとはスケールが違います。『The New Republic』誌の事件はあくまで記者個人がやらかした捏造で社の組織的な関与が疑われる日本のケースとは別種ですが、捏造された数十本の記事を解明してきちんと謝罪したこの雑誌の姿勢は見習うべきでしょう。 ヘイデン・クリステンセンが演じる捏造記者は、彼の爽やかなイケメンぶりにも関わらず終始反吐が出るほど嫌なキャラです。編集長から追及されている時には逆切れして彼に無茶苦茶な論旨で責任転嫁し、クビになって弁護士同席で査問されるまで非を認めないというクズっぷり、もっと初期に「ごめんなさい、捏造しちゃいました」と謝罪すれば良かったのにねえ。実に幼稚なサイト捏造や手製丸わかりの名刺、おまけに弟まで使って偽物を演じさせる、あれで何とか切り抜けられると思っていることに観ていて腹立たしくなってしまいます。こういう逆感情移入とも言うべき効果を観客に与えていること自体が、この映画の秀逸なところなんでしょう。彼を追いつめてゆく編集長ピーター・サースガードの、真相を知るにつれてどんどん無表情になって口数が少なくなってゆく演技、本当に怒った大人って確かにこうなりますよね。対するクリステンセンは追い込まれると被害者ぶって部屋の片隅でうずくまって同僚に媚びを売る、これはもう大人と子供の物語という感すらありました。 卒業した高校で成功した先輩が職業体験授業をしているという語り口が並行するストーリーテリングですが、ラストでそれがクリステンセンの妄想(捏造)だったという幕切れも秀逸でした。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2024-10-13 22:24:33)(良:1票) |
15. スイング・ステート
《ネタバレ》 “スイング・ステート”とは、米国の大統領選挙において共和党と民主党の支持勢力が拮抗していて、選挙の度に勝利する政党が変動する州のことだそうです。報道機関によって定義の差異はあるけど、アリゾナ州やフロリダ州など12から15州がスイング・ステートだと認識されていて、本作の舞台となる中西部ウィスコンシン州は代表的なスイング・ステートだとされているみたいです。 2016年の大統領選挙後から話は始まり、予想外の敗北だった民主党ヒラリー・クリントン陣営の選挙参謀だったスティーヴ・カレルは大ダメージを喰らう。ディアラーケンというウィスコンシン州の片田舎で住民僅か5,000人の町で、住民の前で共和党的な政策に異議を唱える退役海兵隊員クリス・クーパーの動画が失意のどん底状態の彼の眼に止まる。この人物を民主党から選挙に立候補させて町長にすれば、スイング・ステートであるウィスコンシン州に次回の大統領選での民主党勝利のくさびを打ち込めるというアイデアを思いつく。クリス・クーパーを口説きに現地に赴くが、選挙戦の実務は部下に任せるつもりだったのに自身が選挙参謀になる羽目になってしまう。民主党の大物選挙参謀が片田舎の町長選を仕切るということがマスコミに取り上げられると、現職を助けるために共和党も大物選挙参謀を送り込んできた。 この女性選挙参謀がローズ・バーンなのですが、因縁の男女の選挙コンサルタントがかち合うというプロットは、17年製作のサンドラ・ブロック主演の『選挙の勝ち方教えます』と同じだけど主人公が男女入れ替わっていますね。スティーヴ・カレルのキャラは“(ワシントン)DC・ゲイリー”と町民からあだ名がつけられる様な、内心では田舎をバカにしている都会風を吹かす嫌な感じの男です。ローズ・バーンもあの手この手を繰り出して選挙戦は過熱してゆき、両党ともに巨額の資金を投入してゆきます。スティーヴ・カレル主演の割には意外とコメディ要素は少なめ、ちょっと退屈な映画だと思って観ていたら、ラストではまったく予想外のどんでん返しを喰らって「これはやられた!」と嬉しい反応をしてしまいました。ネタばれになるからこれ以上詳しくは言えませんが、ぜひとも観て確かめてください。とにかく米国選挙制度で動かされる巨額のカネと、民主・共和両党とマスコミのいい加減さというかアホさぶりを強烈に皮肉った結末になっています。この映画に出てくるセリフですが、まさに米国には“選挙経済”というものが存在するみたいです。あと「選挙は数字!」、これもなかなかの名セリフでした。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-10 22:09:21) |
