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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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261.  炎の人ゴッホ 《ネタバレ》 
伝道師時代から自殺までのゴッホの生涯をコンパクトに過不足なく、ある程度の深みも持たせながら、2時間に収めた監督の手腕は見事である。ゴッホが乗り移ったかのようなカークダグラスの演技も見事としかいいようがない。 個人的にはゴッホはあまり好きではない画家であった。特に日本では過剰に人気のある画家であり、ちょっと過大評価されすぎなようにも感じていた。しかし、本作での彼を観ると、やや見方を変えなくはいけないのかもしれない。 絵画だけではなく、伝道や恋愛までも周囲の人々が引くほどにのめりこみ、周りを気にせず、何事にもとりつかれたように、自らの魂を削って入れ込むゴッホの気質が見事に捉えられていた。孤独や自己不信に怯えながらも、人々を感動させたいという熱い想いだけが煮えたぎっている。臭いや、温度までをも感じさせたいという願いから、あれほどの凹凸から出るほど厚く絵の具を塗りこめた筆触となっていったのだろうか。 父にも見放され、従兄弟への愛も実らず、同じような孤独の闇を抱えていたシーンとも結局貧しさという壁にぶち当たり上手くいかず、同じ画家で、同じように売れずに、同じように孤独と絶望とかすかな希望という共通点を抱えたゴーギャンとの共同生活も、性格上や芸術上の不一致から破綻する。想像で絵画を描けるゴーギャンと、実際に目で見て、自分が感じたものでないと画を描くことができないゴッホの違いもきちんと描かれていた(ゴーギャンは自分の死の間際に「ひまわり」を描いたそうで、それなりにゴッホに対して敬愛の念を抱いていたのだろう)。 また、ゴッホを語る上で外すことのできない弟テオの無償の愛も美しい(テオはゴッホの死後、精神的に参って半年あまりで亡くなっている)。他者に迎合できず、自分のやり方・生き方を貫くという生き方しかない。そんな不器用で一途で孤独の男を支えられるのは、自分しかいないとテオも感じていたのだろう。テオ自身の苦悩も随所に感じられた。「こんな妻がいるのに、痩せすぎではないか」というゴッホの無神経な一言も重すぎる。 個人的には、ゴッホの人生のターニングポイントである肝心の耳きり事件にもうワンパンチ欲しかったように感じた。「絶望だ。出口が見えない。」という自殺の引き金となるような言葉や、絶望や孤独に押しつぶされていく様などを欲しかった(映画で描かれた流れは恐らく事実に即しているのだが)。
[DVD(字幕)] 6点(2006-10-30 00:58:45)(良:2票)
262.  サンキュー・スモーキング
本作は「インサイダー」のようなタバコ業界の内幕を暴露するような映画でもなければ、マイケルムーア作品のようにタバコ業界を糾弾するような映画でもなく、「スーパーサイズミー」のようなタバコの害を体験しながら明らかにしていくドキュメンタリーでもない。 本作はタバコ業界を舞台にした人間ドラマである。しかも、タバコ業界に関与している者同士の利権や思惑が交錯する複雑なものではなく、根っこは「親子」の在り方を描いた作品である。なぜ、タバコ業界を描きながら、親子の話がでてくるのかと感じた人もいたのではないだろうか。<以下ネタバレ>タバコに害があるというのは、大人であれば誰でも分かることだ。害があると知りつつ、タバコを吸うのには誰に責任があるのだろうか。 本作では「本当にタバコ会社に責任があるのだろうか?」という問い掛けをしている。話を変えれば、「肥満の責任はマクドナルドにあるのか?」「クルマの事故は自動車会社にあるのか?」「殺人の責任は銃器メーカーや刃物製造会社に責任があるのか?」「飲酒運転はビール会社や自動車会社に責任があるのか?」という問題と同視できるのではないか。責任の一旦はあるのかもしれないが、(タバコには中毒性という問題があるかもしれない)これらに起因する責任は「自己責任」ではないかという問題提起をしているのが新しい。各人が自分の行動に責任をもてるようにするためには何が必要なのか?という答えに対して、本作では「教育」という問題を取り上げている。学校での教育ではなく、家庭での教育である。本作では、父と子どもが向き合って話し合い、ありのままの父親の姿を見せ、子どもに考えさせ、子どもを成長させ、時には、子どもに励ましてもらい、子どもに対して恥ずかしくない生き方を示していく。お互いがお互いを成長させるという理想的な姿をユーモラスに描き出している。訴訟大国アメリカにおいて、タバコにドクロマークをつけるかどうかというように問題をすり替えることで決着させるのではなく、本質的で当たり前の部分を突いているという点に対して、とても新鮮で驚かされることとなった。 本作の上映前に同監督の短編「In God We Trust」という作品も特別に併映された回を鑑賞することができた。結構、他の観客には大いに受けていたが、それほど笑いのレベルは高くはないと感じた。本作がDVD化された暁には、この短編も付録につくのかな。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-24 00:03:24)(良:1票)
263.  カポーティ 《ネタバレ》 
