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ザ・チャンバラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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741.  JAWS/ジョーズ
70年代のパワー、スピルバーグのパワーを思い知らされる快作でした。70年代前半といえば「ゴッドファーザー」「エクソシスト」等大人の映画が記録破りの大ヒットを続けていた時期で、本作もブロックバスターの皮を被りつつ、しっかりとした大人のドラマを中心に据えています。映像的ショックの薄れた現在の目で鑑賞すると、サメとの死闘よりもむしろ前半のドラマ部分の方が見ごたえがあり、マジメな姿勢で構築されたドラマと優秀な脚本の存在がいかに作品に貢献しているかが分かります。またスピルバーグのドラマ演出も驚異的。都会に疲れて田舎へ移住してきたブロディ署長が、「どうせよそ者にはわからんだろ」と言われながら孤軍奮闘するドラマを、若干25歳にして描ききっています。たった25歳で、よくも中年男のドラマを作り上げたものです。一方、クィントはスピルバーグが不得意とするタイプのキャラクターなのですが、こちらはロバート・ショーに相当お任せしている様子で、自分に出来ないことは他人に頼るという柔軟さも見られます。。。本作を見て思うのは、パニック映画にはリアクションがいかに重要であるかということです。人喰い鮫が現れた時、人々や社会はどう反応するのかを丁寧に描くことで、鮫の存在も引き立っているのです。肝心の鮫については技術的に相当な制約があり、その姿をほとんど見せないという詐欺みたいな描写が続きます。ようやく画面に登場しても作りもの丸出しなのですが、それでも本作のサメは活き活きとしています。それは、アミティの町やその住民達がこのサメの存在をしっかりと感じ、現実的なリアクションをしているからです。他方、90年代に入ってスピルバーグが関わったディザスター大作「ジュラシック・パーク」「ツイスター」「ディープ・インパクト」は技術的には本作を圧倒し、見せたいもののほとんどすべてを描写できるようになったにも関わらず、映画としては本作に劣ります。「パニック映画」の名称が90年代に入ると「ディザスター映画」と変わったのは言い当て妙で、対象に直面した人々や社会のリアクションがスッポリと抜け落ち、ただひたすら対象を描写することに集中しているからです。これはクリエイターのみの責任ではなく、難しい話を受け入れなくなった観客の責任でもあります。その意味でも、大人の映画に行列ができていた70年代は貴重な時代だったのだと思います。
[DVD(字幕)] 8点(2009-12-31 12:44:39)(良:1票)
742.  ジュラシック・パークIII
世評に逆らってひねくれた点数をつけているわけではないのですが、シリーズで一番面白かったと思います。「1」は理屈っぽい部分の掘り下げが中途半端だったし、「2」における安直な動物愛護精神は意味不明でした。だったら大仰な主張は潔く切り捨ててしまい、ついでに登場人物の数も絞り込んでコンパクトに仕上げた本作が、映画として一番まとまりが良いのです。コンパクトと言っても勢いだけで押し切る短絡的な作品というわけではなく、キャラクターや見せ場は作り込んであります。典型的な大作を得意とするデビッド・コープからドラマ畑のアレクサンダー・ペインに脚本家を変更し、情けない中年おやじ達の成長物語を横軸に持ってきたことで、前作、前々作よりもすんなりと登場人物に感情移入ができるようになっています。グラント博士の登場シーンからしてよく出来ており、エリーと幸せな家庭を築いたと思わせておいて、実は別の旦那と結婚していたサトラー家に遊びに来ていただけという導入部分は最高でした。エリーの子供からは恐竜おじちゃんと呼ばれる始末で、好きなことだけやって歳を重ねるとこうなってしまうという哀愁が漂っています。「1」の時は気鋭の古生物学者だったグラント博士も現在は冴えない中堅の学者で、研究資金も底をついているという切ない状態。そんな彼を再びサバイバルに引き込むのがウィリアム・H・メイシーですが、情けない中年をやらせると右に出る者のいないメイシーは、やっぱり本作でもハマっています。温厚なグラント博士に殴られ、妻からはギャンギャン怒鳴られ、何か言っても誰にも聞いてもらえないダメ親父ぶりをいかんなく発揮。そんな枯れかけの二人が、若かった頃のような自信とバイタリティを取り戻す物語は、定番だけどやっぱりグッとくるものがあります。。。見せ場にも工夫が見られます。「1」「2」とT-REXとラプターを見せ場の中心にしてきましたが、さすがに三度目はないと今回はスピノサウルスとプテラノドンを中心に持ってきた判断は正解でした。知名度の低いスピノサウルスには鮮烈な登場場面を準備し、他の恐竜に比べて攻撃力の弱いプテラノドンには霧に包まれた鳥かごを生かした見せ場を作ることで、T-REX、ラプターに負けない悪役ぶりを披露させています。また、笑いとスリルも絶妙なバランスで調和させており、この監督はなかなか巧いなと感心しました。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-31 01:49:17)
743.  ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク
