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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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181.  ドント・ブリーズ
“最凶盲目爺さん”が織りなす恐怖と狂気。貧困による若者の絶望と犯罪。 デトロイトを舞台にして、現代社会が抱える“病”とそれに伴う“鬱積”が、一軒の古屋敷の中で渦巻き、恐怖と悲劇のるつぼと化しているようだった。 両者に同情の余地はあり、だからこそ両者ともに罪と罰を叩きつけられる。完全に是となる者が存在しないサスペンスホラーの構成が新しい。  盲目の屈強な老人が、暗闇の中で襲ってくる様は、恐怖体験としてフレッシュであり、その“モンスター性”にも独自性と魅力があったと思う。 “悪しき者”のアンチヒーロー化は、実にサム・ライミ(製作)らしいと思えた。 盲人役を演じたスティーヴン・ラングは、「アバター」で悪役軍人を憎らしく演じた様が印象的に記憶に残っているが、あの軍人が盲目になって襲ってくると想像すると、そりゃあ恐ろしい。  というわけで、盲目の老人が襲ってくるというアイデアを礎にして、アクション性とサスペンス性を散りばめた上で、確固たるホラー映画として成立させていることは、映画作品としてとても独創的だったとは思う。 ただし、ストーリー展開的には、どうしても粗というか、無理が生じていることを否めない。  逃げ場がないとはいえ、舞台は一般的な家の中なわけだから、いざとなったら如何様にも脱出は可能に見える。 盗み目的で侵入した若者たちが、自ら積極的に袋小路に入り込んでいるように見え、序盤から「お前らは馬鹿なのか?」やや鼻白んでしまった。 そして、最凶爺さんの方も、流石に超人的すぎてリアリティラインの境界を見失ってしまった。 元軍人という設定で、身体的な能力の高さや、玄人的な銃器の取り扱い、殺人に対する躊躇いのなさ等は理解できるが、盲目の状態であのような異様で綿密な“企み”を遂行できるわけがない。 ただシンプルに、実は何人もの侵入者を返り討ちにしていたということであれば許容範囲だったが、あそこまでいっちゃうともはやファンタジーだ。  まあしかし、そのぶっ飛び方が良い意味でも悪い意味でも常軌を逸しているポイントであることは確かで、それが老人のモンスター性を高めているとも言える。 もはや彼は、憎しみの権化として「人間」という領域を逸脱した悪魔的な存在であり、それを劇中で速やかに呑み込めさえすれば、心ゆくまで楽しむことができる恐怖映画だと思う。  僕自身は、そのリアリティラインの境界を呑み込みきることが出来なかったので、完全にこの映画を楽しみきるには至らなかった。 けれど、悪魔的な存在性へと高まった盲目爺さんが、主人公を追ってカリフォルニアで新たな恐怖を展開する“逆・ホーム・アローン2”的な続編があるのならば、それはそれで観たい。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-21 17:45:34)(良:1票)
182.  トランスフォーマー/最後の騎士王
「もはやナニがナンだかわからん!」のは、今に始まったことではなく、シリーズ3作目あたりから大体同じ印象をすべての鑑賞者が持っているはずだ。 このブロックバスターシリーズのファン、非ファンに関わらず、その“ワケの分からなさ”もしくは映像的膨大な物量の中で展開されるストーリーの“どうでもよさ”自体を受け入れられないような人は、そもそもこの映画を観るべきではない。その場合、非難されるべきは作品ではなく、鑑賞者の方だろう。 というわけで、前作(完全蛇足の中国観光映画)に対して、映画産業全体における危機感も含めて「0点」を献上した僕も、あらゆることを「覚悟」した上で、この150分に渡る超大作の鑑賞に至った。  先ず序盤から大いに戸惑う。「あれ?(録画リストから)間違えてキング・アーサーを再生してしまったのかな」と。 恐らくは、同年製作の「キング・アーサー」より多大なバジェットをかけていそうな暗黒時代の合戦シーンにあんぐりとした。 ただし、結果的にはこの大仰な大風呂敷の広げ方が、一辺倒だった当シリーズのエンターテイメント性に多様性を生んだとも言えると思う。  まったくもって「強引」極まりないが、謎の金属宇宙生命体であるトランスフォーマーと地球の因縁を、人類史を遡ってこじつけたことで、「ダ・ヴィンチ・コード」的なミステリーとアドベンチャー要素が加わっている。 その他にも、スパイ映画、宇宙人侵略映画、カーアクション映画、潜水艦映画etc様々な要素を増し増しに盛り込んで、胸焼け必至のボリュームでまとめ上げている。 サービス過剰の執事ロボットや、侵略者に慣れ過ぎちゃって平然とタイマンで交渉に臨んじゃうレノックス大尉など、惰性だろうとなんだろうと5作目まで続けてきたからこそ辿り着いた娯楽性も確実に存在する。  この映画世界はまさに「カオス」そのものであり、何を見せられているのかも分からなくなってくる。 が、マイケル・ベイ監督をはじめ製作陣は、そんな作風に対してとうの昔に開き直っているので、内容がどうであれその“映画づくり”においてはもはや迷いなどはなく、ワケのわからないものをワケのわからないままに堂々と作り込んでいるように感じる。 結果として、観ている側も「コレはこういうものだ」と納得せざるを得ない気持ちになってきた。  どうやら大風呂敷は更に広がり、トランスフォーマーたちとの因縁は地球という惑星そのものの誕生まで遡って、「エイリアン:コヴェナント」的な展開を目論んでいるようだ。 もう、どこまでも好きなだけ突き進めば良いと、諦観半分で応援したくなる。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-14 17:54:20)(良:1票)
