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鉄腕麗人さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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221.  エル・マリアッチ
じっとりとへばり付くようなメキシコの熱気と、犯罪が氾濫する街の雑踏が、ロドリゲスの原点にふさわしい刺激的な映像感覚で並べ立てられる。 主人公の男のとんでもない“不運”をあくまでドライにカラっと描くストーリーの質が映画に相応しかったと思う。 ただ、ラストのくだりが少々ガサガサしすぎというか、小気味よさに欠けていた。ラストをもっと爽快にまとめていれば、もっとスゴイ映画になったと思うが。
[DVD(字幕)] 6点(2005-11-07 11:46:00)(良:2票)
222.  竜とそばかすの姫
終幕後、何とも言えない神妙な面持ちを作らずにはいられなかった。 駄作だとは思わないし、エンターテイメントとしての複合的な意味合いでの華やかさと、エモーションを持つアニメーションだったとは思う。 だが、同時に、アニメ映画として誠実な傑作かと言うと、そうではないなと思う。 非常にアンバランスで、その不安定さが、とても下卑たものに見える瞬間も少なくはなかった。  主人公のアバター名が「ベル」であることをはじめ、ディズニー映画「美女と野獣」へのオマージュが多い映画だなとは序盤から感じたが、ストーリー展開を追うにつれその要素が大きくなり、オマージュというよりも、新しい解釈と新しいアニメーション表現を携えた“細田守版リメイク”、いうなれば「新世紀 美女と野獣」という趣向が強かったと思う。  圧倒的なビジュアルと音楽の融合によるイマジネーションの渦のようなアニメーション表現は圧倒的であり、独創性に溢れていた。 だが、あまりにも「美女と野獣」要素が強く、その独創性がイコール“オリジナリティ”の創出だったかと言われると、個人的には少々疑問が残った。  そういった超有名作との類似性も含めて、ストーリーそのものにおける“新しさ”はほぼ皆無だったのではないかと思える。 女子高生の主人公が抱える喪失と痛み、出会いと再生のプロセスは、極めてオーソドックスだったと言えよう。 そして、それを描いた現実世界の描写は、インターネット上の仮想世界の華やかさに対して、きっぱりと「地味」だった。  だがしかし、その「地味」な現実世界の描写こそが、このアニメ映画においては白眉のポイントだったとも思える。 少女の抱える傷心と、普遍的な心の機微が、高知県の田舎を舞台にしたアニメーションの中で、繊細にきっちりと描かれていた。 むしろ、それに対して派手で、壮大で、イマジネーションに溢れているはずの仮想世界の描写の方が、何だか既視感を覚え、面白みを感じづらかったと言える。 そういう意味では、田舎に住む女子高生の、地味でノスタルジックで瑞々しい現実世界の生活描写をもっと長く丁寧に描き出していてくれたなら、今作に対する印象はもっと変わったと思う。   そして、この映画における最大の“難点”は、やはり、最終的な決着の付け方だろう。 「児童虐待」という非常に重く切実な現実社会の闇を取り上げているにも関わらず、ストーリーの帰着があまりにも浅く、おざなりだったのではないか。 主人公のまるで合理的でない無鉄砲な自己犠牲的行動にも納得がいかないし、周囲の「大人」とされる人たちの存在の空虚さと無責任さにも不快感を覚えた。 実際に、同じような環境下、もしくはもっと劣悪な状況の中で虐待を受けてしまっている子どもたちは世界中に存在するわけで、それを主人公の“ファンタジー”的な言動であたかも解決したように見せてしまうことは、配慮に欠けるし、不誠実に見えて仕方がなかった。 もちろん、そういう題材を扱っている以上、製作者側にそんな適当な気持ちは無かったのだろうけれど、やはり誤解を生じてしまう描き方であったことは否めないし、根本的な作劇の軽薄さが露呈しまっていると思う。   前述している通り、大部分においてエモーショナルな映画ではあった。 インターネットの仮想世界におけるイマジネーションも、現実社会の風景を描いたノスタルジックも、秀逸なアニメーションで描き出すに相応しいものだった。 しかし、細田守という、いまやこの国を代表するアニメーション監督の作品である以上、主題となるストーリーの不誠実さや軽薄さは致命的であり、看過できるものではない。 商業的に巨大になってしまったブランドは、往々にして誠実な視点を見失いがちだ。細田守監督には、今一度、クリエイターとしてのエゴイズムを突き詰めて、唯一無二の作品作りに挑んでほしいなと思う。