小説「冷血」は未読。せめて映画「冷血」は観たかったが、常にレンタル中のため、待ちきれず本作を鑑賞することにした。読んでおくにこしたことはないが「冷血」を知らなくても、なんとか本作は十分鑑賞できるのではないか。 本作の主眼は、事件の真相というよりも「人間の内部に潜む冷酷な二面性」だろう。カポーティは、ペリーに近づき、親身になって友人として振る舞うことによって、小説のネタにするための事件の真相を探ろうとしたに過ぎない。徐々に、彼の心の闇を垣間見てしまうとふいに気付いてしまう、彼は自分自身と同じであると。「表出口から出て行ったのが自分で、裏口から出て行ったのがペリーだ」と気付く。一方は、賞賛される人気作家であり、他方は、死刑が待ち受ける犯罪者であるが、その根っこは同じである。人々から、奇異と受け止められ、周囲から疎まれ、誰からも自分のことなど理解してもらえない。ゲイの恋人はいるものの、真の意味で通じ合っているわけではない。カポーティは自分自身しか愛せなかったからだ。そんなカポーティに、真の意味で通じ合えたのが、家族から愛されず、理解もされないペリーだ。彼は、どんな日常生活よりもペリーと過ごす時間の方がくつろげたはずだ。自分自身しか愛せなかったカポーティが自分と同視できる存在と向き合えるのだから。 そんな心の安らぎであるペリーに対して、誰よりも死を待ち望んでいるのは、紛れもなくカポーティである。4年もの歳月を費やした小説を完成させるためには、彼らの死がなければ始まらない。本作のポスターのうたい文句にもなっていたが、まさに「彼の死を恐れるとともに、彼の死を望む」という状態である。カポーティこそ「冷血」であることは間違いない。クリスクーパーの「事件を起こした犯人が冷血なのか、それともそれを描く作家が冷血なのか」という問いかけは見事としか言いようがない。 そして「助けることができなかった」と嘆くカポーティに「助けたくなかったんでしょう」と言い放つネル。ネルでさえもカポーティの二面性に傷つく心を理解できず、彼は一層立ち直れないほどに孤独になっていく。 この矛盾するような感情を抱え、精神が徐々に蝕まれていく様子を、見事にホフマンが演じきっている。彼のアカデミー主演男優賞には全く異論がない。ただ単にカポーティの仕草を似せたのではなく、内面までも深く演じきっているから素晴らしいのである。
[映画館(字幕)] 8点(2006-10-16 22:12:38)(良:1票)
264.  ザ・センチネル/陰謀の星条旗 《ネタバレ》 
脚本家の人への不満はこの際無視して、なぜこの程度の脚本でフォックスは製作にGOサインを出せるのかという方が疑問に感じた。アメリカではここまで脚本が不足しているのか、それとも単にキャスティングだけで客を呼べると踏んだフォックスという会社だけの問題なのか。 ジャックバウワー捜査官も出演料以外に一銭の徳にもならない作品になぜ出てしまうのか。せっかく築き上げたキャリアを無駄にしてしまっている。こんな裏も何もない内容ならば、マイケルダグラスとジャックが共闘して、大統領暗殺を企むKGBと最初から最後まで壮絶に死闘を繰り広げる方がまだましだ。 【以下、なんとなく気になったところ】 ①ダグラス「分かった。内通者は○○だ!」観客「内通者は○○か…。で…誰??」という映画で面白くなるはずがない。 「内通者は誰か?」を推理するという観客の知的好奇心をくすぐる気はほぼゼロに近い気がした。内通者は不倫を清算したいベイシンガーとかベタベタでもまだよかったし、不倫に気付いた大統領が企てた陰謀とか、いろいろ手があるだろう。 ②ダグラス「防弾チョッキではなく、俺の頭を撃て!」ジャック「とどめをさすことはできない(銃を構えたままフリーズする)」。泣いていないで、肩とか脚を撃て!話はそれからだろう。数十メートル近くの容疑者をみすみす逃すのは正気の沙汰とは思えない。ダグラスとジャックの直接対決というのは中盤の山場なのに、まったく盛り上がりに欠ける。 ③大統領の奥さんとヤッちゃうような男が、親友の奥さんを寝取らないわけないだろう。常識的に考えて。主役の二人がクダラナイ私怨でわだかまりをもたれたら観客はちょっとヒクよ。てゆうか、妻の話がウソか真実か見極められないような男がシークレットサービス務まるのか。 ④「嘘発見器テストを受けていないのは誰だ?」「よし分かった。○○が犯人だ。」ってジャックオマエ真面目に捜査してなかっただろう。内通者も仮にも捜査のプロだったら、嘘発見器くらいなんとかできるだろう。先入観によるミスリーディングでも描きたかったのか。 ⑤シークレットサービスは140年間裏切り者を出していない組織らしいが、結局、ヤツは何が目的だったんだ。140年間裏切り者を出していない組織からなぜ裏切り者が出たのかという答えを全く出していない。家族を人質とられたのは最後の方だし。
[映画館(字幕)] 3点(2006-10-16 22:02:53)(良:1票)
265.  ブラック・ダリア
つまらないというよりも、よく分からない映画。
[映画館(字幕)] 5点(2006-10-15 00:16:39)
266.  モディリアーニ 真実の愛 《ネタバレ》 
自分は専門家ではないので詳細には分からないが、モディリアーニが酒と麻薬に溺れ、病気で若くして死んだことと、ジャンヌが二日後に後を追ったこと、ユダヤ系で家族が破産したこと、個展がすぐに中止になったような小エピソードは事実だろうが、あとは恐らくほとんどがフィクションと思ってよいだろう(サロンやサロンで発表された全ての絵も)。 本作の印象としては、悪いとは感じなかったが、特別よいとも感じられなかった。というのも、モディリアーニの人生と、モディとジャンヌの愛を、「深く」は描くことはできていなかったように感じる。「魂がみえたら君の瞳を描こう」というモディリアーニの内心にまで本作は迫ってはいなかった。 フィクションなのだから、エコールドパリの画家たちの生き様をもっと生き生きとかつ、破滅的に大胆に構築してもよかったのではないか。