183.  イット・フォローズ
概念的な死生観そのものを「それ」と表現して、確かにそこに存在するのに正体が明らかにならない「恐怖」のメタファーとして描き出したホラー映画であることは理解できる。 しかし、ハイティーンの主人公の目線を主眼として、こんこんと紡ぎ出されたそのテーマ性が、ストーリーの中で最終的に腑に落ちず、靄々としたままエンディングロールを見送ることになってしまった。  “新しい視点”のホラー映画だと思うし、面白くない訳ではないけれど、恐怖映画が苦手なため評判の良さを耳にしながら後回しにしつつ、いたずらに期待感を膨らませ過ぎてしまったことが良くなかったと思う。 やはりこういう映画は、空いた時間にたまたま入った映画館や、眠れない夜にふと見始めた深夜放送で観た時に、最良の映画体験となるものだと思う。  思うに、この映画は主人公らの“お年頃”同様に、ティーン・エイジャー向けの、いやティーン・エイジャーのためのホラー映画なのではないか。 確実に意識的にだろうが、この映画のストーリー上に「大人」が直接的に絡むことが殆ど皆無であることからも、それは明らかだ。 この映画で描き出される「恐怖」の根幹にあるものは、「性」即ち「セックス」との距離感と、意味合いが、より強い年頃の若者たちの中に渦巻く不安定さや曖昧さに直結するものなのだと思う。  セックスという行為に触れることで露わになる自分自身の“生物感”と“不確定要素”。 それは人間としての経験が浅く、故にその行為そのものに対して憧れや畏怖、不安などといった様々な感情が渦巻く若者だからこそ鋭敏に感じ取れてしまう「恐れ」なのではないか。 このホラー映画における「それ」とは、まさにその得体の知れない曖昧な「恐れ」のことだったのではないだろうか。と、思う。  だからこそ、とうの昔に大人になり(別にセックスに精通しているとは言わなけれど)、少なからず何かしらの経験を重ねて、子どもまで生まれてしまった自分には、この映画で表現される恐怖の正体について理解めいたことはできるものの、実体感を感じることが出来なかったのだと思う。 したがって、「それ」という表現から滲み出る曖昧さ自体に対して靄々した感情が拭えず、物語上の整合性の欠如や、論理性の脆さが、雑音として響いてしまった。  しかし、この映画が新しい視点とアイデアを礎にしつつ、或る世代における普遍的な「畏怖」を具現化したチャレンジングなホラー映画であることは間違いない。“或る視点”の映画として、長く評価される作品だとも思う。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-10-08 00:03:34)
184.  メカニック:ワールドミッション
「お粗末」という言葉がこれほどしっくりくる映画も久しぶりである。 個人的に前作は想定以上の満足度を得られた快作だっただけに、極めて残念だ。  往年のスター俳優チャールズ・ブロンソン主演による1972年の同名作のリメイクだった前作は、現役アクションスター界のトップランナーであるジェイソン・ステイサムの抜群のアクション性と独特の男臭さが、孤高の暗殺者という役柄にマッチした意外なほどに上質なアクション映画だった。 ステイサム版鑑賞後にブロンソン版を鑑賞したが、リメイク版の方がアクション映画としてのクオリティは高かったと思う。  前作の最大の面白味は、なんと言っても超一流の暗殺者である主人公が貫く“殺し方の美学”だ。 出来る限り「暗殺」であることを周囲は勿論、殺される当人にすら気づかせないように、「仕事」を遂行する。 マシーンの綿密な設計図のような計画表を打ち立てつつ、それを淡々と速やかに実行する様は、まさに“メカニック”。 己の生活空間を含め、あらゆる物事の細部に至るまで徹底した拘りを見せる主人公の佇まいは、一見無骨なように見えるけれど、どこか気高さと気品を併せ持つこの英国俳優だからこそ表現し得た存在感だった。  しかし、残念なことに今作では、その最も重要視すべき主人公のキャラクター性が、尽くないがしろにされている。 計画性が全く無いとは言わないが、前作で堪能できた殺しの美学は早々に影を潜め、行き当たりばったりの雑なアクションが繰り返される。 そもそもストーリーテリング自体が極めて陳腐。序盤に展開される“バケーションシーン”は全くもって無意味であり、前作の成功により得られたであろうバジェットを垂れ流していると言わざるを得ない。  やはり、先ず何よりも初めに、前作同様に主人公の完璧な“仕事ぶり”を見せて、暗殺業を引退した筈の彼が一体なぜそんな仕事をさせられているかを遡って見せれば、この主人公のキャラクター性を再確認させられたし、ストーリー展開としてもスマートだったと思う。 これもバジェットの増大によりキャスティングできたのであろうが、ジェシカ・アルバも、ミシェル・ヨーも、トミー・リー・ジョーンズも、使われ方が尽く雑であり、勿体ないの一言に尽きる。  ジェイソン・ステイサムは、アクションスター苦難の時代にあって存在感を放っている数少ないスター俳優の一人だと思うが、必然的に低予算の出演映画が多いため、決して良作揃いの俳優というわけではない。 そんな中で、前作の成功ポイントを全く理解していない愚かなスタッフにより、期待の続編が低レベルのお粗末映画に終始してしまったことはあまりに残念だ。  散々な映画だが、ジェシカ・アルバ嬢のカワイイお尻に免じて+1点。この女優も相変わらず作品に恵まれないな。