[映画館(邦画)] 5点(2021-07-17 18:29:52)(良:2票)
223.  GOEMON
賛否が大いに分かれた(というよりも殆どは“否”だった)前作「CASSHERN」から5年。紀里谷和明という映画監督の、創作者としてのエゴイズムと方向性が、圧倒的に正しいということを、改めて確信させるに余りある作品に、この「GOEMON」は仕上がっている。  既存のヒーローを描いた作品でありながら、、独創的で独善的なストーリー展開に突っ走った「CASSHERN」は、多数がどう言おうと素晴らしい映画だった。しかし、その分観客の許容範囲を狭めてしまったことも事実。  しかし、今回は史実に伝説として残りつつも、想像の部分が多分に含まれる”石川五右衛門”というヒーローを扱うことで、自由な表現が出来るから故に、単純明快なストーリーの上に、至高の娯楽が構築されたのだと思う。  当然のことだけれど、この映画に歴史的リアリティやその他もろもろの「常識」を求めるなんてナンセンス極まりない。 あらゆる固定観念を捨て去り、本当の意味でフラットな状態でひたすらに突き詰められた映画世界に没頭すべきだと思う。  日本映画に大きく欠けているもの。それは創造物に対する絶対的な「自信」と、それを持つためのエゴイズムだと思う。 そういうものを備えているからこそ、紀里谷和明という人間の創造物は、「日本」という枠を大きくはみ出るほどの、圧倒的なパワーに溢れている。 今後もそのスタンスを貫く限り、再び彼は「絶景」を見せてくれるに違いない。 
[映画館(邦画)] 9点(2009-05-05 09:26:21)(良:2票)
224.  ガス人間第一号
正直なところ、この映画の場合、僕はタイトルのインパクトだけでほとんど圧倒されている。“ガス人間第一号”って、まさしくそのまんまなんだけれど、なんて潔くてオシャレな表題なんだろうと。そして、そのタイトルから滲み出る“B級科学映画”という雰囲気をさらりとかわして、繰り広げられる哀しい男の哀しい運命の物語に、予想に反した感慨深さが残る。若かりし故・三橋達也の男臭さ、美しい八千草薫の憂いに魅了されることも間違いない。 ところで、こういう映画がもし同じ時代にハリウッドで作られていたとしたら、間違いなく現在においてリメイクされているだろう。それをしない(むしろ出来ない)日本映画界は、やはり当時に比べて、特に娯楽映画の部分での進歩が無いというよりも後退が著しいのだと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-07 03:01:32)(良:2票)
225.  耳をすませば(1995)
最初に観た時は、丁度主人公たちと同じ年頃で、その熱っぽさに恥ずかしさからか引いてしまうところがあったけど、数年たった今観ると涙が溢れる。今求めるものが、あの頃確実にあったという懐かしさと惜しさに胸がつまる。実際にあんな行動をする中学生はまずいないだろうけど、可能性をはらんだ純粋なエネルギーがリアリティを出す。あの頃の未知なる希望は、はるか遠くにいってしまった。でも、まだ、届かないわけではない。
[DVD(邦画)] 10点(2003-10-26 14:28:23)(良:2票)
226.  ワルキューレ 《ネタバレ》 
実際にドイツ内部で起こったのヒトラー暗殺計画。  史実を基にした作品だけに、シリアスな緊迫性で迫っている点は良いと思う。 ただ、主演のトム・クルーズ率いるヒトラー暗殺を企てる反逆者サイドが“正義”であるという構図は、いささか安直であり、違うのではないかと思った。  詰まるところは、同国内でのクーデターであり、実際は善玉・悪玉と区別できる類いのことではない。 悲劇的な戦渦の中で、戦争を繰り広げる張本人たちに「正義」などあるわけがないという結論に個人的には帰着する。  そういう意味で、描かれる物語の重々しさほどには、映画としての価値はそれほど高くはないと思う。 もう少し史実における「ヒトラー暗殺計画」に関わった人間たちの群像を大河的に描き、事実に対して独自の視点で深く切り込んでみるような「挑戦」があれば、もっと深みのある良い映画になったのではないかと思う。  トム・クルーズは実在の伝説的将校を体現しようと頑張っていたと思うが、映画全体として彼のスター性に頼りきってしまったことで、他のキャラクターの人間性が見えてこなかったとも言える。 スター俳優としてのピークは越えたであろう彼が、今後どういう映画俳優へ転じていくか、一映画ファンとして見ていきたいもの。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-21 01:42:16)(良:2票)
