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ザ・チャンバラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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521.  ゴースト・イン・ザ・シェル 《ネタバレ》 
押井版の主人公・素子が「ホンモノかニセモノかなんて大した問題ではない。そこに思考する意思・魂が存在することこそが真理なのだ」というデカルト的な結論に至ったのに対して、当実写版の主人公・ミラは本来の自分は何者だったのかという点に最後までこだわり続けます。彼女は新たな電脳生命体への進化どころか、人間へ戻ろうと必死なのです。これでは押井版において観客の知的好奇心をくすぐっていた要素がほぼ切り捨てられた状態だと言えるし、そもそもこの内容では「抜け殻(シェル)に魂(ゴースト)は宿るのか」というタイトルが意味を為していません。本作に対する悪評って、こうした浅さに対する違和感なんだと思います。 ただし、この改変への評価はなかなか難しくもあります。当実写化企画が成立する前に、同じく押井版の影響下にあってデカルト的な実存主義を娯楽アクションに落とし込むという企画で大成功を収めた怪物『マトリックス』が存在しています。同じ母を持つ兄とも言える『マトリックス』の存在こそが、当企画に課せられた重大な制約条件だったのです。そして当の『マトリックス』自身も続編で行き詰ったことからも分かる通り、この分野は『マトリックス』第一作がほぼやりきっており、これ以上のものはおそらく出てこない。さらには、主演のスカヨハは『LUCY』で電脳生命体の進化論をやっちゃってるし、ならば全然違う方向へ走るというのも、一つの有効な打ち手だったと言えます。私は、本作の監督・脚本家の判断はあながち間違ってはいなかったと思います。 実際、ミラの自分探しと、その隠蔽を図る大企業との対決という単純な図式にまで落とし込まれた後半パートは娯楽映画としてちゃんと面白くなっているし、ミラの正体は日本人・素子でしたというオチには意外性があったと同時に、原産国・日本や押井版への敬意も感じました。桃井かおり演じる母親が、ミラという器に代わってもその内部に存在する娘・素子の魂を感じ続けているというドラマも感動的であり、これはこれでありではないでしょうか。
[インターネット(吹替)] 6点(2018-01-27 02:28:19)(良:1票)
522.  アリスのままで 《ネタバレ》 
アルツハイマーの研究者が、「もし自分自身がアルツを発症したらどうなるのか」を想定して書いた著作が本作の原作。家族や友人の客観的な視点がほぼ排除されており、患者の主観に絞って描かれている点が独特であり、これによって観客に多くの発見をさせるうまい仕組みとなっています。 例えば、アリスの目の前で旦那と子供たちが「お母さんをどうするよ」と話し合う場面。彼らはアリスに会話の内容は理解できないと思って話しているのですが、アリスには「自分がお荷物扱いをされている」ということはちゃんと伝わるんですね。旦那にも子供たちにも悪気はないものの、こうした一人の人間に対する配慮を欠いた行為の積み重ねが、患者本人を傷つけていくのです。また、馴染みだったアイスクリーム屋にアリスを連れて行った旦那が「君は何を食べたい?」と質問したにも関わらず、「いやいや、いつも君が食べていたのはこっちだ」と言ってアリスの注文を勝手に変えてしまう場面。些細なやりとりではありますが、無自覚のうちに周囲の人間が患者の意思を無視し、それによって患者が余計に自信をなくすという過程がよく見えてきます。 そんな中でアリスとの相性が良かったのが次女でした。一流大学の教授である両親、医学の道に進んだ兄、法曹の道に進んだ姉というスーパーインテリ一家において演劇志望の次女の肩身は狭いものでしたが、蔑まれ、他人からの価値観の押し付けと戦い続けてきた彼女だからこそ、現在のアリスの立場への理解と共感ができたのではないでしょうか。 なお、演劇志望と言っても彼女が本気で演劇に取り組んでいる様子はなく、世界的な演劇のメッカであるNYの実家を離れてわざわざLAで演劇をやっているという点を見るにつけても、家族への反発心がたまたま好きだった演劇と結び付いた程度のものだったと思います。満を持して披露される彼女の演技は超ド下手であり、舞台を見ていた家族の間では「おいおい、これどうするよ」という微妙な空気が流れるのですが、アリスが次女の演技を絶賛したことからその重い空気が一掃されます。「物事はこうあるべき」という価値観から解放されたアリスだからこそ、目の前で次女が一生懸命演じているという姿に対して純粋な感動が得られたのだと思いますが、周囲からの否定に対する反発が唯一の行動原理だった次女は、このアリスの言動でかえって吹っ切れ、演劇の道から距離を置く決断に至ります。このくだりではアルツハイマー患者の良い点も描かれており、決して悪いことばかりではない点が作品の救いとなっています。 以上の通り意義のある作品ではあるのですが、全体としては優等生的で盛り上がりに欠けるという印象を受けました。難病に対する啓蒙という要素があまりに強く出すぎており、映画として面白くないのです。 また、ジュリアン・ムーアは確かに素晴らしい演技を見せているものの、果たしてこれが彼女のベストかと言われると微妙です。演技力と色気の同居こそが、そこいらの演技派女優とは違うジュリアン・ムーア独自の個性なのに、本作ではただの演技がうまい人なんですよね。10年前だったらメリル・ストリープが、10年後だったらケイト・ウィンスレット辺りが演じても同じようなものが出来上がるんじゃないのと感じられて、ムーアである必然性がありませんでした。本作でのオスカー受賞はムーアのキャリア全体に対するご褒美的な意味合いが強いのではないかとの否定的な見解も聞かれますが、『セント・オブ・ウーマン』や『ディパーテッド』がアル・パチーノやマーティン・スコセッシの代表作とは見做されていないように、本作もジュリアン・ムーアの代表作にはならないように思います。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-09-16 12:48:44)(良:1票)
523.  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 《ネタバレ》 