カラーパープルで挫折を味わった後、スピルバーグは自身のキャリアを意識的にコントロールするようになりました。勝負作に挑む時には、自身の才能をもっとも活かせる娯楽作を抱き合わせて保険をかけるようになったのです。この方針に従い、シンドラーのリストにはジュラシック・パーク、ミュンヘンには宇宙戦争、そしてプライベート・ライアンには本作ロストワールドが抱き合わせで製作されました。特にプライベート・ライアンは同時期にアミスタッドもあって3本連続撮影という尋常ではないスケジュールで製作されているため、その中で最もお仕事感の強いロストワールドの品質が悪くなってしまったのも、当然と言えば当然の話です。ここまで登場人物に感情移入できない映画も珍しく、「恐竜が出てくればそれでいい」という製作陣の投げやりな姿勢が丸見えになっています。第一作当時、スピルバーグが「もっとも気に入っている」と言っていたマルコム博士がまるで別人になっているのが良い証拠。荒れた私生活を送る変人だったマルコム博士が、続編では子供と彼女に振り回される常識人になっていて、むしろ対照的だったグラント博士に近い人格となっています。好みのキャラが続編で別人格になっていて黙っている監督がどこにいるでしょうか。スピルバーグが脚本にほとんどダメを出さず、やっつけで撮影したことが伺えます。その他の登場人物はさらに酷く、ギャンギャン騒いで目障りなだけのジュリアン・ムーア、恐竜を檻から出して大勢の死人を出す直接の原因を作りながら、なお綺麗事を言うのをやめないヴィンス・ヴォーン、ただひたすら鬱陶しいマルコムの娘などは、まとめてT-REXに食われて欲しいと願うほどでした。あまりにムカつき過ぎて、こんなありえないキャラクターを出すには、何か伝えたいメッセージでもあったのではと裏の意味を考えてしまったほどです。目的が正しければ他人に迷惑かけてもかまわないと考えてる連中はロクなもんじゃない。「自分達が自然を守る」と考えるのは、「自然をコントロールできる」と思ってる連中と根は変わらないじゃないかと。恐竜をどうする、自然をどうすると上から目線で島を眺めず、このサバイバルは人と恐竜との殺し合いであるとの覚悟を決めているローランドが本作中唯一かっこよく描かれているのも、そんなスピなりの思想を反映しているような気もします。私の考えすぎのような気もします。
[レーザーディスク(字幕)] 2点(2009-12-30 14:26:33)(良:1票)
744.  ジュラシック・パーク
さすがはスペクタクルの巨匠だけあって、単なる最新技術の発表会に終わらせず、ちゃんとした演出が施されています。例えばブラキオサウルスをはじめて見た時、私達はグラント博士と同様の驚きと感動を味わいます。あのタイミング、盛り上がる音楽、「えらいもん見てしまった」という俳優たちのリアクション。CGの恐竜がノシノシ歩くだけではこの映画は成立しなかった、優秀なスタッフと優秀な監督あってのジュラシック・パークなんだなぁと感じるわけです。T-REXが暴れ出す場面でも、不気味な兆候を積み重ねていよいよ千両役者登場という演出の巧さには唸ります。映画としてやるべきことがちゃんとなされているのです。。。現在になってあらためて見返すと、むしろ技術がこの映画の制約となっているような気さえします。当時の技術水準ではさすがに恐竜を出ずっぱりにすることは不可能であり、またCG恐竜に演じさせられるアクションにも限界があったため、主役でありながら恐竜の出番は抑え気味。「ジョーズ」でも効果を発揮したスピルバーグの「見せない演出」と、恐竜をなるべく出さないで済むように工夫されたシナリオの存在を感じます。こうした制約のため特に中盤はほとんど見せ場がなく、はっきり言って中だるみしており、ひとつひとつの場面を取り出すと印象的である一方で、映画全体としては他のスピルバーグ作品よりは下の出来だと言わざるをえません。また娯楽に徹するためか、物語から難しい部分を意図的に取り去っていることも残念なところ。「ジョーズ」では大人のドラマをやったのに、本作はすっかりファミリー向けになったのは70年代と90年代の違いでしょうか?科学技術と生命倫理のバランス、娯楽のためにどこまで危険を冒していいのかという問いかけ、経営者ハモンドと、それについていけない部下達との関係等々、掘り下げると面白いネタは山ほど転がっていたのに、知的好奇心に訴える部分のほとんどが切られています。その割を食ったのがマルコム博士で、「何が起こるかわからんから新しいことはやるな」と言ってるだけの、頭が固くて空気の読めない人間にしか見えません。しかしクライトンは、心配性の母親みたいな主張をさせるためにカオス理論を出してきたのではないはず。自分達の力を過信しすぎるなという本作の核となる主張をカオス理論に託していたのに、映画版ではその主張がなくなっています。
[映画館(字幕)] 6点(2009-12-29 20:19:16)
745.  キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
実話映画の強みとは、物語に論理的な説明を求められない点にあります。どんなに無茶な展開があっても、”based on true story”という一行のテロップで逃げ切れてしまうのです。本作はその利点を目一杯活用していて、どこまでが事実でどこからが脚色なのかは分かりませんが、ともかく「事実がこうだったんだから仕方ないだろ」と言わんばかりに話をビュンビュン飛ばしていきます。医者を騙って病院に潜り込んだり、偽の経歴のまま婚約者の家族に会ったり、口から出まかせではどうにもならないシチュエーションも多いのですが、本作は「実話」を盾にしてかなり強引に話を進めていくのです。ここでの強引さとは良い意味での強引さで、細かい説明や論理的な整合性にとらわれずストーリーテリングにのみ集中することで、特に前半は怒涛のテンポを作り上げています。フランクの嘘がポンポンと決まっていく様は小気味良く、見ていて本当に楽しかったです。そんな痛快さの一方で、痛みの部分もきっちりと、しかも重くなり過ぎない程度に描けているというバランス感覚も絶妙でした。