227.  劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ
エンドロールまでしっかり観終わった後、ラストのライブシーンを繰り返して、主人公の女子高生が大きく息をついてからガッツポーズを決めるカットを二度観た。 その後も特典映像の劇場版予告編を見終わったまま、DVDをプレイヤーから取り出せないでいる。 まさに余韻に浸っている状態だ。沢山の映画を観ていると稀にこういう状態に陥る。  実在のバンド「神聖かまってちゃん」のライブまでの日々を軸にし、まったく関わりのない別々の環境の人間たちのくすぶる心情と葛藤がつらつらと描かれる。 作り手が自らの趣味趣向を全面に押し出したマスターベーション的な映画世界が繰り広げられるんじゃないかという危惧は大いにあった。 そもそも、某ラジオ番組で話題に出ていなければ、こんなタイトルの映画は見向きもしなかったろう。 “見向きもしなかった”ことを考えると、本当にぞっとする。  冒頭から安っぽいデジタル撮影の映像が映し出され、上手いのか下手なのか、はたまた自然体なのか素人くさいのか判断に悩む出演者らの演技が繰り広げられる。 作り手の自己満足が入り交じったチープな映画世界が展開しているようにも見える。  しかし、すべてが終わった後には、無駄なものが何もない映画に思えるから不思議でならない。 “チープ”という印象がいつの間にか消え去り、“良い映画”という印象も覚えぬまま、気がつけば“大好きな映画”になっていた。  「神聖かまってちゃん」なんてふざけた名前のバンドはその存在すら聞いたこともなかったし、必然的に作品の中で流れてくる彼らの音楽にすんなりと共鳴できたわけでもなかった。 しかし、ラストのライブシーンでは彼らの音楽とともに、登場する様々な環境の人物たちの様々な思いが混じり合うようにして流れ込んでくるのを感じた。  プロ棋士を目指す少女は将棋盤を睨みつけ汗を拭う。 くすぶっていたそれぞれの火種が、バンドの音楽とともに突如として燃え上がる。 彼らの問題がそれですべて解決したわけでは決してないけれど、そこには次に進むための一筋の光が見える。  「感動は理屈ではない」なんてよく言うけれど、本当に自分の中で理屈が成立する前に訳が分からぬまま気持ちが高揚し、涙が溢れ出そうになってきた。  まだまだ吐き出したい思いは溜まっているけれど、うまく言葉にできない。 年の瀬、想定に反してスゲー映画を観てしまった。
[DVD(邦画)] 10点(2011-12-30 12:07:56)(良:2票)
228.  トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン
映画館でこの映画を観終わって、6時間が経った。 はっきり言って、もうすでにストーリー展開に関しては忘却が始まっている。と言うよりも、鑑賞直後においても、ストーリーに対する印象はほとんど皆無だったと言っても過言ではない。  ただし、その“内容の無さ”が、このブロックバスター映画シリーズにおいては、もはや「醍醐味」だと言いたい。  馬鹿馬鹿しい程に製作費と労力をかけたであろう映像世界は、圧倒的な迫力による“興奮”を通り越して、その目まぐるしさに対してもう何が凄いのかも分からなくなってきて、笑うしかなくなってくる。 第一作目からそのポイントは変わっていないが、ハリウッドを代表する大人たちが繰り広げる「空想の具現化」は、一応の「最終作」と銘打たれた3作目にしていよいよ歯止めがきかなくなっている。  コンピューターグラッフィクスの精巧さ評する隙もなく、映し出されるスペクタクルは、一体何がどうなっているのかも一目では判別がつかず、ただただ圧倒され、唖然とするしかなくなっていることに気付く。  「内容の無い大味な映画」とこき下ろすことはあまりに安直だ。 目の前で繰り広げられている映画世界は、もはや人類の英知の極みだと言って良いと思う。 その後で、映画として好きなのか嫌いなのか、その判断だけすればいい。  内容なんて明日になればすっかり忘れているのかもしれないが、映画館の中で食い入った2時間半だけが「面白かった」のならば、それ以上何も求めない。これはそういう映画だ。  そして、そのスタンスは正しい。