酒屋で半殺しの目にあうといった、間違った脚色に進んでしまったようだ(さらに、ルノワールにあのような自己の作品を否定するようなセリフを吐かせるのはちょっと聞き捨てならない)。 モディリアーニとジャンヌの「愛」に足りなかったものは、金とか、成功とか、そんな単純なものではない気がする。画家というのは、自分の頭では駄目だと分かっていても破滅的な生き方しかできない、普通の生活や、普通の人間の尺度には納まらない人種である。本作では、結婚や書類といったものにこだわり、モディリアーニを小さくまとめてしまった気がする。 また、映画の中で、力点を「モディリアーニVSピカソ」に置いてしまったことに多少問題があるかもしれない。「モディリアーニとジャンヌ」という関係を凌駕する関係を描いてしまっては、焦点がぼやけてしまうだろう。 彼らの「ライバル」と一言で済まされない関係、お互いがお互いを認め合い、畏怖し、高めあう関係はしっかりと描かれていた。彼らは「成功」したかどうかを抜きにすれば、似たもの同士であり、同時期に生きたお互いにとってかけがえのない存在、真のアーティスト同士とは感じられた。 劇中で登場した「ガキ(モディリアーニの分身)」のメリットが本作ではほとんど感じられない。こんな空想上の存在をスクリーンに登場させるならば、それ相応の役割を担うべきだろう。
[DVD(字幕)] 4点(2006-10-15 00:01:27)
267.  フューリー(1978) 《ネタバレ》 
「今度はクローネンバーグのパクリすか?」と思ったら、デパルマ先生の方が元祖だったようだ。人体爆発するシーンの前から作風がかなりクローネンバーグ(「スキャナーズ」「デッドゾーン」)に似ているなと思っていたけど、単にジャンルが似ていて、製作年が近く同種の古臭さを感じただけなのだろうか。まさか、クローネンバーグがパクるはずないしな。 映画自体は全く面白くないけど、デパルマらしさは随所に現れている。カメラワークは相変わらず流石だし、ロビンの最初の転落事故を再現するシーン(ギリアンと施設所長のやり取りの際に描かれる)の工夫には驚かされる。また、あのスローモーションの使い方は、今観ても、とても新鮮に感じた。デパルマの作品は、どの映画を観ても、必ず驚くべき演出がされている。もっと世間的に評価されてもよい監督だと思う。 しかし、本作のストーリーにどうしても入り込めないという印象を受けた。「デッドゾーン」もあまり好きではないけど、超能力者の悲哀だったら、まだ「デッドゾーン」の方がよかった。 友人に裏切られ息子を奪われ、息子を必死に探し続ける父親の姿も、観客を感動させるような流れになっていない。ラストでは、息子を救いたくても救えず、息子を救えなかったことへの後悔と、周囲を敵に囲まれ「もはやこれまでか」と感じたことから、父が息子の後を追って、身を投げるという悲劇的な展開なのに、ほとんど何も感じられないのは何かが足りないのだろう。 息子の方は、確かに空中浮遊はできるけど、あの落下事故は自殺に近いようなものではないだろうか。自己の能力を用いて、遊び感覚でアラブ系を抹殺し、監視役の女性も悲惨な方法で惨殺してしまい、もう自分が戻れないところまで来てしまったと感じたのではないか。だから父親が助けにきたとしても、父親にすがることもできず、父親を拒絶するしか、なす術がなかった。息子ロビンの気持ちは多少は理解できるかな。しかし、あの棒高跳びが、空中浮遊の伏線になっていたとは、夢にも思わなかった。
[DVD(字幕)] 4点(2006-10-14 23:48:07)
268.  ミッドナイト・エクスプレス(1978) 《ネタバレ》 
映画のタイトルが、なんといってもしびれる。「ミッドナイトエクスプレス」とは、受刑者たちで使われる隠語で「脱獄」を意味する言葉。この幻の列車に乗るのか、乗れるのか、それとも待ち続けるしかないのか…。そもそもこんな列車は幻想に過ぎず…、受刑者が、監獄という「絶望」の中で生き続けるためにすがりつく、単なる希望に過ぎないのだろうか。本作のタイトルの意味を知っただけで、かなりの儚さを感じさせる。 本作のような作品というのは、関係者に対して影響力が大きく、力をもった映画である。 アメリカ・トルコ間での受刑者の在り方を変えたというだけではなく、本作を観れば、誰しもヤクを密輸入しようとは思わないはずだろう。ヤクの密輸入がもはや軽い行為でないと分かるはずだ。政治だけでなく、海外へ渡航する一般市民までをも変えるだけの力を持つ映画という点で評価は高くなる。 また、犯罪が自分自身だけでなく、自分の周囲の関係者をも不幸に貶めることであることがきちんと描かれている点において、本作が他の犯罪を含めた犯罪への抑止力にもなるだろう。 本作のストーリーに関して、自業自得という意見をもつのも分からないではないが、本作の問題はその一言で済まされるものではない。犯罪者(加害者)の人権を過度に必死になって護ろうという動きには個人的には否定的であるが、本作では人間が人間として生きる権利さえ奪われていることが一番の問題であり、さらに、犯した犯罪に比して、下された不当な判決、不当な手続きによって拘禁され続けたという点にも問題がある。 スーザンとの再会シーンは、まさに衝撃である。人間としての本能を抑えきれないほどギリギリの精神状態になるまで、追い詰められているということがよく分かるシーン。やはり、人間を発狂させ、廃人に追い込む非人道的なやり方は認められるものではなく、自業自得を超えた世界である。 DVDの特典には、ビリー本人もちらっと出ていた。映画の監獄セットに対して、当時を思い出し、あのときの恐怖を思い出すといったナレーションがあったが、本作のどこまでが真実なのだろうか。しかし、日本でも近年(2002年ごろ)、中国でビラを配っただけで不当に1年半ほど拘禁された事件があったところだ。本作に描かれたことは、まだまだ過去の事件とは済まされないようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-10-08 02:16:00)(良:1票)