[インターネット(字幕)] 3点(2018-10-07 19:11:51)
185.  グーニーズ
1985年公開のこの有名すぎるアドベンチャー映画を、1981年生まれの自分がこれまで観ていなかったことには、何とも縁がなかったものだなと思う。 公開当時は4歳。劇場で観ることは出来なかったとしても、当然ながら何度もテレビ放映していただろうし、レンタルビデオで観る機会もいくらもあっただろう。全く縁遠いまま随分と大人になってしまったものだ。 先ず感じたことは、この映画をもし自分が4〜5歳の頃から繰り返し観ていたならば、きっと自分にとってもっと特別な映画になっていただろうなと思う。そういう可能性は大いに感じた映画だった。  スティーヴン・スピルバーグとリチャード・ドナーが組み、更にはクリス・コロンバスが脚本を担った今作は、オープニングクレジットから極めてテンポの良いエンターテイメント性に溢れている。 娯楽映画の玄人たちが生み出したそのテンポの良さは最初から最後まで一貫して、飽きさせることなく観客を映画世界に引き込む。 物語自体は、まったくもって荒唐無稽な絵空事でありながら、少年たちの葛藤を礎にしたジュブナイルとアドベンチャーを全面に描き出し、映画世界を成立させていることは、ひとえにスピルバーグをはじめとする超一流の映画作家たちだからこそなせる業だろう。  登場人物たちも、善玉悪玉問わずみな愛らしい。 特に、主人公のマイキーを演じるショーン・アスティンが何ともキュートだった。 この映画の往年のファンは、「ロード・オブ・ザ・リング」のサム役でショーン・アスティンが再び大冒険を繰り広げる様を見て、殊更に感慨深かったことだろう。 風貌はだいぶ変わってしまったけれど、彼が放つ仲間たちに愛される存在感は変わっていないもの。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-10-07 16:22:52)(良:1票)
186.  エスター 《ネタバレ》 
長年に渡って各方面からの好評は当然耳に入っていたものの、ホラー映画が大の苦手なので、常に“鑑賞予定リスト”に入りっぱなしだった今作をようやく鑑賞。 当然ながら序盤からビクビクしっぱなしで、恐怖感と不穏感をこれでもかと煽る演出と、卓越した画作りは際立っていたと思う。  基本的なプロットとしては、ホラー映画の傑作「オーメン」を彷彿とさせる。ただ、描き出される物語の本質は、現代社会と、或る夫婦間における普遍的な「鬱積」を炙り出しており、主人公と同様に二人の子を育てる同世代の者としては、殊更に映画世界が醸し出す居心地の悪さと不気味さを感じずにはいられなかった。 決して著名な監督が手がけていたり、有名な俳優が出ているわけでもない極めてミニマムなバジェットのホラー映画でありながら、評判通りに独自性に溢れた恐怖感を生み出す映画ではあったと思う。  しかし、ある意味致し方ないことではあるのかもしれないが、“ネタバレ”以降のクライマックスにおける恐怖感は、それまでに比べて著しく急降下してしまっていることは否めない。 “エスターは実は○○でした!”という真相は確かに衝撃的だけれど、それを突きつけられた途端、得体の知れない不穏な恐怖感は一気に霧散した。 その真相は、ある意味では確かに恐ろしいけれど、裏を返せば、ただただ“イタい”浅はかな狂った女の凶行にしか見えず、一旦そういう見え方をしてしまうと、この映画が行きつく顛末も容易に想像できてしまう。  作風に同じ匂いを感じた「オーメン」は、“オーメン”の天性的な悪魔性と表現した演出同時に、彼を「悪魔」の権化として捉えてしまう要因が、主人公夫婦をはじめとする周囲の人間の精神的な脆さにも起因するのではないかという疑念を絡ませたストーリー展開が極めて巧かった。  今作に隠された「真相」の部分が決して悪いとは思わないが、そういうことなのであれば、もっとエスターの言動は天才的に狡猾なものとして描き出されるべきだったのではないか。 すべての言動があまりにも子ども臭く、そもそも狂人であったとしても、もう少し上手く世渡りしろよと、いらぬ感情を抱いてしまう。 “ネタバレ”された瞬間に、そういった点での符号が成されなかったことが、ホラーとしても、サスペンスとしても、非常に残念だったと思う。  まあ、同じ人の親として口幅ったく言わせてもらうならば、実子たちの瞳に滲み出ている明確な「恐怖」を感じ取れていない時点で、主人公夫婦は「親失格」だったと断言せざるを得ない。 そういう意味では、不気味すぎるエスター役の子よりも、勇敢なマックス役の子の女優としての表現力の確かさの方が凄いと思える。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-09-24 01:02:33)(良:1票)
187.  ゲット スマート
よくあるタイプのスパイ映画パロディのコメディ映画だろうなと思いつつも、方々から意外な程の好評も耳にする作品だったので、期待を膨らませてようやく鑑賞した。が、正直な感想としては、“よくあるタイプのスパイ映画パロディのコメディ映画”だった。 公開から10年間に渡って、無意味に期待感を膨らませ過ぎてしまったのかもしれない。  そもそも映画という娯楽においてほとんどのジャンルは、良作であればあるほど、国や文化の違いを超えて受け入れられるものだが、「コメディ」というジャンルだけは、時に良作であればあるほど、文化の違いによりウケ方が全く異なることは多々ある。 繰り広げられるコメディ描写に対して、愉快ではあったけれど、心から笑いきることができなかったことは、この映画の敗因ではなく、僕自身の敗因だろう。  映画の中で殆ど笑顔を見せない演技で観客を笑わせるスティーヴ・カレルは優れたコメディ俳優だと思うし、もはやスキンヘッドの印象しかないドウェイン・ジョンソンの“髪型”にも笑ってしまった。 そして、個人的には、この映画のアン・ハサウェイだけはずっと見ていたい。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-09-17 01:15:57)