トランプ大統領の政策の大きな柱のひとつとしてアメリカの不法移民問題が脚光を浴びていますが、遡ること10年以上も前にこの問題に取り組んだ作品があったんですね。 本作が良心的だと思ったのは、政治的な正しさには特に言及していない点です。特に昨今の議論では不法移民がかわいそうという点のみがクローズアップされていますが、これを取り締まるアメリカ側にも、そうせざるをえない事情があるわけです。本作はその構造上、不法移民に寄った視点でのドラマにはなっていますが、これを取り締まる国境警備隊を過度に敵視したり、「アメリカ社会はもっとこうあるべきだ」というお節介な主張を挿入したりせず、人間性というレベルのみでこれを取り扱っています。 銃撃を受けたメルキアデス・エストラーダの死体が発見されたが、不法移民だからという理由で当局は真剣に捜査しないし、国境警備隊員のマイクが撃ったということが判明しても、みんなその事実を有耶無耶にし、さっさと遺体を埋葬して事件と一緒に葬り去ろうとしている。これを受けた主人公・ピートはメルキアデスを故郷に埋葬してやろうと行動を開始しますが、その動機って犯人であるマイクに対する怒りとか、アメリカ社会への失望とか、メルキアデスに対する友情とか、そういうものではないように思います。 それは人としてのマナーというか、彼の遺体を隠滅すべき邪魔な証拠程度にしか考えていないアメリカにメルキアデスを葬っておくのはあまりに忍びないから、彼の尊厳が守られる場所に埋葬してやろう。そして、アメリカでメルキアデスにもっとも近い立場にいたのは自分だから、この自分がやるしかないと、この程度の動機だったように思います。だからピートはメルキアデスへの思いを口にしないし、殺されたことへの怒りの素振りも見せません。行動を共にすることが多かったためメルキアデスとの思い出こそあったものの、個人的な思い入れはさほどなかったのではないかとすら感じました。 そんなこんなで旅を始めたのですが、生前のメルキアデスが語っていたヒメネスという土地はなく、家族写真も赤の他人のものであり、ピートが伝えられてきたメルキアデスの人生は彼による夢想の産物だったことが判明します。メキシコでのメルキアデスの人生は本人が封印を望む程度のものであり、だからこそ彼はたった一人でアメリカにやってきたのであろうことをピートは認識します。これ以上、生前の状況を詮索するとかえって故人の尊厳を傷つけてしまうという状況に直面し、おそらく内心では「お節介なことしてごめんなさいね、メル」なんて思いながら、なんとなく良さそうな場所を見繕って遺体を埋葬します。このドラマがまさかこんな終わり方をするとは思わなかったため、この結末には良い意味で呆気にとられました。 身寄りのない人間の死と尊厳というテーマには意外と普遍性があり、例えば私は日本の独居老人に当てはめて考えました。独居老人の遺体は社会的には処理に困る厄介な代物であり、何の思い入れも無くひっそりと荼毘に付されますが、一人の人間の最期においてこの扱いはあまりに悲しすぎます。他方で、身寄りがない人にはそうならざるをえなかった負の歴史もあり、例えばヒューマニズムに燃えた他人がそうした負の歴史を詮索して回ることは、かえって故人の尊厳を傷つけます。一人の人間の死とどう向き合うのかという問題について、本作はなかなか意義のある考察をしているのです。 そういえば、本編中には旅の最中のピートが突然思いついたかのように主婦売春をしているレイチェルにプロポーズするというくだりがありましたが、これは旅の過程で人の尊厳を守ることの大変さに直面し、翻って自分が死んだ時にこれほど手を尽くしてくれる人がいるという自信がなくなったピートの不安の表れだと解釈しました。結局、このプロポーズは断られましたが、その過程が、ピ「いつも俺が一番って言ってくれてるじゃん」レ「それは客と風俗嬢という関係があってのことで…」みたいな悲しい風俗あるあるだった点には笑わされました。それまでクールだったピートにもこんな無様な一面があるという点が、後に明かされるメルキアデスの情けなさにも繋がるわけです。 上記の通り非常に優れた趣旨を持つ作品ではあるのですが、多くが語られない内容に対して上映時間が妙に長く、見ていて退屈させられたこともまた事実。意義のある映画ではあるものの、面白い映画ではありませんでした。また、主婦売春をしていたマイクの奥さんが(ジャニュアリー・ジョーンズが超美人!)生前のメルキアデスと関わっていた件など、何かの伏線かと思いきや後の展開に一切影響を与えない無駄な要素もあって、上映時間が無駄にかさ増しされているような印象も持ちました。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-09-01 18:21:18)
524.  ワンダーウーマン 《ネタバレ》 
IMAX 3Dにて鑑賞。ザック・スナイダー印の曇天画面がほとんどであり、かつ、3Dを意識した見せ場がほとんどなかったため、2D版で見るべきだったかなとちょっと後悔しました。 BvSのレビューにおいて、作品中唯一面白かったのがワンダーウーマンの登場場面であると書きましたが、その単独主演作においても、やっぱりワンダーウーマンは良かったです。母親がコニー・ニールセンで、叔母がロビン・ライト、親戚にはシャーリーズ・セロンが絶対いるだろとツッコミを入れたくなってしまうモデル一家の中心人物にして、ゼウスの娘。まぁ笑ってしまうほど凄い設定のキャラなのですが、これが見事に実写化できているのです。彼女は基本的には眉間にしわ寄せた強い女性ではあるものの、スティーブとの恋愛や仲間たちとの談笑で見せる彼女の「女」の部分も十分魅力的であり、観客の誰からも愛されるキャラクターとして仕上がっています。これまでの出演作では添え物美人役ばかりだったガル・ガドットからここまで豊かな表情を引き出してみせたパディ・ジェンキンスの演出力は、さすがのものだったと思います。 ただし映画として面白かったかと言われると、これが微妙でした。『マン・オブ・スティール』以来のDCEUの欠点なのですが、もしMCUであれば120分以内で収めるであろう内容に140分以上を費やしており、話のテンポがとにかく悪いのです。さらに、同じくDCEUの欠点として敵に魅力がないという点も挙げられますが、本作においてもその欠点は改善されていません。アレスの正体は作り手が意図したほどのサプライズとはなっておらず、また主人公や観客を圧倒するような殺気を放ってもいないため、ダイアナが負けるのではないかとハラハラさせられることが一瞬もなく、戦いは盛り上がりに欠けました。また、意味ありげに登場した刀「ゴッドキラー」がラストバトルにおいて何の役にも立たないという展開にも首を傾げました。強敵を相手にして、最後の最後に必殺技を決めるという展開がヒーローものの定番であり、本作においてはダイアナがゴッドキラーを用いた必殺技でアレスを葬るという展開であるべきだったと思うのですが、そのゴッドキラーは途中で無力化し、何かよくわからんが神がかった攻撃で勝利しましたという展開はうまくありません。