269.  アンタッチャブル 《ネタバレ》 
論理的な理屈で映画を構成して知性や感情に訴えるというよりも、派手で記憶に残りやすいシーンを多数用いることで、視覚に訴える作品となっている。 比較的重いテーマであるにも関わらず、2時間以内に収めて、万人向けの軽めの映画に仕上げている。本作のような映画は、スコセッシやコッポラには創れない映画だろう。 キャスティングも実に絶妙だ。コネリー、デニーロ、スミス、ガルシア、殺し屋など、見た目だけで既に、どんな人物かということを言い表しているだろう。 また、バットで仲間を殴り殺すという衝撃的な映像をワンシーン描くことで、カポネの残虐性や性格を瞬時に観客に伝え切っている。 コネリーも流石だ。正義感の強い情熱的な警官を熱演している。ネスに対する指導者っぽい接し方には厳しさとともに、彼の歴史・誇りの高さを感じさせる。警官としての誇りをワンアイテムに託したのも分かりやすくなっている。 ラストを観るにあたり、エリオットは、この戦争において、何を得たのだろうかと思わざるを得ない。「アンタッチャブル」メンバーを二人失い、当初「法の遵守」を標榜していた彼も、最後には法を犯して、殺し屋を突き落とすという行為に走り、カポネを有罪にするためには「はったり」をかますという、なり振り構わぬ姿が描き出されている。そこには財務省特別捜査官という姿はなく、感情を剥き出しにして戦う戦士のような姿である。家族を危険に晒して、自らの信念も曲げて、行き着いた先はカポネの有罪であるが、彼らはいったい何を得たのか。 カポネの有罪と、禁酒法の撤回により、10歳の少女が巻き込まれるような争いはなくなり、シカゴの街に秩序の回復が図られたと考えてよいのだろうか。やや、ラストの締めの工夫に物足りなさを感じる。 さらに、ちょっと気になったのは、デパルマらしくないなということである。何が足りないのだろうと思ったら、本作にはデパルマ作品に必須な「女性」が足りないのではないか。 しかし、よくよく思い起こしてみると、ウォルシュ殺害の前にエレベーターから美しい女性を降ろしたり、ネス夫妻の夜の会話において、自宅で仕事に取り掛かろうとするエリオットに対して、「ブラッシングして欲しいの」と妻がエリオットに頼み、しばらくすると第二児が誕生しているのをみると、やっぱりデパルマらしさは随所に出しているのだな、とも感じさせる。
[DVD(字幕)] 8点(2006-10-04 21:55:15)(良:1票)
270.  シックス・センス 《ネタバレ》 
本作は確かに「オチ」が素晴らしく、それがクローズアップされてもやむを得ないとは思う。しかし、本作の本質は、「オチ」ではなく、現代社会におけるコミュニケーションの不存在を取り上げていると思う。 「マルコムとコール」「マルコムとアンナ」「コールとリン」「コールと霊たち」はいずれもコミュニケーションが取れない関係にある。気持ちを伝えたくても伝わらない関係である。 マルコムはコールとコミュニケーションを取ろうとしても、コールは打ち解けずに、心を開いて話そうとしない。だから、マルコムはコールを誤解する。 リンはコールとコミュニケーションを取ろうとしても、コールは打ち解けずに、心を開いて話そうとしない。だから、リンもコールを誤解する。 霊たちはコールとコミュニケーションを取ろうとしても、コールは打ち解けずに、心を開いて相手の話を聞こうとしない。だから、コールは霊たちを誤解する。 マルコムはアンナとコミュニケーションを取ろうとしても、アンナは話を聞くことができないので、心を開いて話すことができない。だから、マルコムはアンナを誤解する。 コミュニケーションにとって必要なこととは、「相手の話を聞くこと」「相手の話を信じること」「自分の気持ちを心を開いて相手に話すこと」だろう。現代においては、家族であれ、友人であれ、意思の疎通が上手く図られていないと考え、シャマランは、「霊」という、絶対にコミュニケーションを取れないような相手を例にして、コミュニケーションの在り方を映画を通じて問いたのではないか。 そして、コミュニケーションが取れた際、心を通い合わせた際の「美しさ」を描いたのだろう。特に、事故のために渋滞となったクルマ内でリンとコールの心が通じ合った美しさ、息子の苦しみを理解できなかったリンの悔恨の気持ちが、狂おしく、痛いほど伝わってきた。 本作は、単なるホラーやサスペンスというものではなく、人間同士や親子の間における、とても大切なものを描いた作品である。「オチ」が分かったら、「オチ」を気にせず、もう一度観てもらいたい。この映画が伝えたいものが分かるはずだ。
[映画館(字幕)] 9点(2006-10-02 23:00:29)(良:3票)
271.  記憶の棘