周囲の人々にウソをつき続けねばならない詐欺師にとって友達や恋人がいてもそれは本当の知り合いではなく、真の自分を知っているのは皮肉なことに自分を追いかける捜査官のみ、本当の自分をぶつけられる相手もまた捜査官しかいない。追う者と追われる者の間に絆が生まれる展開はありがちと言えばありがちなのですが、そこにスピルバーグの小慣れた演出があり、トム・ハンクスという安定した俳優を配置したことで、ドラマパートも見ごたえがあります。良い親父でありダメ親父でもあるクリストファー・ウォーケンも素晴らしい。いかにしてフランクJrの人格が形成されたかが、彼の姿を見るだけで分かってしまいます。。。と、前半はかなり充実していたのですが、対して後半になるとテンポが落ち着いてしまい、前半との対比でかなり長く感じられてしまったのが残念。また脚色上の取捨選択も私の関心とは必ずしも一致していませんでした。フランクはすでに一生遊べるほどの大金を持っていたにも関わらず、金への執着に歯止めが利かなくなって小切手の偽造がさらに過激になっていくのですが、全体が冗長になりすぎないよう、映画では国際的な詐欺行為をはじめるまでの経緯が丸々削られています。しかしこの辺りは詳細に描かないまでも、ある程度の説明は必要だったように思います。
[DVD(吹替)] 7点(2009-12-29 12:11:29)
746.  ラッキーナンバー7 《ネタバレ》 
【超ネタバレしています】巻き込まれていたと思っていた主人公が実は首謀者だったというオチの付け方は面白いのですが、設定があまりに強引なので「騙された!」という感覚よりも「これだけ無茶な設定なら何でもありだよな」という印象の方が強く残りました。ちょっとズルイかなと。他の映画では見たことのない長い長いネタバラシもイマイチ。脚本レベルでは面白かったのでしょうが(だからこそ豪華キャストが集まったのかも)、映像にするとさすがに間延びしすぎです。一言二言のヒントを与えられることで脳内に引っ掛かっていた情報がピタっと重なる瞬間がドンデン映画の醍醐味だと思うのですが、これだけダラダラ説明されるとスッキリ感も何もありません。。。人格者のイメージが強く、過去に一家惨殺をやった人間には見えないモーガン・フリーマンとベン・キングスレイをヤクザの親分に配置するというキャスティング段階でのミスディレクションも、それほど効果を発揮していません。20年で彼らの人格がどう変わったかの説明が不足しているため、凶暴なチンピラと威厳ある親分の像が最後まで一致しないのです。復讐相手のキャラクターが不安定では復讐劇は盛り上がりません。一方いかにも殺し屋なブルース・ウィリスと、巻き込まれ役が板についたジョシュ・ハートネットは良かったし、ルーシー・リュウが出演作中唯一魅力的に見えており、悪いところばかりではありません。ねじれた笑いも決まっており、監督はこういう映画に向いた感覚を持つ人だと思います。あともう少し突っ込んでいれば面白い映画になったのかもしれません。
[DVD(吹替)] 4点(2009-12-28 02:14:20)(良:2票)
747.  アポカリプト
冒頭から驚きました。独特のメイクにケツ丸出しファッション、女性方はおっぱい丸出し(エキストラのみならず、ジャガーパウの奥さんのような重要な役柄に至るまで)、NHKスペシャルで見るようなジャングルの村がまんま再現されているではありませんか。これを演じているのはプロの役者さんなのですが、ジャングルで生活している人たちにしか見えません。映画であるからにはある程度綺麗に撮ろうとするものですよ、普通。おっぱいぐらいは隠すだろうし、少なくとも主人公にはかっこいいメイクをさせるものです。しかし本作はそのような映画的な修正を可能な限り排除し、徹底的にリアルに作り込んでいます。ここまで再現してくるとは思いませんでした。マヤの都市の作り込みも凄まじいものがあります。実物大セットとCGを見事に組み合わせた(実写とCGの継ぎ目がまったく分からないという完璧な完成度)都市の再現力は、私が見てきた時代劇の中でもトップクラスです。そこに生きる人々の描写も丁寧で、エキストラひとりひとりに至るまで衣装やメイクに手抜きがなく、画面に映る全員に対してきちんと演出が施されています。これ見よがしに巨大建造物を映し出す時代劇は多くありますが、そこに生活する人々を含め、都市の全体像を提示する映画はほとんど見たことがありません。しかも本作の舞台はマヤ文明。古代エジプトやローマのようにしばしば映画の題材になるような時代ならともかく、満足に映像化されたのは恐らく本作がはじめてです。そんな、参照すべき過去の作品もロクにない状態で、ここまでの完成度で過去の文明を描写してみせたことは驚異的と言えます。メル・ギブソンの監督としての才能と、優秀なスタッフを山ほど動員してきたプロデューサーとしての能力、どちらも大いに評価すべきでしょう。こうしてマヤの世界にどっぷり馴染んだところでいよいよ猛烈なアクションがスタートしますが、ここからはメル・ギブソンの才能がフルスロットル。ジャガーパウがゼロウルフの息子を殺した瞬間、「マジかよ」と場の空気が一瞬止まり、一呼吸置いてから追跡部隊が猛スピードで走り出すところからして燃えます。槍を持ってジャングルを走り回るだけのアクションをここまで面白く撮れるものかと、燃えっぱなし、驚きっぱなしでした。追跡者の動きを俯瞰で見せるカメラワーク等、ここでも優秀なスタッフに支えられていることがわかります。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-26 18:51:52)(良:2票)
748.  チェンジリング(2008)