188.  エージェント・ウルトラ
公開前に予告編を観たときは、とても興味をそそられた。ヒョロガリのコンビニ店員が実は殺人マシーンでした!という設定は、良い意味で馬鹿らしくて、それだけでイントロダクションとしての娯楽性は備わっていると思えた。 そしてそれを演じるのがジェシー・アイゼンバーグというのも注目ポイントだった。この若手実力派の最筆頭とも言える俳優であれば、完全なダメ男ぶりと、実は秘められた狂気性を、一人の人物像の中に同居させ表現し得ることは容易に想像できた。  想像通り、ジェシー・アイゼンバーグの滲み出る狂気性は、主人公のキャラクター設定と合致しており良い。 陰謀によって生み出された悲しき“殺人マシーン”と、彼を支える恋人との逃避行は、古典的でありふれたアイデアのようにも感じるが、ストーリーの紡ぎ方自体には新しさがあった。 少なくとも、個人的には嫌いじゃない映画的雰囲気が醸し出されていたとは思う。 ただし、最終的に面白い映画だっとは言い難く、この手の映画でそういう印象を持たせてしまった以上は、「失敗作」と言わざるを得ない。  つくり手の思惑としては、「ボーン・アイデンティティ」的なキャラクター設定をベースにしつつ、「キック・アス」的な悪ノリのバイオレンスアクションを展開し、「スーパー!」的なマンガ的で悪趣味なポップさを充満させた映画世界を構築したかったのだろう。 その趣向自体は伝わってくるし、部分的には理解できる。 が、結局の所、映画としてのクオリティの低さが致命的だったと思う。 そもそもの発端となる陰謀めいたものと、黒幕であるCIAの首謀者たちの愚行ぶりが、あまりにもおざなりで目に余る。 悪ノリだろうが、悪趣味だろうが、根本的な話作りが滅茶苦茶なので、致命的な雑音となりストーリーに入っていくことができなかった。  娯楽映画として面白ければ、当然続編にも期待したい終わり方だったけれど、このクオリティの映画にジェシー・アイゼンバーグを続投させることはあまりに勿体ないので、止めたほうがいい。
[インターネット(字幕)] 5点(2018-09-16 15:39:28)(良:1票)
189.  マリアンヌ 《ネタバレ》 
戦争の狂気と愚かさの中で生まれた儚くも本物の愛。 諜報員としての「業」を背負った彼らは、おそらくはじめからこの平穏が永く続かないことを、心の奥底では覚悟していたのだろう。 冒頭から二人の瞳には深い闇が宿っていて、それは戦火の混沌の中を生き抜くために、彼らがそれぞれに犯してきたであろう「罪」を暗に示していた。 そんな彼らが、共に生存する可能性はほぼ皆無だったあの“出会いの作戦”で、必死に手繰り寄せた安息の日々。 それは、モロッコの砂嵐の中で愛し合った二人による、己の運命に対する抗いだったのだ。  極めて古典的なプロットを敢えて今の時代に映し出したロバート・ゼメキスの巨匠ぶりが冴え渡っている。 当初はおおよそゼメキスらしくない作品のチョイスに思えたが、近年の監督作品の系譜を振り返ってみれば、そのテーマ性は一貫している。 「フライト(2012)」にしても、「ザ・ウォーク(2015)」にしても、主人公が自らの人生の業と向き合い、運命に挑む様を描いた力作だった。 決して清廉潔白ではない主人公の生き様を、卓越した画作りと共に映し出し、見事な映画世界を構築し続けている。  主人公の夫婦を演じるブラッド・ピット、マリオン・コティヤールの演技も素晴らしい。 自らの運命に対する抗いを内に秘め、終始疑心と不安を携えつつも、それらをすべてひた隠し、必死に平穏を追い求める悲しき夫婦像を演じきっている。  サスペンスとラブロマンスを巧みに散りばめたストーリーテリングは、映画という娯楽の極みのようであり、「いい映画を観たな」という率直な満足感に満たされた。  物語は悲劇的な終焉を見せるけれど、マリアンヌが死の間際に思い描いた父娘の姿は、きっと深い愛を噛み締めて「生」を紡いでいたと思う。 彼女は、その充足感と多幸感に包み込まれながら、引き鉄を引いた。そう信じたい。
[インターネット(字幕)] 9点(2018-09-16 13:15:31)
190.  ミッション:インポッシブル/フォールアウト
このスパイ映画シリーズが、アクションエンターテイメントの最先端となって久しい。 毎年、数多のアクション映画が量産され続けているが、特に2011年の「ゴースト・プロトコル」以降は、“THE 娯楽活劇”のトップランナーであることは間違いないだろう。 そして、その要因はあまりにも明確だ。 唯一無二の主演俳優であり、製作者でもあるトム・クルーズが、心からの敬意を込めて「馬鹿」と付けたくなるほど、映画人としての努力と挑戦を惜しまずに、このシリーズ作を作り続けているからだ。 前作「ローグ・ネイション」で、彼と、今シリーズに対する信頼性は極まり、スタッフとキャストがほぼ続投となったこの最新作も、必然的に信頼に足る最高級のアクション映画に仕上がっている。  