ミュージックビデオ界出身の新鋭監督の作品、二コールキッドマン主演、10歳の少年とニコールキッドマンの議論を呼んだシーンなどの関心事項があったため鑑賞したものの、はっきりいってストーリーはまるで面白くはない。 新鋭監督といっても、画像そのものにあまり目新しさはなかった。彼が多用したのは、俳優の表情をクローズアップで長時間撮るところ。 俳優に対してセリフではなく、「表情」で内面を語らせるようにさせている。しかし、ニコールキッドマンは、努力はしているものの、表情では上手く語れないようだ。ジョゼフ役を演じたダニーヒューストンという役者の方が数段上だった。 <以下ネタバレ>あの少年の気持ちは、少しは理解できると思う。 彼自身、自分がショーンの生まれ変わりだと信じたかったのだろう。父の仕事の都合で付き添った高級アパートメントでたまたま見かけたアナを密かに愛し、アナもショーンという10年前に死んだ夫を深く愛していることを手紙で知ったときに、彼の頭の中で何かが弾けとんだのではないか。自分がひょっとしたら、夫ショーンの生まれ変わりかもしれないと。だから、死んだショーンがアナのことを真剣に愛していないと知ったときに、真剣にアナを愛している自分はショーンの生まれ変わりではないとはっきり気付いたのだろう。 アナを真剣に愛しているからこそ、アナを裏切ることもできず、アナを真剣に愛しているからこそ、夫ショーンの生まれ変わりとして愛されることは望まない。 アナを真剣に愛していないショーンの生まれ変わりであると、アナから思われることは、自分にとって屈辱以外の何物でもなかったのだろう。 自分は、ただのガキだと知れば、いくら真剣に愛していようと関係はない。ただ彼女の前から立ち去る以外にすることはない。 アナもショーン少年を忘れて、ジョゼフと結婚しようと思うが、彼女は混乱するしかない。自分は、夫のショーンを愛していたのか、それともショーン少年を愛してしまったのか。夫への愛は本当のものだったのか。それともただの「幻」にすぎなかったのか。記憶や思い出は、どこかで美化されて、都合よく解釈されて、時間がたっても抜けない棘となって、心のどこかをチクチクと刺し続けるものだ。 この邦題は、映画の本質・奥深いところを捉えた、なかなかよいものではないだろうか。観客に対して、映画の解釈の手助けにもなるものだろう。
[映画館(字幕)] 4点(2006-10-02 22:27:49)
272.  イルマーレ(2006) 《ネタバレ》 
オリジナル版は随分前に観たので詳細は覚えていないが、結構よかったということだけは覚えていた。リメイクが創られると聞いて、ハリウッドもなかなか目の付け所はいいなと思い、しかも、キアヌとサンドラの二人が共演と聞けば、いっそう期待は高まる。しかし、リメイク作の肝心の出来栄えは、何かが足りなさ過ぎて、相当イマイチである。 まず、演出家に問題があったように思われる。全体的にかなり薄っぺらく、安っぽくなった仕上がりとなっている。「風邪に気をつけてください」と言って、直後にくしゃみをさせるなんて今日日、小学生でもやらない演出ではないか。 「時間」という障害に阻まれたラブストーリーというネタ自体は面白いのだけれども、このネタを上手く活かすことができておらず、ラブストーリーのよさも感動もなにも感じられない。 オリジナルを覚えていないけれども、この二人はしょっちゅう逢っているという印象がする。あまり障壁が感じられず、愛し合う二人が、運命の悪戯からか、なかなか会うことができない、もどかしさのようなものは感じられない。 人物の掘り下げ方も中途半端な印象だ。キアヌは父親との確執に悩む建築士、サンドラは医者という激務に対して、やりがいや意義を感じながらも、「このままでよいのか?」と人生に悩む女性である。父親の作品集を送り、キアヌが抱えた苦痛を取り除いてやるというのは、感動的な場面なのだが、演出が感動的ではないので、感動できない。 逆に、サンドラのキーとなる本「説得」も、ドラマティックで効果的な使われ方をされただろうか。自分にはそうは感じなかった。このアイテムがサンドラの気持ちを大いに揺さぶるとともに、観客の気持ちを揺さぶったとは思えない。 結局、二人の気持ちに対して上手く感情移入できない創りになっているので、ラストのクライマックスでも、やはり何も感じられなくなっている。「想い続けて待ち続けること」の素晴らしさが描かれていないのが残念である。
[映画館(字幕)] 4点(2006-10-02 21:57:26)(良:1票)
273.  レディ・イン・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 
アメリカではシャマラン作品としてはかなり苦戦した興行収入となり、ブエナビスタ(ディズニー系)が製作に二の足を踏んだため、ワーナーと手を組んだという、あまりいい評判も聞くことはなかった本作であるために、まったく期待していなかったが、正直いってそれほど悪くはないと思う。 シャマラン監督というのは、意外と不幸な監督であり、シックスセンスの大成功により、「どんでん返し」や何か絶対に「裏」があるのではないかと、絶えず観客から変な期待されてしまう。本作には、そういった「裏」はまったくないし、自分もシャマランにはそういうものを期待しなかったから、本作を純粋に楽しめたのかもしれない。思い切って、冒頭にテロップで「本作は最後まで特別なことは起きませんので、期待しないでください」とでも流せばよかったのかもしれない。 酷評したくなる気持ちは分からないでもない。ストーリーは単純で「水の精をみんなで協力して、元の世界に帰してやる」というだけのものである。裏も何もない、本当に純粋な「おとぎ話」にすぎない。いい大人が見れば「クダラネェ」と思っても仕方がない。 しかし、自分は子どもに返ったようにワクワクしながら「マンションの住民」を応援できた気がした。「水の精」に疑いすら持たない住人たち、誰も彼も協力を惜しまない住人たちに普通ならば違和感を抱くかもしれないが、別にそれでもいいじゃないだろうか。このマンションは、シャマランの描く「理想郷」なのだから。人間はみな善良で、それぞれ役割を持ち、生きている意味や目的があるという、シャマランの理想がここには描かれている。シャマランが込めた願いとしては、子ども達にはこういう大人になって欲しい、大人には、子どものような気持ちに戻って、純粋で清らかな心を思い起こしてほしいということだろう。 個人的には、あんな狼みたいな生き物で、音や衝撃だけのコケオドシは止めて欲しかったが、人間の理想郷を描いた本作では人間の形をした生き物に「悪」を担わせることをしたくなかったのだろう。自分には、そういう理想はないので、あの狼を操る「悪者」がマンションの住人の中にいるという設定にした方が、より万人に好まれる作品になったのではないかと思う。 大人向けでもなく、だからといって子供向けの作品でもなくなってしまい、ターゲットを失ってしまったのが、本作の興行面の失敗の理由のひとつだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-02 21:19:39)(良:3票)