それまで殴り合いで戦っていたヒーローが、最後の最後にそれまでとはレベルの違いすぎる技を何の訓練もなくいきなり披露し、エネルギー波がぶわーっと広がってラスボスを葬るという決着の付け方、そろそろやめませんか? だいたい、本作は対戦カードの組み方が全体的に良くありません。観客はBvSにおいて規定外の強さを発揮するダイアナの姿を見ているのだから、ちょっとやそっとの敵では彼女に傷一つ付けられないという先入観を持っています。にも関わらず、ドイツ軍の機関銃を潰すとか、基地に潜入するとか、彼女のポテンシャルがあれば朝飯前と思われるミッションばかりなので、素晴らしい見せ場の連続であるにも関わらず、そこに観客の感情は乗っかってきません。それどころか、片手で戦車をぶん投げるようなデミゴッドを相手にしなければならない生身のドイツ兵に同情してしまったほどです。 鑑賞後に振り返ってみると、アマゾネスは戦闘民族ではあるが、基本的には人間とさして変わらない人達であるという前提の下、「アマゾネスの一人であるダイアナも当初は凡人並み→冒険の中で徐々に能力を開花させる→恋人の死とアレスとの戦いという二つのイベントによりデミゴッドとして覚醒」という流れがあったものと思われます。って、分かりづらいよ(笑)!。この辺りのパワーバランスがうまく描けていれば、ラスボス戦でのダイアナ覚醒には『マトリックス』でのネオ復活や『ダークシティ』での超能力戦のような素晴らしいカタルシスがあったはずなのに、情報不足によって唐突な展開になってしまっている点は実に残念です。 あと、ダイアナが明らかに人間ではない動きを見せた時に、なぜ周囲の人間は驚かないのかという点も不満でした。ヒーローものって、ヒーローのド派手な活躍と、それを見守るオーディエンスのリアクションがセットになってこそ盛り上がるものだと思うのですが、本作ではオーディエンスの存在が希薄なのです。敵となるドイツ兵にしても、露出度の高いお姉さんが異常な強さで突撃してくるのに戸惑ったり怯んだりせず、イギリス軍に対するのと同じ姿勢で戦い続けるわけです。そこにあるべき人間的反応がなく、モブがモブに徹しているような状態では盛り上がりません。 以上、なんだかんだ文句を書いてきましたが、肝心のワンダーウーマンが魅力的だったので、ヒーロー登場編としては及第点だったと思います。秋公開の『ジャスティス・リーグ』への期待はちゃんと繋がりました。
[映画館(字幕)] 6点(2017-08-25 21:12:38)(良:2票)
525.  ラ・ラ・ランド 《ネタバレ》 
冒頭におけるハイウェイでのダンスの異常なテンションには圧倒され、「これはドえらいミュージカル映画ではないか」と大いに期待させられたのですが、あれが本作最大の見せ場であり、しかも、主人公たちのドラマには直接関係のない序曲みたいなものだったという点で、ガッカリさせられました。 エンタメの世界を舞台にした青春ドラマという素材は監督の前作『セッション』と共通しているのですが、イヤな指導者といかに相対するのかというテーマに普遍性のあった『セッション』と比較すると、本作はエンタメ業界に寄りすぎているために、一般人にとっては他人事に見えてしまうという欠点があります。夢を目指した経験のある人にとっては大いに共感できる内容なのかもしれませんが、大多数の観客にとっては、主人公2人の抱える苦悩への共感がかなり薄くなってしまいます。 また、主人公2人ともに才能があって、両方が成功を収めるという甘々の結末にもリアリティを感じませんでした。成功者に対して圧倒的多数の失敗者によって成り立つエンタメ業界のお話しをするのであれば、カップルのうち片方、もしくは両方が夢を諦めて現実社会に戻り、それなりの幸せを掴むというオチとした方が、一般の観客からの理解は得られやすかったのではないかと思います。 失敗という点でいえば、エマ・ストーン演じるミアがいったん夢を諦めて実家に帰るという展開がありますが、一人芝居での失敗はともかくとして、それまでのオーディション場面などではさほど屈辱的な描写などはなく悩むほどの苦しみを味わっていたようには見えず、展開にやや唐突感がありました。この辺りは、ハーバード卒という綺羅星の如き経歴と、若くして天才と持て囃される才能を持ち(彼は本作で史上最年少のオスカー監督賞受賞者となりました)、底辺で屈辱を味わった経験のないチャゼル監督の限界なのでしょうか。 また、本作は古き良きハリウッドのミュージカル映画を参考としすぎる余り、不自然な展開がいくつかあった点もいただけません。例えば主人公たちは何度かすれ違いをし、そのすれ違いがドラマの分岐点となるのですが、そのどれもがメールか電話をすれば簡単に解決した問題であり、見ていてイライラさせられました。こんなことならば、時代設定を50年代か60年代にすればよかったのです。 とまぁ文句を書いてきましたが、「もしあの時、違う行動をとっていれば、今の自分の隣にはあの人が座っていたのかも」というラスト15分は大好きです。この部分には、あらゆる人が共感できるのではないでしょうか。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-08-12 17:22:59)
526.  イエスマン "YES"は人生のパスワード
ダメな奴が人生を変える話かと思いきや、変化前の時点から主人公がそんなにダメな奴ではないんですよね。確かにひねくれてはいるものの、それについては離婚やら職場での冷遇やらで陰に入った時期にあるだけで、本来の彼は普通に楽しい奴だという前提が存在しているわけです。その証拠として、彼にはちゃんと友達がいるし、ご近所付合いもあり、飲みの席にしつこく誘われたりもします。本当に性根の部分からダメな奴なら友達なんていないし、周囲からも期待されていないから何かに誘われたりもしません。 上記の結果、振れ幅の小さな内容となってしまったためにドラマとしてもコメディとしても劇的な部分がほとんどなく、ハリウッドが得意とする「笑い込みのちょっといい話」というジャンルの中で埋没する仕上がりとなっています。豪華なメンバーが顔を揃えながらもこの程度の出来かと、少なからずガッカリさせられました。 とはいえ、良い部分もあります。物事に善悪をつけないニュートラルな作風が時に心地良いのです。ハリウッドではネガティブに扱われる傾向の強い自己啓発セミナーについて(『ゲーム』『マグノリア』『リトル・ミス・サンシャイン』etc…)、その功罪両面を描いているという点には特に興味を引かれました。妄信的にその方法論に頼ると失敗するものの、人生のある一局面を打開する劇薬にはなりうるという描写になっているのです。 また、恋人役のズーイー・デシャネルがこの役に完璧にハマっている点も評価できます。観客の誰もが美人と認識できる顔や雰囲気でなければラブコメとして成立しないが、かといって突出した美人だと作品に馴染まない。この点において、ズーイー・デシャネルは街で偶然出会ってもおかしくないレベルの美人さんであり(褒めてます)、かつ、このサイトのレビューにおいても顕著な通り、ほぼ満場一致で「かわいい」と認識されています。観客の側における顔の好みには結構なバラつきがある中で、ここまで全員からの支持を得ることって、実は大変なことだと思います。 そういえば、ジム・キャリーの才能のひとつとして、共演女優を魅力的に見せるという点が挙げられます。『マスク』のキャメロン・ディアスから『エターナル・サンシャイン』のケイト・ウィンスレットまで、それぞれからのキャリア史上最高の魅力を引き出している点は、もっと評価されていいと思います。