サブタイトル「Fallout」は、“仲違い”や“悪いことが起こる”、そして「死の灰」という意味を持ち、ストーリー展開をうまく表現したものだったと思うが、シンプルに「落ちる」というニュアンスも含まれているように思う。 そのサブタイトルが示す通り、「落ちる」という演出に固執したアクションとストーリーテリングが、もはや“偏執的”ですらあり、ひたすらに盛り込まれる“落下アクション”の連続には、相変わらず“映画馬鹿”な大スターの気概を感じずにはいられない。  シリーズ過去作をきっちりと踏まえたストーリーはよく練られており、主人公イーサン・ハントというスパイの男が持たざるを得ない宿命と辿らざるを得ない運命を、哀しく、切なく、ドラマティックに紡いでいると思う。 前作の顛末と地続きのストーリーラインも上手く作用しており、IMFメンバーとのチーム感、敵役との関係性等、より深い描き込みが胸熱だった。  ただし一方で、前作「ローグ・ネイション」の映画としての纏まりがあまりにも素晴らしかっただけに、その見事さと比較すると大仰でとっ散らかっているようにも感じる。 個人的には、目新しいギミック描写が殆ど無く、お約束のドレスアップシーンも無かったことは、マイナス点として挙げざるを得ない。  とはいえ、55歳を超えた稀代のスター俳優が、またもや全力で疾走し、実際に大怪我をする程のアクションを体現し、満身創痍になりながら、最後には世界を救って笑ってみせる。 その笑顔一発で、些細な難点などは霧散し、最終的には映画人としての尊敬と、圧倒的娯楽に対する感謝しか残らない。
[映画館(字幕)] 8点(2018-08-15 21:20:10)
191.  ゴースト・イン・ザ・シェル
アニメ映画の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」と、その続編である「イノセンス」は“一応”観ている。が、しかし、押井守監督が生み出したアニメーションの独特の質感と、鬱々とした世界観が、個人的にどうにも肌に合わず、面白いとは言い難かった。 人間と、電脳、アンドロイド、サイボーグが混在する近未来の混沌を描き出すにあたり、描き出されるテーマがどんどんと陰鬱に、インサイドの更にインサイドへと突き進んいくストーリーの構図が、精巧に感じる反面、酷く“ひとりよがり”にも感じてしまったことが、拒否感の最たる要因だったと思う。  そんなわけで、満を持してのハリウッド映画化の報を知っても、特段興味はそそられず、本来東洋人設定であるはずのヒロインにスカーレット・ヨハンソンを配したキャスティングにも安直さしか感じなかった。 “ビートたけし”の主要キャスト起用にも、キアヌ・リーヴス主演の往年のトンデモSF映画「JM」を彷彿とさせるばかりで、観る前から“やっちまった感”を覚えた。  だがしかし、だ。そうやってハードルを下げきって実際に観てみたならば、いやいやどうして、フツーに面白かった。映画とは、本当に厄介な娯楽である。 少なくとも、アニメ映画「攻殻機動隊」の非ファンとしては、想像以上に面白かったと言える。  考えてみれば、これだけ世界的なファンと非ファンを持つ作品の映画化にあたっては、どれだけ完成度を上げて仕上げたところで、どこかしらの角度からの「否定」は避けられないわけで。 そんな火中の栗を拾うようなプロジェクトに無謀に、いや果敢に挑み、統一された価値観で纏め上げて見せていることには、今作の製作陣のプライドを感じた。 当然ながら原作のファンなのであろうスタッフ陣が、原作はもとより「日本文化」そのものに対してのリスペクトをしっかりと掲げて映画の世界観を構築してくれていることも、この国の映画ファンとして意気に感じる。  また、懸念材料だったキャスティングも、強引ではあるが辻褄は合っているストーリー設定で整合性を保っているし、想像以上に主要キャラクターだったビートたけしと、桃井かおりの存在感が光っていたことも誇らしかった。  今一度、アニメ版「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を見直してみようと思う。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-08-12 00:20:01)
192.  ジュラシック・ワールド/炎の王国
ラスト、貫禄たっぷりに年老いたマルコム博士が、「ようこそジュラシック・ワールドへ」と強い眼差しで言い放つ。 前作では「テーマパーク」の呼称だった“world”が、真の意味の“world”に転じた瞬間、前作で生じていた消化不良感は消化され、シリーズを通じた高揚感を覚えた。 原題「fallen kingdom」が指し示す真意がラストに際立ち、腑に落ちる。多少トンデモ展開であることは否めないけれど、こういうSF的暴走は、個人的に大好物なのだ。  至極当然なことではあるが、「ジュラシック・パーク」シリーズは「SF映画」であるべきだと思っている。 SF作家のマイケル・クライトンが著し、スティーヴン・スピルバーグが蘇らせた「失われた世界」には、常にSF的主観があり、物語に登場する科学者や博士の目線によって綴られるからこそ、あたかもフィクションの境界を超えた“実像”として、僕たちの目に映ったのだと思う。 その“博士の目線”が薄れ、単純なヒーロー&ヒロインもののアドベンチャーに終始していたから、僕は世界的大ヒットとなった前作に今ひとつ乗り切れなかったのだと思う。  今作も、主演コンビが続投となり、主要キャラクターの中に明確な科学者や博士は存在しないが、前述の通り、冒頭とラストのみにカメオ出演的に登場するマルコム博士の存在感が利いている。 彼が如何にも意味ありげに博士的見解を発するからこそ、良い意味でB級的なSF映画色が際立っている。