274.  市民ケーン 《ネタバレ》 
本作が長い映画史において燦然と首位に輝く最高の傑作とは思えないけど、高い水準にある映画であることは間違いない。 まず、映画の構成がとても独創的であると感じた。スーザンがザナドゥでジグソーパズルをやっていたと思うが、本作こそはまさに「ジグソーパズル」ではないか。観客は、示されたいくつかのピース(ケーンの人生の断面)を与えられ、ケーンの人生像を探ろうとするものの、ジグソーパズルの全体像(ケーンの人生像)は最後まであまり見えてこない。しかし、最後のワンピースである「ローズバド」が観客に示されると、とたんにこのジグソーパズルは完成するという仕掛けになっている。観客は鑑賞中に、ケーンというジグソーパズルを完成させるという脳内での作業を強いられるわけであり、頭脳を使わなくてもよい、ただのハリウッド映画とは性格を異にする映画である。そういう意味においても、万人が好評価できる万人向けの映画とは思えない。 ストーリーに目を向けると、「ローズバド」によって明らかになったケーンの人生は、悲惨なものだった。金によって欲しいものは何も買うことはできず、金によって必要なものは失われていき、金によってますます孤独になっていく(ザナドゥの城のように)。人を愛そうとしても愛することができず、人や市民から愛されたいと願っても愛されることはなく、すべて自分本位でしかいられなくなった。大金を有したことによって人生が狂わされていく。 もっとも悲惨なのはスーザンに対するケーンの対応ではないか。 スーザンに対してケーンは金の力を利用して、彼女の望まない人生を歩ませる。これはまさにケーンが後見人のサッチャーなどからされたことにすぎない。ケーンは自分の力で歩むことができなかった人生に対して怒りを感じていたにもかかわらず、愛そうとした者に対して、同様のことをさせることしかできなかった…そういう愛情の方法しかできなかった、知らなかったのである。この矛盾こそ、ケーンの人生を一番明らかにしているだろう。スーザンに歌を止めさせようとしなかったことも、知事選に負け、ジャーナリストとして道を外してしまった自分の(勝利を確約されていたはずの)人生の負けを認めたくなかったからなのだろう。大金を掴んでしまった故に、悲惨な人生を歩むざる得なかった、とても哀しい、寂しい男の一生がきちんと描きこまれていた点において本作は評価せざるを得ない。
[DVD(字幕)] 8点(2006-10-01 15:40:00)(良:2票)
275.  カリートの道 《ネタバレ》 
「スカーフェイス」とは関係ない映画だが、「スカーフェイス」のトニーモンタナを、逮捕前のカリートとダブらせるとより楽しめるようになっている。モンタナは常にイライラした感じで、「ファック」を連発していたが、カリートは、感情を抑えて、控え目で、かなり落ち着いた印象である。自己を冷静にみつめ達観した様子も伺えるが、「筋」だけはきちんと通す「古いタイプの男」がそこにいる。 「殺し」についてはカリートは美学を持っているようで、「殺そう」と思って殺すのではなく、「殺さないとこちらが殺される」から殺すというもの。冒頭の甥っ子の仲間とラストのマフィアでは躊躇なく殺しているのがカリートの生きる道である。 それにしても、アルパチーノが、この世界から引退して、バハマでのレンタカー屋を夢見る中年オヤジを好演している。「スカーフェイス」とは全く違う演技だ。やはりこの演技力には唸らされる。 「カジュアリティーズ」でもデパルマと組んだショーンペンもテンパッた弁護士を好演している。彼の存在によって、本作はさらに輝きを増したといえる。 そして、監督デパルマの職人芸が相変わらず冴えに冴えまくっている。カリートとマフィア4人組との「追いかけっこ」はまさに必見というしかない。階上にいたカリートを映していたカメラマンが自らエレベーターを降りて、マフィアたちを映すシーンの、計算し尽されたスムーズさには、感嘆し、驚愕せざるを得ない。 本作で議論になる点としては、冒頭にカリートが死ぬとネタバレしているところだろう。 カリートが死ぬと分かりながら、本作を観る「効果」としては、「カリートの夢に向かう努力は報われず、すべてまさに夢に終わると知っているから、彼の行為はどこか儚くみえるのだろう」と監督は考えたのだろうか。 しかし、その効果はあまり高くはないと思う。冒頭であのような結末を描くのではなく、「彼の夢があと一歩で叶う」と観客に思わせておいて、寸でのところで断ち切られるという虚しさや、そんなに簡単にこの道からは抜け出せないという、この世界の深さを感じさせた方がよかっただろう。 クライマックスを冒頭で示して、フラッシュバックして過去に戻るという手法が多くの映画で取られているが、流行の手法だからという理由だけでやっている場合があると思う。本作のストーリーを踏まえると、この手法は明らかにマイナスといえるだろう。
[DVD(字幕)] 8点(2006-10-01 15:26:32)(良:2票)
276.  殺しのドレス 《ネタバレ》 