[インターネット(吹替)] 6点(2017-08-05 02:06:26)(良:1票)
527.  ハドソン川の奇跡 《ネタバレ》 
一生懸命やった仕事に対して後知恵で文句を言われることの面倒臭さときたらありませんが、本作はその一点を描く事のみに集中しています。作品のハイライトは公聴会であり、シミュレーション結果を根拠にハドソン川への着水は不要だったと主張する役人に対して、「何が起こるのかが事前に分かっており、練習する余裕まであったこのシミュレーションと、事故に不意打ちされて情報収集・状況判断・対応策の策定と実行をその場でこなさねばならなかった我々とを一緒にされては困る」と主人公が主張する場面では、本当にスカっとしました。大事故に遭遇したパイロットという特殊な題材を扱いつつも、これを多くの人達にとって身に覚えのある切り口で描いた点に、本作の素晴らしさがあります。 ただし、それ以外に何もないという点が本作のアキレス腱にもなっています。例えば職業映画の巨匠・ロン・ハワードであれば、その人物の背景などを深く描写してボリュームのあるドラマに仕立て上げるのですが、イーストウッドは主題を描くことのみに集中してドラマを広げようとはしていません。だから主人公にさほど感情移入できず、90分強という短い上映時間であるにも関わらず中弛みするという事態が発生しています。 発生から間もない事件で当事者が存命中だから脚色や演出が介入する余地を最小限にし、事実関係の描写のみに専念した結果であることは理解できるのですが、それでも何とかならんものかと思います。これが並みの監督であれば充分満足と言えるレベルなのですが、イーストウッドですからね。それは見る側の期待値も上がりますよ。
[インターネット(吹替)] 6点(2017-06-23 23:58:56)
528.  グレートウォール(2016)
IMAX 3Dにて鑑賞。 アメリカではトンデモ映画扱いされている本作ですが、確かにこれはかなりの珍品でした。北京オリンピックの芸術監督を務めたチャン・イーモウ監督作品なのに中身は大怪獣映画だし、一応は中国の時代劇なのに主演はマット・デイモンだし、1億ドルバジェットの大作とは思えないほどの闇鍋感が漂っているのです。これまでもレジェンダリーフィルムズはチャイルディッシュな感覚溢れる大作を量産してきましたが、企画のバカバカしさを自覚して作られていた従来作品とは明らかに異なる質感が本作にはあり、基本的に物凄くおかしな話なのに監督も出演者も大真面目にやっちゃってる辺りがトホホ感を高めています。 とはいえ、さすがはレジェンダリーだけあって本編開始後まもなく繰り広げられる第一回会戦の出来は素晴らしい完成度でした。機能により色分けされた禁軍が見事な統制を見せる演出はチャン・イーモウの得意分野だけあって安定の仕上がりだし、対する怪獣軍団の手強さも見事に表現されています。敵味方双方の実力がきちんと描写されたアクションは見ていて本当に気持ちがいいものだし、米中合作らしい異常なボリューム感もあって、とにかく盛り上がるのです。これを見るだけでも入場料の元は十分にとれます。 ただし、序盤のこの戦闘こそが作品中最大の見せ場であり、その後はこれを縮小した見せ場が繰り広げられるのみという構成の歪さ、また、何か感動的なことを伝えようとしているのにすべて上滑りしている脚本のマズさなど、映画としての欠陥が至る所に見えてしまっている点は大きなマイナスでした。その他、主人公の成長物語や立場が違う者同士のロマンス、東西の文化比較などいろいろやろうとはしているものの、すべて中途半端に終わっていることも作品の印象を悪くしています。エドワード・ズウィックやトニー・ギルロイといった一流脚本家が雇われたのに、なぜこれほど脚本の出来が悪いのだろうかと首を傾げてしまったほどです。 また、クィーンさえ倒せば何百万の怪獣軍団を一気に潰せるというハリウッドでよくある攻略法もトホホ感を高めています。高度な知能を持ち通信機能までを有しているんだからクィーンは前線に出ていかず、どっか安全な場所で指示を出していろよと思ってしまいました。
[3D(字幕)] 6点(2017-04-16 03:08:58)
529.  トラフィック(2000) 《ネタバレ》 
まず、麻薬撲滅担当の大統領補佐官に就任した判事とその家族の物語。本作中最大のビッグネームであるマイケル・ダグラスが主演している関係上か、はたまた観客にもっとも近いアメリカ人家族の物語であるためか、作品中もっとも力点の置かれたエピソードとなっているのですが、これがまったくのダメダメでした。何がダメかって、マイケル・ダグラス演じるウェークフィールドの行動が出鱈目なこと。彼の権力を総動員すれば失踪した娘なんて簡単に見つけ出せるはずなのに、麻薬撲滅活動のトップにいる自分がスキャンダルに晒されてはならないからと個人で問題解決に当たっているうちに、事態はどんどん悪化していきます。また、娘が見つかったら見つかったで、今度は最悪のタイミングで「個人的な問題を抱えている自分では任を全うできません」と言って職務から逃げ出してしまう。あんたは一体何がしたいんだと呆れてしまいました。 次にベニチオ・デル・トロが主人公を務めるメキシコパート。デルトロのオスカー受賞から察するに、世間的にもっとも評価されているパートがこのエピソードのようなのですが、テレビドラマ『ナルコス』などを見てしまうと、本作の描写は完璧にパンチ不足。15年も後に制作された作品と比較するのは酷と言えば酷ですが、それでもメキシカンマフィアのヤバさはかなり控えめだし、サラザール将軍を売るという危険な決断に至る過程に存在したであろうデルトロ捜査官の葛藤も不足しており、「ちゃんと描いていればもっと面白くなったはずなのに」と残念になってしまう点が多々目につきました。 最後に、夫が麻薬密輸業者であることを知った有閑マダムとDEA捜査官の攻防を描いた西海岸パート。キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、デニス・クエイド、ミゲル・フェラー、ドン・チードル、ルイス・ガスマンと知名度も演技力もある俳優が多く配置されたこのパートがもっとも勢いがあり、娯楽性も高くなっています。追う者と追われる者の双方の視点で描かれることでドラマもサスペンスも絶好調に盛り上がるし、家族を守るという絶対正義の下で悪事に手を染めざるをえなくなった有閑マダムの存在によって、作品は善悪二元論に収まらない広がりを見せます。本作で評価されるべきはデルトロではなく、ゼタ・ジョーンズであったと思います。