[映画館(字幕)] 8点(2011-08-21 22:37:14)(良:2票)
229.  ビッグ・フィッシュ
悲しいわけではない、物語自体が極端に感動的だというわけでもない。ならばどうしてこんなに涙が溢れるのだろう。と、とめどなく流れる涙を拭いながら思った。ただただ主人公の希有で幸福な人生を見ていることに心が揺れるという感じだった。それがつくり話かどうかなどということはもはや関係なく、紛れもない彼自身の幸福感に対して、その幸福な人生を見ることができたことに対して涙が溢れた。ひとりの男が人生を通して繰り広げる現実と空想の境界。その境界線上ですべての人がハッピーになる。感動するなんてことは、理屈ではない。まさにただ「感じる」ものなのだ。そういうことを改めて教えてくれる素晴らしい映画がまたひとつ誕生した。
10点(2004-05-22 22:15:46)(良:2票)
230.  アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル
“トーニャ・ハーディング”が、テレビカメラ越しに、やや諦観しているような真っ直ぐな眼差しで、軽薄な「大衆」に向けて、「あなた」という呼びかけと共に、静かな怒りと諦めをぶつける。 「あなた」というのは、まさに自分自身のことだと思えた。  1994年のリレハンメル五輪のあの冬、僕は13歳からそこらだったと思うが、トーニャ・ハーディングが途中で演技を止めて、審判席に詰め寄る光景をよく覚えている。 そして、僕は確かに、彼女のその様を、「往生際の悪い女だ」と、好奇と侮蔑を携えて見ていたことも、よく覚えている。 年端もいかない“ガキ”だったとはいえ、断片的に伝え聞いていたのであろうワイドショーの情報と、衛星中継の一寸の光景だけで、そういった底意地の悪い感情を抱いてしまったことは、恥ずべきことだったと思う。 結局、何が「真実」かなんてことは分からないけれど、自分も含めた大衆の無責任さは痛感せざるを得ない。  それにしても、一流アスリートとオリンピックを巻き込んだあの一連のスキャンダル事件を、このような形で、スポーツ映画としても、一人の女性像を描き出す作品としても成立させ、見事な傑作として完成させてみせたことには驚かされた。  マーティン・スコセッシの犯罪映画のようでもあり、デヴィッド・フィンチャーの実録映画のようでもあり、最新の撮影技術を駆使した確固たるスポーツ映画でもある今作は、極めて芳醇な多様性を孕んでいて、最初から最後まで決して飽くことがない。 二十数年前のスキャンダルを知っていても、知らなくても、面白みを堪能できる作品に仕上がっていることは、虚偽と真相、フィクションとノンフィクションの境界を描く今作が、大成功を収めていることの表れだろう。  演者で特筆すべきは、やはりなんと言ってもマーゴット・ロビー。 どこまでも愚かであり、どこまでも不憫な実在の女性像を見事に表現しきっている。そして、間違いなく世界トップクラスのフィギュアスケーターだったトーニャ・ハーディングを演じるにあたってのアスリートとしてのアクションも、極めて高い説得力と共に体現していたと思う。  ラストシーン、スケート界から追放された主人公は、ボクシングのリング上で、アッパーカットを浴び宙を舞う。 その様をかつての“トリプルアクセル”と重ねて映し出すという「残酷」の後、リングに打ち付けられた彼女は再びこちらを見つめてくる。 この映画は、無責任な好奇の目に晒され続けた彼女が、それを浴びせ続けたこちら側を終始見つめ返す作品だった。
[DVD(字幕)] 9点(2018-11-23 23:52:48)(良:2票)
231.  グレイテスト・ショーマン
サーカスが好きである。世界各国から集められた芸達者な精鋭たちが、あの限られた閉鎖的な空間の中で、無限にも感じるイメジネーションを繰り広げるエンターテイメント性は勿論、彼らが当然抱えているであろうパフォーマーとしての人生の機微や、決して綺麗事ばかりではないであろうショービジネス界の苦悩も含めて、圧倒される。  そんな“サーカスの祖”とも言える稀代の興行師の人生を軸に、“ショー”の中でしか生きる術が無かった者達の人生讃歌が、圧倒的な歌唱とダンスで映し出されていた。 ミュージカル映画好き、そしてサーカス好きとして、問答無用の高揚感に包み込まれたことは言うまでもない。  