イーストウッド作品は時に冗長になりすぎる傾向がありますが、本作は娯楽作顔負けの勢いで物語が進行し、監督作中もっとも面白い作品となっています(楽しんで見るような題材ではありませんが、ここはあえて「面白い」と言います)。ここのところのイーストウッドといえば、人生を知り尽くした御大が、まるで仙人のように淡々と哲学を語る作品が多くなっていますが、本作は観客の感情を刺激するダイナミックなドラマ作品として製作されています。イーストウッドのストーリーテリングは神業の域に達しており、呼吸をするかの如く的確な演出を披露します。わずかな時間でコリンズ親子の強い絆を描き、観客にこの親子を好きにならせる冒頭からして光っています。またアンジーの元にやってきた謎の少年や、臭いものに蓋をすることしか考えないLAPDのイヤらしさときたら見事なもので、見ている間中はらわたが煮えくりかえる思いがしました。それに対するブリーグレブ牧師は、西部劇のヒーローか、ダーティハリーかと言わんばかりの頼りになる男で、「この人が来たからには正義がなされるはずだ」という安心感は抜群。戦うことに迷ったり、弱かったりするここ最近の正義の味方には欠けている魅力を放っています。彼が現れるタイミングも絶妙で、クリスティンが追い込まれて追い込まれてもうダメかという時にやってきて、悪事をなしていた者を黙らせる展開にはアクション映画以上のカタルシスがありました。この辺りは、娯楽作も多く手掛けてきたイーストウッドならではの巧さでしょう。。。子を失った親の物語としては「ミスティック・リバー」と共通していますが、「ミスティック~」に描かれる父親のリアクションが怒りと復讐心を中心としているのに対し、本作に描かれる母親のリアクションは、ひたすらにわが子の生存を願い、その他のことは(憎むべき犯人や、自分を傷つけた警察すら)ほとんど目に入っていないというものでした。権力との戦いはブリーグレブ牧師に任せ、クリスティンがとる行動は全て息子の方へ向いたものとした構成上の判断は的確。普通の監督が撮れば犯人への憤りや警察への復讐を描いてしまうところですが、そうはしなかったイーストウッドはやはり仙人の域に達しているようです。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2009-12-25 15:31:16)(良:2票)
749.  アバター(2009)
長期のブランクを経ての監督作にして、テクノロジーと予算をふんだんに投下して製作された大作と来れば、思い出すのは「スターウォーズエピソードⅠ」の大惨事。予告で目にしたナヴィ族のデザインにもピンと来ず、これはいよいよキャメロンもやらかしたかと思っていたのですが、キャメロンすいませんでした。12年のブランクにも関わらず、その全盛期をも上回る大傑作となっています。キャメロンは観客の感情を刺激する術を忘れておらず、人類の悪辣な振る舞いに怒り、立ち上がるナヴィ族に燃え、壮絶を極める戦闘に興奮し、その中で失われる生命に悲しみを覚えるという、喜怒哀楽すべてを刺激される、極めて映画らしい映画となっています。ここで驚くべきは、大自然の美しさや神秘性といった微妙な感覚までを表現してしまっていることです。最初は奇怪に感じていたパンドラの自然に対して知らず知らずのうちに愛着を覚え、パンドラの森が破壊される場面では、自分の重要な一部を傷つけられているような痛みすら感じさせられます。こんな映画は他に見たことがありません。キャメロンが3D上映にこだわったのは戦闘シーンの大迫力を描くためではなく、パンドラの自然を表現することが目的だったと思います。3Dにより、パンドラの自然の美しさや躍動感が見事に表現され、見ている私達もパンドラを体験することとなるのです。3D映画は他にも多くありますがそれらはアトラクションとして3Dを用いているに過ぎず、ストーリーテリングの道具として映画に従属させる形で3D技術を使いこなした作品は本作がはじめてです。その意味で本作は「史上初の3D映画」と呼ぶにふさわしく、私が本作を体感して得た感動は、サイレントの時代にはじめてトーキー映画を体感した人々の感動、モノクロの時代にはじめてカラー映画を体感した人々の感動に通じるものだったと思います。本作をDVDで見ようなどもっての他、劇場にて3Dで鑑賞すること、この衝撃がもっとも新鮮な今味わうことが重要な作品です。これは歴史的な体験なのですから。本作よりも感動させる映画、考えさせる映画、興奮させる映画は他にもありますが、映画人生で二度と味わえないような体験をさせてくれる作品は本作くらいでしょう。それくらいの革命的な作品です。
[映画館(字幕)] 10点(2009-12-25 00:08:40)(良:6票)
750.  ミリオンダラー・ベイビー 《ネタバレ》 
「許されざる者」「ミスティック・リバー」と比較すると、かなりわかりやすい作品となっています。マギーの家族や対戦相手ははっきり悪人として描かれており、善悪の区別を意図的に避けてきた前述の作品達とは傾向がガラっと変わっています。またマギーが全身麻痺となる原因についても、原作では試合中のアクシンデントだったものを映画では対戦相手の明らかな反則行為に変更していることからも、よりわかりやすい形で観客の感情を刺激しようとする意図が感じられます。そう、これは観客の感情に訴える純粋なドラマ作品であり、イーストウッド流の哲学や死生観を語ってきたそれまでの作品とは別物と考えるべきでしょう。あの結末もイーストウッドの個人的な思想が反映されたものではなく、フランキーとマギーの物語の終着点があの形だったと考えるのが妥当です。。。二人の関係は、師弟であり、親子であり、友人であり、そして恋人であるという、人間が持ちうるすべての関係性が凝縮されたものでした。その相手が真剣に死を望み、ほとんど動けない体で可能な限り自分を傷つけはじめ、生きることが最大の苦痛となっている状態で、それでも枕元で「生きることが大事だ」なんて言い続けられるのか?ボクシングに生き、家族に恵まれなかったフランキーにとってマギーはただの恋人ではなく、長い人生の果てに残ったすべてと言っても過言ではありません。