[DVD(吹替)] 6点(2017-03-20 03:05:33)
530.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 
原作未読。 人を救いたくて信仰を守っているのに、その信仰を捨てなければ信徒を殺すと脅された宣教師のジレンマ。なかなか面白くなりそうなお話なのですが、「神よ!なぜ沈黙なさるのです」的な発言を何度も何度も繰り返すアンドリュー・ガーフィールドの姿を眺めるのに160分という上映時間は長すぎました。また、最後の最後で神が主人公に語り掛けてくる場面にも感動がなく、さらには神と主人公の間で出された結論が一体何だったのかもよく分かりませんでした。 他方、本作の面白かった点は、信仰を理解しない人たちの意見もちゃんと反映されていることであり、宗教映画でこのような体裁をとっているものはかつてなかったと思います。キリシタンを取り締る役人達は「まぁどうでもいいから、さっさと踏み絵を踏んでよ」という姿勢なのです。取り締りの先頭に立っている筑後守(イッセー尾形が素晴らしい演技)すらキリスト教の価値観そのものを否定しておらず、キリスト教に乗っかって入ってきた西欧諸国の悪影響こそが問題であったとの発言をします。 また、キリシタン弾圧に屈したフェレイラ神父による比較文化論にも興味深いものがありました。日本人は一神教の価値観を持っていないから、俺らがどうこう言ったって変わらないよと言うのです。さらには、隠れキリシタン達ですら我々と同じ感覚で神を捉えておらず、日本式に曲解した形での理解になっていると。そんな社会で犠牲者を出してまで信仰を守る意味はないから、さっさと折れなさい。そして日本社会が望む形で貢献してあげなさいと言うのです。こちらの主張も面白いと感じました。 宗教映画としてはまったくピンときませんでしたが、文化を描いた映画としてはなかなかよくできています。もっと上映時間が短く、かつ、もっと鋭利な描写があれば、面白い映画になっただろうと思います。
[映画館(字幕)] 6点(2017-01-21 16:23:05)(良:1票)
531.  ロスト・バケーション
B級映画界の職人さんジャウマ・コレット=セラによる、平均点のB級映画でした。美女と鮫の攻防戦のみを90分未満の上映時間で一気に見せるという潔さ。ひとつひとつの見せ場の瞬発力は高く、危ないぞ危ないぞという煽りや、ギリギリで危険を回避する場面のスリルはなかなかのものです。いよいよ鮫が全体像を表すタイミングも素晴らしく、観客に対して最大限のインパクトを与えられるように見せ場が配置されています。 ただしB級監督の限界か、そもそもの設定のバカさ加減までは隠しきれていません。ストーカーの如くブレイク・ライブリーを付け狙い、数日にわたって浅瀬から離れようとしない鮫。魚がここまで明確な意図をもって行動するなんてことはさすがに不自然であり、数日ではなく数時間の攻防戦にするか、地元の人が寄り付かないビーチに入ったらそこは巨大鮫のテリトリーだった等の設定が欲しいところでした。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2017-01-16 00:03:21)
532.  レジェンド 狂気の美学 《ネタバレ》 
良くも悪くもトム・ハーディのアイドル映画。トムハは出ずっぱりの上に、一人二役なのでボリューム2倍。しかも彼が得意とするエキセントリックなキャラクターと、珍しい二枚目キャラを同時に見せてくれるのでお得感倍増です。男前で芸達者なトムハを見るだけで2時間強の上映時間はもっており、旬な俳優の持つオーラや勢いってやっぱり凄いのだなということを再認識させられました。 ただし、ヤクザ映画としてはパンチ不足で物足りない内容でした。クラブの店内をカメラが流れるように移動しながら主要登場人物を順番に見せていく冒頭や、BGMの選曲センスにはモロに『グッドフェローズ』の影響が見られてちょっと期待させられたものの、スコセッシ映画ほどのドギツさはなし。ヤクザ映画の醍醐味って、「よくそんな怖いことを平気でできるな」というえげつない描写を垣間見ることだと思うのですが、本作はとにかく大人しいのです。しかも監督のブライアン・ヘルゲランドといえば、主人公が奥さんの死体と一晩添い寝したり、足の指を金づちで一本ずつ潰される拷問を受けたりと荒れた描写が目白押しだった『ペイバック』を撮った立派な方。そんな監督がマックス・ロカタンスキーと組んだヤクザ映画となれば物凄いバイオレンスを見られるものだと期待するところですが、とんだ肩透かしでした。 さらには、一貫して男性映画のみを作ってきたヘルゲランドが、女性の描写を不得意としていた点も作品の弱点となっています。本作の語り手はレジーの奥さんであるにも関わらず、とにかくこの奥さんの存在感が薄いのです。夫婦関係の破綻には唐突感があったし、このキャラの最期も「え、自殺するほど悩んでたっけ?」という印象しか受けず、どこか重要な場面を見落としたのだろうかと思ってしまったほどでした。
[DVD(吹替)] 6点(2017-01-13 00:16:31)
533.  サウスポー
『ナイトクローラー』ではヒョロヒョロに減量していたジェイク・ギレンホールが、今度は筋肉モリモリマッチョマンになっていました。ギレンホールの役者魂もさることながら、最近のハリウッドの肉体改造技術は本当にすごいことになっています。監督もギレンホールの肉体こそが最大の見せ場であることをちゃんとわかっており、冒頭から出し惜しみなし。また、MTV出身の監督だけあって画作りはお手のものであり、もしテレビで放送されていたら本当のボクシング中継かと勘違いしてしまいそうな見せ場を作り上げています。こちらも見事でした。 物語はスポーツ映画の王道通り「栄光→没落→再起」のフローで推移し、ほとんど変化球なし。ロートルトレーナーとの出会いや、周囲の人々とのドラマなどテンプレートから1mmも離れることがなく、だからこそきっちり感動させられるものの、残念ながら水準作以上にはなっていません。 さらには、作りが粗い部分も目立っています。あれだけ人目が多い場での発砲事件だったにも関わらず、奥さんを誤射した犯人が逮捕されないという点はさすがに不自然。また、対戦相手となるボクサーは「ビ○チはもうお前を助けてくれないぜ」とか言って傷心の主人公を煽ってきますが、いくらヒールであってもここまで言ってくる奴はいないでしょ。さすがにイジれないネタというか。しかも、あんたの子分が誤射したことへの罪悪感はないのかと。急に娘が反発し始めたことも不自然であり、何か重要なエピソードを見落としたかと思ってしまいました。 もうひとつの問題点は、前述した通り現実のボクシング中継に極めて近いルックスを作りながらも、オーディエンスの存在が描かれていないことです。主人公は一度没落しますが、彼はアルコールやドラッグで自滅したのではなく奥さんの急死という同情すべき背景があったのだから、世論は彼に味方するはず。あれほど急激な没落は不自然に感じました。また、主人公が金づるではなくなった途端に相手ボクサーに寝返ったプロモーターやトレーナーはバッシングを受けるはずなのに、そうしたオーディエンスの反応がまるで描かれていません。こうしたディティールの面で失敗しているため、本作のドラマには乗りきれませんでした。