だがしかし、この映画のストーリーラインと語り口は、“空中ブランコ”のように極めて危うい。 その最たる要因は明確で、ヒュー・ジャックマン演じる主人公P・T・バーナムが、決して清廉潔白な品行正しい人間ではないからだ。 彼はあくまでも私利私欲のために(勿論、愛する家族を守るという大義名分はあるけれど)、いわゆる“フリークス(奇人)”を集め、笑いものにするための「見世物小屋」を始めたのだ。 その様をどんなに成功譚的に描き、“好人物”の世界屈指の代表格であるヒュー・ジャックマンが演じようとも、この主人公に対して非倫理観や不道徳性を感じてしまうことは否めない。  無論、そんなことはこの映画の製作陣は充分に理解している。理解した上で、それでも敢えて短絡的に思える語り口を貫き、ただただシンプルに主人公をはじめとするショーの中で生きる者達の生き様を歌い上げている。 この映画が素晴らしいのは、まさにその映画として潔い「態度」だ。 ほんの少し演出のバランスが悪かったり、別のキャスティングだったならば、主人公は勿論、他の登場人物たちの言動も決して受け入れられず、非難の的となっていたことだろう。  フリークス達は、「綺麗事」ばかりを振りかざして生きていくことなどできないこの世界の闇の深さを、他の誰よりも知っている。 倫理に反しようが、不道徳だろうが、そんなもの知ったこっちゃない。 誰に笑われ、誰に罵られようとも、「生きていく」という覚悟の上に、彼らの歌声は響き渡る。  ミュージカルシーンの華やかさと力強さは紛れもなく素晴らしい。ただそれによる娯楽性が、ストレートな多幸感には直結しない。終始一貫して、薄くへばりつくような居心地の悪さを感じる。それは即ち、この現実世界にはびこる居心地の悪さそのものなのだろう。 その映画としての試みが完全に成功しているとまでは言わないが、このミュージカル映画の目指した「表現」と「着地点」は、圧倒的に正しいと思える。  演者としては、ゼンデイヤ嬢が「ホームカミング」に続いて魅力的だった。彼女の溢れ出る魅惑的な異端性は、女優として今後益々唯一無二のものとなっていくだろう。 蛇足だが、ミシェル・ウィリアムズとレベッカ・ファーガソンに挟まれては、流石のヒュー・ジャックマンも辛かろうな。
[映画館(字幕)] 8点(2018-03-15 08:04:21)(良:2票)
232.  コンテイジョン 《ネタバレ》 
突如として発生した高致死率の新種ウィルスが瞬く間に世界中に広がっていく恐怖を描いた映画。 というイントロダクションを聞いて真っ先に連想してしまうのは、やはり「アウトブレイク」だ。「アウトブレイク」が、殺人ウィルスそのものの猛威とそれに対峙する主人公のヒーロー性を描いたエンターテイメント作品だったのに対し、今作はプロットこそ似通っているが世界観のテイストはまったく異なった映画に仕上がっている。  リアリティを追求していると言えば確かにそうだが、必ずしもすべての描写が「リアル」というわけではなく、随所に非現実的だったり、作為的に誇張されている部分もあったように思う。 思うに、この作品が描いているものは、未知なるウィルスそのものの恐怖ではなく、その“感染”による“パニック”に対応しきれないであろう全世界の社会体制自体の脆弱さ、そしてそこに“巣食う”人間そのものの恐怖だったのだと思う。  映画の冒頭数分で死に至ってしまうグウィネス・パルトロウの描写を皮切りに、文字通り死が伝染する様は恐ろしい。 しかし、それ以上に、ジュード・ロウが演じたような人間から発される作為的な「情報」によって伝染していく個々の人間のパニックが何よりも恐ろしく、結局彼のような人間の存在を治めきれない現代社会の「現実感」に非常に脅威を覚えた。  アカデミー賞クラスのビッグネームを揃えたキャスティングによる群像劇には、流石に迫力はあった。 その一方で、個々の人物描写が希薄に映ったり、そもそも物語が中途半端であるという批判も分からないではない。 リアリズムに振れるにしろ、エンターテイメントに振れるにしろ、もう少し踏み込んだ展開があれば、もっと印象的に化けた映画になっていたようにも思う。  ただ、この映画で描かれるまさに「今そこにある危機」を紡ぐにあたって、この物語の中だけで完結していない半端さは、逆に問題意識を巡らすための余白を生んでいると言え良かったのではないかと思う。 そういう意味では、いつもスティーブン・ソダーバーグ監督作品に感じる、“何だか物足りない”感じが、意図的にか偶然かは分からないけれど効果的に反映されている映画であると思った。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-02-15 14:01:44)(良:2票)