世界でもっともマギーの生を望んでいるのはフランキーなのです。しかしそのマギーは真剣に死を望み、一方で自身の意思を実行する手段をすべて奪われてしまった。医学も宗教も「生きることが大事だ」と定番のお題目を唱えるだけで力を貸してくれない。マギーの訴えに耳を傾け、それを実行してやれるのは世界で自分だけとなったフランキーの苦悩は、想像するだけで恐ろしくなります。泣きの演技をほとんど見せないイーストウッドが、ここではついに涙を見せ、迷いを口にします。ひたすらに強い男だったイーストウッドですら抱えきれないほどの絶望。尊厳死が社会一般で認められるべきかどうかは分かりませんが、少なくともマギーとフランキーの間においては、死以外の選択肢はなかったと思います。マギーに対するフランキーの思いは、医者と一緒になって「とりあえず生きろ」と言っていられる程度の軽いものではなかったのですから。
[DVD(吹替)] 8点(2009-12-23 18:21:00)(良:4票)
751.  ミスティック・リバー 《ネタバレ》 
「許されざる者」と同様、正義など曖昧でいい加減なものだということでしょう。家の中でも一番かわいがっていた娘を殺された父親の怒りや喪失感から物語はスタートしますが(幸せだった日常と、突然それが壊された衝撃を見事に描写したイーストウッドとショーン・ペンの実力には脱帽なのです)、見ている私たちはここでジミーに目いっぱい感情移入し、「必ず犯人を殺してやる」と娘の遺体に誓う父親の決意に賛同します。しかし彼は誤った相手に復讐をしてしまう、しかもそれはかつての親友であり、家族ぐるみの付き合いをするデイブだったという絶望的な展開を迎えます。では、ジミーは間違っていたのか?最愛の娘を殺した相手への復讐心は、親であれば誰もが持ちうるものです。また、犯人に対してジミーが何をするのかをわかった上で、デイブの妻は「うちの夫が犯人です」と告白し、さらにデイブは警察からマークされ、問い詰めると意味不明なことを言い出す状態。少なくともあの夜、あの場で、デイブを犯人だと決め付けたジミーの判断は妥当なものだったといえます。しかし結果としてジミーはとんでもない判断ミスを犯してしまった。人間は神様ではないから、わかった気でいても真実のすべてを知り得ないし、そんな脆弱な認識を基礎に人の生死を決めると、いつか取り返しのつかないことをやってしまう。いかに正当な理由を持つ者であっても、過ちは犯してしまう。人が人を裁くこと、善と悪を区別することがいかに難しく、不確かなものであるかをこの映画は説きます。監督もまた、物語の登場人物に善悪の色づけをすることなく、すべての生きざまを淡々と描いていきます。。。と、ここまでは「許されざる者」と同一の主張なのですが、さらに無情感を押し出したのがラストのパレードです。自分の誤解が原因で夫を失いながら、その現実を受け止めきれずに人ごみの中に夫を探す哀れなデイブの妻。一方、事件が解決し、家族と共に新たな生活をはじめようとするジミーと、夫婦の絆を取り戻したショーンは、そんな痛ましい姿が目に入ることを意図的に避けようとします。恐ろしく冷酷でありながら、人間というものを鋭く描いた場面ですが、ここで唯一デイブの妻と目を合わせるのがジミーの妻です。夫の過ちを受け入れ、kジミーを後悔から立ち直らせた彼女は、夫を信じ切れなかったデイブの妻に対して勝者のまなざしを向けます。ここは本当に怖かったですね。
[DVD(吹替)] 9点(2009-12-22 20:40:07)(良:3票)
752.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 
ガンコじいさんがお隣さんと親しくなるという物語をこれだけ面白く撮れる監督が世界中に何人いるでしょうか?個人的には「チェンジリング」や「ミリオンダラー・ベイビー」の方が好みなのですが、それらは脚本の秀逸さや題材の特異さに支えられていた面もありました。一方本作は極めてシンプルであり、脚本レベルで特に目立った要素はなく、だからこそ演出力がモロに問われる作品だったのですが、これを面白く撮ってしまうというのは驚異的な手腕ではないかと思います。また、監督イーストウッドは、俳優イーストウッドを過大評価しておらず、自分自身の使い方を極めて正確に理解できているように思います。ジョン・トラボルタやブルース・ウィリス同様、この人は何をやってもイーストウッドであり、基本的にひとつの人格しか演じることができません。彼はそれをよく分かっているようで、自分に合わない役柄では監督に専念し、自分で演じるべき作品にのみ出演するという判断が的確になされています。西部劇で培った俳優イーストウッドのイメージを活用した「許されざる者」という傑作がありましたが、本作ではセルフイメージをさらに有効活用。あの流れで、しかも演じているのはイーストウッド。どう考えても仇討に行くものと思いますが、そうではなかったというオチにはやられました。彼ほどの人物ともなれば正直な意見を言ってくれる取り巻きはそう多くなく、自分で自分を評価することは難しいポジションにいるはず。さらに、成功した俳優は時に自分に出来ること・出来ないことを見失って、よく分からない作品に挑戦することもありますが、イーストウッドについてはそのような判断ミスを犯しません。これは驚異的な人格ではないかと思います。まさに映画の神様。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2009-12-21 17:08:47)(良:3票)
753.  許されざる者(1992)