「殺人」+「目撃」+「追いかけっこ」+「エロ」+「二重人格」+「夢オチ」=「ブライアンデパルマの極上のサスペンス」の出来上がり。 まさにブライアンデパルマのフルコースをお腹いっぱいに食したという印象。デパルマが好きな人ならば、絶対に満足ができるだろう。 なんていっても「カメラワーク」の素晴らしさには、惚れ惚れとする。 クネクネと動いたり、寄ったり引いたりと「どうやったらこんな動きを思いつけるのか」と感心せざるを得ない。独特のカメラワークの動きを存分に楽しんでいただきたい。 「犯人は誰か?」とか「これパクリじゃねぇ?」とかつまらないことは気にせずに、オープニングクレジット明けの30秒ほどでいきなり女性の裸が登場する「デパルマワールド」を存分に堪能するのが、本作に適した鑑賞方法でしょう。 デパルマには、「アンタッチャブル」や「ミッションインポッシブル」といったヒット作があり、本作よりも質の高い作品(ミッドナイトクロス、カジュアリティーズ)も多数あるけれども、「彼の代表作とは何か?」を問われれば、自分は間違いなく本作を挙げるだろう。 バレバレの犯人、あっけない幕切れ、メチャクチャなストーリー、力の入れ方が間違っているだろうと突っ込みたいほど熱を入れた美術館のシーン(音を一切使っていないシーンもあり)、自分の嫁の使い方など、あらゆる点において、ブライアンデパルマが極めた己の頂点の作品といってよいだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2006-09-29 00:03:03)(良:1票)
277.  スカーフェイス 《ネタバレ》 
2時間50分という長尺だけれども、その長さをまったく感じさせなかった。トニーモンタナの人生をきっちりと3部に分けて、飽きさせることなく描き切られている。 第一部は「チンピラから成り上がりまで」、第二部は「ボスとして伸し上がり、盛隆を極めた日々」、第三部は「落日」という感じだろうか。きっちりとストーリーが時系列に、かつドラマテッィクに流れていくから、飽きないのだろう。 これらを通じて感じたことは、「チンピラは、金を得て、権力を得て、女を得たとしても、やはりチンピラでしかない。」ということだ。チンピラという言葉は、トニーモンタナには失礼かもしれないいかもしれない。彼はトラみたいな猛獣のような存在かもしれない。決して群れることができず、周囲を信用することもできず、周囲を傷つけることしかできない。そんな孤独で哀しい男の「生き様」がしっかりと描き切られており、アルパチーノが見事に演じきった。まさにトニーモンタナという人間に完全になりきったような演技であった。アルパチーノのベストといってもよいのではないか。 そして、トニーモンタナの変化が痛々しくも描かれている。「びびったら心臓に悪い」と言いつつも、セキュリティを完備した「城」に立て篭もり、「信頼とガッツが自分の取り柄」のようなことも言っていたが、徐々に人々から「信頼」が失われていく。「世界をこの手におさめる」という「夢」を追い求めるものの、自分の「ファミリー」すら手中におさめることはできず、結局「金」に溺れ、「権力」に溺れ、「ヤク」に溺れていき、破滅への道を歩んでいくしかなかった。 トニーは前々から、エルヴィラに対して「子供は好きか?」とか、「自分の子供を生んで欲しい」と言っていたから、幸せな家族に憧れていたのだろう。父親はおらず、自分の母親から罵倒され、非難される。そんなバラバラな家庭生活を送っていたから、「子供」や「妹」、「家族」に対して、固執したのではないか。エルヴィラとの間に子供さえできていれば…彼の生活も少しは変わったのではないだろうか。 映画の評価としては、7点くらいかなあと思うけれども、アルパチーノの演技のおかげで、深みのある素晴らしい映画に仕上がったので、もう1点追加して、8点としたい。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-26 00:01:39)(良:2票)
278.  カジュアリティーズ 《ネタバレ》 
原題は「Casualties of War」である。直訳すると「戦争の犠牲者達」という意味だろうか。 一人目の犠牲者は、紛れもなく「ベトナム人の少女」だろう。 戦争である以上、兵士同士が殺しあうことはこの際問題にはしない。また、民間人であっても爆撃によって巻き込まれることもあろうが、今回のケースはそれとは全く次元を異にするものだ。無実・無害の農村の少女が、拉致られた挙句に無惨に殺害されるというものである。まさに「戦争による狂気が生んだ犠牲者」である。 二人目の犠牲者は「エリクソン」だ。 「善悪」という倫理の境界線が崩壊した中で、一人「善」を主張し、正しいことをしようとしても、仲間からは疎まれ、告発したとしても誰からも相手にされず、一人絶望的に孤立する。「悪」に対して立ち向かおうとしても、「戦争」の前に阻まれ、助けることはもちろん、何もかもできない無力感を思い知らされる。たとえ、告発に成功したにせよ、彼女の命は戻らない、無力感も消えることもなく、復讐に怯えることになるだけである。エリクソンもまた一人の犠牲者だろう。 三人目の犠牲者は「ミザーブ他」だと思う。自分には、彼らこそ本当の意味での「戦争の犠牲者」ということを感じずにいられない。ミザーブは冒頭では、エリクソンを助けたりもする立派な兵士である。プラトーンでいうところのエリアスのような存在だ。しかし、戦友の死を契機にして、虚無感によって倫理観が崩壊し、命の重さを感じられなくなり、魂がどんどんと腐っていったのだろう。プラトーンでいうところのバーンズのようになっていった。ミザーブに同情はできないが、明るいリーダーシップを発揮するような普通の青年だったはずが、あのような行動を平気でできるほど堕落してしまったのは、「戦争による異常な空気」のためなのだろう。 エリクソンの周りをウロチョロしていた若い兵士が死んだとき、この映画を観ている人はどう感じただろうか。自分は「間抜けなアホが死んだな。」と死んで当然のように思っていた。しかし、よくよく考えてみると、一人の人間が死んでいるという重要なことが感じられなくなっていた。自分も「戦争」という「空気」によって、命の重みを感じられなくなっていたのだ。映画ですらそうなのだから、実際の戦場では人の命はアリの命のようなものだったのだろう。あのシーンの意味・重みが後から伝わってきた。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-23 23:51:58)(良:2票)