233.  図鑑に載ってない虫
日常生活の中に実は蔓延している些細な“笑いどころ”を、抜き出し、唯一無二のコメディに仕立て上げる「業」において、今三木聡は独壇場だと言える。  限りなく意味の無い“可笑しさ”のオンパレード。そのストーリーも限りになく無意味に近い。しかし、この監督の作品には、そのギリギリの部分で物語性を含み、感情を生む。 弾けとんだキャラクターたちは不思議な魅力に溢れ、物語が進む程に愛着が生まれる。 結果として、愛すべき作品、愛すべき映画へと進化していく。  しょうもなさや毒々しさを多分に含んだコメディなのに、最終的には何故か小気味良い“爽快感”に包まれる。 これはもはや、新しいエンターテイメントの形と言えるかもしれない。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2007-10-08 23:30:57)(良:2票)
234.  ライフ・オブ・デビッド・ゲイル 《ネタバレ》 
この映画の主演にケビン・スペイシーを配したことは、ある意味でリスクだったと思う。なぜなら、「己の罪の真意を問う死刑囚」という役柄の時点で観客はあれこれと、彼の“正体”についての結末を必要以上に考えざる得なくなってしまうからだ。生半可の“答え”では、ほとんどの観客はこれまでの経験から「なんだやはりそうか」と気を抜かすことであっただろう。しかし、この作品は、そのリスクを最大限に生かし成功へと導いている。物語自体のアイデアも素晴らしいが、そこに敢えて、もはやこういう役柄に対しての“あざとさ”を観客に持たせてしまう可能性のあるケビン・スペイシーを配したことに、彼に対する絶対の信頼と作品に対する自信を感じる。 ラストのビデオ映像、デビッド・ゲイルがコンスタンスの顔を覆ったビニールをさりげなく触り、すべてを終えたあの表情…。いやはや、全くもって素晴らしい。ケビン・スペイシーはまたひとつ高みへと登った。
9点(2004-11-15 14:47:20)(良:2票)
235.  ミスト 《ネタバレ》 
世の中には数多の映画がある。 その中の一つのタイプとして確実に存在するのは、「胸糞の悪い映画」である。  最初に断言すると、この映画、間違いなく“胸糞悪い”。 これほど悪趣味な映画は久しぶりだ。  フランク・ダラボンという監督が、この映画で伝えようとしたテーマ性は分かる。 正体不明の“霧”に覆い隠された田舎町。 霧の中に存在する確実な恐怖と、更にじわりじわりと染み出るように現れる人間の精神の中に潜む恐怖。 二つの恐怖に襲われた人間たちが、極限状態の中で見せる「行為」こそ、最大の恐怖であるということ。  ミステリアスなエンターテイメント風な映画世界の中で、じっとりとその「恐怖」についてのテーマを描き出した試みは、おそらく監督の意図通りだったのだろう。  しかし、人間の良識として、この映画を肯定するべきではないと思う。  映画表現が「自由」である以上、どんな映画であっても、存在すべきだ。 ただし、それと同様に、映画に対してどんな評価を下すことも「自由」だ。  俳優の演技が素晴らしいとか、映像が美しいだとか、 映画の評価なんてものは、詰まるところ、「好き」か「嫌い」かだと思う。  つまりは、僕はこの映画が「嫌い」で、「クソ映画」だと思うということ。 
[DVD(字幕)] 0点(2008-12-01 00:14:26)(良:2票)
236.  インセプション
睡眠中の「夢」というものを、本当によく見る。 前夜に見た夢のことをつらつらと思いめぐらせて、一日が過ぎるということもしばしばある。 そういう者にとっては、この映画の完成度は殊更に高まると思う。  「夢」の世界の中で巡りめく攻防を描く今作。 先ずはストーリー展開がどうのこうの言う前に、その世界観のクオリティーの高さにおののく。  夢をよく見る人であれば、常に感じているだろう“夢”という世界の“目まぐるしさ”を完全に表現している。その映像世界が、先ず圧巻だ。  表面的な現実感と同時に存在する、時空と空間を超越する「感覚」。  そういうことを、現時点で成し得る映像表現の全てを使って”具現化”している。 その映像世界を構築した時点で、この映画の価値は揺るがない。  「ダークナイト」ですっかりメジャー監督となったクリストファー・ノーランだが、よくよく思い返せば、彼は「メメント」の監督なわけで、この手の作品こそこの映画作家の“真骨頂”ということなのだろうと観終わって納得した。  