流石はジェフ・ゴールドブラム(ファン)である。  また、日本語タイトルの「炎の王国」を軽くいなすように展開される“舞台チェンジ”も見事だ。 噴火する孤島を舞台に大仰だけれどありきたりな大スペクタクルが展開されるのだとばかり思っていたが、“ゴシック屋敷”への大胆な舞台変更により、映画のテイストはまさかの“ゴシック・ホラー”に転じる。 改造人間ならぬ“改造恐竜”が、大屋敷内を所狭しと暴れまわったかと思えば、雷光を浴びた恐ろしげな影がじわりじわりと少女に迫りくる。 前半の火山島シーンも含めて、映画的なビジュアルセンスに優れた気鋭のスペイン人監督(フアン・アントニオ・バヨナ)に、この最新作の舵取りを担わせたことは、大ファインプレーだったと思える。   生命の理を超越して蘇り、生き延び、進化した恐竜たちは、生命として進むべき新たな道を辿る。 一度放たれた生命を“檻”で囲うことなど不可能だ。 T-REXの咆哮は、その真理を高らかに宣言しているようだった。   かつて偉大な恐竜映画は、一人の恐竜ファンの少年を興奮で包み込んだ。 あれから25年、36歳になった少年は、彷彿とされる興奮と共に、あの1993年の夏を思い出す。
[映画館(字幕)] 8点(2018-07-21 22:01:28)
193.  ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
「ハリー・ポッター」シリーズは、全8作を“一応”鑑賞している。最終作「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」は満を持して劇場で鑑賞したが、結局最後の最後まで乗り切れなかったというのが正直なところだ。 児童文学の映画化シリーズとして致し方ないし、むしろ真っ当なことなのかも知れないが、話運びや登場人物たちの言動に対して“子供向け”の範疇を超えたものを感じることが出来ず、シリーズを通じて成長した主人公がどんなに必死の形相で呪文を唱えても、滲み出る“お遊戯感”を受け入れることが出来なかったのだと思う。 ただし、この映画シリーズが、老若男女世界中の人々に愛され人気を博した映画史に残るシリーズであることは否定しようもないし、原作ファンでも無い者が否定する余地はないと思う。  そんな個人的なスタンスのため、このスピンオフ作品についても、それほど興味を持てぬまま続編となる最新作の公開を間近に控えた今の今までスルーする形になっていた。 本シリーズに通づる“お遊戯感”にプラスして、ファンタジックな生き物たちが登場するファミリー向け映画なのだろうと高を括っていた部分もあった。  が、しかし、実際に観てみたならば、いやいやどうして想像よりもずっと好きな映画だった。 珍妙な魔法生物たちが続々登場するファンタジックな映画であることは間違いないけれど、映画全体のテイストが決して子供だましなわけではなくて、“オトナの可愛らしさ”が随所に散りばめられた良いファンタジー映画だった。  思うに、「ハリー・ポッター」シリーズは、「子供」が主人公であることによる避けられない幼児性や稚拙さが、話運びのまどろっこしさに繋がっていたのではないかと思う。 しかし今作は、主人公のニュート・スキャマンダーをはじめ、登場人物たちはみな既に何かしらの人生の機微を味わっている「大人」たちだ。 大人ゆえのまどろっこしさも勿論あるが、そういう部分も含めて、彼らが織りなす人生模様が物語の奥ゆかしさとして表れている。 1920年代の古式ゆかしきニューヨークの物語舞台と魔法との相性も極めてよく、秀麗なビジュアルを見せてくれていると思う。  一転して、公開を控える最新作が俄然楽しみになってきた。 今作でサプライズ登場したジョニー・デップに加え、若きダンブルドア役にジュード・ロウ!パリ・ロンドンを舞台にした映像世界にハマらないわけがない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-07-17 00:07:58)
194.  パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊
前作「生命の泉」から7年も経っていることに唖然とする。そして、7年も間を空けた上で、前作の流れを引き継ぐわけでもなく、まるでシリーズ第一作目かのようなベタな焼き直し的ストーリーを展開したのは如何なものか。 もはや忘却の彼方だったが、前作で新登場したペネロペ・クルス演じる女海賊アンジェリカが、引き続き登場する流れだった筈だが、この最新作では触れられもしなかった。 敵役として、二番煎じ、三番煎じなキャラクターをハビエル・バルデムに演じさせるくらいなら、妖艶な女海賊と対峙する様をしっかりと描いてほしかった。まあ7年も間が空いてしまった時点で、ペネロペ側としてもNGだったのだろうけれど。  キャストを一新した“リブート”だと言うのならば、まだ理解は出来よう。だが、ジョニー・デップに頼り切りの製作陣からはそんな考えは毛頭あり得なかったようだ。 であるならば、新世代を主軸に据えた新展開を繰り広げれば良かったのではないかと思う。 ウィル・ターナーの息子を主人公にして、新世代の新キャラクターを活躍させつつ、随所でジャック・スパロウやキャプテン・バルボッサの存在感を際立たせる「エピソード7」的なアプローチが展開できたならば、シリーズ全体の魅力を昇華させる新作になり得た筈だ。  オーランド・ブルーム演じるウィル・ターナーを海の底から復活させて、更なる続編を目論んでいるようだが期待は出来まい。 おそらくは、ひたすらに繰り返されるプロットで、ジャック・スパロウがバタバタと暴れまわるのだろう。それを観たいファンが喜んでいるのならば、もはや何も言うまい。 そして、海に沈んだくらいであのバルボッサが死んだとは、誰も信じていまい。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2018-07-16 21:47:17)