16. 運び屋
《ネタバレ》 クリント・イーストウッドが闇バイトに応募して麻薬の運び屋になる!いやはや、最初にこの衝撃のプロットを聞いた時には、あのハリウッド・レジェンドが演じるような役じゃないだろって思いましたよ。実話に(あくまで)ヒントを得た脚本なんだそうですが、実際に逮捕された老人とはデイリリー園芸家だったことぐらいが共通点、この老人は逮捕されるまで20年ぐらい麻薬組織のために働き、しかも自分から組織に売り込んで運び屋稼業を始めたらしいです。逮捕されたときは90歳で認知症が進行しており、受けた刑罰は懲役三年で高齢が考慮されて一年で仮釈放されたそうです。言ってみればかなりのワルだったみたいで、この映画のアール老人はかなりイーストウッドに合わせた感情移入できるキャラになっています、まあ“事実にヒントを得たフィクション”なんだから全然OKですけどね。 とはいえこのアール老人は運び屋として得た報酬でまず差し押さえられた農場を買戻し、それからバリバリの新車のピックアップ・トラックを購入して自分が通っていた火事で焼けた退役軍人クラブの再建に寄付、挙句の果てにはジジイのくせに若い女を引っ張りこんでワン・ナイト・ラブを愉しむ、けっこうやりたい放題です。確かに孫娘の学資を援助したりもしましたが、絶縁状態の元妻や娘と違って彼を慕っていたからで、けっこう自己中な生活をエンジョイしていた感があります。このアールという男には、かなり自由奔放な私生活を送ってきたイーストウッドの内省が込められているのかもしれません。しかし日本のトクリュウが運営する闇バイトとは違い相手はメキシコのカルテル、ヘンな動きをすれば見逃してくれるはずがありません。運送仕事をすっぽかして瀕死の元妻のもとに駆けつけたんですから、組織に見つけられた時点で抹殺されてしまうのが当然だと思いますが、そこから逮捕されるまでの展開はフィクションとは言えちょっと甘い脚本だったんじゃないかな。アールと接する組織の下っ端たちが戸惑いながらも彼に親近感を持つようになってゆくところは、イーストウッドの魅力を堪能できますね。 明らかにイーストウッドに残された時間は少なくなっているのは悲しい現実ですけど、アールが法廷で家族に言う「時間がすべてだった、何でも買えるのに時間だけは買えなかった」というセリフには、イーストウッドの心情が現れていたのではと思います。闇バイトに応募しようとしている若者には、本作を観るチャンスがあるといいよな… [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-10-07 22:54:18)(良:1票) |
17. ジョジョ・ラビット
《ネタバレ》 ビートルズで始まりデヴィッド・ボウイで閉める、第三帝国の社会生活という微妙かつ一歩間違えれば炎上必至のテーマなのにポップながらも重いテーマはきっちりと押さえている、これほど鮮やかな脚本が書けるこの監督はやはり天才なのかもしれない。考えてもみてください、太平洋戦争中の大日本帝国の市民生活をポップな基調でストーリーテリングする映画なんて、あったら面白いとは思うけどそういう発想も実現させる企画力も今の日本映画人は誰も持っていないんじゃないかな。 この映画で描かれるドイツ国内の生活は、史実とファンタジックな要素が絶妙なバランスでミックスされているのが特徴です。ドイツのどこの地方が舞台とされているのかは判らんが、屋外のシーンは終盤までは穏やかな晴天ばかりというのも興味深いところです。