ただし、この映画に対して充分に評価した上で言わせてもらうならば、  物凄い製作費を投じて生み出された作品ならではの、出来るだけ広いマーケットを意識した“譲歩感”は感じられる。  恐らく、クリストファー・ノーランの本来の「構想」は、もっと無遠慮に難解で、歪んでいく映像世界を凌駕する程にねじり込まれたものだったのではないかと思われる。  “鑑賞者”として物凄く身構えた分、ストーリー展開に対しては、案外“ストレート”な印象を受け、一抹の物足りなさも感じた。 詰まりは、もっと人間の精神的な内部に踏み込み、その不可思議さに対する顛末を表現出来たのではないかと思う。  主演のレオナルド・ディカプリオが、もう一つ弾き切れていなかったことも、そういった“遠慮”が少なからず影響していたように感じてならない。 一概には比較出来ないが、ディカプリオのパフォーマンスだけを捉えるなら、今年公開された「シャッター アイランド」の方がインパクトがあった。  まあ、とは言っても、とんでもないオリジナリティに溢れた映画だということは間違いないし、その映画のセカンドネームに「Ken Watanabe」がクレジットされていることは、日本の映画ファンとして誇り高いことだと思う。
[映画館(字幕)] 9点(2010-07-25 00:34:22)(良:2票)
237.  ウルヴァリン:X-MEN ZERO
マーベルをはじめとしたアメコミ映画は大好きで、大概満足するのだけれど、「X-MEN」シリーズだけは今ひとつ乗り切れず、好きになれなかった。 その最大の要因は明らかで、主人公であるウルヴァリンにどうしてもヒーローとしての魅力を感じることが出来なかったからだ。 一方で、彼が主人公ではない2011年の「ファースト・ジェネレーション」には相当満足したので、やはりウルヴァリンというキャラクター性が性に合わないということだろうと、自身で結論づけていた。  しかし、その結論は必ずしも正しくはなかったようだ。 “戦犯”のレッテルを貼付けていたウルヴァリンの「過去」を描いた今作は、想定を大きく外れて、きっぱり面白かった。 そもそも、アメコミ映画は大好きだけれど、その原作であるアメコミ自体には全く造詣が深くないので、「X-MEN」という作品自体の性質と、その一キャラクターとしてのウルヴァリンの存在性を理解出来ていなかったのかもしれない。  「X-MEN」というアメコミ作品の主役は、あくまでミュータント集団である「X-MEN」という群像そのものであり、ヒュー・ジャックマンが主人公然として演じるウルヴァリンというキャラクターをメインに見据えるべきではなかったのだろう。  ウルヴァリンの個人的な前日譚である今作を観て初めて腑に落ちたのだが、過去の記憶をいっさいがっさい失くして、盲目的に己の「異端性」を呪うしか術の無いキャラクターが、その辺のアメコミの主人公と同様にヒーロー然と振る舞えるわけがなく、どこか屈折し“陰”に傾いてしまうことは必然だ。  このキャラクターにこういった“経緯”があるということを全く知らなかったので、おおよそアメコミ映画の主人公らしくない彼に拒否感を感じてしまっていたのだと思う。  前日譚ではあるが、当然演じるヒュー・ジャックマンにとっては、3作品経た上での(当時の)最新作であるので、そのフィット感は彼自身のスター俳優としての進化も相まって、当然最高潮であり、ウルヴァリンという苦悩に溢れたキャラクターの出自から記憶を失ってしまうまでの様を描いた今作は、物語としても魅力的で、ちょっと感動的ですらあった。  順番は後先になったが、「ファースト・ジェネレーション」の高揚感に続いて、今作の意外な満足感。一気にこのシリーズそのものが好きになりそうだ。 ガン無視だった最新作「SAMURAI」も俄然観たくなってきた。
[地上波(吹替)] 7点(2013-10-03 23:06:45)(良:2票)
238.  RED/レッド(2010)