195.  犬ヶ島
「日本」という国は、なんて奇妙で、ユニークで、興味深い国なんだろう。と、思う。 日本人でありながら、この映画を観ていると、この国の「異質」さに頭がクラクラしてきた。 それは、決してこの映画がいわゆる“トンデモ”日本描写に溢れているというわけではない。 日本の文化と風土を愛してくれている稀代のクリエイターが、懇切丁寧にこの国の本質を表す描写を積み重ねている。 その結果として、こんなにもエキセントリックな映画が出来上がるのだから、それは即ち、やはりこの国そのものが本当にエキセントリックということなのだろう。  “今から20年後”という時代設定も巧い。この表現により、この先いつどの時代に今作を観たとしても、近未来を描いたディストピア映画のように見える。 そして、映し出される映画世界は、過去も未来もあらゆる時代が混濁している。それは、この物語がどの時代にも当てはまる悲哀と戒めを秘めていることの暗示でもあろう。  権力と暴力により虐げられる対象を「犬」としてこの物語は綴られているが、その光景はまさに今なお続く人間の負の歴史そのものだった。 もしこれがそのまま「人間」が虐げられる話として描き出されていたならば、とてもじゃないが直視できない。 けれど、人間の“隣人”である「犬」に置き換えて、独特の風合いのストップモーションアニメで映し出すことで、映画としての可笑しみが生まれ、同時に胸に刺さる悲しみや辛辣さも孕むことに成功している。  ウェス・アンダーソン監督ならではのフェティシズムに溢れたユーモラスでブラックな快作である。 コレ程偏執的な「日本愛」を示されては、日本人として、映画ファンとして、ニマニマしながら観るしかなかった。
[映画館(字幕)] 8点(2018-06-21 09:23:39)
196.  ゲティ家の身代金
「地獄の沙汰も金次第」ではないけれど、ビジネスの成功は勿論、慈善事業も、教育も、犯罪も、人の生死すら、「金」でどうにかなるという現実、むしろ「金」が無ければ何も行動を起こすことすらできないという現実を、終始一貫突きつけてくる。 まさに「この世界は金がすべて」という身も蓋もない現実を、ファーストシーンからラストカットまで言い切っている。  登場人物たちが揃いも揃って「金」という概念に支配され、右往左往する様は「皮肉」に満ちており、深刻な事態を描いているにも関わらず、時には失笑すら禁じ得ない。 しかし、その観客の失笑すらも、この映画世界の内外に存在する怪物のような“二人の老人”による「支配」の範疇なのではなかろうかと思える。 即ち、リドリー・スコット監督による豪胆かつ繊細な映画作りと、緊急登板したクリストファー・プラマーのリアルで精力的な役作りの賜物だと思う。  スキャンダルによりケヴィン・スペイシーが撮影完了後に降板するという非常事態をはじめ、その後のギャラの男女格差問題に至るまで、不幸にも色々とゴタついた撮影現場の苦労は伝わってくる。 正直言って、この映画が本来到達すべき「完成度」に至っていないことは垣間見える。だがしかし、その諸々のトラブルやそれに伴う社会的な“視線”すらも、作品の“味わい”として加味し、驚くべき短期間で纏め上げてみせたリドリー・スコットには感服せざるを得ない。  また、「やっぱりケヴィン・スペイシーで観てみたかった……」という、映画ファンとしての正直な思いも否定はできないけれど、あまりにも豪華すぎる“代役”となったクリストファー・プラマーの強欲かつ哀愁漂う「糞爺」ぶりは脱帽だった。  一見、キャラクターの焦点がぼやけているようにも見えるし、ストーリーテリングはちぐはぐに見える。実際、上手く纏まり切っていない映画なのかもしれない。 ただ、だからこそ、この欲と不条理に塗れた現実世界に蔓延する「皮肉」を、巧みに表現し得たとも思える。  良い意味でも、悪い意味でも、「生々しい」この映画の雰囲気をクリエイトしたのが、御年80歳の超大巨匠であることに、またしても舌を巻く。
[映画館(字幕)] 7点(2018-06-07 23:48:53)
197.  アナイアレイション -全滅領域-
美しく、そして残酷な、“未知との遭遇”。 映画全編に渡る得体の知れない恐怖感と、「世界」と「世界」の狭間を描き出したビジュアルの美意識自体は、決して嫌いじゃなかった。 幻想的で、芸術的、そして観念的なアプローチによるSF的な解釈は、興味をそそられた。 けれど、映画の中の“調査隊”が謎と恐怖に包み込まれた真相に突き進む程、ストーリー的な推進力は緩慢になり、残念ながら面白味も霧散していくようだった。  詰まるところ、「SF」として物語を紡ぐには、それを語り切るに相応しいストーリーテリング力が欠如していたのだと思う。 理解し難く、“答え”そのものを観る側に委ねるタイプのSF映画は多々あるし、それはそれで大好物だけれども、この映画の場合は、秘められているのであろう“哲学性”が巧く表現できているとは言えず、展開の稚拙さや唐突さが雑音となり、それがどんどん大きくなったまま終幕してしまった。  ナタリー・ポートマン演じる主人公が、オープニングからエンディングに至るまで、ひたすらに「わからない」を繰り返すばかりでは、流石にストーリーそのものを放り投げすぎじゃないか。 そう思わせてしまった時点で、この映画の目指した“試み”は失敗しているのだと思う。 プロットやストーリーにおけるアイデアそのものは、過去のSFスリラーでも幾度も描かれている類のものなので、この映画が描いている顛末は何となく理解できる。しかし、観客にそれを腑に落ちさせなければ、それは単なる自己満足的な絵空事に過ぎない。  「エクスマキナ」で一躍気鋭監督となったアレックス・ガーランドの最新作であり、キャストも一流どころを揃えているにも関わらず、劇場公開が難航し、一転してNetflix公開となったこの映画の辿った道程の「理由」が、何となく見えてくる。  予算面含めて、もう少し製作環境が整っていたならば、それこそSF映画の新たな傑作になり得ていた可能性も感じるだけに、SF映画ファンとしては至極残念だ。