[DVD(吹替)] 6点(2017-01-10 18:59:35)(良:2票)
534.  ヘイトフル・エイト
「こんな映画の楽しみ方も分かってる俺ってどうよ」というB級映画マニアの悪いところがドバっと出た『キル・ビル』『グラインドハウス』では愛想尽かせかけたものの、その後の『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ』で王道を踏まえた堂々たるエンターテイメントを見せられて「タランティーノって意外と引出しの多い監督なのね」と感心していたところに本作です。しかも本作は50年ぶりにウルトラパナビジョン70を使用し、『グラインドハウス』とは打って変わって往年のハリウッド大作のスタイル復活を目論んだものであり、『イングロリアス・バスターズ』以降の王道路線の決定版とも言える企画。どれだけ素晴らしいものが出来上がるのかという高い期待があったのですが、残念ながら期待値ほどの作品には仕上がっていませんでした。 雪にまみれたキリスト像のアップから駅馬車の登場までは最高であり、ウルトラパナビジョン70の広い画角が有効に活かされています。ただし、その後の本編ではこの冒頭のように目を楽しませるような場面がほとんどなく、タランティーノがウルトラパナビジョン70の使用に固執した理由がよく分かりませんでした。これは『キル・ビル』『グラインドハウス』でやったのと同じ過ちであり、スタイルの模倣に意識を傾けすぎていて、なぜそれが必要なのかというそもそも論が置いていかれているような印象を受けました。マニアの悪いところがまた出てしまいましたね。 本編は密室における会話劇であり、『レザボア・ドッグス』では100分で収めた内容を本作では168分かけて見せられているという印象を受けました。ミスディレクションの仕方や張り巡らされた伏線など相変わらずタランティーノ脚本のクォリティは高いものの、アベレージが異常に高いタランティーノ作品中では凡作に入る方かなという印象です。少なくとも、90年代の3作品やジャンゴよりも劣っている作品だと思います。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2016-11-07 00:08:34)
535.  フルートベール駅で 《ネタバレ》 
これはなかなか評価の難しい映画です。 声高に主義主張を叫ぶ映画ではないため表面上は中立を装っているものの、主人公が愛すべき家庭人として描かれ、「俺も真面目に働かなきゃ」と改心したまさにその日に射殺されたというドラマチックな内容としている点で、やはり表現にはバイアスがかかっていると思います。交通事故に遭った犬を抱きしめる場面とか、ハッパを海に捨てる場面とか、故人が一人で行ったはずの善行を一体誰が見てたんだよとツッコミを入れたくなりました。 そもそも主人公は前科持ちで出所後にも売人を続けており、社会との信頼関係を自ら破壊してきた人物なのです。そんな人物が公共交通機関で敵対グループと喧嘩をしたとなれば、警察官達が「相手は危険人物である」との予断を持って事に当たり、「新年で混み合う公共交通機関で一般市民に被害が出ないよう対処せねばならない。何かあれば即撃て」との姿勢でいたことにも、一定の合理性はあります。また、舞台となったフルートベール駅周辺は治安が悪く、その地では警察官達は緊張感を持って職務に当たっているという点も考慮に含めねばなりません。そうした警察官側の論理を扱っていない点でも、やはりアンフェアな内容だったと言わざるをえません。 ただし、さすがはライアン・クーグラー監督作品とだけあって映画としては抜群に面白く、その構成力には舌を巻きます。冒頭に射殺場面を持ってくることで「この人物は殺されます」という結末を観客に対して突き付け、当日の彼の些細な行動にも高いドラマ性と緊張感を与えています。主人公が非常に魅力的であることもドラマへの没入感を高めており、上記の通りの社会啓蒙的な側面を度外視すれば、これがとても良い映画となっているのです。
[インターネット(字幕)] 6点(2016-11-02 19:06:22)(良:1票)
536.  レッドクリフ Part I
お恥ずかしいことに三国志の知識は皆無に近く、国名と主要登場人物の名前を知っている程度での鑑賞です。物語の基礎知識を持たない状況での鑑賞には不安があったのですが、その点、国内での配給を担当したエイベックスは懇切丁寧な説明を冒頭にくっつけたり、場面転換の度に登場人物の名前と役職名をテロップ表示してくれたりといった親切設計で対応しており、一見さんにも問題ない鑑賞環境が整えられていたことは有難かったです。本作が劇場公開されたのは洋画に観客が入らなくなり始めた時期でしたが、そんな中で一般客をどうやって呼び込むかという点に配給会社が気を配り、結果として興行的に大成功を収めたのだから見事なものです。 有名な歴史ものには後世での自由奔放な脚色が含まれていることが常であり、これを素直に実写化すると「ありえねぇ」の連続となり(例『300/スリーハンドレッド』)、かといって説明可能な形にまとめようとすると「古典の面白さを台無しにした」とケチをつけられ(例『トロイ』『エクソダス』)、なかなかサジ加減が難しい素材だと言えます。そんな中で本作は基本的に”素直に実写化”路線に向いているのですが、かといって完全な歴史ファンタジーの領域に足を踏み込むこともなく、「昔、こういう戦争がありました」という歴史活劇として一定のルックスを作り上げることに成功しています。劉備軍の将軍たちはまさに一騎当千の活躍を見せるものの、物理的にまったくありえないというレベルに突入する手前のギリギリの描写で踏みとどまっており、生身の人間が戦っているという感覚を残せているのです。この辺りの演出は素晴らしかったと思います。 また、配役も絶妙なものでした。