さすがは「ブレードランナー」の脚本家だけあって、バイオレンスの皮をかぶりながら効果的に哲学を語っています。主張自体は「人を殺すことに正義もへったくれもない」というありがちなものなのですが、それをSFアクションや西部劇といった舞台でやってしまうのが巧いところ。こうした目の付けどころの良さ、またアンチテーゼをやるにしても、王道を理解した上で、それを丁寧に解体していくというジャンルへの愛情があることにより、ただの変わり種に終わらせず、正当な西部劇の系譜の中で語られる作品となっています。。。出色なのは憎まれ役たる保安官で、多くの修羅場を経験してその名は広く知れ渡っており、無法者が溢れる時代に街の秩序を守るべく時に手荒な手段も辞さない、そして家族はなく職務にのみ生きているという設定は、通常の西部劇であれば正義の執行者として描かれるべき人物です。荒っぽいところはあるものの、街の平和を守るという目的のための手段として逸脱した行為をとっているわけでもなく、「物語をどの視点から見るのか?」という点において憎まれ役となっているに過ぎません。他方、主人公ウィルは正義とは正反対の人物です。「なぜ殺したのか覚えていない」という殺人まで犯してきた人物であり、彼が生きながらえ、家庭まで持っていることを許せないと考える人は多いはず。そんな極悪人であっても、観客は彼の視点から物語を眺めることでウィルに愛着を覚えます。つまり正義とは多面的であり、その姿はどの視点から眺めるかでころころと変わってしまう脆弱なものです。一方で人を殺すことは「そいつの過去も未来もすべて奪い去る」絶対的に確かなものであり、曖昧な正義を振りかざして人を殺すことがいかに横暴なことかをこの映画は説きます。ウィルは賞金の対象となっているカウボーイの一人を殺しますが、彼は娼婦の顔を切り刻んだ男ではなく、それを止めようとした男でした。事実を知っていればウィルはこのカウボーイを殺さなかったはずですが、無知や誤解によるものであっても、殺した後にその行為を取り消すことはできません。それが人を殺すということなのですが、ウィルはその虚しさを知っているにも関わらず保安官を殺しに行きます。そんな彼の背後に映る星条旗を見た時、大勢の敵がいる酒場にたったひとりで乗り込むウィルの如く、これはイーストウッドが覚悟を決めて作った映画だと確信しました。
[DVD(吹替)] 8点(2009-12-21 16:25:10)(良:6票)
754.  エグゼクティブ・デシジョン 《ネタバレ》 
毒ガステロを題材としていること、潜入早々にメインの部隊が壊滅、生き残った部隊も本部と音信不通となってしまい、敵を倒すことと軍による爆撃作戦の回避を同時にせねばならなくなるという展開は同時期の「ザ・ロック」と酷似していますが、あちらが怒涛のアクションで押し切った力技の作品であれば、こちらは見せ場が少なくとも呆れるぐらいに仕掛けを盛り込んだ巧妙な作品です。これだけ見せ場のないアクション映画も珍しいのですが、それでも退屈することなく、長い上映時間の間に緊張感をきちんと維持できているのですから大したものです。また、実戦経験ゼロのアナリスト役がハマっていたカート・ラッセルの芸の幅の広さにも感心します。同時期には「エスケープ・フロム・LA」にて文明を滅ぼす究極のアウトローを演じ、本作の後には「ソルジャー」にて戦争しか知らない人間兵器を演じた人物でありながら、グラント博士役にも違和感なくハマってしまうカメレオンぶりはもっと評価されてもいいような気がします。一方、どの映画に出てもセガールであり続けるスティーブン・セガールについては、その固定されたイメージを逆手にとってサプライズを作っていて、セガールの良い使い方を実践しているように思います。「後は頼んだぞ!」と叫んでハッチを閉める場面はなにげにかっこよく、私生活でも実践したくなるほど。セガールが出ていなければここまで注目されることもなく、通は知ってる地味なアクションで終わっていたことでしょう。なお、劇場版ポスターやDVDのジャケットにセガールの顔がデカデカと入っているのは日本版のみで、国際版はカート・ラッセルの顔だけのようです。なるほどジャケットをよく見ると、カート・ラッセルのイラストはちゃんと描かれてるのに、セガールの顔は中学校の美術部が描いたような雑な仕上がりです。
[DVD(字幕)] 7点(2009-12-19 18:35:55)
755.  チェーン・リアクション(1996)
「沈黙の要塞」「ウォーターワールド」と並ぶエコアクション大作の本作ですが、環境問題を背景にした映画ってどうしてこんなに面白くないんでしょうねぇ。本作より10年後、キアヌは再び環境問題を背景にしたSF大作「地球が静止する日」に出演しましたが、これもやっぱり駄作でした。。。 この映画はスタジオ主導の足し算の論理で作られているのが丸出しで、結果として著しく統一感に欠ける作品となっています。「スピード」の爽やかカップルが好評だったから本作の主人公達もキスすらしないカップルであり、「逃亡者」のジェラード捜査官があまりにかっこよかったから本作のFBI捜査官はまんまジェラードでした。CGが急速に発展していた時期だったので映画全体のバランスを考えずにSF映画並みの爆破シーンを加え(同時期のデイライト、ロングキス・グッドナイト、ブロークン・アローも同じようなことをやってました)、他のアクション映画との差別化のために環境問題の要素を採り入れ、さらに世界的なスケールを持たせるためにCIAの陰謀論をぶち込み、脚本はごった煮状態です。一方で多くの要素を詰め込んだために作品の核となる謎解きや逃走劇の面白さが失われており、そんな肝心要の部分が二の次になってしまったためにつまらん映画となってしまったようです。「警察にみつかる→走って逃げる」を何度も繰り返すだけではさすがに飽きてしまいます。まだ前半は素人が機転を利かせて逃げ回っているという描写になっていたものの、後半になるにつれてオタク学者のキアヌが超人化し、複数人のCIAを相手に格闘して勝利するといういい加減さはどうなんでしょうか。陰謀の核であるモーガン・フリーマンとブライアン・コックスの関係はイマイチよくわからないし、資料も持ち帰らずに博士を殺害、研究所を爆破し、挙句に「この実験をもう一度成功させるためにはキアヌが必要だ」と言い出すわけですから、大して頭の良い組織ではないのでしょう。