279.  ミッドナイトクロス 《ネタバレ》 
ブライアンデパルマの作品群の中で良作の一本だと思う。 まず、設定がかなりユニークなのが良かった。「音響技師」が主役というのは珍しいと思う。「音」がキー(鍵)になる映画というのも、あまり見かけたことがなかったので、とても新鮮味があった。たまたま録音された「音」が徐々に事件の全貌を明らかにしていく様は見事である。 その描き方もなかなかリアルであり、凝った感じに仕上げられており、普段感じることがない音響や効果について学ぶこともできる。 ラストにナンシーアレンの悲鳴を作成中のB級映画に用いたのは賛否があろうが、個人的にはかなり良かったと思う。あの時のトラボルタの心境としては、自分に対する一種の「戒め」の意味が強いのではないかと感じた。 以前にオトリ捜査で失敗して、刑事を死なせているという過去を持ち、今回も再び失敗して人を死なせてしまった。しかも今回はただ人を死なせただけではなく、自分の愛する女性であり、自分に対して悲痛なまでも「救い」を求めた女性である。 あのときの「悲鳴」は決して彼は二度と忘れることはできないだろう。二度と耳から離れることはないと思うが、それ以上に己に対する「責め」を課したように感じる。どんなに忘れたくても忘れられない方法で、なおかつ絶対に消したくても消せない方法で、あの「悲鳴」を自己の作品に留めることによって、彼女を救えなかったという「罪」を一身に背負おうとしたのだろう。あのB級映画を二度と観なくても、映画界に席を置いている限り、その「罪」から逃れることはできない。たとえ映画界から離れたとしても、彼が生きている限り、やはり逃れることはできないと思う。救えなかった「罪」を一生背負い続け、生き続けるという決心を彼はしたのだと思う。 そして、本事件の真相は必ずしも明らかにならなかったことも逆に良かったのではないか。知事の死は単なる事故として処理され、知事の殺人犯は返り討ちにあった連続殺人鬼の死として幕を閉じる。 様々な事件はすべて闇へと葬られていくが、これら事件はひとつの「悲鳴」という形に結晶化され、事件の一端を物語ることになるという儚さが、美しい花火と対比的に描かれている。さらに、トラボルタの悲痛な表情やセリフ、流れる音楽が「後味の悪さ」に輪を掛ける。なんとも表現のしようのない独特の感情は他の映画では味わえないものだろう。こういった映画は高評価したい。
[DVD(字幕)] 8点(2006-09-21 00:01:30)(良:2票)
280.  ボディ・ダブル 《ネタバレ》 
「めまい」「裏窓」の両作を意識して作られた作品のように感じる。しかし、方向性を失い、大いに迷走して、なぜか最終的にエロに辿り着いてしまったムチャクチャな作品のように思える(いきなりのラブシーンと女性の捨て台詞には苦笑するしかない)。 それにしても、すべての登場人物に一切の感情移入もできず、あらゆる行動のあほらしさにただ呆れるばかりだ。 特に主役の人は何がしたいのかがさっぱり分からない。殺人の目撃者とされて憤慨するのは理解できるものの、自分に嫌疑が掛かっているわけでもなく、自己に何らの利益がないにも関わらず、それ以上になぜ事件にクビを突っ込むのかが分からない。普通の映画ならば、容疑者として疑われるから主人公は行動を開始するものだろう。さすが真犯人が目をつけただけあり、とんでもない奴だ。 さらにクビの突っ込み方が尋常ではない。B級ではあるがきちんとした俳優であるにもかかわらず、いきなりポルノに出演する神経が素晴らしい。別にあんなまわりくどい方法を取らなくても、撮影終わりの例の女優を捕まえて、プロデューサーと詐称して接近すればよいだけではないか。単に「リラックス」のシーンを撮りたいからとしか思えないメチャクチャなストーリー。 閉所恐怖症もはっきりいって、映画において上手く機能しているとは思えない。バッグ強奪の際にはギリギリ役に立ったが、普通ならば肝心の「殺人」の際に効果が発揮されるものだろう。あの女性が殺されそうになって救おうと努力するものの、閉所恐怖症によって助けることができなかった(これだと「めまい」そのものか)。自分のせいで助けることができなかったから、事件にクビを突っ込むというのは多少説得力が増すと思う。再び、別の女性が危機に陥った際に、閉所恐怖症を克服して、女性を助け、犯人を逮捕するという流れにすべきだっただろう。 さらに、犬とともに落下するというラストもセンスを疑う。個人的には、犯人が犯人として認識された際に、犯人のこのトリックを用いることとなった動機を紹介した方がよかったと思う。おそらく犯人は、別居した当初に隣家の妻の自宅を興味本位で覗き込み、(主人公と同様に)妻が愛人と一緒にいるところを見てしまうことによって、怒り・殺意やエロ的な興奮を抱き、このトリックを利用することを考え出したのではないだろうか。そうすればそれなりに犯人の行動も少しは理解できるだろう。
[DVD(字幕)] 2点(2006-09-20 23:54:52)
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