劉備軍の将軍たちの個性豊かすぎるルックスの再現度は高いし、超人的な頭脳を持つ諸葛孔明役にキャスティングされた金城武は、その浮世離れした個性により役柄に説得力を与えています。また、絶世の美女とされる小喬のキャスティングにも困難性が伴ったと考えられますが(見る人によって美醜の基準は異なるため、「誰の目にも絶世の美女として映る人」というキャスティングはかなり難しい)、そこに女優経験のないモデルのリン・チーリンを持ってきた判断も神がかっています。こちらもまた、国を動かすほどの超絶美女にきちんと見えているのです。また、彼女については難しい演技を要求される場面がなく、経験の少なさゆえのボロを出さずに済むよう脚本や演出レベルでも調整がとれています。 以上、本作のルックスは素晴らしいのですが、肝心のお話には面白みが感じられない点は残念でした。ジリ貧の劉備軍が、まだ戦禍に巻き込まれていない呉をどうやって同盟に引き入れるかが本作のスポットだと思うのですが、この交渉の困難な部分はどこにあって、どうやって呉を説得するのかという観客に対する情報の整理ができておらず、孔明と周瑜が弦楽器のセッションで意気投合したことで交渉が進み始めるという、なんとも面白みに欠ける展開となっています。弦楽器の件以外にも、馬の出産・虎狩り・牛泥棒などの面白みのないサイドストーリーの積み重ねにより本筋が進められていくため、中盤が本当に面白くありません。こうした中盤のグダグダの割を食ったのが孫権であり、これは優柔不断な孫権が為政者としての本分を発揮するまでの物語でもあったはずなのに、そこにあるべき感動が見事に失われています。熱い男を描かせれば天下一品だったジョン・ウーが男の成長ドラマでコケたことは意外でした。
[映画館(字幕)] 6点(2016-09-21 20:05:48)(良:1票)
537.  スーサイド・スクワッド 《ネタバレ》 
IMAX 3Dにて鑑賞。3D効果を実感できる見せ場はほとんどなく、2Dで見ても大差ないと思います。 『マン・オブ・スティール』『バットマンvsスーパーマン』とシリアス路線で来ていたDCエクステンデッドユニバースですが、本作よりクリストファー・ノーランがプロデュースから外れたことの影響からか前2作品のような暗さはなくなり、けばけばしい原色系の色彩をベースとしたユーモラスな世界観が構築されています。タスクフォースXの面々が紹介される序盤の出来は素晴らしく、彼らがいかに優れた悪者であるかを手短に披露すると同時に、観客に対して各キャラクターへの愛着を抱かせるよう、彼らにも同情すべき背景があるという点もきっちりと描かれており(あくまで重くなりすぎない程度にですが)、本作の監督はなかなか有能だなと大いに期待させられます。序盤からバットマンの出し惜しみをしないというサービス精神にも嬉しくなりました。タスクフォースXが編成された理由についても、「スーパーマンを失った今、超常的な脅威に立ち向かう手段がなくなったから、それらしい連中で代用するしかない」と『バットマンvsスーパーマン』の展開を踏まえた上でのある程度合理的な説明がなされるので、変な疑問を抱かせられたりしません。なかなかよく出来ているのです。 ただし、面白いのは前半まで。いよいよミッションがスタートすると、「そういうことじゃなくて…」と首を傾げたくなるような方向へと進んでいきます。スーパーヴィランというわけでもなく一芸に秀でた犯罪者の集まりでしかないタスクフォースXと、大都市を余裕で破壊できる魔女・エンチャントレスでは戦力がまるで拮抗しておらず、どう見ても勝負になるレベルの敵ではないためかえってハラハラドキドキさせられないし、そもそもエンチャントレスの目的がなんだかよくわからないことも作品の温度感を下げています。また、中盤の居酒屋場面で人情話をしてしまったこともマイナスであり、この展開を挟んだことからタスクフォースXは不敵な犯罪者集団から情で動く仲良しグループに変質してしまいます。そのため、毒を以て毒を制すというそもそものコンセプトが失われてしまい、悪人ならではのダーティな戦いを見られなくなるため、これでは仮にジャスティスリーグが事にあたってもほぼ同じ顛末を迎えたのではないかと思います。 ジャレット・レト扮するジョーカーは、単体で見るとものすごく良いのですが、本編への絡ませ方が中途半端なので作品の面白さには貢献していません。ま、ジョーカーというキャラ自体が善でも悪でもなく秩序を乱す者という位置づけであるため、エンチャントレスによって無秩序状態にされた街に彼が登場したところで、何もやることはないわけです。だったらジョーカーなんぞ登場させなければよかったわけですが、『バットマンvsスーパーマン』同様に製作陣が欲張ってしまったがために、本来は不要な要素が加わってしまっているのです。
[映画館(字幕)] 6点(2016-09-10 23:12:43)(良:2票)
538.  スティーブ・ジョブズ(2015)
私は新規事業立ち上げに当事者の一人として携わった経験があるのですが、人の話を聞いていると事業はまったく前に進みません。特に、今まで世になかった商品やサービスを開発し、供給により需要を生み出すというタイプのビジネスではあらゆる人からリスクばかりを指摘され、できない理由を朝から晩まで聞かされることとなるため、人の意見は聞かない、聞いても自分に都合よく解釈し、「成功するはずだ」と信じて一度決めた道をひた走るという資質が経営者には求められます。 本作で描かれるスティーブ・ジョブズは完璧なクソ野郎です。脚本を書いたアーロン・ソーキンは『ソーシャル・ネットワーク』と同様にカリスマ経営者の悪しき一面を描くことに関心を持っており、間違いなくジョブズに対する悪意をもった作品であると言えます。そのクソ野郎ぶりを眺めることが本作の一義的な楽しみ方だと思うのですが、それと同時に、ビジネスの世界で成功するためにはこれくらい極端な人格を持つ必要があるという勉強にもなります。自身のビジョンに絶対の自信を持ち他人の意見に左右されないこと、部下の事情など考えずにビジョンの実現のみにこだわること。凡人にとってここまで自分を貫き通すことは難しく、どこかで心が折れたり、目標や方法がブレたりするのですが、ベンチャーを成功させる経営者はメンタル面での圧倒的な強靭さを持っています。そして、経営者を間近で見ていると、そのような人物像は一種の才能であるかのように感じられます。 英語では才能をgiftと言い、神からの贈り物という含みがあります。劇中で相棒のウォズニアックから指摘される通り、ジョブズにはハードウェアを作る技術も、プログラムを書く技術もなく、後天的な努力をしてスキルを磨いてきた人物ではないのですが、他方で自身のビジョンを信じて突き進むという人格面での強靭さと、10年先20年先の社会を読んだ上で当たる商品コンセプトを思いつくという先天的な能力には恵まれており、まさに神からの授かりもので生きてきた人物だと言えます。