[DVD(字幕)] 4点(2009-12-17 17:08:38)
756.  プレッジ 《ネタバレ》 
この映画をはじめて見たのは学生の時でしたが、当時は「淡々とした展開でオチも決まらない中途半端なサスペンス」という印象で、鑑賞したこともすぐに忘れてしまいました。しかし社会に出て人生経験もそれなりに積んでから再度観賞すると、人生というものを鋭く描いた生涯忘れられない作品となります。努力は美しいことである、正しい行為は正しい結末へつながっているというハリウッド的な思考回路を完全否定、いかに正しい目的のためであっても、いくら愚直に頑張っても報われないことはある、それが裏目に出ることだってあるという情け容赦のない、しかしリアリティのある物語です。 もし主人公ジェリーが浮かれ気分のままパーティーに留まりあの現場に行っていなければ、もし被害者家族に対して口先だけで対応し約束(プレッジ)などその場限りで忘れるような人物であれば、定年後の余生は順調に送れていたことでしょう。しかしジェリーはあの現場に立ち会い、被害者家族と話すという誰もが躊躇した役を引き受け、そして家族との約束を忘れない正しい警察官でした。そんな、正しくあることが最悪の結末をもたらすというこの皮肉。 また、ジェリーが個人としての幸せに身を寄せようとする時、事件の名残が彼の前に現れ、約束を思い出させます。念願だったメキシコ湾へのフィッシングへ旅立とうとする時、好みの雑貨屋を手に入れ穏やかな余生を目の前にした時、ロリ・クリーシー親子と疑似的な家族関係を築き幸福な家庭を手にしようとした時、ジェリーは事件の残像と遭遇して、幸福を掴む寸前で事件へと戻っていきます。通常の映画であればこうした残像は目的を忘れた主人公に正しい行動を取らせるための「サイン」なのですが、本作では主人公の人生を狂わせることとなります。 結末は衝撃的ですが、ただ観客にショックを与えて終わりではなく、人生の真理のようなものを突き付けているところに、他の映画にはない深さがあります。また、先述した「サイン」の扱いなど普通の映画であれば主人公が報われるような流れを示しておきながら、観客の先読みを利用してこれを裏切る脚本の巧さにも感心しました。 
[DVD(字幕)] 8点(2009-12-16 12:58:31)
757.  トゥルーライズ
ここまで中身のない話に空前の予算と最高の技術を投入できるハリウッドの懐の深さには感心します(誉めてます)。何か意味のあることをしようとして、結果的におかしなことになった底抜け超大作は日本にも多々ありますが、企画の段階で「これは頭からっぽにして見る娯楽作です」と決めた上でシャレにならない製作費をポンと与え、手抜きなしにきっちり作り上げることは、他では決してマネ出来ないことでしょう。そういう意味で本作はハリウッド娯楽作の象徴であり、ひとつの頂点と見ることもできます。コメディで笑って、見せ場で目を楽しませて、最後はスッキリと終わる。本当に良い気分で楽しめる娯楽作です。。。他方、アクション映画史においては、アクションスター時代の終焉を決定づけた作品だと見ることができます。本作の主役は怒涛のSFXであり、シュワ氏が担っていたのはその活躍の場を提供する役割でした。筋肉隆々のヒーローが暴れ回ることが第一の見せ場ではなくなり、SFXがついに主役となった分岐点にあたるのが本作です。SFXが見せ場を担うのであれば、ドラマパートは演技のできる役者を使えばいい。本作以降はジーナ・デイビスやニコラス刑事といったオスカー経験者がアクション大作の主演をつとめるようになり、演技は二の次だったアクションスター達の存在感は急速に衰えていきます。マーシャルアーツという代替の難しい特技を持っていたヴァンダムやセガールはその後しばらく全米1位を出せていたものの、筋肉だけが取り柄だったシュワ氏、スタさんの凋落はかなりのものでした。
[DVD(字幕)] 7点(2009-10-21 21:00:08)(良:2票)
758.  ランボー/最後の戦場
第一作はアメリカの暗部を扱ったマジメな映画だったもののこれが意外と不評だったため(同年の「ロッキー3」の3分の1しか稼げなかった)、「2」以降は正反対のドンパチ路線に変更。スタさんはアメリカ万歳映画の人というのが一般のイメージですが、この人には明確な政治思想はないのだと思います。その時々で、敵とするのに調度良い相手を選んでいるだけなのでしょう。このアバウトさがさすがイタリアの種馬なのですが、その傾向は本作にも当てはまります。ミャンマーというホットな軍事政権を相手としていますが、彼らの圧政や少数民族への弾圧は「ランボー4」をやるための舞台にすぎません。なのでミャンマー軍の度を越した残虐ぶり、登場人物としての固有の人格すら持たされない純粋悪としての描写には呆れてしまいます。90年代に香港でよく作られていた日中戦争ものにおける日本軍の描写と大差ないレベルです。こういうスタさんの浅はかなところは、ソ連を悪者にしていた頃から何も変わっていません。一方で監督としての腕前も全盛期と変わっておらず、こちらには良い意味で驚かされます。スタさんは「ロッキー4」を最後に20年以上も監督をしていないのですが、ジョージ・ルーカスやテレンス・マリックの例が示すように、これだけ長期間監督業から離れていると、普通は感覚が衰えるものです。しかしスタさんの演出は衰えるどころか逆に良くなっており、これは野生の勘なのか、実は物凄く頭が良いのか、非常に不思議なところです。例えば川上りの最中で海賊に襲われる場面。ランボーはギリギリまで話し合いで解決しようとするものの、ダメだと判断した瞬間に銃を抜き、数秒で海賊を全員殺してしまうくだりの演出のキレには素晴らしいものがあります。ここでの間の取り方や緊張感の煽り方、それまで舐めた目で見られていたランボーが、実はとんでもない奴だと判明するというカタルシス、アクション映画に必要な感覚を十二分に味わわせます。同時に、ミャンマー上陸前にこのエピソードを入れておくことで、「これからシャレにならない場所へ行こうとしている」という構成上の前振りの役割も果たしています。その後は「プライベート・ライアン」と「アポカリプト」を合わせたような一大地獄絵図が繰り広げられますが、これまでさほど残酷な映画を扱ってこなかったにも関わらず、ここで見せる演出のインパクトも凄まじいものがあります。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2009-10-21 20:12:58)(良:1票)