そこで描かれているのは平穏な市民生活で、史実でもナチスは革命が起きた第一次大戦敗戦のトラウマがあり、戦時中も国民にはいわゆる“パンとサーカス”が途切れないようにすることには熱心で、フランスやポーランドそしてソ連から略奪した食料や物資を惜しげもなく国民に供給しており、そういう意味でもドイツの一般国民にもある種の戦争責任があることは否めないんじゃないでしょうか。 主人公のジョジョ少年を観てるとどうしても『ブリキの太鼓』のオスカルを思い出してしまいますが、もちろんオスカルの様な怪物的な存在ではなく、歳が離れたユダヤ人少女にだんだんと惹かれてゆく演技には説得力を感じました。この映画では靴と靴紐が伏線の一つなんですが、広場で吊るされたスカヨハの脚と靴だけを見せてジョジョが母親の死に対面するシーンには、胸が締め付けられかつ鳥肌が立ちました。監督自身が演じたアドルフは明らかにドイツ国民を操ったナチス・イデオロギーの擬人化なんですけど、ストーリー上はあまり前面に出てこなかったところは良かったと思います。サム・ロックウェルのゲイの大尉もいい味出して泣かせてくれました。なんか『戦場のピアニスト』のトーマス・クレッチマンみたいな役柄でしたが、このゲイ大尉の方がはるかに印象に残ります。そしてビンタの後のジョジョとエルサのダンス、こういう撮り方ができる監督の才能に拍手喝采です。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2024-10-04 23:10:32)(良:1票) |
18. ジェイコブス・ラダー(2019)
《ネタバレ》 あのカルト映画のリメイクなんだけど、海外のサイトRotten Tomatoesなどではもう酷評の嵐、『ウィッカーマン』を挙げるまでもなくカルト・ホラーのリメイクは得てしてこき下ろされがちなのは判っているが、気を引き締めて鑑賞しました。ちなみにオリジナルはずいぶん前に観ているけど、オチしか覚えてなくてあまりイイ印象は残っていなかったなあ。 ぶっちゃけるとリメイクと言いながらもかなり設定などは変えられていて、オチがある意味オリジナルとは全然違うというのが不評の浴びる要因だったのかもしれません。主人公が従軍するのはもちろんアフガン戦争にアップデートされており、主人公自体とその家族も黒人に変えられているのが今風なのかな。オリジナルと大いに違うところは主人公ジェイコブと兄アイザックの物語というストーリーテリングであるところでしょう。掴みは記憶の中では戦死したはずの兄が生きていて再会するけどヤク漬けになっていた、これはスピリチュアルに走る展開なのかと思いきや、オリジナルでのヤク漬け実験を踏襲しつつも終盤では驚きの展開、これはちょっと意表を衝かれましたね。個人的にはオリジナルに拘らなければ普通に満足できるストーリーかなと思います。 ジェイコブやアイザックをはじめこの主人公家族がみな聖書にちなんだ名前なのはオリジナル通りですが、このオチでは前作のオチを暗示していたような『ジェイコブス・ラダー』というタイトルが意味がなくなってしまった感はありました。前作のラストにあったような“魂の救い”の様な要素は観られず、本作の方がダウナ―度は高めだったと思います。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2024-09-30 23:25:16) |
19. Q&A