人格面では最悪で多くの人から嫌われているものの、凡人がどれだけ努力しても身につけることができない才能を持っていることから、部下達は彼の元を離れることができません。努力で自分の価値を高めている秀才にとって天才とはズルくて憎たらしい存在なのですが、ジョブズとウォズニアックの関係はまさにそれを象徴しています。 作品は3部構成であり、それぞれ重要なプレゼン前のバックステージを舞台としており、膨大な量のセリフのみによって物語は進められていきます。そのような特殊な構成をとっているために視覚的にはやや単調なのですが、ジョブズという人物像がそもそも強烈である上にマイケル・ファスベンダーの熱演もあって、彼の最悪な発言を聞いているだけで2時間はもってしまいます。ただし、状況や人物に係る説明的な描写はなく、ジョブズの人生を知っていることが鑑賞の前提条件となることから、間口の狭い作品となっていることは残念でした。また、天才を突き放した視点で眺めた作品であるためか、鑑賞後に特に心に残るものがありませんでした。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2016-08-18 18:21:36)(良:1票)
539.  ドローン・オブ・ウォー 《ネタバレ》 
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』において、スパイ衛星で捕捉した敵を、常時航行しているヘリキャリアーからの攻撃により自動排除するというインサイト計画なるものが登場しましたが、「そんなもんはファシストのやり口じゃねぇか!」と激怒したキャップにより当該計画は豪快にぶっ潰されるのでした。 本作で主人公が従事するミッションは、まさにインサイト計画と同様のもの。テロリストであるとタレこみがあった人物の居場所にまでドローンを飛ばし、ミサイルで始末するだけの簡単なお仕事です。そして、キャプテン・アメリカの怒りを買ったインサイト計画と同様に、このミッションにも正義はありません。農夫にしか見えないアフガン人をテロ関係者として殺したり、ドローン攻撃で死亡した人物の葬儀に集まった人たちにもミサイルを撃ち込んだりと、もはや歯止めが利いていないのです。少しでも疑いをかけられた人物はクロと見做して殺す。たった一人のテロリストを殺すために無関係な一般市民を巻き添えにする。被害者と加害者の国籍が逆であればどれだけの非難を受けているだろうかということをアメリカはやっているのです。 そもそも戦争とは命の奪い合いであり、そこに良い殺し”Good Kill”などはないのですが、それでも従来の戦場には一定の掟や美学というものが存在していました。戦闘行為は兵士のみが行い一般市民は巻き込まないこと、相手の命を奪いに行く以上は自分も殺される覚悟をしておくこと。しかし、ドローンによる殺戮は絶対安全な場所でボタンを押すだけで片がつき、そこには最低限のモラルすらありません。主人公はF-16のパイロットに戻して欲しいと何度も上司に懇願しますが、それは一人の戦士として今やっていることに耐えられなかったためでしょうか。 昼間は遠隔操作での殺戮に手を染めながら、夜には帰宅して家族との時間を過ごす。そんな生活を送る中で兵士たちは次第に精神を蝕まれていきます。ある者は麻薬に走り、ある者は任務から離れていく。主人公もまた、大儀のない殺戮に順応するため他者への共感を絶たねばならなかったことから、家族との間で溝ができていきます。若い女性部下と何となく良い感じになっても不倫に走らず家へ帰るあたりからは、彼の中でも行動を制御しようとする意志が見られるのですが、それでも人格そのものが崩壊していくことは止められなくなっているのです。 以上、なかなか意欲的な姿勢で作られた作品ではあるのですが、物語はどこか牧歌的。主人公がウジウジと悩む様はある意味呑気であり、ミサイルを撃ち込まれる側からすれば、「発射ボタンを押す人だって苦しんでるんですよ」と言われたところで「それがどうした!」としかなりません。本作はより被害者目線に立った作品であるべきだと感じたのですが、これがアメリカ映画の限界なのでしょうか。
[DVD(吹替)] 6点(2016-08-12 18:49:24)
540.  コードネーム U.N.C.L.E.
ナポレオン・ソロ役には当初トム・クルーズが予定されていたものの自前の企画『ミッション:インポッシブル/ローグネイション』を優先して降板し、代わってジェームズ・ボンド役の最終候補にまで残った経験のあるヘンリー・カヴィルが登板ということで、スパイ映画って意外と少ない人数で回してるのねということが印象的だったのですが、カヴィルのハマり具合は素晴らしく、次期ボンド役は彼でいいんじゃないかと本気で思ってしまいました。高級スーツがよく似合うし、スーパーマンも演じる肉体派だけあってアクションをやる時の身のこなしには説得力があります。さらにはユーモアのあるセリフをサラっと言えるため、どんな時にも涼しい顔をしていられる超人的な役柄にピタりとハマっているのです。 また、相手役のアーミー・ハマーは190cm超の巨体を活かしてソ連の堅物役になりきっているし、アリシア・ヴィキャンデルは『黄金の七人』のロッサナ・ポデスタのような魅力があって、60年代のおしゃれなアクションコメディの雰囲気を身に纏っているかのようです。『オースティン・パワーズ』や『オーシャンズ11』など60年代の娯楽作の復活を目指した作品はいくつかありますが、時代の雰囲気の再現度という点では、本作がベストではないでしょうか。 時代の再現度、それが本作の問題でもあります。いま時のスパイ映画に慣れてしまった身としては、結局事態は解決するのだろうという予定調和な雰囲気の中でいつでもヘラヘラと笑っていられる安心感により、スパイアクションに期待される緊張感を奪われている点が残念でした。主演二人は自らスタントをこなしており見せ場のクォリティは高いものの、それが見る側の高揚感には繋がっていません。ダウニーJr版『シャーロック・ホームズ』でも感じたのですが、ガイ・リッチーの作品は雰囲気ものの領域を出ないように感じます。他方、リッチーの元パートナーにして、元祖ナポレオン・ソロを演じたロバート・ヴォーンの息子だと言われていた(後にDNA鑑定で否定されましたが)マシュー・ボーンは、『X-MEN/ファーストジェネレーション』や『キングスマン』にてレトロな様式美と現代風アクションの折衷に見事成功しており、本作もその領域にまで達して欲しいところでした。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2016-08-12 18:48:16)
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