759.  ランボー 《ネタバレ》 
時の経過により色褪せていく映画は多くありますが、本作は逆。昔見た時よりも、今見る方の印象が良くなっています。アクション部分の出来が良過ぎるためにアクション大作として見られてきた本作ですが、時の経過により見せ場のインパクトが薄くなったことから、この映画が本当に語りたかったドラマ部分が浮かび上がってきました。。。C・C・バクスターさんも書いておられますが、冒頭からして秀逸です。最後の戦友が死んだと聞かされ、写真もアドレス帳も置いてその場を立ち去るランボー。その戦友は黒人だったと推測されますが、戦場にはあった人種を超えた友情が今や完全に失われ、同時にランボーは数少ない自分の居場所をも失ってしまいます(本作で晴れているのは冒頭のみであり、後はどんよりと曇っていることが、ランボーの心境をよく表しています)。保安官から邪険に扱われいよいよ居場所に困り果てたランボーは、今度は自ら居場所を作り出します。戦場でしか生きられない彼は、アメリカ国内でたったひとりの戦争をはじめてしまうのです。ティーズルの喉元にナイフをあてながらも生きたまま帰し、最後まで一人も殺していないことからも、彼には一定の理性が働いていたこと、保安官やアメリカへの復讐が目的ではないことが伺えます。こんなことは愚かだとわかっていながら、しかし戦うしか能のない男が目的のないままひたすら戦うという異様な戦闘が繰り広げられるのです。この事件に駆け付けたトラウトマン大佐も、味方とは言い難いものがあります。彼がランボーについて語る様は、シャレにならない事件を起こした部下の安否を気遣うものではなく、自分が作り上げた最強の兵士を自慢しているだけのものでした。ランボーとの会話の中で、軍に戻りたいというランボーの願いを聞き入れなかったこと、話し相手を求めて電話をしてきたランボーを無視していたことも明らかになります。大佐もランボーを使い捨てにした人間のひとりであり、本来は敵と位置づけてもよい相手なのです。しかし今のランボーにとっては自分を知る唯一の人間が大佐であり、最後には彼の説得に従います。安直にランボーを殺さず、生きて投降させたラストもよかったです。この戦闘がランボーにとっての長い長い自殺の過程であったと解釈すると、この自殺を思い留まらせ、生きて再び社会と向き合うという選択をさせたことで、映画のテーマがより活きたと思います。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-21 19:37:19)(良:2票)
760.  クリフハンガー
天敵ソ連を失って以降は迷走の続いたスタさんにとっては起死回生の作品であり、ジュラシック・パークをも超える大予算で挑んだ超大作だけあって、アクション好きにとっては大満足の作品です。しかも単純なドンパチアクションに終わらせておらず、崖を登ったり斜面を滑り落ちたりという雪山ならではアクションを中心にして見せ場を作っているのですから、他のアクション映画とはレベルの違う、かなり丁寧に作られた映画だと言えます。今回は山岳救助隊員であって戦闘のプロではないという設定を最後まで裏切ることはなく、スタさんが銃を一発たりとも撃たない、プロの傭兵と素手で格闘すると負けてしまうという辺りも新鮮です。また、CGが本格的に使えるようになる前の時代の作品だけあって、生身の人間が危険な撮影に挑んでいるという緊張感もバシバシ伝わってきます(スタさんの登場シーンはセット撮影が多いような気がしましたが…)。この辺りは、監督にレニー・ハーリンを持って来たことが功を奏しています。大予算にもまったくひるまぬ図太い根性があり、またスタッフや役者にいかなる無茶も要求する暴君ぶりも有名な監督だけあって、大変な困難を伴う撮影を妥協なくやりきっています。。。ただし、ハーリンの起用が裏目に出ている部分もあって、ドラマパートが台無しになっているのはその最たるもの。本作はアクションだけでなく、ドラマパートも実は充実しています。スタさん演じるゲイブは、敵の手から逃れた時点でさっさと下山してしまうという選択肢があったにも関わらず、親友のハルを救うためにテロリストと戦います。そのハルとは恋人の死を巡る深いわだかまりがありながら、それでもなお親友として彼の命を救おうとする熱い話でもあるのですが、ここが完全にスルー。対するテロリストは一枚岩ではなく、内部では殺し合いにつながりかねないほどの対立が発生しています。また強奪作戦の失敗からテロリスト達が猛烈に焦っているという珍しい描写も入っており、よく突っ込んだ話となっているのですが、これまた設定を活かしきれていません。演技のできる役者で脇を固めていることからも、本作をただのアクション映画には終わらせないという製作側の意思が読み取れるのですが、これらをうまく機能させられていないのが残念なところです。
[DVD(字幕)] 7点(2009-10-12 22:20:32)(良:2票)
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