決して嫌いじゃない。が、もっと面白くする方法はいくらでもあったと思う。  老いても尚、こういう役どころのアクション映画で堂々と活路を見出すブルース・ウィリスは、相変わらず精力的だと思う。 その主演映画がまだまだ“面白そう”に思えるのは、彼自身の類い稀なスター性故だろう。  ただし、主演映画が多い分、良作と駄作の振れ幅も大きいことも、彼の映画の特徴と言える……。  引退した凄腕CIAエージェントたちが、老体に鞭を打って、急襲してくる現役エージェントたちを撃滅していく様は、非常にエンターテイメント性に溢れ、それを豪勢な名優たちが演じるのだから、映画としては尚更魅力的だった。  特に、ジョン・マルコビッチのキレっぷりと、まさかのヘレン・ミレンがマシンガンを問答無用にぶっ放すというコンテンツは、絶大なオリジナリティーだったと思う。  しかし、キャラクターに対するぶっ飛んだ設定が、残念ながら映画自体に反映しきれていない。 そもそもが“マンガ”なのだから、そこに現実的な整合性など必要もなく、ひたすらに荒唐無稽な世界観を突き通すべきだったと思う。というか、そういう映画世界を見たかった。  序盤の爆発的なテンションが、クライマックスに近づくにつれ、どんどん降下していくことも致命的だったと思う。  もしクエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲスが監督を務めていたら、こういう結果にはならなかっただろう。 
[映画館(字幕)] 5点(2011-01-30 23:23:55)(良:2票)
239.  アメリカン・スナイパー
クリス・カイルという人物の実人生の最終的な“事実”を知らぬまま、今作を観たので、映画のラスト、敢えて感情的な表現を排除して描かれた「顛末」に対して、虚をつかれた。 そして流れる「無音」のエンドクレジットを目の当たりにして、しばし呆然としてしまった。  このあまりに印象的なエンドクレジットにクリント・イーストウッドが込めた思いとは何だったのだろうか。 戦場の内外で命を落としたすべての人たちに対する鎮魂か、それとも戦争という愚かさの中で生き続ける全人類に対しての無言の怒りか。  いずれにしても、その「無音」の中に何を感じるかということを、この映画は観客に対して問うているように思えた。  この映画は、本国アメリカにおいて政治的な両極端の立場の人たちから、それぞれの思想において賞賛され、また批判されている。 それは両極の者たちが、あまりに利己的に自分の考えをこの映画に重ね合わせ、都合よく解釈している結果だろう。  ちゃんとこの映画を観た人ならば極めて容易に理解できることであると思うが、監督がこの映画に込めたものは、戦争の正当化や戦意の高揚でもなければ、安直な戦争批判でもない。  これは、現在のこの世界に生きる一人の男の「運命」の物語だ。 一人の男が、アメリカという国に生まれ、父親に育てられ、成長し、愛国という名の正義に盲進し、妻となる女性を愛し、戦場に立ち、子を授かり、また戦場に行き、人生に苦悩する話だ。  その一人の男の虚無的な瞳の中に如実にあらわれた戦争というものの真の様。 それは、正義も悪もなく、“それ”を起こした「世界」に対する罪と罰だと感じた。 「敵国」とされる側のスナイパーにも、主人公同様に家族がいるのだ。   この映画で描かれた「事件」が発生してから僅か2年、製作期間としては実質1年余り。 そのあまりに短い期間で、これほどのクオリティーの戦争映画を撮り上げてしまうクリント・イーストウッドという映画人は、その信念の強さもさることながら、やはり「映画」そのものに愛されていると思わずにはいられない。  そして、この映画の「現実」が今なお続くこの世界の“日常”だからこそ、完成を急いだ製作陣に賞賛を送りたい。 
[映画館(字幕)] 8点(2015-02-21 21:43:18)(良:2票)
240.  殺人の追憶 《ネタバレ》 
メディア、雑誌等で評価の高い今作に対する危惧、それはやはり今作が実際の未解決猟奇殺人事件を描いた映画であるということだった。つまり猟奇殺人を描いたサスペンス映画でありながら、観る前から観客は「犯人は見出せない」ということを覚悟しなければならない。これはこのジャンルの映画としては多大なハンデである。しかし、この映画は評価に違わぬ明らかな傑作としてその全貌を脳裏に焼き付けることに成功したと思う。この映画世界に流れる空気感こそ、犯罪ドラマにおけるリアリティに他ならない。ソン・ガンホ、キム・サンギョン演じる刑事たちの怒り、焦り、絶望…あらゆる感情が生々しく迫ってくる。今尚、まさに息づく犯罪を描いた今作は、事件に翻弄された刑事の複雑に絡まる感情がにじむ表情をスクリーンいっぱいに映し出して終幕する。事実に対し、勇敢で、潔く、説得力に溢れた映画のエネルギーに圧倒される。
9点(2004-03-30 20:22:05)(良:2票)

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