[インターネット(字幕)] 4点(2018-06-04 17:25:00)
198.  トムとジェリー スパイ・クエスト
海水浴に訪れたトムとジェリーが、スパイキッズに遭遇し、世界征服を目論む秘密結社と対決する。 ストーリーのフィールドが大きくなって、毎度おなじみのドタバタが展開されるわけで、それ以上でもそれ以下でもなく、果たして映画と位置づけていいのかどうかも微妙だけれど、その身一つで、世界中のすべての子どもたちの目線を釘付けにするこのネコとネズミのスラップスティック・コメディ力は流石だ。 我が家の子どもたちもしっかりと釘付けだった、休日の束の間。
[CS・衛星(吹替)] 4点(2018-05-13 23:59:12)
199.  怪盗グルーの月泥棒
何だか知らぬ間に、ミッキーマウスやハローキティ並の大人気キャラクターになっちゃってる“ミニオンズ”。今更感は強いが、ミニオンズが初登場する今作を子どもたちと鑑賞。  なるほど、ミニオンズの造形や動きはユニークで、ポップアイコンとしての魅力は抜群だ。子どもや女性に人気があるのはよく分かる。 「その他」と言っちゃあなんだが、主人公グルーのビジュアルやキャラクター性も、アニメらしく過剰な娯楽性も含めて良いと思う。 少なくとも、共に鑑賞していた6歳と3歳の子どもたちは画面に釘付けだったので、アニメ映画として及第点だろう。  ただ、ピクサー映画やディズニー映画のように、老若男女が楽しめる映画かというと、その点は少々疑問だ。 キャラクターの造形が魅力的な反面、キャラクター性に説得力がない。 特に主人公グルーは、端々の描写から察するに、もっと心の奥底に「孤独」を抱えたキャラクターであるべきだったと思うが、今ひとつ真に迫ったものが伝わってこない。 彼がなぜ「月」に執着したのか?「母親」との関係性に鬱積があるのか?そういう主人公造形の核になるべき部分の描き込みが極めて軽薄で中途半端なので、あって然るべきののドラマ性が生まれていないと思う。  とはいえ、前述の通り“子供向け”だということを割り切れば問題はなかろうし、本来アニメとはそういうものだろう。 そして、“ミニオンズ”という人気キャラクターを生み出したことによる商業的成功も、賞賛すべきことなのだろう。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2018-05-05 20:21:58)(良:1票)
200.  ゴーストバスターズ(2016)
1984年の「ゴーストバスターズ」は、世代的に、少年時代にハリウッド映画に触れ始めたタイミングの作品でもあり、非常に馴染み深い。 個人的には、アメリカの娯楽映画とはこういうものと無意識レベルで植え付けられた映画とも言え、ある意味娯楽映画の“基準”となった作品だった。 「もの凄く素晴らしい映画!」ということでは決してないけれど、特に僕らの世代以上の映画ファンにとっては、“愛着”のある映画であったことは間違いないだろう。  そういう意味では、オリジナルキャスト達のカメオ出演や、あの愛すべきアイコン、そしてテーマ曲等の踏襲は、往年のファンとして少なからず“アガる”ポイントであったことは言わずもがななところ。 時代と、主人公たちのキャラ設定は変わっているけれど、NYを舞台にして、お決まりのテーマ曲、お決まりのロゴマーク、お決まりのコスチュームで、“ゴーストバスターズ”の面々が出揃った瞬間、「帰ってきた!」と高揚した。  しかし、だからこそ殊更に残念なことだが、今作には、そういった高揚感を映画作品として保ち続けるための魅力が備わっていない。 言うなれば、“リメイク”として、オリジナル作品にあった魅力を再現できておらず、無論それ以上の付加価値を見出だせていないということだ。  バスターズの面々の性別を変えて、現代版として焼き直すからには、何かしらの新しい価値観や、テーマ性を示してほしかった。 今作の監督+主演コンビで、結婚式にまつわる女性の親友同士の「本音」をドぎついコメディと下ネタで繰り広げてみせた「ブライズメイズ」は最高のコメディ映画だっただけに、その部分が期待はずれだったことはとても残念だ。 オリジナル版のビル・マーレイやダン・エイクロイドは、勿論コメディ俳優という領域を超えた「名優」だが、今作のクリステン・ウィグやメリッサ・マッカーシーも、今後同等以上の存在感を放つ可能性を持った女優だけに、彼女たちが弾けきれていないことが殊更に口惜しい。  “ソー”こと、クリス・ヘムズワース演じる“逆・紅一点”の秘書ケビンの常軌を逸した“脳筋”ぶりは可笑しかったけれど。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2018-04-30 00:54:58)(良:1票)
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