《ネタバレ》 新米検事補ティモシー・ハットン以外の刑事と検事そしてアウトローの方々、みんなそろって悪人顔というところが凄い。やっぱ中でもニック・ノルティの悪徳刑事、もうプロレスラーがスーツ着て刑事やってるとしか思えない。粗野なだけでなく自分に不利益になる人間は情け容赦なく殺すし、もうほとんどサイコパスと言っていいレベルです。そんないかつい大男なのに、実はゲイだったという強烈なキャラでもある。そんな錯乱したシリアルキラーみたいになって追われているのに、警察署に戻って同僚刑事を射殺した挙句に初めて銃を撃った刑事に仕留められる最期は哀れでした。 悪徳警官とまっとうな警官が対立するというのは、NY派の巨匠シドニー・ルメットが『セルピコ』ですでに手がけているプロットなので「20年も経ってなんで今更…」感が強いです。「事件が大きすぎて手に負えない」と上層部は隠蔽・もみ消しを図るわけですが、単なる汚職警官と悪徳検事の癒着だった様な気もするしそこまで大げさな事件だったとは思えん。そこらへんが説明不足な脚本だったと思います。アイルランド系・プエルトリコ系・ユダヤ系とNYらしく人種葛藤を盛り込んでいるけど、それが物語に有機的に生かされていない気もします。あとティモシー・ハットンの行動も、直属ではないにしろ他の大物検事に情報を流しているのもこのキャラの線の細さが透けてしまってイラつかされる、セルピコじゃないけど完全に一匹狼のつもりで闘わなくっちゃダメでしょ!かつての恋人に未練がましすぎるのも感情移入を妨げた要因です。この映画である意味いちばん光っていたのは、やっぱアーマンド・アサンテだったと思います。なんかあっさりと退場してしまった感もありましたが、実は死んでなくてクライマックスで再登場なんてパターンもありますが、さすがにシドニー・ルメットがそんなアホな撮り方するわけないですよね(笑)。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2024-09-27 23:05:24) |
20. 新・仁義なき戦い 組長の首
《ネタバレ》 菅原文太が主演するだけでもはや『仁義なき戦い』とはなんの関係もなくなった物語で実録路線でもないフィクション、ここまで来るともはやタイトル詐欺、『組長の首』にしてもペキンパーの『ガルシアの首』のパクりですしね。ヤク中で破滅するサブキャラになんと山崎努が起用されているのが驚き、彼は東映初出演だったが本来は松方弘樹が予定されていたキャラだそうです。でも『暴力金脈』の単独主演が成功して役者としての自信が出てきた松方はキャスティングを拒否、文太も「わしゃぁもう実録路線には出演せん!」とごねた挙句の完全フィクション脚本、いろいろと製作には苦労があったみたいです。でも山崎のシャブで破滅する大物組長の娘婿というキャラはさすがにいい演技を見せてくれ、なんかお得な気分になれました。“修羅の国”北九州が舞台で文太が演じるキャラの方は単に“旅人”としか説明がない流れ者、でも『仁義なき戦い』の広能昌三とは違ってなんか脂ぎって執念深い生々しい男で、自分が対立組長を射殺して7年も懲役くらったのに出所後の対応が酷いと流れ者のくせにゴネて老舗組織をひっかきまわす。仁義とか義理なんて眼中になくひたすらカネと地位を追及する男で、考えてみればこいつさえ存在しなければ西村晃も成田三樹夫も室田日出男も死なずに済んだんじゃないかな、最後に自分だけは野望を成就して終わりってなんか酷くない?実在のモデルが存命中だった『仁義なき戦い』ではでは無理だったリアルなヤクザ像を、フィクションであるからこそ文太のキャラに投影できたんじゃないかな。あと抱いた男がみな死んでしまうという究極の死神女・ひし美ゆり子が強烈な印象を残してくれます。なんせあのアンヌ隊員が脱ぎまくるんですからね、こりゃ衝撃ですよ。薄幸の女という梶芽衣子が演じそうなキャラではなく、自分の魔性を自覚しながらしぶとく世渡りするしたたかな女だったところも良かったです。この死神女ぶりを判っているのに愛人としている成田三樹夫の(ちょっとここでは書きづらい)厄除け法が面白い、というか笑っちゃいます。けっきょく彼もジンクスは破れなかったけどね(笑)。まあ『仁義なき戦い』に拘らなければ、普通に退屈させないヤクザ映画だったと思います。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2024-09-24 23:49:02) |